2017年冤罪予測──飯塚事件、和歌山カレー事件、広島元アナ事件の新争点

2017年も冤罪関係の新たな動きが色々ありそうだ。とはいえ、あまり先のことを予測しても、予測が当たったか否かの正解が出るまでに、読者は私がどんな予測をしていたのかを忘れていること必至だろう。そこで年度内、つまり3月末までに当たりはずれの結果が出そうな冤罪関係の新たな展開を予測する。

会見で血液型鑑定に関する審理の状況と見通しを説明する徳田弁護士(中央)ら飯塚事件再審弁護団(2016年11月18日)

◆新争点「血液型鑑定」で重大な動きがある飯塚事件

1992年2月に福岡県飯塚市で小1の女の子2人が殺害された「飯塚事件」では、一貫して無実を訴えていた久間三千年氏(享年70)が2008年に死刑執行されたが、有罪の決め手とされた警察庁科警研のDNA型鑑定は当時まだ技術的に稚拙で、鑑定結果が誤っていた疑いがあることは有名だ。そのため、無実を信じる久間氏の遺族が2009年に再審請求して以来、史上初の死刑執行後の再審無罪がなるかと注目されてきた。

この飯塚事件は現在、福岡高裁で再審請求即時抗告審が行われているが、DNA鑑定に加え、血液型鑑定も誤っていた疑い浮上したことは昨年6月22日付けの当欄でお伝えした通りだ。血液型鑑定を行ったのも警察庁科警研だったのだが、弁護団によると、科警研は鑑定の際、ABO式の血液型判定に必要な「オモテ試験(赤血球を調べる検査)」と「ウラ試験(血清を調べる検査)」という2つの試験のうち、ウラ試験を行っていなかった。昨年11月、科警研の鑑定担当者に対する証人尋問が行われたが、「鑑定資料の量が少なく、ウラ試験はできなかった」と述べたという。

弁護団長の徳田靖之弁護士はこう批判した。

「実際にウラ試験を行ってみた結果、鑑定資料が少なくて、ウラ試験ができなかったというなら話はわかります。しかし実際にウラ試験を行うことなく、最初からウラ試験ができないものだと決めてかかるのはおかしいです」

そんな問題があったため、弁護団は福岡高裁に対し、科警研の鑑定が科学的に妥当かどうかを専門家に再鑑定させることを請求。これに対する福岡高裁の判断は2月に示される見通しだ。科警研の血液型鑑定では、遺体遺棄現場で見つかった犯人の血痕は久間さんと同じB型だと判定されているが、弁護団は筑波大学の本田克也教授の見解に基づき、「AB型」か「AB型もしくはB型」と判定すべきだと主張している。仮に福岡高裁が犯人の血痕はAB型だと認定したら、それだけで再審の開始が確定的になる。

林氏は鑑定人に損害賠償を請求する考えがあることを明かすカレー事件弁護団の安田好弘弁護士(2016年7月21日)

◆鑑定人に損害賠償請求訴訟が行われる見通しの和歌山カレー事件

98年7月、和歌山市園部の夏祭りでカレーに何者かが猛毒の亜ヒ酸を混入し、60人以上が死傷した和歌山カレー事件では、現場近くに住む主婦の林眞須美氏(55)が殺人罪などに問われ、一貫して無実を訴えながら2009年に死刑が確定した。裁判で有罪の決め手となったのは、東京理科大学の中井泉教授が兵庫県の大手放射光施設スプリング8の放射光を使った分析により、「林氏の周辺で見つかった亜ヒ酸」と「カレーに混入された亜ヒ酸」が「同一の物」だと結論した鑑定結果だった。

ところが、林氏が和歌山地裁に再審請求後、弁護団の相談をうけた京都大学の河合潤教授が中井教授の鑑定データを解析したところ、「林氏の周辺で見つかった亜ヒ酸」と「カレーに混入された亜ヒ酸」は軽元素の組成が異なっていたことなど中井鑑定に様々な疑義が浮上。それをきっかけに、この事件の冤罪を疑う声は急激に増えていった。

さらに昨年、「もう1つのヒ素の鑑定」についても疑惑が浮上した。というのも、この事件では捜査段階に、「ヒ素の生体影響」の研究を行っている北里大学医療衛生学部の山内博教授(当時は聖マリアンナ医科大学助教授)が林氏の毛髪を鑑定し、「無機の3価ヒ素が検出された」と結論。最高裁はこの鑑定結果をもとに、〈被告人はヒ素を取り扱っていたと推認できる〉と認定し、有罪の根拠として挙げていた。

しかし河合教授が検証を進めたところ、山内教授が鑑定に用いた装置は70年代の老朽化した装置だったうえ、山内教授が91年以降、この装置を用いて実験を行ったことを示す論文が一切見当たらなかったという。また、裁判での証言と論文の記述に矛盾する点もあったという。

こうした状況の中、弁護団によると、和歌山地裁は年度内に再審可否の決定を出す見通し。さらに弁護団は林氏が原告になり、「虚偽の鑑定」を行った中井教授と山内教授を相手に損害賠償請求訴訟を起こす考えもあると表明している。こちらもそんなに先の話ではないと予想され、提訴がなされたら大きな注目を集めそうだ。

広島市の繁華街で支援者らと共に無実を訴える煙石氏(2016年12月11日)

◆当欄が伝え続けた広島の元アナ冤罪事件は劇的な逆転無罪か?

今年は最高裁で2年ぶりとなる逆転無罪判決が出ることが期待されている事件がある。当欄で2013年から注目の冤罪事件として経過をレポートしてきた広島市の元アナウンサー、煙石博氏(70)の「窃盗」事件だ。

煙石氏は2012年、自宅近くの銀行店内で他の客が記帳台の上に置き忘れた封筒から現金6万6600円を盗んだ容疑で検挙された。そして1審・広島地裁で懲役1年・執行猶予3年の有罪判決、2審・広島高裁で控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中である。

しかし裁判では、弁護側が依頼した鑑定会社による防犯カメラ映像の解析により、煙石氏が記帳台上の封筒からお金を盗む場面が映っていなかったと判明。そもそも、被害者とされる女性が記帳台の上に置き忘れていた封筒には、お金が入っていたのか否かという疑問も浮上しており、1、2審共に有罪とされたのがそもそも極めて不当なことだった。

そんな事件が最高裁での逆転無罪を期待されているのは、最高裁が検察官と弁護人双方に弁論させる公判を今年2月17日に開くからだ。というのも、最高裁は通常、公判を開かずに書面だけで審理を行うが、「控訴審までの結果が死刑の事件」と「控訴審までの結果を覆す事件」では検察官、弁護人の双方に弁論させる公判を開くのが慣例だからだ。煙石氏のケースは後者に該当するとみられているわけだ。

2月に弁論が開かれるということは、最高裁は年度内に無罪判決を出す公算が高い。期待すると裏切るのが日本の裁判所なので、信頼し過ぎるのはよくないが、私はこの事件の未来については楽観している。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』
『NO NUKES voice』第10号[特集]基地・原発・震災・闘いの現場

俺の名は。

初詣の人波に溢れる、四谷の神社であの人とすれちがった。わたしは下り、あの人は参道から階段に歩を進めてきた。わかった。なぜだかわかった。あの人がやってくる。思い出せない。なんで? あの人なのに。あの人の名前は……。

眼光鋭い狼三頭が低い咆哮をあげている。雪化粧こそないが凍てついた赤い大地が牙をむく大陸の上で。ずっとずっとさがしていた彼らはサソリのような生命力でようやくわたしの前に現れてくれた。人間だった彼らが狼に変容したって、わたしにはなんの不思議もない。彼らは彼らとして生き抜くなかで、狼に転化しただけのことだ。ひっきりなしにほほに吹き付ける寒風の中で、わたしは赤い大地に立つ狼たちとの距離を詰める。隆々とした筋肉を剛毛の下にたくわえた狼たちの息づかいが聞こえてきた。

語っているのだろうか、成就を。あるいは一時の休息か。彼らは40年も前のわたしたちへの約束を果たし終えた。年末、小伝馬町の職場で同僚が迷惑そうにニュース画面を見ながら交わす雑談を聞き、わたしは体の震えを止めることはできなかった。生きていたのか? 自由でいたのか? あの約束を40年も追いかけていたのか? そして成就したのか?

わたしはなにを差し置いても自分が会いに行かねばならない「義務」を直感した。その日の定時前、課長へ休暇願のメールを送った。理由は「海外旅行に出かけるため」とした。課長からは「普段年休もとらないあなたが急に珍しいですね。仕事の心配は要りませんからどうぞ良い旅を」と返信をもらった。

妻には「古い友達が急に亡くなった」とだけ告げた。「何言ってるのよ、お父さん! お正月どうするのよ! 誰なの古い友達って? 子供たちはどうするのよ! お年玉は?」帰宅して早速旅支度をはじめると妻はまくしたてた。

「おまえに任すよ、ぜんぶ」と言いながら妻を抱きしめた。「なによ! どうしたの…… 変よ……」背中に回した手の力を強める。いい家庭だった。手の力を緩め、銀行でおろした1000万円と生命保険証書を入れた虎屋の羊羹箱がはいった紙袋を目で示した。「お年玉とお義母さんへの羊羹だ。これで勘弁してくれ。3日には戻るよ」あとは聞かずに家を出た。

大陸だ。赤い牙をむく大陸だ。だがどこなんだ。手がかりは彼らの遠い仲間から何年か前に「中国で彼らを見た」噂があると耳にしたことだけだった。そこから先どうやってここへたどり着いたのかは夢を見ているようでさだかではない。でも嘘じゃない。嘘だというなら目の前にいる三頭の狼の息づかいがまぼろしだ、と否定してもらわなければならない。

白い吐息と獣の匂いすら感じる距離に身を寄せた。「いいか、計画だ。計画の緻密さがなければ絶対に失敗する。ここ数年奴の行動パターンを全て調べたらこれしかない」、「人生は5年後ごとに計画をたてろ。人間の生きる意味はその中で徐々に解ってくる。目標のない人生は無意味だ」、「お前な、向いているんだよ。性格が。好きとか嫌いとか、分からなくていい。俺が保証する。お前には最適な仕事なんだよ」

三人がわたしに投げかけた言葉が蘇る。わたしは堪えきれなくなった。「おい、やったのか? やれたのか? 本当か?」。低い咆哮がさらにオクターブを下げてわたしに視線を合わせた。こいつはM.Mだ。間違いない。「人生は5年後ごとに計画をたてろ。人間の生きる意味はその中で徐々に解ってくる。目標のない人生は無意味だ」とわたしたちを諭したM.M。「やったさ。やり遂げたよ。見ろ俺たちを。狼になったろう。綺麗ごとばかりじゃなかったさ。地べたをはいつくばって恥ずかしいまねだって厭わなかったよ。でもやったんだ。俺たちはな」

「お前の方が辛かったんじゃないのか」。こいつの繊細さも昔と変わらない。M.Dだ。「体を悪くしたと聞いたが」、「なに言ってるんだ。俺はこの通りだ。本当の狼になったんだよ。まんざら悪くもない」。その声を聞き終える前に喉に強い痛みが走った。わかっている。T.Tがわたしに牙を立てたのだ。低い振動を伴う咆哮はT.Tだ。「なぜ、今頃ここに来た。お前がここに来れば俺がお前を許しちゃおかないことはわかっていたはずだ」。わかっていたさ。わかっていたって人間には行かなきゃいけない時がある。暮れの小伝馬町で彼らの「勝利」を耳にした時、私はT.Tに会いに行くと即座に決めた。こうなることもわかっていた。

「ありがとうよ。死ななくてよかった。本当によかった」 声帯を噛み切られたので言葉は出ない。かまわない。食いちぎれ。闘い続けたT.Tよわたしを噛み切るんだ! 消えゆく意識の中で背中が大地を感じた。M.Dが胴体の剛毛を総毛立たせながら天に向かい大団円の咆哮を叫んでいる。赤い地表が揺れる。M.Dの怒号が赤い地表を激震させる。

あの人がわたしと交差してそのまま彼方に向かう前、わたしは逆を向き階段を駆け上る。あの人の背中に手をのばした。振り向いたあの人は何のことだか、意味も解らずきょとんとしている。思い出せない? ダイヤモンドの後悔と逡巡、あの人がいつも口にした「希望」、「未来」。一緒に肩を落とした荒川の土手。三頭の狼と化身したあなたと仲間たち。40年を生き抜いて栄達した狼から、また人間にもどったあなた。

「どなたですか?」
「わたしですか? わたしは……」
「俺の名は『田所敏夫』ですが」

正月4日だというのに京都市美術館は人で溢れている。「最近のお父さんどうかしてるよ。急に居なくなったと思ったら翌日帰って来て『正月は京都旅行だ!』なんて」、まんざらでもなさそうに妻が子供たちに同意をもとめる。

後ろから押され、子供の手を引きながら、ひときわ人だかりの多い絵の前にやって来た。「文部科学大臣賞受賞」の肩書に歩みが止まるのだろう。ここは赤い大地ではない。人混みの熱で汗をかきそうだ。

「おい、ガラでもないぜ」最高位を獲得した三頭の狼が少しはにかんでわたしに微笑んだ。「いいんだよ。やったんだ。やってくれたんだ」 こころでだけ語りかけようとしたら、不覚にも落涙していた。「俺たちはやったぜ。次はお前だぜ。わかってるだろうな」饒舌な狼は交信を止めない。「わかっているさ。わかっている・・・」、「お前の『絶望癖』も何とかなるか」、どこまでも細かいM.D。

俺の名は「田所敏夫」。今年は俺がお前らの後塵を追って「希望」を作るさ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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7日発売!タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年2月号!

2016年に花言葉は添えない──せめて自分自身を失わないように

鹿砦社特別取材班『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(7月14日刊)

「年々時間の進むスピードが上がって行く」。年を重ねた人は異口同音にそういう。つい数カ月前に大晦日の原稿を書いたような気分でいる私などはその典型といえよう(それは昨年大晦日の原稿だった)。

果てしなく続く6年間と思われた小学校児童時代の時間経過は確かにゆっくりしていた。学校からの下校道は2キロもなかったろうが、道端に咲く雑草を眺めたり、捨てられた空き缶を手に取ったり、ガキ大将と鉢合わせしないように気を遣ったり、子供ながらにあれこれ思いを巡らす道のりだった。家に帰れば遊びに出かける。草野球をしたり、友人宅にお邪魔したり、夕食前に家に帰るまでのせいぜい数時間。あの楽しい時間の繰り返しすら、その連続が永久に続くのではないかと感じられた記憶がある。

◆大欺瞞の目白押し──オバマ広島訪問と安倍真珠湾訪問

ひるがえって、今年である。実に大きな事件や災害が多発した。記憶されるべき大災害や、歴史に正しく残すべき大欺瞞も目白押しだった。ところがどうだろう。報道は事件・事故の賞味期限を従来の半分以下に切り下げているし、重大な悪意についての発掘は、タブー化し、伝えられる分量は最小限に留められ、しかもその真相は歪められる。象徴的な例を挙げればバラク・オバマ米国大統領の広島訪問と、昨日安倍の真珠湾訪問だ。

『NO NUKES voice 』vol.8【特集】分断される福島──権利のための闘争(5月25日刊)

私はバラク・オバマが全く謝罪を行わずに広島を訪問したことは、もっと批判の的になるべきだと考えていたが、大方の報道はそうではなかった。大統領任期残りもわずかになり、どうやら後釜はヒラリー・クリントンで落ち着きそうだ。就任時に「ノーベル平和賞」を受賞している身としては、なにか一つくらい「歴史に名を残す」芝居を打っておきたかったのだろう。そういう見え透いたスタンドプレーがトランプ当選というしっぺ返しになって、米国の民主党陣営に殴打をくらわしたのだ。バラク・オバマは歴史に対する向き合い方が浅すぎたのだ。

後年の歴史教科書には平たい記述で「米国オバマ大統領広島訪問」が残るかもしれない。しかしそれには何の意味もない。安倍首相の真珠湾訪問と同様だ。「和解」だ「寛容」だと中和がいくらでも可能な言葉を連発しても「宣戦布告無き真珠湾攻撃」への反省の言葉は一つもない。もっとも米国ははなから日本を見下しているし、安倍の飼い犬ぶりにはご満悦であろうから、安倍が何を語ろうとも、真珠湾訪問は米国では「歴史」にすら取り上げられはしない。

◆「歴史的愚行」が注視の対象とすらならない

本籍地のある温泉にプーチン、ロシア大統領を招いた、あの会談は何だったのか。それ以前に約束した1兆2000億円の経済協力にもかかわらず、予想通り北方領土返還については、まったく進展がなかった。あるはずがないであろうことはこのコラムで事前に指摘したとおりだ。安倍政権の無能・無益外交こそは徹底的に掘り下げて検証・報道されるべきだが、この「歴史的愚行」は不思議なことに注視の対象とはならない。

 
『NO NUKES voice』vol.9【特集】いのちの闘い──再稼働・裁判・被曝の最前線(8月29日刊)

◆熊本、鳥取、福島、茨城──おさまる気配はない大地の激震

熊本では史上最多の余震数を記録する大地震が発生した。都市部でもまだ手付かずで行政による「危険立ち入り禁止」のシールが貼られた家屋が目立つ。少し郊外に出れば地面の形が変形してしまって、どうやって再建するのか、できるのか気がかりな地域が広がる。鳥取でも大地震があった。そして福島では津波注意報が出されるほど大きな地震が、昨日は茨城県北部で震度6弱。阿蘇山は大噴火するし、地震のあと熊本は大雨による水害にも襲われた。大地の激震がおさまる気配はない。

◆モハメッド・アリも逝った

突如博多駅前には大穴が空き、ハローウィンには渋谷に、ゾンビや骸骨の仮装をした若者があふれんばかりに集まった。坂本九の「上を向いて歩こう」で世界的ヒットを飛ばした永六輔。ジャズ、麻雀、競馬、スポーツ、おおよそ遊びのことなら何でも知っていた大橋巨泉が鬼籍にはいった。

本名カシアス・クレー、モハメッド・アリも逝った。兵役を拒否しマルコムXによって覚醒させられ、ブラックパンサーと歩を合わせたアリの衝撃は、1996年のアトランタオリンピック開会式にアリが現れた時点で過去のものになっていたけれども、ご丁寧に2012年のロンドンオリンピックにまで引っ張り出されていた。アリの若かりし頃の「危険度」を知る世界は、アリを徹底的に「体制内化」し終えた姿を何度も世界に発信せずにはいられなかったのだろう。彼には語られるべき「歴史」があった。

鹿砦社特別取材班『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(11月17日刊)

◆散々な年だった。花言葉は添えない

さて、今年も残りがなくなった。SMAPが紅白歌合戦に出るか出ないかを、社会問題のように年末は一般紙までが伝えていた。四半世紀にわたり、人びとの白痴化進行の役割を担ってきたSMAPを私は言葉通り「忌み嫌う」。40代、50代になってもコンサートチケットを入手するためにファンクラブに入り、会場ではキャーキャー大声を上げる方々に、私は容赦のない蔑みの視線を送る。ある女性国会議員が「私たちの世代でSMAPを嫌いな人っていないと思うんですよね」とのたまっていた。バカもたいがいにしろ!と口ごもったが、29日京都新聞はなんと社説(!)で「SMAP解散 理由語らず寂しい終末」を説いている。

転がる、転がる。歴史は転がる。事象の軽重ではなく、虚勢と理由を問わせない「劣化した無思想」の集合体によって。希望なんかどこにもありはしない。目の前にはチョモランマよりも高い絶望の山がそびえたっている。

「2016年も人間の作る悲惨な歴史の中に終わろうとしています」の書き出しで先日尊敬する先輩から便りをいただいた。同感だ。散々な年だった。花言葉は添えない。歴史が乱暴に加速する中で、せめて自分自身を失わないように心しよう。来年はきっともっと厳しい年になるだろうから。

本年もデジタル鹿砦社通信をご愛読頂きまして、誠にありがとうございました。皆様にご多幸あらんことをお祈りいたします。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice』vol.10【特集】基地・原発・震災・闘いの現場──沖縄、福島、熊本、泊、釜ヶ崎(12月15日刊)

2016年のキックボクシング界──10大ニュースで振り返る

止まることなく突き進む那須川天心18歳

  
今年のキックボクシング界も一年を振り返ると大きなことから小さなことまで、いろいろありました。
大きな出来事では、
《1》T-98(タクヤ/今村卓也)と梅野源治がムエタイ殿堂ラジャダムナンスタジアム王座を奪取
《2》ムエタイチャンピオンを倒すまで止まることなく突き進む18歳・那須川天心の躍進
《3》「NO KICK NO LIFE」から「KNOCK OUT」へ、小野寺力のイベント発進
これら3つのニュースは他の出来事が霞んでしまうほど業界に大きなインパクトを与えました。さらに、
《4》もう一人のムエタイチャンピオン、初防衛成功の福田海斗
《5》最軽量級ながら15歳で世界に挑んだ高校一年生、吉成名高
《6》激闘を繰り返した蘇我英樹とルンピニー王座に2度挑戦した一戸総太の引退
《7》ムエタイ日本王座認定組織がさらに二つ発進
《8》NKB傘下ではデビューから7連敗して初勝利を挙げた岩田行央の小さな物語
《9》高橋三兄弟は試練を受入れ、前向きに踏ん張る現在
《10》キックボクシング創始者・野口修さん永眠
といった7つの出来事を加えた10大ニュースで2016年のキックボクシング界を振り返ってみましょう。

◆《1》T-98と梅野源治がムエタイ殿堂ラジャダムナンスタジアム王座を奪取!

前年、ムエタイ王座に挑戦したのは7人で全敗、今年はT-98と梅野源治の二人のみでしたが、二人とも奪取成功。T-98は初防衛戦を現地ラジャダムナンスタジアムでKO勝利し、日本人初の現地防衛を果たしました。

第三のムエタイ殿堂王座となるタイ政府公認下にあるタイ国ムエスポーツ協会フライ級王座を2015年12月に奪取した福田海斗(18歳/キングムエ)は、7月にディファ有明で不利な展開を見せつつポイント有利に進め初防衛に成功。実力は充分あることを見せてくれた試合でした。減量苦もあってその後王座返上していますが、タイ現地で活躍を続けています。

獲っただけでは伝説に成り難い重量級の宿命。今後の冒険が期待されるT-98[写真左]。ついに獲ったラジャダムナン王座、同ライト級、藤原敏男を超える快挙に期待したい梅野源治[写真右]
KNOCK OUTプロデューサー小野寺力氏にも注目が集まる2017年

◆《2》那須川天心の躍進──ムエタイチャンピオンを倒すまで止まることなく突き進む18歳

幼少期からジュニアキックで経験を積んだ若年層では、大きく差を付けている感のある存在が那須川天心で、数々の王座を獲っている宮元啓介(橋本)とルンピニー系スーパーフライ級チャンピオンのワンチャローン・PKセンチャイジム(タイ)を大技でKOした試合は驚かされる結果でした。やがて壁にブチ当たると言われつつ、未知数の才能に注目されています。

◆《3》「NO KICK NO LIFE」から「KNOCK OUT」へ、小野寺力のイベント発進

キックボクシング創設“満50周年”を迎えた今年、「NO KICK NO LIFE」から新たな展開に船出したイベント「KNOCK OUT」が12月5日に開催されました。タイトルどおりの好カードを目指したマッチメイクからKO決着が続出する展開。

「KNOCK OUT」の代表、小野寺力氏は老舗・目黒ジム所属で日本フェザー級王座に就いた名チャンピオン。老舗で学んだキックボクシングから本来のノックアウトの醍醐味を魅せる興行を目指していました。ここへの出場を意識し「キックボクシング界は面白くなっていきます」とマイクで発言する選手が多い中、「そうは上手くいかないよ」という声があるのも事実。これがキック50周年を区切りに新しい時代を築けるか、(株)ブシロードという大きな後ろ盾が力強い存在ですが、キックボクシング業界全体がどう動いていくか、2017年の大きな注目でしょう。

◆《4》17歳のムエタイチャンピオン福田海斗と《5》WMC世界王座に15歳で挑んだ吉成名高

タイが主戦場となり、賭けの対象となる実力もある福田海斗(17歳)や石井一成(18歳)もまだ高校生の十代。

15歳でWMCの世界王座に挑んで敗れた吉成名高もまだ背の伸びる身体の成長期。タイが主戦場では選手層が厚く、接戦で勝ったり負けたりでも今後、サバイバルに勝ち上がる期待が持てる現在です。

タイが主戦場で激しいランキング戦を戦う福田海斗。三大から二大殿堂へ、真の最高峰を目指す[写真左]。プロとして若過ぎるほど、あどけない吉成名高は15歳。才能を発揮するのはこれから[写真右]

◆《6》激闘を繰り返した蘇我英樹とルンピニー王座に2度挑戦した一戸総太の引退

激闘を繰り返してきた蘇我英樹が地元の市原臨海体育館で、爆腕・大月晴明を相手に引退試合。前年5月にも激闘の末、判定で敗れている蘇我でしたが、最終試合を華やかに飾る意図は全く無く、激闘のKO負けで締め括る後、引退式を行ないました。

WPMF世界王座で2階級制覇、タイ国ルンピニー王座挑戦は奪取成らずも2度挑戦経験を持つ一戸総太も最終試合を判定勝利後、引退式を行ないリングを去りました。

激闘を繰り返した蘇我英樹も第二の人生を歩み始めた[写真左]。ルンピニー王座には届かなかったが、悔いの無いキック人生だった一戸総太[写真右]
ラジャダムナン王座初挑戦から3年、後が無い中、来年に懸ける江幡ツインズ

◆《7》ムエタイ日本王座認定組織がさらに二つ発進

乱立する国内王座のキックボクシング界に於いて、2009年以降、ムエタイという分野の王座はWBCムエタイと、WPMF傘下の日本王座が誕生し、今年更に二つ誕生したのがWMC日本王座と、前年8月に発表のあったルンピニー・ボクシング・スタジアム・オブ・ジャパン(LBSJ)の日本王座でした。いずれも大きなムエタイ組織の傘下にありますが、さすがにここも増え過ぎではあります。活性化していくことが大事ですが、いずれその差は出てくるでしょう。

今年、ムエタイ王座再挑戦があるかと思われた江幡ツインズは更に経験を積みながら、現地、ラジャダムナンスタジアムでの試合も経験、5月に敗れた江幡塁と重森陽太は日本で雪辱に成功。7月に出場した江幡睦は現地でKO勝利を飾り、昨年3月のラジャダムナン王座挑戦失敗から今年12月までで6連勝中。また逃すことは許されない中、来年こその再挑戦を待つ日々。

たまたま拾われた話題から注目を浴びる岩田行央、続編に期待してます

◆《8》36歳二児の父・岩田行央の挑戦──“7連敗からの初勝利”

ひとつ指摘されなければ気がつかない話題で、元・NKBウェルター級チャンピオン.竹村哲氏が試合パンフレットの「PICKUP NKB」で披露した記事からですが、NKB傘下の日本キック連盟で2009年7月のデビューから7連敗し、今年4月にデビュー戦の藤田洋道(35歳/ケーアクティブ)に1R・KOで初勝利を挙げた岩田行央(36歳/大塚)がいます。

岩田は二人の子供が居る上にデビュー戦後に離婚。シングルファーザーとなってブランクを作りつつも、子供の後押しもあって再起するも更に連敗し、周囲の引退の勧めにも笑って受け流し、とにかく1勝すること心に誓い、ようやく初勝利した瞬間は格別な想いだったでしょう。12月の再戦では1ラウンドに2度ダウンを奪いながら2ラウンド目に逆転されるダウンを奪われるも激しい攻防の末引き分け。初勝利より場内を沸かす熱い試合を展開しました。こんな新鋭3回戦クラスで将来性も無くても、選手ひとりずつ拾えばそれぞれの物語が存在するものですが、“7連敗からの初勝利”が導いた物語となりました。

日本キック連盟内で期待のエース、高橋三兄弟。それぞれ課題もあるが話題もある。倒すことに焦らず、前進あるのみ
32歳でキックボクシングを立ち上げ、第一線級を退いても82歳までキック界を見守った野口修氏

◆《9》高橋三兄弟は試練を受入れ、前向きに踏ん張る現在

同じ日本キック連盟内で期待のエース、高橋三兄弟も長男・一眞は他団体進出では苦戦が続きますが、KO狙いとスター性から「KNOCK OUT発表記者会見」での初戦ビッグマッチに起用された経緯がありました。次男・亮は話題の佐々木雄汰(尚武会)に判定勝利も、他団体興行で敗戦を味わい、三男・聖人はまだ3回戦。行く先の試練はあっても経験値を増やし、焦らず乗り越えて欲しい次期エース格の三兄弟です。

◆《10》キックボクシング創始者・野口修氏永眠

昭和41年に日本でキックボクシングを作り、ブームを興した野口修氏が今年3月に永眠されました。ここ数年は会場に足を運ぶのもやっとの状態で、7~8年ほど前から体調を崩し、手術で入退院を繰り返す事情もありました。2014年8月の新日本キックボクシング協会代表・伊原信一氏主催の「キックボクシング創設50周年パーティー」にはしっかりした足取りで来場していたものの、その後、会場に姿を現すことは極端に少なくなっていました。このように成長した現在のキックボクシング界、または御自身の理想から外れたキック界を見てどう想うか、その聞き難い本音を聞きたいところではありました。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

『NO NUKES voice』第10号[特集]原発・基地・震災・闘いの現場
タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年1月号!

2016年の『NO NUKES voice』──福島も沖縄も蟻のように粘り強く、あきらめず

下地真樹さん(阪南大学経済学部准教授)

◆3・11から5年目の現実と社会運動の行方を探る──『NO NUKES voice』7号

取材日は2015年12月28日、つまり昨年の師走になるが、阪南大学の下地真樹先生には逮捕まで経験された中で、見えてきた独自の運動感や視点を語って頂いた。予想よりもはるかに慎重で注意深い洞察をなさるお話が印象に残っている。

本年1月24日は高浜原発再稼働反対の現地全国集会に参加した。豪雪の予報に反して好天のなかでデモと集会が行われた。やはり寒かったが、参加者の熱が心を暖めてくれた。1月27日には関西電力本店前での抗議行動にも参加した。多彩な参加者の顔があったけれども、ビル街を吹き抜ける風が北陸の風よりも冷酷に思えた。この関連の記事は『NO NUKES voice』第7号で報告した。

田所敏夫「高浜原発再稼働反対行動1・24から1・27全国集会に参加して」(『NO NUKES voice』07号より)
福井県小浜市明通寺の中嶌哲演住職

◆仏教者として反原発を闘う中嶌哲演住職──『NO NUKES voice』8号

福井に向かう山道はまだ所々に残雪があり、路面凍結部分もあった。そう、まだかなり寒い時期に明通寺ご住職の中嶌哲演さんにはお話を伺った。幾度もお顔を拝見してはいたが、初対面であったのに、気が付けば3時間以上もお付き合い頂いていた。中嶌さんのお話は仏教者として原発に長年取り組んできた重みと、人間に対する厳しさと同時に優しい眼差しに溢れていた。

長時間お話頂いたあとに「ちょっとお痩せになったのではありませんか」とうかがうと、「実は先月母が亡くなったもので……」と大変な時期にお邪魔していたことを知ることとになり、調子に乗って長時間お話を伺った自分を恥じた。今後の取材ではお話を伺う方のメッセージを伝えることもさることながら、その方のご体調にも気を配るべきだと反省した。

〈メディアの危機〉の前線で抗い続けるTBS「報道特集」キャスターの金平茂紀さん(『NO NUKES voice』08号より)

◆徹底した現場主義の報道人・金平茂紀さん──『NO NUKES voice』8号

TBS報道の顔、金平茂紀さんに小島編集長とともにお話を伺ったのは3月30日だった。翌日を最後に執行役員から解かれることは知っていたが、そのことについて金平氏はもう諦観しているようだった。

紙面には表れている以上に金平氏の言葉は率直だった。人物批判は容赦ないし、テレビの現状、政治状況についての見解も極めて先鋭だ。よくこれで『報道特集』のキャスターが勤まるなぁ、画面の中で見せるバランス感覚は天性のものだなぁと感心したが、その裏には徹底した現場主義、報道人として身についた(当たり前のことであるが、その当たり前ではない報道人が多い中彼の存在が光る)反射的行動と嗅覚にはインタビュー中も、こちら側がやや緊張させられた。

もっとも冷蔵庫から取り出して振る舞って頂いた500mアルミ缶入りの「さんぴん茶」を飲み干すことが出来ず、あの残りがどうなったのか、ご迷惑をおかけしたことが妙に気にかかっている。

◆「世に倦む日日」田中さんと松岡発行人の《爆弾対談》──『NO NUKES voice』8号

そして、その後大議論を引き起こす、《爆弾対談》田中宏和さん(「世に倦む日日」主宰者)×松岡利康(本誌発行人)3・11以降の反原連・しばき隊・SEALDs。この対談も長時間にわたり、その後鹿砦社が直面することになる「あの問題」への入り口だった(あえてこれ以上深くは触れない)。『NO NUKES voice』第8号編集過程でも貴重な経験をたくさんさせて頂いた。

「世に倦む日日」田中宏和さんと松岡発行人による《爆弾対談》(『NO NUKES voice』08号より)
アイリーン・美緒子・スミスさん(グリーン・アクション代表)

◆根っからの市民活動家、アイリーン・美緒子・スミスさん──『NO NUKES voice』9号

私的にはニアミスが数えきれないほどあったアイリーン・美緒子・スミスさんのお話も刺激的だった。根っからの市民活動家のアイリーンさん。インタビューにお邪魔すると事務所には可愛いお子さんが眠っている。アイリーンさんのお孫さんだった。インタビュー前に雑用を全て済ませて、「はい、お待たせしましたいいですよ」と、向き合ってくださったアイリーンさんは微笑ましい顔をしながら、頭脳の中では「戦闘モード」に切り替わっていた。反応が早い。ポイントを外さない。感情的批判はしない。停滞を嘆かない……。多くの要諦を教わった。

インタビューを終えて写真撮影に映り「私の腕にしては良く撮れました」と写真を示したら「あ!これイイ!結構美人じゃん!」とスイッチはすっかりオフになっていた。素敵な人だった。

◆法曹界の「ミスター反原発」井戸謙一さん──『NO NUKES voice』9号

予想通りと言えば予想通り、恐るべき頭脳と良心を兼ね備えたのが「稼働中の原発運転停止」判決を出した男、法曹界の「ミスター反原発」井戸謙一弁護士だった。井戸弁護士の強さは法的な側面だけでなく、技術的、科学的にも非常に高度な知識を有しておられることだろう。そして原発問題に限らず冷静な「在野精神」の持ち主だと感じた。井戸氏のような裁判官が増えれば、日本司法も少しは信用が増すことだろう(そんなことは金輪際あり得ないだろうけれども)と強く感じた。『NO NUKES voice』第9号での私の関わりは上記2氏だ。

井戸謙一さんインタビュー(『NO NUKES voice』09号より)
不当逮捕で長期勾留されている山城博治さんの一刻も早い釈放を!(『NO NUKES voice』10号より)

◆山城博治さんと大城悟さんに沖縄の声を聞く──『NO NUKES voice』10号

これまでも「福島・沖縄」をテーマに特集を組んだが『NO NUKES voice』第10号では沖縄平和運動センター議長の山城博治さん、事務局長の大城悟さんに名護市の闘争現場でお話を伺った。

また、熊本『琉球の風』でご縁を頂いた元憂歌団の内田勘太郎さんにも松岡社長とともにお話を聞くことが出来た。それぞれの方のお話は現在書店に並んでいる『NO NUKES voice』第10号でご覧頂きたい。これまで他の媒体では紹介されることのなかった、アプローチになっていると自負している。

鹿児島知事選挙では「再稼動反対」を掲げた三反園訓が当選し、反(脱原発)陣営は勝利に沸いたのだけれども、「三反園」は裏切るとの私の予想は不幸にも的中してしまった。しかし選挙で示された「再稼働反対」の民意が揺らいでいるわけではない。三反園よ、恥を知れ、と言っておこう。

他方、新潟では泉田知事不出馬を受けて急遽野党統一候補(民進は自由投票)で出馬した米山隆一氏がよもやの大勝利を収めた。新潟の与党、青年会議所、農協が束になって担いだ森民夫の勝利は動かないかと思われたが、6万票以上の差をつけて米山氏は当選した。彼は三反園のように軽率に裏切ることはないだろう。新潟県民はまだ中越地震の恐怖を忘れてはいない。

経産省前テントが深夜、強制執行で撤去され、小池百合子が都知事に就任すると、一気に「東京オリンピック」がらみのニュースで報道はかき乱されている感があるが、その中ようやく12月20日政府は「もんじゅ」廃炉を決定した。遅きに失したとはいえ、ようやく1兆円以上を費やして、事故しか起こさなかった「危険物」でしかない「もんじゅ」が廃炉に向かって動き出すことが決まった。

長年にわたる反対運動が2016年の年末に勝ち取った福音だ。しかし政府は「新しい施設の研究を始める」と言っているし、福井県知事は「そんなのいやだぁ」と駄々をこねている。こういう幼児並みの連中は早々に現役から退くか、不信任を突きつけたいところだが、私たち小市民には蟻のような力しかない。粘り強く、あきらめず、来年も反(脱)原発の声を取り上げ、わずかづつでも前進をしてゆきたいと切に思う。

「運動なんか無駄だ」と冷めた声にぶつかることも多いが、ベトナムに売りつけるはずの原発の商談が破談になったように、思わぬところで地道な運動は勝利の萌芽を見せ始めてもいる。あきらめず、粘りづよく。来年も『NO NUKES voice』をよろしくお願いいたします。

山城博治さん「差別と犠牲を強要する流れは沖縄だけに限らない」(『NO NUKES voice』10号より)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice』10号【創刊10号記念特集】基地・原発・震災・闘いの現場──沖縄、福島、熊本、泊、釜ヶ崎

2016年の冤罪判決──再審無罪も出た一方で裁判員裁判で新たに2件の冤罪判決

2016年の冤罪関係の最も大きな話題といえば、1995年に大阪市東住吉区であった女児焼死事件の再審で、女児を保険金目的で殺害したという濡れ衣を着せられていた母・青木惠子さん(52)と内縁の夫・朴龍晧さん(50)が無罪判決を宣告されて雪冤を果たしたことだろう。だが、そんな明るい話題があった一方で、私が承知しているだけでも裁判員裁判で新たに2件、冤罪判決が生まれている。2016年の終わりにそのことを改めて報告しておきたい。

宇都宮地裁であった勝又氏の裁判には毎回多くの人が集まったが……

◆自白内容に不自然な点が多かった今市事件

1件目は、2005年に栃木県今市市(現在は日光市)で小1の女の子が殺害された通称「今市事件」で、殺人罪に問われた被告人の勝又拓哉氏(34)に無期懲役判決が宣告された宇都宮地裁の裁判員裁判だ。2~4月にあった公判では、法廷のモニターで取り調べの映像が再生されて話題になったが、裁判員らが勝又氏を有罪と判断した決め手がこの取り調べの映像だった。

「決定的な証拠はなかったが、あの映像を観て、(犯人であることは)間違いないかな、と思った」
「取り調べの映像がなかったら、判決はどうなっていたかわかりません」

これらは裁判員らが判決公判後の会見で述べた言葉である。法廷で再生された取り調べ映像では、勝又氏が取り調べ担当検事の前で泣きながら罪を認め、身振り手振りを交えながら詳細に犯行を自白する場面が映し出された。その模様が裁判員らに対し、強烈な有罪心証を抱かせたのである。

ただ、録音録画された勝又氏の取り調べは計80時間に及んだにも関わらず、法廷で再生されたのは約7時間だけだった。また、殺人事件に関する検察官の取り調べは大半が録音録画されていたものの、警察官の取り調べで録音録画されていたのは、勝又氏が女児の殺害を認めた後のわずかな時間だけだった。そのため、裁判員らが取り調べの一部だけを観て、勝又氏が自白するに至る過程にあった問題を見抜けなかったのではないかと指摘する声は多かった。

私はこの事件の全公判を傍聴したが、問題はそういうことにとどまらない。なぜなら、わざわざ取り調べの全過程を映像で確認するまでもなく、勝又氏の自白内容は大変不自然で、典型的な虚偽自白だったからである。

たとえば、法廷で検察官が朗読した勝又氏の自白調書によると、勝又氏は被害者の服をすべて脱がし、デジタルビデオカメラで自撮りしながらワイセツ行為をしたという話になっていた。しかし、勝又氏は被害者が事件当日、どのような服装をしていたのか、まったく自白できていなかった。被害者の服装はきわめて特徴的であったにも関わらず、だ。

また、勝又氏は被害者のランドセルをハサミで細かく裁断し、ゴミ捨て場に捨てたと自白しながら、ランドセルの形状や中に何が入っていたかもまったく自白できていなかった。このように犯人なら語れるはずの事実について、何ら語れていないのが勝又氏の自白の特徴だった。そのほかにも現場の状況と整合しない供述など、自白には不自然な点が散見された。明白な冤罪だと断言できる。

◆鳥取地裁の裁判員裁判でも人知れず生まれていた冤罪

人知れず裁判員裁判の冤罪が生まれていた鳥取地裁

一方、今市事件のように全国的な注目はされなかったが、6~7月に鳥取地裁であった裁判員裁判でも冤罪が生まれている。被告人は石田美実(よしみ)氏(59)という男性だ。

石田氏は2009年9月、店長として勤務していた米子市のラブホテルの事務所で支配人の男性を襲って現金を奪い、植物状態に陥る傷害を負わせて2015年に死亡させたとして強盗殺人罪に問われたが、一貫して無実を訴えていた。結果、鳥取地裁から懲役18年の判決(求刑は無期懲役)を宣告されたのだが、金目的の犯行だったとは認めれず、殺人罪と窃盗罪が適用されている。しかも、判決では、石田氏が被害者を襲った理由について、何らかのいさかいが生じた可能性を指摘することしかできなかった。要するに事件の真相がよくわかっていないのだ。

実際問題、石田氏は事件があった時、現場のラブホテルに居合わせたものの、事件発生直後の時間帯にホテルの館内で従業員たちと普通に会話をしており、石田氏に怪しい様子があったという証言は一切なかった。また、現場の事務所に通じる客室のドアのノブや事務室にあった金庫から検出された石田氏の指紋が有罪の証拠とされてはいるが、そもそも石田氏は現場のラブホテルで働いていたので、その指紋は働いていた時に付着したものと考えてもおかしくなかった。しかも、石田氏の指紋が検出された客室のドアのノブからは、身元不明の第三者の指紋も検出されているなど、むしろ公判では、別の真犯人が存在する可能性が示されていた。この事件も明らかに無罪を宣告されるべきだった。

勝又氏は東京高裁に、石田被告は広島高裁松枝支部にそれぞれ控訴しており、どちらの事件も2017年中には控訴審の初公判があると思われる。何か事態に動きがあれば、当欄でも適時お伝えしたい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
『NO NUKES voice』第10号[特集]原発・基地・震災・闘いの現場
 
商業出版の限界を超えた問題作!

2016年の鹿砦社 『ヘイトと暴力の連鎖』『反差別と暴力の正体』をめぐる疾風怒濤

 
 

 
 身の丈を考えれば、形にすることが出来るのか、仮にできたとしても、詰め込む火薬の量は不足がないか、不安がなかったわけではないが乗りかかった船だ、後戻りは選択肢にはなかった。

◆反原連からの絶縁状と「しばき隊」社員の解雇

2015年12月2日、一方的に反原連から絶縁状を突き付けられた鹿砦社は、くしくも翌日この界隈「しばき隊」の重鎮である元社員を解雇することになる(後から振り返れば、このタイミングは双方にとって偶然ではあるが象徴的でもあった)。理由は職務時間中に膨大な量の私的ツイッターを行っていたこと、その中には企業恫喝まがいの内容や鹿砦社を毀損する書き込みが多数含まれていたことだ。

言論を主戦場にしている出版社にとって、社員の個人的意見は最大限尊重されるべきではあるが、本務と全く無関係な「趣味」に多大な時間を割くことは、明確な就業規則違反であるので、この処分は致し方なかったが、まさかその数か月後に彼らの「最暗部」を突き付けられることになろうとは思いいたることもなかった。今日では言わずと知れた「M君リンチ事件」だ。

◆「M君リンチ事件」の衝撃

複数筋から持ち込まれた、この事件の情報を前に正直私たちは、背筋が凍る思いがした。しかし、持ち込まれた情報を精査してゆくうちに、事件はただならぬ背景を帯びていることが明らかになった。反原連との腐れ縁を、あちら側から「絶縁」してもらい、他の方はどうか知らないが、私は結果的に僥倖だったと感じていたが、それどころではない大事件に直面することになった。

今だから明かすが、当初は鹿砦社のような小規模出版社ではなく、中央のマスメディアで取り上げられるべき「事件」であろうと考えていた。なにせ被害者は「死んでもおかしくない」(医師の見解)暴力を受けており、事件発生直後に110番通報をしていれば、加害者たちは確実に現行犯逮捕されたに違いない。被害者M君の話を聞き、周辺関係者に取材を進める中で「これは鹿砦社が引き受けざるを得ない」覚悟が次第に固まってきた。取材に取り組むライターや資料を整理する人員も数人ではこなせないので、鹿砦社としては異例規模の「特別取材班」が立ち上がり、私自身も加わった。

当初はネット上での攻防も盛んであったが、「特別取材班」はあえて、ネットを戦場から除外した。その主たる理由は対抗する「しばき隊」が、事実がまったくない事柄でもでっち上げ、それを多数で盛り上げることにより、あたかも実在する(した)かのように作り上げる手法を得手としていることを早期に発見したからだ。

私たちは、一義的に文字媒体での発信を重視することに力点を置いた。しかしながら深夜に、本来漏洩するはずのない情報や、証拠などがネット上を駆け巡ることがたびたび発生した。情報を見つけた「特別取材班」のメンバーは共有のために、全取材班に速やかに連絡を行い、対策を協議する。眠れぬ夜を数多く過ごしたのが春から初夏にかけてであった。

◆7月14日『ヘイトと暴力の連鎖』発刊

7月14日『ヘイトと暴力の連鎖』を発刊。今読み返せば至らぬ点も見当たるが、初めて「M君リンチ事件」の情報に接して3か月余りで『ヘイトと暴力の連鎖』を世に出せたことについては、それなりの評価を得ることができ、初版は完売。重版するまでに注目が集まった。これほどたくさんの方々に読んでいただけた理由の一つには、同書の衝撃的な内容もさることながら、これまでまともに「しばき隊」現象に踏み込んだ書籍がほぼ皆無であったことも挙げられるだろう。

「反原連」、「しばき隊」、「SEALDs」、「C.R.A.C」などが類似した行動形態を持っていることは、なんとなく感じられていたが、それらを牛耳る中心人物が実は同一の集団であり、国会議員、大学教員、知識人、弁護士などを巻き込みながら、隠れ蓑を被った一大勢力にまで膨張していることを知り、取材班の中には恐怖感を訴える者も出た。しかし、繰り返しになるが「乗りかかった船」をおりるわけにはいかない。「M君リンチ事件」だけでも十分に大事件だが、彼らの行動様式を知れば知るほど、そのファナティックさ、唯我独尊さが危険極まりないものであることが認識された。

◆警察と結託する「下からのFascism」実践者たち

当初は目前に現れた、被害者M君の事件実態を明らかにし、その問題点を炙り出すことに焦点を置いていた特別取材班は、取材を進める中で、その取材方針は間違いではないもの、さらに広い視野でこの現象をとらえる必要性を感じはじめた。

 
 

彼らは「反差別」、「反安保法制」、「難民歓迎」、「反原発」、「マイノリティー擁護」、「沖縄基地反対」と一見耳障りの良い主張を展開してはいるけれども、その現場では警察と結託し、彼らと主張の異なる人々を「こいつら逮捕してくださいよ!」と機動隊に懇願する本質を有していた。これは少なくとも「市民運動」では絶対に許されない、過去の歴史にも恐らくない破廉恥な行為だ。そして実際に逮捕者が出ると彼らは拍手をして「お巡りさんありがとう!」と声を挙げる。

なんだこいつら!! どこが「Anti-Fascism」なんだ。逆だろう。彼らこそ誰に命令されることもなく、抗議行動参加者を「意見が違う」というだけで警察に差し出す「下からのFascism」実践者ではないか。「民間Fascism」と言い換えてもいいだろう。そうであるから彼らの行動は《Fascism》が必ず包含する「排除主義」、「排外主義」に陥っていくことは必然であり、その犠牲者としてM君は苛烈なリンチ被害を受けることになったのだ。

◆「M君リンチ事件」の隠蔽に関わった多数の著名人

『ヘイトと暴力の連鎖』発刊後、鹿砦社には多様な情報が寄せられるようになった。そして、手持ち資料の中に超ド級の資料も発見される。元社員が解雇に際して、おそらく必死の思いで抹消を試みたと思われる、「しばき隊」中心人物たちとの間で交わした膨大な量のメールだ。

その一部を目にした社長松岡の怒りは察して余りある。「M君リンチ事件」の隠蔽と正当化を図る「説明テンプレ」や誰がどの人間にそれを説明するか、の役割分担まで詳細に割り振られた「声掛けリスト」はこれ以上ない「組織的隠蔽と正当化」を示す証拠として、彼らの悪辣な行為を雄弁に証明している。

有田芳生参議院議員にはじまり、安田浩一、西岡研介といった有名ジャーナリストや複数弁護士、大和証券部長で身分がばれた人物まで、数多くの主要人物の名前が収められたこのリストを目にしたとき、取材班一同は「やはり…… しかし、まさかここまで」と、呆れかえったものだ。

◆11月17日『反差別と暴力の正体』を発刊

「徹底的に洗え!」松岡の指示のもと、取材班は40名(団体含む)へ質問状を送付し、主として「M君リンチ事件」への見解を伺った。まともな回答を返してくれたのは、『週刊金曜日』発行人の北村肇氏と『人民新聞』の山田洋一氏の二人だけだった。盛り込みたい証拠や情報は次から次へと現れる。しかし紙面の限界も考えなければならい。寺澤有氏は独自取材で駆け回って頂き限られた時間でほぼやれることはやり尽くし11月17日書店に並んだ『反差別と暴力の正体』は『ヘイトと暴力の連鎖』にも増して、大きな衝撃を呼んでいる。

その間にM君はツイッターで彼の名前と所属大学を明かし、幾度も誹謗中傷を繰り返した野間易通氏を5月24日名誉毀損で、7月4日李信恵氏をはじめ、エル金、凡(ともにツイッターアカウント名)、伊藤大介、松本英一の5氏に対して損害賠償の提訴を大阪地裁に行った。2つの裁判ともこれまでに複数回の期日が開かれ、対野間氏裁判は次回2月3日で結審する模様だ。

◆疾風怒濤は2017年も続く

疾風怒濤で1年が過ぎ去った感がある。まさか2016年鹿砦社がエネルギーを割く対象が「彼ら」になろうとは予想だにしなかったし、その結果一部とはいえ社会から強い注目を浴びることになろうとなど望んではいなかった。2016年鹿砦社に与えられたミッションの1つは、期せずしてやってきた「M君リンチ事件」と正面から取り組み、「下からのFascism」をけん引する勢力との全面対決だった。

2冊を世に出し、特別取材班は一息ついている。しかし一息つきながらも年末年始をゆっくりと過ごせそうにない。なぜならば『反差別と暴力の正体』を超える重大情報の山の解析に余念がないからだ。「次は死者が出ますよ」M君の言葉を現実のものにしないために資料の山との格闘は当分終わりそうにない。

(鹿砦社特別取材班)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連-SEALDs-しばき隊-カウンター』(紙の爆弾2016年7月号増刊。7月14日発売。定価540円)
『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊。11月17日発売。定価950円)

《本間龍14》労働局に「全面降伏」姿勢を見せる電通の意図

電通が矢継ぎ早に労働環境の改善策を発表している。

2016年9月21日付ウォールストリートジャーナル

12月2日に、来年1月を目処に全社員の約1割にあたる650人を配置転換、人材の足りていない部署の解消を目指すと発表。中途採用も拡大し、今月から60人の募集を開始するとした。また、1月から70ある局に1人ずつ、人材管理を担当する「マネジメント職」を配置する。キャリア開発支援や健康への配慮に関する研修を受けた人材が着任し、社員一人ひとりの勤務時間管理や、局全体の労働状況の管理などにあたる。

「本日の一部報道について」2016年9月23日付電通ニュースリリース

12月9日には、長く社員手帳に掲載して来た社員心得「鬼十則」を2017年版から削除することも発表した。さらに管理職を部下が評価する「360度評価制度」を導入、上司による一方的な人事判断是正を目指す。また、全ての部門で有給取得50%以上を目標にするという。

2016年10月7日付ANNニュース

◆なりふり構わず職場改善策を進める電通の意図

このなりふり構わぬ職場改善策は、1月に予想される労働局による書類送検をなんとか軽いものにしたいという、全面降伏の意思を示すものだ。強制捜査まで受けているから送検は免れないが、その内容によって東京地検の動きも変わるから、少しでも印象を良くしたいという必死の思惑が透けて見える。今回はその内容をチェックしてみる。

2016年10月14日付NHKニュース

まず全社員の1割配置転換だが、これは実は大した話ではない。電通や博報堂は年度末になると大々的な人事異動を発表する。人員の昇進や異動、局の統廃合や新設などが集中的に発表されるので、優に全社員の1割くらいは動く。要はそのタイミングを早め、人材の偏り平準化を急いだにすぎない。

しかし、いくら配置転換を前倒ししたとしても、高橋まつりさんの自殺を招いた部署間の人員不足、極端な仕事の集中を解消するというのは容易ではない。例えば、デジタル部門は高度の専門性が必要であり、知識がない人員を数合わせで投入しても、すぐには役に立たないからだ。むしろそうした人員の教育に時間を取られ、短期的には得意先へのサービス低下を招く危険性が高いだろう。

私は博報堂で18年間営業現場にいて、同時にほぼ全ての社内部門を見て来た。仕事の仕方は博報堂も電通も大して変わりはないから、人が足りないからといって頭数だけ揃えても役に立たない現実をよく知っている。残業時間が多い激務の部局は、それだけ他社との競合が激しいか、制作部門なら優秀な人材が揃うゆえに仕事が集中していると考えられる。そうしたところに他部門からいきなり人員だけ補充してもやはり役には立たず、古参部員のストレスが急激に上昇することになってしまう。昨日まで営業にいた人間を、明日からコピーライターやデザイナー職に異動しても役に立たないことは誰でも想像できるだろう。もちろんそんなことは電通経営陣も百も承知だろうが、会社の存亡がかかる事態に、なりふり構わぬ措置を取らざるを得ないのだろう。

2016年10月20日付NHKニュース
2016年11月17日付NHKニュース

◆社訓同然の「鬼十則」を封印した電通の意図

「鬼十則」の社員手帳からの削除は、社外向けのパフォーマンスであると感じる。電通の社訓同然である「鬼十則」自体を否定した訳ではないし、内容については具体的言及がないからだ。この「鬼十則」は電通中興の祖と言われる故吉田秀雄氏が昭和26年に制定したものだが、仕事への取組み方、あるべき姿勢を示したものとして、今でもビジネス書や自己啓発本などで紹介され、支持されている。改めてその内容を紹介すると、

1.仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

電通のステートメント(同社HPより)

というもので、5の「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……」以外は、現代のビジネス慣習としても十分通用すると内容だと思われる。但しこの5の「取り組んだら放すな、殺されても放すな」という部分が電通の苛烈な社内風土の原点とも言われ、高橋さんの弁護士も記者会見でこれを強く批判している。昭和26年といえば敗戦直後の痕跡がまだ色濃い時代であり、さすがにこの部分はもはや時代にそぐわなくなっていると感じる。しかし多くの電通社員にとってまさに精神的支柱でもあるから、いきなりそれを全否定するという訳にもいかないのだろう。今後の取り扱い方に注目だ。

◆上意下達意識が徹底した電通で改善策の実行は本当に可能か?

そして最後の「360度評価制度」「有給休暇の50%取得」に関しては、電通という上意下達意識の徹底した組織でどこまで有効に機能するか、それこそ電通社員ですら懐疑的に感じていることだろう。これらはまさに会社の本気度が試されるが、現在の混乱を引き起こした現経営陣がそのまま居座るのでは、多くの社員の支持を受けるのは難しいのではないか。

これらの改善策の実行は来年からだが、労働局の書類送検も1月頃と言われており、その先には東京地検による捜査の可能性もある。そうなれば電通は完全に「ブラック企業」「法令違反企業」としての烙印を押されることになる。崩壊した電通ブランドの立て直しは果たして可能なのか。これからもウオッチしていく。

▼本間龍(ほんま りゅう)
1962年生まれ。著述家。博報堂で約18年間営業を担当し2006年に退職。著書に『原発プロパガンダ』(岩波新書2016年)『原発広告』(亜紀書房2013年)『電通と原発報道』(亜紀書房2012年)など。2015年2月より鹿砦社の脱原発雑誌『NO NUKES voice』にて「原発プロパガンダとは何か?」を連載中。

『NO NUKES voice』第10号[特集]原発・基地・震災・闘いの現場
タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年1月号!
衝撃出版!『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)

前人未踏「プリズンコンサート」400回──Paix2(ペペ)の旅はまだまだ続く

取材を受けるPaix2の二人
Manamiさん
Megumiさん
千葉刑務所での400回記念公演を終えて深々とお辞儀をするPaix2の二人

今回の取材は東京都内からワゴンでコンサート前日に千葉刑務所で設営と音合わせを行い、同日の夕食もご一緒させて頂いた。お二人はアルコールは嗜む程度にしか召し上がらないが、食欲は旺盛であった。

TVのインタビューや記者会見で2日の間に彼女たちが何度も強調していた言葉は、
「プリズンコンサートをするからには、『良い心のスイッチを押す』ことをしないと、やっている意味がないなと思いながらいつもステージに上がっています。ステージに上がるからには何かが皆さんの心にとどまって、社会に出る良いきっかけになるものをやらなければ意味はないなとずっと考えています」(Megumiさん)

「規則の中で思いを伝えていかないといけないので1時間ですけどエネルギーは凄く使うんですね。だから終わったあとは、いい意味でかなりの疲労感がありますね」(Manamiさん)

「言葉は出せないので、表情からよみとるしかないんですけど皆さんの表情の中からその人の人生を垣間見ることがあって、貴重な体験をさせて頂いているんだなぁと感謝の気持ちがあります」(Manamiさん)

「プリズンコンサートは心のキャッチボールやっている面があるので、皆さんの表情を見ないと、どういう言葉をかけたらいいのかわからないんです。最初の頃は皆さんも緊張感があるから、こちらも固くなっていたんです。でも回数を重ねるうちに皆さんの表情を読み取ることができるようになって、こちらにも余裕が出てきたのでコンサートが終わる頃には皆さんの表情が変わるのが感じられるようになりました」(Manamiさん)

「ステージに立っていると、そこから話しかけただけでも『上から目線』な距離感になるんです。それを無くすためにコンサートの中だけでも同じ気持ちになれるように心がけています」(Manamiさん)

ステージ上の二人は歌うだけでなく、語りも交え、しかも刑務所ならではの用語(報奨金、領置金、願箋)を交えたトークで場を和ませる。そして必ず鹿砦社から出版された『逢えたらいいな』に収められた、受刑者の家族からのメッセージが読み上げられる。内容から察するに、かなり重い罪を犯した受刑者の娘さんが初めて父親の面会に刑務所を訪れた際のエピソードだ。このエピソードを通じて受刑者の皆さんに、社会へ出ることの心の準備や、再犯を犯さない気持ちを喚起したいとお二人は考えているそうだ。

「400回は長かったような気もしますし、あっという間だった気もします。最初は30回が目標だったんですが、それが50回、100回となって。でも初期から回数だけを目標にはしていなかったのが良かったのかと思います」(Manami)

「はじめて1年くらいした時に、私たちの第一回のコンサートを見てくださった方が、出所されて、手紙を持って見に来てくれたんです。それでわざわざ会いに来てくれる下さったことで、ただ楽しませるだけじゃだめだと思って、メッセージをより込めるようになりました。感想文を頂きますが、それ以外に被害者の方からもメッセージを頂くことがあります。その中で私たちも色々考えて伝えるメッセージどうしたらいいか、追っかけて来ました」(Megumi)

Manamiさん

Manamiさんは刑務所の施設や建物に詳しい。「奈良少刑(少年刑務所)は立派な建物だけど、来年で終わりになるんですよね」、「ある県の刑務所は署長さんがとても優しい方でしたが、施設管理が緩くって、これで大丈夫ですか?とお話していたら、そのあと脱走がおこっちゃって……。ちょっと気の毒でした」。

膨大な訪問経験がそうさせるのか、一目見て施設の弱点を見抜くのだからManamiさんの眼力は専門家並だといえよう。

Megumiさん

Megumiさんはハードよりも人間や各地で起こったことを詳細に記憶(記録も)している。刑務所内の人間関係や雰囲気についての洞察が深く、Paix2二人の記憶と印象を合体させると、全国の刑務所像についての立派な論評ができあがる。事実刑務所に勤務する方、あるいは法務省関係者でも全国全ての刑務所への訪問経験のある方は彼女らをおいてはいないだろう。

今回の取材を通して印象的だったのは、彼女たちのハードワークと、ハートワークだ。限られた時間と規則の中に彼女たちが重ねる思いを詰め込む作業は、常人にはまねることのできない「荒業」ですらある。

そんな緊張感の逆にこんな本音があった。コンサート前日設営を終えて、音合わせをするお二人を、お手伝いの刑務官の方々が体を揺らしながら見ていた。

「こういういイベントは貴重でしょうか」と聞くと、
「いやー自分は大ファンでしてね。楽しみで楽しみで(この間表情崩れっぱなし)。2年ぶりに逢えて本当に嬉しいんですよ。自分は刑務官向いてないのかもしれません」。
「『受刑者のアイドル』と言われていますけど刑務官にはファンがたくさんいます『刑務所のアイドル』です」
私たちにもめったに見せない刑務官の方々の笑顔は、底抜けに明るかった。

最後列には車椅子の受刑者の方々もいた

コンサートを終え、ワゴンに乗り込み東京に向かって出発したのは13:00をまわっていた。当然皆さんお腹が空いている。千葉刑務所近くのファミリーレストランで昼食をとることになった。食事をはじめてほどなくManamiさんが切り出した「終わったから言いますけど、昨夜から熱があって、今朝も38度くらいあったんです」、「え!」と片山マネージャーと私は声を挙げた。

しかし、さすがというべきか、看護師の経験と資格を持つMegumiさんは常備している薬の中から適切な薬をManamiさんに朝服用させていたそうだ。「飲んだのが8時だから、そろそろ切れてくる時間だね。一応風邪薬も飲んでおいて」と漢方薬を手渡す。食後ぐったりするManamiさんの姿を見て「インフルエンザじゃないでしょう。インフルエンザならこんなに落ち着いてないはずだから」。見事なチームワークだ。

 
 

12月13日17:00から法務大臣による表彰が行われた。大臣室で金田勝年法相は彼女らの到着を待つ間に「『元気出せよ』は何年の発売だったっけ?」と、法務省職員に問いかける。「大臣お詳しいですね」と声をかけると、「代表曲だから知っとかないと失礼にあたるからね」とかなり詳しいご様子だ。

職員の方が彼女らの到着まじかになると、インストロメンタル版の「元気出せよ」を小音量で流し始めた。お堅い印象の法務省の表彰式にしては、粋な優しい心づかいだ。

正装したPaix2のお二人が大臣室に入室して早速表彰が行われた。大臣表彰などそうそう経験するものではないだろうが、実はPaix2にとってはこれが3回目でお二人も堂々とした様子だった。

Paix2の前人未踏の旅はまだまだ続く。「プリズンコンサート」から「矯正」の大切さへの周知をも視野に入れた活動は、大きな歓声や派手な観客のアクションのない中、受刑者の心の中に輝きをともし、感涙を誘う。地道な偉業には頭の下がる思いしかない。

 

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

Paix2『逢えたらいいな―プリズン・コンサート300回達成への道のり』(特別記念限定版)
『NO NUKES voice』第10号[特集]原発・基地・震災・闘いの現場
 
商業出版の限界を超えた問題作!