今週の『アサヒ芸能』(10月18日号)で『タブーなき原発事故調書 超A級戦犯完全リスト 』が4ページに渡って紹介されている。
「事故の『A級戦犯26人』を断罪『原発発禁本』の戦慄内容を公開する!」とアサヒ芸能らしいタイトル。
「東電・勝俣前会長が平穏な老後を送っていいのかッ」と大文字のキャッチコピーが躍る。
「私たちの大地が生んだウランがフクシマの人たちを苦しめている。本当に悲しい」オーストラリアの先住民族アボリジニの女性長老アイリーンさんは、遠い日本で起きた福島第1原発事故に今も心を痛めている。
オーストラリアの先住民、アボリジニは、我々の生き方にヒントを与えてくれる存在だ。
1770年にキャプテンクックがやって来て、白人支配が広がるまで、アボリジニは狩猟採集生活を行っていた。
文明が遅れていたわけではない。農耕を行うな、という先祖からの教えがあったのだ。農業は人間に必要な作物だけを大量に育てる。それは、自然の摂理に反している、というのだ。
すでに9月21日の、このブログでもお伝えしたように、関西の人気ラジオ番組『たね蒔きジャーナル』(MBS)が、先週9月28日(金)で終了した。
これに対して、同番組に再三登場され、反原発の立場から的確なコメントをされた小出裕章氏、また湯浅誠氏、山本太郎氏ら多くの著名人、視聴者らが異を唱え、それは全国区的な拡がりを持っていった。
最終日の28日には、わざわざ北海道から駆け付けた湯浅誠氏ら約150人の方々が参集し、番組終了を惜しんだ。
最近、2人の原子力研究者であり反原発運動の先達についての、2つの新聞記事が目にとまった。
1つは9月18日付けの東京新聞、故・水戸巌さんに関するもの、水戸夫人へのインタビュー記事だ。
水戸さんは晩年、2人の息子さんと共に北アルプス登山中に遭難し亡くなられている。
奥さんは最近、水戸さんと息子さんの遺志に適うように毎週金曜日の首相官邸前の抗議行動に参加されているという。
水戸さんは、反原発運動と共に、政治犯の救援や受刑者処遇改善運動などを行う「救援連絡センター」の設立に関わり(1969年)、初代事務局長を務められた。鹿砦社も、その会報『救援』に毎号広告を出し、それ相当の部数を買い取り、知人・友人らに送る形で応援している。
週末までだったので、奈良美智展を見に、横浜美術館に行った。
今後は、青森県立美術館、熊本市現代美術館を巡回する予定のようだ。
かわいらいしいけど芯があって、迷いながらもしっかり自分を持っている、ちょっと反抗心も見えるような女の子の絵が、奈良さんの絵の特徴だ。普段はなかなか見ることができない、大きなオブジェもあって楽しめる。
デタラメハルキの異名を取る、班目春樹が委員長を務める原子力安全委員会は、9月18日、最後の会合を開いた。
「振り返れば反省点は多々ある」「あらかじめの備えがなく、混乱の中、できることは限られていた」などと、斑目は述べた。
斑目のそれまでの所業を知らなければ、殊勝とも思える発言だ。
『タブーなき原発事故調書~超A級戦犯完全リスト』(鹿砦社)では、超A級戦犯の1人として、斑目の罪を事細かく記している。
「これも可能性ちょっとある、これはちょっと可能性がある、そういうものを全部組み合わせていったら、物なんて絶対造れません。だからどっかで割り切るんです」
これは、07年の浜岡原発運転差し止め訴訟での発言だが、「安全性を割り切る」というのが斑目の、お得意の科白だった。