5月21日(土)から広島市安佐南区の「カフェ・テアトロ・アビエルト」で開催されている「冤罪を叫び続ける死刑囚の絵展」が好評を博している。

これまで店内で様々な個性的イベントを開催してきた同店。死刑囚が獄中で描いた絵の展覧会は、数年前から全国各地で開かれるようになっているが、その先駆けといえる存在でもある。

独特の存在感を放つ林氏の作品

◆ブームの火付け役にも刺激

同店が初めて「死刑囚の絵展」を開催したのは2012年の秋だった。死刑囚・大道寺将司氏(1948年~)の亡母・幸子氏が遺した預金で創設された基金によって毎年開催される死刑囚の作品展に寄せられた20数名の約50点の絵を展示した。同店のオーナー・中山幸雄氏がその作品展の主催者らと親交があった縁で実現したとのことだった。

そして翌年、この展覧会に刺激を受けた福山市の「鞆の津ミュージアム」のアートディレクター・櫛野展正氏が死刑囚37人の約300点の絵を集めた展覧会「極限芸術 ~死刑囚の表現~」を開催。これが全国各地から観客が殺到する大ブレイクとなり、死刑囚が手がけた芸術に広く注目が集まるようになった。

実を言うと、筆者が今年2月、冤罪死刑囚たちの書画を集めて制作した編著「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」も元々、アビエルトが開催した2012年の「死刑囚の絵展」に足を運び、感銘をうけたことから着想したものだった。

司法に対する強い憤りを表現した高橋氏の作品

◆7人の冤罪死刑囚の絵を展示

今回、同店が開催した展覧会は、冤罪を主張する死刑囚の絵を特集したもの。林眞須美氏、藤井政安氏、何力(フウ・リー)氏、松本健次氏、風間博子氏、金川一氏、高橋和利氏という7人の冤罪主張死刑囚の絵を展示している。

毎度なんともいえない情念を感じさせる林氏の絵は今回も会場で独特の存在感を放っていたが、他の6人の作品もそれぞれ独特の味わいがある力作ぞろい。画力の高さには定評がある風間氏と高橋氏は前掲「絶望の牢獄から無実を叫ぶ」にも書き下ろし手記を寄稿してくれているが、この展覧会でも自らの潔白を訴えかけてくるようなメッセージ性の強い作品を提供していた。今回も一見の価値がある展覧会になっていると思う。

なお、風間氏については、蜷川泰司氏の小説「迷宮の飛翔」に提供した挿し絵の原画も同時に展示。会の開催は6月5日(日)まで。同4日(土)には、蜷川氏によるトークイベントも開かれる。

風間氏の抽象画。開いた扉からあふれる光は「無実の希望」か

(1)「冤罪を叫び続ける死刑囚の絵展」の詳細は「カフェ・テアトロ・アビエルト」のHPにて。
(2)上記の櫛野氏が福山市につくったアートスペース「クシノテラス」でも「極限芸術2 ~死刑囚は描く~」が8月29日まで開催中。5月29日には都築響一氏、7月4日には茂木健一郎氏のトークイベントがある。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ――冤罪死刑囚八人の書画集』(鹿砦社2016年2月)

「今年はサッポロの黒ラベルがいいみたいだね」と年輩の編集者が言った。
彼は、今年、サッポロ黒ラベルとヱビスビールしか飲んでいないようだ。

◆日頃から黒ラベルを愛飲しているという妻夫木聡はイメージキャラクター7年目突入!

桜が満開となった3月31日、東京・六本木ヒルズの大屋根プラザで、サッポロ生ビール「黒ラベル『パーフェクトデイズ2016』オープニングイベント」が開催。ゲストで登場したのは、イメージキャラクターを務めて7年目の妻夫木聡だ。 紺のスーツ、黒のネクタイでキリッと引き締まった印象は、集まったマスコミ陣や業界関係者を魅了した。

プライベートでも「黒ラベルを愛飲している」とぶっちゃけたトークや「ハイスピードカメラを使った撮影で美術さんが凝った星形のセットを組んでくれて、水が流れ出たのを見たときはおおっと感動した」など新CMを撮影した上でのこぼれ話を語っていた。

◆4月12日発売開始の数量限定『黒ラベルエクストラブリュー』に注目!

中でも、4月12日から数量限定(25万ケース)で発売される『黒ラベルエクストラブリュー』を飲む場面では「本当に美味しい!」「仕事を忘れて旨いです」と大絶賛。

「女性でも、ビールが得意ではない方でも、苦みがうまみになっていて、飲みやすいです」として「限定なので、今作った分が売り切れたら終了なので、1本でもいいので、みなさんに飲んでいただきたいですね」と話し、レギュラー商品化を切望していた。
ビールが苦手な筆者には、半信半疑だった。イベント終了後、ついに試飲することができた。つきあいで飲んでも、筆者は最後まで飲みきったことはない。今までビールを「美味しい」と感じたことがなかったが口にしてみると「あれ、苦くない」と二口目からグビグビとためらわず、一気にグラス一杯を飲み干せたのだ。我ながらびっくりした。苦みより、旨みが勝っており「おやおや」と思ったのだ。

それもそのはず、「完璧なビールを目指す」というコンセプトの黒ラベルから、初めて出すエクステンション商品で、旨さ長持ち麦芽を初めて100%使用し、「喉ごしのうまさ」と「爽快な後味」が売りである。

◆丸くなるな! ★になれ!──ビール好きにはまだまだ多いサッポロ派

黒ラベルCM 丸くなるな、★星になれ。

その後、ビールのことを調べてみると、さらに興味が湧いてきた。
そこで、人生で出会った人のうち「もっともビール好き」な年輩男性に取材を試みた。ビール愛好歴50年以上というから、話だしたら止まらなかった。

―― 何を基準にビールを選んでいますか?
「スーパーで新商品は必ずチェックするが、試しに買って飲んで、気に入ったら続けてまた買って飲むかな。 売れている商品にも自然に興味が出てきて、手が伸びるね」

―― ビールのおいしさの決め手は?
「やはり喉ごしだね。辛いビールは苦手だから、喉を通ったときに、スーッと入ってくるものがよい。最近、 サッポロの黒ラベルがおいしくなったから、よく飲んでいるよ」

なんと、すでにもう「黒ラベル」はチェック済みだという。そう、じわじわと黒ラベルのブームがきているのだ。

さて、この黒ラベルを武器にビールメーカーの商品売り上げランキングでシェアが4位となっているサッポロが巻き返すのだろうか。この夏、ご期待といこうじゃないか。

◎[参考動画]サッポロビールの黒ラベルCM 丸くなるな、★星になれ。

取材・撮影=林雅子(ライター) 
構成=ハイセーヤスダ

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)
テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

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抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

出版の世界でしばしば疑問にあがる話題として「なぜ2013年3月に募集した竹書房の第1回エンターテインメント文芸賞は発表されないのか」というのがちまたの出版社や小説家志望者の話題で、「出版七不思議のひとつ」ともされているが、ここにきて、きなくさいニュースが入ってきた。

「実は、文芸賞の発表がなされた直後、アイドル雑誌を作っている外部スタッフのひとりのA氏が『俺が当選しやすくしてやるよ』と女性の小説家志望者のB子に接近して、肉体関係となり、便宜供与をほのめかしたというものです。この女性は、A氏が『竹書房』の名刺を持っていたので信用したのですが、あとでその名刺はとっくに使ってはいけないタイミング(つまり辞職したあと)であり、そのA氏が『契約社員が連れてきた嘱託スタッフ』であり、評判が悪くて追い出された御仁だとわかりました」(事情通)

そのA氏を連れてきた契約社員はもう竹書房を去って別の会社にいる。今回、あまりにもA氏が同じ手口で「竹書房の文芸賞がまだ発表されていない」ことをいいことに、小説教室で応募した女性を見つけては「俺が賞をとれるように便宜をはかってやる」と接近して、体を迫っている話を伝え聞いたのに腹をたてた被害者のB子が、警察に「詐欺」で被害届けを出した。

その女性に直撃すると「その話はもうしたくありませんのでお察しください」としながらも、「文芸賞入選をえさにして女に接近して、体を奪うやり口を許してはいけないと思います。記事にしていただくのは結構です」とした。筆者はコピーだが、警察に出した被害届けも確認した。

なんでもB子の友人の話では「その詐欺男は、竹書房に電話をしたらA氏が普通に出ていた時期もあるし、その契約社員と一緒にB子がA氏に3人で会ったこともあるので、賞に影響があるはず(つまりすでに辞職していたことを知らない)として被害者も信じてしまったにちがいありません」とのこと。逆算してみると、A氏がB子をだましたタイミングは確かに竹書房から去っている。

竹書房の元社員によれば「しばしば、正規のルートじゃない外部スタッフが編集部に入り込んできて『だれなんだ、あれは?』といぶかしげにみんなが見るような嘱託スタッフがたまにいる」ということだ。それは元社員だったり、出入りしているライターだったり、編集長の友人だったりする。

「嘱託スタッフなんていつ来ていついなくなったか、俺らには知らされていない。部署がちがうならなおさらだ」と現役の社員は言う。

「この事件が竹書房の幹部の耳に入り、『なにが飛び出るかわからない』と賞の入選者が発表できないともささやかれていますが、そうではなくて、ただ単に事務が停滞しているようです。先日も、応募者が『賞の発表はまだなんですか?』と竹書房に聞いてみると、『そのうちに発表します』ということでした」(事情通)

かくして、A氏は今ものうのうとして、フリー編集者としてさまざまな出版社に出入りしているという。
「ある出版社には、Aの履歴照会の電話があったようです。警察としては、逮捕に向けて内偵に入っているのかもしれません。また、竹書房がまだ文芸賞の入選者の発表をしていないことについては、消費者庁が事情を調べ始めたとも聞いています」(同)

確かに「文芸賞をぶちあげて、当選者を発表しない」というのは景品表示法に抵触しそうだ。

今、B子は「週刊文春」に駆け込むことも検討し始めた。
「もし仮に、計画的に『文芸賞』を経費の消化や架空の審査員の雇用に使っているとしたら、それはまちがいなく法律に触れるでしょう」(猪野雅彦弁護士)

 消費者庁に「竹書房に文芸賞の未発表は景品表示法に触れるか」と聞いてみたが「個々のケースについては、お答えできません」という答えが返ってきた。

竹書房は平成27年3月に、雑誌のプレゼントを掲載どおりに送らずに消費者庁の行政指導を受けている。

「まあ、もしかして出版社の上層部は、当選者を発表してしまうと、『パンドラの箱』があいたみたいにさまざまな黒い噂が飛び出るのをきらっているのでしょう。ヤクザが投稿していて、『落選したら難癖をつける』と息巻いているという噂もありますしね」(元社員)

はたして「近く発表する」としている文芸賞の当選者が発表される日は来るのであろうか。

(鈴木雅久)

7日発売!タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』5月号

抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

昨年の秋、長崎の平戸市を巡る旅に出た。
平戸湾は、こじんまりしており、湾を囲む陸地は1日でまわることのできる観光スポットが集中している。具体的には「平戸オランダ商館」(復元されている)や「平戸城」や「松浦史料博物館」や「平戸ザビエル記念協会」などだ。

まちがいなく、平戸はある時期、「FIRAND」と外国人に呼ばれ、日本全体の貿易の中心だった。その端緒は1609年、オランダから船が2隻やってきたことだ。当時の松浦藩主の松浦隆信は歓迎し、幕府にかけあいオランダ人に商館建設の許可を与えた。

1611年にオランダ商館は住まいと倉庫を新築し、1616年には倉庫と防波堤を作り、さらに1618年の大増築で、まるで要塞から敵を守る「ルパン三世カリオストロの城」ばりの塀が築かれた。

今もオランダ堀やオランダ井戸、そして民家とオランダ倉庫の境界線を表す壁やオランダ埠頭らが残っている。

今、復元されているオランダ商館は、倉庫なのだが、これはもともとは1639年にできた巨大な石造りの倉庫であり、日本で初めての洋風建築物だ。ここには、約2万個もの砂岩切石や48センチ角の大きさの柱などが使われて、外観や造りはオランダの建築物に酷似している。

まあ、観光ガイド風に紹介するとこうなるが、今、このあたりでは残念かな、地元の暴走族が激増している。僕が肉眼で見ただけでも、夜深くに爆音でかっとばす暴走族風バイクは、数台も見かけた。地元の飲食店のスタッフは言う。
「夜になると、くしゃみすらも街中で響きそうなほど静かなこの街で爆音が響いていて、眠れない人が急増しているのは残念ですね」


ここらへんの名物は平戸牛、あごだしラーメン、そして魚ならなんでもうまい。よく、長崎の人が「東京の寿司屋には行かない」と言っていたが、納得できる。


さて、僕自身は、この平戸にやってきた目的は、ここの平戸に「江戸時代、日本で初めての天気予報をしていた山崎氏がいた」ということだ。この平戸にある遠見公園という場所で、江戸時代に、「天気見」、つまり山のてっぺんから雲を見て天気予測をしていたという記録が残っているという。

特別に気象機器がない文政二年(1819)、大船頭だった山崎家では、約200年にわたる間、孫三代にわたって「天気記録」が残された。その記録とは「日の出るとき、赤きは風、黒きは雨、青白きは風雨としるべき」という具合に、今の天気予報の先駆けともいえるものだ。

この「天気見の男」の記録について、僕はいつか小説に書き記そうと思う。いつか、どこかでこの男の記録に諸兄たちはお目にかかるであろう。

ゴールデンウィークに行く場所がない諸兄はぶらりと出かけてみてはいかがだろうか。歴史上では重要ながら、忘れられた「時代の顔」がそこにある。

(小林俊之)

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抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

女性が化粧をはじめとした「外観」に注意を払うのは自然な身だしなみとされる。女性だけでなく、男性も近年は「スルスル肌」が好まれるようで、体毛やヒゲの脱毛までを請け負う業界が結構繁盛しているようだ。「へー」と間抜けに感嘆するまでだが、そこまで「脱毛」っていいもんなんだろうか。

◆心理的負荷を与える「脱毛現象」01──抗がん剤投与による「脱毛」現象

人為的に「脱毛」をしなくとも、深刻な心理的負荷を与える「脱毛現象」がある。1つは男性(一部女性)の「ハゲ」であり、他方は抗がん剤投与による「脱毛」だ。

抗がん剤投与による「脱毛」現象が、実は抗がん剤投与終了後に何年も継続しており、それに悩んでいる人が多数いることが最近の調査で判明している。数年たっても抗がん剤投与以前の半分も発毛が見られず、それに悩んでいる人の数が相当数に上るという。

年齢にもよるが、若年癌が増加傾向にある中で、抗がん剤投与後の女性が頭髪の様子を気にするのは無理もないだろう。だから、がんに限らず薬剤の副作用によって脱毛を強いられた人には「かつら」や「ウイッグ」が実生活の上で有効だと思う。そのような方々はただでさえ、体の調子が思わしくないのだから、少しでも心理的負担を減らし日常生活での気がかりを軽減されるのが賢い選択だと思う(もちろん、本人がそう考えれば、だが)。

◆心理的負荷を与える「脱毛現象」02──男性の「若ハゲ」

一方同様の現象でも男性の「ハゲ」の場合は少し事情が異なる。これは自分自身が経験したことなので「その寂しさ」をしっかりと噛みしめながら回顧できる。「若ハゲ」はたしかに強い心理的ストレスをもたらす。私の場合、もとは「こんなに太くてクセのある髪の毛なんか、減ればいいのに」と思うほどの剛毛かつくせ毛で、毎朝頭髪を整えるのに相当苦労していた。

「願いは叶った」のかどうか知らないけれども、まだ20を少し超えた頃、額の生え際が少し後退し出しているのに気が付いた。髪の毛全体も以前ほどの剛毛ではなくなっていて、鏡を2枚用いて頭のてっぺんを見ていると、頂上部分に生え方の薄い部分がある。

この時は、ショックだった。まだ20を少し超えたばかりで「もうハゲかい」と、何ともいえない寂しさを感じたことを今でも記憶している。ご経験のある読者の方々にはお分かりいただけようが、「ハゲ」を発見した時のショックは、「外見がカッコ悪くなる」という理由もあろうが、私の場合「ハゲ=老い」の象徴という概念があったので、この年でもう「老化」が始まったのかというショックが大きかった。外見を気にするような細かな感性を持ち合わせていない私は「ハゲ」て毛髪が薄くなった自分の姿よりも、既に老化に向かっている自分の身体に激しく動揺したものだ。

とはいえ、これといって対策は講じなかった。自然に抜けるものは仕方ない。当時でも「脱毛予防剤」や、「育毛を促す」怪しい器具は販売されていたし、アデランスをはじめとする業者の広告は派手に展開されてはいたが、それらへの関心は一度も湧いたことはなかった。

◆自然の摂理にもかかわらず、露骨に感じた「ハゲ差別」

でも、「ハゲ差別」は露骨に感じた。人の体のありようについて、ことに女性の風貌についてコメントすれば、それが否定的な内容であれ、賞賛する内容であれ「女性差別だ」とする極端にも思えるほどの「フェミニズムコード」が存在するが、男性の「ハゲ」について、直接ではなくとも、コソコソ「あの人、最近薄くなったわね、かわいそうに」と陰口を叩かれることは、深刻に当人を傷つけるのだがいまだに「ハゲ差別」についての、真剣な議論は見当たらない。

いや、「ハゲ」程度で真剣な「対応コード」など作る必要がある!などと私は思っていないけれども、気の弱い男性たちはご経験のない方々が考えられないほど「ハゲ」を悩み、その解決に膨大な投資をしている。

厚労省認可の「育毛剤」が発売されてかなり時間がたつが、あれはどれほど効果があるのだろうか。私は試したことはないので判らない(正直に言えば興味もない)。育毛剤を家で頭に振りかけるくらいなら、職場や周りの人たちに気が付かれることはないだろうが、最大の悲劇は「分かりやすいかつら」を使用してしまったケースだ。

◆出来の悪いかつらほど残酷なものはない……

自分が若年性の「ハゲ」を経験したためか、私は男性の「かつら」利用者はいとも簡単に見出すことが出来る。「あーあ高いお金を払って……」と同情を禁じ得ないのだけれども、出来の悪いかつらほど残酷なものはない。「このひと生え際見えないわ。高い金払ってかつら買ったんだろうなー。外したらこんな感じでハゲているのかなー」と意地悪い想像が勝手に膨らむ。

また、各種「増毛法」商法もいかがわしいことこの上ない。抜け毛が多くなって薄くなった頭髪の対処として、残っている1本1本の髪の毛に、根元から3本の人口毛を結びつける増毛法がある。これは残っている髪の毛が抜けない限りは1本が4本になるのでボリューム感を維持できるが、もとの1本が抜けた時は一気に4本が抜けることになり、普通の脱毛よりも頭髪減少がさらに顕著に現れる。そうなればまた仕方なく残り少ない毛髪にまたしても3本の人口毛を結びつける施術を繰り返さなければならない。でも自然毛はどんどん抜けてゆくから、いずれはこの対処法は効果を失ってします。

ああ、気の毒な我が「ハゲ」被害者よ!気に病む人たちは何百万円も出費している。

◆私の妙案──禿げを隠さず刈り込めば世界は変わる!

私ははじめこそ、気が滅入ったが、ある時、妙案を思いついた。薄毛は伸ばしてハゲ部分を隠そうとすると、とても目立つ。逆に短く髪の毛を刈り込むと思いの外目立たない。2ミリから5ミリほどの超短髪に散髪屋で刈り込んでもらうと、周囲から見た印象もほとんど「ハゲ」ではなくなる。頭髪を洗う手間も省ける。

前述のように抗がん剤投与などにより、脱毛が余儀なくされている人を除き、「ハゲ」た男性諸君! 一度超短髪をお試しあれ。かつらや、いかがわしい増毛法に吸い上げられる際限ない経費が一瞬で止められる。さっぱりして、気分が変わること間違いない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』!

読者の皆さんにお読みいただいている駄文は、私が「書いた」原稿のはずである。完成した原稿はそれが書籍であれ、PC上の文章であれ文字羅列でありその意味において読む側からすればさほど大きな違いはない(私自身も感じない)けれども、「書いている」はずの私はしばらく前からいたく違和感がある。

ご想像の通り私はこの原稿をPCで「書いている」。しかし頭の中では文章を構成する頭脳を使ってはいるが、手の動作はボールペンを握って紙に文字をしたためているのでなければ、鉛筆で原稿用紙に鉛の黒色で意思を表しているのでもない。私の手はひたすらPCのキーボードを「叩いて」いる。

なるほど下書きを終えてプリントアウトしてみれば、それは紙の上に印字となって現れていて「原稿を書いた」ような気分に少しはなる。が次に原稿を「叩き」始めるとまた違和感が湧いてくる。もっともそんなことを気にしていてはこの時代全く仕事にならず、直ぐにお払い箱になることは必定なのだけれども、「書く」といいながら「叩いて」いる手の動きとの不整合に対する気持ち悪さのようなものが年々つのって来る。

これが携帯電話だと「叩く」ではなくボタンを「押す」となる。モバイルPCを持っていない私は取材先から荒っぽい原稿を携帯電話で編集者へ送ることがある。指先の不器用さと不慣れ、さらには年々進行する老眼の為に小さな画面の携帯電話をのぞき込んでボタンを「押し」ながらの作文作業は煩わしいものの、予想変換機能のお蔭で少々の原稿であればさほどの苦労なく作文することが出来る。

◆「書き殴って」いた昔より「書いている」意識が希薄になってきた

日々「書き殴って」いたのは学生時代であった。発表するあてもなく誰に聞いてもらえるはずもなく、聞いてほしいとすら思わない内面の発露をノートに「書き殴って」いた。愛用していたボールペンは指に馴染み心地よくノートの上を滑ってくれた。悶々としながら夜明けまでノートに向かい続け、指が痛くなることを気にもせず「書き殴って」いた。

その内容は忘れたし、どうでもよい。問題はあの時の「書き殴って」いたという体感が、今でも私には残っているが、逆に人様に価値もない文章をお読み頂いている今日、私には「書いている」という意識が希薄になってきていることだ。

私はひたすら「叩いて」いる。取り上げるテーマにより自分の気持ちの入り具合が異なるからキーボードを「叩く」スピードなり、個々のボタンを「叩く」圧力に多少の違いがあるのは自覚する。しかしどう考えてもこれは「書く」行為ではないのではないか、という思いが確信近く高まってきている。

◆PC文法で作文する習慣に違和感を覚えなくなっていく

例えばPC文法とでも呼ぶべき新しい文法がある。正式とされる日本語文法では段落を変える時には一文字空けて次の文章を書き始めるが、PC文法においては「一文字開け」ではなく文章と文章の間に1列の間を取るのが一般化してる。まだ分析されてすらいない数多の光線が際限なく眼球に飛び込んでくるPC画面にあっては、たしかにこの体裁の方が読みやすい。しかし正式な文法からすれば、明らかに逸脱した形態だ。小論文の試験でこの体裁の文章を書けば、それだけで大きな減点を食らうことは間違いない。

しかしそう難じながらもPCで作文をする際は私自身もPC文法で作文する習慣に違和感を覚えなくなってきている。

思えば紙に向かって書いている時も、対象がノートであるか、原稿用紙であるか、便箋であるかによって私の文体と筆圧は自然な調整が働いていた。それがPCを「叩く」ようになり、おしなべて抑揚のないものになりつつあるのではないかとの不安がある。

このことをある人に話したら「じゃあ原稿用紙に書いたらどうだ」とアドバイスを受けたことがある。たしかに試してみる価値がありそうだけれども、差し当たり迫りつつあるあれこれを前にしてPCを「叩く」前に、一度「書く」実践は未だに果たせていない。最大の課題は「叩く」ことにより出現した「原稿」がどんどん内容の薄いものになりつつあるのではないかという実感と懸念である。もちろんそこには普遍的な身体と技術の問題だけではなく、私自身の不勉強という根源的な欠落があることも承知してはいる。

「書く」代わりに「叩く」ことに象徴されるように、最新テクノロジーに依拠した生活では指の使い方が極めて単純化されるのと反比例に出来上がった作品はそれなりの体をなしているというパラドクスが支配する。

◆手を使わなければ、体を使わなければ、という不安感が増してくる

手を使わなければ、体を使わなければとの不安感が増してくる。だからリンゴを剥いてみる。どうやらまだ大丈夫そうだ。玉ねぎはどうだろう。皮をむき千切り(スライス)を試みる。トントントンとリズミカルに刻めるだろうか。どうやらまだ可動域はそれほど減ぜられてはいないようだ。大根の桂剥きを試す。ちょっと怪しい。以前よりはぎとる皮の幅が厚くなっている。皮では満足できず大根をどんどん剥いてゆく。

自動車に乗る。ドアは鍵を開けずともノブを握るだけで解錠される。エンジン始動は鍵を差し込み右側に廻し、アクセルを踏みこむのではない。電気機器のようにスイッチを押せば発動する。そうそうこの車種にあってはエンジン始動の際はブレーキを踏むのが基本だ。パーキングモードにすればどれほどアクセルを踏んでもエンジンに気化したガソリンは注がれない。安全で燃費効率が高いことは疑いがない。

自動車なんて最初から理解を超えた複雑機器でそれを操作するのに両手両足を使っていたのが片足を使うだけになった、と言えばそれまでだ。

でも怪しい。確実に自分が怪しい。「叩いている」自分と「鍵を差し込みアクセルの踏込みなし」に発動する自動車を操作する自分と「書いている」自分。この差は埋められるのだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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抗うことなしに「花」など咲きはしない『NO NUKES voice』Vol.7

長崎県平戸市大久保町の、崎方公園。この公園の中に、平戸港が見渡せる小高い山の中腹にあるフランシスコ・ザビエル記念碑がたたずむ。近くには「平戸最初の教会堂跡」と記された碑や、ザビエルが滞在した木村氏の居跡とされる碑がある。このフランシスコ・ザビエル記念碑へと登る途中にある通称「御部屋坂」の周辺に、昨年の夏ごろからネコがやたらと集まってくるようになった。

「日中というか夕方までは、100匹以上のネコがゴロゴロ寝ていたり、ネコどうしが遊んでいたりしているのですが。夜になると数十匹も集団になって、フランシスコ・ザビエル記念碑の方面に登っていく。いったい、なんのために集まって『行進』を始めるのかわかりません」(地元の飲食店スタッフ)

そう、このあたりは隠れキリシタンが弾圧された傷痕がそこかしこに残る。ザビエルがネコ好きだったという記録は発見されていない。いったい、このエリアとネコがどう因縁づけられるのか。これには、1614年に、徳川家康が発布した「キリスト教禁止令」による迫害が関連している。

1550年8月、宣教師のフランシスコ・ザビエル一行は肥前平戸に入り、宣教活動を行った。これによりキリシタンが平戸に広まった。

しかし、1614年の1月、徳川家康はキリシタンの禁令を発布、長さ行きからも宣教師がすべて追放された。平戸においてキリシタンを敵視していた松浦藩の平戸藩主、松浦鎮信(法印)は5月に亡くなるものの、跡継ぎの藩主、松浦隆信は幕命によって長崎の教会堂を焼却し、キリシタン信者を捕らえています。

「このとき、地元の人が言うには、このザビエル祈念碑がある付近の家屋には「信者の隠れ廃墟」がたくさん立っていた。隠れキリシタンは、ごく小さな集落単位で秘密組織を作ってひそかに祈祷文「オラショ」を唱えて祈りを続け、慈母観音像を聖母マリアに見立てたりしていたとされる。

「1635年2月、幕府のキリシタン弾圧が進む中、通称『平戸の大殉教』で27名が殉教するのですが、隠れキリシタンを弾圧から守った、平戸の強信者の家のひとつに、未亡人が捨てネコを数十匹も飼っている通称『ネコ屋敷』がありました。記録はもうないそうですが、言い伝えによるとこの未亡人は弾圧を受けて御部屋坂を登って崎方公園に向かう道を走って逃げる途中で、殴る蹴るの拷問を受けて、ついでにネコも焼き払われたそうです。そのときの因縁でネコが集まっているのかもしれません」(同)

1587年7月24日(天正15年6月19日)に発令された「バテレン追放令」では、神父たちは平戸に集まり、対策を練ったという。隠れキリシタンとネコの異常な増殖と、深夜にザビエル祈念碑に向かう「ネコの行進」には、キリシタン弾圧の歴史が凝縮されている。

平戸観光協会のスタッフは言う。
「確かにネコはあのあたり、増えすぎて問題になっています。地元の人には『ネコを捨てないでください』と呼びかけているので、平戸市の人が捨てているとは考えにくい。夜の行進について、私は見たことはありません」

さて、この「ネコが行進する御部屋坂」が伝える教訓とはなんだろうか。

(伊東北斗)

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』7日発売!

落語が大好きなわたしですが、最近気になるのは何といっても歌丸師匠の体調です。「笑点」大喜利の進行も病欠がしょっちゅうですし、腸閉塞や床ずれにもなっていらしゃるようです。

それでも笑点に出演した時は、天敵、円楽から「まだ生きてる!」、「歌丸死んだ!」ネタをこれでもかと投げかけられます。それを見て笑ってるんですから、わたしも残酷なもんだなーと反省したりします。でも、聞いたところによると円楽と歌丸師匠の間ではこの「自虐ネタ」を推奨しよう!という協定がかなり前に結ばれていたそうです。

『座布団一枚! 桂歌丸のわが落語人生』(2010年9月小学館)

その歌丸師匠、10月18日には東京新宿で行われたイベントに車いすで登場されたそうです。体調は?と聞かれたら「ダメです」と即答されて、笑いをとっていました。さすが噺家ですね。

そして10月19日の朝日新聞にはこんな真面目な話も出ていました。

今や、芸歴60年以上。落語芸術協会の会長にもなった歌丸さんが「だいぶ後で気がついた」ことがある。「人間、人を泣かせることと人を怒らせること、これはすごく簡単ですよ。人を笑わせること、これはいっちばん難しいや」。涙や怒りはあっても、「人間にとって一番肝心な笑いがないのが、戦争をしている所」と感じている。

今の日本の政治家は「怒り顔」や「ぼやき顔」が目立ち、「油断できない」と話す歌丸さん。最近は、メディアで自身の戦争経験を語る。「今、日本は色んなことでもめてるじゃないですか。戦争の『せ』の字もしてもらいたくないですよね。あんな思いなんか二度としたくないし、させたくない」
(「涙や怒りはあっても笑いがない、それが戦争 桂歌丸さん」2015年10月19日付朝日新聞)

◆円楽の「歌丸殺し」ネタは残酷なようで愛情に満ちている

本当は歌丸師匠、こんな話したくはないんだと思います。だって「人を泣かせることと人を怒らせること、これはすごく簡単ですよ。人を笑わせること、これはいっちばん難しいや」とご本人がおっしゃっているじゃないですか。笑わせたいはずですよ。

一方「歌丸殺し」常習犯の円楽は、短いやり取りの中にもにも冴えを見せますね。昔ビートタケシが「権力批判で笑いがとれるか」と開き直ったことがありましたけど、権力批判だって、頭脳と芸があれば笑いの対象にできることがタケシには判らなかったのでしょうね。タケシは円楽の足元にも及びません。

円楽の「歌丸殺し」ネタは残酷なようで愛情に満ちている、だから見ている人間も笑えるんです。だってもう本当に死にそうな人に向かって「死ね」っていって笑わせるのは、愛情と冴えがなければ無理ですよ。

それに対してタケシは非情というか、この人の笑いは対象を貶めるのが一つのパターンですね。自分が馬鹿やる芸もできますけど。基本権威主義者なんですよね。タケシは。だから映画の監督なんかをやりたがる。

貶める「笑い」をタケシが確立して、世間も肯定しちゃってから、お笑い芸人の質が落ちましたね。「とんねるず」や「ダウンタウン」を「新しいタイプの芸人だ」なんて、とんちんかんな評価がありましたけど、こいつらの芸は基本「貶め」ですよね。タケシが敷いた路線の上を安全運転しているだけ。

悪いけどわたし「とんねるず」と「ダウンタウン」を見て、一度も笑えたことがないんですよ。いや本当に(「中川家」の方が数段面白いとおもいます)。「ダウンタウン」の松本が、クソ偉そうに「遺言」を出版した時に立ち読みして、やっぱりこいつは芸人じゃない。わかっていないなと思いました。「遺言」書くほどの仕事してもいないくせに一流気取りの松本。笑えるのはその己知らずのアホさ加減だけです。

さんまなんか最低ですね。今年は本物のさんまも不漁らしいですけど、この男自分で笑うしか芸がない。あんな低俗な笑い方につられた大竹しのぶには落胆したものでしたが、こいつもわたしが死ぬまでに1度くらい面白い芸をして欲しいものです。

さて、歌丸師匠の真面目なお話しが、ちょっと気にかかるんです。遺言のように聞こえてしまうのはわたしだけでしょうか。歌丸師匠は何回死んでも本当には死なないんです。

面白くもない「お笑い芸人」を張り倒す勢いの歌丸師匠の話にはジーンとさせられました。

(伊藤太郎)

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犬と猫を比べると実際に飼育されている数は犬が猫を圧倒している。でもツイッターの画面は猫であふれている。なぜなのだろうか。猫の画像だけでなく、「ねこ」をハンドルネームの一部に使っている方も多い。試しに新たなアカウントで「neko」が使えるものを探してみても簡潔な名前で使用可能なものはまず見当たらない。

「猫」がお好きな方は、純粋な「猫」愛玩家からかなり社会的な発言をなさる方々まで幅広く、「反原発」、「反戦争」を主張される方の中にも猫画像を時に取り入れたり、猫好きの方々が多い。


◎[参考動画]人が入っているような猫

◆ネット上で平和の象徴は「鳩」じゃなくて「猫」!

何故かしら「鳩」は平和の象徴のように言われているが、今日Twitterの中では「猫」こそが平和と癒しの象徴と言っても過言ではないだろう。

Twitterに限らずネット上では「猫」が「犬」を圧倒しているようだ。Googleで「犬」を検索すると88,000,000件がヒットするが「猫」で検索すると187,000,000件が表示される。「猫」は「犬」に2倍以上の差をつけてネット上を席巻していることになる。ちなみに各国語で「犬」と「猫」を検索エンジンにかけた際のヒット数を下記に示す。

中国(百度) ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?犬=39,400,000   ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?猫=19,500,000
韓国(NAVER) ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?犬=165,000,000   ? ? ? ? ? ? ? ? ?猫=11,900,000
イタリア(Google)(yahoo) ? ? ? ? ? ? ? ? ? 犬=700,000,000   ? ? ? ? ? ? ? ? ?猫=34,500,000
英語(Google)(yahoo) ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?犬=1,300,000,000   ? ? ? ? ? ? ? ?猫=1,970,000,000

このように言語により傾向は様々なので世界的にネット上で「猫」が「犬」を圧倒しているということではないようだ。それにしても上記の数字と比較で日本語使用者及び日本のネット上では「猫支配」が顕著だといえよう。このような数字を示した国は他にない(ここには掲載しなかったが仏語では「犬」=chien、「猫」=chatであるが、chat内にはいわゆる「おしゃべり」を含むサイトが多く見受けられたことから比較対象としては妥当ではないと考え外した。ちなみに仏語の犬=16,100,000で、猫=439,000,000である)。

ネット上の「猫優位現象」について私が調べたところ、「これだ!」と言う明確な分析はまだ見つかっていない。ちなみに中国や韓国では猫を愛玩用として飼うことはあるが日本程一般的ではないことから、「犬」優位の説明がつくだろう。イタリアと英語圏の現象にを解説するだけの知識を私は持ち合わせない。

Twitterを私は利用していないけれども、頻繁に利用している知人に聞くとやはり「猫」関連のハンドルネームや猫の画像、動画は頻繁に目にするという見解で一致している。情報技術の先端の中で表出してきた日本独自の「猫優位現象」。これを解読すれば本が1冊書けるかもしれない。


◎[参考動画]おやつちょうだい!可愛い猫のおねだり

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎就職難の弁護士を貸付金強要で飼い殺すボス弁事務所「悪のからくり」
◎「医薬分業」や「お薬手帳」で利を得ている者は誰なのか?
◎病院経営の闇──検査や注射の回数が多い開業医は「やぶ医者」と疑え!
◎私が出会った「身近な名医」高木俊介医師は精神科在宅治療のパイオニア

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日本推理作家協会は5月18日、第61回「江戸川乱歩賞」の選考結果を発表。受賞作に檎克比朗さんの『道徳の時間』を選出した。選考委員は有栖川有栖さん、池井戸潤さん、石田衣良さん、今野敏さん、辻村深月さんが務めていた。なお、檎克比朗氏は、デビューにあたり作家名を呉勝浩として同作をリリースする。

同賞は1945年、探偵小説を奨励する目的で、江戸川乱歩の探偵作家クラブへの寄付金を基に創設。歴代受賞者に、西村京太郎さん(第11回『天使の傷痕』)、斎藤栄さん(第12回『殺人の棋譜』)、東野圭吾さん(第31回『放課後』)、池井戸潤さん(第44回『果つる底なき』)などが輝いている。
先輩が誘ってくれるので、初めて、この授賞式に参加できる運びとなった。

◆授賞式会場で浮かび上がった人気作家の栄枯盛衰

9月10日、午後6時から帝国ホテルの「富士の間」で行われた「第61回江戸川乱歩賞授賞式」では、人気作家の栄枯盛衰がはっきりと浮かび上がっていた。「道徳の時間」で受賞した呉勝浩氏は「選んでいただいた先生がた、ありがとうございます。もうこれで江戸川乱歩賞を受賞することはないかと思うと、残念です」と殊勝なコメントを残し、選考委員を代表して、登壇し、呉氏を押していた辻村美月氏が「妊娠しています」とコメントすると場内は喝采が起き、ほんわかしたムードが漂った。

「道徳の時間」で江戸川乱歩賞を受賞した呉勝浩氏を囲んで

ひととおり、式典が終わり、檀上に並んでいた選考委員のベテラン作家たちもパーティの輪の中に入っていったが、もはや時代をリードしている感がある池井戸潤氏(選考委員・第44回江戸川乱歩賞を受賞)を、担当編集者や太鼓持ちのような出版コーディネーターらが囲いこみ「まったくほかの人が入ってこれない」スクラムを組む始末。
「あれじゃあ名刺交換すらできないよ。せっかくインタビューを申し込める布石を打とうと思って挨拶しようと思っていたのに」(週刊誌編集者)

それもそのはずで、「半沢直樹」シリーズ以来の池井戸潤作品の映像化対象としての人気は続いている。企業テロを発掘とする金融ミステリー『株価暴落』(文春文庫)がWOWOWで、コミカルな設定で政界を題材にした『民王』(文春文庫)がテレビ朝日系列でドラマ化。さらに日本テレビ系列では、銀行の不祥事追及をエンタテイメントに仕上げて好評だった『花咲舞が黙っていない』の第二シリーズが放映された。テレビ局に企画力がないのか、脚本化の質が落ちたのか、今や池井戸氏抜きでテレビドラマが成り立たないほどなのだ。
「正直、池井戸氏にゴマをすりたいテレビ制作会社のプロデューサーも何人かもぐりこんでいたが、まったく話かける隙間すらなかったようですね」(脚本家)

それにしても同じ選考委員をやった作家でも、石田衣良氏や有栖川有栖氏などの周囲には、なかなか人が寄ってこないのも栄枯盛衰を感じさせた。
「石田さんも有栖川さんもいい作品を出しているが、映像化されないと、作家は、もうどうしようもないでしょう。今はテレビドラマや映画化されてなんぼ、という評価ですから。今野敏氏が日本推理作家協会の会長になったのも、小説が多数、映像化されて人気を博している面は否定できません」(推理作家)

◆「映像にしやすい作品が受ける時代」に迎合する危険を指摘する池井戸潤氏の真意

そしてそのような映像化される作品が受ける時代において、受賞した呉氏の「道徳の時間」は大阪芸術大学の映像学科出身であり、物語は小学校で公開殺人をした事件が冤罪かどうか、ドキュメンタリーを撮るカメラマンの視点で語られる。
「池井戸氏は、呉氏の受賞に反対していたと公言しています。それは『映像にしやすい作品が受ける時代』に迎合すると危険だと主張しているような気がします」(同)

池井戸氏は選評でこう書く。
『他の選考委員からも指摘があったことだが、文章がよくない。大げさな描写は鼻につくし、誰が話しているかわからない会話にも苛々させられる。さらに、最後に語られる動機に至っては、まったくバカバカしい限りで言葉もない。だが選考会でもっとも問題になったのは主要登場人物の背景である。ここでは詳しく書かないが、これは決して看過できない部分であり、さらにこの小説に通底するキモの部分である。』

しかし、パーティに来ていた脚本家は言う。
「とはいっても、映像化しやすい作品を書く作家が登場すると、池井戸先生自身は困るわけで、本能的にライバルをつぶしたかったのかもね」

太鼓持ちのような各出版社の編集者に囲まれていた池井戸氏は、談笑していたが、記者には、心の底からの笑顔に見えなかった。

会場で出版関係者に囲まれぱなっしの池井戸潤氏(右から二人目)

(鈴木雅久)

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