布川事件の冤罪被害者の桜井昌司さん(74)のエッセイ&詩集「俺の上には空がある 広い空が」の出版を記念した会が、4月11日大阪市内で開催された。無実の罪で29年服役し、無罪を勝ち取るまでに43年7ケ月かかった桜井さんは、現在国と癌の二つと闘っている。
国を相手取った国賠訴訟は、1審が勝訴、6月25日控訴審判決が下される。2019年秋に余命1年と宣告された癌にも、食事療法で打ち勝ちつつある。会は桜井さんの歌とお話で構成されたが、今回は、ゲストでお招きした「夜明けのさっちゃんズ」のお話と桜井さんのお話の後半を紹介する。(取材・構成=尾崎美代子)
◆僕の妹が死んでから (「夜明けのさっちゃんズ」矢島敏さん)
僕たち「夜明けのさっちゃんズ」は、僕の妹の矢島祥子が死んでから10年間、毎月釜ヶ崎でやるライブで「釜ヶ崎人情」を歌い続けてきました。
たまたま祥子のことを取り上げたNHKの番組を、「釜ヶ崎人情」を作られた作詞家のもず唱平先生が見てくださり、僕たちのライブにきてくれました。そして祥子の歌をつくると約束してくださり、実現したのが今から歌う「さっちゃんの聴診器」です。
もず先生が詩を書いてくださり、それに僕が曲をつけました。今日はもず先生のお弟子さんの高橋曄子さんと一緒に歌います。**〈演奏歌唱タイム〉**
写真左から西川まさひささん、高橋樺子さん、swing masaさん、矢島敏さん。「夜明けのさっちゃんズ」は2009年の矢島祥子殺人事件を受けて、事件の真相究明活動で遺族が釜ヶ崎に通う中、ミュージシャンである長兄の敏さんが同地のミュージシャンと組んだバンド。敏さんは神奈川県茅ヶ崎市で三線工房をしている琉球民謡登川長師範
◆理不尽に殺害された痛みと冤罪の痛み(桜井昌司さん)
桜井昌司さん
理不尽に殺害された祥子さんの痛みと、冤罪の痛みは変わりませんよね。真面目に一生懸命生きてきた祥子さんが殺害されるなんて許されていいと思いません。残念ながら日本はそういう国だと思いました。
雨合羽とイソジンがいる大阪は大変ですね(笑)。あんないい加減な奴らがやっている政治はだめですよ(拍手)。ああいう人たちをもてはやして、世の中が変わると思っている人たちは駄目です。イソジンや雨合羽が悪いわけではなく、ああいう人を選ぶ人が悪い。
日本人は自覚しない。菅総理が何故4割も支持率とれるか理解できません。彼はまともな日本語しゃべれないじゃないですか。安倍さんはまだ嘘が上手だった。彼の親父の安倍慎太郎が晋三を「こいつほど言い訳のうまい男はいない」と言ったそうです。そのとおりで、嘘がペラペラでてくる。
ああいう人を良しとした日本という国は、やっぱりそういう国家なのだと思います。残念ながら、体裁だけ整えばいい国家。私は74歳になりますが、刑務所に29年いたから、今の社会に責任はありません(笑)。当時娑婆にいた方、責任とってください(笑)。一人一人が正しいことを正しい、正義を正義という社会にしようと思いませんか? 今日は、私が刑務所で書いた詩をライブで初めて朗読します。
「目くばせから」「カラスの鳴く朝に」「一度だけでも」「手」「25年目のラブレター」「同居者に」「空」
◆人様の善意と触れ合えたことが人間としてどんなに嬉しいか(桜井昌司さん)
父ちゃんやお袋のことを話すといつも涙がでてきます。「死んだお墓に布団はかけれない」と言いますが、今、うちの恵子さんの親の足が動かなくなって、実家に帰っていて私は自炊していますが、自炊するのも結構楽しい。どんなことがあっても、人生は楽しいと思っています。癌の食事療法も彼女がいたからできた。そのおかげで癌が治ったと思っています。本当に人様に守られ、生き永らえたので、少し世の中のためになるよう頑張ろうと思っています。
冤罪は本当に辛い。私のように明るく楽しく生きられる冤罪被害者はなかなかいない。20歳に逮捕して頂いたお陰で、54年たってもまだまだ元気ですよ。
私、詩人だったでしょう。刑務所のなかでちゃんと詩が書けた。なぜか? あの苦しみのなかで、日本国民救援会の皆さんから「頑張ってね」と言われた。人様の善意と触れ合えたからです。それが人間としてどんなに嬉しいか。あの善意の人たちと一緒に生きて、飾り気なく生きられる人生が、どんなにさわやかかと目覚めた。飾りのある人生はつまらないじゃないですか? 「あなた素晴らしい人ですね」と言われて、陰で何しているかわからなかったら、こんなに疚しいことはない。だから自分はあの29年があったことで、すべて浄化された気がする。
私はそれまでろくでもない男だった。嘘も上手かった。安倍や橋下徹なんかたいしたことないくらい(笑)。橋下の口はたいしたことない。吉村もアホ。だいたい高利貸しの代弁するような橋下や吉村は駄目ですよ。なんのために弁護士になったのか?弱い者を助けるためじゃないのと思いますよ。そういう弁護士が少なすぎる。
私は自分が馬鹿だからはっきりいうが、頭のいい奴もたいしたことはない。自分で馬鹿と言うほうが本当に楽です。
次は娑婆に帰って作った歌です。自分の幸せを救援会の人たちに作っていただいた喜びをどう伝えようかと思い、「今あなたに」という歌にしました。皆さんにお送りする歌です、聞いてください。 **〈演奏歌唱タイム〉**
◆お金は大事ですよ。でもお金が生きる目的ではないはずです(桜井昌司さん)
4月13日菅さんが、福島第一原発から出た汚染水を海に流すと決めるそうです。トリチウムを海の水で薄めて流すから大丈夫だという。薄めて流す? そのまま流しても薄まるじゃないですか? 汚染水はきれいじゃない。トリチウムは消えない。なぜ嘘をいうのか? 地球は我々だけのものじゃない。我々には、人類が生まれてからずっと命の歴史を未来につなぐ義務があるじゃないですか。そのために政治しなくてはいけないのに、今がよければ、今、金儲けできればよいという。何なんだ! 怒りが湧きます。そういう人たちが多すぎる。恥ずかしいと思いませんか!
お金は大事ですよ。でもお金が生きる目的ではないはずです。我々が税金を納めるのはその税金で個人ではできないことをして欲しいから。こんなコロナの時こそ、税金を使って、全員に検査して、感染者見分けて、大丈夫な人は働けばいいでしょう。それをやらずに1年以上ぐずぐずと自粛ばかり続けている。大阪は、緊急事態宣言解除してたった1週間でまた「まんぼう」だという。なにやってるの? 我々、怒らなくてはなりません。私は怒ると癌になるので怒りません(笑)。みなさん、怒ってください。吉村どうにかしてください。声を広げて!
警察が悪いと知れば、社会の皆さん、悪いことは止めろと声をあげますよね。警察は真面目と思っているから、我々は信頼しているのであってね、やはり正義の声をあげて社会を変えましょう! 変えられますからね。**〈演奏歌唱タイム〉**
◆29年刑務所に入れて頂いたお陰で、自分は嘘を言わないようになった(桜井昌司さん)
桜井昌司さんの新刊『俺の上には空がある 広い空が』(マガジンハウス)
人はなぜ死ぬんでしょうか? 小学校4年の夏休みに「少年ジェット」という番組を見ていたら、悪人の怪傑デビルが人を殺した。そのとき、いつか死ぬと知って死ぬのが怖いと感じました。
「桜井、お前な、ここでやっていないというと死刑になるぞ。死刑になってから違うといっても遅いんだぞ。今のうちに観念して言え。助かれ」と刑事に言われましたね。そして私は死刑が怖くて「やった」と嘘を言ってしまいました。でも、一昨年癌と言われたときは全然怖くなかった。こんなに幸せに生きたんだから、死んでもいいと思った。今死ぬことが怖い人は、まだやることがあるからです。
昨日、ホテルに入って夜テレビをみました。先日亡くなった柔道の古賀さんが、膝をけがして金メダル取ったときのことをやっていた。「判定のとき負けてもおかしくないのに、なぜ勝てたか?」と聞かれ、古賀さんは「相手は私に勝つ気がない技を仕掛けてると判った。私は勝ち負けでなく、ひざが悪いので、柔道らしい柔道をしようと必死に迫めた。その気持ちが審判に伝わって勝ったのだろう」と、彼はいいました。
それを聞いた時、もしかすると私が人様に恵まれたのは、自分の一生懸命さが人様に伝わったのかもしれないと思いましたね。29年刑務所に入れて頂いたお陰で、自分は嘘を言わないようになった。何も隠さないで済むようになった。嘘はやめよう、一生懸命生きようという思いをもってきた。もしかしてそれが人様に伝わったのかもしれない。
死ぬのが怖い人、今日を一生懸命生きてください。目の前のことに一生懸命にやってください。きっといいことがある。私は74歳、まだ夢はあります。本の最後でそれを書いてます。私はまだ才能が自分の中に眠っていると思っている。
もし、刑務所と同じような苦しみや困難が起こったら、自分の中に埋もれている何かが花開くかもしれない、本当に思っています。夢は「紅白歌合戦」と「徹子の部屋」(笑)。
では最後に「私の人生」を歌います。たった一曲だけ、私の作曲ではなく、大滝賢一郎さんという方が、テレビ東京の番組の中で作曲してくれました。聞いてください。**〈演奏歌唱タイム〉** (了)
◎[参考動画]桜井昌司さん、出版記念パーティーの一コマ
(竹内たつおさん撮影。竹内さんの4月11日フェイスブックより)
https://www.facebook.com/100025186875552/videos/888223768693844/
◎尾崎美代子「俺の上には空がある 広い空が」 布川事件冤罪被害者の桜井昌司さん出版記念会報告
〈前編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38753
〈後編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38827
▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号
『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道