今年、イザイホーが復活するかも知れない、と言われている。知ってほしいような、知ってほしくないような情報だ。
イザイホーが行われてきたのは、久高島。沖縄本島東南端に伸びる知念岬の東に浮かんでいる。周囲8キロの小さな島だ。自転車をこげば、小1時間で島の端から端まで行けてしまう。

琉球の創世神アマミキヨが天から最初に降りたって国造りを始めたとされるのが、久高島だ。
古くから「男は海人(ウミンチュ)、女は神人(カミンチュ)」と言われ、神事を司るのは女性だ。
祭祀が行われる御嶽(うたき)は、男子禁制であり、筆者は入ることができない。ビデオで見たが、原っぱに香炉がポツンと置かれているだけ。古来からの信仰のあり方が守られてきたのだ。

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お正月は気分も一新、何でも願えるいい季節だ。今年はどんな一年になるだろう。初詣に出かけておみくじを引いた人も多いだろう。
おみくじとは、神仏に祈願して吉凶を占うものである。番号を記したたくさんの串が筒の中に入っており、引いた串の番号の札を巫女さんが渡してくれるというのがオーソドックスなスタイルだろう。
大吉から大凶まで、何が出てくるかドキドキわくわくするのも楽しみなものだ。良い札が当たれば前向きな気分で仕事や学業に向えるだろうし、凶の文字が出ればちょっと、いや大いにがっかり、でも書かれているメッセージに気をつけて日々を過ごすように心がけるかもしれない。

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日本人は宗教に対して無節操、無頓着とはよく言われる。というより自分たちで自覚していて冗談にしているぐらいだが、年末年始は殊更感じる。クリスマスを祝って一週間もすると、今度は初詣に出かける。初詣にしても神社に行ったり寺に行ったりと、本当に無節操だ。

「我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです」
芥川龍之介の著書の中に、上記の一文がある。戦国時代に、宣教師としてやってきたオルガンティノの前に現れた老人が語った言葉だ。この国でキリスト教を広めれば、皆帰依する。表面上は。しかしいつの間にか日本のものとして変わってしまう。実に日本人の真理を突いている。昔、中国から伝わった孔子や孟子の教えは、日本人の道徳観の中に入っている。仏教が伝わってきて、皆帰依したはずだった。遅れてキリスト教も入ってきた。江戸以前は大名すら大勢洗礼を受けた。しかし今、この国を支配している宗教は無い。皆八百万の神になってしまう。

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初めて読んだ自叙伝は吉川英治の「忘れ残りの記」だった。中学生の頃だったかと思う。多くの人の例に漏れず「三国志」や「宮本武蔵」に夢中になったが、長編小説はお金がかかるので、短めの本作を図書券で買い、お釣りを小遣いにする意図からだった。

他の吉川作品を読んでも、著者の事は何もわからなかった。中学生でも読みやすい文体から、現代の人だと思っていた。なぜ一度もテレビに出演しないのだろうなどと思っていた。明治生まれの人だということも、自分が生れるずっと前に亡くなっていることもそれまで知らなかった。

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今年の「万年筆の日」(9月23)は、一部で意外な盛り上がりをみせていた。万年筆は文化人の高貴な道具なのであって、パソコンで書くとしても、その前の思案は、やはりブログなどとは違い、紙に書いて思案するとどこか違うのである。SF映画『スターウォーズ』に描かれる、野蛮な銃を跳ね返す騎士の剣というのと同じである。またPKデックのSF小説にも、未来の世界で万年筆を使う文化人という場面がある。

このところ、あらゆる筆記具が、ワープロとパソコンの浸透によって衰退ぎみであると言われている。また、百円均一店の盛況によって、小さな文具店は次々と潰れている。

これは、書店と同じような事情である。雑誌はコンビニやスーパーで買えるし、書籍の注文と購入はネットで早くできる。生き残れるのは品揃えが豊富な大手の書店ばかり。

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