韓国〈民衆歌謡〉の「サム☆トゥッ☆ソリ」11月に京都、滋賀公演決定!

京都在住の読者の方から「サム(生)☆トゥッ(志)☆ソリ(歌)」公演のご案内を頂いた。チラシとDVDをお送りいただいたが、私は「サム☆トゥッ☆ソリ」の名前を目にするのも初めてだ。

韓国からやってくるグループなので、サムルノリを用いた楽団かなと、勝手に思い描きながらDVDを再生したら、全然違う。「サム☆トゥッ☆ソリ」は日本にはない「民衆歌謡」というジャンルの楽曲を奏で、歌うカルテットだ。「民衆歌謡」はチラシの説明によると、「韓国における音楽ジャンルの一つで韓国における民主化運動や労働運動、学生運動などの闘いの中から作られた歌」と解説されている。

◆ 日本にはない「民衆歌謡」

でも、肩に力が入っていて、背筋を伸ばして聴かないと、怒られるような堅苦しい雰囲気は微塵もない。昨年東京で行われた公演のダイジェスト映像からは、雰囲気としては日本の(このジャンルももう残っているのかどうか、不確かだが)「フォークソング」のコンサートを思わせる、ゆったりしながら、喜怒哀楽を歌う雰囲気が伝わってくる。

「サム☆トゥッ☆ソリ」が歌うのは、恋愛や演歌ではない。日本にはない「民衆歌謡」とは、民主化運動や、光州事件、学生運動などの中から生まれてきた闘争のうたの数々だ。そう考えればなぜ、いまこの国に「民衆歌謡」がないのかが、逆に理解させられる。運動の中から出てきた歌を、それほど政治に深いかかわりを持たない人びとでも、なんとなく耳にして知っている、そんな歌が韓国にはいくつもある。

もう20年近く前になるが、韓国人留学生たちと時々カラオケに遊びに行った。「この歌はね、光州事件の時にできた民衆の歌の歌なんですよ」、「これはね。虐殺されたデモに参加していた学生を追悼する歌です」と教えてもらった。いったいどどれくらいの「民衆歌謡」が現在もカラオケに収められているのか、最近の事情には疎いけれども、どうして韓国の「労働歌」や「学生運動」から生まれた歌はあるのに、この国の歌はないのだ、と驚くとともに少し不快になった記憶がある。国際的に歌われてきた「インターナショナル」や「ワルシャワ労働歌」の日本語版も見当たらない。楽曲一覧が載った分厚い冊子の後ろの方で、結構なページ数を占めるハングルの楽曲の中には「民衆歌謡」のメロディーが収められている。おかしいなと思った。

でも、この国で生まれ、この国に根付いた「労働歌」や「学生運動」の歌がそもそもあるのかどうかという、至極基本的な問答にすぐ突き当たった(もちろん運動展開の方法や文化背景の違いも無視はできないが)。それ以前に、いま(20年前にしても)「労働運動」や「学生運動」が「ある」といえるのかどうか。私が目にした光景だけからいえば、20年前、この国に「労働運動」や「学生運動」は皆無ではなかった。しかしそれはすでに圧倒的な劣勢だった。いまや法政大学や同志社大学を先頭に、かつて学生運動の一大拠点だった大学は、学内での集会やビラ配りを理由に学生を逮捕したり(法政大学)、大学敷地内に交番を設置し、学長が「戦争法」に賛成したり(同志社大学)、わずか半日のバリケードストライキを行った学生を退学処分としたり(京都大学)、この国の大学に「大学自治」などはもう実質、死滅している。

◆ この国のマスメディアはなぜ、お隣韓国の運動の姿を報道しないのか?

他方、韓国の大学を訪問した際、ある大学では「無期限バリケードストライキ」の最中だった。キャンパスの入り口に結構おしゃれな学生が見張りとして立っていて、最低限数の職員しか学内に入れない。私は通訳を兼ねて同行してくれた友人が、その筋では結構名前が通っていたらしく、「バリスト」を学生たちに笑顔で迎えてもらった。面会した職員の方は「何分こういう状態でして。お迎えするのにお恥ずかしいです」と言われたので「何をおっしゃっているんですか。学生が生き生きしている証拠です。韓国も国立大学の大学法人化など、日本の愚策同様の新自由主義政策を大学にも導入しようとされていますが、それは大いなる間違いです」と話したら、この日本人なにをいっているんだ、という呆れた表情が彼の目に明らかに浮かんだことが思い出される。

近いところでは朴槿恵を倒した民衆のデモは多い時にはソウルだけで100万人に達し、少子高齢化、格差の拡大などこの国同様の問題を抱えながらも韓国の労働運動はいまだ健在である。そういった姿がこの国のマスメディアで国民の目に触れることはほとんどない。中東やアラブ、欧州のデモは報道しても、お隣韓国の運動の姿をマスメディアは無視する。なぜか。

この国の政権やマスメディアは、韓国国民が決起している姿をこの国の人びとには見せたくないのだ。奴らはこの国の人びとが韓国の運動に影響されたら、学ばれたら困るのだ。

◆ 本コンサートチケットを5名の方にプレゼントします!

でも、見なくても聞けばわかる。11月16日(木)京都テルサホール、11月18日(土)滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールで「サム☆トゥッ☆ソリ」のコンサートが行われる。料金は前売りが一般3,500円、学生・障がい者2,000円(当日は500円増)だ。お問い合わせは「サム・トゥッ・ソリの会」高田さん(Tel.090-4763-0751)もしくは京都音楽センター(Tel.075-822-3437)へ。

尚、デジタル鹿砦社通信読者5名の方に本コンサートのチケットをプレゼントします。チケットご希望の方は下記の田所のメールアドレスに、住所、氏名、年齢、電話番号を明記の上、お申し込みください。
tadokoro_toshio@yahoo.co.jp

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

「サム☆トゥッ☆ソリ」コンサート2017 11月16日(木)京都、11月18日(土)滋賀
「サム☆トゥッ☆ソリ」コンサート2017 11月16日(木)京都、11月18日(土)滋賀
最新刊『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか

映画『被ばく牛と生きる』── 原発、資本主義、そして「命」を再考する

政界再編に混乱、一喜一憂の声はあがる。ただし、わたしたちは学んでいる。安倍と小池は結びつていることを知っている。むしろ、「本当の」政策や思想の傾向が白日の下に晒された。やれることを1人ひとりがやるだけだ。

わたしは、この動きが始まる9月27日よりも前の週末に松原保監督ドキュメンタリー映画『被ばく牛と生きる』を観ており、これを書いているのは27日よりも後のことだ。希望の党の「原発ゼロ」を疑い、むしろ自民と希望で改憲が容易になることをおそれなければならないだろう。

さて、個人的に福島第一原発関連のドキュメンタリー、劇映画を20本くらい観ている気がする(数えていないのでそこまで多くはないかもしれないが)。もちろん、鹿砦社が『NO NUKES voice』を発刊し続けるように、映画もまた作られ続けているのだ。

映画『被ばく牛と生きる』より 「希望の牧場」の吉沢正巳さん © 2017 Power-I, Inc.

◆「経済的な価値が豊かさなのか」という監督の問い

2011年3月11日の福島第一原発の事故を受け、同年5月12日に「原発から半径20km圏内において生存している家畜が、当該家畜の所有者の同意を得て、苦痛を与えない方法(安楽死)によって処分されること」が原子力災害対策本部長である首相からの指示を受けた福島県知事より同県内の居住者に対して周知するよう指示され、12年4月5日に「生存している家畜及びその子孫(以下「対象家畜」という。)が捕獲され、その所有者が特定できない場合、その所有者が正当な理由なく一定期間内に対象家畜の引渡しを受けない場合その他対象か地区を処分する必要がある場合は、苦痛を与えない方法(安楽死)によって処分されること」などが同様に指示された。

20km圏内は11年4月22日に「警戒区域」とされた場所で、この地域の牛は11年3月11日には約3,500頭のうち1,700頭が死亡、1,800頭が「放れ牛」となったという予測が立てられていた。本作は、それでも牛を生かし続けることを決意した畜産農家の人々を5年間にわたって記録したものだ。

残された牛たちを集めて莫大なえさ代の負担や死体の処理までを覚悟する人、それを、寄付を通じて応援する人々、居住制限地域で暮らしながら牛の命を守る人、1日おきに60km離れた避難先の二本松市から通い続ける人、科学的な研究調査に取り組む人などが現れた。ただし、12年4月の発表では安楽死処分が839頭、捕獲が731頭となっている(いずれかの数値は正確でないかもしれない)。

監督は、「経済的な価値が豊かさなのか、それが幸福を生むのか」という疑問を投げかける。また、「反原発や動物愛護を声高に叫ぶのでなく、傾聴するドキュメンタリーとなった」とも語っているのだ。そして、命の尊さを主張し、牛を殺さずに研究対象として生かし、その研究の価値を認めて関係者に国家が予算を割くべきだと考えている。

◆「殺処分は証拠隠滅」という吉沢さんの叫び

原発関連で畜産農家や動物を描いた映画作品を、ほかにも何本か観た気がする。印象的だったのは、牛だけでなくダチョウ・猫・犬と人を描くことで人と大地の絆を描いたジル・ローラン監督ドキュメンタリー『残されし大地』、酪農家を描いた園子温監督劇映画『希望の国』などだろうか。

本作は、まず、わかりやすいナレーションの入り方などがテレビドキュメンタリー風だと感じながら観ていた。すると、松原監督はテレビ番組などを多く手がけてきた方だった。ナレーションは竹下景子さんだ。

心に残っているのは、「若い頃、政治活動をしたことがある」とナレーションで説明された吉沢正巳さんと、重大な決断をせざるをえないところまで追いこまれた柴開一さん。

吉沢さんは、300頭以上の牛を生かし続け、牧場名を「希望の牧場」に変更している。「希望の党」誕生に憤っている1人かもしれない。牧場の経営者は兄であり、代表(牧場長)ではあっても土地や牛に対する賠償金を受け取ることもできない。

渋谷のスクランブル交差点付近をはじめ全国を「決死救命を! 団結!」「原発爆発」などのメッセージ(プラカード)を掲げた宣伝カーでまわり、「被ばく牛の殺処分は、被災者に対する棄民政策」「浪江町では2度と米が作れない。償いを求めて闘いたいと思う。津波で爆発する原発のせいで、あそこはチェルノブイリになってしまった。わたしたちの無念をわかってください。原発なくてもやっていける。日本の安全について、みんなで考えよう」「牛は被曝の生きた『証人』。餓死・殺処分の目にあったたくさんの牛、街を追い出された人々のこと、命を見捨てた無念を、東京のみなさんにわかってほしい」と繰り返す。

そして、「殺処分は証拠隠滅」「仮設住宅でくたばった人、棄民だろ!」という。埼玉県に避難した鵜沼久江さんは、「吉沢さんに助けていただけなかったら殺処分されていた。できれば埼玉で、自分で育てたいが、それができないから悔しいね」とつぶやく。

映画『被ばく牛と生きる』より © 2017 Power-I, Inc.

その後、牛に斑点が現れる。この牛を経産省前テントひろばで見かけたことがあるような気もするが、記憶が定かでない。

映画『被ばく牛と生きる』より © 2017 Power-I, Inc.

そういえば、わたしが3.11の1年後に向けて二本松市に拠点を移した大堀相馬焼協同組合を取材した際には、「どこの媒体に真実を話しても書いてもらえない、書けるか」と繰り返しいわれ、わたしも意地になって憤りのメッセージを細かく拾い上げたということがあったのを想起した。また、3.11直後の被災地ボランティアでは、原発の影響の規模(範囲)がわからず、現場に入ってしまえばなし崩し的にかなりの無茶をする人はいたし、金が入れば問題も囁かれた。そんなことも改めて思い出した。

◆では、わたしたちは、どのような選択をし、行動をとるのか

故郷を奪われ、あたりまえにあった生活を奪われる。3.11前には2度と戻らない。その悲痛な叫びを少しずつでも理解したい。そのような気持ちがある。事実をより明確にし、国家や企業の責任を認めて十分に対応し、命と研究のことを真剣に検討し、汚染土壌を詰めたフレコンバッグの処理や廃炉の問題に対しても現実的に対処していかなければ未来はない。わたしたちは、情報や知識を収集し、よく見極め、今日も1歩1歩進まなければならないだろう(疲れたら休みながら、助け合いながら)。

ところで本作の話題に戻ると、わたしだったら、たとえば吉沢さんと柴さんの日常もできるだけとらえ、この2人(家族)に絞り込んで取材したいと考えそうだ。今度、監督にインタビューが可能になるかもしれないので、広く多くの方をカメラにおさめたこと、反原発以上に伝えたかったことなどについて、深くたずねてみたい。


『被ばく牛と生きる Nuclear Cattle』オフィシャルサイト(2017年10月28日より東京・ポレポレ東中野にてロードショー)
 
▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年生まれ。フリーライター、労働運動等アクティビスト。『紙の爆弾』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』などに寄稿。
◎『neoneo』での著者記事
音楽で人を包む、尾道の『スーパーローカルヒーロー』
「いのちを肯定する」というメッセージを届けたい『スーパーローカルヒーロー』主演ノブエさん&田中トシノリ監督 

最新刊『紙の爆弾』11月号!【特集】小池百合子で本当にいいのか
『NO NUKES voice』13号 望月衣塑子さん、寺脇研さん、中島岳志さん他、多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

琉球の風2017報告〈3〉誰一人アウェイにならない熊本×沖縄チャンプルー

宇崎竜童さん
比嘉真優子さん

 

昨日の本コラムでご紹介した順番とは異なるが、宇崎竜童さんと宮沢和史さんがステージで暴れる前に、ネーネーズ、キヨサク(MONGOL800)、比嘉真優子、HYはすでに演奏を終えていた。

まだ終演の夜7時までかなりの時間がある。この時刻でこれだけのミュージシャンの演奏を聴く現場の聴衆たちは、どうなっていただろうか。

おそらく、主催者の精密な「読み」に基づく会場全体を包む雰囲気の行方がぴったりと(あるいは狙い以上に)ヒットしたのだろう。例年会場を埋める聴衆は常連の演奏をどちらかと言えば穏やかに聞く。

内心ワクワクしながらも、会場全体が立ち上がって、飛んだり、跳ねたりとなることはあまりない。アップテンポの曲でも、渋い島唄でもどちらかといえば、踊りだす人もいるけれども、多くの方々は座って手拍子で聞いている。

◆キヨサク、HYらがステージに登場して

ところが、今年は16時前までにキヨサクと、HYがステージに登場した。キヨサクはウクレレ1本で「小さな恋のうた」を奏で、島袋優(BEGIN)とウクレレで共演した。南国調の涼しい風と聴衆が「ウズウズ」するのが手に取るようにわかる空気の下地を作った。

キヨサクさん(MONGOL800)
島袋優さん(BEGIN)

HYは登場するなり爆発的な勢いで演奏をはじめ、彼らを待つステージ近くのファンは大喜びで踊りだす。そこへ宇崎竜童と宮沢和史が続くとどうなるだろうか。これぞまさに「チャンプルー」の恐るべき導火線効果である。

HYとネーネーズのチャンプルー!

何かが起これば、即爆発する、いや爆発したい2000を超えるひとびとの熱がステージ付近にいるとはっきり体感できる。「チャンプルー」爆薬装填作戦は予想を超える。

どんなことが起きるのか。HYが演奏中の聴衆はこんな感じだが、

HYの新里英之さん&仲宗根泉さん

2時間後にはこうなる。

新里英之さんとかりゆし58のチャンプルー!

◆トリにまわったかりゆし58の全開

前川真悟さん(かりゆし58)
新屋行裕さん(かりゆし58)
宮平直樹さん(かりゆし58)

トリにまわったかりゆし58はそれまで登場したミュージシャンが織りなしてきた「限界値を超える」聴衆の期待を見事に何倍にもして、聴衆に投げ返す。ボーカル前川真悟は全開だ。

「ハイサーイ!沖縄の人による、沖縄の人の音楽が、熊本の人の、熊本の人による、熊本の人たちが喜ぶイベントにこうやって、「琉球の風」にきました、かりゆし58です。よろしくおねがいします!」

「沖縄からは、海を隔てて何千キロも離れてるのに、自分たちの生まれた町の旗を掲げて、こんなにも喜んでくださる熊本の人たちのパーティーです。誰一人awayにすることなく、兄弟たちのホームパーティーにしたいのですが、ライブをはじめてもよろしいでしょうか?」

この入りは完璧だ。問いかけに聴衆も大声で応える。もう前列だけでなく会場に座っていられる人はない。特段の事情のある方を覗いて聴衆オールスタンディング状態だ。

HYの新里英之を呼び入れて演じる「アンマー」でステージは聴衆を、聴衆はステージを互いに制圧(こういった物々しい言葉はふさわしくない「互いに固く肩を組んだ」と言い換えよう)した。

▼前川真悟の語りは「天才」だ!

「近所で生まれ育って、4人でやってるバンドで最初にギターとか楽器を弾き始めたのが、中学生のころだから、もう20年前になります。20年まがりなりにも音楽にぶら下がって生きてきました。そういう話からすると、いまステージの上には20年の4人分。80年分の時間が乗っかってるわけです。そこにさらに時間を積み重ねたいと思います。HYからヒデ! そしてきょう「琉球の風」に響いた音楽のほとんどを支えてくれたヨシロウ!ヒデもヨシロウも年齢が近いから、いまステージ上の時間が120年になりました。「琉球の風」を立ち上げて、親みたいに可愛がって育てた知名定男さんは50年歌って続けてます。きょうのステージ上に立った人たちの、音楽に注いだ時間を足したら、何百年、下手したら千年に手が伸びるくらいの時間がのっかってるわけです。それが1曲5分足らずの中に注ぎ込まれて、目に見えないまま、風と時間と、あなたの心にながれていく。それが音楽です。何百年分の積み重ねを1つの曲にまとめて、そしてミュージシャンに与えられたのは、ステージ上の20分が僕らの寿命です。今日あなた方からもらった、音楽の寿命をまっとうしたいと思います」

ラップ調の語りはトレーニングすればある程度うまくはなるが、基本才能だ。前川真悟の語りはあるの種「天才」を感じざるを得ない。

◆エンディングで「島唄」解禁!

そして、いよいよエンディングだ。ステージと観客席の間には照明や音響、そして安全確保のために柵が設けられている。通常、聴衆は座って舞台を眺めるので、その前を横切るときは、邪魔にならないよう、腰をかがめて小走りで駆け抜けるが、聴衆が総立ちになったから遠慮なくステージの前に立てるようになる。本人の出番ではあえて演奏しなかった「島唄」を宮沢和史のボーカルを皮切りに次々と、ミュージシャンが歌い継いでいく。

◆来年はいよいよ10回目。また熊本で会いましょう!

「今年は最高だね」、「今までで一番素晴らしかったよ」、「会う人会う人みんな、最高だって」。終演後、出演者と関係者のみで行われた懇親会の席であちこちから同じような声が聞かれた。全員がボランティアで構成される実行委員会。委員長の山田高広さんは前日から会場に泊まり込み、想像を超える激務の疲れを微塵も見せず笑顔が絶えない。

懇親会ではミュージシャンが、これでもかこれでもかとセッションや出し物を披露する。みんな知名さんの健康を祈っている。宴は続く。最後まで見届けようと時計を見たらもう日付が変わっていた。出演者のかなりは、さらに3次会に繰り出すという。「プロ」は違う。

この日を良い日和にしてくれた、天気の神様、音楽の神様、ボランティアという名で無償の笑顔を絶やさなかった人間という名の神様、そして聴衆というなによりの神様に感謝をして、熊本を後にした。

「琉球の風」来年はいよいよ第10回を迎える。また熊本で会いましょう!

▼田所敏夫(たどころ としお)[文・写真]
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

 

「琉球の風2017」記念エコバッグをデジ鹿読者10名様にプレゼント!
写真のエコバッグは毎回「琉球の風」の会場で先着1000名様にプレゼントしているものです(版画=名嘉睦稔、題字=龍一郎、鹿砦社提供)。少し余分がありますので、このデジタル鹿砦社通信をご覧になっている方10名様にプレゼントします。ご希望の方は私宛メールアドレス(matsuoka@rokusaisha.com)にお申し込みください。(鹿砦社代表・松岡利康)

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定保存版(「琉球の風」実行委員会=編)
『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』通常版(「琉球の風」実行委員会=編)

琉球の風2017報告〈2〉宇崎竜童、知名定男、宮沢和史 朽ちることなき魂たち

◆「声が出るか、それだけが心配なんだけどね」(宇崎竜童)

オープニングでステージに勢ぞろいしたメンバーは笑顔で一度楽屋に引き上げた。あれ? 宇崎竜童さんの姿は見落としたのかな? あの印象深い姿、そばにいればきづかないはずはないのだが。しばらくしてもう一度楽屋を覗くと、宇崎さんはどなたかと打ち合わせをしている。やっぱり自分の見落としだったな。と思い直し、打ち合わせが終わった宇崎さんにご挨拶にうかがった。

「いやーきのうから体調が悪くてね。オープニングは勘弁してもらったんですよ。いまも薬飲んだんだけど……」と、相当に体調が悪いようだ。

「ステージだけはね。なんとかやりますよ。声が出るか、それだけが心配なんだけどね」

弱音を吐かない宇崎さんがここまで言うのだからかなりしんどいに違いない。

◆「きょう島唄は歌いません。腹に力が入らないと歌えないからね」(知名定男)

体調の話では、知名定男さんも3月に大腸がんの手術を受けてから、初めてのステージだった。この日の知名さんは一味も二味も違っていた。優しさと喜びの中に鬼気迫る歌声。知名さんお一人での演奏では「好きにならずにはいられない」も飛び出すし、宮沢和史さんのステージではセッションでデビュー曲を歌う。HY、ネーネーズその他のミュージシャンのバックで何度三線を弾いていたことだろうか。

オープニング前にお話を伺った時には、「きょう島唄は歌いません。島唄は腹に力が入らないと歌えないからね。手術のあと抗がん剤治療がようやく終わったんだけど、まだ本調子ではないですね。味覚が鈍っていて味がわからない。タバコだけはうまいんだよね」と話していた知名さん。「ご病気のことは記事にしてもいいですか」と伺うと「まあ、いいんじゃないですか」とお許しいただいていたが、なんのことはない。宮沢和史さんとのセッションのなかで自分から「今年は大腸がんになっちゃって」と暴露してしまっていた(それを聞いて心配するでもなく笑いで返した聴衆も見事だった)。

◆「2曲目、サングラスでいくから」(宇崎竜童)

宇崎さんは出番が近づくと、舞台のそでで発声練習を始めた。やはり声に不安があるのだろう。「1曲終わったらすぐ引き上げて、2曲目、サングラスでいくから」とスタッフに声をかけ、ステージに歩を進めていった。

宇崎さんは知名さんと異なり、一切体調のことは語らなかった。そして、そでから数メートルしか離れていないが観衆の声援に迎えられたステージの中央は「別世界」なのだろう。

宇崎さんは暴れまくった。例年歌う「沖縄ベイブルース」を封印して、あえてアップテンポの攻めの姿勢だ。高い音域の声も通っている。聴衆の中で宇崎さんの体調不良に気が付いた人はいなかっただろう。

◆「今年は元気になりましたよ。去年とは全然違います」(宮沢和史)

大御所2人と正反対に、昨年と別人のように元気になった人がいた。宮沢和史さんだ。毎年さして長い会話を交わすわけではないが、同世代として「50代の体の不調」について言葉を交わすのが、私的にはひそかな楽しみなのだが、良い意味で今年は完全に裏切られた。

顔を覚えていて下さった宮沢さんと握手をすると「今年は元気になりましたよ。去年とは全然違います」と好調ぶりを強調。こちらは順調に右肩下がりに年齢を感じる毎日、同年齢相哀れみながらも、必死で頑張る姿をお互いに確認しようと思っていたら、なんのことはない。念入りな準備運動を仕上げて上ったステージでは走り回る、飛ぶ、跳ねる。これじゃあ20代のThe Boomの時より元気じゃないか!

宮沢さんのこんなにはじけた姿は初めて見た。でも彼は「人物」だ。オープニングでは第一列に姿を見せればよさそうなものだが、さりげなく第一列から少し下がり、沖縄のミュージシャンを際立たせていた。事前リハーサルで決めていたのではなく、きっと宮沢さんの配慮だろう。楽曲のすばらしさもさることながら、人間として誠実で、立派な人だと会うたびに感銘を受ける。

「歌うのが結構ストレスになっていましたね」と去年語っていた宮沢さん。この日は幸せを全身で表現していた。そして彼は「琉球の風」をわがものとして愛していることが言葉の端々に伺えた。声の艶がさらに円熟味を増したように感じる。

艶や後ろ姿や高音の伸びが全盛期(35年ほど前)の沢田研二にどこか似ているような気がしたので、演奏が終わった宮沢さんに「もしお嫌いだったら失礼ですけど、沢田研二さんにちょっと雰囲気が似てきましたね」と無謀にも語り掛けたら、肩を引き寄せられ、「それって、いい意味ですよね?」といたずらっぽい目つきで聞かれた。「もちろん。いまの沢田研二さんじゃないですよ。全盛期のね」と返したら。背中をポンポンと叩かれた。宮沢和史、稀にみる好漢である。

▼田所敏夫(たどころ としお)[文・写真]
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

 

「琉球の風2017」記念エコバッグをデジ鹿読者10名様にプレゼント!
写真のエコバッグは毎回「琉球の風」の会場で先着1000名様にプレゼントしているものです(版画=名嘉睦稔、題字=龍一郎、鹿砦社提供)。少し余分がありますので、このデジタル鹿砦社通信をご覧になっている方10名様にプレゼントします。ご希望の方は私宛メールアドレス(matsuoka@rokusaisha.com)にお申し込みください。(鹿砦社代表・松岡利康)

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定保存版(「琉球の風」実行委員会=編)
『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』通常版(「琉球の風」実行委員会=編)

琉球の風2017報告〈1〉「今年は空気感が違う」 沖縄の魂が熊本に集う一日!

オープニングではステージに所狭しとミュージシャンたちが集まった
ミス沖縄2017の町田満彩智(まちだ・まあち)さん
開演前の会場「今年は空気感が違う」

9月24日熊本フードパルで9回目を迎えた「琉球の風~島から島へ~2017」が行われた。暑くもなく寒くもないすごしやすい天候の下、例年にも増して、多くの聴衆があっという間の6時間を堪能した。

会場は芝生の上に座る自由席なので、至近距離からステージを眺めることは容易であるが、この日入場を待つ列の先頭には朝6:30分から人が並び始めた(!)。会場を待つ最先頭の女性は「鹿児島からHYを見に来ました」と5時間以上の待機にも疲れの様子はない。

12時、ミス沖縄の方々が出迎えるなか、開場が始まると入り口からどんどん走ってくる人たちの姿が。広い会場でも少しでもステージに近い場所でミュージシャンの顔が見たいのは当然の気持ちだろう。

◆1週間前に前売り2000枚完売!

入場直後の聴衆の数は正確にはわからないが昨年、一昨年よりも目算でははるかに多い。実行委員会によると1週間前に前売りの2000枚は完売していたという。天気予報でも好天が予想されたうえ、今年は常連の大御所に加え、6:30から開門を待つファンを惹きつけたHYとMONGOL800の出演が明らかに観客数の増加に繋がっていたことだろう。

鹿砦社もスポンサーとして可能な限りの応援をしながら、毎年楽しませていただける貴重なイベントだ。まずは総合プロデューサー、知名定男さんにご挨拶に伺う。知名さんは楽屋外の屋外テントの机に「琉球の風」を始めた東濱弘憲さんの遺影とともに座っている。ここは知名さん毎年の定位置だ。

総合プロデューサーの知名定男さん(右)と鹿砦社松岡社長。東濱弘憲さんの遺影とともに

◆雰囲気も顔ぶれも素晴らしすぎる!

テントの横の合同楽屋では、和気あいあいと出演ミュージシャンたちが歓談を交わしたり、音合わせをしている。既にアルコールに手が伸びている人の姿もちらほら。宮沢和史、島袋優(BEGIN)、ネーネーズ、かりゆし58、HY、MONGOL800のキヨサク……。おいおい!これだけの顔ぶれが一部屋に揃うことは「琉球の風」の楽屋をおいて、ほかにどこかあるだろうか!

雰囲気も顔ぶれも素晴らしすぎる!

◆「琉球國祭り太鼓」のエイサーで喜びの地響きとともに開演!

13:00、「琉球國祭り太鼓」約50名のエイサー、地響きとともに「琉球の風」は開幕した。例年参加ミュージシャンからは異口同音に「ここは特別」、「こんなに楽しいイベントはない」と耳にするが、今年は最初から会場の空気感が違う。会場全体が開演前から数的な多さだけでない「喜び」のようなものに包まれている。エイサーを演じる「琉球國祭り太鼓」のメンバーの笑顔が素敵だ。

「琉球國祭り太鼓」メンバーの笑顔が素敵だ
「琉球國祭り太鼓」のっけから盛り上がる
会場で本を購入した人にもれなく無料で書家、龍一郎さんがお好みの言葉を書いてプレゼント!

鹿砦社も「島唄よ風になれ!『琉球の風』と東濱弘憲」を販売するブースを出し、松岡社長以下関係者が顔を揃える。ステージの字幕はじめ、鹿砦社関係のロゴなどの多くを手掛ける書家、龍一郎さんは本を購入した人に無料で色紙にお好みの言葉を書いてプレゼントするという特典付きだ。

メンバーがそろったところで、「これさ、ちょっとどうかと思うんだよね」ミュージシャン出演順の表を見ながら松岡が首をかしげる。ネーネーズ、キヨサク、HY、宇崎竜童、宮沢和史らビッグネームの出演順が比較的早い時間に割り振られている。たしかに盛り上がるミュージシャンがどうしてこんなに早く出てくるのだろう? もっとあとのほうがいいんじゃないのかなぁ、と一同松岡の意見に同意したのだが、そこには進行表上の文字面での出演順だけではない、もっと奥の深い意図が隠されていたことをステージが進む中で誰もが理解するようになる。

「琉球國祭り太鼓」の演奏に続いて、出演ミュージシャン全員が舞台に揃い、いよいよ本格的なオープニングを迎える。ステージの横には所狭しとミュージシャンたちが集まり、冗談が飛び交う。名前は秘すが、この日ステージで数々のセッションに絡み大活躍をした○○○さんはすでに出来上がっている。大丈夫か? と思うような状態だが、ステージに出るとそんな姿は微塵も見せない。司会に促されて出演者が順にステージへ出てゆく。

◆「琉球の風」初登場 HYの新里英之さん&仲宗根泉さん!

今回初登場のHYのお二人にオープニングが終わった直後にお話を伺った。

「ウチナーンチュでよかったなって思いました。いつも沖縄でステージをやるときは、来てくれる人も沖縄の人が多くて、いつもどおりみたいな感じなんですけど、違うところ(熊本)でスタッフとかミュージシャンも沖縄の人で安心感があるし、それを誇りにも思います」(仲宗根泉)

「これが沖縄の魂、力だよという生きざまを感じて、音楽で時代を繋げてきたと感じました。知名定男さんをはじめ、僕たちは30代。きょう一番若い子は21歳もいて、お客さんも小さい子からおじいちゃんおばあちゃんまでひとつになる瞬間は素晴らしいなと思います」(新里英之)

この日2000人以上の観客を総立ちにさせることになる、HYの二人は既に楽しそうに興奮気味だった。

「琉球の風」初登場! HYの新里英之さん&仲宗根泉さん
2017年9月25日付け熊本日日新聞
「琉球の風2017」記念エコバッグをデジ鹿読者10名様にプレゼント!

「琉球の風2017」記念エコバッグをデジ鹿読者10名様にプレゼント!
写真のエコバッグは毎回「琉球の風」の会場で先着1000名様にプレゼントしているものです(版画=名嘉睦稔、題字=龍一郎、鹿砦社提供)。少し余分がありますので、このデジタル鹿砦社通信をご覧になっている方10名様にプレゼントします。ご希望の方は私宛メールアドレス(matsuoka@rokusaisha.com)にお申し込みください。(鹿砦社代表・松岡利康)

▼田所敏夫(たどころ としお)[文・写真]
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定保存版(「琉球の風」実行委員会=編)
『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』通常版(「琉球の風」実行委員会=編)

予言の詩人・金子みすゞの著作をJULA出版局から解放せよ

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

◆みんなちがって、みんないい?

有名な金子みすゞの童謡の一節だ。「みんな違ってみんないい」。あるべき理想として多分正しい。しかし、鈴と小鳥は人間と違って金遣いは荒くないし、ましてや子供の親権を奪おうとはしない。

金子みすゞの最期が家庭内の事情により悲惨なものだったことはそれほど知られていない。みなそれぞれ違っていること、それゆえに分かり合えない苦しさ悲しさを一番痛感していたのが金子みすゞであっただろうことが悲しい。この詩の一節は単なる実感ではなく振り絞る祈りのようなものだったのかもしれない。

松本侑子『みすゞと雅輔』(2017年新潮社)

◆金子みすゞの遺書

「あなたが楓ちゃんを連れて行きたければ、連れて行ってもいいでしょう。ただ私はふうちゃんを、心の豊かな子に育てたいのです。だから母が私を育ててくれたように、ふうちゃんを母に育ててほしいのです。どうしてもというのなら、それはしかたないけれど、あなたがふうちゃんに与えられるのはお金であって、心の糧ではありません」

夫宛ての遺書の一部だ。当時の社会情勢を考えると極めて珍しい単刀直入な抗議文だ。戦前の強力な家父長制下では権限は父親にあった。金子みすゞ再評価に貢献した矢崎節夫氏の解説(金子みすゞ童謡集、ハルキ文庫)によると、離婚当時の約束は反故にされ、戸籍上母ではなかった金子みすゞは娘を引き取りにくるといった元夫の要求を断ることはできなかったとある。そもそも離婚の原因になったのが夫の遊郭遊びによる散財で、金子みすゞは性病まで移されていたという。

創作さえ夫に禁止されていた金子みすゞは晩年まだ幼い娘の片言をノートに書き連ねた。意味のつながらない言葉を一つ一つ採集していったものが『南京玉』として残されている。

1924年にシュールレアリストのアンドレ・ブルトンが自動記述を提唱していたが、意味のつながらない言葉を膨大に記録した(雰囲気は大きく異なるけれども)という点では、金子みすゞもよく似ているかもしれない。

◆アジアの人々に向ける眼差し みんな違ってみんないい!

山下清「観兵式」(1937年)

研究者の片倉穣氏の論文『金子みすゞのなかのアジア インド・中国・朝鮮』によれば、金子みすゞがその当時の社会情勢・学校教育と比較しても独自の視点を持っていたことを指摘している。

そもそも金子みすゞの父親庄之助は清国で客死しており、現地人に殺されたのではないかという伝聞があったそうだ。そのようななかで『一番星』という作品にみられる平等性を片倉氏は高く評価している。他にもこの論文では朝鮮人の暮らしぶりを描いた『木屑ひろひ』にも詳細な解説を加えているのでぜひお読みいただきたい。

◆隠れた傑作?『男の子なら』

ここであまり知られていない金子みすゞの作品を引用する。

男の子なら

もしも私が男の子なら、
世界の海をお家にしてる、
あの、海賊になりたいの

お船は海の色に塗り、
お空の色の帆をかけりゃ、
どこでも、誰にもみつからぬ。

ひろい大海乗りまわし
強いお国のお船を見たら、
私、いばってこういうの。

「さあ、潮水をさしあげましょう。」

弱いお国のお船なら、
私、やさしくこういうの。
「みなさん、お国のお噺を、
置いてください、一つずつ。」

けれども、そんないたずらは、
それこそ暇なときのこと、
いちばん大事なお仕事は、
お噺にある宝をみんな、
「むかし」の国へはこんでしまう、
わるいお船をみつけることよ。

そしてその船みつけたら、
とても上手に戦って、
宝残らず取りかえし、かくれ外套や、魔法の洋燈、
歌をうたう木、七里靴………。
お船いっぱい積み込んで、
青い帆いっぱい風うけて、
青い大きな空の下、
青い静かな海の上、
とおく走って行きたいの。
(略)

JULA出版局HPより

金子みすゞの亡くなった年は1930年。すでに朝鮮半島翌年に満州事変が勃発し、日本の中国侵略が本格的に始まる。戦時体制は強化されていき、すでに施行されていた治安維持法で特高警察の影響力が拡大していく。

影響を受けたのは童謡の世界も同じだった。金子みすゞが敬愛してやまず、またみすゞを高く評価してきた西城八十は1932年に「愛国行進曲」を作詞する。以降八十を中心とした童謡作家は軍国歌謡や愛国詩を量産していくことになる。

その後の社会情勢を考えると何か予言めいた響きを感じるのは気のせいだろうか。

◆都合により二行分省略 JULA出版局が怖い!

ところで話は変わるが金子みすゞは著作権の関係で非常に引用が厄介なので有名だ。
「金子みすゞの作品および写真の使用については、金子みすゞ著作保存会(窓口・JULA出版局内)の了承を得ていただきますよう、お願い申しあげます。」(JURA出版より)

筆者非常に小心につき怒られたらどうしようかと夜も寝られないので『男の子なら』の上記引用部分は最後の二行分は削除している。

「許可いるの」っていうと
「許可いるの」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、JULA出版局です

シャレになりません。非常に怖い。

とはいえ、すでに金子みすゞの死後50年以上経過していて、著作権は消滅している。『男の子なら』の主題が「いちばん大事なお仕事は、お噺にある宝をみんな、『むかし』の国へはこんでしまう、わるいお船をみつけること」なのだから、金子みすゞがもしも現代に生きていたらJULA出版局に断固抗議しているに違いない。

歴史上存命中に評価されずに死後再評価された例は数多い。J・S・バッハやフランツ・カフカなど枚挙にいとまがない。それらの人物を再評価して世に広めた人物・団体は高く評価されるべきだ。ただし、それで本来気軽に読めるはずの作品が読めなくなるのはおかしい。再評価の功績に与えられるのは社会的評価だけであるべきだ。具体的な利権であっていいはずがない。即刻JULA出版局は不当な権利独占をやめ、青空文庫にも全作品を公開すべきだ。この排外主義の吹き荒れる現状のためにも、われわれに続く世代の感性のためにも。

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

最新刊『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて
愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか

9月24日(日)は「琉球の風2017」 今年も熊本で島唄が風になる!

知名定男さん
宇崎竜童さん
宮沢和史さん
前川真悟さん(かりゆし58)

いよいよ24日(日)、第8回を迎える「琉球の風」の開催が近づいてきた。週間予報によると当日、熊本の天気は曇りとなっているが、今年もきっと晴れるに違いない。もし1週間台風が遅れていたら開催は無理だったろうが、台風は去り、実行委員の方々は最後の準備に追われていることだろう。

鹿砦社代表の松岡と同級生だった東濱弘憲さんがご自身のルーツを探る中から企画をはじめた「琉球の風」は東濱さんが亡くなって以降も有志実行委員会による開催をつづけている。このイベントの特徴は、今年の出演者が宇崎竜童、宮沢和史、島袋優(BEGIN)、かりゆし58、ネーネーズといった常連、ベテランの大御所から、MONGOL800のキヨサク、HYの新里英之、仲宗根泉といった初登場の大物たちによりステージが展開される豪華さだろう。サンデーwith新良幸人、下地イサム、金城安紀、比嘉真優子などが脇を固める。

これだけの顔ぶれながら、「琉球の風実行委員会2017」の中にはいわゆる企画屋さんやプロの興行師は一人もいない。委員会は皆このイベント以外に仕事をもっていたり、普段は芸能とは無関係な生活をしている「一般人」の方ばかりだ。つまり「琉球の風」は全く営利目的イベントではない。だから頭が下がるのだ。半年ほど前に実行委員会委員長に「何かお手伝いできることがあれば」と申し出たことがある。委員長ははっきりと言葉にはしなかったけれども「ありがとうございます。お気持ちはありがたいですが、私たち熊本人でこのイベントはやり遂げますよ」と笑顔を返してくださり、「当日来て下さるだけで大感謝です」とだけ仰った。

私は東濱さんを知らないし、熊本も一昨年初めて訪れた。鹿砦社が協賛していることは知っていたが、熊本は足を運ぶまで関西からは実際の距離以上になんとなく遠く感じていた。でも新大阪から新幹線に乗ると熊本まではわずか3時間ほど。なんだ東京に行くのと変わらないじゃないか、と遅まきながら知った。沖縄には何度も足を運んでいたけども、初めて訪れた熊本で東濱さんの名前が時々「あがりはま」と呼ばれていて、はてなと思い、知人に聞いたら「琉球では東をあがり、西をいりと呼ぶのさー」と教えてもらった。なるほど陽が昇る東が「あがり」で沈む西が「いり」。西表島を何の不思議もなく「いりおもてじま」と呼んでいたけど、情緒のある言葉を学ばせてもらったのも熊本でだった。

去年は大変な震災があった熊本。街のあちこちの「危険立ち入り禁止」のシールが印象的で今も余震は続いている。でも24日の熊本の空はきっと晴れ上がり、フードパル熊本(「琉球の風」会場)には夏のような陽光が降り注ぐだろう。今年から各ミュージシャンの演奏時間がこれまでよりも長くなり、昨年までとはまた違った味わいを満喫できるに違いない。

九州や中国地方の方だけではなく、全国の皆さん!週末は熊本に出かけてみませんか。

宮沢和史さんの「島唄」で会場が最高潮に盛り上がった昨年の「琉球の風」
9月24日(日)熊本で琉球の風~島から島へ~2017!

【日時】9月24日(日) 12:00開場 13:00開演 (19:00終了予定)
【会場】フードパル熊本 イベント広場
《熊本交通センター⇔上熊本駅⇔会場までの臨時バス運行》

【プロデューサー】知名定男
【出演】 新良幸人withサンデー、下地イサム、宮沢和史、
島袋優(BEGIN)、金城安紀、かりゆし58、UKULELE GYPSY(キヨサク from MONGOL800)、
新里英之&仲宗根泉(HY)、ネーネーズ、比嘉真優子、琉球國祭り太鼓 九州各支部、
(演奏)ネーネーズバンドDIG(嘉手聡、KOZ、前濱YOSHIRO、名嘉太一郎)、
(MC)ミーチュウ、岩清水愛、
(友情出演)宇崎竜童
※出演者が追加・変更になる場合があります。
【出店】飲食店・物産品販売店等、20店舗程度を予定

大人  前売6,000円(当日6,500円)
中高生 前売3,000円(当日3,500)
✱当日は学生証をご持参ください。
小学生 前売500円(当日¥1,000)
小学生未満 無料

☆先着1000名様に「琉球の風2017」ロゴ入りエコバッグを贈呈、
また抽選で100名様に『島唄よ、風になれ!』(通常版)をプレゼントします。
いずれも鹿砦社提供です。


▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定保存版(「琉球の風」実行委員会=編)
『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』通常版(「琉球の風」実行委員会=編)

見沢知廉がみた三里塚闘争、原爆の火、アメリカの歴史から考える

金曜日の夜、新宿駅でばったりと鈴木邦男さんにお会いし、その日ご自身がトークをされたオフィス再生「見沢知廉十三回忌追悼公演『蒼白の馬上~1978326~』」をすすめてくださったので、10日日曜日に千歳船橋のAPOCシアターまで足を運んだ。

◆運動の現場で民主主義を実現することの困難

見沢知廉といえばモテ男で、「死因は自殺でなく女性に殺されたようなものだ」などというまことしやかな噂のある右の作家、という程度の知識しかなかった。だが実は、彼は元は新左翼だった。サイトのプロフィールを引用しよう。

見沢知廉十三回忌追悼公演『蒼白の馬上~1978326~』©平早勉

___________________________________
高校2年17才、戦旗派の高校生細胞になる。
1978年3月、成田空港開港阻止決戦に参加。
その後、新右翼へ。イギリス大使館火炎瓶ゲリラ、ロシア大使館攻撃、アメリカ大使館ゲリラ、要人テロ計画。
1982年、23才、9月11日、スパイ粛清事件をおこす。殺人の罪で千葉刑務所に12年収監。獄中で新人賞を受賞。
満期出所。作家デビュー。
2005 年、マンション8階より投身自殺。享年46才。
___________________________________

なぜかブントの、特に元戦旗派の知人が多く(戦旗派の裾野が広いからだが)、三里塚闘争にも関心があり、期待が高まる。

見沢知廉十三回忌追悼公演『蒼白の馬上~1978326~』©平早勉

作り手さんや演者さんは比較的若手であり、連合赤軍の舞台を思い出した。当事者が観たら違和感ある個所は存在するかもしれないが、若い世代に関心を抱かせるに十分。また、「ワナビー(何かになりたい人・こと)」がテーマになっていて、これもたとえば40・50代以下の感覚に響くかもしれない。

1978年を描いた見沢知廉の小説が元になっているとのことだったので、終演後、どこまでが小説で、フィクションとノンフィクションの境目はどこかが気になり調べた。『蒼白の馬上』の元はロープシンの『蒼ざめた馬』で、爆弾を抱えてロシアをさまようテロリストたちが描かれているようだ。そして『蒼白の馬上』は、女性の語りにより、殺人・粛清を小説化したものらしい。彼は左翼に背を向けたので、情念は肯定しても、運動としてはさほど肯定していないことも考えられる。

わたしはいずれもまだ読んでいない。とにかく芝居を観ている間中、わたしはずっと芝居に沿って考え事をしていた。とにかくずっと考えさせられた。たとえば、運動の現場で実現されない民主主義のことを、守るために閉じる組織のことを、闘いの目的のことを、大同団結やワンイシューのことを、それでも理想を描くことが大切であることを、生きているからこそのそれぞれの思いを、そして自らの目の前に常にあるいろいろな問題のことを。

ラストシーンが事実かどうかは調べてもわからなかったが、ショックだった。事実なら書こうと思っていたが、その部分がフィクションで再演があったりするとネタバレになってしまうので、具体的には書かない。否定し続けてきた組織とまったく同じ論理を、仲間を高揚させてまとまり目的を達するために引っ張り出してしまったということなのだから。ありうる話ではあるし、事実でなければ若い人にとって武装闘争はパロディー以上になりえないということなのかもしれない。このへんに関してわたしの考えを書き出すと長くなるので、また機会があれば、ということで。そして、原作を読んでまた考えるということで。オフィス再生の『二十歳の原点』の舞台を観る機会を逃したままのわたしだが。次回公演はドイツ文学とのこと。関心ある方、「闘争」が過去ではないそこのあなたも、今後、チェックしてみてください。

小林蓮実撮影

◆平和を具体的にイメージするイベント2つ

その後、江東区木場公園の野外ステージ・イベント広場で開催された「アースキャラバン2017東京」へ。「アースキャラバン」の公式サイトによれば、「アースキャラバンは、国籍・人種・宗教の違いを乗り越え、戦争を無くすことを誓い合い、 その誓いを世界中に発信する世界規模のイベントです。」と書かれている。

駅から向かうと木場公園の中の橋を渡っていちばん奥に会場があり、ゆるやかなイベントであることが即座に感じ取れる。音楽が演奏され、チャリティーマーケットでは人権・環境・民族・平和・子ども・食・リラクゼーション・クラフトなどにまつわる国内外のさまざまなテーマを掲げたブースが並ぶ。ワークショップも催された。支援金はパレスチナやバングラデシュの子どもたちの支援などに使われる。そして、原爆の残り火「平和の火」を手に、4大宗教の宗教家、イスラム教のアフマド・アルマンスールさん、ユダヤ教のダニー・ネフセタイさん、キリスト教の長尾邦弘さん、仏教の遠藤喨及さん(呼びかけ人)と来場者が、ともに世界の平和を祈った。

アースキャラバン東京実行委員会提供

最後に、代々木公園ケヤキ並木でおこなわれていた「アフリカン・アメリカン・カリビアンフェスタ2017」へ。アフリカ系アメリカ人と、南米東海岸やカリブ海の島に住む人々の中規模の祭といった感じだ。フード、酒、コーヒー、雑貨、衣料品などが販売され、音楽とダンスを楽しむ人々が集まっていた。

1日あちこちめぐり、平和というのは、ゆるい空気なのだと考えた。現在、そのような空気は小さなコミュニティなどでなければ感じられず、大きな範囲の平和を思い描く時には大きな声を出したりしないといけないのかもしれない。いつの時代にも、世界のあらゆるところでも、強い力に対して闘わざるをえないことだってあるだろう。でも、ゆるやかで心地よい世界を実現したい時、わたしたち1人ひとりがそれぞれに、できることがあるのだろう。仲間と一緒に理想を、いま、ここから実現したいと、いつも考えている。秋になったら、もっとゆっくりと、物事を深く考える時間を確保したい。

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]

1972年生まれ。フリーライター、エディター。『紙の爆弾』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』などに寄稿。労働や女性などに関する社会運動に携わる。同世代の中では貴重なブントの「でたらめな魂」に耐えうる人間だと自覚するうち、いろいろなことに巻き込まれる。次に訪れたい国はパレスチナか香港かトリニダード・トバゴ。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか
9月15日発売『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

のりこえねっと・北原みのりの錯誤と佐藤優を容認するリベラル論壇の癒着

河出書房新社ツイッターより

北原みのりといえばしばき隊との強いつながりを持つ「のりこえねっと」共同代表であり、著名な作家・運動家だ。ろくでなし子氏の逮捕に関して連座し、自身も逮捕された経験を持つ。その北原氏が同じく逮捕経験のある右翼作家佐藤優との対談本を河出書房新社から昨年末に出版していた。読んでみたが想像以上に北原氏が何をしたいのかよくわからない内容だった。まずはウェブ上の出版記念対談から。

北原 いままで佐藤さんの本を手に取ったことのなかった女友達からは、100パーセントの確率で「佐藤さんっていい人なんだね!」という読後の感想をいただきます(笑)。
佐藤 そうですか、強面のイメージがありますからね(笑)。
   (情報サイトBOOK BANGの対談記事より)

「強面のイメージ」と自分で言ってしまう佐藤優には失笑するし、手放しで褒めてしまう北原氏とその女友達も盛大な勘違いをしている。佐藤に批判的な論文『佐藤優現象批判』を執筆した岩波書店社員の金光翔氏にたいして佐藤がどんな攻撃をしたのかを知れば「イメージ」どころではない佐藤の本質がわかるだろう。ぜひこの詳細は金氏の個人ブログ『私にも話させて』、もしくは鹿砦社から出版されている『告発の行方2』をお読みいただきたい。メディアによって狡猾に主張を使い分ける佐藤優を容認する「論壇」の腐敗した実態も告発している。

 
『告発の行方〈2〉知られざる弱者の叛乱』

◆佐藤優の危険性に気づかない北原みのり

佐藤優の主張の使い分けは対談本「性と国家」でも存分に発揮されている。「性と国家」では従軍慰安婦問題に関して多くの紙数が割かれているが、佐藤は従軍慰安婦の告発に対して以下のように述べている。

[大事なのは、告白される側に、上から目線ではなく、フラットに告白を受け入れる能力があるかどうか。元日本軍「慰安婦」の話を戦時の性暴力という限られた局面にずらしてしまわず、ごく普通の家庭に潜んでいるような性的暴力や、ジェンダー的な無理解の問題として受け取れるかどうか](『性と国家』151頁)

一見いかにも真摯で真っ当な意見であるようにみえる。しかし佐藤は民主党政権時の玄葉光一郎外相(当時)の従軍慰安婦問題に関する発言に対してこう述べている。
「韓国に対して、『死活的利益を共有している』などという過剰なレトリックは避けるべきだ。韓国との関係で、焦眉の課題は、慰安婦問題の国際化を韓国が行わないようにするための方策を考えることだ。なぜなら、慰安婦問題が国連総会第3委員会に提起されると、それがわが国にとって死活的に重要である日米関係に悪影響を与えるからだ。」(2011年10月1日脱稿のBLOGOS記事より)

ここにみられるのは露骨な国益主義だ。「フラットに告白を受け入れる」態度とは明らかに違い、慰安婦問題を封殺する意図しかない。

またこの対談本では朴裕河の著作『帝国の慰安婦』の評価についても言及されている。北原氏はもともとこの著作に否定的だ。東大でのこの著作をめぐるシンポジウム(肯定派、否定派が勢ぞろい)に出席した北原氏は朴裕河を擁護する学者に対する違和感を佐藤優にぶつけている。

[かりにも東京大学で、教授クラスの方々が一冊の本を巡り議論するわけじゃないですか。私も発表の機会を与えられたので、けっこう緊張して行ったんです。ところが、そういう場で怒声が飛んだりするんですよね。(中略)「和解から始めればいいだろう!」と大声を出す男性知識人もいてびっくりしちゃった](『性と国家』103~104頁)

ちなみに引用部分の「和解」は朴裕河が多用するキーワードである。上記のヤジは朴裕河を擁護する学者のものと思われる。

北原氏は自身の持っている連載などで慰安婦の思いをよそに国家間の都合で合意(和解)が進められていくことに憤りをつづっている。その点は貴重な視点だ。しかし、朴裕河をこのシンポジウムで最も痛烈に批判した鄭栄桓明治学院大学准教授は前述の金光翔氏を支援する目的で以前から佐藤優を顕名で批判している。

[ここに岩波書店の就業規則改悪問題を取り上げるのは、問題が岩波書店の労働問題並びに日本の言論の自由に対する悪影響に留まらず在日朝鮮人の言論活動への弾圧としての側面を有しているからである。今般の岩波書店の就業規則改悪はこの間の金光翔氏の言論活動への封殺を意図したものと考えられる。(中略)金氏はこの間、論文「〈佐藤優現象〉批判」(『インパクション』第160号、2007年11月)を皮切りに、右翼・国家主義者であり在日朝鮮人への弾圧を煽る佐藤優を他でもない岩波書店が積極的に起用することを批判し続けてきた。極めて重要な批判であり、私も多くを学んできた](ブログ『日朝国交「正常化」と植民地支配責任』より)

北原氏も鄭栄桓氏の精緻な読解により朴裕河がいかにデタラメな解釈をしているのか学んでいたはずだ。それをよりにもよって佐藤に違和感をぶつけるとは(多分この経緯を知らなかったのだろうが)絶句せざるを得ない。

北原氏は対談本の巻末で「私はこれまで男性と対談する機会はほとんどなかった。その私が安心して佐藤さんと対話できたのは、佐藤さんが米軍ゲートの前で動かなくなる棺の重みを、説明しなくとも感じる人だからと思う。差別と暴力を、握り拳のなかで感じられる人との語りは、私を様々なところに連れていってくれた。」と佐藤優を絶賛しているが、何をかいわんやである。

◆M君リンチ事件を早期に知っていた北原みのり

 
『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

北原氏の軽率さはこれだけではない。北原氏と『奥様は愛国』という共著もある朴順梨が鹿砦社の元社員に送ったメールによれば、北原みのりは事件後李信恵と会った際にM君リンチ事件を知ったのだという。(『反差別と暴力の正体』58頁~59頁より)

北原氏は「これだから男は! これからは女達が声をあげていこう」という趣旨の話を朴順梨に電話でしていたようだ。続編の『人権と暴力の深層』で触れられているが、鹿砦社によるM君リンチ事件の取材にたいして、北原氏は今まで返答をしていない。
 
◆共通する佐藤優現象としばき隊現象

佐藤優にしろしばき隊にしろ近年の日本の論壇・社会運動の腐敗を象徴するものだ。最近ではしばき隊の一派でM君リンチ事件の隠ぺいにも一役買った男組の組長(民団新聞によれば彼は右翼とされている)がハラスメントを行っていたとの告発もあった。佐藤もしばき隊も一見右翼の国家主義者には見えない点も共通しており、明敏な識者からは以前から安易に右翼を容認する危険性を指摘されていた。佐藤優が論壇にのさばることを止められなかったことが現在のしばき隊の跳梁跋扈を準備したと言っていいだろう。

その点北原氏が佐藤優との対談に応じて、佐藤に関して間違ったイメージを拡げてしまったこととしばき隊の横暴に沈黙していることは重大だ。佐藤優を称賛したことを反省し、M君リンチ事件に関して知っていることを公にすべきだ。

▼山田次郎(やまだ・じろう)
大学卒業後、甲信越地方の中規模都市に居住。ミサイルより熊を恐れる派遣労働者

9月15日発売開始『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて
愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか

山谷夏祭りと慰安婦映画 ── 「現場」とそこにいる人に「触れる」

毎年恒例の山谷夏祭りと、戦後72年が経過して観る慰安婦映画について、お伝えする。

◆運動現場に起こりがちな問題に対し、丁寧に対処する姿勢を山谷にみる

2017年の山谷夏祭りは8月5日(土)と6日(日)、「日雇労働者の権利を奪うな! 白手帳取り上げ反対!」をテーマに開催された。山谷夏祭りでは、「この社会でもっとも貧しい人々、社会の中で搾取抑圧を受け厳しい立場におかれている人々である野宿の仲間たちが中心となって楽しめる祭り」を目指している。

わたしは越年闘争や夏祭り、集会などで幾度か山谷を訪れているが、特にこの夏祭りの笑顔や踊りは印象的だ。5日、あまり長時間の参加がかなわなかったが、スケジュールを確認すると、アルミ缶交換、めし作り、よりあい、めし(ひつまぶし風どんぶり/カレー)、追悼、乾杯、屋台、ステージ演奏(ジンタらムータ・Swing MASA・中川五郎・蟹座・岡大介)、カラオケ、盆踊り(炭坑節・東京音頭・大東京音頭・ドンパン節)など、やはり盛りだくさんの充実した内容となっている。

山谷は労働運動、貧困・格差解消のための運動に携わるわたしたちにとって、現場の1つではあるものの、象徴のような場だ。

白手帳とは日雇労働被保険者手帳のことで、雇用保険法が規定する日雇いや30日以内の短期間の仕事をする人は、まず居住区のハローワークでこの手帳の交付を受けられる(ことになっている)。しかし、建設労働以外の職種では白手帳はほとんど知られていない。建設労働者は本来、全国の現場を渡り歩いているので、大阪・名古屋・横浜などの日雇職安で白手帳を作ることができ、東京・山谷地区での管轄は玉姫および河原町労働出張所である。労働者は賃金の支払いを受ける際、この手帳を提出して会社に印紙を貼ってもらう(日雇労働者を雇用する事業主は印紙の貼付を義務づけられているにもかかわらず、貼らない業者が増えている)。2カ月間で26枚以上印紙が貼られている手帳を持参すれば、ハローワークで求職申し込みをしたうえで仕事が見つからなければ、翌月13日分以上の給付金が受けられる。この給付金は「あぶれ手当」と呼ばれ、仕事を得られなければ、前月の賃金に応じて日に4,100~7,500円が支給される。

全国のハローワークと日雇職安を統括する厚生労働省は、近年、わずかな不正行為を口実に「あぶれ手当」の支給を厳しくしただけでなく、日雇労働者から白手帳を取り上げるという締め付けを強行しようとしている。印紙の枚数が少なくアブレ受給の可能性が低いという理由で日雇雇用保険そのものから脱退させようというのだ。日雇労働者を雇っても印紙を貼らない業者が大多数であるという実態は問題にせず、逆に労働者に印紙を貼れないなら無保険になれと手帳を取り上げる。ただでさえ不安定な日雇労働者の権利を根こそぎ奪おうとする国のこの動きに反対運動が行われている。

また山谷の活動では、撮影や差別・抑圧の問題等にも真正面から取り組んでいる。あらゆる運動において、さまざまな問題がみられるが、それを継続や権力保持のために誰かが握りつぶそうとするさまを10年あまりで数えきれないほど目撃し、耳にもしてきた。そのためにわたしが距離を置いた運動も多くあるが、山谷では、そのような問題に真摯に向かっているという印象をもっている。活動のはじめにハラスメントの問題に対してセーファースペースがあることを伝えたりする習慣があり、今回も撮影や差別・抑圧の問題に関する資料をきちんと配布しているのだ。民主主義を現場から実現しなければ、社会を変えることなどできるはずがない。

9月30日土曜日には、1984年12月22日、天皇主義右翼・金町一家に殺された佐藤満夫監督の遺志を引き継ぎ、日雇全協・山谷争議団の山岡強一さん(87年1月13日に同様に殺された)が完成させた「山谷(やま)──やられたらやりかえせ」がplan-Bにて上映される。これを観ると、山谷の原点や、社会の差別・抑圧・支配構造がよくわかるかもしれない。

◆貴重な「最後の記録」に、1人ひとりの怒り・痛み・哀しみをみる

万愛花さん © 2015 ドキュメンタリー映画舎 人間の手

その前には専修大学にて、「班忠義監督作品特集──日・中・韓を結ぶ25年の記録」の中の「太陽がほしい──『慰安婦』とよばれた中国女性たちの人生の記録」を観ていた。本作は、「チョンおばさんのクニ」「ガイサンシーとその姉妹たち」と戦時性暴力被害を受けた女性たちを取り上げたドキュメンタリー2作を経た班監督が、750名余りの支援を受けて製作した120分の作品だ。

共産党員として拷問を受け、性暴力を受けたうえ、脇毛を抜かれたり銃床で殴られたり軍靴で蹴られたりして全身を骨折した万愛花さん。隊長や日本兵からの性暴力を毎日受け、無理矢理自宅から連行される際に銃床で殴られて左肩に後遺症が残った劉面換さん。隊長や日本兵・清郷隊という傀儡軍隊員などからの性暴力を受け、陰部を切り裂かれたりして精神状態にも悪影響が及んだ郭喜翠さん。ほか、計6?7名を中心とし、当時の具体的な話やエピソードを語ってもらい、その後から現在にいたるまでの苦悩も描いている。彼女たちはその後、心身の健康被害が残っただけでなく、日本兵に協力したものとして差別を受け、貧困に陥り、現在、病院に行くことすらままならない。長い月日を経たものの当時の記憶はみな鮮明で、振り返りながら涙が止まらなくなる。告発しながら舞台で卒倒してしまう人もいた。

▼班忠義(Ban Zhongyi)監督 1958年、撫順市に生まれる。95年、中国人元「慰安婦」を支援する会を発足。99年、ドキュメンタリー映画『チョンおばさんのクニ』(シグロ製作)を監督。07年、ドキュメンタリー映画『ガイサンシーとその姉妹たち』(シグロ製作)を監督。10年、ドキュメンタリー映画『亡命』(シグロ製作)を監督

作品の途中、小さな希望を抱かされるものの、ラストでは多くの女性がすでに亡くなってしまったことが告げられる。わたしは「間に合わなかった」という絶望感を抱かざるをえなかったが、現在の日本に生きる者として、何度でもそこからまた始めなければならない。上映後のトークでも班忠義監督は、「被害者として知っている女性の生存者は、中国全土で8人前後。完全に歴史になった。取材はもうできない。記憶の伝達が難しく、限界がある」と語った。

本作では、戦中戦後の中国の歴史も大変わかりやすく綴られ、37?43年に華北方面で活動した共産党軍(紅軍)である八路軍(はちろぐん)についても触れられる。班監督は現在、日本に住んでいるが、『亡命』という作品も手がけており、トークでも習近平以降の監視が厳しく、撮影や上映もままならない状況についても語った。ゲストの専修大学教授で中国文学・思想史を専門とする土屋昌明先生も、「日本では沖縄以外でありえないほど、中国は厳しい状況。これが法律で決まっている。2016年、映画祭をやろうとしたら、電線を切られ、フィルムを没収され、映画学校が取り潰しになった」という。そして監督は最後に、「大事なのは、歴史をどう残すかということと、関係を築いて他国や人間を理解すること。わたしのようなバカなヤツがたくさん、本当に必要」と締めくくった。

「太陽がほしい」は、1人ひとりの女性の思いがストレートに伝わってきて、胸に突き刺さる。このようなドキュメンタリーは、多くはない。わたしは「チョンおばさんのクニ」「ガイサンシーとその姉妹たち」のDVDを購入した。

この時期、足を運んだり映像によって現場・当時を「生々しく」知ることで、労働者の仲間のこと、戦争のことなど、改めて考えたい。

「太陽がほしい──『慰安婦』とよばれた中国女性たちの人生の記録」

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年、千葉県生まれ。フリーライター、エディター。『紙の爆弾』『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』などに寄稿。労働や女性などに関する社会運動に携わる。映画評・監督インタビュー執筆、映画パンフレット制作・寄稿、イベント司会なども手がける。

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