私は、これまで米国の下への日本の統合、「日米統合一体化」の問題を多く寄稿させて頂いた。そうした中、「日本の国土政策の根本を変える」との主張が出てきた。それは何を意味するのか、それと対決するために、何をしなければならないのか、それを考えてみたい。
◆先ず「NTTは『能登』を見捨てる」から
昨年11月、貴通信への投稿で、NTT法を廃止し、NTT株を米国外資に売却し、日本の通信インフラを米国に売る動きについて述べた。こうした中、情報誌「選択」(3月号)に「NTTは能登を見捨てる」という記事があったので、そのことから始めたい。
その記事は、NTTの島田明社長が今年度第3四半期決算の発表記者会見の場で「モバイルファースト」を強調したが、それはNTT法が同社に科している「固定電話をあまねく全国に提供する責務」、即ちユニバーサルサービス(ユニバ)の「最終保証義務」の廃棄を狙ったものだというものだ。
能登では大震災による電柱、局舎、中継施設が倒壊・破損したが、その完全復旧には半年以上掛かる。そこで応急措置として携帯電話を使っているが、携帯電話は、基地局周辺エリアしか使えず、本格復旧には光回線(光ファイバー)網をつなぎ直さなくてはならない。
そうした復旧費用は100億円にもなる。そこで、NTTは、本格復旧はせずにイーロン・マスクが世界的に展開する通信衛星網「スターリンク」を使うことで済ませようとしている。
情報化時代にあって、通信網から外されることは、「見捨てられた」も同じである。その復旧をやろうとしないということは、まさに能登を見捨てるということになる。
NTT法廃止の本質は、米国に通信インフラを売り渡すということだ。その「亡国・売国」の所行が震災地能登で進んでいる。能登を手始めに、今後も予想される大震災を契機に、日本の多くの地域が「切り捨てられ」ていく。
◆注目すべき竹中平蔵氏の主張
こうした中、竹中平蔵氏が「日本の国土政策の根本を変える」ことを主張している。
氏は、You Tubeの「魚屋のおっチャンネル」で、今、首相になったとして、国民にやるべきことを訴えるとしたら何ですか、という質問に対して「今やらなきゃならないのは、日本の国土政策の根本を変えることです」と答え、「今までは、そこに住んでる人は、そこに住む権利があるという前提で、インフラも供給するしサービスも提供するけど、申し訳ないけど、もう人口も減っていくんだから、ここの中核都市にみんな集まってくれと。そのためのお金は政府が出しますよ」(原文ママ)とその具体像を示す。
竹中氏は、歴代自民党政権で米国式新自由主義改革を主導した人物である。その下での政府の地方政策は、効率第一の「選択と集中」として、中核都市を中心にした圏域にカネ・ヒト・モノを集中させ、他は「見捨て、切り捨てる」というものであった。
その方針の下、地方制度調査会が2017年に「連携中枢都市圏構想」を発表したが、当時、全国市長会では、「圏域の法制化は、地方の努力に水を差す以外の何物でもない」「政府は我々を見捨てるのか」という声があがった。
事実その結果は、「仙台圏の一人勝ち」現象の全国化であった。能登の見捨てられたような現状もその結果である。
竹中氏の主張は、この政策を更に進めるということに他ならない。
そこで注目しなければならないのは、市町村などの基礎自治体を米国企業の管理下に置く動きが進んでいることだ。
昨年2月、総務省が政府の「デジタル田園都市国家構想」で桎梏となっているデジタル人材の不足を解決するために人材サービス会社と協力して市町村にデジタル人材を派遣配置するという方針を発表したが、この人材派遣会社とは、まさしく竹中平蔵氏が会長だった(その後辞任)パソナなどであり、そのデジタル人材とは、米国のIT企業やそれと関連する人材となる。
すでに、デジタル化の司令部であるデジタル庁のプラットフォームはアマゾン製であり、それを使った「全国共通システム」が開発されており、データを集積利用するクラウドも米国巨大IT企業に委ねるものになっている。こうしたデジタル化の大枠が構築されている下で、基礎自治体である市町村の自治業務を米国外資・企業の関連人材がデジタル管理する。
こうなれば、日本の全国土が隅々まで米国に管理されるようになる。それは、地方自治の否定・解体であり、そこでは地域住民主権も剥奪される。そして、デジタルの特性から、米国の影はよく見えない。見えないままに米国による日本統合は進められていく。
竹中氏の「日本の国土政策の根本を変える」主張の隠された狙いは、米国企業が地域を直接管理する形で米国が日本の全国土を管理する国に作り直すというところにある。
◆それは時代の流れに逆行する
今、米中新冷戦の下で、日本をその最前線に立たせるための日米統合策が進んでいる。
それは軍事における統合を先行させながら、日本の全国土を米国の下に統合一体化して日本を根本的に作り直すものとしてある。
この側面から見れば、岸田首相が米国議会で行った演説「未来に向かって~我々のグローバル・パートナーシップ」とは、日本があくまでも日米基軸、対米追随路線を堅持し、米国の下への日米統合一体化を更に進めることを米国に約束したものだと言える。
しかし今、米国覇権は音を立て崩れつつある。
「民主主義」を唱える米国が、イスラエルによるガザ地区での虐殺蛮行を容認し後押しするという「二重基準」、あるいは、ウクライナ支援が物価高など「返り血を浴びる」状況の中で、欧米では、この「民主主義」への懐疑や批判が強まり、「エリート支配」「リベラル寡頭支配」などが言われるようになっている。
こうして、米国ではバイデン政権に反対しトランプを支持するGAMA(Grate America Make Again)運動が起きており、欧州では「いい加減にしろ」運動が起き、各国で自国第一主義が台頭している。
こうした中で、世界の大多数を占めるグローバルサウス(中国もインドもその一員であることを自認している)も、米国覇権にそっぽを向き、脱覇権自主の道を模索し始めている。
時代の流れは、脱覇権自主の流れになっている。
竹中氏の主張は、この時代の流れに逆行し、破綻が明らかな新自由主義改革をさらに進め、日本全土を米国が企業管理するような国に「根本的に変える」というものだ。
新自由主義改革による格差が拡大し、その上に軍事費倍増のため社会保障費や地方交付税が減らされ、様々な形で実質増税が行われる中で、国民の生活苦は増し、SNS上でも、#竹中平蔵をつまみ出せ、#政治に殺される、#増税メガネなどの言葉が飛び交っている。
その上、日本は米国の一部として管理され、対中新冷戦の最前線に立たされ、ウクライナのように米国のための代理戦争をやらされようとしている。
もはや猶予は許されない、日米基軸、対米追随の政治に終止符を打ち、日本の国益、国民益を守る日本のための政治、国民のための政治を今、直ちに実現しなければならない。
◆国民のための政治実現が切実に問われている
こうした中、「冷たい政治」から国民を救う「救民内閣」樹立を訴える前明石市長の泉房穂さんの動きが注目を集めている。
泉さんは、今の政治は、国民に生活苦を強いる「冷たい政治」だとし、この政治を終わらせるために、来るべき総選挙で「国民の味方」チームで候補者を立てて勝利し、ホップ・ステップ・ジャンプで勝利して「令和維新」を行い、「首相公選制」「廃県置圏」を断行して「新しい日本を創造する」と述べる。
その理念は「誰も見捨てない、どんな地方も見捨てない」であり、竹中氏の新自由主義的な「弱者切捨て」とは対極にある。
泉さんは、最近の「政治とカネ」の問題も、これまでの政党政治では、必然的に生み出されるものと捉える。政党政治では国民に向かって訴える必要もなく、議員の関心は派閥の動向に向かい、そういう中では「政治とカネ」の問題も必然的に起きるのだと。
「首相公選制」、そこには、政党政治という間接民主主義に対して、直接民主主義的な政治への志向が見られるし、民主主義とは何か、政治とは何かという根本的な問いかけがある。
「廃県置圏」は都道府県を廃止し300ほどの圏域を作るという、地方政策であり国土政策だが、それは、能登の現状が示す「弱小地域を見捨てる」政策と対決するものとなる。
今、全国の市町村(東京の21特別区を含む)は1741だから、その圏域には、5つほどの市町村が含まれることになり、県単位で見れば、各県に5~7つほどの圏域を作ることになる。そうなれば、「見捨てられる」地域もなくなり、全ての地域がそれぞれ特徴を活かした圏域として互いに連携しながら発展することが出来るようになると思う。
米国覇権が失墜し、世界の多くの国々が脱覇権の動きを強めている中で、米国の下への統合など時代錯誤も甚だしい。世界の流れ、時代の流れに向き合う政治、国と国民の利益を第一に考える、国民のための政治実現が今、切実に問われている。
それをどう実現するのか。泉さんの問題提起などを参考して、政治のあり方、国土政策のあり方などを根本的に捉え直す論議を広範に巻き起こし、そうした中で、日本と国民を救う、「救国、救民」の政治を今こそ実現しなければならないし、それが出来る時代なのだと思う。「デジ鹿」上でも、こうした議論を大いに展開してもらいたいと思う。
▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。