昨年10月7日パレスチナ自治区であるガザを支配するハマス(「イスラム抵抗運動」)がイスラエルを侵攻してから1周年を迎えた。周知のように、イスラエルは「自衛権の行使」だとしガザ地区に連日、空爆を行い、ガザ地区の占領をおこなった。この一年で4万2千人のパレスチナ人が犠牲になった。主に女性、子供たちだ。さらに1万余りの人々が収容所に拘束されている。生き延びた人々は飢餓と薬不足に苦しんでいる。

また、戦禍はレバノンにもおよびイスラエルの空爆により数千名が犠牲になっている。イスラエルはイラン滞在中のハマス最高指導者ハニヤ氏をミサイルで殺害し、レバノンのヒスボラ指導者ナスララ師ら幹部20名も地下施設を破壊する強力な爆弾で犠牲にした。その報復として、イランが180発の弾道ミサイルでイスラエルを攻撃した。イスラエルはヨルダンにたいする地上侵攻をすすめる一方、イランにたいする報復をいかにおこなうかについてアメリカと協議したうえ、原油施設を攻撃した。

こうして、この一年の間にイスラエルは侵略戦争を拡大させている。世界はいつイスラエルの侵略をやめさせることができるかを憂いている。日本政府はイスラエルの空爆に憂慮を示しているが、アメリカのイスラエル支援を容認したままだ。

◆ハマスの攻撃はパレスチナ人民の総意であり、衰退するアメリカ覇権勢力にたいする先制的な打撃を与えるもの

ここでハマスの攻撃の意義をよく見ることが重要だと思う。ハマスを「テロ組織」、ハマスを支持するパレスチナ人をテロ分子だとする考え方がアメリカをはじめG7諸国で基調となっている。1年前のハマスのイスラエル攻撃をその最大のテロ行為だと声を上げて非難している。

しかし、イスラエルが英米の支援のもとで1948年パレスチナの地に国家を建て、450万人ものパレスチナ人が追放され、ガザ地区と西岸地区に壁で囲まれた青空だけがある天井のない監獄のような場所に閉じこめられ、シリア、レバノン、ヨルダンなどアラブ諸国の難民キャンプで流浪生活を余儀なくされてきた。

一方、イスラエルは四次に亘る中東戦争とたえざる植民を通じて領土を拡大してきた。イスラエルは侵略と略奪のなかに生まれ肥え太ってきたが、そのイスラエルは英米が中東地域を抑えるための覇権主義の拠点であるということができる。

抑圧があるところに反抗と戦いが生まれるものだ。それゆえ、ハマスのイスラエルにたいする抵抗と攻撃はパレスチナ国家創建をめざすパレスチナ人民の正義の戦いであるといえる。その戦いのなかでハマスが生まれ、ガザを支配するまで強化された。

自己の主権国家の創建をめざすパレスチナ人民の戦いは単にイスラエル国家にたいする戦いだけではなく、イスラエルを軍事経済的に支援するアメリカをはじめとする欧米覇権勢力との熾烈な戦いが伴っている。2国間共存を謳ったオスロ合意は、イスラエルのラビン首相の暗殺とシャロン政権により踏みにじられた。欧米諸国は「二国間共存」を言ってきたが、イスラエルの植民地主義を庇護、支援してきたので、パレスチナ国家が創建されないどころからパレスチナ人民はいっそう悲惨な奴隷の境遇におかれてきた。

それゆえ、ハマスのイスラエル侵攻はパレスチナ人民の正義の戦いであるといえる。かつ、ウクライナ戦争が長期化し、NATO側の敗色が濃くロシア側が攻勢を強めている時期にあって、しかもサウジアラビアがイスラエルとの国交交渉がおこなわれパレスチナ問題が忘れかけられようとした時、ハマスは果敢な攻撃をしかけた。それはアメリカの対ロシア、対中国の戦線を対パレスチナという3正面作戦に引きずりだすという意義をもち、衰退するアメリカ覇権主義をさらに危機に追いつめるものだった。

かつてイスラエルとパレスチナの戦いはイスラエル(ユダヤ)の大義とアラブの大義の対立だと言われ、アラブ民族主義を掲げたエジプト、シリアなどが中東戦争の前面に立ったが、今は反米自主をかかげるハマスとともにイランとヒスボラ、イエメンのフーシ派が「抵抗の枢軸」を結成し反イスラエル戦争の前面にたち、覇権主義と反覇権主義の鋭い対立の場をなしている。

◆イスラエル侵攻拡大は反イスラエルの戦いを起こすだけ

イスラエルはこの一年間、「自衛権」を掲げ、ガザにたいする無差別空爆と地上侵攻をおこない、レバノンにたいする無差別爆撃と地上作戦をおこなってきた。ハマスの侵攻を許してしまった「汚名」の雪ぎであり、「復讐」だ。イスラエルは「目には目、歯には歯」どころか、イスラエル人1名が殺されれば100人、1000人殺していく悪鬼と化している。イスラエル国内ではパレスチナ人をすべて殺せという世論が支配しているという。その戦火を拡大していく姿は、あたかもかつて反日勢力にたいし懲罰を加えるという口実で侵略戦争を拡大していった日本軍国主義やナチスドイツを想起させる。それを後ろから支え、督促しているのがアメリカ覇権帝国だ。

しかし、イスラエルが無差別爆撃と地上侵攻を拡大していけばいくほど、人々の反イスラエル感情を燃え立たせ反イスラエル勢力を強化していくことになり、世界からイスラエルは孤立を深めることになる。それゆえ、ハマスやヒスボラの壊滅はありえない。イスラエルは侵攻するたびに反イスラエル戦士を生み出しているからだ。

言うまでもなく、パレスチナ問題の解決はパレスチナ人民が望み、国連をはじめ圧倒的大多数の諸国が求めているパレスチナ国家の創建だ。しかし、それを妨害しているのは覇権主義国家であるイスラエルであり、パレスチナの国連加盟に唯一反対しているアメリカだ。アメリカは口先でパレスチナ国家を認めるが、実際にはパレスチナ国家を認めないイスラエルを支援することによってパレスチナを犠牲にしている。

パレスチナ国家の創建は、これまでの暫定自治政府(西岸地区、ガザ地区)だけではなく、イスラエルが植民化したパレスチナ領土を回復した国家の建設であり、それをイスラエルが認め、不当に占領した地域(ゴラン高原など)から撤退し、パレスチナ国家との友好平和協定を締結することだと思う。そのためには、イスラエル自体が覇権主義を放棄し、平和国家に転換しなければならないだろう。それはユダヤ人自身が決める問題だ。イスラエルが侵略と占領を放棄しないかぎり、パレスチナの抵抗と戦争が終わることがないだろう。

イスラエルはイランをはじめ戦争を拡大していけば、中東情勢は極度に不安定になる。アメリカは中国を最大の戦略的競争相手と位置づけ、その包囲と弱化に集中させようとしており、中東での戦乱拡大を望まず収拾しようとしている。アメリカ主導の停戦の動きがはじまっている。しかし、戦乱の根源であるイスラエルが覇権主義をやめないかぎり、反イスラエルの戦いが起こりつづけ戦乱が収まることはないし、アメメリカは中東での戦乱の泥沼から抜け出ることができないだろう。

 

赤木志郎(あかぎ・しろう)さん

◆問われる日本の対米追随

日本にとって中東情勢の緊迫は、たんに石油やスエズ運河の物流問題だけではない。覇権主義と反覇権主義の戦いでアメリカの覇権主義勢力につくのか、世界の潮流をなしている反覇権主義、自国第一主義勢力の側に立つのか、するどく問われている。いいかれば、日米同盟機軸で覇権の側にたちこのまますすむのか、アジア諸国、とりわけ中朝露との平和的友好関係を構築して日本の非覇権の新しい道を拓いていくのかだ。

アメリカはウクライナ、パレスチナ、中国で三正面対決を迫られ、米覇権の崩壊に直面している。アメリカに従っていくことは、対中代理戦争国家として崩れゆく覇権主義を支える無駄な抵抗でしかなく、日本の滅亡しかない。世界の趨勢である反覇権、脱覇権の自国第一主義の道に進んでこそ、日本の恒久的な平和と繁栄があるだろう。

しかし、岸田政権以降、わが国は「日米同盟新時代」をかかげ対中代理戦争をになうべくミサイル基地の建設、弾薬庫拡充、港湾空港の戦時利用態勢、さらに核ミサイル配備まで容認しようとしている。アメリカの代理戦争の先には、アジア人同士で戦い日本の滅亡があるということは目に見えている。

アメリカに従い戦争の道に進むのか、それとも非戦平和の自国第一の道にすすむのか、その岐路あって脱覇権の根本的な新たな転換をめざしていくことではないだろうか。

▼赤木志郎(あかぎ・しろう)さん
大阪市立大学法学部中退。高校生の時は民青、大学生のときに社学同。70年赤軍派としてハイジャックで朝鮮に渡る。以来、平壌市に滞在。現在、「アジアの内の日本の会」会員

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

この8月と9月に東京と北京で、「アフリカ支援会議」が行われた。二つの会議は、日中両国のグローバルサウスに対する姿勢、国際政治における姿勢、立ち位置の「違い」を浮き彫りにしている。

◆中国の「中国アフリカ経済フォーラム(FOCAC)」

9月7日、北京で「中国アフリカ経済フォーラム(FOCAC)」が開催された。ここには全アフリカ54カ国のうち台湾と外交関係を持つエスワティを除く53カ国の首脳が参加した。

会議では、習近平国家主席が演説したが「今後3年間で、3600億元(約7・3兆円)の資金援助を提供する」と述べるや、参席したアフリカの首脳たちから大きな拍手が沸き起こった。その心情をボツワナのマシシ大統領は「アフリカ側は非常に興奮し励まされた」と述べている。

習主席は、アフリカ諸国との2国間関係を「戦略的関係」に引きあげるとし、「10の行動」を提示した。その内容は、政府関係者の招待。女性や若者の職業訓練。10億元の緊急食料支援。疫病予防センター建設と公衆衛生能力向上。10億元の無償軍事援助。軍人(6000人)と警察官(1000人)訓練。アフリカ産農産物の輸入拡大、アフリカの「後発開発途上国」33カ国だけでなく世界の全ての「発展途国」にゼロ関税待遇を与え中国の大市場を開放する、などである。

中国とアフリカ貿易額は、22年には2576億7000万ドル(約37兆6486億円)を超え、米英を抜いた。この急激な貿易拡大は、中国とアフリカの経済関係がウィンウィンの関係、相互に利益をもたらすものであることを示している。

注目されるのは、習主席がグローバルサウスという言葉を3回も使いグローバルサウス重視を鮮明にしたことである。

「10の行動」の最後で述べられた、「アフリカの後発開発途上国33カ国だけでなく世界の全ての「発展途上国」にゼロ関税待遇を与え中国の大市場を開放する、などがそれを示している。

今後、ウィンウィンの関係をグローバルサウスの中でも経済発展が遅れている全ての「発展途上国」と結ぶ、ということであり、今後、グローバルサウスとの交易は急速に拡大していくであろう。

◆日本の「アフリカ開発会議(TICAD)」

一方、日本では8月24、25日に東京でTICAD(アフリカ開発会議)が開かれ、ここにアフリカの37カ国の外相が参加した。

今回の会議は来年横浜で開催されるTICAD9の準備会議として開かれ、「社会、平和と安全、経済」をテーマに討論が行われた。

25日に発表された共同声明では、アフリカで活動するスタートアップ(新興企業)の支援に向けた環境整備、食料安全保障の確保に向けた協力、デジタル化支援、「女性・平和・安全保障」(WPS)の重要性などが明記された。

そして、最後に「法の支配の重要性が共有された」ことを強調している。

この会議について、読売新聞が「日本の強み生かし発展支えよ」と題する社説を載せたが、それはアフリカの人口が今の14億から50年には24億人に達することやアフリカが資源の宝庫であり、とりわけ電気自動車やスマートフォン、バッテリー製造で不可欠な銅、コバルト、ニッケルなどが豊富であることから、「最後のフロンティア」としてアフリカとの関係を強化せよというものだ。

この読売の社説が示すように、日本のアフリカ支援は、あくまでも自国の経済的利益のためだということである。

その上で、最後に「法の支配の重要性が共有された」と強調していることに注意しなければならない。

「法の支配」とは、「開かれたインド太平洋」(FOIP)のための用語である。それは中国が自国領土である南シナ海の諸島に軍事基地を建設しているが、それはこの海域の自由な航行を阻害する国際法違反であるとし、法を守れということである。そして「法の支配」は、米国の覇権秩序に反する行為を「違法」として、「秩序遵守」を説くための用語にもなっている。

昨年4月に改正された「政府開発援助」(ODA)の指針である「開発協力大綱」は、これまで相手国の要請に従って援助する「開発支援」を改め、日本が提案する「オファー型」に改定した。そこには「開かれたインド太平洋」を推進することが明記され、そのために途上国の海上保安能力を後押しする方針も盛り込まれている。

即ち日本の途上国支援は、米国覇権秩序を守るための支援であり、カネをちらつかせながら「米国覇権秩序に従え」というものになっているということだ。

◆どちらが本当の支援か

発展途上国支援は、その国の発展のためになる私心のないものでなければならない。

これまで日本の途上国支援がその国の要請に従って支援する「要請型」であり、それを「原則」としてきたのも、それが実際行われたかどうかは別にして、そのことを示す必要があったからである。その「要請型」を「オファー型」に改変すること自体、支援がその国のためのものではなく、日本のためのものであることを示している。

しかも、それは米国覇権秩序を守り、その覇権秩序に従えというものであり、「日米基軸」の「日本のため」のものでしかない。

それに対して、中国の支援は、「10の行動」を見ても、その国のためのものになっていると思う。

その本気度の違いは、支援額を見ても歴然としている。

今回の日本での会議ではアフリカ支援の額は示されていないが、途上国全体への支援である「政府開発援助」(ODA)の総額が昨年で5709億円だから、アフリカ「支援」額はその何分の一かの少なさとなり、中国の支援額「3600億元(約7.3兆円)」とは雲泥の差になる。

そうなるのは、ありていに言えば、「カネがない」ということである。

岸田前首相は、一昨年の訪米で、中国敵視の軍事費拡大や敵基地攻撃能力の保持を約束した。その額は5年間で43兆円といわれているが、新型ミサイル開発などで、70兆円に膨らむとか、際限なく膨らむとも言われている。

この膨大な軍事費をどう捻出するか。そこから増税メガネと揶揄された「増税」、全世代型社会保障を看板にした「社会保障費削減」が行われ「地方交付税の削減」など地方支援も減らされている。

今年4月9日に開かれた財政制度等審査会の分科会で財務省が能登復興について「ムダな財政支出は避けたい」と発言した。それは能登の本格復興はやらず、能登は見捨てるということに他ならない。

能登まで見捨てるという財政事情の下では、アフリカ支援、発展途上国支援などに使うカネなどないのだ。

それを見切って、アフリカ諸国のTICADへの熱は冷めている。前回18年に開かれた第8回会議までは首脳も参加していた。しかし今回は37カ国の外相会議になっている。

「もう日本にはカネがない」のであり、その日本が空財布をちらつかせて「開かれたインド太平洋」だとか「法の支配」とか言っても、それに耳を貸す国などないであろう。

◆「債務の罠」、中国覇権のためのワナなのか

中国の対外支援で常に持ち出されるのが「債務の罠」であり、それを使って「中国は覇権を狙っている」という言辞である。

その例として持ち出されるのが、セイロンの件。一帯一路として中国の企業が投資して道路や港湾を整備建設したが、その債務返済が滞り、セイロン政府が、中国企業に港の使用権を99年間譲渡するとしたことである。

これはあくまで、中国の一企業とセイロン政府が行ったことであり、これをもって、中国がセイロンを支配するとか中国覇権を狙っているなどと分析するのは、言い過ぎではないだろうか。

元々、「債務の罠」はG7など「先進国」が行ってきたことである。

先進国の後進国支援は、後進国の富を収奪し政治的支配を強めるためのものであり、債務漬けにして、その国を牛耳る、まさに「債務の罠」であった。

それは、南北格差が拡大し、後進国がいまだに経済的な発展ができないでいる現状がそれを如実に示している。

G7広島サミットを前に日本やG7がグローバルサウスを引き込む動きを示したことに対して、グローバルサウス諸国から「G7なんて旧宗主国グループじゃないか。我々を植民地にした者が上から目線で、きれいごとを言える身分か」「G7が守りたい国際秩序とは、米国がわれわれにやりたい放題の謀略、軍事侵攻を仕掛けてきたやり方だろ。まっぴらだ」などの声が上がった。

自分たちがやってきた悪行を中国もやろうとしていると疑うのは、疑心暗鬼であり、その語源通り「疑えば鬼を見る」であり、その鬼とは自分自身ということではないだろうか。

中国は「覇権の道は歩まない」と明言している。それは建前と見る向きもあるが、中国の支援が熱烈に「歓迎」されていることが、中国が覇権を狙っているのではないことを示していると思う。覇権を歓迎する国などないのだから。

ザンビアやエチオピアの鉄道整備など中々のものである。新幹線型の車両を使った近代的な鉄道網、瀟洒な建物群。南太平洋諸国での港湾や旅行施設、ホテル建設も歓迎されており、そこでは「債務の罠」も語られてはいない。

中国の投資や経済協力が歓迎されているのは、中国が参加するBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)の発展を見ても分かる。24年にエジプト、エチオピア、イラン、サウジ、UAEが参加し、当初の5カ国から10カ国に増え、参加希望国が門前に列をなす状況になっている。

そこでは、米国ドルに代わる独自通貨の設立を目指されている。この独自通貨は中国元を基軸通貨にするというものではなく、各国の通貨(通貨主権)を認めたものである。

もし中国が覇権を狙っているとすれば、中国元を基軸通貨にするだろう。しかも、それは中国元の実力から見れば黙っていてもそうなる。それにも係わらず、そうせず各国の通貨を認めた上でBRICsの独自通貨を作るということは、中国の言う通り、米国のドル基軸通貨体制を変革するためだということではないだろうか。

米国覇権の強力な手段であった、ドル基軸体制に代わる、BRICs通貨体制の実現は、米国覇権を終わらせる一つの大きな契機になる。

その実現をグローバルサウスを始めとする多くの国々が望んでいる。ドル基軸体制の下で、不利益をこうむり、円安で七苦八苦する状況を強いられている日本にとっても、それは良いことではないだろうか。

「債務の罠」「中国覇権」などという言葉に惑わされてはならないだろう。

◆脱覇権自主こそが世界の流れ、時代の流れ

日本のマスコミは、習主席がグローバルサウスを3回も使ったことを中国のグローバルサウス重視だと解説しながら、「中国のグローバルサウス重視は米欧主導の国際秩序の変革を目指す中国にとって欠かせないパートナー」だからだと論評する。

あたかも「米欧主導の国際秩序を改革」するのは悪いことだと言わんばかりだが、それは良いことであり、グローバルサウス自身が求めていることだ。

元々、「米欧主導の国際秩序」とは米国覇権秩序であり、その下で、富を収奪され従属を強いられてきたアフリカを始めとするグローバルサウスこそが、その変革を切望している。

それは、どんな国も、互いに平等で対等な国として認め、互いに尊重していく関係を構築し、公平で民主的な新しい国際秩序を作ろうということである。

中国での会議で沸き起こった拍手と歓迎の言葉は、こうした脱覇権自主の新しい国際秩序を作ることへの熱烈な賛同の表示でもあろう。

 

魚本公博さん

日本と中国で行われた二つの「アフリカ支援」会議を通して見えることは、脱覇権自主が世界の流れ、時代の流れになっていることであり、日本の「日米基軸」の政治、「日米同盟新時代」政策が如何に、この流れに逆行する愚かな政策であるかということである。

しかし石破新政権は「日米基軸」堅持を表明している。立民新代表の野田氏もそれを明言しており、日本は、挙国一致で、その道を歩もうとしているかのようだ。「日米基軸」堅持、それは、あくまでも米国覇権の下で生きていくことの表明であり、そこに日本の未来はない。

しかも、それは米国覇権を維持回復する米中新冷戦のため、中国を敵視し、対中対決の最前線に立たされるものとしてある。それは日本全土を戦場にし、破壊する。

そのような道を歩んではならない。そのためにも「日米基軸」の政治を何としても終わらせなければならない。「日米基軸」から「国民基軸」の政治への転換。来るべき総選挙でその意思を断乎と示さなければならないと思う。

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

AfD(「ドイツのための選択肢」)がドイツ州議会の第一党になった。与党三党の合計を上回ったのだ。それで大騒ぎになった。「危機の時代の大躍進」、ナチスの復活だと言うことだ。


◎[参考動画]ドイツ 旧東ドイツの州議会選挙で極右政党AfDが第一党に(TBS NEWS DIG 2024年9月2日)

しかし、本当にナチスの復活なのか。

確かにAfDは、ドイツ民族主義だ。それに、反移民であるのも、ナチスの反ユダヤを彷彿させるところがある。

だが、AfDには、ナチスと決定的に違うところがある。それは、AfDには「覇権」「侵略」がないということだ。

ナチスは、米英覇権に対抗する独覇権を目指した。だから、ナチスが引き起こした第二次大戦は、覇権をめぐる米英との覇権争奪戦だったと言うことができる。

だが、「覇権」「侵略」を目指していないAfDの米英との抗争は、覇権抗争だとは言えない。覇権抗争と言うより、反覇権、脱覇権の闘いだと言えるのではないか。

AfDだけではない。今日、「自国第一主義」を掲げる組織や国を「極右」と言い、ナチス、ファシズムと同一視する傾向がメディア、政界では一般的だが、皆間違っていると思う。

なぜなら、現時代は、覇権の時代ではなく、反覇権、脱覇権の時代だからだ。

反覇権、脱覇権の時代の「自国第一主義」は、「極右」、「ファシズム」ではない。米覇権と闘う反覇権、脱覇権の進歩勢力だ。

米覇権の側にいる世界のメディア、政界が「自国第一主義」を「極右」と言い、「ファシズム」と言って排撃するのは、そのためではないだろうか。

脱覇権の時代である今日、国と民族を掲げ、米覇権と闘う勢力こそがもっとも進歩的で革命的な勢力だと言うことができる。

今日、米欧、そして日本のメディア、政界が「自国第一主義」を「極右」「ファシズム」だと排撃し、大騒ぎしているのは、まさにそのためではないだろうか。

小西隆裕さん

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年によど号赤軍として渡朝。現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

今年も9月1日がやってきた。私にとってこの日は防災の日としてというより、関東大震災で6千人もの人々が朝鮮人であることを理由に虐殺された日として脳裏に刻まれている。このとき約700人の中国人と日本人では大杉夫妻と甥の3名と10名の社会主義者、労働運動活動家も殺されている。私がこの事件を知ったのは高校1年生の時だった。民青同盟に加盟した私はまずその初代委員長がこのときに虐殺されたことを知り驚いた。

関東大震災の朝鮮人虐殺からすでに101年になる。事件当時、朝鮮人かどうかを判断したのは「十五円五十銭」を発音させることだったという。当時大学生だった詩人壷井繁治は、そのことを記している。壷井が友人の安否を尋ねてゆく途中で軍人などに「十五円五十銭いってみろ!」と糾された、その殺伐した光景について、後に詩「十五円五十銭」に発表している。

その男が、「朝鮮人だったら/『チュウコエンコチッセン』と発音したならば/彼はその場からすぐ引きたてられていったであろう/国を奪われ/言葉を奪われ/最後に生命まで奪われた朝鮮の犠牲者よ/僕はその数をかぞえることはできぬ」

しかし、今だ事件の全容が明らかにされていない。犠牲者の氏名、どこで誰が殺害したのか事件を起こした経緯などなど。殺害された多くの人々の霊魂が彷徨っている。

被害者の家族がその事実を知っていれば、従軍慰安婦や徴用工のように損害賠償を求めて訴えることができよう。しかし、いつどのように誰が殺されたのか分からないために、そうした訴訟も起こせないでいる。

23年松野官房長官は記者会見で「政府として調査したかぎり、事実関係を把握できる記録が見当たらない」と発言し、東京都では小池知事が震災被害者と朝鮮人虐殺被害者をひとまとめにし慰霊しているとし、朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文送付すら拒否したままだ。いや、真実を知っているからこそ、それに向きたくないからこそ、目を背けているというのが、日本政府や東京都の姿ではないだろうか。

なぜ、震災時に起きた朝鮮人虐殺事件がなかったようにされるのか? それは根本的には朝鮮、中国をはじめアジア諸国を侵略してきたことに対する反省をしていないからだと思う。

日本は英米の国際秩序に逆らったから敗北したとし、だから英米に逆らってはだめだという教訓だった。英米の国際秩序は覇権の秩序で不正義の秩序だ。日本がめざした大東亜共栄圏も日本の覇権の秩序であり、不正義の秩序だ。しかし、朝鮮、中国をはじめとするアジア諸国の民族解放闘争は正義の戦いだった。正義が不正義に勝つのは必然だ。日本はアジア諸国の民族解放闘争に敗北し、日本はそのために滅びたということを教訓にすべきだった。弱かった日本が強い英米に負けたというのでは本質的に何も反省していないし、教訓化していない。

だから、アジア諸国に侵略したことをできるだけ隠そうとし向き合うことができないでいる。しかし、いくら隠そうとしても歴史的事実を否定できない。

関東大震災の朝鮮人虐殺も年をおって追及する動きが強まっている。昨年、100周年を迎えさまざまな行事が取り組まれたのにひきつづき、今年も犠牲者が多かったという横網町公園(墨田区)での追悼式典が開かれた。今年の追悼式は日朝協会東京都連会長・宮川泰彦さんの開式のことば、浄土真宗本願寺派僧侶・小山弘泉師の読経、韓国伝統舞踊家・金順子(キム・スンジャ)さんによる「鎮魂の舞」と続き、最後に4人の人が代表して献花した。もっとも凄惨な虐殺現場の一つと言われる墨田区荒川の近くでも慰霊祭が行われた。高麗博物館での展示のほか、在日の若者らによる美術展の開催、埼玉県本庄市と熊谷市上里町では犠牲になった朝鮮人を追悼する式典が長年続いている。

「記録なし」という政府の答弁と裏腹に、朝鮮人虐殺の記録が埼玉県熊谷連隊区司令部が作成した「関東地方震災関係職務詳報」に朝鮮人40数人が殺されたという記録が今年発見された。また、神奈川県で県知事による内務省警保局長あての報告書で県内で殺された朝鮮人14人の名前が記載さているのが昨年秋、新たに発見された。


◎[参考動画]関東大震災から101年 都内で朝鮮人犠牲者追悼式典(毎日新聞 2024年9月1日)

韓国でも8月15日、ドキュメンタリー映画「1923関東大虐殺」(キム・テヨン、チェ・ギュソク監督)が公開され、その前に5月、日本・参議院議員会館で試写会が行われた。在日の呉充功監督は、「隠された爪跡」(1983年)、「払い下げられた朝鮮人」(1986年)、「1923ジェノサイド、93年間の沈黙」(2017年)などの作品で関東大震災での朝鮮人虐殺に光を当て、現在、ドキュメンタリー「名前のない墓碑」の編集に取り組んでいる。

9月1日福田康夫元首相は在東京駐日韓国文化院で開かれた「第101周年関東大震災韓国人殉難者追念式」に出席した。そこで福田氏は関東大震災当時に起きた朝鮮人虐殺は「歴史的な事実」としながら「日韓共同調査」が必要だと明らかにし、「日本の人々は、残念なことに(関東大震災朝鮮人虐殺に対して)実際のところよく知らない」と述べた。自民党出身の元首相が関東大震災朝鮮人犠牲者追念式に出席したのは今回が初めてだ。福田氏は「事実このような(追悼式への出席)機会がなかった」とし「過去ことを考えると胸が痛い。だが、このような痛みをこれから考えていかなくてはならない」と強調した。

一方、横網町公園での追悼式典の幕で隔てた横で朝鮮人虐殺の犠牲者数を疑問視するネトウヨの団体「日本女性の会 そよ風」が「真実の慰霊祭」の開催を事前告知していた。会場の数十メートル先で男女十数人が集まり「群馬の次は横網町だ」と書いた幕や「6000人虐殺はうそ」「根拠を示せ」というプラカードを掲げた。式典終了後、そよ風側が幕越しに会場に近づき、大震災当時の東京市長だった永田秀次郎の句碑に向けて「6000人虐殺のうそを暴きます」と叫んだ。

 

赤木志郎(あかぎ・しろう)さん

日本における朝鮮人虐殺事件は、日朝間の問題でもある。この問題を曖昧にして日本と朝鮮や韓国との相互理解や友好などありえない。岸田首相が8月に韓国を訪れ「未来志向の日韓関係」を口にしたが、アメリカの圧力のもとでユン大統領は日本政府が10億円で解決する形で徴用工問題などすべて韓国内で処理し対日賠償をおこなわせない姿勢であり、岸田首相はそれをもって日韓関係の正常化だとしている。先の呉監督は、「関東大震災虐殺に対して一貫して知らぬ存ぜぬの態度である日本政府に対して、韓国政府はまともな抗議文でも送ったことはあるのか」と怒りを抑えることができないでいる。関東大震災での朝鮮人虐殺の真相解明を要求する声は圧殺されたままだ。

関東大震災での朝鮮人虐殺をめぐる日韓の動きの背景にはアメリカがある。現在、アメリカは対中包囲網を強化するために日米韓同盟に障害を与える問題を「政治的対立物」としてはならない」という圧力を加えている。そのなかに関東大震災での朝鮮人虐殺問題も含まれている。そのため日本政府・東京都の「われ関知せず」という姿勢、韓国政府の「無視」という結果になっている。つまり、日米同盟新時代の米覇権の要求として、今日の「朝鮮人虐殺」否定があるといえる。

それゆえ、対中代理戦争国家化阻止のためにも、朝鮮人虐殺をはじめ一連の植民地支配にたいする真摯な反省を追求していくことが必要だと思う。その作業は、単なる歴史修正主義と闘い、歴史認識を正しくおこなうためだではなく、今日のアメリカの覇権主義、日米同盟新時代との闘いの重要な一環としてある。


◎[参考動画]関東大震災 朝鮮人犠牲者追悼式「虐殺を記憶し繰り返さない」(毎日新聞 2024年9月7日)

▼赤木志郎(あかぎ・しろう)さん
大阪市立大学法学部中退。高校生の時は民青、大学生のときに社学同。70年赤軍派としてハイジャックで朝鮮に渡る。以来、平壌市に滞在。現在、「アジアの内の日本の会」会員

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

◆イスラエルは自衛のためにガザを爆撃しているのではない

8月9日の長崎平和祈念式典にイスラエル駐日大使を招待しなかったことが問題となり、米国をはじめG7諸国などの駐日大使が参席を拒否した。NHKはイスラエルのことを「ハマスと戦闘しているイスラエル」と繰り返し紹介していた。

冗談じゃない。イスラエルが問題になるのは、ハマスと戦闘していることではなく、ガザ地区に無差別爆撃を繰り返し、4万人をこえる女性と子供、住民を大量虐殺しているからではないか。そんな戦争犯罪国家にたいし長崎平和祈念式典にイスラエルが参席する資格があるというのだろうか。長崎市は「イスラエルが攻撃を続けているパレスチナガザ自治区で危機的な人道状況や国際世論などを踏まえイスラエル大使の不招待を決めた」と言っている。

長崎平和祈念式典にはロシアとベラルーシも招待されなかったという。アメリカなどの言い分は、「イスラエルを招待しなかったら、イスラエルは自衛権を行使しておりロシアと同列におき誤解を招く」ということだ。

イスラエルはパレスチナ民衆をガザという空しかない刑務所に閉じこめ、そのうえハマスの攻撃に対する報復として爆撃による大量虐殺をおこなっている。イスラエルは自衛のためにガザを爆撃しているのではない。自衛のためではなく、パレスチナ民衆を抹殺するために大量虐殺をおこなっているとしかいいようがない。一番、招待すべきでないのはイスラエルである。

◆二重基準の原因はアメリカの例外主義と覇権主義

広島慰霊祭ではパレスチナが招待されずイスラエルは招待された。だから広島慰霊祭にはアメリカ大使なども参席した。その広島市に多くの批判の声もよせられたという。パリ五輪でもロシアとベラルーシは国家として参加させずイスラエルは参加させている。もし軍事侵攻がだめだとする基準ならイスラエルも当然あてはまる。いわゆる二重基準だ。

この二重基準の原因は軍事支援しようがしまいと自国は特別だというアメリカの例外主義がある。アメリカは軍事支援している国に国際イベント参加拒否というようなことは許さないという。例外主義は他国にたいし侵略、内政干渉など何をやってもかまわないという覇権主義そのものだ。

 

赤木志郎(あかぎ・しろう)さん

◆長崎市がG7諸国の圧力に屈しなかった要因

アメリカと長崎市の間に立った岸田首相はおろおろするだけでG7の7カ国での核軍縮の話し合いがすすまないと泣き言を言うだけだった。世界に核兵器を振りかざし恫喝しているアメリカに膝間つき、唯一の被爆国と言いながら核兵器禁止条約にも参加できない日本政府は「核のない世界を」と語ることができないでいる。

その点、長崎平和祈念式典にアメリカ、とくにエマニュエル大使の露骨な干渉、圧力に屈せずイスラエル大使を招待せず毅然とした姿勢を貫いた鈴木史朗長崎市長および長崎市民は立派だと思う。長崎市がG7諸国の圧力に屈しなかった要因には、宣言作成や行事について公開的に論議をすすめてきた経緯がある。広島市の場合、非公開ですすめられた。

イスラエル不招待をめぐる長崎平和祈念式典でのアメリカなどの不参加は、世界の非米諸国とG7覇権勢力との対立の表れだということができる。そして、長崎市のように市民の声を背景に戦争反対の正義の信念をもってそれを貫いていけば、アメリカの圧力も跳ね返すことができるということを示したのではないだろうか。

▼赤木志郎(あかぎ・しろう)さん
大阪市立大学法学部中退。高校生の時は民青、大学生のときに社学同。70年赤軍派としてハイジャックで朝鮮に渡る。以来、平壌市に滞在。現在、「アジアの内の日本の会」会員

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

◆右翼の進出が台風の目

EU議会選挙でフランスをはじめ各国での右翼政党の大幅な進出が大きく取り上げられている。とくにフランスでは右翼の国民連合が第一党となり、危機意識をもったマクロン大統領は国民議会を解散し、総選挙を実施した。その結果、第一回目の選挙では国民連合が大きく票をのばし、決選投票でも国民連合が第1位となり過半数を占めるかどうかが焦点になった。国民連合が過半数を占めればマクロン大統領は国民連合党首に首相を指名しなければならず、混乱を避けることができない。ところが、第2位の左翼連合の「新人民戦線」と第3位の与党連合が組んだ結果、第1位は新人民戦線、第2位が与党連合で国民連合は第3位に後退した。左翼連合と与党連合の一人に候補者に絞る作戦が効を奏し、国民連合を封じ込めるのにかろうじて成功したのである。

それは一つの政治劇だった。しかし、政権を握っているマクロンの中道左派が孤立し、右翼の国民連合が支持率で第1党になっていることは変わらない。国民連合の目標は大統領選での勝利だ。

右翼の進出はフランスだけはない。右翼が政権を握っているのはイタリア、ハンガリー、連立で政権に参加しているオランダ、オーストリアなどがある。まずハンガリーでオルバン首相率いる右翼政党「フィデス」が、今回の欧州議会選と地方選の両方で勝利し議席数を増やした。ウクライナ支援に反対し、ロシアとの関係を維持している。

イタリアではメローニ首相率いる「イタリアの同胞」はEU議会選挙で得票率は29%に上り、2022年総選挙での同党の得票を上回った。オーストリアは、右翼の自由党がEU議会選挙で第1党を占め、秋の総選挙で首相になることを狙っている。オランダでも右翼政党が昨年11月の総選挙で第1党となり、連立政権を発足させた。ベルギーでもEU議会選挙と同時におこなわれた選挙で前首相が右翼政党に敗北し首相を辞任した。

ドイツでも今回の選挙で「ドイツのための選択肢(AfD)」は得票率15.9%で国内2位となり、ショルツ首相の「社会民主党」は同13.9%で3位だった。トップは同30%の保守政党「キリスト教民主同盟」だった。

EUから脱退したイギリスは、今回、下院総選挙を実施し、スナク前首相率いる保守党は惨敗し、労働党が大躍進し労働党政権が発足した。ところがここでもファラージ率いる新たな右翼政党「改革党」が移民阻止、環境規制反対など保守党の「イギリス第一主義」の頓挫にたいしその徹底化を主張し、2割の支持を受けており、支持率で政権を握っていた保守党をすでに凌駕している。

スウェーデンでは右翼政党の「民主党」が第2党となり閣外協力をおこなっている。

これらの右翼政党は一様に自国第一主義をかかげ自国の利益を守ることを優先させ、EUのウクライナ軍事支援、環境政策、移民政策などに反対し、ロシア、中国との関係を強めている。それゆえ、右翼の進出がEU支配の欧州を揺るがせる台風の目になっている。ハンガリーのオルバン首相はチェコ、オーストリア、フランスの国民連合と組み、EU議会で3番目に多い「欧州の愛国者」という会派を7月に発足させた。

では、右翼政党が反対するEUとは何か? 欧州各国とEUとの関係はどうなっているのだろうか。

◆グローバリズムの欧州版であるEU

欧州では各国の主権があり、政治もその枠内で各政治勢力が、たとえばフランスでは今回のように国民議会選挙でマクロン派、右翼の国民連合、左翼連合、共和党などが争いながら、一方でEU(ヨーロッパ連合)のもとに各国がありEU議会選挙に参加している。だから5年に一度のEU議会選挙があり、各国ごと大統領制や議会で首相を選ぶ制度など独自的な政治制度がある。

EUは半世紀をかけてECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体1951年)、EEC(ヨーロッパ経済共同体1958年)、EC(ヨーロッパ共同体1978年)を経て1993年に発足した欧州における超国家機構・共同体だ。域内での市場の単一化、通貨の統合、人の自由な移動、物の自由な移動を実現し、域外からは共通の関税を課し、欧州の経済発展と平和をはかった。EUは機構としてEU議会(比例代表制)、EU理事会(各国の首脳・外相が参加)、そして行政的な指揮をおこなう欧州委員会がある。

EUは上で見たようにグローバリズム(国境を越えた地球統合主義)の欧州地域版である。EUはASEANやAU(アフリカ同盟)のような各国の主権の尊重にもとづいた地域組織ではない。各国はEU委員会の指示を受けて国内政策をおこない、各国の主権は3割しかないと言われている。EUは実質、ドイツとフランスが主導権を握り、欧州の支配層が握った政治機構だということができる。欧州各国は国があっても国の主権がない状態におかれた。関税や通商政策、漁業資源保護はすべてEU基準、エネルギー・環境政策などはEU法が優位。ここから、イギリス、ドイツなどが東欧諸国と移民の安い労働力を使い本国の労働者が雇用を失うという問題が起こったり、農業で欧州委員会の厳しい環境規制を受けて不満を呼び起こす問題などが不可避的に生じ、EUの指示に従うのではなく自国の実情、利益に合わせていこうとする自国第一主義がうまれるようになった。

数年前から各国でEU脱退の要求が起こり、EU本部があるブッリュセルのエリートにたいする激しい反発が生まれた。「渦巻くエリート支配にたいする嫌悪感」、ある新聞の欧州総局長はこう表現していた。今回のフランスでのEU議会選挙で国民連合が第1党に躍り出たとき、パルデラ国民連合党首は「これはブリュッセルに対するメッセージだ」と勝利宣言をした。ハンガリーのオルバン首相は「現在のブリュッセルのエリート層から得られるのは戦争・移民・停滞だけだ」と非難した。

とくにこの間、ウクライナ戦争の勃発を契機に、ウクライナにたいする軍事支援およびロシアにたいする制裁にともなうエネルギー価格、食料価格の高騰による生活難がEUにたいする反発と右翼進出に拍車をかけた。

EUは米軍から司令官をだすNATO(北太西洋条約機構)という軍事組織との密接な関係がある。NATOはアメリカの直接の覇権軍事機構だ。NATOはセルビアにたいする空爆、東欧諸国にたいする政権転覆であるオレンジ革命、イラク、アフガニスタンなどへの介入などアメリカの侵略策動に大きな役割をになってきた。EUは軍事的にNATOの軍事的基礎に築かれた欧州機構だということができる。だから、周辺諸国を経済的利害からEUに加盟させ、最終的にはNATOに加入させ、アメリカの勢力圏を拡大してきた。

今、ウクライナでの戦乱もウクライナをまずEUに加盟させ、つぎにNATOに加盟させようとするところからロシアとの摩擦、衝突が起きてきた。ロシアにとってはウクライナをめぐってアメリカ、NATO、欧州諸国の介入に反対し自国を守る戦いとなる。ロシアがウクライナにたいする軍事行動を起こしたとしてそれを侵略だといえない理由がここにある。NATOがアメリカの覇権のための欧州における軍事組織だとしたら、EUはアメリカの覇権のための政治組織であるといえよう。

EUがもたらしたもの、それは自国第一主義の欧州での台頭だということができる。

◆右翼か左翼かが問題ではなく、自国の主権を守るかどうかが根本問題

欧州で右翼か左翼かが問題にされている。フランスでの国民議会選挙で得票率2位の左翼連合と3位のマクロン派が組んで、決選投票で国民連合を1位から3位に転落させたのは、右翼に政権をとらせないという点で左翼連合とマクロン派が一致したからだ。

日本で進歩的学者として有名な森永卓郎氏が大竹まことのラジオ番組(文化放送)で、つぎのように述べている。「これがもう一つ気になっていることで、実は今日本だけではなくて、世界の先進国がみんな議会選挙で右派勢力が議席を伸ばしているんですよ。世の中が平和なときではないと左派勢力って勢力を維持できなくて。……

第一次世界大戦、第二次世界大戦が起こった原因もみんなが自分の国のことだけを考えるようになったというのが発端となっているわけですよね。だからこういう状態で少し刺激が加わると本当に戦争が起きかねないんですよね……」

果たして森永氏の言う「自分の国を考えることが戦争の原因だ」といえるだろうか。第一次大戦、第二次大戦すべて独占資本家が起こした植民地再分割戦争ではないだろうか。

今回、欧州で右翼が進出した直接の原因は、貧困化した大衆の不満をくみ上げたからだと言われている。貧困問題をとりあげたのが極右と極左といわれる政党だった。新自由主義のもと格差がいっそう広がる中で大衆にとって貧困が耐えがたいものとなっていた。それをウクライナ戦争と移民問題が拍車をかけたのである。従来の左派は中道左派を呼ばれ新自由主義に染まっていって大衆から孤立してしまった。

貧富の格差を拡大してきた根本要因は、EUやマクロンがすすめてきたグローバリズムと新自由主義政策にある。そのもとでフランスをはじめ各国は自分の国そのもの、そのアイデンティティまで失ってきた。パルデラ国民連合党首は集会で「フランスの消滅はすでにさまざまな地域で始まっています。私たちの文明は衰退してしまうかもしれません。……フランスを愛してください。私たちの仲間になってください。私たちと一緒にフランスを守り伝えていきましょう」と訴え、人々の心をとらえていた。

 

赤木志郎(あかぎ・しろう)さん

もちろん右翼の国民連合は、「不服従のフランス」党の最低賃金引き上げなどの政策を拒否しマクロン派に賛成し、パレスチナのハマスの蜂起を反ユダヤ主義として激しく非難するという問題点も有しているが、EUに反対し愛国心に訴え国を守ろうとする主張では正しいといえる。大衆の貧困化、ひいては国の消滅化の根源はEUのグローバリズムと新自由主義政策にあり、その解決の途も各国の主権をとりもどし、国の指導的役割を高めるところにあるはずだ。

フランスの国民連合など欧州の今日の右翼は、かつての右翼とは異なっている。それはEU脱退などのスローガンをおろしソフトなイメージ戦略で臨んだからだけではない。かつての右翼は愛国を掲げて侵略戦争の手先、体制側になったが、今日、愛国を掲げ、国を守れと主張することは反米、反グローバリズム、反体制派になる。それとは反対に国を否定し階級を掲げた左翼の多くがグローバリズムを支持し大衆から遊離していったのと対照的だ。フランスでは社会党がそうだった。

このことは日本の政治を考える上でも大きな示唆を与えているのではないだろうか。

たしかに右翼といえば宣伝カーで大衆の運動を妨害し、侵略戦争の反省を否定し、アメリカの従属に反対せず、体制側の手先の役割を果たしてきた。もし真に愛国をかかげるならば日本の自主独立のために闘っていかなければならないだろう。そのような右翼は日本では少ない。

現在、日本の支配層がアメリカの覇権主義との一体化を機軸に据え、日本という国をなくしていっているもとで、右翼が愛国をかかげるならば日本の自主独立のために闘い、左翼が格差に反対し階級をかかげるならば日米一体化に反対し闘うことだ。右翼か左翼かを区別する意味は久しくなくなっている。重要なのは、底辺の国民大衆の要求に応えるか、国民にとってもっとも重要な国の主権を守りその役割を高めていくかであると思う。そのスローガンは自国第一、国民第一だと思う。

▼赤木志郎(あかぎ・しろう)さん
大阪市立大学法学部中退。高校生の時は民青、大学生のときに社学同。70年赤軍派としてハイジャックで朝鮮に渡る。以来、平壌市に滞在。現在、「アジアの内の日本の会」会員

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

昨年10月ハマスによる奇襲攻撃を契機にイスラエルによるガザ無差別爆撃と侵攻により、これまで8ヶ月間にパレスチナ民衆が6万人以上殺害され、そのうち多くは女性と子供だ。現在、イスラエルはハマス壊滅を掲げガザ北部攻撃の後、ガザ南部のラファへの爆撃と侵攻をすすめている。周知のようにガザ地区は周囲を高い壁に囲まれており、逃げ場のない刑務所のような地区だ。そして、食料と医薬品の搬入も妨害しているため飢えで死者も出ている。つまり、イスラエルはガザ地区にいるパレスチナ人民の大量虐殺、全住民の殺戮を目的としているとしか言いようがない行為をおこなっている。

これに対し、国際司法裁判所はラファ侵攻の即時中止命令とネタニヤフ・イスラエル首相の逮捕命令を出し、国連でもアメリカを除いてほとんどの国が即時停戦を求める決議に賛成し、欧米ではガザ大量虐殺反対の学生運動が巻き起こった。日本でも東大で50名による抗議キャンプと500名の集会をはじめ各大学に広がっている。

これらのガザ大量虐殺反対運動にたいする弾圧の名目は、それが「反ユダヤ主義」だからだという。

 4月パレスチナ民衆に連帯するためにコロンビア大学の学生たちがキャンパス内にテントを張って野営していた。ごく平和な運動だった。同17日、コロンビア大学のシャフィク学長が米下院公聴会に呼び出され、議会で「反ユダヤ主義は私たちの大学に居場所はない」と宣言し、翌日、警察による強制措置に踏み切り、学生150人以上を逮捕した。大学当局は学生たちを停学処分とし、出席するには年間6万㌦約930万円以上という途方もない授業料を支払うという条件をつけた。同様に昨年から学内でパレスチナ連帯の行動がおこなわれているハーバード大学、ペンシルベニア大学の学長が公聴会で共和党議員たちから「反ユダヤ主義だ」と厳しい批判に晒されて辞任に追い込まれてきた。

同じようなことがドイツ、フランス、イギリスなどで起こっている。

「反ユダヤ主義」という言葉は、日本ではあまりピンとこない。もともと反ユダヤ主義とは、ユダヤ人に対する憎悪や偏見のことだ。欧州ではイエス・キリストを売ったのはユダヤ人として「ユダ」が裏切り者の代名詞となり、シェークスピアの劇「ベニスの商人」でユダヤ人があくどい商人として登場するように、ユダヤ人が異端者のように扱われてきた歴史があった。そのうえきわめつきにナチ・ドイツが、「ユダヤ人などの『劣等民族』は、隔離するか絶滅するほかない」という人種主義を説き、ユダヤ人を強制収容所に閉じこめ600万人もの大虐殺(ホロコースト)を敢行した。ここから、欧州でユダヤ人を蔑視、憎悪する「反ユダヤ主義」は絶対許されるべきでない犯罪、悪として扱われるようになったという経緯がある。

◆学生運動が「反ユダヤ主義」なのか

しかし、今、起こっている学生運動が「反ユダヤ主義」なのだろうか? それはイスラエルによるパレスチナ人大虐殺に抗議しているのであって、ユダヤ人そのものを否定、差別していないのは明白だ。だからユダヤ人学生も数多く学生運動に参加している。アメリカのユダヤ人団体「平和のためのユダヤ人の声」も学生たちの抗議行動を支持しており、これらは反ユダヤ主義(ユダヤ人差別)ではなく、パレスチナ人の権利を守り、戦争に抗議する平和的な運動だと主張している。

にもかかわらず、イスラエル政府やアメリカ、欧州各国政府は、イスラエルに反対すること自体が「反ユダヤ主義」としている。とくに、43カ国が参加している「国際ホロコースト記念同盟」(1998年設立)において2016年に採択した「反ユダヤ主義の定義」では、11項目中7項目が現在のイスラエルを扱っており、「イスラエル国家の存在が人種差別的だと主張するなどしてユダヤ人の自決権を否定すること」「現代のイスラエルの政策をナチスの政策と比較すること」などが「反ユダヤ主義」として糾弾の対象となるとした。

この「定義」は欧米諸国に受け入れられ、アメリカでこの定義による「反ユダヤ主義」から学生が守られていない大学は連邦政府からの資金提供を停止するとの行政命令が出され、ドイツでは、政府が「イスラエルの安全保障は国是」としており、イスラエル批判やパレスチナ連帯の言動は「反ユダヤ主義」とみなされ、法律で禁止されている。つまり、「反ユダヤ主義」とイスラエル批判が同一視されているのだ。

なぜ、イスラエルを批判することが「反ユダヤ主義」とされるような馬鹿馬鹿しい論理の飛躍がまかりとおるのか。

その要因は複雑にからんでいると思う。

◆イスラエルと反ユダヤ主義

まず、イスラエルの人々にとって「反ユダヤ主義」はどう受け止められているのか。イスラエルの多くの人々がイスラエルに対する批判を許さないという特別意識をもっているといえる。その意識はユダヤ民族が600万人ものの虐殺という唯一無二の戦争犯罪を受けた民族であり、格別に尊重されるべき民族だというのがある。

そのうえにユダヤ民族の中では長い受難の歴史を経てエレサレムにあるシオンの地に建国した神に選ばれた「特別な存在」だという選民思想が右派を中心にひろく浸透している。だから、イスラエルが特別な存在であるがゆえに「反ユダヤ主義」との戦いを旗印にパレスチナ人を追放し占領地を拡大しつづけ、ガザにたいする大量虐殺を敢行しつづけることが正当だというのである。

実際、これまでイスラエルは周辺諸国を攻撃し占領してきた。今日においてもパレスチナ人を追放してしまえという世論が多数を占めている。その結果、かつてナチがおこなった大量虐殺をみずからおこなうことになっている。それどころかイスラエルの政策に反対するハマスや学生運動がナチと同じだと非難している。反ユダヤ主義撲滅を掲げながらナチス・ドイツとまったく変わりない人種主義、植民地主義をやっている。イスラエルはパレスチナの地を占領し、パレスチナの国家建設に反対し、パレスチナの人々を虐待してきた。

しかし、国家主権をとりもどすことはなんびとも否定できない正義の闘いだ。ハマスがパレスチナの独立をめざし果敢に戦い、それを多くのパレスチナの人々が支持している。今や、世界の多くの国、人々がイスラエルの占領政策と大量虐殺を非難し、パレスチナ民衆に連帯を表明している。イスラエルの独断的な「反ユダヤ主義」で正当化しているパレスチナの人々にたいする人種主義、植民地主義は、必ず破綻の運命を免れることができないだろう。

◆アメリカ覇権主義と「反ユダヤ主義」

アメリカの支援と庇護なしにイスラエルは世界を敵に回しての大量虐殺と占領政策をおこなっていくことはできない。パレスチナ連帯運動とガザ大量虐殺反対運動を無慈悲に弾圧するのは、その運動が本質的にイスラエルにたいし軍事的経済的支援をおこなっているアメリカの覇権主義に反対する運動であるからだ。このことが決定的要因だといえる。アメリカの学生運動はユダヤ資本の大学への投資に反対し、アメリカのイスラエル支援を反対している。

ユダヤ人の哲学者で、米カリフォルニア大学バークレー校大学院で教鞭をとるジュディス・バトラー氏は、「イスラエルによるガザの家・病院・学校にいるパレスチナ人への攻撃、逃げている人々への攻撃はジェノサイドだ。その暴力は、組織的な強制退去・殺害・投獄・勾留・土地の収奪・生活の破壊を特徴とする、75年間にわたる暴力の一部である。イスラエルのパレスチナ占領における入植者植民地主義は人種差別の一形態であり、パレスチナ人は人間以下の存在として扱われている。そしてアメリカ政府は実際に武器や支援、助言を与え、大量虐殺という犯罪に加担している」と指摘している。

 

赤木志郎(あかぎ・しろう)さん

そもそもイスラエルは英米がアラブ民族のイスラム主義諸国を抑えるために作った代理戦争国家だ。イギリスが統治していたパレスチナの地を一つはユダヤ人に委ね、一つはパレスチナ人に委ねるという二つに分割案を決定し、事実上、ユダヤ人国家であるイスラエルの建国を保障した。そして、建国したイスラエルはパレスチナ人を追い出し虐殺し、占領地、植民地を拡大してきたのが現在のイスラエルだ。しかも、英米支配層、言論界にユダヤ人が大きな影響力をもっている。ユダヤ民族が自らの国家をもつのは当然の権利だが、イスラエルはアメリカの覇権主義が作った残忍な侵略国家だといえる。

だから、イスラエルの侵略と植民地政策に反対する戦いはすなわち欧米、とくにアメリカの覇権主義に反対する戦いと直結している。そのアメリカの覇権主義に反対する闘いを弾圧するために「反ユダヤ主義」という理由にもならない理由をこじつけているといえる。

ユダヤ人という理由で差別や蔑視、迫害を受けるいわれはない。それはパレスチナ人、アラブ人という理由でパレスチナから追い出され、迫害を受けるなんら正当な理由はないのと同じだ。しかし、イスラエルではユダヤ人だから他の民族にたいし殺人、爆撃、封鎖、占領など何をしても構わないとしている。

今、「反ユダヤ主義」をもっての学生運動弾圧の過ちを明らかにし、人種主義と植民地主義そのもの、その根源であるアメリカの覇権主義を排撃し、一掃するときがきているのではないだろうか。アメリカを始め欧米諸国でのガザ大量虐殺反対、パレスチナ連帯運動が新たに起こったことがそこのことを示していると思う。

最終的な解決は、パレスチナ国家の独立とイスラエルとの平和共存しかないと思う。パレスチナ国家の独立についてはアメリカとイスラエルを除く世界のほとんどの国が支持している。この場合、これまでの暫定自治政府(西岸地区、ガザ地区)ではなく、パレスチナ領土を回復した国家の建設であり、それをイスラエルが認め、不当に占領した地域(ゴラン高原など)から撤退し、パレスチナ国家との友好平和協定を締結することだと思う。

▼赤木志郎(あかぎ・しろう)さん
大阪市立大学法学部中退。高校生の時は民青、大学生のときに社学同。70年赤軍派としてハイジャックで朝鮮に渡る。以来、平壌市に滞在。現在、「アジアの内の日本の会」会員

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

今、国会で、地方自治法を改正し、地方自治体に対する「国の指示権」を新設する審議が行われている。それは何のためか。それを考えてみたい。

◆「国民の生命等保護のため」の「想定外の事態」とは?

この改正案は、大規模の感染症や大災害などで想定外の事態が起きたとき、国が自治体に対応を指示できるように、地方自治法に「国の指示権」を新設するというもの。

改正の趣旨説明では「国民の生命等の保護のために特に必要な場合に限る」とし、「非常時の危機対策の法制は個別法で大半がカバーされている。それがカバーしきれない『法の穴』を埋めるためのもの」としながら「想定外の事態を具体的に示すのは困難」(田中聖也・行政課長)と言っている。

今、この論議は、国と地方の関係をどう見るかの論議になっている。反対論も2000年の地方分権改革で、「地方公共団体の自主性及び自立性に配慮しなければならない」と規定されたものを「国が地方の上に立つ」「上下関係」の時代に逆戻させようとしているのではないかというものになっている。

しかし、ここで先ず議論すべきは、そもそも政府が言う「国民の生命等の保護のために特に必要な場合」とは何か、「具体的に示すのは困難」とボカす「想定外の事態」とは何なのかを考えることではないだろうか。

「国民の生命等の保護」が問題になるような「想定外の事態」となれば、その最大のものは戦争を置いて他にない。

戦争をやる場合、戦前の「国家総動員体制」のような戦争体制を作らなければならない。地方末端までの全国民、全国土、全資産を戦争に動員する体制作りのために地方自治体に対して「国の指示権」を発動する。

自治法を改正し「国の指示権」を新設する最大の狙いは、そこにあるのではないか。又、そのように見てこそ自治法改正の問題点や悪辣さも浮き彫りになるのではないだろうか。

◆「地域が対中戦争の最前線に立たされる」状況の中で

4月13日、大分県の湯布院で自衛隊のミサイル部隊である「第二特科団」新設の式典があった。第二特科団の本部は湯布院駐屯地に置かれ、沖縄九州に展開するミサイル部隊を統括する司令部になる。そして大分市には、大型の地下弾薬庫2棟が建設中であり、ここには「スタンド・オフ・ミサイル」を保管することができるという。

米国は今、有事には自衛隊を指揮できるように策動している。ハワイにあるインド太平洋軍司令部が持つ指揮統制権限の一部を在日米軍司令部に付与することで、24年度中に作られる自衛隊の「統合作戦司令部」を有事には米軍が指揮できるようにする「緊密な連携」を日本と合意した。

4月には、フリン・インド太平洋軍司令官が「中距離能力を持つ発射装置が間もなく、アジア太平洋地域に配備される」と発言。それは、巡航ミサイル「トマホーク」、新型迎撃ミサイル「SM6」などを搭載するミサイルシステム「タイフォン」を指すものと見られ、有事の際、自衛隊のミサイル部隊は、このミサイル体系の指揮下に組み込まれる。

すでに、昨年10月には、湯布院に隣接する日出生台演習場で国内最大規模の日米共同演習「レジュート・ドラゴン」が離島防衛訓練という名目で行われている。

こうした中、大分では「大分が安全保障の最前線に立たされる」の声が上がっている。

大分ばかりではない。それは全九州的な、更には全国的な声になっている。

今、政府は防衛力強化のために「公共インフラ」を整備するとして、全国38の空港・港湾を「特定利用空港・港湾」に指定しており、3月には、その第一弾として7道県の16の空港・港湾の整備が始まった。

この38施設の内、7割に上る28施設が九州沖縄に集中している。そして、第二特科団の本部が置かれる大分県、その部隊が展開する熊本県、オスプレイ基地を建設中の佐賀県など、「対中戦争の最前線に立たされる」という懸念は深刻さを増して全九州に広がっている。

こうした中、九州では全九州の自治体議員が超党派で「戦争だけは絶対ダメ」という有志の会を作る動きが出ている。

九州以外の地域でも「特定利用空港・港湾」が「有事には攻撃対象になるのでは」との懸念が広がっており、「戦争だけは絶対ダメ」という動きは全国的な動きになっていくだろう。

この5月、米国のエマニュエル駐日大使が与那国島、石垣島を訪れ自衛隊基地を視察した。この時、米軍機を使って与那国空港に降り立ったことに対し、玉城知事が「大変遺憾である」とコメントした。沖縄県は県内の民間空港に米軍機使用を「自粛」するよう要請しており、それを無視し、対中対決の最前線を視察するかのような行為への抗議である。

沖縄県は、空港・港湾の整備でも「運用に不明な点が残されている」と断っている。

今後、対中戦争準備が進められ、戦争が現実化していく中で、地方の「戦争反対」の声は、首長、議会を含む地域ぐるみの声となり、地域を戦争に使わせない条例が各自治体で作られる可能性もある。

まさに「国の指示権」新設は、こうした声を押さえて戦争を遂行するための戦争体制作りのためだと見ることができるだろう。

更には、全国末端までの人員、国土、資産、食料などの動員という戦時体制作りも考えられているのではないか。まさに戦前の「国家総動員体制」であり、「国の指示権」新設の自治体法改正は、その重要な一環と見なければならないと思う。

◆すべては米国との約束から始まった

一昨年の年末に閣議決定した「安保3文書」をもって、翌年早々(1月19日)訪米した岸田首相は、軍事費倍増、敵基地攻撃能力の保持を米国に約束した。そして、今年4月の訪米では、「日米同盟新時代」を謳い、「グローバル・パートナー」として、米国覇権とその覇権秩序を積極的に支えることを約束した。

それは米中対決の最前線に日本を立たせようとする米国に、それをやり遂げますという約束であり、「国の指示権」新設のための自治法改正、「第二特化団」の創設、「特定利用空港・港湾」の整備など地域を「対中戦争の最前線に立たせる」動きも、そこから始まっている。

岸田首相は、訪米で「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」と語ったが、ウクライナは米国の代理戦争をやらされているのであり、東アジアでは、日本が中国を相手に代理戦争をやらされるということである。

 

魚本公博さん

代理戦争は、米国覇権回復の重要な手段になっている。しかし、それは中東においても、ウクライナにおいても破産しつつある。ウクライナは防戦一方であり、中東ではイスラエルの「ガザ虐殺」に抗議する米国の大学生から始まった抗議運動が世界的に波及し、米国覇権を揺るがしている。

こうした中で、日本が米国覇権を支えるとして、対中対決、対中戦争準備に熱を上げて一体どうするというのか。何としても、米国ばかりを向いて、地域に、国民に戦争の災禍を強いるような政治を止め、国民に向き合う国民のための政治を実現しなければならないと思う。

そういう意味でも岸田首相の訪米時の態度を痛烈に批判し、「明石から日本を変える」として地域の力を重視し、そうした「国民の味方」チームで選挙に勝って「救民内閣」を作り「令和維新」を断行するという泉房穂さんへの期待は大きい。

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

◆日米首脳会談のキーワード

去る4月10日、岸田訪米に際しての日米首脳会談、そこでのキーワードは、「日米同盟新時代」と「グローバルパートナー」だった。

実際、このキーワードに先の首脳会談の意味が凝縮されている。そこで問われるのは、その意味だ。

それについて、岸田訪米を前にして、4月4日、同じ日に、米駐日大使ラーム・イスラエル・エマニュエル、そして元米国務副長官リチャード・アーミテージと政治学者ジョセフ・ナイが発表した二つの提言が重要だと思う。

前者は、まず、米国による同盟のあり方の転換について言っている。ハブ&スポーク状の同盟から格子状の同盟への転換、すなわち、米一極を中心に各国が自転車の車輪状に結集した同盟から、AUKUS、日米韓、日米比などの同盟が重層的、複合的に重なり合ってつくられる格子状の同盟への転換であり、その中心には格子が重なり合う日米の同盟が位置するようになると言うことだ。

後者は、日米の統合について言っているのだが、それがこの間深まってきたのを評価しながら、これからは、それが同盟としての統合に深められる必要があることについて言っている。言い換えれば、日米同盟新時代の同盟にふさわしい日米の統合をと言うことなのだろう。

◆在日米軍司令部との連携・指揮の統合

この提言を前後して発表された陸海空三自衛隊を統括する統合作戦司令部の来春新設と米インド太平洋軍司令部の権限の一部が移譲される在日米軍司令部との連携・指揮の統合は、先の提言が何を意味するか、その重大さを証左するものだ。

戦後、日本の防衛はその盾となる自衛隊と矛の役割を果たす米軍の役割分担によっていた。しかしこれからは、日米は攻守をともにするようになり、その領域も日本を超え、インド太平洋全域に広がると言うことだ。

ここには、「日米同盟新時代」が持つ意味が示されており、これまでの「パートナー」から「グローバルパートナー」への転換が何を意味するかが示されている。

それは、一言で言って、あの日本の歴史始まって以来のもっとも悲惨な戦争の総括に基づく戦後そのものの終焉だと言うことができる。それは、不戦の憲法に基づき、非戦非核を国是とした日本のあり方そのものがその根本からが変わると言うことを意味している。

◆「異例の大厚遇」への代価

先の岸田訪米に際しての、米国の国賓待遇での大歓待を岸田政権による「安保防衛費大増額」へのご褒美だと言っていた人がいたが、「異例の大厚遇」への代価はそんなものではすまない。

この計り知れない代価を背負って、「日米同盟新時代」との闘いは開始されることになる。その最初の大事業がこれから行われることになる解散総選挙になるのではないか。

来るべき総選挙を日本と日本国民の命運を危機にさらす先の「日米合意」を一度の国会審議もなく敢行した岸田政権、自民党政権を弾劾し、懲罰する総選挙にするところから、「日米同盟新時代」「グローバルパートナー」との闘いは開始されなければならないだろう。

小西隆裕さん

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年によど号赤軍として渡朝。現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

岸田首相は4月訪米し米議会で、「米国が築いてきた国際秩序は新たな挑戦を受け、自由と民主主義が世界中で脅威にさらされている」と述べ、「日本国民は自由の存続を確かなものにするために米国とともにある。自由、民主主義、法の支配を守る。これは日本の国益だ。……これらの価値を守ることは世界中の未来世代のための大義であり、利益でもある」とし、日本がグローバル・パートナーとして米国とともにその価値観にもとづく国際秩序を守っていく決意を述べた。

はたして米国の「自由、民主主義、法の支配を守る」価値観にもとづく国際秩序を守ることが日本の国益なのだろうか。

今日、世界において「自由と民主主義」の価値観で国を否定し覇権をおこなっていくということが通じなくなっている。ウクライナ戦争もロシアはNATOの東方拡張政策に反対し、祖国とロシアの価値観を守る戦いとして位置づけているゆえに勝利していっている。パレスチナ人民のイスラエル占領に反対し国の主権確立をめざす戦いもかならず勝利していくだろう。そして、アジアでは米国の対中新冷戦も国を守り発展させようとする中国人民により破綻するのは明白だ。

ロシアと中国、イスラム圏だけでなく、インド、ブラジル、南アフリカなどもBRICSや上海機構に結束し、米国の古い覇権的秩序に代わる新しい反覇権多極化秩序の確立をめざしている。この流れにASEAN諸国、アフリカ諸国、中南米諸国が合流している。

そのなかで岸田首相だけが「米国は独りではない、日本というパートナーがいる。共に『自由と民主主義』の価値観にもとづく国際秩序を守っていこう」としたのだ。それは時代の潮流に逆行するものであり、米覇権秩序が崩壊することは避けることができない。

にもかかわらず岸田首相の米国の国際秩序を守ろうとするという覚悟は、あくまで日本が米国を盟主として仰ぎ従い、世界の反覇権勢力に敵対していこうとするものだ。結局、米国のいうがままに日本が利用され使い捨てられていくのではと思う。

「日米同盟の新時代」で米国のもとの統合がすすめられれば、日本の政治、軍事、経済、教育文化と地方のすべての領域にわたって米国に統合し米国式におこなうことが強制され、日本という国が名実ともになくなってしまう。

また、今回の日米会談で統合作戦司令部の発足が決められたように、日本は米軍の指揮のもとで「自由と民主主義」を掲げた米国覇権の軍事外交作戦に動員されていくようになる。かつて日本軍国主義が侵略と戦争の道を突き進んで滅んだとしたら、現在、米国覇権の汚らわしい番犬、駒として世界の自国第一主義の潮流に飲み込まれ滅亡する道を歩んでいるといえよう。

その結果、国民はどうなるのか。中国との戦争で戦禍を蒙るだけではないか。国民にとって戦争を絶対望んでいないし、米国のもとに日本が統合されることを望んでいない。平和で豊かで生きがいある生活をもたらす自分たちの国であってほしいと思っているのではないか。

なぜ日本が米国に統合されていき、米軍の尖兵になるのか?

 

赤木志郎(あかぎ・しろう)さん

それは、先に引用した岸田首相が「自由、民主主義、法の支配を守る。これは日本の国益だ」と述べているように、米国の「自由と民主主義」を日本の国益の上においているからだ。いいかえれば、日本は植民地でも傀儡国家でもないが、無条件降伏した国家として日本の上に戦勝国である米国が君臨しているからだ。そしてそこには、米国に従うことによって自己の利益を得ようとする日本の勢力がいる。侵略戦争をおこなってきた旧支配層は他国を隷従させたので自己が従属してもなんとも思わない。そして、米国の覇権にすすんで加担することなる。単なるかいらい売国勢力ではなく従米覇権勢力ともいうべきか。地検特捜部が米国の指示で動く部署だとしたら、財務省や外務省が従属覇権勢力の巣窟と考えれば分かりやすいかもしれない。

しかし、今や戦後日本を占領し日本を従属させてきた時と異なり、米国の力は著しく弱化している。歴代自民党の首相をはじめ多くの政治家、学者、マスコミは「自由と民主主義が日本の国益」「米国の国益が日本の国益だ」と言ってきたが、今回の岸田首相の発言にたいしては大手マスコミでも必ずしも全面賛成ではなく、疑問を呈している。

米国の力が弱化したもとで日本が「同盟者」として先頭に立って頑張りますよというのが岸田首相の言い分だが、実際は米国の尖兵として肉を切られ骨を切られるまで使い捨てられることを甘い言葉で強要されているのだ。もともと米国の国益が日本の国益になりえないが、米国の国益を日本の国益とするその乖離、軋轢、矛盾が耐えられないほど大きいなものになっている。

もはや日本国民にとって米国の国益が日本の国益ではない。日本の国益はあくまで日本国民の利益を守ることであり、日本を米国に統合し米国の尖兵となって対中戦争をおこなうことではない。

日本国民の利益を守る真の国益を擁護するために、「日米同盟新時代」を掲げた米統合と戦争策動に反対する闘いを起こしていくことが問われているのではないかと思っている。

▼赤木志郎(あかぎ・しろう)さん
大阪市立大学法学部中退。高校生の時は民青、大学生のときに社学同。70年赤軍派としてハイジャックで朝鮮に渡る。以来、平壌市に滞在。現在、「アジアの内の日本の会」会員

『一九七〇年 端境期の時代』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08KGGRXRQ/

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

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