金曜日の夜、新宿駅でばったりと鈴木邦男さんにお会いし、その日ご自身がトークをされたオフィス再生「見沢知廉十三回忌追悼公演『蒼白の馬上~1978326~』」をすすめてくださったので、10日日曜日に千歳船橋のAPOCシアターまで足を運んだ。

◆運動の現場で民主主義を実現することの困難

見沢知廉といえばモテ男で、「死因は自殺でなく女性に殺されたようなものだ」などというまことしやかな噂のある右の作家、という程度の知識しかなかった。だが実は、彼は元は新左翼だった。サイトのプロフィールを引用しよう。

見沢知廉十三回忌追悼公演『蒼白の馬上~1978326~』©平早勉

___________________________________
高校2年17才、戦旗派の高校生細胞になる。
1978年3月、成田空港開港阻止決戦に参加。
その後、新右翼へ。イギリス大使館火炎瓶ゲリラ、ロシア大使館攻撃、アメリカ大使館ゲリラ、要人テロ計画。
1982年、23才、9月11日、スパイ粛清事件をおこす。殺人の罪で千葉刑務所に12年収監。獄中で新人賞を受賞。
満期出所。作家デビュー。
2005 年、マンション8階より投身自殺。享年46才。
___________________________________

なぜかブントの、特に元戦旗派の知人が多く(戦旗派の裾野が広いからだが)、三里塚闘争にも関心があり、期待が高まる。

見沢知廉十三回忌追悼公演『蒼白の馬上~1978326~』©平早勉

作り手さんや演者さんは比較的若手であり、連合赤軍の舞台を思い出した。当事者が観たら違和感ある個所は存在するかもしれないが、若い世代に関心を抱かせるに十分。また、「ワナビー(何かになりたい人・こと)」がテーマになっていて、これもたとえば40・50代以下の感覚に響くかもしれない。

1978年を描いた見沢知廉の小説が元になっているとのことだったので、終演後、どこまでが小説で、フィクションとノンフィクションの境目はどこかが気になり調べた。『蒼白の馬上』の元はロープシンの『蒼ざめた馬』で、爆弾を抱えてロシアをさまようテロリストたちが描かれているようだ。そして『蒼白の馬上』は、女性の語りにより、殺人・粛清を小説化したものらしい。彼は左翼に背を向けたので、情念は肯定しても、運動としてはさほど肯定していないことも考えられる。

わたしはいずれもまだ読んでいない。とにかく芝居を観ている間中、わたしはずっと芝居に沿って考え事をしていた。とにかくずっと考えさせられた。たとえば、運動の現場で実現されない民主主義のことを、守るために閉じる組織のことを、闘いの目的のことを、大同団結やワンイシューのことを、それでも理想を描くことが大切であることを、生きているからこそのそれぞれの思いを、そして自らの目の前に常にあるいろいろな問題のことを。

ラストシーンが事実かどうかは調べてもわからなかったが、ショックだった。事実なら書こうと思っていたが、その部分がフィクションで再演があったりするとネタバレになってしまうので、具体的には書かない。否定し続けてきた組織とまったく同じ論理を、仲間を高揚させてまとまり目的を達するために引っ張り出してしまったということなのだから。ありうる話ではあるし、事実でなければ若い人にとって武装闘争はパロディー以上になりえないということなのかもしれない。このへんに関してわたしの考えを書き出すと長くなるので、また機会があれば、ということで。そして、原作を読んでまた考えるということで。オフィス再生の『二十歳の原点』の舞台を観る機会を逃したままのわたしだが。次回公演はドイツ文学とのこと。関心ある方、「闘争」が過去ではないそこのあなたも、今後、チェックしてみてください。

小林蓮実撮影

◆平和を具体的にイメージするイベント2つ

その後、江東区木場公園の野外ステージ・イベント広場で開催された「アースキャラバン2017東京」へ。「アースキャラバン」の公式サイトによれば、「アースキャラバンは、国籍・人種・宗教の違いを乗り越え、戦争を無くすことを誓い合い、 その誓いを世界中に発信する世界規模のイベントです。」と書かれている。

駅から向かうと木場公園の中の橋を渡っていちばん奥に会場があり、ゆるやかなイベントであることが即座に感じ取れる。音楽が演奏され、チャリティーマーケットでは人権・環境・民族・平和・子ども・食・リラクゼーション・クラフトなどにまつわる国内外のさまざまなテーマを掲げたブースが並ぶ。ワークショップも催された。支援金はパレスチナやバングラデシュの子どもたちの支援などに使われる。そして、原爆の残り火「平和の火」を手に、4大宗教の宗教家、イスラム教のアフマド・アルマンスールさん、ユダヤ教のダニー・ネフセタイさん、キリスト教の長尾邦弘さん、仏教の遠藤喨及さん(呼びかけ人)と来場者が、ともに世界の平和を祈った。

アースキャラバン東京実行委員会提供

最後に、代々木公園ケヤキ並木でおこなわれていた「アフリカン・アメリカン・カリビアンフェスタ2017」へ。アフリカ系アメリカ人と、南米東海岸やカリブ海の島に住む人々の中規模の祭といった感じだ。フード、酒、コーヒー、雑貨、衣料品などが販売され、音楽とダンスを楽しむ人々が集まっていた。

1日あちこちめぐり、平和というのは、ゆるい空気なのだと考えた。現在、そのような空気は小さなコミュニティなどでなければ感じられず、大きな範囲の平和を思い描く時には大きな声を出したりしないといけないのかもしれない。いつの時代にも、世界のあらゆるところでも、強い力に対して闘わざるをえないことだってあるだろう。でも、ゆるやかで心地よい世界を実現したい時、わたしたち1人ひとりがそれぞれに、できることがあるのだろう。仲間と一緒に理想を、いま、ここから実現したいと、いつも考えている。秋になったら、もっとゆっくりと、物事を深く考える時間を確保したい。

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]

1972年生まれ。フリーライター、エディター。『紙の爆弾』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』などに寄稿。労働や女性などに関する社会運動に携わる。同世代の中では貴重なブントの「でたらめな魂」に耐えうる人間だと自覚するうち、いろいろなことに巻き込まれる。次に訪れたい国はパレスチナか香港かトリニダード・トバゴ。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか

9月15日発売『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

河出書房新社ツイッターより

北原みのりといえばしばき隊との強いつながりを持つ「のりこえねっと」共同代表であり、著名な作家・運動家だ。ろくでなし子氏の逮捕に関して連座し、自身も逮捕された経験を持つ。その北原氏が同じく逮捕経験のある右翼作家佐藤優との対談本を河出書房新社から昨年末に出版していた。読んでみたが想像以上に北原氏が何をしたいのかよくわからない内容だった。まずはウェブ上の出版記念対談から。

北原 いままで佐藤さんの本を手に取ったことのなかった女友達からは、100パーセントの確率で「佐藤さんっていい人なんだね!」という読後の感想をいただきます(笑)。
佐藤 そうですか、強面のイメージがありますからね(笑)。
   (情報サイトBOOK BANGの対談記事より)

「強面のイメージ」と自分で言ってしまう佐藤優には失笑するし、手放しで褒めてしまう北原氏とその女友達も盛大な勘違いをしている。佐藤に批判的な論文『佐藤優現象批判』を執筆した岩波書店社員の金光翔氏にたいして佐藤がどんな攻撃をしたのかを知れば「イメージ」どころではない佐藤の本質がわかるだろう。ぜひこの詳細は金氏の個人ブログ『私にも話させて』、もしくは鹿砦社から出版されている『告発の行方2』をお読みいただきたい。メディアによって狡猾に主張を使い分ける佐藤優を容認する「論壇」の腐敗した実態も告発している。

 

『告発の行方〈2〉知られざる弱者の叛乱』

◆佐藤優の危険性に気づかない北原みのり

佐藤優の主張の使い分けは対談本「性と国家」でも存分に発揮されている。「性と国家」では従軍慰安婦問題に関して多くの紙数が割かれているが、佐藤は従軍慰安婦の告発に対して以下のように述べている。

[大事なのは、告白される側に、上から目線ではなく、フラットに告白を受け入れる能力があるかどうか。元日本軍「慰安婦」の話を戦時の性暴力という限られた局面にずらしてしまわず、ごく普通の家庭に潜んでいるような性的暴力や、ジェンダー的な無理解の問題として受け取れるかどうか](『性と国家』151頁)

一見いかにも真摯で真っ当な意見であるようにみえる。しかし佐藤は民主党政権時の玄葉光一郎外相(当時)の従軍慰安婦問題に関する発言に対してこう述べている。
「韓国に対して、『死活的利益を共有している』などという過剰なレトリックは避けるべきだ。韓国との関係で、焦眉の課題は、慰安婦問題の国際化を韓国が行わないようにするための方策を考えることだ。なぜなら、慰安婦問題が国連総会第3委員会に提起されると、それがわが国にとって死活的に重要である日米関係に悪影響を与えるからだ。」(2011年10月1日脱稿のBLOGOS記事より)

ここにみられるのは露骨な国益主義だ。「フラットに告白を受け入れる」態度とは明らかに違い、慰安婦問題を封殺する意図しかない。

またこの対談本では朴裕河の著作『帝国の慰安婦』の評価についても言及されている。北原氏はもともとこの著作に否定的だ。東大でのこの著作をめぐるシンポジウム(肯定派、否定派が勢ぞろい)に出席した北原氏は朴裕河を擁護する学者に対する違和感を佐藤優にぶつけている。

[かりにも東京大学で、教授クラスの方々が一冊の本を巡り議論するわけじゃないですか。私も発表の機会を与えられたので、けっこう緊張して行ったんです。ところが、そういう場で怒声が飛んだりするんですよね。(中略)「和解から始めればいいだろう!」と大声を出す男性知識人もいてびっくりしちゃった](『性と国家』103~104頁)

ちなみに引用部分の「和解」は朴裕河が多用するキーワードである。上記のヤジは朴裕河を擁護する学者のものと思われる。

北原氏は自身の持っている連載などで慰安婦の思いをよそに国家間の都合で合意(和解)が進められていくことに憤りをつづっている。その点は貴重な視点だ。しかし、朴裕河をこのシンポジウムで最も痛烈に批判した鄭栄桓明治学院大学准教授は前述の金光翔氏を支援する目的で以前から佐藤優を顕名で批判している。

[ここに岩波書店の就業規則改悪問題を取り上げるのは、問題が岩波書店の労働問題並びに日本の言論の自由に対する悪影響に留まらず在日朝鮮人の言論活動への弾圧としての側面を有しているからである。今般の岩波書店の就業規則改悪はこの間の金光翔氏の言論活動への封殺を意図したものと考えられる。(中略)金氏はこの間、論文「〈佐藤優現象〉批判」(『インパクション』第160号、2007年11月)を皮切りに、右翼・国家主義者であり在日朝鮮人への弾圧を煽る佐藤優を他でもない岩波書店が積極的に起用することを批判し続けてきた。極めて重要な批判であり、私も多くを学んできた](ブログ『日朝国交「正常化」と植民地支配責任』より)

北原氏も鄭栄桓氏の精緻な読解により朴裕河がいかにデタラメな解釈をしているのか学んでいたはずだ。それをよりにもよって佐藤に違和感をぶつけるとは(多分この経緯を知らなかったのだろうが)絶句せざるを得ない。

北原氏は対談本の巻末で「私はこれまで男性と対談する機会はほとんどなかった。その私が安心して佐藤さんと対話できたのは、佐藤さんが米軍ゲートの前で動かなくなる棺の重みを、説明しなくとも感じる人だからと思う。差別と暴力を、握り拳のなかで感じられる人との語りは、私を様々なところに連れていってくれた。」と佐藤優を絶賛しているが、何をかいわんやである。

◆M君リンチ事件を早期に知っていた北原みのり

 

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

北原氏の軽率さはこれだけではない。北原氏と『奥様は愛国』という共著もある朴順梨が鹿砦社の元社員に送ったメールによれば、北原みのりは事件後李信恵と会った際にM君リンチ事件を知ったのだという。(『反差別と暴力の正体』58頁~59頁より)

北原氏は「これだから男は! これからは女達が声をあげていこう」という趣旨の話を朴順梨に電話でしていたようだ。続編の『人権と暴力の深層』で触れられているが、鹿砦社によるM君リンチ事件の取材にたいして、北原氏は今まで返答をしていない。
 
◆共通する佐藤優現象としばき隊現象

佐藤優にしろしばき隊にしろ近年の日本の論壇・社会運動の腐敗を象徴するものだ。最近ではしばき隊の一派でM君リンチ事件の隠ぺいにも一役買った男組の組長(民団新聞によれば彼は右翼とされている)がハラスメントを行っていたとの告発もあった。佐藤もしばき隊も一見右翼の国家主義者には見えない点も共通しており、明敏な識者からは以前から安易に右翼を容認する危険性を指摘されていた。佐藤優が論壇にのさばることを止められなかったことが現在のしばき隊の跳梁跋扈を準備したと言っていいだろう。

その点北原氏が佐藤優との対談に応じて、佐藤に関して間違ったイメージを拡げてしまったこととしばき隊の横暴に沈黙していることは重大だ。佐藤優を称賛したことを反省し、M君リンチ事件に関して知っていることを公にすべきだ。

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

9月15日発売開始『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか

毎年恒例の山谷夏祭りと、戦後72年が経過して観る慰安婦映画について、お伝えする。

◆運動現場に起こりがちな問題に対し、丁寧に対処する姿勢を山谷にみる

2017年の山谷夏祭りは8月5日(土)と6日(日)、「日雇労働者の権利を奪うな! 白手帳取り上げ反対!」をテーマに開催された。山谷夏祭りでは、「この社会でもっとも貧しい人々、社会の中で搾取抑圧を受け厳しい立場におかれている人々である野宿の仲間たちが中心となって楽しめる祭り」を目指している。

わたしは越年闘争や夏祭り、集会などで幾度か山谷を訪れているが、特にこの夏祭りの笑顔や踊りは印象的だ。5日、あまり長時間の参加がかなわなかったが、スケジュールを確認すると、アルミ缶交換、めし作り、よりあい、めし(ひつまぶし風どんぶり/カレー)、追悼、乾杯、屋台、ステージ演奏(ジンタらムータ・Swing MASA・中川五郎・蟹座・岡大介)、カラオケ、盆踊り(炭坑節・東京音頭・大東京音頭・ドンパン節)など、やはり盛りだくさんの充実した内容となっている。

山谷は労働運動、貧困・格差解消のための運動に携わるわたしたちにとって、現場の1つではあるものの、象徴のような場だ。

白手帳とは日雇労働被保険者手帳のことで、雇用保険法が規定する日雇いや30日以内の短期間の仕事をする人は、まず居住区のハローワークでこの手帳の交付を受けられる(ことになっている)。しかし、建設労働以外の職種では白手帳はほとんど知られていない。建設労働者は本来、全国の現場を渡り歩いているので、大阪・名古屋・横浜などの日雇職安で白手帳を作ることができ、東京・山谷地区での管轄は玉姫および河原町労働出張所である。労働者は賃金の支払いを受ける際、この手帳を提出して会社に印紙を貼ってもらう(日雇労働者を雇用する事業主は印紙の貼付を義務づけられているにもかかわらず、貼らない業者が増えている)。2カ月間で26枚以上印紙が貼られている手帳を持参すれば、ハローワークで求職申し込みをしたうえで仕事が見つからなければ、翌月13日分以上の給付金が受けられる。この給付金は「あぶれ手当」と呼ばれ、仕事を得られなければ、前月の賃金に応じて日に4,100~7,500円が支給される。

全国のハローワークと日雇職安を統括する厚生労働省は、近年、わずかな不正行為を口実に「あぶれ手当」の支給を厳しくしただけでなく、日雇労働者から白手帳を取り上げるという締め付けを強行しようとしている。印紙の枚数が少なくアブレ受給の可能性が低いという理由で日雇雇用保険そのものから脱退させようというのだ。日雇労働者を雇っても印紙を貼らない業者が大多数であるという実態は問題にせず、逆に労働者に印紙を貼れないなら無保険になれと手帳を取り上げる。ただでさえ不安定な日雇労働者の権利を根こそぎ奪おうとする国のこの動きに反対運動が行われている。

また山谷の活動では、撮影や差別・抑圧の問題等にも真正面から取り組んでいる。あらゆる運動において、さまざまな問題がみられるが、それを継続や権力保持のために誰かが握りつぶそうとするさまを10年あまりで数えきれないほど目撃し、耳にもしてきた。そのためにわたしが距離を置いた運動も多くあるが、山谷では、そのような問題に真摯に向かっているという印象をもっている。活動のはじめにハラスメントの問題に対してセーファースペースがあることを伝えたりする習慣があり、今回も撮影や差別・抑圧の問題に関する資料をきちんと配布しているのだ。民主主義を現場から実現しなければ、社会を変えることなどできるはずがない。

9月30日土曜日には、1984年12月22日、天皇主義右翼・金町一家に殺された佐藤満夫監督の遺志を引き継ぎ、日雇全協・山谷争議団の山岡強一さん(87年1月13日に同様に殺された)が完成させた「山谷(やま)──やられたらやりかえせ」がplan-Bにて上映される。これを観ると、山谷の原点や、社会の差別・抑圧・支配構造がよくわかるかもしれない。

◆貴重な「最後の記録」に、1人ひとりの怒り・痛み・哀しみをみる

万愛花さん © 2015 ドキュメンタリー映画舎 人間の手

その前には専修大学にて、「班忠義監督作品特集──日・中・韓を結ぶ25年の記録」の中の「太陽がほしい──『慰安婦』とよばれた中国女性たちの人生の記録」を観ていた。本作は、「チョンおばさんのクニ」「ガイサンシーとその姉妹たち」と戦時性暴力被害を受けた女性たちを取り上げたドキュメンタリー2作を経た班監督が、750名余りの支援を受けて製作した120分の作品だ。

共産党員として拷問を受け、性暴力を受けたうえ、脇毛を抜かれたり銃床で殴られたり軍靴で蹴られたりして全身を骨折した万愛花さん。隊長や日本兵からの性暴力を毎日受け、無理矢理自宅から連行される際に銃床で殴られて左肩に後遺症が残った劉面換さん。隊長や日本兵・清郷隊という傀儡軍隊員などからの性暴力を受け、陰部を切り裂かれたりして精神状態にも悪影響が及んだ郭喜翠さん。ほか、計6?7名を中心とし、当時の具体的な話やエピソードを語ってもらい、その後から現在にいたるまでの苦悩も描いている。彼女たちはその後、心身の健康被害が残っただけでなく、日本兵に協力したものとして差別を受け、貧困に陥り、現在、病院に行くことすらままならない。長い月日を経たものの当時の記憶はみな鮮明で、振り返りながら涙が止まらなくなる。告発しながら舞台で卒倒してしまう人もいた。

▼班忠義(Ban Zhongyi)監督 1958年、撫順市に生まれる。95年、中国人元「慰安婦」を支援する会を発足。99年、ドキュメンタリー映画『チョンおばさんのクニ』(シグロ製作)を監督。07年、ドキュメンタリー映画『ガイサンシーとその姉妹たち』(シグロ製作)を監督。10年、ドキュメンタリー映画『亡命』(シグロ製作)を監督

作品の途中、小さな希望を抱かされるものの、ラストでは多くの女性がすでに亡くなってしまったことが告げられる。わたしは「間に合わなかった」という絶望感を抱かざるをえなかったが、現在の日本に生きる者として、何度でもそこからまた始めなければならない。上映後のトークでも班忠義監督は、「被害者として知っている女性の生存者は、中国全土で8人前後。完全に歴史になった。取材はもうできない。記憶の伝達が難しく、限界がある」と語った。

本作では、戦中戦後の中国の歴史も大変わかりやすく綴られ、37?43年に華北方面で活動した共産党軍(紅軍)である八路軍(はちろぐん)についても触れられる。班監督は現在、日本に住んでいるが、『亡命』という作品も手がけており、トークでも習近平以降の監視が厳しく、撮影や上映もままならない状況についても語った。ゲストの専修大学教授で中国文学・思想史を専門とする土屋昌明先生も、「日本では沖縄以外でありえないほど、中国は厳しい状況。これが法律で決まっている。2016年、映画祭をやろうとしたら、電線を切られ、フィルムを没収され、映画学校が取り潰しになった」という。そして監督は最後に、「大事なのは、歴史をどう残すかということと、関係を築いて他国や人間を理解すること。わたしのようなバカなヤツがたくさん、本当に必要」と締めくくった。

「太陽がほしい」は、1人ひとりの女性の思いがストレートに伝わってきて、胸に突き刺さる。このようなドキュメンタリーは、多くはない。わたしは「チョンおばさんのクニ」「ガイサンシーとその姉妹たち」のDVDを購入した。

この時期、足を運んだり映像によって現場・当時を「生々しく」知ることで、労働者の仲間のこと、戦争のことなど、改めて考えたい。

「太陽がほしい──『慰安婦』とよばれた中国女性たちの人生の記録」

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年、千葉県生まれ。フリーライター、エディター。『紙の爆弾』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』などに寄稿。労働や女性などに関する社会運動に携わる。映画評・監督インタビュー執筆、映画パンフレット制作・寄稿、イベント司会なども手がける。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』9月号!さよなら安倍政権【保存版】不祥事まとめ25

灘中学校・灘高等学校の和田孫博校長が、歴史教科書採択をめぐって、「謂れのない圧力」を受けていることを示し、8月2日にインターネット上などで注目を集めた(http://toi.oups.ac.jp/16-2wada.pdf)。そんな現在、前回までに引き続き映画ネタとはいえ、「戦争のつくり方」についてともに考えていただくこととしたい。

◆「戦争は過去の連続線上にあるとするアナロジー(類推)は思考を阻害する」(四方田犬彦さん)

▽金子遊(かねこ・ゆう) 映像作家、批評家。ドキュメンタリーマガジンneoneo編集委員。著書に『辺境のフォークロア』『異境の文学』『映像の境域』、編著に『フィルムメーカーズ』『吉本隆明論集』『クリス・マルケル』『国境を超える現代ヨーロッパ映画250』『アメリカン・アヴァンガルド・ムーヴィ』『アピチャッポン・ウィーラセタクン』など。共訳書にマイケル・タウシグ著『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』。劇場公開映画に『ベオグラード1999』『ムネオイズム』『インペリアル』がある。

『インペリアル 戦争のつくり方』より

7月29日、『映像の領域』(森話社)刊行を記念し、本書の著者の映像作品を特集した「映像個展 レトロスペクティブ 映像作家 金子遊」が開催。トルストイ『イワン・イリッチの死』を本案とした16mmフィルムの劇映画『でろり』、詩人の吉増剛増、文化人類学者の今福龍太などが国内外を「疾走」するアートシネマ『ぬばたまの宇宙の闇に』、自殺した元恋人と一水会を追った『ベオグラード1999』、鈴木宗男の選挙活動に密着した『ムネオイズム 愛と狂騒の12日間』などが上映された。わたしは落ち着いたら『映像の領域』を拝読しようと思っており、金子さんの映像作品は『ムネオイズム』しか拝見していなかったが、この日は最後に上映された『インペリアル 戦争のつくり方』を観た。

『インペリアル』は、憲法改正後、国防軍が置かれ、徴兵制が復活した2045年という近未来を舞台に展開する。朝鮮半島で紛争が勃発し、アメリカの要請を受けて日本が軍事介入。第3次世界大戦を生き残った主人公ラサは、発電所跡地で旧式のコンピュータを用い、これら悲劇の映像を編集する。金子さんは60年代フランスのクリス・マルケル監督によるSF『ラ・ジュテ』を志向したそうで、近未来SFの中に著名人のトーク、15年に亡くなったあの福島菊次郎さんの写真、デモなどの映像が差し込まれている。そして、戦後100年目から過去を振り返るわけだ。

上映終了後、金子さんと、映像史家・四方田犬彦さんとのトークがおこなわれた。四方田さんは、「先行する映像の出自やコンテクスト(文脈)が落ちてしまい、その『歴史』は誰のイデオロギーかがわからなくなる。また、戦争は過去の連続線上に戦前のようにあるとニーチェの永劫回帰のように考えることは『鈍磨される』ことにつながるから、そのようなアナロジー(類推)はむしろ思考を阻害する」と語った。

◆「戦争への道」の可能性と「格差のつくり方」

たしかに、特定秘密保護法・安全保障関連法・改正通信傍受法、7月11日に施行された共謀罪新設の改正組織的犯罪処罰法の流れを受け、現在の政治情勢や社会状況を治安維持法や戦前になぞらえる意見は多くある。言論や活動は自由を奪われて自粛を余儀なくされ、意志を貫けば法で裁かれるのだ。安倍は今秋の臨時国会に自民党の憲法改正案を提出する方針を変えていない。だが、改憲以前に、「戦争づくり」は着々と進んでしまった。

そして戦争は冒頭の灘校長のような人に圧力を加えながら以前のようにつくられていく。ただし個人的には、経済的徴兵制はすでに始まっており、集団的自衛権の行使も進めようとされるものと考えているが、基本的には朝鮮半島の南北は互いを同じ民族と考えていて親戚同士離ればなれの人も多いうえに文在寅(ムン・ジェイン)さんが大統領に就任したために朝鮮半島で紛争が勃発する可能性は低いとも思う。朝鮮が先制攻撃をすることもないだろう。それよりも、危機を煽り続けて軍事ビジネスや保守的な政治をアメリカや日本が進め、今以上に民主主義は後退し、格差が拡大するということのほうが現実的な問題としてここにあるように感じる。その結果どうなるかは、中東が参考になるかもしれない。

『インペリアル 戦争のつくり方』より

『インペリアル』では、実は福島瑞穂さんが、四方田さん同様、姿・形を変えた戦争への道について口にしている。また、トークの場で金子さんは、「観る人は完成した作品を、そこにあるものとして観る。イギリスの文化人類学者・ティム・インゴルドの『ラインズ 線の文化史』(左右社)では、つくることは〈線〉に沿って進行し、事前にデザインされたものであり、ビッグピクチャーがあるという。僕はもともと『ラ・ジュテ』のような映画をつくりたいと考えていて、そこに出演希望者が現れ、福島菊次郎さんに写真の使用許可をいただき、ミュージシャンとの出会いもあった。政治思想が先にあったわけではない」と語った。

その前後にも興味深いお話はさまざまにあったが、ここからは「映像作家・批評家・民族学者などを横断し、アイデンティティの揺らぐおかしなわかりづらい人といわれる」という金子さんに対する、わたしなりの理解(誤解?)を書いてみたい。

◆現象、思考、感覚などの記録と表現

『インペリアル』の感想としては、「これはまさに金子さんの『ホレタの寄せ集め』だな」というもの。わたしは金子さんが編集委員を務めるドキュメンタリーカルチャーマガジン『neoneo』(#09 完全保存版「いのちの記録 障がい・難病・介護・福祉」全国大型書店、ミニシアター、ミュージアムショップ等で発売中)とそのサイトのお手伝いを時々させていただいており、他の仲間から「『neoneo』は記録を残したいという彼の意志の反映」と聞いている。金子さんは日常的にカメラをまわし続け、それが本作の素材にもなっている。ちなみに『インペリアル』は、12月に上映の予定もあるそうだ。

そして、60~70年代の邦画とドキュメンタリーを好むわたしは、テイストとしても本作を好ましく感じた。なかにはあまり共感できない意見も登場はするし、ヘイトスピーチともなれば彼らの登場直後に会議で「単なる弱い者いじめ」と確認しあって基本的には批判的な原稿を書いたこともあるわたしだが、それも記録と捉えれば理解はできる。別の映像製作者の知人は、「日常からしか作品は生まれない」という。

70年代安保世代などにも現在でも映像に携わったり社会運動から作品を生み出す人はもちろんいるが、格差や貧困の問題に注目が集まり、運動に参加する人が増え始めた2000年代後半頃からデモなどの現場でもムービーカメラをまわす人が増えた。また、映像機器の価格が手頃になって扱いやすくなり、ソフトも一般に普及し始めて、周囲の紙媒体の現場からも映像に携わる人が増加。映像のインパクトや要素の広さ、新たな表現などに引かれる人が増え、才能が移っていったのだろう。

現場に向かう彼らは「メディアアクティビスト」と呼ばれたり名乗ったりするようになり、カルチャーの世界にも政治の季節がやってきた。そしてわたしも彼らを真似ようとして「アクティビストライター」と名乗ってみたり、仲間や友人との雑談の際にもICレコーダーをまわしたこともあった。いろいろ面倒ですぐにやめたが、現在でも、日常の「感覚」など過ぎゆくものの一部をどこかに記すように心がけている。

金子遊さんの新刊『映像の領域』(森話社2017年6月)

では、人のさまざまな記録や作品は、どこにつながっていくのか。それはたぶん、それぞれの好む、それぞれの望むところであって、多くが好み、望み、行動を始めるなら、未来は変わる。本作を観てきっと誰もが思うことは、好んだり望んだりしていない戦争に、勝手に巻き込まれるなんて真っ平御免、ということだろう。嗚呼、よかった……。

そして新刊『映像の領域』では、映像メディアがアートと接触する領域と、映像批評と他者の文化研究が重なる領域について触れているそうだ。『neoneo』をある人は「ドキュメンタリーとアート」を評する媒体であるといい、またある人は「ドキュメンタリーと史実をもとにした劇映画」を取り上げる媒体だという。アートは気質のようなものであり、文化が背景と無関係ではいられないからこそのカルチュラルスタディーズだというのがわたしの感覚だが、不勉強なので後日また機会があれば本書を読んだうえでここに触れてみたい。そして、いいたいことを直接的にいうことやきれいにまとめたい気持ちをぐっとこらえて、「揺らぎまくるアイデンティティ」「おかしさ」「わかりづらさ」で突きぬけたような次回作を、わたしは(勝手に)心待ちにする。


◎『インペリアル 戦争のつくり方』(予告編) “Imperial : How They Create a War” Trailer

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年、千葉県生まれ。フリーライター、エディター。『紙の爆弾』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『労働情報』などに寄稿。労働や女性などに関する社会運動に携わる。『教育と文化』88(2017 Summer)号に竹信三恵子さん『正社員消滅』(朝日新書)の書評掲載(一般財団法人 教育文化総合研究所

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』9月号!さよなら安倍政権【保存版】不祥事まとめ25

前回に引き続き台湾ネタで恐縮だが、予告通り(?)、6月29日から7月2日・3泊4日の訪台レポをお届けする。

◆1日目は、日本料理と、ノスタルジックな街並みや人々に惚れこむ

羽田・台北間の移動に用いた台湾の航空会社「エバー航空」は、サンリオと提携しており、機体も機内もサンリオ三昧。鹿児島上空あたりで他の旅客機や船も見えた。台北松山空港にて「エバー航空」の子会社である「ユニー航空」のプロペラ機に乗り換え、台東空港へ。私は台湾を訪問するのは初めてだが、台北で空港の外に出ることはなかった。その後、バスで「台東富野渡假酒店(HOYA RESORT HOTEL)」に向かい、シングルルームと聞いていたが、ツインのベッドの片方に荷物を置く。夕食は「台東大車輪日本料理店(DCL Japanese Food House)」。店員さんは若い方が多く、日本語も話す。日本料理に台東の食材を用い、台湾流のアレンジが加えられているが、癖がなくおいしい。ただし、店頭ののぼりに書かれたカタカナの縦書き文字を見ると、「サーモンイクラ」の音引き(ー)が漢字の「一」のように横向きになっていたりする……。

台東縣は台湾の東南端に位置し、細長くて海岸線も長い。台湾総面積の10%弱を占める。自然にあふれ、原住民族の人口が3分の1に及ぶ。

南国風の空気、わずかに吹く心地よい風、ノスタルジックな風景、親しみを感じる人々、ゆるい世界……。渋いおじいさんたちが集まり、路上でテレビを観る風景も。わたしはいっぺんに、ここが好きになった。台東縣は台北よりも田舎だと想像していたが、本当に東京からタイムマシンに乗ったようだ。でも、日本、北京、ソウル、平壌、タイ、シンガポールなどの風景とも似たところがある。他は行ったことがないのでわからないが、やはり東アジアや東南アジアの文化はつながっているのだろう。

◆2日目は、ブヌン(布農)部落でコミュニティの文化を守る様子を知る

ブヌン(布農)部落の織物芸術センターにて

翌日は、まず、前回に酒井充子監督インタビューを寄稿させていただいたドキュメンタリー『台湾萬歳』(http://taiwan-banzai.com/)の舞台、台東縣での完成披露試写会・記者会見。この時には、社会派と人の魅力の相乗効果で、作品が深い魅力を湛えていると感じた。昼食は、娜路彎大酒店(Formosan Naruwan Hotel)にて会食。

その後、ブヌン(布農)部落で園内見学とアーチェリー体験。日本語の案内もある。園内にあるのは、手作り体験教室、織物芸術センター、射的場、シイタケの栽培場、部落劇場、キャンプ場、夏のみ営業している温泉プール、竹炭工房など。時間の都合でショーを見逃した。

台湾原住民は総人口の約2%で、2016年現在、狭義では16の民族が政府に認定されている。

「布農(ブヌン)文教基金会」について途中までまとめながら調べ物をしていたら、ネット上に日本語の資料がアップされていたので、こちらをご覧ください(なんと便利な時代だろう)。

「布農(ブヌン)文教基金会」を設立した牧師・白光勝さんにもお会いできた。彼はお金のない場所だと繰り返し語っていたが、支援のシステムをつくって「原住民」を守り、十分な教育が受けられるように子どもたちにもお金を与える。ほかにもいただいた『Asia Echo(アジアエコー)』2002年8月号の資料には山田智美さんによって、「台北から汽車で東回りに約6時間、飛行機なら約40分の台東県延平郷の山間にある小さな村、桃源村に『布農部落』はある。観光宿泊施設と住民の福祉教育の場を兼ねた小さな先住民族文化園である。」と書かれている。また別の資料によれば、ブヌンには、「軍功(たたかいの手柄)を讃える」精神があるそうだ。

「東京に住んでいる」といったら「お金がある」といわれたので「そんなことはない」と答えたが、農村から日本を見ると、まだまだそのように見えるのだと感じた。原住民のコミュニティを訪れることにより、私たちはさまざまなことを感じたり学んだりすることができ、彼らの支援にもつながる。私も次回は宿泊施設なども利用させてもらいながら、ショーや食事、アーティストさんの作品などをゆっくりと楽しみたいと思う。

夕食は米巴奈-原住民山地美食坊(Mibanai)にて原住民料理を満喫。個人的には、一般の台湾料理よりもクセがなく、味つけが和食に近いようにも感じた。スズランの食器が美しく、帰国後に調べたら「烤春筍」というヤングコーンをバラ肉で包んだものなど、味わい深く、特においしかった。

そして「ライトショー」に行くも、雨で開催されず。それでも同行者いわく台湾の方々は夜に集まることを好むそうで、大道芸などの小さなショーをみんなで楽しんでいる。あたかも大家族のよう。若々しい台東縣の知事はカリスマ性があってスピーチがうまく、彼の話にみんな熱心に耳を傾けているように見えた。

宿泊は鹿鳴溫泉酒店。客室の風呂も温泉だといわれたが、駈けこみで大浴場の温泉に入った。ドライのサウナに加えてミストサウナもあり、客室はベッドルームが階段を上がった階にあり、そこはロフトのような感じだ。

◆3日目は、熱気球フェス、漁港の雰囲気、歴史建造物を「体感」

さらに次の日には、お茶の産地として知られる鹿野高台で、「台湾国際熱気球フェスティバル」を見学。2011年より毎年6~8月頃に開催されているそうで、想定外の迫力やデザインのバリエーションがあり、楽しませてもらった。アミ族が多い地域で、スタッフもアミ族が担当していると聞いた。

海鮮中心の東海岸海景渡假飯店(East Coast Sea View Hotel)で昼食をとり、成功漁市では市場が休みの日だったにもかかわらず風情ある佇まいの漁師さんたちとインパクト溢れる魚たちに出会えた。成功漁港では10月になるとカジキ漁がおこなわれる。このカジキの「突きん棒漁」は日本の千葉県出身者らが伝えたものとのこと。わたしは千葉県出身なので、このあたりの風景や人に大きな親しみを感じる理由かもしれないとも考えた。その後、展示室で「突きん棒漁」などについてのレクチャーも受け、広場で実体験をおこなう仲間の姿も撮影。

そして、「成功鎮プチ旅行」として、新港教会歴史建築も見学。ここには、1932年に新港支庁長の菅宮勝太郎によって建てられた木造建築と、46年に医師の高端立と父の篤行が開業した高安診療所と彼らが建て直した新港教会が保存されている。95年に医院が休業した後には、そこも新港教会が買い上げて研修会館(霊修会館)となった。これらを保存し続けようと、現在、「新港教会歴史建築 夢のプロジェクト」が立ち上がり、訪問を受けたり、さまざまな活動を手がけたり、リフォーム経費を募ったりしているのだ。小芝居を観て、牧師さんの話もお聴きした。その後、1人ぷらぷらと、海岸などを散歩し、将棋だか囲碁だか(邪魔したくないのであまり近づけなかった)に興じる人や海の様子、そこを通る人々の様子をながめていた。

夜は、揚げ物が印象的だった三禾聚台菜食堂での夕食、国立成功商業水産高校活動中心・成功鎮での、観た3回とも印象が異なる『台湾萬歳』特別上映。上映では、町中の人々が集まってきたかのごとく盛り上がり、子どもから大人まで笑って楽しむ姿が印象的だった。東海岸海景渡假飯店(East Coast Sea View Hotel)に宿泊。ベッドはなんと天蓋つき! おろさなかったが。

コミュニティと歴史について、「自分の順番を生きる」ということとその不思議などについて、改めて考えさせてくれた1日だった。また、東京暮らしの幸福と不幸についても思い及んだ。

新港教会歴史建築

◆現在、成功鎮では映画とのコラボで割引サービスも実施中

最終日も朝食後、東海岸プチ旅行。まずは、エメラルドグリーンの海や橋を建設する労働者の姿を眺める。次に、日本統治時代の製糖工場である「台東製糖文化創意産業園区」を見学。資料によれば、「製糖工場の文化資産を再利用し工業地の景観を芸術へ置き換え、彫刻工房、手作り創作工房、原社手作り生活感など、芸術と人文の特色を組み合わせた芸術の領域が広がっています。」とのこと。実際、工場とアート、カフェ(茶屋)などが組み合わさっており、ユニークな場所だ。

台東製糖文化創意産業園区

最後に、交差点にバイクで届けてくれた台湾式お弁当を台東空港にて昼食としていただき、台北松山空港に移動。ホテルなどで買い損ねたお菓子などのお土産を購入して帰国。

今回の旅を経て、台湾、台東、成功鎮を体感することができた。案内の方によれば、「お好みでツアーを組むことができるし、これから1~2年で日本からの観光客にもっと対応できるよう準備を進める予定」とのこと。しかも成功鎮では、現在上映中の酒井充子監督ドキュメンタリー『台湾萬歳』のチケット半券か映画パンフレット持参でホテルや飲食店などでのさまざまなサービスが割引となるキャンペーンを実地中だという。わたしも帰国後の日本台湾祭りや上映の際に台東で出会った方々と再会し、改めて関心が高まっている。成功鎮で出会った林哲次先生の幼少期や戦時中に関する文章を日本で書籍化したい(鹿砦社さん、どうです?)とか、台東のガイドブックを制作したいなど、妄想(?)もふくらんでいる。台東にご関心ある方のご質問などあれば、どうぞ。


◎[参考動画]3部作最終章『台湾萬歳』ポレポレ東中野にて公開中ほか全国順次公開予定!(CINRA NET 2017年6月2日公開)

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[撮影・文]
1972年、千葉県生まれ。フリーライター、エディター。『紙の爆弾』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』などに寄稿。労働や女性などに関する社会運動に携わる。ちなみに、定住に興味がなく旅を愛するが、それぞれの土地の文化には関心がある。小林蓮実Facebook 

愚直に直球 タブーなし!最新刊『紙の爆弾』8月号! 安倍晋三 問われる「首相の資質」【特集】共謀罪を成立させた者たち

『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

あなたは、台湾に行ったことがあるだろうか。そして、日本統治下や国民党戒厳令下の歴史や、「原住民」の人々のことを知っているか。

酒井充子監督 1969年、山口県生まれ。大学卒業後、メーカー勤務ののち新聞記者となる。台湾の日本語世代が日本への様々な思いを語る初監督作品『台湾人生』が2009年に公開された。以後、『空を拓く-建築家・郭茂林という男』(2013年)、『台湾アイデンティティー』(2013年)、『ふたつの祖国、ひとつの愛-イ・ジュンソプの妻-』(2014年)を制作。著書に『台湾人生』(2010年、文藝春秋)がある。現在、故郷・周南市と台東縣の懸け橋となるべく奮闘中 (撮影:小林蓮実)

2017年7月22日土曜日より、酒井充子監督ドキュメンタリー台湾3部作最終章『台湾萬歳』が、ポレポレ東中野ほか全国順次公開となる。それにともない、筆者は先日、台湾の台東縣を訪れたが、このことは次週以降に譲る。

本作は、日本統治時代の愛国教育の徹底や戦後の国民党の戒厳令下などを描き出した『台湾人生』、台湾で生まれ育つも時代に翻弄されざるをえなかったそれぞれの生き様をとらえた『台湾アイデンティティー』に続くもの。戦争を体験しながらも漁師として生きてきた張旺仔さん、同様に漁師だが戦後生まれの「原住民」アミ族のオヤウさん夫妻、パイワン族の父とブヌン族の母の間に生まれた中学校の歴史教師でシンガーソングライターのカトゥさんらが登場する。カメラは彼らの語り、衣食住などの生活、「歌い・踊り・祈る」姿を追う。

九州より少々小さい国土の台湾。先日、本作と台湾のことをより深く理解したいと考え、酒井監督へのインタビューをおこなった。

◆「張さんの地球」から描く、困難を経て現在の台湾があることの喜び

—— 酒井監督は、蔡明亮監督『愛情萬歳』をご覧になって台北を訪れ、侯孝賢監督『悲情城市』のロケ地をめぐっていた際に流ちょうな日本語でおじいさんに話しかけられたことを機に台湾への関心を深めたとお聞きしています。映画製作自体は、どのようなタイミングで決心されましたか。

酒井 『愛情萬歳』を1998年の夏に観て、その舞台となっていた台北に立ちたい・そこに行きたいと感じました。軽い気持ちで台湾へ向かったのです。私は現地でよく道を聞かれるほど台湾の人に見えるようなのですが、『悲情城市』の舞台である九份から台北に向かうバスを待っている際、遠くからトコトコと歩いてきたおじいさんに「日本からいらしたんですか」と流ちょうな日本語で話しかけられました。私は当時住んでいた「北海道から来ました」と答え、その後、おじいさんの幼少期に日本人教師にかわいがられたという思い出、再会の希望の話を聞かせてもらったのです。98年で戦後53年が経過しており、私は日本人の先生を思い続ける台湾人が存在することに衝撃を受け、歴史をきちんと知りたいと考えました。このたった1度の訪台で2000年、「台湾の映画を作る」と決意して新聞記者を辞めたのです。

—— 大変な決意と行動力ですね。では、3部作の構想は、いつからでしょうか。

酒井 制作を進めるうち、なし崩し的なものですね。台湾の日本語世代のおじいさんやおばあさんと出会って話を聴き、この声を届けたい、そのためにまずはこの1本(『台湾人生』)を完成させたいと考えました。また、白色テロ(民主化運動などに対する強権的な弾圧のこと。ここでは、中国で共産党との内戦に敗れた国民党が台湾に本拠地を移し、49〜87年の38年間にわたり戒厳令を敷いた時代の暴力的な直接行動を指す)や戒厳令下のことをもっと聴きたいと考えて『台湾アイデンティティー』を制作し、その最中にプロデューサーが「もう1本作って3部でしょう」と口にしたことが現実化しました。ただし、過去2作はインタビュー中心でしたが、今回は極力インタビューを控え、「生活を撮る」ことを意識した点が異なります。それにより、現在の台湾の時間が見えてくるのではないかと考えたのです。

—— 日本統治下や国民党戒厳令下のことは、徐々に知っていったのですか。現在、台湾といえば「親日」というイメージをもつくらいの人がほとんどかもしれませんが。

酒井 台湾の歴史について勉強しながら、映画を作っていきました。一般的には、日本が統治していたことすら知らない人も多いかもしれませんね。「親日」といっても、この2文字では語り尽くせませんし、何文字あっても足りません。表面的なことは身近に感じられますが、それだけではない、複雑なのです。

—— 『台湾人生』のラストに現場の人間同士の交流を見て胸を打たれ、『台湾アイデンティティー』にその発展を見ました。そしてルーツを辿りながら、『台湾萬歳』は「原住民」と地に足のついた生活者へと至ったのだと考えたのですが、個人的には繰り返し観るほど社会派の文脈中心では語りづらく、張さんの魅力あってこそのヒューマンドラマであり、タイトルから監督の台湾に対する愛と祈りとを受け取ったのです。そこで、監督ご自身が本作で伝えたかったことは、どのようなことでしょうか。

酒井 そうですね。いろいろなことがあったけれど、今の台湾があることの喜びでしょうか。そして、作り手が用いれば陳腐な表現になってしまうかもしれませんが、「人間賛歌」ですよね。

©『台湾萬歳』マクザム/太秦

—— では、監督にとって、張さんの魅力のポイントは、どこにあるでしょうか。

酒井 私は現役で働いている日本語世代を台湾の南側に求めていました。彼の第一印象は、あの笑顔と、下着のようなラフなシャツ1枚の姿だったからわかった働いてきた人ならではの胸板の厚さ。初対面から、運動の代わりのように、なんてことのない畑を愛してこまめに世話をしていて、惹かれましたね。私は山口県出身ですが、同郷の香月泰男という画家を愛しています。彼は『シベリヤ・シリーズ』を手がけ、花・野菜・果物・ヨーロッパの風景なども題材にしています。そして、『〈私の〉地球』という作品があり、出身地でありシベリヤから戻った後に過ごした大津郡三隅町(現・長門市)の家と森の半径数百メートルに手を描き、周囲にシベリヤ(日本軍捕虜の強制労働の地)、ホロンバイル(彼の通過した地)、インパール(日本軍の無謀な作戦で敗北を喫した地)、ガダルカナル(日本軍が米軍の物量に圧倒されて敗北した地)、サンフランシスコ(平和条約が締結された地)という地名を書きこんでいます。私は張さんの畑を目にした際、「ここは張さんの地球だ!」と感じました。そして、スタッフに香月泰男のことを話して「張さんの地球を撮りたい」と伝えたら、「わかった」と即答してもらえたのです。そして、5回、計100日の訪台で、最初の2回は1カ月ずつ成功鎮に戸建てを借り、私とスタッフ2人との合宿状態で撮影をおこないました。ただし、毎日カメラをまわすのでなく、張さんの話を聴きながらお茶を飲み、バナナをいただくような日も多くありましたね。

◆屈せず幾度でも立ち上がる台湾の人々の歴史と現在の姿

—— 私は活動家でもあり、ほしいものを獲得できることがある台湾・香港・韓国などの運動や社会をうらやましくも思っていました。先日、別件の取材で、LGBT関連法などの面からも進んでいることも知りました。でも、今回の訪台で、同行の仲間と「どこの社会も変えることの困難は同じだ」「台湾は正式な国として認められていないからこそ国際標準を目指さなければならない」などという会話も交わしたのです。酒井監督は、台湾の現在の社会について、どのようにお考えになりますでしょうか。

酒井 日本統治などは歴史的な事実であり、それを知ることは大切なことです。また、日本が台湾に学ぶべきこともあります。LGBT法や脱原発などの「超最先端」をアピールし、時代を先取りしていく国の立ち位置などですよね。台湾は、世界保健機関(WHO)総会に2009年よりオブザーバー参加してきましたが、17年、中国の圧力で参加が認められませんでした。そのようなことが起こっても台湾はめげることはありませんし、独自のスタンスを示し続けなければなりません。また、末端の声が、国を代表する声になりうる状況ですが、先日、台湾移民を取り上げたドキュメンタリー『海の彼方』の黄胤毓監督は「抵抗すべきことが多くあり、為政者に立ち向かう声が大きくならざるをえない」という旨のことを語っていました。韓国も台湾も80年代に民主化運動が起こり、自らの手で自由を勝ち取ります。日本の戦後、アメリカとの関係などをかんがみれば、大きな違いがあるでしょう。

—— 韓国とアメリカとの関係は、日米関係と似たところはありますが、たしかに大きく異なりますね。とにかく、このような記録には時間的な制限があるとは思いますが、もっと台湾のことも知ることで、日本人が「棄てた」台湾の人々への支援や、原住民の人々・独立についての支援、日本から足を運ぶ人の拡大などにつなげていきたいとも「夢想」しています。

酒井 『台湾人生』に登場してくれた5人のうち4人の方が亡くなり、同様の証言を撮影できるのもあと5〜10年間でしょう。原住民族の村もさまざまです。カトゥさんのブヌン族の村には一体感があり、精神的な豊かさに魅力を感じました。いっぽうで、村全体の佇まいからさびしさや貧しさが伝わる村も多くあります。原住民に対する助成金もありますが、それに頼ってしまうような現状もあって私は、それは大きな課題ではないかと考えています。『台湾人生』のタリグさんによる「名前が日本人や中国人に変わっても、自分が原住民であることを忘れてはならない」「原住民がいなければ今の台湾はない」という言葉が無意識に私の中に残り、それが『台湾萬歳』に結びついたのでしょう。実は、台湾でまだ行ったことのない場所を対象とする次回作の構想もあります。

—— それでは最後に、読者に伝えたいメッセージはありますか。

酒井 とにかく「台湾に行ってください」と伝えたいですね。特に、台湾の人口に比し、原住民の割合は2.3%ですが、台東縣ではそれが3割強にのぼります。『台湾人生』にご登場いただいた唯一の生存者であり、二二八紀念館(1947年に国民党の専売局闇タバコ摘発隊が台湾人女性に暴行を加え、これに抗議した群衆に摘発隊が発砲して1人を殺害。これに対し、2月28日に抗議デモがおこなわれたが憲兵隊による一斉掃射で多数の市民が死傷し、政府関連施設や中国人に対する抗議行動や襲撃事件が全島に拡大した「二二八事件」を伝える場所)でボランティア解説員を務めていた蕭錦文さんは現在引退していますが、会えることもあるかもしれません。そして、『台湾萬歳』はぜひ、笑いながら観てください。

◎台湾3部作最終章『台湾萬歳』http://taiwan-banzai.com/
 7月22日(土)よりポレポレ東中野にて公開ほか全国順次

[参考動画]映画『台湾萬歳』予告編(CINRA NET 2017年6月2日公開)

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)
1972年、千葉県生まれ。大学卒業後、広告代理店・制作会社、サポート校、編集プロダクションを経てフリーライター、エディターとなる。『紙の爆弾』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『労働情報』などに寄稿。映画評・監督インタビュー執筆、映画パンフレット制作・寄稿、イベント司会なども手がける。ドキュメンタリーや60〜70年代の邦画を好む。また、労働や女性などに関する社会運動に携わる。小林蓮実Facebook 

愚直に直球 タブーなし!最新刊『紙の爆弾』8月号! 安倍晋三 問われる「首相の資質」【特集】共謀罪を成立させた者たち

『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

◆すでに治安維持法より広範囲な共謀罪の犯罪対象

6月15日に成立し7月11日施行された共謀罪だが、北から南まで日本全国で同法廃止へ向けての取り組みがなされている。

犯罪を実行していなくても計画段階で逮捕したり家宅捜査できるのが共謀罪だ。犯罪を「計画した」「合意した」と判定する権限を100パーセント持つのは、警察などの捜査機関だから、警察全権委任法といっていい。

反対者を弾圧した戦前戦中の治安維持法ですら、当初は共産主義者取締などに対象が限定されており、しだいに拡大されて、絵を描く人や俳句の会まで弾圧された。それに対して共謀罪は、277(数え方によっては316)の犯罪に共謀罪がつくので、最初から広範囲の市民に網をかけるものだ。

◆とんでもない危機に、とんでもなくフザけた演劇

すでに法律は施行され、監視が始まっている。戦後日本の最大の危機と言っても過言ではない状況なのだが、このとんでもない危機に、とんでもなくフザけた演劇が上映される。

社会派ブラックコメディを世に放ち続けてきた劇団チャリT企画の『キョーボーですよ!』(作・演出、楢原拓)がそれだ。実は、強行採決直前の6月9日~6月13日に、東京都新宿区の「新宿眼下画廊 スペース地下」で上演されたので筆者は初日に観に行った。

共謀罪をめぐる国会内での与野党の攻防や反対運動がピークに達する時期と上演期間がぴったりと一致してしまったので、リアルな感覚が迫ってきた。この作品が、入場料無料で7月18日に再上演される。

7月18日早稲田大で無料再演決定!『キョーボーですよ!』 

『キョーボーですよ!』上映会のチラシ

今回は、劇団「チャリT企画]と[早大有志の会]のコラボ企画だ。

7月18日(火)18:30開演(18:00開場)
18:30~早大・梅森直之教授 講演「キョーボーですか?」
19:10~劇団チャリT企画 公演「キョーボーですよ!」
早稲田大学小野記念講堂
入場無料(全席自由200席)
詳細は http://www.chari-t.com/pc/information.html
劇団ホームページ http://chari-t.com/kyobodesuyo/

◆「びっくりするほど簡単にあなたも今日から犯罪者」

いったいどのような内容なのか。

《平凡な市民サークルが突然わけもわからずテロ集団と認定され、テロの実行を共謀したとしてメンバーが逮捕されてしまう。そして、ものすごく不当な扱いを受けたあげく、しまいにはメンバー全員に「処分」が下される。

知らなかったでは逃げられない異常な事態。
果たして彼らの運命や如何に?
“今日もあなたを誰かが見ている”》
(以上、同劇団のチラシより)

“今日もあなたを誰かが見ている”

このあらすじは、共謀罪法案の核心を突いている。本人には、犯罪を計画した覚えもなければ、合意・賛同した覚えがまったくなくても、あるいはそう主張しても通用しない。

仮に犯罪計画に一度でも合意(暗黙の合意、目配せでも合意したとされる可能性あり)してしまったら、あとになって「そんなの危ないから止めた」と思って実際に何もしなくても、罪は成立してしまう、ということになっている。

だれかが警察に通報して「こんなことが話されていました」と言えば、犯罪の計画や合意があったとされかねない。そして通報した密告者は、罪を免じられる。したがって、疑いを掛けられた者が助かる方法は密告しかないのである。

本作は、以上のような共謀罪の本質がしっかりと盛り込まれている。人の弱みに付け込んで供述させる警察のやり方、取調べ方法など、おそらくこんなことになるだろうな、と思わせる内容がちりばめられているのだ。
 
もちろんコメディだから笑いっぱなしなのだけれど、笑いながら胃の辺りに不快感を覚えた。夜遅めの食事を採り、朝起きたときに胃がもたれる、あの感覚である。

へたをすると、この演劇はブラックコメディとは言えなくなってしまうのではないか。あたかも近未来の現実をそのまま演じているように思えてしまうからだ。

◆安倍政権こそがブラックコメディ

チラシには小さな文字で「※料理番組ではありません」と笑いを誘うような文言が書いてある。「キョーボーですよ!」のタイトルは、料理番組の「チューボーですよ!」をもじってあるからだ。

だが、公式WEBサイトに掲載された出演者の内山奈々さんのインタビューがアップされている(インタビュアーは小劇場舞台制作団体BMGの長谷川雅也氏)のを見ると、やっぱり料理番組的ともいえる。

「チラシには『料理番組ではありません』と書かれてますが、料理番組と思っていただいてかまいません。どこにでもいる普通のおばちゃんが、『お前、包丁研いだだろ』と言われて捕まるような話です」

その言葉どおりの内容だと言っておこう。

今回の作品を制作した劇団チャリT企画は1998年に結成され、時事ネタや社会問題などの思いテーマをコメディとして世に送り出してきた。「ふざけた社会派」「バンカラ・ポップ」と彼ら自ら称する異色の劇団だ。

過去には、特定秘密保護法をテーマにした『それは秘密です』などを手掛けて注目された。特定秘密の内容はもちろん公開されず、「秘密は秘密」という法律そのものが「秘密は秘密」で一般人にはまったくわからないというマンガ的状況がよくわかる作品だった。

共謀罪でも、森友・加計学園疑獄でも、政府や自民党の対応を見ていると、国会内でブラックコメディを演じているかのようだ。それも、へたなシナリオ、ひどい演技である。

ろくでもない“永田町芝居”を見せられた後に、プロが演じる面白い芝居を観て、共謀罪廃止へ向けてのエネルギーとしていただきたい。


◎[参考動画]チャリT企画『キョーボーですよ!』ゲネプロダイジェスト(2017年6月9日公開)

▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)ほか。林克明twitter 

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』8月号! 安倍晋三 問われる「首相の資質」【特集】共謀罪を成立させた者たち

『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

4月28日に逝去した「浅草ロック座」のオーナーだった斎藤智恵子さん。その斎藤さんはいくつもの「伝説」を残している。通称「斎藤ママ」のレジェンドを知る、数少ない人のうちのひとり、神山典士氏にインタビューを敢行。天才、勝新太郎に20億円をポンと貸し、その勝プロの権利を活かして世界の北野武に映画『座頭市』を作らせた大立者は、一方でドラッグで逮捕された小向美奈子を救済する一面もあった。知られざる「浅草ロック座の女傑」斎藤ママの横顔が、神山氏の言葉からかいま見える。(聞き手・構成=ハイセーヤスダ)

 

浅草ロック座HPより

── 斎藤智恵子さんとは、どこで出会いました?
神山 俳優の勝新太郎さんが生きてる頃、浅草に“ママ”がいるって聞きました。よくわからずに「ママって何ですか?」って言ったら浅草にものすごい“大立者”のばあちゃんがいて(笑)。「実はさ、オレそのばあちゃんに世話になってるんだ」って勝さんが言ってたんですよ。それで会いに行ったのが1996年ですかね。そうしたら勝さんは、おそらくは、すでに入院してたのかなぁ……。ガンにかかっていました。最後に勝さんが言うには、「ママには次は300万円ぐらいの三味線を今までのお返しであげるんだ」って言っていまして、実際、プレゼントをしていたのですね。その三味線の写真もいただきました。そのあとでママに会いに行ったら「まぁ先生に三味線をいただいたの」と。勝さんのことを先生って言っていました。
── そんなことがあったのですか。それは借金を返せないかわりに、ということですよね。
神山 三味線ひとふりぐらいじゃね、全然、それまでお借りしていたお金のお返しにはほど遠いでしょう。(編集部注:勝新太郎氏は、テレビ『座頭市』の制作費を斎藤さんに約20億円ほど借金していたと報道されている)
── 一般には報道によると勝さんが斎藤さんに借りたお金は約20億と言われてますよね。
神山 正確には知りませんが、渋谷に持っていたホテルを売るくらいだから、大変な額ですよね。
── 神山さんは斎藤さんとの交流を雑誌『AERA』や『中央公論』で書いてらっしゃいますよね。
神山 そうです。書きました。それで勝さんが死んだ後、勝さんのことを拙書『アウトロー』に書く時にも斎藤さんに出てもらったし、それから斎藤ママのことも書きたいと思って中央公論が最初だったか、『AERA』が最初だったか何回も何回も書いていたんですよ。それで98年か99年ぐらいにアマゾンに行ったんですよ。

 

神山典士『不敗の格闘王 前田光世伝 グレイシー一族に柔術を教えた男』(祥伝社黄金文庫2014年)

── アマゾンに?
神山 僕が『ライオンの夢』(現在は祥伝社黄金文庫『不敗の格闘王 前田光世伝 グレイシー一族に柔術を教えた男』)という作品を書くときにアマゾンの取材をやってて、ものすごい居心地がよくて、向こうには100万人以上の日系人の世界がありました。現地では、移民の人たちがロック座の踊り子の本場の踊りとを見て喜ぶから「ママ一緒に行かない?」って言ったら「よし行こう」と言い出しまして。踊り子6人ぐらい連れて。あと着付けの人と髪結いとそれから照明とマネージャーと僕ら取材人が3人ついて映像もとったりなんかしながら行ったんですよ。
── 豪華な旅ですね。
神山 10日間ぐらいの旅で、ママだけファーストクラスで、自分たちはエコノミーなのでしたけど(笑)。サンパウロから始まって、前田さんのお墓があるアマゾンのベレン、南のポルトアレグロをまわりました。各地どこでも大盛況で、踊り子たちはホームステイもして、最後はみんな大泣きでしたね。
── 儲かってた時代ですよね。
神山 当時は儲かってたよね。
── まだ景気が上昇していた時代ですね。
神山 かつてのようにロック座が全国チェーンでもなく、全盛の頃ではないですけれども、ただまぁ斎藤さんの会社は不動産もありましたし、パチンコの換金所みたいなのもやっていましたし、芸者置屋もありましたし、ロック座もあの頃は仙台にもありましたからね。仙台、上山田、横浜などなどです。
── 斎藤さんとは死ぬまでお付き合いされてたんですか?
神山 そうです。晩年はもうお仕事から身を引いていました。でも半年に1回か2回は行くようにしてて、「お食事処」っていう彼女がやってる食堂がありまして、そこに行けば斎藤ママや関係者に会えましたから。
── 斎藤さんとの思い出で印象に残ることは?
神山 色々もちろんあるんですけど、踊り子達のことですね。踊り子のOG達と会うと、こう中に何人か幸せな結婚をした子もいるし、それからどこに行ったか分かんなくなっちゃった子も多いのですが、最後には寂しさを引きずって辞めていくでしょう。
── 踊り子がですか?
神山 そうです。
── 年齢もあって。
神山 年齢というかですね、やっぱ男関係とかね。そういう意味ではこう、斎藤ママは浅草ロック座でけっこう強固な“女軍団”を作ったのですが、最後まで残ったのは“古い踊り子”だけだったのです。
── 最後に斎藤さんに会われたのは?
神山 最後に会ったのは今年の1月でしたでしょうか。
── 何の用事でしたか?
神山 実は浅草あたり行くたびに顔出すんですよ。その日も夜9時くらいに行ったと思います。
── 小屋にですか?
神山 小屋というか「お食事処」ですよね。で、斎藤ママは麻雀やっててちょっと会っただけです。ママが経営していました『お食事処』はママの入院中に締めてしまい、働いていた人にとっては青天の霹靂で「何であそこは閉めたのっ?」て聞きました。
── 悲しいですね。私も行ったことあります。もう入れないんですか?
神山 もう入れませんね。お葬式の前から片付けやっていました。
── 斎藤さんのお葬式には行かれたんですか?
神山 行ってないんです。その2日前に自宅にご挨拶に 行きましたが、もう家に安置されてて、お焼香させていただきました。
── 斎藤さんが亡くなってから浅草自体行ってないですか?
神山 葬式終わった後は行っていません。
── 勝新太郎さんの死に目は遭ったんですか?
神山 遭っていません。
── 勝さんと斎藤さんとは最後まで仲良かったんですか?
神山 ええ、ママは(勝さんを)尊敬していましたから。勝さんの妻、玉緒さんも毎年正月3日に姿をみせていましたね。
── 斎藤さんのところに?
神山 新年会をやって、7階がものすごいどんちゃん騒ぎで、若山富三郎、玉緒、北野武……大御所たちがまぁやっぱりママの前では頭あがらなかったですね。
── 面白いですね。
神山 俳優の山城新伍も物まねのコロッケも来ていました。たけし軍団ももちろんです。
── 本日はありがとうございました。

※斎藤智恵子さんのご冥福を祈ります。(ハイセーヤスダ)

▼神山典士(こうやま・のりお)
1960年埼玉県生まれ。川越高校を経て84年信州大学人文学部心理学科卒業。同年4月ISプレス入社、86年12月同社退社。87年1月上海倶楽部設立。90年5月株式会社ザ・バザール設立。96年『ライオンの夢 コンデコマ=前田光世伝』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞、2014年に起きた「平成のべートゥベン」の佐村河内守のゴーストを新垣隆がしていたことを『週刊文春』で暴き、大宅壮一ノンフィクション賞受賞、注目を浴びる。最新刊は7月10日発売の『成功する里山ビジネス ダウンシフトという選択』(角川新書)。公式ホームページ http://the-bazaar.net/

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター/NEWSIDER Tokyo)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、書籍企画立案&編集&執筆、著述業、漫画原作、官能小説、AV寸評、広告製作(コピーライティング含む)とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論! 蹴論!」の管理人。

本日発売『紙の爆弾』7月号!【特集】アベ改憲策動の全貌

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

 

このブログは、マスコミ志望者が多く見ているようだ。その前提で、旅行記を少し展開しよう。少しでも参考になれば幸いだ。伊豆の熱川にある「熱川バナナワニ園」に行ってきた。おもえばこのテーマパークは、ワニと熱帯林を売り物にしていたが、小学館「マミィ」という母親向け月刊誌を作っていたときに、このテーマパークの売りが、「小学生でも乗れるオオオニバス、つまりでかい蓮だと書いた。このときに、自分は、蓮に乗る少年の写真をここから借りたはずだ。あれから24年がたち、伊豆の現地にて蓮やワニや、熱帯林を見てみると、「時間がたったのだなあ」と感慨にひたることができる。

まったく脈略がないが、いまは東南アジアへの移住がブームだという。年金が月に10万円しかもらえない。ならば、物価が3分の1か4分の1の台湾やタイ、もしくはベトナムやカンボジアなどで老後を暮らそう。そう考える人たちがもはや年間20万人を突破する時代となった。

 

 

ゴールデンウィークに入る直前、4月29日の「熱川バナナワニ園」は、家族連れが多く、ワニや熱帯のバナナを見にくる家族でごった返していた。

伊豆といえば、「伊豆の踊子」という川端康成の小説が有名だが、これは川端が本当に旅一座の女と出会った体験がもとになっている。最近はファンタジーノベルだの、ライトノベルだの頭の中で作ったような小説ばかりが書店にならんでいるが「実体験」に勝るものはない。

つまり、旅は「出かけた者勝ち」であり、伊豆であろうとタイだろうと、イギリスであろうとバングラディシュだろうと「見てきた人」が書いたものに勝るものはないのだ。

『原稿執筆入門』(竹俣一雄著)にはこう書いてある。1976年の本なので、表現がやや古い。

「ルポルタージュとは、報告文のことである。英語でいえば『レポート』または『リポート』、最近では『ルポ』と略されている。おまけに仏英チャンポンの「ルポライター」などという職業名が市民権を得ているようだ。この新しい職業名をもつ人たちの仕事の内容を考えてみると、べつに新しいものは何もない。「記者(新聞や放送などの)が書くものは、すべてルポルタージュである」といってもさしつかえはない。要するに、読者の代表として、かわりに見て(聞いて)くる報告である。ただ、新聞記者の場合、記者は読者の目となり、耳となるのだが、新聞社という機構の一部で、その代理者でもある。それに、新聞という媒体の特性が、制約を加える。ルポライターは、原則としてフリーランスである。新聞に原稿を載せるような場合、規制も若干ゆるい。最近の流行語?個性的?を売りものにすることができる。実際は、媒体側はその体質に合うライターを選択して書かせるので、それほどかけ離れた?個性的?なものを採用するわけでないが…。それでも、個性的であることは、やはり必要とされている。』(11章 ルポルタージュの心得)

話を「マミィ」の時代に戻す。その場合は、どうしても小学生の子供を持つ視座が必要だったので、「オオオニバスに子供がのれる」という事実を全面に出した。だが、実際に目にした『熱川バナナワニ園』の迫力は、寝ているのか死んでいるのかわからないまま集団で固まるワニたちと、生命力に満ち満ちている青いバナナの一連だ。

『原稿執筆入門』の竹俣氏は続ける。以下のポイントがルポをする上で重要だというのだ。

 

〈1〉 まず、虚心に見る。意識しないで見ているつもりでも、先入観が働いていることが多い。つとめて自分を出さないようにする。

〈2〉 自分の行動のすべてが、読者の興味になっていることを忘れてはならない。現場に臨んでからが勝負ではない。書こうと決心したときから勝負は始まっている。

〈3〉 読者の代理人であることを忘れはならない。専門的なことは専門家に聞きだすこと。(取材、文献、史料、資料を調べるなど怠ってはならない)

〈4〉 対象を反対側からも見てみる。一方から見たら、右や左、反対側に回ってみる。そして、書く立場を選択、決定する。通りいっぺんの観察だと見逃す点が多い。

〈5〉 周辺の状況を軽視してはならない。状況を描くことで対象が浮かびあがる。服装だけでも、どんな人間なのかその性格まで描くことができる。

〈6〉 想像力を働かせる。現場にいない(反対の立場)人の心理を推理すること。温かい思いやりを忘れては、けして完全なものはできない。

〈7〉 自分の意見、解釈は、前面に出さない。

僕としては、過去に表現と解説を逃げた「熱川バナナワニ園」の解説がまた巡ってきた。かつてと同じように、僕は熱帯性植物を語るすべをもたないが、ルポルタージュの基本に立ち返り、ふたたび表現をみつけたときにまたおもしろい植物を紹介しよう。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター/NEWSIDER Tokyo)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、書籍企画立案&編集&執筆、著述業、漫画原作、官能小説、AV寸評、広告製作(コピーライティング含む)とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

 

昨年の秋、タイに行って来た。タイミングとしては、プーミポン国王(ラーマ9世)が10月13日に逝去して、まだ日が浅かったので、かなりの人の服装は黒かった。4割くらいは喪服だったのではないか。

タイで有名な観光スポットの「ワット・ポー」にも行ったし、かの有名なメコン川の水上バスにも揺られてみたが、一番の見所は、やはり早朝の朝6時からオープンしている「問屋街」だろうと思う。頭が切れる連中は、ここに来てTシャツやトレーナーを200円くらいで大量に買い付け、日本のオークションサイトで2000円くらいで売っている。まさに1800円の利ざやだ。これを練金術と呼ばずして、なんと呼ぶ?!

ぼく自身は、タイへの憧れは強い。自身、近年は海外取材を増やして英語やタイ語もテキストを購入し、鋭意、習得に取り組んでいるが、さすがに50歳をすぎると頭に入ってこないのが悲しい。

ところで、日本からタイへの直接投資額は世界でも群を抜いており、タイ投資委員会(BOI)によれば2016年1月から9月期は317.4億バーツ(185件)で2位のシンガポール(266.5億バーツ)以下を大きく引き離している。この状況下、日本人ビジネスマンは多数、タイにやってくると確信し、彼等の役にたつ情報をより多く配信したいが、いかんせん媒体は少ない。

さて、タイの人たちはおしなべて「親日的」だが、最近じゃあこの親日的なムードに水を差す詐欺が増えているという。それが「タイ風俗不動産詐欺」だ。

「リッチそうな旅行客を見つけては『ゴーゴーバーの物件が近く空きますよ。倒産した会社の物件なので、200万円という破格の値段で買い取れます』と甘い言葉で囁く。そして、契約してしまい、いざ営業しようという段になって、本物のゴーゴーバーのオーナーが登場し、『お前、俺の店で何をしてくれるんだ』と問い詰める。本物のオーナーが絡んでいるのがポイントです」(タイにいる日本人ジャーナリスト)

それでも、タイは観光で食っている国だから、ツーリストポリスに駆け込んで「タイの詐欺師に○○かもられた」と申告すれば、何割かは戻ってくる可能性が高い。観光立国とはそういうことだ。

夜になるとまたタイは別な顔を見せる。夜は金もちが遊びに顔をだす。まるで夜行性の昆虫のごとくだ。

 

 

バンコク市内では、さまざまなセレブが遊んでいるといわれており、ナイトマーケットでは雑貨からつまみ、伝統工芸品などさまざまなものがところ狭しと並んでいるが、スリにも気をつけたほうがいいだろう。観光客は、タイでは「カモ」なのだ。

だがそのことをさしひいても、タイは美しい街だし、物価は日本の3分の1だ。リタイヤして住みたい国の上位に常に食い込むというこの国に、いまいちど行ってみたいと思う。

政治的には、プーミポン国王が亡くなり、安定しないのではないか、と囁かれているようだ。この国はいつの時代も軍隊の政治と民衆の政治がぶつかり合い、前国王が調停に入っておさめてきた。

タイの人たちにとって「戦争で一度も侵略されていない」のは誇りであり、国力が伸びてきた原因のひとつ。周辺のベトナムやミャンマーは、常に戦争で疲弊してきたから。いずれにしても、タイの魅力はまだつきない、紹介しきれないところは、また別の機会に語る。

◎ラオスからタイへの旅[1]「ラオスに何があるのですか?」

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして中道主義者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

『紙の爆弾』最新号!森友、都教委、防衛省、ケイダッシュ等今月も愚直にタブーなし!

« 次の記事を読む前の記事を読む »