日本が本格的に堕ちてゆく。実際の戦争へ向かって堕ちてゆく。来年なのか、再来年なのかもう少し先なのかはわからない。けれども、「そんなことはあるはずがない」と反論できる論拠が、残念なことに、日ごと失われてゆく。
「人間は戦争好きで、破滅願望の強い生物」であることは、歴史が証明している。にしても、人工知能(AI)と名付けられた集積回路の集合体が、人間になり代わり「判断の代行業」にいそしむ今日にあっても、「戦争好き、破滅願望」の方向性の修正は行われない。むしろ無機的な判断の蓄積は、好戦的世界をこれまで以上に加速させているようである。
◆ロシアのウクライナ侵攻と日本の防衛費倍増
ことし、世界は極めて古典的な形の戦争を目撃した。二進法が席巻した現在、ひとびとは以前にもまして、善悪・正邪の単純な二分法を求める傾向を強めたようだ。ロシアを「絶対悪」ウクライナを「被害者」と定めてのプロパガンダが日常を席巻した。ロシア政府の侵略が犯罪的であり、ウクライナ市民が被害者であることは間違いない。けれども、12月21日ウクライナのゼレンスキー大統領による米国連邦議会での演説は、はからずも人間の「戦争好き、破滅願望」の本性を再度証明し直すだけではなく、この戦争の本質が米国(=NATO)の利益と合致することを具体的に示し尽くした。
世界で一番戦争が好きな国の議会で、ゼレンスキーが「クレムリン打倒宣言」や「イランの危険性」を語り「ウクライナへの支援は寄付ではなく投資だ!」と書かれた原稿を読み上げる節々に、スタンディングオベーションが連発する。世界中の反戦DNAを持つひとびとは、あの光景に寒気を感じたか、あるいは途中で画面を見ることを止めたかもしれない。
◎[参考動画]ゼレンスキー氏、米連邦議会で演説 支援は慈善ではなく投資だと(BBC)
◎[参考動画]ウクライナ侵攻部隊への兵器供給加速を指示 プーチン大統領「資金に制限はない」(TBS)
こんな具合に人間が「愚か」であることを、第二次大戦の敗戦で、日本は思い知った。だから「戦争放棄」を小学生でも理解できる明確さで憲法に刻み、不戦を国是とした。その「憲法を変えたい」と岸田は総理大臣就任演説で語った。さらに何がどう関係するのかわからないが、原発の再稼働も進めるといった。
あっというまに岸田は防衛費の倍増に言及しだした。「敵地攻撃能力」、「反撃力」のために、米国から大量の中古武器(巡航ミサイル「トマホーク」)の購入を予定している。
米国からの中古武器はローンで購入しているがその額は過去の残高を併せて10兆7174億円で、新規分が7兆6049億円に上る。来年度予算は総額114兆円だが社会保障費の32.3%につぎ「軍事費」(防衛費)が5.9%(6兆8千億円)で公共事業費の5.3%を超えている。この予算はどう見ても「戦争に向けた」準備としか考えられない。食品価格が上昇し庶民の生活は、確実に苦しさを増す中、大軍拡予算が準備されている。
参議院選挙で、「軍事費倍増」などの公約が自公政権の政策だと掲げられたことがあったか。岸田の暴走に対して、野党は最後まで抵抗するだろうか。議論されることもなく、おそらくは野党の抵抗も限定的で、予算はおおかたこの形のまま成立するのではあるまいか。そもそも自公と根本理念を異にする「野党」が無いじゃないか。
◎[参考動画]防衛費「5年間で43兆円」 岸田総理が指示 “1.5倍超”の大幅増(TBS 2022年12月6日)
◎[参考動画]岸田総理“防衛費増税は総選挙後”と強調(TBS 2022年12月28日)
◆要するに、この国は嘘つきだ
絶望時だからこそ、もう一度以下の文言を確認したい。
日本国憲法第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本で義務教育を受けたひとは、みな知っている憲法9条だ。
この文言のどの部分を、どう解釈すれば自衛隊が認められるのか。わたしは、そのことを疑問に思い、「おかしい」と感じてきた。わたしが生まれたとき、既に自衛隊は設立されていた。小・中学校で日本国憲法をおしえられたのち、「どうして自衛隊があるのか」が、不思議で仕方なかった。80年代中盤「日本列島を不沈空母にする」と発言した中曽根政権時代に高校・大学生として社会的問題に関心を持つようになり、
「要するにこの国は嘘つきだ。基本法の憲法すら守らないのが日本。法治国家の体をなしていない」
との結論に至った。やがて自衛隊はPKOに参加するは、イランに派兵されるは、はては集団的自衛権まで認める法律が強行されるといった、一連の成り行きを見れば、「いずれ日本はあれこれ理屈をつけて再び戦争に堕ちてゆくだろう」と嫌な予感を抱いていた。
憲法を守らない政府が支配する国で、最低限、公平公正な司法が機能するだろうか。わたしにはそんなことが可能だとは思えない。行政も司法も、憲法不全の国では歪(いびつ)であって当然だろうが。
「自衛隊は明確に憲法違反である」こんな簡単な、しかし重要な矛盾を軽視してきてきたから、こんにちのような暴政がまかり通るのだ。
◎[参考動画]「日本国憲法」全文《CV:古谷徹》
◆憲法が機能しない国家は近代国家ではない
人間は本来、悪気がなくとも、気ままでわがままだ。だから法律を作って許容される行為とそうでない行為を決める。人間の集合体が構成する「国家」は、さらに曖昧模糊とした、本当にあるのかないのか、すら怪しい代物だ。人間以上に暴走したり、乱暴を働くのが歴史上「国家」の本性であることから、近代国家では「国家を縛る法律」として憲法が準備された。よって憲法が機能しない国家は近代国家ではない、との換言も可能である。そういう情けない国にわたしたちは生きているのだ。そのことを徹底的に突きつけられたのが2022年の結末である。
他国との関係性が悪化すれば、話し合いで問題解決を図るのが政府の役割(外交)の役割だろう。その回路が破綻したときに戦争が立ち上がる。近年、日本の外交はどうだろうか。経済的には輸出入とも相当程度を依存しているくせに、中国との関係を意図的に悪化させてきてはいまいか(中国の国家体制や民族問題について、わたしは大きな疑問をかねてより持っている。その問題は過去少なくとも30年変わっていない。だから最近の日本政府による対中国政策が理解できない)。
朝鮮民主主義人民共和国とは、まだ国交すら開けていない。同国は「身内による独裁政治が続いている」との批判が多いが、なら日本で岸信介―安倍晋太郎―安倍晋三と三代にわたる政治家が権力者であった事実は、どうして無視されるのか(この家系だけでなく自民党政治家の3割は世襲議員であるし、岸田も世襲議員だ)。青いバッチを岸田をはじめとする多くの与野党国会議員が、気軽に身に着けている。連中は拉致被害問題同様、朝鮮民主主義人民共和国には、まだなされていない、日本の植民地化への賠償をどう考えているのだろう。
「嫌韓本」が本屋に山積みされ「日本のここが凄い」、「日本に生まれてよかった」という、勘違いも甚だしいナルシズムに浸っているあいだに、日本は韓国に賃金労働者の平均給与を追い抜かれた事実を「この国に生まれてよかった」群のひとびとは、知っているのだろうか。
日本政府が喧伝するほどに、近隣諸国が日本に対して軍事的脅威を強めていると、わたしには到底思えない。むしろ日本のメディアが過剰に近隣諸国をネガティブに報じ、政府の外交失敗の尻ぬぐいをしていることに幻惑され、多くのひとびとが騙されているのではないか。
◆安倍政権を検証する
安倍晋三とウラジミール・プーチンの関係を想起してほしい。自分の故郷、山口にまで招き友人のように遇していた両者なのに、ロシアがウクライナに侵攻すると、安倍は自分とは全く無関係なように口を極めてプーチンを攻撃したではないか。なら聞きたい。安倍政権時にロシアに対して行われた経済援助を安倍はどのように説明するのか。
◎[参考動画]山口県での日露首脳会談―2016年年12月15日
つまり、日本(だけでなくどの国でも)が武装を強めれば強めるだけ、近隣諸国だけではなく、国際的な緊張は高まるのだ。日本は憲法が定める通り、非武装(自衛隊を解消して)で米軍の基地も撤退させる。一度憲法上定められた、本来の初期値に戻したところからしか将来の姿を語ることは出来ないはずである。「自然災害時に自衛隊が必要」と主張する意見は間違いで、自然災害には専門的に対応する「災害救助隊」を創設すればよい。「災害救助隊」に武器は不要だ。
このように主張すると「非現実的だ」、「他国が攻めてきたらどうする」と突き上げを食らう。でもウクライナでわたしたちが確認したことを直視しよう。「いったん戦争がはじまってしまえば、ルールも倫理もすべてが度外視され、狂気が覆いつくす」。それ以上でも以下でもないだろう。だから、戦争を絶対に回避しないと、未来はないと日本国憲法は至極明確で、当たり前な道理を掲げたのである。
歴史的到達点として、至極当たり前な道理から、愚かにも現実を遠ざけていったのは、歴代の自民党を中心とする政権だ。また本気で抵抗しなかった野党も責任を逃れない。今日平然と「産学協同」に身を沈めて恥じないアカデミズムも徹底的に糾弾される必要がある。「産学協同」を売り物にする大学などに存在価値はない。マスメディアは権力の拡声器でしかなく、御用組合の代表格「連合」は、もはや存在自体が悪といってよい。
◆2023年に希望はない
2023年に希望はない。戦争と破滅へ入場門がいよいよ見えてきた。
あなたはどうする? それが問われている。かすかにわたしを勇気づけてくれるのは、こんな時代になる前からずっと、一貫して戦争に反対し続けてきた、優れた先達たちの思想と意思そして存在だ。はっきり言おう。若者には何の期待もない。期待するだけ気の毒な環境で彼らは育ってきたのだから。
もう見たくない、聞きたくない、関わりたくない、書きたくない……。逃避衝動は魅惑的だ。でも、わたしは来年も書き続けようと思う。心ある読者諸氏と、ともに闘う。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。