金曜夜、新宿駅西口地下で3時間話し倒すおしどりマコ『ガチ街宣』NO NUKES

新宿駅西口の地下。高層ビルの立ち並ぶ新都心方面へ向かう通路の手前に、新宿にしては広々とした空間が広がっている。4月12日金曜日の午後6時。ロータリーから見える円形の、色味を深めて夜景になりつつある空を背に、本日の主役がマイクを握った。

漫才コンビ〈おしどり〉のマコさんは、本年7月21日の投開票が有力視されている参議院議員選挙へ、立憲民主党の議員〈おしどりマコ〉として出馬を予定している。『ガチ街宣』と銘打った今日のステージは、約3時間の長丁場となった。

ふと立ち止まり、いつにまにか中央にまで進んで話を聞き続けるサラリーマン。通行の邪魔だと言わんばかりの顔つきで、わざわざ参加者のあいだを通り抜けようとする者。「やば、これテレビ映ってるんじゃね? キャハハ」という(マンガに登場するギャルのように典型的な)明るい声を残して去る、綺麗な女の子2人組。自分からこちらへ歩いてきた女子高生もいる。ひっきりなしに流れる人混みのなか、だんだんと輪が広がり、20時頃には50人ほどの参加者が集まっていた。

今日はとても寒く、気温は9度。運営の方が「使い捨てカイロを持ってきたんですけど、配れません! 公職選挙法でダメなんですね。30円で売ってますのでよろしければ」とアナウンスしていた。

「3.11のすぐあとから、サポートというか、マコさんのツイキャスをずっと見ていて、いろんなことを教えてもらっています。政治のなかでタブー視されてしまっている原発とか被曝とか、そういうところを深く切り込んで追求してもらいたいし、あと、隠されてることも沢山あるので、そういうのをキチンと国民に知らせることができるような議員さんになってほしいな、と思っています」と語るのは、通行人に声をかけパンフレットを配るモリモトさん。

「ホットスポットとか、廃棄物、ああいうものがこのままの状態で忘れ去られるというか、みんな諦めてどこかに埋められてしまうとか、そういうことにすごく危機感を覚えています。将来わたしたちが死んだあと、次の世代、次の次の世代の人たちが苦しむことがないように、今のときにできることをやりたいなと思っています」

講演の内容についてはここに記さない(気になる方はYouTube等でご覧いただくとよいだろう。そして可能であれば、是非現場へ足を運んでおしどりマコさんのお話にどっぷり浸かっていただきたい)が、2日前に『れいわ新選組』を結成した山本太郎氏についてのみ、新鮮な話として載せておくことにする。

「太郎くんがいたからこそ、国会議員ってどういうものなのか、どういう動きがあるのか、どういうことができるのか、知ることができたんですね。で、私が選挙に出るのであれば〈2人目の山本太郎〉みたいな動きをするのではなく、もっと違う、中に入り込んで、中から連携して動かしていくっていうことをやろうと思ってます。太郎くんがまたひとり飛び出して、いろいろ新しい動きをしていくっていうのは、私のやりかたとは全然違うんですけど、すごく面白いし、楽しいことになってきたなと思ってます」

「今日、なんかめっちゃマニアックな話ばっかりしました。マニア増えたらいいなと思って!」と言うマコさんだが、そのマニアックな内容を、長時間飽きさせずに話し伝えることができるのだからスゴい(実際、20人以上が最初から最後まで聴き続けていた)。

◎おしどりマコさん Facebook https://www.facebook.com/oshidorimako
イベント・街宣予定 https://www.oshidorimako.page/home


◎[参考動画]NNNドキュメント:お笑い芸人 vs 原発事故 おしどりマコ・ケン

▼大宮 浩平(おおみや・こうへい) [撮影・文]
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
Facebook : https://m.facebook.com/omiyakohei
twitter : https://twitter.com/OMIYA_KOHEI
Instagram : http://instagram.com/omiya_kohei

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来
タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

追悼・淵上太郎さん ── あなたとの時間はとてつもなく楽しかったです

最後にいちど会いたかった人が、3月20日の朝に亡くなられた。『NO NUKES voice』でお馴染みの、経済産業省前テントひろば共同代表の淵上太郎さんである。

2017年8月19日経産省前にて(大宮浩平撮影)

晩年というか60歳を過ぎた頃から反安保・憲法9条を護る運動(9条改憲阻止の会)に「復帰」し、最晩年は反原発運動の先頭に立って闘った。その子細は3月11日に発売された『NO NUKES voice』Vol.19(小林蓮実さんによるインタビュー)に詳しいので、ぜひ読んでいただきたい。

その経歴はいたって硬派である。東京学芸大の学生時代に安保ブント(社学同)に参加し、その後は社学同ML派→ML同盟、さらには日本労働党の中央委員として政治活動を継続。そして上記の改憲阻止、反原発運動である。経産省抗議活動では、ふつうに場所を移動している仲間たちを「指揮」したかどで、70歳台なかばにして無届デモ行進にかかる公安条例違反で逮捕されるという栄誉を得ている。と、こう書くと絢爛たる活動歴、活動家人生だったように感じられるが、淵上さんの軌跡はそればかりではない。

◆凄まじい時代の経営者だった

わたしが出会ったのは90年代はじめのこと、雑誌「情況」の組版作業を、淵上さんが経営する「東陽書房」という会社に依頼していたからだ。この東陽書房は地方・小出版流通センターに加盟する出版社でもあって、淵上さんは出版・印刷関連の実業家だったのだ。そのころは労働党関係以外、政治運動の実質とは、ほぼ関係がなかったような雰囲気だったと記憶する。当時はまだ50歳前後で、経営者としての苦労が凄まじかった。バブル経済がはじけ、中小企業にしわ寄せが襲いかかった時代である。淵上さんもその渦中にあった。

というのも淵上さんと同じく、60年安保闘争をともにした印刷業の社長K氏の会社が倒産し、その煽りを受けて取立て屋との攻防を余儀なくされていたからだ。階段を登ってくるヤクザをバットで撃退したり、PCをほかのビルの地下に隠すように営業を続けたりと、アクロバティックな方法に驚かされたりしたものだ。考えてもみてください。取立て屋との激しい攻防をくり返しつつ、若い女性社員たちとともにビルの地下で組版の仕事を続ける。われわれ編集者も、何者かの「尾行」をまきつつ、鉄扉の非常口から淵上さんの地下工房に出入りするという、スリルあふれる「業務」を体感したものです。

親交が深まる頃に、夫人もまじえて酒を酌み交わした記憶がある。ここだけの話、年下の夫である淵上さんは、ピンチになれば「ゴロにゃん」と、夫人に甘えていたとのこと。ピンチとは経営問題だったのか、政治問題だったのかは知らない。その意味では子供のいない男性に特有の、少年っぽいところ(清新さと子供っぽさ)があったと思う。

2017年8月19日経産省前にて(大宮浩平撮影)
2017年8月19日経産省前にて(大宮浩平撮影)

◆震災後の福島へ

それにしてもお会いした方は、淵上さんの冗談好きで会話術のすぐれて愉しい記憶がよみがえるのではないだろうか。「あなたがそういうふうに考えてるの、わたしはとってもいいと思いますよ、ええ」「それ、いいからやりましょうよ、いいじゃないですか、ええ」「これ、いいよ。ああ」などと、何ごとも否定はしない。なんでも積極的に「やろう」と言う。旧ML派という関係上、故今井澄さん(元東大全共闘・参議院議員)の参謀役でもあった。

3.11後は、反原発運動に奔走した故望月彰さん(事故の一年前に逝去)との関係もあり、安保ブントの仲間たちと被災地への救援活動に従事された。震災後の四月はじめには、わたしも淵上さんたちと一緒に被災地の視察と調査を行なった。ちょうど、熟年行動隊(もう子供を作らない世代)が、放射能のなかで身を挺して活動しようという主旨で動き出していたのである。

立ち入り禁止の地域に、あることないことを言いながら警備の警察官たちを煙に巻き、「入ってみようじゃないの」と、福島第一原発の近くまでクルマを進めては、道が壊れているので引き返した記憶がある。そこはUターンが難しくて苦労しました。わたしは「調査隊」の運転手だったんです。余震がくり返され、食事をとる店もほとんど営業してない時期。暗くなりがちな一行のなかで、余裕というのかアバウトというのか、淵上さんの存在が頼もしく、ひたすら愉しかった。笑いのネタが飛びぬけて面白いというのではない、しかし人を愉快にさせる雰囲気。肩の力を抜かせてくれる、そんな人でした。合掌――。

2016年9月11日経産省前にて(大宮浩平撮影)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

『NO NUKES voice』19号 総力特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来 [インタビュー]淵上太郎さん「民主主義的観念を現実のものにする」
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原発事故から8年目の飯舘村で被ばくを可視化する──伊藤延由さんの調査報告

原発事故から8年が経過した。放射能は見えない、臭いもしない……そのため自然や人々にどんな影響を与えるのか、なかなか分かりにくい。それをいいことに、子どもを中心に多発する甲状腺癌ですら、放射能との因果関係がないことにされようとしている。

 
伊藤延由さんの講演報告レジュメより

◆放射能による被ばくは本当に見えないか?
 
事故後、福島県飯舘村で野菜、山菜、空間線量、土壌など様々な放射線量を計り続ける伊藤延由さん(75才)の調査から、放射能汚染を可視化できるデータをいくつか紹介する。震災の前年、東京のIT企業の研修所の管理人として飯舘村には入った伊藤さんは、同時に2.2ヘクタール(22,000平米)という広大の田んぼで未経験の米作りを始め、村の人たちに手伝ってもらいながらおいしいコメを収穫したりした。

農作業の準備をしていた翌年の3月11日被災した伊藤さんは、事故前の1年間が65年間(当時)で一番楽しい時間だっただけに、事故後の国や県、村の対応に強い憤りを覚えたという。そのため住民票を故郷新潟から飯舘村に移し、村民の1人として村政に関わりたいと村議会に請願書や要求書を提出したり、放射能の計測・記録を続け、SNSなどで発信し続けている。自然の循環サイクルに入り込んだ放射性物質が人や動物、自然にどう影響するのかを見ていくためだ。

 
伊藤延由さんの講演報告レジュメより

◆3,100億円もの除染で飯舘村は蘇ったか?

村は2017年3月末で一部帰還困難区域を除き避難指示解除となった。しかしインフラ整備の遅れや帰還後の生活再建が困難であること、線量が十分に下がってないことなどの理由で、帰村は進まず、今年2月1日で帰村者数は878名(住民票登録者数5685名)、多くが65歳以上の高齢者である。

さて帰還に向けて2014年から始まった飯舘村の除染には、3,100億円投じられたが、結果、村はどう変わったのだろうか?

村が広報誌で公表している「村内定点観測点空間線量率の遷移」によると、除染により空間線量率は下がったものの、その後高さ地表1メートルの線量が地表1センチの数値より高い場所が増えはじめ、2019年年1月17日の計測では全38箇所中31ケ所で1センチの線量より1メートルの方が高い逆転現象が起きていることがわかった。

 
伊藤延由さんの講演報告レジュメより

村の85%を占める山林などは未除染のため、汚染された山林から風や雨などで放射能が流れてくるためだろう。伊藤さんはこれが「除染の成果と限界」だという。

土壌については国も県も村もまともに調査をしていない。伊藤さんが独自に調べた結果では、2017年10月小宮地区の山林から採取した土壌から、放射性セシウムが44,900ベクレル/kg検出された。20~30ベクレル/kgだった事故前の土壌に戻るには300年以上かかるだろうと、伊藤さんは断言する。3,100億円かけた除染でも村は蘇らないということだ。

◆ふきのとうの放射能汚染

2018年4月3日、その村で伊藤さんは8か所でふきのとうとその採取場所の土を持ち帰り、非破壊検査、破壊検査、ゲルマニウム半導体検出器の3つの方法で放射性セシウムの濃度を計った。対象8か所はすべて除染対象範囲の地域である。

村役場や道の駅などに設置された非破壊検査機は精度が不確かなため基準値を50ベクレル/kgに低く設定されているが、検査した8ヵ所のふきのとうで唯一ND(不検出)だったのは佐須地区のみで、沼平地区の14・7ベクレル/kg以外の地区では全て50ベクレル/kgを超えた。また非破壊検査で高い数値を出したふきのとうは、より精度の高い破壊検査、さらに厳密なゲルマニウム検査でも同様の高い数値であった。

 
[表01]伊藤延由さんの講演報告レジュメより

検体のふきのとうを採取した土壌の汚染度は、ふきのとうのセシウム濃度とは比例するものではないが、同じく高い数値をだしている。この表([表01])ではっきりわかったのは、空間線量率が高い地域は土壌汚染も酷く、そこで採れたふきのとうの放射線量(被曝量)がいずれも高いという事実だ。放射能以外には何がふきのとうの被曝量を高めたというのだろうか?

さらに驚くのは3,100億円かけて行われた飯舘村の除染の杜撰さだ。飯舘村ではこれまでも豪雨で除染袋を川に流してしまったり、汚染土を入れた二重袋の内袋を閉めなかったため、詰めなおすなどの杜撰さが明らかにされていたが、これが国直轄で実施された除染の実態かと呆れるばかりだ。

◆伊藤さん自身の内部被ばく

 
[表02]伊藤延由さんの講演報告レジュメより

次に図らずも被ばくの検体となってしまったのが伊藤さん自身であった。表に伊藤さんが定期的に受けるWBCを受けた際の放射性セシウムの数値がまとめられている。2011年8月14日の検査(東大の小佐古研究室)では放射性セシウム134と137の合計で2,356ベクレル/kg、翌年2012年福島市民測定所で受けた検査でも2,550ベクレル/kgと高い数値を出していた。([表02])

その後2016年以降は101、167ベクレル/kgと下がっていた伊藤さんの数値が、2017年7月の検査で突然1,844ベクレル/kgに跳ね上がった。何故かと、伊藤さんは毎日記録するノートやSNSにアップしていた自身の行動の記録などを手がかりに考えた。

 
[写真A]伊藤さんが福島県猪苗代町で食べたコシアブラ定食

するとひと月前の2017年5月24日、伊藤さんが福島県猪苗代町で食べた「コシアブラ定食」と、近くの露店で販売されていた山形県産コシアブラ(ひと山500円)の写真がアップされていた([写真A])。

これが原因ではないかと考え、2018年4月10日、県林業振興課に「猪苗代町の露店でコシアブラを販売しているから取り締まるように」と警告し、同時に獨協医科大学准教授・木村真三さんらと詳しい調査を開始した。

2018年の5月の連休に伊藤さんは木村先生、東京新聞の記者の3人で、山菜目当ての観光客が殺到する福島県猪苗代町や山形県米沢、飯豊、小国の道の駅や直売所で山菜を購入し、ゲルマニウム半導体検出器で放射性セシウムの濃度を計測した。すると苗代町の2ヵ所の直売所に売られていたコシアブラから食品基準の14倍と6倍のセシウムが検出されたのである。

東京新聞がその結果を福島県に通報、その後山菜を販売していた猪苗代町の店名なども入れたプレリリースが発表されたが、地元のローカル放送以外、報道するメディアは余りなかったという。

山菜、キノコの放射性セシウムの濃度は時間とともに減少するとは限らず、土壌の質、水分、天候などに左右され、その動向はなかなかつかめないため、福島県でも厳しい出荷制限がつけられている。山形県産と偽り、コシアブラを販売した摘発された猪苗代町の店はその後8月21日には、野生茸の販売でも摘発を受けている。
 
飯舘村の広報紙でも「村内で採れた茸や山菜を食べたり、人に譲らないでください」と書いているが、その理由を説明することはない。「野焼きをしないでください」(野焼きについては3月15日から許可となった。伊藤さんは反対の請願を議会に提出している)「村で取れた薪を燃やさないでください」も同様である。そうすることで放射性物質が拡散し、被ばくのリスクが高まることを徹底周知させることをしない限り、こうした問題は今後も続くだろう。

なお伊藤さんの体中で1,844ベクレル/kgだった放射性セシウムの濃度は約3ケ月後の10月6日には783ベクレル/kgにまで減少している。「動物学的半減期」により、約100日で半分が排出されるからだそうだ。しかしこれにも個人差は当然あるだろう。
  
さまざまな形で私たちの目の前に顕れる被ばくの実態、それは今後増えることはあっても、減少することはないだろう。村に戻った人も戻らない人も、避難を続ける人たちにも、これ以上無用な被ばくを強いてはならない。伊藤さんの続ける調査から被ばくの実態を知らされ、改めてそう痛感する。

▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

3月11日発売開始!『NO NUKES voice』19号 総力特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

〈原発なき社会〉を目指す雑誌
『NO NUKES voice』Vol.19

3月11日発売!
A5判 総132ページ(本文128ページ+巻頭カラーグラビア4ページ) 
定価680円(本体630円+税)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07NRLKDLG/ 

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『NO NUKES voice』19号 〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

 
3月11日発売開始!『NO NUKES voice』19号 総力特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

『NO NUKES voice』19号が2019年3月11日、福島第一原発事故から丸8年のきょう発売される。

「2011年3月12日、大地震から一夜明けた双葉町。いつも散歩していた道路が大きく壊れていた。この日の午後、原発事故が起きた。これが原発事故前に双葉町で撮影した最後の写真となった。以後、わたしは一時帰宅を幾度も重ね、今年1月20日の一時帰宅で100回目となった」

グラビアに添えられた大沼勇治さんのコメントだ。大沼さんは子供のころに「原子力明るい未来のエネルギー」との標語を発案し、その標語が双葉町に看板となり掲げられた。事故後その欺瞞に気が付いた大沼さんはこの標語の看板を、事故の記憶として残すように町に要請するが、町は老朽化を理由に撤去してしまう。

わたしたちは「なんともひどい話だ」で思考を止めるのではなく、大沼さん自身に自分の立場を置き換えて考えてみることを試みてみてはどうだろうか。「他人の痛みはわからない」と端から、決めつけるのではなく、一度自分がその人の立場に置かれたら、何を思うか。何を感じるか。何に怒りをぶつけよう、ともがくのか。原発問題に限らず、自分を当該当事者に置き換えてみる(試していただければお分かりになろうが、それは大変にエネルギーを使い厳しい作業である)試行は、有益な営為であると思う。

大沼勇治さん(双葉町原発PR看板標語考案者)。これが原発事故前に双葉町で撮影した最後の写真となった
 
山本太郎さん(参議院議員)

共感できるかできないか。あるいは痛みに打ちひしがれ苦しみを直視できないか。いずれの結果となろうが当事者ではない人々が、思いを巡らすときに、もう一歩踏み込んで自分の心を、その場においてみる。そういった営為が今後ますます重要性をましてくることだろう。

『NO NUKES voice』の存在は、そのような試行のお手伝いとしての媒体でもありたいと我々は考える。

 
布施幸彦さん(ふくしま共同診療所院長)
 
佐藤幸子さん(「子どもたちのいのちを守る会・ふくしま」代表)

今号、冒頭にご登場いただくのは、3・11が生んだ反原発政治家山本太郎参議院議員だ。講演というよりは対話集会のようなたんぽぽ舎における山本議員の発言と応酬は、現在進行中の野党再編への発言も含まれる。原発問題・政界再編成双方の観点から興味深い。

冒頭のご紹介した大沼勇治さん、布施幸彦さん(ふくしま共同診療所院長)、佐藤幸子さん(「子どもたちのいのちを守る会・ふくしま」代表)が、福島現地から8年目の声を伝える。伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)は「避難指定区域」と「屋内避難地域」報道のあり方を検証する。

横山茂彦さんの「我々は震災の三年前に、3・11原発事故を『警告』警告していた!」は本誌17号に続く後半の報告だ。森山拓也さんの「日本の原発輸出とトルコの『沈黙しない人々』は、「沈黙する人々」が多数を占める、どこかの島国の国民は必読だ。

 
足立正生さん(映画監督)

足立正生さん(映画監督)は知る人ぞ知る「あの人」の一人だ。芸術家らしい「地獄の釜のフタの上で踊る人に会った」では足立さんが雑誌の中で映像を浮かび上がらせてくれる。淵上太郎さん(経産省前テントひろば代表)へのインタビュー「民主主義的観念を現実のものにする」は、元気で真面目な小林蓮実による、彼女ならではの切り口が新鮮だ。

常連の三上治さん、山崎久隆さん、尾崎美代子さんが闘いの諸戦線と展望を展開し、山田悦子さんは重大なテーマ「死刑と原発」を語りつくす。
 
昨年帰らぬ人となった納谷正基さんと編集部の対談「志の人・納谷正基さんの生きざま」は第2回目をお届けする。フラメンコダンスの講師を辞めて、「悪書追放家」の肩書に変えてはいかがかと思われるほどの冴えを見せる、板坂剛さんの悪書追放キャンペーン第二弾!ケント・ギルバード著『日本が世界一の国になるために変えなければならない6つの悪癖』は書名からして板坂さんに「叩かれたがっている」感が満載。当然板坂さんはボコボコにする(痛快だ)。

佐藤雅彦さん(翻訳家)の「原発と防災は両立しない!生きつづけたいなら、原発を葬り去ろう!」は表題だけで主張が充分まとまっているが、佐藤さんならではの精緻で、独自の視点に注目だ。その他全国からの運動報告、読者の声、編集後記まで力を抜くことなく今号も全力で編纂した。

8年経とうが、10年経とうが関係ない。われわれは困難が大きければ大きいほど闘志とフクシマへの共感を忘れずに毎号全力(微力ながら)で「原発を止めるための雑誌」を発行し続ける。そのためには皆さんが読者となっていただき、われわれへのご意見ご批判、激励を頂ければこれほどありがたいことはない。ともに闘わん!

森山拓也さん報告「日本の原発輸出とトルコの『沈黙しない人々』」より

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

〈原発なき社会〉を目指す雑誌
『NO NUKES voice』Vol.19

3月11日発売!
A5判 総132ページ(本文128ページ+巻頭カラーグラビア4ページ) 
定価680円(本体630円+税)
 
総力特集 〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来
[グラビア]
双葉町・100回目の一時帰宅(大沼勇治さん
あれからもう八年にもなるのに(佐藤幸子さん

[講演]山本太郎さん(参議院議員)
原発は経済・生活の問題です──たんぽぽ舎での一問一答講演から

[報告]大沼勇治さん(双葉町原発PR看板標語考案者)
脱原発・明るい未来のエネルギー

[報告]布施幸彦さん(ふくしま共同診療所院長)
被ばくした人々の健康を守る

[報告]佐藤幸子さん(「子どもたちのいのちを守る会・ふくしま」代表)
あの日のことは鮮明に覚えている

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「東電原発事故避難」これまでと現在〈3〉
「避難指示区域」「屋内避難地域」報道のあり方

[報告]横山茂彦さん(ツーリング洞爺湖元代表、著述業・編集者)
われわれは三年前に3・11原発事故を「警告」していた!
環境保護をうったえる自転車ツーリング
【東京―札幌間1500キロ】波瀾万丈の顛末【後編】

[報告]森山拓也さん(同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科)
日本の原発輸出とトルコの『沈黙しない人々』

[インタビュー]足立正生さん(映画監督)
地獄の釜のフタのうえで踊る人々に会った

[インタビュー]淵上太郎さん(「経産省前テントひろば」共同代表)
民主主義的観念を現実のものにする

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
今年は原発が問われる年になる 持久戦だって動くのだ

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
20年運転延長が許可された東海第二
老朽原発の危険性とはどういうものか

[報告]尾崎美代子さん(「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主)
美浜、大飯、高浜から溢れ出す使用済み核燃料を関西電力はどうするか?

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈3〉死刑と原発(その2)

[インタビュー]志の人・納谷正基さんの生きざま〈2〉

[報告]板坂剛さん(作家・舞踊家)
悪書追放キャンペーン 第二弾!
ケント・ギルバートの『日本が世界一の国になるために変えなければならない6つの悪癖』

[報告]佐藤雅彦さん(翻訳家)
原発と防災は両立しない! 生き続けたいなら、原発を葬り去ろう!

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
原発は危険、老朽原発はもっと危険(事故を起こす)
西(関西電力)も東(東海第二)も老朽原発を止めよ!
安倍内閣の弱点は原発だ!(原発輸出は総崩れ)
《関西電力》木原壯林さん/《若狭》中嶌哲演さん/《東海第二》柳田 真さん
《日本原電》久保清隆さん/《東京電力》渡辺秀之さん/《福島》山内尚子さん
《四国電力》秦 左子さん/《規制委》木村雅英さん/《読書案内》天野惠一さん

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「忘却」が許されない事実がここにある──『NO NUKES voice』19号明日発売

 
3月11日発売開始!『NO NUKES voice』19号〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

「忘却」は人間が生きる上で、必要上生じた脳の機能ではないだろうか。「忘れてしまう」のは、うっかりしていたり、認識や興味が薄い対象ばかりではない。心が引き裂かれんばかりに傷ついた体験ですら、時間の経過は「忘却」しないまでも「緩和」させる効果を持つ。そうでなければ、人生で生じる苦難や悲しみの数々から、いつまでたっても人々は、自由になることができず心が押しつぶされてしまうことだろう。

人間がもつ「忘却」という特性を、熟知し利用するのは権力者たちであり、支配者たちだ。内容が希薄になるのと反比例し、日ごとに速度を上げる情報通信速度と、それに付随するテクノロジーは、ほとんど人生にとって「無意味」な情報を受け手に押し付けることにより、さらに「忘却」の速度を増す。

そんな時代でも情報産業で、長きにわたり重用される人物は、庶民からは「警戒対象者」とみて間違いないだろう。政界を引退したはずの橋下徹や、どんな立場の論陣も張ることができる佐藤優。何でも知っていそうで、その実何事も本質に迫らない池上彰。空疎な言論にしか過ぎないのにどういうわけか「知識人」の範疇に入れられている津田大介。誰とでも仲良く対話をこなし「すごいですね」を連発する『天皇陛下の味方です』の著者にして、新右翼からの似非転向者鈴木邦男。

右から右まで(左までではない)、嘘つきで、場面に応じて適当な発言をする人間ばかりであることが特徴である。これらの人物が極右月刊誌ではなく、商業新聞や週刊誌などに登場しつづけるのは、上記いずれの人間にも「確たる思想」がないからともいえる。上記各氏に「原発の存続をどのように思うか」と聞けば、ほとんどの人物が「原発には基本反対」と回答するだろう。しかしこの人たちが日ごろ繰り広げる言論を、注意深く観察すれば、いずれもが本心で「原発」に反対などしていないことが明白にわかる。

わたしたちは、2011年3月11日以前の彼らの言動を「忘却」してしまっているのだ。あるいは彼らの巧みな変節術に幻惑され続けているともいえよう。そういえば、彼らに似てはいるが、一時の注目だけで頓挫した小池百合子も、知事選挙に出馬の際は「将来的に原発の停止」を主張していた。

そして、もう少し昔にさかのぼれば、小泉純一郎や小沢一郎がこの時代を作るのに果たした、極めて大きな罪をも「脱原発」は免罪してしまっている。小泉の人物評価については本誌執筆者の中でも、大きく分かれるところではあるが、イラク戦争に自衛隊を派遣した人物であることを、郵便局を解体した人物であることを、「人生いろいろ企業もいろいろ」と、雇用の自由化(非正規雇用の拡大)を進めた人物であることを勘案して、総合的な評価は下されるべきだろう。

小沢一郎にいたっては、80年代から彼の行動を「忘却」していない人々にとっては、「リベラル」、「庶民派」などの評価は、悪い冗談にしか聞こえない。小泉が力を持つはるか前に、自衛隊の海外派兵への道筋を作ったのが小沢であり、田中角栄直伝の政治手法で国民を恫喝しまくっていた姿は「忘れ」られない。

さて、愚痴ばかりを並べる老人のように、人物をけなしてきたが、上記の人々がわたしとは異なる価値観により、一定の評価を得ているのは「忘却」に原因があるのではないか、との例を示したかったからである。大阪では知事と市長が入れ替えを目論んだ選挙が行われるという。

一度住民投票で否決された「大阪都構想」を実現するためだそうだが、これほど馬鹿げた選挙があるだろうか。「何を寝ぼけたことを言っとるんじゃ!」と本当であれば、大阪人は怒らねばならないはずだと思うのだが、どうもそのような雰囲気は伝わってこない。「忘却」は進行すると「思考停止」さらには「便乗」へと行動を進行させる悪例かもしれない。しかして、大阪ファシズムは定着してしまった。

わたしたちが「忘却」しようが、しまいが、化学物質の存在に変化はない。放射性核種の毒性をごまかすために、多様な流言飛語が飛び交おうと、東京五輪が行われようと、汚染の実態は変わらない。「忘れる」のは人間の勝手だが、ばらまかれた(ばらまき続けられている)放射性物質は、議論の対象者ではなく「物質」として拡散されたまま、そのほとんどがほおっておかれている。

いわんや炉心から溶け落ちた燃料(デブリ)は泰然自若として、福島第一原発の地下に居座り続けている。東電や政府は無謀にも、デブリを「取り出す」予定だそうだが、人類史上例がない毒物の塊を、「取り出して」どこに持ってゆくつもりなのだ。どう保管するつもりなのだ。

「忘却」したくとも「忘却」が許されない事実がある。動かぬ事実を確認するために『NO NUKES voice』19号が明日発売される。特集は【福島・いのちと放射能の未来】だ。「忘れかけている」方、「忘れてはいない」方にも是非お読みいただきたい。小沢一郎との今後の関係が注目される山本太郎議員の発言は必読だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

〈原発なき社会〉を目指す雑誌
『NO NUKES voice』Vol.19

3月11日発売!
A5判 総132ページ(本文128ページ+巻頭カラーグラビア4ページ) 
定価680円(本体630円+税)
 
総力特集 〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来
[グラビア]
双葉町・100回目の一時帰宅(大沼勇治さん
あれからもう八年にもなるのに(佐藤幸子さん

[講演]山本太郎さん(参議院議員)
原発は経済・生活の問題です──たんぽぽ舎での一問一答講演から

[報告]大沼勇治さん(双葉町原発PR看板標語考案者)
脱原発・明るい未来のエネルギー

[報告]布施幸彦さん(ふくしま共同診療所院長)
被ばくした人々の健康を守る

[報告]佐藤幸子さん(「子どもたちのいのちを守る会・ふくしま」代表)
あの日のことは鮮明に覚えている

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「東電原発事故避難」これまでと現在〈3〉
「避難指示区域」「屋内避難地域」報道のあり方

[報告]横山茂彦さん(ツーリング洞爺湖元代表、著述業・編集者)
われわれは三年前に3・11原発事故を「警告」していた!
環境保護をうったえる自転車ツーリング
【東京―札幌間1500キロ】波瀾万丈の顛末【後編】

[報告]森山拓也さん(同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科)
日本の原発輸出とトルコの『沈黙しない人々』

[インタビュー]足立正生さん(映画監督)
地獄の釜のフタのうえで踊る人々に会った

[インタビュー]淵上太郎さん(「経産省前テントひろば」共同代表)
民主主義的観念を現実のものにする

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
今年は原発が問われる年になる 持久戦だって動くのだ

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
20年運転延長が許可された東海第二
老朽原発の危険性とはどういうものか

[報告]尾崎美代子さん(「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主)
美浜、大飯、高浜から溢れ出す使用済み核燃料を関西電力はどうするか?

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈3〉死刑と原発(その2)

[インタビュー]志の人・納谷正基さんの生きざま〈2〉

[報告]板坂剛さん(作家・舞踊家)
悪書追放キャンペーン 第二弾!
ケント・ギルバートの『日本が世界一の国になるために変えなければならない6つの悪癖』

[報告]佐藤雅彦さん(翻訳家)
原発と防災は両立しない! 生き続けたいなら、原発を葬り去ろう!

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
原発は危険、老朽原発はもっと危険(事故を起こす)
西(関西電力)も東(東海第二)も老朽原発を止めよ!
安倍内閣の弱点は原発だ!(原発輸出は総崩れ)
《関西電力》木原壯林さん/《若狭》中嶌哲演さん/《東海第二》柳田 真さん
《日本原電》久保清隆さん/《東京電力》渡辺秀之さん/《福島》山内尚子さん
《四国電力》秦 左子さん/《規制委》木村雅英さん/《読書案内》天野惠一さん

https://www.amazon.co.jp/dp/B07NRLKDLG/ 

私たちは唯一の脱原発情報誌『NO NUKES voice』を応援しています

政治決戦へ、すでに火蓋は切られた 山本太郎議員の講演会に立錐の余地なし

1月29日に東京のたんぽぽ舎で、参議院議員の山本太郎さんの講演会がおこなわれた。もともと山本さんは政治家になる前から反原発運動にかかわり、たんぽぽ舎との縁は浅くない。「久しぶりに、故郷にもどってきた気分」(山本議員)だという。

首都圏で反原発運動のステージを作ってきた、たんぽぽ舎はしかし無党派の市民運動体であって、選挙には中立の立場である。したがって、今夏の参院選挙に出馬する予定の山本議員の講演会は、たんぽぽ舎の個人が主催するかたちとなった。このあたりは運動的な原則の問題だが、いまデジタル鹿砦社通信の本記事を書いていることも、実は事前運動スレスレの行為なのである。以前、次の選挙に出るのが確実な議員さんを、ある雑誌でインタビューしたときに、当時はまだ総務省ではなく自治省だったが、事前運動の線引きは捜査当局がやることであって、当方は関知しない(言葉としては、「わからない」)という返事をいただいたことがある。

そこで、今回の講演会の質疑のなかで出された選挙戦術についても、取り締まり当局の目が光っていることを勘案して、最低限にとどめて報告したい。なお、3月発売の『NO NUKES Voice』vol.19において、山本太郎さん独得の節まわしをふくめて、全レポートをお伝えする予定なので、くわしくは同誌の発売をお待ちいただきたい。期待は裏切らないとお約束しておきましょう。

◆混沌のなかの野党再編

すでにご存知のとおり、山本議員が属する自由党は、国民民主党との合同を決めた。これによって、国民民主党は立憲民主党と同規模の会派となり、国会に占める影響力および選挙(全国比例区など)での規程力が増した。とはいえ、山本議員の地盤である参院東京選挙区は1増となったが、それゆえに各党派がしのぎを削る大激戦区である。自民2、公明1、立憲民主1、国民民主1、共産1という議席配分はほぼ決まりで、さらに自民党が3人目、立憲民主が2人目を擁立すると厳しい事態となる。

かりに政策のすり寄せがままならないまま、あいまいな立場での国民民主党からの出馬となれば、前回の勢いまで到達できない可能性もある。そこで全国比例区での出馬や、前回同様に無党派での出馬も考えられないではない。講演会場での質問は、山本議員を再選させるには、どうしたらよいのかという議論が百出した。

街頭では4月の統一地方選にむけた選挙戦がはじまっている。地方選挙と同じ年の参院選は、公明党の地方議員・地方組織が選挙疲れをするので、自公にとっては不利だとされている。それに加えて、たとえば高知県(地方紙)では自公の支持率が25パーセントという衝撃的なアンケート結果が出ているのだ。森友・加計疑惑、厚生労働省の勤労統計の不正など、安倍政権に愛想をつかした国民の自公政権ばなれは加速している。問題なのは、受け皿になる野党の「かたまり」がまだ未成熟な現実であろう。選挙戦術としては、ネット署名を考えているという。万単位のネット署名をもとに、各選挙区で立候補者に反原発の公約を取り付けるのは有効であろう。

 

◆経済に明るい山本太郎

講演会では、さすがに反原発団体たんぽぽ舎のホールを会場にしているだけに、原発廃炉にむけた運動の必要性が参加者から訴えられた。しかしそこには、消費増税をふくめた経済がしっかりとリンクしていることを、山本議員は明瞭に語ってくれた。原発事故のために故郷をうしなった人々の経済的な損失、そして廃炉までの何兆円、何十兆円というコストを暴露することで、原発事故が現在の問題であることを多くの国民が確認できるはずだ。そこで「原発いらない」は「これ以上損をしたくない」と身近な損得に言い換えることも可能だ。

さらには、赤字国債による財政赤字が、実は国と日本銀行の資金の還流、すなわちリフレによってインフレターゲット2パーセントまでは問題なく行なえること。つまり、財政赤字は虚構であると山本議員は強調した。このままインフレに転じるまでは、お札を刷り続けてもいいのにもかかわらず、政府は消費税増率でインフレ抑制するという愚策を行なっているというのだ。意外にも経済に明るい政治家だった。この男を総理にしてみたいと思ったのは、わたしだけではないはずだ。


◎[参考動画]2019年選挙の年に『山本太郎おおいに語る』「本当のこと言って何か不都合でも?」−山本太郎が実行したい、いくつかの提案−(UPLAN撮影=2019年1月29日スペースたんぽぽにて)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

『NO NUKES voice』Vol.18 特集 2019年 日本〈脱原発〉の条件
月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか

中川五郎さんの「熊の言い分」と飯舘村の放射能

「熊の言い分」

熊を殺したやつが 熊も放射能を食ったと言うが
そんなものは食わなかったと 熊が言った

俺が食ったのは 放射能じゃない
芽吹いたばかりのブナの葉や アリやハチ

黄いちごに どんぐり ななかまどの実
雪が降るまえに たらふく食ったさ いつものことだ

俺が食ったのは この美しいたっぷりの自然だ 
きらきらと流れる 沢の水だ

鉄砲を撃って 俺の厚い胸を 撃ちぬいたのは お前だ
だから今度はお前が 俺を食うのだ
食うために 殺したんだろう

俺が食ったのは この美しい自然だ
さあ、それを今度はお前が食う番だ
 

2011年3月11日に起きた大地震とそれに伴う原発事故により、福島第一原発から大量に放出された放射能は、目に見えない、匂いもしない、やっかいな代物だ。事故からまもなく8年経つが、 その間も正体を表さないまま、私たちをこんなにも長く苦しめている。

冒頭の歌は、フォークシンガーの中川五郎さんが、事故後、懇意にしておられる詩人の都月次郎さんに送ってもらった詩に曲をつけた「熊の言い分」という歌だ。


◎[参考動画]熊の言い分 / 中川五郎 & ながはら元(m3sami wakamatsu 2017/01/07公開)

「放射能を食っただろう?」「いや俺は放射能なんか食ってない」という熊と猟師の争いと似たことは、今後各地で起こっていくだろう。

目に見えない、匂いもしない放射能というヤツラの悪どさは、私たちの生活や身体を破壊するだけではない、さまざまな差別をしかけ、それによって被害者たちを分断させようとすることだ。

大地に降り注いだ放射性物質を取り除く「除染」の実態を最初に聞いたのは、飯舘村の元酪農家・長谷川健一さんからだった。「尾崎さん、屋根の瓦をね、一枚一枚キッチンペーパーみたいなもので拭いているんだよ」となかば呆れ顔で話された。

放射性物質を拭き終えた大量の布は、伐採した木の枝や葉、剥がされた土などと分類され、それぞれ大きなフレコンバックに詰み込まれ、中間貯蔵施設への搬入を待っている。飯舘村だけで、その数は未だ200万個以上というが、除染で空間線量が下がったからと、避難指示は次々と解除された。

経済的にそう豊かではないが、自然の恵みをたっぷりと育む土地で、みなで助け合って生活してきた飯舘村には、誰だって戻りたいだろう。しかし、戻っても以前の生業で生活再建できる見込みはまだ少ない。

菅野村長と村議会は、村民に営農再開をしきりに勧め、土地保全のため、生業のため、生きがいのため、あるいは新たに農業を始めたい人たちのために、手厚い補助を与えている。しかし膨大な金をつぎ込んだ除染で、村は事故前の村に戻ったのであろうか?

現在75歳の伊藤延由さんは、原発事故の1年前に、かつて勤務していた東京の会社が飯舘村に作った研修所の管理人を任され、村に入った。研修所の管理と同時に、念願だった農業見習いをはじめ、米や野菜を作ってきた。伊藤さんにとってその1年が人生で一番楽しかったという。そんな夢のような生活が、原発事故であっけなく壊されてしまった。

それ以降も仮設住宅と研修所を行き来し、土壌、野菜、山菜など、あらゆるものの放射能測定を続けている。避難指示の解除をうけ、伊藤さんはそれまで行き来してきた、自身の故郷・新潟県に置いていた住民票を、飯舘村に移した。伊藤さんは事故の処理をめぐる国と東電と、村の対応がどうしても許せず、余生を反原発にかけるという。住民票を村に移したのは、その決意の表れだろうか?

伊藤さんの話では、飯舘村の土地はもともとそう肥沃な土地ではなかったという。それを村の8割を覆う山林で作られる腐葉土を、同じく村の特産である酪農、畜産で出来る豚や牛のたい肥になんども漉(す)き込み、良質な土を作ってきたそうだ。そうして作った土とともに、昼夜の寒暖差が大きいことが、飯舘村のコメや野菜などを良質な「商品」に育て上げてきたのだという。

かつて「日本で最も美しい村」連合に加盟した飯舘村は7割が山林で、今でも春になれば村全体が、事故前とおなじような鮮やかな緑に覆われる。しかし伊藤さんはその緑を「セシウムの色」と揶揄する。その理由を聞いてみた。

村の土作りに欠かせない腐葉土は、山林の木の葉や枝などを長期間かけて腐敗させたい肥にさせたものだが、実は腐葉土の元となる枯れ葉などに放射性セシウムが最も凝縮されていることがわかった。こうして自然の循環サイクルに組み込まれた放射性セシウムは、300年たっても全てなくなることはないと、伊藤さんは断言する。

飯舘村で栽培され収穫された野菜やコメなどは、県の厳しい放射能測定を受けたのち、基準値以外であれば、市場に出回っていく。しかし、それが他と比べて売れないとしたら、どうなるだろう? それをすぐに「風評被害」と非難する人たちがいる。しかし長谷川健一さんは以前こう話していた。「村で採れた大根から0ベクレル、北海道で取れた大根からも0ベクレル。それで村の大根が売れなかったら『風評被害』だが、村の大根から5でも10ベクレルの放射性セシウムが出て、北海道で採れた大根からは何もでない。それで村の大根が売れないのは『実害』だっぺ」と。
 
目に見えない、匂いもしないやっかいな放射能との闘いは、この先、どこまで続くのだろうか? 避難指示が解除された地域では、村に戻った人たちと、戻らずに避難先などで生活を続ける人たちの間に、放射能どうよう目に見えないほどの溝が出来た気がする。

私は「買って応援」には賛成しない。汚染されたままの土壌を耕し、農業をすることで、高齢者とはいえ無用な被ばくはして欲しくないからだ。しかし数年前、長谷川さんに送ってもらった福島の桃の、美味しかい、その味は忘れていない。長谷川さんは昨年こう話した。「今、福島では『福島の野菜は安全です』というアピールはやめて『福島の野菜は美味しいです』に変わってきた」と。

「までいな」(「丁寧な」や「心を込めて」を意味する飯舘村の方言)思いで作った米や野菜や果実はたしかに美味しく、草花は鮮やかな色をつけるだろう。しかしそれでも売れないとしたら……。

冒頭の中川五郎さんの歌「熊の言い分」に戻る。

「もしかして放射能を食っているんじゃないか?」と疑う猟師に「おれは放射能なんか食ってない。おれが食ったのは豊かなこの自然だ」と熊が言い返し、「食うために俺を撃ったんだろう。早く食えよ。今度はお前の番だ」と猟師に迫る。こうした争いごとは、間違いなく今後あちこちで増えるだろう。

美味しくても売れないとしたら、それは誰の責任なのか? 野菜を作った農家のせいでも、成長する過程で、自らの体内に放射性物質を取り込んでしまった野菜のせいでも決してない。その責任は、恵みの土地に放射能を大量にばらまいた東電と、原発を強く推進してきた国にあるのだ。熊と猟師は互いに憎みあい争うのではなく、ともに国と東電に向かって闘いを挑んでいかなければならないのだ。

▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

伊藤延由さん(飯舘村在住)講演会「原発事故から8年、飯舘村はどうなったのか?」
2月24日(日)14:00~ 社会福祉法人ピースクラブ4F
大阪市浪速区大国町1-11-1(地下鉄大国町駅下車7分)
資料代 500円 お問い合わせ先 hanamama58@gmail.com 
https://twitter.com/hanamama58/status/1083245006331162624

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《お詫びと訂正》

『NO NUKES voice』18号(2018年12月11日刊)掲載の中川五郎さんインタビュー(43~52頁)に誤りのあることが判明いたしました。
謹んでお詫び申し上げますとともに、下記の通り訂正させていただきます。
(『NO NUKES voice』編集委員会)

◎44頁小見出し、45頁中段11行目、同20行目
[誤]「花が咲く」 [正]「花は咲く」
◎46頁中段22行目
[誤]古田豪さん [正]古川豪さん
◎49頁上段21行目
[誤]「二倍遠く離れて」 [正]「二倍遠く離れたら」
◎50頁下段2行目、同19行目
[誤]「sport for tomorrow」 [正]「sports for tomorrow」

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『NO NUKES voice』Vol.18 特集 2019年 日本〈脱原発〉の条件
月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか

大手電力会社を利さない相互ネットワーク型無線送電システム構築のすすめ

2011年3月11日に福島原発「事件」が起こってから、「新エネルギー」として風力、太陽光、地熱、バイオマスなどを利用した電力発電が注目されるようになった。

しかしながら、近年は「環境保全」よりも「投資」の方に目的が大きくなってしまっている。その結果、本末転倒的なトラブルが生じている。とりわけメジャーな太陽光発電と風力発電に着目したい。太陽光発電を例に挙げると、メガソーラー発電所開発による景観破壊、森林破壊、土砂崩れ、廃棄パネルの処理問題が噴出してきている。もう一つ、風力発電を例に挙げると、風車の回転に伴う騒音問題、低周波音による健康被害、風車と鳥との接触などが起きており、やはり問題は多い。

これらに共通するのは、集約的に巨大な発電所を建設し電線を通じて消費地にトップダウン式に送電するという点である。スマートグリッドという、電力の流れを供給側・需要側の両方から制御し、最適化できる送電網も開発されてきているものの、やはり電力を生み出し送るのは発電所側からという図式は同じだ。これでは、発電所や電線を所有する電力会社がいつまでも圧倒的に有利な力を持ち続ける。新電力の参入がよく聞かれるようになったが、送電網は東電や関電など大手電力会社が握っている。彼らが新電力に不満を持てば、いつでも送電線の利用料金を上げることもできる。また、新電力の送電線利用を拒否することも可能である。

太陽光発電や風力発電は火力発電や水力発電などに比べると小型化しやすく、家庭レベルで自家発電が可能である。高地の山小屋などでは、平地から電線を引くのが困難なので、発電用のソーラーや風車を備えている小屋もある。他にもモンゴルのゲルのそばにソーラーが設置されている映像を見かけることもある。太陽光発電や風力発電の強みは家庭レベルで、それを実施できるという点にある。現在はもっぱら投資のために大規模かつ集約的に発電所が開発され、太陽光発電や風力発電が持つ本来の強みが全く無視されているといっても過言ではない。

[図1]

このような背景から今後、発電システムが向かうべきは各家庭が自然エネルギーで自家発電を行い、電力会社(特に東電などの大手)の影響を排除して直接互いに電力を融通しあうというモデルであると私は信じている。

今の時点でも私が考案しているシステムがある。家庭間(企業や公共施設も含む)の無線送電システムである。[図1] このシステムの狙いは、①電力の市民レベルでの自給化、②平時における地域全体の電力最適化と災害時における遠距離の被災地への電力供給である。

システムは以下の通りである。家庭においてソーラーや風力で自家発電する。その電力で家電を動かすのであるが、各家電の消費電力状況のデータをサーバーで保存し、スマートフォンやPCで閲覧できるようにする。同時に集まった電力状況のビッグデータをAIで分析し、不足世帯へ無線LANのように無線送電(手動か自動)を行うなどして、地域の電力を最適化する。また被災地にも電力融通が可能である。[図2]

[図2]

今は化石燃料にせよ自然エネルギーにせよ大規模な発電施設を建設した上で、送電線を用いてトップダウン式に各家庭に送電している。地震や台風で電柱が破損した場合、その地域での送電システムは全く機能しなくなる。さらに電力会社にも普段から電気料金を支払わなければならない。私が想像するのは、各世帯の自家発電からの相互ネットワーク的な無線送電システムである。これならば普段から電力会社に料金を支払う必要はなくなる(あるいは少なく支払うだけで済む)ので、生活費は節約される。また被災時も、無事な遠隔地から電力が無線送電されるので、ニュースで報じられるような電柱の破損や発電所の被災について心配する必要性は少なくて済む。

最後になるが「持続可能な開発目標(SDGs)」という言葉が近年は注目されている。
日本においても、製薬大手が熱帯病の治療薬を無償で新興国に提供したり、鉱山会社がフィリピンで精錬に使わない鉱物の堆積場を緑化したりするなど企業間で動きがある。このようにSDGsを率先して行う企業こそが評価される時代になりつつある。ICTのエンジニアも含め諸分野の技術者はもちろん、財界人も会社勤めのサラリーマンもSDGsを意識しながら、日ごろからいかに活動すべきかを肝に銘じるべきだろう。そのようなことを真剣に考えていれば、もはや将来性のない原発の再稼働や単なる金儲け目的での自然エネルギーへの投資といった事態は起こらないはずである。

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

1月7日発売!月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか
『NO NUKES voice』Vol.18 特集 2019年 日本〈脱原発〉の条件

「原発いらない福島の女たち」黒田節子さんが綴る『ふくしまカレンダー』6年6作の軌跡〈4〉

 
2019年版『原発いらない ふくしまカレンダー』価格1000円(税込)連絡先 090-9424-7478(黒田)

福島第一原発事故で故郷を根こそぎ奪われた女性たちの有志グループ「原発いらない福島の女たち」は、3・11以後の脱原発運動で大きなうねりをつくってきた。その一人である黒田節子さんが中心となって2013年から毎年「ふくしまカレンダー」(梨の木舎)を制作発行している。最新の2019年版カレンダーの紹介と共に、これまでの6年6作の軌跡を黒田さんに4回に分けて回思回想していただいた。今回はその第4回(最終回)。

◆オキナワとフクシマ

アラフォーならぬアラセブンの女友だちで辺野古のカヌー教室に行ったのは、2017年冬の辺野古だった。沖に出て実際の抗議行動に参加するには一定の技術がないとダメなのだ。詳細をいえば……カヌーをわざと転覆させてから(当然、自らも海へジャボンと落ちる)それをひっくり返して再び乗り込むこと(復帰する)が、初心者には難しいのである。ベテランにいわせると「何でできないの?」となるが、若い人は女性でも数回やればゴーサインが出るのにそこはやはりアラセ。腕力体力も足りない、勘も鈍ったのだろう。なんとかして上がろうとしては何度もカヌーの縁で右腰骨を擦り、帰ってからもしばらくは痛かった。(以上、ウチワの話ですみません)

ところで、私たちはなぜ福島から全国からはるばる沖縄に向かうのだろうか。沖縄のロケーションはその理由の1つとして大きいものがあるのは確かだ。カヌーに揺られて広い海原に漂う感覚はある種の憧れでもある。しかし、それだけじゃないダロと。

沖縄には古い友人がいる。再会を喜び、連れて行ってもらった居酒屋でのこと。「沖縄の闘いはすばらしい。フクシマは学ばなくっちゃいけない。沖縄には希望がある」みたいなことをツルンと口走ったら、「そんな簡単にいわないで欲しい。こっちにはこっちの苦労があるのよ」とやんわり返されたことがあった。

シマッタ。自分の浅はかな言い方にちょっと恥じ入り反省もしたが、でも、でもやっぱり希望があるよ、オキナワには。圧倒的かつ卑劣な国のテコ入れにも負けずデニーさんを見事に当選させたし、なにより、全国から人が馳せ参じる辺野古には、その闘い自体に強く惹かれるものがあるんですよ。それらをもしかして「希望」と言い換えてもいいんじゃないかと思うんですよ。

さて、辺野古を巡っては、翁長前知事は8月31日に埋め立て承認を撤回し、法的根拠を失った国は工事を中断した。その後、県知事選挙で移設反対を訴える玉城デニーさんが当選。新知事が対話を求めている中で政府は工事を再開してしまった(11月1日)。

新軍事基地阻止行動は非暴力で貫かれている。「民意を無視した工事強行は許せない」「辺野古の海を後世に残せ!」ゲート前座り込みは照る日や雨の中で続いている。「1分でも1秒でも」埋立て工事を遅らせるために、カヌーチームは再び懸命にパドルを漕いで海保の暴力に抵抗している。「悲しくて悔しくて何と伝えたら良いのかわかりませんが、でもカヌーに乗らないわけにはいかないのです……」

辺野古(撮影=辺野古ぶるー/2019年版4月より)

◆山形県米沢市・行き場のない避難者たちの闘い

区域外避難者の住宅提供打ち切りから1年半ほど。行き場のない避難者に追い打ちをかける住宅明け渡し訴訟が山形地裁で起こされている。2017年9月、山形県米沢市の雇用促進住宅に住む避難者8家族を被告として、国の外郭団体「高齢・障害・求職者雇用支援機構」が明け渡しと相当額の支払いを求めて提訴したのだ(住宅管理の「ファースト信託株式会社家賃」が後で参加)。

「訴える矛先は国・東電ダロ!」「避難者を被告にするな」「国と福島県は原発事故避難者の生存権を守れ」などのプラカードを掲げて、地裁前では全国からの支援者が山形市民にアピールしている。原発事故による〝自主避難者〟が訴えられた、別称「雇用促進住宅明け渡し訴訟(米沢追い出し訴訟)」は、まさに人権侵害そのもの。弁護団と支援する会は、国連人権理事会勧告(2017年11月)の尊重を訴えながら、「訴訟を取り下げるよう原告と福島県を指導せよ」との意見書を政府に提出してもいる。

報告集会では、被告代表の方が「私たちが頑張ることで、東京など同じような状況にある人たちが『よし、やれる!』という気持ちになれば、この裁判の意味があると思う」との挨拶をされた。そう、誰しも自分らの利益のためにだけ、ここまで頑張れはしない。「人間の尊厳」という意味を考える。今、日本という国は人間の尊厳と権利を奪い続け、フクシマの命たちを傷つけ続けている。ご注目とご支援をよろしくお願いします。

山形裁判(2019年版6月より)

◆カレンダーを通じて気づいてほしいこと

最後に、今年のカレンダーは「明るいからホッとした」といった感想を複数の友人からもらった。おほめの言葉なのに、これを聞いて実は複雑な気持ちになっているのです。壁や机の上に掛けて1年間眺めるのには、暗くうっとうしいよりも明るい写真の方がいいに決まっている。

それはそうなんだけれど、ご存知のようにフクシマは先が見えない状況にあって、私たちは実は鬱を内在している。山下センセじゃないけれど、真面目に考え続けていたらまず精神がもたないに違いない。さらに語弊を恐れずにいうなら、ある意味ごまかしながら私たちは福島で日々を暮らしているわけです。確かに、明るさは人を呼ぶ。しかし今のフクシマで「明るく!」という注文は、かなり複雑な思いをさせることでもあるのを、少しは分かって欲しいんです。

ここでまたオキナワを思い出す。苦難の歴史と現在がありながら、歌や踊りが出る闘い、そして何度でも立ち上がる。はたしてフクシマにそのようなことが可能な日がやってくるのだろうか。「原発=核の災害はこれまでの世界を変えてしまった。新しい世界が始まってしまった」と表現したのは、ロシアのスベトラーナ・アレクシエービッチ。新しい世界、つまり新しい苦悩が始まってしまったと予感するのは、なにもノーベル賞作家だけではない。フクシマは、たち打ちできるのだろうか。(了)

黒田節子さん(原発いらない福島の女たち)
『原発いらない ふくしまカレンダー』連絡先
ふくしまカレンダー制作チーム 
090-9424-7478(黒田) 070-5559-2512(青山)
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2019年版『原発いらない ふくしまカレンダー』
価格1000円(税込)
『NO NUKES voice』Vol.18 特集 2019年 日本〈脱原発〉の条件

「原発いらない福島の女たち」黒田節子さんが綴る『ふくしまカレンダー』6年6作の軌跡〈3〉

 
2019年版『原発いらない ふくしまカレンダー』価格1000円(税込)連絡先 090-9424-7478(黒田)

福島第一原発事故で故郷を根こそぎ奪われた女性たちの有志グループ「原発いらない福島の女たち」は、3・11以後の脱原発運動で大きなうねりをつくってきた。その一人である黒田節子さんが中心となって2013年から毎年「ふくしまカレンダー」(梨の木舎)を制作発行している。最新の2019年版カレンダーの紹介と共に、これまでの6年6作の軌跡を黒田さんに4回に分けて回思回想していただいた。今回はその第3回。

◆6年目のカレンダー

いつの間にか6年目のカレンダーを販売している。大変な冒険の旅立ちともいえる当初のカレンダー作りだったから、正直いって6冊目を作れるようになることは想像できなかった。3・11後の様々な動きと混乱、自分たちの生活そのものが明日をも知れない状況の中での、やったこともないカレンダー作り。多くの協力を得ながらなんとかやってきている。

◆「こんな小ぎれいにあの大惨事をまとめられてなるものか!」

2017年版12月のこの1枚は、どうも、いい写真がカレンダーに足りない感じがして、船引町の友人に半ば強引に被写体になってもらい、近所の「環境創造センター」に出向いてもらって撮ったものだった。(仕事中にゴメンナサイ、でした)

写真のキャプションは『環境創造センター内で:「こんな小ぎれいにあの大惨事をまとめられてなるものか!」と、彼女はつぶやいた。小学生向けにゲーム感覚で放射能に慣らそうとするなど、原発事故による被害の過小評価が懸念される』となっている。彼女の怒りの表情といい、その偶然のアングルといい、ラッキーだった。なにより、この環境創造センターの果たす役割こそ、その後のフクシマ棄民政策を象徴する最初の巨大なオブジェと私には印象付けられたのだ。

復興とは何だろう。立派な建物ができたら復興なのか、道路や列車が開通したら復興なのか。この1枚の写真に託した彼女と私の怒りは、月日の経過と共に収まるどころかむしろ次第に強まるばかりだ。

環境創造センター(2017年版12月より)

◆フォトジャーナリスト・山本宗補さんの1枚

「原発いらない福島の女たち」による「原発いらない!地球(いのち)のつどい」も昨年春で6回を重ねた。分科会方式で各テーマ別に福島の現状報告、全体集会では東京の女たちの友情出演でなされた詩の朗読もあった。福島の詩人が書いたものだけが選ばれていた。「心に沁みたヨ」と参加者からの感想ももらっている。集会後は友人たちによるチャンゴ隊(太鼓。朝鮮の民族楽器)を先頭に福島市内を元気にデモ行進。このスタイルが近年は続いているが、沖縄、水俣、愛媛、宮城など全国各地からの参加者と共に、「また1年、諦めないで頑張ろうネ」とエールを交換する。

いいね!の写真が1枚が入ると1冊全体が変わってくるような印象を持ってくることに気がついた。フォトジャーナリスト・山本宗補さんの1枚は、自分たちでたくさん撮った3・11行動のどの写真よりもいいと思ってしまったのだ。あれこれ手を伸ばして宗補さんと連絡がつき、これをお借りすることに快諾を得た。

女たちの3・11(撮影=山本宗補さん/2018年版3月より)

それまでは、自分たちが撮ったものでというのがふくしまカレンダーの「売り」だったわけだが、いいものを見てしまうともう見劣りしてしまってアカン。このことがあった18年版以来、1、2枚はプロのものをお借りするようになった。やはり素人とはチガウのだ。おかげさまで、ある種‘重み’が出たふくしまカレンダーになったと思うんですが、これもまた手前味噌だろうか。

◆若狭の空き地に花咲くマーガレット

福井県の高浜原発再稼働反対のデモ行進中に見た風景。天は高く、若狭の街並みは落ち着いた自然豊かなたたずまいだった。空き地に花咲くマーガレット。この海も山も集落も、フクシマの二の舞いにしてはいけない。心からそう思いつつ歩いたことだった。

若狭を歩く(2018年版5月より)

原発事故は大切なもの、美しいものほど真っ先に全てを奪っていく。それまで子ども等が無邪気にはしゃぎまわって遊んでいた緑のジュウタンがとても放射能の値が高く、季節折々の山や畑、川からの豊穣な恵みは他の食品より何倍ものセシウムが検知されている。これは間もなく8年になる現在も同じ傾向にある。コンクリートとは違い、天然の細胞深く取り付いた放射能は、雨風で容易には流れないのだ。

フクシマで失ったものの大きさを思い、道端に健気に咲く花たちが愛おしい。だから、この写真を見ると今でも涙が出るんです。(つづく)

黒田節子さん(原発いらない福島の女たち)
『原発いらない ふくしまカレンダー』連絡先
ふくしまカレンダー制作チーム 
090-9424-7478(黒田) 070-5559-2512(青山)
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2019年版『原発いらない ふくしまカレンダー』
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