1995年に起きた「東住吉事件」の冤罪被害者青木恵子さんは、2018年再審で無罪を勝ち取って以降、全国の刑務所で服役中の犠牲者に手紙をかいたり、面会に行ったりしている。そうした活動が認められ、今回多田謡子反権力人権賞を受賞した。一方、娘を焼死させた火災は、車のガソリン漏れが原因だとしてメーカーのホンダに約5200万円の損害賠償を求めていた裁判は、控訴が棄却された。(聞き手=尾崎美代子)

── 今回の多田謡子反人権大賞受賞は、青木さんの様々な冤罪被害者への支援活動が評価されたと聞きしましたが、そうした活動を行うきっかけは?

青木恵子さんの自宅マンションで

青木 私自身、大阪拘置所、和歌山刑務所に服役中、知らない人からも支援され、そのおかげもあって無罪になれたけど、その人たちに何かを返すことはできない。また私自身が中にいて一番嬉しかったことは手紙を貰えたことなので、特別何かできるわけではないが、それくらい出来るだろうと始めました。常にレターセット持って、時間があればどこでも立ったままでも書いています。書いたら、すぐポストにいれます。

── どのくらいの方に書いています。

青木 国民救援会が支援している人が中心ですね。全員には無理ですが。例えばその人が裁判で負けたときは、「外の集会でみんながマイクもってこう話した、私はこう話した」と報告します。本人は聞けないからね。そして「負けずに闘いましょう。真実は一つだから」と書きます。私もそうでしたが、負けたとき支援者が泣いたり、怒ったりしてくれることを知ると、自分の悲しみとか消えていく気がします。また面会に行くときは1ケ月前から、刑務所に「面会させろ」とアピールするためもあり、行く前日まで毎日出します。

── 毎日? 何を書くのです?

青木 皆さんに聞かれます、「なに書くの?」と。事件のこととか聞かない。私の行動を書くの。「おはよう」や「こんにちは」から始まり、「今日は〇へ行きます」「どこの集会で話します」「今日は家でゆっくりしています」とかね。あと「あと〇日であえますね」と必ず書きますね。

例えば「今、寒いでしょう」と書く時でも、(刑務所を知っている)わたしらはその寒さというのは、いろんな言葉を言わなくてもわかるの。支援者だったら「炬燵あるの?」「暖房は?」と考えるでしょうが、私たちは何もないのをしっているから、「今年は寒いね。辛いよね。風ひかないようにね」でわかるんです。あと絵葉書だと外の景色もわかるし、切手は絶対可愛いのを貼る。切手だけでも「うわ!今こんな切手なんだ」とわかるでしょう。私がその喜びを知っているからね。

── 以前、中でケーキのパンフレットを貰ってうれしかったと話していましたね。

再審無罪を勝ち取った湖東記念病院事件の西山美香さんから送られた時計と大好きなぬいぐるみ

青木 そう。支援の方に「ケーキ食べたいわ」と書いたら、クリスマス用のケーキの申込用紙のパンフレットを送って貰いました。「食べられないのに可哀そう」と皆さん、思うでしょう?そうではない。食べられなくても目で食べるの。「今年はこんなケーキなんだ。来年は絶対外で食べるぞ」という思いになる。来年こそ、来年こそとね。

そういう活動が、じつは私も楽しいんです。人に何かをやってあげているのではなくて、手紙を書くことで私も吐き出している。私は一人だから、下手したら1日誰とも話さないから、手紙書いていたら、しゃべっている感じになるからね。面会も、私が励ましに行くというより、こっちもすごく元気になっている感じです。平野さんの弁護士が決まったときは、私まで嬉しかった。

── 平野義幸さんは徳島刑務所に入っている方ですよね。桜井さんにお聞きしました。放火殺人で無期懲役、再審を闘いたいが、弁護士も支援者もいないと。(注*2003年1月16日京都市内で起きた火災で女性が焼死した件で、同年7月31日殺人・現住建造物等放火罪で逮捕、起訴され、無期懲役が確定、現在徳島刑務所に服役中)

青木 そう。それで今回桜井さんの協力もあり、桜井さんの知り合いの弁護士さんがやってくれることが決まりました。徳島までの送り迎えは私が車でするという条件です。あとは弁護士費用の問題。ならば私が立て替えますとなりました。皆さん「すごい」というけど、私がちょっとのお金をだすことで、やってくれる弁護士がいた。私がそのお金をだせない環境だったら、「出せなくてごめんね」で終わってしまうが、出せないお金ではなかった。ならば金をだすことで1人の人が救われるのだったらと思ったんです。私は生活困ったら働けばいいが、中に入っている人は働いて稼ぐことも出来ない。自分にそのお金あるのに「人のためには出せない」というのは、私にはできない。でもそれで彼の再審無罪がかちとれ、冤罪被害者を救えたとなったら、お金じゃないでしょう?それで私が立て替えました。本人は中から必死で弁護士探しの手紙を書いていたから、これからはそれをやらなくて済む。一歩前進ですよね。これから再審に向けて弁護士がいろいろやってくれる。待たなければならない期間はあるが、これまでと比べどれだけ気が楽か。桜井さんと話していますが、これで平野さんの再審がうまく進み無罪になったら、一人の冤罪被害者を助けられたことになる。自分たちでそんなことしたことないから、してもらってばかりだったから。すでに支援者や弁護士がついて闘っている人もしんどいが、支援も弁護士もいない冤罪被害者がいるということは分かっていたが、実際目の前にいて関わったのは、平野さんが初めてだから。平野さんに初めて面会した時、「大切な人を亡くした気持ちは、青木さんならわかるでしょう」と言われ、娘のことと重なって思わず涙がでました。誰も信じなくとも、私だけは平野さんのことを信じると決めました。

── 確かにそうですね。青木さんは、そういう活動費用をつくるためにチラシのポスティングと集金のバイトをしているんですね?

青木 そうです。先日集金のバイトのミーティングで、チラシ配り1枚3.5円という、これまでよりちょっと高い仕事があったので、「私やります」と言いました。5千枚くらいまき、集金の分を足すと5万円くらいになったので、それを徳島に行く高速費用にあてます。

── 再審が始まるとよいですね。一方で、ホンダ裁判の控訴審は棄却されてしまい残念な結果となりましたが。

恵さんの遺影の隣に、青木さんのお母様、お父様の遺影

青木 一審の時は判決がわかりにくかったが、今回は負けたとはっきり分かった。その瞬間「なんだコイツ」と裁判官を見ました。私の最終陳述のとき、その裁判官は身を乗り出して聞いていたのに。向こうは20年の間に提訴できたでしょうというわけです。でも有罪で入っているとき提訴しても、裁判所は「有罪だから権利はない」と棄却するでしょう。それは裁判所が私を有罪にし続けたから、裁判所の責任でしょうと、裁判官を睨んで言いました。ホンダにも睨んで「ホンダさんに尋ねたいです。ガソリンが漏れないといわれるなら、どうか教えてください。火災の原因はなんですか? 自宅のガレージに車を止めていただけです、車は動いてないのですよ。車に原因がないなら、どこからガソリンが漏れたのでしょうか? 車しかありえませんよね? 違いますか? 再審の裁判所の判断も間違っているということですか?私が犯人だといわれるのですか? 裁判所にもお聞きしたいです。娘の無念を晴らすことも諦めて、泣き寝入りしたらよいのですか? 裁判は真実を追及して明らかにする場ではなく、大手メーカーの言い分に従って、真実を歪めてまでも逃げる道を選ぶのでしょうか?このようなおかしな判決が通るなら、正義も真実もなく、この裁判自体にも意味がなく、憤りしか感じません」と言いました。判決が出たあとも裁判官に向かって「私の意見陳述いっこも(ひとつも)聞いてなかったんですね。裁判官やめてちょうだい」と法廷出ていくまで言い続けました。桜井さんも裁判中に傍聴席から「おかしいだろ? 20年入っていたのに。裁判官やめたほうがいいよ」と怒鳴ってくれました。

── ホンダ裁判は上告して闘うということですね。それにしても桜井さんと青木さんは最強のコンビ、これからも大勢の冤罪被害者を救う活動を続けてください。私も微力ながら手伝わせていただきます。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

最新刊!『紙の爆弾』12月号!

原発なき社会を求めて NO NUKES voice Vol.25

「冤罪王国」。冤罪問題に詳しい人たちの間で、静岡県はそう呼ばれている。世間的に冤罪と認識されている重大事件が多く存在するからだ。

たとえば、死刑判決を受けた人がその後、無罪判決を受けた例を挙げただけでも、島田事件や幸浦事件、二俣事件がある。死刑囚の袴田巌氏に対し、一度は再審開始の決定が出た袴田事件も静岡県の事件だ。こうした「実績」をみると、たしかに静岡県は「冤罪王国」と呼ばれるにふさわしい。

だが、筆者はこれまで様々な冤罪を取材してきて、この静岡県より恐ろしい「裏冤罪王国」があることに気づいた。それは埼玉県である。いわば「表の冤罪王国」である静岡県と比較しながら説明しよう。

さいたま地裁。重大事件の法廷で冤罪の疑いが浮上しながら放置されているケースが目立つ

◆冤罪が「発覚」しやすい土壌があることを窺わせる静岡県

先述したように静岡県では、世間的に冤罪と認識される重大な事件が多く存在する。だが、これは必ずしも悪いことだとは言い切れない。なぜなら、重大な冤罪が多く「発生」しているのではなく、多く「発覚」していることの表れだとも解釈できるからだ。

冤罪被害者の救済は、その事件が冤罪だと「発覚」するところから始まる。そして実際、静岡県には、重大な冤罪が多く「発生」しているのではなく、多く「発覚」している県なのではないかと窺わせる事実が散見される。

たとえば、幸浦事件。1948年に磐田郡幸浦町の自営業者一家4人が殺害されたこの事件は、男性4人が警察の拷問により虚偽の自白に追い込まれた。警察の筋書きでは、4人の自白により浜辺に埋められた被害者の遺体が見つかり、これが「秘密の暴露」にあたるとされていた。

しかし、実際には警察が浜辺から遺体を発見する前、遺体が埋められていた場所に目印の鉄棒が立てられていたことが住人の証言により判明した。それが、男性4人の自白が虚偽だとわかるきっかけの1つとなった。

また、1950年に静岡県二俣町で家族4人が殺害された二俣事件では、やはり容疑者の少年が警察の拷問により虚偽の自白に追い込まれた。この少年が一度は死刑判決を受けながら、無罪判決を勝ち取る過程では、捜査を手がけた山崎兵八刑事が読売新聞紙上で警察の拷問や供述調書の捏造を告発する事態が起きている。

このように住人や現職刑事の告発が冤罪発覚のきっかけになるのは、極めて異例だ。さらに袴田事件でも、静岡県民ではないが、死刑判決を起案した静岡地裁の裁判官・熊本典道氏が袴田氏のことを冤罪だと思っていたことを表明している。

こうして見ると、静岡県には、冤罪が発覚しやすい土壌があることも窺われ、冤罪と認識される重大事件が多く存在することを悪いとも言い切れないわけである。

◆冤罪の疑いが見過ごされた重大事件が最も目につく埼玉県

一方、筆者がこれまで数々の冤罪事件を取材してきた中、「冤罪の疑いが見過ごされた重大事件」が最も目につくのが埼玉県だ。

たとえば、90年代を代表する凶悪事件の1つで、園子温監督の映画「冷たい熱帯魚」のモデルにもなった埼玉愛犬家連続殺人事件。埼玉県熊谷市で犬猫のブリーダー業を営でんいた関根元、風間博子の元夫婦が、金銭トラブルになった客らを次々に殺害していたとして検挙され、いずれも死刑判決を受けた。

だが、風間のほうは殺人の容疑を一貫して否認し、冤罪を主張。現在も獄中から裁判のやり直しを求め続けている。そして実を言うと、取調べで風間の犯行を目撃したように証言していた男が、裁判ではこの証言を覆し、「博子は無罪だと思う」「博子は殺人事件も何もやっていない」と証言する異例の事態となっていたのだ。

しかし、このように裁判で風間が冤罪だと疑わせる事情が明るみに出ながら、あまり報道されず、このことは世間にほとんど知られていない。

また、1999年に話題になった本庄保険金殺人事件。埼玉県本庄市の金融業者・八木茂が債務者たちを愛人女性らと偽装結婚させたうえ、保険をかけて殺害していたとされ、死刑判決を受けた。

しかし、一貫して冤罪を訴えた八木を有罪とする証拠は事実上、共犯者とされる愛人女性らの自白だけ。しかも、女性らの自白供述は心理学鑑定により「連日続いた長期間の取調べにより植えつけられた虚偽の記憶に基づく可能性がある」と判定されていた。そして3人の愛人のうち1人は、服役後、「自白は嘘だった」として再審請求しており、冤罪の疑いは色濃く浮かび上がっている。

しかし、このこともほとんど報じられていないため、知る人は少ない。

そして最後に、1999年に埼玉県桶川市で起きた桶川ストーカー殺人事件。この事件については22日の記事で詳しく紹介したが、冤罪を訴える元消防士・小松武史が裁判でこの事件の「首謀者」とされ、有罪判決を受けたのは、実行犯の風俗店店長・久保田祥史が当初、「武史から被害者の殺害を依頼された」と証言したためだった。

ところが、久保田は裁判でこの証言を覆し、「本当は誰からも被害者の殺害は依頼されていない。自分が勝手に暴走してやったことだった」という“真相”を明かしているのだ。この証言も大きく報道されず、結局、世間にほとんど知られていない。

このように埼玉県では、重大事件で冤罪の疑いを抱かせる事実が判明しながら、そのことが知られないまま放置されているケースが目立つ。だから私は、埼玉県のことを、冤罪王国と呼ばれる静岡県より恐ろしい「裏冤罪王国」と呼ぶのである。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。創業した一人出版社リミアンドテッドから新刊『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史)を発行。

月刊『紙の爆弾』2020年11月号【特集】安倍政治という「負の遺産」他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

〈彼は無実です。これは冤罪です。もう一度いいます。彼は無実です。この事柄が取り上げられて、彼が一日でも早く、獄から開放(原文ママ)されることを願っています〉

 

久保田祥史『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(片岡健編著)

これは、最近発売された書籍の一節だ。書名は『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』。標題の事件の実行犯である久保田祥史が獄中で綴った手記に基づき、平成の大事件のほとんど知られていない真相をつまびらかにしたものだ。

引用した部分も久保田の手記の一部だが、久保田が「彼は無実です」と言っているのは、この事件の「首謀者」とされている無期懲役囚・小松武史のことである。

実を言うと、同書は筆者が今年8月に創業した一人出版社から発行したもので、筆者は同書の編著者でもある。手前みそで恐縮だが、同書の内容は読んでくれた人にインパクトを与えられているようだ。それはおそらく、久保田が手記で明かしたこの事件の冤罪疑惑がこれまでほとんど報道されてこなかったからだろう。

この事件は今月26日で発生から21年になる。その頃には、この事件を回顧するような報道がテレビや新聞で散見されると思われる。その前にここで、久保田が手記で明かした事件の真相を紹介しておきたい。

◆元々、被害者を殺害する動機が見当たらなかった武史

事件が起きたのは1999年10月26日の昼過ぎだった。埼玉県桶川市のJR桶川駅前で一人の女性が待ち伏せていた男にサバイバルナイフで刺され、搬送先の病院で亡くなった。被害者は、埼玉県上尾市の猪野詩織さん。跡見学園女子大学の2年生だった。詩織さんは事件前、元交際相手・小松和人が営む風俗店の従業員らから凄絶な嫌がらせに遭っていた。

そんな背景もあり、この事件では当初から和人に疑いの目が向けられた。果たして約2カ月後、埼玉県警が検挙した実行犯の久保田は、和人が東京・池袋で営む風俗店の店長だった。しかし、ここから事件は意外な展開をたどる。久保田が取調べに対し、こう供述したからだ。

「私が被害者を殺害したのは、小松“武史”に依頼されたからです」

小松武史は和人の兄である。東京消防庁で消防士として働きながら、和人の風俗店経営を手伝っており、久保田にものを頼める立場ではあった。そこで埼玉県警は武史を事件の「首謀者」と断定し、逮捕した。対する武史は「久保田に殺害の依頼などしていない」と容疑を否定し、冤罪を訴え続けたが、裁判でも事件の首謀者と認定され、2006年に最高裁で無期懲役刑が確定したのだ。

もっとも、詩織さんに対してストーカー化していたとされる元交際相手の和人ならともかく、武史には、詩織さんを殺害する確たる動機は見当たらなかった。しかも、キーマンである和人は捜査中に逃亡先の北海道で自死し、事件の核心部分は結局、捜査で十分に解明されずじまい。当時、この結末には誰もがモヤモヤした印象を抱いたものだった

こうした経緯を振り返ると、久保田が武史のことを「無実」だとか「冤罪」だと言い出したのも決しておかしな話ではない。むしろ起こるべくして起こった事態だと言っていい。

◆実は裁判でも武史の冤罪を証言していた久保田

実は久保田が武史のことを「無実」だとか「冤罪」だと訴えるのは、この手記が初めてではない。久保田は2002年に武史の裁判に証人出廷した際にも、「武史から被害者の殺害を依頼された」という当初の供述を覆し、「本当は誰からも殺害の依頼は受けていない。自分が勝手に暴走してやったことだった」と“真相”を明かしているのだ。

このことは当時、新聞各紙でも報じられている。しかし、記事が小さかったり、埼玉地方面のみの掲載だったりしたため、世間にはほとんど知られずじまいだったのだ。

久保田によると、犯行に及んだ本当の目的はやはり、詩織さんに対してストーカー化していたとされる和人の思いに応えるためだったという。しかし犯行後、元々悪印象を抱いていた武史からトカゲのしっぽ切りのような扱いをうけ、憎悪を募らせた。そこで武史に復讐するため、武史を「首謀者」に仕立て上げるような供述をしたという。

だが、久保田は服役中、武史を貶めたことに罪の意識を感じるようになった。そのため、上記のように裁判で本当のことを話したのだという。そして宮城刑務所で服役中に手紙をやりとりしていた筆者の依頼に応じ、事件の真相を便せん50枚の手記に綴ったのである。

久保田が獄中で綴った手記

◆昨年発行した電子書籍版は武史が再審請求の証拠に

 

久保田祥史『桶川ストーカー殺人事件 実行犯の告白』(片岡健編著)

実を言うと筆者はこの手記を昨年5月、「桶川ストーカー殺人事件 実行犯の告白」と題する電子書籍として発行している。すると同11月、千葉刑務所で服役中の武史が同書を「自分が無罪である新規・明白な証拠」であるとして、さいたま地裁に再審請求を行う異例の事態となった。

同書に収録した久保田の手記では、虚偽の供述により武史を「首謀者」に仕立て上げた経緯が詳細に綴られている。さらに久保田の手記の原本も掲載していたので、武史の弁護人が再審請求の証拠になりうると判断したのだ。

そこで、筆者はこの機会に、久保田が手記で明かした事件の真相を少しでも世に広め、記録として残したいと思った。そして電子書籍に大幅に加筆、修正し、新情報も盛り込み、改めて紙の書籍化したわけだ。

久保田が犯行に及んだ理由は、和人の思いに応えるためだったと前記したが、実際には、この時の久保田の心情は複雑だ。そのあたりのことは同書を読んで頂けばわかると思う。

もちろん、同書の内容を無条件で信じて欲しいと言うつもりはない。しかし、平成の大事件の実行犯が自分の当初の供述が嘘だったと明かし、首謀者の男が冤罪だと訴えているだけでも重大な事態だ。関心のある方はぜひご一読頂きたい。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。創業した一人出版社リミアンドテッドから新刊『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史)を発行。

月刊『紙の爆弾』2020年11月号【特集】安倍政治という「負の遺産」他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

先日、ある死刑被告人に面会取材するために東京拘置所を訪ねたところ、不可解な出来事があった。施設に入る際、待機していた職員に「弁護士か否か」を確認され、「違う」と答えたら、「新型コロナウイルス対策の検温に協力して欲しい」と求められたのだ。

このご時世、もちろん検温には応じたが、疑問が残った。刑事施設はどこも平時から、弁護士の面会については、手荷物検査を免除したり、面会時間を長くしたりと、様々な点で一般の面会と扱いが異なるが、それらはすべて被収容者の権利擁護のためだと理解できる。しかし、新型コロナウイルス対策の検温について、弁護士とその他の来訪者を区別する必要は何かあるだろうか?

その職員は、「上から、そうするように言われたんです……弁護士の方は、弁護士会で徹底するそうです」と説明したが、ますます意味がわからない。弁護士会が所属弁護士に対し、新型コロナウイルスに感染しないことや、感染した場合に拘置所や刑務所で感染を拡大させないことを徹底できるはずがないからだ。

実際、他地区の弁護士によると、東京拘置所以外の刑事施設では、弁護士もその他の来訪者同様、入場前に検温をされている例もあるという。

◆弁護士に対する検査は「入場後」に行っていた……

そこで、なぜ、弁護士には入場前の検温を要請しないのかについて、東京拘置所に正式に取材を申し入れた。すると、総務部の職員から電話で次のような回答があった。

「弁護士の方については、拘置所内にある弁護士専用の待合室に入ってから、サーモグラフィーカメラで検査させてもらっています。そのうえで必要があれば、検温もさせてもらっています。ただ、このような対策を始めてから、弁護士の方が検温で発熱が確認された例はありません。一般の方は、発熱が確認された方がこれまでに1人いて、入場をお断りしましたが」

入場前の検温が弁護士だけは免除されている東京拘置所

東京拘置所は元々、弁護士とそれ以外の来訪者では、面会の受付窓口も待合室も別々になっている。それゆえに検温をする場所も違うということのようだ。ただ、弁護士だけは検温をせず、拘置所の建物内に入れていることに変わりはなく、それが新型コロナウイルス対策として適切と言えるかは疑問だ。

では、もしも今後、弁護士が専用の待合室に入ってからの検査で発熱が確認されることがあったらどうするのか? その点も質問したところ、その総務部の職員の回答は歯切れが悪かった。

「実際にそうなってみないとわかりませんが……その場合、入場をお断りするというより、入場しないようにお願いすることになるかもしれません。あくまでお願いベースだと思います」

拘置所や刑務所は現在のコロナ禍において、クラスターの発生が最も恐れられている場所の1つだ。しかし一方で弁護士の面会については、下手に制限すれば、弁護士や被収容者から反発され、面倒な事態になりかねない。この総務部の職員の話しぶりからは、東京拘置所がそのあたりのバランスに苦慮している様子が窺えた。

実際問題、全国各地の刑事施設で職員や被収容者が新型コロナウイルスに感染したというニュースがぽつぽつと報じられている。他ならぬ東京拘置所でもすでに被収容者の感染例が確認されている。「弁護士も入場前に検温しておけばよかった」という事態にならないように願いたい。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)がネットショップで配信中。

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

今から26年前の1994年、12月17日午前7時55分、大阪府警本部に一台の乗用車が突入し、運転していた男性が現行犯逮捕された。男性は東警察署で取り調べをうけたのち二度にわたり精神鑑定をうけ、その後大阪府立中宮病院の閉鎖病棟に放り込まれた。

1994年12月17日付け産経新聞

1994年12月18日付け大阪新聞

私がその男性・森山光博さん(現在62歳)を知ったのは、事件から2年後の1996年、大阪市内千日前の派出所に、ホームレスの男性が放火した事件がきっかけだった。放火した男性・冨村順一さんは裁判で、南警察署が倒れたホームレス仲間を放置し見殺しにしたことに抗議し、ガソリンを撒き火をつけ、火中に自ら座りこみ、自殺するつもりだったと証言した。

冨村さんといえば、沖縄県出身の活動家、著述家で、天皇制反対を訴え「東京タワー事件」などを起こした人物だ。私は、彼が難波の高島屋前でシェパード犬2匹を引き連れ、自身の書籍を販売していた時に出会った。冨村さん逮捕を知った私は、彼が懇意にしていた沖縄出身のスナックのママや常連客らと救援会を作り、裁判の支援を始めた。その裁判の過程で知り合った人物が森山さんで、彼は冨村さんに紹介され、大阪府警のスパイ(協力者)として活動していたと話していた。

◆森山さんをスパイに仕立てた府警本部の大山、山下刑事

森山さんは思想的には保守系だったが、当時街頭で宣伝活動をする冨村氏にあこがれ、自らも街頭宣伝したいと考えるようになったという。1989年5月頃から難波駅前で冨村さんの隣で街宣を始めた森山さんは、冨村さんに大阪府警本部の井上を紹介され、後に井上から大山、山下刑事を紹介された。年かさの大山が40代半ば、山下が森山さんと同じ30代半ばだったため、その後の連絡は山下が担当することになった。

2人からたびたび飲食の接待をうけるようになったころ、森山さんは大山に「我々警察が『正義』と思うか、それとも爆弾闘争をも辞さない極左が『正義』と思うか?」と聞かれたり、「勉強しろ」と左翼関連の書物を貸与されるなどした。

その後「勉強のために」と称して反天皇制や三里塚の集会に参加することを勧められた。もちろん彼らの目的は内部の様子を探ることだ。事後の打ち合わせで小さな切手ほどの顔写真を見せられ、「集会でこの人物がいたかどうか?」などと質問されることがあったが、会場で周囲を見回し顔を覚えておくことなど到底無理だった。また集会の受付では必ず名前、住所を記帳し、団体の郵便物が届くようにと指示されるが、そういう集団に住所などを知られる不安を常に感じていた。

またこの頃、失業中だった森山さんは、山下から茨木市にある松下電器の下請け工場を紹介されたが、慣れない作業で長くは続かなかった。その後もときどき飲食など接待され、山下とは関係が続いていった。彼らに受けた接待の中で、一番高額だったのは、山下と行ったキタのピンクサロンであった。

◆協力者を捨て駒のように扱う大阪府警

ある日、森山さんは山下からある集会への参加を頼まれた。「一般に広く参加をよびかけた市民集会だ」と言われたが、実際は会場も狭く、少人数の閉鎖的な集会で、森山さんは「これでは、自分が何者かと疑われるのではないか?」と恐怖を覚え、大山、山下にそのことを電話で抗議した。2人に呼び出され話し合った喫茶店で、森山さんは2人に警察手帳の提示を求めたところ、大山も山下も偽名であったことが判明した。「自分は本名を名乗っているのに、最初から偽名とわかっていたら、協力などしないのに…」。森山さんの不満や不審が次第に募っていった。しかし、2人に「いざというときには、我々が全力で助ける。君は我々警察をしてくれれば良いし、信用できない筈もないだろう」と説き伏せられ、関係が続いた。

ある日、山下に泉南地区のゴルフ場に誘われてプレイしてきた帰り、ある集会への参加を依頼された。しかし、そこはかなり過激な団体だったため、森山さんは断った。その後山下らとのホットラインで使っていた電話に、関係を断ち切る旨の電話を何度かするが、適当にあしらわれることが増えたため、いよいよ関係をやめなければと考えるようになった。

森山さんは、山下の依頼で入会した左翼団体の会費の建て替え分を精算して欲しい旨を簡易書留で送ったところ、山下に呼び出され、金を精算したあと、こう言われた。「もりちゃん、このことは一生胸の内にしもうといてや(しまっておいてや)。口外したらもりちゃん自身に危険が及ばんとも限らへんからな……」。恫喝とも取れる言葉に森山さんは何も言わず、黙って別れた。

警察との関係が続いていた突入事件(1994年12月17日)の2年ほど前、会社勤めをしていた頃の森山光博さん

◆26年ぶりの訴え

その後、森山さんが個人的に活動する中で警察に通報される騒ぎがあった。森山さんはそこで刑事に自分は大阪府警のスパイを行なっていたことなどを話した。「口外したらもりちゃん自身に危険が及ぶとも限らへんからな」。山下の言葉が思い出され、不安になった森山さんは、再び府警本部に電話し、身分の保証などを訴えたが、取り合ってもらえなかった。そして森山さんは、一層のこと「事件」を起こし、逮捕され、裁判で全てを明らかにしようと考えるに至った。それが冒頭の「事件」を起こした理由である。

しかし、大阪府警は、事故を起こした森山さんを「精神異常者扱い」し、精神病院へ送り込んだのである。森山さんは、この処遇について、昨年12月、26年ぶりに国と大阪府に対して国家賠償請求と措置入院の無効を求めて提訴した。具体的に何を訴えているか、森山さんにお聞きした。

森山光博さん近影

「大阪府警本部の正面玄関奥に乗用車に乗ったまま進入した私は、建造物侵入と損壊の罪で現行犯逮捕されました。ところが裁判で全てを明らかにしようと考えていた私は、その刑事裁判を受ける権利を否定され精神病院に送られてしまいました。 事件は26年前のことなので、時効などの規定により、国家賠償請求は認められないと承知の上で、少なくとも措置入院(精神病院への強制入院)の処分の無効の確認判決だけは勝ち取りたいと、昨年12月16日に本人訴訟で訴状を大阪地裁に提出し受理されました。
 被告の国と大阪府は、原告の主張する事実関係や、提示した証拠能力を積極的に争う姿勢は示さず、予想通り国家賠償請求権の時効などによる消滅を主張し、措置入院の処分の無効についても、措置は解除されているのだから、たとえその経歴が残っても、訴える理由がないと主張しています。
 裁判の情勢は芳しくありませんが、私が訴えたいのは、警察は一般人を、危険を伴うスパイとして利用するだけ利用し、必要なくなるとすっぱり切り捨てる組織であること、それを主張するために「事件」を起こした私を「精神異常者」として精神病院に送り込み、私の刑事裁判を受ける権利を奪ったことが許せないということです」。

筆者はほかに、石川県警のスパイをさせられた男性が、その後覚せい剤使用の罪をでっちあげられ逮捕された件について、えん罪であると主張して起こした裁判を支援してきた。一市民を捨て駒のように利用して行う警察の違法な捜査などが許せないからだ。引き続き、この裁判の行方に注目していきたい。

◎第2回口頭弁論期日 7月9日(木)午後13時30分~ 大阪地裁806法廷

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日

〈原発なき社会〉をもとめて 『NO NUKES voice』Vol.24 総力特集 原発・コロナ禍 日本の転機

黒川弘務元検事長が新聞記者たちとの賭けマージャンを週刊文春に報じられた騒動をめぐっては、検察とマスコミはそこまでズブズブだったのか……と驚く声、呆れる声があちこちで沸き上がっている。それでも、ひと昔前に比べたら、検察とマスコミのズブズブ感は薄まっているのかもしれない。2016年に発行された書籍『田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と特捜検察「栄光」の裏側』(朝日新聞出版)を読めば、おそらく誰もがそう思うだろう。

同書は、朝日新聞のウェブサイト「法と経済のジャーナル」で22回に渡って連載された「特ダネ記者がいま語る特捜検察『栄光』の裏側」を書籍化したもの。朝日新聞、NHKの両社で検察取材を担当した記者1人と元記者2人が、2013年に亡くなった吉永祐介元検事総長のエピソードを中心に検察の捜査や、検察報道の今と昔について、裏の裏まで語り合っているのだが、その中では、検察とマスコミの超ズブズブぶりも具体的エピソードと共に明かされた凄い一冊だ。

◆元検事総長から捜査資料を提供されたことをNHK記者が告白

『田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と 特捜検察「栄光」の裏側』(朝日新聞出版)

吉永氏は東京地検特捜部の副部長時代にロッキード事件の捜査を指揮したのをはじめ、数々の特捜事件を手がけ、「検察のレジェンド」と呼ばれる存在。本書でこの吉永氏のことなどを語り合っているのはNHK元記者の小俣一平氏(1952年生まれ)、朝日新聞元記者の松本正氏(1945年生まれ)、同・現役記者の村山治氏(1950年生まれ)の3人だ。いずれも検察取材が長く、小俣氏と松本氏の2人は吉永氏に深く食い込んだ記者だったという。

そんな同書では、村山氏が担当した前書きに、小俣氏のことを次のように紹介する文章が出てきて、いきなり驚かされる。

〈小俣さんは、歴代のマスコミ各社の記者の中で最も吉永さんに食い込んだ記者だった(中略)吉永さんの家族同然で、吉永さんが亡くなるまで濃密に付き合った。2006年には、吉永さんの捜査資料をもとに、坂上遼の筆名で『ロッキード秘録 吉永祐介と四十七人の特捜検事たち』(講談社)を執筆した〉(P19)

小俣氏が元検事総長の吉永氏と「家族同然」の付き合いをしていたというのも凄いが、何より特筆すべきは、小俣氏が吉永氏の捜査資料をもとに本を書いたことがあけすけに語られていることだ。普通に考えると、小俣氏に捜査資料を見せた吉永氏の行為は国家公務員法上の守秘義務違反にあたるからだ。

黒川氏と新聞記者たちの賭けマージャンが発覚した際には、黒川氏が捜査情報を記者らに提供するなどの守秘義務違反を犯しているのではないかと疑う声が飛び交った。黒川氏と記者たちの間でそのようなことが本当にあったのだとしても、吉永氏と小俣氏のズブズブぶりに比べたら、まったくかわいらしいものである。

ロッキード事件では、マスコミが検察と手を組み、田中氏を追及していた(朝日新聞東京本社版1983年1月27日朝刊1面)

◆朝日新聞社会部長はロッキード事件で検察の捜査を支持することを事前に確約

ロッキード事件に関しては、さらに凄い話が出てくる。村山氏によると、検察が捜査開始宣言をする2日前、朝日新聞の佐伯晋社会部長が密かに東京・霞が関の検察庁ビル8階の検事総長室に布施健(たけし)検事総長を訪ねていたというのだが、同席した東京高検検事長の神谷尚男氏から次のように持ちかけられたという。

「法律技術的に相当思い切ったことをやらなければならないかもしれない。それでも支持してくれますか」(P69)

これに、佐伯氏は「もちろん」と答えたというのだが、「法律技術的に相当思い切ったこと」とは、5月27日付けの当欄で紹介した「嘱託尋問」のことだろう。

検察が日本で起訴しないことを約束し、最高裁も刑事免責を保証したうえで、アメリカで行われたロッキード社のコーチャン氏らに対する嘱託尋問では、コーチャン氏らが田中氏への贈賄を証言し、検察が田中氏を刑事訴追するための有力証拠となった。しかし、当時の日本では刑事免責は制度化されておらず、コーチャン氏らの証言は最高裁に証拠能力を否定されたというのはすでに述べた通りだ。

当時、この証言の違法性がほとんど注目されなかったのは、マスコミが水面下で検察と手を組んでいたからだったのだ。

◆「田中角栄を逮捕した男」は自宅で毎日のように大勢の記者と飲み会

同書では、松本氏もひと昔前の検察とマスコミのズブズブぶりをこう証言している。

〈吉永さんや当時の特捜部の幹部は、「マスコミこそが、特捜の応援団なんだ。その支えを失ったら、検察は終わりだ」とよく話していました〉(P98)

実際、ロッキード事件の捜査、公判に関する当時の新聞記事を見ると、マスコミが検察の応援団と化し、田中氏を一緒に追い込んでいるような雰囲気だ。マスコミにとっても、検察と手を組み、政治権力者の疑惑を追及するのは「正義の実現」という認識だったのだろう。

そして極めつけが、吉永氏と記者たちの関係を振り返った次のくだりだ。

〈吉永さんは、田中元首相の一審公判の判決前後に東京地検次席検事を務めた。東京地検次席検事は、検察のスポークスマンで、毎日定例会見を開き、記者の夜討ち朝駆けも受ける。夜はたいてい、自宅に記者が大勢来て、酒を飲む。そういう中で毎日のようにトイレが汚れた。誰かが酔っぱらって粗相をするのだ。それを見つけるといつも吉永さんは長男を捕まえ「お前また汚しただろ」と叱りつけた。後に、長男は小俣さんに「あれは親父が犯人だったんですよ。検事のくせに他人のせいにするんですよ」と話した。鬼検事の吉永さんも家庭では普通のダメ親父だった〉(P98)

東京地検次席検事の自宅で、毎夜、記者が大勢集まり、酒を飲んでいた……。黒川氏の賭けマージャンの会場が産経新聞の記者の自宅だったとか、黒川氏が記者に提供されたハイヤーに便乗して帰宅していたとか、これに比べれば実に些細なことだと思えてくる。

賭けマージャンが発覚した黒川氏が訓告、朝日新聞の元記者が停職1カ月といずれも甘い処分で済み、刑事責任も追及されないことについては、批判する声が少なくない。しかし、これまで検察とマスコミがズブズブに付き合っていた歴史を振り返ると、検察も新聞社も賭けマージャンくらいで厳しい処分を下すことはできないというのが実情なのだろう。

この本の著者たちの言葉の1つ1つは、賛同できるか否かはともかく、検察とマスコミの裏面を世に伝える貴重な資料であることは間違いない。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第9話・西口宗宏編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

月刊『紙の爆弾』2020年7月号【特集第3弾】「新型コロナ危機」と安倍失政

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

検察庁法の改正案が国民的な批判にさらされ、今国会での成立を見送られるに至った一連の騒動は、ますます事態が混とんとしてきた。法が改正されたら、検事総長の座に長く君臨する可能性を疑われた「政権の守護神」こと黒川弘務東京高検検事長が「文春砲」により失脚したためだ。

しかし、この間に検察OBたちが法案への反対を表明し、ヒーロー扱いされたことの問題性は、社会の多くの人に見過ごされたままだ。そこで引き続き、当欄でこの問題に言及しておきたい。

今回言及するのは、法案に反対した検察OBたちが法務省に提出した意見書で、ロッキード事件の捜査や公判を自画自賛したことに関してだ。問題の意見書は、朝日新聞デジタルに全文が掲載されているので、必要に応じて参照して頂きたい。


◎[参考動画]“検察庁法改正案”攻防が激化……検察OBが反対表明(ANNnewsCH 2020/05/15)

◆検察の証拠は「刑訴法一条の精神に反する」

検察OBたちが意見書でロッキード事件の捜査や公判を自画自賛したことに関して、筆者はすでに当欄で以下2点の問題を指摘している。

【1】ロッキード事件で逮捕、起訴された元首相の田中角栄氏は裁判で一、二審こそ有罪とされたが、最高裁に上告中に死去したために有罪が確定しておらず、田中氏を有罪扱いした意見書の内容は「無罪推定の原則」に反すること(5月18日付け記事)

【2】意見書を法務省に持参した元検事総長の松尾邦弘氏は、退官後、三井物産に社外監査役として天下っているにも関わらず、三井物産の同業他社である丸紅の元社長らが逮捕、起訴されたロッキード事件の検察捜査を絶賛しており、公正さを疑われても仕方がないこと(5月22日付け記事)

これだけ見ても、検察OBたちの意見書が稚拙なものだったことはおわかり頂けると思われる。これに加え、今回新たに言及するのは、ロッキード事件の捜査、公判を通じて大きな問題になった「嘱託尋問」に関してだ。

この事件では、ロッキード社で副社長などを務めたコーチャンらがアメリカで行われた「嘱託尋問」で、田中氏らへの贈賄を証言し、この証言は日本の検察が田中氏らの有罪を立証するための有力な証拠となった。しかし、この嘱託尋問は、日本の検察がコーチャンらを起訴しないことを確約し、最高裁も刑事免責を保証したうえで行われたものだった。当時は日本に刑事免責の制度は無かったから、本来、そんな証言を日本の裁判で証拠にすることは許されない。

実際、田中氏らと共に立件された秘書官の榎本敏夫氏の裁判では、最高裁が榎本氏の有罪を維持した一方で、判決(https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/355/050355_hanrei.pdf)でコーチャンらの証言の証拠能力を否定している。その中でも特筆すべきは、大野正男判事が補足意見でこの証言を事実認定の証拠とすることを次のように厳しく指弾したことだ。

〈公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ事案の真相を明らかにすべきことを定めている刑訴法一条の精神に反するものといわなければならない〉

これは、コーチャンらの証言を法廷に示した検察の有罪立証に向けられた批判だとも受け取れる。このような批判を受けたロッキード事件の担当検事たちが退官後、再び公の舞台に出てきて、この事件の捜査や公判を自画自賛するのは、本来、大変恥ずかしいことなのだ。


◎[参考動画][1976年2月] 中日ニュース No.1153_1「ロッキード献金事件 ついに証人喚問へ」

◆「人民裁判」を肯定したに等しい検察OBたち

検察OBたちの意見書を改めて読み直すと、酷さが際立っているところは他にもある。以下の部分だ。

〈かつてロッキード世代と呼ばれる世代があったように思われる。ロッキード事件の捜査、公判に関与した検察官や検察事務官ばかりでなく、捜査、公判の推移に一喜一憂しつつ見守っていた多くの関係者、広くは国民大多数であった〉

〈新聞もテレビもロッキード関連の報道一色に塗りつぶされて日本列島は興奮の渦に巻き込まれた〉

ロッキード事件における検察の捜査や公判活動が国民から熱烈な支持を受けていたことを得意げに書いているが、これでは「人民裁判」を肯定したに等しい。この意見書に名を連ねた検察OBたちはおよそ法律家とは思い難い。

むしろ、このように当時、日本全国が報道の影響でのぼせ上がっていたからこそ、明らかにアンフェアな手続きで得られたコーチャンらの証言により田中氏らが刑事訴追されたことについて、当時の国民は問題性に気づかなかったのだろう。

冤罪問題に対する世間一般の関心が薄かった昭和の時代ならともかく、この令和の時代に、ロッキード事件を手柄話のように公然と語る検察OBたちがヒーロー扱いされる現状は、やはり相当危うい。この問題については、今後もさらに言及していきたい。

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▼片岡 健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第9話・西口宗宏編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

月刊『紙の爆弾』2020年6月号 【特集】続「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

コロナ騒動により外出自粛を強いられる日々だが、これは自分と向き合い、自分の能力を伸ばすチャンスかもしれない。そのことを教えてくれるのが、全国各地の刑事施設で長期の獄中生活を強いられている受刑者や死刑囚たちだ。

受刑者や死刑囚が獄中でとてつもなく上手な絵を描けるようになったり、精巧な工芸作品を作れるようになったりした例は枚挙にいとまがないが、筆者がこれまで取材した重大事件の犯人たちの中にもそういう例は数多い。その中でもとくに印象深かった西口宗宏という死刑囚のことを紹介したい。

◆絵を描くことを生きる支えに

西口は2011年の11、12月に、大阪府堺市で歯科医夫人・田村武子さん(当時66)と象印マホービン元副社長の尾崎宗秀さん(当時84)を相次いで殺害し、現金や商品券などを奪う事件を起こした。殺害方法はいずれも両手足を拘束したうえ、顔にラップを巻きつけて窒息死させるという惨たらしいもので、昨年2月、最高裁に上告を棄却され、死刑が確定している。

筆者はこの西口が死刑確定まで4年半ほど面会や手紙のやりとりをした。残酷きわまりない殺人事件を起こした西口だが、会ってみると、小柄の弱々しい感じの男で、何も知らなければ、とても殺人犯に見えない人物だった。

「死は怖くないですが、死刑は怖いですね。自死しようと考えたこともありますし、いつも頭に死があります」

面会の際、そう語っていた西口は常に死刑の恐怖に苦しんでいる様子だった。精神的に不安定だからか、あまり食事を食べられず、がんばって食べても吐いてしまうため、顔色がいつも悪かった。

そんな西口が生きる支えにしていたのが、絵を描くことだったのだ。

西口の描いた絵。罪の意識を表現したものと思われる

◆獄中で絵を描き続け、賞をもらうまでに

西口の写経には、いつも絵が添えられていた

西口は獄中で毎日、被害者のために写経と読経をしていたが、写経のやり方は独特で、写経した紙に一緒にイラストを描いていた。元々、漫画好きだったそうなのだが、写経と一緒に描くイラストも漫画のようなタッチで、自分自身が死刑を恐れて苦しむ様子や、別れた妻子を思い出して後悔する様子が表現されていた。

そのうち、西口は経典とは関係なく、絵そのものを描くことに没頭するようになった。描く絵は抽象的な作風のものばかりだったが、写経に添える絵と同様に死刑を恐れたり、罪悪感に苦しんでいたりする自分自身を表現したような作品が多かった。そして絵を描き続けるうち、どんどん腕を上げ、死刑廃止団体が毎年開催している「死刑囚表現展」で賞をもらうまでになった。

「ここでは、絵の具は使えないので、色鉛筆を水で溶かし、絵の具のようにして使っているんです」

面会中、絵の話をする時の西口は楽しそうだった。筆者にくれる手紙やハガキにも毎回、絵が描き添えられていたが、それらはユーモアや温かみの感じられる絵が多かった。西口にとって、絵を描くことは心の支えだったのだろうが、絶対に逃げ出せない獄中で死刑の恐怖や罪の意識に苦しむ日々の中、自分と向き合い続けたことが西口の能力を開花させたことは間違いない。

許されざる罪を犯した西口だが、コロナ騒動により外出自粛を強いられる日々の中、時には自分と向き合ってみることの有効性を教えてくれる実例だとは思う。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(同)も発売中。

7日発売!月刊『紙の爆弾』2020年6月号 【特集】続「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

滋賀県の湖東記念病院で看護助手をしていた西山美香さん(40)が2003年5月、男性入院患者の人工呼吸器のチューブを外し、殺害したとの濡れ衣を着せられて服役した事件では、3月31日、大津地裁の再審で西山さんが無罪判決を受け、ついに雪冤を果たした。再審請求後、弁護側の調べにより男性が本当は病死だったと明らかになったことが最大の要因だ。

2012年から当欄で繰り返し伝えてきた通り、この事件では、滋賀県警の山本誠刑事が西山さんの取り調べを担当し、西山さんが自分に好意を寄せたことにつけ込み、虚偽の自白をさせたうえ、自白を維持させるために様々な不当捜査を行っていた。

その中でも悪質さが際立っていたのが、裁判の第一審初公判が開かれる3日前、滋賀刑務所に勾留された西山さんを訪ね、「検事さんへ」で始まる以下のような上申書を書かせていたことだ。

〈もしも罪状認否で否認しても、それは本当の気持ちではありません。こういうことのないよう強い気持ちを持ちますので、よろしくお願いします〉

読んでおわかりの通り、山本刑事は、西山さんが裁判で自白を撤回し、否認に転じることを阻止するため、このような上申書を書かせていたわけだ。

西山さんはこんなものを書かされたため、第一審の初公判で罪状認否ができないほど精神状態が不安定になった。冤罪事件では、個々の刑事や検事が不当な捜査を行うことはよくあるが、ここまであからさまな不当捜査を行う刑事も珍しい。現在、ネット上ではこの事実が広まり、山本刑事の実名を挙げて批判する声も増えている。

ただ、実を言うと山本刑事は15年前、西山さんの裁判で証人出廷しており、この不当捜査に滋賀県警の上司と大津地検の検事が関与していたことを明かしている。つまり、山本刑事の証言が事実ならば、この冤罪は警察と検察が「組織ぐるみ」で作り出したものだということだ。

山本刑事は法廷で具体的にどんな証言をしたのか。以下、証人尋問調書に収録された山本刑事の証言を紹介する。

山本刑事の不当捜査の現場となった滋賀刑務所

◆西山さんを追い込んだ面会は「上司、検事さんと相談」のうえで実行

山本刑事が西山さんの裁判で証人出廷したのは、2005年5月31日にあった第一審第8回公判でのことだ。この裁判では、西山さんが無実を主張したため、捜査段階の自白の任意性、信用性が争点になった。そのため、西山さんを最初に自白させた取調官である山本刑事が証人出廷することになったのだ。

この日、山本刑事は、大津地検の山本真千子検事の主尋問に対し、西山さんに対する取調べなどに何ら問題はなかったとする証言に終始した。ここで紹介するのは、その後に主任弁護人の中原淳一弁護士が山本刑事に対して行った反対尋問の一部である。

まず、中原弁護士は、山本刑事に対し、初公判直前に西山さんのもとを訪ねたことが裁判で問題になっていることを知っているか否かを質している。

・・・・・・・・・・以下、引用・・・・・・・・・・

── あなたは、第1回の公判は傍聴に来ていましたか。

山本「来てました」

── そこで弁護人が、あなたが直前に被告人のところに行ったということを問題にしたということも、じゃ、知ってますね。

山本「えっ、どういうことですか」

── 第1回公判の直前に、あなたが被告人のところに行ったんで、話が今までの打合せとは変わってしまったんで認否ができないという話をしたと。

山本「ああ、新聞とかで知りました」

── 傍聴に来てたから、ここでも聞いて分かってたでしょう。

山本「はい」

── そういうことで新聞にも載ったということも知ってますね。

山本「はい」

・・・・・・・・・・以上、引用・・・・・・・・・・

西山さんが初公判直前、面会に来た山本刑事に上記のような上申書を書かされるなどしたため、初公判で罪状認否ができなくなったことについては、実は当時も新聞で報道されていた。山本刑事は、初公判(=第1回の公判)を傍聴していながら、そのことは「新聞とかで知りました」としらばっくれたわけだが、中原弁護士の追及により、傍聴時に知ったことを認めざるをえなかったわけである。

そして中原弁護士の追及は以下のように続く。

・・・・・・・・・・以下、引用・・・・・・・・・・

── その件で、県警のほうから、どうして行ったのかというような事情は聞かれましたか。

山本「えっ、どうして行ったとはどういうことですか」

── どうして公判の直前に被告人に会いに行ったのかという理由を県警から聞かれましたか。

山本「聞かれておりません」

── もう分かってるからですかね、警察本部のほうは。

山本「……上司と相談して、検事さんとも相談しでしたことなので、上司もよく分かってることやと思います」

── 検事も、公判のちょっと前にあなたが被告人のとこに行くことは了承してたんですか。

山本「当然拘置所に行くのに許可を得なければいけませんので、許可は得ております」

・・・・・・・・・・以上、引用・・・・・・・・・・

一読しておわかりの通り、山本刑事は初公判直前、西山さんのもとに面会に行ったことについて、上司と検事に相談し、検事の許可を得ていたことは明かしている。西山さんに罪状認否で否認させないようにするための初公判直前の不当捜査は、警察、検察が組織ぐるみで行ったことを自白したも同然だ。

◆問題の上申書を書かせた紙はあらかじめ持参

さらに尋問の続きを見てみよう。中原弁護士の追及に対し、山本刑事は当初、のらりくらいと初公判直前に西山さんの面会に訪ねたことの正当性を主張している。

・・・・・・・・・・以下、引用・・・・・・・・・・

── 特に取調べの必要というわけではないというふうにあなた言いましたけども、新聞の記事では県警のコメントとして、捜査の必要性があったから行ったということになってるんですが、そういうふうに書いてあるのはあなたも知ってますか。

山本「はい」

── でも、今言った内容ですと、取調べでもないということだと、特に捜査の必要性があったとは思えないんですが。

山本「いや、ただ先ほども申し上げましたように、自傷行為とかそういうことがありましたんで、本人のことが心配という部分が大きかったですけども、本当のことを正直に、弁護士さんにも正直に話してないということでしたんで、本当のことを正直に話しなさいという意味も多少はありました」

── だから、補充の捜査とかそういうわけではないんでしょう。

山本「そういうわけではないです」

── 調書も取ってないですね。

山本「取ってないです」

── 別に調書を取る予定もなかったですか。

山本「ないです」

・・・・・・・・・・以上、引用・・・・・・・・・・

つまり、山本刑事は、「西山さんが自傷行為をしないように初公判直前、面会に訪ねる必要があった」というようなことを述べているようだが、話がまどろっこしく意味がわかりにくい。

そこで、中原弁護士は次のように、単刀直入に問題の上申書のことに切り込んでいる。

・・・・・・・・・・以下、引用・・・・・・・・・・

── 上申書というのは書かせましたね。

山本「はい」

── これも必要だったんですか。

山本「いや、特に必要はなかったんですけども、このときも本人が思い悩んで、まだ弁護士さんに正直に話せてないということとか、同じようなことを言ってましたんで、調べ官として、こういうかたちを取ることしかできませんでした」

── そういう上申書を書かせたらどうなると思ったんですか。

山本「本人の気持ちを多少なりとも酌んであげられると思いました」

── その用紙というのは、あなたが持って行ったんですか。

山本「用紙は鞄の中に入れておいたものです」

── あらかじめ持って行ったんですね。

山本「はい」

・・・・・・・・・・以上、引用・・・・・・・・・・

これも読んでおわかりの通り、山本刑事は西山さんの面会に訪ねた際、あのような上申書を書かせるための紙を持参したことを認めているわけだ。この事実を見れば、面会に訪ねた目的が、西山さんが自傷行為をするのを心配したからではなかったのは明白だ。初公判の罪状認否で西山さんが否認しないように精神的に追い込むため、わざわざ面会に訪ねたのだ。

西山さんが再審で無罪判決を受けても、滋賀県警、大津地検がまったく謝罪しないことは、すでに各マスコミで批判的に報じられている。加えて、この冤罪は滋賀県警、大津地検も組織ぐるみで作ったものであることも少しでも多くの人に知ってもらいたい。

▼片岡健(かたおか けん)

全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(笠倉出版社)も発売中。

最新刊!月刊『紙の爆弾』2020年5月号 【特集】「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る 新型コロナによる経済被害は安倍首相が原因の人災である(藤井聡・京都大学大学院教授)他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

3月15日、社会福祉法人ピースクラブ(大阪市内)で「桜井昌司Specialday」を開催した。布川事件の冤罪被害者である桜井さんが29年の刑を終えて千葉刑務所から出所し、普通の生活を取り戻しながら再審を闘う姿を追い続けたドキュメンタリー映画「ショージとタカオ」(井手洋子監督)の上映会と、桜井さんのトークライブの2部構成。昨年秋にがんを宣告され、現在食事療法を続ける桜井さん。かなり痩せられたが、トークも歌もこれまで以上の迫力。冤罪を無くすため、全国を駆け回る桜井さんにエールを送るつもりで企画したが、逆に「もっと頑張れよ」と背中を押された1日。迫力満点のトークの書き起こしを前編・後編2回に分けて紹介します。(構成=尾崎美代子)
※字数の関係で一部削除したほか、分かりやすく加筆、訂正しています。


◎[参考動画]ショージとタカオ予告編NEWバージョン2

2019年5月27日、東京地裁で「布川国賠」で勝訴判決が下された。入廷する桜井さん

◆神様が俺に新しい苦しみを与えた

去年9月にガンとわかり、10月に医者に言われました。いきなり緩和ケアだと。何で痛くも辛くもないのに、そう言うのか!と。その後、直腸癌のステージ4で肝臓に転移していると言われました。肩から薬剤を2週間に一度入れると言われた。わたしは嫌だから「先生、何もしなかったらどれくらい生きれるの?」と聞いたら「1年だ」と。「薬入れたら何年?」と聞いたら「2年」と言われた。

なんだ変わらないじゃないかと思ってね、「じゃやりません」と言いました。すると先生が「凄いですね」という。「何が?」と聞くと、「桜井さんのように余命1年と言われ、生き生きと活動している人はいませんよ」と。私は「だってダメでもあと1年生きるんでしょ? その間に何があるかわからないじゃないですか」と言いました。

今、swingマサさんの紹介で食事療法をしています。魚、肉、小麦粉、乳製品、卵、化学調味料を一切食べない。これで治った人がいる。私も必ず治ります。いや、治してみせようと思ってね(拍手)。もし治ったら、医者なんかいらないじゃないいですか?(笑)

私は刑務所に29年間入った後、針の穴にラクダを通すくらい難しいという再審で無罪を勝った。美香さんに「桜井さんは私のヒーローです」なんて言って貰え、たくさんの人たちに希望を与えることができた。こんなつまんない男が……。で、今度は国賠裁判にも勝った。間違ったことはダメだと通った。今度がんに勝ったら俺どうなるんですか?(笑)。自分はがんになって辛いと思ってないです。新しいチャレンジを神様が俺に与えてくれた、新しい苦しみを用意してくれたと思って、今ワクワクしながら、毎日過ごしています。(「酒と泪と男と女」を熱唱)

西成の難波屋で毎月14日(矢島祥子さんの月命日)に行われる「夜明けのさっちゃんズ」ライブで歌う桜井さん

この後は、大阪でいつもピアノ伴奏してもらっているキョウちゃんの伴奏で刑務所で作った歌を何曲か歌います。刑務所で「孤独を知る時」という詞を作りました。「人は苦しみによって孤独を知るのであろうか。悲しみの深さが孤独を教えるのだろうか。僕は喜びの時、幸せな想いの時、一人きりの喜びと幸せの、その虚しさに孤独を知った」という詩です。   

千葉刑務所に入っている人は、罪を犯した人も無実でもみんな寂しいし、辛いは同じ。でも私は皆さんに支援してもらって「今日、佐藤さんのコンサートがあって、俺の歌が好評だったって」とか言っても、誰もわからない。「桜井さん頑張って」と言ってくれる人がいて、でもその喜びは誰にもわからない。幸せの時「よかったね」と分かり合える人がいることが、人間の本当の喜び。悲しみや辛さが孤独ではないと私は思いましたね。刑務所の中で、詩人だったでしょ、私(笑)。そんな中で「闇の中で」という歌を作りました。聞いてください。(「闇の中へ」を熱唱)

「親孝行したい時に親はなし」と良く言います。私は親父が1991年、お袋が1976年に亡くなりました。刑務所にいたので葬式に出れなかった。そのせいか、今でも2人が生きてる気がちょっとしている。人間って100%はないとそれで教わった。あの時、葬式に行って「亡くなったんだ」とケジメつけたかったができなかった。だから、今でも生きているんだという気持ちが少しあって、それはそれでいいと思ってます。人間どんなことでも100%はない。でもやっぱりもう一度親父とお袋に会いたかった。言いたいことは1つ。「産んでくれてありがとう。本当に幸せな人生だった」と伝えたかった……(涙)。あとは何もない。皆さん、もし親が生きていたら大事にしてくださいね。なんでもいい親孝行は、会いに行くだけでもいいから。(「鼻」を熱唱)

上映会&ライブのあとの親睦会で支援者と談笑する桜井さん

◆人の命ほど大事なものはない

自分は73歳になるとは思わなかった。人生はあっという間ですね。さっきの映画に出ていた杉山と弁護団長さんが亡くなったし、「この人も、この人も」と亡くなった人がいました。人間って本当に生きていればこそ、やり直しができる。人の命ほど大事なものはないと思っています。

善人とか悪人とか関係ない。誰でも一度きりの命だから、どんな悪人でも許して、国家は大事にしないといけない。日本という国がなぜダメかというと、悪い人は殺してもいいという人が沢山いるからです。犯罪者を隔離すればいいという考えは間違っています。覚醒剤で捕まった人を刑務所に入れても何にもならない。あの人達は心を病んでいるんだから。病人を直すところ作るべきなのに、ただ逮捕して刑務所に入れればいいという。昔から、臭いものに蓋すればいいというのが日本なんです。違うじゃないですか。間違った人を大事にする社会だったら……と思います。

残念ながら、才能の違いって世の中ある。頭のいい人も確かにいる。でも安倍さんみたいに頭の悪い人でも首相になれている(大爆笑)。はっきり言って彼は簡単な漢字も読めないでしょ。正直言ってバカが総理になったら駄目です。だから、今、こんな政治なんです。

今のコロナ対策は何ですか? マスクなんてあまりに役に立たない。コロナの菌は風邪のウイルス菌の何百分の1なんですよ。だからマスクを突き抜ける。それなのに学校を一斉に休めと。子供はまだ何でもないのに。親はどうするの? 台湾のように、学級で1人でも出たら学級閉鎖して、2人になったら学校閉鎖するとかしないと駄目。それだと安心して学校にいけるのに。ロクでもないですよ、日本は。

私はやっぱり大事にすべき命があると思っています。釜ヶ崎にいる皆さんだって、ずっとまともに働いてきた人達じゃないですか。たまたま運が悪いだけ、たまたま自分にぴったり合う才能に恵まれなかっただけじゃないですか。もしも優しさが才能だったら、釜ヶ崎の皆さんは、全員金大持ちになっているかもしれません。そうでしょ! 口だけペラペラしゃべる小泉進次郎みたいなのが、顔がいいだけでちやほやされる。本当に日本の人たちはアホが多すぎます(大爆笑)。

何でも他人事だし、何でもワーとみんなで一過性でやって、すぐ忘れる。でもそういう中で目覚めないと、この国は良くならない。やっぱり目覚めた人は声出しましょうよ。ノーと言いましょうよ。世の中を変えましょうよ。私はそう言いたい。余命1年ですけど(笑)。何度も言いますけど、私は命尽きるまで、声を上げ続けます。

◆自分の運命は自分が招く

私は余命1年と告げられて思いました。運というのは誰が決めると思いますか? 天命? そんなのありません。人間は自分の運は自分が招くんです。何かあった時に「これは天命だ」なんて思ってはだめ。何をするか、どう行動するか、自分の考え方なんです。今ここを出て右に行くか、左に行くかは、その人の生き方すべてです。それが自分の運を寄せる。ですから何か悪いことがあったら「これは天命だ」とか「自分の力ではどうにもならない」とか思ってはだめ。大切なのは自分の思考や行動を変えること。私は確信を持っています。なんか凄い話になっちゃたね(「会場から「教祖様みたい」と笑)。なんかそんな気がしてますよ。運を運命にするのは自分だと確信持っています。私はがんになって食事療法を選んだ。これで運を自分で運命にするんだと思ってます。さあ余命1年か10年か、面白いなあ(笑)。

楽しいじゃないですか。わたしの人生観は明るく楽しくです。人生は一度限り、今日は1日限りと思ったら、苦しいこと辛いことは誰にでもあるんですよ。でもどんな中でもいいことはあるんです。だったら、その楽しいこと嬉しいことを、自分で100%だと思えばいいんです。皆さんも辛いことの中から、嬉しいことを見つけてください。嬉しいことをどんどん自分に寄せていけば、きっといい人生があなたに来ますから。(完)

◎布川事件冤罪コンビ「ショージとタカオ」のショージさん、大阪トークライブ──シャバに出てきて23年、「桜井昌司」で本当に良かった!
〈前編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=34875
〈後編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=34881


◎[参考動画]布川事件 桜井昌司氏講演会(なにぬねノンちゃんねる2018/06/02)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 菅直人元首相が語る「東電福島第一原発事故から九年の今、伝えたいこと」他

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