まさか、であった! 前回の記事で、天王山の戦い(山崎合戦)は主人公・明智光秀にとってあまりにも惨めなので、省略されるかもしれない。主人公の最期(死)まで描かないという、前代未聞の結末になるかもしれない、という予言が当たってしまった。ある意味で、トホホである。

もちろん前回も紹介したとおり、その人物の生涯があまりにも長いので、作家の原作およびNHK大河ドラマの脚本において、省略されるのもやむを得ない(海音寺潮五郎原作「天と地と」)と解説しておいた。

だが、今回は山崎の合戦(光秀が羽柴秀吉に敗北死)という、わずか一日を省く(ナレーションで代替え)異常さなのである。たんなる手抜きではなく、意識的に惨めな最期を端折ったのである。ここに、当初からの作品コンセプトの破綻を見ないわけにはいかない。

しかも!である。架空の人物(架空の医師の助手・駒)の言葉とはいえ、明智光秀が生きているのを見た。というトンデモない結末となったのである。最後のシーンでは、武家風から町人風の髷に変えた光秀が京の町を闊歩し、さらには馬に乗って、颯爽と平原を駆け抜けてゆく。

前回の最終講評で終わりにするつもりだったところ、トンデモないことが起きたので再論しなければなるまい。

というのも、生存説が単なるトンデモではなく、天海大僧正明智光秀説という、歴史研究者にとっては、あながち無視できない奇説があるからだ。


◎[参考動画][麒麟がくる] 第41回 まとめ | 月にのぼる者

◆明智光秀は生き延びて僧天海となった?

南光坊天海は、実在の人物である。天文5年(1536)の生まれだとされている。上杉謙信が1530年、織田信長が1534年だから、明智光秀(生年不明だが、信長よりも年上だとされている)とは同時代人ということになる。

相模の三浦氏系蘆名氏の出身だとされているが「俗氏の事、人のとひしかど、氏姓も行年わすれていさし知ず」と記録にある。ようするに、出自がハッキリとしない人物なのである。ほかに足利将軍(11代義澄か12代義晴)の落胤説もある。
没年のほうは、江戸時代なのでハッキリしている。寛永20年10月2日(1643)ということは、天文5年生誕説を採るならば、107歳まで生きたことになる。112歳説などもあるようだ。

川中島の合戦(永禄4年=1561)で「謙信と信玄の一騎打ちを見た」「信玄にあとから聞くと、あれは影武者だと答えた」などと語っていることから、諸国遊行のうちに青年期・壮年期を過ごしたといえよう。

それほど出自がわからない人物であるにもかかわらず、大僧正(大師号)を贈られるなど、不思議な点が多いのだ。江戸の町を設計した、江戸城を「の」の字型に縄張りした、とされている。

あるいは、江戸城の北東に寛永寺を築き、その住職を務めている。寛永寺の寺号「東叡山」は東の比叡山を意味するが、天海は平安京の鬼門を守った比叡山の延暦寺に倣ったという。

寛永寺の南西側には、近江の琵琶湖を思わせる不忍池を配置し、琵琶湖の竹生島に倣って、池の中之島に弁財天を祀るなど、寛永寺が比叡山と同じ役割を果たすよう狙ったとされる。

これらの都市建設思想は、京都ゆかりの知識人、明智光秀にしか考えられない、かもしれない。上野東照宮、増上寺もこの天海が開山にかかわっている。

そこで、明智光秀が生き延びて、家康の庇護のもと天海大僧正になったという説が生まれたのだ。


◎[参考動画][麒麟がくる] 第42回 まとめ | 離れゆく心

◆傍証の数々

傍証も少なくない。

家康ゆかりの日光に明智平という地名があること。

比叡山に、俗名を光秀とする僧侶の記録があること(一時、比叡山に潜伏した?)。

さらには有名な史実として、徳川家光の乳母(斎藤ふく=春日局)が斎藤利三の娘であり、家康はそれを了解のうちに採用したこと。そののち、斎藤一門は繁栄している。

山崎の戦いで明智側についた京極家は、関ヶ原の戦いの折に西軍に降伏したにもかかわらず、戦後加増されたこと(実際は大津城の攻防で、西軍をくぎ付けにした功績)。いっぽうで、光秀寄騎でありながら山崎の戦いで光秀に呼応しなかった筒井家が、慶長13年(1608)に改易されていること(実際には家中分裂で改易)。

これら傍証ともいえる光秀=天海説の伏線を敷くかのように、今回の「麒麟がくる」最終回では、光秀から家康に宛てた書状が登場する。菊丸(岡本隆)に託される光秀の「遺言」ともいえる書状である。

すなわち、自分が斃れたあとは家康に天下を託したい、との内容であるのは想像に難くない。


◎[参考動画][麒麟がくる] 第43回 まとめ | 闇に光る樹

◆正義の人でなければならないのか?

こうした結末にしなければならなかった理由は、一連の記事で明らかにしてきたとおり、NHK大河の主人公が「生来の正義の人」「利発な天才系」でなければならない。ある意味では勧善懲悪主義の基調が仇となっているからだ。

主人公がことさらに悪人である必要はないが、あまりにも葛藤がない。あまりにも悩みがない、みずからの苦悩がなさすぎる。

たとえば「風林火山」(原作新田次郎)の信玄は、苦渋の果てに父親を追放する。のみならず、みすからも父子対立のすえに嫡男の義信を自害に追い込む。多くの側室を抱えたがゆえに、その対立にも悩まされる。いわば苦悩の人であった。
いやそもそも、信玄は謙信が言うように、その内部に悪をひそませた人であったかもしれない。

それでは、伊達政宗(NHK大河は「独眼竜政宗」)はどうであろうか。政宗は弟を殺しているが、信玄ほど陰謀家ではない。政宗が母親に毒殺されそうになった(史実には疑いがある)シーンを、NHKはショッキングに描いたではないか。その苦悩も涙も十分に伝わる脚本だった。

上記の二作品は、NHK大河シリーズ史上、最高の視聴率を成し遂げている。ようするに、NHK大河は人間を描けなくなった。類型的な勧善懲悪主義に堕してしまっているのだ。

今回の「麒麟がくる」において、明智光秀の人物像が大きく変わったという評価は、しかしあまりにも史実とかけ離れた、その意味では稗史(はいし)と呼ぶべきものだったといえよう。彼の本当の苦悩や野心は、現代に再生できなかったのである。

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▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

こんなに長いこと、よく飽きられないな……と、ふと思った。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗氏による女性蔑視発言、そして元貴乃花親方こと花田光司氏と長男の靴職人・優一氏の親子バトルが連日、メディアを席巻していることに関してだ。

森氏は2000年代初頭の首相在任中、「神の国」発言など様々な失言によりマスコミに「サメの脳みそ」と揶揄され、いじりまわされた。かたや、花田一族の人たちも2000年代初頭から光司氏の両親(先代貴ノ花と藤田紀子さん)の離婚、光司氏と兄の勝氏(元若乃花)の確執など度重なるお家騒動でマスコミに話題を提供し続けてきた。

私はそんな両者の過去の様々な騒動を思い出し、冒頭のような感想を抱いたわけだが、率直に言って、いつまでも「昔の人」にならず、世間の話題になり続ける森氏と花田一族の人たちは「すごい」と思う。

何しろ、ここ1年、マスコミはコロナの話題ばかり扱い、それ以外のニュースがコロナを押しのけて大きく報道されるのはよっぽどのことに限られていた。あの河井議員夫婦の裁判にしたって、現職の法務大臣の大がかりな選挙違反事件であるにもかかわらず、コロナのせいで報道は地味な扱いだ。そんな中、国民生活に重大な影響があるわけでもないのに、これほどメディアを席巻できる森氏と花田一族の人たちはやはり並大抵ではないと思うのだ。

彼らはなぜ、かくも世間の人たちに飽きられず、話題になり続けられるのか。私はこれまでの両者の歩みを見つめ直し、2つの共通点を見出した。

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会も公式HPで森氏の発言に関する釈明のコメントを出す羽目に……

◆一度だけの話題提供に終わらせず、必ず火に油を注ぐ

1つ目は、「一度だけの話題提供に終わらせず、必ず火に油を注ぐようなことをする」ということだ。

まず森氏だが、「女性が多いと会議が長引く」という発言を「女性蔑視」として叩かれたが、この程度の失言は通常、謝罪会見を一度すれば、それで幕引きだ。メディアはそれ以上いじりようがないし、メディアがいじらなければ、世間の人たちも忘れてしまうものだ。

ところが、森氏は謝罪会見でわざわざ逆ギレし、記者に逆質問したりして、メディアに再度、いじられるネタを提供した。そして騒動を大きくしたわけである。

かたや、花田一族の人たち。いま、光司氏と優一氏の親子バトルが注目を集めているきっかけは、光司氏が公の場で優一氏について、「勘当している」云々と言ったことだった。これで親子の確執が表面化すると、すかさず優一氏がメディア(週刊女性PRIME)で光司氏の酒に酔っての暴言やDVを告発し、火に油を注いだのである。

森氏が一人で話題を提供し続けているのに対し、花田一族は複数の人が次々に話題をかぶせているという違いはあるにせよ、「自ら火に油を注ぐ」というところは両者の共通点であるのは間違いない。

2月1日の『週刊女性PRIME』で父・花田光司氏のモラハラなどを告発した優一氏

◆森氏も花田一族の人たちも話題になりたいわけではない

そして、森氏と花田一族のもう1つの共通点だが、それは「狙っているわけではない」ということだ。つまり、両者は意図的に世間の話題になろうとしているわけではなく、本人たちにとっては自然な言動が結果的に世間の関心を集めているということだ。

それは説明するまでもないだろう。森氏は「女性蔑視」と叩かれたくて、「女性が多い会議は長引く」と言ったわけではないのは明らかだし、火に油を注ぐために謝罪会見で逆ギレしたわけでもないはずだ。花田一族の人たちだって、世間の注目を集めたくて、お家騒動を繰り返しているわけではないだろう。そんなことをしても何一つ得することはないからだ。

翻って、世間では今、「炎上商法」なるものが花盛りだ。とくにネット上では、あえて人に批判されるような言動をして炎上し、それを何らかの利益につなげようとしている人たちが増えている。その最たる存在がいわゆる「迷惑系YouTuber」だが、最近はタレントや政治家でも炎上商法に走る者が散見されるようになってきた。

もっとも、炎上商法系の人たちはおのずと「かまってちゃん」的な雰囲気が漂ってしまうため、世間の人たちも次第にかまうのがいやになり、相手にしなくなっていく。その点、森氏や花田一族の人たちはその特異な言動の裏に何か思惑があるわけではないので、「かまってちゃん」オーラが出ることもなく、世間の人たちは彼らの特異な言動がいつまでも気になり続けてしまうのだ。

良し悪しを置けば、あらゆるメディアが連日コロナのことばかり扱い、多くの人がこの話題に飽き飽きしていた中、森氏や花田一族の人たちが気を紛らわせてくれたことは確かだ。最近はあまり話題にならなくなっていた東京オリンピックについて、森氏の女性蔑視発言騒動により「そう言えば、まだ中止になっていなかったな」と思い出した人も多かったろう。

結局何が言いたいかというと、やはり「作り物」より「本物」のほうが面白い、ということに尽きる。そんな単純なことを書くために、これだけの長文を書いてしまった。最後まで読んでくれた人には感謝の思いしかない。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

◆濃姫が「毒殺」を使嗾

最後は巧くまとめるんだな、という印象である。少し早いが、次回(2月7日)が最終回ということで、ネタバレ情報も入ったので解説しておこう。とんでもないことが起きない限り、これで最終講評としたい。

前回の講評では朝廷黒幕説、正親町帝が「信長が天下を乱すようなら、見届けよ」。つまり「信長追討の密勅」が暗に行なわれたという解釈で、トンデモないことを云うものだと批判した。そもそも織田家の陪臣の身では、帝に拝謁できない時代考証の誤り。

しかるに、43回「闇に光る樹」は京都で濃姫(帰蝶)と密会し、濃姫をして「父道三ならば、信長に毒を盛る」と言わせるのだ。

NHK大河ドラマ・ガイド『麒麟がくる 後編(2)』

以前の批評で「誰でもいいから黒幕説」のひとつとして、森乱丸黒幕説と並列していたトンデモ説が、にわかに浮上してきたのだ。陰謀の陰にオンナありのドラマとしては秀逸な展開だが、濃姫と光秀がおなじく道三を父と仰ぐような関係ではないことを確認しておこう。

すなわち「麒麟がくる」のコンセプトそのものに関わることだが、光秀が信長に仕えるようになるまでの前半生はほとんど謎、消息不明なのである。

土岐一族系の明智氏の出であることは、たぶんその名乗りから疑いないかもしれない。そんな程度の出自なのである。明智城や明智の荘に係る、同時代史料があるわけではないのだ。

足取りがわかっているのは、越前朝倉家に何らかのかたちで関係していたことぐらいである。この点は「麒麟がくる」も史実考証に忠実で、朝倉氏に仕官したとはしていない。したがって「信長さまに拾われるまでは浪々の身であった」という史実を踏襲したことになる。

いっぽうの濃姫(帰蝶)も、足取りがよくわからない人物である。濃尾同盟の証しとして信長に嫁いだのはまぎれもない史実だが、その後がよくわからない。

複数の史料に「安土殿」「信長公御台」「北の方」などの記述があるので、信長没後まで生存していた可能性は高いが、早世説もある人なのだ。それも信長の子を産まなかったからにほかならない。

信長には生駒吉乃をはじめ、11人の側室があり、12人の息子と9人の娘、6人の養子があった。悲しい話だが戦国女性は子を産まなければ、よほどの内助の功がない限り存在感は希薄となる。

◆イラスト合戦

今回の大河がふざけているのは、時代考証のいい加減さだけではない。合戦シーンがじつに断片的で、その大半が歴史解説番組なみのイラストなのである。これほど歴史ファンを莫迦にした脚本があるだろうか。

光秀の場合は単独で戦った大きな合戦といえば、丹波制圧のほかには天王山の合戦(山崎の合戦)ぐらいしかなく、重点を置ききれなかったのは了解できる。

しかし、比叡山焼き討ちとともに武田征伐では恵林寺での快川紹喜の「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」などは欠かせない見せ場で、信長の残虐性を際立たせるには格好のネタであったはずだ。長島合戦や越後での一向宗狩りなど、信長を悪者にするシーンは豊富にあったはずだ。

松永久秀の最後について前回も解説したが、北陸戦線で織田軍が上杉謙信に敗北した事情(秀吉の無断離脱)など、当時の緊迫感のある政治情勢を欠いてしまったために、ドラマ自体がふぬけた印象となった。

◆最期を描かないラスト

さて、問題はラストである。これまで大河ドラマは主人公の最期まで描き切ることで、偉大な人生の達成感を視聴者にもたらしてきた。

もちろん例外もないではない。上杉謙信の生涯をえがいた「天と地と」では、第4次川中島合戦の「勝利」(実際の歴史家の評価は、引き分けであろう)でジエンドとなっている。その後のエポックを欠く関東出兵や北陸での織田氏との争いなど、とうてい長すぎて描き切れないという事情がみとめられる。

しかし、今回は光秀の情けなさを象徴する「三日天下」(実際には11日)と天王山の合戦を、簡略シーンかイラストで済ませてしまおうというネタバレ情報なのである。

天王山の合戦の敗因は、秀吉が「信長さまは生きている」と吹聴したために、光秀方に兵が集まらなかった、とするものだそうだ。

本能寺で信長の首が見つからなかったのは史実である。信忠(信長の息子)の首も二条御所の縁板を剥がして遺体を隠したという説があるとおり、織田父子の深謀遠慮が感じられる。

だが、史実は本能寺の変後の政治工作が朝廷方面に手間取り、一向宗(根来寺)や長曾我部元親、上杉景勝、武田遺臣団など反織田勢力への工作が不足したのである。

本能寺の変後、北陸から柴田勝家が撤退、信濃からも森長可が撤退、川尻秀隆が武田遺臣団に殺され、滝川一益も北条氏に攻められて敗走するという、各地の織田勢が総崩れ(天正壬午の乱)するなかで、光秀は政治工作の不足で求心力を得られなかったのだ。

光秀の人望のなさも挙げざるを得ない。前回の講評で紹介したとおり、フロイスの「みんなからは嫌われていたが、信長だけには気に入られていた」という人物評価が当たっているのだろう。あてにしていた細川藤孝も筒井順慶も、光秀に味方しなかったのだから。

肝心の最期のシーンはどうなるのだろうか。

小栗栖の田の細道を十数騎で移動中、小藪から百姓の錆びた鑓で腰骨を突き刺されたとする『別本御代々軍記』(「太田牛一」のが正確なところと考えられる。そこで切腹するというのが江戸時代の歴史本だが、実際にはその後斬首された斎藤利三とともに、粟田口に首と胴体をつながれて晒されたという(「兼見卿記」)。

ともあれ配役の演技陣諸氏には、最後の熱演技を期待したい。

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▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

1月17日放送の「月にのぼる者~光秀ついに帝に拝謁」で、イッキに朝廷陰謀説が濃厚になった。これは解説に務めなければならないであろう。

NHK大河ドラマ・ガイド『麒麟がくる 前編(1)』

本能寺の変の動機の、現在主流となっている説は「四国政策変更説」である。すなわち、長曾我部氏の所領を安堵(四国は切り取り自由)していた信長がこれを撤回し、息子の信孝を総大将に約束違反の四国派遣軍を組織したことによる。

しかるに、光秀は家臣の斎藤利三が長曾我部家の家臣の縁戚であることから、織田家の四国政策の窓口となっていたのだ。

したがって、信長の四国政策の変更は、光秀のメンツを潰すものとなる。

この信長の政策変更の背景には、阿波の三好氏ら長曾我部と対立していた者たちが信長陣営に接近する動きがあった。すなわち、長曾我部氏に四国を全面的に任せるのではなく、両者を調停しつつ同時に織田家への臣従をもとめたのである。信長にとっては、両者の所領を安堵する苦肉の策でもあった。

これが、長曾我部氏(当主は元親)をして、約定違反だと憤慨させる。すでに四国の大半は、長曾我部の手中にあったからだ。光秀は調停に務めるが、長曾我部氏の態度は頑なで、調停は好転しなかった。

そこで、上記の四国派遣軍が準備されたのだ。本能寺の変のとき、この四国派遣軍は摂津の港で船出の準備をしていた。総大将信孝のほかに丹羽長秀、織田一門衆の津田信澄ら、一説には1万5000以上の大軍、鉄甲船9隻をふくむ軍船300隻が準備されていたという。

いっぽう、光秀は四国担当をはずされ、信長の命で中国攻めに苦労している羽柴秀吉の援軍を命じられる。そして信長自身は、京都本能寺に公家衆・堺の茶人たちを招いて茶会。供の者はわずか数十人(明覚寺に嫡男の信忠が500の兵)という、ほぼ無防備状態が生まれる。

これを知った光秀は1万3000の兵で、数日前から熟慮をかさねていた計画を実行する。すなわち本能寺の変の勃発である。

◆光秀は帝に会える立場だったか?

ドラマは終盤にさしかかって、仕掛けが明らかになってきた。

松永久秀が光秀の美濃時代から登場し、志貴山で自決したときに破却したとされる古天明平蜘蛛茶釜(こてんみょうひらぐも)を光秀に託す。この茶釜を手にする者は、天下をになう覚悟がいる、との意味付けが物語を進行させる。

だが、久秀の謀反は今回の大河ドラマで描かれているほど、覚悟のあるものではない。上杉謙信の上洛を見越した謀反が失敗、いや見込みちがいに終ったにすぎない。

そして信長は意外なことに、平蜘蛛をカネに替えるなどと言い出す。本能寺の変の前夜まで、茶道具に執着していた信長の言葉としては無理がある。じつは本能寺の変の前夜に茶会が開かれ、当日も信長は茶会を予定していた。博多商人の島井宗室を招き、宗室の楢柴肩衝(茶入れ)を召し上げるつもりだったのだ。

それはともかく、光秀が正親町天皇に拝謁をたまわる。光秀の官位は従五位下であるから昇殿できず、地下人として庭からの拝謁となった。

帝いわく、「月にのぼろうとする武士たちは、還って来ぬ」と。玉三郎の正親町天皇は、じつにはまり役だ。彼にしかできない役であろう。

拝謁の内容は「天下を夢みた者は死ぬ」との帝の思し召しである。

そして、光秀にこう命じる。

「信長が月にのぼろうとするかどうか、しかと見届けよ」

つまり「信長が天下に破天荒なことをするようなら、その死を見届けよ」

やんわりとした、しかし追討の勅命である。

右大臣とはいえ信長の陪臣にすぎない光秀を、単なる挨拶やご機嫌伺いで三条西実澄が帝に会わせるわけはない。これは信長追討の密勅いがいの何ものでもないのだ。そこを慮らずに、脚本を書いてしまったというのであれば、とんだ不敬である(笑)。時代考証の誤りである。

史実を参考にすれば、すぐにわかることだ。上杉謙信は長尾景虎を名乗っていたときに、二度にわたって上洛し正親町天皇に拝謁している。

謙信も光秀と同じ従五位下だが、関白近衛前久とその従兄でもある十三代将軍足利義輝の推挙によって、幕閣待遇で昇殿しているのだ。

しかも近江にながらく滞在し、三条西家ほかの公卿に多額の土産を積み上げて、帝への忠勤と経済的支援を申し出てのものだ。じっさいに、謙信は関東管領職という東国武家を統括する地位を占めていた。

以上のことから、いずれにしても今回の大河ドラマが無理な設定で朝廷黒幕説となったのは明白だ。畏れ多くも(苦笑)、NHKは禁裏に踏み込んでしまった。

◆やはり無理があった企画

そもそも、この大河ドラマの企画にしてから無理はなかったか。

長谷川博己が演じる、正義と善意のかたまりのような光秀が、史実のように惨めな死(裏切者としての命運)を辿るのであれば、そもそも光秀を主人公に「麒麟(平和のシンボル)」をどう描くつもりだったのか? 

たとえば、松永久秀(吉田鋼太郎は、はまり役だ)とともに悪逆を尽くして(史実=イエズス会の光秀評価)最後は殺される、敗者の魅力にでも賭けたほうが良かったのではないだろうか。

光秀の人となりを伝えるものは少ないが、わずかにあるものも、彼への評価は辛らつである。

「信長の宮廷に十兵衛明智殿と称する人物がいた。その才略、思慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けることとなり、主君とその恩恵を利することをわきまえていた。殿内にあって彼はよそ者であり、ほとんど全ての者から快く思われていなかったが、寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた」(ルイス・フロイス「日本史」)。

頭が良くて信長には気に入られているが、ほとんど全ての者から嫌われているというのだ。これで「麒麟(平和)」を呼ぶ者というのは無理があった。

「彼(光秀)は裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった」(前掲書)。

すでに夏の段階で、おおまかな作品の史料評価(時代考証)は行なってきたので、ご興味がある方は参照してください。

◎「麒麟がくる」の史実を読む〈1〉 人物像および本能寺の変に難点あり!(2020年8月28日)
◎「麒麟がくる」の史実を読む〈2〉本能寺の変の黒幕は誰だ? 謀略の洛中(2020年9月6日)
◎「麒麟がくる」の史実を読む〈3〉本能寺の変の黒幕は誰だ? 朝廷か将軍か(2020年9月13日)

この中でわたしは、

「長谷川博己はキャリアも演技力も十分な俳優だが、演技巧者であるがゆえにこそ、主役級の華はないと言わざるをえない。彼は名わき役なのである。前半の斎藤道三役の本木雅弘の熱技に、まるっきり呑まれてしまった」

「まるでウラのない善人で、正義漢なのである」

「これでは本能寺の変が、たとえば信長をよほどの悪逆な主君にしないかぎり、うまく描けないのではないだろうか。染谷将太の信長は神がかり的ではないだけに、いまのままでは単なる無能な殿というイメージになってしまう。無能な信長像というのは、NHK大河のみならず初めてではないか」

「そもそも『麒麟(平和のシンボル?)がくる』ためには、悪逆の王(信長)を滅ぼさなければならない。という設定自体、当の光秀が秀吉に滅ぼされてしまうのだから、どだい無理があるというものだ。明智光秀は天海僧正だった説でも採らないかぎり、『戦乱のない世を』というテーマがけっして果たされないのは自明である」と、指摘してきた。

しかし、単に長谷川博己の起用に問題があったのではない。NHK大河は若い主役俳優を起用し、作品をつうじて演技の幅が豊かになる。その成長の過程こそ魅力であった。

近いところでは、2014年の「軍師官兵衛」の岡田准一の好演が挙げられる。晩年の如水時代まで、年輪をかさねるように役を演じきり、岡田は歴史プロパーとしても画面に定着した(NHKのザ・プロファイラー)。

いまのところ、というかもう終わりだが、明智光秀のなかに何ら変化が起きないのである。これでは成長しようにも、ファクターがなさすぎる。

歴代の光秀役では「利家とまつ」の萩原健一の激しい演技が、狂気じみた魅力で記憶されている。やはり、この路線が正しかったように思われる。

◆NHKがめざしたもの

NHKの狙いとして、日刊ゲンダイは以下の「放送作家」の批評を紹介している。

「戦のない世の中を夢見る光秀は、そのためには『誰にも手出しできぬ大きな国をつくることじゃ』と言い放つ道三に心酔し、父母に疎んじられた信長は岳父の道三を頼り、道三の娘の帰蝶はファザコン。つまり、道三をキーパーソンに、光秀が長男、信長が次男、帰蝶がおてんばな妹というような関係なんです。道三の『大きな国』を平らかで豊かな国と考える光秀は、いったんは信長に夢を託しますが、『大きな国』とは自分が天下を意のままにすることだと考える信長と行き違いが大きくなっていくというのが、ここ数話の展開ですよね。そして、もはや戦乱は広がるばかりで、王が仁ある政治を行う時に現れるという麒麟は来ないと悩み、信長を増長させた“長男”の責任として、泣いて馬謖ならぬ、“弟”を斬るという本能寺の変が描かれるのでしょう」(放送作家)。

そして、こうも解説する。

「信長も、“兄”である光秀の思いは痛いほどわかるから、『是非に及ばず』(仕方がない。光秀を恨まない)と言い残して自害したという解釈になるのだろうか。もはやシェークスピア悲劇の世界で、信長役の染谷将太は『(台本を読んで)鳥肌が立ちました』と語っている。(2021年01月10日 09時26分 日刊ゲンダイDIGITAL)。

なるほど、ドラマの序盤で本木道三を看板に持ってきたのは、そういう深遠な意図があったか、である。

だが、これにも無理があるのは言うまでもない。麒麟の権化となるべき光秀が、秀吉に討たれる理由が見当たらないのだ。まさか、秀吉に討たれる前に幕引きをはかるのか。(つづく)

※上述のとおり、光秀の最期がどうなるのか。ハッキリ言えば秀吉に敗れて挫折死か、それともトンデモ説に飛びついて「天海僧正になった」なのか。見極めてから、あらためてダメ出しをしたいと思います。続編にご期待ください。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

2020年6月30日、中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会は「香港国家安全維持法(国家安全法:国安法)」を全会一致で可決・成立。香港政府はこれを即時施行し、それと同時にようやく条文が明らかになった。中国当局による香港での統制強化が可能となり、「一国二制度」は葬られた。最高刑は終身刑だ。翌7月1日の抗議行動では370人が逮捕され、3日に1名が起訴された。亡命の動きもある。

韓国の劇映画『世宗大王 星を追う者たち』を観て、まず、これらの報道を想起した。世宗(セジョン)大王とは、「聖君」として知られる李氏朝鮮の第4代国王だ。ハングルの生みの親であったことは映画やドラマをきっかけに知っていたが、鑑賞後に調べると、本作の主人公ともいえる科学者チャン・ヨンシルとともに実際、天文台・簡儀台の設置、日時計と水時計の製作などを手がけている。

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◆李氏朝鮮と現在の香港との共通性

なぜ香港の報道を想起したかといえば、やはり当時の宗主国である明の支配、そして長いもの=権力をもつ明にまかれようとする中央官職に就く人々が、世宗やヨンシルの敵として描かれているからだ。

もちろん実際、強大な国である中国は過去から現在にいたるまで拡大志向であり、いっぽうの朝鮮半島はアジア大陸の東端にあって侵略され続けた歴史のなか、幾度も立ち上がってきた。個人的には、現在の共和国の姿勢も、そのような歴史を抱えながら他の社会主義国が追いこまれていく様子を目の当たりにしてきたことが背景にあると考えている。結果、主体(チュチェ)思想が生まれたのではないだろうか。

話を戻せば、時代は変われど、また作品としてタイミングを意識したわけではないにせよ、この中国の属国として葛藤しながら耐え続けた朝鮮と、現在の香港の状況とが重なるように感じたというわけだ。

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◆「星を追う」名シーン

ちなみにお気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、わたしは韓流ファンでもある。ドラマに始まり、映画、K-POP、バラエティーにもはまっているのだ。特に、最初に心を奪われた韓流ドラマの時代物では、下層から人柄やセンス、能力や努力によって這い上がっていくストーリーが多く、そこにはまった。

本作でも、奴婢(賤民)だったヨンシルが能力や努力を買われ、世宗と交流していくさまは、BL(ボーイズラブ)否、男2人の深い友情物語として満喫できる。ヨンシルは北極星は世宗だと言い、世宗はその脇の明るい星(四輔星:サボソンだったか)をヨンシルだと言う。星の見えない夜にも、ヨンシルは世宗に「星空」を見せる。これらのシーンはとても美しく、本作のみどころの1つといえるだろう。ただし、ラストシーンは、思い入れをもって観るほどに、複雑な心境となるかもしれない。だが実は、ここにもまた史実の一片が含まれていることを、鑑賞後に調べて知った。

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韓流映画やドラマのファンとしては、やはりスタッフや俳優陣のチェックも楽しみとなる。『世宗大王 星を追う者たち』の監督であるホ・ジノは『八月のクリスマス』『四月の雪』や最近Abema TV でも時々放送されている『オガムド 五感度』などを手がけている。世宗役のハン・ソッキュは、映画なら同じく『八月のクリスマス』やあの『シュリ』など、ドラマでは実は『根の深い木 世宗大王の誓い』でも世宗を演じていたのだが、『根の深い木』も大変興味深い作品なので、ぜひご覧いただきたい。ヨンシル役のチェ・ミンシクも映画では『シュリ』『オールドボーイ』『バトル・オーシャン 海上決戦』などの出演するほか、ドラマでも活躍している。もちろん脇役にも、見た顔がちらほら。そんなチェックも楽しみたい。

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◆ともに夢を見る者の間に育まれた友情

さて、侵略に話を戻す。日常でも人は、他人を味方につけ、敵でないと安心したいものかもしれない。しかし、侵略には限りがなく、現代においては多くの国家においては基本的に否定されている。ところが、武力・財力など、さまざまな武器を用い、いろいろな侵略をおこなっているのだろう。それに対抗するにはどうすればよいかという話の先に9条の議論もあるのかもしれない。

しかし少なくとも、壁と卵なら壁の側が武力を行使してはならず、また卵であるところの現場に生きる1人ひとりの市民・民衆の声に耳を傾けねばならないだろう。その点で、世宗は民が学べるようにと独自の文字を編み出したように、香港の民主化・独立を求める大きなうねりをつぶしてはならず、中国は香港の市民の声を聞かねばならない。香港には知人の活動家もいて心配であり、これは国内での思想の左右を問わない問題であるように思われる。

『世宗大王 星を追う者たち』を観て改めて、夢をともに追い求める人間の姿やその間にある愛情をぜひ感じてほしい。そして、あなたにも「星」を追い続けてほしいと思う。


◎[参考動画]映画『世宗大王 星を追う者たち』日本版予告(株式会社ハーク)

2020年9月4日シネマート新宿ほか全国順次ロードショー
監督:ホ・ジノ 出演:ハン・ソッキュ、チェ・ミンシク、シン・グ、キム・ホンパ、ホ・ジュノ、キム・テウ
【2019年/韓国/韓国語/133分/スコープサイズ】 英題:Forbidden Dream 配給:ハーク
公式HP: http://hark3.com/sejong/

▼小林 蓮実(こばやし はすみ)
フリーライター、アクティビスト。映画ファン、韓流ファンでもあり、ソウル訪問のほか訪朝も3回。『現代用語の基礎知識 増刊NEWS版』に「従軍慰安婦問題」「嫌韓と親韓」、雑誌『neoneo」No.08に「朝鮮を外から描くドキュメンタリーが抱える妄念」、ここ『デジタル鹿砦社通信』に「闘う姿に胸を打たれ、自らの闘いを問われる2作品 ── チェ・スンホ監督『共犯者たち』『スパイネーション/自白』」などを寄稿。

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日

〈原発なき社会〉をもとめて 『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

ジャズピアニストの河野康弘さん(66歳)と出会ったのは、震災から4年目。2015年10月にTwitterの私のアカウントに「地球ハーモニー」という知らない方からリプが届いた。アカウント「地球ハーモニー」を主宰する河野さんは、矢沢永吉さんのバックバンドや中村雅俊さんの伴奏などを務めたのち、1983年ジャズピアニストとしてアルバムを発表してきた方と知った。また2011年3月11日の震災と原発事故後、東京から京都に移住してきたことも知り、その後、私たちが主催する講演会などで演奏していただいたりしてきた。(聞き手=尾崎美代子)

◆そのとき音楽があったら、共感の輪が広がります

河野康弘さん

── 河野さんは事故当時は東京でしたね?

河野 はい。JR中央線国立駅近くの自宅に家族と一緒にいました。かなり大きく揺れたので首都圏壊滅と思いました。それまで演奏の旅先で芸予地震、薩摩地震、中越地震に会いましたが、それ以上の揺れでした。テレビで震源地が東北、津波の映像を見て驚いたが、まだ原発のことまでは考えていませんでした。

── 河野さんは91年の湾岸戦争をきっかけに平和と環境問題をテーマに活動するようになったそうですが?原発を考えるきっかけもそのころからですか?

河野 湾岸戦争に日本が参加し残念だったので、平和・環境コンサートを始めました。平和・環境運動が「特定な人」だけの活動のように感じたので、音楽で広範な人が考えるきっかけを作っていきたいと思いました。ダム反対でも、「反対! 反対!」だけでは前に進まない。そのとき音楽があったら、共感の輪が広がります。

演奏活動で福井県敦賀市、福島県田村市に演奏に行った時、周辺に白血病などの病気が増えた話を聞きました。また静岡県牧之原市では神奈川県に住んでいた青年が浜岡原発に就職。息子さんが最新のエネルギーシステムでの仕事を誇りにしてたので御両親も浜岡に移住。移住してから息子の体調が悪くなり、とうとう亡くなりました。原因は原発作業での被ばくだったのです。そんな現実を知り原発は無くしたいと思いました。

◆2011年4月、南相馬の避難所では、匂いもしないし、食事も美味しい。放射能の事がピンとこなかった……

── 福島第一原発が気になりだしたのはいつ頃からですか?

河野 津波が福一を襲い全電源停止になった時です。

── 福島の危険性について考えたのはいつからですか?

河野 葛飾区の浄水場や静岡のお茶からセシウムが検出された頃です。チェルノブイリと同じなのか? もっと酷い状況になるのか?

4月下旬に福島の避難所が落ち着いてきたから、心のケアがして欲しいと演奏を頼まれ、事故後初めて福島へ行きました。福島市で友人に会い、市内から車で飯舘村を通って、南相馬の避難所に行きましたが匂いもしないし、食事も美味しい。放射能の事がピンとこなかった。

連れ合いが心配して「福島へは行かないほうがいいんじゃない」と言い始めたのですが、呼ばれたら行かないわけには行かない、と悩み簡易ガイガーカウンターを購入し、福島へ行った時に放射線量を測りました。高いところでは0.7マイクロシーベルトもあり福島での被ばくを実感しました。 

◆2012年2月、37年住んでいた東京を離れ、家族4人で京都へ移住

── 東京の生活はどうでしたか?

河野 連れ合いの体調が悪くなり下痢がずっと続き被ばくが原因では、と思い始めました。本やネットでいろいろ調べ内部被ばくの事を知り、食べ物を西日本、北海道の物に限定。近くのスーパーでは、あまり置いていないので電車に乗って買いに行き、西日本・北海道へ演奏旅行に行った時は現地の食材を家に送りました。

3月21日、金町浄水場からセシウムが検出された時は鹿児島県霧島市にいて水を送ろうと大きなスーパーに行きましたが、まったく無くなかったので山の中の水の販売所に行き買って送りました。

水、食べ物はどうにかなるが、空気だけはどうしようもない。今のコロナと一緒。目に見えない、匂いもしないから。東京には沢山の放射能が降り積もったので無くなる事はありませんのでリスクを減らすには移住をしなければ、と考えました。
 ネットで西日本を沖縄まで探し京都の嵐山に良い部屋が見つかり、2012年2月に家族4人(私、連れ合い、息子、義母)で移住しました。東京に37年住んでいたので移住することを知り合いの皆さんに伝えたら、ビックリされました。

── そうですね。小さい子どももいるわけでもないしね。

河野 被ばくの影響が出るのは子どもだけではないんですよね。チェルノブイリでも、最初に亡くなったのはお年寄り。全員に影響があります。

── 京都に来てから変化はありましたか?

河野 連れ合いは体調が良くなりました。あと実は、セキセイインコも連れてきたのです。2001年に飼ったから10年目でしたが、事故後元気がなくなり、止まり木にも上がらなくなりました。ところが京都に来たら、いきなり元気になって止まり木にも上がるようになり驚きました。小さな動物は影響が大きんですね。

── その後、京都、関西のいろんな活動に関わっていったのですね?

河野 はい、いろんな団体から連絡がきたり呼ばれたり、こっちから「一緒にやりませんか?」と声をかけたり……。

── 私に連絡あったのもその頃ですかね? 

河野 確か、堺市に避難してきた現代美術家と「原発ゼロ」写真展&ライブをやりたいと思ったときかな?

河野康弘さん

◆福島だけでなく、首都圏も同じ

── そうでしたかね? ところで河野さんはその後福島へは?

河野 京都へ来てからも福島に行っていましたが、あることがあって、それから行っていません。

2014年に、福島から京都に避難している知り合いからメールがきました。「福島を忘れないでください。でも福島には来ないでください。福島のものを食べないでください」と書いてありました。福島に行くと福島は安全だから福島の子どもたちは避難できない。福島の食材を食べると福島の子どもたちは福島の物を食べなければいけなくなり内部被ばくする。福島だけでなく首都圏も同じ。なのでそれ以降、福島、首都圏へは行かないことに決めました。私の「意思表示」です。医師の三田茂医師も東京都小平市から岡山市に移住し首都圏の被ばく状況、危険性を訴えてくださっています。

── 一方で日本の反原発運動の中では時間が経つにつれ、被ばくの問題への関心が薄れていってる気がしますが?

河野 それは原爆が落とされた時の爆発の被害だけに目を囚われすぎ、その後に続いた被ばくの被害を問題にしてこなかったからです。ビキニ環礁の核実験の問題でも、第五福竜丸だけが取りざたされましたが、あの周辺には約1000漕の日本の船がいたんです。でも漁師の人たちは知らされなかったり、魚が売れなくなるから「被ばく」した事を言わないようにしていました。そして「核の平和利用」と言って原発を作り毎日、放射能が放出され全国の人が被ばく者になり4人に一人がガンになりました。福一事故後は2人に1人がガン。ガンの原因は被ばくが大きな要因になっています。

私は原爆の事を考えていただきたく’97年から被ばくピアノコンサートを始めました。その時は被ばくの事をあまり知らなかったのですが、福一事故後の情報収集で自分も被ばく者である事に気づきました。そして日本のすべてのピアノは被ばくピアノだったのです。そこで2011年7月に浜岡原発の近く牧之原市で現地のピアノを使った「被ばくピアノコンサート」をしました。京都に来てからは毎月「HIBAKU PIANO LIVE」をしています。被ばく情報資料をカバンに入れてあり興味を持ってくださった方にはお知らせしています。

被ばくの問題を皆さまに知っていただきたい。被ばくで福島の人を差別するのでは無く福島の人たちを守っていく為です。このままでは広島がそうであったように、福島が人体実験の場にされてしまいます。

── 今後も一緒にやっていきましょう。ありがとうございました。


◎[参考動画]河野康弘コンサート05052012 My Favorite Things”

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

最新刊!月刊『紙の爆弾』2020年5月号 【特集】「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る 新型コロナによる経済被害は安倍首相が原因の人災である(藤井聡・京都大学大学院教授)他

『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 菅直人元首相が語る「東電福島第一原発事故から九年の今、伝えたいこと」他

感染が拡大する一方の新型コロナウイルスにより、世の中はだんだん殺伐とした雰囲気になってきた。そんな中、この騒動とのリンクのすごさに驚かされる映画がある。2016年に公開された韓国映画で、世界的に大ヒットした『新感染 ファイナル・エクスプレス』だ。

「新感染」公式HPより

◆コロナ騒動同様、感染が疑われる者を非感染者が拒絶

同作は、時速300キロ超で走る釜山行きの高速電車内でゾンビが大量に発生するパニック映画。ゾンビに襲われた客たちが次々にゾンビ化する中、幼い娘と一緒に電車に乗ったファンドマネージャーの男(コン・ユ)らが生き残るために奮闘する姿を描く。

この作品の原題は『釜山行』で、『新感染』は邦題だ。この邦題をつけた人は「新幹線」から着想したのは明らかだが、このダジャレのようなタイトルが「新感染症」とぴたりと重なっている。そこに、まず驚かされてしまう。

そんな映画は作中でもゾンビに襲われ、ゾンビ化することを「感染する」と表現しているのだが、感染が疑われる人間に対する非感染者の接し方も実によく現在のコロナ騒動とリンクしている。それは、主人公たちがゾンビ化した人たちが群れる車両を必死の思いで突破し、非感染者たちが避難している安全な車両に逃げ込もうとした時のことだ。

「こいつらも感染しているかもしれない!」

安全な車両に避難している非感染者がそう言い、主人公たちが入ってこないように車両のドアをロックしてしまうのだ。これは現在、感染の危険がある国や地域からの帰還者や訪問者を拒絶する世間のムードと酷似している。


◎[参考動画]『新感染 ファイナル・エクスプレス』予告編(2017/06/30)

◆夏には、続編が公開されるというが……

思うに、新型コロナウイルスは、人々の身体に与えるダメージの深刻さもさることながら、人々の心を蝕む力こそが驚異的だ。まだ発症していない感染者からの感染例も多く報告されているため、街中で誰を見ても、感染者に見えてしまう。そのため、人間同士で疑心暗鬼が広がっている。

新型コロナウイルスの感染を広めないための行動が求められるのは当然としても、感染した人が病状を心配されることなく感染したことを批判されるとか、感染した著名人やその関係者が謝罪しなければならないとか、この現在の空気は異常である。

とまあ、現在のコロナ騒動と実によくリンクする映画『新感染』だが、なんとこの夏、続編となる作品『半島』が韓国と世界各国で公開されるという。『半島』は、前作の4年後の廃墟となった地で生き残った人々が死闘を繰り広げる物語だそうだが……。

このタイミングで続編が出るというのも凄いが、夏ごろまでに映画館で普通に映画が鑑賞できるほどコロナ騒動が沈静化しているとは思い難い。一体、どうなるのだろうか。


◎[参考動画]『新感染 ファイナル・エクスプレス』続編 映画『Peninsula (原題)』米予告編(2020/04/02)

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(同)も発売中。

7日発売!月刊『紙の爆弾』2020年5月号 【特集】「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る 新型コロナによる経済被害は安倍首相が原因の人災である(藤井聡・京都大学大学院教授)他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

芸能界の重鎮・ビートたけしの再婚相手で、現在の所属事務所『T.Nゴン』の役員を務める女性A子氏について、週刊誌などでネガティブな情報が続々と報じられている。

そんな中、たけしの元弟子・石塚康介氏がA子氏からパワハラ被害を受けたとして、A子氏とたけしの所属事務所『T.Nゴン』に1000万円の損害賠償を請求した訴訟では、A子氏側(代理人弁護士は矢田次男、鳥居江美、金森四季の3氏)が答弁書で石塚氏(代理人弁護士は湯澤功栄氏)の主張を全面的に否定するところか、石塚氏の人間性も否定したに等しい過激な反論をしている。

その内容を前編に引き続き、紹介する。

石塚氏は『週刊新潮』誌上でA子氏からのパワハラ被害を実名告発した。その記事は『デイリー新潮』にも掲載された(『週刊新潮』2019年11月21日号掲載)

◆報酬は「月40万円」支払っていたと主張

答弁書におけるA子氏側の主張によると、俳優志望だった石塚氏は2010年頃に1年近く、たけしが毎週仕事のために出向く飲食店の近くに立ち続けて弟子入りを懇願し、弟子入りを果たしたのだという。そしてその後、石塚氏が『T.Nゴン』で雇用されるに至った経緯について、A子氏側は「たけしの好意」だったように主張している。次のように。

〈妻子のいる原告(引用者注・石塚氏のこと。以下同じ)の生活が成り立たないことを心配した社長(引用者注・たけしのこと。以下同じ)は、原告に対して、原告が俳優としての活動を優先させることを奨励しつつ、それ以外の時間において、社長の弟子としての諸業務のほかにも、被告会社(引用者注・『T.Nゴン』のこと。以下同じ)の雑務の一部を業務委託することとし、それら一切の業務履行の対価として月額40万円の報酬を支払うこととし、被告会社と原告とでこれを合意した〉

『T.Nゴン』が石塚氏に月40万円の報酬を支払っていたという話が事実ならば、単純計算で同社が石塚氏に支払っていた1年あたりの報酬は480万円だったことになる。A子氏側としては、石塚氏が妻子との生活を成り立たせることができたのは、たけしのおかげだと言いたいのかもしれない。

◆石塚氏のことを“恩をあだで返した人物”であるかのように主張

さらにA子氏側は答弁書において、たけしの弟子であったことは俳優志望の石塚氏にとって大きなメリットであったように主張している。次のように。

〈(引用者注・石塚氏は)社長のタレント活動の現場に同行したり、芸能活動に必要な雑務を手伝うことにより、俳優やタレントとして活動する上で必要な芸能界の常識を習得したり、知識、見識を深めたり、芸能界における人脈づくりをする機会を得ていた〉

また、A子氏側は答弁書で石塚氏について、〈社長の紹介、後押しにより、俳優として映画、ドラマ等に出演する機会を得ていた〉と主張。とくに、たけしの監督作品である映画『アウトレイジ ビヨンド』と『アウトレイジ 最終章』に石塚氏が出演していることについては、たけしの存在あってこその出演であったように強調している。次のように。

〈他の出演者は名だたる俳優ばかりという中で、まだ無名でキャリアも浅い原告がこれらの映画に出演する機会を得ることができたのは、社長の後押しがあってこそである〉

A子氏側の答弁書を見ていると、石塚氏のことを「たけしに散々面倒をみてもらっておきながら、恩をあだで返した人物」であるかのように非難している印象が否めない。

◆パワハラ被害を訴える石塚氏に対し、「社会人としての常識すら欠く」と反論

A子氏側の答弁書における主張のクライマックスは、次の部分だ。

〈原告は、特に取締役(引用者注・A子さんのこと)に対して、挨拶や話が聞こえないふりをして無視して返事をしないといった嫌がらせを度々行い、それを注意されても繰り返すという態度であったため、2019年7月30日、取締役が再度これを注意したところ、取締役に対して、「てめー、この野郎」「クソ女」「馬鹿野郎、ふざけんな」などと大声で怒鳴り、暴言についても謝罪しようとせず、そのまま一方的に被告会社を去ったものであり、社会人としての常識すら欠く対応を行っていたのはむしろ原告である〉

このA子氏側の主張を信じていいのか否かは現時点で判定不能だ。現時点で確実にわかることは、A子氏側がパワハラ被害を訴える石塚氏のことを「社会人としての常識すら欠く」人物であるかのように言い、「こちらこそ被害者だ」という趣旨の主張をしているということだ。A子氏側が答弁書で繰り広げた石塚氏への反論について、筆者が「石塚氏の人間性も否定したに等しい」と評した理由がこれでおわかり頂けたことだろう。

A子氏側は答弁書において、〈こうした原告の問題行動及びそれに対する被告会社の注意の詳細に関する主張立証については、原告の主張の整理を待った上で行っていく予定である〉と明言している。つまり、今後も石塚氏の人間性を否定するような反論をしていく意向とみられる。

一方、石塚氏も『週刊新潮』誌上でA子氏から受けたパワハラ被害を実名告発した際には、〈カメラで監視され、24時間、いつ理不尽なメールや電話が来るか分からない地獄の生活が続いたことで、ストレスで胃が痛み、夏なのにどうしようもなく寒く感じられ、鼻水が止まらなくなってしまい、私は仕事の途中に公園で倒れ込むようになってしまいました〉などと切々と訴えている(※)。訴訟の中でA子氏から人間性を批判するような反論をされたら、石塚氏も当然、再反論するはずだ。

現時点でどちらの言い分が正しいのかは判定しかねるが、この訴訟の行方は今後も注視し、めぼしい新情報が入手できれば報告したい。(了)

※石塚氏がA子氏から受けたパワハラ被害などを実名告白した『週刊新潮』2019年11月21日号の記事は、『デイリー新潮』でも3回に分けて掲載されている。〈〉内の石塚氏の主張は、その『デイリー新潮』の3回目の記事〈ビートたけし弟子が愛人をパワハラで提訴 「これ以上殿を孤立させないために」実名告発〉(https://www.dailyshincho.jp/article/2019/11220800/?all=1)から引用した。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(同)も発売中。

いまこそタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年4月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

芸能界の重鎮・ビートたけしの再婚相手で、現在の所属事務所『T.Nゴン』(代表取締役は北野武)の役員を務める女性A子氏について、週刊誌などでネガティブな情報が続々と報じられている。中には、たけしがA子氏と交際するようになって以降、人間が変わり、周囲から人が離れていったと断定的に伝える報道もあるほどだ。

この一連の騒動の中、注目を集めている人がいる。石塚康介氏。たけしの元弟子で、運転手を務めていた男性だ。石塚氏はA子氏からパワハラを受け、自律神経失調症を患ったと主張し、『T.N.ゴン』とA子氏に1000万円の損害賠償を請求する訴訟を東京地裁に提起した。さらに『週刊新潮』誌上でA子氏から受けたパワハラ被害や、A子氏と交際するようになって以降のたけしの変貌ぶりを実名告発している。

東京地裁でこの訴訟の記録を閲覧したところ、A子氏側(代理人弁護士は矢田次男、鳥居江美、金森四季の3氏)が答弁書で石塚氏(代理人弁護士は湯澤功栄氏)の主張を全面的に否定するどころか、石塚氏の人間性も否定したに等しい過激な反論をしていたことがわかった。それを前編、後編の2回に分けて報告する。

◆「およそ法律論となっていない」と一刀両断

石塚氏がA子氏から受けたパワハラ被害などを実名告白した『週刊新潮』2019年11月21日号の記事は、『デイリー新潮』でも3回に分けて掲載されている。その3回目の記事〈ビートたけし弟子が愛人をパワハラで提訴 「これ以上殿を孤立させないために」実名告発〉(https://www.dailyshincho.jp/article/2019/11220800/?all=1)において、石塚氏はA子氏から受けたパワハラ被害を次のように切々と訴えている。

石塚氏は『週刊新潮』誌上でA子氏からのパワハラ被害を実名告発した。その記事は『デイリー新潮』にも掲載された(『週刊新潮』2019年11月21日号掲載)

〈まず彼女の指示で、私は車を自由に使えなくなりました〉

〈現場には付き人やマネージャーが常にいるにも拘らず、彼女は私にもずっと現場にいて、殿を見ておくようにと指示する。私は現場から動けなくなり、ガソリンの給油すらまともにできないほど拘束されるようになりました〉

〈深夜に連絡してきたり、「今日は休みだけど、何かあったら電話します、と社長(たけし)が言っています」と言ってきたり。そう言われると待機せざるを得ず、とにかく私を休ませないようにしようという嫌がらせにしか思えませんでした〉

〈カメラで監視され、24時間、いつ理不尽なメールや電話が来るか分からない地獄の生活が続いたことで、ストレスで胃が痛み、夏なのにどうしようもなく寒く感じられ、鼻水が止まらなくなってしまい、私は仕事の途中に公園で倒れ込むようになってしまいました〉

石塚氏のこれらの告白が事実なら、まったく酷い話だ。この記事を読み、A子氏のことを人格異常者のように思った人もいるかもしれない。石塚氏は訴訟に提出した訴状でも同様のパワハラ被害を訴えている。

では、A子氏側が答弁書で行っている「過激反論」はどんな内容なのか。

A子氏側はまず、次のように石塚氏の訴状における主張全般を一刀両断にしている。

〈原告(引用者注・石塚氏のこと。以下同じ)は(……中略……)被告A子氏(引用者注・原本では実名)によるパワーハラスメント等の被告らによる不法行為により原告が退職に追い込まれたことについて主張、立証として、2019年5月1日から7月31日までの一日ごとの出来事を縷々述べるが、その内容は事実と単なる感想とが混然としており、不法行為に該当するとしている具体的事実が判然とせず、いかなる事実がなぜ不法行為に該当すると主張するのか全く不明であり、およそ法律論となっていない〉

読んでおわかりの通り、A子氏側は石塚氏の主張1つ1つに反論するのではなく、石塚氏の主張が全般的に「意味不明」であるかのように言い放っているのだ。「およそ法律論となっていない」という言い方からは、石塚氏の代理人弁護士である湯澤氏のこともバカにしているような印象を受ける。

◆パワハラ被害の訴えに対し、「注意や業務連絡等を行っていたにすぎない」

答弁書を見ると、A子氏側も石塚氏に対し、あれこれと注意などをしていたこと自体は認めている。だが、石塚氏がそれをパワハラだったと主張していることに対しては、次のように猛烈に反論している。

〈そもそも、原告の、自らには何ら落ち度がないにもかかわらず取締役(引用者注・A子氏のこと。以下同じ)が原告に対して不要な注意、叱責等をしたとの主張は事実と全く異なる。

原告には、取締役や被告会社(引用者注・『T.Nゴン』のこと。以下同じ)の他の従業員に対して挨拶や返事をしない、必要な業務報告を十分に行わない、社長(引用者注・たけしのこと。以下同じ)がよく利用する飲食店の従業員らに対して社長や取締役の悪口を言う、社長の運転手であることをプロフィールで明記している原告のツイッターアカウントにおいて被告会社の名誉を毀損する内容のツイート、被告会社に無断で社長のプライベートにおける言動の内容や買い物の内容のツイート及び写真、社長の肖像や監督作品の名称等をプリントした洋服を多数制作しそれを販売しているかのような内容のツイート等を発信するなどの問題行動があった。

そのため、取締役はその都度、必要かつ相当な範囲内での注意や業務連絡等を行っていたにすぎず、およそ不法行為と評価されるような言動はしていない。このことは、原告が取締役から受領したメールであるとして提出している甲第6号証のメール文面からも明らかである。取締役はこれらのメールにあるように、原告に対して常に丁寧な言葉で、業務上必要な範囲の連絡を行っていたものであり、「原告を支配」していたなどという状態とはほど遠い〉

これも一読しておわかりの通り、A子氏側は、石塚氏が普段から数々の問題を起こしていたと主張。そのうえで、石塚氏に注意などをしていたことの正当性を訴えているわけだ。

これが本当なら、A子氏からのパワハラ被害を週刊誌で実名告発した石塚氏のほうこそがとんでもなく酷い人物だったことになってしまう。逆にA子氏側のこの主張が事実と異なるならば、A子氏は石塚氏に対して酷いパワハラを繰り返したうえ、訴訟の中でも悪質な侮辱行為を行ったと言わざるをえない。

◆メールで「挨拶もできない人はダメです」

ちなみに、石塚氏がA子氏から受領したとされる“甲第6号証のメール”には、たとえば以下のようなものがある。これらを見る限り、A子氏が石塚氏に対し、少なくともメールでは、丁寧な言葉を使っていたのは事実であるようだ。

〈お疲れ様です。一応文字にしておきます。北野が仕事をしているときは側に居ることが仕事ですので現場は離れないで下さい〉(2019年5月2日 木曜日13:35)

〈お疲れ様です。夜分に遅くにすみません。明日は休みで連絡もなしで大丈夫です。何か用事がある時にはご連絡致します。電話だけはいつも繋がるように宜しくお願い致します」(2019年6月9日 日曜日3:11)

〈お疲れ様です。夜分遅くにすいません。9日夕方新横浜に車で迎えに宜しくお願い致します。5時半に新横浜だと思います〉(2019年7月7日 日曜日2:26)

〈挨拶もできない人はダメです。後、北野関係や北野の運転手をしていて、他人から頂き物をした場合は報告して下さい。こちらもお礼をいわなければならないし、北野が恥をかく事になるので、色々気をつけて下さい〉(2019年7月18日 木曜日11:36)

言葉は丁寧だが、A子氏が石塚氏に深夜に連絡していたのは事実のようだし、「挨拶もできない人はダメです」という注意は手厳しい印象が否めない。ただ、石塚氏が本当に「挨拶もできない人」だったのか否かは現時点で不明のため、このメールの内容についても今はまだ適切な評価は不能だ。

果たして石塚氏とA子氏、どちらの言い分が正しいのだろうか――。(後編につづく)

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(同)も発売中。

いまこそタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年4月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

◆被告になった「上級国民」たち

2月17日、トヨタレクサスの暴走死亡事故を起こした、元東京地検特捜部長の石川達紘被告(弁護士・80歳)に対する初公判が東京地裁で開かれた。起訴事実は自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死)である。

車載の事故記録装置などをもとに「被告が運転操作を誤った」とする検察側に対し、石川の弁護側は「車に不具合があり勝手に暴走した。(石川の)過失はなかった」と無罪を主張した。石川が無罪となれば、トヨタの技術の粋を凝らしたレクサスに何らかの不具合があったことになり、トヨタのブランドは大きく傷つくことになる。かつて検察のエースと呼ばれた男と、日本を代表する自動車メーカーの法廷闘争の始まりである。

いっぽう、元通産官僚の飯塚幸三(88歳)の起訴も確定した。池袋母子轢殺暴走事件で逮捕されなかった「上級国民」である。石川被告も逮捕されていないので、あらためてアンタッチャブルな「上級国民老人」の裁判が注目を浴びることとなったわけだ。このふたりの「暴走老人」の事件は、何度でもネットで報じることで記憶から消してはならない。

とくに記憶を喚起しなければならないのは、石川達紘が死亡させた被害者を気遣うこともなく「はやくここから俺を出せ!」と通行人に命じ、「俺ではなく、クルマが悪いのだ」と今も明言していること。さらには被害者遺族に「後日、保険会社から連絡します」と、同僚弁護士に言わしめたこと、そもそも20代の美女とゴルフに行くために、結果的に100キロの猛スピードで事故を起こしたこと。そして飯塚幸三が「アクセルがもどらなかった」「(予約の)フレンチに遅れるから急いだ」「メーカーは老人が安全に乗れる自動車を造るよう、心がけてほしい」と明言し、これも100キロを超すスピードで事故を起こしたことであろう。石川は犠牲者遺族と示談したが、飯塚は謝罪すらまともに行なっていないのだ。


◎[参考動画]「天地神明に誓って…」元特捜部長が起訴内容を否認(ANN 2020/02/18)

トヨタレクサスの暴走死亡事故を起こした元東京地検特捜部長の石川達紘被告(弁護士・80歳)の経歴(wikipedia)

◆勲章を剥ぎ取れ?

この二つの事件を忘れてはならない理由のひとつは、いうまでもなく二人が瑞宝重光章の受賞者であり、アンタッチャブル(逮捕無用)な存在だからである。本欄で何度も論じてきたが、日本の人質司法はカルロス・ゴーンのような証拠が明白な経営案件(背任罪)でも、長期拘留することで先取りの刑罰を与える。その証拠に、有罪で実刑になったさいに量刑は「懲役〇〇年、未決参入〇年〇月」と宣告される。未決拘留が実質的に刑罰であることを、裁判所が認めているということなのである。

そのいっぽうで、今回のように受勲者は人質司法(逮捕・勾留・拘置)から除外されているのだ。これではもはや、法の下の平等がないに等しい。そしておそらく、高齢者の事犯ということで有罪になっても執行猶予が付されるだろう。特権階級としての「上級国民」は言うまでもなく、象徴天皇制の実質である。身分差別や民族排外主義ではなく、いわば国民融和の柱として律令制いらいの叙位叙勲が生きている事こそ、もっと論じられなければならない。


◎[参考動画]池袋暴走事故 元院長はなぜ在宅起訴なのか (FNN 2020/02/06)

池袋母子轢殺暴走事件を起こしても逮捕されなかった元通産官僚の飯塚幸三被告(88歳)の経歴(wikipedia)

ところで、その瑞宝重光章がどれほどのものかというと、旧叙勲制度では「勲二等」である。菊花章の次に格が高く、同格の旭日章よりも、やや大衆的なものといえばイメージがつかめると思う。春秋の叙勲者を約8000人(年間)として、瑞宝重光章は70~80人である。おいそれと貰えるものではないのだ。勲章自体がスポーツ選手でも貰える紫綬褒章などの褒章よりも重く、長年の国家および公共への功績という要件がある。

今回、ふたりの「上級国民」が有罪判決を受けた場合、瑞宝重光章は剥奪されるのだろうか。アテネオリンピックと北京オリンピックの柔道金メダルリスト、内柴正人が準強姦事件で懲役5年の実刑判決をうけ、全柔連から永久追放処分を受けたのは記憶に新しい。このとき内柴は紫綬褒章を剥奪されている。

その法的な根拠は「勲章褫奪令(くんしょうちだつれい)」という古い政令である(明治41年公布、平成28年改正)。この政令の第1条によると、勲章を有する者が死刑・懲役・無期もしくは3年以上の禁錮刑に処せられた場合、その勲章は取り上げられるとなっている。

◆勲章褫奪令

一条
勲章ヲ有スル者死刑、懲役又ハ無期若ハ三年以上ノ禁錮ニ処セラレタルトキハ其ノ勲等、又ハ年金ハ之ヲ褫奪セラレタルモノトシ外国勲章ハ其ノ佩用ヲ禁止セラレタルモノトス但シ第二条第一項第一号ノ場合ハ此ノ限ニ在ラス
②前項ノ場合ニ於テハ勲章、勲記、年金証書又ハ外国勲章佩用 免許証ハ之ヲ没取ス前級ノ勲記ニ付亦同シ

第二条
勲章ヲ有スル者左ノ各号ノ一ニ該当スルトキハ情状ニ依リ其ノ勲等、又ハ年金ヲ褫奪シ外国勲章ハ其ノ佩用ヲ禁止ス
一 刑ノ全部ノ執行ヲ猶予セラレタルトキ
二 三年未満ノ禁錮ニ処セラレタルトキ
三 懲戒ノ裁判又ハ処分ニ依リ免官又ハ免職セラレタルトキ
四 素行修ラス帯勲者タルノ面目ヲ汚シタルトキ

つまり、3年以下の禁固刑か執行猶予であれば、第2条の「情状」により勲章・年金は剥奪されないことになる。ちなみに、カルロス・ゴーンは「素行修ラス帯勲者タルノ面目ヲ汚シタルトキ」に当たるとされた場合、やはり「情状」によって剥奪されることになる。

いずれにしても、叙位叙勲なる制度がおそらく国民の0.8%(同一世代100万人に対して8000人)とはいえ、身分差を作り出していること。そして今回明らかになったように、逃亡の怖れがないとか何とかの理屈付けはともかく、先行刑罰としての逮捕・勾留・拘置から自由であるという事実。これこそ指弾されなければならない。4月29日と11月3日の叙勲の日に「勲章なんかやめろデモ」でも組織してみるか、である。

もうひとつ、この「上級国民」二人の「犯行」で忘れてならないのは、80歳を超えんとする後期高齢者(石川は事件時78歳だった)が、走る凶器を運転していいのかということだ。自動車運転が事故から無縁でないことは、わたしのような慎重なドライバーでも事故を起こしたことはあるし、クルマを手放して自転車に乗り換えても二度、自動車ドライバーの不注意(後方確認なしのドア開け)などで事故に遭っているのだ。

そしてそもそも自動車および自動車産業は、戦争経済の延長に戦車や戦闘機をクルマの形にかえて、高速運転による人間の闘争本能を刺激しつつ、意味のないモータリゼーション(遠隔地からの商品輸送・高速ドライブ・煽り運転)をもたらしてきたのだ。これについてはテーマを変えて論じたいが、80歳で運転するという信じられない行為から指弾されるべきであろう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

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