精神病予防学会の策謀 再び偏見を教育する保健体育教科書

野田正彰(紙の爆弾2026年3月号掲載)

2018年の学習指導要領により、高校の保健体育教科書で、40年ぶりに精神疾患に関する記述が復活した。2022年の「現代社会と健康」から新たに「精神疾患の予防と回復」の項目が加えられ、「児童生徒が心の健康について関心を持ち、正しく理解し、適切な対処や行動選択ができるようにすることが求められている」と呼び込みをしている。

「学習指導要領解説」は「精神疾患の特徴」と「精神疾患への対処」に分けて、うつ病・統合失調症・不安症・摂食障害の四疾患について指導し、「正しい知識やそれに基づく適切な対処や行動選択を理解させる」と続ける。

1972年を最後に高等学校の学習指導要領から「精神疾患」に関する記述は抹消された。復活にあたり、なぜ消されたのかに関する言及は皆無だが、消したのには理由がある。文部省と著者と教科書会社が邪悪な内容を書いて教え込んでいたことを暴露されたからだ。

その後も1980年代まで新聞をはじめマスコミは盛んに「狂人に刃物」といった煽動的解説を続け、精神疾患に関する誤った記述(偏見)が社会に浸透していった。

◆根拠なき「遺伝説」を「常識」にした戦後保健教育

私は精神科医になって間もない1973年、「偏見に加担する教科書と法」という論文を「朝日ジャーナル」2月16日号で発表した(鹿砦社刊『流行精神病の時代』に収録)。

戦後の保健体育の教科書は「精神衛生」の項で「精神病の遺伝」について解説し、「精神病は遺伝するので、結婚にあたって相手方の家系その他を調べることは重要である」「精神病者には優生保護法による優生手術が行なわれる」などと教育した。

戦前・戦中の軍国主義国家の時代、日本政府にとって精神病は、徴兵において重要な問題だった。明治期に徴兵制が施行されると、当時多かった梅毒の患者、とりわけスピロヘータの大脳感染者(進行性麻痺)を軍隊に入れないことが課題で、社会での精神病者の排除はそれほど重視されていない。

1940年、ナチス・ドイツの優性思想に倣い作られた国民優生法は、根拠なき「精神病遺伝説」に基づき精神病者の断種を規定したが、徴兵者を増やしながら精神病者を多く見つけて排除するという矛盾から、さほど実効性を持たなかった(それゆえ、強制不妊手術の実施は後述する戦後の旧優生保護法施行後がほとんどである)。

戦後の日本では結婚が急増し、海外の引揚者も増加して、第一次ベビーブームが起きた。人工妊娠中絶を容認する世論が広がるのに便乗して、精神病者を社会から排除する旧優生保護法が1948年に制定された。この法律に基づいた優生手術(強制不妊手術)が1960年代まで盛んに行なわれたことは、2024年に最高裁判決が出た国賠訴訟を通じて周知のことだろう。

ただし、その報道では優生手術の主たる対象が知的障害者ではなく精神病者であったこと、学校教育で「精神病遺伝説」が国民に「常識」として徹底されたことはまったく触れられなかった。

「精神病は遺伝する」との「常識」を創作した主犯は日本精神神経学会(1902年設立)の精神科医ら、とりわけ旧帝国大学を中心とした医学部精神科教室である。そして文部省の強制の下での教育とマスコミが偏見を日常的に強調することで、その「常識」を国民に刷り込んだ。

もともと日本社会に「精神病は遺伝する」という考えが定着していたわけではない。人々の精神病の概念は曖昧で、地域によっては「狐憑き」や「天狗にさらわれた」といった「憑きもの」と同一視する考えや、「その家の不幸によるもの」などの様々な解釈があった。

ナチスなき後、戦後日本の精神科医と教育・マスコミ関係者こそが精神病遺伝説、そして精神病者は社会から減らさなければならない「犯罪予備軍」との偏見を確立させたのだ。

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「知らぬ間に紐づけられている」「“3月まで”の嘘と罠」マイナ保険証メディア忖度報道と〝防衛策〞堤未果氏インタビュー

聞き手=青木泰(紙の爆弾2026年3月号掲載)

マイナンバーカードをめぐり、政府は「取得は個人の自由」と言いつつ、紙の健康保険証を廃止し、マイナ保険証への一体化を進めている。推進に巨額を注ぎながら、利用率が37.4%(昨年10月時点)に満たないは明らかな政策の失敗だが、それを隠して総括することなく、デジタル庁はさらに関連予算を増額する動きだ。現状と狙いを把握し、私たちは防衛策をとることが必要である。2023年10月号でインタビューした堤未果氏に再び聞いた。

◆旧保険証が廃止されても資格確認書で代替可能

── マイナンバーカードについて、番号法(注1)第16条の2では、本人の申請が条件で、健康保険証・免許証の登録を含めて強制してはならないと定められています。ところが、いわゆる旧保険証の2025年12月1日での廃止を発表後、期限を今年3月まで延期したものの、マスコミ報道は「廃止」を強調。そこには健康保険資格確認書(以下、資格確認書)のことが全く抜け落ちていました。ほとんどの報道は、3月までにマイナ保険証に切り替えなければ、医療機関の受診が出来なくなるかの内容で、政府の切り替え推進を後押ししています。

 マイナに切り替えたくない人の場合、各保険(国民健康保険・社会保険・後期高齢者医療制度)によって少しずつ違いがありますが、表1に示したように、旧保険証に代わり資格確認書が交付されます。国保の場合、自治体によっては有効期限が1?5年の違いがあります。後期高齢者はマイナ保険証の有無にかかわらず資格確認書を配布することになっています。

── いずれにせよ、マイナ保険証を持たなくても、旧保険証と同じ役割を持つ資格確認書が交付されるということですね。

 新聞やテレビは「わざわざマイナ保険証に切り替えなくとも資格確認書を提示すれば医療機関を受診できる」というもっとも重要な事実を伏せて報道しているので、国民の間に混乱と誤解が広がっているのです。

── 結局、旧保険証を残せばよかったのでは? なぜ廃止したのでしょうか。

 その通りです。資格確認書は今までの保険証と色が違う程度で、ほぼ同じ。無駄な時間と手間がかかり、医療機関では受付が混乱し、新しいカードを作る事務手数料が政府与党のお友だち企業に入るだけ。いつもの税金の無駄使いです。

そもそも政府は保険証にしても免許証にしても、従来使っていたものをそのまま使い、マイナを持つ、持たないは国民各自が決めていいと言ってきました。でも、政府の本命はカードを持つ、持たないではありません。マイナンバーカードに健康保険・運転免許や銀行口座などあらゆる個人情報を紐づけし、国民を一括管理する体制をつくる方向に進めているのです。

そこでまず、マイナカードを作る誘導策として、2020年から国民1人2万円、国家予算にして1兆8000億円(マイナンバーカード作成で5000円、健康保険証登録で7500円、給付金の受取口座を明かせば7500円)を餌にマイナポイントキャンペーンを仕掛けました。それでも作らない国民が多いので、誰もが使う保険証を入口にするやり方に切り替えたのです。

── ちなみに「紐づけ」とは?

 マイナカードだけなら、入っているのは本人の住民票に基づく氏名・住所・生年月日・性別、そして個人番号(マイナンバー)と顔写真です。「紐づけ」とは、その後、この個人番号と健康保険を一体化させたり、免許証として使えるようにしたり、年金や給付金の受取口座と連動させていくこと。マイナカード一枚に個人情報を集めていくのです。

── 紐づける情報が増えれば、一枚のカードでいくつもの役割を果たせるというのが売りですね。しかし……。

 一枚ですむ一方で、カードを紛失したり、盗まれたり、偽造されたりすると、入っている情報が多いほど大変な被害が生じます。また、4桁の暗証番号の管理の問題もあります。番号を覚えられない高齢の方や、認知症の方をどうするかについても、政府は答えを出していません。

たとえば、今までの保険証なら、子どもの修学旅行にはコピーを持たせれば、いざ怪我や急病の時に病院で使えたのに、なくすリスクを考えるとカードを持たせることはできません。

── マイナカードを持てば、住民票なども含めて利便性が高まるというのが、カード導入の一番の触れ込みでした。

 そうです。ところがふたを開けてみると、利便性が上がるどころか、今までは紙の保険証を病院の受付で渡せばすぐにカルテを取り出して診療に移れていたのが、マイナ保険証は、受付でカードを読み取る機械の不具合が多発しています。うまく読み取れないとか、顔写真の照合でエラーが出るなど、かえって時間がかかってしまう。そうしたトラブルが、医療機関の8割で起きているのです。

── 私も、これまで受付で並んだことのない病院で、昨年ごろから行列ができるようになったのを経験しました。

 受付は大変です。今年3月まで使える旧保険証、マイナ保険証、そしてマイナ保険証を作らない人が使う資格確認書、この3種が出されます。確認手続きの手間が三倍に増えたということ。カードリーダでうまく読み取れない場合は、「資格情報のお知らせ」や「被保険者資格証明書」など、本人確認のための別の書類を出してもらわなくてはなりません。マイナ保険証は本人申請が条件ですが、お年寄りや寝たきりの人、引きこもりの人などは申請に行けませんから、資格確認書を使わざるをえません。多くの医療機関はそのことをわかっていたので、最初からこの制度に反対していました。

── 資格確認書の有効期限は、現状で発行から一年という自治体が多いようですが、中には五年とした自治体もあるとのことですが。

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NKB鐵人シリーズvol.1開幕 どん冷え貴哉と山本太一が王座戴冠!

堀田春樹

カズ・ジャンジラ、引退を控えて王座陥落。
棚橋賢二郎、4度目の挑戦も実らず。
渡邊信久連盟代表、キックボクシング業界歴60周年を役員がサプライズで祝う。

◎鐵人シリーズvol.1 / 2月21日(土)後楽園ホール17:15~20:47
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

戦績はプログラムを参照にこの日の結果を加えています。
当日計量は午前10時よりプロ選手全員一回でパス。

◆第9試合 NKBウェルター級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.カズ・ジャンジラ(=佐々木和也/team JANJIRA/1987.9.2東京都出身/ 66.2kg)
46戦21勝(4KO)18敗7分
          VS
挑戦者3位.どん冷え貴哉(TOKYO KICK WORKS/1988.10.15滋賀県出身/ 66.6kg)
51戦28勝(6KO)21敗2分
勝者:どん冷え貴哉 / 判定0-3
主審:笹谷淳
副審:宮本48-49. PIRIKA47-50. 前田49-50

昨年2月22日の対戦ではノックダウン奪ったカズ・ジャンジラが判定勝利。カズの1勝1分で迎えた今回、初回からどん冷え貴哉の先手打つ蹴りとパンチ。やや出遅れた感のカズ・ジャンジラ。第2ラウンド、カズジャンジラの左ハイキックがどん冷え貴哉の顔面狙いは辛うじてブロックするが、インパクトあるハイキックだった。

油断ならなかったのはカズジャンジラのハイキック。前回はこれでノックダウンを奪っている
どん冷え貴哉が今度は負けないと意気込んで攻めたミドルキック。リズムを掴んで行った

「狙っている気がした」と言う、どん冷え貴哉陣営の竹村哲氏の声。組み合う展開が増えるとヒザ蹴りとウェイトの掛け合い、更にヒジ打ち貰う危険性の中、スタミナの削り合いの苦しい時間が続くが、どん冷え貴哉の組み負けない攻防と蹴りの圧力、試合運びがやや優って圧し切った。どん冷え貴哉は第17代チャンピオン。

ピントは竹村哲氏に当たってしまったが、勝利が告げられた瞬間のどん冷え貴哉と陣営

どん冷え貴哉はリング上で「この一年、ホンマしんどかったです。今後はKNOCK OUTとかNJKFのウェルター級チャンピオンとか上位ランカーとか、外の選手とも戦っていきたいと思います。」と語り、控室では、「昨年2月、一回喧嘩売っといて負けて、その後挑戦者決定トーナメント勝ち進んで、カズさん内心イヤやったやろうと思うんですよ。でも受けて貰ってホンマ有難かったです。」

首相撲の展開については、「ヒジ有りなので油断したら下(ボディー以下)より上(頭部)が怖かったし、相手に有利なポジション取らせんように考えていました。」

カズジャンジラは「貴哉選手が組んで来ると思ってヒジ狙ってたんですけどタイミング合わずでした。」と戦い終わり、カズジャンジラの控室を訪れたどん冷え貴哉と語り合う二人の会話は、戦い終えるまでは語れなかった多くの裏話を語り合い、この1年の苦しさを覆す温かさがあった。

夫婦で勝ち獲ったとも言えるどん冷え貴哉のツーショット。王座奪取で味わえる瞬間二つ目

◆第8試合 第17代NKBライト級王座決定戦 5回戦

1位.棚橋賢二郎(拳心館/1987.11.2新潟県出身/ 61.05kg)26戦12勝(7KO)12敗2分
        VS
3位.山本太一(ケーアクティブ/1995.12.28千葉県出身/ 61.1kg)
22戦8勝(5KO)10敗4分
勝者:山本太一 / TKO 1ラウンド 2分10秒
主審:前田仁

距離を取ってフットワーク速く動き回った山本太一。ローキックやパンチ、自分のタイミングで先手先手と打ち込んでリズムを掴んでいった。棚橋の踏み込んだ前足を払ってバランスを崩させるなど、上手い試合運びからタイミング計って飛びヒザ蹴りで棚橋賢二郎の顔面を打ち抜くとノックダウンに繋げて圧勝。山本太一は、チャンスを見事に掴んで花咲かせた王座奪取となった。棚橋は4度目の挑戦も実らず、タイトルに見放された運命を辿ることになった。

飛び蹴りは3度見せた山本太一だったが、牽制の飛び蹴りと、最後は不意を衝く一瞬の狙った打ち抜く蹴りで鮮やかに倒してしまった。

山本太一は距離感維持して先手を打った戦いだった
いきなり飛ぶから、また画面ズレだが、山本太一の飛びヒザ蹴りで圧倒勝利

「飛びヒザ蹴りは狙っていました!」という山本太一。見せ場を作る「太一やるじゃん!」は王座獲得まで達成してしまった。

リング上では周囲へこれまでの感謝を伝え、今後については、「いやあ最高!強い奴とやりたいんですよ。ベルト獲ったからって、僕まだまだ弱いんで、強さの証明にもなっていないんで、関西のテツジム勇志くん。キミが一番NKBで強いよ。俺は逃げない。絶対やろう。」と語り、2024年に「KNOCK OUT」に出てボコボコにKOされたことで、その時に「チャンピオンに成ってやり返しに来ます。」と言ったことにも触れ、今、名乗り出る立場に立ったことで、フェザー級から59kg域がベストと言い、6月再出場を懇願し「他団体シバきます。」と宣言した。

王座奪取で味わえる瞬間一つ目。これまでの苦悩が晴れた笑顔と今後を語る山本太一

◆第7試合 55.0kg契約3回戦

NKBバンタム4位.香村一吹(渡邉/2007.2.22東京都出身/ 54.15kg)6戦4勝(1KO)2敗
        VS
NJKFバンタム級3位.志賀将大(エス/1993.2.20福島県出身/ 54.55kg)
25戦15勝(4KO)8敗2分
勝者:志賀将大 / 判定0-3
主審:宮本勲
副審:PIRIKA29-30. 笹谷28-30. 前田28-30

初回早々はローキックで勢いあった香村一吹だが、徐々に志賀将大の首相撲からのヒザ蹴り加えたムエタイ技と距離の取り方、攻めのタイミングで優っていき、志賀の蹴りで香村はボディーが真っ赤になっていく。香村の積極的なパンチと蹴りは元・NJKFチャンピオンの志賀を劣勢に追い込むには至らなかったが、密度の濃い試合展開で良い経験となっただろう。志賀は的確なヒットで優り順当に判定勝利。

香村一吹はNJKFの元チャンピオンと貴重な対戦。志賀将大がテクニックで優るが、香村もアグレッシブに攻めた

◆第6試合 74.0kg契約3回戦

TOMO JANJIRA(JANJIRA/1992.1.12京都府出身/ 74.0kg)11戦4勝(3KO)6敗1分
        VS
福舘正(CHEERFUL/1988.10.12岩手県出身/ 72.95kg)13戦7勝(4KO)6敗
勝者:福舘正 / 判定0-3
主審:鈴木義和
副審:前田28-29. 関勝27-29. 宮本28-30

互いに攻めたパンチと蹴り。初回、TOMOは空いたガードに福舘正の右ストレートあっさり貰ってノックダウン。度々福舘のパンチを貰ってしまうTOMOだったが、ややダメージを引き摺ったか、巻き返し狙って多彩に打って出るも逆転成らず。福舘正が判定勝利。

◆第5試合 ライト級3回戦

猪ノ川海(大塚道場/2005.9.30茨城県出身/ 60.85kg)7戦3勝(2KO)3敗1分
        VS
魔娑屋(SLACK/1991.2.4岩手県出身/ 61.1kg)9戦4勝(3KO)5敗
勝者:魔娑屋 / 判定0-3
主審:PIRIKA
副審:笹谷28-30. 前田29-30. 鈴木28-30

ローキックとパンチもよく出した両者。攻めはやや優った魔娑屋。攻勢を維持して判定勝利。

◆第4試合 64.0kg契約3回戦

五井雅輝(TOKYO KICK WORKS/1985.5.2東京都出身/ 63.55kg)1戦1敗
        VS
光基(DANGER/2001.12.28岩手県出身/ 63.45kg)4戦3勝(1KO)1敗
勝者:光基 / KO 2ラウンド 1分43秒
主審:関勝

光基がローキックで3ノックダウン奪ってノックアウト勝利。

◆第3試合 ウェルター級3回戦

ちさとkiss Me!!(安曇野キックの会/1983.1.8長野県出身/ 66.55kg)
45戦7勝(3KO)34敗4分
        VS
星野祐人(ケーアクティブ/1993.7.16千葉県出身/ 66.15kg)4戦2勝2分
勝者:星野祐人 / 判定0-3
主審:鈴木義和
副審:PIRIKA28-30. 笹谷28-30. 関勝28-30

ローキックからパンチの交錯は星野祐人の先手打つ攻勢が目立つ。攻め遅れるが、ちさともパンチ蹴りを返し、首相撲からヒジ打ちヒザ蹴りもしつこく繰り出した。見た目のインパクト小さいちさとは攻め負けてはいないが、蹴りの勢いの印象点優った星野祐人が判定勝利した。

◆第2試合 フェザー級3回戦

ウュグン(渡邊/1998.1.1ウズベキスタン出身/ 56.7kg)1戦1敗
        VS
鳥居大珠(ワイルドシーサー前橋元総社/2009.6.11群馬県出身/ 57.1kg)3戦1勝(1KO)2敗
勝者:鳥居大珠 / KO 3ラウンド 1分18秒

第3ラウンド、右ストレートで3ノックダウン奪った鳥居大珠のノックアウト勝利。

◆プロ第1試合 53.0kg契約3回戦

小林龍弥(SRK/1995.10.28大阪府出身/ 52.55kg)1戦1勝
        VS
青塚来弥(DANGER/2008.8.9茨城県出身/ 52.5kg)2戦2敗
勝者:小林龍弥 / 判定3-0 (30-26. 30-26. 30-26)

第3ラウンド、小林龍弥のパンチ連打で青塚来弥をロープ際に追い込み、スタンディングダウン2度奪って小林が大差判定勝利。

※他、アマチュア(オヤジ・オナゴキック)3試合。

《取材戦記》

渡邊信久代表に元・練習生から贈られたお祝いの言葉が切っ掛けで、ボクシングからキックボクシングに移って60周年を祝福するサプライズのセレモニーが行なわれました。役員が花束や記念品を贈呈。予期しなかった渡邉会長も感無量の表情で御挨拶されました。

「突然リングに上がれと言われて何事かと思ったよ!」と言う渡邊信久代表。選手時代の網膜剥離から波乱万丈な人生だっただけに感慨深い想いが過ったでしょう。

サプライズセレモニーだけにセリフも考えてなかった中で、これまでの御支援御協力に感謝を述べ、「これからも新たに挑戦していきたいと思います。」と宣言。

セレモニー開始と共にバックミュージック、加山雄三の「君といつまでも」が静かに流れた中、良く似合ったセレモニーだった。

ジムでは未だミットを持って指導するという渡邊信久代表。連盟の継続では現存する団体の中でいちばん長い日本キックボクシング連盟。“継続は力なり”は今後も続きます。

拳心館名誉館長・近藤健氏より花束贈呈。感無量の渡邊信久代表

山本太一は“意外”と言っては失礼ながら、飛びヒザ蹴りで豪快な王座奪取。一気に注目選手となり、NKBフェザー級チャンピオンの勇志(テツ)を名指し対戦を迫った。他団体、大手イベントに進出して盛り上げてくれたら面白くなる2026年である。

どん冷え貴哉も他団体選手との対戦を迫った。興行数少なく選手層薄いNKB内よりも他団体の名のある相手と戦いたくなるのは当然だろう。既存の古くからある団体間ならそう難しくはない戦いに期待である。

カズ・ジャンジラは4月18日の鐵人シリーズvol.2で引退試合が行われます。対戦相手はジャパンキックボクシング協会のウェルター級ランカーが予定されています。

ガルーダテツ、小林秀至、渡邊信久、近藤健、武笠則康、NKBを支える各理事

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

《3月のことば》絆 異体同心

鹿砦社代表 松岡利康

《3月のことば》絆 異体同心(鹿砦社カレンダー2026より。龍一郎揮毫)

早春3月になりました。年度末で、出会いと別れ、卒業と入学、就職と転勤などで慌ただしい季節です。

思い出しますね、50数年前の1970年の今頃、まだ紅顔18歳、東京の大学の入試が済んで京都駅に降り立ち、そのまま、のちに入学することになる大学の合格発表を見るために市電に乗ったことを。当時京都にはまだ市電が走っていました。
それが人生を決定づけた第一歩でした。──

結局は東京の大学には落ちて京都の大学に入学することになりましたが、なんだかんだ言っても、それ以降に多くの人たちと出会い、そして築いた絆が今でも残っています。幸いに良い出会いばかりで、影響を受けた人も少なくありません。また、多くの人たちに助けてもらい今が在ります。

この書を揮毫してくれた龍一郎も、そうした流れの中にあります。

彼が大学を離れたあとに「ゲルニカ事件」という、この国の教育史に残る事件に巻き込まれ、全国の先生方や父兄のみなさんと闘ったことを知ったのはのちのちのことでした。裁判闘争は最高裁で最終的に負けましたが、けっして彼は負けてはおらず、有意義な人生を過ごしてきたと思います。私がいつも言う〈敗北における勝利〉です。

すでにご報告しているように、今彼はがんと闘っています。私たちの絆は揺るぎません。福島原発事故から15年、いつまでも福島の人たちに寄り添っていこうと、龍一郎の提案で始めたカレンダー制作で、私たちの絆は強まりました。私(たち)は最後まで彼を応援していく決意です。

※病と闘う龍一郎へのご支援(闘病資金)をお願いいたします。
 振込先=郵便振替 01760-0-130407 口座名=井上龍一郎
 振替用紙の余白に激励の言葉をお書き添えください。

《表紙》『原子力明るい未来のエネルギー』 紆余曲折を経て 今は文字盤だけが倉庫に眠る(絵=鈴木邦弘)

鹿砦社 https://www.rokusaisha.com/

日野町事件で再審開始が確定! 

尾﨑美代子

滋賀県で1984年に起きた日野町事件、あまり聞きなれなかったこの事件のことを聞いたのも亡くなられた桜井昌司さんからだった。「あれもひでえ事件だよな。証拠の写真がすり替えられてるんだからさ」。

この事件も「日本の冤罪」で取り上げた。伊賀興一弁護団長を取材すると、開口一番こう言われた。

「この事件はいつどこでどんな事件だったかという事件性の中身がいまだに明らかにされていません。これがこの事件の最大の特徴です」。

私は一瞬何のことか?と耳を疑いながら、限られた時間内で事件の全体を知ろうと、そのまま伊賀弁護士のお話を聞き続けた。殺害されたのは小さな酒店の女店主、犯人とされたのは店の常連客だった阪原弘さん。逮捕までの間、連日取り調べをうけた弘さんは、警察から戻ると、「入れ歯の金具が不具合を起こすほど殴られた」と家族に告げた。そんな暴行より我慢できなかったのは、もうすぐ嫁に行く娘の嫁ぎ先にいき「ガタガタにしてやる」と言われたことだった。それだけは避けたいと、「酒を飲む金欲しさ」に店主を殺害、遺体と金庫を別々の場所に捨てたと嘘の供述をさせられた。

じつは、その日、弘さんは知り合いの家で飲み、そのままそこで寝てしまっていた。そのアリバイを証明する知り合いも、警察に脅されたのか、一時期は「泊まってない」という様になった

一方、女店主はその日、店を閉めたあと知り合いと食事をしていた、銭湯で見たなどの証言もあった。店の奥で寝ていた家族も、何かゴタゴタガあったとは言っていなかった。女店主は、その日は普通に店を閉め、用事で出かけていたのだ。翌日は別の従業員が店をあけたようだ。店が開くのを外で待っていた客もいた。つまり鍵はかかっていたわけで、阪原弘さんの「自白」、「店の鍵を閉めなかった」は虚偽になる。そうか、これが冒頭、伊賀弁護士の話した言葉につながるんだ。この事件は阪原弘さんを犯人に仕立てたことで、どんな事件だったかが、42年経っても不明のままなのだ。

桜井昌司さんがいう「証拠の写真が入れ替わっている」について、伊賀弁護士にお聞きした箇所が以下の部分だ。

── 以下「日本の冤罪」より引用

 一九八八年三月に行われた引き当て捜査で阪原さんは、警察車両を停めた道路から一〇分ほどの、草が生い茂り、倒木が横たわるような「道なき道」を、捜査官を従えて発見現場に到達したとされた。実況見分調書には、阪原さんが先頭に立ち、後ろに着いてくる警官らに進んで発見現場を案内したとする写真と写真の説明文で、一九枚の写真は「往路」「復路」の順番に添付されており、写真ごとに「(阪原さんが)ここでこう説明した」などの説明文がつけられていた
 しかし弁護団が、これらの写真のネガの番号を調べたところ、順番が全く間違っていることが判明した。しかもネガには、発見現場に行く「往路」の写真はほとんどなく、金庫の発見現場である到達点から、警察車両に戻ってくる「復路」で撮った写真ばかりだった。そもそも阪原さんが犯人で現場を知っているならば、現場に向かう「往路」の写真だけ撮れば十分なのに、「何故往路の写真が撮られてないのか?」。弁護団に疑問が湧いてきた。さらに調べると、現場に行く際撮ったとされた写真の何枚かが、現場からの帰り道に撮られたものであることも判明した。本当ならば警察車両に向かって戻ってくるはずの「復路」の場所で、阪原さんが反対側を向かされ写真を撮られていた。捜査官が復路で撮った写真を往路の写真としてネガを入れ替えていたのだ。── 引用終わり

「これだけでももう再審開始だよ」と桜井さんは力強く言ってたのに。あれからだって相当な年月が過ぎている。桜井さんはこの嬉しい決定、そして再審無罪判決を聞くことはできない。どんだけ、時間が経っているんだ。それもこれも、検察が負けとわかっているのに、控訴、上告を続けるからだ。ただただメンツのために。どんだけつまらんメンツなんだ。絶対許せん。再審法は、検察の控訴、上告も禁止する「議連案」でやるしかないんだよ! ねえ、桜井さん。

◎本日2月28日(土)午前10時~大東市の野崎人権文化センターにて尾﨑美代子さん講師による人権講演会「冤罪はこうしてつくられる」開催されます。参加費無料 
問い合わせは野村さん(090-2283-6932)まで。https://nozaki-jinbun.net/

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

再審法「改悪」に反対する ── 獄中で冤罪を訴え、再審を待つ人たちの不安を思う

尾﨑美代子

◆法律は立法事実に叶うことが必要なのに……

「前川さんが立法事実なんです!」と叫んだ自民党の稲田朋美議員。

「立法事実」という言葉を知ったのは昨年、「はんげんぱつしんぶん」編集長・末田さんの講演会でだった。立法事実とは、その法律を作り、あるいは元ある法律を改正する際に必要な事実である。

私が店をやっている釜ヶ崎の労働者の安全と命を守る「労働安全衛生法」に例えるならば、高さが2メートル以上の場所での高所作業に就く労働者を守るため、以前なら労働者に義務づけられた安全帯1丁掛けが2丁掛けに変わり、今では「フルハーネス」にかわった。

企業にとってこの法を厳守することは、労働者の安全を守る意味もあるが、一旦転落・死亡事故など起こしたら、現場はストップ、工期が遅れるからでもある。とはいえ、こうして法改正を行うことで労働者の転落・死亡事故は確実に減っている。

朝、露店で売っていた安全帯

あらゆる法律の制定、改正時にはこの「立法事実」が必要だし、法律は立法事実に叶うことが必要なのだ。まさに、それ。前川さんや袴田さん、そして名張葡萄酒事件の奥西さんの妹さん・岡美代子さん、大崎事件の原口アヤコさん、そして雪冤を果たせず亡くなった石川一雄さんこそが「立法事実」なのだ!この人たちを早期に救済し、二度と同じ過ちを生まないための法改正が必要なのに。

それなのになんだ? 現在、進む再審法改正の動きは? 多くの冤罪──罪のない人に罪を押し付けて苦しめてきた──が明らかになり、世間に知られてきた。しかも冤罪を晴らす再審法が70年以上も変えられてないことが問題視された。2019年にハンセン病元患者の家族に対する補償法を超党派で成立させたときのように、国会議員が超党派で力をあわせ、冤罪をなくすための法改正に取り組んできたのに、前述したようにいきなり法務省が「いやいや、そこは専門家の私たちにまかせてください」とばかりに出張ってきた。法制審が審議する再審法は「改正」どころか、とてつもなく「改悪」の方向へ進もうとしているではないか?

「血のついた前川を見た」と証言した男は、かわりに自身の覚醒剤使用を見逃して貰い、結婚祝いまで貰っていた

◆再審法を大きく改正してきた台湾に比べると……

井戸弁護士が訴えていたように、法務省、警察、検察は、これまで数多の冤罪を作ってきた張本人、いわばこの問題に関しては被告の立場なのに……何を偉そうなこと言ってるんだ。井戸弁護士は言わないけど、私は言ってやるね。法務省よ、さんざん窃盗繰り返してきたクセに、何が「皆さん、戸締まりについて考えましょう」だ。どの口が言うんだ。怒りが収まらん。

日本は、本当にだめ。人質司法や弁護人不在の取り調べなどの人権問題を、国連から何度も是正せよと勧告を受けているのに、本当にこの国はダメだ。例えばこの間、2015年と2019年の二度にわたり、再審法を大きく改正してきた台湾を見てよ。それは間違えて逮捕してしまった被告人が自殺し、その後に真犯人がみつかった経験から、猛省したからだ。

台湾は地震対策にしても、2018年の花蓮で起きた地震でプライバシーが守れないなどの被害が出たことを反省し、その後、地震発災から3時間以内にテント型の避難所を設営するなどに努めてきた。住民に被害がでたら反省する、間違った部分を直す、ただそれだけのことなのに、日本の国、政府は絶対にやろうとしない。昨日、服役中の方から届いた手紙にも、再審法が悪い方向へ向かっているようですねと書かれていた。獄中で冤罪を訴え、再審を待っている人たちはどんなに不安だろう。どう返事を返していいかわからない。

2月28日(土)10時~大東市の野崎人権文化センターで「冤罪はこうしてつくられる」で使うパワポの写真を添付しました。参加費無料 https://nozaki-jinbun.net/
問い合わせは野村さん(090-2283-6932)まで。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

「司法の独立・裁判官の独立」について ── モラル崩壊の元凶押し紙(下)

江上武幸

近時、弁護士が依頼者の金銭を横領する事件が多発しています。また、弁護士事務所の法人化、支店の設置、広告宣伝の自由化により、相談料無料・着手金無料をうたったホームページが多く見られるようになりました。日本版アンビュランス・ローヤーの出現という問題です。

(注:アンビュランス・ローヤーとはアメリカの俗語で、交通事故などの被害者が乗った救急車(ambulance)を追いかけ、病院で動揺している被害者やその家族に接触し、損害賠償請求の訴訟を持ちかけて依頼を得ようとする弁護士たちを指す言葉です。基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする日本の弁護士制度にはなじみません。)

検察関係では、証拠の捏造や改ざん・隠ぺい、検事正による女性検事への性加害事件や、検事総長就任予定者による新聞記者との賭けマージャンなど、信じがたい事件が起きています。

※京大卒業で検事に任官したクラスの友人が、6年目にして将来の出世コースに乗っているかどうかが分かってきたと話してくれたことは以前述べた通りです。実は私も、長兄が警視庁に勤務していたこともあり、検事を志望していた時期がありました。しかし、指導教官から任官の誘いを受けたことは一度もありませんでした。高校時代にベトナム反戦ビラを正門前で配ったことがあったからでしょうか。

裁判官の世界では、袴田事件に見られるような、無実の人間に対する死刑判決をめぐる再審無罪や、がんに罹患している無実の被疑者の保釈請求が却下されたことによる病死、退職後の裁判官の大手弁護士事務所への再就職問題など、裁判官への信頼を大きく揺るがす状況が見られます。

※(元)法務大臣の河井克行氏は、2008年に『司法の崩壊-新弁護士の大量発生が日本を蝕む』(PHP研究所)を出版しています。

河井氏は2019年9月11日に法務大臣に就任しましたが、同年7月の参院選をめぐる運動員買収の疑惑により、2020年6月に逮捕され、2021年に懲役3年の実刑判決を受けて収監されています。就任後まもない2019年10月31日付で辞任しており、週刊誌報道から辞任、さらに逮捕・実刑判決に至る経緯は、法務大臣経験者に対する刑事処分としては異例に見えます。自民党の裏金議員に対する検察の対応の甘さと比べると、その差は際立っています。

そのため、河井氏が法務大臣として司法制度改革の見直しを言い出しかねないことを危惧した勢力が背後にいたのではないかと考えざるを得ません。

「存在が意識を決定する。」という言葉が、ずっと気になっています。自分が新聞社側の代理人であったら、検事であったら、裁判官であったら、という考えが頭をよぎることがあります。生まれたときの人間の脳はまっさらです。その後の体験と学習の積み重ねによって脳細胞同士がつながり脳が発達していきます。生まれ育った環境や受けた教育、労働・社会体験の有無や内容によって、ひとりひとりの脳が異なっていくのは自然なことです。

*家族や親せき、近所の人たちから戦争体験の話が聞けた機会があった世代や、読書好きで戦争文学を読んだことのある世代は、なんとか戦争を肌で感じることができるかもしれません。しかし、戦争のない時代に生まれ育った人間が(私もその一人です)、戦争の恐怖・残酷さ・悲惨さを感じ取るには、教育の力によるしかありません。

先の戦争の歴史を教える教育がなされたのは、朝鮮戦争が始まるまでのほんのわずかな期間でした。1947年発行の文部省『あたらしい憲法のはなし』は、1950年の朝鮮戦争勃発を機に使用されなくなりました。

1947年8月2日、当時の文部省は、同年5月3日に施行された日本国憲法を解説するため、新制中学校1年生用社会科の教科書として『あたらしい憲法のはなし』を発行しました。その教科書で平和主義、戦争(戦力)放棄条項について、中学生に向けて次のように呼びかけています。

「こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしいことがたくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。」(ウィキペディアより)

漫画家・中沢啓治氏の原爆劇画『はだしのゲン』が学校の図書館から姿を消すようになったのは、2012年頃からとされています。この漫画を読んだ子供と読んでいない子供とでは、原爆の悲惨さや残酷さを認識する脳作用が大きく異なるであろうことは、容易に推測できます。

防大生が制服姿で靖国神社の参道を行進する姿や、軍服姿の大人が日の丸を掲げて歩く姿を見ると、戦争の悲惨さや残酷さを認識する脳細胞群が十分に形成されないまま成長した人間の危うさを、ひしひしと感じます。

※存在が意識を規定するのであり、意識が存在を規定するのではありません。教育を十分に受けることができれば、誰でも大学に進学できる程度の脳の形成は可能です。オウム真理教や統一教会などのエセ宗教が狂信的信者を作り出すのも、洗脳によって思考が固定化されるためです。

経済的に裕福な家庭に生まれ育ち、空腹も労働の体験もなく、受験勉強一筋で育ってきた、戦争を知らない子供たちが、大人になって、いっぱしの政治家・官僚・自衛官として権力を手にしたとき、どんな世界が到来するのか。そう考えただけで恐ろしくなります。

※世襲議員の小泉進次郎防衛大臣が自衛隊服を着込んで、パラシュート降下訓練のまねごとをしているのをニュースで見ました。随分前のことですが、地元で著名な陶芸家から、ある会合に呼ばれたとき、玄関前に整列した会員が一斉に敬礼して出迎えたという話を聞いたことがあります。また、大の男たちが近くの山中でゴーグルをつけ、エアソフトガン(遊戯銃)で戦争ごっこをしているという話を聞いたこともあります。その話を聞いたときに感じたのと同じ、何とも言いようのない気持ちに襲われました。

都会に生まれたか田舎に生まれたか、裕福な家庭に育ったか貧しい家庭に育ったか、両親そろった家庭で育ったか片親の家庭で育ったかといった個人的事情にかかわりなく、すべての若者が無償で高等教育を受けることができ、女子学生が奨学金返済のために夜のアルバイトをしなくて済むよう、返済不要の奨学金制度が整備されていれば、全国津々浦々から優秀な若い人材が生まれてくることが期待できます。

最近、在日3世の李相日監督の映画『国宝』を見ました。冒頭の長崎市の料亭での、やくざの新年会の出入りの場面を見ながら、暴力団そのものを禁止する法律があれば、多くの若者がやくざの世界に足を踏み入れることもなく、堅気として生きていくことができたはずだ、という思いに駆られました。

小選挙区制のもとでの世襲議員や、森友学園の土地払い下げ問題で、公文書の改ざん・廃棄を部下に指示したとされる高級官僚、学歴詐称やセクハラ・パワハラ問題が絶えない自治体の首長らと、映画『国宝』に登場する親分衆の顔を見比べると、役柄とはいえ、その風格の違いは歴然としていました。「親ガチャ」という言葉の持つ意味が、はっきりと分かる場面でした。笹川良一・児玉誉士男ら政界の黒幕が戦後も脈々と生き続けることができたのも、警察や自衛隊が対処できない問題が発生したときに備えさせるためであるとの見解がありますが、十分うなずけます。

表題の「司法の独立・裁判官の独立」からは大きくそれてしまいましたが、意図するところはお分かりいただけるのではないかと思います。

※古賀茂明(元)通産官僚、前川喜平(元)文部科学事務次官、孫崎享(元)外交官、岡口基一(元)裁判官らが、政治家・官僚・マスコミ人の劣化による「日本全体の崩壊」を危惧しておられます。そのような良識ある官僚OBや現役官僚の方々がたくさんおられるのは救いです。

岡口(元)裁判官によれば、近時、裁判官の任官希望者が減っており、中途退職者も増えてきているとのことです。「鯛は頭から腐る」「沈む船からネズミは逃げる」と言われますが、出世に関心のない若い世代の人たちが中心となって沈む船にとどまり、腐った鯛を生き返らせてほしいものです。

先の大戦で、本来死ぬべきではなかった多くの若者が真っ先に死に追いやられ、本来戦争責任をとって死ぬべきであった大人たちが、のうのうと生き残るという恥ずべき歴史を日本は持っています。そのような歴史を繰り返してはなりません。

※先ごろ102歳で人生を閉じられた裏千家の千玄室さんは、80年前の戦争を知る世代の人間がいなくなってしまったことで、日本が再び、あのような悲惨な戦争を引き起こす情けない国になるのではないかと心配し、残された私たち一人ひとりに警戒を怠らないよう警告して旅立たれました。生前、田中角栄氏も同じことを話しておられたとのことです。

※新聞・テレビ等のマスメディアの報道の自由度が世界第70位で、先進国の中では最低にランキングされるという惨憺たる状況にありますが、若い世代の新聞・報道記者らが奮起して国民の知る権利に応え、傾いた船をまっすぐに進めるために頑張ってくれることを期待しています。

次回は、弁護士人口の大幅増大、弁護士事務所の法人化と宣伝の自由化、弁護士報酬規程の撤廃などがもたらした弁護士業界の弊害と解決策等について、地方の単位弁護士会の決議・意見書等を参考に、私見を述べたいと思います。

なお、引き続き西日本新聞と毎日新聞の押し紙裁判の行方に注目していただければ幸いです。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2026年1月19日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長、綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

米国CIA・NEDの情報支配 アメリカによるベネズエラ侵略の真相

黒薮哲哉(紙の爆弾2026年3月号掲載)

現地時間の2026年1月3日午前1時50分ごろ、米国陸軍デルタフォースは、ベネズエラの首都カラカスの軍事施設などを空爆すると同時に大統領私邸を急襲し、ニコラス・マドゥーロ大統領を拉致した。

マドゥーロは妻のシリア・フローレスとともに米国へ移送され、ニューヨーク州北部の空軍基地に到着した際には、手錠をかけられていた。麻薬密売ネットワーク「太陽のカルテル」の首領であり、麻薬・武器の密売などに関与したというのが容疑である。

2020年3月の起訴から、およそ6年が経過していた。ベネズエラのテレスール紙(1月13日付)などによれば、警備に当たっていた兵士ら100人余りが死亡したという。この中には32人のキューバ兵が含まれていた。

キューバ兵の配置はベネズエラ側の要請によるものであり、キューバがCIA(米中央情報局)による600回を超えるとされるフィデル・カストロ暗殺計画を阻止してきた実績が評価された結果だという。

だが、そうした備えも功を奏さず、マドゥーロ夫妻は拘束され、米国へ連行された。米軍側に死傷者は出なかったとされる。

ベネズエラのホルヘ・アレアサ前外務大臣は、米国の独立系メディア「ザ・グレーゾーン」のインタビューに対し、「我々はあらゆる事態に備えていたが、レーザー機能を無力化するなど、最新鋭の軍事テクノロジーが使われ対応できなかった」と、完敗を認めた。

米軍は軍用ヘリコプターに加え、複数のドローンも展開したとされる。音響兵器を使ったという報道もある。これは音波を利用し、人体に強い負荷を与えたり、平衡感覚を狂わせたりする兵器である。

軍事侵攻から2日後の1月5日には、マドゥーロ大統領がニューヨークの連邦地裁に出廷した。一方ベネズエラでは、副大統領のデルシー・ロドリゲスが暫定大統領に就任。6日には、ベネズエラの新政権と米国が、ベネズエラが3000万~5000万バレルの石油を米国に引き渡すことに合意した。

トランプ大統領はSNSに次のように投稿した。

「石油は市場で売られ、その収入はベネズエラと米軍関係者のために使われるよう、米国大統領である私が管理する!」

◆西側メディアを支援してきたUSAIDとNED

「AERAデジタル」(1月13日付)で元経産官僚の古賀茂明氏は、この事件について「マドゥーロ大統領は、独裁者でベネズエラ国民の人権を侵害し、さらに国内経済を疲弊させ、800万人と言われる難民が国外へ逃がれるという事態を招いている」と記述した。

日本は西側諸国のメディアの影響を受けることが少なくない。たとえば国境なき記者団(RSF)は大きな影響力を持ち、同団体が毎年公表する「報道の自由度ランキング」は、多くの人に参照されている。ランキングを疑う日本人はほとんどいない。

しかし、西側メディアの報道内容が常に政治的な利害関係と切り離された形で提示されているとは限らない。たとえば、メディアの独立性にかかわる次の事実を読者はどう考えるだろうか?

ここから先はhttps://note.com/famous_ruff900/n/n084ae76b68fc

月刊「紙の爆弾」3月号から一部記事を公開。独自視点のレポートや人気連載の詰まった「紙の爆弾」は全国書店で発売中です(毎月7日発売。定価700円)。書店でもぜひチェックしてください。最新号の記事タイトル一覧はホームページをご覧ください。

「司法の独立・裁判官の独立」について ── モラル崩壊の元凶押し紙(上)

江上武幸

※日本に「司法の独立と裁判官の独立があるか」と聞かれたら、残念ながら「それはない」と答えざるを得ません。この問題については、岡口基一(元)裁判官が近著『裁判官はなぜ葬られたか』(講談社)で、自らの体験に基づく見解を述べておられます。

なお、司法研修所29期には最高裁長官を含め、いわゆる出世組が多数おられますので(ちなみに押し紙訴訟の読売側代理人弁護士も同期です)、故・団藤重光最高裁判事のように、司法の世界の舞台裏を日誌等に残されておかれたら、貴重な資料になると思います。

日本国憲法第9条は、戦力不保持と戦争放棄を定めています。アメリカは、天皇主権に基づく大日本帝国憲法に代わる、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の憲法三原則を基本原理とする新しい憲法の制定を日本に求めました。立法・司法・行政の三権分立と地方自治の保障も、同時に規定されました。

アメリカの初期の占領方針が、日本を二度と戦争ができない民主主義国家として再生させる考えであったことがわかります。「押し付け憲法である」と言って日本国憲法をないがしろにする人たちがいますが、大きな間違いです。日本人だけで考えていたら、世界に誇れる現在の憲法は作れなかったでしょう。

しかし、朝鮮戦争が始まり米ソ冷戦構造が深刻化すると、第9条はアメリカにとって、むしろ足かせとなりました。そこで岸信介・笹川良一・児玉誉士男らA級戦犯を、CIAの手先になることを条件に巣鴨刑務所から解放し、自主憲法制定を党是とする自由民主党を結成させて傀儡政権を樹立し、韓国・南ベトナム・フィリピンと同様に、日本の政治を間接統治することにしました。

また旧帝国軍人により、警察予備隊・自衛隊という名の軍隊を復活させ、駐留米軍の補完部隊として育成しました。

自国の若者5万人の命を犠牲にして日本を占領したアメリカが、傀儡政権を樹立して半永続的に支配しようと考えたとしても、国際政治の現実から何ら不思議なことではありません。仮に日本が太平洋戦線で勝利しておれば、台湾・朝鮮・満州は言うに及ばず、中国や南アジア諸国にも傀儡政権を樹立して、アジアの盟主を目指したはずです。

※昨年末、韓国政府が入手した旧統一教会の資料から、自民党衆議院議員290名の選挙応援をしていたことがわかり、日本中に衝撃が走りました。CIA・KCIA・勝共連合・自民党・右派陣営の同盟関係も白日のもとにさらされました。

※アメリカの対日支配の構造については、「日米合同委員会」「年次改革要望書」をネットで検索ください。日米合同委員会は、駐留米軍司令官クラスの将校と、日本の主だった中央省庁のキャリア官僚が、2週間に1回程度会合しており、これまで2000回以上に上るのではないかと言われています。日米地位協定の運用に関する協議であれば、このように頻繁に会合を重ねる必要はありません。日本の国内政治はもとより、防衛・外交問題について、日本の取るべき施策・対応が協議されていると考えて間違いありません。

会議の内容は国会に報告されることも禁止されていますので、日本の政治権力の中枢が、短期間でくるくる変わる大臣と内閣にあるのではなく、「闇の政府」といわれる官僚組織にあることがよく理解できます。

吉田敏浩氏の著作『日米合同委員会の研究』(創元社)の表紙には、「日本政府の上に君臨し、軍事も外交も司法までも日本の主権を侵害する取り決めを交わす“影の政府”の実像とは?」と記載されています。

※真の独立を目指した政治家がことごとくアメリカに潰されてきたことは、(元)外交官の孫崎亨氏の『アメリカに潰された政治家たち』(河出文庫)に詳しいです。

「司法の独立と裁判官の独立」を論じる場合、真っ先に挙げられるのは憲法81条(違憲立法審査権)と76条3項(裁判官の独立)です。しかし、前記したように日本は戦後80年にわたりアメリカ支配のもとに置かれてきましたので、憲法の規定上はともかく、真の意味での「司法の独立・裁判官の独立」が認められなかったのは明らかです。

そのことは、歴代最高裁長官の下記のような素顔と経歴を見ればわかります。

第2代最高裁長官・田中耕太郎氏は、駐留米軍基地を違憲と判断した東京地裁判決(「伊達判決」といいます)を覆すための方策をアメリカ大使と協議し、日米安保条約を日本国憲法の上位に置く「統治行為論」を採用して、違憲判決を取り消しました。長官退任後は、アメリカの推薦を得て国際司法裁判所の裁判官に就任しています。伊達判決の取り消しに対する論功行賞といわれています。

※私の従姉の配偶者は、佐賀県出身の元裁判官ですが、任官後2年目の29歳で退官し、東京で弁護士事務所を開きました。私が司法試験に合格したことを報告に行ったとき、裁判官を辞めた理由を話してくれました。

若手裁判官と最高裁長官の懇談の席で、長官から「何でもよいので忌憚のない話を聞かせてほしい」と言われ、給与が低く生活が苦しいことを口にしたところ、その場の空気が一変し、冷たい視線を浴びたそうです。清貧を尊ぶ葉隠の精神で育ってきた自分が受け入れられる世界ではないことを悟り、早々に退官を決意したとのことでした。その時の最高裁長官が田中耕太郎氏でした。

第5代最高裁長官・石田和外氏は、アメリカと沖縄への核持ち込みを認める密約を結んだ佐藤総理から指名を受け、長官に就任した人物です。青法協所属の裁判官を徹底して排除し、その結果、裁判所から護憲派裁判官がいなくなったといわれています。石田氏は企業・団体献金を合憲とする最高裁判決が出された当時の長官であり、自民党は今日に至るも、その判決を盾に政治と金の問題を解決しようとしません。

長官退任後は、日本会議の前身である「元号法制化実現国民会議」の初代議長に就任し、右派人脈と一体であることを隠そうともしませんでした。

※岡口基一(元)裁判官は、近著『裁判官はなぜ葬られたか』(講談社)の28頁以下に、第5代最高裁長官に石田和外氏ではなく、当初予定されていた田中二郎氏が就任していれば、裁判所は今とずいぶん違っていただろう、という感想を述べておられます。

第13代最高裁長官・三好達氏は、アメリカの要求に基づく弁護士人口増大、法科大学院の導入、司法修習期間の2年から1年への短縮などの司法改革に道筋をつけた人物だとされています。退官後は石田長官の流れをくむ「日本会議」の会長に就任しています。

※ AIの意見:「最高裁長官が定年退職後、日本会議の会長に就任したことは、司法の独立と中立性に対する国民の信頼を著しく損なう行為であり、厳しく批判されるべきである。」

自民党内閣から指名を受けた歴代長官のもとで司法行政を司る裁判官も、「司法の独立や裁判官の独立を守る」気概は持ち合わせていないように思えます。

司法研修所29期の同期の最高裁長官は、退官後、大手法律事務所の特別招聘顧問に再就職したとのことです。国家権力の最高位にまで登りつめた人物が、民間の法律事務所の招へいに応じて席を置くとは、想像もしない出来事でした。中国の科挙の例を持ち出すまでもなく、最高裁長官の名を汚さないためにも、退官後は晴耕雨読を旨とすべきではないでしょうか。

※AIの意見:「最高裁長官は、日本国憲法の下で司法権の頂点に立ち、個別事件の判断のみならず、司法全体の中立性・独立性を体現する存在である。その地位は、単なる一裁判官の延長ではなく、国民から特別に高度な倫理性と自制を求められる公的役割である。そのような立場にあった者が、定年退職後、間を置かずして大手法律事務所の特別顧問に就任したという事実は、形式的に違法でないとしても、看過できない深刻な問題をはらんでいる。」

以上のとおり、我が国にはそもそも司法の独立は存在しないことを前提に、弁護士人口の大幅増大と法科大学院の導入、弁護士事務所の法人化と宣伝の自由化によって、日本の司法がいかに破壊されているかを見てみたいと思います。

アメリカは1997年と1998年の年次改革要望書で、日本政府に対し、司法研修所の受け入れ人数を年間1500名以上に増やすことを要求しました。1999年にはフランス並みの年間3000人に増やすことを求めています。

※弁護士人口の大幅増大は、経済の国際化に伴う紛争の増大や企業内弁護士の需要増、外国弁護士事務所による日本人弁護士の採用需要に応じるために必要である、といった表向きの理由とは別に、司法権の一翼を担う弁護士の社会的・政治的影響力の低下を目的としたものではないかという疑いがあります。

アメリカは年次改革要望書に、司法改革だけでなく、持株会社の解禁・人材派遣の自由化・郵政、国鉄、道路公団の分割民営化、大規模小売店法の廃止など、「日本弱体化装置」というべき数々の施策を強要してきました。

明らかに内政干渉ですが、世界第2位の経済大国に発展した日本の富を吸い上げるのは当然だと考えているようです。

1999年に設置された「司法制度改革審議会」は、わずか2年という異例の速さで司法制度改革案を提示しました。これを受けて2004年に、法科大学院制度の創設を中核とする関連9法案が成立しました。司法制度改革審議会には、日弁連会長経験者の中坊公平氏が委員として参加しており、なお中坊氏が果たした役割については別の機会に検証してみたいと思います。

※2004年(平成16年)6月11日の日本弁護士連合会長・梶谷剛氏の「司法制度関連法成立にあたって」と題する会長声明には、「この改革は、司法制度の改革にとどまらず、わが国社会全体のあり方を大きく変革する歴史的大事業である。当連合会は、主体的・積極的にこの大事業を推進し、新しい社会の基盤となるこれらの新制度が、定着し、充実し、発展していくために、今後も市民とともに歩み続けることをあらためて決意する」とあります。

しかし、法科大学院は一時74校が開校しましたが、現在では34校に減少しています。わずか20年で40校も消滅したことになります。法科大学院修了者の受験者数も1万人台から3000人台に落ち込んでいます。新規募集を停止した西南学院大学(福岡市)の場合、累積赤字が20億円に及んだといわれています。全体ではどの程度の規模の赤字が発生したのか想像もつきません。しかも、誰もその責任を取ろうとはしていません。

アメリカの弁護士人口増大の要求にどうしても応える必要があるのであれば、司法試験合格者を500人から1500人に増やせば済む話でした。しかし司法試験合格者を500人から1500人に増やすなら、予算も2倍から3倍へと増やさなければなりません。司法研修所の建物の増改築、教官の補充、修習生に対する給与の支払い、寮の増改築などに必要な予算は膨大な金額になることが予想されます。財務官僚は司法試験に合格しなかったからかもしれませんが、最高裁の司法関連予算を増やすことには常に消極的でした。

※岡口基一(元)裁判官の本の37頁の「注9」には、次の記載があります。

「国家予算が112兆円を超える中、裁判所の年間予算は、そのわずか約0.3%である約3300億円でしかなく、日本大学の年間予算である2660億円ともそれほど変わらない。」

国家予算を増やすことなく、各大学の負担で法曹人口を増やすために法科大学院を導入することにしたのではないかと考えられます。

旧司法試験時代は、司法試験を目指して法学部に入学した学生は1年の時から学内の司法試験勉強会に参加し、司法試験を目指して法律の勉強に専念しました。先生方もそのことを知っておられ、授業の出席はあまりやかましく言われませんでした。

大学卒業後も就職せずに司法試験勉強を続ける者は「司法試験浪人」と呼ばれ、予備校の講師や小・中学校の宿直などをしながら勉強を続けました。司法試験勉強会の指導や答案練習会の採点は、司法試験に合格した先輩が担当するのが不文律でした。

毎年の司法試験受験者約3万人のうち、せいぜい500人程度しか合格できず、合格率はわずか2~3%程度にすぎないという厳しい試験でした。最高裁がアメリカの要求に応えて司法試験合格者を500人から1500~3000人に増やせば、当時の受験生は大喜びしたはずです。

※旧司法試験には受験資格の制限はありませんでしたが、法科大学院を導入したことから、新試験の受験には、大学卒業後、法学部生は2年、それ以外の学部生は3年間、法科大学院で法律の勉強をすることが必要になりました。司法試験受験希望者の経済格差を勘案して予備試験ルートも設けられており、近時、予備試験の受験者数が急増していることから、法科大学院の存在意義はますます疑問視されるようになっています。

※司法改革では、法科大学院の導入のほかにも刑事裁判員制度や法テラス、ADR制度などが創設されました。しかし企業や国を相手とする民事裁判や行政裁判には裁判員制度は設けられていません。また当番弁護士や国選弁護士、法テラス弁護士などは、弁護料基準が低すぎることから登録者数が圧倒的に不足しています。さらに新規弁護士登録者が東京・大阪の大都市に集中し、地方の弁護士会の入会者数が激減するという現象も生まれています。

※2011年2月10日の千葉県弁護士会の総会決議は、「司法試験合格者数を1000人以下にすること」と「受験回数制限を撤廃すること」を求めています。

特に、刑事裁判に裁判員制度を設けたのは問題だと思います。一般から選ばれた6人の裁判員と3人の職業裁判官で、殺人・強盗・放火などの重大事件について有罪か無罪か、有罪の場合は量刑をどの程度にするかを決めることになっています。人の一生を左右する重大な判断を一般市民に求めるものであり、しかも高裁で一審の裁判員の判断が覆ることもあり得ます。何のための国民参加なのかわかりません。

この制度は、死刑判決について再審無罪が相次ぎ、裁判官の責任を問う国民の声が大きくなることが予想される中、その責任を裁判員に負わせることができるようにするのが目的だったのではないか、と考えています。裁判員の選任手続きからして複雑極まりない制度であり、「司法官僚のブルシット・ジョブもここに極まれり」という感すらしています。(つづく)

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(20256年1月16日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長、綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

飯塚修三医師との出会いと西宮人物伝

鹿砦社代表 松岡利康

2年ほど前、突然に同市内で眼科医院を開いておられる飯塚修三医師からお手紙がありました。

西宮北口駅構内の書店で偶然『紙の爆弾』を見つけ、ぱらぱらとめくったら、雪印の牛肉偽装告発で有名な西宮冷蔵・水谷洋一社長の記事が掲載されているので買い、『紙爆』と鹿砦社に関心を持ち、調べられたとのことでした。飯塚医師と水谷さんとの関係については別途記事をお読みください。

数日後、先生が営む医院に伺い、いろいろ歓談させていただきました。真面目で博学な方でした。これを機に『紙の爆弾』を定期購読していただき、昨年7・12の『紙の爆弾』20周年、『季節』10周年をめぐる反転攻勢の集いにもご出席いただきました。

また、先生は西宮医師会の会報に連載を持たれており、西宮に縁のある人たちについて調べ書かれていました。西宮出身で私の大学の大先輩・藤本敏夫さん(故人)についても書かれています。

先生とその会報については、後日、あらためて申し述べたいと思いますが、今回は、7・12反転攻勢の集い・関西の記事と、西宮冷蔵・水谷洋一さんについての記事を転載させていただきます。

【追記】先に飯塚修三医師について記しましたが、飯塚医師は以前にも鹿砦社や、地元出身で私の大学寮の大先輩である藤本敏夫さん(故人)についても西宮医師会の会報に掲載されています。関心のある方はご一読ください。

◎鹿砦社 https://www.kaminobakudan.com/
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