熊本「琉球の風 島から島へ FINAL」台風24号接近で無念の開催中止

 
実行委員長の山田高広さん

「残念だったですね」、「せっかくやったのにね。台風じゃ仕方ないわ」異口同音に台風24号の直撃を受けた九州・熊本で9月30日に開催が予定されていた「琉球の風 島から島へ FINAL」の中止を惜しむ声が聞こえた。

実行委員会ではギリギリのタイミングまで開催の可否の判断を待ち、いったんは「開催」をアナウンスするも、諸般の事情から直後に「中止」を決断した。実行委員長の山田高広さんは「きつかったですよ、本当に」と「中止」決断に至るご苦労が並大抵ではなかったことを語っておられた。

「琉球の風」には沖縄在住のミュージシャンと、本州はじめ熊本から見れば、北の方向からやってくるミュージシャンたちも参加する。沖縄から参加するミュージシャンたちはすでに9月27日から熊本入りしており、30日を迎えたが、他の地域から参加予定のミュージシャンたちには28日に「中止」決定が伝えられた。

本来であれば「打ち上げ」の場となるはずの熊本市内某所で、9月30日夕刻に関係者だけの「ミニ琉球の風」が開かれた。例年は本番のステージで活躍したミュージシャンのほとんどが参加するので、スタッフの方々の中には打ち上げに参加できない方もいるが、今年は多くの関係者スタッフの皆さんが会場を埋めた。

知名定男さんを囲んで

打ち上げというには本格的な「ミニ琉球の風」。本番で司会の予定だったはミーチュウさんと岩清水愛さんが揃い、「それでは第10回琉球の風をただいまから行います!」と元気の良い開会宣言からはじまった。この日はネーネーズ、新良幸人、島袋優、下地イサム、知名定男さんらがソロやセッションを繰り広げた。

中止になろうが、なるまいが、今年是非この人にお話を聞きたい、と事前から私的には期待していた人がいる。BEGINの島袋優さんだ。島袋さんはBEGINとしての活躍はもちろん、他のミュージシャンに楽曲を提供したり、例年「琉球の風」では大物であるにもかかわらず、気楽に誰とでもセッションに応じていた。ベテランなのにステージ上でのMCはどこかシャイで、偉そうにするところが全くない(実は酔っているためだったのではないかとも思われるが……)。

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BIGINの島袋優さん

島袋優さんにお話を伺った。

── 「琉球の風」に島袋さんは何回出演していただいたのでしょうか?

島袋 何回でしょかね。細かいことは覚えていないんですけど、BEGINで2回でて、それ以外に数回出ているのでたぶん5回くらいじゃないでしょうか。

── 27日から来られて、きょうはあいにくステージは中止でしたけれども、他のミュージシャンの方と数日間過ごされて、どんなことを感じていらっしゃいますか。

島袋 きょうはできなかったけど、俺が大尊敬する定男さん。しかもちょっとキュートな知名定男に「優、お前俺がこういうことを企画しているからやれ」っていわれて、それから始まったんです。中止になっても定男さんと亡き東濱さんと山田さん(実行委員長)の気持ちが絶対に残っているんですよ。こうやって飲んでで僕らいいんだろうか、とも思うんですけど、じゃないとダメだなと思ったんですよ。初日から定男さんと飲み、2日目はキヨサク(MONGOL800)と飲み、みたいな。イベントが無くなったのは凄く残念です。とくにお客さんに対して申し訳ない。でもうまく言えないんですけど「なにかもう一回お前たち考えろ」って言ってくれてるのかもな、という気はなんとなくしています。俺たちは知名定男さんっていう大先輩に甘えていて。それを「もう少し楽させてあげろや」って言われているのかなとか、いろんなことを考えますね。でもね、正直なことを言ったら多くを語れません。俺は付いていくだけです。熊本の皆さんの沖縄の音楽に対する熱意とかは、年々感じていました。だから仲良くなっていくしこうやって毎年熊本で「琉球の風」という名前でやってくれているのは凄いと思います。

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知名定男さん

お名前が何度も登場した知名定男さんは、昨年大腸がんの手術を受けてからのご参加で、体調もいまひとつ優れないご様子だったが、今年は常に泡盛の入ったグラスを片手に「いやーもう元気になったよ。去年が嘘みたい」とふっくらしたお腹周りが体調の良さを伺わせていた。

ミュージシャンではなくても沖縄には酒に強い人が多い。そして私の知る限り、ミュージシャンの飲み方は豪快である。だから沖縄のミュージシャンの宴はなかなか終わりを迎えはしない。そのためであろうか、あるいは偶然か。30日晴天であれば行われる予定であった「琉球の風」にはたしかに「FINAL」の文字がったが、宴(?)の中では「きょうは残念だった」と皆が口にしたけども「『琉球の風』が終わってしまって残念だ」、「いいイベントだったのにね」と過去形で振り返る言葉を耳にした記憶がない。わたしの勘違いかもしれないが「これで最後」という雰囲気がどこにも感じられなかった。

 
ネーネーズの皆さん

もちろん「FINAL」だったのだから、これで今までの「琉球の風」は終焉を迎える。しかしまた新しい風が琉球から吹いてこないとは限らない。ミュージシャンたちはお世辞ではなく、このイベントを楽しんでいた。島袋優さんのお話にも「これでおしまい」のニュアンスはなかった。

10年も非営利目的でボランタリーに運営にかかわって来られたスタッフの方々には、ただただ頭が下がる思いで、「お疲れ様でした」と申し上げるほかない。けれども「琉球の風」で初めて訪れて出会った熊本の人々の個性豊かさと力強さからは、また何か新しいものが産まれてくるのではないか、との予感を禁じ得ない。

雨天中止で残念ではあったが、それゆえに発見もあった第10回「琉球の風」であった。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

「琉球の風2018 FINAL」幻の記念グッズセットをデジ鹿読者にプレゼントします!

上記写真のエコバッグ(版画=名嘉睦稔、題字=龍一郎、鹿砦社提供)とシート、パンフレットは
毎回「琉球の風」の会場で先着1000名様にプレゼントしている記念グッズセットです。
今回は台風24号接近で無念の開催中止となったため、幻の記念グッズとなりました。
そこでデジタル鹿砦社通信の読者の方々にプレゼントさせていただきます。
ご希望の方は「琉球の風グッズ希望」と明記の上、郵便番号・住所・氏名を記載し、
下記メールアドレスにお申し込みください。
matsuoka@rokusaisha.com
10月10日までにお申し込みの方には全員、送料無料にて発送いたします!
(鹿砦社代表・松岡利康)

第1回~5回までの記録『島唄よ、風になれ!~「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定記念版(DVD映像付き)。こちらもぜひご購読お願いいたします。

「琉球の風2018」迫る! 開催地・熊本周辺在住の方、島唄のファンの方、今年がラストですよ、圧倒的に結集いたしましょう! 鹿砦社代表・松岡利康

『くまもと元気ばい新聞』(地元の熊本日日新聞発行)

熊本での島唄野外ライブ「琉球の風」は今年で10回を迎え、しかしこれがラストになります(泣)。

今年も錚々たるアーティストの方々が参集されます。第1回からほぼ常連の宮沢和史さん、島袋優(BEGIN)さん、ロックの大御所・宇崎竜童さん(『沖縄ベイブルース』最高!)、『涙そうそう』の夏川りみさん、私のイチオシ『黄金(こがね)の花』のネーネーズ、きよさくさん(モンパチ)、登場すれば一気に盛り上がるかりゆし58、そして大御所で総合プロデューサーの知名定男さん……わくわくしまっせ! それも午後1時から午後7時過ぎまでの長丁場、値打ちありまっせ!

『琉球の風2018』9月30日(日)フードパル熊本

一部の方はご存知ですが、この「琉球の風」は私の高校の同級生の東濱弘憲君(故人)が、みずからの出自を自覚し開始したものです。

当初は赤字続きで、宇崎竜童さんBEGINらが出演した第3回になってようやく黒字、宇崎さんにささやかな出演料を振り込もうと現実行委員長の山田高広さんが「銀行口座を教えてください」と電話したところ、内情を知る宇崎さんは「教えません」と受け取りを固辞されたといいます。まさにロッカーだね! 宇崎さんは今年も駆けつけてくださいます。

10回まではやりたいという東濱君の遺志で、今年がその10回目を迎えます。残念ながら、諸事情で、今回でラストとなります。若い世代が東濱君、山田さんらの志を継いで持続してくれることを願っています。

ありし日の東濱君(右)と2011年の「琉球の風」会場で

「素朴で純情な人たちよ きれいな目をした人たちよ 黄金(こがね)でその目を汚さないで 黄金の花はいつか散る」(『黄金の花』より)

この歌は、故筑紫哲也氏の『NEWS23』のバックグラウンドミュージックとして使われた(筑紫氏らしい)そうですが、作詞は、森進一が歌いレコード大賞を受賞した『襟裳岬』や、吉田拓郎のヒット曲『旅の宿』などを手掛けた岡本おさみ氏(故人)です。作曲は知名定男さん。かりゆし58の真悟君も、ステージの傍らで聴きながら涙ぐんでいたのを私は見ていますし記録映像にも残っていました。かりゆしの『アンマー』も泣けますけどね。

「琉球の風2018」にぜひ参集し、いろいろあった今年の夏の終わりの一日を楽しく過ごそうではありませんか!

◎『琉球の風2018』HP http://edgeearth.net/ryu9_kaze/
9月30日(日)12:00 開場 / 13:00 開演 フードパル熊本

第1回~5回までの記録『島唄よ、風になれ!~「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定記念版(DVD映像付き)。こちらのほうもぜひご購読お願いいたします。会場でも販売します。記念として、書家・龍一郎が即興で揮毫し贈呈いたします。

今年は最終回! 9月30日熊本で10回目の「琉球の風~島から島へ~」開催へ

1年に1日だけ熊本市の一角が沖縄(琉球)になる日がある。ことしで10回目を迎える「琉球の風~島から島へ~」が開催される9月30日だ。そして熊本だけでなく各地からのファンを獲得した「琉球の風」は今年で最終回を迎える。

『琉球の風2018』9月30日(日)フードパル熊本

「10回に何とか到達しようと頑張ってきました。一応これが区切りです。是非皆さんお越しになってください」

実行委員会委員長の山田高広さんの言葉だ。山田さんをはじめ「琉球の風」運営スタッフは全員がボランティアだ。そして、沖縄(琉球)のトップミュージシャンだけでなく、宇崎竜童、宮沢和史といった超豪華メンバーが集う、稀有のイベントも今年が最後だ。

◆「こんなにピースフルな場所はそうないです」(宮沢和史さん)

宮沢和史さん(「琉球の風」2017より)

2008年、故東濱弘憲さんが自分のルーツへの想いを形にするイベントとして第1回の「琉球の風」が開催された。東濱さんは鹿砦社代表の松岡と同級生だったが、第1回が開催されたときに、まだ鹿砦社は「琉球の風」にはかかわっていなかった。その後東濱さんが体調を崩し、「琉球の風」」運営が難しくなるなかで鹿砦社もスポンサーとしてお手伝いさせていただくようになる。

東濱さんが亡くなったあと、「琉球の風」を開催するか、どのように運営するかについては度々関係者のあいだで議論があったという。それはそうだろう。年々知名度は上がり、コンスタントに一流ミュージシャンが参加するとはいえ、運営の母体を担うのは、ほかに正業を持った方ばかりなのだから。

宇崎竜童さん(「琉球の風」2017より)

「琉球の風」は観客にとって、そして参加するミュージシャンにとっては「こんなにピースフルな場所はそうないです」(宮沢和史さん)の言葉に集約されるように、琉球音楽祭典として、楽しみに満ちた場所であるが、その準備に奔走する方々の献身的なご尽力たるや、筆舌に尽くしがたい。

この10年の間には熊本大地震もあり、開催地が被災地になったこともあった。それでも「こんな時だからこそ」と実行委員の皆さんは、みずからが被災しながら、仕事をもちながら「琉球の風」を吹かせ続けた。並大抵の意志ではない。

そして、実は観客だけではなく、参加ミュージシャンがとてつもなく楽しんでいるのが「琉球の風」の特徴だろう。誰もが同じ大部屋の楽屋の中では、オープニング前から笑い声が絶えない。泡盛やビールを注入しながら登場を待つミュージシャンの姿も。

総合プロデューサーの知名定男さん(右)と鹿砦社松岡社長。東濱弘憲さんの遺影とともに(「琉球の風」2017より)

楽屋外、ステージ横テントがプロデューサー知名定男さんの定位置だ。知名さんは必ず東濱さんの遺影を机の上において、テントの下に腰掛けステージに上がるミュージシャンや、演奏を終えたミュージシャンに声をかける。

毎年幕が下りたあとの楽屋では興奮気味に「来年も必ず来ます!」、「初参加でしたが最高でした。沖縄でもこんなに楽しいイベントはないですよ」、「知名さん来年も呼んでください!」と声が飛ぶ。

場所を移しての打ち上げでは深夜に及ぶまでセッションや、これでもか、これでもかと、プロによる出しもの(遊び)が続く。そしてその後もさらなる場所へと流れてゆくミュージシャンたち。本当に心の底から楽しんでいる姿が見ている者にも心地よい。「こんな場所」はたしかに熊本にしかないだろう。

MONGOL800キヨサクさん(「琉球の風」2017より)

東濱さんの名前は「ひがしはま」と日本語では発音されるが、琉球の人たちは「あがりはま」と呼ぶ。ウチナーグチ(琉球語)では「東」は、太陽が上がる方向だから「あがり」で、「西」は太陽が沈む(入る)方向だから「いり」と発語される。「西表島」がどうして「いりおもてじま」なのかと疑問だったが、その謎も「琉球の風」に通う中で解けた。

◆芸術の世界で琉球はもう傍流ではない

BEGIN島袋優さん(「琉球の風」2017より)

琉球音楽は30年ほど前まで、まだ「民族音楽」扱いされる側面があった、とベテランのミュージシャンは口を揃える。その後「島唄」(THE BOOM)、「涙そうそう」(森山良子、楽曲提供はBEGIN)、「島人ぬ宝」(BEGIN)をはじめ、果ては安室奈美恵まで。琉球発の音楽やアーティストと、日本の間には境界線がなくなった(琉球音楽は日本発で世界に広がり受け入れらてさえいる)。芸術の世界で琉球はもう傍流ではない。そして「琉球の風」は東濱さんの想いをおそらくは超えて、日本で最大かつ楽しいイベントとして熊本に根付いた。

かりゆし58前川真悟さん(「琉球の風」2017より)

でも、「風」はどこからか吹いてきて、流れ去ってゆくものだ。無責任な観客のひとりとしては、このまま毎年「琉球の風」を続けて欲しいと正直念願するが、運営を担う方々のご苦労を知るにつけ、今年がファイナルである現実は受け入れざるを得ない。みなさん充分すぎるほど、たくさんの人たちを楽しませてくださった。熊本のひとの心意気には心底頭が下がる。

9・30フードパル熊本は、今年がファイナルであることを知っている観客が押しかけるだろう。第一回から参加しているミュージシャンも少なくない。彼らの「琉球の風」へ寄せる想いは並ではない。きっと9・30熊本の空は晴れ上がり、会場には歓喜の笑顔があふれるだろう。チケット販売や詳細は公式サイトでご確認頂きたい。

◎『琉球の風2018』HP http://edgeearth.net/ryu9_kaze/
9月30日(日)12:00 開場 / 13:00 開演 フードパル熊本

熊本に「琉球の風」が最後に吹く、今年。きっと何かが起こるだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定保存版(「琉球の風」実行委員会=編)

RADWIMPSよ 「HINOMARU」を歌いまくれ!

〈風にたなびくあの旗に 古よりはためく旗に
意味もなく懐かしくなり こみ上げるこの気持ちはなに

胸に手をあて見上げれば 高鳴る血潮、誇り高く
この身体に流れゆくは 気高きこの御国の御霊

さぁいざゆかん 日出づる国の 御名の下に

どれだけ強き風吹けど 遥か高き波がくれど
僕らの燃ゆる御霊は 挫けなどしない

胸に優しき母の声 背中に強き父の教え
受け継がれし歴史を手に 恐れるものがあるだろうか

ひと時とて忘れやしない 帰るべきあなたのことを
たとえこの身が滅ぶとて 幾々千代に さぁ咲き誇れ

さぁいざゆかん 守るべきものが 今はある

どれだけ強き風吹けど 遥か高き波がくれど
僕らの沸る決意は 揺らぎなどしない

どれだけ強き風吹けど 遥か高き波がくれど

僕らの燃ゆる御霊は 挫けなどしない

僕らの沸る決意は 揺らぎなどしない〉

 
RADWIMPS『カタルシスト』

別段驚きもしない。むしろ「やっぱりそうだったか」という程度。くしゃみが出る前、鼻のなかで痒いような、くすぐったいような不快さに似たような感覚とでも言おうか。

読者諸氏はご存じであろうけども、上に紹介した私からすれば「頭が修正不能にどうかした」人間の錯乱。“時代錯誤”な言葉の羅列ではあるが、同時に“時代の先端感覚”であることもまた確かである心情の吐露は、RADWIMPSが、「HINOMARU」とズバリの名を冠して作詞、作曲したものだ。正確には同グループの野田洋次郎の手になる楽曲である。

私はもうかなり前だが、若い友人がRADWIMPSのファンで、熱くその素晴らしさを語ってくれたうえで、何曲かを聞かせてもらったことがあった。「あ、また、この手の奴らか……」と内心はちょっと不快ではあったけれども、若い友人には悪いので「ふんふん」と聞いていた。ただ「野田君は帰国子女で慶応にもいってすごいんだよ」と持ち上げるので「『帰国子女』と今は言わないよ。『帰国学生』ね。それから『帰国学生』みんなが優れているというのは、誤解だよ」とだけ話した記憶がある。

若者から広い支持を受けているRADWIMPS。彼らの楽曲数曲を聞いただけ、どうして直感的に私は気持ち悪かったのであろうか。あえて同類の経験を挙げれば、その昔X-JAPANというバンドに同じような気持ち悪さを感じたことがあったことを思い出す。

かといって私はRADWIMPSもX-JAPANも楽曲をろくに聞いたことがない。というより聞きたくない。優れた音楽性を持っているのであろうが、彼ら(RADWIMPSとX-JAPANは音楽に詳しい人には全然異なるグループであるのだろうけども)の楽曲からは、「ベールに隠された国家のようなもの」を直感してしまうのだ。そしてそれはRADWIMPSを熱心に聞く若者たちへの私の不安にも共通しているように思う。

映画「君の名は」が少し前に大ヒットした。観に行こうかな、と思った。知人にストーリーを聞き「音楽がハイテンポのRADWIMPSで良かった」と聞いて観る気がなくなった。実はそれくらいに私はRADWIMPSを無意識に嫌悪していた。X-JAPANも同様だった。当時仲の良かった私より年上の韓国からの留学生が「X-JAPANは凄いわ。いっぺん聴いてみ」と言ってくれたので、貸してもらったCDを車の中で聴こうとしたが、10分持たなかった(その後X-JAPANのYOSHIKIが「平成天皇在位10年の祝賀行事」に招かれる)。何かが気持ち悪いのだ。

そんな中6月26日、RADWIMPSのコンサートが神戸で行われるので「HINOMARU」を気に入らない人たちが抗議行動を行おうとしたら、1名が不当逮捕されたとのニュースに接した。

私は相矛盾するようであるが、「あんな連中」(RADWIMPS及びそのファン)に抗議をしてもまったく無駄だと考える。何故ならば、野田は「HINOMARU」にかんして「……日本に生まれた人間として、いつかちゃんと歌にしたいと思っていました。世界の中で、日本は自分達の国のことを声を大にして歌ったりすることが少ない国に感じます」と述べ、「まっすぐに皆さんに届きますように」と書き込んでいた「確信犯」だからだ。

野田は私の敵であり、そのファンも敵だ。さらに言えばそれが広く受け入れられる時代そのものが、私や私と同様に考える人たちを「殺しに」かかっていると体感する。「HINOMARU」の歌詞が明らかになった時、私はかつて私にRADWIMPSを教えてくれた若い友人に「私はあなたたちからこのように『殺されかけています』」とメールを送った。返信はない。

「表現の自由」だの、「国を愛して何が悪い」、「批判するのが間違っている」とRADWIMPSには「正しい」擁護論が多いそうだ。結構。私はその「正しさ」自体が気持ち悪く、「正しさ」に完全包囲されてしまったと感じる。早い話がもう手遅れなのだ。RADWIMPSよ! 堂々と「HINOMARU」を歌いまくれ! 時あたかもサッカーワールドカップで日本代表が16強に勝ち残り、無残に敗退したけれども、渋谷にはパブリックビューに若者が詰めかけ、試合の何時間も前から「君が代」を歌って盛り上がっていた。「愛国心」が大いに燃え盛っている最中だ。

ワールドカップが終わっても、NHKで毎日「HINOMARU」を何回も流せ!だって「正しい」んだから。震災後にひとびとを騙した「花は咲く」のように。一刻も早く日本が改憲できるように! 自衛隊が「日本軍」になれるように! 再び朝鮮半島や中国、アジアに侵略できるように! そして侵略したアジア各国に、現地の人の気持ちを踏みつぶして再び「日の丸」をはためかせる日が来るように!

RADWIMPSもファンもそう望んでいるのだろう? ちがうのか?

▼田所敏夫(たどころ としお)
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映画プロデューサー・佐谷秀美さんの無罪が報じられなかった事情と教訓

 
弁護士ドットコムニュース2018年6月21日付け記事

テレビ番組の制作費名目で現金を騙し取ったという詐欺の容疑で2016年11月に警視庁に逮捕されていた映画プロデューサーの佐谷秀美さん(58)が今月21日、東京地裁・高裁の庁舎にある司法記者クラブで会見し、裁判で無罪判決を受けていたことを明らかにした。

同日の弁護士ドットコムニュースの記事によると、佐谷さんは会見を開いた理由として、「無罪判決が出てから一切の報道がされなかった。インターネットは私が逮捕された時点の記録になっている」「作品と私の名誉のために、判決を知って欲しいと思って会見を開きました」と語ったという。

私はこのニュースに、ある種の感慨を覚えた。佐谷さんが逮捕された当初、報道の情報から冤罪の疑いを読み取り、取材に動いたことがあったからだ。色々事情があって、結局、取材を続けられなかったのだが、佐谷さんが無罪判決をとれたのは喜ばしいことだ。

それにしても、なぜ、佐谷さんが2月に無罪判決を受けていたことがこれまで一切報道されなかったのか。この事件が残した教訓は何なのか。ここで少し考えてみたい。


◎[参考動画]映画プロデューサーの無罪確定 捜査を批判(ANNnewsCH 2018/06/21公開)

◆逮捕当初の報道から読み取れた冤罪の疑い

本稿を書いている時点で、この事件に関して私が知っている情報は少ないので、事実関係に踏み込んだことは言えない。だが、逮捕当初の報道を見ただけで、この事件は十分に冤罪の疑いを見出させる事案であった。

たとえば、産経ニュースは佐谷さんが起訴された際、2016年12月14日付けで〈「嫌われ松子の一生」の映画プロデューサーを起訴 5100万円詐取罪〉と題する記事を配信し、起訴内容をこう伝えている

 
産経ニュース2016年12月14日付け記事

〈起訴状では、平成22年2~3月、電子部品製造会社に特撮番組の企画を持ち掛け、関連グッズを商品化したり、映像化したりする権利の取得費や制作費名目で現金を振り込ませたとしている〉

この記事の伝える起訴内容などが仮に全部事実で、佐谷さんの持ちかけた特撮番組の企画が実現せず、電子部品製造会社が現金5100万円を丸ごと失っていたとしても、それだけでは佐谷さんがお金を騙し取るつもりだったのかはわからない。本気で実現に動いた企画が途中で潰れたとしてもおかしくないからだ。報道を見る限り、おおいに冤罪を疑われる事案だった。

実際、私は佐谷さんが起訴される前後のタイミングで、佐谷さんが連行されたという警視庁の目黒警察署の住所に、佐谷さん宛てで取材依頼の手紙を出していた。結果、「あて所にたずね当たりません」ということで手紙が返送されてきたのだが、本当に冤罪だった場合に記事を書くつもりだった『冤罪File』という雑誌が休刊になったため、追跡をしなかったのだ。

ちなみに前掲の弁護士ドットコムニュースの記事によると、佐谷さんは目黒警察署に連行されたのち、原宿警察署に身柄を移送されていたという。それで私の手紙が届かなかったのかとスッキリした思いである。

◆世間で思われているほど人員が揃っているわけではない記者クラブ

佐谷さんの裁判が行われた東京地裁

では、なぜ、佐谷さんの無罪判決は一切報道されなかったのか。

マスコミが意図的に無罪判決を報道しなかったのではないかと勘繰る人もいそうだが、そうではないと私は思う。佐谷さんの裁判が行われた東京地裁・高裁の庁舎には、テレビや新聞といった司法記者クラブ系のメディアの記者たちが常駐しているが、彼らも世間で思われているほどには人員が揃っているわけではないからだ。

たとえば、私が2011年の春頃に東京地裁で、ある冤罪の疑いが濃厚な殺人事件の裁判員裁判を取材していた際のこと。その公判は事件の重大性のわりにマスコミの傍聴が少なかったのだが、たまに傍聴に来ていた司法記者クラブ詰めの新聞記者から「今、小沢一郎の陸山会事件の裁判をやっているから、この事件はあまり取材できないんですよ」と聞かされたことがある。

日本で最大規模の司法記者クラブである東京地裁・高裁の司法記者クラブの加盟社でも、すべての裁判をくまなくフォローできるほどに人員が揃っているわけではないということだ。

また、広島の元アナウンサー・煙石博さんの冤罪窃盗事件でも、2014年に広島地裁で一審の公判が行われていた頃、ある時を境にマスコミの傍聴取材が皆無に等しくなったことがある。広島土砂災害が発生したのをうけ、裁判を取材していた記者たちがみんな、そちらの取材に駆り出されたためだ。

地方のマスコミだと、そもそも地元で一番大きな裁判所に記者を常駐させておけるだけの人員すら揃っていないので、こんなことになるわけだ。

で、こうした現実を踏まえたうえで、今回の佐谷さんの事例から学べる教訓とは何だろうか?

自分の身の回りで何か報道されるべき出来事が起きた時には、マスコミが取材にくるのを待つのでなく、自分からマスコミに情報をリリースしたほうが良いということではないだろうか。私はそう思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

タブーなき『紙の爆弾』7月号!
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

憲法という「防波堤」を守るための5・3「9条改憲NO!」憲法集会

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私たちがめざすこと
私たちは、
安倍政権のもとでの9条改憲は許しません。
日本国憲法を守り生かし、不戦と民主主義の心豊かな社会をめざします。
二度と戦争の惨禍を繰り返さないという誓いを胸に、「戦争法」の廃止を求めます。
沖縄県民と思いを共にし、辺野古新基地建設の撤回を求めます。
被災者の思いに寄りそい、原発のない社会をめざします。
人間の平等を基本に、貧困のない社会をめざします。
人間の尊厳をかかげ、差別のない社会をめざします。
思想信条の自由を侵し、監視社会を強化する「共謀罪」の廃止を求めます。
これらを実現するために行動し、安倍政権の暴走にストップをかけます。
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プラカードコンクール入賞作の一部

◆多種多様なサブステージでの展開

2018年5月3日の憲法記念日、有明防災公園(東京臨海広域防災公園)にて、「9条改憲NO!——平和といのちと人権を 5・3憲法集会」が開催された。主催は「5・3憲法集会実行委員会」、共催は「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」。上記は、この集会で掲げられたスローガンだ。

わたしはビラまきをしていたのでサブステージで展開されていた前半を目にすることはできなかったが、まずは「自由に話そうトークイベント」。「核兵器廃絶問題」について木戸季市さん(日本被団協事務局次長)、「沖縄辺野古新基地建設反対の訴え」を青木初子さん(沖縄一坪反戦地主会関東ブロック)、「国際ボランティア活動」について加藤真希さん(国際ボランティアセンター)、「自己破産激増の奨学金問題」について伴幸生さん(奨学金連絡会)、「外国人技能実習生の過酷な労働実態」について佐々木史郎さん(中小労組政策ネットワーク)からの発言があった。次に、憲法カフェ「クイズ&おしゃべり」として白神優理子さん(弁護士)などが憲法を守る主体や自衛隊の明記について問題提起し、さらに「おやこ憲法ひろば」として「おじいさんにできること」という「ながーい紙芝居」を、そして歌・工作・ミニミニパレードなどが展開されたようだ。

コンサートもおこなわれた。ビッグバンド「松戸スウィングセピア」さんによる演奏で、ユキヒロ(仲里幸広)さんと「平和の鐘」合唱、佐藤タイジさん(THEATRE BROOK)の音楽が会場を盛り上げたことだろう。

◆ 「正義は単純に決められないから、熟議を尽くし、権力は抑制的に行使する」

その後、メインステージへ。集会の司会は古今亭菊千代さん(落語家)、開会挨拶は、さまざまな活動に取り組む高田健さん。改めて、落合恵子さん(作家)、竹信三恵子さん(和光大学教授)、清末愛砂さん(室蘭工業大学准教授)などがメインスピーカーとしてトークを展開。わたしは、その後の「平和憲法を孫・子の代まで生かそう」と締めくくる山内敏弘さん(一橋大学名誉教授)の発言から聴いた。

次は、立憲野党のみなさんからの挨拶。まずは、枝野幸男さん(立憲民主党代表)が、多数決について提起し、「そばアレルギーの人がいたら、そのほかの店から選ぶ、それが民主主義」と説明した。大塚耕平さん(民進党代表)は、「ソクラテスの時代から直近のインドのアマルティア・センにいたるまで、正しさ・正義は単純には決められないから事実を共有し、熟議を尽くし、決まったことには従うが権力は抑制的に行使するということは変わっていない」と訴え、それに反する安倍政権を批判。志位和夫さん(日本共産党委員長)は、「自衛隊明記について、自民党の条文案で9条2項の制約を取り払うことを示し、これは無制限の海外での武力行使を表しており、断じて許すわけにいかない」「安倍政権は北朝鮮のことを国難と言いつのって利用してきたが、平和外交こそ求められている」と声を上げた。又市征治さん(社会民主党党首)も、「憲法に省庁の名前が載っているか、立法・行政・司法から独立して憲法に明記することは、平和主義そのものが壊され、9条に基づくさまざまな法律が壊されることを意味する。法理論的にもとんでもない」と訴える。小沢一郎さん(自由党共同代表)のメッセージも代読された。

シュプレヒコールを挟み、おしどりマコさん・ケンさんのスピーチへ。マコさんは「安倍政権打倒の連帯のために個人が踏みにじられるのを見た」と話し、憲法97条基本的人権の「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」という表現から、自らを省みたことについて語った。

プラカードを掲げる人々

◆平和といのちと人権を守るための、憲法の共有

続いてトークの2部としてリレートーク(スピーチ)がおこなわれ、まずは山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)が「23〜28日までの1週間、全国からの結集で連日、力強い運動ができたことを感謝する。200も300もの機動隊が力づくでわたしたちを排除、沖縄の住民運動の先頭に立ち続ける高里鈴代さんが肋骨4本、鎖骨を1本、計5本の骨折を強いられ、逮捕者も5名出てしまった」と伝えた。そして山城博治さんは、ゲート前の歌『今こそ立ち上がろう』『座り込めここへ』を歌う。武藤類子さん(福島原発告訴団団長)は、「法廷前の廊下でも、筆記用具と貴重品以外の荷物を預け、手持ちの金属探知機で全身を調べられた後、体を触られての入念なボディーチェック、スカートやシャツまでめくられる。ノート、めがねのツル、ハンカチやティッシュ、財布、それぞれ中の細部まで検査される」という話には驚いた。石田ひなたさん(高校生平和大使)からの挨拶があり、布川仁美さん(高校生平和大使)は「微力だけど無力じゃない、をスローガンに活動を続ける」と宣言。次に、上山由里香さんは、「教育と教科書問題」について、「1つの価値観に落とし込んでいくことを優先させるとそれ以外の価値観が軽視される。ただし、子どもたちは自分なりの考えもしっかりもっていることを知った。道徳性や倫理観は多様な価値観と接しながら育まれるのではないかと思う。道徳の教科化が現政権かでおこなわれたことから、これ自体も改憲と無関係ではないと思う」と語った。

「朝鮮高校無償化」については、東京朝鮮高校の生徒や合唱部のメンバーの方々が登壇。朝鮮学校無償化訴訟で請求が棄却されたことに触れ、「1948年、GHQと日本政府によって朝鮮学校閉鎖令がしかれた時、学校を守ろうとした同胞たちは武装警察隊の銃の乱射により尊い血を流した。70年前のようにわたしたちは銃を突きつけられてはいないが、朝鮮人に対する弾圧は70年前と何も変わっていない」と訴え、闘い抜くことを誓った。そして、朝鮮の童謡『故郷の春』と沖縄の名曲『花』を合唱。わたしを含め、多くの人が心揺さぶられ、涙を流しながらこれらの歌を聴いた。

武器輸出反対ネットワーク(NAJAT)代表の杉原浩司さんは、まず防空レーダーをタイに売ろうとする三菱電機製品の不買を訴える。また、サウジアラビアとアラブ首長国連邦(UAE)などの連合軍がアメリカやイギリスから輸入した武器でイエメンを無差別空爆しているが、このイエメンに川崎重工製の軍用輸送機を輸出しようとしている安倍政権と川崎重工とを批判。「憲法9条に寄りかからず、憲法9条を使い倒そう!」と伝えた。

ホームレス支援NGOのTENOHASI代表・六郷伸司さんは、「今年の10月から生活保護費が5%も引き下げられる。これ以上引き下げ、文化的な生活ができるのか」と告げる。日本労働弁護団事務局長の岡田俊宏弁護士も、「高度プロフェッショナル制度は、一定の労働者について労働時間規制そのものを適用除外とするきわめて危険な制度。まさに定額働かせ放題の過労死促進法」という。そして2人も、憲法の意義を強調した。

「安倍9条改憲NO! 憲法を生かす全国統一署名」2018年4月末で1,350万人を突破!

◆ 「憲法は自由と尊厳を肯定している。それは未来に語りかけられた言葉」

その後、2017年9月より始まった、「安倍9条改憲NO! 憲法を生かす全国統一署名」に関する報告も。「安倍首相を辞めさせる署名か?」と駆け寄り、不満を伝える多くの人の様子、そして18年4月末で1,350万人を突破したことが伝えられて、「3,000万人署名を達成しよう!」と締めくくられた。プラカードコンクールの結果発表を挟み、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」呼びかけ人の諏訪原健さんは、「自民党改憲草案が問題になった時、背筋が凍る思いがした。平和、あたりまえの生活の尊さに気づいた。憲法は自由と尊厳を肯定している。それは未来に語りかけられた言葉。理念を現実にして未来につながねばならない」と連帯の挨拶をした。最後に実行委員会メンバーの福山真却さんが、9条改悪反対の取り組み、 国家権力によるさまざまな私物化を許さず真相を究明して安倍首相・麻生財務相に責任を取らせるための取り組み、沖縄辺野古新基地反対の取り組み、東アジアに核のない平和を確立するための取り組みの4つの行動を提起。安倍政権を倒し、憲法9条を守ることを強く訴えて閉会の挨拶とした。

ジンタらムータさんによるクロージングコンサートと、パレード(デモ)もおこなわれた。

昨夜、元外交官で評論家の孫崎享さんは、「憲法は防波堤になると、昔の自民党の人は知っていた」と語っていた。安倍政権は、防波堤を崩壊させようとしている。この集会では、6万人を集めたと発表があった。わたしたちは、まさに「平和といのちと人権を」守るために、この防波堤を保たねばならない。

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文/写真]
1972年生まれ。フリーライター、エディター。労働運動等アクティビスト。『紙の爆弾』『NO NUKES voice』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『neoneo』『情況』『救援』『現代の理論』『教育と文化』ほかに寄稿・執筆。

『紙の爆弾』6月号 安倍晋三“6月解散”の目論見/政権交代を目指す「市民革命」への基本戦術

TBS記者、財務次官、TOKIO …… 性犯罪に関する有罪バイアスの凄まじさ

犯罪の疑惑をマスコミに報じられた人物について、世間の多くの人がクロと決めつけて批判するのは毎度のことだ。それにしても、性犯罪の疑惑の場合、世間の人々が抱く有罪バイアスは他の犯罪よりはるかに凄まじい印象だ。

昨年来、各界の著名な男性たちが性犯罪や性的な不祥事の疑惑を報じられ、社会的に抹殺されていく光景を見ながら、私はそう思わざるを得なかった。具体的には、元TBS記者・山口敬之氏のレイプ疑惑、財務省事務次官・福田淳一氏のセクハラ疑惑、タレント・山口達也氏の強制わいせつ疑惑に関する世間の反応のことを言っている。順に振り返ってみよう。

◆取材の基本を怠った人たちにクロと決めつけられた山口敬之氏

伊藤詩織氏の著書『Black Box』

まず、元TBS記者・山口敬之氏のケース。昨年5月、週刊新潮でジャーナリストの伊藤詩織氏へのレイプ疑惑を報じられ、さらに伊藤氏が実名・顔出しで山口敬之氏からレイプされたと告発したことなどから、山口敬之氏は「レイプ魔」と決めつけた人々からの大バッシングにさらされた。

しかし、当欄の3月1日付け記事で報告した通り、伊藤氏が山口敬之氏を相手取って東京地裁に起こした民事訴訟について、その記録を「取材目的」で閲覧していた者は今年1月の段階でわずか3人だった。山口敬之氏本人はレイプ疑惑を否定しており、起訴もされていないため、当事者双方の主張内容や事実関係を確認するために民事訴訟の記録を閲覧するというのは取材の基本だが、それを行った取材者が3人しかいなかったということだ。

それにも関わらず、山口敬之氏をクロと決めつけた報道が大量になされ、報道を鵜呑みにした人たちが山口敬之氏をクロと決めつけて批判しているわけである。これは恐ろしいことだと思う。

◆福田氏の発言が事実でもセクハラとは断定できない

続いて、財務省事務次官の福田淳一氏のケース。福田氏がテレビ朝日の女性記者に「胸触っていい?」とか「手縛っていい?」などのセクハラ発言をした疑惑については、そのような発言があったことまでは間違いないようだ。最初に報じた週刊新潮が音声データをインターネットで公開しているからだ。そのため、疑惑を否定している福田氏は、往生際悪く言い逃れをしているだけのように見られ、いっそう厳しい批判にさらされている。

しかし実際問題、男性が女性に対して性的発言をすること自体は、セクハラにはあたらない。それがどれほど卑猥な内容の発言だったとしても、男性と女性の関係性やその発言がなされた経緯によっては必ずしも問題があるとは言い切れないからだ。

つまり、福田氏のセクハラ発言疑惑をクロと断定するには、本来、被害者とされる女性記者との関係性や、問題とされる発言に至った経緯などが十分に検証されなければいけない。しかし、今のところ、信頼に足る検証結果が示されたとは言い難い。

◎[参考動画]“胸触っていい?”「財務省トップ」のセクハラ音声(デイリー新潮 2018年4月12日公開)

◆電話番号を聞いたのは山口達也氏?

そして最後に、女子高生に無理矢理キスをした疑惑が持ち上がった山口達也氏のケース。山口達也氏の場合、疑われているようなことをしたこと自体は本人も認めている点が前2者と異なる。しかし、根拠のない憶測により実際より悪質な事案であるように言われている可能性がないわけでもない。

私がそれを感じたのは、タレント・松本人志氏がテレビで次のような発言をしたという報道を見た時だった。

「高校生に電話番号、聞かないって。連絡先を聞いたときは少なくとも酔ってなかったと思うんでね、だからやっぱり、おかしいんですよ」(MusicVoice4月29日配信記事より)

山口達也氏は事件を起こした時に酔っており、電話で被害者とされる女子高生を呼び出したとされるが、電話番号を聞いたのが山口達也氏だったと松本氏はなぜ、わかったのだろうか。おそらく松本氏は、女子高生のほうが山口達也氏に電話番号を聞いていた可能性を考えていないのだ。


◎[参考動画]【TOKIO 山口達也】緊急記者会見(パパラッチ2018年4月26日公開)

◆「被害者」の主張に異論を述べることは許さないという雰囲気

とまあ、このように性犯罪や性的な不祥事を起こした人物については、世間の人々が抱く有罪バイアスは強力だが、もう1つ怖いことがある。それは、性犯罪や性的な不祥事に関しては、「被害」を訴える女性の主張に異論を述べることを許さないような雰囲気が出来上がりやすいことだ。

実際、この記事を読み、私が伊藤詩織氏やテレビ朝日の女性記者、女子高生らを貶めたように受け取り、不快感を覚えた人もいるのではないだろうか。

もしも不快感を覚えた人がいるとすれば、執筆者として申し訳なく思う。しかし、私は同様のことを今後も言い続けるだろう。なぜなら、「被害」を訴える人の言うことを鵜呑みにしたり、事実関係の検証をおざなりにすることは、冤罪防止の観点から絶対にやってはいけないことだからだ。

この記事を読んだ人の全員がそのことを理解してくれるとは思わないが、少しでも多くの人が理解してくれたらありがたく思う。

▼片岡健(かたおか・けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

7日発売!タブーなき『紙の爆弾』6月号 安倍晋三“6月解散”の目論見/政権交代を目指す「市民革命」への基本戦術/創価学会・公明党がにらむ“安倍後”
「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

事務所の投資なしに芸能界は成立しないのか? タレント移籍制限をめぐる諸問題

最近、芸能界におけるタレントの移籍制限をめぐる問題が相次いで報道されている。2017年12月27日付産経ニュースでは、「所属契約慣行の違法性指摘 芸能人、スポーツ選手 公取委が新見解」として、2018年1月19日付「朝日新聞デジタル」では「芸能人らの移籍制限『違法の恐れ』 公取委、見解公表へ」として報じている。

 
所属契約慣行の違法性指摘 芸能人、スポーツ選手 公取委が新見解(2017年12月27日付産経ニュース)
 
芸能人らの移籍制限「違法の恐れ」 公取委、見解公表へ(2018年1月19日付朝日新聞=矢島大輔)

公正取引委員会で昨年、設置された有識者会議がスポーツ選手や芸能タレントなどに対して不当な移籍制限などを一方的に課すことが独占禁止法違反にあたる恐れがあると示し、2月にも結論を公表する見通しだという。

この問題に関連して、筆者も昨年末、共同通信から取材を受けて、一部地方紙でコメントが掲載されている。

◆ようやく公取が動き始めた

筆者は2014年に上梓した『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』(鹿砦社)以来、芸能界のタレントの移籍制限や独立したタレントへの追放は独占禁止法に抵触すると主張してきたが、ようやく公取が動き始めたようで感慨深い。

SMAP騒動に見られたように、芸能事務所による芸能界支配は、タレントや視聴者、テレビ局にとって不利益であり、まったく合理的ではないものだ。

なぜ、この問題が放置されてきたかと言えば、芸能事務所側の「われわれはタレントに投資をし、それを回収しなければならないのだから、勝手な移籍や独立は許されない」という言い分があったためだろう。

朝日記事でも、「芸能事務所が育成にかけた費用を回収することは正当化できるとして、業界内でどういった補償が適切か検討するよう求める方針だ」とあり、タレントに対する投資の問題が移籍制限の背景にはありそうだ。

◆アメリカではタレントとエージェンシーの関係は対等である

だが、筆者が調べた限りでは、世界のエンターテインメントの本場であるアメリカでは、タレントと日本の芸能事務所にあたるタレント・エージェンシーの関係は対等であり、タレントがエージェントとの契約を解除するのは自由であった。

ところが、ハリウッドのエンターテインメント業界を規制するタレント・エージェンシー法を詳細に調査しても、エージェントによるタレントへの投資については何も言及がなされておらず、拙著でも芸能事務所によるタレントへの投資についてはほとんど触れていない。

その後、たびたび「芸能事務所はタレントに投資をしているのではないか?」と質問をされることがあったので、ここでは改めてこの問題について考えてみたい。

結論から言うと、アメリカのエージェントはタレントに投資をしていない。

これについては『ハリウッド・ドリーム』(田村英里子著/文藝春秋)に詳しい。

田村英里子と言えば、日本ではサンミュージックに所属し、1990年代にアイドル歌手として活動した後、2000年にかねてからの夢であったアメリカでの映画出演を実現するため渡米し、NBCのテレビドラマ『HEROES』や『DRAGONBALL EVOLUTION』などのメジャー作品に多数出演し、実績を残した。

田村は日本でのキャリアを捨て何のバックアップもなく、単身で渡米した。最初はアパート探しや英語が話せるようになるまで苦労をしている。

そんな彼女の芸能活動のスタートとなったのがアクティング・スタジオ、つまり俳優養成学校である。アメリカではアクティング・コーチの存在が社会的な地位として確立されており、撮影現場でアクティング・コーチが俳優を指導することも珍しくないという。

田村が通っていたアクティング・スタジオはブラッド・ピットやシャーリーズ・セロン、ケイト・ハドソンなど、数々の有名俳優が学んだことで知られる名門スタジオだ。

クラスでは、毎回、アトランダムに選ばれた1組が映画や芝居のシーンを与えられ、1週間で仕上げ、クラス全員の前で演じ、コーチが厳しく指導する。

そして、スタジオに通いながら、エージェントを探す。エージェントは、俳優の代理人であり、所属するのではなく契約する。エージェントはモデル、コマーシャル、演劇の3つに区分されている。アメリカではエージェントとの契約がなければオーディションにすら参加できないこともあるが、演技力が要求される演劇のエージェントと契約するのは至難の業で、ハリウッドではエージェントを持てない俳優がほとんどだという。

田村もエージェントとの契約で苦労している。50近くのエージェントに履歴書を送付しても、反応はまったくなく、電話をして「エージェントを探しています」などと言おうものなら、ガチャンと切られるというのが当たり前だった。

そこで、田村は方針を転換し、演劇のエージェントではなく、コマーシャル・エージェントに目を向けたが、そこでも英語力が障害となり、なかなかうまくいかず、渡米から3年ほど過ぎてから、モデル・エージェントと契約することになった。これによって自信をつけた田村はコマーシャルのエージェントと契約することに成功し、2006年、ヨーロッパで放送されるフォルクスワーゲンのテレビ・コマーシャルに出演を果たした。

この仕事をしたことで、田村は全米映画俳優組合(SAG、現在はSAG-AFTRA)への加入を許された。俳優が本格的な映画に出演するには、それ以前にオーディションに参加するには、SAGへの加入が必須だ。SAGへの加入は通常、3本のエキストラの出演が条件だが、田村はそれまでにエキストラのオーディションにも落ちた経験があり、SAGのメンバーになれたことは、大きな成果だった。

だが、この段階になっても田村は演劇のエージェントと契約ができなかった。そもそも、アメリカの映画やテレビ全体でアジア系の俳優が占める割合は3.4%に過ぎず、通常、起用されるのは、アメリカ育ちのネイティブ・スピーカーである。

田村が日本で活躍していたことを知るアメリカ人はほぼいない。最初から出る幕はなく、エージェントからは「You are a hard sell」と言われ、返す言葉もなかった。

そんな田村がオーディションに合格し、大きな仕事を得たのはアメリカ3大ネットワークテレビの1つであるNBCが放送するドラマ『HEROES』セカンドシーズンのヒロイン、ヤエコ役だった。

オファーがあってから、出演料などの契約が進められるが、田村は次のように述べている。

「一般にはここで、エージェントまたは弁護士が登場し、クライアントであるアクターにとって、少しでも良い条件になるように折衝する。そして製作側とアクター双方が合意できる条件にいたった段階で、サインを交わして、ようやく正式なオファーとなる」

『HEROES』のセカンドシーズンは24話の放送が予定されていたが、撮影の途中で全米脚本家組合のストライキが始まり、11話で終了することになってしまった。

田村も『HEROES』の仲間とともに、SAGのプラカードを掲げてデモに参加している。

以上、田村のハリウッド女優としての軌跡をたどって行くと、日本の芸能界とはまったく異なることに気付かされる。

日本でタレントが芸能活動をするには、事務所に所属することが第一歩であり、その後は事務所の投資を含めてバックアップを受ける。

一方、アメリカでは、エージェントは弁護士と並ぶ俳優の代理人であり、エージェントにとってタレントはクライアントである。弁護士が依頼人に投資をしないように、エージェントもタレントには投資をしない。日本では芸能事務所が所属タレントに演技のコーチを付けることもあるだろうが、アメリカでは俳優がアクティング・スタジオに通い、その費用はアルバイトをして自分で稼ぐのだ。

日本の芸能関係者は「事務所はタレントに投資をしているのだから、移籍は認められない」と言う。だが、これは因果関係が逆なのではないだろうか。

つまり、タレントが移籍できないことを知っているからこそ、安心して投資ができるのだ。「移籍されるかもしれない」という前提では、怖くて投資はできないのである。

◆投資ができないのであれば芸能界は成立しないのか?

 
のんやローラも救われる? 公正取引委員会がタレントの独立を阻む所属事務所の圧力を独禁法違反と認定(2018年1月20日付リテラ)

では、投資ができないのであれば芸能界は成立しないのかというと、そんなことはないだろう。現に世界のエンターテインメントでもっとも競争力のあるハリウッドでは、エージェントは俳優に投資をしていない。

そして、ハリウッドでもっとも力を持っているのがSAG-AFTRAなどの俳優の労働組合である。田村英里子も脚本家の組合がストライキを起こしたために撮影が中断してしまったが、SAG-AFTRAも過去には何度も大規模なストライキを行っている。最近もSAG-AFTRAは2016年から17年にかけてたゲーム声優の大規模ストライキを起こし、加入者が要求していた条件が盛り込まれた合意が交わされた。

日本でも公正取引委員会が主導する形で芸能界改革が緒についたが、芸能事務所がメディアに対して行う圧力は裏で行われるものであり、公取が介入したところで限界があるだろう。問題を是正する上でもっとも必要なのはタレントによる労働組合の結成である。

▼ 星野陽平(ほしの ようへい)
フリーライター。1976年生まれ、東京都出身。早稻田大学商学部卒業。著書に『芸能人はなぜ干されるのか?』(鹿砦社)、編著に『実録!株式市場のカラクリ』(イースト・プレス)などがある。

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韓国〈民衆歌謡〉の「サム☆トゥッ☆ソリ」11月に京都、滋賀公演決定!

京都在住の読者の方から「サム(生)☆トゥッ(志)☆ソリ(歌)」公演のご案内を頂いた。チラシとDVDをお送りいただいたが、私は「サム☆トゥッ☆ソリ」の名前を目にするのも初めてだ。

韓国からやってくるグループなので、サムルノリを用いた楽団かなと、勝手に思い描きながらDVDを再生したら、全然違う。「サム☆トゥッ☆ソリ」は日本にはない「民衆歌謡」というジャンルの楽曲を奏で、歌うカルテットだ。「民衆歌謡」はチラシの説明によると、「韓国における音楽ジャンルの一つで韓国における民主化運動や労働運動、学生運動などの闘いの中から作られた歌」と解説されている。

◆ 日本にはない「民衆歌謡」

でも、肩に力が入っていて、背筋を伸ばして聴かないと、怒られるような堅苦しい雰囲気は微塵もない。昨年東京で行われた公演のダイジェスト映像からは、雰囲気としては日本の(このジャンルももう残っているのかどうか、不確かだが)「フォークソング」のコンサートを思わせる、ゆったりしながら、喜怒哀楽を歌う雰囲気が伝わってくる。

「サム☆トゥッ☆ソリ」が歌うのは、恋愛や演歌ではない。日本にはない「民衆歌謡」とは、民主化運動や、光州事件、学生運動などの中から生まれてきた闘争のうたの数々だ。そう考えればなぜ、いまこの国に「民衆歌謡」がないのかが、逆に理解させられる。運動の中から出てきた歌を、それほど政治に深いかかわりを持たない人びとでも、なんとなく耳にして知っている、そんな歌が韓国にはいくつもある。

もう20年近く前になるが、韓国人留学生たちと時々カラオケに遊びに行った。「この歌はね、光州事件の時にできた民衆の歌の歌なんですよ」、「これはね。虐殺されたデモに参加していた学生を追悼する歌です」と教えてもらった。いったいどどれくらいの「民衆歌謡」が現在もカラオケに収められているのか、最近の事情には疎いけれども、どうして韓国の「労働歌」や「学生運動」から生まれた歌はあるのに、この国の歌はないのだ、と驚くとともに少し不快になった記憶がある。国際的に歌われてきた「インターナショナル」や「ワルシャワ労働歌」の日本語版も見当たらない。楽曲一覧が載った分厚い冊子の後ろの方で、結構なページ数を占めるハングルの楽曲の中には「民衆歌謡」のメロディーが収められている。おかしいなと思った。

でも、この国で生まれ、この国に根付いた「労働歌」や「学生運動」の歌がそもそもあるのかどうかという、至極基本的な問答にすぐ突き当たった(もちろん運動展開の方法や文化背景の違いも無視はできないが)。それ以前に、いま(20年前にしても)「労働運動」や「学生運動」が「ある」といえるのかどうか。私が目にした光景だけからいえば、20年前、この国に「労働運動」や「学生運動」は皆無ではなかった。しかしそれはすでに圧倒的な劣勢だった。いまや法政大学や同志社大学を先頭に、かつて学生運動の一大拠点だった大学は、学内での集会やビラ配りを理由に学生を逮捕したり(法政大学)、大学敷地内に交番を設置し、学長が「戦争法」に賛成したり(同志社大学)、わずか半日のバリケードストライキを行った学生を退学処分としたり(京都大学)、この国の大学に「大学自治」などはもう実質、死滅している。

◆ この国のマスメディアはなぜ、お隣韓国の運動の姿を報道しないのか?

他方、韓国の大学を訪問した際、ある大学では「無期限バリケードストライキ」の最中だった。キャンパスの入り口に結構おしゃれな学生が見張りとして立っていて、最低限数の職員しか学内に入れない。私は通訳を兼ねて同行してくれた友人が、その筋では結構名前が通っていたらしく、「バリスト」を学生たちに笑顔で迎えてもらった。面会した職員の方は「何分こういう状態でして。お迎えするのにお恥ずかしいです」と言われたので「何をおっしゃっているんですか。学生が生き生きしている証拠です。韓国も国立大学の大学法人化など、日本の愚策同様の新自由主義政策を大学にも導入しようとされていますが、それは大いなる間違いです」と話したら、この日本人なにをいっているんだ、という呆れた表情が彼の目に明らかに浮かんだことが思い出される。

近いところでは朴槿恵を倒した民衆のデモは多い時にはソウルだけで100万人に達し、少子高齢化、格差の拡大などこの国同様の問題を抱えながらも韓国の労働運動はいまだ健在である。そういった姿がこの国のマスメディアで国民の目に触れることはほとんどない。中東やアラブ、欧州のデモは報道しても、お隣韓国の運動の姿をマスメディアは無視する。なぜか。

この国の政権やマスメディアは、韓国国民が決起している姿をこの国の人びとには見せたくないのだ。奴らはこの国の人びとが韓国の運動に影響されたら、学ばれたら困るのだ。

◆ 本コンサートチケットを5名の方にプレゼントします!

でも、見なくても聞けばわかる。11月16日(木)京都テルサホール、11月18日(土)滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールで「サム☆トゥッ☆ソリ」のコンサートが行われる。料金は前売りが一般3,500円、学生・障がい者2,000円(当日は500円増)だ。お問い合わせは「サム・トゥッ・ソリの会」高田さん(Tel.090-4763-0751)もしくは京都音楽センター(Tel.075-822-3437)へ。

尚、デジタル鹿砦社通信読者5名の方に本コンサートのチケットをプレゼントします。チケットご希望の方は下記の田所のメールアドレスに、住所、氏名、年齢、電話番号を明記の上、お申し込みください。
tadokoro_toshio@yahoo.co.jp

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

「サム☆トゥッ☆ソリ」コンサート2017 11月16日(木)京都、11月18日(土)滋賀
「サム☆トゥッ☆ソリ」コンサート2017 11月16日(木)京都、11月18日(土)滋賀
最新刊『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか

琉球の風2017報告〈3〉誰一人アウェイにならない熊本×沖縄チャンプルー

宇崎竜童さん
比嘉真優子さん

 

昨日の本コラムでご紹介した順番とは異なるが、宇崎竜童さんと宮沢和史さんがステージで暴れる前に、ネーネーズ、キヨサク(MONGOL800)、比嘉真優子、HYはすでに演奏を終えていた。

まだ終演の夜7時までかなりの時間がある。この時刻でこれだけのミュージシャンの演奏を聴く現場の聴衆たちは、どうなっていただろうか。

おそらく、主催者の精密な「読み」に基づく会場全体を包む雰囲気の行方がぴったりと(あるいは狙い以上に)ヒットしたのだろう。例年会場を埋める聴衆は常連の演奏をどちらかと言えば穏やかに聞く。

内心ワクワクしながらも、会場全体が立ち上がって、飛んだり、跳ねたりとなることはあまりない。アップテンポの曲でも、渋い島唄でもどちらかといえば、踊りだす人もいるけれども、多くの方々は座って手拍子で聞いている。

◆キヨサク、HYらがステージに登場して

ところが、今年は16時前までにキヨサクと、HYがステージに登場した。キヨサクはウクレレ1本で「小さな恋のうた」を奏で、島袋優(BEGIN)とウクレレで共演した。南国調の涼しい風と聴衆が「ウズウズ」するのが手に取るようにわかる空気の下地を作った。

キヨサクさん(MONGOL800)
島袋優さん(BEGIN)

HYは登場するなり爆発的な勢いで演奏をはじめ、彼らを待つステージ近くのファンは大喜びで踊りだす。そこへ宇崎竜童と宮沢和史が続くとどうなるだろうか。これぞまさに「チャンプルー」の恐るべき導火線効果である。

HYとネーネーズのチャンプルー!

何かが起これば、即爆発する、いや爆発したい2000を超えるひとびとの熱がステージ付近にいるとはっきり体感できる。「チャンプルー」爆薬装填作戦は予想を超える。

どんなことが起きるのか。HYが演奏中の聴衆はこんな感じだが、

HYの新里英之さん&仲宗根泉さん

2時間後にはこうなる。

新里英之さんとかりゆし58のチャンプルー!

◆トリにまわったかりゆし58の全開

前川真悟さん(かりゆし58)
新屋行裕さん(かりゆし58)
宮平直樹さん(かりゆし58)

トリにまわったかりゆし58はそれまで登場したミュージシャンが織りなしてきた「限界値を超える」聴衆の期待を見事に何倍にもして、聴衆に投げ返す。ボーカル前川真悟は全開だ。

「ハイサーイ!沖縄の人による、沖縄の人の音楽が、熊本の人の、熊本の人による、熊本の人たちが喜ぶイベントにこうやって、「琉球の風」にきました、かりゆし58です。よろしくおねがいします!」

「沖縄からは、海を隔てて何千キロも離れてるのに、自分たちの生まれた町の旗を掲げて、こんなにも喜んでくださる熊本の人たちのパーティーです。誰一人awayにすることなく、兄弟たちのホームパーティーにしたいのですが、ライブをはじめてもよろしいでしょうか?」

この入りは完璧だ。問いかけに聴衆も大声で応える。もう前列だけでなく会場に座っていられる人はない。特段の事情のある方を覗いて聴衆オールスタンディング状態だ。

HYの新里英之を呼び入れて演じる「アンマー」でステージは聴衆を、聴衆はステージを互いに制圧(こういった物々しい言葉はふさわしくない「互いに固く肩を組んだ」と言い換えよう)した。

▼前川真悟の語りは「天才」だ!

「近所で生まれ育って、4人でやってるバンドで最初にギターとか楽器を弾き始めたのが、中学生のころだから、もう20年前になります。20年まがりなりにも音楽にぶら下がって生きてきました。そういう話からすると、いまステージの上には20年の4人分。80年分の時間が乗っかってるわけです。そこにさらに時間を積み重ねたいと思います。HYからヒデ! そしてきょう「琉球の風」に響いた音楽のほとんどを支えてくれたヨシロウ!ヒデもヨシロウも年齢が近いから、いまステージ上の時間が120年になりました。「琉球の風」を立ち上げて、親みたいに可愛がって育てた知名定男さんは50年歌って続けてます。きょうのステージ上に立った人たちの、音楽に注いだ時間を足したら、何百年、下手したら千年に手が伸びるくらいの時間がのっかってるわけです。それが1曲5分足らずの中に注ぎ込まれて、目に見えないまま、風と時間と、あなたの心にながれていく。それが音楽です。何百年分の積み重ねを1つの曲にまとめて、そしてミュージシャンに与えられたのは、ステージ上の20分が僕らの寿命です。今日あなた方からもらった、音楽の寿命をまっとうしたいと思います」

ラップ調の語りはトレーニングすればある程度うまくはなるが、基本才能だ。前川真悟の語りはあるの種「天才」を感じざるを得ない。

◆エンディングで「島唄」解禁!

そして、いよいよエンディングだ。ステージと観客席の間には照明や音響、そして安全確保のために柵が設けられている。通常、聴衆は座って舞台を眺めるので、その前を横切るときは、邪魔にならないよう、腰をかがめて小走りで駆け抜けるが、聴衆が総立ちになったから遠慮なくステージの前に立てるようになる。本人の出番ではあえて演奏しなかった「島唄」を宮沢和史のボーカルを皮切りに次々と、ミュージシャンが歌い継いでいく。

◆来年はいよいよ10回目。また熊本で会いましょう!

「今年は最高だね」、「今までで一番素晴らしかったよ」、「会う人会う人みんな、最高だって」。終演後、出演者と関係者のみで行われた懇親会の席であちこちから同じような声が聞かれた。全員がボランティアで構成される実行委員会。委員長の山田高広さんは前日から会場に泊まり込み、想像を超える激務の疲れを微塵も見せず笑顔が絶えない。

懇親会ではミュージシャンが、これでもかこれでもかとセッションや出し物を披露する。みんな知名さんの健康を祈っている。宴は続く。最後まで見届けようと時計を見たらもう日付が変わっていた。出演者のかなりは、さらに3次会に繰り出すという。「プロ」は違う。

この日を良い日和にしてくれた、天気の神様、音楽の神様、ボランティアという名で無償の笑顔を絶やさなかった人間という名の神様、そして聴衆というなによりの神様に感謝をして、熊本を後にした。

「琉球の風」来年はいよいよ第10回を迎える。また熊本で会いましょう!

▼田所敏夫(たどころ としお)[文・写真]
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

 

「琉球の風2017」記念エコバッグをデジ鹿読者10名様にプレゼント!
写真のエコバッグは毎回「琉球の風」の会場で先着1000名様にプレゼントしているものです(版画=名嘉睦稔、題字=龍一郎、鹿砦社提供)。少し余分がありますので、このデジタル鹿砦社通信をご覧になっている方10名様にプレゼントします。ご希望の方は私宛メールアドレス(matsuoka@rokusaisha.com)にお申し込みください。(鹿砦社代表・松岡利康)

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定保存版(「琉球の風」実行委員会=編)
『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』通常版(「琉球の風」実行委員会=編)