「福井女子中学生殺人事件」再審結審 再審無罪を前に自信を取り戻していく冤罪犠牲者の前川さん 尾﨑美代子

39年前に福井で起こった「福井女子中学生殺人事件」の再審が、3月6日結審した。判決は7月18日、午後4時より、名古屋高裁金沢支部で言い渡される。 

事件の詳細は『紙の爆弾』(鹿砦社)2月号に寄稿しているので、ぜひ読んで欲しい。亡くなった桜井昌司さんから「前川(冤罪犠牲者の前川彰司さん)の事件も書いてや」と頼まれてたが、資料を読み始め、何度も諦めていた。関係者が余りに多く、その関係も複雑だからだった。

読み始めあきらめ、読み始めあきらめていたところ、まもなく再審開始の可否がでるとのことで慌てて読み始めた。そして昨年12月、再審開始の決定。決定書を見ると、それまでの資料になかった内容が書かれていた。

弁護団長の吉村弁護士も会見で「想定外でした」と話していた内容、そこには「夜のヒットスタジオ」「アン・ルイス」「吉川晃司」の文字が……。再審請求審で初めて明らかにされた証拠だった。一体、何があったのか? 詳細を知りたい方はぜひ「紙の爆弾」を読んで欲しい。  

この事件、全体をみると、福井県のいわゆる地方都市で、地元警察が、地元のワル、不良、ヤクザになった若者を、うまくあやつり協力者に仕立てていくような構図がみてとれる。

先日、北海道旭川市で女性2人が被害女性を深夜、川の橋の欄干に座らせ、川に落とし殺害した事件で、片方の被告に懲役25年が求刑された。この事件では、もう一人の女性が、事件を捜索する旭川中央署の刑事と不倫関係にあったことが報じられた。もともと互いに出入りしてた地元のスナックで仲良くなったようだ。その容疑者がどんな女性だったかは良くわからないが、刑事を後ろ盾にすることで、一層怖いものなしの強気になれたことは容易に想像できる。

福井の事件で登場する大勢の関係者もまだ若く、社会的経験も少ない。そして不良、ヤクザなど脛に傷持つ者ばかりだ。その弱みに刑事がつけこみ、事件を解決しようと、あらぬストーリーを作っていったのだ。

女子中学生は、実際極めて凄惨な方法で殺害されていた。不良グループと付き合っていたことからリンチと思われた。だが捜査は難航し、犯人逮捕に至らず、捜査機関は焦る。

そんなとき、別の覚醒剤で逮捕され取調べられていたヤクザの斎藤(仮名)が、刑事に「犯人しらないか」と聞かれる。犯人は斎藤周辺のワル仲間とみているのだろう。捜査機関は、犯人を教えたら、あるいはヒントをくれたら、刑を軽くするみたいにほのめかす。斎藤は知人に「犯人知らんか?」と手紙を書く。そう、斎藤も犯人を知らないのだ。しかし、斎藤は自分の刑を軽くしたくて、「犯人は後輩の前川だ」と刑事に告げる。

さらに、車で前川を犯行現場に送った人間、斎藤をゲーセンに送った人間、犯行後困った前川を斎藤がいるゲーセンに連れてきた人間、その際前川の服に血がついてるのを見た人間、ひと晩前川を匿った人間など、次々と関係者を登場させる。しかし、うそのストーリーだから、斎藤の話はコロコロ変わる。

ここまで読んで、「刑事もばかだね。斎藤のいうことが違っていたら、諦めればいいやん」と思う人もいるだろう。違う、違う。刑事が斎藤らワルたちを利用しようとしているのだ。

刑事は、斎藤が刑務所に送られる際「おい、何か土産を置いてけや」とか、「まだ知ってることがあるんじゃないか」とか、斎藤やその周辺の人間を使って、自分たちのストーリーを作ろうと必死なのだ。「関係者」を担わされた若者も、みな、脛に傷があるため、刑事の言いなりにストーリーを合わせてしまう。  

しかし、彼らも成人になり家庭を持つようになると、「なんと馬鹿なことしたのか」と反省し、本当のことを言うようになる。前川さんを犯人とする証言をした男性は、刑事にウソの証言を強いられ、代わりの自分の覚せい剤事件をチャラにしてもらったと再審の場で証言した。前に嘘の証言した夜は、刑事に食事やスナックを奢られ、あげく結婚祝いに5000円包まれた祝儀袋を貰ったと証言。刑事の名前がばっちり書かれた祝儀袋を証拠提出した。本当に酷い話だ。

以前私も支援した石川県の盛一国賠という裁判があった。この盛一君も若い時、刑事に目をつけられ「S」にされた。どんなに覚せい剤をやっても絶対捕まらない。その代り、刑事に言われるがままに、薬をやっている知人や先輩を逮捕させるような工作を刑事としていく。そんななか亡くなった知人もいた。

盛一君も成人し、家庭をもち、「馬鹿なことをした」と猛省し、刑事らとの関係をきっぱり絶った。そして、そんな刑事と不倫で付き合う女性友達に「あんな連中とつきあわんほうがいい」と忠告する。

しかし、この女性は、盛一君のその言葉を刑事に伝える。そのため、盛一君がやってもいない覚せい剤事件で逮捕される。「これ以上余計なこと言うな」という脅しだ。その証拠に盛一が連れていかれた取調室に、以前盛一君が良く飲食をともにした刑事が顔を出し、盛一君に一言「バーカ」と言って消えたという。

多くの冤罪を作っているのは、警察、検察、そして裁判所だ。もちろん刑事という後ろ盾が出来て強気になって、犯罪を犯した人たちも悪い。しかし、北海道の事件も、盛一君の事件も、そして前川さんの事件で関係者とされた人たちも、勝手なストーリーの「駒」に使われ、最後はポイと捨てられた。本当に酷いやつらだ。

前川さんには昨日の朝電話した。桜井さんに紹介され、初めて連絡してから2年半。その間何度か電話で話したり、うちの店にも来てくれたり。最初はボソリ、ボソリとひとこと、ふたこと話すだけだった前川さんだが、その声は、再審開始が決まって以降、どんどん自信を取り戻しているような気がする。

《酒井隆史さん釜ヶ崎トークショーのご案内》

3月30日(日)、酒井隆史さんのトークショーを行います。釜ヶ崎の問題にも取り組んでおられる酒井さんには、2019年「はな」でお話をして頂いたのが最後なのでとても久しぶりです。なお、そのお話は冊子「ジェントリフィケーションへの抵抗を解体しようとする者たち」にまとめており、非常に多くの方々に読んで頂きました。

今回はちょっと大上段に構えたテーマになっていますが、様々な問題をその場で質問したり、議論出来るような形にしたいと思いますので、40人ほど限定、要予約でお願い致します。

メール、携帯、そしてメッセンジャーでも受け付けております。宜しくお願い致します!!

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

『紙の爆弾』2025年4月号に寄せて 『紙の爆弾』編集長 中川志大

おかげさまで『紙の爆弾』は、次号2025年5月号で創刊20周年を迎えます。姉妹誌の反原発情報誌『季節』は昨年創刊10周年を迎えました。それらを記念し、2025年4月5日(土)に東京で読者の集いを開催します。一回限りの全力イベントです。発売中の4月号でご案内を掲載しておりますので、ぜひご参加をお願いいたします。

今月号では「USAIDとは何か」を徹底解説。米国トランプ政権の「USAID廃止」がインターネットを中心にこれほど盛り上がったのは、そもそも「メディアがおかしい」という意識が、人々の中にあったからです。日本でも「マスゴミ」という言葉は昔からあり、権力監視の一環としてのマスコミ監視は、本誌のようなメディアの普遍的なテーマでもあります。ただし、単なる「ゴミ」ではなく、むしろ権力機関の一部として、その役割を積極的に果たしてきたことに、今注目が集まっているわけです。「政官業米電(電波)利権複合体」は植草一秀氏の指摘です。しかし、USAIDやNED(全米民主化基金)がなくなればいいのかというと、ことはそう単純ではありません。その点が、既存マスコミはもちろん、インターネットでもほとんど触れられていない点だと思われます。新たな形による「支配」にこそ、私たちは警戒しなければなりません。

USAIDを資金源とするNEDやCIA(米国中央情報局)に限らず、諜報や工作が歴史を動かしてきたことは、指摘するまでもない事実です。今月号ではいくつかの事例とともに、元外交官の孫崎享氏が解説。私たちが日々接しているニュースが、それらの結果にすぎないということは、頭に入れておかなければなりません。そして、諜報・工作のメインターゲットは、外国政府だけではなく、その国の「世論操作」です。ウクライナ・ゼレンスキー大統領とトランプ大統領の会談「決裂」に、3月号登場の鳩山友紀夫元首相は「問題はプーチンを悪者で敵だとする考えに染まっていては、戦争は終わらない。日本だけでもトランプに協力して戦争を止めたらどうだ」とXでコメント。踊らされない視点こそ、重要です。

昨年11月号に続き、鈴木宣弘・東京大学大学院教授が、「食と農の危機」を再び解説。コメをはじめ食料価格の高騰が続く中、「農業の憲法」といわれる食料・農業・農村基本法の大改悪に伴い4月1日に施行される「食料供給困難事態対策法」で、日本の農業はどうなるのか。そして、この危機に立ち向かうために私たちができることは何なのか。まさに今読むべき内容です。

また、2月13日に東京・広島・大阪・熊本・中央・武蔵美大の大学生たちが中心となって集会を開いた「学費値上げ反対運動」を取材。これがなぜ「新しい形の学生運動」といえるのか、レポートをぜひお読みください。学生たちのnoteもぜひご参照を。(https://note.com/no_raise_ut/n/n2caa621385ee

ほか、4月号では、オンラインカジノ摘発と大阪カジノ万博の関係、再び注目される「フジテレビ・日枝久とジャニーズ」、世界に跋扈する「現代版ノストラダムス」など、各分野で真相に迫る多彩なレポートをお届けします。全国書店で発売中です。ぜひご一読をお願いします。

『紙の爆弾』編集長 中川志大

『紙の爆弾』2025年 4月号
A5判 130頁 定価700円(税込み)
2025年3月7日発売

戦争勃発させ国を壊す「西側工作」米ロ「諜報戦」の実相 孫崎享
4月施行 食と農と命を殺す「食料供給困難事態対策法」 鈴木宣弘
イスラエル暴虐の行方 トランプとネタニヤフを結ぶ「ガザ2035」構想 広岡裕児
世界マスコミ「沈黙」の真相 USAID廃止に潜むイーロン・マスクの野望 西本頑司
日本を蝕む「2+2」を破棄せよ 日米安保第四条の闇 木村三浩
「警察・自衛隊の外国攻撃」と「秘密保護強化」能動的サイバー防御法案は戦争推進法である 足立昌勝
「LGBT問題」「トランスジェンダー神話」刊行にあたって 反「性自認至上主義・クイア思想」の宣言 滝本太郎
自衛隊改組と日本永世中立化 日本から始まる新時代の地政学 藤原肇
吉本芸人に相次ぐ「見せしめ聴取」オンラインカジノ摘発 警察と政府の目的 片岡亮
「学費値上げ反対」と「103万円の壁」問題 「大学学費ゼロ」が世界の常識である 浅野健一
フジテレビと芸能プロの関係史 再び注目される「日枝久とジャニーズ」 本誌芸能取材班
世界各地を席巻する「現代版ノストラダムス」たちの予言をひもとく 浜田和幸
「総裁選公約」はどこに消えた? 石破茂「無策」の理由 山田厚俊
NHKへの最後通牒――「さらば“波”だ!」と言おう 佐藤雅彦
日本政治の衰退と世代間分断の根本原因 上條影虎
鎌倉名物カフェ立ち退き問題「小泉政権のキングメーカー」の死 青山みつお
シリーズ日本の冤罪 養女強姦虚偽告訴事件 片岡健
「カウンター大学院生リンチ事件」から十年(下) 松岡利康

〈連載〉
あの人の家
NEWS レスQ
コイツらのゼニ儲け 西田健
「格差」を読む 中川淳一郎
シアワセのイイ気持ち道講座 東陽片岡
The NEWer WORLD ORDER Kダブシャイン
「ニッポン崩壊」の近現代史 西本頑司
まけへんで!! 今月の西宮冷蔵

◎鹿砦社 https://www.kaminobakudan.com/

キックボクシング 2024年を振り返る 堀田春樹

2024年もキックボクシング界の話題は豊富でした。選手の活躍も各々ありましたが、各団体単位でも時代の流れと共に諸々の動きがありました。世間一般には注目されない小さな出来事でも、振り返っておきたい2024年の話題を纏めました。

◆全日本キックボクシング協会の初陣興行

2023年春に新日本キックボクシング協会から離脱した稲城ジム栗芝貴代表が同年8月1日、全日本キックボクシング協会を設立。原点回帰を掲げ、今年(2024年)3月16日に初陣興行を行ないました。12月28日までに計4回の興行では大半が新人戦で、正に一から始まった新団体でした。

1月20日の設立記者会見で栗芝貴代表は、「三年で全日本キックボクシング協会の名前を全国に轟かせる。三年でスター選手作る。後楽園ホールを満員にして、この三年で作り上げていくのが僕の責任と思っています。」と語りました。

デビュー戦からメインイベンターを目指す自覚を持たせ、試合をアグレッシブな展開に導いて新人にも大きい成長も見られました。

9月6日には初のタイトルマッチ、全日本スーパーフェザー級王座決定戦を行ない、瀬川琉(稲城)が仁琉丸(ウルブズスクワッド)を倒して最初のチャンピオン誕生となりました。二人はすでに新日本キックボクシング協会での戦歴ある選手でしたが、今後は各階級で全日本キックボクシング協会からデビューした選手らが王座を争っていくことでしょう。

2025年は設立から3年目。初陣興行から2年目。まだ全国どころか格闘技界にも存在感は薄い現在。2025年はどこまで浮上することが出来るか、まだまだ険しい道程が続きます。

令和の全日本キックボクシング協会初陣興行出場選手と栗芝貴代表(2024.1.20)

◆新日本キックボクシング協会の変化と江幡塁引退

新日本キックボクシング協会の一時代を担った江幡ツインズの塁が、前年2月に患った脳腫瘍の影響からドクターストップによる引退に踏み切りました。

選手として引退も、「新日本キックボクシング協会から世界を獲れるような強さ、そして自覚を持った選手を輩出していけるように力を尽くしていきます!」と昨年10月のリング上で語ったとおり、後進の指導には今後も続けて行く模様。

その一年前の時点では、「選手を諦めていない」という語りから、復帰して現役続行かと期待しましたが今後、願わくばプロモーターとして興行を担っていけば、また新日本キックボクシング協会の再浮上もあるかもしれない僅かな可能性も期待したいものです。

その新日本キックボクシング協会は選手層の薄さが表れる中、外国人選手によるメインイベンター起用や、Mixed Martial Arts(MMA)の試合もテスト的に開催されました。

今後、どのように進展していくかは未定ながら動向が注目されます。

江幡塁、清々しい引退式にて、愛娘と一緒に(2024.10.6)

◆武田幸三の一年

2023年10月にニュージャパンキックボクシング連盟に加盟し、主力プロモーターとして団体を率いる存在となった武田幸三氏。「NJKFをトップ団体に引き上げる」と宣言し、以前から掲げていた“CHALLENGER”というコンセプトの下、ここまで計6度の興行を前日計量と記者会見から盛り上げ、それまでのNJKF色をすっかり変えてしまい、以前のNJKFに無いインパクトある興行が続きました。

「本気でトップ狙って本気でトップの団体にしようと思っています。」と語った武田幸三氏。一年を経過した今後、更に世間にどれだけ選手の存在感、NJKFの存在感が訴えらるかが期待されるところでしょう。

武田幸三、NJKFでの所信表明演説(2023.11.12)

◆長江国政さん永眠

昭和の全日本キックボクシング協会隆盛期で、一時代を築いた長江国政さんが6月11日に肺癌の為、永眠されました。すでに述べた部分ではありますが、2018年頃から神経性の難病との戦いが続いていましたが、難病の悪化とは直接の関係は無い模様で、煙草を吸う姿を何度も見たことありますが、こんな影響もあったのかもしれません。

キックボクシングの主力関係者の訃報が聞かれること多くなった近年、それまではキックボクシング生誕から関わって来た選手、興行関係者が若かったことに尽きるでしょう。競技そのものが新興格闘技だった為、二十代で活躍した名選手らも今や七十代以降に突入している時代です。でもその七十代でジム復興や立ち上げも計画している若々しいレジェンドも居て、今後もどう展開するか注目したいところです。

長江国政メモリー、会場での展示にて(2024.7.28)

◆2025年に何を期待するか

各団体の興行の少なさ。ランキングの層の薄さが見られる各団体。過去には統一に向けた動きや、団体統一は目指さなくても、一定の団体が集まる統一チャンピオン制定がありました。

現在のNKBも初期は4団体が集まったものでした。WBCムエタイ日本統一ランキングも立ち上げから活発だった時期もありました。いずれも現在も継続されていますが、キックボクシング界を先頭切って率いるほどの注目度はありません。

近年の選手が目指すものはONE Championnship、KNOCK OUT、RIZINといったリングで勝負することへ方向転換されている現在です。本来の活性化した日本タイトルには至らないのか。そこに既存の団体の纏まりに希望を持ちたいところで、武田幸三氏や全日本キックボクシング協会の飛躍に期待が掛かります。

私が関わる独断による団体編の纏まりの無い語りとなり、他にも日本キックボクシング連盟やジャパンキックボクシング協会の活動もありますが、次回は選手編で2024年に勝ち負け関係無く、各団体の目立った選手の動向を拾ってみようと思います。

令和の全日本キックボクシング協会最初のチャンピオンは瀬川琉(2024.9.6)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

中学の同級生・有田正博君のこと  鹿砦社代表 松岡利康

中学校の同級生、有田正博君が11月いっぱいで店を閉め引退するという地元紙・熊本日日新聞の記事を、同紙の元記者のH君が送ってくれた。実際には諸事情で延期、12月15日に閉店した。

店を閉めることは、今年初め同窓会で帰郷した際に本人から聞いていた。その時は10月いっぱいで、ということだった。前出熊本日日新聞で1カ月インタビュー記事を連載するなど地元熊本ではちょっとした有名人だ。

熊本日日新聞2024年11月20日

有田君とは、中学3年の時に転校してきて一緒だった。卒業してからずっと別の人生を送り音信が途絶えていたが、偶然に、こちらは高校の同級生で、ライフワークとして島唄野外ライブ「琉球の風」を始めた東濱弘憲君(故人)の追悼本『島唄よ、風になれ! ── 東濱弘憲と「琉球の風」』(鹿砦社刊)の校正の過程で「有田正博」という名が出て来てピンときて前出H君(当時熊本日日新聞記者)に調べてもらったところ中学の同級生の有田君その人だった。

有田君は一時東濱君のブティックで働いていて、これが閉店するや、その後独立し海外に行ったりしてファッションの勉強をして名を挙げた。一番有名なのは、まだ無名だったPaul Smith(ポール・スミス)と出会い、日本に持ってきたことだろう。Paul Smithは今や世界的ブランドとなった。

熊本日日新聞2016年6月8日

H君の取り計らいで、実に40数年ぶりに再会した。……

その後、有田君の店が私の一族の墓が近くに在るということもあり帰郷するごとに立ち寄って歓談したり食事と共にしてきた。

有田君(左)らと旧交をあたためる

それにしても、中学の同級生と高校の同級生との関係と私との関係など因縁を感じる。

Paul Smithさんは義理堅い男のようで、このライセンスを日本に上陸するや有田君に渡した。このライセンスもあり有田君は一時ビル3つ所有し釣り三昧の日々を送ったという。そんなこともあり妻子から三行半を突きつけられ離婚、ビル3つとPaul Smithのライセンスを潔く渡し、ゼロから出発したという。一時は東京の青山にも店を出したこともあった。

中学校の時にはそんな大それた男とは思わなかったが、引退かあ、本来なら私もその予定だったが、コロナのお蔭でもうひと踏ん張りしないといけなくなった。
時は過ぎ行く ── 人は老いていく。

閉店後電話した。「お疲れ様! よか人生だったね」と言い、「祝 人生勝利!」の文字の刻印を入れたクリスタル置き時計を贈った。

(松岡利康)

DUELから駆け上がるチャンピオンへの道! 堀田春樹

計量は前日の昼12時よりVALLELYジムにて、カード変更はありましたが、出場者は体調万全で全員が計量をクリアーしました。

メインイベントと位置付けられた赤平大治vs大岩竜世戦は大岩が辛うじて勝利。
悠vs明夢も期待される中の勝利を導けない厚い壁。

女子としてのメイン位置、齋藤千種が祥子JSKを破り王座獲得。

◎DUEL.32 / 12月8日(日)GENスポーツパレス18:00~20:50
主催:VALLELYジム / 認定:NJKF

戦績はプログラムを参照し、この日の結果を加えています。

◆第11試合 56.5kg契約3回戦

NJKFフェザー級7位.赤平大治(VERTEX/ 56.3kg)8戦5勝(3KO)2敗1分
        VS
大岩竜世(KANALOA/ 56.4kg)6戦4勝2敗
勝者:大岩竜世 / 判定1-2
主審:マット(テーチャカリン・チューワタナ)
副審:松田29-30. 中山30-29. 多賀谷29-30

初回、両者のローキックとパンチ中心の牽制で様子見。赤平大治がパンチをややヒットすると、大岩竜世も返していく。第2ラウンドも両者、パンチと蹴りで激しくなるが怯まぬ前進で、どちらも主導権支配には至らない展開。第3ラウンドには首相撲も加わった攻防。多彩にアグレッシブな展開は続くが差は付き難く、ジャッジ三者揃ったラウンドは無い僅差だった。

リング上のコメントでは「僅差だったんですけど、勝つことが出来て良かったです。来年もっと勝ち進んで行って王者に近付けるよう頑張る年にします。」とマイクで語った。

リングを下りてから「本当僅差で勝ったとは思わんかったですけど、結果勝ちで次に繋がって良かったです。赤平選手はパンチで来ると思って警戒していたんですけど、やっぱり貰っちゃいました。蹴りで返した感じで、結果は勝てたんですけど反省しています。」と語り、リング上で語ったとおり、来年も勝ち進んで王座に迫ることを宣言した。

攻勢を導きたい両者、大岩竜世がローキックで攻める

パンチの見映え良かったのは赤平大治だが攻勢を維持出来ず

◆第10試合 フライ級3回戦

NJKFフライ級7位.悠(=吉仲悠/VALLELY/ 50.8kg)11戦4勝(2KO)5敗2分
        VS
NJKFフライ級10位.明夢(新興ムエタイ/ 50.45kg)13戦4勝(1KO)6敗3分
引分け 三者三様
主審:椎名利一
副審:松田29-29. マット30-29. 多賀谷29-30

パンチと蹴り、やや前進は悠。明夢も蹴り返し、一進一退の差が付かない攻防。第2ラウンドもパンチ、ローキックとアグレッシブな展開。明夢が悠をコーナーに追い詰め、ヒザ蹴りが効果的で、第3ラウンドも首相撲は明夢が攻勢も悠のパンチで前進も効果的。初回はジャッジ三者とも互角。第2ラウンドは2-1に分かれる採点、第3ラウンドには悠に付けるジャッジは一人。採点では難しい見極めだった様子。

明夢陣営坂上顕二会長は「作戦どおりだったんですけど、勝ったかなという印象もドローも仕方ないところですね。」という声。

悠陣営米田貴志会長は「前回勝ってる相手だったんですけど、悠の悪いところが出て、ちょっと躊躇したり、ブチ切れて行く気迫が足りなかったかな。相手を飲み込むような力強さがあれば勝てたでしょう。」と精神的な部分を語られました。

明夢のミドルキックが悠にヒットも怯まぬ攻防戦が続いた

明夢のミドルキックにパンチを合わせる悠

◆第9試合 女子ミネルヴァ・ピン級(100LBS)王座決定戦3回戦 (撫子王座返上による)

1位.斎藤千種(白山道場/1985.10.25新潟県出身/ 45.4→45.35kg)10戦6勝4敗
        VS
2位.祥子JSK(治政館/1983.12.3埼玉県出身/ 44.9 kg)28戦8勝19敗1分
勝者:斎藤千種(新チャンピオン) / 判定3-0
主審:中山宏美
副審:松田30-28. マット30-29. 椎名30-28

蹴りとパンチの様子見からサウスポーの斎藤千種の左ストレートがヒット。斎藤千種が自分の距離を掴んだ流れで、祥子は蹴りたくても蹴れない、蹴ってもクリーンヒットし難い距離感があった。斎藤はこの自分の距離感で左ストレートを多発。しっかりダメージを与えるには至らずも、攻勢を維持して判定勝利。王座獲得となった。

敗れた祥子は「ちょっと距離感が遠かったですね。もっとガンガン来られると思っていたので、相手がパンチで来るところに蹴りを合わせる練習をして来たので、こっちが出るのを待ってる感じで警戒してたので、ちょっと駆引きし過ぎちゃったかなと思います」

距離の掴み方は斎藤千種の方が上手かった流れについて、「その辺が敗因という中でも手数で行かなきゃいけないのに、それが出来なかったという反省はありますね」と語られました。

全試合後のインタビューで、齋藤千種選手は見付けられずでした。

祥子が蹴れば齋藤千種のパンチが襲って来る

祥子の蹴りに合わせて齋藤千種の距離感掴んだ左ストレートヒット

ピン級王座獲得した齋藤千種、感動の言葉とファンへ感謝を述べる

◆第8試合 フライ級3回戦

NJKFフライ級8位.大久保貴宏(京都野口/ 50.8kg)6戦4勝2敗
        VS
渡部蕾(クロスポイント大泉/ 50.5kg)2戦2勝
勝者:渡部蕾 / 判定0-3
主審:多賀谷敏朗
副審:中山28-30. マット28-29. 椎名28-30

◆第7試合 スーパーバンタム級3回戦

古山和樹(エス/ 54.7kg)4戦2勝2敗
     VS
ミツル(AX/ 54.8kg)1戦1敗
勝者:古山和樹 / 判定2-0
主審:松田利彦
副審:中山29-28. 多賀谷29-29. 椎名29-28

◆第6試合 フェザー級3回戦

伊達(GRABS/ 56.35kg)2戦2勝(1KO)
      VS
山本龍平(拳粋会宮越道場/ 56.75kg)2戦2敗
勝者:伊達(赤コーナー) / TKO 3ラウンド 2分56秒
主審:マット(テーチャカリン・チューワタナ)

アグレッシブな攻防も伊達が圧し気味に主導権を支配。第3ラウンドには更にパンチとローキック中心に攻勢を強めてカウンターの左フックでノックダウンを奪うとレフェリーがノーカウントで試合をヅトップ。伊達がTKO勝利。

伊達がパンチでKOのタイミングを掴んで行く(KOシーンはレフェリーが被り)

◆第5試合 フライ級3回戦

植田琥斗(E.S.G/ 49.75kg)2戦1勝1敗
      VS
煌(KANALOA/ 50.65kg)3戦1勝(1KO)2敗
勝者:煌(青コーナー) / TKO 2ラウンド 2分16秒
主審:椎名利一

初回に煌の右ローキックで植田琥斗が軽いノックダウン。まだ動ける左脚ではあったが、すでに弱点を晒したか、徐々に攻められ第2ラウンドにも煌の右ローキックでノックダウンを喫した植田琥斗。明らかにダメージある左脚を狙われ、ローキックでノックダウンするとレフェリーがノーカウントで試合をストップした。

煌が初回からローキックで植田琥斗にダメージを与えて行きTKOに繋げた

◆第4試合 女子ミネルヴァ 45.0kg契約3回戦(2分制)

金子杏奈(ウエストスポーツ/ 44.5kg/代打) 友菜(Team ImmortaL)怪我により欠場
VS
港町なぎさ(ワイルドシーサー前橋元総社/ 43.15kg)1戦1勝
勝者:港町なぎさ / 判定0-3
主審:中山宏美
副審:マット27-30. 椎名28-29. 松田29-30

◆第3試合 女子ミネルヴァ47.5kg契約3回戦(2分制)

KANA(Bombo Freely/ 46.65kg)2戦2勝
        VS
DJナックルハンマーyokko(team Almerrick/ 47.3kg)5戦5敗
勝者:KANA / 判定3-0
主審:中山宏美
副審:マット30-26. 椎名30-26. 松田30-26

◆第2試合 女子ミネルヴァ56.0kg契約3回戦(2分制)

MIO LaReyna(TEAM REY DE REYES/ 55.7kg)5戦5敗
        VS
妃芽奈(ワイルドシーサー高崎/ 54.9kg)1戦1勝
勝者:妃芽奈 / 判定0-3
主審:多賀谷敏朗
副審:マット27-30. 椎名26-30. 中山27-30

◆第1試合 49.0kg契約3回戦

赤土剛琉(D-BLAZE/ 48.75kg)2戦2敗
       VS
庄司翔依斗(拳之会/ 47.0kg)1戦1勝
勝者:庄司翔依斗 / 判定0-3
主審:松田利彦
副審:多賀谷28-29. 椎名28-29. 中山28-29

赤土剛琉はややスロースターターか、攻めの勢いは庄司翔依斗。初回は庄司がリード。第2ラウンドは赤土が蹴りと組み合ってもやや優勢気味でリード。第3ラウンドには庄司もパンチと蹴りで巻き返して僅差で判定勝利。各ラウンド、ジャッジ三者とも揃っていた。

赤土剛琉と庄司翔依斗の攻防、圧して出た庄司がわずかに優った

《取材戦記》

元・全日本フライ級、バンタム級チャンピオン、赤土公彦さんの御子息、次男の剛琉くんがプロ2戦目を行ないました。デビュー戦は9月に別興行で行われている模様です。この日は手数で圧され判定負けでしたが、父親そっくりの風貌と攻めのスタイルも似たところがありました。タイで試合も重ねて経験を積んでおり、10月5日にはタイ国ラジャダムナンスタジアムで1ラウンドKO勝利し、現地戦績は3戦2勝(1KO)1敗。

この日相手の庄司翔依斗はアマチュア経験を経てのデビュー戦のようでしたが、剛琉にとってタイでの経験は自信を持ち過ぎると、帰国後の試合でのリズムが噛み合わなくなるパターンも多く、過去の名チャンピオンも陥るスランプだったりします。今後、壁を打ち破る浮上が期待されます。

赤土氏の御子息、長男は公亮。2023年3月26日プロデビューで国内3戦2勝1分。タイ現地試合は2戦1勝1敗。兄弟ともデビュー当時の目付き鋭い公彦父さんソックリである。過去、親子二代チャンピオンは何組か誕生しているが、向山鉄也前キングジム会長に続いて赤土公彦氏も狙っている快挙は実現に至るか。

庄司翔依斗はNJKFスーパーバンタム級6位、庄司理玖斗の弟で、こちらも兄弟でチャンピオンを目指す関西期待の星。キックボクシングに限らず、兄弟選手が多い時代です。

第1試合の話だけになってしまいましたが、メインイベント、セミファイナルの僅差の結果ながら、赤平大治、大岩竜世、悠、明夢らも2025年にどこまで駆け上がるか期待されます。

NJKFの2025年関東エリア本興行は現在、

2月2日(日)後楽園ホール、4月27日(日)後楽園ホール、5月11日(日)PITジム興行、

6月8日(日)後楽園ホール、9月28日(日)後楽園ホール、11月30日(日)後楽園ホールが予定されています。他、2月9日(日)DUEL興行、3月16日(日)女子ミネルヴァ興行

関西で3月16日(日)誠至会興行、4月20日(日)拳之会興行、7月20日(日)誠至会興行の興行予定が入っています。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

《急報》三島由紀夫×板坂剛 11月30日(土)新宿ガルロチにて、鬼才・板坂剛の脚本演出による、三島由紀夫生誕100年記念創作フラメンコ『班女』を初公演!

◆世間の三島離れに抗して作り上げた創作フラメンコ『班女』 板坂 剛

世間の三島離れに抗して、三島文学を創作フラメンコとして舞台化してみたいと思い立ったのは1年も前のことではなかったが、もし、そういう機会があれば是非挑戦してみたいと思う作品は既に20年前からあった。

近代能楽集の『班女(はんじょ)』である。三島由紀夫の戯曲と言えば『黒蜥蜴』『サド公爵夫人』が有名だが、どちらも判りやす過ぎてつまらない。しかし、『班女』には観る者の主観によりどこに美を感じるかが違ってしまう面白さがあって、混乱した印象を受けてしまうが。そこがこの作品にどのようにでも脚色できる誘いの隙を与えているのを感じる。

偶然にも1998年にスペイン人のフラメンコ舞踊家トーマス・デ・マドリーという人が滋賀県草津に在住する阿部啓子というやはりフラメンコ舞踊家のリサイタルで、彼の脚本演出による『班女』を上演している。

トーマスがスペイン人でありながら三島文学の愛好家であったことには驚いたが、彼自身の創作フラメンコ作品に『班女』を選んだことにはもっと驚かされた。

実際に上演された『班女』を観て、当然自分とは随分解釈が違うと感じたものの、同じフラメンコの舞踏家としていつかこの作品を舞台に乗せてみようと思ってはいた。

そして2024年11月30日。かつてフラメンコの聖地と呼ばれた新宿のガルロチ(元エル・フラメンコ)で、ようやく私の『班女』を上演することが出来る。この作品に目をつけるのは三島文学愛好家の中でも「研究家」と呼ばれるべきレベルであるとの自負をこめて……

▼板坂 剛(いたさか・ごう)
作家、舞踊家。1948年福岡県生まれ、山口県育ち。日本大学芸術学部在学中に全共闘運動に参画。鹿砦社より『三島由紀夫と1970年』(2010年、鈴木邦男との共著)、『三島由紀夫と全共闘の時代』(2013年)、『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(2017年)、『思い出そう! 1968年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』(紙の爆弾2018年12月号増刊)等多数。

11月30日(土)新宿ガルロチにて 三島由紀夫生誕100年×鈴木邦男追悼 トークシンポジウムとフラメンコの夕べ

三島由紀夫生誕100年 鈴木邦男追悼
トークシンポジウムとフラメンコの夕べ

三島由紀夫が古典芸能作品を脚色した「近代能楽集」の中でも
異色の傑作として知られる『班女』(はんじょ)──。
フラメンコ舞踊家で三島由紀夫研究家でもある鬼才・板坂剛による脚本演出で、
スキャンダラスで斬新な新たな創作フラメンコ『班女』としてよみがえる。
板坂自ら「総決算」と呼ぶ本公演をお見逃しなく!

第1部 三島由紀夫生誕100年記念 創作フラメンコ『班女』
脚本・演出 板坂剛

第2部 鈴木邦男追悼 トークシンポジウム 
富岡幸一郎(文芸評論家)×木村三浩(一水会代表)×板坂剛

日時:11月30日(土)開演 19:00~(開場18:00~)

会場:地中海料理&ワイン Showレストラン「ガルロチ」
東京都新宿区新宿3-15-17 伊勢丹会館6F(JR新宿駅 徒歩5分)

入場料(いずれも1プレート・1ドリンク付)
一般席:6.500円
S席:8,000円(舞台最前列席)

お問合せ/お申し込み f0228kame@gmail.com
ショートメールでの受付 090-8876-4018

「香害」問題に新しい視点、横浜副流煙裁判をドラマ化した映画『窓』、ロサンゼルス日本映画祭2024〈JFFLA〉で上映 黒薮哲哉

横浜副流煙裁判をドラマ化した映画「窓」が、9月14日にロサンゼルス日本映画祭(Japan Film Festival Los Angeles 2024〈JFFLA〉)で上映される。

この映画は、煙草の副流煙が引き金となった隣人トラブルに材を取った作品で、ロンドンやパリの国際映画祭の最優秀長編映画賞など、国内外で数々の賞を受賞してきた。また、主演の西村まさ彦氏が最優秀主演男優賞を受けるなど高い評価を得てきた。

ロサンゼルスでの上映が決まったことで、「香害」が新しい視点から、禁煙ファシズムの発祥地である米国でもクローズアップされることになった。
 
既報してきたように、横浜副流煙裁判は、たばこの副流煙が原因で健康を害したとして、隣人が隣人に対して約4500万円の損害賠償を求めた事件である。舞台は、横浜市のマンモス団地。都会の砂漠。日常生活の中に潜んでいる事件だが、原告の訴えに根拠はなく、被告として法廷に立たされたミュージシャンの勝訴で終わった。


◎[参考動画]映画 [窓] MADO Trailer

映画『窓』は、「香害」について再考する上で重要な作品である。マスコミ報道が原因で、「香害」=化学物質過敏症の単眼的な概念が社会の隅々まで根を張っている。その結果、「香害」が持つもうひとつの顔は、ほとんど認識されていない。  もうひとつの顔とは、「香害」を訴えている人々の中に、かなりの割合で精神疾患の人々が混じっている実態である。医療に携わる人々に間でも、精神疾患の可能性を考慮せずに、患者の訴えを鵜のみにして、安易に「化学物質過敏症」の病名を付した診断書を交付している。それが予期せぬ隣人トラブルの引き金になっている。

『窓』は、初めてこの点に踏み込んだ作品である。化学物質過敏症をテーマとした映画としては、『いのちの林檎』が有名だが、『いのちの林檎』は化学物質過敏症で苦しんでいる人を単眼的に描いているだけで、精神疾患の問題には踏み込んでいない。と、いうよりも同作品が制作された時代には、化学物質過敏症と精神疾患を区別する科学の視点がまだ定着していなかったのである。

横浜副流煙裁判の中で、煙草の被害を訴えた原告側に、精神疾患の可能性が浮上したことで、「香害」の捉え方が多面性を帯びてくる。麻王監督は、この点に着目して事件をドラマ化したのである。複雑きわまりないテーマを、名演技と美しい映像で構成した。

※               ※               ※

 映画の上映に際して、麻王監督をはじめ、プロジューサーの藤村政樹氏、主演の西村まさ彦氏、それに実際に横浜副流煙事件の当事者となった藤井将登・敦子夫妻の5名が渡米する。

『窓』のエンディングで使われている曲は、ミュージシャンで事件の被告である藤井将登氏の作曲である。歌っているのは、小川美潮。何十年も前に誕生した曲だが、偶然に映画『窓』の世界と一致している。複雑な社会機構の中で、窓を閉じて、街を眺めるしか生きるすべがない弱者の悲しみが伝わってくる。


◎[参考動画]小川美潮「窓 ~ mado 2022 ~」―映画『[窓] MADO』 SIDE[B]

本稿は『メディア黒書』(2024年08月24日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

今こそ、鹿砦社の雑誌!!

◎『紙の爆弾』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0D8PP3BNK/
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戦争が‟対岸の火事“ではなくなった2024年8月──今こそ〈反戦〉の意味を考える〈2〉 鹿砦社代表 松岡利康(龍一郎 揮毫)

鎮魂(龍一郎 揮毫)

ここ甲子園では、今年も夏の高校野球が始まりました。私は毎日甲子園球場の周りを散歩していますが、日本中から多くの人たちが駆け付け賑わっています。ウクライナやガザでは日々人々が亡くなり悲惨な状況だというのに、地球の遙か遠くの戦火がまるで嘘のような平和な風景です。

昨年、古くからの知人で児童文学・子どもの生活文化研究家の梓加依さんの著書『広島の追憶 ―― 原爆投下後、子どもたちのそれからの物語』を出版いたしました。梓さんとは不思議な因縁で1992年、『豊かさの扉の向こう側』(長崎青海名義)を出版して以来、一時期娘さんが当社で働いたり、細く長い付き合いです。1992年と言いますから、実に30年余り経っていますが、これもまた何かの縁です。

先の『豊かさの扉の向こう側』を偶然に教育委員会の方が読まれ県下の図書館に置きたいということであるだけ持って行ったり、また、ある国立大学の非常勤講師の話があったりし、もともと勤勉な方で、近畿大学の夜間課程に入学、さらには神戸大学の大学院修士を修了されました。

梓さんは終戦前年の長崎生まれ、その後広島に移住、高校を卒業するまで住まわれていました。戦後の長崎、広島の悲惨な風景に日々接していたはずです。

そうしたことを自著の中で述べてこられました。当社が昨年出した『広島の追憶』は、その体験に基づいたノンフィクション・ノベルで、ぜひご一読いただきたい一冊です。

そして梓さんは、この最後に、
「……そして、戦後八十年に届く日が過ぎた。でも、地球から核の脅威はなくならない。戦争もなくならない。風よ、届けてほしい。被爆地ヒロシマから世界中の子どもたちへ。この八十年の物語が、子どもたちの未来、いいえ、近い将来の物語にならないように……。」
と書き記しておられます。

一見平和な今の甲子園周辺の風景 ―― これはいつまで続くのか? いまや年老いた多くの先達たちが、時に血を流し闘いながら守って来た〈平和〉、ここで挫けることがあってはなりません。改憲の蠢動は断固粉砕しなくてはなりません。

8月6日に続き、再び〈反戦歌〉2曲、加筆し再掲載させていただきます。これらに表現された平和への想いを感じ取って欲しい。

◆ザ・フォーク・クルセダーズ『戦争は知らない』

よく『戦争を知らない子供たち』と間違えられますが、違います。『戦争は知らない』は、それよりも先にベトナム戦争真っ盛りの1967年にシングルカットされ、発売されています。作詞は、演劇の世界に新たな境地を開拓した劇団『天井桟敷』主宰の寺山修司、歌は『たそがれの御堂筋』で有名な坂本スミ子。意外な組み合わせです。

寺山修司は、いわゆるアングラ演劇の教祖ともされる人物ですが、彼がこのように純な歌詞を書いたのも意外ですし、また坂本スミ子に歌わせたのも意外、歌謡曲として売り出そうとしたのでしょうか。

その後、ザ・フォーク・クルセダーズ(略称フォークル)が歌いますが、こちらがポピュラーです。いわば「反戦フォーク」として知られています。私は坂本スミ子が歌ったのを知りませんでしたが、フォークルのメンバーだった端田宣彦(はしだのりひこ。故人)さんに生前インタビューする機会があり(かつて私が編集した『この人に聞きたい青春時代〈2〉』)この際に端田さんから直接お聞きしました。

誰にも口ずさめる歌ですので、みなで歌うことがあれば、ぜひ歌ってください。私たちも先日、コロナの感染で長らくイベントを休んでいましたが、20年余り全国の刑務所・少年院を回り獄内ライブ(プリズン・コンサート)を行っている女性デュオ「Paix2(ペペ)」のライブを行いました。そこでもみなで歌いましたPaix2のPaixとはフランス語で「平和」という意味で、これが2人なのでPaix2ということです。

だったら、今こそ、この曲を歌って欲しいという願いからでした。


◎[参考動画]ザ・フォーク・クルセダーズ 戦争は知らない (1968年11月10日発売/東芝Capitol CP-1035)作詞:寺山修司/作曲:加藤ヒロシ/編曲:青木望

♪野に咲く花の 名前は知らない
だけど 野に咲く花が好き
帽子にいっぱい 摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの
戦争の日を 何も知らない
だけど私に 父はいない
父を想えば あゝ荒野に
赤い夕陽が 夕陽が沈む
戦さで死んだ 悲しい父さん
私は あなたの娘です
20年後の この故郷で
明日お嫁に お嫁に行くの
見ていてください 遙かな父さん
いわし雲飛ぶ 空の下
戦さ知らずに 20歳になって
嫁いで母に 母になるの
野に咲く花の 名前は知らない
だけど 野に咲く花が好き
帽子にいっぱい 摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの

◆ネーネーズ『平和の流歌』

先に反戦歌として『戦争は知らない』について記述したところ予想以上の反響がありました。私たちの世代は若い頃、日常的に反戦歌に触れてきました。なので反戦歌といってもべつに違和感はありません。最近の若い人たちにとっては、なにかしら説教くさいように感じられるかもしれませんが……。

今回は、この記事を書いた年が沖縄返還(併合)50年ということで、沖縄についての反戦歌を採り上げてみました。

沖縄が、先の大戦の最終決戦の場で、大きな犠牲を強いられたこともあるからか、戦後、沖縄戦の真相や、戦後も続くアメリカ支配は歴然で、それを真剣に学んだ、主に「本土」のミュージシャンによって反戦・非戦の想いを込めた名曲が多く作られました。すぐに思い出すだけでも、宮沢和史『島唄』、森山良子『さとうきび畑』、森山が作詞した『涙そうそう』、阿木耀子作詞・宇崎竜童作曲『沖縄ベイ・ブルース』『余所(よそ)の人』……。

森山良子など、デビューの頃は「日本のジョーン・バエズ」などと言われながら、当時は、レコード会社の営業策もあったのか、いわゆる「カレッジ・フォーク」で、反戦歌などは歌っていなかった印象が強いです(が、前記の『さとうきび畑』を1969年発売のアルバムに収録していますが、当時は知りませんでした)。

『沖縄ベイ・ブルース』『余所の人』はネーネーズが歌っていますが、ネーネーズの師匠である知名定男先生と宇崎竜童さんとの交友から楽曲の提供を受けたものと(私なりに)推察しています。知名先生に再会する機会があれば聞いてみたいと思います。

それは以前、高校の同級生・東濱弘憲君(出生と育ちは熊本ですが親御さんは与那国島出身)がライフワークとして熊本で始めた島唄野外ライブ「琉球の風~島から島へ」に宇崎さんは知名先生の電話一本で快く何度も来演いただいたことからもわかります。熊本は沖縄との繋がりが強く『熊本節』という島歌があるほどです。一時は30万人余りの沖縄人が熊本にいたとも聞きました。それにしても、沖縄民謡の大家・知名先生とロック界の大御所・宇崎さんとの意外な関係、人と人の縁とは不思議なものです。

ところで、ネーネーズが歌っている楽曲に『平和の琉歌』があります。これは、なんとサザンオールスターズの桑田佳祐が作詞・作曲しています(1996年)。前出の『戦争は知らない』の作詞がアングラ演劇の嚆矢・寺山修司で、これを最初に歌ったのが『たそがれの御堂筋』という歌謡曲で有名な坂本スミ子だったのと同様に意外です。しかし桑田の父親は満州戦線で戦い帰還、日頃からその体験を桑田に語っていたそうで、桑田の非戦意識はそこで培われたのかもしれません。

この曲は、在りし日の筑紫哲也の『NEWS23』のエンディングソングとして流されていたものです。筑紫哲也は沖縄フリークとして知られ、他にもネーネーズの代表作『黄金(こがね)の花』(岡本おさみ作詞、知名定男作曲)も流しています。

岡本おさみは、森進一が歌いレコード大賞を獲った『襟裳岬』も作詞しデビュー間もない頃の吉田拓郎に多く詞を提供しています。岡本おさみは他にも『山河、今は遠く』という曲もネーネーズに提供しており、これも知名先生が作曲し知名先生は「団塊世代への応援歌」と仰っています。いい歌です。ネーネーズには、そうしたいい歌が多いのに、一般にはさほど評価されていないことは残念です。

さらに意外なことに、一番、二番は桑田が作詞していますが、三番を知名先生が作詞されています。

サザンは、最初に歌ったイベントの映像と共にアルバムに収録し、シングルカットもしているそうですが、全く記憶にないので、さほどヒットはしていないと思われます。サザン版では一番、二番のみで三番はありません。ここでは一番~三番までをフルで掲載しておきます。

【画像のメンバーは現在、上原渚以外は入れ替わっています。現在のメンバーでの『平和の琉歌』は未見です。】


◎[参考動画]『平和への琉歌』 ネーネーズ『Live in TOKYO~月に歌う』ライブDigest

一 
この国が平和だとだれが決めたの
人の涙も渇かぬうちに
アメリカの傘の下 
夢も見ました民を見捨てた戦争(いくさ)の果てに
蒼いお月様が泣いております
忘れられないこともあります
愛を植えましょう この島へ
傷の癒えない人々へ
語り継がれていくために

二 
この国が平和だと誰が決めたの
汚れ我が身の罪ほろぼしに
人として生きるのを何故にこばむの
隣り合わせの軍人さんよ
蒼いお月様が泣いております
未だ終わらぬ過去があります
愛を植えましょう この島へ
歌を忘れぬ人々へ
いつか花咲くその日まで

三 
御月前たり泣ちや呉みそな
やがて笑ゆる節んあいびさ
情け知らさな この島の
歌やこの島の暮らしさみ
いつか咲かする愛の花

[読み方]うちちょーめーたりなちやくぃみそな やがてぃわらゆるしちんあいびさ なさきしらさなくぬしまぬ  うたやくぬしまぬくらしさみ ‘いちかさかする あいぬはな

ネーネーズの熱いファンと思われる長澤靖浩さんという方は次のように「大和ことば」に訳されています。

「お月様よ もしもし 泣くのはやめてください やがて笑える季節がきっとありますよ 情けをしらせたいものだ この島の 歌こそこの島の暮らしなのだ いつか咲かせよう 愛の花を」

(松岡利康)

◎[リンク]今こそ反戦歌を! http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=103

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年夏・秋合併号《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

戦争が‟対岸の火事“ではなくなった2024年8月──今こそ〈反戦〉の意味を考える 鹿砦社代表 松岡利康

八月の空は悲しい(龍一郎 揮毫)

今年も8月6日がやって来ました。── ここ甲子園では平和の象徴ともいえる夏の高校野球が明日7日から始まります。

今年は、ウクライナでの戦火に加えパレスチナでもイスラエルによる無慈悲な攻撃により戦火は収まるどころか拡大しています。日本にあっても、もはや?対岸の火事”ではありません。解決の糸口はあるのでしょうか、絶望的になります。ほとんどの日本人にとっては今に至るも‟対岸の火事”のように感じられます。果たしてこれでいいのでしょうか?

かつて1960年代後半から70年代にかけて(75年のベトナム戦争終結まで)全世界にベトナム反戦運動が拡がりました。これが和平への後押しになったことはいうまでもありません。今はどうか?

8月1日付けの本通信でも記しましたが、戦後79年、日本が曲りなりとも平和を維持できたのは、先の戦争の反省から、歴史の曲がり角にあった60年、70年の〈二つの安保闘争〉を中心として、これ以後も地道な抵抗運動があったからだと考えています。8月15日付けの本通信にて採り上げますが、私の従兄は異国で終戦を迎え必死で故郷熊本に戻り、その後大学生時代に60年安保闘争に参加しています。三里塚闘争はいまだに続いています。

異論もあろうかと思いますが、半世紀余り、時にみずから血を流し闘い、半世紀余り自分なりに社会の動向、反戦運動や社会運動の推移を見てきた上での感慨です。決して机上での平和談議ではありません。日本は、曲がりなりにも民主主義社会です(この規定にも異論はあるでしょうが、少なくとも独裁国家や専制国家ではありません)。まだ声は挙げれます。

大学に入った1970年、帰省の途中で広島に立ち寄りました。これまで長崎には何度か行っていましたが広島を訪れたのは初めてでした。8月6日に毎年広島で行われる抗議活動に参加し、その日は広島大学の寮に泊めていただきました。翌日は京都からやって来たべ平連の人たちと岩国の基地反対運動にも参加し右翼からの攻撃に広島大学の学生(中核派やね)らと一緒に対峙したことが、ついきのうのことのように蘇ります。もう54年かあ。この半世紀余りの間、日本の、そして世界の、言葉の真の意味での平和は維持されたのでしょうか ── もう50年余り前の若き日の記憶から思うところを書き記してみました。

翌年1971年の8・6は歴代首相で初めて当時の佐藤栄作首相が広島の慰霊祭に出席するということで荒れました。いまだに記憶に残るのは、ある女子大生が体当たりで佐藤首相に抗議したことです。これは報道写真でも残っています。この年の夏は三里塚闘争で仲間が逮捕されたり9月に予定されている第二次強制収容阻止闘争や沖縄返還協定批准阻止闘争の準備などで広島には行けませんでしたが、報道で観て非常に感銘を受けました。

1971年8月6日の広島平和公園に来た佐藤栄作首相(当時)に抗議の体当たりをする女子学生

今回は、2年前にウクライナ危機に触発されて、若き日に接した反戦歌について書き記した文章に加筆し、この2年間、状況がまったく変わらず、それどころかますます泥沼化し悲劇が拡大している中で、あらためて加筆、再掲載してみました。ぜひお読みいただければ幸いです。

◆矢沢永吉 『FLASH IN JAPAN』

私はこの曲を聴いて大変ショックを受けました。今こそみなさんに聴いて欲しい一曲です。日本のロック界のスーパースター矢沢永吉は広島被爆二世です。これも意外と知られていません。ご存知でしたか? 父親を被爆治療の途上で亡くしています。矢沢がまだ若い頃(1987年)、『FLASH IN JAPAN』という曲を英語で歌い、その映像(ミュージックビデオ)を原爆ドームの前で撮影し、これを全米で発売するという大胆不敵なことをしでかしています。


◎[参考動画]Longlost Music Video: Eikichi Yazawa “Flash in Japan” 1987

5万枚といいますから矢沢のレコードとしては少ないのでしょうが、矢沢にすれば原爆を人間の頭の上に落としたアメリカ人よ、よく聴け! といったところでしょうか。いかにも矢沢らしい話です。このエネルギーが、部下による35億円もの巨額詐欺事件に遇ってもへこたれず、みずから働き全額弁済し復活したといえるでしょう。やはりこの人、スケールが違います。私より2歳しか違いませんが、私のような凡人とは異なり超人としか言いようがありません。

ちなみに私たちの世代にはカリスマ的存在である秋田明大(日大全共闘代表)さんも被爆二世で、毎年8月6日に開かれる抗議集会には必ず実行委員に名を務められたり参加されています。

アメリカで発売されたこの曲に正式な日本語訳はないようですが、ファンの方が訳されていますので以下に掲載しておきます(英文は割愛。藤井敦子補訳)。私も時間を見つけて、あらためて訳してみたいと思います。

俺たちは学んだのか
 治せるのか
 俺たちは皆あの光を見たのか
 雷みたいに落ちてきて 世界を変えちまった
 稜線を照らし 視界を消し去った
 戦争は終わらないんだよ 誰かが負けるまでは
 人々の群れが塔をなぎ倒し
 敵がどこに隠れているのか知っている
 兄妹たちは炎の中をはいつくばったが
 出口に届くことはなかった
 あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
 それともまた日本で光るのか
 雨は熱いのか これで終わるのか
 それともまた日本で光るのか
 彼らに何と言えばよいのか
 子供たちよ聞いてくれ
 俺たちが全てを吹き飛ばしてしまったが
 君たちは再出発してくれ
 朝なのに今は夜のようで 夜は冬のようだが
 いくつか変わったこともある
 いつも忘れないでいてほしい
 戦争は終わらない 誰かが負けるまでは
 あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
 それともまた日本で光るのか
 雨は熱いのか これで終わるのか
 それともまた日本で光るのか
 あの空の光は 戦争なのか 雷なのか
 それともまた日本で光るのか
 雨は熱いか これで終わるのか
 それともまた日本で光るのか

◆忌野清志郎『花はどこへ行った』/ PP&M『Where Have All the Flowers Gone?』

当初電撃戦で一瞬にしてロシアの勝利と思われたウクライナ戦争が長引いています。電撃戦どころか、ウクライナの予想外の抵抗により(ウクライナとロシアの歴史を見れば、決して「予想外」ではないかもしれません)、もう2年半も続き、解決の糸口は見つからず、さらに長期化する兆しです。ウクライナの予想外の抵抗でロシア軍はなりふり構わず攻撃しウクライナの都市や大地を焦土化し泥沼化しています。かつてのベトナム戦争のように──。

1955年から20年続いたベトナム戦争は60年代には泥沼化し、同時に米国のみならず全世界的なベトナム反戦運動が拡がりました。あの頃の話が「遠い昔の物語」(忌野清志郎の詞)ではなかったことが今になって甦ってきました。ベトナム戦争は、私が幼少の頃に始まり、終わったのは大学を出る頃(1975年)でした。時の経過と生活に追われ長らく忘れていた悲惨な記憶が甦ってきました。

ベトナム反戦の叫びは多くのメッセージソングを生み出しました。

ピート・シーガーが作った『花はどこへ行った(Where Have All the Flowers Gone ?)』もその代表作の一つでした。ベトナム戦争が始まった1955年に作られ、1962年にPP&M(Peter, Paul & Mary)が歌い大ヒットします。日本ではPP&M版が一番ポピュラーのようですが、このほか、キングストン・トリオ、ブラザーズフォー、ジョーン・バエズらが歌っています。曲の遠源はウクライナ民謡(子守唄)ともいわれますが、なにか因縁を感じさせます。

PP&M(Peter, Paul & Mary)

しばらくして日本にも輸入され、「反戦フォーク」として当時の若者の間でヒットし耳にタコが出来るほど聴き歌いました。私もそうでした。また、私と同じ歳の忌野清志郎(故人)もそうだったのでしょう、みずから意訳し歌っています。激動の時代を共に過ごし、時に原発問題とか社会問題にコミットする清志郎の想いがわかるような気がします。

今、ウクナイナでの戦火に触発され加藤登紀子、MISIAらが、この曲を歌い始めました。加藤登紀子はともかく、ライブで『君が代』を歌うようなMISHAがこの歌を歌うのには違和感がありますが……。登紀子さんには、この際、今は全くと言っていいほど歌わなくなった『牢獄の炎』とか『ゲバラ・アーミオ』とかも歌ってほしいですけどね。

つい先日(7月8日)、京都のキエフ(登紀子さんの実家経営)で、私がいた大学の学生運動、および寮の大先輩・藤本敏夫さんの23回忌が開かれました。私とは世代が全く異なり直接の面識はなかったので迷ったのですが、先輩に勧められ、資料コピー係(この世代の常として紙の資料が多いんです)を務め出席させていただきました。

その際、登紀子さんに「今はなぜ『牢獄の炎』を歌わないのですか?」と尋ねましたところ、「あなた、なぜこの曲を知っているの?」と驚かれました。「大学に入ってすぐに先輩に勧められ買いました。私に言わせれば『百万本のバラ』もいいが、『牢獄の炎』や、さらには『美しき五月のパリ』も復活させていただきたく熱望します。

ちなみに藤本敏夫さんは、ここ甲子園の出身です(甲子園三番町。鹿砦社は八番町)。

さて、『花はどこへ行った』は、日本でも多くの歌手がカバーしていますが、異色なところでは、古くはザ・ピーナッツ』や、今ではミスチルら、数年前、フォーククルセダーズが再結成された際のコンサートでは、わがネーネーズも一緒に歌っています。

ベトナム戦争が始まってから70年近く経ち、終わってからも50年近く経ちますが、ウクライナやパレスチナに見られるように、残念ながら、決して「遠い昔の物語」ではなくなりました。この曲は、ベトナム戦争終結とともに次第に歌われなくなっていきました。今後ウクライナ戦争のような戦争が起きるたびに歌われる名曲でしょうが、ウクライナやパレスチナに一日も早く平和が戻り、「遠い昔の物語」として、この曲が歌われなくなることを心より祈ります。


◎[参考動画]ピーター・ポール&マリー(PP&M)/花はどこへ行った(Where Have All The Flowers Gone)

『Where Have All the Flowers Gone?』
作詞・作曲:Pete Seeger、Joe Hickerson

Where have all the flowers gone
Long time passing?
Where have all the flowers gone
Long time ago?
Where have all the flowers gone?
Young girls have picked them everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the young girls gone
Long time passing?
Where have all the young girls gone
Long time ago?
Where have all the young girls gone?
Gone for husbands everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the husbands gone
Long time passing?
Where have all the husbands gone
Long time ago?
Where have all the husbands gone?
Gone for soldiers everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the soldiers gone
Long time passing?
Where have all the soldiers gone
Long time ago?
Where have all the soldiers gone?
Gone to graveyards, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the graveyards gone
Long time passing?
Where have all the graveyards gone
Long time ago?
Where have all the graveyards gone?
Gone to flowers, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?

Where have all the graveyards gone
Long time passing?
Where have all the graveyards gone
Long time ago?
Where have all the graveyards gone?
Gone to flowers, everyone
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?


◎[参考動画]花はどこへ行った~トランジスタラジオ 忌野清志郎

『花はどこへ行った』
忌野清志郎詞、ピート・シーガー作曲

野に咲く花は どこへ行った
遠い昔の物語
野に咲く花は 少女の胸に
そっと優しく抱かれていた

可愛い少女は どこへ行った
遠い昔の物語
可愛い少女は 大人になって
恋もして ある若者に抱かれていた

その若者は どこへ行った
遠い昔の物語
その若者は 兵隊にとられて
戦場の炎に抱かれてしまった

その若者は どうなった
その戦場で どうなった
その若者は死んでしまった 
小さなお墓に埋められた

小さなお墓は どうなった
長い月日が 流れた
お墓のまわりに花が咲いて
そっと優しく抱かれていた

その咲く花は どこへ行った
遠い昔の物語
その咲く花は 少女の胸に
そっと優しく 抱かれていた

野に咲く花は どこへ行った
遠い昔の物語
野に咲く花は 少女の胸に
そっと優しく抱かれていた

(松岡利康)

◎[リンク]今こそ反戦歌を! http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=103

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。

松本人志はやっぱり宇宙人だったのか?〈後編〉 板坂 剛(作家・舞踊家)

◆神聖な偶像がなぜ必要なのか?

かって親しくしていた宗教関係者の女性がしきりに「神は実在する」と口走っていた。「実在」という言葉が引っかかって、どうしてもこの女性との関係を持続出来なかった。

「宇宙人は実在する」とか「UFOは実在する」と言われればまだ納得しようという気分になれたかもしれないのだが……

しかし、「神は実在する」と言われても、目撃情報が全くないのだから判断することは出来ない。彼女はこうも言った。

「立派な建築物は優秀な設計者がいるから創られる。人間の体も同様で優れた創造者の設計でこれほど見事に完成されたのよ。その創造者が神なのですよ」

こういう理屈はジャーナリズムの世界では、裏づけが取れていない空論として排除される。が、宗教の世界、とりわけキリスト教の信者の間では、空論も正論として認められているようである。前述した私の交際相手の女性も生粋のクリスチャンだった。

ただ最近のキリスト教系の新団体では「神が実在するというのは間違いで、神は人それぞれの心の中にある神聖な領域への憧れの結晶です」と言い切る指導者もいらっしゃるようだ。これまでその種の映画や小説の中で用いられた「神の声を聞いた」等という表現も、「それは自分の内なる神聖に美化された自分の声を聞いた」ということらしい。

そういう言い方をしてくれれば、何となく理解出来る。また、宗教に救いを求める人々の気持ちも判らないではないと思える。そして、その気持ちは、UFO=宇宙人が実在すると信じたい人々のこだわりに通じるものがあるような気がするのである。

UFOが神と異なるのは、目撃情報がやたらに多いという点だが、人間が生存する次元を超えた「物体」に対して精神的に執着したいという人心を惑わすところは同じ。「執着したい」はやがて「帰依したい」となる。

UFOは当初、宇宙からの脅威という不安材料を与えて大衆を結束させる目的で設定されたが、やがてマニアックな人々の意識に導かれ、多くの人々のロマンの対象となっている。

神もまた権力者が支配の口実にして、神の意向が自分の意向であるかのようなプロパガンダを用いた末に、布教活動と商業と時には武力行使をセットにした事実上の侵略を可能にしたという意味で、統治の強力な要(かなめ)であった。

もちろん現在の形骸化した宗教では、教会は結婚式場として若いカップルを祝福する最適なスペースを提供しているわけで、神は1応幸福を求める人々の心の支えとして機能していることになる。

UFOも神も謎めいた一種の偶像として大衆的には定着していると言えるだろう。それもまた害のない帰依ではないかと思う。

では害のある帰依とは何か? 私はそれが松本人志やジャニー喜多川を独裁者の如く崇拝した支持者たちの異常な心理であると思う。

ファンには罪はない。誰が誰を好きになろうが、それは自由だ。また独裁者タイプの人は多くのファンを獲得する以前に、自分は特別な人間であり、偶像として人並みではない扱いを受けるべき大人物であるという自覚と自信を抱いているのも事実。その人たちが放つ特異なオーラは、庶民の目から見れば「神がかった人物」とも「宇宙人」とも見えるかもしれない。

スピリチュアルな世界にはまった人から見れば、なおさらである。足立区の中華料理店で出会った若者の言葉は彼なりの真実であったと言うべきだろう。

彼にも罪はない。彼を含めて鋭敏な感性の持ち主たちが望んでいたのは、偶像を発見する歓びであっただろう。その結果、彼等彼女たちに有害な事象が生じたとしても、それは自己責任というものと思えるが、まあそれにしても、パーティーで初めて会った若い女性に、アルコールが入った上でだとしても「俺の子供産めや」なんてよく言えるよナァ。やっぱりあの男、もしかしたら宇宙人かって、思いたくなる時もある。

そして、あの男。広末涼子とのW不倫で名を売ったカリスマ・シェフ。あいつも東スポの記者に向かって「うらやましいでしょう」と言ったそうだ。このカリスマの特権意識・優生思考。確かにうらやましい。

神も宇宙人もカリスマも所詮大衆の劣性思考に支えられて存在していると考えれば、いつか「うらやましい」が、「うらめしい」に転換することもあるという話である。

◆地震津波は神の怒りか?

能登半島で地震があった。北陸電力も原子力規制委員会も認めていなかった断層が見つかったって……。これをクリスチャンやスピリチュアル・マニアの方々は、何故「神の怒り」「宇宙人からの警告」と声高に叫ばないのだろうか? 

地球とて宇宙全体の無限の広がりの中では、ちっぽけな天体に過ぎない。そこでくり広げられる人間の様々な愚行から生じる問題(領土問題・環境問題・ワクチン禍・LGBT・差別・利権 etc)に、神がいつまでも沈黙を守るはずはないとは考えられないのか。

人智を超えた力を見出すのが宗教であり、精神世界であると思うのだが……。

かつて神戸に在住していたクリスチャンの知人が、個人的な事情で東京に転居した。その直後に阪神大震災が起こり、知人が住んでいた家は半壊したという。

その際の知人のコメントは、「神が私をお守り下さった」

自分の身を護るだけの信仰だったのかと問いたい。

本稿は『季節』2024年春号(2024年03月11日発売号)掲載の同名記事を本通信用に再編集した記事の後編です。

板坂 剛 松本人志はやっぱり宇宙人だったのか?(全2回)
〈前編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=49986
〈後編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=49990

▼板坂 剛(いたさか・ごう)
作家、舞踊家。1948年福岡県生まれ、山口県育ち。日本大学芸術学部在学中に全共闘運動に参画。鹿砦社より『三島由紀夫と1970年』(2010年、鈴木邦男との共著)、『三島由紀夫と全共闘の時代』(2013年)、『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(2017年)、『思い出そう! 1968年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』(紙の爆弾2018年12月号増刊)等多数。

鹿砦社編集部編『ジャニーズ帝国 60年の興亡』