昨年12月24日、大阪ピースクラブで「冤罪と司法を考える集い」が開催された。そこでの井戸謙一弁護士のお話を全4回に分けて紹介する。

井戸謙一さん(ぴのさん撮影)

◆代用監獄問題

今、国際的に日本の刑事司法の何が批判されているかというと、「代用監獄問題」と、それから取り調べへの弁護士の立ち合い問題です。代用監獄問題というのは、ご存じの方もかなりおられるんじゃないかと思いますけど、本来は、被疑者を逮捕したら警察の手元に置いていてはいけない。拘置所に入れなければいけない。しかし今の日本では、98%ぐらいは警察の留置場に入れられるんです。

被疑者と弁護人、それから警察捜査側というのは対立当事者ですから、その一方の警察の手元、警察の留置場に被疑者を置いておくのは根本的に間違えてるわけです。そこでは、警察が自由にいつでも取り調べができる。カツ丼を食わしたりとか色んな利益供与も行える。そんな状況は嘘の自白の温床になるわけで、そんなことはしてはいけないというのが、国際的な常識なのです。しかし日本だけは、警察の留置場に置いている。どこに勾留するかというのは、裁判官が決める事だから裁判官がきちんと拘置所に勾留したらええやないかという話なんです。

しかし、これが実は難しい。なぜかというと警察は予算がついてるし、留置場の設備がとても良い。新しくて冷暖房完備です。それから警察の留置場はたくさんある。例えば私の事務所は滋賀県ですが、滋賀県でも警察署ごとに留置場はあります。

一方で、拘置所には予算がつかない。古い建物で設備が良くない。それから、場所が非常に限られている。今、滋賀県では、滋賀拘置所がJR琵琶湖線の石山から歩いて20分ぐらいの所に滋賀刑務所があって、その中に拘置所があります。彦根にも拘置所がありましたが、今は廃止されました、

最近では石山の拘置所も廃止されて、京都刑務所の方に移されるという話が出ています。そうすると、例えば長浜など滋賀北部の警察で逮捕されると、弁護士はそこの弁護士がつく。しかし毎日接見に行くとなると、長浜警察署の留置所に入れておいてくれたら長浜の弁護士は毎日接見に行けますが、石山とか京都に入れられるとそこまで行かなくてはいけなくて、なかなか弁護士はそんなに時間がとれない。

だから弁護士も警察の留置場を希望する。本人も設備が良いから警察の留置場を希望する。そういう中で裁判官が、いや法律上これはおかしいから拘置所に勾留するという事は中々できない、要するに単なる理屈だけではなくて、拘置所の設備にきちんと予算を入れなくてはいけないし、拘置所をたくさん作らないと、本来「被疑者は拘置所に入れる」という法律の原則が実現できないのです。そういう形で留置場へ入れざるをえないという状況が作られているのです。こうした事も社会的に批判していく必要があります。

◆弁護士の立ち合い問題

取り調べに弁護士が立ち会うというのも、今の日本ではほとんど実現していません。例えば西山美香さんのような供述弱者は、ある意味、自由に警察官の手の上でもてあそばれたような事になりましたが、こういう事を防ぐには、取り調べの時に弁護士が立ち会うしかないのです。これは日本では突飛な話と思うかもしれないけど、国際的には当たり前の話なんです。

今、国連人権理事会で日本政府に勧告されているのは、この代用監獄問題と弁護士の立ち合い問題で、これを改善する事を求められています。だけど、こういう事はメディアもほとんど伝えないし、ほとんどの方は知らないと思います。国際的な人権のレベルからすると非常に遅れているのです。

◆人質司法問題

それから人質司法問題、これは元日産のゴーンさんが逃げ出して、大きな問題、話題にはなりましたけど、(起訴内容を)認めないと裁判所は保釈しない。こんなに酷いことはないのです。

身柄が拘束される。要するに警察の留置場や拘置所から出れない。普通の市民がある日突然逮捕されてから、(留置場や拘置所から)もう出れないというのがどれほど大変な事なのか。会社もダメになるし、家族もばらばらになる。自分の人生がどうなるかわからないわけです。

その時に「認めたら、保釈がきくよ」と言われたら、取り敢えず認めて保釈で外へ出て、仕事の立て直しとか家族との修復などをして、裁判では真実を言ったら裁判官はわかってくれるだろうと思う。それはむしろ普通だと思うのですね。それでもやってない人が否認を続けることは本当に鉄の意志がないとできない。

多くはそう思って嘘の自白をして保釈してもらって、裁判であれは嘘でしたと、本当はやっていませんと言っても、裁判官は「いや、やっていない人間がやったなんて言うはずないだろう」という事で有罪判決をする。こういう形で冤罪がどんどん作り出されているわけです。

だからこの人質司法問題は非常に深刻な問題で、これについては私が刑事裁判をやっていた頃の感覚より、かなり裁判官は後退していると思います。本来、保釈するのが原則のはずなのですが、今は非常に保釈率が低くなっています。これも社会的な批判を強めていかなければいけない。

こうした刑事司法が抱える諸問題を法律家だけの問題意識に留めるのではなくて、広く社会一般の人が認識して、これを変えていかなくてはいけない。こうしたことを変えていかないと冤罪はなくならない、という認識を持つという事が大事です。そのために今の再審法改正運動、まず再審法改正実現するというのが当面の課題ですけれども、それとあわせて刑事司法全体の問題意識を広く社会一般のものにしていくという事が、日本の刑事司法をもう少し良くする。冤罪被害者をなくしていくために一番必要な事だと思っています。

その意味でも今回尾﨑さんが出された『日本の冤罪』は非常にわかりやすく、その事件ごとに尾﨑さんが「これが一番問題や?」と思った事を取り上げて説明してますから、非常に時宜を得た、そして問題意識を広めていく武器にするという意味でも、非常に有益な書物であるという風に思いますので、ぜひこれを皆さん、ご自身が読むだけではなくて、周りにも広めていっていただければと思います。

まあこういう形でまとめると今日の趣旨にぴったりと合うのではないかと思いますので(会場から笑い)、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。(終わり)


◎[参考動画]冤罪と司法を考える集い(大国町ピースクラブ)/たぬき御膳のたぬキャス(2023.12.24)

◎井戸謙一《講演》「冤罪」はなぜ生まれるか 元裁判官の経験から
〈1〉80年代、刑事裁判の変質 
〈2〉青法協問題と日本会議 
〈3〉湖東記念病院事件の西山美香さんの場合 
〈4〉代用監獄、弁護士立ち合い、人質司法という問題 

 

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

昨年12月24日、大阪ピースクラブで「冤罪と司法を考える集い」が開催された。そこでの井戸謙一弁護士のお話を全4回に分けて紹介する。

井戸謙一さん(ぴのさん撮影)

◆湖東記念病院事件の西山美香さんの場合

無実の人が自白することはいくらでもあるのです。湖東記念病院事件の西山美香さんもそうですけれども、(刑事裁判官は)なかなか無実の人間が自白するという事の想像力がないのですね。被疑者が置かれた立場、毎日毎日長時間の取り調べを受けて、脅されたりすかされたり、色んな利益供与を受けたりして、もう精神をずたずたにされて、そして、認めてしまう。そういう被疑者が置かれた過酷な立場に対する理解がない。あるいはそれを中々想像できない。

だから嘘の自白をするという事がありうるんだということ、否認すれば、私は嘘の自白をしましたという風に主張すれば、本当にそうかもしれないという思いで被疑者や被告人の弁解を聞かなければいけないわけですが、そういう姿勢が非常に乏しい。

湖東事件の西山さんの自白を、裁判所がどういう風に判断したかという所を抜き書きすると、なかなか興味深いです。有罪だと言った最初の確定審の大津地裁の一審では、「男性の気を引きたいというだけの理由で虚偽の殺人を告白する事は通常考えられない」と書かれている。非常に表面的な所だけですよね。美香さんはその取り調べ刑事が好きになって、彼に気に入られたい、期待に応えたいという気持ちで、刑事の言う通りの自白をしたわけですけれども、そこだけを抽象的にとらまえて男性の気を引きたいというだけの理由で虚偽の殺人を告白する事は通常考えられないとしました。

そして控訴審の大阪高裁は、「自白は被告人自身が自ら進んで供述したものであって、自発性が高く、その内容も極めて詳細かつ具体的であって信用性が高い」としました。

これはそうなんです、結局その好きになった刑事に気に入られたいという事で自分から進んで供述してるわけなので自発性が高いのはその通りです。しかし、内容が極めて詳細かつ具体的であるというのは、それは警察官の作文能力を示しているだけに過ぎないのです。警察官は自分が作った自白調書を信用性があるという風に裁判所に判断してもらいたいですから、想像であっても具体的かつ詳細に書きます。そういう形式的なところでしか判断していない。

これに対して再審開始決定をした大阪高裁の再審開始決定では、「亡くなった人の死亡への請求人の関与の有無、程度、アラームが鳴り続けたのかどうか、人工呼吸器の管をはずしたのか、はずれたのか等、多数の点で目まぐるしく自白内容が変遷している、この変遷状況のみを取り上げてもその中から真の体験に基づく供述を選別するのは困難である」としている。

これはその自白がどういう風に変遷していったかという事を、裁判官は後付けしてるわけで、これは本当に体験した人間による自白の変遷なのか、それとも捜査側から色々な知恵を与えられたり、あるいは捜査の状況と合うように誘導されて作られた変遷なのか、そういう観点で自白の変遷を見ている。結局この変遷状況だけでも信用できないという風に言ってるわけです。

その自白の内容を具体的にみてますよね。再審無罪判決では「この自白内容は合理的理由なく大幅に変遷している上、自白供述は死亡に至る際のこの亡くなった方の表情変化の点で医学的知見と矛盾する不合理な内容でもあるから本件自白供述の信用性には重大な疑義がある」とした。

亡くなった方が人工呼吸器抜かれてだんだん苦しくなるわけですが、美香さんの自白調書では、その時、目が白目をむいて、口をハグハグさせて非常に苦しそうな表情をしました、で、約2分か3分そういう状態が続いて亡くなりましたという風になっている。

だけど医学的に調べたら、患者さんは既には半年間植物状態で大脳が死んでいたので苦しみを感じない。だから苦しそうに口をハグハグして白目をむいたということは医学的にあり得ないのですね。だから、それは彼女の想像であるか、あるいは取調官からこうだったんじゃないかと誘導されたのかもしれない。だけど医学的・客観的な事実からはあり得ない事実だという事で自白は信用できない。だから、自白だけを見るのではなくて、その周辺の証拠も含めて自白が信用できるのかどうかという事を確定再審無罪判決は検討しているわけです。

だから、その自白が信用できるかどうかをどの局面で見るのか、どういう観点で見るのかで、その評価が180度違うわけです。これはもう本当に裁判官の姿勢ひとつです。裁判官に本当に真実に迫ろうという姿勢があるのか、あるいは「検事が言うてる事やから間違いないだろう」というような姿勢で臨むのかによって全然違う、そういう意味でその裁判官の責任は非常に重いと思います。

◆再審法改正運動

もう1つは、裁判官は「無難な結論に収めたい」という、そういう動機がはたらくということです。例えば、どの裁判でも原発運転の差し止めというのは棄却されてるのに、そういう中で運転の差し止めを認めると、「あの裁判官は変わった奴だ」と裁判所の部内で見られるわけです。だから、そういうのは出来るだけ避けたい、無難な結論にしたいということになっていく。

それは自分自身の人事上の問題とか給与だとか人事とかポスト、そういう事から無難な処遇を受けるためには、無難な判決をしたいという、そういう動機が多かれ少なかれあります。

そうするとやっぱり再審が難しいのは、確定審で一審3人、高裁3人、最高裁5人と合計11人の裁判官が有罪だと判断してるわけです。しかもその中には有名な著名裁判官、著名な刑事裁判官が何人も含まれている。その人たちの出した有罪判決が間違いだというのは、(世間一般ではそうじゃなくても)裁判所の部内ではえらい思い切った特異な判決、特異な判断だという風に見られてしまう。そういう風に部内で周りから評価されるのは避けたいという心理がはたらく。

これは裁判官の保身ですけれども、自分たちに課せられてる職責をどう考えるのかという事で当然批判されるべきものですが、人間というのは弱い面があるからどうしてもそういう側面があるという事は否定はできない。

では、冤罪被害者を救うため、あるいは出さない為にはどうすれば良いのかと言うと、やはり再審問題、それから冤罪問題で個別の冤罪事件に対する社会的関心が高まるという事は何よりも絶対必要です。

今、再審法改正運動が非常に高まりをみせています、日弁連も特別対策本部を作って、各政党に働きかけているし、全国の地方自治体で再審法改正の決議がどんどん上がっています。今は再審法改正の絶好の好機ですけれども、これは単に再審法改正できればいい、そのために良い状況だというのだけではなくて、これをきっかけに日本の刑事司法、冤罪がたくさん生み出されているこの日本の刑事司法に対する問題意識、市民の問題意識を高める、市民にそういう市民庶民に問題意識を持ってもらうという事が、非常に大事だと思います。

裁判官にとって、この事件は再審開始をする、あるいは再審で無罪判決をする事こそが無難な結論だという風に思えば、心理的ハードルはいっぺんに下がるわけです。そういう意味ではAさんが無実だというだけじゃなくて、何が問題になっているのか、この問題でこういう風に考えるのが当たり前だろうという社会的認識を広めるのが非常に大事です。

私は袴田事件は完全に無罪になると思ってますけど、あの味噌に漬けられた衣類に(血痕の)赤みが残っていた。でもそんなに長期にわたって味噌漬けされた衣類に赤みが残るはずがないやないかというのは非常にわかりやすい常識的な感覚ですよね。それに基づいて再審開始が確定したわけです。

これに対して、一年以上味噌の中に置いてても赤みは残るんだという風な判断を裁判所がするというのは、それこそ突飛な判断、変な判断だという事になる。むしろそんなに一年以上も味噌に漬けられていたはずがないというのが無難な判断です。だから「そういう判断の方が無難なんだ」という社会的認識として作れば裁判官はハードルなく無罪判決というものを下す事ができる。

だから単にAさんが無実だというだけではなくて、何が問題になっていて、この問題ではこういう風に市民の感覚、庶民の感覚ではこういう風に考えるのが当たり前だろうという、そういう認識を社会に広げる事が非常に大事だという風に思います。それと同時に、やはり日本の刑事司法が抱える諸問題について社会的認識を高めるという事が大事です。(つづく)


◎[参考動画]冤罪と司法を考える集い(大国町ピースクラブ)/たぬき御膳のたぬキャス(2023.12.24)

◎井戸謙一《講演》「冤罪」はなぜ生まれるか 元裁判官の経験から
〈1〉80年代、刑事裁判の変質 
〈2〉青法協問題と日本会議 
〈3〉湖東記念病院事件の西山美香さんの場合 
〈4〉代用監獄、弁護士立ち合い、人質司法という問題 

 

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

昨年12月24日、大阪ピースクラブで「冤罪と司法を考える集い」が開催された。そこでの井戸謙一弁護士のお話を全4回に分けて紹介する。

井戸謙一さん(ぴのさん撮影)

◆戦前と人的な切断ができてない ── 青法協問題と日本会議

もうひとつは、戦前と人的な切断ができてないという事です、戦前の「おいコラ警察」。天皇の下、人々を弾圧していた警察官がそのまま戦後も警察の幹部になっていった。特高警察の一部は公職追放されましたけど、しばらくしたらまた戻ってきたので人的に切れてない。

そして裁判所は一切、戦争責任を取らなかった。だから戦前その天皇の名の下に裁判をして、治安維持法に基づいて人々を処罰していた裁判官がそのまま戦後も裁判官になって、中で要職に就いていく。するとそういう権力的な裁判官の発想というものが次の世代にも引き継がれていくと事が現にありました。

1970年頃、司法反動という大問題があって、ご存じの方もおられるかもしれませんが、当時その新憲法下に基づいて憲法に基づく裁判をしようという事で、がんばっていた青年法律家協会(青法協)の中に裁判官部会というのがあって約300人の裁判官がいました(協会自体は学者とか弁護士も含んでいるのですけれど)。ここに「脱会しろ」という裁判所からの圧力がかかり、民主的な裁判官が再任拒否という事で首を切られたりして大問題になりました。

これを推進したのが、石田和外(いしだ・かずと)という最高裁長官。この人は戦前からの裁判官で司法省の人事課長までやった人ですが、この人が最高裁裁判官を辞めた後に何をしたかというと、元号法制化(実現)国民会議初代議長でした。この元号法制化国民会議が、そのまま名前を変えたのが今の日本会議です(1997年に「日本を守る会」と合同し「日本会議」となった)。完全に右翼団体なんですね。ここの初代議長をしたのがその石田和外元最高裁長官なのです。こういう人が戦後の裁判所でずっと実権を握ってきて民主的な裁判官をずっと排除し、弾圧してきたという事が、今の裁判官の世界にも大きな影響を与えているという歴史的な背景があるという事も知っていただければと思います。

◆なぜ被告人の訴えが裁判官に届かないのか

では、こういう冤罪を出してしまう裁判官の責任ですけれども、もう少し分析的に考えると、なぜ被告人の訴えが裁判官に届かないのか? 検事の言い分をそのまま採用してしまうのか? 

ひとつは、裁判官は両方の当事者から全く等距離で公平でなければいけないのですけれども、心理的にはどうしても検察官と近くなるという事があります。ひとつの刑事部のひとつの係の立ち合い検事は固定されているので、どの事件も同じ検事がします。だから裁判官と検事はまったく同じ人間がその係の事件を全部やる。

一方で、弁護人は事件ごとに違います。そういう意味で、検事と弁護人では、裁判官との接触の時間がまったく違う。弁護人はそうそう簡単に裁判官室に行けませんよね、裁判官室に行こうと思ったら、「裁判官と面会したい」と書記官に声をかけてから、裁判官室に迎え入れられる事もあるし、裁判官が書記官室まで出てくる事もあります。

一方、検事は多くの場合、平気で裁判官室の中へ入っていきます。毎日一緒に仕事をしているから、書記官とも顔見知りです。それだけ物理的時間的にも多くの時間を共有している。

それからやはり裁判官と検事は役割は違うけれども、協力して治安維持を担っているという意識が、刑事裁判官の中にだんだん作られてくる。裁判をすると、否認して「私はやってません」という事件は一定の割合でありますし、その多くの事件は、本当はやってるけれどもやってないという人もいる。否認事件の中でも、そういう事件が多い。

しかし、中には本当にやってない人がいるわけです。だから否認事件の中で本当にやってない事件を見極めなくてはいけないのです。けれども、多くは否認していても有罪で決着するので、裁判官は「検事が起訴した事件はまず間違いないだろう」という意識を持ってしまう。刑事裁判官の経験が長ければ長いほど、そういう意識を持ってしまう。そうすると否認している被告人がいた時に、「こいつ、本当はやってんのにやってないと言うてるだけじゃないか」と、最初から色眼鏡で見てしまうという傾向になります。(つづく)


◎[参考動画]冤罪と司法を考える集い(大国町ピースクラブ)/たぬき御膳のたぬキャス(2023.12.24)

◎井戸謙一《講演》「冤罪」はなぜ生まれるか 元裁判官の経験から
〈1〉80年代、刑事裁判の変質 
〈2〉青法協問題と日本会議 
〈3〉湖東記念病院事件の西山美香さんの場合 
〈4〉代用監獄、弁護士立ち合い、人質司法という問題 
 

 

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

昨年12月24日、大阪ピースクラブで「冤罪と司法を考える集い」が開催された。そこでの井戸謙一弁護士のお話を全4回に分けて紹介する。

◆裁判官の立場から冤罪問題を考える

こんにちは、紹介いただきました井戸謙一です。色んな集会でお話させていただく機会がありますけど、今日のこの雰囲気はもう独特ですね(会場から笑い)。庶民のパワーというか、ごめんなさい、失礼な言い方かも知れないけれど、普段は「市民の方々」という風に声かけるんですけど、ここはなんか庶民のパワーが満ち溢れているという感じで、さすが大阪南部という風に思いました。私自身も堺の出身ですので非常に懐かしい思いをしてます。

井戸謙一さん(ぴのさん撮影)

今日のこの集まりは、尾﨑さんから「出版の記念パーティをするから12月24日空いてますか?」と言われたので、「ハイハイ、空いてますよ」と言っただけで、行くとも何も言ってなかったと思うんですが(会場から笑い)、その後お出会いしたらチラシを渡されて、「こういう予定でやります」と見たら「井戸謙一弁護士の講演」となってまして、さすが、尾﨑さんのこの強引さがですね、やっぱこの本にも結実したのではないかなという風に思いました。

30分時間をいただいているので、何のお話をしようかと思ったのですが、冤罪問題について(本日)お話しされる方はおられると思うんですけど、やはり私でないと話せない事、すなわち裁判官の立場からどう見るかという事をお話します。

昨日もNHKで深夜、良い番組をやっていましたけれど、警察や検察の問題ももちろんあります。しかしやっぱり最後は裁判官の問題だと思うんですね。では、私の経験も踏まえて、裁判官の立場からどういう風に考えるかという事をちょっとお話させて頂ければという風に思いました。

◆無罪だと思っていながら有罪判決を書いたこと

私は、1979年に神戸地裁に任官し、神戸地裁からスタートして裁判官を32年間しました。ほとんどは民事事件だったんですけれど、若い頃は刑事事件もやっていました。神戸で2年、山梨県の甲府で2年、刑事事件をやっていますので、関西と関東の刑事事件の両方を経験しています。

無罪判決は2件書きました、1件は、皆さん覚えておられるかもしれませんが、「神戸祭り事件」という、暴走族が神戸祭りの時に新聞記者を車で轢いて殺したという殺人事件で、これは無罪判決で確定しました。

もうひとつは、当時、部落解放同盟が窓口一本化ということでずっと行政と間で揉めていた中で、公務員に怪我をさせたという事件で、無罪判決を下したこともあります。

一方で、無罪だと思っていながら有罪判決を書いたという事があります。袴田事件の一審の熊本裁判官が、自分は無罪だと思ったけれども、あとの2人に反対されて死刑判決を書いてしまった、それを亡くなられるまで一生悔やんでおられました。

◆大阪と東京の差異 ── 1980年代の刑事裁判の変質

私の事件は、公職選挙法違反、選挙の時の買収の事件でした。私は、この人の言っている事をどうしても嘘だと思えなくて、無罪を主張しました。しかし、あとの2人が有罪だという意見だったので、やむをえず有罪判決を書いたという、そういう苦い思い出があります。

若い判事補が、最初に刑事事件などに関わるかと言うと、逮捕状や勾留状といった令状なんですね。私は、大阪と東京と両方経験してますが、大阪は、裁判官の仕事というのは、捜査を抑制する事だと言われ、10件の勾留請求があったら1件は勾留却下する。それぐらいの割合で却下しないと裁判官の役割を果たしたことにならないと、そういう風に先輩から言われて、それを実行しようと思ってそれなりに努力してました。

ところが東京に行くと全く違うんですね。東京で若い判事補は全国に配属されるのですけれど、1年目に4カ月間東京地裁で研修しろと言われて東京地裁に行くと、もちろん令状も担当します。勾留請求10日間の身柄を拘束しますという勾留請求が来る。直接指導する先輩裁判官から「どうするの? 勾留するのか、却下するのか?」と聞かれる。

「この事件は却下しようと思います」と言うと、その部の一番偉い部総括判事の所へ連れていかれるんですね。部総括判事は「君、この事件を勾留却下すると聞いたけれどほんまか?」、「ほんま?」かて関西弁では言いませんけど(会場から笑い)、聞かれるわけです。

そして「どうしてだ?」と。「これこれこういう事で勾留要件はないと思います」というと「いや、こんなものはこういう風に考えるのが当たり前だ」という事で押さえつけられる。

もちろん、決めるのは担当裁判官ですから、(部総括判事の意見を)はねのけて勾留却下する事も可能ですが、若いぺーぺーの判事補には、大ベテランの部総括判事の意見を押し切って勾留却下するのは非常に難しい。そういう事で、検事が請求してきた勾留を裁判官はその通り認めるのが当たり前だという感覚を身につけさせられるんですね。

一方で当時、大阪は違っていたのですけれど、そういう東京式のやり方が1980年代にどんどん全国を席巻していきます。1989年に平野龍一という刑事訴訟法の大学者が、その時点で「日本の刑事裁判はもう絶望的だ」ということを言われた。刑事裁判というのはもう、裁判官が有罪か無罪かを決める場では無くなっている。検事が起訴してきたことにお墨付きを与える場になってしまっているという事を言われていました。

その後かなり時間が経過して、裁判員裁判なども始まって少しは変わってきたかも知れないけれども、基本的に変化はないのではないかと私は思っています。

◆日本の刑事司法の構造的問題 ──「当事者主義」の問題点

では、「日本の刑事司法の構造的問題はどこからきているのか?」という話をします。戦前の古い話になりますけど、第二次世界大戦前はドイツの法律に則って「職権主義」で裁判官が刑事裁判を自分の職権、権限でどんどん進めるというやり方でした。

警察や検事が集めてきた証拠は全部裁判所に引き取る。裁判官は全部の記録を見て、裁判を自分の職権で進める。そういう職権主義のもとに治安維持法違反だという事で、社会主義者だけではなくて、民主主義者や政府に抵抗するような人間をどんどんしょっ引いて治安維持法違反で処罰をした。裁判官がそういう事をしたわけです。

で、戦後はそれが見直されて、もっと民主的な刑事裁判にしなきゃいけないという事で、アメリカ式のやり方が導入された。それが「当事者主義」です。当事者主義というのは、裁判官は先入観を持ってはいけない。法廷で出された証拠だけで判断しなければいけない。検事は有罪だと主張する、弁護人は無罪だと主張する、それぞれが主張を裏付ける証拠を裁判に提出する。裁判官はその証拠だけを見て判断する、それが当事者主義なんですね。

「起訴状一本主義」とも言って、裁判官は裁判が始まるまでは起訴状しか見てはいけない。それ以外は一切、何も見てはいけないという仕組みです。今の日本の刑事裁判でもそうです、これは一見、公平で確かに真実を究明するのに良さそうな手続きのようにみえるのですけれど、致命的な誤りがあった。というのは、訴訟法上は、検事側と弁護人側は対等なのですが、実際の力には圧倒的な差があるわけです。まず警察が捜査して、色んな証拠は捜索差押えでごっそりと持っていく。何十人という捜査員をひとつの事件に担当させる事もできるし、膨大な予算をかけることもできる。

一方、弁護人は、そのあとで被疑者から依頼をされて、その事件の事を調べだすわけですが、重要な証拠は全部警察に持っていかれているし、人的にもたいていは弁護士が1人か2人でやるわけです。お金もない、貧しい人の場合は弁護料も払えない事もいくらでもあるわけで、力に圧倒的な差がある。

ほとんどの証拠は検事側が持っているのに、検事は有罪だと考え、それを裏付ける証拠だけ裁判所に提出すればいい。検事が持っている証拠の中には、被告人を無罪だと裏付ける証拠はいっぱいあるかも知れない。おそらくそういう事が多いと思うのだけれど、それらを提出する義務がない。圧倒的に検事が有利なんですね。

だから当事者主義というのを形式だけ持ってきたのです。裁判所に証拠を提出することを「証拠開示」といいますが、弁護側が検事側に検事の手持ち証拠を見せろと言う権利を認めるべきだと、これが今の再審法改正の大きなテーマなのですが、弁護側に証拠開示の権利を規定しなかった。検事は法律で義務付けられていないようなものをしませんという主義で、弁護人が手持ち証拠を見せろと言っても検事は見せないわけです。裁判官もそんな事は法律に書かれてないから検事にも命じない。その圧倒的な力の差がそのまま刑事裁判で是正されることなく、ほぼ今日まできてるわけです。

一般の刑事裁判は、それでも証拠開示の権利っていうのが裁判員制度が入った時に少し作られたんですけど、再審についてはそれがまったく無い。だから今でも検事の手元に無罪を裏付けるような証拠があってもそれは容易なことで出てこない、そういう不正義が今でもまかり通っている、これが戦後の刑事訴訟法を作った時の大きな問題で、それが未だに後を引いてる、問題解決できていないという事です。(つづく)


◎[参考動画]冤罪と司法を考える集い(大国町ピースクラブ)/たぬき御膳のたぬキャス(2023.12.24)

◎井戸謙一《講演》「冤罪」はなぜ生まれるか 元裁判官の経験から
〈1〉80年代、刑事裁判の変質 
〈2〉青法協問題と日本会議 
〈3〉湖東記念病院事件の西山美香さんの場合 
〈4〉代用監獄、弁護士立ち合い、人質司法という問題 

 

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733