韓国映画『消された女』が描く「強制入院」の「悪魔的な部分」「毒気」

本年も、よろしくお願いいたします。今年こそ、社会の問題に対し、現実的に一矢報いるところから始める所存。

さて最近、書籍の話題を取り上げてきたが、今回は新年の話題としてもっともふさわしくない「人間の悪魔的な部分」「毒気」について考えざるを得ないような、韓国の劇映画を紹介したい。

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◆韓国と日本の「強制入院」

作品は、2016年に韓国で実際に起きた拉致監禁事件をモチーフとした『消された女』。プレスシートによれば、「韓国では、精神保健法第24条を悪用し、財産や個人の利益のために、合法的に健康な人(親族)を誘拐し、精神病院に強制入院させる事件が頻繁に起こり、社会問題になっていた」という。たとえば、医師が自らの息子を、資産を守るために夫が元妻を、離婚のために夫が妻を強制入院させた。「精神保健法第24条」とは、「保護者2人の合意と精神科専門医1人の診断があれば、患者本人の同意なしに『保護入院』という名のもと、強制入院を実行できる」ものだそう。韓国公開後の16年9月、憲法裁で精神疾患患者の強制入院は、本人の同意がなければ憲法違反という判決がくだった。

調べると、日本の措置入院も、都道府県知事への通報等があること・調査の上措置診察の必要があると認めること(精神保健及び精神障害者福祉に関する法律27条1項)、診察の通知(28条)を経て、指定医2名以上の診察の結果が「精神障害者であり、かつ、医療及び保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認める」ことで一致すること(29条2項)などによって措置入院が可能となっているようだ。

ただし、「自傷他害のおそれがある」という文言を拡大解釈して常習犯や「触法(犯罪を起こした)精神障害者」などによる犯罪その他の触法行為の予防のための拘禁の代用としてこの制度が使われる危険性があり、犯罪として処罰するためには立法府が制定する法令において犯罪とされる行為の内容・刑罰を規定しておかなければならないとする罪刑法定主義の原則との兼ね合いが問題になっているという。

また、措置入院以前でも、医療保護入院(33条)の家族等による悪用があるようだ。権力が強まり、「中世」とすらいわれる現在の社会状況をかんがみても、また監禁事件などの報道をよく目にすることを考えても、背筋が寒くなる話であり、本作のテーマを対岸の火事と思っている場合ではないかもしれない。

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プレスシートには、精神疾患者たちの平均入院期間は韓国が極端に長期にわたっていると説明されていた。なぜか日本が取り上げられていなかったので、気になり、これも調べてみた。すると、「第8回 精神障害者に対する医療の提供を確保するための指針等に関する検討会」(2014年3月28日)の参考資料が見つかった。そこに示されている「精神病床の平均在院日数推移の国際比較」グラフのたとえば2010年のデータを見ると、諸外国が50日程度までにおさまっているのに対し、韓国が100日を超えており、ここ20年間なんと日本がダントツで500日からようやく300日程度まで下がってきたということだ。強制入院に限ればまた異なるのかもしれないが、まったくいったいこれはどういうことなのかと考えなければならない。資料に続けて目を通せば、通常の身体的な病気同様、退院を促すというスタンスはあるようだが、精神的な負担が多い社会なのか、それとも入院させ続けがちな社会なのか、その両方なのか、ほかにも原因があるのかなど、不勉強な筆者には気になることばかりだ。

だが、再びプレスシートを読んでいくと、「1日10件を超える強制入院が発生している韓国の現実」などと書かれている。そこでまた日本のデータを調べ、厚生労働省のデータを見る。「精神障害者申請通報届出数、措置入院患者数及び医療保護入院届出数の年次推移」の2014年度では申請通報届出数24,729件、措置入院患者数1,479人、医療保護入院届出数170,079件(一部を改正する法律の施行により、保護者制度が廃止され、医療保護入院の同意者が従来の保護者又は扶養義務者から、家族等のうちいずれかの者となった)で、全体としては措置入院患者数が減っているが、医療保護入院届出数が増えている。別の「医療保護入院患者数の推移(年齢階級別内訳)」の資料を見れば、131,924人となっている。単純に比較できるデータが出て来ないのでなんともいえないが。

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◆「真実に基づいた映画は、世間の注目を集めるために必要であると信じている」

本映画作品に戻ると、そのあらすじは、こうだ。白昼、都市で、カン・スアという女性が誘拐され、「精神病院」に監禁される。彼女が強制的に薬物を投与され、暴力をふるわれる日常を書き留めた手帳は、ナ・ナムスというTVプロデューサーの男性に届けられた。彼は、殺人事件の容疑者として収監されていた彼女と出会うことになるが……。

韓国でも、実際の殺人事件を取り上げた『殺人の追憶』『殺人の告白』、暴行事件を取り上げた『トガニ 幼き瞳の告発』『ハン・ゴンジュ 17歳の涙』などの作品があり、いずれも評価が高い。

ところで最近、長女を両親が監禁したと思われる「寝屋川監禁事件」、金銭トラブルが原因とされ4人目が逮捕された「茨城・牛久の切断遺体事件」、宮司殺害など3人が死亡した「富岡八幡宮」の事件、アパートで9人の遺体が見つかった「座間殺害事件」など、以前であればもっと騒がれていたようにも思われる凄惨な事件の報道がいくつかあった。筆者は先日、「北九州監禁殺人事件」についてのネットの記述を一晩中読んでしまった。

イ・チョルハ監督は、「いくつもの私設精神科病院にはびこる悪行について語りたかった」「物語を展開することによって、社会から保護されていない犠牲者たちについて語りたいと思った」「真実に基づいた映画は、世間の注目を集めるために必要であると私は信じている」という。ちなみにナ・ナムス役のイ・サンユンは最新ドラマ『二度目の二十歳』などではソフトな魅力を打ち出しており、ファンの方も本作の緊張感あふれる演技を新鮮に楽しめるだろう。ほかにも人気俳優たちがキャストに名を連ねている。

人間には、自らを守るためなのか、悪魔というか毒気にとりつかれるような性質があったり、ある環境や関係性に追いこまれればそのような性質があらわとなるような面があったりするのではないだろうか。生きながらにして互いに地獄に陥らないために、たとえば制度の問題があればそれを是正し、極力オープンな状態を保てるような仕組みをつくったり、対立する利害を対話で解決できる仕組みもどんどんつくったりそれがきちんと用いられたりするようにみんなでし続ける必要があるのかもしれない。

まずは本作をご覧になってみては、いかがだろう。

◎『消された女』公式サイト http://www.insane-movie.com/
原題:날, 보러와요(『私に会いに来て』) 英題:INSANE
監督:イ・チョルハ 出演:カン・イェウォン、イ・サンユン、チェ・ジノ ほか
字幕翻訳:金 仁恵 提供:キングレコード  配給・宣伝:太秦
【2016年/韓国/カラー/91分/シネマスコープサイズ/5.1ch/DCP】
2018年1月20日(土)より、シネマート新宿・シネマート心斎橋ほか全国順次公開


◎[参考動画]映画『消された女』予告編(uzumasafilm 2017/12/22公開)

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動等アクティビスト。『現代用語の基礎知識』『情況』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』ほかに寄稿・執筆。

『紙の爆弾』
●〈2月号〉【特集】2018年、状況を変える8「『よど号』メンバーに聞く 日米安保路線見直しで 日朝国交正常化へ」
●〈1月号〉決死の覚悟と不屈の精神をもつ従軍慰安婦とされた女性たち 寄稿
●〈1月号〉対米従属「永久化」今こそ日米関係を根本的に見直せ! 天木直人さんインタビュー 構成

『NO NUKES voice vol.14』
●[報告]「生業を返せ! 地域を返せ!」福島原発被害原告団・弁護団「正義の判断」寄稿
●[インタビュー]淵上太郎さん(「経産省前テントひろば」共同代表)
〈反原発の声〉を結集させ続ける 不当逮捕を経たテントひろば 淵上さんの「想い」 取材・構成・撮影
●[インタビュー]松原保さん(『被ばく牛と生きる』映画監督)
 福島は〈復興〉の「食い物」にされている 取材・構成・撮影

『救援』584号 塩見孝也さん追悼文

2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

大阪「髪染め強要」訴訟 ほとんど報じられない学校側の主張を伝える【前編】

「生まれつき茶色い髪について、学校で何度も黒く染めるように指導されて精神的苦痛を受けた」

大阪府羽曳野市にある府立懐風館高校の女生徒がそう訴えて昨年10月、大阪府に損害賠償など約226万円の支払いを求めて起こした「髪染め強要」訴訟。ここまではマスコミがこぞって女生徒の応援団と化している印象だ。

報道を1つ1つ紹介していたらきりがないが、いかにマスコミが女生徒側に一方的に肩入れした報道を繰り広げてきたかは、以下のようにインターネット上で配信された記事の見出しを並べただけでもわかるだろう。

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教室の席なくされ、進学の夢は遠のき 髪黒染め指導訴訟(朝日新聞デジタル同11月10日)

(社説)黒髪指導 生徒の尊厳を損なう(朝日新聞デジタル同11月6日)

社説 学校の頭髪黒染め指導 理不尽な強要ではないか(毎日新聞ホームページ同11月19日)

地毛茶髪、黒染めで頭皮ボロボロ…アレルギー無視「生徒への暴力だ」(産経WEST同12月19日)

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こうした報道をうけ、脳科学者の茂木健一郎氏や教育評論家の「尾木ママ」こと尾木直樹氏ら著名人たちも次々に学校側を批判するコメントを発表。さらには、この騒動は海外メディアでも次々に報じられ、日本の学校では生徒の身だしなみについて、厳格なルールを定めているように伝えられた。

一方、こうした騒動の中、学校側は女生徒について、「髪の毛の色は明るかったが、地毛は黒色だと判断し、黒く染めるように指導していた」と主張しているのだが、そのことはほとんど報道されていない。そのため、学校側が悪いというイメージが世間に強烈に印象づけられている。

そこで私は、訴訟が行われている大阪地裁を訪ねて訴訟記録を閲覧し、現時点での女生徒側、学校側双方の主張を確認した。その結果、女生徒側の主張を鵜呑みにし、学校側が悪いと決めつけるのは危険だという思いを抱いた。ついては、ほとんど報道されてこなかった学校側の主張をここで紹介したい。

訴訟が行われている大阪地裁

◆懐風館高校は学校運営の方針として生活指導に重点

この訴訟の原告は女生徒で、被告は大阪府だ。府が提出した同12月11日付け準備書面をもとに学校側の主張を見ていこう。なお、便宜上、これから先は原告の女生徒をA子と呼ぶことにする。

懐風館高校は、羽曳野高校と西浦高校という2つの府立高校が統合されて2009年4月に開学した。設立当初、生徒たちの生活などに乱れがあり、問題行動をする生徒が多かったことから、学校運営の方針として、生徒の生活指導に重点を置き、とくに頭髪や服装、遅刻に対する指導に力を入れるようになったという。それにより、生徒たちの興味や関心を勉学やスポーツに向けさせようとしたわけだ。

では、生徒の頭髪に関する校則は具体的にどのように定められているのかというと――。

〈頭髪は清潔な印象を与えるように心がけること。ジェルなどの使用やツーブロックなどの特異な髪型、パーマ、染髪、脱色、エクステは禁止する。また、ドライヤーなどによる変色も禁止する。カチューシャ、ヘアバンドなども禁止する〉

このような校則がある懐風館高校では、夏休みや冬休み、春休みという長期の休み入る前には生徒の頭髪検査を行っている。その際、髪の色を染めているなどの校則違反をしている生徒がいれば、次回の登校日までに地毛の色に染めるように指導しているとのことだ。また、日常の学校生活においても、頭髪を染色するなどの校則違反をしている生徒がいれば、4日以内に改善するように指導しているという。

これを見る限り、懐風館高校の頭髪に関する校則は厳しく、かつ、学校側は生徒たちに対し、この校則を厳しく守らせている印象だ。

もっとも、A子の髪の色が本人の主張するように生まれつき「茶色」であるならば、校則に引っかかることはない。それにも関わらず、学校側がA子に対し、髪を黒く染めるように強要していたとすれば、重大な人権侵害というほかないだろう。

一方、逆に学校側が主張するようにA子の髪の地毛の色が本当は「黒」であるにも関わらず、A子が黒以外の色に染めていたならば、A子は校則違反をしていたばかりか、髪の色を偽って訴訟を起こしていたことになる。こちらが真実である場合、A子の主張はもはや全面的に信用性を失うと言っても過言ではないだろう。

◆地毛が茶色で、髪を黒く染めさせていない生徒が約40人存在

では、学校側はA子の髪の毛の色について、事実関係をどのように主張しているのか。おおよそ次の通りだ。

A子が懐風館高校に入学した2015年の3月23日、学校側は2015年度の新入生を対象とする説明会を開いている。そして教育内容、年間行事、部活動などについて説明を行ったほか、生徒指導主事の教師が校則について説明を行った。

その中では、(1)懐風館高校は、頭髪指導に力を入れていること、(2)頭髪規制に関する校則の内容、(3)頭髪を染髪などした場合は地毛の色に染色するように指導していること、(4)地毛の色に染色してもそれが色落ちしてきた時には再度、染色してもらうことがあること――などが説明されたという。

そして学校側の主張によると、この説明会では、学年主任の教師が新入生たちに対し、「学校生活を送るうえで、配慮が必要な者は保健室へ来て、申告するように」と伝えた。しかし、頭髪に関し、学校側に配慮を求めてきた新入生はいなかったという。

さらに学校側は念押しするようにこう主張する。

〈なお、入学後のオリエンテーションにおいて、頭髪の地毛が茶色であるなどと申し出てきた約40人の生徒がいるが、これらの生徒に対しては、当然のことながら、頭髪を黒色に染色するようにとの指導などは行っていない〉

この部分は換言すると、こういうことになる。懐風館高校では、頭髪が生まれつき茶色である生徒に対し、頭髪を黒色に染めるような指導はそもそも行っておらず、そのことを裏づける生徒が約40人存在する――。学校側がこの訴訟において、この約40人の生徒が実在することを何らかの形で証明できれば、大きなアドバンテージなりそうだ。

◆入学当初に染髪をしていると認められていた原告の女生徒

では、A子に対し、学校側が髪の色に関する指導を行ったのはいつ頃からのことなのか。

学校側の主張によると、最初は同3月30日、新入生の生徒証に貼付する写真の撮影を行った時だったという。この際、3人の教師が生徒たちの頭髪検査を行ったところ、A子の頭髪の色は著しく明るい状況だった。ただ、髪の毛の根元部分(1センチくらい)が黒く、そこから毛先に行くに従って光っているような明るい色になっており、過去に染髪をしていることが認められたという。

A子はこの時、「中学校で、高校入試のために髪を黒色に染めるように言われた」と答えたそうだ。これをうけ、教師たちは「A子の頭髪は、地毛が黒色なのに、異なる色に染色していたので、出身中学が高校入試で不利にならないように地毛の黒色に染めるように指導したのだ」と理解した。そこでA子に対し、校則や指導方針を説明し、4月2日の登校日までに黒く染めるように伝えたという。

ちなみにこの時、学校側はA子以外にも16人の生徒に対し、髪を地毛の色に染めるように伝えたとのことだ。そしてA子も他の16人の生徒も4月2日の登校日には、髪を黒く染めてきたというのだが――。

学校側の主張によると、これ以降、A子は何度も髪を黒以外の色に染め、学校側の指導を受けて地毛の色である黒に染め直すが、また黒以外の色に染める――ということを繰り返すようになったという。こうした学校側とA子の具体的なやりとりについても、前出の準備書面には詳細に綴られている。

それはあくまで学校側の主張だが、信ぴょう性をまったく感じられない内容ではない。後編では、学校側の主張をさらに詳しく紹介していこう。(つづく)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)
2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

三上治さんの『吉本隆明と中上健次』〈3〉「大衆の原像」と「路地」の基層

三上治さん

吉本隆明の一番弟子であり、また元ブント(共産主義者同盟)叛旗派の「親分」でもあり、さらに現在ではテントひろばメンバーとして活動を続ける三上治(味岡修)さん。2017年9月、彼の新刊『吉本隆明と中上健次』(現代書館)が上梓された。三上さんには吉本・中上との共著もあり、また雑誌『流砂』(批評社)でも繰り返し吉本などについて論じてきたのだ。

そして10月20日、「三上さんの『吉本隆明と中上健次』出版を祝う会」が、小石川後楽園涵徳亭にて開催された。今回、この書籍と「出版を祝う会」について、3回にわたってお届けする。今回はその最終回である第3回目だ。

◆「真実の世界が表現されることは、政治的な表現では不可能」

案内文は以下の通りだ。

「我らが友人、三上治さんが『吉本隆明と中上健次』を刊行しました。彼は今、経産省前での脱原発闘争や雑誌『流砂』の刊行を継続しながら、『戦争ができる国』への足音が近づくなか、それを阻止すべく奮闘しています。指南力のある思想がみえなくなっている現在、思想の存在と可能性を問う試みをしているのだと思います。

何はともあれ、出版のお祝いをしたいと思います。安倍政権のなりふり構わぬ解散の喧噪をよそに、都心の庭園を眺めながら歓談しようではありませんか。どうか万障お繰り合わせの上、お出かけください。心よりお待ち申し上げます。」

淵上太郎さん(「経産省前テントひろば」共同代表)

発起人は伊藤述史さん(東京女学館大学・神奈川大学講師)、今井照容さん(評論家・編集者)、菊地泰博さん(現代書館代表)、菅原秀宣さん(ゼロメガ代表取締役)、古木杜恵さん(ノンフィクションライター)。テントひろば、元ブント、元叛旗派のメンバーから、出版・文学関係者、評論家まで、三上さんの幅広い「友人」たちが、新刊の出版を祝うべく集まった。

◆「何のために生きるのか」という問い

10月20日の「三上さんの『吉本隆明と中上健次』出版を祝う会」では、多彩な顔ぶれによる挨拶がおこなわれた。

9条改憲阻止の会やテントひろばの仲間である淵上太郎さんは、「『味さんは、革命家ですか、評論家ですか』という質問をしたところ、『私は革命家だ』との答えを得た」と振り返る。また、「互いにテントに足を運ぶのは、吉本さんの現場主義と密接に連動するのではと最近改めて思う」とも語った。

橋本克彦さん(ノンフィクション作家)は、「三上さんは刑務所にいた頃、吉本の『共同幻想論』(河出書房新社)をボロボロになるまで読み、育ってきた」と伝える。

橋本克彦さん(ノンフィクション作家)

そして三上さんは、「若い頃、僕らは何のために生きるのか、どう生きたらいいのかについて、ずっと悩んでいた。これに回答を出してくれるのではないかと思い、吉本にこの質問をぶつけたら、彼は下を向いて困ったような感じでありながら、共同性と個人性に関する思想の話をした。それをまどろっこしいと思って聞いていたが、やはり共同性のこと、詩(作品)のこと、自分の身体や病気のこと、連れ合いや孫など家族のこと、政治のことなどを並行して考えながらやっていくしかないということを吉本さんはいったのだろうと改めて考えている。そして、吉本さんも回答を出しきれなかったのだろうと思っている」と語った。

また、中上については、「悩みの中にある人間が大事で、それが人間の本質であることを示したのではないかということに安心・共感してきた」という。

そして、二人の共通性として、次の言葉も口にした。

「吉本も中上も、積極的に他者に関わる形の自意識のあり方が苦手というか、どちらかというと受け身の方でした。これは人間の他者との関係でもありました。その受け身の意識という問題を抱えていた。これは自我の問題でもあるのですが、受け身の在りようを日本人の意識の形として否定的ではなく考えようとしました。これは日本人の歴史的な在りように関わることでそこで近代自我と格闘したのです。それを最初にやったのは漱石でした。夏目漱石は当時、ヨーロッパと遭遇し、意識としての人間のあり方を考えたのではないかと思います。この自意識についてまともに考え、書いたのはその後は太宰治です。自意識を積極的に展開することに拒絶反応があり、受け身の意識の形の人間の価値や意味をうちだそうとして、吉本と中上は苦しんだのではないかと思います。そういう人間に対する理解ややさしさがあったのです。吉本の大衆原像論や中上の路地論には根底としてそれがあったように思います。僕は、吉本や中上と会って、自由や安らぎを感じた。それにはこれがあったのだと思いますが、若い世代に伝わるのだろうかと、本書を書きながら思いました。もう少し違う形で書ければという気持ちが残ったところです」

福島泰樹さん(歌人)

◆「真実の世界が表現されることは、政治的な表現では不可能」

祝う会の後半では、福島泰樹さん(歌人)による「短歌絶叫コンサート」もあった。

そして、足立正生さん(映画監督・元パレスチナ解放人民戦線ゲリラ)は、「『人間は幻想の存在だ』と60年代から世間を惑わした吉本と中上について書いているが、もっと悪いのは味岡。自然と非自然(倫理学で、道徳的な判断の対象となるのは自然的事実・事物によって構成され、快楽や進化を善と考える自然主義と、自然的対象・存在ではないとする非自然主義)、永久革命論(社会主義革命は一国内では不可能で、世界革命にいたって初めて可能になるとする理論)。そういう具合にまとめるのではないが、三上がまとめねばならない。中上や吉本は中間点。墓でなく、生きた革命の博物館がここにある。アジテーターはオレでなく味岡。今後も書くということは、永続革命をやるということだ」とエールを送る。

菅原秀宣さんは、「弟子として、味岡さんからは、人のことを下げて自分を上げない、人を排除しないことを教わった」という。

足立正生さん(映画監督、元パレスチナ解放人民戦線ゲリラ)

伊達政保さん(評論家)は、「ジョンレノンはニューヨーク・コンサートで『叛』の字の入ったヘルメットを被った。『イマジン』は共同幻想論」と三上さんの功績を告げた。

また、金廣志さん(塾講師・元赤軍派)は、「連赤(連合赤軍)の後に一五年間逃亡。いちばん読み、苦しいときに助けになったのは、味さんの文章だった。味さんだけが自分の言葉を使った」と評価する。

私は三上さんと出会い、吉本隆明や谷川雁と出会った。記憶が正確でないかもしれないが、「自由を求め、あがき続け、日々を更新し続ける」という三上さんが伝えてくれた言葉は常に活動する私を支えてくれる。原発について、人間の存在について改めて問いかける本書。ぜひ手に取ってほしい。(了)

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動等アクティビスト。『現代用語の基礎知識』『情況』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』ほかに寄稿・執筆。
◎「山﨑博昭追悼 羽田闘争五十周年集会」(『紙の爆弾』12月号)
◎「現在のアクティビストに送られた遺言『遙かなる一九七〇年代─京都』」(デジタル鹿砦社通信) 

 
『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点 [報告]三上治さん「どこまでも続く闘いだ──塩見孝也さんの訃報に接して」他

三上治さんの『吉本隆明と中上健次』〈2〉『枯木灘』と世界の裂け目

 
三上治『吉本隆明と中上健次』(現代書館2017年9月)

吉本隆明の一番弟子であり、また元ブント(共産主義者同盟)叛旗派の「親分」でもあり、さらに現在ではテントひろばメンバーとして活動を続ける三上治(味岡修)さん。2017年9月、彼の新刊『吉本隆明と中上健次』(現代書館)が上梓された。三上さんには吉本・中上との共著もあり、また雑誌『流砂』(批評社)でも繰り返し吉本などについて論じてきたのだ。

そして10月20日、「三上さんの『吉本隆明と中上健次』出版を祝う会」が、小石川後楽園涵徳亭にて開催された。今回、この書籍と「出版を祝う会」について、3回にわたってお届けする。このテキストは、その第2回目だ。

◆「真実の世界が表現されることは、政治的な表現では不可能」

この3回分の原稿は、『NO NUKES voice』掲載予定が変更になったのだが、当初は中上について、あまり触れなかった。それは、中上の原発への言及は本書で特に記されていなかったからだ。ただし、本書の第4章は「中上健次へ」、第7章は「再び、中上健次をめぐって」の章タイトルがつけられている。たとえば4章では、「中上と三島の差異」として、三島由紀夫との比較が綴られているのだ。

そこでは、中上の長編小説『枯木灘』が取り上げられている。以下、『枯木灘』のいわゆるネタバレを含む。主人公・秋幸は海と山と川にはさまれた環境でありながらも食い扶持の得られない「路地」に生まれ育つ。彼は父・龍造を「蠅の王」「蠅の糞」と呼び、龍造は「一向一揆の苦しみを伝える」浜村孫一(鈴木孫一を指すとも)の子孫であると主張して碑を建てる。「蠅の王」といえば、ウィリアム・ゴールディングの小説が想起され、わたしもハリー・フック監督による映画化作品を観たことがある。秋幸は異母妹と知らず、さと子と関係を結んでしまうが、それに対して龍造は「しょうないことじゃ、どこにでもあることじゃ」と口にするのだ。秋幸は、この関係を含め、「誰にでもよい、何にでもいい、許しを乞いたい」と願う。そして彼は、浜村孫一を「男(龍造)の手から」「取り上げる」ことで「男を嘆かせ苦しめ」ようと考えもした。だが、「日と共に働き、日と共に働き止め、黙って自分を耐えるしかない」と思い、「徒労」を快と感じるような労働によって「無」になる日常を続ける。しかし、盆踊りの唄「きょうだい心中」が暗示するとおり、そして異母兄の郁男が秋幸も龍造も殺せず自死したことなどにも似たように追いつめられ、結局秋幸は異母弟の秀雄を殺してしまう。育ての親である繁蔵は、秋幸をかわいがってきた。ちなみに「きょうだい心中」は類似の歌詞を作者不詳とし、山崎ハコが曲をつけて歌っている。

▼三上治(みかみ・おさむ) 1941年、三重県生まれ。66年、中央大学中退。75年、共産主義者同盟叛旗派から離れ、雑誌『乾坤』を主宰し、政治評論・社会評論などの文筆活動に専念。編集校正集団聚珍社に参画し、代表を務める。同社を退職後、再び文筆の活動をおこない、「9条改憲阻止の会」で憲法9条の改憲阻止の運動を遂行。著書に『一九七〇年代論』(批評社)、『憲法の核心は権力の問題である──9条改憲阻止に向けて』(お茶の水書房)ほか多数

三上さんは、この作品と、三島の『太陽と鉄』を比較し、「秋幸は三島のこの世界を連想させるが、三島の人工性と違って、秋幸には自然性が感じられる分だけ魅かれるところがある」と述べる。『太陽と鉄』は未読で恐縮だが、吉本さん・中上さん・三上さんの共著『いま、吉本隆明25時』(弓立社)の中上健次「超物語論」の冒頭で吉本は「日本の物語は、よくよく読んでいきますと、人と人との関係の物語のようにみえていながら、大体人と自然との関係の物語です」と語っているのが興味深い。もちろん三上さんの「自然性」と吉本の示す「自然」に相違はあろうが、共通する部分もあると思う。

また、三上さんは、「真実を書くのは恐ろしいことである」として、「濃密な親子、あるいは兄弟関係、愛と憎しみとが表裏にある世界、この真実の関係性を表現したのである。これが中上の作品が現在でも色褪せず、輝きを失わない理由である」「真実の世界が表現されることは、政治的な表現では不可能である。それが言い過ぎなら部分的である。このことは確かであり、政治的解放が人間の解放にとっては部分的であるのと同じだ」と記す。これもまた、『いま、吉本隆明25時』の「超物語論」の後に登壇した吉本が「党派的思想というのは全部無効ですよ。真理に近いことをいったりやったりするほうが左翼ですよ」と発言していることと結びつく。

◆土地や血縁の呪縛

『枯木灘』から個人的に、田中登監督の劇映画『(秘) 色情めす市場』を連想した。人は、「血」や環境や条件を選んで生まれてくることができない。だが、それに抗おうとして生きる。しかし、抗おうとするほど、深くそこに飲み込まれていくのだろう。『枯木灘』で秋幸は、ある種の復讐を果たしたかもしれないし、せざるをえなかったのかもしれない。『(秘) 色情めす市場』でも、女性主人公が絶望したからこそ、あのラストがある。現在、貧困、環境による「不幸」、絶望は見えづらくなっているが、わたしは、このような世界と紙一重の世界に生きているという実感をもつ。ただし、『枯木灘』は、徹の姿で幕を閉じる。徹もまた土地や血縁の呪縛から逃れることはできないのかもしれず、奇妙な読後感が残るのだ。ちなみに龍造の視点で綴られる番外編『覇王の七日』も書かれた。

ところでわたしが好きな作家は、「無頼」で、世間的には「ダメな人間」というレッテルを貼られるような登場人物を描く作品を愛する。この登場人物たちは、時代や環境が変わろうとも、このようにしか生きられないのだろうと感じたりするのだ。いっぽう、中上作品の登場人物は皆、社会の被害者であるように感じた。ひとことで表現してしまうと薄っぺらで恥ずかしいかぎりだが、このあたりに中上さんが吉本さんや三上さんとつながったポイントのようなものがあり、当時はまたそのような人同士がつながる時代であったということでもあるのかもしれない。いずれにせよ、土地や血縁の呪縛のようなものに一時期恨みを抱いていた、そして社会運動を続けようとするわたしにも、中上作品は興味深いものであることはたしかだ。

◆24時間の世界と「25時間目」の世界との裂け目をどうするか

三上さんは『吉本隆明と中上健次』で、「日本国の『共同幻想』」を「超える共同幻想とは、日本人や日本列島の住民の幻想という意味である。文化といってもよい。大衆原像の歴史的な存在様式といってもいい」などと述べている。

『いま、吉本隆明25時』のイベント冒頭で中上は、「十代のころから吉本隆明を読んでいてずっと読み続けているのだけれども、吉本隆明という人間はもともとマルチプル(多様・複合的)なのだけれども、さらにもう少しいままでのレベルをメタのレベルみたいに展開しはじめた。それで吉本さんと突っ込んで話してみたいと思いました」「吉本隆明っていう存在は、もっと、こう、何か一つの事件なんじゃないか。あるいは、一つのプラトーを示している」「一人の思想家が、やっぱりマルチプルにものを考えていくっていうのは、やっぱりすごいことだと思うし、驚異だと思うんです」と挨拶している。そして彼自身は、この集会で、「超物語論」について語っているのだ。

また吉本は、「超物語論」の冒頭で、「典型的な中上さんの物語は、もの狂いの世界に集約されるべき心理的要素といいますか、狂いの要素っていうのが、死者の世界と前世の世界みたいなもののところへまで、拡張されている」ともいう。いっぽう中上は、物語というのは、「コロス(古代ギリシア劇の中で劇の説明をする合唱隊)の問題、あるいはポリフォニー(複数の独立したパートからなる音楽)の問題、それを同時にはらんでると思うんですよ。これは共同性の問題ですよね」と述べ、ミハイル・バフチンのドフトエフスキー文学は各人の思想や人格を尊重されているとする「ポリフォニー論」に触れる。また、質疑応答で島田雅彦が「乱入」するわけだが、これを今改めて読むと、自分の思想を問い直される。個人的には実は、ネイティブアメリカンの「グレイト・スピリット」に共感し、1人ひとりに内なる神が存在する、その内なる神同士を尊重するというコミュニティの考え方が、行き着いた先の2000年代、2010年代にわたしがしっくりくる考え方なのだ。だから、同世代にローカリゼーションや東アジア連帯、エコロジーなどの運動に携わっていく人が多いこともうなずける。そこに吉本は、最低綱領と最高綱領の話をもってくるわけだ。

『吉本隆明と中上健次』終章で三上さんが触れた、24時間の世界と「25時間目」の世界との裂け目をどうするかという、「25時間目」が革命を意味する時の課題。これに向き合うために、『吉本隆明と中上健次』『いま、吉本隆明25時』『枯木灘』を並べて読むということを試みてみた。道楽者仲間の通信読者の方がいらっしゃれば、おすすめの方法だ。感想やご意見もお聞きしてみたい。(つづく)

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動等アクティビスト。『現代用語の基礎知識』『情況』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』ほかに寄稿・執筆。
◎「山﨑博昭追悼 羽田闘争五十周年集会」(『紙の爆弾』12月号)
◎「現在のアクティビストに送られた遺言『遙かなる一九七〇年代─京都』」(デジタル鹿砦社通信) 

 
12月15日発売『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点 [報告]三上治さん「どこまでも続く闘いだ──塩見孝也さんの訃報に接して」他

三上治さんの『吉本隆明と中上健次』〈1〉 3・11の衝撃と「25時間目」の革命

 
三上治『吉本隆明と中上健次』(現代書館2017年9月)

吉本隆明の一番弟子であり、また元ブント(共産主義者同盟)叛旗派の「親分」でもあり、さらに現在ではテントひろばメンバーとして活動を続ける三上治(味岡修)さん。2017年9月、彼の新刊『吉本隆明と中上健次』(現代書館)が上梓された。三上さんには吉本・中上との共著もあり、また雑誌『流砂』(批評社)でも繰り返し吉本などについて論じてきたのだ。

そして10月20日、「三上さんの『吉本隆明と中上健次』出版を祝う会」が、小石川後楽園涵徳亭にて開催された。今回、この書籍と「出版を祝う会」について、3回にわたってお届けする。

◆吉本の思想を超えていく三上さんの反原発

『吉本隆明と中上健次』では、序章が「3・11の衝撃」、第1章は「死の風景・精神の断層」となっている。

序章では、たとえば「福島原発阻止行動隊」の結成についても触れ、以下のような注釈がつけられている。

「福島原発阻止行動隊」は、「福島第一原発事故収束作業に当たる若い世代の放射能被曝を軽減するため、比較的被曝の害の少ない退役技術者・技能者を中心とする高齢者が、長年培った経験と能力を活用し、現場におもむいて行動することを目的として、2011年4月に「福島原発阻止行動プロジェクト」として発足、以降『一般社団法人 福島原発行動隊』と改名し、さらに12年4月より『公益社団法人』の認定を受け活動を続けている」

▼三上治(みかみ・おさむ) 1941年、三重県生まれ。66年、中央大学中退。75年、共産主義者同盟叛旗派から離れ、雑誌『乾坤』を主宰し、政治評論・社会評論などの文筆活動に専念。編集校正集団聚珍社に参画し、代表を務める。同社を退職後、再び文筆の活動をおこない、「9条改憲阻止の会」で憲法9条の改憲阻止の運動を遂行。著書に『一九七〇年代論』(批評社)、『憲法の核心は権力の問題である──9条改憲阻止に向けて』(お茶の水書房)ほか多数

私は当初、三上さんからこの話を聴いた際、反対した記憶がある。周囲の30~40代による東北・関東から関西・九州・沖縄などへの避難・移転が相次いでいた時期で、60~70代とはいえ皆さんの体が心配だった。だが、三上さんの決意は変わらぬように見えたことも憶えている。本書では、この時の緊迫した状態についても記されている。まさに、当初「決死隊」とも呼ばれていた理由がよくわかるのだ。

また、「吉本が従来の見解を変えることを期待して」吉本の発言を確認し、彼のもとに足を運んでいたことが述べられる。3・11後、私は、やはり三上さんから、吉本は原発推進であることを聴いており、三上さんの思いの複雑さを勝手に想像したものだった。ただし、本書に、吉本の発言を追う背景として明確に、「僕が脱原発、あるいは反原発の運動をしていたからではない。吉本と梅原猛、中沢新一による鼎談集『日本人は思想したか』(新潮社/1995年刊)で、原発の技術的克服という問題に留保をしていたところがあったからだ」と記している。ただし、「あまり積極的に脱原発の運動に関与してこなかったのは吉本の影響だったと思えるところがある」とも吐露する。

吉本は『日本人は思想したか』で、「反原発ということに対しても反対です。その根拠はとても単純で、技術は必ず現在を超えると思っているからです」「原発よりも有効でありかつ安全であるという技術が出てきた時には、必ず自然廃滅されるんですね。僕はそういう意味で、技術を楽観的に考えていて、エコロジカルな思想、反原発の思想に反対であると言ってきたと思うんです」と述べている。

『吉本隆明と中上健次』に戻れば、3・11後、吉本の『毎日新聞』掲載の発言からも、三上さんは「科学技術の後退はあり得ないということと、原発の存続ということがあまりにもあっさりと結びつけられていることに疑問を感じるのである。ただ、吉本はこの時期に原発問題をどう考えるかで揺れ動いていたとも推察できる」という。そして、『思想としての3・11』(河出書房新社)での、吉本の「利用する方法、その危険を防ぎ禁止する方法をとことんまで考えることを人間に要求するように文明そのものがなってしまった」という言葉も紹介している。

◆原発をめぐる山本義隆と吉本隆明の科学論

さらに、山本義隆さん(科学史家、自然哲学者、元・東大闘争全学共闘会議代表)が『福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと』(みすず書房)で、「かつてジュール・ヴェルヌが言った〈人間に許された限界〉を超えていると判断しなければならない」と記述していることにも触れた。これは、『海底二万里』で知られるジュール・ヴェルヌの小説『動く人工島』のもつ「科学技術には〈人間に許された限界〉があるのではないか」というテーマ、問いかけを指す。そして三上さんは、「科学技術は無限に発展するという近代的な考えに疑念が出てきているのが現在ではないかと思う。原発事故の衝動がもたらしているのはこのことである。こういう人類的な課題を原発事故は象徴しているところがあるのだ」「現在の原発の存続の理由は、これまでの原発投資で形成されてきた既得権益のためである。独占的な電機業界と官僚(原子力ムラ)や政界の一部で出来上がっている既得権益の維持がその理由である」と記す。

私が3・11後に考えたことを一つ挙げるなら、「結局、答えが完全には明確でないなら、より知り、より考え、より感じるしかない」ということだ。三上さんは「科学技術としての可能性でなく現実性」という旨の表現を用いており、これこそが、わたしがより知ろうとしたことなのだろう。

そのうえ三上さんは、吉本の科学論をマルクスの自然哲学にもさかのぼって考える。「進むも地獄、撤退するも地獄」で「撤退してしまえ」なのだが、「吉本にはかつて科学技術者であったこだわりが強くあるのだろうか」と。マルクスに、人間は矛盾に満ちた地獄に引き裂かれる存在であるというものが含まれるのなら、私が「人間の美しさは葛藤にある」けれども「知り、考えて選び決意(して行動)することにこそさらなる美しさがある」と個人的に考えていることへと、本書は連なっていく。三上さんの言葉や文章は、常に「現実性」を経て「人間とはいかなる存在か」へと導いてくれる。

2017年10月20日、小石川後楽園涵徳亭にて開催された「三上さんの『吉本隆明と中上健次』出版を祝う会」

◆「25時間目」の革命

実は、この3回分の原稿は、『NO NUKES Voice』掲載予定が変更になったこともあり、本書にも多く取り上げられている原発問題に関する内容を中心に紹介してきた。ただし、本書には、ほかにも現在の運動にみられる「自立」のこと、吉本が参加していた「自由さと自立性」ある「ラジカルな行動」、80年代や『マス・イメージ論』、『最後の親鸞』と仏教思想などについても述べられている。

だが、ここでは、個人的な最近の関心から、吉本のいう「25時間目」について触れたい。本書を読んでいる際、運動の中で私は「The personal is political(個人的なことは政治的なこと)」という60年代以降のフェミニズムのスローガンにたどり着き、そしてこの「25時間目」という言葉を知った。三上さんの本書での説明によれば、「『25時間目』とは幻想という時間を意識し自覚することだ。そして幻想的世界を作り出す時間である」「24時間の世界との裂け目を生むものだった。この裂け目をどうするかが、『25時間目』が革命を意味する時の課題だった。別の言い方をすれば、生活と幻想を紡ぐことの矛盾の解決(対応)だった」という。

そして私は『いま、吉本隆明25時』吉本隆明・三上治・中上健次他著(弓立社)をパラパラとめくり、合点がいったというか、2018年にかけての運動のテーマの1つとして、「The personal is political」と「25時間目」を心に留めおこうと考えている。つまり、多忙で活動に参加できず、参加できても自らの問題を解決できずに、しかも運動に希望をもちづらい現在。それでも時には100年後を夢見ながらも運動を継続するためにも、私たち1人ひとりのことを「25時間目」の革命によって、幾度倒れても起ち上がり続けようという思いを抱いたわけだ。

『いま、吉本隆明25時』の主催者3人の挨拶「究極の左翼性とは何か─吉本批判への反批判─を含む」で、吉本は「結局抽象的な概念ということと、具体的なことをどのように結び付けていくのかっていうことを、僕は自分の育ちっていうのが左翼なんですけども、そこの中にあるさまざまな欠陥を考えました」、「市民社会の大多数を占めている一般大衆の考えてる事柄をじぶんの思想に取り込むという考え方が全くない」批判本は「怪文書だ」、「国家と資本が対立した場面では、資本につくっていうのがいいんです」、「人間とは何なんだという問いを発したとき、自然的な人間に対して抵抗することで、人間であるっていうような部分がたくさんあるわけです」と語っている。

80年代すら遠くなり、3.11も経て、現在の私たちだからこそ考え得ることはある。そして私は、現在の運動のための哲学や思想が不足していると10年ほど考えきたが、実はこれまでの膨大な歴史がすべての現在につながっていて、直接的に交流できる「自由を追い求めてきた先人」もいる。それにようやく気づいたのだった。(つづく)

【参考】
図書新聞 評者◆三上治 未知の革命形態へ触手をのばす――それぞれの苦しみと格闘
No.3146 ・ 2014年02月15日 (9)「今、吉本隆明25時」のこと

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動等アクティビスト。『現代用語の基礎知識』『情況』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』ほかに寄稿・執筆。
◎「山﨑博昭追悼 羽田闘争五十周年集会」(『紙の爆弾』12月号)
◎「現在のアクティビストに送られた遺言『遙かなる一九七〇年代─京都』」(デジタル鹿砦社通信) 

 
12月15日発売『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点 [報告]三上治さん「どこまでも続く闘いだ──塩見孝也さんの訃報に接して」他

京都大学立て看規制から見える社会の終焉

11月25日付けの朝日新聞によれば、京都市は京都大学に対して同大吉田キャンパスの立て看板が「京都市の景観を守る条例」に違反する旨の行政指導を行っているという。

11月25日付け朝日新聞

◆京大もいよいよ来るところまで来た

「京都市の景観を守る条例」を使うとは、また姑息な言い訳を探し出したものだ。「自由な学風」と言われた京都大学も「大学総右傾化」に漏れず、いよいよ学生自治の最終的破壊に取り掛かり始めた。

京大では昨年半日だけの「バリケードストライキ」が行われたが、それに関わった京大生は、まず無期停学になり、次いで「退学処分」になった。京大生、学外者を含めて、京大には氏名を明示して「京都大学敷地内への立ち入りを禁止の通告」と仰々しい貼り紙がある。この手の氏名まで特定しての「立ち入り禁止」のお触れは、明治大学で目にしたことがあるが、たった半日の「バリケードストライキ」で退学プラス敷地内立ち入り禁止処分を出すとは、京大もいよいよ来るところまで来たと言えよう。

現在の京大山極壽一総長は霊長類の研究者として知られており、総長就任の直前に元京大教授だった方にうかがったら「山極は本物のゴリラですわ」と好意的に評価されていた。どちらかといえば政治とはあまり縁がなく、純粋な研究者との印象が強かったようだ。

京大だけでなく、全国の大学で大学自治の喪失、「産学共同」の名のもとに大企業の学内侵入(あるいは招聘)はもう当たり前のように進行しているので、学生に「自治」や「権利」などと話をしてみても反応するのは100人に1人いるかいないか、というのが今日の状況だ。純粋な表情で無垢そうな体の細い若者たちは、全体におとなしく、声が小さく、選挙権を得ると自民党に投票する傾向がある。

そこにもってきて「京都市の景観を守る条例」を引き合いに出すとは、京大当局と京都市の連携がなに恥じることなく愚かな方向に邁進していることのあかしだ。京大当局の本音は「学生自治を完全に破壊しつくして、学外からの研究費獲得のためのより良い環境づくりを進めたい。そこで京都市さん、一肌脱いでもらえまへんやろうか」だ。京都市は「簡単なことどす。任しておくんなはれ」と「景観を守る条例」を引き合いに「京大はん、ちょっと立て看なんとなんとかなりまへんやろか?」と京都伝統のうち最も悪い部分を丸出しに「芝居」を打つ。

見え見えだ。京都に暫く住んでみれば行政と地域や市議会と企業などの関係で、京大―京都市で繰り広げられる「芝居」のようなことがしょっちゅう起こっていることは勘の鋭い人ならすぐにわかる。

◆IT化で進行する「本来の大学のありようの放棄」

京都は狭い盆地の中に多くの大学が集中し「大学のまち」と呼ばれることがあるほど学生が多い。近年観光旅行客の増加で影が薄くはなったが、京都市内の大学生人口比率は相当高く、学生が居ることを前提に成り立っている商売(主として賃貸マンション)も少なくない。一時は大学の郊外志向時代があり同志社大学や立命館大学などの私立大学は京都市外に広いキャンパスを求めたが、東京でも都心回帰が起こっているように、同志社は文系学部をすべて元の(今出川)キャンパスに戻したり、京都学園大学(名前は京都学園だが所在地は亀岡市だった)が念願の京都市入りを果たしたり市内への流入を目論む大学も少なくない。

それにしても大学の「景観」や美しさとは、立て看板一つない、貼り紙一つない、学生活動も低調で、入学したらすぐに「キャリア」という間違った英単語で指導される「就職活動に目が向けられる様子にあるのだろうか。新しく建てられた大学の教室にはLANケーブルの端子とコンセントが標準装備された机を目にする。当然パソコンの利用を前提としてのことだ。わたしにはあの設計が、「本来の大学のありようの放棄」に思えて仕方がない。講義中にパソコンを開かせる大学教員の神経がわからない。

講義中のパソコン使用は、工学や電子工学など一部の理系講義を除けば、わからない意味をインターネットで調べる「カンニング」の推奨であり、「考えること」、「調べること」を放棄させているのではないか。もっともパソコンを使わせなくても大教室でのマスプロ講義は昔から真剣な学問の対象とはなりえなかったけれども。そして「景観条例」は企業の宣伝を規制するために作られた条例ではなかったのか。

◆大学の主人公は「学生」から「カネ」へ

大学の主人公は「学生」であるはずだ。それがいつのころからか、学生の体だけは確かに学内にあるけれども、本質は「カネ」が主人公の位置を奪いとった。京大だけでなく、若者が手なずけられやすくなった時代を歓迎し、安堵している向きも経済界や与党を中心に多かろう。しかし、彼らは必ず高いツケを払わされる運命にある。いやこの社会全体が間もなくとてつもない負債の返済を迫られる。

未来があるはずの若者ならば、どんな状況であろうが「不満」や「不条理」を感じ取るのがヒト種の動物的な生理反応だ。そんなものに国境はない。若者が現状に安堵し、肯定し始めるのは、とりもなおさず社会の後退と終焉への思考なき暴走を意味するのではないか。それを期待し喜んでいる大学当局。例によって私の「考えすぎ」悪癖にすぎないか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代─京都 学生運動解体期の物語と記憶』定価=本体2800円+税
タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

中島岳志的「リベラル保守」という欺瞞 

朝日新聞検索画面

◆左翼と右翼は「どっちもどっち」か?

「リベラル保守」を自称する東京工業大学教授の中島岳志氏が2017年4月24日配信のAERAの西部邁との対談記事でこう述べていた。

西部 一方で、左翼の論客の言葉だってネトウヨと同等に乱雑で、内容としては反知性的なオピニオン、つまり「根拠のない臆説」が増えている。右翼だけが反知性主義だというのは、朝日の偏見です(笑)。
中島 朝日を最も攻撃しているのも、また左翼です。ちょっとでも理想と違うと糾弾する。どっちもどっちです

もともとリベラル・左翼嫌いでリベラル・左翼論壇に登場しない西部氏の発言はこの際どうでもいい。問題は中島氏である。中島氏は朝日新聞の紙面やデジタル版によくインタビューに登場する人物だ。

朝日新聞関係者とおそらく親密な関係にある中島氏が「朝日を最も攻撃しているのも、また左翼です」として、前後の文脈から推測するに「ネトウヨ」「右翼」と「どっちもどっち」と言っているのだ。朝日新聞とつながりがあるからなのかどうかわからないが、身内贔屓ではないか。

以前中沢けい氏に関する記事で言及した『帝国の慰安婦』の日本語訳を出版したのは朝日新聞出版だが、この本の学術的な不備や欠陥を指摘したら「ネトウヨ」「右翼」と「どっちもどっち」になるのだろうか。補足すると中島氏は中沢けい氏と同じく「朴裕河氏の起訴に対する抗議声明」の賛同人だ。中島氏の認識は論壇非主流派でも論理的に整合性のある指摘をする人たちを軽視することになりかねない。

◆悲惨過ぎるアジア主義者たち──頭山満から日本会議への水脈

中島岳志『アジア主義 西郷隆盛から石原莞爾へ』(潮文庫2017年7月)

中島氏は著書『アジア主義』(潮出版社)において、葦津珍彦の書いた「永遠の維新者」という本を取り上げている。これは西郷隆盛を論じた本で、中島氏によると「現代民族派の古典とされ、右翼関係者の間では必読の書」で「アジア主義者たちが西郷を敬愛する論理が、きわめてクリアに描かれて」いるそうだ。葦津珍彦は西郷隆盛を継承したのは頭山満(葦津が師事した人物)をはじめとする玄洋社であるとし、西郷隆盛と同時に頭山満らを高く評価している。それにならってか中島氏は『アジア主義』で全体的に頭山満や玄洋社をやや肯定的に描いている。

しかし、玄洋社は大隈重信を暗殺しようとして爆弾テロをしかけた来島恒喜が所属していた組織だった。

頭山満にしても天皇機関説問題の時には「機関説撲滅同盟」という物騒な名前の団体を結成している。この団体主催の機関説撲滅有志大会での決議内容は以下の通りである。

一、政府は天皇機関説の発表を即時禁止すべし
二、政府は美濃部達吉及其一派を一切の公職より去らしめ自決を促すべし

来島にしろ頭山にしろ「ちょっとでも理想と違うと糾弾する」どころではない。
ちなみに頭山満を敬愛してやまなかった葦津珍彦は戦後右派学生運動に巨大な影響を与えている。藤生明『ドキュメント日本会議』(ちくま新書)によると、右派学生運動の指導者の1人であった椛島有三はある時期から葦津珍彦の理論に影響を受けて今までの憲法無効論を放棄し、運動の路線転換を図ったのだという。椛島はこう書いている。

藤生 明『ドキュメント 日本会議』(ちくま新書2017年5月)

「国難の状況を一つ一つ逆転し、そこに日本の国体精神を甦らせ、憲法改正の道を一歩一歩と前進させる葦津先生の憲法理論に学び、探求し、『反憲的解釈改憲路線』と名付けて推進していくことになった」

ラディカルな無効論から現行憲法の存在を認めたうえでコツコツと骨抜きをしていく路線への転換。これが息の長い着実な草の根運動へとつながっていく。

椛島有三は現在日本会議事務総長をつとめている。葦津珍彦の流れは学生運動のみならず、戦後の右派運動の本流となっているのだ。

中島氏の著作は、彼の言うところの「アジア主義」にたいして大きな勘違いをひき起こすのではないかと思われる。中島氏はメディア露出が多いため、その危険性は大きい。「アジア主義」「リベラル保守」という用語が過去をマイルドに偽装するものであってはならないだろう。

他にも中島岳志の著作に関しては、『博愛手帖』というブログの管理人が“新しい岩波茂雄伝?”と題して中島氏の『岩波茂雄 リベラルナショナリストの肖像』(岩波書店)に関して詳細な批判をくわえている。岩波茂雄に関する他の関連著作を読み込んだうえでの大変緻密な読みで非常に参考になる。ご一読いただけると幸いだ。

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

〈われわれの「いちご白書をもう一度」〉を歌いたい ── 11・12同志社大学学友会倶楽部主催・芝田勝茂さん(児童文学作家)講演会、100名の参加で大盛況! 芝田さん、45年振りのキャンパスで語る!

あつっぽく講演する芝田さん
講演レジメ(全員に配布)

このかんたびたびお伝えしてきましたように、11月12日、京都の同志社大学今出川キャンパスで、「70年安保・学生運動、そして児童文学……過ぎ越し45年を振り返り いま生きてあることの意味を問う」と題し、私の先輩にして児童文学作家の芝田勝茂さんの講演会が開催されました。講演の内容は、別紙のレジメに沿って話されました。

学友会倶楽部は、全学自治組織「学友会」解散後、OBの、いわば親睦組織として発足し、毎年今の時期に大学の行事としてなされるホームカミングデーで講演会を開いてきました。今回で5回目となりますが、単にゲストを招いて講演していただくだけでなく、1年に1度ではありますが、集まって、学生時代から培ってきた志を確認し、お互いの現在の活動を知り、また励まし合うということだと私なりに理解しています。

代表は、1964年度生の堀清明さん。堀さんはかつて大きな事故に遭いお体が不自由な中で頑張ってこられ、また今年は2カ月余り入院され、退院されたのは講演会の1週間前でした。かつて「若きボリシェビキ」(古い!)の時代は、人一倍過激で怖い方だったと聞きます。

そのように先輩が頑張っているのに、後輩が安閑としているわけにはいかないでしょう。

ということで、今年は私の発案で、学生時代直属の先輩だった芝田勝茂さんをお呼びすることになりました。

お呼びするに際し、実に37年ぶりに再会しいろいろ話しました。懐かしさと共に、お互いに生き延びてきたことを喜び合いました。

芝田さんは、1971年の三里塚闘争で逮捕され、長い裁判闘争を抱え、生活面含め苦労されながら児童文学の作品を書き続けてこられました。今回、私(たち)の求めに応じ、「初めてで最後」の学生時代の話をされました。一時期、共に活動したこともあり、当時を想起し、ほろっとするところもありました。

ところが、11・12が近づいてくるにしたがい、「はたしてどれだけの方が参加してくれるだろうか」との強迫観念にさいなまれました。宣伝・広報活動にも最大限努めました。同日、10・8羽田闘争50周年記念集会など複数のイベントが重なり、参加者が分散することも懸念されました。実際に、「10・8記念集会に行くよ」と言った方も何人かおられました。ええい、たとえ実行委員だけだったとしても、われわれのできる最大限の取り計らいで芝田さんをお迎えしようと腹を括りました。

そんなこんなで当日朝まで眠れない日が続きました──。

しかし、それは杞憂でした! 当日、会場には続々と参加者が押し寄せてくれました。涙が出そうでした。実行委員も含め100人ほどの参加者でした。10・8記念集会などとバッティングしなかったらなあ……と思いましたが、そんなことを言っていても仕方がありません。

私が最初の挨拶と司会・進行を努めさせていただきました。

開会の挨拶をする松岡

芝田さんのお話は、学生時代の体験から始まりましたので、肯けることばかりでした。やはり学生時代に共に議論し共に行動したことは身に付いています。

芝田さんにしろ、3年前に遙かアメリカからお招きした矢谷暢一郎さん(現・ニューヨーク州立大学教授、学生時代は学友会委員長)にしろ、人一倍の苦労をされました。おふたりに共通しているのは逮捕・勾留、有罪判決を受けたということです。そのご苦労が今に結実しています。私も逮捕・勾留、有罪判決を受け、それなりの苦労はしましたが、それがいいほうに結実しているかどうかはわかりません(苦笑)。

この日、芝田さんの単行本未収録の短編小説3篇を小冊子にし、レジメと共に参加者全員にお配りし喜んでいただきました。また、「S・Kさん」として再三再四くどいほど登場する『遙かなる一九七〇年代‐京都』の完成を目指しました。元々、長年かけて準備してきていたものですが、だらだらしてなかなか進捗しませんでした。ここは、11・12に向けて完成させようと、共著者の垣沼真一さんと意を引き締め編集作業に努めました。なんとか間に合い11月1日に完成し、署名したものを直接芝田さんにお渡しすることができました(奥付の発行日は11月12日)。

この本の底流には、芝田さんの思想が在ります。それは、
「俺は、虚構を重ねることは許されない偽善だといったんだ、だってそうだろう、革命は戯画化することはできるが、戯画によって革命はできないからな」(本書第三章「創作 夕陽の部隊」より)
という言葉に凝縮されています。

この作品について芝田さんは直前のフェイスブック(11月7日)で、
「……1973年にノートに殴り書きされた『夕陽の部隊』は、暗黒の闇がすぐそこに来ている刻に、一群の若者たちが得体の知れない怪物と闘う話だ。彼らの論理は、確実な敗北を前にして、ひとはいかに生きるのかという、ある種の美学にすぎないように思える。現世に、なにがしかの獲物の分け前を求めるのではなく、夕陽の金色の残照に、どのように煌めくのかという、それだけのために、醜怪の極に向かって突っこんでいく、最後の突撃隊。だが、『敵』とはいったい、誰のことなのだろう?……主人公の青年が、その後に辿り着いたところ、そこでどんなことがあったのかをも含めて、今の若い方々にも聞いていただければ、と思う。決してノスタルジーを語るつもりはない。それらのすべてが、『今』に意味を持っているのかを、わたしも知りたい」
と書かれています(『夕陽の部隊』は『遙かなる一九七〇年代‐京都』に再録されています)。

荒井由美の時代の名曲「いちご白書をもう一度」(1975年)からも42年経ちました。世に出たのは、芝田さんや私が失意のなか京都を離れる頃です。月日の経つのは速いものです。〈われわれの「いちご白書をもう一度」〉を歌いたい──。 

最後になりますが、私の無理を聞き入れ「初めてで最後の講演」をしていただいた芝田さん、本講演の実行委員のみなさん方、会場に足を運んでいただいた皆様方に、心よりお礼申し上げます。

多くの方々で埋め尽くされた会場

(松岡利康)

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代‐京都 学生運動解体期の物語と記憶』定価=本体2800円+税

われわれの「いちご白書をもういちど」―― 11・12(日)同志社大学学友会倶楽部主催・芝田勝茂(児童文学作家)さん講演会へのご参集をお願いいたします! 鹿砦社代表・松岡利康

今や児童文学の世界で確かな地位を築かれた芝田勝茂さんは、私の学生時代の2年先輩にあたります。1970年代前半のことですので、遙か昔のことです。

芝田さんは1968年に同志社大学(文学部国文学専攻)に入学、この頃は、70年安保闘争、教育学園闘争華やかりし時代で、芝田さんも時代の渦に巻き込まれていきます。そうして70年に入学した私と出会い、一時期を共に過ごし、70年代初めに盛り上がった学費値上げ阻止闘争、沖縄-三里塚闘争を共に闘いました。

芝田さんは71年の三里塚闘争(成田空港反対闘争)で逮捕され、以後長い裁判闘争を強いられます。しかし、裁判と生活のために京都を離れ上京、働きながら徐々に児童文学の作品を書き始めます。そうして1981年『ドーム郡ものがたり』でデビュー、83年『虹へのさすらいの旅』で児童文芸新人賞を受賞、そして90年『ふるさとは、夏』で産経児童出版文化賞を受賞し、以降40点近くの作品を出版、児童文学作家としての地歩を固めていきます。

また、私も学費値上げ阻止闘争で逮捕-起訴され、裁判と生活に追われ、芝田さんともなし崩し的に連絡が途絶えていきました。最初の作品『ドーム郡ものがたり』の出版直後一度東京でお会いした記憶がありますが、学生時代以来会ったのはそれ一度でした。

今回、学生時代から45年、81年に一度会ってからも35年ほど経って、なにかの巡り合わせか、同志社大学が年に一度行うホームカミングデーに学友会倶楽部主催の講演会にお招きすることになり再会しました。これも運命でしょうか。

「学友会」とは、各学部自治会、サークル団体を統括する自治組織で、60年安保、70年安保という〈二つの安保闘争〉をメルクマールとして全国の学生運動、反戦運動の拠点となり、同志社大学はその不抜のラジカリズムで一時代を築いたところです。残念ながら2004年に自主解散し、かつてそこに関わった者らで作られたのが「学友会倶楽部」です。いわば親睦組織のようなものですが、かつての記録集を出版したり、5年ほど前からホームカミングデーで講演会を行っています。

芝田さんは、当時運動に関わり逮捕-起訴された者のほとんどが身バレすれば社会的に不利益を蒙り生きにくくなることからそうであったように、出身大学名や学生時代の活動なども誰にも語らず過ごして来たそうです。

今回、学生時代のことを語るのは「最初で最後」だということですが、共に一時期を過ごしたこともあり、興味津々です。われわれにとっての「いちご白書をもういちど」といえるでしょうか。

この講演会に間に合わせるべく、私なりに当時のことを書き綴った『遙かなる一九七〇年代‐京都~学生運動解体期の物語と記憶』という300ページになる分厚い本を上梓しました。この底流となっているのは芝田さんと共に過ごした70年代初めの物語と記憶です。こちらもご購読よろしくお願いいたします。

なお、11・12芝田勝茂さん講演会ですが、入場料は無料、先着100名のご参加の方に、単行本に未収録の芝田さんの短編小説3篇を収めた小冊子を進呈いたします。貴重です(将来的にプレミアがつくかもしれません〔笑〕)。

11・12(日)芝田勝茂さん講演会(同志社大学学友会倶楽部主催)
芝田勝茂さん 略歴と著書

三里塚とパレスチナから、人間の心・尊厳、闘争の手段を再考する

元プロレタリア青年同盟・元国鉄下請労働者の中川憲一さん © 2017 三里塚のイカロス製作委員会

人の心や尊厳と、それを守るための闘争の手段とを問うような映画上映&トークと集会が開催された。わたしは、9月30日にドキュメンタリー映画『三里塚のイカロス』を観て監督と出演の方のトークを聴き、10月1日には「『エルサレム! 今、ハンダラ少年は何処に?』第2次インティファーダ17周年 10.1パレスチナ連帯集会」に参加したのだ。

◆ 「命をかけてカヌーに乗る権利があるが、心通わせる運動がしたい」という思い

『三里塚のイカロス』の代島治彦監督は、大津幸四郎監督とともに手がけた前作『三里塚に生きる』後の2013年、辺田部落の農民の妻となったHさんの自殺に対して『不条理』を感じ、強い憤りを覚えたことが本作制作のきっかけとなったという。『三里塚に生きる』を観て「運動は『魂の救済』へと向かわねばならない」と考え、大津幸四郎さんが撮影を担当していた小川伸介監督『日本解放戦線・三里塚の夏』なども観ていたわたしは、『三里塚に生きる』の映画評を雑誌に寄稿し、新作の完成も心待ちにしていた。

© 2017 三里塚のイカロス製作委員会

『三里塚に生きる』は三里塚芝山連合空港反対同盟に参加した農民を中心に描いていたが、『三里塚のイカロス』では支援の活動家が主に取り上げられている。その中で、Hさん同様、農民の妻となった女性たちも多く登場するのだ。

作品パンフレットでは、反対同盟事務局次長の島寛征さんは、1967年の「強制外郭測量阻止闘争」で、機動隊が「座り込みをしている反対同盟の農民を蹴飛ばしたり、ぶん殴ったりし」た、と語っている。共産党はスクラムを解いて歌を歌ったが、68年の「三里塚空港実力粉砕現地総決起集会」では新左翼はすでにヘルメットにゲバ棒で武装していた。『三里塚の夏』では、「三里塚空港粉砕全国総決起集会」で反対同盟の青年行動隊もカマと竹槍をもって武装する姿が映し出されている。ただし、反対同盟の中には葛藤があった。

『三里塚に生きる』では、機動隊3人が死亡した東峰十字路事件を経て、青年行動隊リーダー・三ノ宮文男さんが自殺した当時を仲間が振り返る。パンフで島さんは、「『ここで生きていこう』という運動に死人が出る。少なくとも農民は、この頃から闘争の矛盾に気づきはじめます」という。その後、援農と妻たちの話題に移り、産直の「ワンパック」運動にも触れている。ちなみにわたしたちは以前、四ツ谷の「自由と生存の家」でここの野菜を含めて送ってもらい、販売して得た収入を「自由と生存の家」に暮らす人々にカンパするなどしており、現地のイベントにも参加していた時期があった。そこには運動とは無関係に父親とともに移住してきた青年が、農的な暮らしに精を出す姿もあり、希望を感じたものだ。

ところで本作では、空港が開港され、移転を余儀なくされた際に悩み苦しむ元支援の妻たちの思いも拾い上げられる。そしてHさんが移転を苦に鬱病を発症し、亡くなってしまう。そのような中、話し合いでの「秘密交渉」による前進が試みられるが、読売新聞の報道によって事実は「ねじ曲げられ」、反対同盟幹部(の一部)と新左翼党派から「秘密交渉」を試みた人々が自己批判を迫られる。中核派では「三里塚で主流派になり、日本の革命的左翼全体の主流派にならければならない」という意図が持ち上がり、生活と命が踏みにじられていく。結果、反対同盟において「永続闘争」は否定され、終息の仕方が話し合われるようになる。パンフで島さんは、「時代は変わっても政府と住民のいざこざは今後もどんどん起きる訳ですよ」「砂川米軍基地拡張反対闘争からはじまって、いまの沖縄の米軍基地問題まで、そこで生きる住民が一番損をしている訳ですよ。三里塚はどうかっていうと(中略)闘争の犠牲を代償にしたことで、その後は農業を持続できる体制ができたり、地元での仕事が増えたり、住民はあまり損をしない形になったと思う。」とも語っているのだ。そして沖縄の辺野古では、三里塚を教訓に、非暴力が貫かれていると代島監督はいう。

上映後、出演者である元第四インター・平田誠剛さんと代島監督のトークがあった。そこで平田さんはまず、「みんなそれぞれ傷を持っていたりするが、わたしと同じように、終わっていない、続いていると聞き、それがうれしかった」と、監督に感謝の言葉とともに述べた。また、「中核のやり方を統制し、反対運動を続けていくのは難しかった。それはわたしたちの責任だろうと思う。第四インターだけでなく、わたし個人も、関わった人も」とも口にする。さらに、「わたしは福島に生き続ける。今は、ほとんどいわき市にいて、三里塚闘争の経験を生かしながら、単なる類推でなく人々の共感、ともに歩む生き方を、恥ずかしいけどしているかなと感じている。(このことをカメラの前で語らなかったのは)いうべきことにあらずと思っていたから。代島監督は埴谷雄高の(4兄弟が窮極の「革命」について語る)『死霊』を読み直しているといっていたが、わたしはドフトエフスキーの(無神論的革命思想の「悪霊」に憑かれた人々の破滅を描く)『悪霊』を再読している。19世紀に限らず、今だって人間に起こりうること。わたしはあまりこのようなことを改めていいたくないが、それぞれ(このようなことを)抱えているとわかっていなければいけないと思う。逃げずに踏みとどまり、『おもしろい』闘いを続けたい」「三里塚の経験があって、焦らなくなった。心通じ合える瞬間みたいなものがあり、それだけでも十分と思うこともある。支援として、福島に尽くし足りないわたしが悪い」「俺たちは命をかけてカヌーに乗る権利があるし、これからも生きていく。第4インターはトロツキストで、後ろから弾が飛んでくることがわかっても、ともに闘う戦線をつくり、反撃しない思想。だが、わたしは立派なトロツキストでない。パクられた仲間のほとんど字を書けない母親の手紙に泣いた。俺たちが継ぐものはそういうものであり、そのようにやりたい」などとも語った。

農民の方々や支援に参加していた方の複雑な思いはあるだろうし、わたしは近隣の出身なので地元の人々が現在抱く思いも聞いている。いずれにせよ、現在、社会運動に携わっている立場として、闘争の意味をさまざまな視点から問い直す作品は意義深い。また、個人的には大友良英さんのファン歴も長く、ドキュメンタリー映画のコアをこのように音楽で表現できる人はほかになかなかいないだろう。

元革共同(革命的共産主義者同盟)中核派政治局員の岸宏一さん © 2017 三里塚のイカロス製作委員会

◆ 尊厳と「存在」とをかけた闘いを、誰が断罪できるのか

そして、たまたま翌日に開催されたのが、「『エルサレム! 今、ハンダラ少年は何処に?』第2次インティファーダ17周年 10.1パレスチナ連帯集会」だ。近年、この連帯集会にも参加しているのだが、今回は「ハンダラ少年」が取り上げられた。ハンダラとは、1975-87年頃、ナジ・アル=アリによって描かれた、パレスチナ難民を描写したイラストの登場人物。「正義と自己決定のためのパレスチナ人民の闘争の強力な象徴」であり、「難民キャンプの子供のように素足で、わたし(ナジ・アル=アリ)を『間違い』から守るアイコン」「彼の手は、アメリカの方法による解決策に対する拒絶反応として、背中に隠されている」。ナジ・アル=アリは10歳の時にレバノンの難民キャンプに収容され、ハンダラ少年も10歳として描かれており、パレスチナに自由と尊厳とが取り戻されるまで成長することも振り返ることもない。

講演で中東近現代史研究家の藤田進先生は(アメリカなどによる国際連合の決議を経て分割され)イスラエルに侵略されるパレスチナの情況を語り、「最後に譲れないものは、人間の尊厳、物質的なものよりもプライド」と強調した。尊厳がなくなると人間は存在できなくなる。物理的に破壊されても、(パレスチナの暮らしに根づき平和や生命の象徴とされてきた)オリーブの木は生えて、抵抗運動がまた始まり、人間としてのプライドが強く打ち出されるものだともいう。

ナジ・アル=アリは絵を描き続け、1987年頃から93年頃まで続いた第1次インティファーダ(抵抗運動・民衆蜂起)がヨルダン川西岸とガザ地区で始まった頃にあたる87年に暗殺されたが、犯人は逮捕されていない。彼の本を監修した(『パレスチナに生まれて』いそっぷ社)藤田先生は、「ハンダラ少年はパレスチナだけでなく全アラブ社会、全イスラム社会、そして世界へと広がり、多くの人を惹きつけている」と説明する。パレスチナでは虐殺が繰り返され、ハンダラ少年は背中だけで顔を見せないが、その後ろ姿は抑圧された人々にエールを送り続けるのだ。そして、彼は常に事態を見つめており、ノーコメント。「そのハンダラ少年の見つめるディテールが、この絵を見るものの現実・置かれている事態・苦しみとつながる。抵抗の眼差しが描かれているのだ」とも藤田先生はいう。そして、パレスチナのあちこちに、ハンダラを描いた子どもたちの落書きがあるそうだ。

たとえばオイルの絵では、石油を入れるブリキ缶を伸ばしたものを用いた掘っ立て小屋が建てられている。藤田先生は、「国連の金で難民収容の家を造られているが、最初はテントで、その後に泥造りのものになる。ただし、狭くて不潔で住み心地が悪いため、たとえ劣悪で貧弱なものしか造れずとも人々は改造を試みるのだ。いっぽう、湾岸産油国はリッチ。そしてここに描かれた夫婦は、故郷の土地やオリーブ、暮らしのことを語り合っているのだろう。レバノンにイスラエルが侵攻してPLO(パレスチナ解放機構)の拠点だったベイルートの難民キャンプがつぶされ、国際政治による大弾圧の時期の中での思いが想像される」と説明する。

ナジ・アル=アリがハンダラ少年を描いたオイルの絵(撮影=小林蓮実)
イスラエル軍がパレスチナ人に住宅をダイナマイトで破壊した現場で配布した警告ビラについて説明する藤田進先生(撮影=小林蓮実)

また、第1次インティファーダの終わり頃、93年に突然、オスロ合意(イスラエルとPLO間の協定だが、2006年のイスラエルによるガザ地区・レバノン侵攻で事実上崩壊)が結ばれ、一方的にパレスチナの平和が「強行」される。その際に、イスラエル軍がパレスチナ人に住宅をダイナマイトで破壊した現場で配布した警告ビラも紹介。ビラには、「この家は住人の1人がテロリスト協力者のため破壊された。つまり報復攻撃だ。テロリストと協力者は破壊と絶望を増すだけであり、このようにならないように気をつけろ」という旨のことが書かれている。藤田先生は、「アメリカの圧倒的な支援を受け、最新鋭の、通常兵器でなく戦略兵器を住民弾圧に用いるイスラエルの軍事力と、抵抗グループのそれとの非対称。抵抗メンバーなどは、トイレにも行かせてもらえず、垂れ流しの中、人間としての尊厳を奪われ、怒りと抵抗が起こっている」と語るのだ。

そして、「第2次大戦後、国際連合ができ、対立があっても、人間の自由と尊厳のために維持せねばならないものがあるという、平和のロジックを世界は共有した。イスラエルをつくったユダヤ人にも生活があり、家庭を築いており、土地が必要であることをパレスチナ人は否定できない。だからこそ、話し合いを始めることがパレスチナ人の大きな念願。イスラム、アラブ社会では、宗教が違っても、隣人同士としての関係をつくるという考えが根本にあった。アラブの関係を動揺させるアメリカのやり方に対しても、違和感が世界に広がり始めたのだ。そして、イスラエルの将来に絶望する人々はイスラエルから外へ出ている」とも加えた。

会場からの「神風特攻隊と抵抗運動の共通点」などに関する質問に答え、現地で活動していた足立正生さんは、「神風特攻隊とリッダ闘争(パレスチナ解放のための日本人青年による決死の闘争)とは、180°異なる。そうでない後者は人間の尊厳を求める側から、虐殺と困難を強いられた側からの個人的な決起。国家テロこそなくさないかぎり、人道主義も人権もへったくれもない。人民や民衆を弾圧する政治こそがテロだ。生き延びるかの抵抗の闘いはテロではない。占領と抵抗抜きにして、『暴力』を否定できるのか。それは、尊厳の一部ではないか」と問いかける。

ほかにもいくつか質問があり、藤田先生も、「アメリカのバックアップを受けてユダヤ人だけの国を造ろうとすれば、アラブ全土を治めないかぎり安心しない主体となる。ただし、そのイスラエルの中にも、共存を考える人が現れている。だからこそ、アラブとユダヤ人の共存の話し合いに舵をきるべきだ。まずは、イスラエル内の左翼や民主主義者との対話を構築せねばならない。また、リッダ闘争は政治と武力闘争を力尽くで押さえ込まれた『お手上げ状態』から起こった。ルサンチマンに近い武力の闘争だ。神風特攻隊は、天皇制国家・国民国家から起こったものだが、アラブの自爆はパトリオット、自分の故郷を思う気持ちから起こっているもの。生活空間を守るための最後の手段として選択されており、女性の救急隊員などですら『自爆テロ』をおこなう。占領に抵抗する『暴力』を、はっきりと批判したり断じきれるのか。冷静では考えられないことだ。非暴力とは別に、人間の尊厳を蹂躙するものに対して激しく闘う心、リスペクトの闘いがイスラム世界にある。これをさせないためには、軍事力でなく、彼らが求める話し合いに応じることだ」と繰り返す。

また、サラームという言葉は平和と訳されるが、「宗教は違っても人間同士共存すべきだというイスラムの論理。人間のダメさ加減をアッラーの教えを忠実に守ることで乗り越えるというもの、そういった意味でアッラーの奴隷になるということ」と説明した。

撮影=小林蓮実

最後に、「世界から支援されているという意識が生まれ、現在、強力に非暴力抵抗活動が進められている」という意見が会場からあったが、足立さんは「それが民衆の抵抗の抑圧に使われており、現在も自爆攻撃はある」と口にしたのだ。

力をもたない側、尊厳を奪われている側は、命をすでに奪われていることと同じ状態にさらされる。そんな人々の最後の選択としての抵抗運動の形。国内などでは理解も得られず有効でない方法かもしれないが、リッダ闘争に参加した岡本公三さんを支援するオリオンの会では、「秋葉原事件」は抵抗運動かどうかという議論がなされたことがあった。答えは出ていなかったが、事件当時わたしは、彼は化け物ではないし理解できると考えたものだ。無差別殺傷を肯定はできないが、それは自分だったかもしれないと、これにかぎらずさまざまなときに考える。

わたしたちの、そして世界の人々の尊厳のために、いろいろな問題に対して対話を実現させること。そのために自分は何ができるのだろうか。そんなことをいつも思う。

◎『三里塚のイカロス』オフィシャルサイト http://www.moviola.jp/sanrizuka_icarus/
横浜シネマリンにて上映中。10/21(土)より名古屋シネマテーク、フォーラム仙台、メルパ岡山で公開。ほか全国順次公開予定

◎JAPAC blog(Japan Palestine Project Center)http://japac.blog.fc2.com/


◎[参考動画]映画『三里塚のイカロス』予告編(moviolaeiga 2017年7月24日公開)


◎[参考動画]証言で紡ぐ成田空港反対闘争~「三里塚のイカロス」代島監督インタビュー(OPTVstaff 2017年9月6日公開)

▼ 小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年生まれ。フリーライター、労働運動等アクティビスト。
○『紙の爆弾』11月号 特集「小池百合子で本当にいいのか」
「『追悼文見送り』でも隠せない 関東大震災 朝鮮人虐殺の〝真実〟」寄稿。
○現代用語の基礎知識 臨時増刊号ニュース解体新書(自由国民社)
「従軍慰安婦問題」「靖国神社参拝」「中東の覇権争い」「嫌韓と親韓」を執筆。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか