議論を尽くせなかったIPCの個人参加取り消し決定 オリンピック・パラリンピックの意義は? 横山茂彦

「平和の祭典」「障がい者の参加」を謳う、北京冬季パラリンピックが開幕した。いっぽうで、平和の祭典開催中にもかかわらず、ロシアのウクライナ侵攻は止まない。

この問題から、ロシアとベラルーシの選手が国の代表はもとより、個人参加も許されなくなった。IPC(国際パラリンピック委員会)は停戦決議に反したこと、抗議があったので安全な開催を選んだと、その理由に挙げている。

しかし、決定の前日(3月2日)には、いったん個人参加を認めていた。はたして議論を深めた結果なのだろうか。今回の問題の背景と課題を提起しておこう。

ロシアのウクライナ侵攻は、12月3日に国連総会で決議されたオリンピック停戦(開催前後7日間は紛争や戦争を停止する)に抵触する。これは明白な事実である。

この事実をもとに、IPCは国家の枠外での選手の個人参加を認める決定をしたが、一転して個人参加をも禁止したものである。


◎[参考動画]ロシアとベラルーシの選手団 北京パラリンピックへの出場一転不可に IPCが発表(TBS 2022年3月3日)

◆オリンピック休戦

オリンピックが、戦争を停戦(休戦)させる。戦争という究極の国権発動を左右するのだから、オリンピックの存在自体には、きわめて政治的な意味(意義)がある。

もともとオリンピックが古代ギリシャ諸国の、戦争に代わるイベントとして発祥したこと。パラリンピックが負傷兵たちのために、手術よりもスポーツによる回復(リハビリ)をめざしたものである。パラリンピックの起源は、第二次大戦後、イギリスのストーク・マンデビル病院で行われたストーク・マンデビル競技大会とされる。

そうであれば、平和の祭典そのものが戦争に対しては政治的なものと言える。それは同時に、国家の争闘をこえた、個人参加の祭典でもあったのだ。もともとオリンピック・ムーブメントは、個人およびチームによるものだったからだ。

その意味では、最初にIPCが決定した個人参加の承認は、パラリンピックの精神を体現したものだったと言えよう。国旗を掲げず、メダルの数も国別にカウントされない。

しかしそのいっぽうで、ウクライナの記者が会見の時に掲げた、戦禍に倒れた選手の写真は重かった。「もうこの選手はパラリンピックに、永遠に参加できないのです」という主張。いまも戦火のなかで、防空壕のなかに入っている選手がいる事実は、重い主張として突き付けられたのである。

ウクライナほかの選手団が「ロシアの選手と試合はできない」と訴えたことで、IPCは「安全な開催」を名目に、ロシア・ベラルーシの選手の個人参加を取り消したのである。もっともな主張であり、判断であるといえるかもしれない。

◆議論は尽くされたのか?

しかし、なのである。国家の枠をこえて、個人参加しようとした選手たちを、排除していいのだろうか。

オリンピック・パラリンピックの開催地をギリシャ(アテネ)に限定し、国連がIOCに代わって主催者になる、という主張が、このかんのオリンピック弊害にたいして主張されてきた。巨大利権にふくれ上がったIOCに引導を渡せば、次回からでも実現できそうなプランである。

金額的にも施設規模も超巨大化し、主催国の政治的な思惑に従属した開催形式に疑問が提起されてきたのである。もうひとつ、いまだ議論の俎上にのぼっていないが、国別の参加ではなく個人・チームでの参加によって、国家主義・ナショナリズムをも超えられるはずだ。

今回、戦争によって現状変更しようとしたロシアの前時代的なウクライナ侵攻。それを批判する国際的な世論を背景に、IPCは国家の枠をこえた選手の交流を禁じたのである。その意味では、心から同情せざるをえないとはいえ、ウクライナおよびウクライナを支持する人々は、パラリンピックを政治的に利用したのである。すくなくとも、IPCの「事なかれ主義」によって、選手をまじえた議論が尽くされなかったのは事実である。

政治的に利用するのならば、むしろロシアとベラルーシの選手たちを個人参加させ、かれら彼女らに「母国の戦争行為反対」を語らせるほうが、何倍も政治的な効果があったのではないか。今後のオリンピック・パラリンピックのあり方のために議論を提起したい。このことばかりを言いたいために、本稿を起こした。パラリンピック参加選手たちの健闘、ウクライナ情勢の平和的な解決を祈念したい。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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貧困や政治の問題を赤裸々に描く ストリーミングサービス『Netflix』のドラマたち 小林蓮実

広告を挟めば無料から楽しめる『YouTube』、テレビ的に観ることが可能な『AbemaTV』など、インターネット上で鑑賞できる動画には多種存在する。筆者もTV自体はかなり昔に処分して以来、持っていないが、映画、報道、K-POPや韓流ドラマ、DIYを扱ったものなど、さまざまに楽しんでいる。

そのようななか、断続的に利用しているのが『Netflix(ネットフリックス)』だ。今回、最近、話題の2作品について触れてみたい。

◆貧困の問題にまっすぐに向き合ったヒリヒリするような人間ドラマ『イカゲーム』

まず、2021年9月より配信されている、韓国発「サバイバルドラマ」が『イカゲーム(오징어 게임)』。多重債務者や貧困にあえぐ456人が人生を逆転するため、命がけでだるまさんが転んだや型抜き、綱引きや綱渡り、ビー玉や飛び石といった子どもの遊びがモチーフとなっているゲームに参加する。最後まで勝ち残った1人には456億ウォンの賞金が支払われるが、1つひとつのゲームに負ければその場で死ぬことになるのだ。


◎[参考動画]『イカゲーム』予告編 – Netflix

監督・演出・脚本はファン・ドンヒョク。出演はイ・ジョンジェ、パク・ヘス、ウィ・ハジュン、カン・セビョクほか。複数の媒体で監督は背景を説明しているようだが、エンタメ業界紙『The Hollywood Reporter(THR)』の記事(https://hollywoodreporter.jp/interviews/1234/)を引用しておく。「脚本を手に資金集めをしていた時に、全く上手くいかず、漫画喫茶でひたすら過ごしている時期がありあました。そこで、『LIAR GAME』『賭博黙示録カイジ』『バトル・ロワイアル』などのサバイバル系のものや、自分自身も経済的に困窮していた為、借金を抱える主人公が生死を賭けた戦いに挑む様な作品に夢中になりました。本当にそんなゲームがあれば絶対参加して、今の状況から抜け出して大金を手にしたいと考えて没頭していたんです。そんな時にふと思ったんです。『監督なんだからそんな映画を作ってしまえばいいんじゃないか』と」。本作が全世界で公開されると、11月、94か国でランキング1位を獲得。シーズン2の制作も明らかになっている。

わたしが感じたことは、貧困の問題に対し、ある種まっすぐに向き合っているということだ。国内でもおそらく韓国でも、差別的な視線やバッシングはあるだろう。しかし本作では、きれいごとではすまされない現状と、そのいっぽうで人間性や1人ひとりの人間ドラマが描かれている。グロ映像が苦手な人には向かないが、10?20年前くらいには国内でもこのようなヒリヒリするドラマ映画が多数あり、個人的によく観ていた。このような作品が世界で鑑賞されたのは、やはり格差が拡大し、正直者がバカをみるような世界となり、資本主義の限界が露呈し始めたからではないかと考えている。ちなみに、脱北者の女性も登場し、ゲームのなかで特殊な友情を育む。思い入れが強くなった登場人物がゲームに負けたりして命を落とすシーンでは、涙も流してしまうだろう。

◆意味が深い作品だからこそ真摯に対応して手本を示してほしい『新聞記者』の問題

次に注目されたのが、『新聞記者』。19年公開の映画も話題になったが、東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者による同名の著作(角川書店)を原案に、財務省の公文書改ざん事件をモチーフにした社会派ドラマだ。Netflixでシリーズ化され、映画と同様に藤井道人(なおひと)監督が手がけ、やはり全世界で配信された。キャスティングがなかなか絶妙で、米倉涼子さん、綾野剛さん、吉岡秀隆さん、寺島しのぶさん、吹越満さん、田口トモロヲさん、大倉孝二さん、萩原聖人さん、ユースケ・サンタマリアさん、佐野史郎さんなどが名を連ねる。


◎[参考動画]『新聞記者』 予告編 – Netflix

1月18日に『日刊ゲンダイ』(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/300079)は、「Netflix『新聞記者』海外でも高評価 現実と同じ不祥事描写に安倍夫妻“真っ青”』と題し、「海外でも上位に食い込み、香港と台湾の『今日の~』で9位にランクイン(17日時点)。英紙ガーディアンはレビューに星5つ中3つを付け、〈日本が国民の無関心によって不正の沼にはまろうとしつつある国だと示している〉と評価した」と記す。実際に、安倍夫妻が真っ青になったという事実をつかんだという話ではないようだが。

しかし、1月26日付の『文春オンライン』(https://bunshun.jp/articles/-/51663)によれば、プロデューサーの河村光庸氏が2021年末、森友事件の遺族に謝罪していたことが『週刊文春』の記事によって判明。「公文書改ざんを強いられた末に自殺した近畿財務局職員・赤木俊夫さんの妻、赤木雅子さんと面会し、謝罪していた」という。また、「赤木俊夫さんを診ていた精神科医に責任があるかのような河村氏の物言いなど、いくつかの点に不信感を抱いた赤木さんは“財務省に散々真実を歪められてきたのに、また真実を歪められかねない”と協力を拒否」とのことだ。さらに、「2020年8月以降、一方的に話し合いを打ち切り、翌年の配信直前になって急に連絡してきた河村氏に、赤木さんは不信感を強め、こう語ったという。『夫と私は大きな組織に人生を滅茶苦茶にされたけれど、今、あの時と同じ気持ちです。ドラマ版のあらすじを見たら私たちの現実そのままじゃないですか。だいたい最初は望月さんの紹介でお会いしたのだから、すべてのきっかけは彼女です。なぜ彼女はこの場に来ないのですか』 河村氏はこう返すのが精一杯だった。『望月さんには何度も同席するよう頼んだんですが、「会社の上層部に、もう一切かかわるなと止められている」と』」とも記されている。

そのうえ、遺族から借りた遺書を含む資料を返していないという疑惑も持ち上がった。このような状況に対し、『はてなブックマーク』には、「メディアにとって仮パクは当然のことよ。得ダネ関係は他所に資料が渡らないように積極的に仮パクするよ。俺も業界関係の取材受けたとき渡した資料未だに戻ってこないから 探してると返答あってからもう6年経つ」というような反応も寄せられた。

2月8日、望月衣塑子記者はTwitterで、「週刊誌報道について取材でお借りした資料は全て返却しており、週刊誌にも会社からその旨回答しています。遺書は元々お借りしていません。1年半前の週刊誌報道後、本件は会社対応となり、取材は別の記者が担当しています。ドラマの内容には関与していません。」とつぶやいた。しかし、これに対しても、「文春報道から2週間かけてこの回答。借用書がなかったのなら「返したことにするしかない」と決めたとしか思えないね。あれだけ森友に粘着してて、それで押し切るんだな。東京新聞も含め。」というようなコメントが人気を集めていた。

私は取材・執筆をする側が、勇気をふるって行動する被害者を応援しないどころか邪魔をするようなことをおこなうことは誤りだと考えている。新聞などの報道の現場に携わるわけでもないため、批判でなく支援になればとの思いがある場合、原稿内容が妨げとならないか、力となるかを確認してもらっている。そのうえで、問題提起として強い個所が削除になったり、わかりづらい内容になったとしても、当事者の思いを優先するよう心がけているつもりだ。

個人的には、望月記者を信じたい気持ちもある。また、ドラマだからこそ、わかりやすく、広く問題が伝わるという面ももちろんあるだろう。エンターテインメントの力というものも信じている。だが、本作はフィクションであるとうたってはいても、明らかに事実をとりあげているのだ。そして、会社の意向、ドラマ化に携わる側の意向、金のからみなどによって、真実がゆがめられることはよくある。私自身も取材を受け、意をくみ取ってくれて感心したこともあったが、おもしろおかしくされて怒りに震え、びっしりと赤字を入れて原稿を戻したこともある。

いずれにせよ、事実を正直に公開し、関係者は遺族に対して心からの謝罪をしたうえで今後の対応に関する希望を聞き、疑惑を残さずに、この問題を解決してほしい。東京新聞のことも監督のことも信じたい。問題を追及する側だからこそ、真摯に対応し、手本を示してほしいのだ。

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性・オルタナティブ・環境 アクティビスト。月刊誌『紙の爆弾』202年2月号に「北海道新幹線延伸に伴う掘削土 生活も水も汚染する有害重金属」、3月号に「北海道新幹線トンネル有害残土問題 汚染される北斗の自然・水・生活」寄稿。読者のリクエストに応じ、札幌まで足を伸ばしたものなので、ご一読いただけたらうれしい。全国の環境破壊や地域搾取について調べ続けていると、共通の仕組がわかってくる。

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ムエタイの伝統、「戦いの舞い」ワイクルーの存在 堀田春樹

◆ワイクルーの演奏

ムエタイにおける伝統や習慣として、長きに渡り続けられているものが幾つかあります。

波賀宙也は毎度、しなやかにワイクルーを舞う(2021年11月7日)

すでに取り上げたタイオイルもその一つでした。

タイでは試合前の、「戦いの舞い」と言われるワイクルーを踊る儀式があります。

普段からキックボクシングなど観ない一般の方々でも、過去、テレビでワイクルーを僅かながら観たことある人も居るかと思いますが、このワイクルーの起源は1774年、ビルマとの戦争が激化したアユタヤ王朝時代、ビルマに囚われの身となっていたナーイカノムトム戦士が、ビルマ戦士10名と戦い全員を倒し、捕虜の釈放とタイの自由を勝ち取った英雄として、小学校の教科書で紹介されるまでに語り継がれています。

ナーイカノムトムがワイクルーを舞った上で戦ったことから、ムエタイの試合前に必ずワイクルーを舞う伝統となって組み込まれてきました。

“ワイ”は拝むこと。“クルー”は主に先生、師匠を意味します。

ムエタイ試合での演奏をタイ語では、「ピームエ」と言い、ワイクルーの演奏は「ピームエワイクルー」で、試合中の演奏は「ピームエタイ」と言います。

“ピー”とはタイ式のパイプ笛で、「ピーチャワー」と呼ばれる管楽器を指す言葉で、これが中心となる演奏から、太鼓とシンバル(鐘)は省略されたような呼び方になっているようです。楽器隊のことを「ウォンピームエ」と言います。

4名で奏でる楽器隊ウォンピームエ。なぜか私が中央に居たのでボカシました(1990年5月)

◆キックボクシングに於いては

昭和40年代の全日本系(NTV、12ch)ではタイ選手との対戦ではワイクルーの儀式は組み込まれていたと思いますが、大半の日本側は踊らなかったとみられます。日本系(TBS系)ではキックボクシングとしての意地とプライドで特例を除き、ワイクルーは行ないませんでした。

後には日本人で、立嶋篤史がムエタイルールでの試合の際、サムライ風に踊ったこともインパクトを与え、他の日本選手も導かれるよう踊るようになっていきました。

現在のキックボクシング興行では、存在が定着したWBCムエタイや、ラジャダムナンスタジアム、ルンピニースタジアム公認試合等、タイ国発祥か拠点となる組織の認定でない限り、ムエタイルールとセットにする必要はないものの、キックボクシングルールに於いてもワイクルーを行なう場合有り、無しと、その興行主催者次第で何とも曖昧な儀式となっています。

ワイクルーを舞う、以前紹介の小林利典(1994年10月18日)
一般的モンコン。形や色、素材はいろいろ有り
モンコンを着けてロープを跨いで入場、決してくぐらない(1988年11月)

◆モンコンの意味

日本では、戦いのお守りとされているモンコンの扱い方の意味が浸透しないところはありますが、敬虔な仏教徒が多いタイでは、人の頭部は神聖なる魂が宿る部分と考えられている為、頭に着けるモンコンもそれだけ尊重されるもので粗末に扱う選手はいません。女性は触れてはならないもので、ジムや自宅に居る時は高いところに掲げ、選手がリングに向かう際、ジムの会長に祈りを捧げられながら着けて貰います。

その後も可能な限り他の物がモンコンより高い位置になることを避ける為、トップロープを跨いでリング内に入るところを見たことがある人は多いでしょう。決して格好よく入場しようという意図はなく、ロープを潜るのはタイの選手には居らず、日本では知らないか、拘りの無い選手はやってしまいがちです。

試合前のワイクルーを終えた後、祈りを捧げてモンコンを外すまでの役割を果たす会長は、前日から女性には触れないというほど厳しく扱う仕来りもあるようです。

タイでの結婚式で新郎新婦の頭を繋ぐ、製糸の輪っかが「モンコンラチャック」と言われ、モンコンそのものは幸福繁栄、または勝利をもたらす縁起の良いものと解釈されます。粗末に扱えば凶兆をもたらす恐れがあり、勝負事のムエタイで粗末に扱う者など居ないでしょう。

リングに向かう前、師匠が祈りと共にモンコンを選手の頭に捧げる(1995年3月24日)
試合直前、モンコンを外して貰う儀式(2021年1月10日)
四方のコーナーで祈って終わる日本選手は多い(2021年11月7日)

◆ワイクルーを踊る上での配慮

ワイクルーを踊る際はTシャツを着たまま踊らない方がいいと言われます。これはタイでも明確にルールで決まられている訳ではなく、神聖なリング上でのワイクルーに際し、仕来り的に嫌うタイのスタジアム関係者、プロモーターも居るということで、今後のタイでの活動にも不利に導かれないよう礼儀作法にも注意した方がいいでしょう。

昔、藤原敏男さんがラジャダムナンスタジアムでの試合で、ワイクルーが始まり相手が踊り終えるのを待っていたら、レフェリーに「あなたも踊りなさい」と促されているシーンがありますが、外国人から見れば慣れていないワイクルーは、心の準備がなければ、ぎこちない踊りとなってしまいがち。現在でも踊りが苦手な選手は、四方のコーナーへ、ロープ伝いで歩いてワイをして、キャンパスに跪いて三拝して終わるワイクルーが定着しており、簡潔ながらこれでも充分と言えます。

このワイクルーに義務付けられている型はありませんが、原型となる古代ムエタイから進化・変化していく中で、地方の伝統が特徴となるスタイルが定着している場合もあるようです。

タイ国の文化風習には外国人には理解し難い部分は多いものの、それぞれに深い意味があるもので、ムエタイ本場の仕来りに従うことなど学ぶべきところはしっかり学んでおきたいものです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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ムエタイの隠し味 “ナンマンムエ” 堀田春樹

◆試合の友“ナンマンムエ”

本場ムエタイや日本でもキックボクシングの会場に来れば何となく漂う香り。更に控室まで足を運べば分かる独特の匂い。大方の選手が使う、タイオイルという身体に塗るタイ製スポーツオイルがあります。

“タイオイル”はタイ語では発音上、カタカナ表記すれば、“ナンマンムエ”。文字から読めば“Namman Muay ナーム・マン・ムエ”。 “ナーム・マン”に当たる言葉が“油”を意味し、“ムエ”はボクシングを意味します。これが多くの選手が洗脳されていく魔法のオイルなのである。

タイオイルを擦り込む。名チャンピオンは名トレーナー、ガイスウィット(左)は上手かった(1991年4月21日)

◆マッサージ効果

試合準備に際し、前の試合が早いラウンドでの決着も大いに有り得るので試合時間に余裕を持って準備に掛かり、トレーナー等セコンド陣にタイオイルを身体に擦り込んで貰うことになります。

ムエタイマッサージは、元・選手等の腕力あるトレーナーが、うつ伏せに寝た選手の背中と脚、仰向けに寝た胸、腹と脚を強い握力でタイオイルを擦り込んだり、体重掛けてグイグイ圧したりするので、見た目には凄く気持ち良さそうである。でも揉むのではなく擦り込むのが正しいらしい。

「ムエタイ選手は試合準備に掛かると、バンテージを巻いてタイオイルでマッサージされたら、“痛い”という概念を失くしてしまうんだ。だから怪我したことも忘れるし、どんなに強いパンチや蹴り、ヒジ打ちやヒザ蹴りを食らっても我慢することが出来る。経験を積んでくると皆そうなるよ!」というタイのベテラントレーナーの名言である。

試合前の緊張の中、最もリラックスできる束の間かと見えるも、選手側はタイオイルを全身に擦り込まれると皮膚表面がカーッと熱くなり、「これから闘いに臨むのだ!」と闘争心が湧くと言います。

経験者の話では、タイオイルでマッサージ後、手に取れる多めのワセリンにちょっとだけタイオイルを混ぜて、 身体をピカピカに輝かせる為に、更に塗り込むように軽くマッサージするという隠し技もあるという。皆やるから隠し技とはならないが、これで相手の前蹴り等を滑らせる。その為、ムエタイ選手の前蹴りは、トランクスのベルト部分を狙うようになったという説もあるようです。

この後、顔にワセリンを塗って貰い、試合前最後のトイレに行き、トレーナーにノーファールカップを強烈にズレないように縛り付けて貰い、オーナーが祈りを込めながら頭にモンコン、腕にパー・プラチアット(いずれも日本式に言えば御守り)を授け、ガウンを纏うと選手はもう逃げられない(逃げる奴はいない)、行く道は特攻のリングのみとなります。

この刺激強いタイオイルは皮膚の弱い顔と脇の下と股間には塗らないよう注意が必要で、タイオイルをちょっとでも触れた手で、トイレに行って小便を済ませた後に、数分後から試合中までオチンチンがヒリヒリするという経験をした選手も居ることでしょう。

イタズラでワザと股間に垂らした意地悪なトレーナーを目撃したことありますが、「焼けるように熱くて、試合後に見たら先っぽが火傷みたいに爛れていました。」と話す選手もいました。

目に入ると瞼が開かないほど強烈な傷みに襲われるので、顔にタオルを掛けてマッサージを受ける場合も見受けられます。皮膚が弱い選手やアトピー性皮膚炎を持つ選手は使わず、ワセリンだけで済ませるようです。

旧・ルンピニースタジアムの控室スペースでのタイオイルマッサージ。長年タイオイルが染み着いた木の台も名物である(1992年9月15日)

◆ルール的には……

一般用クリームタイプ

タイオイルはムエタイ試合で使用するオイル版と、一般人でも打ち身や筋肉痛などに効果的なクリーム版があります。昔はガラス瓶のオイル版しかなく、各スタジアムやムエタイ用品店に売っていたが、ムエタイ人気が国際的になってきて、外国人が絡むムエタイイベントの際には積極的な売り込みがあったと言われます。現在もタイのどこの薬局にも売っています。

記載されている内容物はクリーム版(100g)で 75バーツ(約250円)。
サリチル酸メチル 10.20%、メンソール 5.44%、オイゲノール 1.36%。

オイル版(普通サイズ瓶120cc) は88バーツ(約293円)。
サリチル酸メチル 31.0%、メンソール 1.0%、オイゲノールは未記載。

[左]古き時代のガラス瓶タイオイル。[右]最近のタイオイル

タイオイルの歴史は製造会社の創業から見て90年ほどのようです。昔の名選手も現役時代はしっかり使っていたようで、戦後、スタジアム建設と共に普及して来たのものと考えられます。

日本でのキックボクシング興行では大概がタイオイルの使用は可能です。元々ムエタイから取り入れたもので、キックボクシングでは細かいルールは無く、禁止とは成り難いでしょう。しかし、K-1などのビッグマッチ興行に於いては「もしかしたらタイオイルは使用禁止かもしれない」という覚悟を持つ選手とその陣営も居るようです。

タイ陣営の場合、ベテラントレーナーやプロモーターは「タイオイル禁止だったら、試合しなくていい!」と出場拒否、即刻帰国すら念頭に置いているプライド高い重鎮も居るようです。

その試合ルールではなく、過去に会場の都合という場合がありました。結婚披露宴や各種会合パーティーが通常のセレモニーとする会場ではタイオイル禁止だったりします。床の絨毯が汚れたり、臭いが取れない、修復が高額になるなどの事情。それは前もって知らされるも、選手にとっては「普通の体育館使ってくれ!」と願うことでしょう。

プロボクシングでは身体に塗る物はワセリン以外は使用禁止。細部まで徹底した項目があるのが厳格な競技の証ではあるが、寛容な例外も少々あり(入れ墨対策等)。

かつて1984年(昭和59年)の話であるが、タイオイルを塗ったら、控室を覗いたファイティング原田さんに「何だこの匂い、臭いな!」と言われたことがある、プロボクシングへ転向した元・キックボクサーが居たが、おそらくJBCから完全な拭き取りを命じられたことでしょう。

手慣れた陣営がタイオイルを擦り込むマッサージ(1989年1月9日)

◆蘇える闘争本能

知らないで間違った使い方していたとか、塗る際にやるべきこと、やらない方がいいこと、そんな効力があるのかといった意見は、あまりタイ選手や経験豊富な先輩から見たり聞いたりした経験が無い選手や、トレーナー等が改めて知ること多い奥深さもあるようです。まだ経験浅い人は、ベテランから教わっておくことは必要でしょう。

選手には好まれるタイオイル。セコンド陣もその効能を分かっている上、しっかりタイオイルに触れる立場だが、関係者がスーツ姿や高級鞄を持ったまま控室を訪れる際は注意が必要。うっかりタイオイルの零れた台に座ったりしないこと。つい付着してしまった場合、拭い取ったぐらいでは臭いやベトベト感が落ちないのである。

選手に近づいた際、メンソール系の匂いがしたらそれはタイオイル。「何だこの匂い、臭いな!」とは言わず、興味があったら一度買って、選手になった気になって塗ってみるのも面白いでしょう。引退した選手もタイオイルは想い出深い存在のようです。あの匂いを嗅ぐと試合前の控室からリングに向かう道が思い浮かび、闘争本能が蘇ってくるという経験者は多く、潜在意識には一生残ることでしょう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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天皇制はどこからやって来たのか〈43〉どうなる女性天皇容認議論 横山茂彦

◆愛子内親王が成人し、高まる皇位継承の可能性

昨年暮れに、皇室のあり方を議論する政府の有識者会議(清家篤元慶応義塾長座長)が政府に報告書(最終答申)を上げた。※関連記事(2021年回顧【拾遺編】)

答申それ自体は、女性天皇や女系天皇といった、国民の関心事には触れることなく、女性皇族が結婚後も身分上皇室にとどまる。旧宮家の男性を皇室の養子として皇族化するという、きわめて実務機能に即したものだった。

「国民の関心事」とわざわざテーマを挙げたのは、いうまでもなく愛子内親王が成人し、皇位継承の可能性に関心が高まっているからにほかならない。

女性天皇を認めるか否か。この問題は国民の関心事であるとともに、反天皇制運動にも大きな影をおよぼしてきた。すなわち、天皇制を批判しつつも女性天皇の誕生に期待する、フェミニズム陣営の議論である。天皇制の是非はともかく、明治以降の男性優位が継続されているのは、女帝が君臨した皇統史に照らしてもおかしいではないか。というものだ。


◎[参考動画]愛子さま成年行事 ティアラ姿を披露 今月1日 二十歳に(TBS 2021/12/5)

じつは上記の有識者会議でも、女性天皇を容認する発言は多かったのだ。

「政府は(2021年4月)21日、安定的な皇位継承策を議論する有識者会議(座長・清家篤前慶応義塾長)の第3回会合を開き、歴史の専門家ら4人からヒアリングを実施した。女性天皇を認めるべきだとの意見が多数出たほか、女性皇族が結婚後も皇室に残る『女性宮家』の創設を求める声も上がった。」(毎日新聞(共同)2021年4月21日)

そして議論は、女性天皇容認にとどまるものではなかった。女系天皇の容認も議論されてきたのだ。

「今谷明・国際日本文化研究センター名誉教授(日本中世史)は、女性宮家に関し『早く創設しなければならない』との考えを示した。父方が天皇の血筋を引く男系の男子に限定する継承資格を、女系や男系女子に広げるかどうかの結論を出すのは時期尚早とした。
 所功・京都産業大名誉教授(日本法制文化史)は男系男子を優先しつつ、一代限りで男系女子まで認めるのは『可能であり必要だ』と訴えた。
 古川隆久・日大教授(日本近現代史)は、母方に血筋がある女系天皇に賛成した。女性天皇は安定的な継承策の『抜本的な解決策とならない』と指摘しつつ、女系容認とセットなら賛同できるとした。
 本郷恵子・東大史料編纂所所長(日本中世史)は女系、女性天皇いずれにも賛意を示した。『近年の女性の社会進出などを考えれば、継承資格を男子のみに限ることは違和感を禁じ得ない』と主張した。(共同)

◆自民党内でも女性天皇容認論という保守分裂の構造──「超タカ派」高市早苗の場合

女系天皇・女性天皇容認の動きは、研究者の議論にとどまらない。いまのところ、保守系の運動として公然化しているのが下記の団体である。

◎女性天皇を支持する国民の会 https://blog.goo.ne.jp/jyoteisiji2017

ここにわれわれは、明らかな保守分裂の構造を見てとれる。保守系の動きは「ブルジョア女権主義」、あるいは単純な意味での皇室アイドル化の延長とみていいだろう。いっぽうで、男系男子のみが皇位を継承すべきという保守系世論は根強い。

そんな中で、自民党内から女性天皇容認論が脚光を浴びている。超タカ派と目される、高市早苗である。

「高市 私は女性天皇に反対しているわけではありません。女系天皇に反対しています。女性天皇は過去にも推古天皇をはじめ八方(人)いらっしゃいましたが、すべて男系の女性天皇(天皇が父)です。在位中にはご結婚もなさらず、次の男系男子に皇位を譲られた歴史があります。男系による皇位の継承は、大変な工夫と努力を重ねて連綿と続けられてきたものであり、その歴史と伝統に日本人は畏敬の念を抱いてきました。」(2021年12月10日=文藝春秋2022年1月号)

◆皇統の危機は、女系においてこそ避けされてきた

本通信のこのシリーズでは、女系天皇の存在を古代女帝の母娘(元明・元正)相続、王朝交代(応神・継体)において解説してきた。じつは女系においてこそ、皇統の危機は避けされてきたのだ。

◎[関連記事]「天皇制はどこからやって来たのか〈09〉古代女帝論-1 保守系論者の『皇統は歴史的に男系男子』説は本当か?」2020年5月5日 

◎[関連記事]「天皇制はどこからやって来たのか〈14〉古代女帝論-6 皇統は女性の血脈において継承された」2020年8月16日 

管見のかぎり、この立論に正面から応える歴史研究は存在しない。つまり、男系論者は「定説」「通説」の上にあぐらをかき、まともな議論をしていないのだ。いや、歴史上の女帝の数すら間違えている。高市の云う「八方」ではなく「9人」なのだ。

◎[関連記事]「天皇制はどこからやって来たのか〈17〉古代女帝論-9「八人・十代」のほかにも女帝がいた!」2020年9月27日 

ところで、冒頭にあげた「女性天皇容認論」を具体的に言えば、保守系の「愛子さまを天皇に」という運動と交差しつつ、いわゆるブルジョア的女権論であるとともに、天皇制の「民主化」を結果的にもとめるものとなる。

天皇制廃絶を主張する左派からは「天皇制を容認した議論」と批判されるが、沖縄基地を本土で引き受けて沖縄の負担を軽減する、オルタナティブ選択と同じ発想である。沖縄米軍基地を本土誘致することが、基地を容認した運動だと批判されているのは周知のとおりだ。

しかしながら、天皇制廃絶論が具体的なプロセスを示し得ないように、辺野古基地建設(海底地盤の軟弱性)の可能が乏しくても、反対運動が建設を阻止しえていない。したがって、基地建設阻止の展望を切り拓けないのである。そこで本土誘致という、新たな選択が提案されてきたのだ。

「天皇制廃絶」や「米軍基地撤去」は、残念ながらそれを念仏のように唱えているだけでは実現しない。対する「女性天皇容認」や「基地を本土へ」は、微動だにしない現状を、少しでも動かす可能性があるといえよう。

女性天皇容認もまた、天皇制の「民主化」によってこそ、天皇制の持っている矛盾を拡大させ、天皇制不要論に至る可能性がひらけるといえよう。

その現実性は、ほかならぬ高市の発言にも顕われている。

「よく『男女平等だから』といった価値観で議論をなさる方がいらっしゃいますが、私は別の問題だと思っています。男系の祖先も女系の祖先も民間人ですという方が天皇に即位されたら、『ご皇室不要論』に繋がるのではないかと危惧しています。『じゃあ、なぜご皇族が特別なの?』という意見も出てきてしまうかもしれません。そういう恐れを私はとても強く持っています。」

そのとおり、女系・女帝を現代に持ち込むことは、なぜ皇室が存在するのかという問題に逢着するのだ。それは天皇制の崩壊に道をひらく可能性が高い、と指摘したい。
愛子天皇の賛否について、世論調査を様々な角度からとらえたサイトを紹介して、いまこそ国民的な議論に付すべきと指摘しておこう。(つづく)

『愛子さま 皇太子への道』製作委員会「世論調査に見る女性天皇・女系天皇への支持率」

◎連載「天皇制はどこからやって来たのか」http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=84

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

「生命」が輝いていた日々 田所敏夫

生きた。生き抜いた。それだけで充分価値があった。生き抜いた「生命」はもちろんのこと、残念ながら生物的には終焉を迎えた人々の「精神」にすら、それが輝いていた日々を思い起こせば「充分価値があった」のだ。

希薄で触感に乏しく、手で触っても質感・凹凸すらを感じない。色は不明確で、匂いもしない。それがこの時代の主流派(メインストリーム)の共通項だ。地球温暖化のために「脱炭素社会」を目指す一団であったり、「SDGs」とかなんとかいう国際的欺瞞を堂々と掲げている連中は全員その一味だと考えていい。

「新自由主義」は金融資本がやりたい放題狼藉を働くために、「米国流」と称する基準の世界への押し付けじゃないのか、と目星をつけていたが、「新自由主義」もどうやら質的変化を遂げたようだ。その正体、曖昧ながら反論を封じる回答が「SDGs」ということのようである。

近年耳にしなくなったが、「南北問題」という設問(あるいは課題)があった。地球の北側に裕福な国が集まり、おしなべて南側のひとびとは貧しいこと、を指す言葉だ。「南北問題」は解決したわけではまったくない。問題の位相が南北だけではなく、東西にも広がり尽くし「北側」の国の中にも貧困がどんどん拡大しつつある。「グローバル化」を慶事の枕詞のように乱発した連中は、相変わらず同じ題目を唱え続けているのだろうか。「南北問題」つまり「階級格差」の世界的拡大こそが、今日の困難を端的に指し示すひとつのキーワードであろう

その端では「国連」をはじめとする国際機関が、中立性や科学を放棄し、目前の銭勘定や政治に翻弄される姿も顕在化する。ほかならぬ「災禍の祭典」東京五輪を控えて、「わたしは五輪終了まで一切五輪についてコメントしない」と勝手にみずからを律した。

ここで多言を要せずとも、「東京五輪」がもたらした「返済不能」な負債は、財政問題だけではないことはご理解いただけよう。コロナウイルス猛烈な感染拡大の中、開催された「東京五輪」は、開催直前にIOCの会議にWHOの事務局長が出席するという、わたしの語彙では説明ができない狼藉・混乱の極みと、価値の喪失を堂々と演じた。ここでバッハであったり、テドロス・アダノムといった個人名を取り上げてもあまり意味はない。「五輪」をめぐる利益構造への洞察と徹底的な批判だけが言説としては有効だと思う。

「東京五輪」は単に災禍であった。あれを「それでもアスリートの姿に感動した」などと評する人がいるが、社会を俯瞰する視野をまったく持たない悲しい輩である。

選手村の食事が大量に捨てられたことが報道されたようだが、そんなことは当然予想された些末な出来事の「かけら」に過ぎず、小中学校の運動会が規制され、修学旅行が取りやめになるなかでも「世界的な大運動会」を恥じることなく行ったのが、「日本という国」であり、「東京という都市」だ。「レガシー」という言葉を開催のキーワードに使っていたようだが、資本の論理で巨大化したIOCと称するマフィアは、健康や感染症の爆発的拡大と関係なく「五輪」を今後も開きつづける、と「東京五輪」開催で高らかに宣言をしたのだ。それが連中の「レガシー」だ。

WHOもIOC、国連。一切が利権により不思議な律動を奏でる今日の世界。液晶の向こうには何でもありそうで、本当はなにもない日常。「繋がっていないと不安」な精神は逆効果として個人の精神をますます蝕み「繋がること」と「疎外」が同時に成立する不可思議。なにかの「終焉」が足音を早めると感じるのはわたしだけだろうか。

生きた。生き抜いた。それだけで充分価値があった。生き抜いた「生命」はもちろんのこと、残念ながら生物的には終焉を迎えた人々の「精神」にすら、それが輝いていた日々を思い起こせば「充分価値があった」のだ。

本年も「デジタル鹿砦社通信」をご愛読いただき、誠にありがとうございました。2022年が読者の皆様にとって幸多き年となりますよう、祈念いたします。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年1月号!
〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

2021年回顧【拾遺編】天皇制・工藤會・三里塚…そして1971年の記憶 横山茂彦

◆天皇制と皇室はどう変わってゆくのか?

眞子内親王が小室氏と結婚し、晴れて平民となった。小室氏が司法試験に失敗し、物価の高いニューヨークでは苦しい生活だと伝えられるが、それでも自由を謳歌していることだろう。

小室氏の母親の「借金」が暴露されて以来、小室氏側に一方的な批判が行なわれてきた。いや、批判ではなく中傷・罵倒といった種類のものだった。これらは従来、美智子妃や雅子妃など、平民出身の女性に向けられてきた保守封建的なものだったが、今回は小室氏を攻撃することで、暗に「プリンセスらしくしろ」と、眞子内親王を包囲・攻撃するものだった。

ところが、これらの論難は小室氏の一連の行動が眞子内親王(当時)と二人三脚だったことが明らかになるや、またたくまに鎮静化した。眞子内親王の行動力、積極性に驚愕したというのが実相ではないだろうか。

さて、こうした皇族の「わがまま」がまかり通るようになると、皇室それ自体の「民主化」によって、天皇制そのものが変化し、あるいは崩壊への道をたどるのではないか。保守封建派の危機感こそ、事態を正確に見つめているといえよう。

年末にいたって、今後の皇室のあり方を議論する政府の有識者会議(清家篤元慶応義塾長座長)の動きがあった。

有識者会議は12月22日に第13回会合を開催し、減少する皇族数の確保策として、女性皇族が結婚後も皇室に残る案と、戦後に皇籍を離脱した旧宮家の男系男子が養子縁組して皇籍に復帰する案の2案を軸とした最終答申を取りまとめ、岸田文雄首相に提出したというものだ。

女性皇族の皇籍はともかく、旧宮家の男系男子が養子縁組して皇籍に復帰という構想は、大いに議論を呼ぶことだろう。

それよりも、皇族に振り当てられている各種団体の名誉総裁、名誉会長が本当に必要なのかどうか。皇族の活動それ自体に議論が及ぶのでなければ、単なる数合わせの無内容な者になると指摘しておこう。

[関連記事]
眞子内親王の結婚の行方 皇室の不協和こそ、天皇制崩壊の序曲 2021年4月13日
眞子内親王が『越えた一線』とは何なのか? 元婚約者の反撃による、筋書きの崩壊 2021年4月19日
「皇族スキャンダル」から「世紀の大恋愛」に 2021年9月3日 
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天皇制はどこからやって来たのか〈42〉『愛国』的な国民とマスメディアの結託による皇室批判・皇族女性バッシングの猛威が孕む〈天皇制の否定〉というパラドックス 2021年10月30日 

◆工藤會最高幹部に極刑

工藤會裁判に一審判決がくだった。野村悟総裁に死刑、田上不三夫会長に無期懲役であった。弁護団は「死刑はないだろう」の予測で、工藤會幹部は「無罪」「出所用にスーツを準備」だったが、これは想定された判決だった。

過去の使用者責任裁判における、五代目山口組(当時)、住吉会への判決を知っている者には、ここで流れに逆行する穏当な判決はないだろうと思われていた。

福岡県警の元暴対部長が新刊を出すなど、工藤會を食い扶持にしている現状では、警察は「生かさず殺さず」をくり返しながら、裁判所はそれに追随して厳罰化をたどるのが既定コースなのである。

いわゆる頂上作戦は、昭和30年代後半にすでに警察庁の方針として、華々しく掲げられてきたものだ。いらい、半世紀以上も「暴力団壊滅」は警察組織の規模温存のための錦の御旗になってきたのである。

たとえば70年代の「過激派壊滅作戦」は、警備当局によるものではなく、もっぱら新左翼の事情(内部ゲバルト・ポストモダン・高齢化)によって、じっさいにほぼ壊滅してしまった。この事態に公安当局が慌ててしまった(予算削減)ように、ヤクザ組織の壊滅は警察組織の危機にほかならないのだ。

いっぽう、工藤會の代替わりはありそうにない。運営費をめぐって田上会長の意向で人事が動くなど、獄中指導がつづきそうな気配だ。

[関連記事]
《深層詳報》五代目工藤會最高幹部裁判の福岡地裁「極刑」判決が意味するもの[前編] 4つの事件の軌跡 2021年8月25日 
《深層詳報》五代目工藤會最高幹部裁判の福岡地裁「極刑」判決が意味するもの[後編] 「暴力団」は壊滅できるのか? 2021年8月26日 

◆三里塚空港・歳月の流れ

個人的なことで恐縮だが、われわれがかつて「占拠・破壊」をめざした成田空港の管制塔が取り壊された。歳月の流れを感じさせるばかりだ。

[関連記事]
三里塚空港の転機 旧管制塔の解体はじまる 2021年3月25日

◆続く金融緩和・財政再建議論

今年もリフレに関する論争は、散発的ながら世の中をにぎわした。ケインズ主義者が多い経産省(旧経済企画庁・通産省)から、財務相(旧大蔵省)に政権ブレーンがシフトする関係で、来年も金融緩和・財政再建の議論には事欠かないであろう。

[関連記事]
緊縮か財政主導か ── 財務次官の寄稿にみる経済政策の混迷、それでもハイパー・インフレはやって来ない 2021年10月16日

◆渾身の書評『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』

年末に当たり、力をこめて書いた書評を再録しておきたい。

他の雑誌で特集を組む関係で、連合赤軍事件については再勉強させられた。本通信の新年からは、やや重苦しいテーマで申し訳ないが、頭にズーンとくる連載を予定している。連合赤軍の軌跡である。請うご期待!

[関連記事]
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈1〉71年が残した傷と記憶と 2021年11月24日
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈2〉SM小説とポルノ映画の淵源 2021年11月26日
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈3〉連合赤軍と内ゲバを生んだ『党派至上主義』2021年11月28日
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈4〉7.6事件の謎(ミステリー)──求められる全容の解明 2021年11月30日

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年1月号!

《書評》『ヤングケアラー 介護する子どもたち』家族に過剰にケアを押し付ける新自由主義をやめ、当事者の想いの受容ときめ細かな支援を さとうしゅういち

大手のマスコミが社会の木鐸としてきちんと機能し、いままで埋もれていた問題に光を当てて政府や自治体を大きく動かした。最近、こういう例は少ないように思えます。

 
毎日新聞取材班『ヤングケアラー 介護する子どもたち』毎日新聞出版

しかし、その例外といえるのが、今回ご紹介する、「ヤングケアラー」問題における毎日新聞取材班の活躍ではないでしょうか? 今回の書籍のもととなった、毎日新聞連載「ヤングケアラー幼き介護」は第25回新聞労連ジャーナリズム大賞を受賞しています。

◆統計さえなかったヤングケアラー

ヤングケアラーは法令上の定義はありませんが、一般に、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どもとされています。

ケアの負担が重くなると、学業や友人関係、就職などにも悪影響を及ぼし、時にはその子の人生を大きく左右してしまうケースもあります。いっぽうで、「親孝行な子」「きょうだいの仲がいい」などと言われて「支援の対象」とは認識されなかった面があります。しかし、毎日新聞取材班が取材を始めるまでは、統計さえなかったのです。

統計を目的の数字を得るために、調査票レベルから再集計してもらうオーダーメイド統計という制度があります。取材班はこれを活用して、就業構造基本調査を再集計してもらい、2017年に3万7000人の15-19歳のヤングケアラーがいる、ということをつかみ、2020年3月に報道しました。

◆知事と議会がねじれの埼玉県が先行、そして国も動き出す

取材班のねばりつよい報道の中で、国も重い腰を上げて調査に乗り出します。2021年4月に公表された調査では中2の5.7%、高2の4.1%が世話をしている家族がいる、と回答しています。これにもとづき、政府も支援策を打ちだしはじめました。(※ヤングケアラーについて

いっぽう、埼玉県では国より一歩先に調査を行いました。回収率86.5%のアンケートで高2の4.1%がヤングケアラーであることがわかりました。なお、これは、国と違って、「(疾病や障害のない)きょうだい」のケアを抜いた数字です。きょうだいのケアでも負担が過重になれば学業などに問題が出てきます。

ちなみにこの埼玉県では家族を介護する人を支援するケアラー支援条例が野党共闘推薦の大野知事に対する野党・自民党(県議会では多数派)の提案により2020年3月議会で成立しました。知事に対する独自性を見せようとする埼玉自民党の戦略ではあります。しかし、こういう議会と知事のねじれの状況だからこそ、施策が進んだということは興味深く感じました。

◆当事者の想いも多種多様 受容の上できめ細かな対応を

ここで、気をつけたいのは、当事者の想いも多種多様であるということです。埼玉県の調査でもヤングケアラー該当者の38.2%が必要な支援は「特にない」ということです。「本当に大変な人はそっとしておいてほしい」という自由記入がそれを物語っています。

大人といえば、学校の先生を筆頭に、「上から管理」してくるもの。いわゆるブラック校則などを背景にそういう認識が日本の子どもの間で強いのは当たり前です。大人を警戒してしまう気持ちもわかります。

これまで、「家族のケアを理由に遅刻・欠席しても、先生に怒られるだけだった」という人。他方できょうだいをケアすることで「えらいね」とほめられた経験が強い人。いろいろいらっしゃいます。急にいまさら「大変だ」と大人に騒がれても白けてしまう気持ちはわかります。

また、本書にもありましたが、精神疾患を持つ親族をケアしている場合は、とくに支援をもとめにくい状況があります。精神疾患は恥ずかしいことではない、という文化を根付かせていくことも大事であると痛感しました。わたしたち介護・福祉職も高齢者やおとなの障害者相手なら「受容」(まず話を聞いて受け入れる)よう叩き込まれていても、子ども相手ではついつい上から目線になってしまいがちかもしれない。

イギリスは家族を介護する人を大人も子ども関係なく支援する仕組みが充実している国です。そのイギリスでは、ヤングケアラーのイベントがあり、医療・福祉行政担当者に直接要望する場があるそうです。

まずは、話を聞いてもらいやすい環境を整えた上で、教育や医療・福祉関係者が連携しての個人にあわせたきめ細かな支援ではないでしょうか?

◆10年前以上前からケアラー支援法は筆者の公約

わたくし・さとうしゅういちは、2011年、県庁を退職してあの河井案里さんと対決するため、立候補した県議選でイギリスの介護者支援法を参考に「家族を介護する人を応援する基本条例(基本法)」制定をおそらく、広島県内の候補者でははじめて公約としました。

まず、基本法をつくり、高齢者や障害者など要介護者だけでなく、家族を介護する人も支援するような福祉サービスのあり方をつくっていく。気軽に相談しやすい仕組みをつくっていく。こうしたことを構想していましたし、今後も政府の施策の改善点の提案を中心に取り組んでいきたいと思います。

◆ケア負担を家族に過剰に抱え込ませる新自由主義の打破を

介護保険制度を担当する広島県庁マンだった時代から、ケアに対する社会的評価が低いこと、それと連動して、家族で抱え込んでしまう傾向が強いことに危機感を覚えていました。

子育てから介護まで「嫁」(現役世代女性)に全てを抱え込ませることを前提としてきたといっても過言ではありません。それと連動して、介護や保育などの労働者は「女の仕事」として低賃金に据え置かれてきました。

最近では、諸外国にくらべればまだまだとはいえ、男女平等も進んできています。また、家族の人数も減少している。そういう中で、「嫁(母親)にすべてを抱え込ませる」状況は崩れている。しかし、妻を介護する側に回った男性が悩んだあげくに妻を殺してしまう事件は当時から広島市内でも頻発しています。あるいは、母親もハードワークせざるを得ない低所得者層を中心に、子どもにしわ寄せがいく例も多くなっていると推察されます。

昔は、大手企業男性正社員世帯主を前提に嫁・妻・母親たる現役世代女性にケアをすべて抱え込ませる家族の在り方を前提に家族に過剰にケアを抱え込ませる社会の仕組みでした。そういうあり方がたちゆかなくなっていることからこの20-30年近く、目をそらし、家族に過剰に抱え込ませるような仕組みを温存してきたことが、男性介護者による妻殺害やヤングケアラー問題として噴出しているとも感じます。

なお、「大阪維新」の政治家などの中には旧来型政治への批判を装い、「日本はシルバー民主主義でけしからん! 高齢者サービスを削って若者優先を!」という趣旨の扇動で一定程度成功している方もおられます。しかし、高齢者サービスを削ることは、逆に高齢者の家族であるところの若者を追い込んでしまうのです。維新の世代間闘争に見せかけた家族への過剰なケア負担の押し付けは岸田自民党以上に危険です。

当面は、財政出動によるサービス充実、そして中長期には、コロナ災害の下でも過去最高益を出しているような超大手企業や超大金持ちの方々に適切にご負担いただくことでサービスを増強するよりないでしょう。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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玄界灘の向こうから考えてもらった衆院選 ── 平壌からの手紙 LOVE LETTER FROM PYONGYANG〈5〉 小林蓮実

平壌「日本人村」から、「手紙」の執筆者は魚本さん以外でもいいのか、という相談が以前あり、もともと私はみなさんが代わるがわる書くものと考えていたと回答。このやりとりが手紙らしくなるまでまだ時間はかかりそうだが(苦笑)その後、よど号メンバー・現リーダーの小西隆裕(こにしたかひろ)さんから「デジタル鹿砦社通信 小西ラブレターです」の件名でメールが届く。彼らとの往復メールの前回・第4回のテーマは「『デジタル化』を口実に情報をアメリカに売り渡し、権力を乱用するのか」とした。今回・第5回は私から、10月31日に投開票された衆院選をテーマとしてリクエストしておいたのだ。

「コロナの中、お元気ですか。こちらは、ゼロコロナ。皆、歳の割には元気でおりますから、ご安心ください。総選挙に関する原稿を書きましたので送ります。お役に立てれば幸いです。」とのこと。役立つかどうかをあてにしているわけではないが、私が読者のプラスになるようにまとめる責務はあるだろう。たとえそれが成功しなくても許してほしい。

大同江(だいどうこう/テドンガン)を背景に、平壌「日本人村」事務所のベランダに立つ小西隆裕さん。遠くに対岸の農場が遠望できる。今週は暖かいそうで、雪はなし。このベランダからは夜間、満天の星を楽しめる。

◆「先の総選挙、野党惨敗の根因を問う」 小西隆裕

よど号メンバー・現リーダーの小西隆裕さん

「この国の民はどうしてこうなのか」。先の総選挙結果に接しながら、こうした思いが頭をかすめた識者は少なくなかったのではないか。

しかし、「民」としては、そう言われても立つ瀬がないのではないかと思う。何しろ各党が言っているのを聴いても、皆同じようで、どこを選んでよいか分からなかったのだから。実際、玄界灘を超えた彼方から見ても、与野党どこも、代わり映えがしなかった。

政権交代を目指すのなら、与党との対決点が明確なその目的がはっきりと示されなければならなかったのではないか。

ところが、それがどうも見えてこない。これでは、野党候補を一本化しても、数合わせのための野合だという誹謗中傷が正当性を持ってしまう。

どんなに主義、理念が違っても目的が一致しているなら、いくらでも共闘できる。そのような誰もが納得する政権交代の目的を打ち出し、それを与党との闘いの争点にすることができなかったことに最大の問題があったのではないだろうか。

なぜそうすることができなかったのか。それはそれだけ、彼ら野党が国民の生活と運命に切実でなかったからだと言わざるを得ない。

もし彼らがそれに切実で、国民と一体になっていたなら、それを反映する政権交代の目的を野党共闘の統一した政策として提示することができていたに違いない。

自らの足腰を強くする前に、何よりもまず、国民の意思と要求を反映した路線と政策を政権交代に向けた野党連合統一の目的として掲げるために、野党はもっと国民大衆の中に深く入ることが問われているのではないだろうか。

それともう1つ、日本において国民の生活と運命に切実であろうとするなら、与党自民党政権の背後にいてそれを動かしている米国の動きにも無関心ではいられないはずだ。しかし、それがよく見えてこない。政権交代の目的にもそれが全く反映されていない。

メディアなどの宣伝によって国民の意識から「米国」が消されてしまっている中、この「タブー」に野党が挑戦しないのは、正しい判断なのか。

国民の意識にないからこそ、野党は米国が今、その最前線に日本を押し立ててきている「米中新冷戦」が「日米新時代」のかけ声とともに、日本を米国に吸収統合しようとしてきている事実などに基づき、岸田政権がまさにそれを遂行する「新冷戦体制」づくりのための政権であることなどを明らかにしながら、それに反対する闘いの路線と政策を掲げていくべきだったのではないだろうか。

国民は、広くこのことの本質を受け止め、賛同してくれるのではないだろうか。

私は、この辺りに先の総選挙、野党惨敗の根因を見ているのですがどうでしょうか。

◆次の選挙に向け、どうすればよいのかを一緒に考えよう

前回の結びに対するお返事は特にないようだが、改行が多い(笑)。

さて、5野党一本化の勝率は28%とのこと。選挙制度の問題はあれど、芳しい結果とは言い難い。争点については、岸田が首相となってさらに見えにくくなり、野党共闘側の各党の先鋭的な主張が目立つようになったかもしれない。今日までに私は、やはり地域の仲間などと選挙について意見を交わした。小西さんも触れていることに関連するが、「アンチを唱えて希望がない。50年後、100年後の未来を担う心づもりが感じられない。未来像が見えてこない」。これが最も大きな問題ではないか。

権力をもつ与党をチェックすること、アンチを唱えることは野党の仕事で、必ずしも対案を出す必要はない。だが、選挙では、どのような社会をつくるのかを伝える必要がある。そうでなければ、政治を托す相手を選べない。また現在、失われた年月が増大するばかりで、先が見えず、また新型コロナウイルスの影響もあって失業や自殺が重なっている。先日、久方ぶりに東京に行ったら、野宿の方々のスーツケース所持率の高さ、そして若年層への拡大が目に入った。支援グループへの相談も増えていると聞く。

そのようななか、唯一、未来の希望を語り続け、議席を増やしたのは、やはりれいわ新選組だった。山本太郎代表は、「衆院選挙で3議席を獲得。永田町や物知り顔の評論家から、1議席も難しいと言われていたことを考えると、躍進です。この結果はいうまでもなく、これまで何があっても見放さず、コツコツとれいわを支援くださった皆さんのお力です。100%市民の力で作られた政党が、ステージを上げました。しっかりと地獄を是正する活動を国会内外で繰り広げます。」と公式サイトに記す。

れいわの支援者の中にも、共闘を疑問視する声がある。特に、「消費税ゼロ」を掲げるれいわが共闘によって「減税」にトーンダウンしたことにより、アピールが弱まったという意見が多い。

また結局、立憲民主党は共産と距離をおくことを強調し、11月末に就任した泉健太代表は「政策立案政党」「人に温かい資本主義」「人にやさしい持続可能な資本主義」「穏健中道路線」を訴えている。だが、個人的には、候補者をおろして共闘した共産党に対して失礼でもあり、また結局は「資本主義」のさらなる推進を掲げるなら、もはや立民の存在意義はかなり危うくなるものと思われる。提案内容についても全体的にピンと来ないので、ここで改めて取り上げることはしない。もはや本来的には、自民・国民・立民は左・右・中に分かれて3つに整理し直してほしいくらいだ。と考えていたら、すでに分裂の声もあるらしい。労働者同士を争わせるように仕向ける竹中平蔵は、ベーシックインカム論ですら民営化と自己のビジネスを想定していると思われる。表面的な政策でなく、根本的なもの、方向性を私たちは見定めねばならない。

若者が自民党に投票していることが次第に明らかとなり、また日本維新の会が票を集めた。これらも、自らや周囲の現状が酷すぎないと思い込み、前向きで力強いメッセージを伝えてくれていると感じさせるに足るメディア露出などに支えられ、できあがったものだろう。マスコミ、政治家、野党支持者、1人ひとりが考え直し、取り組みを改める必要がある。

本来は現場から政治家をあげていくのがいいかもしれないが、現実的にはなかなか難しい。まずは各党の1つひとつの選択について意見を明確に発し、来年の参院選に向かって私たちも動きを明確にしていく必要があるだろう。個人的には共闘よりも、やはり総合的にかなり指示できる政党を、もっとしっかり応援しなければいけないなと思う。なかなか何か起こればぶれてしまう。それにはまず、近くの仲間との意見交換を継続することが重要ではないかと考えている。

ところで月刊誌『紙の爆弾』202年1月号に、「野党共闘の成果と課題 岸田文雄『長老忖度政権』と闘う方法」をテーマとして横田一さんが寄稿していらっしゃる。野党共闘の成果もきちんと評価されているので、ご一読を。

連合の中を垣間見た立場からは、民主党系がそこを票田としてあてにするうちはいろいろなことが困難であろうと考える。50年後、100年後を見据えたうえで現在、何をなすべきかを、政治家の方々にも示してほしいと思ってしまう。

◎[連載リンク]平壌からの手紙 LOVE LETTER FROM PYONGYANG 

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性・オルタナティブ・環境 アクティビスト。月刊誌『紙の爆弾』202年1月号に、「請求棄却で固有種絶滅の危機 森林伐採問う 沖縄『やんばる訴訟』」寄稿。

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2021年回顧 ── 東京五輪2021から北京五輪2022へと受け継がれる強者の権益 「平和の祭典」とは、利権と政商のスポーツショーである 横山茂彦

東京オリンピックが招致された数年前から、反対運動は活発だった。本通信も開催反対の論陣を張ってきたが、オリンピックにかかる利権の深さを知るにつれて、何があっても開催が強行されることを確かめないわけにはいかなかった。

やむなく開催時には思いきって開き直り、酷暑のなか現地報告をしたものだ。

そこでは、あまり報じられなかった自衛隊の警備出動が、かなり過剰なものだったと判明した。追いかけ記事で、自衛隊の警備出動を報道したのは、「紙の爆弾」と「週刊金曜日」だけではなかったか。それはともかく、暑かった夏のメモリーを再読していただければと思う。

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《現地報告》猛暑の中で始まった呪われた東京オリンピック・パラリンピック[後編]警備費用こそが大会開催費の大部分ではないか 2021年7月27日
 
大きな成果もあった。ぼったくり男爵こと、バッハIOC会長のえげつない態度が、今回のオリンピックを通じて全世界に伝えられたことだ。これはオリンピックの将来に向けて、ひとつの指標になったのではないか。「平和の祭典」は利権と政商のスポーツショーである、と。


◎[参考動画]IOCバッハ会長「ガンバリマショウ」 五輪組織委を表敬訪問(2021年7月13日)


◎[参考動画]バッハ会長歓迎会に波紋 与党幹部「世論がおかしい」(2021年7月19日)

来年の北京オリンピックにむけて、ふたたびバッハ会長の振る舞いが問題視されている。何があっても、オリンピック開催という利権は失いたくない。もはや政商そのものというべきであろう。

すなわち、中国の女子テニスのトッププレーヤー・彭帥(ポン・シュアイ)選手の告白とされる文章がネット上に公開され、そのニュースが連日高い関心を集めている一件だ。

その内容は、「中国の前副首相から性的関係を強要された」というもので、選手の安否や北京オリンピック開催の是非、外交ボイコットをめぐる問題にも発展している。中国共産党の権力闘争と考えられる面もあるが、女性の「MeToo」であることに変わりはない。

激しい批判を前に、バッハ会長が中国当局を擁護するパフォーマンス(彭帥選手とのPC会談)を行なって、批判をかわそうとしたのである。

WTA(女子テニス協会)のスティーブ・サイモンCEOは、適切な調査が行われなければ、中国での大会の開催などを見送ることも辞さないという考えを示し、躊躇わずにそれを断行した。

もともとWTAは、大会賞金の男女格差是正を契機に立ち上げられた団体であり、女子選手の立場を護るのに積極的である。北京大会への影響(女子テニスが行なわれない)が注目されるところだ。

もしもこのまま紛糾して、女子テニスが大会からはずれるようなことがあれば、バッハはとんだピエロということになる。

さて、オリンピックが利権であり批判に値するとはいえ、スポーツそのものを否定するような批判の論調は少々危うい。身体を動かすことが健康を保つのは、狩猟・採取時代から濃厚時代に至っても、それが人類の本源的な行為であるからだ。

自動車が戦車や戦闘機の代替え行為である、という大戦後の消費スタイルとともに、スポーツも戦闘行為の代償として存在してきた。読売球団が「巨人軍」などという戦闘集団の名称を頂くのも、スポーツを戦闘と見做しているからにほかならないのだ。


◎[参考動画]「彭帥さん本人」IOCバッハ会長 別人の可能性否定(2021年12月10日)


◎[参考動画]CNN speaks to WTA chief on decision to pull tournaments from China(CNN 2021年12月2日)

◆国家的育成スポーツが、国民を疎外する

そこで、スポーツの祭典を否定するのではなく、将来の在り方を検討していかなければならない。そこで考えられるのは、近代オリンピックが、そもそも個人およびチーム単位での参加から始まった事実なのである。なるほど国家単位でしか資金は得られなかったし、国別対抗競技であるからこそ、オリンピックは戦争に代わる「戦闘行為」たりえている。

そして、国の代表になるためにはある意味で特別な資格、すなわち強化選手になる必要があるのだ。その強化選手になってこそ、育成が遅れていた日本でも味の素オリンピック強化センターなどの施設に入れるし、スポーツに専念できる育成費も支給される。海外派遣費も支給されるので、自前で海外に行く必要がなくなる。

問題なのは、このスポーツのエリート化である。かつて、ソ連および東欧諸国で行なわれていた、サイボーグ的な国家レベルでの強化策ばかりになってしまうと、国民はスポーツを観る人たち、選手は国家的プロジェクトで育成されたエリートということになる。エリートがいてはダメだ、と言うのではない。観る者と演じる者の断絶、スポーツの底辺が形成されない、国民のスポーツからの乖離がそこに発生するのである。


◎[参考動画]Tokyo 2020’ye hazır(Al Jazeera Turk 2016年8月22日)

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床屋政談的オリンピック改革論 ── 国単位ではなく、チーム・個人参加がよいのではないか? 2021年8月10日

それにしても振り返ってみれば、おびただしいオリンピック利権の数々である。利権に付きものの犠牲者(自殺者)も出ている。政商竹中平蔵、スポーツ界に君臨してきたドン・森喜朗、そして国民をコロナ禍に危機にさらした菅義偉。
オリンピックへの幻想が明白となった、2021年であった。

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◎[参考動画]滝川クリステルさんのプレゼンテーション IOC総会(ANNnewsCH 2013年9月8日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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