ものすごい勢いで「表現者」として、かなり高みに上っていく才気あふれる撮影家として、「インベカヲリ★」を語る。その少女は僕が経営する編集プロダクションに新人社員としてやってきた。少女は、おそらく村上春樹の「1Q84」が映画になった場合、スクリーンにて『ふかえり』を演じそうなほど摩訶不思議なオーラを漂わせていた。要するに、言語も、ふるまいも、不思議なほど説明できない魅了に覆われていたのだ。

おおよそ、素直に仕事をこなし、言われた仕事は確実に処理していたし、編集者としてはライターやデザイナーに好かれていたほうだ。僕は彼女の悪口というものを聞いたことがなかったからだ。が、ある日、この少女は自分を被写体にして、『選挙は出ません』というキャッチコピーをつけたポスターを作ってきて、会社の事務所にピタリ、と貼り付けた。

インベカヲリ★「やっぱ月帰るわ、私。 」(赤々舎2013年11月)

このとき、少女は20歳。のちに、撮影家として業界を席巻することになる「インベカヲリ★」だ。

いっぽう、僕のほうはというと、経営者という立場に馴染めず、資金繰りの不調を抱えて連日、嘔吐と頭痛に耐えていた。要するにメンタル的に参っていたのだ。このとき、僕は「この少女を、編集者として抱えていていいのだろうか」という疑問に唐突にさいなまれる。自分を被写体にしてポスターを作るようなコは、「編集者」として適していない。むしろ「アーティスト」を目指していくべきだと考えた。くわえて、初めてロケに行かせたら、撮った写真が初めてにしては、あまりにも画角も光量も的確だった。たぶんレストランの外観を撮ったものだと思うが、その画角は、被写体に対する愛に充ち満ちていた。簡単に言うと、僕は彼女の写真に魅入ったのだ。

それからしばらくして、おそらくなんのプランもないまま、思いついくままに、僕は少女にほかの道に進むように説得したと思う。こんなに言葉を並べて人を説得したのは、僕にとっておそらく生まれて初めてだっただろう。ただ、僕としては少女を手元において、その才能を「編集者」のような実需に埋没させて、ひからびさせるのが怖かったのだ。

「少女」は、さまざまな賞をとり、海外でも評価されていくのだが、注目するかぎり、僕が「ほかの道を探したほうがいい」と示唆したのはショックだったようだ(それは、彼女自身のインタビュー記事で確認した)。

このとき、僕の目には、少女がサイト紹介の原稿を書き(この時代は、サイト紹介をするムックが流行していた)、行ってもさして精神的な糧にならぬ飲食店の取材をし、僕の気ままな命令を受けて銀行に行ったり、郵便局に行ったりと(いかにもつまらなさそうに)雑務をこなす生活に辟易しているように見えた。その時代を彼女が「もっとも輝いていたとき」(これもインタビューで彼女が語っていた)とするなら、僕はおおよそ人を見る目がなかったのだろう。もともと経営者になる器ではなかったのだ。

インベカヲリ★が撮る写真は、実は「生きる」ということに絶望しながら、「生きる」ことに執着している人たちの物語だ。詳しくは、ホームページを観てほしいが、彼女が「新潮45」の8月号に書いているように、インベカヲリ★は、被写体になる人たちの話をじっくり聞いてから、撮影に入ることにしているようだ。そこには、「被写体も表現者なのだ」という確個たる信念を感じることができる。時代がインベカヲリ★を呼んだのだ。そして、彼女が時代を呼んでいく。

僕が彼女に「この仕事(編集)には向いていない」と説得したのを、リストラと捉えたようで、ずいぶん苦しい思いをしたそうだ。

だが勝手なことを言えば、おそらく僕は本能的に、彼女を「いったん仕事がない状態」にした場合、なんらかの表現者となって再び世の中に出現することをうっすらと予感していたにちがいない。撮影家になるとはたぶん、1割くらいしか思っていなかったが。

彼女が会社から去り、もともと持っていたホームページに、モノクロームの写真があり、タイトルが「夏の蝶々儀式」と書かれていた。実に不思議な構図の写真だった。ただ僕そのものは「始まったな。表現者としての人生が」と思ったものだ。

機会があれば、おそらく僕は彼女のギャラリーに足を向けるだろう。

だが僕は今、表現者としてはとっくに彼女に追い抜かれている。少なくともイーブンになるまで、ギャラリー行きはお預けになりそうだ。なぜなら彼女をリストラしたのは、どう美しく弁解したとしても、ほかならぬ僕自身なのだから。

◎[HP]インベカヲリ★ http://www.inbekawori.com/

(小林俊之)

◎警察が「ぼったくり」を刑事事件化したことでヤクザのさらなる地下潜行が始まる
◎塩見孝也『革命バカ一代』で思い出したベテラン警備員『ゲンさん』たちの物語
◎「工藤會壊滅ありき」で福岡県警が強引に人権を無視し続ける邪な理由
◎ライターが撮影を担う時代の到来と、写真塾の展覧会から得る刺激

“民主主義って何だ?”7・15を忘れない「SEALDs」の闘い──独裁者を撃つ反骨の砦『紙の爆弾』!

 

私にはこの島国での戦争体験は勿論ない。取材の関係で紛争当事国や戒厳令が敷かれた国に滞在した経験はあるが、自分が生まれた国で戦争を経験したことはない。

私の親世代は戦争中や戦争直後の生まれが多く、祖父母はいずれも戦前の生まれだった。だから戦争についての話は幼少時より度々聞かされていた。私の父母は男兄弟が多かった。叔父達は概して非政治的で、中には戦後も「皇国史観」から脱することの出来ない人もいたけれども、原爆直撃を受けた経験や、食べ物がなくとにかくひもじい思いが辛かった記憶は皆が異口同音に語ってくれた。

祖母は明治の生まれで女学校を卒業していた。当時としては「高学歴」の部類に入るだろう。祖母は私が幼少の頃から古い写真を持ち出しては「敏夫ちゃんね。戦争の時には本当に恐い思いをみんなしたのよ」と自身が「愛国婦人会」のタスキをかけた写真を見せながら私に語ってくれた。祖母の言葉はいつも穏やかだったけれども、幼少の私に向けて語られる言葉はいつも「反戦」の意気に満ちていた。家父長制が殊のほか強い封建的な家風だったので、祖母が戦争を語ってくれるのは祖父が外出中か、その場に居ない時だった。

祖父はと言えば戦争中は造船技術者だったので、徴兵を逃れることができ戦死を免れた。祖父は元気な時分には戦争を語らなかったが、晩年になり(当時は中曽根が首相だった)テレビで国会を眺めていると「このままではいずれまた戦争になるのう」と私に語り掛けてくれた。もとより左翼思想の片鱗も持ち合わせない祖父であったが「今、国会で自民党にはっきり反対できるのは共産党だけじゃのう。このままいけばまた戦争じゃのう。そうなったら敏夫、外国に逃げろ」が口癖だった。

野坂昭如『アメリカひじき・火垂るの墓』(1968年新潮文庫)

◆慣れ親しんだ地が舞台の「火垂るの墓」に号泣

野坂昭如による「火垂るの墓・アメリカひじき」を文庫で読んだのは高校時代だっただろうか。幼少時を過ごした西宮や芦屋、三ノ宮を主たる舞台とする短編小説「火垂るの墓」に私の想像は膨らんだ。慣れ親しんだ地名がこれでもかと登場し、そこで繰り広げられる悲劇は他人事とは思えなかった。祖父母と両親をはじめとした年長者から散々伝え聞いていた戦争談は、体験していないものの私にとって「原体験」と言ってよいほど血肉化していた。夜間、普段は聞かない自衛隊の飛行機が飛ぶ音を聞けば「戦争が起きたんちゃう?」と真顔で親に聞いていたほどだった。子供特有の過剰な恐がり方と言えばそうとも言えるが、今から思えばあの時代にあってもかなり異質な子供だったと思う。

1988年に「火垂るの墓」はアニメ作品化されているが、既にテレビ視聴を止めていて、情報に疎かった私がそれを知ったのは数年後の事だった。レンタルビデオ屋から借りてきた「火垂るの墓」のパッケージには野坂昭如が「アニメ恐るべし」とコメントを書いている。

ビデオ再生を始めてから私が声を押し殺し号泣し出すまで数分もかからなかったろう。阪神大震災で壊れてしまって今はないけれども、阪急三宮駅の丸い柱を目にした時、そこで主人公が息絶えるシーンから映画は始まるのだけれども、自分が見知っている、私にとっては幼少の幸せに満ちた思い場所でこれからあの「火垂るの墓」が繰り広げられると思うと胸苦しくさえあった。

果たして舞台は芦屋川の春、桜満開の場面や京阪神が焼野原になる場面へと展開してゆく。余談だが野坂は戦争中に西宮から神戸のどこかに住んだことがあり、そのため、私が幼少期を過ごした阪急今津線の仁川駅周辺の商店を描いた作品もある。その商店は私が幼少の頃まだ営業していて、個性的な薬屋のおじさんや駄菓子屋のたたずまいは野坂の描いた作品どおりであって、それを今でも忘れずに覚えている。

そういった個人的経験が複合的に重なっていることもあろうが、野坂昭如原作、高畑勲監督の手による「火垂るの墓」は私にとっては忘れることの出来ない映画作品の一つである。傑作だと思う。

◎[参考動画]『火垂るの墓』予告編(1988年)

◎[参考動画]『火垂るの墓』予告編(1988年)

◆「火垂るの墓」がテレビ放映されるのは明日8月14日で最後になるかもしれない

日本テレビ系列は毎年夏になると「スタジオジブリ」の新作が公開さえるのに合わせて「火垂るの墓」を8月に放映することがままあった。日本テレビも製作委員会に入っているので、日ごろの報道姿勢とは関係なく「そろばん勘定」がそうさせていたのだろうか。

昨年「映画部門の閉鎖」を発表したジブリは「思い出のマーニー」を2014年7月公開したが、今年の夏ジブリの新作公開はないが8月14日に「火垂るの墓」が放映されるそうだ。21日には「おもひでぽろぽろ」、28日には「平成狸合戦ぽんぽこ」と3週連続で高畑勲監督作品を流す予定だという。

ひょっとすると「火垂るの墓」がテレビで流されるのはこれが最後になるかもしれない、そんな嫌な予感がする。

私のつたない言葉では伝わらない「戦争」。それも自分の住み慣れた場所が戦争にまきこまれたら、自分の家族が戦争で亡くなったらどうなるのか……。若者にはくどい言葉を退屈に聞かせるよりも、「火垂るの墓」を観て、感じてもらう方が訴求力があるだろう。

「戦争が来るよ」、「被害に遭うのは君たちだよ」と語り掛けてソッポッを向かれるのは致し方ないのだろう。私の思いや伝達力が弱いのだ。

若者に限らず、こんな時代だから「火垂るの墓」をご覧になることをお勧めしたい。

◎[参考動画]『火垂るの墓』予告編(1988年)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎ヒロシマ70年──被爆者の「戦争責任」発言を中学校長が制止するこの国の行方
◎《6.8公判傍聴報告》やっぱり不当逮捕だった!火炎瓶テツさんら3人全員釈放!
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』!

90年代にこの出版業界へ僕は来た。だがまさかライターがカメラを持たされて、「写真も撮ってこい」と言われるような時代が来るとは、想像もしなかった。今、ライターの仕事は増えている。インタビュー相手のブッキング、場所の選定、そして撮影だ。昔はライターが撮影する素材なんて期待されていなかったが、今は写真のクオリティを求められるようにもなってきた。もはや「撮影」はライター仕事としてついででは、ない。そして僕は一眼レフを購入した。
僕の「一眼レフ」の操作歴は、2004年12月でいったんストップしている。

あるインタビューのときに僕の愛すべき名機「ペンタックス・スーパーA」はシャッターがおりなくなった。週刊誌の仕事をしていて、その「一流企業の犯罪」を告白する男性の写真は貴重だった。2時間後に写真を焼いておかなくてはなからなかった。まだフィルムの時代だ。今じゃあ用心深く、カメラは予備を入れて2つもっていくが、「メインカメラ事故時に使う、緊急時用のミニカメラ」を持っていなかった僕は、コンビニに駆け込み、「写るんです」を買ってなんとか入校した。編集長はお冠だ。だが、このときから「もうカメラは扱わない」と決めた。要するにカメラマンを雇えばいいのだ。そしてそうした身分で居続ければいいとさえ傲慢に思ったのだ。

だがついに「ニュース記者」がカメラを、プロのカメラマンばりに撮影しないといけない時代となったのだ。やはり、一度逃げたものは追いかけてくるものだ。

「カメラなんかライターに求めてんじゃないよ」と僕は古いつきあいの編集者のA氏に言った。するとこうメールが来た。

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作家志望者は先哲の芥川/直木賞作家や売れっ子のそれを
落語家は志ん朝や文春のそれを
絵描きはダリやシャガールからそれを
映画監督は黒沢や小津やゴダールやトリフォーからそれを
学ぼうとするのですが、
「ライター」として求められる「撮影」について撮りかた分析や研究するつもりはない、ということでしょうか。

「それ」とはプロのエッセンスですが要するに。

「ない」としたらとても悲しいことです。
「ある」としたら武器になるんのですが。

————————————————————————-

だったら、研究してやろうじゃないか。
プライドも、腐った理屈も、そこらに捨ててきた膨大な取材リストも、つちかってきた人脈も、怠惰だがつきあってくれる古いパソコンも、長く先輩に鍛えられたペンでの表現も、現場から持ち帰ってきた一枚の写真で輝きを失うのなら、撮影を磨いてやろうじゃないか。

「吉永マサユキ・森山大道 resist写真塾9期生修了展」

そうした「撮ってやらあ」という心境にたどりついたのが6月の末だ。そんな中、いつもいつも招待されるので行けなかった撮影家の吉永マサユキ氏と、森山大道氏が主宰する「resist写真塾」の卒業生が作品を展示している「吉永マサユキ・森山大道 resist写真塾9期生修了展」に行ってきた。言っておくが、吉永氏も森山氏も、もはや「レジェンド」と呼べる世界的に評価されたカメラマンだ。この2人が06年に「社会性のある写真作家の養成」を目的とした写真塾をたちあげた。結果的に、この塾はプロカメラマンとしては通ると光を放つ登竜門となる。

何度か写真展にお邪魔したが、やはりこれだけ魂をファインダーに集中している人たちと対峙するには、やはり、自分もなにか表現する上で「勝負」しているような、強いクリエイターとしての情熱をもってしてやっと写真と拮抗するような、そんなシビアな空間を五感は覚えていた。

一度、幸いにも僕はかつて「編集者」として主宰している吉永氏と仕事でご一緒したことがある。その圧倒的な一枚の写真への画角へのこだわりは、これまで出会ったどの撮影家よりも際立っていた。

そして あれから7年の月日がたった。
卒業生の写真群を、寸評するほどの土壌は自分にはない。
ただ、真剣にファインダーを向けた結果が、展示場のヒルトピア アートスクエアのそこかしこで観客の視線を釘づけにしていた。

写真を撮る、ということは、プロとして要求される場合は、「フォトショップ」(という写真加工ソフト)で多少、色や明るさの調整もする、という意味である。
要するに、ライターが撮影も兼ねる、というのはそういうことだ。

展示会では、「繋がり」というタイトルですれちがう老婆を撮った鈴木達朗さんの写真が一番、インパクトがあり、目に焼き付いた。
この塾では、映画監督の行定勲氏が講義をしていて、かなり鋭い講義をしている。
購入したパンフレットに、こんな言葉が残っていた。
『僕はどっちかというとその、偶然にシャッターを押した瞬間が、自分の中でそれを見たときに、あ、この風景は自分の何かと一緒だとか、自分のものだ、という風に感じられるものがいいですね。いい写真というのは、自分の中に保管しているものがいっぱいあるんですね。そういうのってやっぱり自分の中の原風景と繋がってくるというか。ということは、結局自分が何者であるか、ていうことをやっていると思うんです。映画もそうなんです。自分は何者であるか、ってことは、相当突き詰めないとわかりようがないですね。じゃあ自分が何者であるかを知る術はなにかっていうと、他者なんですよ。映画を作っていて、辛い部分でもあるし、すごい部分でもあるんですけど、他人が、自分を何者であるかということを決定づけるんですね。(以下略)』

今、自分が何者かを他者が判断するツールは、テレビでもラジオでも、雑誌でもなくネットである。そうした状態の中で求められるデジタルの現場の写真と「現場で起きた」ことの伝達は、表現として、自分の立つべき場所を教えてくれる。

そして、付け加えるなら、おそらくライターが、写真でもなく、テキストをフォームに流し込む「デザイン」の部分まで担う時代が来るだろう。現実として、もはや「デザインを編集者がやる」というのは編集の現場ではあたり前になりつつある。ライターがデザインをするのは編集プロダクションの常識だ。ライターが写真に乗り出し、カメラマンの仕事はぐんと減った。今度、「システム変更」の憂き目であるのはデザイナーであると思うが、いずれにしても、「写真家の時代」はまだまだ終わらないことを、クオリティ高きこの「resist写真塾」の卒業生たちの写真は教えてくれる。そして、ひとりのクリエイターとして、刺激を与えてくれた吉永氏には、感謝している。そして、卒業生たちに幸あれ、だ。

(小林俊之)

※写真=「吉永マサユキ・森山大道 resist写真塾9期生修了展」より

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』は毎月7日発売です

 

あまりにも当然なことだけれども、私達は日々「生活」をしている。「生活」の延長線上には、誰にも平等に「死」が待ち受けている。若くて持病もないうちは「死」を意識することはそうそうなないのだけれども、そこそこの年齢になり、友人の逝去や自分の身体の衰えを感じ始めるとおぼろげだった「死」について、嫌でも考えを巡らせる時期がやって来る。

個人的営為の最終章としての「死」くらいは、世相や流行と関係なく我流でお願いしたいと考えても、「終活」というマニュアルが葬儀関連企業や書籍によって示される。仕方がないと言えばそうなのだが、今日生れ出てから「死」を迎えるまで、意識しても、しなくても必ずその周辺に待ち構えている資本や企業や団体、時によっては宗教の食い物にされのを避けるのは至難の業だ。


◎[参考動画]2013年イズモ葬祭CM

◆不合理を隠して進むマニュアル化「就活」「婚活」

発語すれば同じ音である「しゅうかつ」を「就活」と表記した時に、その各段階でリクルートという企業が悪辣な仕組みを立ち上げ、巧みに利益を上げる構造を確立していることは過去にこのコラムで述べた。
「就職活動」が「就活」と言い換えられた時代にリクルートのこの分野での収益構造はたぶん完成していたのだろう。学校を卒業して直ぐに仕事を見つける作業は、その先が企業であれば採用側も、応募側もほぼマニュアル化していて、渦中の人達はその「不合理さ」や「非人間性」に気が付くことはない。


◎[参考動画]2015年リクナビCM(リクルートキャリア)

更に、伴侶探しに市場があると目星を付けた連中は「婚活」という言葉と収益事業を立ち上げた。「結婚相談所」という業種やボランティアは昔から大小含め全国にあったけれども、その業種に漂っていた、どこか「人には言いにくい」心理的側面を「婚活」という言葉で切り落とし、これまた多彩に「お見合いパーティー」や「価値の高い男・女になるために」、異性への話の仕方やデートの方法、果てはプロポーズをするのに適した場所やその言葉まで丁寧に指導してくれる「婚活」セミナーが出現した。

女性が美(と言われているもの)を追及するエステティックサロンは昔から存在したが、近年男性は頭部以外の体毛が嫌われる傾向にあるらしく、脚や腕から始まってヒゲの脱毛も女性の好感を得るには有効との宣伝がある。その手の男性エステの広告には出演料も高かろうにジャニーズのタレントなどが多用されている。

ヒゲなんかを脱毛して皮膚に悪影響はないのだろうか(私が心配する筋合いは微塵もないのだが)、一体いくら取られるんだろうかと、面倒くさい(馬鹿らしい)から取材する気にもならない。どうでもいいのだが、どうしてそこまでして自分自身の価値を一時的な流行、しかも企業が作り出したそれに沿わせようとするのだろうか。


◎[参考動画]2014年ゼクシィCM 広瀬すず篇

◆とめどなく広がりつづける「●活」というマニュアル世界からの離脱

「活」が幅を利かせているのはそれだけではないようだ。まだあまり一般的ではないかもしれないがかつては「胎教」と呼ばれた言葉を「妊活」(妊婦としてどう過ごすか)と言い換えたり、「育活」(要するに育児)なども「活」と言う範疇に囲い込まれようとしている。「現代用語の基礎知識」にはその他「離活」、「朝活」、「保活」、「温活」、「寝活」、「ソー活」、「友活」など、ここまで来るともう訳が分からない「活」が満載されている。

出産も育児も教育も、そして進学も就職も結婚も、更には「死」も、言わば人生の全てが情報商品化の対象となり、折々その周囲に控えている企業や医療機関、教育機関や冠婚葬祭社へのより収益性の向上が見込まれるキャッチコピー「○○活」と名付けられる。薄気味悪い。人生の「総マニュアル化」と言ったら言い過ぎだろうか。

「慶弔ごとは値切らない」という慎ましくも(払わせる側には)ずうずうしい習い性のようなものが長く支配的であったこの島国では「婚活」や「終活」で結局ボッたくられる人が多発しているだろう。「婚活」をしたことはないけれども、少なくないの「葬式」を出した経験から、黙っていると本来支払えばいい額の数倍を要求してくる葬儀業者が少なくないことを不幸にも私は知っている。そんな業者に限って綺麗なパンフレットで生前からの「終活」を勧める互助会などへの勧誘に熱心だ。

◆自分の「生活」を全うすること──誰かに命じられたり誘導されたりしない生活

生活していれば楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、悔しいこと、様々経験して最後に人生を閉じる。それは似ているようでいても一人一人全く異なる人生史の編纂作業であり、便利で自らの個性に合致した制度やサービスは採用すればよいけれども、企業が利益目的に「これが今トレンドですよ」と誘導する選択肢に人生を委ねるほど、没個性的な事はない。それはまた、遠くかけ離れてはいるけれども「付和雷同」、「事なかれ主義」といった社会態度を底支えするものともなり、さらにうがった見方をすれば、2015年時点での現社会体制=戦争準備の時代に少し加担することにも繋がる、と此処まで言うと極端が過ぎようか。一人一人が誰かに命じられたり誘導されるのではなく自分の「生活」を全うすることが、実は地味に見えて大切なのではないかと思う。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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◎〈生きた現実〉の直撃弾──鹿砦社松岡社長が自身の逮捕経験を「告白」講義
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎沈黙する大学の大罪──なぜこんな時代に声を上げないのか?
◎粗悪な食文化の伝道企業=マクドナルドの衰退は「自然の理」
◎イオン蔓延で「資本の寡占」──それで暮らしは豊かで便利になったのか?

世代と地域を繋げる脱原発情報マガジン『NO NUKES voice』Vol.4好評発売中!

 

国民的歌手、加藤登紀子氏の「百万本のバラコンサート」を観た。渋谷のNHKホールは満員であり、ラトビアの「リエパーヤ交響楽団」を従えての加藤は、風格を漂わせつつも、迫力がある声を披露。もしかしてまだ30代なんじゃないかと思うほどのパワーを見せつけた。

6月5日から始まった「百万本のバラコンサート」は、ラトビアとの友情を結ぶという意味合いがある。加藤はコンサートを行うにあたって、ホームページでこう呼びかけている。

リエパーヤはラトビアの西、バルト海に面した美しい港町。 文化の豊かさを誇るリエパーヤ交響楽団は、1881年に設立されヨーロッパで高い評価を得て活動しているオーケストラです。1991年に独立国となり、今自信に満ちた発展を遂げているラトビア、いろんな歴史を潜りながら、ひたすら美しい音楽に愛を込めてきたラトビア。その魂に込められた艶やか管弦楽とともに、心ゆくまで熱く、深く歌いたいと思っています。今回は23名の特別編成で演奏します。どうぞ、お楽しみに! ? ?登紀子(http://www.tokiko.com/100/index.html


◎[参考動画]2015 加藤登紀子ラトビア訪問

◆「私たちには未来に生きるという選択肢しかないのですから」

加藤氏は、反原発論者でもある。『NO NUKES voice vol.4』のインタビューでは、こう答えている。

「私たちには未来に生きるという選択肢しかないのですから、心の中にある希望の火を絶やさないことが大事です。そして生きようという決心を持つこと。でも、最近では何を求めていけばよいのか、希望が見えにくいんですよ。もっともっと胸を張って、皆が希望を持つためには、日本が原発をやめる決心をすることが必要不可欠だと声に出したいですね。私は、2014年の3.11に、イベントで福島に住む18歳の少女が書いた手記を朗読しました。彼女は父親が東電の社員なのですが、事故以来両親は口を利かなくなったし、友だちや親戚とは絶縁状態になってしまい、家族がバラバラになってしまった。それでも父親は毎日福島第一原発に行って事故処理にあたり、くたくたになるまで働いています。彼女と家族をこの辛い現実から解放するためには、原発を止めて原発の被害にまっすぐ向かい合い、廃炉に向かって皆で頑張る。そういう真っ当な目的に向かって人々が一つになるしか答えはないですよね。なのに政府は再び『福島は完全にアンダーコントロール』と、事実ではないことを言ってウソで塗りかためた安全神話を作り出そうとしています.。(以下略)」(『NO NUKES voice vol.4』より)

かつて学生運動に参加して、その中心にいた藤本敏夫を伴侶にしていた加藤氏は言う。

「私はかつて学生運動にも参加しましたし、その中心にいた藤本敏夫と暮らしてきましたが、当時も学生の側にだけ立って歌っていたわけではありません。時代の奥に流れている共通の想いを歌いたかったのです。私が大好きなマレーネ・ディートリッヒは、少女時代に第一次世界大戦が始まり、その時母親に『戦争をしている時、多くの人が『自分たちは神様に守られている』という感覚を持ちます。でも、神はどちらか戦うものの片方の応援をすることはない』、と」?(『NO NUKES voice vol.4』より)

◆ラトビアとロシア語──二つの命を生きることになった歌

コンサートのクライマックスは、やはりひな壇に200人ものコーラス隊が並んだ「百万本のバラの物語」だろう。ラトビアと日本をつなぐ加藤氏の執念が見える。たとえば加藤氏はブログで以下のように書く。

―ブログより

「コンサートのパンフレットに詳しいラトビアの紹介を書くために、随分沢山の本を読み、ラトビアの歴史のディテールが見えてきて、何度も鳥肌が立つような事実に出会いました。

帝政ロシアが第一次世界大戦で崩壊した後、独立国家となったラトビアを、革命後のソ連が侵略したのは1939年、スターリンとヒットラーの密約によるもの。翌々年の1941年、たった一夜で1万5千人の人がシベリアに強制移住させられた恐怖の日、それがよりによってNHKホールで歌う6月14日だった、ということも驚きです.

戦前戦後を通して、ハルビンにはロシアから亡命したり、移住したりしたポーランド人やユダヤ人が沢山住んでいたことは知っていましたが、ラトビアの人たちも数百人住んでいたそうです。私の家族はそうした移住者たち、イミグラントの人たちと強い繋がりがあったので、感慨無量です。

敗戦後、国を失った私たちは、彼らと同じように無国籍者となった訳ですが、「それでもめげずに堂々と生きられたのは、イミグラントの人たちの姿を見ていたからよ」と母は言います。どんな時も素晴らしい音楽を楽しみ、生活スタイルを守り、文化の高さを失わなかったラトビアを知れば知るほど、母の言葉が伝わってきます。

その時代のことをこよなく愛した父も、もう此の世にはいないし、100歳の母も今年はコンサートに来られない!でも、心の中では、今やっと対話できている、その気持ちを歌に託したいと思います。(http://ameblo.jp/tokiko-kato/)」


◎[参考動画]ラトビア・ リエパーヤ交響楽団リハーサル風景(2015.1加藤登紀子撮影)

加藤氏はコンサートのパンフにこう書く。

「ラトビアという小さな国で生まれた歌が、ソ連という大きな国に広がっていくためには、どうしてもロシア語に翻訳されなければならなかった。これもこの歌の運命です。結果的には、この二つの違った歌詞を持つことで、二つの命を生きることになったのです。ラトビア語では、母親が幼い娘に贈った子守唄だった歌が、ロシア語の詩ではグルジアの貧しい画家の恋の物語に生まれ変わりました。どちらにも幸せへの尽きせぬ祈りが込められ、いつしかソ連の各地でそれぞれの祈りを託された。何本もの花が一つの花束になるように、「百万本のバラ」は大きな花束になり、それぞれの国が独立して行くための闘いに、勇気を与えました。そして、この歌に運命を託した小さな国たちは今、別々の国になった。それはこの花束がもっともっと大きくなったことなのだと思います。国境線は国を分けるためにあるのではなく、繋げるためにある。大きな国から独立した小さな国のそれぞれが自信をもって輝こうとすることで、お互いへのリスペクトが生まれる。『百万本のバラ』に託された祈りは、今こそ国境線を越えて、人の心を束ねることだと思います」(50th Anniversaryコンサートのパンフレットより)

加藤氏の外交は、もはや傲慢で私利私欲の経団連主導の外務省の何倍にも価値がある。大衆よ! 加藤氏の声を聞け、震えよ!

秋には、このコンサートの模様を収めたDVDが販売される。興味があるむきは、ぜひ買っていただきたい。

◎加藤登紀子HP http://www.tokiko.com/index

(小林俊之)

◎鬼才板坂剛による天才ポール・マッカートニー「逆襲」来日ライブ写真集の怒涛
◎5.17熊本「琉球の風~島から島へ」大盛況!──奇跡の瞬間は2016年へと続く
◎反原発の連帯──来年4月、電力は自由化され、電力会社を選べるようになる
◎「工藤會壊滅ありき」で福岡県警が強引に人権を無視し続ける邪な理由

普通の人こそ脱原発!──世代と地域を繋げる脱原発情報誌『NO NUKES voice』Vol.4好評発売中!

戦後70年を憂国と愛国から問う!──内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え 強い国になりたい症候群』

 

15歳の少年「ノエル」が各所で「ドローン」を駆使した「中継」を行い、それがマスコミで「問題視」され結局逮捕されたのは5月21日であった。迂闊にも彼の活動の詳細について追跡をしてはいなかったので、「ノエル」の活動をここ数日ネット上で確認するまで、その意味と逮捕の不当性についてよく理解できていなかった。

彼は2月頃から全国各所に赴き「配信」を始めている。もっともその前からネット上では様々な議論や発信を行っていたようであるが、「ノエル」の独自性が発揮されるのは何と言っても「自分の顔を映しながら」各所で警察に囲まれるも、それをことごとく「論破」する場面であろう。


◎[参考動画]15歳少年、警察に腕つかまれて連行されそうになるが断固拒否して退散させる

例えば、福島から「配信」された映像では制服警官や補導員が「ちょっと警察所行こうよ」、「これ補導だからね。私補導員だから」と誘導しても「任意なんですか? 任意なんでね。ならお断りします」と至極真っ当な法律の原則に立ち反論する。制服警官は「ノエル」の両腕を掴み強引に(この行為自体「任意同行」を拒否している人間に対しては違法行為だ)引きずり回わし、「名前は何っていうの」、「どこから来たの」と執拗に攻め立てるが「答えません。答える必要がありません」と退ける。補導員と称する女性には「今、補導対象時間外ですよね」と正論をぶつけると「でも、学校に行っていなかったらだめでしょ」と間抜けな応答しかできない。


◎[参考動画]【ノエル】150519 JR有楽町前でドローン撮影をし警察トラブル

有楽町駅前でも同様の光景が展開される。「翼のついていないドローン」を用いて配信を行っていた「ノエル」を何者かが「不審者がいる」と警察に「通報した」と理由を述べ多くの警察官が「ノエル」を囲み「ここは迷惑だから警察署行こうよ」、「危ないから」と誘いをかけるが、「ノエル」はまた「任意ですか?なら応じません」、そして「翼のついていないドローン」を示し「これ飛びませんよね。飛ばないから危険じゃないですよね。何が問題なんですか」と明晰に「配信」視聴者に語り掛ける。正にその通り。翼のない小型ヘリコプター玩具は飛べはしない。プラスチックの固まりに過ぎない。

◆大人と日本の嘘が見えてくる──「個」として思考し、行動する少年ノエル

「ノエル」はまた、自身の行動を歪曲報道したフジテレビにも出かける。そこでニュース番組責任者との面会を求め、応対するフジテレビ社員と応酬を繰り広げる。「ノエル」は以前のニュース番組で自分が歪曲報道されたので、その日放送するニュース番組内容を確認させてくれ、と要求するがそれは出来ないと断られる。すると以前の番組で取り上げられた「ノエル」を模した3Dの画面をパソコン上に示し「これ、僕ってわかりますよね。だから責任者の方と話がしたいんです」と証拠を示し「報道被害の防止が目的」である旨を伝える。フジ社員は「事前に番組内容をお知らせすることは出来ません。放送後ご意見があればご意見を伺う窓口にお伝え下さい」と紋切型で切り抜けようとするが「ノエル」は「放送されると取り返しがつかないんですよ。間違いを放送されて、全国の人に勘違いされた後ではどうしようもないんです。だから番組責任者の方と話がしたいんです」と正論を述べる。フジ社員はごちゃごちゃ言い訳を並べるけれども、どちらに論理的な非があるかは明らかだ。

川崎市で起きた少年殺人事件の容疑者宅前にも出かけている。ここでも「不審者」の通報があったとして警察に囲まれる。警察は「個人のお宅を撮ったら迷惑になるでしょ」と言うも「ノエル」は「僕は僕の顔しか撮っていません」と応じるが、その様子を周りで囲んでいた「マスコミ」が一斉に「ノエル」を撮影し出す。背後から「ノエル」のパソコンのディスプレーを堂々と撮影しているテレビカメラもある。警察は大勢の「マスコミ」取材陣には一切お構いなしだ。煌々と目がくらむような照明を向けテレビカメラやマイクを向ける「大勢」と、パソコンを抱えそれに向かって小言で話している一人とどちらが「迷惑」なのかは常識的な想像力を持った人間であれば理解できよう。

「ノエル」は各地の祭りにも出向き、最終的に浅草の三社祭に「行きます」と言った為に同所で逮捕(ドローンを飛ばしていないにもかかわらず)されたようだ。

「ノエル」を各所で「尋問」していた警察官は「君は誰なの」、「中学生だったら危険があるから保護しないと」、「なんでここにいるの」、「どうやってここに来たの」、「カバンの中には何が入っているの」とクドクドどうでも良いことを聞き出そうとしていたが「ノエル」は冷静に「任意なんですね、なら答えません」と一貫して突っぱねていた。でも、若しこの質問者が警察ではなかったらこれらの行為はどう評価されるだろうか。腕を掴んで引き回す行為は「暴行罪」に明確に該当するだろう。私的な事を付きまといながら、答えることを嫌がっている人に聞き続ける行為は「ストーカー行為」そのものだ。

「ノエル」が15歳であることのみに活路を見出した警察は、しきりに「保護」や「安全」、「君が誰かわからないと心配」などと繰り返しているが、それらが本音ではないことも明らかだ。警察(権力)が懸念したのは「ノエル」の独立した意志に立脚した実に多彩な行動に他ならない。Ustreamやツイットキャスティング、その他様々な方法で個人が各所から映像を配信できる技術が確立された。既にそういった配信方法を利用した「ビジネス」を確立している企業があるし、個人もいる。

だが新配信技術の魅力を知った人の中には、あっという間に「配信内容」よりも「儲け」あるいは「アクセス数」が頭の中で先行し、既存マスコミと何変わらぬ思考に陥る人も少なくない。

「ノエル」の頭の中にも「視聴者を広めたい」という欲求はあったろう。しかしそれ以上に彼の興味、関心領域は無限の如き広がりを見せ、数知れぬアクティブな配信へと自身を突き動かしたのだろう。前回記事「火炎瓶テツさんら経産省前「不当逮捕」が示す安倍ファシズム第二段階本格稼働」の中でも指摘したが内容の如何を問わず、「個」として思考し行動する者を何より国家は危険視しする。その補完機関たる「大手マスコミ」も同様だ。

◆放送という既得権が「個人」に侵食されることを恐れるマスメディア


◎[参考動画]ミヤネ屋のノエル逮捕報道

「ノエル」逮捕について、救いがたく低劣な思考を恥じぬことで有名な宮根誠司は「ミヤネ屋」の中で「こんな事をやっていること自体がもうね、人として良いのか悪いのかって判断がついていないこと自体が、自分が取れない映像をを撮ってそれを沢山の人が見て、更に現金化できるぞって、だったら何をしても良いっていう。15歳にもなってこういう事をしてしまうのが問題ですよね。大問題ですよね」とまくし立てている。

己達の頭が硬直して15歳の発想と取材力に至らないことへの口惜しさを見当違いの個人攻撃に向ける宮根。何が大問題なものか!「ノエル」が「配信」したことよりはるかに悪辣な「プライバシー蹂躙放送」(例えばこの番組自体)を生業にして飯を食っているのがお前たち「腐れマスコミ」ではないのか! その証拠に川崎市での容疑者宅近くでの警察による「ノエル」包囲の際、大マスコミはハイエナのように「ノエル」の姿、パソコンの表示画面までを「ノエル」の許可もなく撮影していたではないか。

マスコミが「ノエル」を批判するのは奴らの儲けの領域が一個人により浸食されかかった事への危機意識と憎悪の現れである。既得権である「ニュース」と言う名の偏向報道の現場を全く視点が異なる「個人」に侵食されることがマスコミには許しがたいのだ。

私はある程度の年齢に達すれば、人間の思考能力に大差はないと考える。自分の中学生時代を思い返しても友人にはその辺りで「お笑い芸人」と呼ばれている連中より余程感性が優れていて、テレビに出せば確実にプロを凌駕する悪友が沢山いた。逆に年齢を重ねようとも成長しない人間は全く成長しない。しかし実質年齢だけは重ねていくので、一様に年配者はそれなりに「賢明」だという勘違いが世間にはあるが、大いなる間違いである。だから私は「ノエル」の行動と年齢の関係をことさら特異な物とは考えない。

「ノエル」は釈放されたら更に行動に磨きがかかるだろう。

◎[参考資料]粉川哲夫の雑日記─[12]「日本の発展」(2015年5月31日)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『60万回のトライ』という映画を昨年秋、京都の映画館に観に行った。この映画は大阪朝鮮高級学校(略称:大阪朝高)ラグビー部の活動を追ったドキュメンタリー映画だ。大阪朝高は毎年のように全国高校ラグビー選手権に大阪代表として登場する強豪校だが、民族学校である同校がどうして長期に渡り強さを保っていられるのか以前から興味があった。

普通の高校であれば部員の確保は難しいことではないだろうが、民族学校なのだからおのずと在校生の数も限られるだろうし、大阪にはラグビー強豪高校がひしめいている。そんな状況で毎年冬の花園(高校ラグビー選手権が行われる会場)で活躍する同校のドキュメンタリーは監督、朴思柔、朴敦史両氏の手により完成された。

◆満席の劇場で民族学校小学生たちと一緒に大阪朝高の映画を観る

気が向いて出かけた映画館は座席数が100席ほどだと分かっていた。平日でもあり時間ギリギリに行っても充分に座れるだろうと思ったが、初めて足を運ぶ映画館でもあったので少し早目に到着した。すると狭い通路には長蛇の列が出来ている。その日は上映の最終日だったから、駆け込みで観客がやって来たのかと思ったがそうではなかった。

数分列に並びようやく入場券販売カウンターにたどり着いてチケットを求めようとしたところ「申し訳ございません、本日団体のお客様が入りまして今満席なんです」と言われてしまった。せっかく遠くから来たのでそのまま帰るももったいないと思い「立ち見でもいいですから入場できませんかね」と聞いたところ「少々お待ちください」と売り場の方がどこかへ消えていった。程なく「今確認しましたら1席だけ空席がありましたのでご入場いただけます」とのことで、広くはないものの満員の館内に入ることが出来た。

上映10分ほど前に着席して入場券を求めた時にもらったこれからの上映作品の案内などを読んでいると、制服を着た小学生が大挙して入ってきた。小学生達は行儀がいいけども、時々口にする言葉は日本語ではない。民族学校の小学生が社会見学か何かでこの映画を観きたのだろう。私の両横も小学生が座っている。

大阪朝高の映画を民族学校小学生に囲まれて観ることが出来るとは想像もしなかった。映画の内容は勿論楽しみだけども、この小学生達がどんな反応を示すかというもう一つの楽しみにも恵まれ。さらに上映直前に映画館の方が「今日は団体の方々にお越しいただいて一般の方々には窮屈でしょうがお許しください。上映後に監督朴思柔、朴敦史両監督からご挨拶がありますのでお楽しみに」と言う。監督の話まで聞けるとはこれまた予想外の幸運だ。

映画は見る環境で作品自体だけではなく、その作品が上映されている空間や社会の雰囲気も感じるものだ。30年近く前に「クロコダイルダンディー」という映画をオーストラリアで観た。豪州で人気のポール・ホーガンが主役で、オーストラリアの田舎出身の主人公がニューヨークで様々なドタバタに直面するコメディーだ。たぶん日本やその他の国で上映されても館内はあれ程沸かなかったに違いない。確かに面白いシーンははあるが、それ以外のどうでも良さそうな場面でも聴衆は笑いっぱなしだった。

同じころ「Platoon(プラトゥーン)」というオリバー・ストーン監督のベトナム戦争を描いた映画をニューヨークで観た。この映画はオリバー・ストーンが監督をしていることで推測されるように、決して「米国万歳」の戦争奨励映画ではなく、むしろ負の面を強く描いた作品だったが、白人がほとんどを占める映画館では米国軍人がベトナム農民の足元に機関銃を乱射し農民がそれを怖がるシーンでのみ拍手と歓声が上がり、いたく違和感を感じた記憶がある。

◆「パッチギは絶対あかんぞ!」は健在だった

そして『60万回のトライ』が始まった。花園で実際に見たことのある選手たちが多数映し出される。ラグビー部の活動だけでなく、日常生活の喜怒哀楽が描かれる。詳細はまだ上映中なので省くが、圧巻だったのは大阪朝高運動会での騎馬戦のシーンだ。審判の先生が両チームに注意を与える。記憶があいまいだけれども「殴ったり、蹴飛ばしたり、パッチギは絶対あかんぞ!」先生がそのように宣言した後に行われた騎馬戦は圧巻の一言に尽きる。目にしたことのない力と粘りと迫力に満ちていた。何よりも本当に「パッチギ」は健在なんだなぁと、微笑ましかった(「パッチギ」は「頭突き」の意味で井筒和幸監督による映画の作品名でもある)。

上映後、両監督のお話が日本語であった。朴思柔監督は「撮影途中病を患いながらもこの作品を完成させることが出来たのは、京都の協力者のお蔭です」と、観客の何人かの名前を挙げて謝辞を述べた。また小学生の観衆に向かい「どうでしたか? お兄さんたちかっこよかったでしょ?」と語りかけた。小学生たちの反応はおしなべて穏やかでお行儀が良かった。興奮したり舞い上がったりしている様子はない。小学生が理解するには少しハードルが高かったのかもしれないが貴重な経験になったことだろう。

◆国籍にかかわらず日本代表選手になれるラグビー界の自由と公平

時は過ぎて昨年11月30日、関西大学ラグビーリーグの実質的決勝戦、関西学院対京都産業大学が京都宝ヶ競技場で行われた。そこには『60万回のトライ』に出演していた選手たちが主力選手として両大学に在籍し、観客席には大阪朝高ラグビー部呉英吉監督の姿があった。

知人に後日聞くまで知らなかったが、ラグビーは国籍にかかわらず日本代表選手になれる。大阪朝高にも20歳以下日本代表に選出された選手や候補が多数いる。どこかの偏狭な国とは思えない公平なルールだ。ラグビーが素敵だなと思った。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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自粛しない、潰されない──『紙の爆弾』創刊10周年号発売!

1月16日未明に京都にある老舗喫茶店「ほんやら洞」が全焼した。京都新聞は被害者が出ていない喫茶店の火災を扱う記事としては異例ともいえる扱いで、1面と社会面へ大きな記事を掲載している。

「ほんやら洞」は1972年に開店した。詩人や歌手、学者が集まる場所で、京都だけでなく全国へ様々な文化発信を行っていた。近年は大きなニュースを聞くことも少なくなっていたけども、その名を聞いて懐かしく思う人は少なくないだろう。京都では京大西部講堂と同様の存在感を長年維持していた。

私はといえば行きがかりで2、3度店に入った事はあるものの、ただそれだけの繋がりしかなかった。でも「ほんやら洞」を創立した人々とは職場が同じだったこともあり、様々な話を聞かせてもらっていた。

◆中山容という素敵な詩人

もう亡くなったけれども中山容という詩人がいた。彼は私の勤務していた大学の教員だった。眼鏡をかけて口髭を生やし、ちょっと前かがみに歩く。私が就職したとき彼は学部長を務めていた。こういっては失礼だが、「指導力」や「政治力」ましてや「政治的野心」とは全く縁のない彼が教授会で司会をこなすのを見ているのは本当にかわいそうだった。「教授会」と言う響きは、なにか荘厳と言わぬまでもある種の権威を持った人間の会議のような誤解を導く罠が、それは間違いだと思い知った。

中山さんが学部長を務めていた学部の教授会は、毎回さながら「サファリパーク」のようだった。肉食獣や草食獣が分け隔てなく会議室に集まり、発言する教員がいても別の教員が同時に発言をする。挙手もしないでそれに対する反論や感想を複数の教員が口にする。小学校の学級会でももう少しおとなしかろうと思うほどに、騒々しく秩序がない。中山さんは大声を張り上げてなんとか議事をまとめようとするが、まとまったのか、そうでないのかもよく分からない。陪席として参加していた新人職員の私には腰を抜かしそうな経験であった。当時その学部の教員には極めて強力な人材がそろっていたのであのような会議になっていたのだろうか。

中山さんは歌手の中山ラビさんの元配偶者だか、それに近い存在だか、人には説明しにくい関係だか(本当のところ私は知らないのだけども)・・・とにかく中山ラビさんと良い仲だったことのある人だ。彼はコーヒーとタバコが大好きで、事務室にやってくると我々の机にコーヒーのカップを置き、独特のしゃがれた声と、語り口で和ませてくれた。そういえば「中山容」と言う名前は就職後数年経てから耳にした。中山さんは職場では別の姓名を名乗っていた(蛇足だが大学教員の中には彼のように「芸名」で通している人が意外に多い)。

◆タイのライブハウスで聞いた「ほんやら洞」の魔法

後年中山さんはタイに関心を持つようになり、熱心にタイ語の勉強をしていた。電車の中で単語カードをめくる受験生のよう中山さんがしょっちゅう目撃されていた。中山さんは戦後第1号のフルブライト奨学生だった。だから語学の才能は並外れていたのだろう。1年余りの学習で横で聞いていると大概の話をタイ語でこなすようになっていた。

ある時仕事で中山さんとタイで合流することになった。昼間の仕事を片付けたあとにライブハウスで時間を過ごした。「このドラムはまだ固いね。クッツクッツとこないとね」。バンドの演奏を聴きながら音楽には疎い私に中山さんはロックについてたくさん楽しい話を教えてくれた。そう、かれはやはりフルブライト奨学生だった片桐ユズル氏と共に「ボブディラン詩集」を訳した人でもあるのだ。私なんかが言葉足らずで説明しなくてもその世界では相当の有名人だ。

タイのライブハウスで「ほんやら洞」の話題になった。「いったい何をやっていたんですか?」と無知な質問をぶつける私に「そうだねー。いろいろあったねー。ああ、即興詩の朗読はいつもやってたね。岡林(信康)とか、(片桐)ユズルさんとか、(中尾)ハジメさんとかね」、「僕がここに1行書くでしょ、次に岡林が1行書くの。でまた次に僕が書いて。それで岡林がギター持ち出すと歌になっちゃうんだな、これが!」

魔法のような話だけど、そんなやり取りの中から有名なフォークソングがいくつも生まれてきたのだと教わった。「ほんやら洞の詩人たち」というCDが発売されているし、書籍にもなってる。酒は大して飲まないけれども中山さんの語りには心地よい味があり教養にあふれていた。才能のある人たちは違うんだなーと感心したものだ。

だが、中山さんは定年を待たずに癌にかかってしまった。もう手術できないほど進行していた。私が病院を私が見舞ったのは確か無くなる3日前だった。高石ともやさんと岡林信康さんが病室にいた。なんて豪華な見舞い人なんだと感心した。でも中山さんは気の毒なほどうめいていた。

「痛いよー」、「死ぬのが怖いよー」

詩人でもある中山さんだったからだろうか。「死ぬのが怖いよー」の言葉が今でも忘れられない。

洒落てて、威張らなくて、女性に優しいく、コーヒーとタバコを愛した中山さんが亡くなって10年以上たつ。

全焼した「ほんやら洞」を見たら中山さんは何というだろうか。

「あーあ。焼けちゃったね。でも怪我人がいなくてよかったよな。何とかなるよ。な、そうだろう」

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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電子タバコをご存知だろうか? 電気の熱で蒸発した液体の蒸気を吸う。ハイテクな水タバコだ。

◆電子タバコに関するWikipediaの記事はいい加減

Wikipediaには「たばこに似た形の吸引器を口にくわえ、専用カートリッジ内の液体を電熱線の発熱により霧状化し、その微粒子をたばこの煙のように吸引することでたばこの代替とする。葉を用いる従来のたばことは異なり、火気を用いない上に、燃焼に伴うタールや一酸化炭素なども発生しない。また、たばこの先端から副流煙が発生しないため、他人に迷惑をかけず自身の健康を害することもない。2008年頃から日本国内においてもメディアなどで取り上げられている」と説明されている。

従来の「火を燃やした煙」を吸うシガレットに対して、「電熱線の熱で気化させた液体の蒸気」を吸う電子タバコにはタールが含まれないので「健康を害することもない」と書かれている。なんだこのいい加減な記事を書いた奴は。

◆「○○は健康に良い」なんてウソだから、好きか嫌いかで選べ!

栄養学だとか健康食品だとか考える場合に一番最初に押さえておかなければならないことそれは「体に良い物質などこの世に存在しない」つまり「体に悪くないものなど宇宙には存在しない」ということだ。健康を考えるにあたって一番大事なのは「体が欲しているか否か」「必要か不必要か」ということではないだろうか。

やれ、納豆が体にいいだとか、バナナにダイエット効果があるだとか、シジミエキス二日酔いに効果的だとか、コラーゲン配合だから体にいいとか、ビタミンCが入ってるから風邪の予防になるなんてそんなことを平気で推奨する医者とかいるでしょう。あれは客観的な科学的な事実ではなくて、金をもらって宣伝している営業マンなんだぜ。

電子タバコ業界が「電子タバコは健康的でーす!」と金儲けのためにでたらめを並べるのは、そんなの販売戦略と経営努力だから企業の勝手でしょう。消費者が売り文句を鵜呑みにしちゃったら世も末だ。「騙されないように疑ってかかれ」と云っているのではない。「どうせだいたい嘘か冗談なんだから、好きか嫌いかで判断するほうが誠実だ」と云いたい。

ましてや「有名人も使ってるから」とか「偉い人が言ってたから」なんて理由でものを選ぶなんて言語道断だ。

◆煙草の煙の10倍以上の発がん性物質が検出された電子タバコ製品もある

2014年11月28日付けのasahi.comにこんな記事があった。

「味や香りのする溶液を蒸発させて吸う『電子たばこ』について、厚生労働省の専門委員会は27日、発がん性物質が含まれ、健康への悪影響が示唆されると評価した。今後、国内の使用実態や未成年への影響を調べ、報告書をまとめる。厚労省は、規制も含めた対応を他省庁と検討していく。

委員会では、国立保健医療科学院生活環境研究部長の欅田(くぬぎた)尚樹委員が、国内で入手したニコチンを含まない3製品の蒸気を調べた結果を報告。2製品から発がん性物質ホルムアルデヒドが多く検出され、うち1製品は紙巻きたばこの煙の10倍以上だったという。また、動物実験の結果から、電子たばこを毎日吸った場合、3種類の有害物質で健康に悪影響を及ぼす可能性が示されたとしている。」

アメリカの喫煙率は世界でも群を抜いて低い。公共の場や屋内での喫煙はほとんどできない。しかし、電子タバコの使用率は年々右肩上がりに上昇し続けている。嫌煙ムーブメントの結果、法律やマナーの隙間を縫って登場した電子タバコが注目を浴びている。火のないところに煙は立たない。ニーズのないところで企業は商売しない。電子タバコは立派なアイディア商品だ。

3年前から電子タバコを愛用しているミュージシャンのJさんに今回の厚労省の発表についてどう思うかインタビューしてみた。

──電子タバコの販売に政府が規制をかけようとしていますね

J 「もともとリキッド(電子タバコの液体)は海外から輸入して吸ってるんだけど、東南アジアのメーカーの方が種類が豊富だし、日本の電子タバコはニコチンが入ってないから興味ないんだよね。いちいち買うの面倒だからまとめ買いしてあって、大量にストックしてあるから別にいいよw」

──最近の研究で電子タバコに発ガン性物質が含まれいるとかいう話がありますが

J 「シガレット吸ってた時も、電子タバコにかえてからも、別に健康にいいか悪いかどうかよりも旨いかどうかしか考えないよ。あー旨いな、楽しいな、っていう方がよっぽど健康的だと思うんだよね」

半年前から電子タバコを愛用している経営コンサルタントのSさん(30歳)は
「へ?、発がん性あったんだ。知らなかった。ま、よくわかんないけど、電子タバコ、うまいよね?!」

▼原田卓馬(はらだ たくま)
1986年生まれ。幼少期は母の方針で玄米食で育つ。5歳で農村コミューンのヤマギシ会に単身放り込まれ自給自足の村で土に触れて過ごした体験と、実家に戻ってからの公立小学校での情報過密な生活のギャップに悩む思春期を過ごす。14歳で作曲という遊びの面白さに魅了されて、以来シンガーソングライター。路上で自作のフンドシを売ったり、張り込み突撃取材をしたり、たまに印刷物のデザインをしたり、楽器を製造したり、CDを作ったりしながらなんとか生活している男。早く音楽で生活したい。
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《紫煙革命15》発がんリスクが低い「スヌース」は煙草より健康的か?
《紫煙革命14》スウェーデンに学ぶスヌース──煙ばかりがタバコじゃない
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田中俊一委員長自宅アポなし直撃取材を終えて

《特集》日本の10大問題!

 

 

前回の記事で、スウェーデンで伝統的に愛用されてきた嗅ぎタバコ「スヌース」を紹介しました。唇と歯茎の間に挟んで口の粘膜でタバコを楽しむものですが、「煙を吸わないので健康的だ」とでもいうような能書きが多いので非常に胡散臭いのもまた事実です。

◆EUではスヌース販売禁止

スウェーデン以外のEU欧州連合加盟国ではスヌースは販売禁止されています。理由は「公衆の健康に脅威である」ということです。ASHスコットランドが2007年に発表した『欧州連合はスヌース禁止を取りやめるべきか?』という調査報告からいくつか紹介していきましょう。

スヌースは口に入れて使用する無煙タバコ製品であり、現在ヨーロッパ連合全域で販売が禁止されている。しかしスウェーデンはこの禁止措置を免除されている。スヌースが harm reduction の方策として役立つかどうか、およびヨーロッパ連合が現在行っているスヌースの販売禁止を解除すべきかどうかについて世界中のタバコ規制運動陣営の中で論争が巻き起こっている。

※harm reduction=ダメージを軽減するという意味のドラッグ用語。肺ガンなどのリスクが指摘されている紙巻きタバコの代替品として有効かどうかを議論しているということ。

ASH(Action on Smoking and Health)=禁煙健康増進協会。喫煙の危険を訴える広告キャンペーンなどを展開している団体。1967年設立。本部はワシントン。

◆スヌースの有害成分

スヌースには、発ガン性タバコ特異的ニトロソアミン類(TSNAs)をはじめ多くの有害な物質が含まれており、(中略)スウェーデンのスヌースは北アメリカ、スーダン、インドで売られているさまざまな無煙タバコ製品よりもTSNAs含有量が少なくなっていることがわかっている。

スウェーデン・マッチタバコ会社は、自社のスヌース製品に関して、硝酸塩やTSNAs、鉛、ヒ素、ニッケル、クロムなどの「望ましくない」成分の許容上限値をはじめとした GothiaTek standard 35という品質基準を作り公表している。

スウェーデンのスヌースはニトロソアミンという発ガン性物質が生成されないように製造方法に工夫がなされているということのようです。

嗅ぎタバコに含まれる有害物質のポスターを紹介したサイトがあったのですが、なんだかもう笑っちゃいます。無煙タバコが危険だというよりも、工業化による環境汚染と農業の危険を喧伝しているように思いましたが一応紹介しておきます。

無煙たばこは口腔ガン発生の最大の引き金

ポロニューム210(放射性物質)
ウラニューム235(核兵器の原料)
ニトロサミン(発がん物質)
アセタルデハイド(刺激物質、炎症起爆物質)
カドミウム(自動車のバッテリー剤)
ヒドラジン(毒薬)
ニコチン(中毒性麻薬)
ホルムアルデヒド(防腐薬、シックハウス原因薬)
ベンゾフィレン(発がん物質)

◆肺ガン以外はどうよ?

ASHの報告によると、

・スヌースは紙巻きタバコに比べて、ガンを発生させるリスクは極めて低い。肺ガンリスクを増やすという報告は見られない。

・スヌースと口腔癌に関する研究には明確さが欠けているが、先に述べたように、紙巻きタバコをやめてスヌースに切り替えた喫煙者が喫煙を続けた者より口腔癌リスクが低くなることを証明した研究はない。

・スヌースと膵臓ガン、心臓血管疾患、糖尿病との関連については今までのところ明確な結論が出ていない。

・現在までに発表された研究結果に一貫した結論が出ていないため、スヌース使用者において膵臓ガン、糖尿病、心臓血管疾患が増える恐れを否定することはできない。

大雑把にまとめると、「スヌースによる健康被害を証明できるような証拠はまだない」ということのようです。

リック・ベンダーという口腔ガンの手術で下顎を切除した男性の写真を紹介しておきます。「スヌース 害」で検索したサイトでは必ずこの人の写真が登場します。

口腔ガンの手術で下顎を切除したリック・ベンダーさん

◆結論=ASHの論文は面白い

健康リスクを評価するにあたって、「科学的な証拠」よりも「政治的な運用」が優先されているということを理解するのが重要だなと納得するような文があったので紹介しておきます。

研究者が無煙タバコ会社あるいはそれより大きなタバコ産業とのつながりを申告しているため、それによって生じうるバイアスにより、スヌース使用に伴う健康リスクについての調査結果の透明度と明確さが損なわれている。タバコ産業の資金援助を受けたあるいはタバコ産業と明確なつながりを持つ研究者が行った研究を真の意味で独立の研究とみなすことはできない。それゆえ、研究結果を慎重に解釈する必要がある。起こりうるすべての健康影響についての理解を今後手に入れるには、スヌース使用がもたらす健康影響を検討するために完全に独立の立場で行われた研究を実施する必要がある。

政府も規制官庁も医療業界も、国民の健康よりも企業との利害関係を優先するものであるということですね。世に溢れる「科学的」とされているもののほとんどは、あくまで「意図的で政治的」な何かだと断言します。

それでは次回お楽しみに!

▼原田卓馬(はらだ たくま)
1986年生まれ。幼少期は母の方針で玄米食で育つ。5歳で農村コミューンのヤマギシ会に単身放り込まれ自給自足の村で土に触れて過ごした体験と、実家に戻ってからの公立小学校での情報過密な生活のギャップに悩む思春期を過ごす。14歳で作曲という遊びの面白さに魅了されて、以来シンガーソングライター。路上で自作のフンドシを売ったり、張り込み突撃取材をしたり、たまに印刷物のデザインをしたり、楽器を製造したり、CDを作ったりしながらなんとか生活している男。早く音楽で生活したい。
ご意見ご感想、もしくはご質問などは?twitter@dabidebowie
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《紫煙革命14》スウェーデンに学ぶスヌース──煙ばかりがタバコじゃない
《紫煙革命13》世界の男女別喫煙率から見えてくるカラフルなタバコ・カルチャー
《紫煙革命12》実録!タバコ工場見学の巻(後編)
《紫煙革命11》実録!タバコ工場見学の巻(前編)
田中俊一委員長自宅アポなし直撃取材を終えて

いつも何度でも 福島を想え! 『NO NUKES voice』Vol.02

 

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