◆造反有理
それはアメリカのコロンビア大学から始まったとも、パリ大学ナンテール分校(現パリ第10大学)で始まったともされる。68年の学園闘争である。その背景にあったのは、文化的な価値観の転換であった。
若者が大人社会に異議をとなえる。束縛的で伝統的な権威をみとめない。長髪とジーンズ、ミニスカートにサイケデリック。大麻にシンナー、ロックンロール。60年代後半に公然化した、これら体制と秩序にたいする反逆的な事象に代表される価値観の転換である。
◎[参考動画]「想像力へのすべての力」:パリ、1968年5月:学生の反乱
わが国にひきつけて言えば、それは日大と東大の全共闘運動として噴出した。日大においては使途不明金に発した学生の憤懣。マスプロ教育(全員が出席すれば教室に入れない)・大学当局と右翼の暴力支配(日大アウシュビッツ)であった。東大は医学部の処分問題に端を発しながら、産学協同批判・大学解体へと理論的地平がひらかれた。よく言われる「自己否定」は、この産学協同によって、特権的かつ資本に迎合する研究への忌避である。
スタイルは上記の体制への反逆とともに、三派全学連(新左翼)のヘルメットとゲバ棒が採用された。67年の10.8羽田ショック(ゲバ棒で機動隊を撃退した)、佐世保エンプラ闘争への国民の共感が、ひとつの類型としてゲバルト学生を生んだといえよう。
さてこの学生叛乱(造反)は教員たちへとひろがり、学園にとどまらない社会的闘争となった。既存の左翼の枠組み(社会党・共産党・総評)を越えた。いやむしろ、既成左翼指導部への批判を契機としていた。
◎[参考動画]全共闘 日大闘争 東大闘争 – 1968
国際的には56年のハンガリー動乱(ソ連批判)に原点を持ち、68年のプラハの春として世界化された東欧民主化。これに中国共産党(毛沢東)の文化大革命が走資派への批判として大衆的な動きとして、ヨーロッパの若者たちに伝導したのである。世界的には新左翼運動と言った場合、フランスの毛沢東支持派が挙げられる。汎ヨーロッパ的なマルクス主義よりも、それを大衆的に越えたアジア的な思想(毛沢東思想と造反有理)への憧れでもあった。※映画「中国女」の影響。
◎[参考動画]La chinoise – two kind of communism
この異議申し立て運動に、ベトナム反戦という世界史的なファクターが重なっていく。帝国主義(フランス・アメリカ)の植民地(ベトナム)支配と反帝民族解放戦争(北ベトナム・南ベトナム民族解放戦線)と、じつにわかりやすい構造だった。北ベトナムをソ連・中国が支援していようがいまいが、反帝国主義の民族独立戦争を支持するのは左派の独断場である。論壇はさながら、左翼にあらざれば言論人にあらず、という感じだった。
◎[参考動画]ドキュメンタリーベトナム戦争
◆左翼運動の退潮
だがその左翼運動も、ヨーロッパにおいてはユーロコミュニズムと緑色革命の道へと分岐し、日本においては内ゲバという最悪の結果を招いた。
赤軍派に代表される軍事主義、および党・階級一元論(プロレタリア単一党)による他党派解体路線である。マルクスの労働者の団結がひとつである以上、共産主義政党も単一であるならば、革命党いがいの党派は小ブルの宗派にすぎない。
したがって、他党派は解体の対象であるとなるのだ。その党派闘争が暴力的なものになるのが、いわゆる内部ゲバルトである。わが国においては、100人以上もの犠牲者を出すにいたる。
ここにおいて、左翼運動は退潮を余儀なくされた。価値観の転換をもたらした左翼の時代は終わり、反対のための反対をする左翼は「サヨク」「ブサヨ」などと蔑まれるようになったのだ。
じっさいに、内ゲバで「処刑」を公言する人々が政権を取ったら、処刑が日常的な監獄のような殺伐とした社会になるであろう。今日にいたるも内ゲバは総括されず、左翼組織はあいかわらずレーニンの組織原則である公開選挙の否定、分派の禁止(コミンテルン22年大会決定)のままである。北朝鮮(個人独裁)や中国(官僚制国家資本主義)を否定できないのは、日本の左翼が同根である証左にほかならない。
◎[参考動画]「死の総括 -連合赤軍リンチ殺人事件-」No.948_2 #中日ニュース[昭和47年3月]
◆反共主義の時代
価値観の転換をもたらした時代は、68年革命の反動として反共主義の時代でもあった。米ソ冷戦、中国をふくめた核熱戦争の恐怖とイデオロギー戦争である。
今日的なテーマに引きつけていえば、統一教会(現世界平和統一家庭連合)が伸長したのも、左翼運動の退潮期と軌を一にしている。文鮮明は早稲田大学の留学生であり、原理研運動の目標として「きみたちは早稲田を奪権しなければならない」と、日本の学生会員たちに語っていた。各大学原理研の結集軸は国際勝共連合を上部団体にいただく、反憲学連という組織だった。
最初に新左翼運動との攻防拠点になったのは青山学院大学で、原理研の女子学生が「わたしは左翼に殴られた」という告発から始まった。やがて各大学に「原理研」「共産主義研究会」のステッカーが貼られるようになり、日大文理学部では銀ヘルグループと激しい攻防となった。
下高井戸にある文理学部は明治大学の和泉校舎が至近距離で、銀ヘルを支援する首都圏の学生共闘は明治の解放派をはじめ、戦旗派(主流派)や第4インターなどの党派連合が結集したものだ。この時期の反憲学連は青龍刀を携えていたから、文理学部での闘いは命がけになったものだった。
最近の若い人たち(ネット右翼)が、なぜ反日の統一教会が自民党に食い込んだのか、と疑問を呈するのを目にする。両者は相容れないはずだと。
時代と関係性を考察せずに、理念だけ単独で取り出してしまうから、こういう不思議な理解になるのだ。
統一教会の本質は利権団体であり、カネのためなら自民党とも北朝鮮とも提携する。政治を「思想」や「理念」と思い込んでいる朴訥なネトウヨには理解できないのかもしれないが、政治とは「敵の敵は味方」という攻防原理であり、また利用できるものは何でも政治利用するのが本質なのだ。
いわゆる「政治的立ち回り」とは、自分たちの利益を最大に追及する、その意味では集票という自民党の利益、統一教会の会員獲得(のための看板)という利害の一致による以外にない。
今回、安倍元総理狙撃事件によって、暴かれた癒着関係が国民の疑問をまねき「利害一致」にならなくなった以上、統一教会の求心力は急速にうしなわれると予告しておこう。
ただし岸信介の時代の文鮮明との癒着は、反共という大きな政治目的があった。本通信で戦後77年の視点を「戦争と革命」においたのも、現在では考えられないほど共産主義と反共主義の相克が色濃く時代をおおっていたからだ。
60年の学生革命(4.19革命)後、日本の陸軍士官学校留学生で満州国軍将校・朴正煕(高木正雄)を首魁とする軍事クーデター政権は、反共防波堤として日米の全面的なバックアップを受け、韓国兵は血を流した(日韓条約・ベトナム参戦)。
当時の韓国は反共親日国家である。在日学生が帰郷時に政治犯としてデッチあげ逮捕されるなど、韓国社会の左右分断が、日本社会を巻きこんでいた(73年の金大中拉致事件なども)。まさに時代の基調は、反共主義と民主(革命)勢力の対立だったのだ。その意味では、現在の統一教会の存在は70年代・80年代の遺物にほかならない。
◎[参考動画]日本NHK記録片“金大中拉致事件” 中文字幕版 1973年
◎[参考動画]Park Chung hee 1974年8月15日文世光事件(朴正煕暗殺未遂事件)
◆伝統文化におよぶ価値観の変化
価値観の変化は、伝統文化においても劇的なものとなった。それは天皇制(皇室)に集約される。
美智子妃の入内と昭和天皇の死によって、むしろ天皇と皇室は戦後民主主義の庇護者としての立場を獲得した。ふつうの人間としての自由な生き方と制度の更なる民主化によって、天皇制(皇室と政治の結合)はかぎりなく解体に近づいていくであろう。
このように68年革命による価値観の転換はいまも継続し、ゆるやかに旧制度を変えていくのだ。いっぽうで、古代いらいの寺社や皇室御物の伝統的な美の中に、天皇制文化が生き残っていくことを、たとえばタリバンのバーミアン破壊のように、ことさら拒否する志向が日本人のなかに生起することは考えにくい。歴史の否定からは何も生まれない。
男尊女卑を伝統文化というには、その歴史は天皇制に比べれば江戸時代以降という短さである。にもかかわらず、天皇崇拝思想よりもはるかに根強くわが国の社会を支配してきた。体制への異議申し立てであった全共闘運動のバリケードの中において、その頑強な男尊女卑思想は体現されたのだった(上野千鶴子の京大全共闘体験)。時代はゆるやかに、ポストモダン(近代合理主義批判)へと移っていく。(つづく)
◎[参考動画]昭和天皇最期の御姿 1988年8月13日から15日。この1ヶ月後の9月19日に吐血し倒れられ、約4ヶ月後の1月7日に吹上大宮御所にてご崩御された。
◎《戦後77年》日本が歩んだ政治経済と社会【目次】
〈1〉1945~50年代 戦後革命の時代
〈2〉1960~70年代 価値観の転換
〈3〉1980年代 ポストモダンと新自由主義
〈4〉1990年代 失われた世代
▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。
旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号
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