黒幕の謀略説で粉飾されなければならない、信長という英雄の死 守旧派と改革派の構図が魅せる信長英雄史観 ―― 信長待望は現代社会の写し絵である

日本史上最大の英雄織田信長は、黒幕の謀略によって殺されたのでなければならない。これが「家来に殺されたバカ殿」ではない、求められる歴史ドキュメントなのである。

 
安部龍太郎 『信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変』(2018年7月幻冬舎新書)

◆安部龍太郎の『信長はなぜ葬られたのか』

直木賞作家・安部龍太郎の『信長はなぜ葬られたのか』https://www.amazon.co.jp/dp/4344985052/(幻冬舎新書)が読まれているようだ(公称7万部)。そこでさっそく読んでみたが、小説『信長燃ゆ』のモチーフをエッセイにしたようなものだった。

史料的には特筆するようなものはない。たとえば、幕末に匹敵する尊皇運動が起こり、関白近衛前久が信長殺しをくわだて、明智光秀に白羽の矢を立てたというもの。そのいっぽうで、イエズス会は神になろうとした信長を倒すために、これまた信長包囲網を形成する。そしてポルトガルを併呑したスペインとの交渉が決裂したとき、賽は投げられた。秀吉も密偵の知らせでこれを知っていたが、あえて動こうとはしなかった。と、作家が勝手に「思う」のがこの作品のすべてだ。

イエズス会とキリシタン勢力が大きな役割りを果たし、権力中枢(信長家臣団・朝廷と貴族たち)では守旧派と改革派がせめぎあう、テーマとしては面白いことこのうえないが、じつは歴史研究ではほとんど異端の「朝廷黒幕説」「イエズス会の陰謀説」を足してみたものの、戦国時代のゴッドファーザーこと黒田官兵衛や近衛前久らの動きが有機的に構成されているわけでもなく、買うんじゃなかった感がつよく残った。いや、初めて氏の作品を読む人にはおそらく新鮮に感じられるにちがいない。何しろイベリア両国(スペイン・ポルトガル)の植民地政策(外圧)に対して、信長が採った策が妄想されるのだから。

作家の歴史エッセイは、研究書よりもわかりやすいという原理からか、ベストセラーになることが多い。秋山駿の『信長』は流麗な文章で織田信長の足跡を追い、今日も隆盛な信長ブームをつくり出した。上杉謙信をあつかった津本陽の『武神の階(きざはし)』も史料を羅列したエッセイ風の読物だが、地方紙に連載時から評判を呼んでよく読まれた。

ただし、原史料や軍記ものをほとんど無批判に取り入れている結果、すこしでも歴史研究に馴染んだ向きには読み飽きてしまうのだ。安部龍太郎の妄想力と戯れるのは悪くないけれども、朝廷黒幕説やイエズス会黒幕説など、史料的な裏付けが希薄な論がはびこるのはよろしくない。というわけで、安部作品のバックボーンになっている立花京子(故人)のイエズス会黒幕説を俎上に上げてみよう。

◆立花京子のイエズス会黒幕説は『信長と十字架――「天下布武」の真実を追う』

 
立花京子『信長と十字架―「天下布武」の真実を追う』(2004年1月集英社新書)

立花京子のイエズス会黒幕説は『信長と十字架――「天下布武」の真実を追う』https://www.amazon.co.jp/dp/4087202259/(集英社新書)1冊である。その主要な論点は、南欧勢力(イエズス会・キリシタン・ポルトガル商人・イベリア両国国王=フェリペ2世)が信長に天下布武思想を吹き込み、信長はその軍事技術的な援助のもとに天下統一を進めた。信長が神になろうとしたので、光秀に信長を討たせた。さらに謀反人の光秀を後継者にはできないので、秀吉に光秀を討たせたというものだ。

イエズス会の軍事技術的な援助とは、鉄砲の開発と硝石の輸入に関するものだという。その論拠として、キリシタン大名大友宗麟の書状、すなわちイエズス会宛の「毛利元就に硝石を輸入しないように」というものを挙げている。

だが大友や毛利にかぎらず、鉄砲で武装した大名は無数にいた。イエズス会と結んでいなければ、鉄砲の玉薬の原料である硝石が手に入らないのであれば、東の上杉氏や武田氏、北条氏などの有力大名はどうしていたのだろうか。そもそも硝石が輸入するしかなかった、という史料はない。硝石を鉱物か何か埋蔵されたものと考えるから、輸入に頼らざるを得ないことになってしまうのだ。硝石は日本のような湿度の高い家屋でふつうに採取できる、有機化合物すなわちバイオテクノロジーなのである。人間や動物の排尿にひそむバクテリアが化学変化して結晶化したものが硝石なのだ。つまり床下から採取できる、きわめて身近な物質である。国内で大量生産されるようになるまで、輸入先はもっぱら東南アジアだった。けっきょく、イエズス会に依頼したにもかかわらず、大友宗麟は毛利元成との門司城をめぐる五次にわたる攻防で敗北しているのだ(門司城失陥)。イエズス会の実力がどれほどのものか知れるといえよう。

◆イエズス会という修道会がどのような組織なのか

そもそもイエズス会という修道会がどのような組織なのか、立花京子も安部龍太郎も調べた記述・形跡がない。イエズス会はカトリックだが、プロテスタントの宗教改革運動に対抗するために若い修道士を中心に組織されたものだ。日本の戦国時代には全世界に1000人の会士がいたという。

しかし、たった1000人なのである。日本には使用人もふくめて数十人といったところであろうか。イエズス会の会士がすべて、武器商人であったり技術者であったわけではない。ポルトガル商人をともなう場合はあったかもしれないが、ルイス・フロイスの『日本史』にも『イエズス会士日本通信』にも、商人として旺盛な活動を記したものはない。むしろ南米においてはイエズス会はポルトガル商人と奴隷の売買をめぐって激しく対立している。そしてナショナリズムの台頭したイベリア両国から、イエズス会は排除されていくことになるのだ。

◆立花京子と安部龍太郎は決定的なことを見落としている

本能寺の変後のイエズス会の動向について、立花京子と安部龍太郎は決定的なことを見落としている。本能寺の変が安土城に伝わった翌日、オルガンティーノをはじめとするパードレ(司祭)とイルマン(修道士)および信者の総勢28人は、琵琶湖の沖島に退避しようとする。なぜ信長謀殺の黒幕が退避しなければならないのか、もちろんイエズス会黒幕説は説明してくれない。安土城を脱出した一行は、途中で追いはぎにあってしまう。命よりも大切な聖書を奪われ、衣服も奪われたという。沖島に着いてみると、こんどは漁民たちが湖賊の正体をあらわし、イエズス会の面々を監禁してしまった。何のために黒幕として陰謀を働いたのか、これではわけがわからない。イエズス会の面々は信長からは多大な恩恵を受けたが、光秀からは何も得られなかったのである。そもそもイエズス会は光秀を反キリスト主義として忌み嫌っていた。庇護者である信長がみずからを神にたとえたとしても、逆らうだけの力も意志もなかったはずだ。

 
山岡荘八『徳川家康』文庫 全26巻 完結セット(講談社2012年5月)

それにしても、信長を英雄視するようになったのは、ここ20年ほどのことだ。安部作品も例にもれず、信長の合理主義的な発想とその偉大さが物語の主柱である。戦後、経済成長期には立身出世のスーパースターとして、豊臣秀吉がもてはやされた。高度成長で企業が安定的な業績をおさめるようになると、経営論としての徳川家康論が大勢を占めた。おりしも、山岡荘八の大河小説『徳川家康』がサラリーマンの愛読書となった。

戦前はじつは上杉謙信と楠木正成だった。戦国武将の人気はそのまま、世評を映しているのだといえよう。いま、信長がもてはやされるのは、強いリーダーが待望されているからであろう。

お友だち政治で失政だらけの安倍晋三の人気が、不思議なまでも保たれているのは、ほかに強気のリーダーが居ないからではないか。慎重で何もしない指導者よりも、危険だが改革と豪腕の指導者が望まれる時代。それはファシズムの時代によく似ている。(このテーマ、断続的につづきます)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

大反響『紙の爆弾』9月号
横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

追悼・桂歌丸師匠──愛がなければ成り立たない円楽師匠の「歌丸殺し」に涙

円楽師匠が、最後に「じじい! 早すぎるんだよ!」と締めたのは、きっと日曜の夕刻少なくないファンの涙を誘ったことでしょう。『笑点』の大喜利に回答者、司会として半世紀出演した桂歌丸師匠が亡くなりました。


◎[参考動画]スッキリ 「歌丸さんありがとう追悼大喜利」 円楽「ジジイ!!早すぎるんだよ」言った後涙。(報道チャンネル2018/07/08に公開)

今度は本当に亡くなりました。

数カ月前に「体重37キロでいまは医者から40キロになるように言われています」と歌丸師匠の悲痛なコメントを聞いた時に「ヒェッーこれシャレにならないよ」と笑うに笑えなかったのですが、もうステージの上では何回も死んでいる(殺されている)歌丸師匠のことですから、まあ何があってもこの方はこうやって長生きするんだろうなーって安心していたら、本当に亡くなってしましました。

『笑点』が一時代の区切りを超えたということでしょうか。落語や落語家が好きな私にとって、歌丸師匠の旅立ちは、落語界や演芸への警鐘のようにも思えます。『笑点』の大喜利も正直なところ、下降線の一途じゃないでしょうか。極めつけは「親の七光り」の実力も、才能もない林家三平(2代目の起用です。残念ですが先代の三平さんと2代目は、比べ物になりません。もっといえば、三平の兄弟には誰ひとりとして初代三平さんに並ぶ力のある子供はいません。才能も適正もないんです。あの目を見てください。必死で「どうやったら笑ってもらえるか」と苦悩し、内心「自分がつまらない」ことをわかっていながら、面白くもない芸を続けている気の毒な姿を。

初代三平さんの落語は、古典落語とは全然違って、ギャグの連発でした。あれは落語ではなかったという人もいるほどです。でも落語であろうが、邪道であろうが、三平さんは観客を笑わせずにはいられない性分でした。生前からネタの研究には、人一倍熱心だったことは有名でした。でも三平さんはアドリブだけでも1時間は一人で観客を笑わせる芸(天性?)を持っていました。

あんなのは古典落語の世界から見れば、「とんでもねぇやつ」となったでしょう。軽薄にもみえたし、ときどきツボを外した時は、観客も前のめりで、笑えると思っていたら、どこがオチかわからなくなって、ずっこけそうになる時がありました。が、三平さんはすかさず、右の掌をこめかみあたりにもっていって「どうも、すみません。本当に大変なんですから。ね。おばあちゃん、体だけには気をつけてくださいよ」で乗り切ってしまうのです。

ストーリーなんかまったくなくて、ギャグの連発。三平さんは「軽薄」だったかもしれないけど東京医大の裏口入学、じゃなくて偉大でした(どーもすみません)。

 
CD-BOX『桂歌丸 名席集』(ポニーキャニオン2018年)

楽太郎時代から頭の回転や話芸にも、非凡さを発揮していた円楽師匠。円楽師匠による歌丸師匠への無礼講「殺し」芸はどれくらいあったでしょうか。愛がなければただの悪口で後味が悪い、本当の病人(歌丸師匠)に対する、辛辣な円楽師匠の「殺し」話術。あれはなかなかまねできるものではないと思います。円楽師匠ももう70歳近いそうで、数年前に得度されたのだそうです。どっちもびっくりですがテレビの前で大笑いできる時代がいよいよ終わるのかなぁとちょっと寂しくもあります。

吉本新喜劇もなんだか泥臭さがなくなったし、中途半端なお笑い芸人はピン(ひとり)で間が持たないから10人まとめてひな壇芸人になったり、何を勘違いしているのか情報番組の司会やコメンテーターになったり。岡八朗や花紀京が腹巻をして演技をしていた頃の、安心感はもうなくなってしまったようです。いまあの頃の舞台は、もう演じられない諸事情もあるのでしょうけれども。

話芸には修行や積み重ねが必要でしょうが、笑いを引き起すのは、つまるところ人格なんじゃないかと思います。亡き横山やすし師匠は台本なくても、いつでも予想外に笑わせてくれました。泥酔して久米宏の番組にでたり、本当に競艇で船に乗ったり、選挙に出て予定通りに落選したり……。相方の西川きよし師匠が上品な人生をおくるのとは対極に、わずか50歳過ぎで亡くなりました。

あっ、話がそれましたね。『笑点』でしたね。歌丸師匠唯一にして最大の失敗は、司会の後継に昇太師匠を指名したことかもしれません。これまた残念ですが、昇太師匠には「話芸」の才はあるかもしれないけれども、大喜利のような生の空間で「笑い」を下支えしり、自分がネタにされたりする機転はありません。絶妙の一言や、「間(ま)」は修行や勉強をして身につくものではないんじゃないかと思います。

最初の頃みんな勘違いして笑っていましたが北野武なんかも、実は生理的に笑いが取れる人間じゃないんじゃないかと思います。なんだか偉そうに人生論を語ったり、映画を撮ったりしてるけど、それって笑いが取れないからってことじゃないですか? なんて言ったらまた怒られそうですね。予想を超えるツボに来る笑いや、ちょっと危険な笑いにときどき腹を抱えて笑っていたのは、もうだいぶ昔の話なんですね。

いけねぇ。しんみりしちゃった。最後に。

「梅雨明け宣言」とかけて、占い師と解く、

その心は?

「当たったためしがありません」

おあとがよろしいようで。


◎[参考動画]永久保存版『落語家:桂歌丸の名人芸』(Honey Bee チャンネル2018/07/07公開)

▼伊藤太郎(いとう・たろう)

月刊『紙の爆弾』8月号!

電動アシスト自転車に不可欠な安全対策 ── 自転車文化の成熟を求めて

中高生のころにサイクリングにハマり、50歳を前後する時期に復活したわたしは、出もどりローディー(ロードバイク乗り)だ。わたしを自転車に復帰させた昨今のロードバイクブームは、健康志向とともにメカの向上が大きな要因であろう。ダウンチューブ(三角フレームの下辺)に手を伸ばさずに、ハンドルの手元で変換できるデュアルコントロールレバーの普及、フレーム自体の進化(カーボン化・アルミフレームの弾力化など)、変速のオートマ化も進んでいる。1分の1スケールの模型工作と言われる、カスタマイズの楽しみもスポーツ自転車ブームをささえているのかもしれない。ようするに、メカの進化である。


◎[参考動画]のん、「進化を遂げました」電動アシスト自転車「BESV」新モデル発売記念イベント(oricon 2018/03/12公開)

 

◆電動アシスト自転車の普及

メカの進化といえば、電動アシスト自転車の進化も目ざましい。この春には、通学用として前後輪駆動のモデルも登場した(写真)。後輪がモーターで駆動して、初速を得ることで前輪も電動モーターで動く連動性の構造だという。これなら悪路も簡単に乗り切ることができる。

だが、問題は乗り手の側にある。免許の要る原動機付き自転車(ミニバイク)に代わって、電動アシスト自転車が急速に普及することで、事故も多発しているのだ。原付(ミニバイク)で歩道を走る人はいないと思う(道交法違反です)が、電動アシスト自転車でなら、平気で歩道をぶっ飛ばす――いや、疾走してしまうのではないだろうか。電動アシスト自転車は車重が25~30キログラムである。ちなみにロードバイクは10キログラム以下、ママチャリは15~20キログラムほどだ。

◆死亡事故の発生

車重25キログラムの物体が、50キログラム前後の人間を乗せて疾走してくる。しかも片手にスマホ、もう片方の手にはペットボトルという、およそブレ―キングができない状態の自転車が死亡事故を起こした(川崎市麻生区)。今年の2月のことである。事故を起こした女子大生は書類送検(重過失致死容疑)され、被害者女性(77歳)は亡くなった。電動アシスト自転車のキャリパーブレーキは、それなりに効く構造になっているものの、ブレーキに指がかからないのではどうにもならない。

一般的な車種で時速25キロメートルまで、電動アシストが効くことになっている。時速25キロというと、クルマなら緩慢な走りに感じられるが、自転車の場合はかなりの速度だ。プロ(実業団上位)のロードレースで、巡航速度は男性が時速40キロ、女性でも30キロ台の後半である。荒れたアスファルトなら、30キロを超えたころにフレームがたわむほどの振動が発生する。35キロを超えると、わずかな段差でも強い衝撃をうける。時速20キロならば、1秒間に5.556メートル進む速度だ。1メートル動くのにおおむね1秒かかる人の歩行(時速4キロ)に対して、5.5倍のスピードである。時速30キロで安全走行している車列の横を、時速165キロのスポーツカーが爆走する。よくわかりにくいかもしれないが、そんな感じの速度差なのである。事故が起きないほうがおかしい。

 

◆もとめられる講習と保険

じつは、わたしのように自転車に乗っている人間にとって、いちばん怖いのは主婦のママチャリや高校生の通学自転車である。クルマや原付のドライバーとはちがい、彼女たち・彼らは交通ルールをほとんど知らないからだ。そしてじつに気軽に話をしながら、あるいはゲームをしながら走ることが、すくなくとも可能だからなのだ。

電動アシスト自転車の事故が増えるのをうけて、自転車保険への加入を義務付ける自治体も増えている。保険も必要だが、講習会の実施をお願いしたいものだ。自転車はやむをえない場合をのぞいて、車道の左側通行が原則であること。歩道から車道に出るさいの後方確認、一時停止の履行、などなど。これ以上、楽しいはずの自転車が凶器にならないよう、行政当局の対応をお願いしたいものだ。

▼横山茂彦(よこやましげひこ)

著述業・雑誌編集者。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

RADWIMPSよ 「HINOMARU」を歌いまくれ!

〈風にたなびくあの旗に 古よりはためく旗に
意味もなく懐かしくなり こみ上げるこの気持ちはなに

胸に手をあて見上げれば 高鳴る血潮、誇り高く
この身体に流れゆくは 気高きこの御国の御霊

さぁいざゆかん 日出づる国の 御名の下に

どれだけ強き風吹けど 遥か高き波がくれど
僕らの燃ゆる御霊は 挫けなどしない

胸に優しき母の声 背中に強き父の教え
受け継がれし歴史を手に 恐れるものがあるだろうか

ひと時とて忘れやしない 帰るべきあなたのことを
たとえこの身が滅ぶとて 幾々千代に さぁ咲き誇れ

さぁいざゆかん 守るべきものが 今はある

どれだけ強き風吹けど 遥か高き波がくれど
僕らの沸る決意は 揺らぎなどしない

どれだけ強き風吹けど 遥か高き波がくれど

僕らの燃ゆる御霊は 挫けなどしない

僕らの沸る決意は 揺らぎなどしない〉

 
RADWIMPS『カタルシスト』

別段驚きもしない。むしろ「やっぱりそうだったか」という程度。くしゃみが出る前、鼻のなかで痒いような、くすぐったいような不快さに似たような感覚とでも言おうか。

読者諸氏はご存じであろうけども、上に紹介した私からすれば「頭が修正不能にどうかした」人間の錯乱。“時代錯誤”な言葉の羅列ではあるが、同時に“時代の先端感覚”であることもまた確かである心情の吐露は、RADWIMPSが、「HINOMARU」とズバリの名を冠して作詞、作曲したものだ。正確には同グループの野田洋次郎の手になる楽曲である。

私はもうかなり前だが、若い友人がRADWIMPSのファンで、熱くその素晴らしさを語ってくれたうえで、何曲かを聞かせてもらったことがあった。「あ、また、この手の奴らか……」と内心はちょっと不快ではあったけれども、若い友人には悪いので「ふんふん」と聞いていた。ただ「野田君は帰国子女で慶応にもいってすごいんだよ」と持ち上げるので「『帰国子女』と今は言わないよ。『帰国学生』ね。それから『帰国学生』みんなが優れているというのは、誤解だよ」とだけ話した記憶がある。

若者から広い支持を受けているRADWIMPS。彼らの楽曲数曲を聞いただけ、どうして直感的に私は気持ち悪かったのであろうか。あえて同類の経験を挙げれば、その昔X-JAPANというバンドに同じような気持ち悪さを感じたことがあったことを思い出す。

かといって私はRADWIMPSもX-JAPANも楽曲をろくに聞いたことがない。というより聞きたくない。優れた音楽性を持っているのであろうが、彼ら(RADWIMPSとX-JAPANは音楽に詳しい人には全然異なるグループであるのだろうけども)の楽曲からは、「ベールに隠された国家のようなもの」を直感してしまうのだ。そしてそれはRADWIMPSを熱心に聞く若者たちへの私の不安にも共通しているように思う。

映画「君の名は」が少し前に大ヒットした。観に行こうかな、と思った。知人にストーリーを聞き「音楽がハイテンポのRADWIMPSで良かった」と聞いて観る気がなくなった。実はそれくらいに私はRADWIMPSを無意識に嫌悪していた。X-JAPANも同様だった。当時仲の良かった私より年上の韓国からの留学生が「X-JAPANは凄いわ。いっぺん聴いてみ」と言ってくれたので、貸してもらったCDを車の中で聴こうとしたが、10分持たなかった(その後X-JAPANのYOSHIKIが「平成天皇在位10年の祝賀行事」に招かれる)。何かが気持ち悪いのだ。

そんな中6月26日、RADWIMPSのコンサートが神戸で行われるので「HINOMARU」を気に入らない人たちが抗議行動を行おうとしたら、1名が不当逮捕されたとのニュースに接した。

私は相矛盾するようであるが、「あんな連中」(RADWIMPS及びそのファン)に抗議をしてもまったく無駄だと考える。何故ならば、野田は「HINOMARU」にかんして「……日本に生まれた人間として、いつかちゃんと歌にしたいと思っていました。世界の中で、日本は自分達の国のことを声を大にして歌ったりすることが少ない国に感じます」と述べ、「まっすぐに皆さんに届きますように」と書き込んでいた「確信犯」だからだ。

野田は私の敵であり、そのファンも敵だ。さらに言えばそれが広く受け入れられる時代そのものが、私や私と同様に考える人たちを「殺しに」かかっていると体感する。「HINOMARU」の歌詞が明らかになった時、私はかつて私にRADWIMPSを教えてくれた若い友人に「私はあなたたちからこのように『殺されかけています』」とメールを送った。返信はない。

「表現の自由」だの、「国を愛して何が悪い」、「批判するのが間違っている」とRADWIMPSには「正しい」擁護論が多いそうだ。結構。私はその「正しさ」自体が気持ち悪く、「正しさ」に完全包囲されてしまったと感じる。早い話がもう手遅れなのだ。RADWIMPSよ! 堂々と「HINOMARU」を歌いまくれ! 時あたかもサッカーワールドカップで日本代表が16強に勝ち残り、無残に敗退したけれども、渋谷にはパブリックビューに若者が詰めかけ、試合の何時間も前から「君が代」を歌って盛り上がっていた。「愛国心」が大いに燃え盛っている最中だ。

ワールドカップが終わっても、NHKで毎日「HINOMARU」を何回も流せ!だって「正しい」んだから。震災後にひとびとを騙した「花は咲く」のように。一刻も早く日本が改憲できるように! 自衛隊が「日本軍」になれるように! 再び朝鮮半島や中国、アジアに侵略できるように! そして侵略したアジア各国に、現地の人の気持ちを踏みつぶして再び「日の丸」をはためかせる日が来るように!

RADWIMPSもファンもそう望んでいるのだろう? ちがうのか?

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』8月号!
大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

開港から40年の三里塚(成田)空港〈13〉獄中で感じた「78年革命」

◆78年はニューミュージックとディスコサウンドの時代だった

わたしの未決拘留の一年間は、ラジオを通じて音楽に親しんだ一年でもあった。音楽通になるのは、拘置者の特権というべきか宿命というべきか。クルマを使って出版社で集配業務をやっていた時期もラジオは身近な存在だったが、90年代の音楽はそれほど印象に残っていない。千葉拘置所ですごした1978年を、わたしはひそかに78年革命と呼びたいと思ってきた。68年革命という世界史的な革命とはややちがう、しかし明らかに68年革命を否定する文化とミュージックシーンがそこにあったと思うからだ。まず、ニューミュージックの勃興による、四畳半フォークという60年代後期の若者文化の否定があった。まったく別のベクトルからは、ディスコミュージックが日本に到来していた。これら音楽シーンから歴史の思想的回路を取り出してみよう。


◎[参考動画]Bee Gees Stayin Alive (Extended Remaster)

映画「サタデーナイトフィーバー」を起点にしたディスコブーム。最近復活したABBAが多数の楽曲を仕掛け、ディスコの女王ドナ・サマーが次々に新曲を発表。60年代に日本人のアイドルだったシルビィ・バルタンも「ディスコクィーン」という曲をリリースしている。荒井由実・中島みゆき・ハイファイセット・サーカス(この年デビュー)を中心にしたニューミュージックには、渡辺真知子(カモメが翔んだ日)、庄野真代(飛んでイスタンブール)ら、本来なら歌謡系であるべき新人歌手が参入した。このニューミュージックは、60年代のフォーク文化を継承しながら否定する、アメリカ西海岸ミュージックとフォークのクロスオーバーなどと言われたものだ。

ロックではイーグルス(ホテルカリフォルニア)、ソウル系のスタイリスティックス(愛がすべて)が際立っていたと思う。「ホテルカリフォルニア」は言うまでもなく、アメリカという国家の疲弊と思想的な限界をバラードにしたものだ。ベトナム戦争に傷ついたアメリカは、ホテルカリフォルニアというホスピスに癒されているのだ。ここには68年いらい、スピリット(革命的な精神)は置いていないと、その叙情的なフレーズが語る。日本では矢沢永吉であろう。「時間よ止まれ」がミリオンセラーのヒットで、この年にハンク・アーロンの世界記録を塗り替えた王貞治に次いで「ヒーローと呼べる男」になった。最近亡くなった西城秀樹も、YMCAをはじめとするゲイミュージックを別のかたちで伝えて、一世を風靡したものだ。そういえば、ふつうの女の子にもどりたいキャンディーズが後楽園球場で4万人を集め、ピンクレディはラスベガスに進出した。かぐや姫(みなみこうせつら)の復活はあったものの、総じて60年代フォークが引導を渡されたのが78年だったと、わたしは思う。

◆78年革命から80年代ポストモダニズムへ

68年を否定した時代を、かりに文化における革命と措定してみる。78年革命があったとしたら、68年(70年)革命の遺産を払しょくし、若者たちはひたすら新しい時代を求めていたというテーマの設定はどうだろう。新しい時代が峻拒したかったものとはおそらく、68年革命と内ゲバに象徴される敗北の歴史であるはずだ。

不遜を承知で言おう。小熊英二が『1968』で2011年の3.11以降、社会運動は組織参加から個人参加の時代に変ったという、恣意的で皮相な見識とはちがって、68年いらい組織から個へと参加方法を移行させてきたにもかかわらず、運動を閉塞させてきたものからの自由。つまりマルクス主義やレーニン主義などの枠組みからの脱出を、70年代後半のわたしたちは希求していた。別の言いかたをすれば、運動と組織におけるポストモダン(近代合理主義批判)が始まっていたのだと、強引に理屈づけてしまおう。そうでなければ、80年代初頭からのニューアカデミズムとポストモダニズムの台頭が、どうにも説明できないのである。

ポストモダンという言葉が、大きな物語の終焉として語られるようになったのは、ジャン・リオタールの『ポストモダンの条件』が最初であろう。それより前には、建築家(チャールズ・ジェンクス)から発せられた『ポストモダニズムの建築用語』(77年)があり、世間一般にはポストモダンは建築様式として、磯崎新の建築作品群などで知られてきた。脱構築(デコンストラクション)という言葉が用いられたが、これは解体的止揚と訳したほうが適切であろう。その意味では、78年のニューミュージックは68年革命の成果であるフォークソングを解体的に止揚し、78年のディスコブームは60年代末期のゴーゴー喫茶(モンキーダンス)を解体的に止揚するものだった。

しかしながら、ニューアカデミズムとポストモダン現象が90年代には早くも失速するように、ニューミュージックとディスコブームも一過性のものにすぎなかった。ニューアカとポストモダン(この場合は思想としての)が一過性のものだったのは、そのあまりにも難解なレトリックと概念、わざと難しく書くことが偉いかのようなスタイルによって、誰もそのステージに上がれなくなった(単に本を読み通せなかった)からだ。

ニューミュージックとディスコ音楽が難解だったとは思えないが、この場合は楽曲の幅の狭さがその原因だったのではないか。あまりにもワンパターンだった。ニューミュージック系の流れでは、最近は本格的な声楽の歌い手をグループでプロデュースする手法が流行り、それなりに成功しているようだ(FORESTAなど)。とはいえ、歌唱力ではアイドルグループを凌駕できても、オリジナル曲とサラ・ブライトマンのような歌手が出てこなければ、本物の歌でアイドル文化を越えることはできないだろう。

◆本物の思想とは何なのだろう?

 

グループサウンズやフォーク、そしてポップスと呼ばれた欧米の楽曲、さらにはビートルズやストーンズ、ショッキングブルーなど。これら70年を前後するミュージックシーンを超える、本物のミュージシャンは、まだ日本には出てきていないと思う。坂本龍一教授にしても、そこは超えられなかったと思う。

いっぽう本物の思想といえば、階級ならぬ階層社会のなかで見直されるのは、やはりマルクス主義ではないだろうか。ヘーゲルいらいの大きな物語の終焉については同意しよう。革命というマルクスの物語も潰えたと思う。にもかかわらず、ニューアカとポストモダンの死骸のなかで、けっきょく残ったのはマルクスの方法論、すなわち経済的な与件に決定されるわれわれの存在と、それゆえに求められる共同体論の模索ではないか。すぐる5月5日はカール・マルクス生誕200年記念日だった。

映画「マルクス・エンゲルス」が上映され、反貧困運動いらいマルクスがもう一度見直されようとしている。わたしにとっては資本論読破40周年だが、そのガイストはもはや記憶にない。わたしたちの生きる術も労働や生産といった、資本の本源的な運動にはないと思う。78年革命が三里塚闘争によるものだとしたら、それはすでに経済的な与件ではなく、環境と共同体にこそ活路を見出そうとしていたはずだからだ。具体的には労働や生産点よりも流通と消費に、わたしたちは意識を移してきたのだ。どちらが本物なのかは、よくわからない。(つづく)


◎[参考動画]映画『マルクス・エンゲルス』予告編

▼横山茂彦(よこやましげひこ)
著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)
『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

戦後から未来まで考えさせられた『サムライと愚か者 オリンパス事件の全貌』

© チームオクヤマ/太秦

以下は、ドキュメンタリー映画『サムライと愚か者 オリンパス事件の全貌』を観た直後に書き留めたメモである。

● わたしは運動を始めてから、「戦後からやり直したい、否、明治からやり直したい。でも、戦後からすらやり直せない」と幾度も考えてきた。

● 最近の政治をみても経済をみても、不正が横行していることをたどっていくと、そこには戦争責任をとっていない敗戦国、戦勝国と互いに利用し合う社会の当然の帰結がみてとれるように思う。

● 長らく、「善悪なんてくそ食らえ」「都合によって揺れ、利用するためのものが善悪・倫理だ」と考えてきた。しかしわたしたちは、責任をとらずにいつづけるために、善悪・倫理を捨ててしまったのではないかと本作を観て改めて感じた。

● 日本で暮らす人は元社長・菊川氏を否定しない。それでよいのか、と。秘密を隠すことにより、人の素朴さだったり日常の積み重ねのなかに小さな喜びをみいだすような(というのは偏見かもしれないが)人生を阻害する。そこには資本主義が内包する問題もあり、この社会の問題もあるだろう。外からもたされる権力や「責任」もあるかもしれない。だが、人として生きるとき。

●「サムライ」とは、信じる方へと向かって抵抗することができる人のことなのだろう。いっぽう「愚か者」とは、自らの選択や行動の目的・結果すら考えない人のことではないだろうか。

咄嗟にそう書き留めておきたいと思わせた『サムライと愚か者』とは、どのような作品だったかを、ご紹介する。

◆ オリンパスの損失隠蔽

光学機器・電子機器メーカー「オリンパス」は、1919年に高千穂製作所として創業。49年にオリンパス光学工業株式会社に、2003年にオリンパス株式会社へと社名を変更した。資本金1,245億円(2017年3月31日現在)、連結(グループ全体の)売上高7,481億円(2017年3月期)、連結従業員数 34,687人(2017年3月31日現在)。ただし、2007年に上梓の行動を内部通報した社員に対して報復的な内部転換をおこない(後に和解)、2011年には月刊誌『FACTA』のスクープとイギリス人社長マイケル・ウッドフォード氏の不当解雇をきっかけに、オリンパスが巨額の損失を隠蔽し、企業買収において不透明な取引と会計処理を行なっていたことが発覚した。

本作では、この2011年に報じられた損失計上先送りとその隠蔽の問題を取り上げている。山本兵衛監督は、ウッドフォード氏、ジャーナリストの山口義正氏、『FACTA』編集長の阿部重夫氏、イギリスの日刊経済紙『フィナンシャル・タイムズ』記者のジョナサン・ソーブル氏、ウッドフォード氏を支援する和空 ミラー氏に取材。不正の実態を白日の下に晒す。『サムライと愚か者』とは、ウッドフォード氏の言葉からつけられたタイトルだ。

そして冒頭のメモに戻らせていただく。戦後からすらやり直せないわたしたちが、「民主主義の責任」を果たし、権力を監視して「素朴な人生」を害するものの「責任」を追及する。自らの選択や行動の目的・結果を考えつづけながら、信じる方へと向かい、「力」に抵抗する。そのためにまずは、真実を知ることだ。そして、それを知ったらできる行動があるはずだ。ならばつまり、本作を観て、隣の人にその話をする。そこから始めることだってできるわけだ。できれば今よりも勇気のような何かを発揮できるとよいのかもしれない。ウッドフォード氏のように。当事者だからこそかもしれないが。怒りを手放す必要はないのだ。

© チームオクヤマ/太秦
 
5月19日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開。作品のキャッチコピー「隠蔽、欺瞞、嘘、忖度…そして真実は闇に葬られた」にちなみ、“黒忖度まんじゅう”を初日プレゼントとのこと(限定100個、先着順)

◆ 組織とは、どのような存在か

いっぽう山本監督は、「事実を犠牲にしてまでも忠実に会社に尽くした役員達。違法であると薄々知りながら会社のために不正会計処理を実行した社員達。そして三代に渡って秘密を抱え続けながら、なんとか解消しようとあらゆる手を尽くした元社長達。彼らが会社を護るために忠実に尽くした<サムライ>であることには間違いなかった。上場企業であるにも関わらず君主制度が敷かれている組織。その中で育まれた盲目的な忠誠心。それは次第に、彼らの倫理観、モラル、良心を蝕んでいった。しかし組織に属する限り、彼らは護られ続けた。だからこそ20年以上に渡り不正を隠蔽し続けることが可能だった」とコメントしている。

だからわたしは組織とは「そりが合わず」、基本的に嫌いだと公言している。組織を守ることを優先することは、常に個人を犠牲にする。それは社会運動にもいえる。しかし、団結・連帯によってなしうることがあることも知っている。だが、常に権力に楯突けない。ちっぽけなもの含め利権と感じるものを得た人のほとんどは、それを手放したがらないからだ。自戒もこめるけれど。そんなとき、組織とそりが合わない、常に権力を意識するというのは、苦労することも多いが、よいことだと思いたい。組織嫌いが集まり、緩やかにつながって、周囲を変えていく。そんな可能性を今後も「日常から」追求したいものである。


◎[参考動画]ドキュメンタリー映画『サムライと愚か者 オリンパス事件の全貌』予告編

『サムライと愚か者 オリンパス事件の全貌』
5月19日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
*作品のキャッチコピー「隠蔽、欺瞞、嘘、忖度…そして真実は闇に葬られた」にちなみ、“黒忖度まんじゅう”を初日プレゼントとのこと(限定100個、先着順)。

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文/写真]
1972年生まれ。フリーライター、エディター。労働運動等アクティビスト。『紙の爆弾』『NO NUKES voice』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『neoneo』『情況』『救援』『現代の理論』『教育と文化』ほかに寄稿・執筆。

7日発売!タブーなき月刊『紙の爆弾』6月号【特集】「安倍退陣」と「その後」/安倍晋三“6月解散”の目論見/政権交代を目指す「市民革命」への基本戦術/創価学会・公明党がにらむ“安倍後”/ビートたけし独立騒動 すり替えられた“本筋”

それでも京都大当局は「立て看板」という学生たちの〈表現の自由〉を奪うのか?

京都大は5月1日から、本部がある吉田キャンパス(京都市左京区)の周囲に学生が設置した立て看板の規制に乗り出すと伝えられている。もしその「通告」が事実であれば5月1日から、京大周辺の立て看板が撤去される可能性もある。4月30日早朝、京大周辺の立て看板がどのような様子になっているか、取材に赴いた。

4月当初に比べると大学敷地周辺の立て看板は数が減っている。そして「立て看板撤去」を翌日に控えているためか、以前よりもこの問題に特化した立て看板が目についた。

まずは今出川通りと東大路通りが交差する、百万遍交差点の様子だ。これまで不注意で気が付かなかったが、この交差点には不自然にも2つのボックス型公衆電話が設置されている。公衆電話が激減する中、この場所にある2つの電話ボックスはそれ自体がおかしな存在だ。この場所がもっとも界隈で目につきやすく、過去には巨大立て看板が数多く登場した場所である。この日最大のものはご覧の通り「違反広告物タテカン撲滅」と黒字に赤で書かれた揶揄に満ちたものだ。

この大きさでは見づらいかもしれないが、ほかに、

昨年クラブの歌である「われは海の子」が作曲されて100周年を迎えた、伝統の京大ボート部や、教職員組合の看板。
 

「環境にいいことしてますか? DO YOU KYOTO?」という公共広告のような、主体不明のものから、体育会ライフル部(武装してタテカン撤去と闘ってくれるのか?)。
 

自治寮、吉田寮の実質的な解体を画策する当局に対して、話し合いを求める看板も見られる。
 

百万遍交差点を少し南に移動すると「ゴリラ討伐 大学奪還」、「闘え! 闘わなければ勝てない……。」となかなかデザインにも作画にも力の入った「作品」が目に入る。「ゴリラ」は山極総長のニックネームである。こういうセンスと「討伐」の字体を私は好感する(ちなみに横は馬術部の立て看板だ)。
 

さらに南下すると、明確に「タテカン規制」に抗議する複数団体が名を連ねる、ピンクを基調としたカラフルなものも。
 

少林寺拳法部。デザインは、ゆとり世代に共通するセンスだが、活動内容のハードさをデザインのソフトさでやわらげるあたり、体育会の部員募集の工夫がみられる。
 

実は普段多いのはこの手の「地味」なサークルの立て看板だ。「京大宝生会」はどうやら能楽部の別名らしい。「稽古日」が明示してあるので安心して入部できそうだ。
 

先ほど同様複数団体による、抗議表明の立て看板。賛同団体が先ほどの看板と一部異なるのは、作成時期が前後したためか。こちらは黒地にパステル色を多用して少々暗くて見やすそうだ。
 

正門に向かう交差点に立てられた、「硬派」な主張の「立て看板」。「公安警察は立ち入り禁止」、「学費が高い!学費が高い!」、「職員にタックルされたのに『暴行した!?』
 

いろいろ書いてあるが、その実どの主張も穏やかで、妥当なものである。「広島カープV3」、「京大生平和的」あたりの、おふざけセンスも立て看板文化の貴重なスパイス。
 

こちらは正門前の様子。この日の夕刻立て看板規制についての講演会が行われる告知も(ちなみに連絡先が「田所」という方で、新聞などに電話番号が記載されていたが、どういうわけか私に電話での問い合わせ(間違い電話)が数件あった。
 

正門の横、吉田寮問題をマンガで示した立て看板。絵、内容とももう少し洗練さが欲しいところ。
 

国際化時代らしく抗議文も英語と繫体字で。
 

「どうただではすまないのか?」が不明ではあるが、強固な意志を感じさせるメッセージ(メッセージが強固なわりには字体が優しいのもよい)
 

「それはお前がやるんだよ」。無責任で無頼だが、実は「それは俺がやるんだよ」の反語ともとれるマニフェスト。黒字に白のシンプルさと詩的表現がよくマッチしている。
 

背景が黄色だと黒が際立つ原則を、あえて選ばなかった配色。「立て看板、どんどんつくって、どんどん立てよう」にすれば五七調になるのに、わざと「を」を入れて韻を踏んでいないところにも要注目。
 

人畜無害、京大の「学生はん」らしいサークルのようだ。立て看板もどことなくお行儀がよい。
 

吉田寮の入り口。「ここはひみつきち『よしだりょう』年三万円(水光熱込み)で家具・友だち・イベント付」なんとも魅力的な条件ではないか。この吉田寮が当局から狙い撃ちされている。
 

立て看板とは直接関係ないが、京大自由のシンボル「西部講堂」。屋根に描かれた三つの星の意味は読者において調べられたし。「世界一クレージーな場所」と称賛され、国内外の一流ミュージシャンも多数舞台に立った。
 
さて、5月1日以降京大当局これらの立て看板をどう扱うのだろうか。限られた数しかご紹介できていないが、学生による「立て看板」が「表現活動」であることはご理解いただけたであろうか。そして、私は自分が持ち合わせないこれらの感性に触れることを、常に楽しんできた。

自由は貴重だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)
『NO NUKES voice』15号〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか

覚えていますか? 痴漢やレイプ、少女ヌードにまで寛容だった少し前の日本

女性記者に対するセクハラ発言の疑惑を報道された財務省の事務次官が辞任した。事務次官本人は疑惑を否定しているが、今のご時世、セクハラ発言は官僚のトップの首が飛ぶような重罪だということだ。

そんな中、私はふと自分が20代、30代だった頃のことを思い出し、「少し前の日本は今では信じられないくらい様々なことに寛容だったなあ…」と感慨にふけってしまった。

というのも、「今やればアウトだが、少し前なら全然OKだった」ということは、歩きタバコや犬の放し飼いなど色々あるが、ワイセツ関係のことに目を向けても、痴漢やレイプ、少女のヌードに至るまで、かつての日本は様々なことに驚くほど寛容だったからである。

◆レイプを〈悪〉として描いていなかった日本映画

 
東映ビデオのVシネマ「痴漢日記」

たとえば、痴漢。今は卑劣な行為の代名詞のように思われているが、少し前まではそうではなかった。もちろん痴漢は昔から犯罪ではあったが、東映ビデオが製作していたVシネマの「痴漢日記」や「新痴漢日記」のシリーズには、全国放送のテレビドラマに出るような有名俳優が普通に出演していたものである。それはきっと痴漢を肯定的に描いた作品に出演しても、イメージが悪くなることはなかったからだろう。

レイプもそうだ。現在、15歳の時に輪姦された女性の実話が映画化された「私は絶対許さない」が公開中だが、今はレイプを映画の題材にする場合、このように絶対悪として描いた社会派作品ではないと許されないのではないかと思われる。

しかし、ひと昔前の日本映画では、田中裕子主演の「ザ・レイプ」という社会派の作品もあるにはあったが、むしろレイプを悪と認識していないような描き方をした作品のほうが圧倒的に多かった。たとえば、「極道の妻たち」シリーズや「鬼龍院花子の生涯」、「瀬戸内少年野球団」などのことを私は言っているのだが、「ああ、そういえば・・・」と思い出された方も少なくないはずだ。

◆宮沢りえの『サンタフェ』は氷山の一角

 
宮沢りえの写真集『サンタフェ(Santa Fe)』(1991年11月朝日出版社)。撮影は篠山紀信。発売当時、宮沢は18歳だった

さらに私が思い出すのは、つい少し前の日本では、街中で小さな女の子の裸を見かける機会も決して珍しくなかったことだ。私が中学生くらいの頃には、コンビニで小さな女の子が裸になっているようなビデオが当たり前のように棚に並んでいたものだ。また、テレビドラマや映画で子役の女の子が全裸で入浴しているシーンもちらほら見かけたものだ。

数年前に児童ポルノが単純所持も処罰対象になった際、宮沢りえが10代の頃に撮影されたヌード写真集『サンタフェ』を所持していた場合はどうなるか・・・・・・ということが話題になったが、あれは「氷山の一角」だ。昔はむしろ、18歳未満の女優やアイドルがヌード写真集を出したり、映画で脱いだりするのは当たり前だったからだ(ちなみに宮沢りえがサンタフェの撮影を行ったのは18歳の時だったそうだ)。

名前を出すことは自主規制しておくが、現在50代後半以上の有名女優たちの中には、高校生くらいの年齢の頃に映画で脱いでいる人は少なくない。今は逆に30代で水着のグラビアをやっている女性タレントが珍しくない時代だが、世の中は随分変わったものである。

くだんの財務省の事務次官は、女性記者に「胸触っていい?」とか「手縛っていい?」などというセクハラ発言をした疑惑を報じられ、辞任せざるをえなくなったが、この疑惑が事実だという前提に立てば、「やむをえない」と思うのが今の日本人の一般的な倫理感覚だろう。

しかし、80年代や90年代くらいの日本人がもしも今の日本にタイムスリップしてきたら、「なぜ、それくらいで?」と首をかしげるのではないだろうか。あるいは、逆に今の若者が80年代、90年代にタイムスリップすれば、街中で普通に少女のヌードをみかける様子を見て、日本人のモラルの低さに驚くのではないだろうか。

霞が関のセクハラ騒動を眺めつつ、ふとそんなことを考えた

▼片岡健(かたおか・けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

「対話をあきらめず、抵抗することに疲労を覚える時には一緒に笑おう」ACW2

「抵抗することに疲労を覚える時は、休み、涙し、力を与え合い、笑う。」

「引き裂かれた裂け目に、私たちは橋を架ける。
 意見の違いを認め、対話することをあきらめない。」

そんな文章を含む、働く女性の全国センター(ACW2)の100年ビジョン・パンフレット『はたらく、女、そしていのちへ』公開をともない、2月17・18日に第12回定期大会「つぎはぎを生きる~健康で文化的な生活をあたりまえに」が開催された。

課題が現れるたびに解決する状態などがパッチワークと表現され、そこから派生して複数の労働のしかたを抱えたりさまざまな「自分」が寄せ集まったような生き方を1人の人がしているような複雑で安定・安心感のない状況などもパッチワークと呼ばれるようになった。ただし、私たちにとって、「パッチワーク」という言葉はまだ美しかった。そこで、自分たちの働き方や人生を「つぎはぎ」と名づけたようだ。

◆「つぎはぎを生きる~健康で文化的な生活をあたりまえに」

定期大会初日には、まず、栗田隆子さんによる「つぎはぎを生きる~健康で文化的な生活をあたりまえに」のテーマ説明と問題提起、さらには自作の詩の朗読から始まる。それを受けて、会員などのみなさんから、自らが置かれている仕事や生活の状況、そこにいたるまでの経緯や背景、そして求めるものや進めている活動内容などについてのリレートークが展開された。

冒頭に話し合いや撮影のルールを確認し、日頃より対話についてともに学び、真に安心・安全な場づくりに励むACW2だからこそ、赤裸々な告白もあり、それを聞いてほしいという想いも含めてシェアされる。その後、『働く、働かない、働けば』巳年(みどし)キリンさん(三一書房)『生きている! 殺すな~やまゆり園事件の起きる時代に生きる障害者たち?』小田島榮一さん・見形信子ほか共著(山吹書店)、『融合』『「呻き」「対話」「社会運動」』栗田隆子さん、『不安さんと私』ナガノハルさんなどの著作が紹介された。休憩を挟み、冒頭で触れた『はたらく、女、そしていのちへ』を用い、「100年ビジョンワークショップ」を実施。グループに分かれ、『はたらく、女、そしていのちへ』を読んで感じたことについて語り合い、発表し合う。

夜には、つぎはぎバナー作り、セミクローズドでの「セクマイの会」、介護、からだほぐし、官製ワーキングプアグループ、ちまちま手仕事の会などの分科会が催された。

◆理想といわれても、それを現実化しようと抗う日常

2日目には、伊勢真一さん演出(監督)のドキュメンタリー映画『えんとこ』を上映。本作は、脳性麻痺によって寝たきりとなった元養護学校教員の遠藤滋さんと、彼を支える若い介助者の日常が、3年間に渡って記録されている。遠藤さんが自らを「晒す」ことで若者たちも遠藤さんとまっすぐに向き合うようになる。そのような生活を遠藤さんは心から楽しみ、若者たちは学び、救われ、そしてともに社会を変え、それを次世代へとつなげていこうとする姿が描かれているのだ。

これは、ACW2がテーマとして掲げる対話や、現在の活動の苦しさを越えていくためにも100年後を想定して継いでいこうとする姿勢と一致するのではないだろうか。上映後に感想を交換し合い、このような想いを確認し合った。

最後の定期総会においても、代表・副代表・事務局長などの役員不在でのぞむ運営委員に対して疑義が打ち出される。これに関して率直で活発な意見が交換され、「規約に総会の場で議決する余地があること」「役員不在でも運営できるという根拠と自信とをもっていること」などが確認されたようだ。公式のWebサイト上にも「規約について、実態に即し、1年かけて役員構成と役員の役割と運営体制について話し合います。」と記載されている。

私自身としては権力関係が生じたり、個人がないがしろにされがちであるために基本的には組織を好まない、過去にもさまざまな組織に属してきた。ただし、対話をあきらめないことをはじめとするACW2の理想へと向かわんとするスタンスには魅力を感じるのだ。

以前、このコーナーにも「100年ビジョン」の言葉を掲載させていただいた。今回も最後に、さらに練り上げたうえでパンフレットに記された言葉を、ここに記しておく。

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はたらく、女、そしていのちへ
働く女性の全国センター(ACW2)
「100年ビジョン」

(2012年作成、2017年一部改訂)

(1)「はたらく」定義 

労働者という肩書きは女性たちにはよそよそしい。
なぜなら、女性たちは肩書き抜きに、はたらいてきたからだ。
私たちにとって「はたらく」とはなにか。
はたらくとは、キャリアを積み上げることではない。
はたらくとは、命を支えることだ。
賃金が支払われる労働だけではなく、家事・育児・介護・社会活動・趣味など、
自分を支え、人を支え、命を支えるあらゆる営みである。

(2)ACW2のありかた

誰かを蹴落とすこと、優位に立つことを求めるのではなく
従属や支配ではない、尊重をもとにした関係を作り出すことを、
私たちは目指す。
私たちは、命の側に立ち、
人びとの前に、
女性たちの前に立ちはだかる搾取・差別・偏見・欺瞞に抵抗する。
抵抗することに疲労を覚える時は、
休み、涙し、力を与え合い、笑う。

(3)女性の分断をこえる

女性はいまだに、分断されている。
独身か既婚か、パートか正社員か、病気か健康か、はたまた。
権力が私たちを引き裂く。私たちもまた、
立場の違いによって相手の声に耳をふさぎたくなることもある。
だが、引き裂かれた裂け目に、私たちは橋を架ける。
意見の違いを認め、対話することをあきらめない。
それは互いを遠ざけ合うためにではなく、すべて橋を架けるため。

(4)私たちの姿勢

いつの日か
おんなであること、はたらくことが、
搾取や差別や暴力の対象や温床となるのではなく、
与え合うこと、豊かにし合うこと、平和を生み出すものとなるために。
その日まで、私たちは休みながらも歩むことを、ここに記す。

※注)「女性」=性自認が女性である人
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▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文/写真]
1972年生まれ。フリーライター、エディター。労働・女性運動等アクティビスト。『紙の爆弾』『NO NUKES voice』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』ほかに寄稿・執筆。
雑誌『情況』(情況出版)1月号
「【読後感】矢吹晋『沖縄のナワを解く』を読み、戦後の矛盾の「ナワ」を解け!」

3月7日発売『紙の爆弾』4月号!自民党総裁選に“波乱”の兆し/前川喜平前文科次官が今治市で発した「警告」/創価学会・本部人事に表れた内部対立他

上野千鶴子とは何者だったのか?〈3〉時代と添い寝する賢者の権威主義

 
「10・8山﨑プロジェクト」

さて、上野千鶴子とはなにものだろうか。わたしは「そうとはわかられないように、時代と添い寝する生き方の賢者」と感じている。京都大学の大学院時代から上野先生は広告代理店のようなシンクタンクに一時かかわっていたと聞いている。そのあと平安女学院短期大学を皮切りに上野先生の教員時代が花開くのであるが、まだ彼女を上野先生と呼ぶにふさわしくない、京都大学の学部生時代に彼女が最初に付き合った男性は、のちに破防法の個人適用で逮捕されることになるある党派全学連委員長だった、との噂は知る人ぞ知る情報だ。「10・8山﨑プロジェクト」の発起人に名を連ねているのも、そんな関係があってのことだろう(彼女が付き合っていた相手が山﨑博昭さんという意味ではない)。

◆「土井たかこさんは男性社会の生き方で党首になったのだから大したことだとは思わない」

 
『atプラス26』(2015年太田出版)

上野先生が京大に在籍したのは、1960年代後半から70年代中盤だ。70年安保の真っただ中で、彼女も学生運動の端くれにはいたのだろうが、その後上野先生の発信からは70年安保を体感したかおりは、まったくうかがえない。むしろわたしの知る限り、上野先生はある時はマルクスを利用しながらも、独自の世界を流転してこられた印象がある。

上野先生の名が世に知らしめられたのは、なんといっても「フェミニズム」の旗手としてだ。80年代立て続けに「フェミニズム」関連の書籍や論文を発表し、一躍時代の人となる。「フェミニズム」はそれ以前の「ウーマンリブ」運動を拡大し論理化する潮流が主流だったように感じる。この国の封建制を女性の立場から批判し、平等を訴える主張には原則的に正当性があるとわたしも感じた。だが、ある時期大学職員を対象とした研修会では講師が「女性差別をしたことのない男性などいない。女性が不快と感じればそれはすべて女性差別だ」などと、無茶な主張をする現象も招いた。

上野先生は、土井たか子が社会党の党首に就任したときコメントを求められ「土井さんは男性社会の生き方で党首になったのだから大したことだとは思わない」旨の発言をしていた。男権主義の社会構造のなかで女性が当時最大野党の党首になっても、「たいした意味はない」と上野先生は言い放ったわけだ。そうかな?と当時のわたしは納得できなかった。土井たか子は男勝りの押しの強い性格のようだ。男に媚を売って党内で力をつけてきたとは考えにくい。政治家としての自力が彼女に党首の席をあたえたのではないだろうか。

 
『おひとりさまvs.ひとりの哲学』(2018年朝日新書)

◆「フェミニズム」から「おひとり様」へ

そう言い放つ上野先生ご自身が思い描く「あるべき女性像」がどのようなものなのか、は知らない(あまり興味がないので)。上野先生だって前述のように所属していた小さな大学が大学院を作ろうと必死になっている中、「権威の象徴」東京大学へ移籍するという経歴の持ち主だ。あの行為は男女を軸に判断されるべき問題ではないだろうが、常識的な感覚からは考えられない背信行為だと私は感じた。東大に移籍するならするで構わないけども、それならば「大学院設置準備委員会」のメンバーに就任すべきではなかったのではないか。あるいは「委員会」が始まってから東大移籍が決まったのであれば、即時そのことを「委員会」で報告すべきだったろう。

そういった意味で上野先生は、「わがまま」と言われても仕方ない側面を持つ方だと言えよう。「フェミニズム」で輝いていた上野先生は、ある時期を境に「当事者」という言葉をキーワードに使うようになる。講演などでもしきりに「当事者性」を語っていたけれども、これは「フェミニズム」ほどのインパクトを社会に与えはしなかった。

正確な時期は分からないが上野先生にはある時期まで同居男性がいた。その男性との同居が終わったからなのか、それとは無関係なのか、上野先生は「おひとり様」にキーワードを変える。これは結構受けた。特に高齢者の域に差し掛かっている上野先生が、自身の弱みを認めながら生活してゆくことを語る講演には、高齢者を中心に高い評価を受けていた。

◆「憲法9条改憲」を主張するSEALDsさえも支持する「使い分け」

 
『世代の痛み ― 団塊ジュニアから団塊への質問状』(2017年中公新書ラクレ)

さらに、安保法制で国会前が騒然とするとSEALDsの集会にも足を運び、何度もスピーチをしていた。けれども、学生がツイッターに書いた文章に「フェミニズム」の立場からコメントすると、総叩きにあうという痛い目にもあっている。SEALDsに幻想を抱き、集会に足を運ぶあたりで、上野先生が学生時代どの程度学生運動とかかわっていたかが推測できる。あんなちゃちな主張をする子供たちを持ち上げた学者たちは、わたしの目から見たら全員「インチキ」だ。よくぞ恥ずかしげもなく、あんな場所で発言できるものだなぁと呆れた。

SEALDsは安保法制に反対しながら「憲法9条改憲」を主張する、矛盾に満ちた思考停止学生の集まりだった。それに乗っかかった大人たちは、もっと「どうかしている」人たちと言わねばならないだろう。その中に上野先生の姿があっても、「ああ、またやってる」とわたしにはまったく不思議ではなかった。

こうやって見てくると、上野先生は時代に合わせて提供する課題(ターム)を巧みに使い分け、世渡り上手に人生を過ごしてきた人だということが言えるだろう。でも、上野先生ご活躍の陰で、泣かされてきた人(教員などではなく弱者)が居ることをわたしは知っている。2018年2月。いまはかつて自明であったことがそうではなくなり、「反権威」、「反権力」を指向していた人たちが、なんの説明や総括もなく逆の立場に転じる「裏切りの時代」であるように感じる。

「そうとはわかられないように、時代と添い寝する生き方の賢者」を体現する上野先生。学生指導には非常に熱心だったが、権威主義から抜けきれられない人なのだろう。(未完)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書、2月26日発売!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)