辺野古の海上工事がいよいよ再開された。高江と辺野古で沖縄人の意向を全く無視した新たな米軍基地建設が進む。もちろん誰もが黙っている訳ではない。逆だ。全国から「どう考えたっておかしいだろう!」と基地建設反対の人びとが、運動の戦列に加わるために沖縄に足を向けている。

川口真由美さん

◆真由美さんは毎月のように沖縄に通っている

京都生まれ京都育ちで、障がい者の作業所の所長さんにして3人のお子さんのお母さん、川口真由美さんもそんな人の中の一人だ。でも彼女は歌手でもある。知人から紹介され真由美さんのCDを聴いた。真由美さんを紹介して下さった方によれば、「彼女の迫力は生で聞いたらパワーが違います」とのことだったが、音楽センターから発売されている『想い 続ける─沖縄・平和を歌う─』からは、ガツンと直撃弾を食らったような詩とメロディーがシンプルな演奏で奏でられる。

真由美さんは毎月のように沖縄に通っている。辺野古や高江の現地で座り込みに参加したり、抗議行動に加わり続けている。だから彼女のオリジナル曲には、とても直接的な詩が多い。政治的であり、情熱的であり即物的なようでいて、情の深い部分を射抜く。

◆『闘う人』は異端者ではない

川口真由美さんCD「想い 続ける—沖縄・平和を歌う—」

音楽から力が失われてどのくらい経つだろう。かつては詩歌が直接的でなくとも、多くの人の心を揺さぶる楽曲が珍しくはなかった。だが近年そのような新しい楽曲に接することが少なくなったように感じる。

私の生きている世界が狭いからだろうか。時代が剥き出しの暴力をすすめ、日々が戦争めく時代にあって、優しさにくるまれた歌詞や、解釈がいかようにも可能な楽曲は、はかなくも力なく聞こえる。何も知らない子供は騙せても、大人の心を揺らせはしない。たしかに人びとの心のひだを丁寧に歌う歌はあるだろう。それらは「癒し」や「共感」には溢れているかも知れない。でもそこから「闘い」の意思と「怒り」を感じることは稀である。

時代は『闘う」ことが、なんだか不思議なことのように人びとに思わせることに成功しつつあり、『闘う人』を異端視する勘違いの罠を巧みに仕掛けている。

◆山城博治さん作詞の『沖縄 今こそ立ち上がろう』を艶やかに歌う

真由美さんの歌を私なりに解釈すれば『21世紀版闘争歌』だ。『El Condor Pasa(コンドルは飛んでゆく)』も真由美さんが歌えば、たちまち『闘争歌』へ装いを変えるし、いま、囚われの身である山城博治さんが作詞した『沖縄 今こそ立ち上がろう』を歌えば、艶やかな色を帯びた曲へと深みが増す。『翼をください』だけは詩も原曲通りだが、この曲くらいしか真由美さんの身体に納まる歌はないということだろうか。この人のエネルギーをのぞき込むのは、なんだか原発事故でメルトダウンした格納容器内のデブリを見に行くような怖さすら感じる(あえてこの表現を使う)。


◎[参考動画]辺野古作業用ゲート前で山城博治さんと共に歌う『ケサラ』、『軟弱者』(2015年1月13日)

でも本当に彼女が歌いたいのは『闘争歌』ばかりではないだろう。彼女は「躍動する声を出すようにこだわっています。鳥の声や動物の声も気にしています。自然に響くように歌わないと人の心にも響かないから。私は人間として当たり前な、人間らしさを歌いたいだけです」という。そう、彼女はいま『闘争』に忙しくとも、本当は情熱に満ちた愛情や自然を歌いあげたいのではないだろか。でも時代はそれを許さない。

◆2月25日(土)京都での真由美さんコンサートに先着5名様ご招待!

『共に歌う歌姫・闘うシンガー』とも呼ばれる真由美さんの歌を生で聞くのは正直少し怖い気もする。こちらのエネルギーが試されるのではないかと。「聴き倒れ」てしまうんじゃないか。自分に自信のない私などはちょっと不安だけれども、彼女の歌を聴くチャンスがやってくる。

2月25日(土)、京都市呉竹文化センターで1:30開演、川口真由美さんのコンサート『想い 続ける ―沖縄・平和を歌う―』が行われる。コンサートは当日2000円(前売1500円)、小学生~高校生・障がい者1000円だが、ご紹介者のご厚意により先着5名様に同コンサートのチケットをプレゼントする。チケットをご希望の方はtadokoro_toshio@yahoo.co.jpへお名前、ご住所、連絡先電話番号を明記の上メールをお送り頂きたい。先着5名様(多数の場合は抽選)にチケットを差し上げます。

2月25日(土)川口真由美『想い 続ける -沖縄・平和を歌う-』コンサート(京都市呉竹文化センター)

川口真由美さんについてのご質問は、京都音楽センター(TEL:075-822-3437、Email:info@wawawa.ne.jp)まで。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

残部僅少『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)


◎映画『この世界の片隅に』予告編

アニメ映画「この世界の片隅に」(片渕須直監督)の大ヒットはもはや社会現象のような趣だ。戦時下の広島県呉市を舞台に、広島市から嫁いできたヒロインの女性・すずとその周囲の人たちがけなげに生きる姿を描いたこうの史代の漫画を、片渕須直監督が6年以上費やして映画化。昨年11月、全国で約60館という公開規模でスタートしたが、あらゆる批評家、そして一般の観客たちがこぞって絶賛して評判が広まり、累計観客動員数は100万人を突破。キネマ旬報が選ぶ2016年のベスト・テンでアニメ作品としては28年ぶりの1位に輝き、現在は上映館数も200館を超えている。

私もこの作品を鑑賞したが、何より感銘を受けたのは、登場人物たちが戦時下の過酷な状況を当然のこととして受け入れ、時勢に対して何の不満も言わず、かといって戦局に一喜一憂するわけでもなく、一日一日をただひたむきに生きていたところだった。戦争は怖いとか、いけないことだというのは、今の日本なら誰でもそう思うことである。しかし戦時下はそうではなく、一般の人々の暮らしぶりとは、この映画のようなものだったのだろう。そんなことをしみじみと感じさせられたのだった。

中国新聞1945年8月2日1面。度重なる空襲で呉市民の多くが生命を奪われても日本の優勢が伝えられ続けた

そして私が改めて気になったのが、当時の戦争報道がどのようなものだったのか、ということだった。戦時下において、この映画の舞台となった広島県呉市の人たちの戦争に関する事実認識や考え方は当然、戦争報道によって形成されていたはずだからだ。そこで、広島地方の地元紙である中国新聞の当時の報道を検証してみた。

◆呉で2000人が犠牲になって以後も日本優勢を伝え続けた地元紙

軍港があった呉市は終戦が間近に迫った1945年3月から7月にかけ、計14回の空襲に見舞われ、約2000人の民間人が犠牲になったと伝えられている。しかし、8月2日の中国新聞は1面に、〈本土の戦備・着々強化〉〈機動部隊 艦上機を迎撃 約八七八機を屠る 我軍事施設の被害僅少〉と、このごに及んでもなお戦局は日本が優勢であるかのように伝えている。まさに「世界の片隅」にいて、地元の状況以外は報道で知るしかない呉市の人たちがこんな報道を見れば、呉市はどんなに悲惨でもそれ以外では日本が優勢なのだろうと誤認しても仕方ないだろう。

その後も同紙の紙面には、〈沖縄の基地艦船猛攻〉〈バリックパパン 斬込みで敵陣撹乱〉(以上、8月4日1面)、〈タンダウン、トング―の線で出血戦 ビルマ皇軍勇戦続く〉(8月5日1面)、〈笑殺せよ 爆撃予告 心理的効果が狙ひだ〉(8月5日2面)・・・と日本の優勢を伝える見出しが躍り続ける。そして1面で、〈敵殺傷四千八百余 タラカン島の総合戦果〉と報じている8月6日の午前8時15分、広島市に原爆が投下され、10万人を超す人が生命を奪われたのである。

中国新聞1945年8月9日1面。原爆投下3日後、地元紙が原爆について最初に報じた記事。今思えば見当外れだ

◆映画が再認識させてくれるもの

原爆投下の翌日と翌々日、さすがに中国新聞は発行されなかったが、3日後の8月9日には早くも発行を再開している。ただ、この日の1面では原爆について、〈新型爆弾攻撃に 強靭な掩体と厚着 音より速い物に注意〉と、今思えばかなり見当外れなことを書いている。社説も〈逞しくあれ〉などと訴えているのだが、「そんなのは無理」というしかないだろう。さらに社説の下には、海軍少将・高田利種の〈この戦争・絶対勝つ 秘策着々進む 挫けるな精神戦〉という訓話が掲載されているのだが、よくもこんな無責任なことを言えたものである。

その後も、同紙の紙面には、〈人類の敵を抹殺せよ〉(8月13日1面)、〈水上機母艦を撃沈 潜水部隊、沖縄へ出撃〉(8月14日1面)、〈空母等二艦を大破 敵機動部隊を捕捉猛攻〉(8月15日1面)・・・と、昭和天皇が玉音放送で日本の降伏を伝える8月15日まで勇ましい見出しが躍り続ける。

中国新聞1945年8月16日1面。日本の優勢を伝え続けながら終戦翌日はこんな紙面に……

そして終戦翌日の同8月16日には、1面で大々的に〈大詔渙發・大東亜戦争終結〉〈神州の不滅を確信し 萬世の為に太平を開く 米英支蘇四国共同宣言を受託〉と終戦が伝えられているのだが、今思えば、こんなデタラメな報道がまかり通っていたというのは本当に恐ろしいことである。

報道の自由や言論の自由が大事なものであるというのは言うまでもないことだが、映画「この世界の片隅に」はそのことを再認識させてくれる作品でもあるように思う。


◎[参考動画]練馬アニメカーニバル2015「『この世界の片隅に』公開まであと1年!記念トークイベント」

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

『NO NUKES voice』第10号[特集]基地・原発・震災・闘いの現場

まったくよい思い出がない行政機関にどうして「成人」を祝ってもらう理由がある。よい思い出どころか、むごい思いをさせられたあの県にある、あの市が主催する「成人式」になにが有難くてのこのこ出かけて行かなきゃならないんだ。正月に配布された市報には、市長と新成人の座談会が掲載されていた。知っている顔が市長と「若者の未来」をテーマの座談会に、デレッとした表情、馬鹿丸出しで発言している。「へっつ。軽薄な奴め! 行政権力に踊らされて恥知らずだよ」と市報を食卓に放り投げたら「そんな捻くれた考え方をするもんじゃない!」と父親に叱られた。

父親は俺を叱ったが、成人式に出席しろとは言わなかった。年中行事やしきたりを重んじない家風が幸いしたのだろう。時代遅れも甚だしく厳しい躾を幼少時から叩き込まれてきたが、不思議なことに世間では一般的な「七五三」や「お宮参り」といった因習的行事に我が家は全く無関心だった。「サンタクロースなんていないんだよ」となにげなく「教育」されたのは小学校入学前だ。かような子供にとっての「絶望的宣告」も別段珍しくはなかった。でも近年とは桁違いに世間ではクリスマスが騒がれていた当時、子供としては「クリスマスプレゼント」や「クリスマスケーキ」に憧憬を抱いたのも事実で、その根拠「よそはよそ、うちはうち」の絶対宣言が悲しくなかったと言えばウソになる。

なにが「成人」だ。成人がそんなに目出度いか。周りの「新成人」は社会に無関心で恋愛や、ファッション、さもなくば音楽に夢中になっている奴らばかりじゃないか。「成人」なんて20歳になったら急に訪れる激変なのか。違うだろ。「教師」として俺の前に次々現れた「成人」の中で人間的尊敬に値する人は3人しかいなかったじゃないか。世間は景気がいいらしい。それがどうした。俺には何の関係もない。日本の経済侵略がもたらした一時的なあだ花に過ぎはしないじゃないか。俺は相変わらず不機嫌だ。

1月の第二週の月曜に成人の日が移行する前。198X年の1月15日、私はかなりイライラしてどこに身を置いたら一番気持ち素直でいられるか、朝から6畳の下宿で悶々としていた。藤圭子じゃないけど「15、16、17と私の人生暗かった」。俺の成人の日を無視するのも手だけども、気が晴れるような場所か風景はないものか。かといってライブや人だかりに出かける気にはならない。一人がいい。そうだ。若草山の山焼きが今日だ。映像でしか見たことがない若草山の山焼きを見に行こう。火や花火からカタルシスを得られる俺の性格にうまくいくと合致するかもしれない。

サントリーホワイトとウォークマンをポケットに入れ奈良に向かった。若草山を眺めるのに至近の有名な場所ではないが、ベストポディションがあることは以前から知っていた。日頃の若草山は、至極おだやかな女性的ともいえる稜線だが、あの山が燃え盛ったら少しは爆発寸前な俺の気分を慰めてくれるだろうか。私のみが知るベストポディションは奈良市内のある歩道橋だ。私のほかに誰も居はしないだろう。

案の定、日が暮れ切った18時過ぎ歩道橋には誰もいはしない。サントリーホワイトを半分飲み干したのでペースを抑える。ウォークマンで聞いているのはYMOの「東風」、「千のナイフ」のライブバージョンだ。詳しい理由は解らないけど、YMOを中学生時代に耳にしてから、この無感情、無機質でありながら、底にどこかしら「革命」と相いれる旋律の楽曲に俺は、「こいつらやがては世界を取る」を予感した。中でも「千のナイフ」は最高だ。198X年1月15日はサントリーホワイトを友に、日ごろ温厚な若草山が、猛狂いながら燃え上がり、一切の欺瞞を燃やし尽くせ!

やがて山裾からから火の手が上がった。円周があやふやだった赤い輪郭はじりじりと山頂へ向けて炎を滾らせてゆく。ここは若草山からは距離がある。煙の臭いも届かないし、至近で眺めるよりも迫力は格段に落ちるだろう。そんなことは構わない。残りのサントリーホワイトを飲み干すと炎も山頂へ向けての速度が上がる。俺の耳では「東風」が鳴り響く。誰もいない歩道橋の上で腹の底に熱が湧く。かじかむ手先を擦りながら、俺なりの「成人の日」はこれでよかったと少し気持ちよくなった。

「成人」なんて擬制だ。優れた感性は中学生・小学生から老成した賢者にも通じる。違いは言葉を獲得しているか、していないかの違いだけだ。ダメな奴は50になっても60になっても年を重ねるだけで成長はしない。新成人の皆さん、おめでとう。君たちには制度により与えられる「成人」ではなく、自立した精神・哲学を持ち、行動し責任を取る真の「成人」(mature)を目指してほしい。そして希望を切り開けるのは君たちだけだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年2月号

『NO NUKES voice』10号【創刊10号記念特集】基地・原発・震災・闘いの現場──沖縄、福島、熊本、泊、釜ヶ崎

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

年賀状の習慣を止めて10年以上になるが、それでも頂ける年賀状だけには返信する。筆不精で手書きの文字は下手くそな私には、パソコンとプリンターが実にありがたい。のだけれども、年賀状作成に限らず、最近パソコンの作動がどうもおかしい。当初のWindows8は起動も早く操作性に不具合はなかったが、抵抗しても抵抗しても画面に現れる「Windows10」へのバージョンアップ画面に毎回拒否をしていたが、いつの間にか勝手にWindows10へOSが切り替えられてしまった。問題はそれから生じた。

◆「押し付け」アップデートの不快

要らないから拒否しているのに無理やりの「押し付け」に、まず不快な思いをさせられたが、不快な思いにとどまらず、不具合まで不随して押し付けられるはめになったから始末におえない。まず起動が遅い。といっても何分もかかるわけではないから、これは我慢すれば実用問題ない範囲ではあるが、以前より「のろくなった」のは気分がよいものではない。そして困ったことにWordなどの初歩的なソフト利用中に、しばしばフリーズ(画面が白くなり固まる)が発生する。毎日のように駄文を綴っているが、こんな現象はWindows10へ「強制連行」されるまでは経験がなかった。コンピューターに詳しい方に話を聞くと、どうやらこの現象は私に限ったことではなく、多くの人が同様の不具合に手間を割かれ迷惑しているとのことだ。

面倒くさいし、細かいことは解らない。そもそも理解しようという意欲がないから、私にとってパソコンはもう進歩して頂かなくて結構だ。いや私だけではなく、人類全体にとってもこれ以上の情報処理技術進歩は幸せをもたらすものではないだろう。ソフト会社の方々は新たなソフトやOSを開発しないと商売にならないのだろうけども、もうこれ以上は要らない。人工知能も予想変換も音声入力も、便利かもわからないけれども、つまるところ人間が体と頭を使って行うべき動作や思考をアウトソーシングしているわけであり、そんなことを当たり前に続けていればますます、生物として人間の感覚や行動域、思考が退行してゆくのではないか。

◆利便性や幸福をもたらすために科学技術が常に進歩するわけではない

利便性や幸福をもたらすために科学技術が常に進歩するわけではない。科学技術の進歩は無思想であり、利益と打算、直近の成果が開発者にとっては尺度である。であるゆえに、世紀の大開発ともてはやされる「iPS万能細胞」にも私は疑念を持つ。困難な病に日々苦しむ方々が新薬や「iPS万能細胞」に期待を寄せておられることを承知の上でも疑念は消せない。

万能細胞と遺伝子組み換え技術を軍事的な視点から合体させたらどうなるだろうか。これは夢想ではない。第二次大戦中にヒットラーは北方優越民族(純血のゲルマン人)を創出するために、体格、外見がゲルマン民族として優れた若者を秘密裏に交接させ、「スーパーゲルマン」創出を実際に行っていた。

敗戦によりその目論見は短期間で終了したけれども、今日の為政者の立場で試考してみればどうだろうか。科学技術自体は無思想だが、その開発に関わる人間には思想がある。世界から注目を集める山中伸弥京都大学iPS細胞研究所所長が月刊『HANADA』に登場し、櫻井よしこに歴史を尋ねている。歴史を尋ねる相手がなぜ、極端な歴史修正主義者の櫻井よしこなのか。山中氏はその行為をなぜ全く躊躇していないのか。私には合点がいく。

◆テクノロジー依拠は最小限にとどめる

パソコン、スマートフォン依存による退行は既に散見される。高校の英語の授業では電子辞書が当たり前のように使われているし、タブレットやスマートフォンに向かって「この近くで美味しいランチ」などと急に横で声を出されると、びっくりすることがある。電車の中で携帯電話の通話をするな、というのがこの国の標準的なマナーとされているけれども、小声ならべつに構わないんじゃないか。大声で井戸端会議をやるおばさんたちの規制の方が優先順位は先だと思うが、間違いか。

「近くの美味しいランチ」を探すのはかまわないが、それくらいはタイプしてもたかが数文字じゃないか。音声入力に慣れた方にとっては、たかが数文字のタイピングが面倒なのだろうか。私にはよくわからないけれども、利便性をまとった人間の機能低下を生じさせるテクノロジーの接近にはかなりの注意が必要だと感じさせられる。

と言いながら上記主張とは正反対に、年賀状の作成をパソコンに委ねる私が、何を言っても説得力は無きに等しいか。今年は老化を痛感する身体を、それでも最大限に使ってゆかなければならない、そうでなければ「顰蹙を買う文章を書け!(松岡氏から賜った私の使命)」すら果たせなくなるかもしれない。吠え続けるためにテクノロジー依拠は最小限にとどめようと思う。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年2月号

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

 

台湾北部の山間の町・九?(ジォウフェン)は、ジブリの映画、「千と千尋の神隠し」の舞台であるといわれている。宮崎駿監督は、この噂を否定しているようだ。宮崎駿「ええ、違います。」「映画を作ると、『自分の所(がモデル)だろう』という人は日本にもいっぱい居まして。トトロの時も…」「同じような風景はいっぱいあるっていう事です。」とインタビューにて答えている。

まあそれはそれとして、台湾は実にきれいな街並みだ。どこにいってもゴミがまったく落ちていない。だがそれは「中国本土みたいにならない」という意地の所作である。台湾人がきれい好きだとは限らない。

 

それはまあ別として、「ジォウフェン」という町はもともと金が発掘できるということで、かつてゴールドラッシュがおこり、山に無理くりに宿やらお店を大量に出した。と、いうわけで急な傾斜に立つ建物から下を見ると、あたかも巨人になったような気分になる風景が迫ってくる。

そして、台湾は食べ物も最高だ。小籠包も、タピオカも、チャーハンもおそらくアジアでナンバー1なのではないか。

ただし政治は別問題だ。台湾は今、アメリカとやりとりしたがる連中と中国本土に近い連中の間でつな引きが行われている。7月7日に台北市の松山駅で車両爆発事故が起きたが、一時、これは政治テロではないかという憶測も流れた。

台湾はIT立国であり、建物を見る限り、昭和の初期みたいだし、電車も昭和30年代のようだが、実は日本よりも進んでいる。ほとんど人が来ないような田舎の駅でさえも、wifiがとんでいる。

とはいえ、私自身は、これまでろくな中国人、ならびに台湾人に日本で会ったことがない。お台場あたりに行くとよくわかる。中国人や台湾人は「旅の恥はかきすて」とばかりに平気でゴミを捨てる。一度、ゴミを町中に置いていく東南アジア系と思しきツーリストに「常識外のことをするなよ。どこから来たのか」と聞いたら「台湾だ」と答えた。彼らの母国は綺麗だが、他国は平気で汚して帰る。

15年前のことだが、知人の台湾人ライターは「電気代も払えない」といっておきながら人に金を借りて、キャバレーに通っていた。厚顔無恥とはこのことで、いまだに彼は逃げている。こうした体験があるがゆえ、私は台湾人に良い印象を持っていない。台湾はたしかに美しい。だが、私が日本で出会った台湾人は残念ながら最低だったのだ。

台湾の美しき光景よ、聞くところによるとISが台湾で増えており、イスラムの輩が増えているようだが、せいぜい警戒すべし、である。

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして中道主義者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年1月号

とどまることなく繰り返される芸能人の薬物事件! 過去から最近の事例まで網羅した決定版!『芸能界薬物汚染 その恐るべき実態』

 

商業出版の限界を超えた問題作! 禁断ベストセラーの増補新版

 

台湾北部の山間の町・九份(ジォウフェン)は、ジブリの映画、「千と千尋の神隠し」の舞台であるといわれている。宮崎駿監督は、この噂を否定しているようだ。宮崎駿「ええ、違います。」「映画を作ると、『自分の所(がモデル)だろう』という人は日本にもいっぱい居まして。トトロの時も…」「同じような風景はいっぱいあるっていう事です。」とインタビューにて答えている。

まあそれはそれとして、台湾は実にきれいな街並みだ。どこにいってもゴミがまったく落ちていない。だがそれは「中国本土みたいにならない」という意地の所作である。台湾人がきれい好きだとは限らない。

 

それはまあ別として、「ジォウフェン」という町はもともと金が発掘できるということで、かつてゴールドラッシュがおこり、山に無理くりに宿やらお店を大量に出した。と、いうわけで急な傾斜に立つ建物から下を見ると、あたかも巨人になったような気分になる風景が迫ってくる。

そして、台湾は食べ物も最高だ。小籠包も、タピオカも、チャーハンもおそらくアジアでナンバー1なのではないか。

ただし政治は別問題だ。台湾は今、アメリカとやりとりしたがる連中と中国本土に近い連中の間でつな引きが行われている。7月7日に台北市の松山駅で車両爆発事故が起きたが、一時、これは政治テロではないかという憶測も流れた。

台湾はIT立国であり、建物を見る限り、昭和の初期みたいだし、電車も昭和30年代のようだが、実は日本よりも進んでいる。ほとんど人が来ないような田舎の駅でさえも、wifiがとんでいる。

とはいえ、私自身は、これまでろくな中国人、ならびに台湾人に日本で会ったことがない。お台場あたりに行くとよくわかる。中国人や台湾人は「旅の恥はかきすて」とばかりに平気でゴミを捨てる。一度、ゴミを町中に置いていく東南アジア系と思しきツーリストに「常識外のことをするなよ。どこから来たのか」と聞いたら「台湾だ」と答えた。彼らの母国は綺麗だが、他国は平気で汚して帰る。

15年前のことだが、知人の台湾人ライターは「電気代も払えない」といっておきながら人に金を借りて、キャバレーに通っていた。厚顔無恥とはこのことで、いまだに彼は逃げている。こうした体験があるがゆえ、私は台湾人に良い印象を持っていない。台湾はたしかに美しい。だが、私が日本で出会った台湾人は残念ながら最低だったのだ。

台湾の美しき光景よ、聞くところによるとISが台湾で増えており、イスラムの輩が増えているようだが、せいぜい警戒すべし、である。

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして中道主義者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

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さいたま市北区の盆栽町(大宮盆栽村)に行った。ここは日本が世界に誇る「BONSAI」文化の町で、町を歩けば盆菜園に当たる、といった風情である。来年の4月にはさいたま市で「第8回世界盆栽大会」が開かれるということで、「盆栽町」は盛り上がっている。

『町を歩けば盆栽園に当たる』といわれる盆栽町だが、実はその淵源は「町おこし」的なものだった。もともと盆栽が発展していたのは江戸の駒込であり、古くから将軍様のためにあつらえる植木職人が「団子坂」あたりに密集していた。

 

ところが関東大震災が勃発。被災した盆栽業者たちが盆栽に適した地を求めてさいたま市北区に移り住んだことがはじまりとされる。その後、盆栽とともに同好者たちが村へ移住し、町は活気に満ちてくる。

しかし、第二次世界大戦が激化していくにつれて、盆栽は贅沢品となり軍から圧力がかかるように。それでもやがて戦争が終わると、アメリカの調査団が村を訪れた際、盆栽の美しさを認め、海外からも注目されるようになったいきさつがある。

そして盆栽を世界に広めたのは、なんといっても1889年のパリ万国博覧会にて盆栽が紹介されたことが大きい。

この万博にて、セーヌ川を挟んで対岸にエッフェル塔が建造されたトロカデロ庭園では、日本の「園芸展示場」が作られ、各国から訪れた観光客がその美しさに度肝をぬかれた。

 

盆栽町にはいまも有名な盆栽園がいくつもあるが、海外から「盆栽園で働きたい」という若者が殺到しているという。

今回、訪れた「大宮市盆栽美術館」には、貴重な盆栽がたくさん展示されており、過ぎる時間を感じさせない。

興味があるむきは、一度出かけてみてはいかがだろうか。秋の紅葉と盆栽。最高の一日はすぐそこにある。

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして中道主義者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

7日発売!『紙の爆弾』2017年1月号

北海道の「苫小牧市科学センター」にある「ミール展示館」にでかけてみた。
東京にいるなら、8月、9月の猛暑でダウンしそうだが、苫小牧市は、昼間は24度くらいで夜は寒くて眠れないくらいだ。

さて、ミールは、筒状の長期滞在型ドッキングベイで、実はここに展示してあるのは「予備機」だ。

感想としては、「こんな薄い装甲で大丈夫なのか」ということと、「おいおい、こんなに狭いのか」という点を強調しておきたい。

基幹となるコアモジュールと、天体観測を行っていたというクバント(天体物理観測モジュール)の中に入ると、所狭しとボタンが並び、まさに計算機、とりわけスーパーコンピュータの中に入ったという気がする。

この狭さの中で、地球という故郷を思いつつ、天体観測や天体の研究データを集めるという貴重な実験をやってのけるロシア(旧ソビエト連邦)には、まったく頭が下がる。

「ミールには〝平和〟という意味があります」と展示館のスタッフが教えてくれる。

「北海道では、そこかしこにロシアとの友好を感じる場所があるが、はっきりいってここもそのひとつ。ミールについては、子供のころに何度も行ってけれど、夢があって大人になってからきてもいいですね」と地元の住民は言う。

はっきりいって、宇宙旅行は夢のまた夢だと思われていたが、NASAが「第2の地球」を発見するために観測機を飛ばす計画もあがっている(http://tocana.jp/2016/05/post_9695_entry.html)。

日本にいるとつい「本は電子書籍がいいか、紙か」など実に視野が狭いことを考えてしまう。だが、ときとして宇宙規模でものを考えてみるのもいいかもしれない。北海道には、まだまだ楽しいものがたくさんあった。機会があれば、また紹介しよう。

苫小牧市科学センター「ミール展示館」HP

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして松岡イズム最後の後継者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

7日発売!『紙の爆弾』2017年1月号

 

10月22日、土曜日。午後2時から行われた出口治明氏(ライフネット生命株式会社代表取締役会長)の講演が東京都立中央図書館にて開催された。知る人ぞ知る知識人である出口氏は、読書家であり、知識人だ。歴史から経済から歴史からその造詣は深く、あまたの著作もある。その出口氏はネットのみで申し込める保険会社を立ち上げたのも見事であるが、これからの日本を憂いて嘆き節になっている点には共感した。

出口氏は「2030年には、労働人口が800万人も減り、あと50年で65才以上が4割を超える」として、人口が増える社会を望んでいる。また、「ドイツ人は年間1500時間の労働でGDPの成長率が昨年1.45%あるが、日本では2000時間も年間働いているのに成長率は0.5%しかない」と指摘した。その上で「働きかたが変わってくる」と指摘している。もう9時にタイムカードを押してひたすらに残業する時代ではない。効率が求められるし、「残業」は罪ですらある。

また出口氏は、成長する要素として、①人から学ぶ、②本から学ぶ、③旅から学ぶことが重要だと指摘した。①は、とにかく誘われたら、人に会うことが大切で、交流会や勉強会には積極的に参加せよと。②は、とにかく古典を読むことが大切で、たとえばアダム・スミスの本は何度も書き直しているから古典として読みやすいと。そして③は、旅とは旅行ということのみではなく、知らない街を歩いたり、博物館に出向いたり、「知識を広げる」ことが大切なのだと説く。

 

観点がとても参考になったのは、日本人が英語が得意になるのには経団連の会長が「TOEFLの点数がない者は企業で面接しない、と言い切ればいい」という論理だ。これには、目から鱗が落ちる思いだった。まあ、講義の中身はチャンスがあればここで小出しにして紹介するが、とりもなおさず教養人の「頭脳」に触れることは重要だ。

「古典を読んで分からなければ、自分がアホだと思いなさい。新著を読んで分からなければ、著者をアホだと思いなさい」という言葉が印象に残った。古典はかくもわかりやすく書かれている。出口氏は古典として「東方見聞録 マルコポーロの旅」やアリストテレスの「ニコマコス倫理学」などもあげられている。ぜひ読んでみたい本だし、また出口氏の講演は聞いてみたい。ただし抽選で当たるのがたいへんなほど盛況だが。

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして松岡イズム最後の後継者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

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角には中日新聞、その横にクリーニング屋、八百屋、ココストア、藤山台センター(市場)などが並んでいたのが当初の町並みだったのではないだろうか。なにせもう45年程前の姿なので、その記憶は定かではない。ココストアの位置する商店街界隈の近くには、また別の小さな商店街があり、小ぶりながらおもちゃ屋や書店、散髪屋も並んでいた。さらにスーパーマーケット、「松坂屋ストア」はいつも買い物客でにぎわっていた。

ココストアはその後一時、店の名前が変わったような記憶もある。どうして「こんなに小さい店が市場やスーパーの隙間でやっていけるのか」と幼心に疑問だった記憶はあるが、あれが今日どの町にも見かける「コンビニエンスストア」の日本における第1号店だったとは、想像する由もなかった。当たり前だけれども当時は「コンビニエンスストア」なる名称もなかったし、概念もなかったのだか至極当然ではある。

愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウン内に位置するこの店舗の前を、幼少時代には親に手を引かれ毎日のように通っていた。市場や八百屋、スーパーマーケット店内の姿は覚えているのに、この店に入った記憶はない。その後、成人して夜遅くにタバコを切らすと、品揃えがよかったのと、遅くまで開いているから便利でしばしばお世話になった。大学から休みに帰省すると、この店の前で深夜、悪友たちと顔を合わせたことも何度かあった。

ココストアのテレビCM

今日の「コンビニ時代」の先駆けがあの場所から産声を挙げていたのは、先日同店舗が閉店となったニュースに接して初めて知った。周りにあった市場や他の店舗は、大規模ショッピングモール(サンマルシェ)の影響を受けてか、早々に店を閉めたが、あの商店街でもコンビニだけは45年間健在だったのだ。

ココストアのテレビCM

団地内に現在、全部で幾つのコンビニが今あるのかは解らないが、かつて生鮮食料品を中心に地域では一番の売り上げを誇っていた「松坂屋ストア」すらが撤退した後、団地の姿は大きく変わっている。春日井市の統計によれば現在高蔵寺ニュータウンに住所を置いている人の数は4万人を超えるとされているが、往時同所に居住していた人間にとってこの数は甚だ疑わしい。

ココストアのテレビCM

◎[参考動画]国内コンビニ“1号店”閉店(2016年11月17日CBCテレビ)

私がこのニュータウンで生活した初期は、まだ新しい団地の建設も進む勃興期で人口は毎年増加し、団地には子供の声が響き、小学校も1学年3~5クラスはあった。山を切り開いたニュータウンには当初、歴史も文化も人々の営みの積み重ねもなかったけれども、夏には大公園や各小学校で盆踊りが開催され、小学校では子供会毎に球技を競う大会が盛んだった。当時人口は3万だと聞いていた。しかし私の居住していた地域では早くも1980年頃に子供の数が減り始め、子供会は80年代後半に解散をしてしまった。私が一時在籍した藤山台東小学校は廃校になる年の卒業生がわずか2名だったそうだ。

ココストアのテレビCM

ニュータウンの中心部は旧住宅公団(現在のUR)が維持管理する賃貸の団地が主たる建物を占めるが、中には分譲され個人が保有しているものもある。本来はここが人口密集地帯のはずだが、団地の窓を見渡すと空き家が目立つ。目視しただけでも2~3割は空室のように見える。ニュータウンの周辺には一戸建て住宅や工場などが広がっている。

数年前、久方ぶりに同ニュータウンを訪れた時、中心部には昼間だというのにほとんど人の姿が見当たらなかった。子供の声ももちろん聞こえない。前述の通りが一時通っていた藤山台東小学校は廃校となり、どうやら3つの小学校が統合されたようだ。賑やかだった藤山台の中心地、松坂屋ストアの跡地には介護関係の事務所が入っている。小中学校の給食を調理し、配達をしていた「給食センター」も取り壊されていた。

その時は、以前このコラムで言及したが、何とも表現しにくい気分になった。そして「日本初のコンビニ」閉店のニュースは、どこかでこの街の宿命と結びついているのではないか、との邪推を喚起させる。今日私(たち)は避けがたく日々コンビニを利用する。便利なようだけれども並んでいる商品はどこも同じだし、店員さんと仲良くなることはあっても「きょうはこのサバがいいよ」とか「しゃあない、特別にまけとくわ」といった会話はない。コンビニ内は常に無機的である。

無機的住居空間の総合体として計画され、今やセピヤ色の空気が漂うニュータウンでのコンビニ閉店劇には、ひねくれ者のの私は「強制の宿命」と「寂しさ」を感じる。私はあの「寂しさ」に耐えきれず、同地を後にした。でもまだそこで暮らしている旧友がいる。長く連絡を取っていないことに気が付いた。あいつら今でも元気だろうか。


◎[参考動画]ココストアのテレビCM コジコジ(さくらももこ 1998年)


◎[参考動画]ココストアのテレビCM


◎[参考動画]日本最初のコンビニ:ココストア藤山台店

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『NO NUKES voice』第9号 特集〈いのちの闘い〉

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