釜ヶ崎の野宿者追い出し裁判、最高裁が上告棄却 今の大阪に必要なのは万博やカジノでなく、生活困窮者のセーフティネットの町「釜ヶ崎」です 尾﨑美代子

 
シャッターの閉められたセンター西側には野宿する人たちがいる。行政はわざとゴミを放置し、「野宿者がいるからこんなに汚いのだ」とアピールする

釜ヶ崎の野宿者追い出し裁判、最高裁が5月27日付で上告を棄却しました。

長い裁判のこれまでの経緯を説明します(不足している部分もありますが)。

JR新今宮駅前にドンと建つ「あいりん総合センター」(以下、センター)は長年西成の日雇い労働者の労働・生活の中核となり、野宿者にとっては最後のセーフティネットの場になっていました。

ところがセンターを管理する国と大阪府は、センターの耐震性に問題があるから解体し建て替えるとして、2019年4月に強制的に閉鎖しました。しかし、その後も周辺には多くの人たちが野宿していました。

すると、国と府はそれも認めないと、2020年4月22日、野宿者と、センターに誰でも泊めれるようバスを置いている釜ヶ崎地域合同労組の稲垣浩氏ら22人に対して立ち退きを求める裁判をおこしました。しかも、そのわずか数か月後の7月、本訴が終わるまで時間がかかるから緊急に立ち退かせる必要があるとして断行の仮処分命令を訴えてきました。

これに対して稲垣氏は、仮処分命令が決まって野宿者らがセンターからばらばらに追い出されては、その後本訴を闘うにも団結することが困難だと考え、断行の仮処分命令にも毅然と闘うべきだと訴え闘ってきました。これと闘わなければ、次の闘いも闘えない、当然の判断だと思います。

センターに停めてある釜ヶ崎地域合同労組の車両。24時間誰でも休めるようになっている
 
明らかにヨソから持ち込まれた粗大ゴミ。行政、西成警察はこうした「不法投棄」を取り締まる気もない

この裁判で大阪地裁は12月1日、国と府の断行の仮処分命令を却下しました。野宿者ら被告側の勝利です。却下した理由ですが、国と府は早く立ち退けとの理由に、2008年から「センターの耐震性に問題がある」と主張していましたが、そのセンター問題を考える「まちづくり会議」などで、肝心の耐震性問題が「喫緊の課題」として論議された形跡がないからだというのです。至極真っ当な理由です。しかもこの時点では、センター解体後の跡地をどうするかも具体的な計画案も決まっていないのでした。

その後、本訴である土地明渡訴訟が始まりました。2021年12月2日、大阪地裁は国と府の主張を認め立ち退きを認める判決を下しました。但し、原告(府)が求めていた、全ての裁判が終わるのを待たずに「すぐに立ち退け!」とできる仮執行宣言は認めませんでした。被告側は敗訴しましたが、実質強制排除されることはなかったのです。これもある意味「勝利」でした。

その間、大阪市や西成区は野宿者に対して、生活保護を受けさせ立ち退かそうと説得などを行ってきました。普段は生活保護を受けさせない、あるいは受けたのちにもあれこれ難癖つけて保護をうち切ろうと必死の行政側も「今なら簡単に保護が受けれますよ」と甘い言葉をかけまくってました。

もちろん生活保護を受けるか否かは本人の自由で、受けたい人は既に受けています。それでもなお、様々な理由で野宿にとどまる人がいることも事実です。しかもこの間には、コロナ禍で職を失い困窮し新たにセンターに来た人を何人も見てきました。釜ヶ崎のセンターは社会的に困窮する人たちの最後の砦になっていることは明らかなのです。

人の背丈の3倍ほどに積み上げられたゴミ。行政は「釜ヶ崎をきれいな町に」とほかでは熱心に清掃してるのに

一審で敗訴した稲垣氏と野宿者らは、大阪高裁に控訴しました。大阪高裁は2022年12月14日、地裁判決を支持し、野宿者側の控訴を棄却しました。一方で地裁判決と同じく、最終的な判決が確定する前に強制退去が可能である「仮執行」(強制排除)は認めませんでした。

弁護団によれば、このような事態は極めて異例であるとのことです。野宿者の強制排除を許さないという主張を訴えてきた被告側の闘いの大きな成果でした。その後、被告らは最高裁に上告していましたが、最高裁は5月27日付で上告を認めないという判決を下した、という経緯です。  

現在、野宿者らはいつ強制排除されるかもしれない事態に晒されています。この問題に関心を持たれるみなさんには、ぜひ、今後の動向に注目して頂きたいと思います。

前述したように、大阪府はセンターを解体して出来た更地に何を作るかの具体案も決めていません。私が一番許せないのが、国と府は、耐震性に問題があるとしてセンターの入っていた第一市営住宅を解体しようとしていますが、同時に耐震性に問題のない第二市営住宅まで公費で解体しようとしていることです。

それは駅前により大きなきれいな形の台形を確保することで、一層儲けることが出来るからです。万博、カジノ同様、大阪維新とその仲間たちだけが儲けようという魂胆です。この間の物価高などで困窮者はますます増えていくでしょう。そんななか、生活保護者、野宿者含め生活困窮者が誰に遠慮なく、堂々と生活していける町、それが釜ヶ崎、こういう地域は本当に必要ではないでしょうか。

みなさん、ぜひご支援とご注目を!

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

ジャニーズよ 永遠なれ〈3〉真に許されない愚かしさとは 板坂 剛

ジャニー喜多川やカウアン君やデヴィ夫人のそれぞれの言動は、それぞれの必然性に基づいて行われたもので、驚嘆するほどの事象ではない。

驚くべきは7月23日に報道された国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会の人たちが、この件に関して調査のために来日し、さらにジャニーズ事務所も「再発防止特別チーム」を結成して真相を究明しようとしているというニュースだ。

 
在りし日のジャニー喜多川

再発防止って「加害者」がとっくに死んでいるのに何で再発防止のチェックが必要なのって聞きたいよね。国連もそんなことに人と時間を費やすなら、原発事故の再発防止のためのチェック機関を作ってほしい。

折しもアメリカではスリーマイル島事故後の初の新規原発がジョージア州で営業運転を開始するという。世界中で権力者のやりたい放題による災厄が多くの人民を苦しめている時に、死んだ人間のセクハラ疑惑なんか追求している場合じゃないだろう。

事故が起こらなくても原発で働く作業員は皆被曝していると、定期的に作業員の健康診断を行っていた医師が言っていた。その医師に対して電力会社の社員は診断の結果を絶対にマスコミには知られないようにと忠告したという。また、退職した作業員が1年後に白血病で死んだという話もよく聞かされたそうであるが、そういう事例のチェックは全く行われなかった。

日本の公的機関がそこまでやるとは期待もしていないが、それをやるのが国連ではないかと思う。

無名の作業員たちの生死にかかわる被害より、未成年のお尻の穴の被害の方が大事だろうかと問いたい。

お尻の穴と言えば、先頃鹿砦社から発行されたムック本。『人権と利権』の中で、少々気になる記述があったので書き添えておきたいと思う。

同書は大変に好評で売り切れ間近と聞いているが、編著者の森奈津子さんというバイ・セクシャルの女性と加賀奈々恵さんという埼玉県富士見市議の都の対談。

その中で森さんの次の発言に、つい首をかしげてしまった。

「松岡さんは、やっぱり女性スペースにトランス女性も入れるべきだとおっしゃっているんですけれど、ああいうゲイの方って、ゲイオンリーのイベント、例えばエッチなショーがあったり、あるいはゲイの方々が出会って性的な行為に及ぶハッテン場など、そういうところに『”体が女性のトランス男性”の皆様もどうぞ入ってきてください』とはおっしゃらないんですよね」

(注・ここに記されている「松岡さん」とは、一般社団法人フェアの代表理事の松岡宗嗣という人のことで、鹿砦社の社長、松岡利康とは関係ありません)

「ゲイは女性の体には興味がないので、いくら心が男性だと言っても体が女性の人が入って来られては困る、ということなんですね」

「一方では、ゲイをハッテン場に体が女性のトランス男性を入れないのに、女性にばかり強制をして、おかしいなと思うんです」

筆者は今は亡き『噂の真相』の岡留安則編集長の紹介で、かつて同性愛者に対する差別反対運動のリーダーとして一世を風靡していた「オカマの東郷健」が発行する『ザ・ゲイ』という雑誌の編集を受けおったことがあり、その関係で全国のゲイバーやハッテン場となった映画館を取材したことがあった。

そこでも目撃したことは、ゲイバーにも女性客が度々訪れるという事実、もちろん体が女性のトランス男性もお見えになっていた。

また、ハッテン場として有名なポルノ映画館では女装した男性が大モテで、の周囲には常に大勢のファンが群がっていた。男装した女性に関しても同様。

また、男性とのカップルで女性客も入れる映画館では自分の彼女を全裸にして性交までする男性もいたが、2人の周囲には男たちがスクリーンに背を向けて羨望の眼差しで男女のプレイを鑑賞し、2人が帰る時には「ありがとね。また来てね」と声をかける御仁にもいた。

つまり、彼等の中には本当は女性の方が好きなのに相手に恵まれず、風俗に行く金もないので仕方なくハッテン場に身を寄せている人も多くいるということである。
こういう人たちがトランス男性やトランス女性の参入を拒むということは考えられない。

女性が単独で入場することは許されない映画館も確かにあるが、それは映画館側が警察の介入を恐れてバリアーをはっているだけのことで、そこにたむろするゲイたちが女性を排除してるわけではない。

ハッテン場に集う人たちを統1された理念と美意識で結ばれた集合体だと思ったら大間違いなのだ。このへんは正確に把握してないと、同好諸氏に足元をすくわれる危険がありますのでご注意下さい。

それにしても純粋なハッテン場とも言えるジャニーズ事務所が、はたしてジュニアたちにとって有害な場所だったのか。歴史の査定を待つ他はないが、今なおジャニーズジュニアに熱い声援を送り続けている女性たちの姿に、どうしても原発再稼働を阻止するだけの民意を表明出来ずに流されてしまう大衆の「嫌なことは忘れる」「醜いことから目を背ける」集団心理が重なって見えるのはどうしたものだろうか。

8月4日の国連メンバーによる記者会見では、原発事故の被害者の方々についてのコメントもあったことを忘れなく。

愚か……という言葉を使いたくはない。1970年に「天皇陛下万歳」と叫んで自決した三島由紀夫の気持ちが判る。それがパロディーであるのなら、幾らでも叫んでいいだろう。ジャニーズよ、永遠なれ、と。

結局それは滅びの美学なのかもしれない。確かに男が皆ゲイになったら、その民族は滅びるしかないのだから。

笑える。

板坂 剛 ジャニーズよ 永遠なれ(全3回)
〈1〉死して尚、放たれる威光
〈2〉「性加害」という表現への疑問
〈3〉真に許されない愚かしさとは

本稿は『季節』2023年秋号掲載(2023年9月11日発売号)掲載の同名記事を本通信用に再編集した全3回の連載記事です。

▼板坂 剛(いたさか・ごう)
作家、舞踊家。1948年福岡県生まれ、山口県育ち。日本大学芸術学部在学中に全共闘運動に参画。鹿砦社より『三島由紀夫と1970年』(2010年、鈴木邦男との共著)、『三島由紀夫と全共闘の時代』(2013年)、『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(2017年)、『思い出そう! 1968年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』(紙の爆弾2018年12月号増刊)等多数。

鹿砦社編集部編『ジャニーズ帝国 60年の興亡』A5判 320ページ 定価1980円(税込み)

【主な内容】
Ⅰ 苦境に立たされるジャニーズ
  2023年はジャニーズ帝国崩壊の歴史的一年となった!
  文春以前(1990年代後半)の鹿砦社のジャニーズ告発出版
  文春vsジャニーズ裁判の記録(当時の記事復刻)
 [資料 国会議事録]国会で論議されたジャニーズの児童虐待

Ⅱ ジャニーズ60年史 その誕生、栄華、そして……
1 ジャニーズ・フォーリーブス時代 1958-1978
2 たのきん・少年隊・光GENJI時代 1979-1992
3 SMAP時代前期 1993-2003
4 SMAP時代後期 2004-2008
5 嵐・SMAPツートップ時代 2009-2014
6 世代交代、そしてジュリー時代へ 2015-2019
7 揺らぎ始めたジャニーズ 2020-2023

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315290/

ジャニーズよ 永遠なれ〈2〉「性加害」という表現への疑問 板坂 剛

カウアンオカモトという青年の登場によって「性加害」という表現が爆発的に広まったと思う。

彼の証言によれば、しかるべき場所で喜多川氏から「マッサージしてあげる」と言われて、素直にその好意に応じたところ、マッサージする手が上半身から次第に下半身に、そして下腹部の性器にまで達したということなのであるが……。

 
在りし日のジャニー喜多川

しかし、その先がはっきりしない。マッサージの延長行為の末に、カウアン君の性器はしかるべき反応を示したのか、それとも無反応であったのか。もしこの問題が裁判で争われるとすれば、そこが肝であると思われる。

ただ、どちらにせよ、私にはそれが「性加害」と言えるほどの事態であったとは、残念ながら思えない。無理矢理しかるべきでない場所に引きずり込まれて、暴力的に衣服を剥がされてレイプされたというわけではない。

それを「性加害」と言い切ってしまうと、刑法上の犯罪行為であるというイメージを、聞く者の耳に与えてしまう。

さらに不思議なのは、カウアン君がジャニー喜多川の性癖を知らずに、ジャニーズ事務所の合宿所のようなスペースで想定外の行為を強いられて傷ついたという証言をしていることである。

はっきり言って耳を疑う証言である。ジャニーズ事務所でその種のいかがわしい行為が行われているという醜聞は、国民的常識とまでは言わないが、1970年代後半にはもう少なくとも私の周囲には知らない者はいなかった。

ジャニーズ事務所に所属するタレントのファンの間でさえ、その噂は公然と囁かれていた。郷ひろみのファンだった女性は、私に向かって「それが芸のこやしになっているんだから、それでいいんじゃないんですか」と言い切った。彼女の表情から不快感は全く感じられず、むしろ必要枠として評価したいという気持ちが伝わってきた。

そこまで広まった噂の真相をカウアン君が知らずにジャニーズ事務所に身を寄せたとしたら、あまりにも無防備であったと言わなければならない。「自己責任」という嫌な言葉が口をついて出そうにもなる。

今回の騒動に関して「僕には楽しい思い出しか残っていない」と田原俊彦が語っていたそうだが、タレント志望のジュニアの多くもジャニー喜多川の愛玩物となることを覚悟して(あるいは甘受するつもりで)その場に身を置いたと思われる。そこを通らなければ、デビューさせて貰えなかったそうだから。

解散してしまったSMAPの木村拓哉と中居正広はジュニアの時代に在学していた都立代々木高校で、周囲が心配するほどの犬猿の仲であったという。かなり遠くからでもお互いの存在に気づくと、しばらくの間にらみ合っていたというほど険悪な関係であったと、当時同校に在学していた女子高校生が語っていた。2人の不仲の原因が、ジャニー喜多川の寵愛を競う争いであったことは明らかだったという。

その話も、後に2人がSMAPというグループのメンバーとしてデヴューすることになった途端に和解してしまうと「個人的な感情を棄てて仕事に徹する……さすがプロだ」という美談にすり替わってしまったようだが。

SMAP時代の木村拓哉と中居正広

概してジャニタレファンは、鷹揚で包容力に富んでいる。木村拓哉が工藤静香と結婚するというニュースが流れた時、彼のファンの多くは「何であんなヤンキーと一緒になるの!」と激しい怒りを露わにしたが、それでもファンであることをやめようとはしなかった。

カウアン君の突然の告発にも動じる気配はない。逆にカウアン君のことを「被害妄想っていうか、被害者意識が過剰なのよね。かわいそうな人ね」と同情したり、「ああいう人はジャニーズでは例外でしょう」と完全に自分の意識から排除したりする。

その反面、カウアン君を「日本の恥」と切り棄てたデヴィ夫人に対しては「お前こそ。日本の恥だ」「お前だって。元は高級売春婦じゃねえか」「地位と名誉が欲しくて、色仕掛けで某国の大統領夫人にまで成り上がったくせに」と、何もそこまでいと言いたくなるほどの悪罵を投げつける。「吐いた唾は飲まんとけよ」という映画『仁義なき戦い』の名ゼリフを彷彿とさせる言い草ではないか……

しかし、「日本の恥」というデヴィ夫人の表現を、必ずしも不適切だと私は思わない。カウアンは今まで恥ずかしくてとても言えなかった心の傷をジャーナリスト相手に堂々と公表し、ついに国連にまでその「性加害」問題が取り上げられるに至った。

それは確かに「日本の恥」を世界に晒す行為であると言えるだろう。だが、「恥をかけ、とことん恥をかけ」というアントニオ猪木の警句を実践したと解釈すれば、勇気ある行動と言えなくもない。

昭和のプロレスの悪役の如く、未だにマスコミに重宝されているデヴィ夫人としては、憎まれ役は自分の本領と自覚しているに違いない。「日本の恥」という表現は、意地悪な悪女が純朴な青年をイジメている演出に沿ったものであるに違いない。むろん彼女自身の演出である。

そして、ラストシーンは、闇の奥に潜んだまま鬼籍に入ったジャニー喜多川を、死後世界史に稀代の変人として名を連ねることになると、筆者は予想するのである。
そしていつか、彼の名声と共に「性加害」という言葉も軽い恋愛感情を示す表現になっているのではないかと思う。(つづく)

板坂 剛 ジャニーズよ 永遠なれ(全3回)
〈1〉死して尚、放たれる威光
〈2〉「性加害」という表現への疑問

本稿は『季節』2023年秋号掲載(2023年9月11日発売号)掲載の同名記事を本通信用に再編集した全3回の連載記事です。

▼板坂 剛(いたさか・ごう)
作家、舞踊家。1948年福岡県生まれ、山口県育ち。日本大学芸術学部在学中に全共闘運動に参画。鹿砦社より『三島由紀夫と1970年』(2010年、鈴木邦男との共著)、『三島由紀夫と全共闘の時代』(2013年)、『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(2017年)、『思い出そう! 1968年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』(紙の爆弾2018年12月号増刊)等多数。

鹿砦社編集部編『ジャニーズ帝国 60年の興亡』A5判 320ページ 定価1980円(税込み)

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Ⅰ 苦境に立たされるジャニーズ
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最新刊! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年6月号

鹿砦社創業メンバーで唯一の生き残り前田和男さんが新刊『続 昭和 街場のはやり歌 ── 戦後日本の希みと躓きと祈りと災いと』を刊行! ご購読を! 松岡利康

前田和男さんは鹿砦社創業メンバーの一人、現在ただ一人生き残っている方です。当時、創業時の社長・天野洋一(故人)らと『マルクス主義軍事論』などを編纂し、最近では『続全共闘白書』を編纂したことで有名です。

昨年前田さんは、『昭和 街場のはやり歌 ── 戦後日本の希みと躓きと祈りと災いと』を刊行、好評を博しました。このたび、その続編が刊行され届きました。

詳しい内容は省きますが、書店で手に取って、どうぞご購読お願いいたします! または、私への手紙(下記)の末尾に記された前田さんの事務所に直接ご注文ください。

鹿砦社 代表
松岡利康

前田和男『続昭和街場のはやり歌 ── 戦後日本の希(のぞ)みと躓(つまず)きと祈りと災いと』彩流社刊 A5判 240ページ 定価2420円〔税込み〕
前田和男さん(2019年、鹿砦社創業50年インタビューの時のもの)
本に挟まれた前田さんから松岡への手紙 ※書籍のご注文は、〒102-0072 東京都千代田区飯田橋4-10-1 セントラルプラザ507 同文社気付 Tel.03-5228-2140
朝日新聞2023年11月4日付け朝刊読書欄

世界で唯一の公共交通「スカイレール」が26年の歴史に幕 さとうしゅういち

世界で唯一、広島にだけあった乗り物「スカイレール」が2024年4月30日、26年の歴史に幕を閉じました。

 

「スカイレール」は神戸製鋼所と三菱重工が開発した、モノレールのような軌道に小さなゴンドラを吊り下げて運行する乗り物でした。

1998年8月、積水ハウスなどが開発した約2200世帯、人口7700人の「住宅団地スカイレールみどり坂」のみどり中央駅とみどり口駅(JR山陽線瀬野駅)の1.3km、高低差130mを5分、片道170円で結んでいました。山陽線を通じての通勤客はもちろん、小中学生も登下校の手段として使っていました。

特徴としては、悪天候に強いことがあげられます。西日本大水害2018では被災地に向かうボランティアを輸送するなど活躍していました。また、1998年の運輸白書でも、今後の活躍が期待されていました。

しかし、利用者数が低迷し、赤字が累積する一方でした。それでも、地域の交通手段として貴重であれば、行政の補助などで存続もあり得たでしょう。しかしながら、世界で唯一ということで、部品業者にとってはマーケットが極めて小さい=商売にならない=ということで、部品業者が撤退してしまい、設備の更新が困難になったことが決定だったようです。

2024年3月からは、すでに電気バスが先行して運行しており、瀬野駅までの交通手段となるそうです。確かに、スーパーにも寄るなど、バスの方が便利です。ただ、運賃はバスの方が200円と、スカイレールより高くなっています。

 

筆者は4月28日にスカイレールに乗車しました。この日は、夜勤明けで、かなり眠かったのです。しかし、翌日29日は雨だということで、それなら、今日のうちに行ってみようと思ったのです。

ちなみに安芸区は、筆者の妻の実家もあります。広島市西区の勤務先から自転車で東区の自宅に帰宅した筆者は、妻と二人で、自宅の最寄りの広島駅から山陽線に乗り、瀬野駅へ向かいました。そして瀬野駅で降りると、接続しているスカイレールの「みどり口駅」に向かいました。

このスカイレールはICOCAなどICカードが使えません。この点が不便と感じました。一々、切符を買わないといけないのです。その切符を買うのに並んでいる人がたくさんおられました。

時刻表を見ると15分おきにしか運行していません。前の人が切符を買っているうちに発車時刻が過ぎてしまい、がっかりしてしまいました。それでも気を取り直して、改札に向かいました。切符のQRコードを機械にかざすのがスカイレールの改札方法です。改札を過ぎて階段を上がると、なんと、次から次へとゴンドラが登場していました。混雑しているときには臨時便を運行する。これがスカイレールなのです。

筆者たちがゴンドラに乗り込むと、すぐに出発しました。グーンと上に上がっていく感じがしました。たしかに、ゴンドラからの眺めは最高でした。

「みどり中央駅」で降りると、周囲は瀟洒な住宅街でした。「きれいな家が多いね」と妻も感想を述べました。

みどり中央駅の近くには電気バスの車庫もありました。ただ、駅の周りには商業施設などはなく、たしかにこの点は不便だな、と感じました。みどり中央口駅には町の地図もあり「スカイレールタウンみどり坂」と、文字通り、スカイレールがこの街の象徴だったことを強く感じました。

広島県内もご多分に漏れず、高い場所にある団地の交通手段の確保が焦眉の急となっています。バスは運転手不足。アストラムラインのような軌道系交通の駅までは距離がある。一方で、高齢化の中で、住民の皆様の車の運転が困難になってきている。八方ふさがりの状況もありました。無人運転ができていたスカイレールは、これからを担う交通システムになった可能性もあったのでしょうが、残念ながら、この路線だけだったために、部品業者が撤退してしまったのが痛かったということでしょう。

いずれにせよ、住民の移動の権利を保障するため、今後も県民的な議論を進めるとともに、国にも地方交通の維持へ向けて財源などの面でのバックアップをお願いしたいものです。
 
▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年5月号

ジャニーズよ 永遠なれ〈1〉死して尚、放たれる威光 板坂 剛

出し遅れの告発に水をさすつもりはない。むしろ拍手喝采したい気持ちである。「そんなに嫌だったら何故その時に言わなかったのか」というデヴィ夫人の逆ギレ的批判もまた大いに結構。

 
在りし日のジャニー喜多川

死して尚、賛否両論渦巻くのは天才の証明であると言えるだろう。ジャニー喜多川は天才であったと確認しておきたい。むろん天才が常に正しいとは誰も思ってはいないという前提があっての話であるが。

天才とは時代の常識を覆すことで存在の意義を誇示する人間であり、狂人と紙一重とよく評されるように危険人物である例は枚挙にいとまがない。

彼(彼女)の人生は、正常な市民生活を営むという選択とは無縁である。異常性愛お手のもの。W不倫なんてまだまだ甘い。トリプル不倫か、いっそ無差別不倫でも行けそうな気迫をむき出しにして、モラリストと対立することになる。

ジャニー喜多川の場合、従来の完全無欠なヒーローとは違った新種の《あまり強そうではない、つまり強靭な体力と精神力を見せつけない、要するに女性的、あるいは中性的な、優しさを内に秘めた》美男子像を大量に輩出することで、昭和の後半から日本の大衆にリアルな感動を提供し続けた。その功績は決して過小に評価してはならないだろう。

彼等ジャニーズ事務所出身の俳優兼歌手たちがいなかったら、日本の芸能界から生み出される映画やテレビドラマ、音楽シーンは随分と淋しいものになっていたとは思う。

むろん彼等のうちの誰一人も「桃太郎侍」を演じることは出来なかったし、演じても以前にチラ見したテレビドラマ『華麗なる一族』の木村拓哉も(はるか以前にやはりテレビドラマとして放映された同作品で、同じ役を演じた加山雄三と比べてしまうと)私の目には全くサマになっていなかった。

しかし、その割に原作者の山崎豊子はベタ褒めだったし、女性ファンには好評だったと聞く。そこには性別と世代の違いから生じる美意識の混乱という他はない現象が表れている。ひと口に言えばアイドルの多様化。

いつの時代にも色々なタイプのアイドルがいてそれぞれの好みにあったファンが、彼(彼女)を追いかけてはいた。ただ多様化と言って悪いならバラエティーに富だ大量のアイドル群を増産し続けたのがジャニーズ事務所であることは認めなければならない。

ある時、電車の中で2人の女性が語り合っていたのを思い出す。20代の後半と思われる女性が、熱っぽく語っていた。

「私の青春は嵐だったわ」

嵐の何たるかを知らなかった私は、彼女の青春は嵐のように荒れ狂い、乱れまくっていたのだろうかと想像したのだが、実は違っていた。

彼女の話相手であった年配の女性が次のように語ったのだ。

「そうねえ。私の青春は田原俊彦だったわね」

突出したアイドルがファンの青春に忘れられぬ感情的な発作の痕跡を残すのはよくある話だが、何世代にも渡って青春の通過儀礼を司るアイドルが同じ出所から生み出されたという実績を「伝統芸能」と称されるべきだと考えるのは私だけではないだろう。前時代から伝統芸能の大先輩として国家にまで認知されている歌舞伎もまた男色文化の典型であり、長らく歌舞伎座の2階の客席は「ハッテン場」と称されるゲイの交流場所として知られていた。

今回のジャニー喜多川による「性加害」問題等、歌舞伎の世界では日常茶飯事だったであろうと想像がつく。(つづく)

本稿は『季節』2023年秋号掲載(2023年9月11日発売号)掲載の同名記事を本通信用に再編集した全3回の連載記事です。

▼板坂 剛(いたさか・ごう)
作家、舞踊家。1948年福岡県生まれ、山口県育ち。日本大学芸術学部在学中に全共闘運動に参画。鹿砦社より『三島由紀夫と1970年』(2010年、鈴木邦男との共著)、『三島由紀夫と全共闘の時代』(2013年)、『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(2017年)、『思い出そう! 1968年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』(紙の爆弾2018年12月号増刊)等多数。

鹿砦社編集部編『ジャニーズ帝国 60年の興亡』A5判 320ページ 定価1980円(税込み)

【主な内容】
Ⅰ 苦境に立たされるジャニーズ
  2023年はジャニーズ帝国崩壊の歴史的一年となった!
  文春以前(1990年代後半)の鹿砦社のジャニーズ告発出版
  文春vsジャニーズ裁判の記録(当時の記事復刻)
 [資料 国会議事録]国会で論議されたジャニーズの児童虐待

Ⅱ ジャニーズ60年史 その誕生、栄華、そして……
1 ジャニーズ・フォーリーブス時代 1958-1978
2 たのきん・少年隊・光GENJI時代 1979-1992
3 SMAP時代前期 1993-2003
4 SMAP時代後期 2004-2008
5 嵐・SMAPツートップ時代 2009-2014
6 世代交代、そしてジュリー時代へ 2015-2019
7 揺らぎ始めたジャニーズ 2020-2023

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315290/

長崎・大村紀行 キリシタン弾圧・原爆の惨禍 そして原発への複雑な思い〈3〉大村藩の謎は板坂家の謎 板坂 剛

◆大村藩の謎は板坂家の謎

そろそろ本題に入る。前述したとおり江戸時代の初期から大村藩の御典医であった板坂家初代の板坂卜庵という人物、いったい何者だったのか。言語学者だった叔父の板坂元が調査したところ、何と「徳川家康から当時は超高級品だった朝鮮人参を直々に拝受、その時着ていた上下(かみしも)の肩衣を脱ぎ、包んで持ち帰った」という嘘か本当か判らないような話が残っていたそうである。

要するに徳川家康に仕えていたのだがすぐに大村藩に出向したわけで、叔父は「多分、監視役も兼ねていたんだろう」と推測していた。それってほとんど忍者のような存在だったってこと?と私は勘繰ってしまった。

大村喜前の棄教と禁教は全国に先駆けて実行されたが、先代の大村純忠が日本初のキリシタン大名として知られていた史実と照らし合わせると、キリスト教への対応は真逆だが、親子とも変わり身の早さが目に付くのが何となくいかがわしい。

「喜前の突然の棄教の理由として、キリスト教が幕府により厳しく取り締まられることを、喜前は見越していたと考えられます。いち早い禁教政策のおかげで全国禁教令を問題なく乗り切りましたが、多くの潜伏キリシタンを生み出すことになり、後に「郡崩(こおりくず)れ」という潜伏キリシタンが大量発覚する重大事件がおこる要因を作りました」(大村市立資料館特別展『解大藩書─大村藩を解く』)

こういう状況だったのなら、幕府側が禁教政策を実施されているか、いつまた藩主の気が変わってキリスト教を容認することになるのではないか。そもそも大村喜前の棄教は偽装では……といった疑念にかられるのは当然だろう。監視役が必要だったという説にも頷ける。

それにしても私の先祖が、その昔、江戸から長崎大村の地まで派遣された『公儀隠密渡り鳥』であったとは、嗚呼……。

◆その日、歴史館にて

長い間、故意に興味の対象から外していた家系という縦軸の共同体が、いきなり私を呼び寄せているような気がして、行ってみた。

コロナ禍まだ治らぬ折り、国論を2分した「ぼったくられ5輪」に対する憤懣も、原発事故や放射能に関する問題は封印されたかのような世相への反発も胸に秘めたまま、遠隔地への移動は現実からの逃避かとも思えたが、現実を解明する鍵は過去にある、現在は過去の結末であるという自説に基づいての旅路だった。

先祖が大村藩でどんな役割を果たしのか、そんなことは調べても判るはずはない。ただ先祖がどこに住んでいたのか、そこはどんな場所だったのかが判ればいい。そこからきっと伝わって来るものがある……と霊感豊かな私は予測していたのだった。

写真提供=小滝勝
写真提供=小滝勝

そしてその通りになった。

市の中心地にあった大村市立史料館に足を踏み入れてから、数分後に私はその場所に行き着いたのだ。その場所、と言っても、史料館内の最も目立つ展示室に設置されていた城下町の立体的な復元図面内の話だが、百を超える武家屋敷の中に板坂俊道という名前が記された札が置かれていた。

この人は江戸時代の最後を飾った14代目、祖父の先代板坂立栄の父親にあたる板坂家の13代目である。この図面は江戸時代末期の状態を復元したものだものなのだろう。

しかし、江戸時代の末期と言えば、大村藩は長州藩と同盟を結び、倒幕運動に加担している。秋田の角舘にまで出兵して徳川の残党を討伐する戦いにまで決起している。

大村藩を監視するために徳川幕府から派遣された初代の子孫たちは、幕末にはどのようにふるまったのか、気になるところであるが、立体図面をじっと眺めていると何となく判ってしまうことがある。

板坂の邸の前には広い河川敷があり、河川敷はそのまま砂浜に連なっている。江戸時代の板坂家の人々は屋敷を出て河に沿った道を海辺まで歩き、左折して海を眺めながら登城したのだろう。

250年を経て、大村の地が故郷となった人々には初代の思惑はもはや風化していたに違いない。

ただこの立体図面を見て、あらためて感じるのは復元されているのは城と家臣の武家屋敷のみで、農家はもちろん町民の家も全くないことだった。そこには当時の農民や町民、つまり一般民衆にとって、城はあまりにも遠い異次元の世界であり、民意は決して支配者には届かないという過去の「現実」が示されていた。

長崎の原爆による惨禍も、隣県の原発に対する反感もそこからは感じられない。当たり前だ。しかし人間には支配する者と支配される者の2種類がある。その結果が原爆や原発であり、あらゆる争いごとが利権の奪い合いに過ぎないことが感じられると、今はただ沈黙するしかないのだろうか。(おわり)

本稿は『季節』2022年春号掲載(2022年3月11日発売号)掲載の同名記事を本通信用に再編集した全3回の連載記事です。

◎板坂 剛 長崎・大村紀行 キリシタン弾圧・原爆の惨禍 そして原発への複雑な思い[全3回]
〈1〉家系という負の遺産を背負って
〈2〉暗い過去を秘めた大村藩
〈3〉大村藩の謎は板坂家の謎

▼板坂 剛(いたさか・ごう)さん(作家/舞踊家)
1948年、福岡県生まれ、山口県育ち。日本大学芸術学部在学中に全共闘運動に参画。現在はフラメンコ舞踊家、作家、三島由紀夫研究家。鹿砦社より『三島由紀夫と1970年』(2010年、鈴木邦男との共著)、『三島由紀夫と全共闘の時代』(2013年)、『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(2017年)、『思い出そう! 1968年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』(紙の爆弾2018年12月号増刊)等多数。

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年春号 能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

長崎・大村紀行 キリシタン弾圧・原爆の惨禍 そして原発への複雑な思い〈2〉暗い過去を秘めた大村藩 板坂 剛

◆滅びゆく家系の末端で

長崎の板坂家の跡を継いだ男性が軍医となって戦地で死亡した後、未亡人となった女性は大村に住み続けたようだが、何故か板坂の名を棄てて旧姓に戻ったため、長崎の板坂家は消滅した。

軍医の死は戦死としては扱われないのだろうか。彼が靖国神社に祀られているという話は聞かない。

父が江戸時代から続いた医師の家系に終止符を打って家を出たのは、南京での受難の思い出と共に軍医になった従兄への複雑な思いがあったのではないかと想像がつく。

「とにかく自分は子供の頃から、軍隊やら戦争やらにアレルギー反応があったんや」

とある時、父は私に言った。そう言った時の淋しそうな横顔が忘れられない。

『大村藩の医療史』によれば初代の板坂卜庵(ぼくあん)という人物以降、14代目になる祖父の先代板坂立栄なる御方まで、江戸時代から続いた大村藩の御殿医(大名お抱えの医者)に連なる家系が、私を守って断絶することが100%確実になった今、父が抱いた感慨が脳裏に伝わってくる。

父は自由人だった。

「医者にはならない」と祖父に告げた時、父は祖父の手でボコボコにされて気絶してしまったそうだが、もし父が親の意向に従って医者になるような人だったら、ボコボコにされる役目は私が演じなければならなかったかも。

家系を背負う重圧に対する鬱陶しさは、自分がその家系にふさわしくないという先入観を抱いていた私のようなコンプレックス・マニアには、幼少の頃からすでにやりきれない精神的苦痛となってつきまとっていた。

幸い家からの離反、家族との決別がトレンディーであった時代が青春期であったので、何の苦もなく家系等意識の外に追いやることは出来たのだが……。

もちろん私が家系から遠ざかった理由は他にもある。もしかしたらこちらの方が重かったような気もする。その理由は大村藩である。

◆暗い過去を秘めた大村藩

今でこそ長崎は遠い昔の「異国情緒」を残したレトロな地方都市として粋な観光地の雰囲気も漂わせてはいるが、元々は大村家の領内にあった場末の漁村にすぎなかったという。長崎を貿易港として開港したのは、後に日本で初めてのキリシタン大名と呼ばれた大村純忠という人物だが、本当に彼がキリスト教にかぶれたのか、南蛮貿易を独占したいための方策だったのか判然とはしない。

なにしろ当時のキリスト教は貿易とセットで世界を支配しようとする布教活動を行っていたと思える節(ふし)が多々ある。はっきり言って「八紘一宇」(世界を一つの家とすること。太平洋戦争期、わが国の海外進出を正当化するために用いた標語=『広辞苑』)や「一帯一路」(中国共産党による新たな「覇権主義」)と似たようなものだろう。最近では織田信長はイエズス会に殺されたという説まで出現して、歴史(過去)は進化するものだと痛感する。

今風に言えば陰謀論だが、ことの真相はともかく大村純忠の所業は、結果だけ見れば滅茶苦茶だった。自分自身がキリスト教徒になるだけでなく、家臣はもちろん領民全部にキリスト教徒となることを強制し、仏教徒であった父純前の位牌を焼却、領内の神社や寺院を次々に破壊したという。主としてポルトガルから来日した宣教師たちが純忠にしつこく進言した結果であることも確認されている。

驚くべき事実は、にわかクリスチャンであるはずの信者の手で、虐殺された僧侶もいるという……この時代のクリスチャンはテロリストと化したのだった。

即ち急激な時代の変化に過剰な反応を示す軽薄な人々による同調圧力は、決して今に始まったことではなくむしろこの国の伝統芸能と考えるべきなのかもしれない。
大村純忠のキリスト教への転向が、利権目当てであったという疑惑は今さら解明する術もない昔話だが、純忠の死後豊臣秀吉のバテレン追放令、徳川幕府の禁教令に順応した純忠の息子喜前はあっさり棄教、キリスト教に対する禁教令を発布することになる。

ここで息を吹き返した神社・お寺さん諸氏が今度はキリスト教徒を迫害するようになる。

キリシタンの長い受難の歴史が始まる。アホかと言いたくなるような変節だが、大村喜前の主体性のない生き様は、秀吉の九州侵攻に手を貸してその覇権先となり、バテレン追放令にもすんなりと同調し、更に元締めが徳川に移行すると、幕府が禁教令を発するのを察知していち早く大村藩全体にキリスト教を禁じる処置を取るというあざとさに示されるように、徹頭徹尾自己保身が優先課題になっている。

そのために住民同士が殺し合い、建造物を破壊するような混乱状態が生じても意に介さない政治姿勢には頭が下がる。しかし今の日本の現状に比べて、あながちひどい時代だったとも言い切れないのはどうしたものか。

すべての問題を選挙でどれだけ票を集められるかを基準に判断する政治家たちの自分の地位を守ることしか考えていないように見える姿は、まるで大村喜前そのものではないか。

もちろんそんな政治家に追従する大衆が悪いのだといえばそれまでの話ではあるが、安倍政権すら倒せなかったわれわれ日本の老害世代に、大村藩の殿様や領民を笑う資格はないということである。(つづく)

本稿は『季節』2022年春号掲載(2022年3月11日発売号)掲載の同名記事を本通信用に再編集した全3回の連載記事です。

◎板坂 剛 長崎・大村紀行 キリシタン弾圧・原爆の惨禍 そして原発への複雑な思い[全3回]
〈1〉家系という負の遺産を背負って
〈2〉暗い過去を秘めた大村藩

▼板坂 剛(いたさか・ごう)さん(作家/舞踊家)
1948年、福岡県生まれ、山口県育ち。日本大学芸術学部在学中に全共闘運動に参画。現在はフラメンコ舞踊家、作家、三島由紀夫研究家。鹿砦社より『三島由紀夫と1970年』(2010年、鈴木邦男との共著)、『三島由紀夫と全共闘の時代』(2013年)、『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(2017年)、『思い出そう! 1968年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』(紙の爆弾2018年12月号増刊)等多数。

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長崎・大村紀行 キリシタン弾圧・原爆の惨禍 そして原発への複雑な思い〈1〉家系という負の遺産を背負って 板坂 剛

◆家系という負の遺産を背負って

1980年代の中頃まで、私の本籍地は長崎県の大村市だったが、実は敗戦後の大村にはすでに「板坂」を名乗る人は住んでいなかったという。

私の祖父は熊本医科大学を卒業して医師となり、何故か満州に渡って開業医として大成功したそうで、そこには骨肉の相続争いがあったらしいが、その種の史実には全く興味がないので割愛する。

更に満州から南京に転出した祖父は、南京でもまた奇跡的な成功に恵まれて大邸宅に住んでいたという話である。しかしその話に、疑問を感じないではいられない。

満州の撫順にあった祖父の病院に、戦場で重傷を負った陸軍の軍人がかつぎ込まれた時の逸話が、戦後出版された当該元軍人の回想録に記されていた。

「板坂光君(私の父である)という少年が庭先で遊ぶ声で目を醒ました」

腕か脚を切断するほどの手術の後、麻酔から覚めた時のことを書き記した文章だったと記憶する。この部分だけ読めば単にノスタルジーをかきたてられるエピソードだが、この当時の満州では日本人の医者は中国人の患者を診察しなかったという秘話など耳にすると、さもありなんと思えてしまうのが悲しい。

さて問題はこの時「板坂光君(私の父である)という少年」が何歳だったのかということなのだが、陸軍の軍人が負傷して祖父の病院にかつぎ込まれたのは満州事変の発端となった柳条湖事件(1931年)以降のことであろう。父は十代半ばだったと思われる。

父の出生地が撫順であり、1918年の生まれであることを考えれば、祖父が満州に渡ったのは、満州事変より十数年も前だったことになる。その後、満州から南京に移転したのがいつだったのかは判らないが、交通の便も悪く、社会情勢も安定していない南京市内にわざわざ移り住み、しかも広大な邸宅に居を構えることが出来たのは何故なのだろうか。

そして当然と言えば当然の結果ではあるが、1937年の上海事変の際、中国全土で盛り上がった抗日気運に乗って、祖父の邸宅は蒋介石の軍隊に襲われ、家族はすべてを失って無一文で帰国しなければならなくなった。

その間の経緯については、祖父も父も私には何も話してはくれなかった。思い出したくもないということなのだろうか。2人の死後、叔母にあたる女性から「子供たちまで庭に引きずり出され、銃を突きつけられた時には殺されると思った」と当時を回想する話を聞かされた。相当に緊迫した状況だったようだ。

しかしここでも私には疑問に思えることがある。関東軍が満州で事を起す十数年前、まだ満蒙への開拓移民団さえ組織されていない時代に本土を離れて満州に赴き、開業医として成功していた。にも拘らず、満州国がようやく成立し日本の植民地国家となるのかと思えた頃、逆に日本人にとっては未知の領域に等しい南京をハイリスクな旅の目的地に選んだ理由が判らない。

まるで日本軍の侵略コースを先取りしたかのような道程が何を意味するのか……まさか軍の要請に従ったとは思いたくないが、在留邦人が危険な目に遭っていることを口実に軍が出動するのは侵略者の常套手段である。

祖父の一家が南京から追放された数日後、その報復であるかのように南京は日本軍機による無差別爆撃を受け、4か月後には日本軍は南京を占領した。そして南京大虐殺が始まる。

祖父一家は侵略の口実を作るための囮だったのかとも思える。当時の南京で祖父と同じ目にあった日本人は大勢いたはずだが、彼等に対する迫害が日中戦争を正当化する理由のひとつになったことは確かだろう。(つづく)

本稿は『季節』2022年春号掲載(2022年3月11日発売号)掲載の同名記事を本通信用に再編集した全3回の連載記事です。

◎板坂 剛 長崎・大村紀行 キリシタン弾圧・原爆の惨禍 そして原発への複雑な思い[全3回]
〈1〉家系という負の遺産を背負って
〈2〉暗い過去を秘めた大村藩

▼板坂 剛(いたさか・ごう)さん(作家/舞踊家)
1948年、福岡県生まれ、山口県育ち。日本大学芸術学部在学中に全共闘運動に参画。現在はフラメンコ舞踊家、作家、三島由紀夫研究家。鹿砦社より『三島由紀夫と1970年』(2010年、鈴木邦男との共著)、『三島由紀夫と全共闘の時代』(2013年)、『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(2017年)、『思い出そう! 1968年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』(紙の爆弾2018年12月号増刊)等多数。

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年春号 能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

横浜副流煙事件「反訴」、1年の中断を経て被告の本人尋問へ 黒薮哲哉

横浜副流煙事件の「反訴」で、被告A妻(3人の被告のひとり)の本人尋問が行なわれる公算が強くなった。しかし、A家の山田弁護士は、A妻の体調不良を理由として出廷できない旨を主張している。最終的に尋問が実現するかどうかは不透明で、3月11日に原告と被告の間で裁判の進行協議が行われる。

副流煙の発生源と決めつけられた音楽室と、「被害者」宅の距離を示す現場写真

裁判では、作田医師が被告3人のために作成した診断書が争点になっている。これら3通の診断書は患者が自己申告した病状に重きを置いて、化学物質過敏症、あるいは「受動喫煙症」の病名が付された。それを根拠として、約4500万円を請求する前訴が提起されたのである。従って診断書が間違っていれば、提訴の根拠もなかったことになる。

つまり診断書の作成プロセスが問題になっているのだ。言葉を返ると、患者の希望に応じて作成した診断書に効力はあるかという問題である。

この「反訴」の発端は、2017年の秋にさかのぼる。

横浜市青葉区のすすき野団地に住むミュージシャン藤井将登さんは、自室で煙草を吸っていたところ、副流煙が原因で、化学物質過敏所に罹患したとして、上階の斜め上に住むAさん一家(A夫、A妻、A娘)から、約4500万円の損害賠償請求を受けた。しかし、将登さんが喫煙していた部屋は、防音構造が施されている音楽室で、煙は外部にもれない。しかも、喫煙量は1日に2、3本程度だった。さらに将登さんは留守がちだった。A家が主張する副流煙の発生源に十分な根拠がなかった。

それにもかかわらず原告(「反訴裁判の被告」)は、将登さんの煙草が原因で、化学物質過敏症になったと主張し、高額な金銭を請求したのだ。

裁判所はA家の訴えを棄却した。控訴審でも、A家の訴えは一切認められなかった。

将登さんは勝訴の確定を受けて、2022年3月にA家が起こした裁判はスラップに該当するとして、損害賠償裁判を起こした。これが現在進行している「反訴」である。この裁判の原告には、将登さんの他に、妻の敦子さんも加わった。さらに3人の診断書を交付した作田医師については、被告に加えた。

裁判は順調に進み、証人調べの人選の段階に入った。藤井さん側は、A夫の尋問を求めたが、A夫の山田弁護士は体調不良を理由に出廷はできないと主張した。しかし、藤井敦子さんは、A夫が戸外を歩いている場面をビデオに撮影して、山田弁護士の主張が事実に基づかない旨を主張した。

しかし、平田裁判官は山田弁護士の意見を重視して、A夫の尋問は行わない決定を下した。

これに怒った将登さん側は、平田裁判官に対する忌避を申し立てた。忌避の審理には、上級裁判所での審理も含めて、約1年を要した。結局、忌避そのものは認められなかったが、平田裁判官はA夫の尋問を決めた。

山田弁護士は、やはりA夫の尋問は難しい旨を説明した。医師の診断書も提出した。そこで藤井さんの側は、代案としてA妻の尋問を求めたのである。平田裁判長は、判断に迷ったようだが、最終的にそれを認めた。

こうしてA妻の尋問が実現する公算が高くなったが、山田弁護士はA妻の体調不良を理由に、出廷できないと主張している。既に述べたように、裁判の進行協議は3月11日に行われる。

作田学医師が交付したA妻の診断書。根拠なく副流煙の発生源を特定している

※このところ一部の市民団体が化学物質過敏症の患者数を誇張して報じている。化学物質が人体に有害な影響を及ぼすことは、紛れもない科学的な事実で、規制も必要だが、実際の患者数については慎重に検討しなければならない。誇張があってはならない。横浜副流煙事件のような「冤罪」を生む可能性があるからだ。

たとえば市民団体代表の加藤やすこ氏は、「あたらしい年は香害のないきれいな空気で過ごしたい」(『週刊金曜日』2月9日)の中で、化学物質による被害の実態について次のように述べている。

香害に関する情報発信などを行うフェイスブック「香害をなくそう」は、2022年に移香で困っていることについてWEBアンケートを実施した。

回答者600人のうち、「家の中に入る人や、近隣からの移香や残留で、家の中が汚染される」は、90.9%で、「外出先の空間や人から移香して汚染される」は90.0%……

有病率を明記しているわけではないが、香による被害を殊更に強調している。数値に客観性があるのか否かを慎重に検討しなければならない。

この件については、別稿を準備している。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)
黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』(鹿砦社)