アルゼンチン代表FWメッシ(バルセロナ)が、2012年の年間最優秀選手「FIFAバロンドール」に輝いた。4年連続で、4度目の受賞は史上初だ。
「メッシの場合は、幼少のころからフットサルで鍛えたボールコントロールが有効で、これだけでも数十億を払う値打ちがあるね」(スポーツジャーナリスト)
バロンドールは仏語で「黄金のボール」を意味し、1956年にフランス・フットボール誌が創設。91年に設けられたFIFA年間最優秀選手と2010年に統合され、「FIFAバロンドール賞」となった経緯がある。
アルゼンチン代表FWメッシ(バルセロナ)が、2012年の年間最優秀選手「FIFAバロンドール」に輝いた。4年連続で、4度目の受賞は史上初だ。
「メッシの場合は、幼少のころからフットサルで鍛えたボールコントロールが有効で、これだけでも数十億を払う値打ちがあるね」(スポーツジャーナリスト)
バロンドールは仏語で「黄金のボール」を意味し、1956年にフランス・フットボール誌が創設。91年に設けられたFIFA年間最優秀選手と2010年に統合され、「FIFAバロンドール賞」となった経緯がある。
「松井の場合は、両膝を手術したこともあるが、本当はホームランバッターの宿命で、巨人にいたころから背中を痛めていた。思い切りスイングできないと判断したのだろうな」(スポーツ紙記者)
2012年12月27日(日本時間28日)、松井秀喜選手がニューヨーク市内で記者会見し、現役引退を表明した。
「本日をもってプロ野球人生に区切りを付けたいと思う。チームが勝つために自分が何をするか、それを一番考えていた。寂しい気持ちもあり、ほっとした気持ちもある」と述べ、日米合わせて20年のプロ生活に終止符を打った。
「日本球界からの誘いはあったと思う。オリックスや楽天からも確かに打診はあった」(プロ野球関係者)
「博識で芸達者。軽妙な語り口で多くの人に愛されていた人です。落語、文学にも造詣が深かった」(芸能ジャーナリスト)
小沢昭一が83歳で亡くなった。
出演していたTBSラジオの長寿番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は7日で1万410回を数えていた。同番組の10日の放送時間帯には、放送タレントの永六輔(79)らが電話出演し、小沢さんの死を悼んだ。
「落語を初めとして、放浪芸など日本の話芸を掘り起こし、自分の芸に取り入れていた。華と味わいと深みがあり、誰も真似できないトークだった。お休みしているときは、さみしかったですね」(ラジオのリスナー)
「あいつより うまいはずだが なぜ売れぬ」
42歳まで脚光を浴びることがなかった大女優、森光子が売れない時代に詠んだ句である。
森さんの本葬が12月7日、東京都港区の青山葬儀所で営まれ、石井ふく子、東山紀之ら芸能関係者やファン約2300人が、「日本のお母さん」として広く愛された国民的女優との別れを惜しんだ。
「とにかく貪欲に芸を学んでいた。ジャニーズに興味をもったのも、人気の秘密が知りたかったからです」(ファン)
森さんが大事にした「感謝」と「愛」が花言葉の花々をデザインした祭壇には、優しくほほ笑む遺影が掲げられる。モニターには2017回演じた舞台「放浪記」の映像などが映し出された。
「業界に限らず、多彩な人と親交があった。誰からも愛されるお茶目な性格でした」(スポーツ紙記者)
幅広い芸で知られ、歌舞伎を海外にも広めた歌舞伎俳優の中村勘三郎(なかむら・かんざぶろう、本名・波野哲明=なみの・のりあき)さんが12月5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群(ARDS)のため、都内の病院で死去した。57歳だった。
「今年の6月中旬に、初期の食道がんが発見されたことを告白して、7月27日に手術を行った。その後は、舞台復帰に向け療養に努めていたが、8月中旬にARDSを発症してしまった。先月下旬から徐々に病状が悪化。そのまま帰らぬ人となった。最後まで舞台のことを心配していました。生粋の歌舞伎役者だと思う」(歌舞伎関係者)
サッカーの元日本代表で、来季Jリーグ2部(J2)に降格する札幌のFW中山雅史(45)が4日に札幌市内で記者会見し、「今季限りで第一線を退く」と述べ、現役引退を表明した。
シーズンごとに得点力に磨きをかけ、98年には36得点で得点王と最優秀選手に。磐田の年間リーグ優勝3度に大きく貢献した。発言やパフォーマンスで、旺盛なサービス精神も発揮。同世代の三浦知良(現横浜C)とともに日本サッカーの人気と実力の向上に貢献した。
今年は、新藤兼人、若松孝二が亡くなり、命を描ける監督が少なくなってしまった、と感じていた。
そんな思いを払拭したのが、現在公開されている、周防正行監督の『終の信託』だ。
周防の作品はずっと見続けてきた。ボルノ映画時代の『変態家族 兄貴の嫁さん』から見ている。これはもちろん、周防監督の存在はまだ知らず、偶然に見たのだ。
それから、『ファンシイダンス』『シコふんじゃった。』『Shall we ダンス?』『それでもボクはやってない』『ダンシング・チャップリン』と、ずっと追ってきた。
「セクシャルバイオレットNo.1」などのヒット曲で知られるロック歌手・桑名正博さんが10月26日午前11時44分、全脳死による心停止のため大阪市内の病院で死去した。59歳だった。7月15日未明に大阪市内の自宅で、脳幹出血により倒れてから104日目。
「1日しかもたないと言われたが、104日も生きたことは奇跡です」と 長男でミュージシャンの美勇士は語る。稀代のロック・スターは、意識不明のまま壮絶な闘病を続けたが、奇跡は起こらなかった。30日の葬儀後は、大阪のメインストリート・御堂筋をリンカーン霊柩車で走る「御堂筋桑名パレード」を実施。派手に明るく、沿道のファンに別れを告げた。
「才色兼備の女性でしたね。とても頭がよく、書く文章も整っていました。おそらくなにをやらせても、どんな仕事でも的確にこなしたんじゃないかな」(AVライター)
1980年代、Fカップの巨乳でAVクイーンとして人気を集めた冴島奈緒さんが、9月29日にがんのため死去していた。享年44歳。
AV黄金時代の80年代に爆発的な人気を誇った彼女は、清楚なたたずまいと艶っぽさで人気を博した。とりわけ、東京都出身で、グラビアアイドルとしてデビューし、日本テレビ系「11PM」のコーナー「秘湯の旅」リポーター、“うさぎちゃん”が印象に残る。その後、1987年に『冴島奈緒/FカップNo.1 奈緒の目覚め』でAVデビュー。スリムな体形に巨乳のアンバランスさでAVでも人気が爆発した。