ワールドカップの一次リーグでジャパン(日本代表)が世界2位のアイルランドを19対12で破り決勝トーナメント進出への足掛かりを得た。これをメディアはこぞって「奇跡がふたたび」「大番狂わせ」と報道しているが、そうではない。観ていた方はわかると思うが、フィットネスの面でジャパンはアイルランドを圧倒していた。


◎[参考動画]【ラグビーワールドカップ2019ハイライト】日本×アイルランド(DAZN Japan 2019年9月29日公開)

この勝利は勝つべくして勝ったというべきである。そもそも、ラグビーというスポーツに「偶然」は「ラッキー」はない。いや、楕円ボールのラッキーバウンドすらも、練習によって見きわめられた想定内の運動なのである。ラグビーを多少やっていた人間として、ジャパンの強さを解説しておこう。

◆世界にほこるトレーニングの量

もう十数年前になるが、わたしは鹿砦社の松岡社長の紹介で日本ラグビーフットボール協会のA氏(慶応OB)を紹介されたことがある。それが機縁で社会人ラグビー(当時)のプロ化の準備に向けたサイトの運営、テストマッチ(国の代表チームの対戦)や日本選手権の取材などを引き受けていた。

そしてその中で、代表チーム(ジャパン)の個別のトレーニング管理という、きわめて徹底したマネジメントを知って驚いたものだ。代表候補選手に携帯のメーリングシステムを通じて、個人練習(その日に何キロ走ったか、など)を管理するというものだ。そこまでやるのかという、わずかに嫌な印象を持ったものだ。

現在はプロ化(完全ではない)が達成され、代表チームの招集も個別の所属チームに優先するようになったので、スマホで個人トレーニングを管理する必要もなくなったが、それでも激しいトレーニングは世界レベルでもトップではないか。

エディ・ジョーンズヘッドコーチの時代、ボールを使った練習中にホイッスルが鳴ると、数分間走り続ける、選手にとってはうんざりするようなトレーニングが課せられたものだ。80分間走るフィットネスにかけては、世界に敵はいないだろう。

アイルランド戦の勝利は、けっして奇跡ではないのだ。アイルランド選手が動けなくなっているときに、ジャパンの選手たちは体を躍動させていたではないか。そしてリザーブ選手がすぐに試合に順応できる層の厚さも、アイルランドとは好対照だった。

◆日本のラグビー文化の素晴らしさと限界

今回のジャパンの活躍で、にわかラグビーファンが増えるのは悪いことではないが、その反面でラグビーというスポーツ文化への一知半解が従来のラグビーファンの眉を顰めさせることもあるはずだ。

たとえば、テレビでは「サポーター」というサッカー用語をさかんに使っているが、ラグビーのサポーターという意味ならばともかく、個別のチームのサポーターがラグビーに存在するわけではない。よいプレイがあれば相手チームであれ、応援しているチームであれ、拍手で讃えるのがラグビーの観戦マナーである。

サッカーJリーグはファンにサポーターという地位を与えることで、応援で「活躍」する場をあたえた。これは野球にみられる応援文化を、そのまま海外におけるサッカーの応援シーンに合致させたものだ。ラグビーにもプロがあり、南半球のラグビー応援シーンはなかなか派手だ。しかし、大学ラグビーを底辺に構築されてきた日本のラグビー文化は、サッカーのそれを後追いするには異質なものがある。

たとえばアイルランド戦で活躍した福岡啓太選手は、医者を志望しているという。ラグビー選手がプロとしてチームに残る際も、企業のマネージャーとしての立場が必要である。高学歴ゆえに、組織マネージメントや技術者としての役割性を期待されるのだ。

ひるがえって、フリーランスでラグビー解説者やタレント化するほど、ラグビー人気に厚みはない。プロ化のいっそうの推進がどこまで可能なのか。ファンの支援が、サッカー並みに「サポーター」として厚みを持てるのか、これも昔の話で恐縮だが、伊勢丹ラグビー部が解散するときに「おカネがないのなら仕方がないね」で済まされたものだ。ラグビーはエリート社員たちの「余暇」としかみなされなかったのである。

◆ウエイトトレーニングが決め手だった

かつて、早明ラグビー人気を中心に、80年代にはラグビーブームという言葉があった。伏見工業ラグビー部をモデルにしたテレビドラマ「スクールウォーズ」の人気もあって、ラグビー精神のオールフォアワン、ワンフォアオールが人口に膾炙したものだ。その後、早明両校の低迷やJリーグサッカーの隆盛もあって、ブームの去ったラグビーは低迷期に入った。早明に代わって大学ラグビーの王者となった関東学院の生活事故(部員の大麻栽培)による凋落、出発したトップリーグも旧来の社会人ラグビーをリニューアルした以上の印象ではなかった。

ラグビーの変革はやはり、大学ラグビーに表象した。早明ラグビーはラックの早稲田(スピード)モールの明治(圧力)、早稲田の横の展開力に明治の縦の突進という戦術思想に限界がきていた。日本代表もスピードを基本に、日本人に合ったラグビー戦術を採っていたが、世界標準は戦略・戦術の総合力をもとめていた。それをいち早く達成したのは、岩出雅之監督がひきいる帝京大学だった。ウエイトトレーニングの導入で選手の体格・パワーアップに成功。相手をリスペクトするメンタルの高度化によって、規律のある(反則をしない)プレイを徹底した。この戦略は、じつに大学選手権9連覇という偉業を達成した。

そして名門明治がウエイトトレーニングを本格的に導入することで、もともと素材に勝る明治が帝京を破るという流れが、このかんの大学ラグビーである。このような動きと、ジャパンの強化策も同じである。けっきょく、スピード(軽さ)とパワー(重さ)という相反しがちなテーマは、徹底したウエイトトレーニングと走りこむことによってしか得られない。その苦行に、ジャパンは勝ち抜いてきたのである。

かつて、ジャパンはフランス大会においてニュージーランド(オールブラックス)に17対145(ワールドカップ記録)という大敗を余儀なくされていた。ヨーロッパ各国代表とのテストマッチでも100点差ゲームはふつうだった。奇跡ではなく、総合力のアップがジャパンの躍進をささえている。ジャパンのいっそうの活躍を期待したい。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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玲子さん(仮名)はわたしの友人の連れ合いで、同じ年だ。友人もわたしと同学年なので3人とも「同じ年」うまれである。玲子さんは大学卒業後から専門的な職業にフルタイムで勤務し、結婚、出産を経た現在も勤め続けている。友人も悪くない収入を得ているので、お二人をあわせた年収は2000万円近くにはなるだろう。

わたしの友人と玲子さんは、学生時代に知り合い結婚した。その後お子さんが3人生まれた。わたしは友人とは気楽に話ができるが、同学年である玲子さんとは、どうも波長が合いにくい(めったに顔を合わせることもないからかもしれない)。

◆ディズニーランドとVサイン

玲子さんは忙しい中、実に活動的に生活をしている。彼女はディズニーランドの年間パスポートを持っている。いつからかは知らないが、毎年年間パスポートは購入している。いったいいくらするのか調べたら(おせっかいだが)ディズニーランドだけ入場可能な年間パスポートが、大人61,000円で、ディズニシーにも入場可能な「2パーク年間パスポート」は、大人89,000円だ。玲子さんの家からディズニーランドまで、日帰りできなくはないが、新幹線を利用しても片道3時間近くはかかるから、ディズニーランドに行くときは、だいたい近くのホテルに宿泊することになる。アトラクションが変わると、必ず出かけるそうだ。そのたびに両手いっぱいのディズニーランドで購入したお土産を買って帰ってくる。

玲子さんに限ったことではないが、わたしたちの世代には、写真や、映像に写るとき手のひらで「Vサイン(ピースサイン)」のポーズをする人が珍しくない。玲子さんは友人によると、確認できる限り慶弔時などを除けば「すべて」の写真で「Vサイン」のポーズをとっているという。それは80年代から今日まで変わらない。夫婦ともにフルタイムで働き3人の子どもを育て上げるのは、さぞかし手もかかり忙しいことだろうと想像するが、友人によれば「それほど大したことではない」という。立派なものだ。


◎[参考動画]東京ディズニーランド 周年 CM(1983-2018)

◆お子さんの不登校と友人たちとのランチ

だけれどもお子さんのうちの一人は数年前から不登校気味である。理由はわからないが親子間の問題が原因ではなさそうだ。だからであろうか。玲子さんは不登校のお子さんのことはあまり気にせず、休日には友人たちと「ランチ」(「ランチ」は「ひるごはん」の意味だと思っていたが、女性が寄る「ランチ」は「ひるごはん」を食べながら、延々何時間もおしゃべりをすることを指す場合もあると近年知った。結果解散は夕刻になる)に出かけたり、海外旅行に行くこともある。

近年出かけた海外旅行は、玲子さんの友人たちとの旅行、2泊3日だったそうだが、そこで玲子さんが納まった写真でも、やはりかならず「Vサイン」がみられる。玲子さんのほかにも結構な頻度で「Vサイン」をしている人の姿もある。何が理由だか記憶にはないが、たしかに中学時代の修学旅行や、大学時代にわたしのまわりでも、男女を問わず写真機を向けられると「Vサイン」をする姿はめずらしくなかった。いまの若者はどうか知らないけれども、わたしたちの世代にとって「写真に映るときは『Vサイン』」は結構浸透していて、染みついている。

1960年代中盤生まれのわたしたちの世代に記憶が定かなのは、大阪万博あたりからであろう。多くの同世代の知人は、大阪万博について断片的であれ何らかの記憶を語ることができる(居住地が大阪に近かったこともあろうが)。途方もない人の波と何時間にもわたるパビリオンへの入場待ちの列。子供ごころに「足痛い。こんなん、もうええわ」と退屈した記憶がある。あの記憶以降、わたしには長蛇の列は、なるべくであれば避ける習性が身についている。一方玲子さんは逆だ。2-3時間待ちはディズニーランドでは常識の範囲らしい。平日は仕事をしているから、週末に出かけることが多いという。当然ディズニーランドは、平日よりも休日のほうが混むだろう。 

◆消えた「不良」

わたしたちの世代には「不良」がいた。「不良」は見た目で識別できた。今日、わたしが知る限り、容姿から「不良」が識別できるのは大阪の南部の限られた地域と沖縄だけである(ほかにも地域はあるかもしれないが直接目にしたことはない)。
「不良」が可視的であった時代には素行もだいたい予想ができた。そしてみずからは「不良」ではないが、なんとなく「不良っぽい」姿や行為に魅力を感じる若者もいた。彼・彼女らは表立っての「悪さ」はしないが、親が出かけた友人の家に集まってタバコを吹かしたり、酒を飲んだり、いまでは「クラブ」と呼ばれる「ディスコ」に高校生(ときに中学生)であっても繰り出したりしていた。


◎[参考動画]中学生暴力白書 black emperor ブラック エンペラー

まだ暴対法や、風営法のない時代。良くも悪くも今ほど「管理」が緩い時代だった。わたしには「不良」経験はないが、玲子さんは少し「不良」っぽい姿や振る舞いをすることを好んでいたそうだ。前述の通りあの時代別に珍しいことではない。その玲子さんは大学を出ると真面目に就職。結婚をして3人の子どもの母となる。仕事ぶりは真面目だろう。同世代のほとんどは、「真面目な」勤労者や、親になっている(わたしはそうなれなかった)。

他方、「ちょっと不良っぽい」ことに憧れた、若い日を過ごした玲子さんからは、いまでも、あの頃の雰囲気がどこかに感じられる。「虚無だった80年代」といえば言い過ぎかもしれないが、表層で「不良」が暴れまわり、「普通」の生徒もちょっと憧れる。「不良」は早々に「体制化」されてゆくことは「暴走族」が訳も分からず、特攻服や日の丸を掲げていたことに象徴的だ。おなじく「ちょっと不良っぽい」に憧れた層は、より安定的に「体制化」されてゆく。「Vサイン」と「ディズニーランドの年間パスポート」は、80年代を中高生で過ごした世代、ある部分の「エキス」ともいえるかもしれない。


◎[参考動画]The Two Beats (Takeshi & Kiyoshi) 1981

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

AV監督・村西とおる氏の半生を描いたNetflixのオリジナルドラマ「全裸監督」があちらこちらで大絶賛されている。筆者も観てみたが、「地上波では放送できない」とのフレコミ通り、性描写は過激だし、有名俳優が多数出演しているし、素人目にもセットやロケ地に手間や金がかかっていることはわかる。ストーリーも中毒性があり、たしかに楽しめる作品だ。


◎[参考動画]『全裸監督』予告編 2 (Netflix Japan 2019/07/24公開)

そんな話題作は、文筆家・本橋信宏氏の著作「全裸監督 村西とおる伝」(太田出版)が原作。712ページから成る分厚い本で、村西とおるという「絶対教科書に載らない偉人」の半生を克明に記録し、後世に残そうという著者の執念や使命感が感じられる一冊だ。ドラマのヒットでこの本にも注目が集まっているようなのは、喜ばしいことである。

もっとも、ほとんど予備知識がない人がこの本をいきなり手にとると、ボリュームがあり過ぎて、最後まで読み切るのがしんどいのではないかと思われる。そこで、筆者が「初学者」にお勧めしたいのが、著者の本橋氏が「全裸監督」以前に村西氏のことを書いた2作、1996年12月発行の「裏本時代」と1998年3月発行の「アダルトビデオ 村西とおるとその時代」(いずれも単行本の版元は飛鳥新社)だ。

本橋信宏「裏本時代」(1996年)

◆「裏本の帝王」だった村西氏

この2作は、「全裸監督 村西とおる伝」に比べると、ボリュームが少なく、一人称の小説のような文体で書かれているので、たいへん読みやすい。それでいながら、1つ1つのエピソードも詳細に綴られており、時代の空気もよく伝わってきて、端的に言えば名著である。

まず、「裏本時代」。これは、村西とおる氏がアダルトビデオに進出する前、草野博美という本名で「裏本の帝王」として君臨していた頃の生きざまを活写したノンフィクションだ。本橋氏が当時の村西氏を取材して知り合い、関係を深め、やがて、村西氏が営む新英出版が創刊した写真週刊誌「スクランブル」の編集長となって奮闘する日々が描かれている。

インターネットは影も形もなく、ビデオデッキを所持する一般家庭もまだ少数だった80年代初頭、世の人々がビニ本や裏本に熱を上げ、FOCUSの成功に端を発する写真週刊誌ブームが過熱したりした時代の空気も行間からあふれ出ている作品だ。

ちなみに同書によると、書店を全国展開し、多数の営業マンを雇ってビニ本、裏本を売りさばいた当時の村西氏は、「流通を制する者が資本主義を制する」と言い、ビニ本、裏本の販売ルートを使って「スクランブル」を日本一の写真週刊誌にしようとしていたという。

結局、新英出版が資金繰りに窮して倒産し、スクランブルも廃刊となってしまった。とはいえ、30年余り経った現在、インターネット企業やコンビニが「流通」を制し、隆盛を極めているのを見ると、当時から流通を重視していた村西氏はやはり慧眼の持ち主だったのだと改めて感心させられる。話題の「全裸監督」にしても、地上波のテレビ局では「流通」させられないドラマをNetflixというインターネットメディアが「流通」させているのだというとらえ方もできる。

本橋信宏「アダルトビデオ 村西とおるとその時代」(1998年)

◆ジャニーズ事務所との攻防

一方、「アダルトビデオ 村西とおるとその時代」は、裏本が摘発され、服役した草野博美氏が出所後、AV監督の村西とおるとなり、今度は表社会でのし上がっていく様を描いたノンフィクションだ。この時代も本橋氏は村西氏と行動を共にし、村西氏の成功と挫折のすべてを間近で観察し続けている。それだけに描写は細部に至るまで迫真性に富んでおり、実にエキサイティングなのである。

そしてその中では、地上波のみならず、Netflixでも描くのは難しかったのではないかと思えるエピソードも頻出する。中でも最大の見せ場は、ジャニーズ事務所とのガチンコバトルだ。

その発端は、村西氏の作品に出演したAV女優が、当時人気絶頂だった田原俊彦氏との情事を週刊誌で告白したことだった。ジャニーズ事務所側からそのことについて抗議され、村西氏は逆に激怒する。そしてジャニーズ事務所のスキャンダルを集めようと躍起になる中、かつてジャニーズ事務所に所属した元フォーリーブスの北公次氏と出会い、北氏に告白本を書かせたり、マジックをやらせたりするのである。

当時も今も全マスコミが及び腰になるジャニーズ事務所相手に、このように村西氏が何ら臆することなく、真っ向から喧嘩をふっかけていく様は実に痛快だ。

本橋氏は同書において、「この男のやることはいつも退屈な現実を『少年ジャンプ』のような世界に変えてしまう」と評しているが、村西氏はまさにその通りの人なのだろう。だからこそ、本橋氏はずっと村西氏のそばにいたし、村西氏の記録を残そうと、この2作を書き残し、さらにあの大部な本「全裸監督 村西とおる伝」まで上梓したのだと思う。

そう書いて気づいたのだが、ドラマ「全裸監督」もどこか『少年ジャンプ』のようである。それが中毒性の秘密かもしれない。


◎[参考動画]The Naked Director(全裸監督)- Kaoru Kuroki(黒木香) Real Life Character(Coconut Omega 2019/8/11公開)

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。著書『平成監獄面会記』が漫画化された『マンガ「獄中面会物語」』(著・塚原洋一/笠倉出版社)が発売中。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

◆前回のあらすじ

今日の日本における、英語教育に関する議論にはメディアリテラシーについての観点が欠けているように思われる。重要なのは英語をはじめとする他言語から情報を得て、多角的な観点を持つことである。多くの国の公用語である英語やスペイン語などとは異なり、日本語は日本一国でしか使用されない。日本語の情報の多くは日本から発信された情報であるため、日本的フィルタリングがかかってしまう。メディアリテラシーを高めるためにも、いくつも言語を理解できることは極めて重要である。 ※前回リンク

◆相対的に弱まる英語=西欧文明の覇権 諸文明の台頭と多言語化

さて、今後の状況を見ると外国語として英語だけ学ぶというのでは不十分かもしれない。近年、アメリカやヨーロッパの西欧文明が弱体化し中華文明・イスラーム文明・東方教会(ロシア)文明などが自身の論理を主張、「民主主義」「人権」といった西欧文明の理念を否定し、自分たちが望む体制の構築に取り組み始めた。西欧文明の英語だけではもはや不十分であり、中華文明の中国語やイスラーム文明のアラビア語といった各々の文明圏で有効な言語を学ぶことも重要になるのではないだろうか。

◆日本の学校のずさんな「英語教育」と外国人学校という選択肢

『平成28年度 英語教育実施状況調査(中学校)の結果』

しかし誠に残念ではあるが今の日本の教育現場で多言語教育を期待するのはほぼ不可能であろう。英語をまともに話せて教えられるような教員はほとんどおらず、ひどい例では自称「英語教師」が駅前の英会話学校に通っている様である。

さらに文科省の2016年の調査によると、英検準1級・TOEIC730点以上の英語力のある「英語教師」は、中学教員で全体のわずか33.6%、高校教員でも65.4%しかいないことが分かっている。もっとひどい例では、2016年に京都市を除く中学校の英語科教員でTOEICを受験した74人中、730点以上を獲得したのは16人で、約2割にすぎなかった。最低点は280点で、500点未満が14人もいたという。京都府教育委員会は「英語科教員の資質が問われかねない厳しい状況だ」としている。

※参考URL
『京都府 中学英語教員、TOEIC「合格」わずか 疑問も』
『平成28年度 英語教育実施状況調査(中学校)の結果』 

こんな状況で日本の学校(特に公立)で英語に加え、さらに第二言語として中国語や韓国朝鮮語などを学ぼうとするのは絶望的に不可能である。一部、まともな外国語教育をしている学校もあるがそれは例外である。私は日頃から「学校」という洗脳機関には、嫌悪感を抱かざるを得ない。教育委員会が生徒間のいじめ(という犯罪)による自殺事件の調査や事前防止をないがしろにしたこと、部活の顧問による生徒への体罰、そしてあまりにもずさんな「英語教育」の現状……。

本当に「センセー」方には生徒を教えようとする意志があるのだろうか。とりわけ公立学校の教員というのは公務員だから少しぐらい適当にしても、解雇されないと安心しているのではないだろうか。一体、これほど英語能力が低いのになぜ彼らはかつて英語教師を目指そうとし今は「英語教師」として私たちの税金で生活しているのか全く疑問である。

今のところ、一般的な日本人が多言語教育を期待できるのは外国人学校ぐらいしかないのかもしれない。日本の各地には台湾や韓国朝鮮、ブラジルやインドなどの様々な外国人学校がある。これらの学校なら、日本の学校よりもずっとまともな多言語教育が期待できるだろう。また一般的な日本人がこのような外国人学校に入ることで自らの社会における立ち位置を相対化できやすくなるのも長所と言える。

時代はまさに多言語化である。「日本語しかわからなくても生活できる」という意見は論外であるし、さらに「外国語は英語だけでよい」という意見も不十分である。私たちは様々な言語を身に付け、多角的な視野を養う必要がある。

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

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最近は外国からの移住者が増え、教育の現場でも外国にルーツを持つ児童が増えてきたし、地域によっては横浜のいちょう団地のように住民の4分の1が外国籍というところも出てきた。ここまで来ると、日本語だけわかればよいという状況ではもはや対応できない。

日本では言語教育については、ほとんど英語と日本語の2つだけについてしか論じられない。「グローバル化の急速な進展に伴い英語は必須」「国語力がしっかりしないとどっちもつかずになる」といった賛否両論がある。私にはこれらの類の議論には、メディアリテラシーを高めるためだという観点が決定的に欠けているように思えてならない。


◎[参考動画]10ヵ国の児童が学ぶ 驚きの多国籍小学校(SUMIYA Spa & Hotel 2019/1/13公開)

日本語で「韓国人 ムスリム」と検索した様子

◆言語とメディアリテラシー

そもそもなぜ外国語を学ぶのかというと、海外との接点を持ちそこから情報を集め、視野を広めるためである。英語はあくまでそのためのツールにすぎず、より本質を突き詰めると「他の言語を使いこなしそれによって多角的に物事を俯瞰できる」能力が重要になる。

言語が異なると同じテーマであっても、発信情報はかなり異なってくる。韓国について日本語で検索するとネガティブな内容が多い。例えば、Googleで「韓国人 ムスリム」と検索すると韓国人によるムスリムへの差別的な行為などがヒットする。韓国は悪い国だと言いたい内容が多い。

しかし、英語で「korean muslim」と検索すると韓国人の改宗者の話などがヒットする。中立的な立場から韓国におけるムスリムの状況が書かれている。同じことでも言葉が異なると、検索結果も異なるのである。これが日本語や英語だけではなく、中国語やフランス語などの検索結果なども含めると様々な視点を得ることができよう。

英語で「korean muslim」と検索した様子

(余談だが、日本人が想像している以上に韓国の国際的な評価は高いと思われる。あるチュニジア人女性と話した時に韓国について聞くと、アラブ世界では韓国は「礼儀正しい国」「イノベーションの国」と認知されているという。また韓国ドラマも多数アラビア語に翻訳され、チュニジアでも放送されているとのことであった。私たちはアラブ世界やヨーロッパといった第三者の観点から韓国を見ることが重要なのかもしれない)

日本語は日常生活から高度な学問用語まで網羅しており、日本で暮らすにあたっては日本語しか理解できなくてもビルの清掃員やバーテンダー、プログラマーや大学教授、ペットショップの従業員に至るまで様々な職に就くことが可能である。しかしメディアリテラシーの観点から考えると、日本語しかわからないということは極めて致命的なことである。

そもそも日本語を公用語している国は日本だけである。そのため、日本語で発信された情報の圧倒的多数は日本発になる。それは日本一国からの視点に偏りがちになる。英語ならば公用語とする国は米英の他にシンガポール、ケニア、フィジーと数多く、よって英語で発信された情報は様々な国からの視点を持つ。スペイン語にしても公用語とする国は、メキシコ、アルゼンチン、赤道ギニアなど数多く、やはりスペイン語で発信された情報も多くの視点を備えている。多くの日本人は日本語しか理解できないため、ネットで情報収集する時も日本語で検索しがちである。その結果、日本的視点でフィルタリングされた情報ばかりを取得することになる。

過去に話したことのあるシンガポールからの帰国学生の意見によると、日本政府は「日本人が海外の情報を閲覧しないように英語能力をあえて低くしているのではないか」とのことであった。真偽はともかく、これは政府にとっては極めて都合がよいことである。日本語しか理解できないゆえに国民が「自発的」に日本から発信された情報しか見ないとすれば、中国のようなファシズム大国のようにわざわざ高度な検閲システムを構築しなくてもすむからである。(つづく)

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

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秋篠宮が会見をひらいた。27日からの海外公式訪問(ポーランド・フィンランド)を前に会見されたわけだが、注目されたのは、もちろん小室圭さんと眞子内親王の婚約問題についてである。「結婚の件については、わたしは娘から何も聞いていません」というものだった。昨年の「それ相応の対応をしなければ」「国民に理解されない状態では納采の儀もみとめられない」から比べると、いくぶん穏やかな雰囲気だった。しかし、何も聞いていないというのは、ふつうの家庭では考えられないことだ。皇族の中でも自由な家庭を築こうとしてきた秋篠宮家において、親子の会話がないことが端無くも露呈したかたちだ。


◎[参考動画]秋篠宮ご夫妻が会見 代替わり後初の外国訪問を前に眞子さま結婚見通し語る(テレ東NEWS 2019/6/21公開)

◆天皇家と秋篠宮家を両天秤にかけるメディア

秋篠宮家をめぐる報道は、小室さん婚約問題にかぎらない。悠仁親王が通うお茶の水大学付属中で起きた「刃物事件」が、秋篠宮家の自由主義的な教育方針による結果で、学習院に通わせていれば事件は起きなかった。佳子内親王のダンス好き、あるいは眞子内親王の恋愛が本人の希望通りにと発言したことへの批判などというかたちで、バッシングに近いものとなってきていた。婚約問題、教育問題にかぎらず、秋篠宮家の「公私」の厳格な分け方に、宮内庁の関係者も戸惑うことが多いという。ぎゃくにいえば、ふつうの家庭を築こうとする宮家に、それは許さないという宮内庁関係者の思惑が、メディアを通じて圧力をかけているとも考えられる。

そしてこの秋篠宮家批判は、天皇陛下と雅子皇后を称賛する報道、とくに雅子皇后の外交力(トランプ夫妻歓待での英語での接待など)を称賛し、返す刀で対照的に秋篠宮家を批判するというパターンで繰り返されてきたのだ。これはこれで、即位まではどちらかといえば雅子皇后(当時は皇太子妃)が適応障害で仕事を果たせず、なんとなし天皇(当時は皇太子)に批判的な論評が多かった反動で、こんどは天皇皇后夫妻を評価する半面、何かと自由な発言をする秋篠宮家を叩くという、メディアの話題づくりによるものだ。

◆恋愛の自由、教育の自由が天皇制を崩壊させる

とはいえ、小室さん問題が象徴天皇のアイドル的な側面において、きわめて注目にあたいするテーマであるのは確かで、国民的な興味の的というわけである。本欄では、皇室の民主化・天皇制の民主化(自由恋愛・自由教育)が、それを徹底することで政治権力と天皇家、国事行為と私的行為の矛盾が拡大すること。したがって、天皇家の文化的な性格を政治から分離し、非政治化することが不可能ではない。そしてその過程で天皇家が首都をはなれて本来の御所である京都を住まいとし、あるいは政治(政府と国会)が天皇家を必要としなくなる可能性。つまり天皇制が廃止されることまで展望できると考えてきた。

皇室の民主化とは、たとえば新天皇による剣璽等継承の儀に、女性閣僚(片山さつき地方創生担当相)は参列したのに、皇室の伝統は女性皇族を参列させなかった。つまり国民感覚とはかけな離れた旧皇室典範によって、信じられない光景が現出したのだ。これは眞子内親王の自由恋愛問題と同根である。ふつうに恋愛をしようとしたら、相手の母親に「借金」があるから許されないというのだ。ふつうの自由主義を貫こうとしたら、かならず天皇および天皇制の枠組みに触れてしまう。そこから天皇制が崩壊する可能性がある。口先だけで、天皇制廃絶などとくり返すよりも、天皇および天皇家を徹底的に民主化する、憲法上の矛盾すらも民主化することによって、それは大いに可能なのだ。

◆兄弟の確執が背後に?

さて、今回の会見で秋篠宮は、宮家の当主としてよりも皇位継承権第一位(皇嗣)の立場から、無難にこなしたというのが実際のところだ。それはとりもなおさず、秋篠宮家バッシングとでもいうべきメディアの攻撃を避けつつ、眞子内親王への批判を緩和し、悠仁親王の皇位後継者としての資格に曇りがないように配慮したとみるべきであろう。

秋以降、安倍政権は女性皇族の扱い、とりわけ女性宮家の可否について国民的な議論をしなければならないと提唱している。それは当然のことながら、女性天皇という最大の案件をけん制してのものである。今後、愛子内親王を皇位継承者とするのか、それとも悠仁親王を継承者とするのかについても、国民的な議論をへなければ立ち行かない皇室の事情がある。この議論の背景に、天皇と秋篠宮の隠然たる確執があるからだ。

◎[参考記事]
秋篠宮さまの注目会見、即位に関し意思表示した場合の波紋(2019年6月17日付け女性セブン)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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〈原発なき社会〉を目指して創刊5年『NO NUKES voice』20号!【総力特集】福島原発訴訟 新たな闘いへ

◆前回のあらすじ

敗戦直後の伊豆大島は、GHQの命令によって日本本土から切り離される可能性があった。そこで島民たちが独立・建国について真剣に議論した時があった。この時に「大島大誓言」と呼ばれる憲法を、島民たちが作成した。彼らの職業は大工や茶屋の店主、教師などであり、法の専門がいない中でこのような大事を成し遂げたのは非常に注目に値する。最終的に伊豆大島は日本政府の統治領域に含まれることになり、独立論は消滅した。

◆今こそ伊豆大島独立論を再考すべき時

ナショナリズムの観点からしか独立・建国はできないのか?

ここまでで、戦後の伊豆大島で本気で新しい国を興そうとした動きがあったことを述べた。この伊豆大島独立論は、今を生きる私たちに何らかの示唆を与えてくれるかもしれない。

琉球諸島では、米軍基地問題に関する日本への不満から独立を模索する動きが出ているが私たちも独立や建国といった手段を考察してもいいはずである。それは原発再稼働や共謀罪の成立によって、「本土」にいる私たちも既に危険な状況にいるからである。

そのためには、今の「国際社会」の在り方を相対化する必要がある。今の主権国家体制にとらわれるままでは、建国は困難である。なぜなら、今日の国家はいわゆる「国民国家」でありナショナリズムによって形成されているからである。ナショナリズムとは「政治的単位と民族的単位は一致すべき」とする政治原理である。この考えに基づくと、琉球諸島は琉球民族・先住民族という理由から独立できる。しかし、原発で苦しむ福島やあるいは安倍に不満を持つ日本各地の日本人が「独立」と主張しても、「政治的単位と民族的単位は一致すべき」とするナショナリズムの観点から容認されない。国連などが支持しないばかりか最悪の場合は「テロリスト集団」と呼ばれる。

さらに主権国家体制は国家間のカルテルである。それぞれの国々が承認して初めて「正式に」国家と認められるのである。したがって、私たちが新しい国を建国して優れた行政機関や経済体制を構築しても、「正式に」国家と承認されなければ「国際社会」から排除される。例えば、台湾は領域・国民・政府を持ち事実上、国家である(それも先進国レベル)にもかかわらず、中国の圧力で「国際社会」で承認されないので国家と見なされない。一方、シリアのアサド政権のように自国民を平気で戦闘機で爆撃するような、ならず者国家であっても、この国家カルテルのおかげでシリアにおける「正当な」国家とみなされるのである。

そもそも他の国家が承認しないと、「正当な」国家と認められないとは非常におかしなことである。国家を構成する最低要素は、領域・国民・政府なのである。過去の歴史を見れば「承認」自体が存在しない事例の方が圧倒的に多い。

謁見を受ける太平天国の王・洪秀全

例えば、清末の中国で15年にわたり存続した革命政権の太平天国は、清朝政府からはもちろん容認されず、周辺の日本・朝鮮も太平天国を正式に国家と認めるようなことはせず、テロリスト集団のように見なしていた。しかし、長江流域を支配し何十万もの人民を従え、キリスト教思想に基づいた半場神権的な統治体制を敷いていたのであり、それはもはや国家であった。

時代は下って、イラクとシリアに跨る領域にカリフ制国家の再建を宣言したイスラーム国(IS)も、残虐行為から嫌悪され国家と見なされることはなかった。しかし、一時期イギリスに等しい領域を支配し、そこの住民を支配し、サラフィー主義=ワッハーブ主義に基づく政治体制を敷いており国家建設の計画書まで作成していた。その実態は国家であったと言える。以上、これらの理由から「承認」がなくても構成要素があれば国家は成り立つのである。

私たちは主権国家体制を徹底的に相対化し、これまでの国家体制とは違うオールタナティブなシステムの構築が必要である。パスポートの不要、移住の自由化、国家による教育禁止、国籍による生活における待遇の禁止、ナショナリズムの禁止など……。今の世界各地の状況を見ても、主権国家体制はほころびを見せ始めている。EUにおける反難民の動き、トランプによるメキシコとの国境での壁建設、破綻国家化したシリアやイラクからの住民の脱出……。

私たちが目指すべきは、抑圧のないアナーキズムな社会である。そのためにも今の日本国家から抜け出し、自分たちで新しい国を興すことを真剣に議論しなければならない時に来ていると言える。(完)

◎かつて存在した伊豆大島独立論 残されたのは”建国”か
〈前編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=30013
〈後編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=30022

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

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〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

小室圭さんがフォーダム大学のロースクールで学位を取得し、来年度からの弁護士基礎コース(英語で受講)に備えて、夏休みを返上して講座を受けることになった。夏休みを大学で過ごすことで、母親の借金問題を「先送りした」と批判的に報じられている。


◎[参考動画]小室圭さん 卒業式は欠席 夏休みも日本に戻らず?(ANNnewsCH 2019/5/21公開)

テレビのワイド番組は、アメリカ留学事情と併せて、覗き見的に小室氏の動向を報じているが、大半の視点は借金問題でのバッシングである。皇室の子女に「ふさわしからぬお相手」というわけだが、視聴者は必ずしもそうではない。眞子内親王と小室氏の結婚を支持するというアンケート結果が出ているのだ。

テレビ朝日のモーニングショーの街頭アンケートでは、100人中で「応援できない」は、わずか19人だった。「応援できる」が42人、金銭問題の解決が条件で39人である。じつに80%の人々が二人の結婚を応援しているのだ。言うまでもなく、恋愛・結婚は個人の意思によるものだという、近代的な人権感覚による自由恋愛を支持するからであろう。昨年の秋篠宮の「納采の儀」の延期、上太皇后による不快感という報道にもかかわらず、自由恋愛を認めよという「世論」が圧倒的なのである。

本欄でも触れたとおり、秋からの女性宮家の創出、女性天皇および女系天皇の可否をめぐる議論に、小室氏問題は大きな比重を占めてくる。すなわち、天皇家に皇統以外の男子の血が入ることを、たとえば安倍総理は蛇蝎のごとく嫌っている。その象徴として、小室氏のような母親に借金がある男が皇族になってもいいのか。というロジックが浮き彫りになるのだ。ただし、議論の前提として女系女性天皇(元明女帝の娘である元正天皇)女系男性天皇(元正の弟の文武天皇)が皇統に存在することは、あらためて指摘しておきたい。

◆自由恋愛の禁止は、憲法違反である

象徴天皇制の矛盾として、対米関係で指摘されているのが憲法9条との安保バーター論がある。現人神から人間天皇となり軍備を持たない代わりに、安保条約で「日本を属国化」したというものだ。沖縄の現実を考えるごとに、この象徴天皇制が日米安保とリンクしているのは明白となってくる。国家の暴力装置を米軍にたよる、わが国は半植民地なのである。もうひとつ、人間天皇自体の矛盾である。人間でありながら、あらかじめ一般国民とは分離された、特権的な身分を持った存在なのである。であるがゆえに、基本的人権があるのかどうか、よくわからない存在なのだといえよう。憲法上はどう考えたらいいのだろうか。憲法学者の横田耕一九大名誉教授は、こう語っている。

「根本的に、皇族に人権を認めるかについては議論がありますが、私は認めるという立場です。よって皇族女子の結婚は自由でいいと考えます」

「結婚は、あくまでもご本人たちの自由意思によります。お相手の小室圭さんについて色々言われているからといって、お二人の結婚に何らかの制約をすることは憲法違反となるのです」

「象徴天皇制において『象徴』とされるのはあくまで天皇だけで、皇族はそれに含まないというのが私の考えです。眞子さまの結婚に関しても、皇族という概念を持ち出す必要はなく、あくまで個人のこととして扱われると思います」(以上「女性自身」5月3日)。

横田氏の立場は、天皇(国民の総意としての象徴)いがいの皇族には、基本的人権が適用されるべきというものだ。おそらく国民レベルの意識では、天皇もふくめて基本的人権はあるべきだというものではないか。2016年8月8日の平成天皇の「お言葉」つまり、退位の自由を国民に訴えたのを、国民は厚意的に受け容れたことが、その証左である。

かりに眞子内親王と小室氏の結婚に、一億円の一時金(税金)が支障になるのなら、それを放棄すれば国民は納得するのだろうか。元皇族の品位を保つのがその目的なのだから、おそらく放棄しなくとも国民の多数は納得するはずだ。筆者のように天皇制に反対する立場であっても、この婚姻で象徴天皇制の矛盾が露呈し、あるいは皇族の減少で政治と天皇家の分離に向けた議論が始まるのを期待したい。その意味では、小室氏と眞子内親王の婚儀は、ぜひとも自由恋愛の立場から貫かれるべきだと思う。いまの若者たちが恋愛で傷付くのを忌避するように、恋愛というものが美しいロマンばかりではなく、政治(制度)や社会(差別など)の制約と戦い、勝ち取られるものだということを、ぜひとも眞子内親王と小室圭氏には実践していただきたいものだ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

山田悦子、弓削達ほか編著『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』

現在沖縄県では、日本当局による辺野古新基地の建設強行やそれまでの歴史的経緯も踏まえ、「琉球独立」に関する議論が本格的な行われている。琉球独立党の系譜を受け継ぐ「かりゆしクラブ」は2015年に、他の独立派と共に日本政府に対して琉球の独立を主張。また、2013年は松島泰勝・龍谷大学教授や友知正樹・沖縄国際大学教授、桃原一彦・沖縄国際大学准教授らによって「琉球民族独立総合研究会」が設立されている。他にも、沖縄県民の中には日本社会への反発からか本土を「日本」と呼んで他国のように認識している人もいる。

今の日本では「独立」に関する議論は琉球列島のみで認知されているが琉球に限定せずに、今の安倍政権に不満を持つ者であれば誰であれ、独立・建国という手法について議論してもよいのではないかと思う。そもそも現状を見れば、共謀罪成立や裁判所の腐敗(極端に言うともはや存在意義なし)、主要メディアの大政翼賛会化、選挙での自公の連戦圧勝などでもはや政治参加による改革は絶望的と言わざるを得ない状況になっている。

伊豆諸島の地図。「大島」が伊豆大島

◆かつて存在した伊豆大島独立論

敗戦直後、ある島が日本からの独立について考えたことがあった。それは伊豆大島である。伊豆大島と言えば、川端康成の「伊豆の踊り子」や三原山の大噴火、椿の生産などで有名な島である。東京の竹芝桟橋から南に120㎞、夜行船で揺られること8時間、伊豆諸島のもっとも北に位置し、他の新島や式根島などに比べても人口も多く土地も広い島である。

伊豆大島の独立構想についての新聞記事(『幻の憲法「大島大誓言」が行方不明に』)や当時の関係者へのインタビューや資料の整理を実施した『伊豆大島独立構想と1946年暫定憲法』(榎澤幸広、名古屋学院大学論集 社会科学篇 第49巻 第4号 pp125-150)という論文がある。

この論文によると、1946年1月下旬~3月22日の間に島民たちが自力で伊豆大島暫定憲法(正式名称・大島大誓言。以下、大島憲法)を策定したという。当時は島内に法律専門家がおらず、一人一人が持てる知識を生かして考案したようである。

大島憲法が制定されるに至ったきっかけは、1946年1月29日のGHQ覚書(正式名・「日本からの一定の外辺地域の政治的行政的分離」)にあった。この中で、琉球諸島や小笠原諸島などとともに伊豆大島も日本政府の統治領域から除外されることになった。

この情報を得た伊豆諸島の各島では、異なる反応があった。利島では日本への復帰を求める運動が起き、式根島では日本からの分離については噂程度にとどまったので大きな運動はなかった。伊豆大島・八丈島・三宅島では独立を模索する方向に向かった。この中で、もっとも具体的に独立が議論されたのが伊豆大島であった。

1986年に大噴火を起こした伊豆大島の三原山。黒いのが溶岩の流れた痕跡

日本からの分離となると、米軍の支配を受ける可能性が高くなる。そうなるなら、自分たちで独立しようという考えであった。この流れの中で、島の関係者が集まって大島憲法が作成されていくことになる。

この大島憲法が考案されるより前に開かれた大島島民会では大島憲法につながる理念の整理が実施された。そこでは、「軍国主義が破滅への道を開いたこと」「戦争を疑わずに国家に協力したことで島を悲惨な状況に導いたこと」「理想郷を作り、世界平和に貢献すること」などといったことがまとめられていた。

その後、作成された大島憲法は島民を主権者とする統治体制、直接民主主義的な要素、議会解散や執政不信任に対する有権者による賛否投票、平和主義の強調などの趣旨を盛り込んでおり、日本国憲法との共通点を持つ。

驚くべきは憲法を作ったのは、島民たちでその中に法律の専門家は全くいなかったということである。作成に関わった者の職業は大工、茶屋の主人、教師などであり、彼らは文献や新聞で法律に関する知識を得て社会活動に関わっていたものの、決して専門家ではなかった。法律については「素人」といっても過言ではない彼らが、ましてや憲法を作ろうとすることは並大抵のことではなかった。

今日、高度な法知識を持ちながら、原発の再稼働を容認したり取り調べで被疑者の自白を「証拠」と認めるような「裁判官」や冤罪を度々引き起こしながら平気な顔をしている「検察官」がいるが、彼らは法の「専門家もどき」である。いかに法の知識を持っていようと、正しく法を運用できず正義を守れない者が「法の番人」を名乗る資格などない。大島憲法を作った者たちのように、素人であっても正義を重んじ、まさに「人の道」に沿った法の運用をしようと者たちこそ「法の番人」にふさわしい(つづく)。

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

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◆20年超に及ぶ就労目的留学大国・日本

東京福祉大学の留学生約700人が「失踪」して行方不明になったことが問題化している。700人はあまりにも多すぎるけれども、この手の話は大学にとって珍しいものではない。「失踪」は大学にとって由々しき問題であるが、4月から改正入管法で、単純労働者の受け入れが既に始まっている。

厳格にビザで外国人による労働を規制していた時代とは違うのであるから、この問題も入管法が根本的に変わったことを加味して論じられるのが妥当である。日本にお金を出して留学してくるひとの多くが実は「就労(金儲け)目的」であることは、どうやら20年前と変わってはいないようである。

20年前わたしは大学職員として、留学生とかかわる職務に従事していた。2000年を目標に「留学生10万人計画」という愚策が、中曽根総理によってぶち上げられたのは、日本がバブルの真っただ中で、対米輸出黒字がさんざん叩かれていた時代だった。「貿易収支のアンバランスを人の輸入で埋め合わせろ」というわけで、理屈よりも建前が先行して進められた乱暴かつ愚かな政策であったが、文部省(のちに文科省)は、大学の足元をみて留学生の受け入れを半ば強制した。


◎[参考動画]大勢の留学生“所在不明”受け大学に立ち入り調査(ANNnewsCH 2019/03/26公開)

◆「臨時定員(臨定)」という名の落とし穴

仕組みはこうだ。「臨時定員(臨定)」と呼ばれる、入学定員の割り増しが第二次ベビーブームを見越して、各大学に振り分け充てられていた。大学にとっては同じ施設、同じスタッフで割り増しの学生を受け入れることが許されるので「おいしい話」であった。だがその名の通り「臨時の定員」なので、18歳人口が増加から減少に転じるタイミングで各大学は「臨時定員」を文科省に返上しなければならなかった。ここに落とし穴があったのだ。大学はスケベ心を出さずに、さっさと「臨時定員」を返上して、元通りの定員に戻せばよかったものを、多くの大学は「臨定」のうまみが忘れられず、それを恒常的な定員化したいと考えた。

文科省は「臨定をそのまま維持したいのであれば定員の3割を留学生・帰国学生・社会人のいずれかで埋めなさい」と条件をだした。帰国学生(帰国子女)の数などごくわずかであるし、社会人が学生として大学で学ぶには、学費・入学時期・講義の開講時間など様々な障壁があり大量獲得は現実的ではない。そこで各大学がターゲットを絞ったのが留学生の獲得だった。

わたしの勤務していた大学もその波にのまれた。留学生の獲得のために日本国内の日本語学校や、アジア諸国を中心に学生募集に走り回った。そして今から考えれば身の丈にあわないほど多くの留学生を受け入れた。ただ、その大学は建学の理念に「国際主義」を掲げていたので、行政の強制による「留学生受け入れ」が強行される前から、地道に留学生を受け入れ、きめ細やかなケアーをしてきた蓄積があった。

先輩方からマニュアルとしてではなく実践でその実務を学びながら、わたしも留学生担当職員として数百人の留学生と接した。言い忘れたが、わたしが初めて留学生担当業務にかかわったのは、大量の留学生を受け入れる前のことだ。その頃は在籍する留学生全員の名前、年齢はもちろん、下宿やアルバイト先まで把握し、何か問題があれば徹底的に付き合っていた。警察や裁判所に出かけ社会勉強させてもらったのも、留学生のおかげである

◆一貫して、一貫していない入管行政に翻弄される

留学生に限らず、他国で暮らすのは刺激もあろうが、不便や不都合がついて回る。大学に入学できる日本語力を備えているので、日常生活に不自由することはないが、病気にかかったとき、交通事故にあったとき(これが非常に多かった)の対応などは、留学生本人だけで解決は難しく、われわれが手伝うことになる。そして留学生には「資格外活動」という呼称で上限を定めアルバイトが認められたが、風俗業(パチンコ、スナックなど)で働くことは許されていなかった。けれども数多くない留学生の中にも「夜の仕事」に従事し、割のいい収入を得ようとする者もいた。

当時、入国管理局(入管)に風俗営業で留学生が「資格外活動」をしている現場を押さえられたら、即強制送還だった。だから留学生が「夜の仕事」に就いていることがわかると、呼び出して「止めるように」説諭した。それでもとぼけて「そんなことやっていません」としらを切る留学生もいたが、わたしは、そのような場合留学生が働いている店に乗り込んで、現場を抑え就労を断念させた(そのために30分で4万円を自腹で支払ったこともあった)。

短期的には効率よく稼げるようでも、「夜の街」の仕事にはまると金銭感覚がマヒし、学業よりもアルバイトがメインになり大学へ姿を現さなくなる。最悪のケースは入管に踏み込まれ身柄を拘束され、強制送還だ。わたしの在職中にも数人強制送還された留学生がいた。そういった失点がつくと、他の留学生が入管でビザの延長をする際にも悪影響が出る。

入管のビザ申請手続きは、猫の目のようにころころ変わる。留学生への嫌がらせとしか思えないほど、煩雑で数多くの書類提出を求めていた時期があったかと思えば、突如「入学許可書と顔写真だけで」留学ビザが下りるように変更される。きのうまでのあの苦労はなんだったのかと思えるほど審査手順が頻繁に変更されるのが入管業務である(その延長線上に今回の単純労働者受け入れの「入管法改正」を考えれば、一貫して「一貫していない」入管行政の正体が理解されよう)。


◎[参考動画]東京福祉大学紹介(東京福祉大学入学課 2017/08/04公開)

◆中国人から見てもリーズナブルな旅行先となったインバウンド日本

中国だけでなくアジア各国、世界中からの旅行者が増加している。このことを冷静に考えよう。日本に来る旅行者の多くは「短期滞在」ビザを取得する。出発前に本国で取得しなても、日本空港に着いたらそこでビザが発給される国も増えてきた。そして20年まえにはまず認められることのなかった、中国からの個人旅行者へ簡単にビザが下りるようになった。日本訪問のビザ取得が簡易化されたことは、旅行者増加の一因ではある。加えて海外からの旅行者にとって、日本は比較的リーズナブルな旅行先となったことも重要な要因だ。バックパッカーが安宿に泊まって、ファーストフードで食事すれば1月滞在しても10数万円あれば充分生活可能だ。

つまり日本のデフレが観光客呼び込みの主要因であると、わたしは考えている。外国の貧乏学生でも日本を旅することは可能な時代になった。他方、それでもアジアを中心に、いまだに日本とは貨幣・経済格差の大きい国からは「金儲け」の場所として日本が見られていることも事実である。

すっかり聞かなくなったけど「おもてなし」は短期旅行者だけではなく、長期滞在者にこそ必要な配慮であり、冒頭上げた東京福祉大学の例をあげるまでもなく、日本全体の長期滞在外国人への接遇感覚は、単純労働者を受け入れられるとは到底いいがたいレベルに留まっており、この先「軽率な判断をした」と悔やみ、反省を迫られる日が必ずやってくる、とわたしは確信する。自国民もろくろく幸せにできない政権が、外国人労働者を手厚くもてなすはずなどない。これがわたしの推測の根拠である。


◎[参考動画]遠藤誉 東京福祉大学国際交流センター長(jnpc 2012/06/12公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

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