「国とは一体、何なのですか?」 沖縄振興予算問題と第二次高市内閣改造人事に関して

江上武幸

「国とは一体、何なのですか」

この言葉は、筑豊じんぱい訴訟の弁護団長であった(故)松本洋一弁護士が、国を相手とする裁判において、国の代理人席に向かって常に口にされていた言葉です。

松本先生は、筑後川上流の下筌・松原ダム建設反対闘争、カネミ油症食品公害事件、福岡予防接種禍事件、三井山野炭鉱ガス爆発事故、三井有明鉱火災事故、そして炭鉱夫じん肺訴訟と、一貫して社会正義の実現と人権擁護のために尽力された弁護士でした。と同時に、北九州市長選に二度出馬して保守陣営の心胆を寒からしめた地方政治家でもあります。

先生は、福岡予防接種禍事件の控訴審において、国の代理人席に向かって次の問いを発しておられます。

「国とは一体何なのですか。1審で負ければ高裁・最高裁までいって、何がなんでも国の主張を通そうとする。国とは何が何でも裁判に勝つためにあるのですか。国民が健康で幸せに暮らせるように何かをする、それが国ではないですか。私はそう思ってきました。だからもう一度聞きたい。国とは一体、何なのですか。」

*(『俺たちはボタじゃない 筑豊じん肺訴訟18年4か月の軌跡』(2006年・海鳥社)

福岡市に出かけると、天神界隈で幼い子供を連れたアジア各地からの若い夫婦や、家族・親族ぐるみの観光客をたくさん見かけます。

一方で私の事務所では、幼い子供を抱えた若年夫婦の離婚問題、家族・親族間の骨肉を争う相続問題、個人・法人を問わない破産問題、奨学金返済や生活費のため夜のアルバイトをして人生を誤った女子大生からの相談など、社会のひずみを目のあたりにする仕事ばかりをしています。そのため、日本社会の貧困化を余計に肌で感じます。

後継者がいなくなった地方の田畑や山林、家屋は荒れ果てたまま放置され、都会に出た子供たち(私たちの世代でもあります)は、将来食糧危機に直面しても帰る田舎がありません。「未婚」「少子化」「非正規雇用」「子供食堂」「オレオレ詐欺」などの寒々した言葉にあふれ、野菜農家の労働者も韓国・台湾・ベトナムからではなくネパール・ミャンマー・インドネシアなどからの出稼ぎが増えているようです。アジアにおける日本の経済的地位の衰退を痛感せざるをえません。

ご存じのように、目下、福岡県は県議会議長就任をめぐる金銭疑惑で大揺れに揺れています。小選挙区制度の導入によって「自民党でなければ人にあらず」といった風潮が全国津々浦々に広がり、国会議員はもちろんのこと都道府県・市町村レベルまで二世三世の世襲議員が主流を占める時代になってしまいました。福岡県議会も議員の世襲化・政治の家業化が見え隠れしているように思います。

中選挙区制の時代には、自民党は派閥ごとに色分けされ、国会議員を頭に県議から市町村議員に至るまで系列化されつつも、それぞれが選挙区内の農林水産、商業・経済の業界団体と密接に関係し、地方の意見・要望を国政に反映する道筋が開かれていました。他方、旧社会党・共産党などの働く者・生活者を代表する野党が自民党と対峙する形の「55年体制」と呼ばれる政治構造がありました。

その結果、中選挙区時代には複数の自民党候補者と野党候補者が入り乱れて票を奪い合う選挙戦が繰り広げられ、政治好きな大人たちにとっては華やかなお祭り気分を味わうことができました(*政治は「まつりご」といいますが、「政治とは飢饉や災害から人々を守り、皆が安心して暮らせるように祈り働く行為である」という古来からの考えを表す言葉です)

55年体制によって曲がりなりにも国民各階層や地方の意見を国政に反映できる政治が長く続き、公害問題など様々な問題を抱えながらも、世界第2位となるまでの経済発展を遂げてきました。

外交面でも、1956年の日ソ共同宣言、1965年の日韓基本条約、1978年の日中平和友好条約など、平和主義の憲法の精神に基づき近隣のアジア諸国との友好関係を築き上げることが出来ました。日本はヨーロッパのスイスのように、アジアの永世中立国としての道を選択することも可能だったのです。

このように内政・外交とも戦後に定着した日本の中選挙区制を、わざわざ小選挙区制に変更する必要性は全くありませんでした。小選挙区の導入によって失われた30年の歴史を取り戻すには、今後数世代の努力が必要となるでしょう。誠に残念なことです。

中選挙区制から小選挙区制への選挙制度の変更は、1970年代に社共統一による革新政府の誕生が現実化したため、革新統一政府による安保条約の一方的廃棄通告により、日本各地(特に沖縄県)に展開している米軍基地を手放さざるを得なくなる事態が生じるのを阻止する必要を感じたアメリカが、主導して実施したものと考えて間違いありません。

*戦後、日本がアメリカの支配下にあったことは、ネット社会の普及によって誰の目にも明らかになっています。とりわけ、れいわ新選組の伊勢崎賢治参議院議員(国際平和研究、教育専門家)の国会での発言は核心をついており、爽快感を覚えます。また、核保有論には賛同できませんが、アメリカ生活の長い国際政治アナリストの伊藤貫氏のアメリカ政治の分析も参考になります。

その他にも、元外交官の孫崎亨氏の『アメリカに潰された政治家』(小学館)を始めとする多数の著作、ジャーナリスト兼作家の吉田敏浩氏の『日米合同委員会の研究』(創元社)を始めとする著作など、ネット社会のおかげでこれまで知らなかった書籍の存在も知ることができました。(*ただし、ありがたいと思う反面、「知らなければよかった」と思うことも多々あり、複雑な心地になります)。

アメリカが、日本の選挙制度を中選挙区制のままにしておくと社共統一による革新政府が誕生しかねないと危惧したことは先に述べたとおりです。それを防ぐためにアメリカは日本に小選挙区制の導入を図ったと考えられます。

小選挙区制度が設けられている国としては、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インドなどがあります。アメリカ以外はかつてのイギリス帝国の名残であるイギリス連邦の加盟国で、アメリカもイギリスから独立した国ですから元々は一体です。イギリスは「労働党」と「保守党」、アメリカは「民主党」と「共和党」が二大政党として、他の政党の台頭を許さない仕組みを作っています。

これらの二大政党のうちいずれの党が政権を握っても支配体制が揺るがないようにするのが、小選挙区制度での真の狙いです。中選挙区制から小選挙区制への変更は、「ゲリマンダー(区割の恣意的変更)」などは足元にも及ばない、政権党に一方的に有利な大変革なのです。

中選挙区制のもとでは、旧社会党・共産党の革新統一の力で美濃部東京都知事、飛鳥田横浜市長、蜷川京都府知事、黒田大阪府知事、奥田福岡県知事などの革新自治体が次々と誕生しました。そのままの革新の勢いが続けば、1970年代後半には自民党に代わる革新統一政府が誕生しかねない政治情勢が生まれていました。今の世代の人たちは、そのような時代があったことなど想像すらつかないかもしれません。

日本列島は「中国・ソ連に向けた不沈空母」と言われてきました。アメリカが米軍基地を永続的に設置し続けるには、自民党政府に代わる革新統一政府の誕生を断固阻止する必要があります。アメリカとその意向を受けた政治家・官僚は、社会党の分裂、社共の対立、国鉄・郵政・タバコ産業の分割民営化、連合の結成、官公労の組織率の低下、ソ連・中国の体制批判による社会主義・共産主義に対する嫌悪感の醸成など、小選挙区制と二大政党制の導入をはかる以前から、その下準備を着々と整えていたのです。

1970年(昭和45年)3月に高校を卒業した私の世代は、家庭の経済状態が許せば大学に進学することが出来る時代に生まれました。

前年の1969年(昭和44年)には東大の入試が初めて中止され、東大を目指していた先輩は京都大学や一橋大学、私立大学などに志望校を変更せざるを得ませんでした。 大学内では、全共闘・民青・原理研究会・勝共連合・生長の家などの学生が入り交じり、騒然とした雰囲気が漂っていました。多くの学生はノンポリとして過ごしましたが、学生運動の影響は大なり小なりその後の人生に影を落とし、あるいは影響を及ぼしています。

1968年(昭和43年)10月21日の国際反戦デーには、新宿駅周辺で過激派学生のデモ隊による騒乱事件が発生し、学生730人が逮捕されるという事件が起きました。この逮捕劇について、日大全共闘のシンパで逮捕された経験のある人物から次のような話を聞いたことがあります。

「事件の際、デモ隊の最前列にいた者たちが一斉に姿を消したため、後列にいた自分たちがデモ隊の最前列に押し出され、機動隊から一斉検挙された。つまり、騒擾罪を適用するために公安が学生デモを新宿駅構内に誘導していたことがわかった。自分は親父が田舎で開業医をしており、地元の国会議員に頼んだため早く釈放してもらった。」

1960年の安保反対闘争の際、国会に突入したデモを先導した全学連指導部に対し、右翼のフィクサーであった田中清玄氏が多額の資金援助をしていたことが後日明らかになりました。世の中の出来事には必ず何か裏が隠されているものです。

話がそれましたが本題に入ります。

沖縄県知事選挙が終わって間もなくして、須田慎一郎氏のYouTube報道番組「虎ノ門二ュース」で、「沖縄県知事選予算増額の真相玉城デニー県政には振興予算3000億円が出なかった本当の理由」と題した配信がありました。

財務官僚出身で30代前半の政治家志望の若者が出演しており、玉城デニー県知事時代に沖縄振興予算3000億円を出さなかった理由について、次のように話していました。

「沖縄振興予算を2021年度までは年間3000億円とすることについては、国と沖縄県の間で政治的約束があった。しかし、2022年からの沖縄振興予算については新たに政府と沖縄県は協議すべきところ、玉城知事は政府と財務省に直接出向いて予算措置の陳情をすべきだったのに、それをしなかった。それで従来通りの3000億円は交付しないことにした。しかし、沖縄県の振興のためには特別予算が必要なことは分かっているので、玉城知事とその支援者のために使われることがないよう、市町村に直接交付することにした。」

私がこの話で最も引っ掛かり(憤り)を覚えたのは、30代前半の元財務官僚の政治家志望の青年が、登録者数140万人を超える影響力のあるネット番組で、自民党政府と財務省の一体化ぶりを自慢げに語る姿でした。彼は、財務省が2022年以降、沖縄県に3000億円の振興予算を交付しなくなったのは、玉城知事が自ら上京して政府と財務省に予算の陳情に来なかったからであると、悪びれることもなく言い放ったのです。続けて、県に交付すれば知事らのために使われるので県を通さずに市町村に直接渡すことにしたという裏話まで披露しました。

この政治家志望の若者の姿を見ると、現役通産官僚だった古賀茂明氏が著した「日本中枢の崩壊」(講談社刊)の表題が思わず頭をよぎります。戦後80年近く、アメリカ支配から脱しきれないままきてしまった結果、このような考えを持つ若い官僚が日本の中枢で育ち、将来の日本を動かしていくのかと思うと脱力感に襲われます。

政治の世界に目を向けると、第二次高市改造内閣の閣僚メンバーが発表されました。山下貴司氏(法務大臣)と古川俊治氏(デジタル大臣)の2人は、岡口基一元裁判官の弾劾裁判において、山下氏は弾劾裁判員として、古川氏は訴追委員として登場した人物です。この2人が弾劾裁判で果たした役割については、「裁判官はなぜ葬られたか」(岡口元裁判官著・講談社)に詳述されています。

山下氏は元検事、古川氏は弁護士資格保有者です。検事と弁護士とが裁判官を罷免するという構図でした。岡口(元)裁判官は罷免判決を受け、裁判官の身分を失っただけでなく弁護士になることもできず、退職金の支給も受けることが出来ませんでした。しかし、現役時代の岡口裁判官の力量は高く評価されており、長年におよぶ裁判実務の知識・経験・処理能力に裏付けされた著作(司法試験受験者や実務家向け)も多数発行され、現在は受験指導や全国からの講演依頼で忙しい毎日を送っておられるようです。

「法と良心以外にはいかなる権威や圧力にも屈しない」という裁判官魂を失わず、前向きに裁判や法に向かい続ける姿には頭が下がります。

岡口裁判官の罷免裁判は最高裁判所が訴追していないにもかかわらず、国会の訴追委員会の決議にて弾劾裁判が開かれた初めてのケースと言われています。しかし、その背後には「法と良心以外の何物にも干渉されない。」という独立精神を持った裁判官の存在を認めない最高裁事務総局の強い意思が横たわっていると考えます。政権与党も最高裁による申立てがなくとも、国会の訴追委員会による訴追があれば弾劾裁判を開けるという前例を作ってしまいました。

今回の岡口裁判官に対する罷免判決は、石田和外最高裁長官時代の「青法協(青年法律家協会)裁判官への弾圧」と並び、いやそれ以上に、個々の裁判官の市民的自由を完全に剥奪するという戦後司法史上最大の汚点だと言わざるをえません。

この弾劾裁判で、法と良心にのみ従った判決を下す勇気をもった若い裁判官達が萎縮したり、あるいは市民的自由のない生活に見切りをつけて中途退官したりすることがないことを祈るばかりです。

第二次高市改造内閣に入閣した山下・古川の両氏も、政権に従順な裁判官を求める自民党の意向を受け、岡口裁判官を罷免するための弾劾裁判で積極的役割を果たしました。そのような政治家が国政の中枢を占める大臣に就任できるのが、現在の日本国なのです。

米軍基地があるかぎり、日本人は日本人だけで日本の行く末を決めることは出来ません。押し付け憲法であるとして日本国憲法をないがしろにし、ひたすらアメリカの顔色を窺い、指示通りに動いてさえいれば政治生命を失うこともなく、官僚として冷や飯を食わされることもありません。あえてそれに背を向けて、せっかく手に入れた豊かな生活を世のため人のために捧げる必要などないと考える人たちが今の日本の「国」を作っているのです。

いつも笑いを絶やさなかった(故)松本弁護士から、「それじゃ身も蓋もないじゃないか」と叱られてしまうかもしれません。

確かに、周りを見渡せば絶望的になりますが、時代は確実に世代交代しています。私たちが学生時代に抱いたような理想や熱意を持ちながら、未来に向かって努力を続ける若い世代が次々と誕生し、必ずや次の時代を切り開いていってくれるはずです。

小選挙区制のもとで水と油の野党の大同団結を図ることにエネルギーを注ぐより、中選挙区制に戻して全ての政党・政治家による百家争鳴の選挙戦を見るのが楽しくはないでしょうか。世襲政治家ではなく、そのような選挙の洗礼を受けて誕生した政治家こそが真の政治家といえるのではないでしょうか。

*出世には魅力を感じない若い世代の裁判官・検事・弁護士が、「司法の独立と裁判官の独立」を取り戻すため、岡口元裁判官に負けないよう自由闊達にのびのびと仕事に励まれることを期待します。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2026年9月23日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長、綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
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殺害事件の「首謀者」とされて ── 服役中のAさんからの手紙

尾﨑美代子

拙著『日本の冤罪』発行以降、大勢の方から「私も冤罪です」という内容の手紙を頂いた。多くは現在服役中の刑務所からだ。その一人Aさんは青木恵子さんに手紙と事件に関連したノートを送ってきた方だ。青木さんは多くの冤罪犠牲者の支援活動をしているが、裁判資料など読むのが大変だということで、私に「読んで」と回ってきた。

ノートには、非常に几帳面な字で事件の概要が書かれていた。ある男性の殺害事件で、Aさんが首謀者として逮捕されたのは事件から数年後だった。ほかに逮捕された数人は口裏をあわせてAさんが首謀者だと供述。彼らの刑は首謀者Aさんの半分以下だ。

ノートには唐突に「遺体を骨と肉にわけ、ある日、家族と行った別荘で、バーベキュー用のコンロでバーベキュー用の炭で火をおこし、その火で焼き、バーベキュー用のトングで骨を粉々にした」というような内容が書かれていた。私は「そんなことできるかよ」と突っ込みながら読み進めたが、さらにその粉々にした骨などを、別荘に行ったのだったら遠い山奥に廃棄すればいいものを、自宅のある都内に持ち帰ったと書いてある。

ちょうど、埼玉愛犬家殺人事件をテーマにした中村明監督の映画「生きし」(https://ikisi-movie.com/)の上映が十三の七芸で始まり、私がトークショーに呼ばれたこともあって、以前読んだ埼玉愛犬家連続殺人事件の本を読み直した。ご存じのように、この事件の犯人は、殺害した遺体をドラム缶で相当強い火力で焼いていた。バーベキュー用のコンロや炭では到底無理だろう、何言ってんだと考えながら、Aさんと手紙のやりとりが続いた。

私が質問し、Aさんが答える形でやりとりは10数通に及んだが、7、8通目でその謎がようやく溶けた。男性がいなくなったのち、男性の周辺にいたAさんらが疑われたが、確固たる証拠がなかった。男性の遺体すら発見されていなかった。しかし、男性は、警察の捜査で、失踪したのち全く行方がつかめないこともわかった。多分殺害されているだろうと考えた警察は、当時周辺にいたAさんらに目をつけ、Aさんらがその数年の間に、何をしたか探る。その間、確かにAさんは家族と別荘に行き、そこでバーベキューをしていた。バーベキュー用のコンロや炭を購入したこと、別荘を借りたことなどは、領収書や家族の供述などで証明できるのだろう。そこで警察はみつかっていない遺体の処分は、その別荘でバーベキューをやったときに実施したというストーリーを組み立てたのだろう。「●年、●月●日、お前は家族と●●に行ったな?」と聞けばAさんも「イエス」と答えるしかない。

しかし、何度もいうが、バーベキュー用コンロと炭で遺体の肉、骨を焼き、トングで粉々にはできないだろう。

Aさんが首謀者として、殺害も遺体の損壊も実行したというほかのB、Cの証言、供述調書がある。しかし、これは裁判には出ていないという。何故か? 信用するに値しないからか?

その調書をAさんは私に読んで欲しいという。私は裁判資料を読むのは好きだから、というか、供述調書や裁判の証言記録を読むと「おいおい、本当かよ」と思える箇所がよくあるし、それが彼の無実を晴らすことにつながればと思って読むからだ。

実はAさんのノートを丹念に読んでみたら、男性が殺害された日、その時刻に、Aさんは殺害現場にはいれなかったのではないかと思える箇所があり、そこには直接証拠も存在するではないか。それをAさんに手紙で示した。Aさんは「そうなんですよ。何度言っても誰にも信じてもらえないんですよ」と書いてきた。そりゃそうだ。Aさんは首謀者とされたのだから。

そしてAさんは、その殺害現場でAさんが中心となり、男性を殺害したという生生しい場面を、ほかのB、Cが供述した調書を、私に読んで欲しいという。調書自体やコピーを私に送ることは無理(違法?)なので、調書を丸々ノートに書き写し送るという。それはすでに上に申請し許可が下りたという。そしてA4ノート一冊分に関係者の調書を書き写したものが送られてきた。

関係者Bによれば、殺害した際、もう怖くて怖くて何があったか、頭が真っ白で覚えてないといいながら、そのあと、非常に詳細にAさんがどうやって殺害したかを述べている。Aさんがどのように遺体を損壊したかなど極めて詳細に書かれている。「あなた、頭真っ白じゃなかった?」。しかも初めての殺害、さらに「なぜ男性を殺すに至ったかについて、うっすら金銭関係とは思うが、怖くてAさんに聞けなかった」といいながら、男性の足を持ったりしてAの殺害行為に加担している……。

B、Cが述べる殺人鬼Aさんはものすごい凶暴な人と書かれている。しかし、私にはそう思えない。何人もの冤罪を訴える人と手紙のやりとりをしているが、文章にはその人の特性が表れてくる。中には多少ずうずうしい方もいる。自分をよく思われたいと、盛ったであろう内容を書いてくる人もいる。もちろんだから彼らを信じないのではないが。

Aさんで気づいた点がある。私が出した手紙には、私の店の住所の郵便番号(557-0002)が書いてあった(ちなみに手紙は読みやすいようにパソコンで書く)が、Aさんの返信には私の郵便番号が書いてなかった。「なぜ書かないのかな?」と不思議に思っていたところ、ある時の手紙の最後に「尾崎さん、すみません、尾崎さんの住所の郵便番号を教えてくれませんか? ちょっと読めなくて看守の人に見せても読めないと言われましたので」と書き、「本当にすみません」と詫びているのだ。まあ、私の字が下手くそだったということだが、「読めません」とずっと言えないような人だったのだ。私が怒ってしまうと思ったからなのか、それはわかりかねるが、「僕もあまり字が綺麗なほうではないので……」とめっちゃ綺麗な字で書いてきた。A4ノート一冊に毎日コツコツコツコツと調書を書き写したAさんの思いを、私も必死に受け止めたい。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

新宿フェイスでのキックボクシング最終興行はKICK Insist.28

堀田春樹

メインイベンター勇成は激しく鬩ぎ合う展開はやや優勢もドロー!
政斗がカッコよく引退テンカウントゴングを聴く!
政斗が返上した王座は細見直生がKOで戴冠!
新宿フェイス支配人、小川愉可さん、リングに御登壇で御挨拶!

◎KICK Insist.28 / 9月20日(日)新宿フェイス17:30~20:13
主催:(株)VICTORY SPIRITS、ビクトリージム / 認定:ジャパンキックボクシング協会

◆第8試合 59.0kg契約3回戦

ジャパン・フェザー級チャンピオン.勇成(=冨岡勇成/Formed/福岡県出身21歳/ 59.0kg)
13戦10勝(7KO)2敗1分
        VS
ペレー・サンライズジム(タイ出身33歳/ 58.9kg)104戦72勝30敗2分
引分け 1-0
主審:椎名利一
副審:勝本29-29. 宮沢29-29. 竜矢29-28

初回、ローキック中心に上下の蹴りと時折のパンチの交錯する様子見は、勇成が圧力掛けて出る展開。第2ラウンドも同じ展開もペレーがヒジ打ち狙って来る。更に首相撲に移るとペレーのヒザ蹴りとムエタイリズムが活きだす。

積極果敢に攻めたのは勇成も結果に繋がらず
積極果敢に攻めたのは勇成も結果に繋がらず

ラストラウンドもより激しい攻防も勇成は前進。ペレーはしっかり蹴り返す。ヒジ打ちの交錯もあり、休まない攻防は勇成のローキックやボディーブローが優ったに見えたが、採点もジャッジ三者が揃うラウンドは無く、いずれも29-29でドローとなった。勇成の右ローキックと左ボディブローは、これで倒せるかという勢いもペレーは全く崩れなかった。

ペレーは要所要所で鋭い蹴りを返した
ペレーは要所要所で鋭い蹴りを返した

試合後の控室でペレー・サンライズジムは仲間内と記念撮影中、「タイ語解る人居ますか?」と尋ねても居なかったので、私の拙いタイ語でペレーに話しかけたところが、日本語で応えるペレー。拙い質問にはしっかり応えてくれました。

「勇成は気持ちが強くて前へ前へ出て攻めて来るので、上手かったし強かったです。でも僕の方が勝ってると思ったけど、勇成も勝っていると思っているだろうから、もう一回やりたいです。」と笑顔で語った。

◆第7試合 ジャパン・ウェルター級王座決定戦 5回戦

1位.細見直生(KICK BOX/1996.11.28京都府出身/ 65.8kg)6戦5勝(2KO)1敗
        VS
3位.正哉(誠真/神奈川県出身23歳/ 66.4kg)14戦7勝(3KO)7敗
勝者:細見直生 / KO 1ラウンド 1分41秒
主審:勝本剛司

両者は2024年3月24日に対戦し、細見直生が初回TKO勝利しているが、今回も初回で更に短い時間で正哉を仕留めた。

蹴りで牽制し合う両者はまず正哉の左フックが軽くヒットも、怯まない細見直生は蹴りで牽制し、右ストレート強烈ヒットでノックダウンを奪った。すでに効いた感はあるが、立ち上がった正哉を更に追い詰めて右ストレートヒットでノックダウンを奪うと正哉は何とか立ち上がるも意識朦朧としており、カウント中にレフェリーがストップした。

細見直生の右ストレートで意識が飛んだ正哉はゆっくりと倒れ込んだ
細見直生の右ストレートで意識が飛んだ正哉はゆっくりと倒れ込んだ

細見直生のチャンピオンとしてのマイクアピールは
「去年敗北して一年間練習して……」に続く“頑張って来ました”が涙で声にならないような語りの後、正哉選手と周囲への感謝を何度も述べて、「チャンピオンとして会場を沸かせて、皆の人生の希望の力になるような試合を見せたいと思います。」と語った。

認定証を笑顔で受取る細見直生。人生最高の瞬間もまだ上がある
認定証を笑顔で受取る細見直生。人生最高の瞬間もまだ上がある
昨年9月の新宿フェイスで政斗に敗れてから1年の努力が実った細見直生の感涙
昨年9月の新宿フェイスで政斗に敗れてから1年の努力が実った細見直生の感涙

リングを下りた細見直生は興行終了後まで応援者に挨拶回りしていた中、「メチャメチャ楽しかったです。」とロビーで喜びを分かち合う中での回答。狙ったパンチで倒し切った充実感が溢れていた。

細見陣営、鴇稔之会長は「細見は打ち合える度胸があるので、上手いというより強いタイプです。試合で“行け”と言ってもすぐ行ける選手は少ない中、細見は攻めて出る良いもの持ってますね。」と語る。

正哉の先輩、大地フォージャーは「作戦通りにやっていたところは凄く良かったです。ただ、パンチで打ち合う時間がほんのちょっと長くて、そこに合わせられましたね。正哉はダウン2回とも覚えていないようですね。」と語った。

◆第6試合 58.0kg契約3回戦

ジャパン・フェザー級1位.皆川裕哉(KICK BOX/1997.4.11東京都出身/ 57.8kg)
34戦17勝(4KO)15敗2分
        VS
同級3位.海士(ビクトリー/1988.10.14山形県出身/ 57.9kg)11戦6勝5敗
勝者:皆川裕哉 / 判定3-0
主審:竜矢
副審:椎名29-28. 勝本29-28. 宮沢29-28

皆川裕哉の前進するヒザ蹴りも加えた蹴りのタイミングが良い。第2ラウンドには海士もパンチと蹴りの勢いでジワジワ巻き返す。ラストラウンドも蹴りとパンチの攻防の中、パンチで出る皆川に海士とのヒジが掠めた相打ちは皆川が一瞬のスリップダウンするが、激しい攻防の中、今度は皆川の右ハイキックで海士がノックダウン。激しい攻防は僅差ながら皆川の勝利となった。

皆川裕哉がハイキックで海士からノックダウン奪って判定勝利
皆川裕哉がハイキックで海士からノックダウン奪って判定勝利

鴇稔之会長は技術を分析する語りが上手く、「皆川は攻撃はいいが、立ち位置の問題で攻められ易い点があったので、今回は修復されていて以前より良かったです。」と、細かい部分は省くが、何が出来るか、何がダメでそこをどう直していくかで出来ることが多くなるので、その修正が良かったという。

◆第5試合 ライト級3回戦

ジャパン・ライト級2位.菊地拓人(市原/千葉県市原市出身26歳/ 61.0kg)
12戦8勝(5KO)3敗1分
VS
同級4位.林瑞紀(治政館/1993.4.16鹿児島県出身/ 61.05kg)20戦11勝(4KO)8敗1分
勝者:菊地拓人 / TKO 3ラウンド 1分31秒
主審:宮沢誠

初回は林瑞紀のパンチと蹴りの勢いが優った。菊地拓人は鼻血を流す苦しい展開。第2ラウンドも林瑞紀のペースだったが、菊池が蹴りからパンチ連打で林瑞紀をコーナーに追い込むと流れが逆転。更にパンチで追い込んだ菊池がスタンディングノックダウンを奪った。ラストラウンドも菊地のパンチの勢いで林瑞紀を苦しめ、右ストレートでノックダウンを奪う。立ち上がった林を更にパンチで追い込みローキックから右ストレートフォローで倒し、カウント中のレフェリーストップとなった。

菊地拓人は劣勢を巻き返して林瑞紀を倒した
菊地拓人は劣勢を巻き返して林瑞紀を倒した

◆第4試合 ミドル級3回戦

白井大也(市原/千葉県市原市出身24歳/ 73.4→73.25kg/+680g計量失格)減点1
8戦3勝(1KO)3敗2分
        VS
バス・レンジャージム(タイ・ローイエット県出身36歳/ 72.3kg)100戦越
勝者:バス・レンジャージム / TKO 2ラウンド 2分51秒
主審:竜矢

計量失格した白井大也は減点が科せられる。初回、パワーあるバスの蹴りと追い込むパンチ。白井大也も返すパワーはあったが、バスの勢いに敵わない。

第2ラウンドにバスの首相撲で押さえられた白井がマットに膝を着くとバスのヒザ蹴りを顔面に受け、反則打として白井に回復のインターバルが与えられた。再開後もバスの猛攻で劣勢の白井。更にヒザ蹴りに掴まえると顔面にヒザ蹴り受けた白井はノックダウンし、カウント中のレフェリーストップが掛かった。

バス・レンジャージムは終始圧倒。白井大也を倒す
バス・レンジャージムは終始圧倒。白井大也を倒す

◆第3試合 ウェルター級3回戦

深谷恭介(ラジャサクレックムエタイ/東京都出身31歳/ 67.1→66.3kg)2戦2勝(1KO)
VS
LEO SHOBUKAI (尚武会久喜支部/東京都出身18歳/ 65.0kg)2戦1勝1敗
勝者:深谷恭介 / 判定3-0 (30-27. 29-27. 30-28)

深谷恭介のパワーある蹴りで圧倒し大差判定勝利。

◆第2試合 フェザー級3回戦

優太JSK(治政館/埼玉県出身20歳/ 56.8kg) 2戦1勝1敗
        VS
鹿志村巧(BURNING/千葉県出身19歳/ 57.6→57.15kg)2戦2勝
勝者:鹿志村巧 / 判定0-3 (27-30. 27-29. 27-30)

計量時はリミットまで減量に苦しんだ鹿志村巧だったが、その影響は無く蹴りと組み合ってのヒザ蹴りで終始圧倒し大差判定勝利。優太はコーナーに帰る際もフラフラでセコンド陣営に支えられてリングを下りた。

◆第1試合 ライト級3回戦

木村大夢(KIX/千葉県出身28歳/ 61.2kg)2戦1勝1敗
        VS
光流(Team S.R.K/栃木県出身24歳/ 61.0kg)4戦1勝3敗
勝者:木村大夢 / 判定3-0 (30-28. 29-28. 30-27)

パンチと蹴りの攻防は互角に進んだが、ラストラウンド残り僅かで木村大夢が右ストレートヒットさせ光流がノックダウン。立ち上がるも残り時間は無く終了。木村が判定勝利。

《取材戦記》

第6試合後のセレモニーでは小泉猛代表御挨拶の後、新宿フェイス支配人の小川愉可氏がリングに御登壇。21年間の想いを語られました。

「21年2箇月、キックボクシングの試合も何千試合とここで開催して頂いて来たかと思います。選手に関しては、本当に悔しさと喜びを経験して成長されて来たんじゃないかと思います。試合で興奮したり感動したりというところを見ていると、この会場では格闘技界においても、大変必要な場所だったんじゃないかなと思います。ここは9月30日で終るんですけど、またリングのある会場で皆さんにお会い出来ればと思います。私も選手の試合をまた改めて観させて頂ければと思います。21年間本当に有難うございました。」と御挨拶されました。

新宿フェイス支配人の小川愉可氏より御挨拶
新宿フェイス支配人の小川愉可氏より御挨拶

続いて政斗(=黒澤政斗/治政館/1992.7.17東京都出身)の引退セレモニーに移り、政斗は御挨拶で周囲への感謝の他、
「リングを下りる時って不思議な感覚ですね。自分のリングの人生というのは。」「大学在学中にプロデビューして36戦もやって来ました。3回タイトルマッチやって3回ともダメでした。その度に何回も諦めそうになりました。だけどやっぱり、絶対にチャンピオンベルトを巻いてキックボクシング生活を終わりにしたいと思っていたので、ベルトを巻けて、その時は人生最高の瞬間でした。最後にちょっと、これからリングに上がる選手の方々にメッセージを残して終わりにしたいと思います。歌手の方々は歌を歌って人にインパクトを与えられると思います。画家の人は絵を描いてそれを人になにかを感じて貰いパワーを与えるとか出来ると思います。自分自身も勿論、勝ち負けを拘っていたのですが、やっぱり観ている人の心をどれだけ動かせるかということを拘って自分は試合を続けて来ました。勿論自分の試合の中でも情けない試合もあれば、凄い良い試合もあるし、だけどやっぱり人の心を動かすというところが僕のキックボクシングの中での目標でした。なのでこれからリングに上がる選手の方々、自分自身の生き様をこのリングで魅せて、人の心を動かせるような存在になって欲しいです。この後、このベルトを懸けて二人の選手がタイトルマッチを行ないます。その二人を皆さんの応援で一歩でも背中を押してあげて一歩でも足を前に進ませる応援をして頂ければと思います。本日は本当に有難うございました。今迄応援して頂いた皆様、そして一緒に汗を流して頂いた選手の皆様、応援、スポンサードして頂いた皆様、それを何よりも支えてくれた家族、自分を信じて支えてくれて有難う。今日でリングを下ります。素晴らしい格闘技人生でした。キックボクシング最高!」
と、4分20秒に渡るメッセージをメモ無しでカッコよく語り終えました。

前チャンピオンの政斗は完全燃焼して引退テンカウントを聴く
前チャンピオンの政斗は完全燃焼して引退テンカウントを聴く

政斗は2014年5月デビューし、2016年4月17日、日本ウェルター級タイトルマッチに於いて、チャンピオン渡辺健司(伊原稲城)に挑戦も判定負け。

2018年5月13日、リカルド・ブラボと王座決定戦にヒジで斬られて4ラウンドTKO負け。

ジャパンキックボクシング協会に移って2020年1月5日、モトヤスックと同門対決でジャパン王座を争い、ヒジで斬られて5ラウンドTKO負け。

2024年3月24日、チャンピオン大地フォージャーに2ラウンドで倒して王座初奪取。

2025年9月15日、細見直生の挑戦を判定勝利で初防衛も引退表明。

※  ※  ※  ※

新宿フェイスにおいてのキックボクシング最終興行での小川愉可さんの御挨拶と政斗の引退セレモニーは二つの引退式があったような感覚。どちらも熱い語り掛けがありました。

後楽園ホールも来年修復工事の為、春に2箇月程休館の予定があります。5月より再開されますが、老朽化の会場も多いようです。一方で新しい多目的ホール、格闘技向きの会場なども増えているので、キックボクシングの試合も少しずつ新しい会場が増えていくのでしょう。

次回のジャパンキックボクシング協会KICK Insist.29は11月22日(日)に後楽園ホールに於いて開催されます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

後期高齢者になって──

鹿砦社代表 松岡利康

本日9月25日で75歳になりました。いわゆる後期高齢者になったということです。かつて若い頃は30歳以降の人生は見えませんでした。それが齢を重ね75歳──思い返せば、いろいろあった人生でした。自分で言うのも僭越ながら浮き沈みの激しい人生だったな。もう何も起きず、少しは業績をアップさせ、あとはやり残した仕事を編纂して形に遺しフェイドアウトしたいと思っています。このままあと5年ほどは何とか生きるとして、1年に1冊、まとめることができれば、と考えています。どのテーマも、それなりに適宜書いてきているので、それらを丹念に整理して書き連ねていきたい。

知人に高部務という人がいます。彼は私より1つ上ですが、トップ屋として、この業界に入ったのは10年余りも先でした。私はと言えば、10年間、出版とは何も関係のない業種でサラリーマン生活を経て、円安のあおりで会社整理するということで、後先考えず、「えいっ!」とばかりこの業界に入りました。これで良かれ悪しかれ人生が変わりました。

幸い、府川充男という人が手取り足取り編集スキルを教えてくれました。板坂剛さんと知り合ったのもこの少し後で、当時2人は対立していたとのことですが、こういうことに無頓着な私は等距離で付き合っていて、今もそうです。お二人とも人一番過激な方だったということですが、板坂さんなど、かの『噂の眞相』を廃刊の危機に追い込んだ「皇室ポルノ事件」を起こしています。

その後、ひょんなことで鹿砦社は路線転換をするわけですが、そして知り合ったのが高部さんでした。その頃にはこの業界で成功していて、府川さんや板坂さんとは違う内容を教えていただきました。このことでブレイクするわけで高部さんには感謝しています。90年代半ばの頃でした。

そして今、高部さんは時代小説の分野に関心を持たれ、これに専念されています。鹿砦社からも2冊上梓しています。3冊目ももうすぐ出ます。みずからが関心を持った課題に、わざわざ地方の役場を尋ねると、真剣に資料を探したり望外の協力をしてくれるということです。私も高部さんを見習わないと……。

私の前後の世代は、多くが学生運動に関わり、その人たちの友人に内ゲバで命を落とした人も多いです。高部さん然り、大学の先輩でアメリカに在住の矢谷暢一郎さん(ニューヨーク州立大学名誉教授)もそうです、これは2人とも表立って書いているので言ってもいいでしょう。また、私が学生の頃、学費値上げ阻止闘争で逮捕・起訴された際に弁護人になってくれた弁護士は、弁護士1年目で私たちの弁護人に就いてくれましたが、彼は一緒に生協活動をやった後輩を連合赤軍事件で亡くしています。当時はこんなことがよくありました。身近な友人を内ゲバで亡くし、その後どう生きてこられたのでしょうか、おそらく他人には言えないものがあると思います。

私の場合、友人ではありませんが、時々ビラ撒きで一緒になった中核派の活動家が、ある日突然、内ゲバで殺されたという報に接した時はショックでした。真面目な方だったということです。ビラ撒きでも、そんな雰囲気を感じさせる方でした。

思い出すことも多いですが、やはり学生時代にくだんの学費値上げ阻止闘争で逮捕されたこと(72年2月1日)と、「名誉毀損」容疑で逮捕されたこと(2005年7月12日)が特に記憶に残ります。当たり前ですよね。

1972年2月1日、同志社大学キャンパス中央にある明徳館屋上にて学費値上げに抗議して逮捕される。20歳の時のことでした。
1972年2月1日、同志社大学キャンパス中央にある明徳館屋上にて学費値上げに抗議して逮捕される。20歳の時のことでした。
2005年7月12日の朝日新聞(大阪本社版)朝刊。「名誉毀損」容疑で逮捕される。54歳の時のことでした。
2005年7月12日の朝日新聞(大阪本社版)朝刊。「名誉毀損」容疑で逮捕される。54歳の時のことでした。

まあ、それにしても、これまでよく生きてきました。人間、生きてりゃ何とかなるということでしょうか。あとしばらくお付き合いください。

今、想うのは、いい時も、地獄のような時もありましたが、「人生に無駄なものなど なにひとつない」ということでしょうか。

広島・呉を平和・環境・防災・テクノロジーの「複首都」に! 県議会・市議会に陳情 ── 西風新都に国会議事堂と中央省庁、呉日鐵跡地に防災省・コンテナホテル拠点・研究機関を

さとうしゅういち

筆者は9月9日、広島県議会に対して、「広島県を複首都として位置付ける国家機能誘致に関する陳情」を行いました。

2026年7月、副首都法案が成立。大阪や北海道、愛知、福岡と並び、広島も副首都に名乗りを上げています。しかし、広島のどこに、何を誘致するか、については、白紙です。

一方、8月28日、呉市の日鐵跡地を防衛省が取得。9月7日に小泉防衛大臣が現地を視察し、11日には、担当者が広島県庁で広島県と呉市の担当者に総合防衛拠点の説明を行いました。ただ、ドローン製造工場や、弾薬庫、スポーツ公園、民間企業誘致地区など、漠然としたイメージ図は提示されましたが、「建物解体が済んだ地区から日鐵側に引き渡しを受け、整備していく」「企業誘致公募は、9月1日から始めた」など、具体像は見えません。また、今後も県や市との協議で修正はありうるという段階です。

呉日鐵跡地は、民間企業の誘致には不利です。

①空港が遠い②新幹線が遠い③山陽自動車道から遠い。この3点で、民間企業は、同じ県内であれば、東広島市や広島市を選ぶのは確実です。一方で、「防災拠点」なら、①船での輸送がしやすい②南海トラフ地震でも倉橋島に守られて津波もそう高くない③広島の市街地よりは確率が低い計算です。

こうしたことから、防災省や、地球沸騰化に対応した研究機関の誘致がふさわしいと判断します。

筆者としては
①広島市安佐南区・佐伯区にまたがる西風新都に国会議事堂と中央省庁を最低一個。
②呉日鐵跡地には、実働部隊を含む防災省本省とコンテナホテル基地、環境や防災などの国の研究機関
を、誘致し、二拠点で、「東京のサブでではなく、東京とマルチで首都機能を担う複首都」を目指すべき、と考えています。

広島市安佐南区・佐伯区にまたがる西風新都(広島市ホームページより)

そもそも、諸外国では、防災関係の費用や、鉄道・道路などインフラの維持費などをいわゆる防衛費の枠でまかなっている国も多くあります。よく、ネットで紹介される「日本より充実した避難所」なども防衛費で賄っている国も多い。はっきり言って、防衛費増額分でミサイルや戦闘機をいくら買っても、戦前の大艦巨砲主義と同じ失敗を繰り返すでしょう。そのことは、イラン攻撃に米軍基地を使わせたバーレーンやUAE、カタールなどがイランにボコボコに報復されていることでも明らかです。

そうしたことも背景に、「防衛費増額を逆手にとる」戦略としても、今回の防災省誘致構想を位置付けています。

◆広島市議会にも「西風新都」複首都構想含む3本の陳情を提出

一方これより前、9月2日に、筆者は広島市議会を訪問し、「複首都構想」を含む以下の陳情を提出しました。その後、議会事務局の方に、御親切にも、細部の修正をご指導いただき、9月7日に正式提出となりました。

① 大型公共事業の市民参加 と透明性強化に関する陳情
新アリーナ整備、駅北巨大病院再編など、広島市の大型公共事業が「供給制約の時代」に直面する中、行政だけで意思決定を進めるのではなく、市民参加型へ転換すべきとの趣旨です。

建設人手不足・資材調達難
中東情勢の影響
同時多発の大型事業による競合

こうした状況下で、代替案比較や第三者評価を制度化し、透明性を確保することを求めました。

② 公務員ヘルパー制度 創設に関する陳情
精神・知的障害、薬物依存、深刻な家族トラブルなどの「困難事例」が、
適正も考慮されないまま一般介護施設へ丸投げされている現状を是正するものです。

現場では、①重大事故の多発②ケア放棄③職員の大量離職④公益通報の握りつぶしなど、制度崩壊 → 行政黙認 → 現場崩壊 → 人材崩壊の連鎖が起きています。

そのため、行政が直接困難事例を引き受ける「公務員ヘルパー制度」を創設し、民間施設との役割分担を再構築することを求めました。

③ 複首都構想 に関する陳情
副首都法案が成立し、横田知事も副首都に名乗りを上げる中、広島は「副」ではなく、東京と並列する“複首都”の一角を担うべきとの趣旨です。

西風新都は、①花崗岩台地で耐震性極めて高い②液状化ゼロ③津波リスクゼロ④空きオフィス・空きマンションが豊富、という全国的にも稀有な条件を備え、省庁機能を新築なしで受け入れられる唯一の都市構造です。

省庁が一つでも来れば、若手インテリ層が流入し、広島の「どよよーん」とした空気も刷新されるでしょう。

※呉日鐵跡地への防災省誘致案は、議会事務局より「県議会向けが適切」との助言を受け、今回の陳情からは削除しました。

◆議会事務局の対応

約1時間にわたり、複数職員の方が書類を丁寧に精査し、形式面・提出方法について親切にアドバイスをいただきました。想像以上に誠実な対応でした。広島県議会が、若手職員が書類を一瞥して、廊下で受け取ったのとは対照的でした。

◆各会派訪問

陳情提出後、各会派をまわり、特に公務員ヘルパー制度、複首都構想について説明しました。

保守系議員からも、
「複首都構想、見ましたよ。良いですね。」
「松井市長は後ろ向きすぎる。ガツンと言わないと。」
と激励をいただきました。

筆者が代表を務める広島瀬戸内新聞、庶民革命ひろしまでは、2027年4月執行の広島市長選挙(市議選)並びに県議選を契機に、県民的・市民的な議論を呼び掛けています。

※    ※    ※    ※

陳 情 書

件名 広島県を複首都として位置付ける国家機能誘致に関する陳情

陳情趣旨:本陳情は、①副首都法成立 ②小泉防災相による2026年8月28日の「呉・日鐵跡地取得」公表
という二つの重大な国政動向を受け、広島県として国家機能の誘致を積極的に検討すべきであるとの観点から提出するものである。
広島県は現時点で具体的な副首都機能の配置方針を示していない。
しかし、県民として、広島の地理・産業・災害特性を踏まえた合理的な国家機能配置の構想を提示し、議会において検討を求めることは重要である。

理由:別紙

令和8年9月 日
提出先:広島県議会議長               様
住所:広島市東区
氏名:佐藤周一
連絡先 090-3171-4437 hiroseto2004@yahoo.co.jp X:@hiroseto

別紙 理由書

1.陳情趣旨

本陳情は、
副首都法成立
小泉防災相による2026年8月28日の「呉・日鐵跡地取得」公表
という二つの重大な国政動向を受け、広島県として国家機能の誘致を積極的に検討すべきであるとの観点から提出するものである。

広島県は現時点で具体的な副首都機能の配置方針を示していない。
しかし、県民として、広島の地理・産業・災害特性を踏まえた合理的な国家機能配置の構想を提示し、議会において検討を求めることは重要である。

本陳情は、

西風新都に国会・中央省庁バックアップ機能を誘致する構想
呉・日鐵跡地に防災省本省およびコンテナホテル全国拠点を誘致する構想
の二拠点型複首都モデルを提示し、県として国への働きかけを検討いただくことを求める。

2.背景

(1)副首都法成立と横田知事の「副首都名乗り」
副首都法が成立し、横田広島県知事は広島県として副首都機能の誘致に名乗りを上げた。しかし、現時点で具体的な配置案は示されていない。

(2)小泉防衛相による「呉・日鐵跡地取得」公表
2026年8月28日、小泉防災相が日鐵跡地の取得を公表したが、
総合防衛拠点の具体像は未定
民間企業誘致はこれから募集企業が来る保証はない
という状況であり、跡地の用途は白紙である。
この「空白」は、広島県が国家機能を誘致する絶好の機会である。

3.本紙構想:広島県の二拠点型複首都モデル

(1)西風新都:国会・中央省庁バックアップ首都(本紙構想)
西風新都は、
花崗岩台地で液状化ゼロ
津波リスクゼロ
空きオフィス多数
アストラム延伸でアクセス改善
という全国でも稀な災害耐性を持つ。

本紙はここに、
国会バックアップ議場
中央省庁バックアップ執務室
国家危機管理センター(西日本側)
国家データバックアップセンター
を配置する構想を提示する。

(2)呉・日鐵跡地:防災省本省+コンテナホテル全国拠点(本紙構想)
呉は、
港湾機能
コンテナ取扱能力
海自基地との連携
西日本災害地帯へのアクセス
造船・機械・電装産業の蓄積
という防災拠点としての強みを持つ。

本紙は、
防災庁を「防災省」へ格上げ
その本省機能を呉に配置
コンテナホテル・仮設ユニットの全国集積基地を設置
という構想を提示する。

4.陳情事項(議会に求めること)

(1)広島県として副首都機能の具体的検討を開始すること
副首都法成立を受け、県として国家機能誘致の検討を進めること。

(2)西風新都への国会・中央省庁バックアップ機能誘致を検討すること(本紙構想)
災害耐性・空間余力を踏まえ、国会・省庁バックアップ機能の誘致可能性を調査すること。

(3)呉・日鐵跡地への防災省本省およびコンテナホテル全国拠点の誘致を検討すること(本紙構想)
跡地が白紙である現状を踏まえ、国の防災機能誘致を県として国に働きかけること。

(4)広島県として「複首都モデル」の可能性を正式に調査すること
西風新都と呉の二拠点による国家機能分散モデルの調査を求める。

5.結語

広島県は現時点で副首都機能の具体案を示していない。
しかし、
副首都法成立
小泉防災相の日鐵跡地取得
という二つの国政動向は、広島県が国家機能を誘致する絶好の機会である。

本紙構想として、
西風新都=国会・省庁バックアップ首都
呉=防災省本省+コンテナホテル全国拠点
という二拠点型複首都モデルを提示し、議会における検討を求める。

以上、陳情する。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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《新刊のご案内》『沖縄意見広告運動 16年の歩み 2010-2025 もう二度と沖縄を、本土を戦場にさせない!』

鹿砦社代表 松岡利康

『沖縄意見広告運動 16年の歩み 2010-2025
もう二度と沖縄を、本土を戦場にさせない!』

 A5判/256ページ DVD付き
 定価2750円(税込) 9月10日発売
 「16年の歩み」刊行委員会編
 発行:沖縄意見広告運動  発売:鹿砦社

「沖縄意見広告運動」は、沖縄の米軍基地負担や辺野古新基地建設への反対、平和への希求を新聞の全面広告で訴える市民運動です。

2010年の開始から16年間にわたり、沖縄地元紙(琉球新報・沖縄タイムス)や全国紙に賛同者の名前を連ねる形で継続的に意見広告を掲載し、国際世論へも訴えを展開してきました。

その歩みを、意見広告(アメリカ紙含む)の全記録、全国世話人の寄稿とともにとりまとめた1冊です。

【付録DVDにも全広告と各期の全賛同者を収録】

安次富浩(ヘリ基地反対協議会顧問)/高里鈴代(オール沖縄共同代表 基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表)/土屋源太郎(伊達判決を生かす会共同代表)/大野和興(農業ジャーナリスト・日刊ベリタ編集長)/上原公子(元国立市長)/田中優子(法政大学 名誉教授・元総長)/野平晋作(ピースボート共同代表)/武建一(近畿労働者協同組合理事長/中小企業組合総合研究所代表)/特別寄稿 伊波洋一(参議院議員・会派 沖縄の風)

■編集プロダクション経営の大学の先輩からの要請で、上記書の発売元を引き受けることにしました。沖縄問題が脚光を浴びる昨今、注目の一冊です。ぜひご購読お願いいたします。すでに残部少数です。

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なぜ中国はウクライナへのドローン関連製品の販売を止めないのか

アンドリュー・コリブコ

ウクライナのドローン生産は、今なお中国製部品への依存が大きい。なぜ中国はロシアとの緊密な関係を維持しながら、ウクライナへの関連製品の流通を止めないのか。筆者は、戦争の長期化によって中国が得る地政学的・経済的利益と、双方を支える「積極的中立」という戦略から読み解く。

※   ※   ※   ※

ウクライナ紛争が延々と続けば、アメリカが計画している「(再び)東アジアへ軸足を移す」戦略の本格的な実施も、それだけ先送りされる。また、ロシアが豊富な天然資源を中国に格安で売る状況につながる可能性もある。そして中国は、いわば「積極的中立」という立場を維持することができる。

ラジオ・フリー・ヨーロッパ/ラジオ・リバティ(RFE/RL)は先月末、「ウクライナのドローン戦争が浮き彫りにした、中国への不都合な依存」と題する記事を掲載した。

この記事では、EUがウクライナのドローン調達用として約束した60億ユーロのうち、最初の10億ユーロをこの夏に拠出したことが取り上げられている。

注目すべきなのは、この資金を使ってウクライナが中国製の部品を購入することも認められている点だ。つまり、率直に言ってしまえば、以前指摘されたように「EUが中国に金を払い、ウクライナによるロシア兵への攻撃を間接的に支援する」という構図になっている。

RFE/RLによれば、ウクライナは中国から完成品のドローンを購入する量を減らしているものの、モーター、リチウム電池、光ファイバーなどの中国製部品に対する需要は依然として非常に大きい。

さらに、「2026年上半期だけで、中国製部品の輸入額はすでに前年1年間の約76%に達した」という。

またRFE/RLはウクライナ側の報告書を引用し、「2025年上半期にウクライナが輸入したドローン部品の金額ベースで38%が中国からのものだった」としている。

この記事の狙いは、ウクライナと西側諸国に危機感を持たせ、ドローンの国内生産を大幅に増やす必要があると訴えることにあるようだ。そうすることで、記事に登場する専門家の一人が「敵対的な相互依存」と表現した、ウクライナの中国への依存を減らそうというわけである。

記事ではさらに、「中国は依然としてウクライナ最大の貿易相手国であり、一方のウクライナは中国にとって重要な農産物供給国である」と説明している。これは事実であり、中国がウクライナへのドローン関連製品の販売を完全には止めない理由の一つでもある。しかし、理由はそれだけではない。

現在の中国とロシアの関係は、歴史上でも非常に良好な水準にある。それでも2023年初頭の時点ですでに、「中国はウクライナ戦争で誰にも勝ってほしくないのではないか」という見方があった。

その理由は、ある程度コントロール可能な形で戦争が長期化すれば、アメリカが計画する「(再び)東アジアへ軸足を移す」戦略の本格的な実施を、いつまでも遅らせることができるからだ。

それだけではない。天然資源の豊富なロシアが中国への依存を強めすぎれば、モスクワは石油や天然ガスをはじめとする天然資源を、北京に非常に安い価格で売らざるを得なくなる可能性がある。

こうした冷徹な利益を追求するため、中国は一方で、ウクライナにとって欠かせないドローン、部品、光ファイバーなどの供給源となってきた。
仮に中国企業から直接供給されているのではなく、中国擁護派が主張するように第三国などの仲介業者を通じた間接的な供給にすぎないとしても、中国製品が重要な役割を果たしていることには変わりない。

その一方で中国は、ロシアにとっても、西側諸国による制裁の圧力を逃がすための欠かせない「安全弁」の役割を果たしている。その結果、ウクライナはロシアの軍事技術上の進歩にある程度ついていくことができる。同時にロシア経済も、西側諸国が制裁によって引き起こそうとした深刻な危機を回避できている。

そして中国は、「積極的中立」とでも呼ぶべき立場を維持している。ここでいう「積極的中立」とは、中国がウクライナとロシアの双方を積極的に支援することで、どちらか一方の側につくことを避けている、という意味である。

中国はウクライナによるドローン関連製品の購入から金銭的利益を得ている。また、大幅に値引きされたロシア産エネルギーを大量に輸入することで、中国経済の成長にもつなげている。さらに、中国が実はロシアと「同盟」を結んでいるわけではないと示すことで、西側諸国から中国自身に向けられる圧力を、相対的に弱める効果も得ている。

この政策をどう評価するかは別として、結果としてウクライナ紛争の長期化に寄与してきたことは否定できない、わたしは考える。

ロシアが「特別軍事作戦」と呼ぶ軍事行動を開始する数週間前、中国とロシアは「限界のない」パートナーシップを宣言していた。もし中国がこの関係に沿ってウクライナへのドローン関連製品の販売を停止していたなら、ロシアは現在までに、この紛争で掲げた目標をより多く達成できていたかもしれない。場合によっては、最大限の勝利を収めていた可能性さえある。

もちろん、ウクライナにとっては、中国からのドローン関連製品よりも、アメリカによる軍事・情報面での支援のほうが重要である。しかし、アメリカによる支援が近いうちに終わる兆しはない。したがってロシアは、中国に対してウクライナへのドローン関連製品の供給を今度こそ完全に止めるよう働きかけるべきだ――というのが、この記事の結論である。

アンドリュー・コリブコ(Andrew Korybko)

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2026年9月8日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼アンドリュー・コリブコ(Andrew Korybko)
モスクワ在住のアメリカ人政治アナリスト。MGIMO(モスクワ国際関係大学)で博士号を取得。著書に『ハイブリッド戦争―カラー革命からクーデターまで』

Source:https://korybko.substack.com/p/why-wont-china-cut-ukraine-off-from

あらためて浅野健一氏による出版差し止め騒動と、今も続くデマ拡散、侮辱・名誉毀損行為を考える ──『救援』9月10日号(第689号)浅野健一記事に因んで 

鹿砦社代表 松岡利康

救援連絡センター発行の『救援』最新号が届きました。ここでも浅野健一氏が、ありもしないことを記載しています。これまでもみずからのFacebook(以下FBと略記)においては言いたい放題でしたが、かつては浅野氏の近くにいながら今は距離を置いている方の「相手にしないのが一番ですよ」というアドバイスもあり、あえて黙過していました。しかし、みずからのFB内ならともかく、小さくとも他のメディアに記載されると、ちょっと違うんじゃないかと思い、今春の出版差し止め騒動の総括記事も書かなければいけないし、反論記事を書いておくことにいたしました。

『救援』(9月10日号)浅野健一執筆記事
『救援』(9月10日号)浅野健一執筆記事
同記事の松岡非難部分。同種の非難は、浅野氏FBに継続して記載されている。
同記事の松岡非難部分。同種の非難は、浅野氏FBに継続して記載されている。

本年4月から6月にかけて、ちょっとした騒ぎになり、ことは表現の自由の問題に抵触することで、私なりに熱を入れて対処したのが、浅野健一氏による出版差し止め仮処分問題です。

4月3日、浅野氏のFBで、浅野氏があけび書房刊行予定の辻井彩子・著『石ころの慟哭──山上徹也・奈良地裁裁判の私記』に対し出版差し止め仮処分を申し立てる旨を公言したことを知り、出版差し止めを5度も甘受し、その一つはのちに逮捕・勾留に繋がった経験を持つ私としては大問題であり、これを批判、直ちにやめるように警告しました。この経過は、この欄でもさんざん申し述べておりますので端折ります。

その後、浅野氏は、公言通り4月16日(木)に東京地裁に同書に対する「出版禁止仮処分」(浅野氏による書面の表題)を申し立てます。しかし、これは週明け同月20日(月)に裁判所より取下げを要請(事実上の棄却)され、浅野氏はこれに従います。

ところが、仮処分申請書のコピーをメディア関係者に配布したり、差し止め仮処分が決定もされていないのに取次会社に同書を取り扱わないよう要望したり、同書著者を精神的に追い詰めるまで連日ネットリンチしたり、挙句、岡林信一あけび書房代表、同書著者・辻井彩子さんに加え、同書の帯を書いた鈴木エイト氏、途中から浅野氏の言動に疑問を抱き漸次コメントをした黒薮哲哉氏、それに私の5名に対し「5人組」と命名、今に至るまでさんざん誹謗中傷を加えて来ました。

しかし、6月27日、浅野氏のFBの1行から仮処分を取下げたことを察知した私は、これを私のFBにて指摘、遂に浅野氏もこれを認めつらつらと弁解をされ認め、また同月29日、岡林氏も裁判所に確認し、懸念された仮処分決定は回避されました。もし、ここで出版差し止め仮処分が決定されたら、逆に浅野氏は出版を妨害、弾圧した張本人として出版人から糾弾され出版史に記載されるかもしれません。

ここで問題なのは、仮処分を裁判所に一蹴されたにも関わらず2カ月以上も秘匿していたことです。そのかん、浅野氏は、やんややんやと大騒ぎし、これだけならまだしも、あけび書房本著者・辻井さんに対して、激しいネットリンチを掛けています。まさに人権侵害と言えます。ふだん「人権」がどうのこうの声高に叫んでいる御仁が、みずからの考えに反する人には、平気で人権侵害をするというのはいかがなものでしょうか? かつて『犯罪報道の犯罪』で匿名報道の必要性を問い、颯爽と論壇に登場した浅野氏も落ちたものです。

そうして浅野氏は、「本裁判を提起するため、弁護団を強化して、準備中です。完璧な訴状と証拠を提出します。民事裁判はすべてオンライン提訴となり、辻井氏と岡林氏の共謀による著作権侵害、盗用の全貌を明らかにします。表現者の権利に関わる裁判ですから、完勝を目指します。」と“捨て台詞”を吐き、以来、訴訟について言わなくなりました。もう9月も下旬ですよ、速く「弁護団を強化して」「完璧な訴状と証拠を提出し」「完勝」を目指していただきたいものです。

◆出版差し止めと共に沖縄でも問題発生!

一方で出版差し止めで大騒ぎをし、浅野さんは沖縄でも問題を起こしています。同志社国際高校の学生らが亡くなった忌まわしい辺野古の事故後のデリケートな時期に不用意な発言をし遺族の反発を買います。この事件については、学生時代から返還協定調印→批准阻止闘争を必死で闘い、ずっと反基地の立場を堅持し、侵略前線基地化に反対してきた私としては、浅野氏を含めた基地反対派やリベラル・左派の態度に強い違和感を覚え私見もありますので、稿を改めたいと思いますが、最も遺族の感情に配慮し遺族に寄り添うことを第一義にしないといけないことは分かり切った話なのに、逆に遺族の感情を逆撫でするとは、浅野氏らしいと言えば浅野氏らしい言動です。ここに浅野氏の人間性が表われています。人間、こういう時に、その人の人間性が表われます。

これに関連し、浅野氏は「人権と報道・連絡会」(代表世話人・浅野健一氏)主催で沖縄現地で集会を開きます。

沖縄で開催された「人権と報道・連絡会」の案内チラシ。このチラシの責任者は同連絡会代表世話人の浅野健一氏。宮川氏の住所、電話番号等が記載され、浅野氏の不用意な発言で宮川氏の自宅に抗議が殺到したとされる。
沖縄で開催された「人権と報道・連絡会」の案内チラシ。このチラシの責任者は同連絡会代表世話人の浅野健一氏。宮川氏の住所、電話番号等が記載され、浅野氏の不用意な発言で宮川氏の自宅に抗議が殺到したとされる。

この宣伝チラシで、連絡先を「宮川元一」という方の住所、電話、Fax等が記載されています。このことで宮川氏の元には抗議や誹謗中傷の声が多数寄せられ、音(ね)を上げます。当然です。これを察知したメディアの一つ『さくらフィナンシャルニュース』(浅野氏によれば日本会議系サイト)がこれを採り上げ、「正式なお問い合わせ先」として浅野氏の自宅の住所、電話番号等を記載して報じています。私がこれを見たのはマスキングされた状態のもので、正確に何々が記載されているのかは知りません。

『さくらフィナンシャルニュース』の記事。浅野氏の自宅住所、電話番号を同連絡会の連絡先と誤認し掲載。のちにマスキングされ、松岡は元記事を見ていなくて、マスキングされたものを見た。

ところが浅野氏は、それ(浅野氏の住所等が記載された記事)を私が「リツィート」し「全世界に晒した」と仰るのです。「リツィート」も何も、私はしていません。していると仰るのであれば、証拠を出してください。出せるわけがありません、私は「リツィート」もしてませんし、このサイトにコメントを書き込んだりもしてませんから。

ただ、浅野氏の支持者の中尾進氏という方が5月30日付けのFBに於いて、私について言及しておられますので、中尾氏のFBにひとことコメントを書き込んでいます。

これは以下再録しておきます。たったこれだけです。

─────────────────────────

「Toshiyasu Matsuoka
中尾進さんに非難されている鹿砦社・松岡です。コレ、もともと人権と報道・連絡会の案内に宮川元一氏の住所が連絡先として記載され、宮川氏が迷惑を被り、人権と報道・連絡会と浅野さんに抗議し、それをさくらフィナンシャルニュースが、以前に人権と報道・連絡会の連絡先とされていたのを、変更されたものと気づかず浅野さんの自宅住所を記載し、それを岡林さんがそのままリポストしたにすぎないわけでしょう。浅野さんが代表の人権と報道・連絡会が当初から宮川さんの住所を連絡先に記載しなければよかったわけでしょう? なにか責任を、なんでもかんでも岡林さんが悪いと岡林さんに責任転嫁してはいませんか?」

─────────────────────────

このかん浅野氏はみずからのFBにて、この件について再三再四私を詰っておられます。前述した、かつては浅野氏の身近にいて今は距離を置いている方の、浅野氏を「相手にしないのが一番ですよ」という忠告もあり、また浅野氏のFBに留まっている限りは無視しとこうと、あえて黙過していましたが、このたび、小さなメディアとはいえ、私も大なり小なり関わったり広告を出したりして支援したこともある救援連絡センターの機関紙『救援』に、またしても私に対する、事実と異なる誹謗中傷記事が掲載されました。初めて他紙に掲載されたわけで、ここで黙っていれば今後さらに拡大しかねないと思い、救援連絡センターと、その代表・足立昌勝氏、同代表弁護士・大口昭彦弁護士、連載を持ち浅野氏の出版差し止め仮処分申し立ての代理人・山下幸夫弁護士らにもCCでメールにて抗議したわけです。同センターにはこれまで、仮処分問題では、何度となくメールを送っており、6月11日には長文の「要望書」も送っています。私なりに力を入れて書きました。にもかかわらず、これに対して、同センターからも、足立、大口、山下氏らからも何らの回答やコメントもありませんでした。大口弁護士とは、この「要望書」についてではなく、これ以前に別途メールのやり取りはありましたが…。大口弁護士は、私の世代にとっては、まさにカリスマ的存在で、かの「名誉毀損」逮捕事件では弁護人にも名を連ねていただきましたし、昨年4月の『紙の爆弾』創刊20周年反転攻勢の集いに際しては多額のカンパもいただきました。その野武士的な生き方を尊敬し、ならば浅野氏がこのかんなさっていることに対してはガツンと叱責いただきたいものです。

私事にわたりますが、4月13日に高齢の母が急逝し、6月20日故郷熊本のお寺に納骨、4月から6月は精神的にもきつかった時期ですが、それでも出版差し止め仮処分という問題は、体験的にも重大問題でしたので、私なりに真っ正面から対峙し、適宜コメントしてきました。差し止め問題が一段落したと思ったら再びの大地震……イオンモールで生身の人間が目の前で焼死することに絶望的な気持ちになります。

◆足立昌勝救援連絡センター代表から返信! 浅野氏と松岡の「個人的問題」とする見解に「う~む」

このたびの私の抗議について、救援連絡センター足立昌勝代表から返信がありました。足立代表には、これまで何度もメールしてきましたが、初めての返信です。

以下、やり取りです。

《1》9月17日付け、松岡から救援連絡センターへのメール

救援連絡センターの皆様

鹿砦社・松岡です。本メールは極めて重要ですので、必ずセンターに関わる全員に回覧していただきたく強く要望いたします。

御紙『救援』9月10日号拝受いたしました。

そこに浅野健一氏の「人権とメディア」に「日本会議系のサイトが私(注・浅野氏)の自宅の郵便番号、住所、固定電話と携帯電話の番号、メールアドレスを世界中に晒した。また、その違法投稿を、あけび書房・岡林信一社長、鹿砦社・松岡利康社長らがリツィートした。」と記載されておりますが、これは事実無根で私松岡はリツィートしてはおりません。私がリツィートしたと強弁する文を掲載したのであれば、御紙次号において「証拠」を公開してください。そういう事実がないわけですから「証拠」を公開できるわけがありません。もともとくだんの「日本会議系のサイト」上の浅野氏の住所等個人情報が記載された画面を私は見ておりません。私が見たサイトが「日本会議系のサイト」かどうかわかりかせんが、私が見た時にはその箇所はマスキングされていました。

もっとも、私はX(旧ツィッター)をやっていませんので「リツィート」などできませんが……。

今春から浅野氏は、出版人にとっては生命線ともいえる出版差し止めを企てたり、あけび書房刊行出版物の女性著者に対し精神を病むほどまでに激しいネットリンチを繰り返したり、異常なまでに大騒ぎされました。遺憾なことです。言葉の上では「人権」を口にされながらも実際は人ひとりの人権などおかまいなしです。本来なら、浅野さんが女性著者に対する人権侵害行為をやっていることは私たちが幾度となく批判してきていましたのでご存知だと察しますが、それなら御紙の中心人物がそういうことをやっていることを厳しく叱責すべきではなかったでしょうか。

このかん浅野氏はみずからのFacebookにおいても私松岡に対し、この件はじめ激しい誹謗中傷を続けておられます。正当な批判とは到底思えません。

それはまだ浅野氏のFB上のことなので我慢しておりましたが、他の媒体(つまり御紙)に記載するとなると問題は別となります。

あらためて正式な抗議文書を送らせていただきますが、とりいそぎ強く抗議の念を表明いたします。

なお、浅野氏は、私に対しやFBやメールをブロックされているとのことですので、このメールは送っておりません。

私はセンターとの関係を悪化させたくありませんし、毎月『紙の爆弾』に寄稿いただいている足立先生の寄稿も継続したく思っておりますので、よろしく御高配のほどお願い申し上げます。

《2》9月18日付け、足立代表からの返信メール

松岡様

抗議の文章を読みました。

この件は、松岡さんと浅野さんの個人的問題であり、救援連絡センターとのまったく関係ありません。浅野さんが救援に書いた文章に反論があれば、ぜひ救援誌上で反論権を行使し、反論の文章を書かれてはいかがでしょうか。

抗議文には、次の一文があります。

「私はセンターとの関係を悪化させたくありませんし、毎月『紙の爆弾』に寄稿いただいている足立先生の寄稿も継続したく思っておりますので、よろしく御高配のほどお願い申し上げます。」

このような形で私の名前を出されることは、非常に迷惑です。このようなことが続けば、私の紙の爆弾への寄稿があたかも非難されているように海(ママ)けられざるを得ません。

前回の抗議文にも名前が出されていました。

ぜひ、このような私の名誉にかかわることをやめていただきたいと思います。

先にも述べたとおり、もし反論があるならば、救援誌上で反論を述べていただきたいと思います。

なお、救援連絡センターでは、救援に関する検閲は行なってはいません。

浅野さんの文章は、本人の責任で書かれたことであり、救援とは全く無関係です。
以上、よろしくお願いします。

《3》9月18日付け、松岡から足立代表への再返信メール

足立先生

拝復 今回初めて先生のご意見を伺いました。

まず、浅野さんによる出版差し止め仮処分問題、山下弁護士や大口弁護士ら、浅野さんも含めセンターの中心人物3人も関わっておられます。

それに浅野さんは、あけび書房本の女性著者、それもプロのジャーナリストでもライターでもない人に対する激しい人格攻撃など、「人権」を語る人がやるべきことではないし、これは私も何度となく批判していることですが、果たして先生らは浅野さんに叱責されたのでしょうか。いくら「人権」だなんだと言っても身近の人物が身近で起こしている人権侵害を黙っているのでしょうか。

こういうことを私は6月11日付けの貴センターへの「要望書」はじめ何度も申し述べてきました。しかし貴センターからのリアクションはありませんでした。再度その「要望書」をお読みいただきたいと思います。私なりに力と時間をかけて書いた「要望書」です。何のリアクションもないというのも寂しいものです。

本件、私と浅野さんとの「個人的問題」ではありません。センターの内部の方で情報を寄越してくれる方もおられますが、センターではそう処理しようということのように感じられます。

そうではありません。浅野さんが「5人組」と非難されるように、鈴木エイト氏はじめ社会的に名のある方も複数関わっておりますし、また浅野、大口、山下氏らセンターに深く関わる方々もおられるわけですから、常識的に見て、私と浅野さんの「個人的問題」ではないでしょう?

それに、先生はセンターの代表でしょう? こういう問題が起きた場合、責任を持って対応するのが「代表」ではないのですか? あくまでも私と浅野さんの「個人的問題」として処理されるわけですか?

また、「浅野さんが救援に書いた文章に反論があれば、ぜひ救援誌上で反論権を行使し、反論の文章を書かれてはいかがでしょうか。」ということですから、ぜひ「反論権を行使」させてください。

尊敬する足立先生や大口弁護士らに異を唱えることには忸怩たる想いですが、浅野さんがあけび書房の出版物に対して出版差し止め仮処分を公にされて以降私は一貫して、いやしくもジャーナリストが、みずからの意に沿わない出版物を差し止めることはダメだと主張してき、また貴センターにも申し述べてきました。これも私と浅野さんの「個人的問題」で片付けようとなさるわけでしょうか?

出版差し止め、とりわけこの仮処分は、出版や表現に関わる者にとって重大な問題です。私たちの出版社・鹿砦社は過去に5度も出版差し止めを受け、このうち1件は、その後、私の逮捕→192日間の勾留にまでつながりました。出版差し止めは、憲法21条に謳われた表現の自由、言論・出版の自由にとって最大の敵です。みずからの体験からもそう断言できます。

大先輩に対して遠慮のない不躾な文を返信させていただきました。私はこういう文しか書けませんので、何卒ご容赦ください。  敬具

《4》相談した、あるジャーナリストの意見

松岡様

お世話になります。

足立さんの文章には呆れて言葉がありません。浅野さんと松岡さんの個人的な問題であれば、機関紙上で松岡さんに対する個人攻撃を容認してはいけません。紙面を提供した以上、書かれていることの責任を取るのは当たり前です。それを放棄して、言い訳をしているわけですから大きな問題でしょう。名誉教授として、恥ずかしいことだと思います。

ロシアが新設した「1945年の対日戦勝記念碑」が象徴する、日露対立の再燃

アンドリュー・コリブコ

ロシアがハバロフスクに1945年の対日戦勝を記念する巨大なモニュメントを建設した。筆者は、プーチン大統領の択捉島訪問とあわせ、日露間の歴史的対立が再び強まりつつある象徴だと分析。その背景には、米国のアジア太平洋戦略や日本の軍事的役割の拡大があると指摘している。

※   ※   ※   ※

この状況を招いた責任はロシアではなく、米国にある。米国は、事実上その保護下にある日本が、1956年の日ソ間の妥協案に基づいて南千島列島をめぐる問題を解決することを認めなかったからだ。この妥協案では、色丹島と歯舞群島を日本側に引き渡すことになっていた。

日本の高市早苗首相は、ロシアが新たに建設した「1945年の対日戦勝」を記念するモニュメントについて不満を表明した。

アイルランド人ジャーナリストのブライアン・マクドナルドは、ハバロフスクのアムール川を見下ろす目立つ場所に建てられたこの記念碑について、「その大きさと、どれほど目立つ場所にあるのかが分かるように」と映像を公開した。

さらに、次のように伝えている。

「地元当局から『イワン』と名付けられた兵士像は、日本の皇室の権威を象徴する菊の紋章が付いた国境標識を打ち壊す姿で表現されている。当局はこれを『対日戦勝を記念するロシア最大のモニュメント』と説明している」

この問題のより大きな背景には、プーチン大統領による択捉島訪問がある。択捉島は現在ロシアが実効支配しているが、日本が自国領として主張している4島の一つであり、プーチン氏の訪問は日本側の強い反発を招いた。

ロシアを代表するアジア専門家の一人、ゲオルギー・トロラヤは最近の記事で、プーチン氏の択捉島訪問をきっかけに事態が急速に動き、ロシアの安全保障を複雑にする可能性があると指摘した。

しかしわたしは以前の記事で、プーチン氏はそうした事態はいずれ避けられなくなるので、この点を見越して先手を打ったのではないか、と論じた。今回の記念碑の公開を考えれば、この見方には筋が通っている。

そもそも、大規模な記念碑は短期間で建設できるものではない。そのためプーチン氏は、択捉島を訪問する以前から、ロシアを取り囲む新たな「防疫線(cordon sanitaire)」のうち、北東アジア方面に国民の関心を向けることを計画していたと推測できる。

これら一連の動きは、ロシアが、米国の支援を受けた日本による対露封じ込めの動きを認識していることを示している。

だからこそプーチン氏は、択捉島に対するロシアの主権を改めて強調した。そして今回の新しい記念碑も、ロシア国民に日本との歴史的な対立を思い起こさせる効果を持つことになる。

歴史を忘却している人のために振り返ると、日露の競争は19世紀末に始まった。ロシアが北東アジアへ勢力を拡大し、中国の満州地域や朝鮮半島への影響力を強めたためである。日本は1894~1895年の日清戦争で、朝鮮半島をめぐって中国と戦っていた。

その約10年後に起きた日露戦争では、アジアの国がヨーロッパの大国を初めて破った。その後、日本は朝鮮を併合し、やがて満州に傀儡国家を建国することになる。

そして1945年8月、ロシア(当時のソ連)は日本に対して「雪辱を果たした」。ヤルタ会談での合意に基づき、ソ連は「満州戦略攻勢作戦」を開始した。この攻勢によって、日本軍は満州、朝鮮半島北部、樺太南部、そして千島列島から急速に排除された。

今回建設された記念碑が記念しているのは、この戦いである。

ロシア政府は、この歴史を国民に改めて思い出させることで、日本との歴史的な対立関係が再び強まることを国民が受け入れやすくなるよう、徐々に意識を整えようとしている。わたしは、この対立関係が今後、長期間にわたって日露関係を特徴づけることになると予想している。

わたしは、こうした状況を招いた責任はロシアではなく、米国にあると思う。米国は、事実上その保護下にある日本が、1956年の日ソ間の妥協案に従って南千島列島をめぐる領土問題を解決することを認めなかった、というのがわたしの主張だ。

1956年の妥協案では、色丹島と歯舞群島を日本側の管理下に戻すことになっていた。その結果、領土問題はその後およそ70年間にわたって未解決のまま残された。そしてこの問題は、日本の地政学的な国家意識の重要な一部となり、多くの日本国民にとって感情に強く訴える問題にもなった。わたしは、現在、米国がこの問題を利用していると主張している。

日本には、米国が構想する「AUKUS+」――つまり、アジア太平洋地域にNATOのような軍事ネットワークを構築する構想――を主導する役割が与えられている。

【黒薮注】AUKUS+:「AUKUS+」とは、米英豪3カ国の安全保障枠組みとして、それを日本、韓国、カナダ、ニュージーランドなど他の同盟・友好国との協力へ広げていく構想。インド太平洋における、より広い軍事・技術協力ネットワークの構想。日本政府にとって、憲法9条がこの構想の障害になっている可能性が高い。

その最大の目的は中国を封じ込めることだが、日本が再軍備を進め、ロシアにとってより大きな脅威となるにつれて、ロシアを取り囲む「防疫線」の北東アジア方面も強化されることになる。

したがって、プーチン氏が択捉島に対するロシアの主権を改めて強調することも、ロシア政府が国民に対して、日本との歴史的な対立関係が再び強まることを徐々に受け入れさせようとすることも、十分に理にかなった対応なのである。

アンドリュー・コリブコ(Andrew Korybko)

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2026年9月9日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼アンドリュー・コリブコ(Andrew Korybko)
モスクワ在住のアメリカ人政治アナリスト。MGIMO(モスクワ国際関係大学)で博士号を取得。著書に『ハイブリッド戦争―カラー革命からクーデターまで』

Source:https://korybko.substack.com/p/russias-new-monument-to-its-1945?utm_campaign=post&utm_m

西田光汰と永井雷智が白熱した試合展開で存在感示したNJKF 2026.2nd!

堀田春樹

西田光汰はノックダウン喫するも、ヒジ打ち圧倒勝利で2度目の防衛。
永井雷智は先手の左フックで中島隆徳を倒し、山川敏弘への挑戦権を獲得。
S-1女子は、佐藤”魔王”応紀がノーンレック・クルーダージムに敗れ王座獲得成らず。

◎NJKF 2026.2nd / 9月12日(土)後楽園ホール11:00~13:53
主催:NJKF / 認定:NJKF、S-1

◆第7試合 NJKFフライ級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオンV2戦.西田光汰(西田/2001.2.13愛知県出身/ 50.75kg)18戦11勝6敗1分
        VS
挑戦者1位.悠(=吉仲悠/VALLELY/2003.10.25北海道出身札幌市出身/ 50.7kg)
18戦9勝(4KO)7敗2分
勝者:西田光汰 / TKO 3ラウンド 0:29秒
主審:中山宏美

初回はパンチとローキックの攻防。組み合っても互角の鬩ぎ合い。終盤には悠のパンチ連打の中、左フックで西田光汰はバランス崩したような感じでノックダウン。流れは悠に大きく傾くような初回終了となった。

初回、悠の左フックでノックダウンを喫する西田光汰
初回、悠の左フックでノックダウンを喫する西田光汰

第2ラウンドには悠の勢いを止めに掛かった西田が組み合ってヒザ蹴りからのヒジ打ち連打で悠をロープに追い詰める圧力が増して来た。

第3ラウンドも開始から西田がヒジ打ちで悠の顔面を狙い撃ち。斬るヒジでなく、ガツンと当てる倒しに行くヒジ。その猛攻で悠は鼻血を流してマットに沈むとレフェリーはカウント中にストップを掛けた。

西田光汰は自分の距離を掴んでヒジ打ちの猛攻を掛けた
西田光汰は自分の距離を掴んでヒジ打ちの猛攻を掛けた

西田は2度目の防衛。悠は担架で運ばれたが、控室では椅子に座って落ち着いて会話が出来ている様子で、悠のおじいちゃんおばあちゃんが「心配で帰れない!」と言っているから様子を伝えようというスタッフが覗きに来ていたが、悠は問題無く、しっかり歩いて帰れる様子でした。

悠陣営の米田貴志会長は「ジリジリ攻められた時の脆さが出ましたね。相手のペースに合わせ過ぎで、逆にやってやろうと思っていたところが、先にやられた感じでした。悠はこれでくじける奴ではないので、しっかり休んでまた対策立てて頑張ると思います。」と語った。

西田光汰は「最初貰ったのは左フックかな。ダウン取られた時はスリップだと思ったんですけど、その前のパンチの受け方とかはダウン取られても仕方ないなと切り替えました。パンチ勝負では悠選手の方が何枚も上手なので、首相撲というか自分の距離で入ろうと思って行きました。ヒジの攻めはあれはたまたまで、今日は僕の方が強かっただけですね。5ラウンドやれるスタミナは充分練習して来たので途中で休むとかは無くて攻めて行きました。」と語った。

堂々たるメインイベンターとして二度目の防衛を果たし西田光汰
堂々たるメインイベンターとして二度目の防衛を果たし西田光汰

◆第6試合 NJKFバンタム級挑戦者決定戦3回戦

3位.中島隆徳(GET OVER/2005.4.8愛知県出身/ 53.85→53.75→53.70→53.6→53.52kg)
17戦8勝(1KO)6敗2分1NC
        VS
4位.永井雷智(VALLELY/2008.1.14東京都出身/ 53.45kg)11戦9勝1分1NC
勝者:永井雷智 / TKO 1ラウンド 1分30秒
主審:ノッパデーソン・チューワタナ

開始早々に永井雷智は牽制の飛び蹴りを放つも中島隆徳も素早く身を躱す。ローキックからパンチで距離を計る両者だったが、永井は一瞬を逃さないタイミングで左フックを中島の顔面に打ち込むと中島は脚に来てゆっくりと崩れ落ちた。立ち上がる気力はあるものの、脚がフラ付いてカウント中のレフェリーストップが掛かった。

一瞬を逃さない永井雷智の左フックが中島隆徳を襲う直前
一瞬を逃さない永井雷智の左フックが中島隆徳を襲う直前
ノックダウンを喫した中島隆徳に手応えありと確信の永井雷智
ノックダウンを喫した中島隆徳に手応えありと確信の永井雷智

永井雷智は「1ラウンドで絶対行けるだろうと思ったので予想どおりでした。倒したのは左フックかな。当たった感覚あったので、相手見たら目が飛んでるなと感じたので、これで終わったなと確信しました。」と語った。

前回6月の無効試合で拾い損ねた勝利が、この日に着いてきた結果となった。

挑戦権獲得して抱負を語る永井雷智
挑戦権獲得して抱負を語る永井雷智

◆第5試合 スーパーウェルター級 5回戦

NJKFスーパーウェルター級10位,風成(エス/1997.5.18東京都出身/ 69.5kg)
9戦5勝2敗1分1NC
        VS
金智燮(キム・ジソプ/2001.1.12韓国出身/ 70.2→69.8kg)7戦4勝(3KO)3敗
勝者:金智燮 / 判定0-3
主審:宮沢誠
副審:ノッパデーソン29-30. 児嶋29-30. ランボー28-30

両者、ローキックとミドルキック中心の牽制は金智燮の蹴りパンチが重く鋭い。前蹴りで風成の前進を止める上手さが目立った。風成がパンチで出れば金智燮もパンチで返し、前蹴りも続けてプレッシャーを掛け続けた金智燮。ラストラウンド終盤には風成も意地でパンチやハイキックで出て来たが巻き返すには至らず、僅差判定で敗れた。

勝者となった金智燮は「初めての外国遠征で、最も行きたかった日本の後楽園ホールで勝つことが出来て光栄です。最近の2試合で連勝し、この連勝が途切れないことや、また日本に呼んで貰えるなら、自分自身を証明することが目標です。」と日本語で語った模様。

金智燮の蹴りは鋭く重く風成の突進を挫いた
金智燮の蹴りは鋭く重く風成の突進を挫いた

◆第4試合 S-1女子世界ミニマム級王座決定戦(105LBS) 5回戦(2分制) 

ノーンレック・クルーダージム(タイ国ムエタイ協会女子ミニマム級Champ/タイ出身22歳/ 47.48kg)40戦32勝6敗2分
        VS 
佐藤”魔王”応紀 (女子聖域東北ライトフライ級Chanp/PCK連闘会/1979.1.24宮城県出身/ 47.25kg)28戦14勝(7KO)11敗3分
勝者:ノーンレック・クルーダージム(王座獲得) / 判定3-0
主審:ノッパデーソン・チューワタナ
副審:宮沢50-48. 児嶋49-48. ランボー50-47

アグレッシブな佐藤魔王応紀にムエタイテクニックで優ったノーンレック
アグレッシブな佐藤魔王応紀にムエタイテクニックで優ったノーンレック

初回は互角の蹴り合いも佐藤がやや前進する展開。第2ラウンド以降も佐藤がパンチから蹴りと組み負けない首相撲でプレッシャー掛けて出るが、下がりながらもミドルキックのヒットが目立ったのはノーンレック。初回が互角で、他はジャッジ三者が揃ったラウンドは無かったが、ムエタイ技が目立ったノーンレックが判定勝利し王座獲得となった。

リングを下りれば笑顔が戻ったノーンレック。チャンピオンベルトが引き立つ
リングを下りれば笑顔が戻ったノーンレック。チャンピオンベルトが引き立つ

◆第3試合 女子ミネルヴァ・バンタム級3回戦(2分制)
 
ミネルヴァ・スーパーバンタム級チャンピオン.珠璃(闘神塾/2007.2.2兵庫県出身/ 53.3kg)
11戦9勝(2KO)2分 
        VS 
小澤聡子(第2代KPKB女子バンタム級Champ/K-1 GYM SAGAMI-ONO KREST/1984.3.4静岡県出身/ 60.7kg→当日8時30分条件59.0kgを下回る)46戦12勝30敗4分 
勝者:珠璃 / 判定3-0
主審:中山宏美
副審:ノッパデーソン30-26. 児嶋30-26. ランボー30-25/小澤に減点2含む

パンチと蹴りでやや前進力ある珠璃だが、小澤聡子も応戦。ウェイト差もあったかもしれない小澤のパワーあるパンチと蹴り。しかしスタミナは珠璃が大きく上回る攻撃力だったが、圧倒出来ず倒すに至らない、もどかしさはあったかもしれない。減点無しでも大差判定勝利ではあったが、珠璃の悔しさが涙となって表れていた。

中止寸前から試合成立。攻防は激しく打ち合った珠璃と小澤聡子
中止寸前から試合成立。攻防は激しく打ち合った珠璃と小澤聡子

◆第2試合 女子ミネルヴァ 55.0kg契約3回戦(2分制)

スーパーフライ級6位.RUI JANJIRA(ジャンジラ/2000.11.5東京都出身/ 54.85kg)
16戦5勝(1KO)8敗3分 
        VS 
スーパーバンタム級8位.朱乃(CORE/1994.5.29埼玉県出身/ 54.75kg)6戦3勝2敗1分
引分け 0-0
主審:宮沢誠      
副審:ノッパデーソン29-29. 児嶋29-29. 中山29-29

長身の朱乃の蹴りがやや上回る展開も、RUIも距離感掴んで蹴りとパンチで応戦。ラストラウンド終盤はRUIが我武者羅に打って出た流れもジャッジ三者揃ったラウンドは無く、引分けとなった。

◆プロ第1試合 女子ミネルヴァ 45.8 kg契約3回戦(2分制)
 
ピン級2位.上真(ROAD MMA/1985.10.16石川県出身/ 45.25kg)22戦6勝14敗2分
        VS
アトム級2位.ほのか(KANAROA/1999.6.26岐阜県出身/ 45.9→45.88→45.8kg)
17戦5勝10敗2分   
勝者:ほのか / 判定0-3
主審:スイット・サエリム・ランボー
副審:ノッパデーソン27-30. 宮沢27-30. 中山27-30

両者のパンチと蹴りが交錯する流れは、ややほのかが打ち勝ち、上真はほのかを上回るヒットが少ない。内容的には大きいダメージを与えるヒットは無いが、終始圧す流れを掴んだほのかがフルマークの大差判定勝利となった。

◆アマチュア2. EXPLOSION U-15 53.0kg契約2回戦(90秒制) 

永井りい(第13・14代EXPLOSION-40kg級王者/2012.1.25東京都出身/VALLELY/ 51.45kg)
        VS
堀口透輝(TAKEDA/2011.11.5埼玉県出身/ 52.9kg) 
勝者:永井りい / 判定3-0 (20-19. 20-19. 20-19)

◆アマチュア1. EXPLOSION U-15 46.0kg契約2回戦(90秒制)

水田勝眞(U-15 小学生高学年45kg以上級王者/新興ムエタイ/2014.6.20神奈川県出身/ 46.0kg)
        VS
渡邉慶(D-BLAZE/2012.9.13東京都出身/ 45.6kg) 
勝者:水田勝眞 / 判定2-0 (19-19. 20-19. 20-19)

《取材戦記》

今回の興行は前日12時の計量時において1回目でのウェイトオーバーが多かった。難なく2回目でパスする者。水分出し切って何度か秤に上がってパスする者。
中島隆徳は出し切っても落ちない中、何度もジャケットを着て走り、2時間の猶予ギリギリでパス。

小澤聡子は60.7k g(公式計量表記載)で7.18kgオーバーの過去に無いような大幅ウェイトオーバーだが、減量を怠った数値ではないことは明確だった。計量前日までの過度の体調不良で診療により点滴を受け、体調回復に務めなければならなかった結果、規定のバンタムウェイトに落とすには至らなかったものである。

とはいえ、プロボクシング的に言えば規定の8パーセント超えで試合は中止だが、ルールが柔軟なキックボクシングで、NJKFでは当日8時30分計量で59.0kg以下の条件が科された。小澤はこの条件をクリアし試合成立となった模様。これまでの条件がどう影響したかは解らないが、中止を回避したかった両者のぶつかりは白熱した展開となっていた。

西田光汰のヒジ打ち猛攻は凄まじかった。チャンピオンに成って防衛重ねることでより風格が増して行く西田である。

西田姓は新日本キックボクシング協会にも西田蓮人が日本フライ級チャンピオンとして存在し、二人の比較も面白くなりそうです。

先週6日のCHALLENGER 14と比べて観衆は少なかったが、メイン格の完封TKO勝利2試合で締め括ったNJKF 2026.2ndもインパクト残す興行となりました。

先週の記事。CHALLENGER興行の主催名と基康を“超合金”と記載しましたが、“超合筋”が正解。金属でなく筋肉でしたね。過去にも文字変換で気が付かないミスがありました。訂正させて頂きます。

11月1日(日)のNJKF CHALLENGER 15は後楽園ホールに於いて、基康のWBC日本タイトル (もしくは上位王座)挑戦と、今回挑戦権を得た永井雷智が、チャンピオン山川敏弘に挑戦するNJKFバンタム級タイトルマッチの主要2試合中心に開催されます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」