尾﨑美代子
2011年3月11日の大震災と原発事故後、釜ヶ崎の仲間で「西成青い空カンパ」を立ち上げた。ちょっと変わった名前だが、以降ライブや上映会で集めたカンパを被災地へ送り続けてきた。最初は日本赤十字社を通じて送ったが、結構な経費が取られると知り、直接送るところを探していた。
そんな時知ったのが飯舘村だった。原発から50キロ以上も離れた飯舘村が、突然「計画的避難区域」に指定されたのは震災から一月後。3月15日、福一から放出された放射性物質は飯舘村がある北西方面に流れ、夕方からの雨や雪で村に大量の放射性物質を落とした。国も県も東電もその事実を隠し、そればかりか御用学者を村に呼び「ニコニコしていれば大丈夫」などと村人を騙していた。
そんななか新聞の小さな記事で、村で最高齢102歳の大久保文雄さんの自死を知った。熾烈な戦火をくぐりぬけてきた人が何故自死したのか? 記事でわかったのは、住み慣れた村を離れるのはいやだと言っていたこと、そして前日の食事中「いやなものを見た」と口にしていたこと、それだけだった。
私たちはこの小さな村にカンパを送ることを決めた。カンパを募るポスターに「細く長く支援しよう」と書いた。最初は村役場に送っていたが、8月初め京都で村で酪農をやっていた長谷川健一さんの講演会を聞いた。「私の話を広めてください」と長谷川さんは訴えていた。「あいよ」。会いたい人にはすぐ会っておく課の私は、休憩中楽屋を訪ね、大阪での講演を依頼し、暮れに講演会が実現。以降長谷川さんが避難した「伊達東仮設住宅」にカンパを送り続けた。
話を戻すと、102歳の大久保さんが自死したのち、「わたしはおはかにひなんします」と遺書を残し、村の92歳のおばあささんが自死した。それほどまでに、みなさん、故郷を離れるのは辛いんだと改めて思わされた。
飯舘村は福島県内でも貧しい村だが「までい」(丁寧に、心を込めて)という言葉で村人が助けあい、暮らしていた。平成の大合併にも加わらず独自の文化を育ててきた。何度か村へ通い、多くの村人が入植者であったことも知った。菅野哲さんなどから「先祖は鍬、鋤一本で未開の土地を耕してきた」とのお話を聞いた。長谷川さんのお父さんはなんと私の故郷の新潟県からの入植者だった。だからか、長谷川さんは、その親父から受け継いだ土地を守るため、あるいは「村に帰りたい」というお母さんのため、両親とともに村に戻り、両親から受け継いだ土地を白いそばの花でいっぱいにして…そして亡くなった。
事故から15年目の今年、ジャーナリスト青木理さんが上梓された『百年の挽歌 原発、戦争、美しい村』を読み、自死した大久保さんが何故自死するに至ったかを少しだけ知ることができた。
戦争と原発、大久保さんは二度国策に「殺された」のだった。いや、長男の大久保さんは戦争には駆り出されることはなかったが、15歳下の次男が駆り出され、悲惨な殺され方をした。自身はいかなかった戦争という国策で大切な兄弟を奪われた大久保さんは、ずっと心に何かを抱えていたのだろうか。そして二度目の国策で福島にやってきた原発。当初は仕事が増え出稼ぎにでることもないと喜んだ人もいただろうが……。結局3.11で、多くの人たちが大好きな故郷から避難を余儀なくされることとなった。大久保さんが最後に見た「いやなもの」が何であったか、これからも考えていきたい。国策が常に常に社会的に弱い者に犠牲を強いて、国そのものは発展し続ける。もうこんな国策に騙されたくない。そう考え、私たち「西成青い空カンパ」は以下の集まりを企画した。被災地に残る人、泣く泣く出ざるを得なかった人、そしてすべての被ばくの危険性にさらされるひとたちと、いつまでもいつまでも細く長く繋がっていくために。
今回も今ぜひお話を聞かせて頂きたいお二人、福島県三春町に残り3.11後の故郷を撮り続ける写真家飛田晋秀さん、関西に移住し、そこで反原発を「毒」を吐きながら訴え続ける菅野みずえさんをお招きします。ぜひ、お集まりを。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58
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季節2026春号
『NO NUKES voice』改題 通巻45号
紙の爆弾2026年4月号増刊
2026年3月11日発行
A5判 総148ページ(本文144ページ+カラーグラビア4ページ)
定価880円(税込み)
《グラビア》わたしはこれから毒を吐く
(文◎菅野みずえ/写真◎飛田晋秀)
《報告》小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
浪費による危機と嘘をつく国
《報告》樋口英明(元福井地裁裁判長)
最後に鍵を握るのは国民
《インタビュー》井戸謙一(弁護士)
原発訴訟の流れは変わる
司法の現状と展望
《特集1》東電・福島原発事故十五年 終わりなき核災害
《報告》川島秀一(民俗学者)
福島の海は今
《報告》北村敏泰(ジャーナリスト)
原発に抗い続ける宗教者たち
あらゆる「生きとし生けるもの」のために
《報告》コリン・コバヤシ(ジャーナリスト)
福島エートス 受忍のプロパガンダ
《報告》渡邊とみ子(飯館村「までい工房美彩恋人」代表)
3・11から十五年① 種をつなぎ、後継者をつくる
《報告》大河原さき(ひだんれん事務局長、三春町在住)
3・11から十五年② 未来の世代が住み続けられる地球のために
《報告》森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
3・11から十五年③ 原発被害者の「絶望」を終わらせてほしい
《報告》鈴木博喜(民の声新聞)
原発追い出し訴訟 否定され続けた区域外避難者の十五年
《特集2》東電・柏崎刈羽原発再稼働 「第二の福島」は起きないか
《報告》まさのあつこ(ジャーナリスト)
セキュリティとセーフティの欠陥と再稼働の実態
《報告》後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
自滅する原子力産業と技術のあり方
柏崎崎刈羽6号機の制御棒問題と東京電力の劣化
《報告》山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
再稼働で起きている深刻な危険
《報告》武本和幸(刈羽村議会議員)
なぜ不正が繰り返されるのか
地震想定を過少評価する原発利権の構造
《討論》柏崎刈羽原発再稼働の是非を考える新潟県民ネットワーク
再稼働 許していいのか 1・11集会
経過報告とリレートーク
○吉田裕史(県民ネットワーク事務局)
「再稼働容認」判断と今後の課題
○石崎誠也(新潟大学名誉教授)
県内学者・研究者有志による原発再稼働中止を求める声明の概要
○浅利親男(柏崎刈羽PAZ住民の会)
荒浜住民投票は七六%が原発反対だった
○笹口孝明(元巻町長)
東北電力巻原発撤回住民投票の意義 県民こそが真の決定権者であるべき
○片岡輝美(会津放射能情報センター代表)
福島原発事故の経験から 「安心して生きる権利」を諦めない
○佐々木かんな(アンダー30の会代表)
自分たちの場を立ち上げる
《報告》今中哲二(京都大学複合原子力科学研究所研究員)
家庭用ソーラー発電 九年間の運用実績
《報告》なすび(被ばく労働を考えるネットワーク)
国・電力会社の「一〇〇mSv安全論」の非科学性
「あらかぶ裁判」から広範労災認定を求める運動へ
《報告》中道雅史(核燃料廃棄物搬入阻止実行委員会事務局長)
《徹底解説》核と軍の拠点・青森県《前編》
《報告》山崎隆敏(元越前市議)
福井県に溜まり続ける「核のゴミ」
関電は約束を守れない
《報告》大今歩(高校講師・農業)
原発は止めたけど風力発電がやってきて
《報告》再稼働阻止全国ネットワーク
高市軍拡政権という台風が吹き荒れても
原発再稼働阻止の運動は止まらない
《衆院選》青山晴江(たんぽぽ舎会員)
絶望させるのも人だが、希望を与えてくれるのも人……
《民主主義》青柳純一(翻訳家)
“中道改革連合”の大義・理念を問う
憲法九条を戦後民主主義の墓標にしてはならない
《柏崎刈羽》漆原牧久(再稼働阻止全国ネットワーク)
「柏崎刈羽原発動かすな」官邸前行動の取組み
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
東電柏崎刈羽6号機再稼働、衆議院選挙高市自民勝利に怒り
敵を知ろう、メディアと若者に働きかけよう
《東海第二》志田文広(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会・世話人)
東海第二原発の地層はどの原発と比べても脆い!
《浜岡原発》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟事務局長)
「浜岡原発での耐震設計データの捏造・改ざん」生み出した
電力事業者任せの審査体制の抜本的改善を求めます
《岐阜》中川敦詞(「さよなら原発・ぎふ」、たんぽぽ舎運営委員)
過去十五年にわたり「集会&パレード」を三カ月毎に開催
持続可能で安心して暮らせる社会のあり方を共に考え行動する
《アピール》山谷労働者福祉会館活動委員会 山谷争議団・反失実
貧者を排除する山谷の再開発に反対!
これ以上山谷にマンションを建てるな!
《反原発川柳》乱鬼龍選
鹿砦社 https://www.rokusaisha.com/kikan.php?group=ichi&bookid=000786
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