◆会社のサイトやパンフレットは「嘘のオンパレード」

さて「就活」にあたっては、会社のサイトを閲覧したり会社説明会に参加するというのが通例だが、そこで得られる情報など嘘ばかりである。サイトの会社紹介は嘘のオンパレードであり、いかに良く見せようとばかり考えている。会社説明会でも悪いところ(会社の真の姿)はまず言わない。実際入社してみると、給与や勤務時間などで言われていたのとは違ったという話は多い。

自殺した男性の遺族の記者会見

例えばニュースになったが、JAXAの人工衛星「いぶき」の管制業務を請け負っていた男性(当時31歳)が2016年10月に自宅で自殺したという事件があった。

※参照『JAXA管制業務の31歳男性が過労自殺 労災を認定』

男性は管制業務に就いてから、16時間半に及ぶ夜間勤務を月に約7回こなし、月の残業が70時間を超えることもあった。さらに管制業務に加えてソフトウェア開発まで命じられていた。仕事のことで、同僚の前で上司に厳しく叱責されることもあったという。土浦労基署は長時間労働やパワハラが自殺の原因だと判断し、労災と認めた。

男性が勤めていたソフトウェア開発の「株式エスシーシー(SCC)」(東京都 中野区)のサイト(https://www.scc-kk.co.jp/edcgroup/index.html)によると「従業員満足の実現」とは

・明るく健全な職場環境を維持し、働きやすい環境を維持しています。
・会社を支える社員を人財として大切にします。
・社員は常に誠実、真摯に業務に取り組み、自己向上に努め、会社に誇りと自信を持って行動しています。

だという。まったく皮肉である。実態は過剰労働やろくでなしの上司のパワハラで徹底的に搾取されていたのである。

もう一つの事例をあげよう。

私の友人の話によると、品川の西五反田にある会社で「ダイバーシティ(多様性)を重んじる」という会社・C社を受けた。C社は主に証券や金融システムを作っていて、AIやブロックチェーン(仮想通貨などに使われる最新技術)の研究にも取り組み、「働き方改革」に熱心であるとサイトでPRするなど一見「進歩的な」IT会社であった。友人はいざ受けたが、あっさり落とされたという。

私は友人が落とされた理由で思い当たる節があった。友人は吃音であった。その会社はプログラミング未経験の文系出身の学生も採用しているので、情報系の学科にいる友人は能力的に問題ない。また彼は自身のブログで制作した作品を公開しており、プログラミング能力や文章力も十分あることを第三者から判断できるようにしている。また友人は小さなIT企業でアルバイトをしていることも会社に伝えていた。となると、やはり吃音が影響したと考えざるを得ないのである。

「多様性を重んじる」というなら吃音者も受け入れることもダイバーシティだと思うが、結局C社はハンディキャップのある人間を排除した(つまり差別した)のである。

以上のように会社のサイトに書いてあることがいかに偽善や嘘で塗り固められたものであるかがよくわかる事例である。

「就活で多くの会社を見れていい」という意見もあるが、「就活」で会社が本当の姿を見せることはまずない。会社説明会や選考に参加した程度で、得られる情報量など知れている。また、何社受けようと入社するのは1社である。こんなばかばかしい活動に時間やカネをかけている暇はない。どうせ本当のことがわからないのなら、会社のパンフレットやサイトを見れば十分であろう。

◆「就活」現象の活性化によって得をした就活情報会社の犯罪

就活情報会社といえば、マイナビやリクルートが有名である。今の「就活」で得をするのはこれらの就活情報会社であろう。新卒ですぐに会社を辞めた者はまた、「マイナビ」や「リクナビ」などのサイトで「就活」を始めなければならない。会社としても人材を探すために再度、これらのサイトに登録料を支払う必要がある。

多くの会社と学生が「出会える」機会を提供しているのかもしれないが、その結果1つの会社に多くの学生が殺到し面接は「いかに落とすか」になっていく。その結果、2、3時間程度の面接で「判断」しなければならなくなる。学生としてはいい加減な「判断」で自分を「評価」され、そして否定される。これが内定をもらえない限り延々と続くのである。最悪の場合は自殺するケースもある。

就活情報会社はこれらの現実をどう考えているのだろうか?

◆様々な働き方

日本では就職=就社となっている。大学などの学生に対して、会社勤めを前提に就職活動をするように迫る。簡単ではないが、フリーランスや起業も考えてもいいのではないか?「働き方改革」と謳うが、会社勤めが前提なのは変わっていない。

また、会社勤めは安定しているようにみえるが実は不安定要素が多い。リーマンショックのような不況が起これば、普段まじめに勤務していても容赦なく解雇される。せっかく入社できても職場にあわなければやめ、別の会社を探す必要がある。また、会社がブラック企業なら徹底的にこき使われ人生の貴重な時間をうばわれる。最悪の場合はうつ病になるか過労死である。

どれだけ自分の仕事に愛着があっても、このような状況では集中して取り組むのは難しい。社会全体で、会社勤め以外の多様な働き方を考える必要がある。

日本はもはや社畜絶望社会である

◆お先真っ暗の「令和」

最後になるが、「令和」という時代は「平成」以上に悪い時代になると思う。「令和」という時代はより一層「平成」の時代に形成された矛盾(貧困・ひきもり人口の増加や原発事件、外国人労働者の搾取などの問題)が大きくなっていくことだろう。

会社などに振り回される人生ではあってほしくない。私もアフィリエイトやクラウドソーシングでのWebアプリ開発、発明などで会社に振り回されない、自立した生活を送りたいとつくづく思う。(完)

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』(2015年)。遠藤ミチロウ自身が監督・主演の映像作品を先月偶然目にしていた。本人は昨年膵臓がんであることを発表していたらしいが、わたしは知らなかった。ただ『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』は、35年ほど前、授業料を払う監獄(愛知県立の新設高校)へ通っていた生徒の中でカリスマ的な人気のあった、あのミチロウが「自分語りを始めたのか」と、正直なところ驚きと落胆を感じさせられる作品だった。

元スターリンの遠藤ミチロウが逝った。享年68歳。合掌。


◎[参考動画]お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました

『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』でミチロウは、「自分語り」に終始していた。故郷を訪れ、幼少時代に遊んだ場所を歩き、生誕した家のある場所を眺める。あるいは各地の知人を訪れ、昔話やライブの様子を短く挟む。メークなしに、若い女性の詩人だか誰かと、「人生」について語る。ベットに寝ころびながら映像を見ていたわたしは、予想外の進行に半ば耐えられなくなり「もうやめてくれよ。ミチロウ、あんたもう最期が近いのかい」とひとり口ごもった。

ミチロウが「自分語り」をするのは、もちろん自由だ。でも往時のファンとしては「人生観」だの「生き方」だのを話で表現せずに、生き様だけで表現してほしかった、との勝手な思い込みと期待を持つことだって許されるはずだ。

わたしがあの時、直観的に思い出したのは晩年の高倉健のことだった。無口で私生活をさらさなかった高倉健。亡くなる2年ほど前から朝食の様子や、毎日通う散髪屋、果ては珍しくもない人生観を語りだし、興ざめした記憶がよみがえった。平気で軽い涙を流すこともあった。高倉健はおそらくあの時期最期を予期していたと思う。医師からも余命宣告を受けていただろう。映画の中で充分すぎるほど存在感を示した高倉健にしたところで、最後は語ってしまいたくなるものなのであろうか。


◎[参考動画]★THE STALIN ★ 爆裂都市☆メシ喰わせろ

この10連休の乱痴気騒ぎに、生きていればミチロウは何らかの反応を期待されたことだろう。「もうそれは勘弁してくれ」、「あんたらの期待にはもう応えただろう」とはいわないだろうけども、この時期にミチロウが逝ったのは実に劇的なタイミングだ。映画にはがっかりさせられたけども、さすが、旅立ちのタイミングはミチロウらしい。

だいたい奇抜なメークをしていたり、舞台で破壊的なパフォーマンスを演じるひとには、常識人が多く、直接話すとあっけにとらわれるほど善人が少なくない。忌野清志郎はそうだったし、ミチロウもそうだ。メークをしないミチロウは恥ずかしがり屋の常識人で、どうして自分がメークをするのか、豚の頭を掲げたり、臓物を観客に振りまいたりといったパフォーマンスをするのかを、実冷静に分析的に語る。


◎[参考動画]ザ・スターリン246 – 虫 世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!(2011/8/15)

「中途半端」がミチロウにとっては気になることであったらしい。だから、日本と琉球の中間、奄美への興味が高まったのだろうか。「奄美には瓦屋根がないんですよ。琉球には古い文化伝統がある。でも奄美は貧乏だからトタン屋根なんです。薩摩と琉球に挟まれて中途半端なんですよ」細部は確かではないがこんな言葉でミチロウは奄美を紹介していた(この解説が事実かどうかは定かではない)。

また、「自分は家族を持たず子供がいなかったので、いつまでたっても子供のまま」といった内容の発言もあった。そうか。ミチロウはぶっ飛んでいたのではなくて「中途半端」をいつも意識して(あるいは悩んで)いたのか。散々がっかりしたと酷評したけれども、ミチロウが「中途半端」にここまでのこだわりを持っていたことは『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』を見なければ知ることはできなかった。やはり作品には意味があるのだ。

ミチロウを長年注視し、聴いていたわけではない。ただ35年ほど前、授業料を払う監獄(愛知県立の新設高校)へ通っていたころ、スターリンのレコードは、誰だったか忘れたけれども必ず録音して聴かせてくれる友人がいた。「先天性労働者」、「STOP JAP」は今こそ、大音響で街に響かせたい名曲だ。

また懐かしさと、悔しさのかけらが旅立った。


◎[参考動画]STOP JAP〜仰げば尊し / THE STALIN

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

『あたらしい憲法のはなし』は日本国憲法の成立を受けて、文部省が1947年に作成し、一時は教科書として、のちに副教材として義務教育でつかわれていたものである。この教科書(副読本)は改憲策動が勢いを増しだした2000年以降、多くの作家やジャーナリストに引用されている。

引用が最も多いのが、「六 戰爭の放棄」の項で下記の文章である。

 

『あたらしい憲法のはなし』(1947年文部省)より

《みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。

みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。》

いわずと知れた憲法9条についての解説である。辺見庸もこの部分を引いているし、護憲集会などではこの部分を読み上げるシーンを目にしたこともある。ある風見鶏女優が悦に入って朗読している姿を動画で目にして、「こいつが言うか」と苦々しい思いをしたこともあった。

ここで解説されている内容は、まことに明快で格調高く、到達目的の崇高さは、世界にも誇ることができよう。わたしも初めてこの文章を目にしたとき「日本にもこんな良識があったんだ」と多少感傷的にもなった。優れた文章だし、感動的ですらある(それは2019年の「現実」との絶望的乖離を物語る証左でもある)。

だが、文章というものは、一部だけを読んで皆がわかったつもりになってはならない。『あたらしい憲法のはなし』には「五 天皇陛下」の項に以下の記載もある

 

『あたらしい憲法のはなし』(1947年文部省)より

こんどの戰爭で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして國の仕事をした人々は、國民ぜんたいがえらんだものでなかったので、國民の考えとはなれて、とう/\戰爭になったからです。そこで、これからさき國を治めてゆくについて、二度とこのようなことのないように、あたらしい憲法をこしらえるとき、たいへん苦心をいたしました。ですから、天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、政治には関係されないことになりました。

憲法は、天皇陛下を「象徴」としてゆくことにきめました。みなさんは、この象徴ということを、はっきり知らなければなりません。日の丸の國旗を見れば、日本の國をおもいだすでしょう。國旗が國の代わりになって、國をあらわすからです。みなさんの学校の記章を見れば、どこの学校の生徒かがわかるでしょう。記章が学校の代わりになって、学校をあらわすからです。いまこゝに何か眼に見えるものがあって、ほかの眼に見えないものの代わりになって、それをあらわすときに、これを「象徴」ということばでいいあらわすのです。こんどの憲法の第一條は、天皇陛下を「日本國の象徴」としているのです。つまり天皇陛下は、日本の國をあらわされるお方ということであります。

また憲法第一條は、天皇陛下を「日本國民統合の象徴」であるとも書いてあるのです。「統合」というのは「一つにまとまっている」ということです。つまり天皇陛下は、一つにまとまった日本國民の象徴でいらっしゃいます。これは、私たち日本國民ぜんたいの中心としておいでになるお方ということなのです。それで天皇陛下は、日本國民ぜんたいをあらわされるのです。

このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、日本國民ぜんたいの考えにあるのです。これからさき、國を治めてゆく仕事は、みな國民がじぶんでやってゆかなければなりません。天皇陛下は、けっして神様ではありません。國民と同じような人間でいらっしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。小さな町のすみにもおいでになりました。ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。》(注:太字著者)

 

『あたらしい憲法のはなし』(1947年文部省)より

「これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう」と悦に入っているけれども、わたしにはまったく意味がわからない。冒頭「こんどの戰爭で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました」とさっきまで読んでいた憲法解説と同じ文章か、と勘違いするほどトーンが違う。天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました」だって?なにいってるんだ!「ごくろう」したのは大日本帝国の侵略を受けたアジア諸国の被害者や、戦争に駆り出された国民だろうが!そして「みなさんは、この象徴ということを、はっきり知らなければなりません」といきなり押し付けるような語調でに変わって以降の文章は、「無茶苦茶」である。「日の丸の國旗を見れば、日本の國をおもいだすでしょう」と書いているが「日の丸」は日本国憲法公布後、法的には国旗ではなかった。まず「日の丸の國旗」という言葉の使い方そのものが大いなる誤りである。そのあとに記章が学校ををあらわす例などを挙げて、必死で「象徴」の本質的な意味の歪曲化がなされている。「つまり天皇陛下は、一つにまとまった日本國民の象徴でいらっしゃいます」、「私たち日本國民ぜんたいの中心としておいでになるお方ということなのです」、「天皇陛下は、日本國民ぜんたいをあらわされるのです」、「このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、日本國民ぜんたいの考えにあるのです」と続く解説には、《六 戰爭の放棄に見られたような哲学性も論理もまったく見当たらない。

 

『あたらしい憲法のはなし』(1947年文部省)より

『あたらしい憲法のはなし』は「一 憲法」から「十五 最高法規」までで構成されている。数十分もあれば全文が読めるであろうから、読者諸氏にもご一読をお勧めする。なかなか味わい深くもあり、半ば口語調なので時代の違いは感じるものの、読み物としても一興だ。

『あたらしい憲法のはなし』はやはり、「五 天皇陛下」と「六 戰爭の放棄」がエッセンスであろう。憲法の条文に照らせば1条から8条までが天皇にかんする言及であり、9条が戦争放棄にあたる。すでに指摘した通り、天皇についての解説は支離滅裂の極みである。論理的整合性は完全に破綻している。感情論と抽象論が繰り返し展開されるばかりだ。

でも考えてみると、日本国憲法は前文と1条から8条のあいだに決定的な齟齬がある。そしてそれに次ぐのが9条だ。前文で民主主義の理念を述べたたのであれば、1条では国民の権利義務に言及せねば繋がらないものを、どういうわけかいきなり天皇を持ってきてしまっている。この記述は実に巧みに日本の統治思想「国家無答責」を示すものだと、知人の法哲学研究家は指摘する。なるほど、噛み砕いて解説してくれている『あたらしい憲法のはなし』ではその矛盾があらわに顕在化せざるを得ない。

天皇の規定の次に「戦争放棄」を持ってきたのは「国体を守るためだった」との説がある。なるほど非武装・戦争放棄と、一見革命的に先進的な平和主義に目が行きがちだけれども、日本国憲法の要諦は「国体の護持」であったとの考え方は、皮肉なことに『あたらしい憲法のはなし』を読むと現実感をもって理解できる(それでも自民党などが画策する改憲案よりは現日本国憲法のほうがマシである)。

10連休という「有事」ではなく「慶事」の最中に、この国の成り立ちや憲法に思いをいたす方は少なかろう。けれども、わたしたちの暮らす国の憲法の精神分析をしてみるのに『あたらしい憲法のはなし』は絶好のテキストだろう。

※『あたらしい憲法のはなし』は昨年鹿砦社が発行した山田悦子ほか編著『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』に日本国憲法、大日本帝国憲法、軍人勅諭などと共に再録されています。

山田悦子、弓削達ほか編著『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』

書籍URL https://www.amazon.co.jp/dp/4846312682/

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

「令和」になり、新天皇が即位した。マスコミも世間も「お祝い」モード一色である。しかし、現実は極めて厳しく「お祝い」とは全く無縁である。この島国はもはや「格差社会」から「階級社会」へと移行しつつある。その証左の一つとしてひきこもり人口の100万越えという現象がある。

※参照『「就職氷河期世代」の集中支援 高齢期の生活保護入りを阻止する考え』

※参照『40歳代が最多、中高年「引きこもり」層が53%に 島根県調査が浮き彫りにした日本の向かう未来』

◆人々を「ひきこもり」へ追い込んだ「就活」の犯罪

ひきこもり多い氷河期世代…「生活保護入り」阻止へ早期対応(2019年4月11日付産経新聞)

現在、「ひきこもり」と定義される人たちは約110万人いるという。100万都市である仙台市の人口よりも多い数がひきこもっているのは非常に衝撃的であった。仕事で失敗して嫌になりひきこもったなどがあるが、いわゆる「就活」での失敗でひきこもったという事実も決して軽視できない。ひきこもりは40~64歳の人が全国で61万3千人もいて、10代・20代のひきこもり人口もよりも多い。彼らは1993~2004年の就職氷河期の新卒時に「就活」に失敗し、その後ひきこもったという。

一度「就活」を経験した者ならわかるが、たかだか2、3時間の面接やペーパーテストで自分を「判断」されご丁寧な「お祈りメール」で「お前なんてうちはいらない」と決めつけられることはたとえ1回でも精神的にきつい。これが何十回も続くうちに、自分自身が嫌になり、やがてひきこもりたくなるのは当然だ。今でも「就活自殺」というものがあるくらい、「就活」による害悪は大きい。「就活くたばれ」デモなるものが行われるのも当然である。

※参照 https://www.j-cast.com/2010/01/24058578.html?p=all

「就活くたばれデモ」東京でも開催(2010年1月24日付J-castニュース)

今の採用制度は、たいてい面接官のフィーリングによったものであり最近は性格テストなどが導入されたとはいえ、極めて非科学的である。そもそも根本的に2、3時間の面接で人間の能力や将来性を「評価」すること自体がおかしいのではないだろうか? 付き合いが何年もある知り合いさえ、知らないことはたくさんある。自分の両親であっても知らないことはあるのだ。20数年にわたる人生の長さに比べれば、面接時間の2、3時間などあまりにも短すぎる。

口下手な者は専門技術などがあっても、面接が下手ならそこで「お前はダメ人間だ」と決めつけられて終わりである。一方、口達者な者は面接の時だけ「優秀な人間」を演じればそれでOKである。ましてや今やネットや本で面接のヒントは数多くあり、マニュアル化している。今の採用システムでは人材を正しく評価できない。芸能人のマツコデラックスも今の採用制度に疑問を投げかけている。

※参照『マツコ、候補者の長所を聞く採用面接に不信感「世の面接をしている人たちは本質を見抜けない」』

このようないい加減な採用の結果、ミスマッチによって入社3年以内でやめる者が多いも当然だ。企業にとっては選考に費やした費用・時間が無駄になるし、学生にとっても再び「就活」をはじめなければならない。まったくばかばかしい限りである

一層のこと、関係者からの推薦や縁故採用、アルバイトで判断してからの採用にした方がよいのではないだろうかと思う。こちらの方がミスマッチはかなり減らせるし、会社からしてみれば無駄に多くの人間を面接して「落とすため」の選考をする必要性は減る。学生としても、受ける会社は少なくなるが正しく評価されやすくすることで、何十回も「お前はいらない」と人間否定されることはなくなる(つづく)。

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

この原稿は、なにがめでたいのか知らないが、聞いたこともない「10連休」をまだかなり先に、見据えながら書いている。4月29日、つまりきょうは「昭和の日」とされている。1989年(昭和天皇が死去した年)のカレンダーにはこの日が「天皇誕生日」として休日とされていたはずだ。

昭和天皇は長く病を患い死去したので、追悼からアキヒトが天皇即位との流れは、今次の騒ぎと同じではなく、いくぶんの静寂もなくはなかった。それが2019年のきょう、どうであろうか。どうであるかは、本稿執筆時には予想でしかないけれども、おそらくは、またしてもこの島国に住む主流とされるひとびと、多数派は、バカ騒ぎに明け暮れているであろう。


◎[参考動画]昭和天皇 戦争終結 「これ以上戦争を続けることは非常に…」と米記者に

◆「ありがとう平成」というイデオロギー

「ありがとう平成」

この、まったくもって不可思議で、「だれがなにに対して」感謝しているのかもがわからない文言が町や紙面にあふれている。日本語は主語を明示しなくとも意味が通じるから、「腹芸」や「阿吽の呼吸」が生れるのだと主張する人がいるが、わたしは違うと思う。

文章の主体(課題)や責任主体をあいまいにしたがる性癖こそ(それを「和」と呼ぶひとびともいるが)が、曖昧な文章がまかり通る文化土壌を形成しているのではないか。そこで、誰も言わないからわたしが「ありがとう平成」を、正しく言い換えよう。

「ありがとう平成天皇陛下様!」

これ以外に解釈が可能だろうか。あるいはもっと気楽に何も考えず、毎年の暮れと正月の祝いのように「あけましておめでとうございます」程度の軽い挨拶だと思い、感じている人が少なくないであろうことは想像の範囲内だ。しかし、いろいろあったがなんとか年を越すことができた。来るべき年が良い年でありますように、と念じることには、なんのイデオロギーも支配構造も反映はされていない。単純に年始を祝う気持ちに邪悪さはない。

◆本当に「平成は戦争のない時代だった」のか?

「あけましておめでとうございます」と「ありがとう平成」はともに何らかの祝意を現していて、共通する「なにか」がありそうに勘違いされるやもしれないが、両者は天と地ほど違う。退位を控えてアキヒトはどこに赴いたのか。昭和天皇の墓はともかく、伊勢神宮にまで足を延ばしたことは必ず記憶されなければならない。

その他もっぱら「神話」にしか由来のない、数々の「神事」を大手メディアでは、何の疑問や批判も受けずこなしている。アキヒトは「平成は戦争のない時代だった」といった。ほんとうにそうだろうか。

航空自衛隊がイラクに派遣された問題が、名古屋高裁で違憲と判断されたのは、2008年4月17日だった。イラク、サマーワに派遣された第1次イラク復興業務支援隊の佐藤正久(責任者)は、その後自民党の国会議員となり、強行採決の際には暴力装置として、平時は軍国主義思想の布教に余念がない。初代防衛大臣久間章生は、防衛大臣退任後、右翼関係者の集会に参加する姿が数多く確認されている。サマーワに派遣された自衛官には自殺者が相次いだ。

そして南スーダンに派遣された自衛隊は、PKOと言いながら、実際は戦闘地帯だったことが判明した。しかもそのことを記した日報が紛失しているという、考えられないようなおまけまでついている。時の防衛大臣は稲田朋美である。南スーダン視察に訪れるも、わずか8時間の滞在で引き揚げ「安全だった」とのたまった、この極右議員はまいまだに落選していない。防衛費=軍事費はこのデフレ不況のなか、毎年5兆円を超えている。軍事費だけが聖域のように毎年増額されている。

なにが平和だ? どこが平和だ?


◎[参考動画]日本ニュース戦後編 第105号 だれが戦争責任者か 東京裁判

◆本当に「安倍の暴走を天皇は批判している」のか?

優しい心を持つ人の中には、「安倍の暴走を天皇は批判しているんだ」と主張される方々がいるが、わたしは「そうかなぁ、まったくそうとは思えないな」としか言えない。そういう優しさ(勘違い)がどこからどう見ても「差別の元凶」でしかない「天皇制」護持の一翼をになっているのだろう。かく語る方々の中には、いわゆる左翼やリベラルを自称されるかたも多いのだ。

わたしは、天皇の代替わりに何の興味もない。ただし、ここまでだれもかれもが浮かれて、「なにがめでたい」のかもわからずに「めでたがっている」光景は、その背中でとわたしのような考えのひとびとが「非国民」となじられているいるようにも思える(勘違いか)。非常に危険だと思うし、危険水域にはとうの昔に足を踏み入れてしまているのだ。

ご存知であろうか。「元号」(あるいはそれに類似した「時代に名前を付ける」習慣)をもっているのは世界中で「日本国」だけであることを。それは「誇らしい」ことなのか、「美徳」なのか、「世界に誇れる」ことなのだろうか。わたしは「どうしようもない時代遅れ」としか感じない。


◎[参考動画]【HISTORY CHANNEL】天皇陛下・マッカーサー会談 “終戦のエンペラー”

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

3月31日18時に閉鎖予定だった大阪市西成区の「西成あいりん総合センター」(以下センター)の1階が現在も開いたまま、しかも24時間開放されている。当日は予想以上に大勢の人たちが集まったため全体が把握できなかったが、参加者らの情報を集約すると、先頭で抗議していたのは1月から続いていたセンターとの交渉に参加し、その後釜ヶ崎地域合同労組で労働相談を受けていた労働者や、仮移転先での募集業務に不満を持つ労働者など、比較的若い労働者が多かったようだ。

さらに遠巻きに応援してくれた人たちも多数いたこともわかった。「お上には文句言いにくいんや」という生活保護を受ける人、身体が弱いため抗議に参加出来ない人、シャッターの向こう側にいたが「良く止めてくれたな」という人たち。なかにはツイキャスを聞きかけつけた近所の若者、「俺らは引っ越すがセンターなくしたらあかん」という上の市営住宅の住民もいた。

予想外に多くの人たちが集まり、しかも誰かの指揮下ではなく、各々がそれぞれに抗議していたことなどが、結果として弾圧や排除を困難にしたのか。まさに数は力なり。しかし何と言っても流れを大きく変えたのは、降りかけたシャッターの真下に身体を横たえた労働者だ。シャッター下に集まる人が次々に増え、実質シャッターは降ろせなくなってしまった。「雨が降ったら野宿の人が困るやろ」と話す彼自身、長く野宿をしていたという。

いずれにしてもさまざまな形の抗議行動が、広いセンターのあちこちで展開され、結果シャッターが降ろせないまま時間が過ぎ、日付が変わり、大阪府がセンター管理者から外れた。

それ以降、センターでは自主管理状態が続く。なぜこのような事態になったのか?センター立て替えを前提とした「西成特区構想」とは、そもそも何を狙うのか、釜ケ崎から報告する。

「力のある者は力を! 知恵のある者は知恵を! 金のある者は金を!」(4月8日撮影)

◆まさに今!「力のある者は力を! 知恵のある者は知恵を! 金のある者は金を!」

4月1日午前0時にセンターの管理が大阪府から離れたことがわかったのは、2日の夕刻、西成労働センターに話し合いの申し入れをした時であった。管理者不在状態のなか、ゴミ回収やトイレ掃除など、当面の管理体制をどうするかが話し合われた。

ゴミに関しては、釜合労委員長の稲垣氏が、選挙中にも関わらず、大阪府に何度も問い合わせし続けた。
「センターから逃げた大阪府は、ゴミの処分に責任をとれ」(稲垣氏)
「不法占拠状態で怖いから(センターに)いけない」(大阪府)
「ならばこっちからゴミを大阪府庁に持って行く」(稲垣氏)
「不法投棄だ」(大阪府)を繰り返し、ようやくセンター1階は国の管轄になっていることを聞き出した。

4月5日(金)、国が管轄するあいりん職安(南海電鉄高架下)に「ごみを責任もって回収しろ」と要求したが、それは職安の仕事ではないと拒否されたため、責任もって国に伝えるよう要求、現在回答待ちである。テント村では毎日トイレ掃除と共にゴミ収集も欠かさず行い、センター内に集め管理している。

テントは24時間交代で仲間が待機し、各方面から届く支援物資の仕分けや管理をしたり、現地を訪ねてくる人たちに現状を説明するほか、医療、生活、労働相談も始まった。支援に来た人たちも立て看作ったり、食事をつくったり、ビラを書いたり……出来ることをやる。もちろんただ現場にいるだけでも力になる。

現在現場ではどのような支援が必要か、釜ケ崎医療連絡会議の大谷氏に聞いた。
「とにかく常時、センターにたくさんの人が集まっている状態を作っておくことが大事だと思います。現場の方からも、そのために様々な集会・報告会などイベントを企画し、センターで行っていきたいと考えています。次回は4月20日『センターの日』が13時から開催されます。ぜひ集まってください」。      

センターで寝床をつくり、寝ている人(4月4日撮影)

◆あの日、釜ケ崎の大きな屋根「センター」が閉まっていたら……

現在センター構内とその周辺には約90人の人たちが段ボールを囲いにしたりして野宿をしている。しかしセンターが開いていることを喜んでいるのは労働者だけではないようだ。センター内に車両を停め、募集業務を行う業者からも「助かったわ」と言われるそうだ。逆にあの日シャッターが閉まっていたら、現在センター周辺はどうなっていただろうか? 狭い道路は業者の車両と仕事を探す労働者、さらには「特掃」(特別清掃就労事業)の輪番の紹介を待つ労働者でごった返し、混乱が生じていたかもしれない。

センター建て替え、仮移転を考えた人たちは、そうした不測の事態を予測しなかったのか? あるいは昼間センターに入れず表に出された人たちがどうなるか? 人気のない場所で安心して野宿出来るのか? 雨の日、夕方シェルター開くのを待つ人たちは? 雨の日の炊き出しは? 労働相談の机だしは?釜ヶ崎の「大きな屋根」センターがなくなったらどんなことが起きるか、考えなかったのか?

◆大阪維新の「都構想」に反対する人はセンターに来たらええねん!

こうした現場の利用者や労働者の声を無視した「西成特区構想」が、何を狙っているのか? 4月7日のW選挙では残念なことにまたもや大阪維新を勝たせてしまったが、彼らの進める「都構想」とリンクする「西成特区構想」は、センターを閉鎖出来ず、事実上頓挫しているのだ。

その根本的な原因は「西成特区構想」が釜ケ崎の主人公である労働者をとことん無視して進められているからだ。さすが選挙で西成の「萩之茶屋」(はぎのちゃや)を「おぎのちゃや!おぎのちゃや!」と何度も連呼しまくる、現場を知らない元市長橋下氏のやることだ。すぐ近くの飛田遊郭では料理組合の顧問弁護士をやりがっぽり儲けたくせに。

センターの「代替場所」として用意された「あいりん職安の待合室」(4月5日撮影)

そんな労働者を無視した「西成特区構想」の実態は、センターの「代替場所」として用意された「あいりん職安の待合室」や「新萩の森予定地」を見ても明らかだ。労働者にとってセンターは、しばらく見てないツレを探しに行く場所、 スポーツ紙で皐月賞を予想する場所、夜勤開けにワンカップ飲む場所、夏場蒸し暑いドヤを出て風にあたる場所、激安スーパー玉出の半額弁当を食うところ……。彼らのような「椅子がある場所に閉じ込め管理すればいい」という発想からは、建て替え後のセンターがどのようなものになるかも容易に想像がつく。そこに労働者の居場所はない。

生活に困窮した者にとって最低限のライフラインを確保できる釜ケ崎のセンターには、かつてのような勢いのある労働者の流入は減ってはいるものの、精神疾患やさまざまな障害、ほかの地で行き辛さを抱える人たちがヘトヘトになりながらも辿り着いている。

どんな人をも寛容に受け入れる「日本一人情のある町」、それが釜ヶ崎だ。橋下氏同様、彼の手先となり釜ヶ崎に足を踏み入れ「荒んだ町だ」などと嘆いた鈴木亘学習院大学経済学部教授(元大阪市特別顧問。西成特区構想担当)らには、そんな釜ヶ崎の良さは死んでもわからんだろう。

センターでは様々な催しが開催されているが、9日(火)の夜には釜ヶ崎を題材に撮られた佐藤零郎監督の16mm劇映画「月夜釜合戦」が上映された。映画にはセンターを大勢の仲間がデモするシーンも出てきた。

昨年秋、大阪、神戸、京都を皮切りに上映が始まり、その後フランス、ポーランドの国際映画祭にも参加、ポルトガルのポルト・ポスト・ドッグ国際映画祭では日本映画初のグランプリを獲得した。受賞理由は「社会の周縁へ追われる人々への共感。日本映画の体制批判の伝統を継承するその方法。この2つを理由に『月夜釜合戦』にグランプリを授与します。人々の厳しい生活の現実をもとにつくられた明朗喜劇であるこの作品は、共生そして寛容という共同体の他ならぬ意味を見出し、賛辞を送っている」とある。

「共生そして寛容」に溢れた釜ケ崎はいま、大阪維新の「都構想」を末端から食い止める場となっている。みんな、センターに来たらええねん!

センターでは様々な催しが開催されている。4月9日の夜には釜ヶ崎を題材に撮られた佐藤零郎監督の劇映画「月夜釜合戦」が上映された(4月9日撮影)

▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

◆いかに出典を意味付けても、漢字は表意文字である

政府は新しい元号「令和」を、万葉集の大伴旅人による「初春の令月にして、気淑く風和ぎ」から採ったとしている。安倍総理は「わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書」からの出典であると、独自性を誇った。

しかし「令月」が「めでたい月」という意味であっても「令」それ自体は「律令」の令、すなわち行政法という意味である。律が刑法であるのにたいして、令は訴訟法や民事法もふくむ法体系である。

◆お上への反抗を許さないという意味なのか?

したがって「令和」を文字どおりに解釈すれば、法の下に国民を「和」さしめる。つまり和を「協力し合う」「争いをやめる」「協調させる」と解した場合、行政令に国民を従わせると解釈することもできるのだ。つまり「お上に従え」「お上のもとに、反抗せずに協力しろ」と言っているのだ。

もちろんこれは極訳であって、こういうふうにも解釈できるぞということに過ぎないが、漢字はしばしば争いの根拠となってきた。徳川家康が豊臣家を政治的に追いつめたのは、方広寺大仏殿の鐘銘に「国家安康」「君臣豊楽」とあったのを、家康の名を引き裂く、豊臣を君とすると解釈できる、というものだった。京都の五山の僧侶および林羅山がこのように曲解し、弁明につとめる豊臣側に「秀頼の大阪退城」「淀殿を江戸に人質として出すこと」を要求したのである。これを拒否した豊臣家は、大坂の陣で滅亡した。

◆過去にも例があった「令」

漢字が表意文字である以上、こうした曲解は避けられない。漢字が多様な意味を抱え持った文化であるからだ。というのも、ほかならぬ元号の採用にさいして、幕末にも同じような事態が発生しているのだ。しかもそれは「令」という漢字をめぐる問題だったのだ。すなわち、慶応の前の元号が元治と改元されたさいの第一案が「令徳」だったのだ。

政府が説明するように「令」という漢字はこれまでの元号にはなかった。唯一、採用されかけたのが「令徳」なのである。ではなぜ、「令徳」は採用されなかったのだろうか。「令徳」とは美徳であり「弱国を侵さず、小国を憐むは、大国の一なるを知る」(矢野竜渓「経国美談」)にも明らかな、覇道をいましめる王道思想である。ところが、朝廷が一に「令徳」を、二に「元治」を提案したところ、徳川幕府は「とんでもない」と一蹴した。「(朝廷が)徳川に命令する」と読めるからだ。


◎[参考動画]新元号 共産党「元号は国民主権になじまない」(ANNnewsCH 2019/04/01公開)

◆安倍のいう「美しい文化」とは?

上述したとおり「令」は行政法だが、そのほかにも「地方長官」という意味もある。明治政府の「県令」は府・県の首長であった。鎌倉時代には政所の次官が「令」、律令制のもとでは京の四坊ごとに置かれた責任者が「坊令」だった。漢和辞典をめくってみよう。「令」は「言いつける」「命じる」「おきて」「おさ(長)」「お達し」である。熟語は「指令」「禁令」「勅令」「伝令」「発令」「布令」「令旨」「御布令」などである。

安倍総理はいう「日本の国民が協力し合い、美しい文化を作り上げていくこと」だと。おそらく「美しい文化」とは「令」にひたすら従う「政治文化」のことなのであろう。専制的な政権に、唯々諾々としたがう国民。じじつ、わが国民は歓呼を持ってこれを受け容れている。令和時代の何ともいやな始まりとなった。

いっぽうで「和」は「平和」の「和」だと、誰もが思っている。しかし「昭和」が「平和」な時代だっただろうか。前半は軍部ファシズムと戦争の災禍に蹂躙され、国民は塗炭の苦しみにあえいだ。後半はイデオロギー対立が国を二分し、経済成長のいっぽうで公害が国民をくるしめた時代だった。

じつは「和」という言葉は、語源においては必ずしも「平和」の「和」ではないのだ。わが国はながらく、中国から「倭国(わこく)」と呼ばれてきた。これを日本人は「倭(やまと)」と読んだ。もとは「やまと」(山の裾という意味)だったが、漢字文化が入ってくると「倭」に代わって「大倭」「大和」がこれに当てられる(元明天皇の治世)。つまり「和」は「倭」だったのである。

したがって「和」を「やまと」と読むことで、新しい元号「令和」は「大和が(世界に)命じる」「日本に(天皇が)命ずる」と解釈することも可能なのだ。政府の言う「協調」だとか「美しい文化」の衣の下に、安保法制など海外に軍隊を派遣する「鎧」が覗いていることを、われわれ国民は忘れてはならないだろう。


◎[参考動画]新元号「令和」を書くオタリア「レオくん」(時事通信社 2019/04/01公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

5日発売!月刊『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

〈原発なき社会〉を目指す『NO NUKES voice』19号

小室圭氏の母親の金銭問題は、どうやら解決しそうにない。たかが400万円、返せばいいではないかという論者もいるが、そうできないから事態は混迷しているのだ。誰かが肩代わりすればよい(漫画家の小林よしのり氏が申し出た)というものでもないだろう。借金を返さないことが問題にされているのだ。いやしくも皇族の一員となる人物の、社会的な評価が問題にされているのだから──。

 

『おめでとう眞子さま 小室圭さんとご結婚へ 眞子さま 佳子さま 悠仁さま 秋篠宮家の育み』(サンデー毎日増刊2017年9月30日号)

ひるがえって考えるに、皇籍は離脱する(平民になる)わけだし、いっそ婚姻に先立って皇族であることも否定してしまえば、ふたりは一緒になれる。そう、問題にされている「納采の儀」は皇室の伝統的な行事ではあっても、皇室典範に規定されたものではないのだ。つまり公式の行事ではなく、天皇家の私的な祭儀なのである。そうであれば、ふつうに平民としての婚約をすればいいのではないか。

いや、婚約(結納)などという形式をはぶいても結婚はできる。皇籍離脱にさいしての一時金さえ拒否すれば、税金を身勝手な恋愛に使ったという批判も形を成さないであろう。ましてや、巷間噂されている「準皇族にふさわしくない」などという批判も当たらない。そもそも「準皇族」とか「準皇室」という言葉は、皇室典範にも過去の禁裏の事例にもないのだ。皇位(王位)を拒否してまで、みずからの愛をつらぬいた例は、わが王朝が典拠にしてきたイギリス王室にはある。そう、エドワード8世である。その偉大な生涯をたどってみよう。

◆世紀の大恋愛

エドワード8世は、1894年にジョージ王子(後のジョージ5世)とメアリー妃の長男として生まれた。第一次世界大戦が勃発すると、陸軍のグレナディアガーズに入隊。一兵士として最前線に派遣するよう直訴したが、陸軍大臣であるホレイショ・キッチナーが、王位継承権第1位にあるプリンス・オブ・ウェールズが捕虜となるような事態が起こればイギリスにとって莫大な危害が及ぶとの懸念を示したことから、拒否されることとなった。

エドワードは最前線を可能な限り慰問に訪れ、これによりミリタリー・クロスを授与され、後に退役軍人の間で大きな人気を得ることに繋がった。1918年には空軍で初めての飛行を行い、後にパイロットのライセンスを取得ている。1922年に来日している。 大戦後は海外領土における世論がイギリスに対して反発的なものになるのを防ぐために、自国領や植民地を訪問した。訪問先では度々絶大な歓迎を受けた。いっぽうでは失業問題や労働者の住宅問題に関心を寄せている。国内外を問わず大変な人気者となった。

1936年にキング・ジョージ5世が死去すると、独身のまま王位を継承。即位式には既婚者で愛人のウォリス・シンプソン夫人が立会人として付き添った。王室関係者がウォリスを友人扱いしたため、エドワード8世はウォリスに対して「愛は募るばかりだ。別れていることがこんなに地獄だとは」などと熱いまでの恋心を綴ったラブレターを送った。ウォリスと王室の所有するヨットで海外旅行に出かけたり、ペアルックのセーターを着て公の場に現れるなどしている。そしてついには、ボールドウィン首相らが公人たちが出席しているパーティーの席上で、ウォリスの夫アーネストに対して「さっさと離婚しろ!」と恫喝した挙句に暴行を加えるなどといった騒ぎまで引き起こした。カッコいい。

ウォリスのほうも離婚手続きを済ませ、いつでも王妃になれるよう準備をしたが、エドワードとの関係を持ちながら、駐英ドイツ大使のヨアヒム・フォン・リッベントロップとの関係があったと取りざたされた。夫がある身で二人の恋人って、この女性もすごいね。


◎[参考動画]エドワード8世 世紀の恋

エドワード8世はウィンストン・チャーチルと相談し「私は愛する女性と結婚する固い決意でいる」と国民に直接訴えようと、ラジオ演説のための文書を作成する準備をしたが、ボールドウィン首相は演説の草稿に激怒した。首相は「政府の助言なしにこのような演説をすれば、立憲君主制への重大違反となる」とエドワード8世に伝えた。チャーチルは「国王は極度の緊張下にあり、ノイローゼに近い状態」であるとボールドウィン首相に進言したが、首相はそれを黙殺した。さらには事態を沈静化させるために意を決し、「王とウォリス・シンプソン夫人との関係については、新聞はこれ以上沈黙を守り通すことはできない段階にあり、一度これが公の問題になれば総選挙は避けられず、しかも総選挙の争点は、国王個人の問題に集中し、個人としての王の問題はさらに王位、王制そのものに対する問題に発展する恐れがあります」という文書を手渡し、王位からの退位を迫った。

この文書をきっかけに、エドワード8世は退位を決意したといわれている。正式に詔勅を下し、同日の東京朝日新聞をはじめとする日本国内の各新聞社の夕刊もこのニュースをトップで報道した。同日午後3時半に、ボールドウィン首相が庶民院の議場において、エドワード8世退位の詔勅と、弟のヨーク公が即位することを正式に発表したのである。

エドワード8世はBBCのラジオ放送を通じて、王位を継承するヨーク公への忠誠、王位を去ってもイギリスの繁栄を祈る心に変わりはないことを国民に呼びかけた。自分は王である前に一人の男性であり、心のままに従いウォリスとの結婚のために退位するのに後悔はないとした。在位日数はわずか325日だった。この一連の出来事は「王冠を捨てた愛」あるいは「王冠を賭けた恋」と呼ばれた。まことに、世紀の大恋愛というにふさわしい一幕ではないだろうか。


◎[参考動画]King Edward VIII’s Abdication Speech

◆禁忌の愛

このところ、女性週刊誌が「眞子さまの駆け落ち婚」という見出しを掲げて、小室圭氏との婚約・婚姻の可能性を報じている。すでに秋篠宮殿下の「二人結婚したいのなら、何らかのことをしなければ」「国民の理解が得られない」「納采の儀は行なえない」という、宮家としての結論は出ている。その意志はおそらく、天皇・皇后両陛下も同意見なのであろう。したがって小室氏と眞子内親王が皇室を離脱して、納采の儀も行わないまま「駆け落ち婚」をするとなると、これまでの皇室アイドル化路線と、天皇制(憲法第1条および皇室典範)との矛盾が顕在化することになる。いや、アイドル化という象徴天皇制のひとつの帰結が、生身の人間と国家と結びついた天皇国事行為との矛盾を顕在化させるのだ。ここはもう、個人としての眞子内親王および小室圭氏を応援したくなるというものだ。おりしも天皇代替わりの季節、ふたりから目が離せない。


◎[参考動画]眞子さま 小室圭さん 婚約内定会見 ノーカット1(ANNnewsCH 2017/09/03)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

衝撃最新刊!月刊『紙の爆弾』4月号!

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

魅力的な女性、といえば、どのような人物を思い浮かべるだろうか。個人的には、自らの価値観にしたがい、誰より自由で、大事なことを見失わない、そんな女性に惹かれる。

最近、試写で観た2人の女性に魅了されたので、今回はあわせて紹介したい。そして、2人をとおし、社会変革を導く人物像について考えることとする。

◆『金子文子と朴烈』──人間は恋と革命のために生れて来た

 

『金子文子と朴烈』(C)2017, CINEWORLD & MEGABOX JOONGANG PLUS M , ALL RIGHTS RESERVED

わたしは月刊誌『紙の爆弾』 2017年11月号の特集「小池百合子で本当にいいのか」で、関東大震災の朝鮮人虐殺について寄稿。その際、10冊弱ではあるが文献をあたり、真実に近いと思われることについてまとめた。そこに、「三・一運動後の朝鮮総督府では、水野錬太郎が行政・立法・司法の実務を統括する政務総監を務め、赤池濃が内務局長や警察局長を務め、独立運動を弾圧していた。そして八月二十六日に加藤友三郎首相が死去した直後に震災が起こったため、水野は内閣に引き続き内務大臣として陣頭指揮をとり、赤池も当時は警視総監として対応」などと書いた。この水野らが近代史を超越して暗躍するのが、劇映画『金子文子と朴烈』だ。

そして今回、魅力的な女性として1人目に挙げたいのは、大正時代のアナキスト・金子文子。複雑な生い立ちを経て朝鮮へ渡る。彼女も、のちの連れ合いである朴烈(パクヨル)も、1919年の三・一朝鮮独立運動後、日本に渡り、社会主義の運動にかかわるようになった。2人はアナキストの同志として出会い、恋仲となってともに暮らし、「不逞社(「不逞鮮人」を逆手に取ったグループ名)」を設立。だが、1923年の関東大震災後、2人は皇室の人間の殺害を計画した、これは大逆罪にあたる、と起訴される。26年に死刑判決、その後、無期懲役に減刑されるが、金子文子は獄死。経緯はいまだ不明のままだ。

このような史実をもとにした『金子文子と朴烈』では、金子文子が朴烈や仲間とともに生き、獄中でも闘いを貫くさまが描かれる。作品は、戒厳令下の朝鮮人大虐殺を隠蔽すべく、2人は標的とされたというストーリーになっている。金子文子が魅惑的で、日本人ながら帝国主義・植民地主義に抗し、朴烈との間に結ぶ約束も心地いい。「一、同志として同棲すること。 一、わたしが女性であるという観念を取り除くこと。 一、いっぽうが思想的に堕落して権力と手を結んだ場合、直ちに共同生活を解消すること。」。チェ・ヒソの演技がまた、表情、言葉の発し方、仕草など気っ風がよく、チャーミングだ。

革命を志す仲間たちが「インターナショナル」を高らかに歌うシーンも印象的。だが実は、生き延びた朴烈のその後の人生は複雑なものだった。それは本作には描かれない。だからこそ余計に、金子文子の魅力が強く印象づけられ、2人が心を1つにした時間が尊く思われるのだろう。

自らの命やちっぽけなプライドよりも、信念を貫く。太宰治の「人間は恋と革命のために生れて来たのだ」をまさに体現した、その姿がまぶしい。2人の「あの」写真に関する象徴的なエピソードも登場するので、楽しみに作品をご覧いただきたい。
ちなみに、配給・宣伝の太秦の社長は、ネトウヨさんたちによってインターネット上に名前や顔写真をさらされているのだとか。わたしは「おめでとうございます」とお伝えしておいた。これはヒットの予感、前触れ!? と考えていたら、実際にヒットしているらしい。


◎[参考動画]映画『金子文子と朴烈』本予告編(太秦宣伝部 2018/12/25公開)

◆『沈没家族 劇場版』──穂子ちゃんに教えられること多すぎ

 

『沈没家族 劇場版』(C) 2019 おじゃりやれフィルム

もう1人の魅力的な女性は、「沈没家族」の加納穂子さんだ。「沈没家族」とは、1995年、シングルマザーの穂子さんがビラ配りから始めた共同保育。ドキュメンタリー映画『沈没家族 劇場版』は、ここで育てられた穂子さんの息子である土くんが監督・撮影・編集を手がけた作品だ。

「沈没家族」にかかわった知人が多くいるわたしも、その先駆性に惹かれていた。「男女共同参画が進むと日本が沈没する」という政治家の言葉を逆手にとった命名からも、朴烈と金子文子たちの「不逞社」同様のレジスタンスの精神とセンスを感じる。また、移転先のアパートも「沈没ハウス」と名づけられ、複数のシングルマザーと子ども、そして子どもたちを共同保育するメンバーによって成り立つ。

作品中、「変なオトナとばっかり絡めて申し訳ないなってのは思わなかったの?」という土くんの問いに、穂子さんは「それはまったくないね。だって変なオトナって……わたしはそれぞれの人に魅力を感じてたし、そういう関係じゃなかったからね」と応える。また、「手放すことで出てくるものがあるんじゃないかな」と語る。さらに、当時の穂子さんへのインタビューで、彼女は「土も、割と自分なりに保育者との関係を作ってるじゃない。あとは土とその人に任せるっていうか」と話していた。言葉を抜き取るだけで穂子さんの魅力を伝えるのは難しいが、金子文子同様、信念があり、達観している部分もあって、言葉が一般論や揶揄にゆるがないようなところがある。

プレスシートに目を通せば、加納土監督の言葉も魅力を発する。「沈没家族」はシングルマザーの母子と若者とがサバイブするためのものであり、「母が沈没家族を始めたのは、大人一人子一人という状況で閉ざされた環境になったら自分が楽しくないし、自分が楽しくない状況で子どもと過ごしていたら、それは子どもにとってもよくないからという思いが強いと思います」「彼女の場合、懐の深さというのはすべてを受け入れるってことではなく、いやなことに対して、はっきりいやだと言える強さがあるところなんですけど。だから、ずっとカメラを向けていて僕がおぼえた感情というのは劣等感でしたね。僕はここまでできねえな……という悔しさ」「誰にも強制していないというか、ただそこに在るっていうことで全然いいんだっていう。『一致団結』してないんです」「沈没家族は『排除しようとする社会』からのシェルター」と語っていた。ちなみに、「沈没家族」に参加していた高橋ライチ(しのぶ)さんは、「支援・被支援の関係でなくもっと相互的に、ただともに生きる、ということは可能なのだ」と記している。

ちなみに試写当日のメモにわたしは、「旧来の共同幻想は共有される範囲にしか通用しないからこそ、常にマイノリティはちからをもたぬまま模索する。そのいっぽうで、従来の家族についても考えさせられ、そのうえで人間についても考えさせられる展開であり、想定以上に深い作品だった。あと現代において、『悪くない』というのは最上級の肯定ではないか、などとも。そしてもちろん、穂子ちゃんに教えられること多すぎ。同世代。MONO NO AWAREとそのメンバー玉置くんの音楽もよかった。そうか、八丈出身なんか」と書いていた。


◎[参考動画]映画『沈没家族 劇場版』本予告編(ノンデライコ製作・配給 2019/02/14公開)

自らの価値観にしたがい、誰より自由で、大事なことを見失わない、そんな女性を描く映画2作品。ぜひ、ご覧ください。

※『金子文子と朴烈』は東京シアター・イメージフォーラム、大阪シネマート心斎橋、京都シネマにて上映中。ほか全国順次公開予定。詳細は下記公式サイトでご確認ください。
公式サイト:http://www.fumiko-yeol.com/

※『沈没家族 劇場版』は2019年4月より東京ポレポレ東中野にて公開、ほか全国順次公開予定。ほか全国順次公開予定。詳細は下記公式サイトでご確認ください。
公式サイト:http://chinbotsu.com/

▼小林 蓮実(こばやし はすみ)
1972年生まれ。労働運動等アクティビスト兼フリーライター。映画評、監督インタビュー、イベント司会なども手がける。韓流ドラマ&K-POPファンでもあり、ソウルを1回、平壌を3回訪れたことがある。『紙の爆弾』『NO NUKES voice』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『情況』『救援』『週刊読書人ウェブ』『現代の理論』『教育と文化』『neoneo』ほかに寄稿・執筆。
●『紙の爆弾』4月号「薔薇マークキャンペーン 新自由主義に対抗する『反緊縮』という世界の潮流」
●『NO NUKES voice』Vol. 19「インタビュー:淵上太郎さん(「経産省前テントひろば」共同代表)民主主義的観念を現実のものにする」
●『流砂』16号「憲法が奏でる『甘いコンチェルト』──『ソロもあるのが協奏曲』または『同意』」(入手のご希望あれば、Facebookのメッセンジャーなどで、小林蓮実に連絡ください)

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◆前回のあらすじ

日本はそれ一国で「日本文明」という、中華文明や西欧文明など大きな文明に匹敵する文明を形成している。しかし、今の日本はアメリカの「下僕」であり、「思いやり予算」、東京上空規制、辺野古移設など全く主体性は見られない。また、イスラームに友好的だった戦前とは異なり日本当局はアメリカの意向に従い日本国内のムスリムを敵視している。イスラームの祝祭会場への私服警官の派遣や在日ムスリムの尾行、モスクの監視、ムスリム家庭の調査、イスラーム学者のハサン・中田考氏の監視などを続けている。そんな中、トルコやインドネシア、インドではイスラームの復興が顕著であり、エルドアンへの支持が高まっている。エルドアンを支持するfacebookグループがあり、また過去にはジャカルタで大きなスタジアムで国際カリフ会議が開催されたこともあった。

◆日本の真の独立のために

このようなイスラーム諸国の動向を注意深く読み解く必要がある。決して軽視すべきではない。ムスリム圏の行動原理はイスラームという宗教であり、それは国家の枠組みに縛られることがない。イスラームの原理はイスラーム教徒である限り、ニューヨーク(アメリカ)にいようがチェチェン(ロシア)にいようがウルムチ(中国)にいようが適用されるのである。その効力は、影響が一国あるいは一民族に限定される西欧的なナショナリズムよりもはるかに強力である。

さて最近は、中国の超大国化が著しくまたいわゆる「北方領土」問題で日本と対立するロシアがこれに続こうとしている。しかし、中国はウイグル人との問題で、またロシアはチェチェン独立勢力との問題でムスリムと対立している。インターネットの発達で、これらの情報は瞬時にムスリム世界にも伝わり、一つの地域や一つの民族の問題ではなく、イスラーム世界全体の問題として認識されている。日本はイスラーム諸国とのつながりを強化し、相互扶助すべきである。

日本は戦前では、イスラームに対して国を挙げて支援していた。イスラームとの連携によって、超大化を目指す中国とロシアという二大ファシズム国家を、その背後からあるいはその足元から牽制することも可能になってくる。

アメリカに関しても、ムスリムの存在は大きい。アメリカでのムスリム人口は2000年時点で2.6%に過ぎない。しかし、その40%以上はアフリカ系アメリカ人の改宗者だという。プロボクサーだったモハメド・アリやマルコムXなどアメリカ社会に不満を持つアフリカ系アメリカ人の改宗者が多く、そのアメリカ社会への影響力は決して小さくない。ムスリムとの関係強化は、日本が対米従属状態にあるアメリカの内部にも影響を及ぼすことを視野に入れることができるのである。

また日本はイスラームに対して歴史的なしがらみがほとんどないため、スンニ派とシーア派の対話の場を提供することも可能である。さらに日本は仏教国でもあるので、ミャンマーやタイなどでの仏教徒とイスラーム教徒間の問題で、対話を取り持つことも可能になる。

西欧文明の衰退に伴う中で、中国やイスラーム諸国をはじめとする非西欧諸国が次々とその文明の独自性を主張している。既存の主権国家体制は崩れ始め、第二次大戦の戦勝国による「傀儡」組織だった国連も有効な手を打てずにいる。

人間の移動はICT技術や交通手段の発達でこれまで以上に流動的になり、それを防ごうとする領域国民国家との間で小競合いが頻発している。日本でも同様に排外主義的な運動が起こっている。日本も4月から入国管理法が改正される。それによって労働者や難民として今まで以上に外国人が入国すると予想されるが、それよって発生するトラブルや事件に対して心構えが必要であろう。

日本もこれまで通り何も変えずに、馬鹿の一つ覚えのように「日米同盟はゆるぎない」と繰り返しているようでは「時代の敗者」になってもしかたがない。日本は経済産業面で「デファクトスタンダード(国際標準化)が苦手」と言われるが、それは今の対米従属姿勢に見られるような、「長い物には巻かれろ」的志向が強くからとも言える。既存のスタンダード(アメリカ・西欧の覇権)に乗っかることは得意なのかもしれないが、ただそれに追従するのみでそこから自発的に「降りる」ということができない。今後はイスラーム諸国との関係強化、さらには「周辺的存在」であるラテンアメリカやサハラ以南のアフリカ諸国、南太平洋をも「重要なプレーヤー」として視野に入れる必要が出てこよう。

たとえ、国のトップが安倍という救いようがない馬鹿であっても、一般市民による「市民外交」は可能である。今や政治のプレーヤーは国家や政治家だけではなく、企業やNGO、個人も含まれる。市民の力で日本全体の外交関係を変えることは可能である。現代は本当に変化が早い。明日になって突然全てがひっくり返る、と言ったようなことがあっても不思議ではないのだ。(完)

◎日本とイスラームの同盟 文明間の国際秩序再編の中で〈1〉
◎日本とイスラームの同盟 文明間の国際秩序再編の中で〈2〉
◎日本とイスラームの同盟 文明間の国際秩序再編の中で〈3〉

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

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