月刊『紙の爆弾』の最新号記事がnoteで一部公開・購読可能となりました。記事単位での購入も可能になりましたが、『紙の爆弾』はあくまで紙がメインのメディアです。興味を持っていただけましたら、ぜひ書店でお手にとっていただければ幸いです。定価700円(税込)、年間定期購読7700円(1号分お得です)。ここでは12月号(11月7日刊行)の注目記事2本の一部を紹介します。

◆《対談》内海聡(医師)×長井秀和(西東京市議) 
 日本人と日本社会が罹った薬と政治の「依存症」
 構成・文責/編集部

 

 

「新型コロナワクチン」として登場したmRNAワクチンは、死亡を含む健康被害が多数発生、医師らも声を上げているもかかわらず、「次世代型」のレプリコンを含めた5種で、10月から新たな定期接種がスタートした。

特にレプリコンは、日本だけで認可され接種が始まった、まさに人体実験の様相だ。これはすでに「医療」とはいえない。東京都知事選や10月の総選挙にも出馬し訴えを続ける医師・内海聡氏と、元お笑い芸人で元創価学会員の西東京市議・長井秀和氏が語る。

 ワクチン拡散に公明党が果たした役割

── お二人はともに、ワクチン問題に取り組まれています。

長井 国会や厚生労働省に目を向けがちですが、地方議会の議事録を読むと、公明党が「ワクチンによって救われた人がたくさんいらっしゃる」と全国で営業部長の役割を果たしてきたことは見逃せません。10月からのレプリコンワクチンを含めた定期接種にしても、補正予算の議論では必ず公明党議員が質疑に立ち、その際には「ワクチンによってコロナで亡くなる方がこれだけ救われた」「東京都から助成金が入る」「65歳以上の方はこんなにお安く接種できます」、そして「新しいレプリコンワクチンを打てます」とアピールしてきました。

── 「救われた」というのは、どういう状態を指しているのでしょうか。

長井 公明党議員の質疑に基づけば、日本でコロナで亡くなった人は他国と比べると少ない、といった論法です。一方で明らかになった健康被害については、日本はわざわざ予防接種健康被害救済制度を用意して対応してあげているのだと強調します。テンプレートが出回っているのではというくらい、各地方議会で異口同音の主張を繰り返しています。

── 救済制度があるといいますが、そもそもワクチンを含め流通する医薬品について、薬害を追跡調査する仕組みが日本にないとの指摘があります。

内海 世界でもほぼ行なわれておらず、一度流通すれば野放しです。そもそも、ある症状が当該医薬品によるものかどうかを証明するのは難しい。採血で異常値が出ても、それが薬害なのかは、別途証明しなければなりません。

それゆえ私のように、薬害関連の臨床を専門とする医師は、論文や過去の研究に頼りすぎず、素人的な発想で見ることが必要となります。最もシンプルなのは時系列で、たとえばワクチン接種から3時間後に亡くなれば、まずワクチンを疑うのが当たり前。しかし、厚労省や御用学者には、その当たり前が通用しない。人間がいつ脳梗塞になるかはわからない。それがたまたま接種後に来ただけ、となります。

そうなれば、司法解剖によって細胞内にワクチンの成分が溜まっていることを示すとか、接種前の検査データをとっておく、といった方法しかありませんが、それでも状況証拠です。ワクチン接種を止めたい専門家も、この証明に四苦八苦しています。

ただし、それらを証明しなければならないという発想自体が間違っているように思います。現在も苦しむ被害者がいるだけで、接種すべきではない理由として十分です。医療被害の制度を根本から見直さない限り、薬害をなくすのは難しいでしょう。

長井 そういう中で、ワクチンの接種拡大が政治利用されてきました。2021年のコロナワクチン接種開始以降、公明党では早々に山口那津男代表(当時)がビル&メリンダ・ゲイツ財団として世界的なワクチン普及を進めるビル・ゲイツと関係を深め、ワクチンの安定供給を創価学会員向けのネット動画で強調。一方で、厚労省が認めただけで843件の死亡例、全体で約8180件(9月27日現在)の健康被害については一切触れません。

内海 ファイザーと創価学会が親密という噂まで出ているようですが。

長井 それは噂の域を出ませんが、そう思わせるほど、公明党のワクチン営業は異常といえる徹底ぶりです。

 mRNA・レプリコンワクチン普及の目的

── レプリコンワクチンについて、わかっていることはあるのでしょうか。

※記事全文はhttps://note.com/famous_ruff900/n/n474402652cbd

◆袴田巌さん再審無罪判決が切り拓く死刑廃止への道
 取材・文◎足立昌勝

 

 

9月26日、静岡地裁は1966年に清水市(現静岡市清水区)で起きたこがね味噌専務宅での強盗殺人放火事件で犯人とされ、一審の静岡地裁で死刑、東京高裁・最高裁でも死刑判決が維持されていた袴田巌さんに対し、捜査機関による証拠の捏造を認定して無罪を言い渡した。

畝本直美検事総長は10月8日、控訴を断念したことを明らかにし、控訴期限の10日に袴田さんの無罪が確定した。

筆者は1972年に静岡大学に赴任した。まさに、事件が発生した隣の市である。青法協(青年法律家協会)静岡支部で、当時から無罪を主張していたジャーナリストの高杉晋吾さんを講師に勉強会を行ない、さまざまな証拠の矛盾を知ることができた。

犯行現場宅の出入り口とされた、かんぬきがかけられた裏木戸を袴田さんは通れないこと、くり小刀とさやとの不一致という矛盾等々。それらはすべて無視され、死刑判決へと至ったのである。当時の静岡地裁や東京高裁の裁判官たちが十分な証拠調べを行なっていたら、このような袴田さんの長期にわたる拘禁生活はなかったであろう。その意味で裁判官も心からの謝罪をしなければならない。

なお、筆者は従来の「袴田事件」という名称は、袴田さんの名誉を永遠に傷つけるものであり、今後は発生した犯罪の内容をそのまま事件名として用いるべきだと考える。

 無罪判決が認定した証拠の捏造

静岡地裁は再審無罪判決で、証拠には次のような3つの捏造があるとした。

①自白したとされる検察官調書は、捜査機関の連携により、肉体的・精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取調べによって獲得されたものであり、そこには、犯行着衣等に関する虚偽の内容も含むものであるから、実質的に捏造されたものである。

②死刑判決において最も中心的な証拠とされてきた5点の衣類は、1号タンクに1年以上味噌漬けされた場合にその血痕に赤みが残るとは認められず、事件発生から相当期間経過後に発見された時の近い時期に、捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、1号タンク内に隠匿されたものである。

③5点の衣類のうちの鉄紺色ズボンの共布とされる端切れも、捜査機関によって捏造されたものである。

結論としては、「他の証拠によって認められる本件の事実関係には、被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない、あるいは、少なくとも説明が極めて困難である事実関係が含まれているとはいえず、被告人が本件犯行の犯人であるとは認められない」と判断し、無罪を言い渡した。

特に②の5点の衣類については、捜査機関による捏造について、詳細な検討を行なっている。

〈5点の衣類の血痕の色調によれば、1号タンクに新たなみそ原材料が大量に仕込まれた昭和41(1966)年7月20日以前に5点の衣類が1号タンク内に入れられたとは認められない。そうすると、勾留中の被告人が5点の衣類を1号タンク内に入れることは事実上不可能であるから、5点の衣類はその発見から近い時期に被告人以外の者によって1号タンク内に隠匿されたものであり、5点の衣類は本件の犯行着衣ではないと認められる。

そして、5点の衣類を犯行着衣として捏造した者としては、捜査機関の者以外に事実上想定できず、捜査機関において5点の衣類の捏造に及ぶことを現実的に想定し得る状況にあったこと等も併せ考慮すれば、5点の衣類は、本件犯行とは関係なく、捜査機関によって捏造されたものと認められる。〉(判決要旨)

再審判決での証拠捏造の認定は画期的なことであり、捜査機関が、長期にわたり確定死刑囚としての扱いを受けてきた袴田さんに誠意ある謝罪をすべきであることは言うまでもない。

ところが、前述した畝本検事総長談話では、「理由中で判示された事実には、客観的に明らかな時系列や証拠関係とは明白に矛盾する内容も含まれている上、推論の過程には、論理則・経験則に反する部分が多々あり、本判決が『5点の衣類』を捜査機関の捏造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ず」「本判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容であると思われます」としながらも、結論的には、「袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではないとの判断に至りました」と述べている。

※記事全文はhttps://note.com/famous_ruff900/n/n177ddc08d48a

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年12月号

『紙の爆弾』2024年 12月号
A5判 130頁 定価700円(税込み)
2024年11月07日発売

野田正彰
優生保護法をめぐるお祭り訴訟 犯人と被害者のいない殺人事件

清谷信一
税金を浪費して弱体化する防衛産業 防衛費「GDP比2%」無駄遣いの全実態

内海聡(医師)×長井秀和(西東京市議)
日本人と日本社会が罹った薬と政治の「依存症」

広岡裕児
ハマス攻撃「10・7」から一年 ネタニヤフは何を考えているのか 

足立昌勝
袴田巌さん再審無罪判決が切り拓く死刑廃止への道

浜田和幸
拉致問題を「解決させない」のは誰か 日本と北朝鮮の間の語られざる闇 

青木泰
公明党代表・石井啓一は元森友大ウソ国交大臣 

横田一
兵庫県版“石丸現象”で斎藤前知事再選も 兵庫県知事選で問われる“民意”とは何か 

浅野健一
札幌・安倍晋三ヤジ訴訟 最高裁は「憲法の番人」の役割を捨てた 

木村三浩
フィリピンの「キングメーカー」ロドリゲス前官房長官 「アジア版NATO」よりもアジア諸国の団結を 

上條影虎
なぜ世界は戦争を終わらせようとしないのか? アメリカが牽引する歪んだ正義の正体

小西隆裕
終焉するグローバリズムと新自由主義 日米一体戦争体制から日本が脱却するために

片岡亮
ジャンポケ斎藤事件の背景 「観るべきではない」メディアに堕したテレビ現場の惨状 

“嵐”来年3月復活説の背景 NHKも全面協力 ジャニーズ「幕引き工作」

佐藤雅彦
「来た、見た、逝った」架空体験記「SEXPO 2025」 

青柳雄介
シリーズ 日本の冤罪54 袴田巖冤罪事件 

山口研一郎
一九七四年「学園闘争」から半世紀 長崎大学医学部闘争の全資料発掘 

〈連載〉
あの人の家
NEWS レスQ
コイツらのゼニ儲け 西田健
「格差」を読む 中川淳一郎
シアワセのイイ気持ち道講座 東陽片岡
The NEWer WORLD ORDER Kダブシャイン
「ニッポン崩壊」の近現代史 西本頑司
まけへんで!! 今月の西宮冷蔵

◎鹿砦社 https://www.kaminobakudan.com/
◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0DLG2V4V6/

 

ハンセン病、薬害エイズ被害患者の救済から飯塚事件などの冤罪訴訟まで、常に弱者の立場に立ち、法廷で声なき声を代弁してきた徳田靖之(とくだ・やすゆき)弁護士 ──。「6・5 飯塚事件『不当決定』を許さない」と題された9月14日大阪講演の記録を全6回連載で報告する。(企画・構成=尾﨑美代子)

◆第二次再審の新証拠 ── 警察は貴重な証言の記録を怠っていた

そうした形で第一次再審が棄却されてしまったあとに、いや、正確にいうと、最終的に最高裁が私たちの特別抗告を棄却するまえに、新たに2人の人が私たちに連絡をしてくれました。

一人は木村さんという男性です。この方は誘拐が起こった直後に付近のバイパスで車の後部座席に女の子2人を乗せた男性の車を追い越したといいます。1人の女の子は横になり、もう一人の女の子はこちらをうらめしそうな顔でみていたそうです。

木村さんが見たその車を運転する男性の特徴は、色白で丸刈りで、久間さんとは別人だといっていました。ニュースで誘拐事件と知ったので、すぐに飯塚署に「犯人らしき人をみた」「バイパスには料金所があり、そこに監視カメラがあるから、その不審な車が映ってないか確認してほしい」と通報していた。

それから10日後に警察が木村さんのところに来たので、木村さんは自分が目撃したことを詳細に説明したというのです。警察は木村さんが話した内容をメモしていたが、木村さんが見た車が軽貨物だったという話をした途端に、メモをやめたというのです。そうして警察は木村さんに「車は紺色ではなかったか? ワゴン車ではなかったか?」と聞き、木村さんが「そうじゃない、白の軽貨物だった」といった途端にメモをやめたと話してくれました。

木村さんは、単に警察にそういっただけでなく、たまたま久間さんの第一回公判を傍聴して、法廷で久間さんをみて「この人とは全然ちがう」ということに気がついていた。でもニュースなどでDNA型鑑定が一致したと聞いたので、「じゃあ、(自分が見た人は)別人だったのか」と思っていた。

しかし、その後弁護士たちが再審請求をしていることを知ったために、矢も楯もたまられない思いから、新聞社に連絡をしたということです。木村さんの新証言で私たちが注目したのは、運転していた人は30代で、女の子2人が乗っていた。土曜日でもない平日の午前中の時間帯でランドセルを背負っているという極めて特異な状況であるのに、話を聞きにきた警察が、その車が白の軽貨物だったということを聞いた途端メモすることを止めたということです。

その時点で警察は、犯人は久間さんだから、久間さんの車と違っていたと聞いた途端に、その貴重な証言を記録に残すということを怠っていたということなんです。これが今、私たちが第二次再審請求で新証拠として裁判所に出している証拠であります。

◆死刑判決の第3の柱 しかし、再審請求は棄却された ── Oさんの供述

もうひとつは、死刑判決の第3の柱だった、誘拐された女の子たちを最後に目撃したとされていた方の証言です。この方をOさんとします。彼女が私の事務所に電話をかけてきたわけです。「再審請求が棄却されたという新聞報道をみました。じつは私が女の子たちを見たのは誘拐された当日ではない。その日ではないと私は何度も警察にいったが、事件当日だとされてしまったんです」と言ってきた。

自分の証言のせいで久間さんは死刑になってしまったのではないかとずっと気にしながら生きてきて、再審が開始されればいいなと思っていたところ、再審開始の道が閉ざされたという報道をみたので、あっちこっち調べて電話したと言いました。

このOさんの供述調書を新証拠として提出しました。我々からすると第一の柱であるDNA型鑑定は改ざんされていたということで証拠から外された。遺留品の発見現場付近で不審な車をみたという目撃供述は警察官の誘導によるものであるということで排除された。

そして第三の柱である被害者が最後に目撃されたという方の証言が、じつは事件当日のものではなかった、つまり誘拐現場が違ったということが明らかになったために、死刑判決の理由が全部間違いだったとなった。

ですから私たちは、6月5日は福岡地裁で間違いなく再審開始となるだろうと思っていた。しかし、再審請求は棄却されました。

裁判長は何をいったか? まず木村さんについて、「木村さんが目撃した車両が犯行に使われたかどうかは特定できない。事件と関係ない可能性がある。目撃したその人物が犯人かどうかは特定できない。新証拠としての明白性がない」といいました。

Oさんについて裁判所はどういったか。「26年前の古い話だから、記憶はあいまいだ。古い調書の供述の方が具体的だ。26年後にそんな古い話について新たな証拠とすることは信用できない」。こういう理由で再審請求を棄却しました。

私たちはこの6月5日の決定に一番憤りを感じたのは、Oさんの証言を26年も経っているということで排斥したことです。皆さんにぜひわかっていただきたいことは、このOさんがどういう思いで、26年前の自分の供述が実はつくられたんだということ、本当の体験ではないんだということを新たに供述したかということです。

これは、自分があいまいな態度で、警察に誘導されるままに供述をしてしまったがために、久間さんを死刑にしてしまったという良心の呵責、自分のあいまいな供述が人の命を奪ったかもしれないという人間としての呵責を感じたがゆえに、わざわざ私たち弁護士事務所の電話番号を探して連絡をしてきてくれたわけです。

そんなことをせずに黙っていてもいいわけでしょう。30年もの年月を経て新証拠を証言しようと考えるにいたった、そのОさんの気持ちを全く顧みることなく、ただ古いというだけで切り捨ててしまう。そして警察がわざわざOさんの証言を事件当日なのに誘導する必要性はみあたらないというような理由をつけて排斥をしてしまう。

普通だったら、Oさんが言う通りだったらどうなるだろうかということで、前の供述と新しい供述を単に比較するだけではなく、これが事実ならどうなるのかと、DNA型鑑定や後ろのタイヤがダブルタイヤだったということについて、もう一度証拠を洗いなおしてみるはずだが、ここに入ってしまったら全部壊れてしまうので、入口で再審請求に蓋をするしかない。

木村さんやOさんの証言が信用できないと切ってしまうしかない。そんな判断ではないかと理解するしかありません。(つづく)

◎徳田靖之弁護士講演会 6月5日飯塚事件「不当決定」を許さない(2024年9月14日 大阪浪速区大国 社会福祉法人ピースクラブにて)

◎《講演》徳田靖之弁護士・声なき声を聞く ── 飯塚事件再審[全6回連載](構成=尾﨑美代子)
〈1〉弁護士として、自ら犯してしまった過ちをいかに一人の人間としてどう償うのか
〈2〉失われていた物証と証拠の改竄
〈3〉無実の人を殺してしまった日本の裁判所
〈4〉死刑判決の理由は、全部間違いだった

▼徳田靖之(とくだ・やすゆき)
弁護士。1944年4月大分県別府市生まれ。東京大学法学部卒。1969年弁護士登録。大分県弁護士会所属。「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟西日本弁護団共同代表、ハンセン病市民学会共同代表、薬害エイズ九州訴訟共同代表。飯塚事件弁護団共同代表

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

38年前に起きた「福井女子中学生殺人事件」で10月23日、名古屋高裁金沢支部は再審開始の決定を出した。この事件は、確定審の一審で無罪判決、その後の控訴審で逆転有罪判決がくだされ、被告の前川彰司さん(現在59歳)は7年間服役、その後、第一次再審請求審でも再審開始が決定したのち、検察が異議申し立てを行い、その後決定が棄却された。今回の第二次再審請求審でも再審開始の決定が下されたが、検察がどうでるかが注目されていた。そして10月28日、検察は異議申し立てを断念し、再審開始が決定した。

ある意味、事件で被告となった前川さんは2回無罪となり、今回で3度目の無罪判決を下されたようなもの。ここまで38年かかった。

これまでの経緯を調べてみると、前川さんのお父さん、亡くなったお母さんも息子の無実を信じずっと一緒に闘ってきた。お父さんが言っているように、事件のあったその日、まさにお父さんらは前川さんと一緒にいたのだもの……。

◎[参考動画]無実の証明へ決意新た 前川彰司さんが施設入所の父親に再審決定を報告(FBC福井放送2024年10月24日配信

◎[参考動画]【福井女子中学生殺人】「38年…長すぎた」と91歳父 前川彰司さん再審確定を報告(福井テレビ10月29日配信

事件当時、地元のシンナーなど吸っている不良仲間も多数取り調べられ、そこには前川さんも入っていた。しかし、前川さんはすぐに容疑者からはずされた。両親が一緒にいたという強固で完璧なアリバイがあったからだ。しかし、福井警察署は、容疑者逮捕にいたらず、世間の非難をあびるなか、勾留中のヤクザの組員のうその供述をきっかけに、前川さんを犯人にしたてていった。

事件当日、衣類や身体に血のついている前川さんを見たという関係者をつくりあげ、前川さんを包囲していった。主要関係者のほとんどは、シンナーや覚せい剤事件に関わっていたりするうえ、20歳前後の若く社会的にも弱い立場であり、警察のいうがままに、前川さんが犯人だとのうその供述を述べていった。いや、警察で言わされていった。その際、先の家族が一緒にいたとのアリバイは「家族のいうことだから信用できない」と否定されていった。お父さん、どんなに悔しかったろうか。

再審開始の決定を聞かされ、前川さんのお父さんは「馬鹿にされた」と号泣していた。調べてみると、お父さんは福井市の職員で、福井市長候補にまでなったような人のようだ。前川さんにお父さんのお話をお聞きした。前川さんが逮捕されたのちは、お父さんは職場でも四面楚歌状態だったという。そりゃ、そうだ。息子が殺人犯とされたのだ。それでもお父さんは職を辞さず働き、その後徐々にお父さんを信じ、お父さんとともに闘うという人たちが増えてきたという。

このお父さんに読んで欲しいと思い、拙著『日本の冤罪』を前川さんに送った。施設に入っているお父さんに届けますと前川さん。

お父さんがいうように、本当に警察、検察は前川さんらを馬鹿にしてきた。再審(裁判のやり直し)をやるためには、これまでなかった新しい証拠を裁判で提出しなければならない。関係者が犯行後に前川さんが乗った車には、血がべったりついていたと証言したが、ルミノール反応は陰性だった。これに対して、検察は関係者がヤバいと思ってめっちゃ丁寧に拭いたと証言していた。これに対して弁護団は「いやいや、どんなに丁寧に拭いても絶対反応は陽性になるよ」という鑑定を行い、それを含めた新たな証拠を提出していた。

しかし、驚くことに今回明らかになった証拠があった。それは「前川が犯人だ」と供述した関係者が事件のあった当日、「夜のヒットスタジオ」を見ていたが、そこでアン・ルイスの後ろで吉川晃司が腰を振る非常にいやらしいダンスを踊っていたと供述していた。

あんな場面を見た日だから、その日のことは良く覚えていると。しかし、今回、検察が新たに開示した証拠の中に、そのいやらしい場面が放送されたのは事件のあった19日ではなく、翌週26日だったこと、事件のあった19日アン・ルイスが歌ったのは「ああ無常」で、26日にいやらしいパフォーマンスで歌ったのが「六本木心中」だったことがわかった。

当時のこの番組を知らない人はピンとこないかもしれない。「夜のヒットスタジオ」は当時ヒット曲を出した歌手が毎週でている。アン・ルイスも吉川晃司も当時ヒット曲があったのだろう。だから毎週のように出ていたのだろう。私はこの二人が共演した非常にいやらしいパフォーマンスは覚えていないが、当時あの番組はバブル前夜ということもあり、セットなどにも非常に金をかけて凝った豪華な演出をしていた。

しかも警察、検察は、このいやらしい場面が放送されたのは事件当日の翌週であることを知っていた。それをずっと隠していた。関係者には当日の新聞の番組欄を見せ「ほら、ここにアン・ルイス、吉川晃司と書いてある。この日だろう?」と確認していた。でも、放送日の動画を取り寄せ視聴していた警察、検察は、アン・ルイスと吉川があんなにいやらしい、今では絶対放送できないであろう場面を放送していたのは、事件の翌週という事実を知っていたのだ。

「あの日ではないが、間違っているが黙っていよう。隠しておこう」と裁判でもその場面について証人尋問を回避した検察官は、そのことを今、どう思っているのだろう。恥ずかしくないのか。

まもなく始まる福井女子中学生殺人事件の再審裁判に注目していただきたい。


◎[参考動画]袴田ひで子さん「励まし合ってきた。とても喜んでいる」 殺人事件で有罪が確定した前川さんの再審開始決定】(テレビ静岡2024年10月23日配信)

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

 

ハンセン病、薬害エイズ被害患者の救済から飯塚事件などの冤罪訴訟まで、常に弱者の立場に立ち、法廷で声なき声を代弁してきた徳田靖之(とくだ・やすゆき)弁護士 ──。「6・5 飯塚事件『不当決定』を許さない」と題された9月14日大阪講演の記録を全6回連載で報告する。(企画・構成=尾﨑美代子)

◆2つ目に明らかになったこと ── 目撃証拠は警察官の誘導で作成された

2つ目に明らかになったことです。女の子らの遺留品が発見された場所の近くで、久間さんの車に似た車を見たという目撃者の供述調書は、実は3月9日につくられた。そこには「自分が見た車は紺色のワンボックスカーでした。車はトヨタや日産ではありません。車の車体にはラインがありませんでした。車の後ろのタイヤがダブルでした」という非常に詳細な調書だった。

これについて再審請求で、私たちが証拠開示させ記録をみたら、3月9日の2日前の7日に警察官が久間さんの車を見に行っていたことが明らかになった。つまり2日後に目撃者から供述調書をとる警察官が、久間さんの車を見にいって、その特徴を全部頭に入れていた。

久間さんの車はマツダのウエストコーストという車です。久間さんは車を購入したあとに、その車の特徴である車体のラインを派手すぎるからと消していました。そういう特徴を警察官は全部把握したうえで、2日後に目撃者の供述調書をつくった。

これで私たちは謎が解けたのです。「トヨタや日産ではない」という供述がどうしてでてきたんだろうと思っていました。皆さん、車を見たとき「トヨタや日産じゃない」と言いますか? 言わないでしょう。警察官は、マツダの車とわかっているから「トヨタや日産ではない」と誘導したわけです。

また、皆さん、この[写真2]を見て「車体にラインがない」といいますか? 警察官は久間さんが車を買ったあとにラインを消したことを知っている。だから供述調書をとるときに、車を見た人から「ラインがない」という供述をとっている。

[写真2]

それだけではないんです。この目撃者は「後輪がダブルタイヤだった」と言っています。[資料4]に目撃者が車をみたという場所があります。カーブが続く山道にアと書いてあるのが目撃された車で、ここを通り過ぎた人が車の後輪がダブルタイヤだったといっているわけです。しかし、後ろのタイヤがダブルだということを確認するためには、目撃者は通り過ぎてから8メートルほどあとで振り返らなければ後輪はみえないことがわかった。

[資料4]

そのときの実況見分の写真が[写真4]です。警察が目撃者を現場に連れていって、そういう風にして後輪がダブルだとみたかという実験をしたときの写真です。目撃者は右腕が窓からでています。つまり運転席側の窓を開けていたということになるわけです。こんなカーブの多い山道を走行して、すれ違ってから8メートルくらい進んで振り返って、その車の後輪がダブルだったという供述です。しかし事件が起きたのは2月20日、寒い冬のさなかに山の中を運転する人が運転席の窓を開けて運転するだろうか? しかも、こんな山道で8メート走って、振り返るだろうか? すぐにカーブがくるわけです。それで、これはおかしいということになりました。

[写真4]実況見分の様子

この実況見分のあとに、久間さんが売り飛ばしたその車を警察が押収しています。そして8メートル先でみたということに納得いかないということで、警察は何を考えたか。後輪のダブルのタイヤは前のタイヤより直径が短いということがわかって、目撃者の供述を訂正させました。振り返って後輪のタイヤがダブルだといっていたのに、実は後ろのタイヤは前のタイヤより小さかったので後輪のタイヤがダブルだと思ったというふうに供述を変えさせたということが明らかになった。

つまり、第2の柱、遺留品の発見現場で久間さんの車とよく似た車を見たという証言は、警察が久間さんの車の特徴にあわせて、目撃者の話を誘導して作り上げたものだったということです。それでも、第一次再審請求で再審は認められなかった。

それはもう、私にいわせれば、死刑にしてしまっているから、うかつなことで再審したら、日本の裁判所は無実の人を殺してしまった、殺人の罪を犯してしまったということになる。日本の死刑制度の根幹を揺るがしてしまう。この厚いハードルのプレッシャーに裁判官が負けて、真実を見るということを怠ったとしか考えられません。(つづく)

◎徳田靖之弁護士講演会 6月5日飯塚事件「不当決定」を許さない(2024年9月14日 大阪浪速区大国 社会福祉法人ピースクラブにて)

◎《講演》徳田靖之弁護士・声なき声を聞く ── 飯塚事件再審[全6回連載](構成=尾﨑美代子)
〈1〉弁護士として、自ら犯してしまった過ちをいかに一人の人間としてどう償うのか
〈2〉失われていた物証と証拠の改竄
〈3〉無実の人を殺してしまった日本の裁判所

▼徳田靖之(とくだ・やすゆき)
弁護士。1944年4月大分県別府市生まれ。東京大学法学部卒。1969年弁護士登録。大分県弁護士会所属。「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟西日本弁護団共同代表、ハンセン病市民学会共同代表、薬害エイズ九州訴訟共同代表。飯塚事件弁護団共同代表

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

 

ハンセン病、薬害エイズ被害患者の救済から飯塚事件などの冤罪訴訟まで、常に弱者の立場に立ち、法廷で声なき声を代弁してきた徳田靖之(とくだ・やすゆき)弁護士 ──。「6・5 飯塚事件『不当決定』を許さない」と題された9月14日大阪講演の記録を全6回連載で報告する。(企画・構成=尾﨑美代子)

◆飯塚事件・再審請求事件としての第一の特徴 ── 死刑執行された事件の再審請求

今日来られた皆さんは、多くの冤罪事件、再審事件に関わっておられると思いますが、この飯塚事件は再審請求事件としては非常に特異な特徴があります。

その第一は、死刑執行後の事件の再審請求だということ。死刑執行後に再審請求されたのは「福岡事件」と「飯塚事件」と「菊池事件」の3つしかありません。まもなく判決が言い渡される袴田さんの事件も含め、日本の冤罪史上有名な4つの再審事件(免田事件、財田川事件、島田事件、松山事件)は死刑判決でしたが、執行前に再審無罪となっています。死刑執行される前の再審事件と、死刑執行されたあとの再審事件はどこが違うのかをまず理解していただきたい。

死刑執行前の再審事件を担当する裁判官は、もちろん自分が間違ったら、この死刑囚本人の命を奪ってしまうかもしれないというプレッシャーがかかってしまう。そのため再審請求には慎重に判断しなくてはいけないと考える。

では死刑が執行されたあとに再審請求された事件の場合、裁判官にどういうプレッシャーがかかるのか。自分が再審開始を決めて無罪になったら、日本の裁判所は全く無実の人を殺したことになってしまう、ということになりかねない。つまり、日本の死刑制度の根幹が揺らぐことになってしまう。うかつなことで再審開始ができないというプレッシャーがかかってしまうのです。

今日これからお話する世にも不思議としか言いようがない飯塚事件における再審で、裁判所は非常識極まる判断を、合理的に説明すれば、裁判官たちの立場としては、すでに死刑にしてしまっているがゆえに、再審開始をすることがとんでもないことになるというプレッシャーのまえに、いわば真実に目をつむったという形で、判断に影響したとし考えられないということを、まず頭にいれておいていただきたい。

◆飯塚事件・再審請求事件としての第二の特徴 ── 失われていた物証

飯塚事件の再審請求としての特徴の第2は、唯一の物証は女の子の膣内に残っていた犯人の血痕なんです。科警研がこれで100回以上のDNA型鑑定ができる量を、女の子の遺体を解剖した九州大学から送ってもらっていた。にも関わらず、自分たちは3回しか実験しなかったと言っているのに、試料をほとんど使ってしまいました。

残った試料が石山教授に送られたときには、わずかに綿糸1本しかなかった。これを石山教授が鑑定に使ったために、本件は物証が失われているわけです。足利事件の菅家さんの場合には、試料が残されていたために、新たなDNA型鑑定がおこなわれ、菅家さんとは別人が犯人だということが明らかになった。東電OL事件でも,犯人の精液という物証が残っていて、それをDNA型鑑定することによって、ゴビンダさんは全く犯人ではないと明らかになった。しかし、飯塚事件は、久間さんを再審で犯人でないことを明らかにする術を科警研が奪ってしまっているわけです。

石山教授にいわせると、当初科警研に送られた試料は、私の親指と人差し指の間の大きさの綿花に吸収されていたため、100回以上鑑定が出来たそうです。ところが科警研は3回しかやっていないと主張している。3回しかやっていないというのが事実かどうかわかりませんが、これが事実だとすると、残った試料はどこかに隠されていることになる。

しかし、私たちは実は、科警研は鑑定をやった際に、久間さんの型が何回やってもでてこなかったので、何十回も繰り返し行った結果、やっとそれらしきものが出たというのが真相ではないかと思っています。このように、飯塚事件の特異性は物証を捜査機関がいわば無くしてしまった事件だということをご理解いただきたい。

◆第一次再審請求審で明らかにされた新事実 ── 証拠の改竄

そうしたことを前提に私たちは、再審請求に着手したわけです。そこで第一に明らかになったことは、科警研のDNA型鑑定が改ざんされていたということです。[写真1]が科警研の鑑定が証拠を改ざんしたという証拠です。

[写真1]科警研の鑑定が証拠を改ざんしたという証拠

一番右に映っているのが科警研の鑑定書に添付されていた実験の写真です。真ん中はその時のネガフィルムです。一番左はそのネガフィルムを、私どもがわかりやすくしたものです。まずわかるのは、真ん中のネガフィルムが途中で切られている、カットされていることです。

私らが「どうして切ったのか?」と聞いたところ、台紙に余裕がなかったので切ったと最初に言われた。しかし、台紙に余裕があった。ネガフィルムをみたら、切った上に、バンドという、人の型を示すものが映っている。一番左をみていただきますと、丸で囲んでいるところ、ここに人の型を示すバンドが映っていたのです。これをみせたくなかったので、わざわざフィルムを切ってしまったのではないかと、私たちは考えています。

第一次再審請求で「なんで切ったのか?」と、検察に聞きました。すると検察は「エラーだから切った」といった。私たちは「エラーというなら、確かめたのですか?」と聞いた。すると「実験を繰り返したが、その実験ではバンドがでなかったので、エラーだとわかった」といった。

そこで私たちは「じゃ、そのエラーとわかった写真を出せ」というと、検察は「それはない」といった。「ないとはどういうことだ」と追及すると「鑑定をした技官が退職するときに処分をした」という。

そんなことがありますか。こんな犯人であることを示す部分をカットしておいて、カットした理由がエラーだというなら、エラーであることを示す重要な写真を残さないということはありえないわけです。ところがこういう写真を出しておきながら、エラーであることを証明した写真はないという。これは完全な証拠の改ざんです。犯人と思われる人の型がでている部分を意図的に切ってしまっている。裁判所にこの鑑定書をだして、久間さんの型と犯人の型が一致したとみせかけたわけです。
もうひとつ、一番右の写真をみると真っ黒です。普通ネガフィルムを焼き付けるときに、こんなに黒く焼きつけることはしません。一番左のように焼き付ければ綺麗にでるわけです。なぜそんなことをしたかというと、一番左の写真の左端に、実は被害者の心臓血内からとった試料を流したレーンですが、ここにバンドがあった。久間さんの型と同じバンドがあった。これは完全なエラーです。心臓血ですから、他人の血液、試料がまぎれこむことはないわけです。

そうすると一番左のように焼き付けてしまうと、久間さんと同じ型のバンドが出るということが明らかになる。それで彼らは一番右の写真のように真っ黒に焼き付けてしまった。そうすると、左のレーンにおけるエラー写真がわからなくなるわけです。

こういうことをしたために、久間さんの型はもうひとつの型がどこにあるか見えなくなったので、「ここに久間さんの型がある」とわざわざ赤いマーカーをつけたのです。本来ならば一番左のように明るく焼き付ければわかるのに、暗く焼き付け久間さんの型がわからなくなったので、赤いマーカーで「ここにあります」と示した。

人間のDNA型鑑定というのは、父親から受け継いだ型と母親から受け継いだ型の2つをバンドとして現れるのです。犯人は16-26型だ。久間さんは16-26型だ。そして菅家さんも16-26型だったのですが、その16型のほうは結論から言えばエラーだった。26型のほうは真っ黒にしてよくわからないが、じつは被害者の型とほとんど見分けがつかない。

そういう極めてあいまいな実験だったのに、このようにカットしたり、真っ黒に焼き付けたりすることで、全くいい加減な実験結果があたかも正確に久間さんが犯人であることを示すように偽造した訳です。これが明らかになりました。この結果、一審で福岡地裁は、DNA型鑑定は採用できないとしました。(つづく)

◎徳田靖之弁護士講演会 6月5日飯塚事件「不当決定」を許さない(2024年9月14日 大阪浪速区大国 社会福祉法人ピースクラブにて)

◎《講演》徳田靖之弁護士・声なき声を聞く ── 飯塚事件再審[全6回連載](構成=尾﨑美代子)
〈1〉弁護士として、自ら犯してしまった過ちをいかに一人の人間としてどう償うのか
〈2〉失われていた物証と証拠の改竄

▼徳田靖之(とくだ・やすゆき)
弁護士。1944年4月大分県別府市生まれ。東京大学法学部卒。1969年弁護士登録。大分県弁護士会所属。「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟西日本弁護団共同代表、ハンセン病市民学会共同代表、薬害エイズ九州訴訟共同代表。飯塚事件弁護団共同代表

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

10月23日、名古屋高裁金沢支部は、福井女子中学生殺人事件の第二次再審請求審で再審開始の決定をだした。検察が控訴する可能性もあるが、弁護団は本当に頑張ってここまで闘ってこれたと驚く。というのも、桜井昌司さんや青木恵子さんから聞いたのだが、再審請求人の前川さんは弁護団と折り合いがあまり良くないと聞いていたからだ。しかし、ここにきてこれまでのいろんな対立感情も少しおさまればと願っている(事件の詳細は弁護団への取材後に報告したい)


◎[参考動画]【速報】福井女子中学生殺人事件 再審認める決定 名古屋高裁金沢支部(日テレNEWS 2024年10月23日)

 

入廷行動前に裁判所前で行われた集会で発言する再審請求人の前川さん(全写真提供=青木恵子さん)

38年前、福井市の女子中学生が卒業式の日の夜、自宅で非常に惨殺な殺され方をした。被害者は地元の不良たちとトラブルを抱えていたこともあり、リンチされたのではないかと思われた。しかし、犯人逮捕のめどがつかない。そんななか前川さんが逮捕されてしまう。

そこに至るいきさつは複雑だ。別件で逮捕されていた地元のワルで暴力団組員Yが警察官に「犯人をしらないか」と聞かれ、犯人がわかれば、自身の刑が軽くなるのではと考え、知人に「犯人知らないか?」などと手紙していた。つまりYは犯人を知らないのだ。しかし、どうにか刑を軽くしたいYは、同じく当時シンナーを吸ってたりした後輩の前川さんに犯人役を押し付けようと企む。犯人は被害者がその時間1人でいたことを知っていた可能性があるため面識がある人物と思われてきた。しかし前川さんその被害者と面識がなかったのだ。

犯人逮捕に至らず、世間の非難を浴びる警察も、なんとか前川さんを犯人にしたてようとYの嘘の供述から、次々と関係者の嘘の供述をとっていく。

途中例えば「そうだCはあの喫茶店の場所をしらないんだ。ならば、Oを引っ張りこもう」と関係者がどんどん増えていく。警察に呼ばれた連中の多くは薬に手を染めたり、恐喝したりとスネに傷持つ者だから、警察に逆らえず、どんどんYと警察の作ったストーリーに沿った供述を行っていく。

ただし再審開始の決定書では、主に6人の関係者の供述などに絞っていく。 当日、犯行現場に前川さんを車で送ったというTは、車に戻ってきた前川さんの右手に血がついていたうえ、犯行をほのめかされたと供述。Iは事件当夜、Yに呼び出された先で、胸のあたりに血をつけていた前川さんを見たと供述。決定的な証拠がないなか、前川さんには一審て無罪判決が下されたが、検察が控訴し、二審では他を含む6人の供述が概ね一致しているとして懲役7年の実刑判決がくだされ、前川さんは服役してきた。

Iは、当初検察側証人として確定判決に沿う証言をした。事件当日はy田(Yとは別人)の家で「夜のヒットスタジオ」を見ていたが、アンルイスが歌う後ろで吉川晃司が腰を振るいやらしい場面(「本件場面」)があり、2人で「いやらしいな」と感想を言い合っていた。その後Yから電話があり、呼ばれた場所に行くと胸のあたりに血がついている前川さんを見たと証言。その後、Iの証言は事件当夜はm男とうどん屋に行き喧嘩をみた。そのあと、本件事件の検問を受けたと証言した。さて、どちらが正しいのか?

確定判決は、Iの最初の供述の信用性を認めた。理由のなかで「夜のヒットスタジオ」が事件当日夜に放送された事実を認定していた。警察の捜査報告書には「夜のヒットスタジオ」が、事件のあった3月19日に放送されたと記載されていた。なお、テレビ局への照会は、検察が前川さんを起訴した後、補充捜査の一環として警察に指示しておこなっていたのだった。

 

全身白い服装で応援に駆け付けた冤罪被害者の青木恵子さんと前川さん

今回の再審請求審で、弁護団が新たに検察に開示させた証拠のなかにその報告書があった。そしてテレビ局に対する照会結果などによれば、その放送は3月19日ではなかったことが発覚した。どういうことや?

一方、y田は夜のヒットスタジオでいやらしい振り付けのアンルイス、吉川の共演を一緒に見たのが誰だったか、最初は思い出せていないことがわかった。しかも一緒に番組を見ていたIとはそれほど親しい関係でなかったことも……。しかし、いやらしい「本件場面」を見たあとに、Yから呼び出されたことから、それほど仲の良くない2人が一緒にいやらしい「本件場面」をみていたことにされていたのだ。

Iは取り調べの初期段階で、当夜はツレのm男とうどん屋に行き、そこで喧嘩をみた。そのあとに、殺人事件関連の検問をうけたと供述したのに、M警察官は「m男はうどん屋で喧嘩を見たのは別の日だと言ってるぞ」とその供述を受けつけてくれなかった。新証拠によって、例の「本件場面」が放送されたのは別の日だと判明したことから、Iらが警察官の誘導で、ありもしない体験を述べる供述が作成されていたことが判明した。

実はIは、一審で前川さんが無罪になったあと、再びM警察官に呼ばれ、Iの覚せい剤事件を見逃すことを条件に、再度血のついた前川さんを見たとの証言を行わされた。Iは今回の再審請求審では弁護側の証人となり、その事実を証言した。M警察官の車に乗り出廷した控訴審の証人尋問のあと、M警察官に食事やスナックを奢られたうえ、結婚する際には祝儀をもらったとも証言、M警察官の名前が入った祝儀袋を証拠提出した。 

 

「日野町事件」の再審請求人・阪原弘次さん(弘務元被告の長男)と前川さん

それにしても、148頁にも及ぶ再審開始決定書のなかで、これだけ頻繁に「夜のヒットスタジオ」「アンルイス」「吉川晃司」が引用されるのは珍しいことだ。一方で、これもまた分厚い2年前の再審請求書には、「夜のヒットスタジオ」云々は全く触れられていない。なぜかというと、画定審では、その後前川さんの着衣などに血がついていることを目撃したIは、一緒にいたy田とアンルイスと吉川のいやらしい共演を見たあとに、Yに呼び出され、そこで血のついた前川さんを見たとなっていたが、いやらしい場面(本件場面)が放送されたのが3月19日と明確になったことも大きな理由として、主要関係者の供述や証言は嘘でないとされたのだった。そして前川さんは有罪とされていた。

しかし、当時のテレビ番組を知っている人はご存じだろうが、「夜のヒットスタジオ」は当時流行った曲を歌う歌手が登場する。だから当時ヒット曲を出していたアンルイスも吉川もたびたび登場していたのではないか。ただし、アンルイスが「六本木心中」を歌いだし、2番目を歌いだした際、吉川を呼びつけ、例のいやらしい振り付けで競演するというパフォーマンスは、3月19日の放送ではなく、翌週3月26日の放送だったのだ。しかも19日、「夜のヒットスタジオ」でアンルイスが歌ったのは「六本木心中」ではなく「あぁ無情」だったし、この日吉川も出演しているが、アンルイスとは共演していない。テレビの番組表だけをみれば、出演者欄に「アンルイス、吉川晃司」と書いてある。

私は知らなかったが、あのアンルイスと吉川のいやらしいパフォーマンスは当時テレビを見ていた人の中ではかなり刺激的で強烈に記憶に残っていたようだ。今でもxなどで検索すればでてくる。


◎[参考動画]伝説のデュエット【六本木心中】

それにしても、警察、検察も酷いことをするもんだ。冤罪を作り続ける現場の連中も、部下に性的暴行をはたらく上のやつらも……。そしてこんな私のところには冤罪犠牲者の方々から連絡がくる。拘置所、刑務所から手紙がきたり、人を介して連絡がきたり。先週も北海道の拘置所から手紙をくれた方がいた。多くの人は「私も冤罪です。取材してください」だが、彼は「『日本の冤罪』を読んで感動しました。私も冤罪で現在控訴中です。冤罪関係のどんな本を読むのがお勧めですか」だった。

冤罪は、大きいも小さいも関係なく、その人や家族、関係者の人生を大きく変えてしまう。連絡下さったすべての方々のお話を聞きたい。一生かけて聞いていかなくてはならない。冤罪を晴らしていかなくてはならない。


◎[参考動画]38年前の事件で7年服役 前川彰司さん(59)裁判所が再審認める判断 目撃証言の男性「うその証言をした」などの証拠 福井・中3女子殺害事件(TBS 2024年10月23日)

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

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ハンセン病、薬害エイズ被害患者の救済から飯塚事件などの冤罪訴訟まで、常に弱者の立場に立ち、法廷で声なき声を代弁してきた徳田靖之(とくだ・やすゆき)弁護士──。「6・5 飯塚事件『不当決定』を許さない」と題された9月14日大阪講演の記録を全6回連載で報告する。(企画・構成=尾﨑美代子)

◆1992年の飯塚事件 ── 再審請求に着手する前に死刑が執行されてしまった

飯塚事件は、1992年、福岡県飯塚市で通学途中の小学1年の女の子2人が何者かに誘拐され、性的ないたずらされたのち山中に遺棄された大変痛ましい事件です。事件から2年7ケ月後、久間三千年さんが逮捕されます。久間さんは一貫して「やってない」と訴えてましたが、2006年、最高裁で死刑判決が確定し、2年後に死刑が執行されてしまいました。

私は、弁護人として心して弁護を務めてきましたが、正直とんでもない過ちを犯してしまったのではないかと思ってしまいました。と言うのは、私は控訴審から弁護を務めてきましたが、死刑判決が確定したあと久間さんと接見した際、久間さんから「再審請求してほしい」と言われ引き受け、岩田弁護士と二人で中心となって再審を準備していました。拘置所の方も久間さんが再審をやりたいということは承知していたわけです。しかし、私たちが再審請求に着手する前に死刑が執行されてしまった。

最後に面会したのは死刑執行のひと月前でした。私たちが「まもなく死刑判決確定から2年になるので再審請求をしなければならない」と言ったところ、久間さんが手作りした一覧表みたいなものを見せて、死刑が確定した死刑囚はまだ大勢いる、自分より先に死刑が確定した人が10人位いるから、「先生、急ぐ必要はありません。まだ私の番がくるまでには時間がたっぷりあるので、しっかり準備してください」と言われて別れたのです。が、その直後に死刑が執行されてしまった。

そして、この死刑執行された日というのは、じつは冤罪でのちに無罪となった足利事件で、東京高裁が職権でDNA型鑑定をするということが決まった直後でした。飯塚事件と足利事件では、同じ鑑定人が同じ方法で鑑定していました。足利事件はその鑑定方法がデタラメだということで、改めてDNA型鑑定がおこなわれ再審無罪が確定しました。足利事件が怪しくなったというその時期に、同じ鑑定人が同じ方法でおこなったDNA型鑑定が柱となって死刑判決になっている飯塚事件については死刑が執行されたわけです。

法務省は私たちが再審の準備をしていることを知りながら、早い時期に死刑執行をした。そのこと自体は、確かに法務省が極めて不当な目的のもとに死刑執行をしたということで非難されるべきですが、私たちとしてはもっと早く再審請求の準備を着手していたら、この執行はなかったのではないかという点で、弁護士として間違いを犯してしまったという、そういう事件でもあるわけです。

ですから、私たちにとって、飯塚事件の再審に取り組むということは、自ら犯してしまった過ちをいかに弁護士として、一人の人間としてどう償うのかという問題でもあるわけです。幸い久間さんのご遺族であるおつれあいさんやお子さんが、私たちをとても信頼してくださり、「再審請求をお願いしたい」と言ってくださいまして、私らも引き受けさせていただきました。私としては、とんでもない過ち犯してしまったことへの償いとしての再審請求であるということをまずお話しておく必要があります。

◆死刑判決の証拠構造 ── 直接証拠なしでの情況証拠4つの柱

久間さんが死刑になった判決の根拠はどういうものなのかをお話します。飯塚事件には直接的証拠は全くありません。目撃者もなく、物証といわれるものもありません。その証拠となっているのは大きく4つ。

第1は、足利事件と同じDNA型鑑定です。被害にあった女の子の膣内に犯人にものと思われる血液が残っていて、DNA型鑑定を検査したところ、久間さんと一致したというのが証拠の第1にあります。このDNA型鑑定は「MCT118」という方法で、今はもう全く信用できないと採用されていません。

MCT118は、警察庁の科学警察研究所(以下、科警研)が開発した手法で、足利事件で菅家さんを犯人だと決めつけた鑑定方法です。それがとんでもない間違いだというシロモノなのですが、それが飯塚事件の場合には被害にあった女の子の膣内の血液が、久間さんと一致したというのです。

第2は、被害者は当時学校に通う途中でランドセルを背負った状態で誘拐されました。そのときのランドセルや着衣など遺留品が発見された付近で、不審な車を見たという目撃証言があり、目撃した人は、不審な車は久間さんの車の特徴と一致していると証言したのです。これが第2の柱です。

第3の柱は、被害者の女の子らが最後に目撃された場所で、久間さんの車と似た車を見たという証言です。

そして第4の柱は、被害者のスカートから発見された繊維片が、久間さんの車のシートに使われた材質の繊維を同じだという鑑定です。

この4つが死刑判決の柱となっています。そのうえで死刑判決は、これらの証拠を総合すれば、久間さんが犯人であることは疑いえないといっています。

◆久間さん有罪と矛盾する新たな二つの証拠

しかし、判決には、実は久間さんを犯人にするうえにおいては大きな矛盾点が残っているとも書いてます。どういうことかというと、MCT118という科警研の鑑定は開発してまもないために、あまり信用性がなかった。それで「これ一つだけで犯人と特定してはいけません。同じようなDNA型鑑定を同時に行いなさい」と科警研が通知をしていたのです。「同時に行いなさい」という鑑定はHLADQα型というDNA鑑定ですが、これでは久間さんの型は出なかった。これが久間さんを犯人とする弱点の第一です。

弱点はもうひとつありました。MCT118鑑定は信用できないと検察庁は考えていたために、検察庁は、DNA型鑑定の権威のお一人である帝京大学の石山先生に、女の子の膣内に残されていた血痕の試料を送って、久間さんの型と一致するかどうか改めて調べてほしいと依頼した。石山教授は最新型のミトコンドリア鑑定という、非常にわずかな試料でも鑑定ができる方法で実施した。すると久間さんの型は全く出てこずに、第三者の型が出てきた。

死刑判決の中の、この2つの弱点について、裁判所は何をいっているかというと、この2つの事実は久間さんを犯人とすることと矛盾するようにみえるというふうに書いたうえで、このHLADQα型鑑定だとか、石山教授のミトコンドリア鑑定は、試料がわずかで劣悪だったために、久間さんの型がでてこなかったのだと解釈すれば矛盾がなくなると書いてます。そういう理屈をこねて、さきほど話した4つの証拠で死刑判決をだし、これが最高裁で確定し、死刑になったわけです。(つづく)

◎徳田靖之弁護士講演会 6月5日飯塚事件「不当決定」を許さない(2024年9月14日 大阪浪速区大国 社会福祉法人ピースクラブにて)

▼徳田靖之(とくだ・やすゆき)
弁護士。1944年4月大分県別府市生まれ。東京大学法学部卒。1969年弁護士登録。大分県弁護士会所属。「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟西日本弁護団共同代表、ハンセン病市民学会共同代表、薬害エイズ九州訴訟共同代表。飯塚事件弁護団共同代表

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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羽曳野殺人事件で懲役16年の有罪判決を受けた被告の山本孝さんと弁護団が10月11日大阪高裁に控訴した

弁護団長伊賀興一弁護士に「ぜひ後追い記事を書いてくださいよ」と言われてたので、金曜日夜伊賀事務所に判決文と控訴申立書を貰いにいく。30分だけお話した。

◆検察側証人が15人と非常に多い異例の裁判

山本さんがある男性を殺害したとして逮捕、起訴されたこの事件、詳細はまた何かで報告させてもらうが、6月に始まったこの裁判員裁判、審理が3ケ月半と長期に及ぶこと、検察側証人が15人と非常に多い異例の裁判となった。

私は被告人尋問しか傍聴出来てないが、新聞記事や事前に頂いた最終弁論要旨などを読み、とにかく気になっていたことがあった。

それは被害男性への殺害方法だ。近所のドラレコに映った画像(人がいるというだけで顔貌など判別できない)からわかるのは、犯人は被害者とすれ違いざま、被害者の顔を確認するような行為を行い、一旦すれ違ったあと、被害者に後ろから近づき、被害者の背中の肋骨と肋骨の間にナイフを横にして差し込み、心臓をいわば裏側からひとつきして殺害している。なので返り血など浴びておらず、被害者の死を確認することなく、現場からもすすっと離れている。

◆軍隊経験のない人が、そんな殺し方をできるのか

しかし、実は被害者と山本さんには面識がある。山本さんが被害者に殺したいほど恨みがあるとしても、いや、ならば当然、すれ違いざま、わざわざ顔を確認しないだろう。いや、もしかして、暗がりだから確認したかもしれない。なにしろ殺害するのだから。

でも、より確実に相手を殺害したいなら、しなければならないなら、山本さんはすれ違いざま、正面からどうどうと心臓めがけてナイフをさしいれるはずだ。わざわざ、後ろにまわり、肋骨と肋骨の間にナイフを横に差し入れるなどという、特殊な訓練を受けた殺し屋のような方法を、不謹慎な言い方だが、殺害初心者の山本さんは取らないだろう。

失敗したら大変だ。「山本に殺られた~」と叫ぶだろう。(実際ドラレコには被害者の最後の声が残されている)。

山本さんは長年スーパー勤務の男性だ。事件当日も、仕事から戻り酒を呑み、家族で夕食をとり、風呂にはいり、長女と居間でテレビを見ていた。そんな普通のおやじさんだ。紀州のドンファン事件の早紀被告ではないが(早紀被告だって検索していただけで犯行に及んだかは不明だ)、「背中から刺して殺す」「肋骨と肋骨の間からからナイフを入れて殺す方法」などを検索した履歴もない。

判決文には「検察官の主張する各間接証拠を検討した結果、その相当部分は、弁護人の主張するとおり、検察官の立証に問題があり、被告人が犯人であることを基礎付ける事実関係として採用することができないが、一部の間接事実は疑いを容れずに認定することができ、その間接事実を総合して推認することにより、常識的に考えて被告人以外の犯人を想定することができず、被告人が本件の犯人であると認めることに、合理的な疑いを容れる余地はないものと判断した」とある。

何度も言うが、スーパー勤務、仕事から帰宅後、大好きな酒を飲みながら家族との団欒を楽しむ山本さんが、まるでプロの殺し屋のような殺害方法で人を殺すなんて、「常識的に考えて」ありえないだろう!

そんな話をしたら、伊賀弁護士に「尾崎さん、鋭いですね」と言われた。いや、鋭いも何も、普通スーパー勤務で、自衛隊など軍隊経験のない人が、そんな殺し方しないだろうよ。

ほかにも不可解な点は山程あるが、山本さんには有罪判決が下され、控訴することになった。

「尾崎さんは驚いてくれたが、裁判員からは何の疑問や質問も出ないんですよ」と諦め顔の伊賀弁護士。そして「この事件についてはもっともっと広めていかないと」と。はい、頑張って広めていきますね。


◎【参考動画】【大阪・羽曳野隣人殺害事件】「懲役16年」有罪判決 捜査機関が有罪立証のもととした「ドラレコ映像」は「被告と犯人の特徴合致すると評価できない」(カンテレ「newsランナー」2024年9月27日)

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尾﨑美代子著『日本の冤罪』

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月刊『紙の爆弾』の最新号記事がnoteで一部公開・購読可能となりました。記事単位での購入も可能になりましたが、『紙の爆弾』はあくまで紙がメインのメディアです。興味を持っていただけましたら、ぜひ書店でお手にとっていただければ幸いです。定価700円(税込)、年間定期購読7700円(1号分お得です)。ここでは10月号(9月7日刊行)の注目記事2本の一部を紹介します。

◆官僚支配・憲法無視・米国追従「能動的サイバー防御」とは何か
 取材・文◎足立昌勝

 

 

「有識者会議」の有名無実

政府は6月7日、国の重要インフラへのサイバー攻撃を未然に防ぐ「能動的サイバー防御(アクティブ・サイバー・ディフェンス=ACD)」導入に向けた有識者会議(「サイバー安全保障分野での対応能力の向上に向けた有識者会議」)の初会合を首相官邸で開いた。岸田文雄首相(当時。以下同)は「我が国のサイバー対応能力の向上は、ますます急を要する課題だ」と強調し、早期に関連法案を取りまとめるよう河野太郎デジタル相に指示した。

以上が、マスコミが報道した内容である。しかし後述するように、有識者会議では「能動的サイバー防御」という言葉は用いられず、「アクセス・無害化措置」という言葉に置き換えている。マスコミはそのことに触れないが、そこにこそ、政府・官僚の国民をだます姑息な手段を見ることができる。

会議では、次の3つのテーマについての分科会が設置された。①官民連携(官民の情報共有・民間支援)②通信情報の利用③アクセス・無害化措置(攻撃者のサーバー等の無害化)。これらの分科会では、最初に事務局である内閣官房サイバー安全保障体制整備準備室から「御議論いただきたい事項」が提示された。

このことは、非常に重大である。有識者会議は、専門家が各自の知識に基づき実質的な議論をするべき場所だが、実際は建前にすぎず、事務局(官僚)の構想によって動かされているからだ。

そもそも、有識者会議には17名の委員のほかに、政府側からも岸田首相・河野デジタル相・石川昭政デジタル副大臣に加え〝お付きの者?として、大臣と副大臣の官房副長官、国家安全保障局長、3名の内閣官房副長官補と内閣審議官が参加している。また、分科会には事務局であるサイバー安全保障体制整備準備室から室長を含め6名の幹部が出席し、議論をリードしていることがうかがえる。

その第1回会議で政府から提示された資料では、「現行制度上の課題」として、2022年12月に閣議決定された「国家安全保障戦略」に依拠する形で、今後の方向性を次の3点にまとめている。

①官民連携の強化⇒高度な侵入・潜伏能力に対抗するため、政府の司令塔機能、情報収集・提供機能の強化が不可欠。整理が必要な法令の例:サイバーセキュリティ基本法、各種業法

②通信情報の活用⇒悪用が疑われるサーバー等の検知には、「通信の秘密」を最大限に尊重しつつも、通信情報の活用が不可欠。整理が必要な法令の例:憲法21条(通信の秘密)

③アクセス・無害化措置⇒重大なサイバー攻撃の未然防止・拡大防止を図るためには、政府に侵入・無害化の権限を付与することが不可欠。整理が必要な法令の例:不正アクセス禁止法

これら3点を実現・促進するため、強力な情報収集・分析・対処調整機能を有する新たな司令塔組織を設置することが必要だと結論付けた。

ここで注意しなければならない点こそ、「能動的サイバー防御」の言葉が消え、「アクセス・無害化措置」に変更されていることだ。なぜこれらの用語変更をしたのかは、何の説明もないので不明だが、うがった見方をすれば「能動的サイバー防御」という言葉の持つイメージが非常に攻撃的であり、相手方サーバーに積極的に侵入し、攻撃力を消失させるという行為が、専守防衛を国是とする政府の立場から果たして許されるのかについての懸念が各方面から指摘されていたからではないか。
同様の言い換えは、「電話盗聴」を「通信傍受」、「監視カメラ」を「防犯カメラ」に換えて、盗聴や監視という本質を隠蔽し、国民を手なずけようとする官僚の常とう手段である。

※記事全文はhttps://note.com/famous_ruff900/n/n3be6409e9d19

◆シリーズ日本の冤罪〈52〉プレサンス元社長事件 
「村木事件」と同じ過ちを繰り返した大阪地検特捜部
 取材・文◎尾﨑美代子

 

 

2019年12月16日、大阪地検特捜部は、東証一部上場企業(当時)の総合デベロッパー「株式会社プレサンスコーポレーション」社長だった山岸忍氏を業務上横領容疑で逮捕した。山岸氏は、日本史上最多の保釈条件を付けた6回目の保釈請求が通るまで248日間勾留され、多くの財産と、我が子のように育ててきた会社を奪われた。しかし、その後の刑事裁判で山岸氏には無罪判決が下された(検察が控訴しなかったため無罪が確定)。

大阪地検特捜部(以下、特捜部)は2009年、村木事件で当時の厚生労働省局長・村木厚子氏を逮捕するも、裁判で無罪が確定した。しかもこの件で特捜部は、担当検事や上司らが証拠隠滅罪・犯人隠避罪で逮捕され有罪判決を受けるという一大不祥事を起こしている。

プレサンス事件で再び同じ過ちを犯した特捜部は、今回、特捜検事が特別公務員暴行陵虐罪で刑事裁判にかけられる事態となった。事件の詳細を山岸氏の“最強弁護団”の1人・西愛礼(にし・よしゆき)弁護士に取材した(以下、山岸氏と検察官以外の個人名は仮名)。

 山岸氏はなぜ逮捕されたのか

山岸氏の逮捕は、プレサンスが土地売買を手掛けた学校法人明浄学院(当時。本部・大阪市。以下、学院)の元理事長・佐橋由美子氏が、2019年12月に業務上横領で逮捕されたことがきっかけだった。佐橋氏は、2016年4月の理事長就任以前から学校経営に並々ならぬ関心を持ち、いくつもの学校法人に狙いをつけており、学院はその1つだった。

2015年頃、山岸氏に学院の校地買収の案件が持ち込まれる。同案件を進めたのは山岸氏の部下の小森氏だったが、案件が進展しないなか、校地売却による学院の郊外への移転費用、移転先での新校舎の建設費用、退任する理事長の退職金などまとまった資金を、山岸氏の個人資産から貸し付けてほしいと依頼してきた。

当時のプレサンスは急成長を遂げ、3年先までの土地も確保していたため、無理してまで校地を手に入れる必要はなかった。しかし、貸付先が学校法人であること、部下の小森氏や間に入る不動産会社社長・山本氏への信用などから貸し付けを決めた。

その際、佐橋氏については事前の調査でコンプライアンス上の問題点があったため、山岸氏は理事長が別の人物であることを確認したうえで学院への18億円の貸し付けを決めている。

そして2016年3月、山岸氏は山本氏との間で「金銭消費賃借契約書」を交わし、2回にわたって山本氏の会社に送金した。18億円は、そこから学院に送金される予定だった。しかし、その後、佐橋氏によって、佐橋氏のダミー会社や退任する理事長などの手に渡っていた。佐橋氏が小森氏、山本氏を巧みに騙し、学院の経営権掌握に費やしたのだ。

小森氏と山本氏は、当初の計画の変更を余儀なくされるも、その事実を山岸氏に伝えてしまうと激怒され、案件が潰れてしまうことなどを恐れ報告しなかった。最終的に学院の校地を売却したお金で山岸氏への返済ができればよいと考えていた。

ところが、その後、学院と移転先の自治体との交渉が決裂したため、学院は元の校地の半分をプレサンスに売却し、半分に新校舎を再建することとした。プレサンスは土地購入の手付金として21億円を学院に支払ったが、佐橋氏はそのお金を私的に流用(横領)し、山岸氏に借りた18億円の返済に使った。

こうして山岸氏には18億円が返済されたが、山岸氏は全て学院とのやり取りだと認識しており、まさかそこに佐橋氏が関わっているとは全く知らずにいたのである。

※記事全文はhttps://note.com/famous_ruff900/n/nad61e515d221

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連載
あの人の家
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「格差」を読む:中川淳一郎
シアワセのイイ気持ち道講座:東陽片岡
The NEWer WORLD ORDER:Kダブシャイン
【新連載】「ニッポン崩壊」の近現代史:西本頑司
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◆1時間お話するのに、5時間かけて来て下さるつもりだった徳田靖之弁護士に感謝感激

9月14日の徳田弁護士講演会に参加された皆様、お疲れ様です。東京、広島、和歌山からの方々や差様々な活動をされている方々など多くの参加者に集まっていただきました。

徳田弁護士のお話の前に私が少し話させていただきました。講演会前にあるアクシデントが起きましたが、結果、それは徳田弁護士ら飯塚事件弁護団が飯塚事件をいかに多くの方々に伝えたいかがわかるエピソードとなったということについてです。

講演会開催のきっかけは、映画「正義の行方」を見て、飯塚事件をもっと知りたいと考えたからでした。


◎[参考動画]映画『正義の行方』本予告

6月5日、飯塚事件の第二次再審の結果が福岡地裁で下されました。青木恵子さんが現地に駆けつけるというので、徳田弁護士に講演依頼を頼んでおきました。徳田弁護士はすぐに快諾してくださり、日程は9月14日と決まりました。

その後、私が徳田弁護士にチラシを送るなど連絡をしておりました。チラシには夜6時半開演と記していたので、当然、徳田弁護士はその日大阪で泊まるだろうと考え、ホテルも予約しました。が、そのことを私は徳田弁護士には伝えていませんでした。青木さんから徳田弁護士には「交通費など経費はちゃんとお支払いします」と伝えて貰っていたので、そこには謝礼、ホテル代も含んでいますよと勝手に考えていました。いや、私たちはこれまでどんな集会、講演会をやるときも必ず交通費、謝礼、ホテル代を払ってきました。それは当然と考えてきました。

先週になって徳田弁護士に「講演のお時間はどのくらいとりましょうか」とメールをしますと、徳田弁護士から「8時41分の新幹線が最終となりますので、約1時間ですね」と返事がきました。「えっ?帰られるの?」。

嫌な予感がないことはなかった……。青木さんが徳田弁護士に「交通費など実行委で出します」と伝えた際、「交通費なんかいりません」といわれたそうです。そう、徳田弁護士は手弁当で来られるつもりだったのです。その場合、帰れるなら帰ろうと思われたのでしょうか? あとでお聞きすると翌日15日も地元で用事があるということで、14日中に帰っておきたかったのかもしれません。結果として「ではお言葉に甘えさせていただきます」と連絡があり、宿泊することになりほっとしたのですが。それにしても、約1時間お話するためだけに、4~5時間かけて九州から来ようとされていたとは……。(実際は5時間かかってました)。

私からは、そんないきさつがあったことと、お話にも質疑応答にもたっぷり時間をとれるため、参加者の皆さんもしっかりお話をお聞きし、飯塚事件をさらに広めていきましょうと訴えました。

当日の講演内容は、書き起こししてまたご紹介いたします。

◆冤罪「みどり荘事件」

徳田弁護士をお呼びするにあたって、徳田弁護士のこれまでのご活動などを調べました。そこに「正義の行方」に一緒に出ている岩田務弁護士とともに闘った冤罪「みどり荘事件」というのがありました。どんな事件かと読み進めていくと、「あっ、この事件だったのか?」とハタと気づくことがありました。

20年以上前ですが、冤罪事件の専門書みたいな本に、ある事件で、検察が提出した証拠の中に犯人のものとされる毛髪があり、それは「15・6センチのロン毛の金髪」だったが、逮捕された男性の毛髪はパンチパーマの短髪だったという事件がありました。私はそれを読み「おいおい、ロン毛の金髪とパンチパーマってどれだけ違うねん。」と突っ込んでいましたが、その後、それがどんな事件だったかは忘れていたのです。

改めてこの事件を調べると、男性には一審で無期懲役が下されましたが、控訴審では無罪となりました。たしか、パンチパーマの件では男性が通っていた理髪店の大将が証人で出廷し、「こんなバリカンでこう刈っている」と事細かに証言し、いかに絶対15・6センチになることはない」と証言し、いかに出鱈目な証拠であるかを明らかにしていました。

一審で無期懲役だった原因としてほかにも多々あるのですが、徳田弁護士ら弁護団は、接見を通じて男性ときちんと信頼関係を築くことができなかったこともあると猛省し、二審に必死で取り組むのです。

そして、最終弁論の日を迎えます。

「最終弁論で、弁論の結びとなる『結語』は徳田弁護士が行った。徳田弁護士は、第一審から弁護についた者として自ら担当を願い出て、誰にも相談することなくひとりで『結語』を書き上げていた。その内容は、自らの第一審での弁護活動を痛烈に自己批判するものであった」。

「徳田弁護士が弁論を終えると、2時間にわたる弁護側の最終弁論を静かに聞いていた傍聴席から大きな拍手が沸き起こった。永松裁判長は、『静かにしなさい』と拍手を制止した。そして、『こんな立派な弁論に対して失礼でしょう』と付け加えた」とあります。

その後、裁判長は男性に無罪を言い渡したのです。詳細は「みどり荘事件」で検索を!

◆12月1日には神戸で徳田弁護士による「菊池事件」の講演会が開催!

徳田弁護士は別の記事で「誰にでも間違いはある」と話されています。昨日もそんなお話をしました。重要なのは、間違いについて、なぜそうなってしまったかをきっちり反省し、次につなげていくことではないでしょうか。

徳田弁護士は青木さんに「主催される方々は、冤罪事件に詳しく、いろんな活動を支援している」と聞いていたそうで、「ちょっと緊張して来ました」とおっしゃってました。それでも「本当に来てよかった」と、なんども言っておられました。

6月5日の不当決定以降、即時抗告の準備などもあり、こうした講演会は14日が初めてだったそうです。親睦会では美味しそうに芋焼酎をロックで飲まれ、周囲の方と楽しくおしゃべりをしておりました。

なお、12月1日、神戸市教育会館で徳田弁護士による「菊池事件」の講演会が開催されるそうです。私も駆けつける予定です。皆さん、会場でお会いしましょう!!

◎[関連記事]徳田靖之さん 弁護士/辺境の声なき声 酌み続け(川名壮志)(2024年1月配信日本記者クラブHP)

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

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