近年、寝屋川中1男女殺害事件の山田浩二(49)ほど強い批判にさらされた殺人犯は他にいないだろう。2015年8月の事件発生以来、そうなるのも当然の情報が膨大に報道されてきたためだ。

まず何より、被害者の男子と女子は何の罪もない子どもである。しかも、駐車場と竹林で見つかった2人の遺体は、いずれも顔面に何重にも粘着テープが巻かれ、手もテープで縛られた無残な状態だった。犯行状況は不明だが、残酷な殺され方を推測せざるをえないだろう。

しかも山田には、過去にも男子中高生らをわいせつ目的で監禁するなどした前科があり、事件の10カ月前に出所したばかりだった。昨年11~12月に大阪地裁であった裁判員裁判では、法廷で遺族に土下座して謝罪したが、男子については、自分の目の前で病死したように弁明し、無罪を求めた。また、女子については、手で口を押えたら、手が首にずれて亡くなったかのように主張した。結果、判決ではそれらの主張が退けられ、「生命軽視が著しい」と死刑を宣告されたが、この結果に疑問を呈するような報道は皆無であった。

かくいう私も山田に対する死刑判決にとくに異論はない。だが、一方で私は、この山田を「悪人」だとは思えないでいる。本人と面会したり、手紙のやりとりをしたりした結果、悪人というより、善悪の基準がずれた人間だと評したほうが適切だと思えたためだ。

山田が収容されている大阪拘置所

◆死刑判決についても他人事のようだった

今年2月、大阪拘置所の面会室。アクリル板越しに死刑を宣告された時の思いを訪ねると、山田は「あんまりピンとこないですね。自分より弁護士のほうが悔しそうでした」と他人事のように言った。死刑になるのが怖くないのかと尋ねても、「今はまだわかんないですね。あえて考えないようにしているんで」とやはり他人事のようだった。

山田の法廷での土下座については、複数のメディアが「死刑を免れるためのパフォーマンス」であるかのように報じていた。しかし、私が本人と会って話した印象では、山田は生命への執着がむしろ希薄な人物であるように思えた。

実際、山田は5月18日、突如として控訴を取り下げ、自ら死刑を確定させた。本人曰く、拘置所に借りたボールペンを返すのが遅れ、刑務官とトラブルになった勢いで控訴を取り下げたとのことだが、死刑を確定させる事情としてはお粗末すぎる。それも山田が自分自身の生命を大切にしていなかったことを裏づけている。

◆死刑確定後に手記で明かした本音

私の手元には、そんな山田が死刑確定直後、獄中で便箋8枚に綴った手記がある。それには、控訴を取り下げる原因となった刑務官とのトラブルの詳細や、短絡的に死刑を確定させたことへの後悔などが詳細に綴られている。それを見ても、私は山田が決して悪人でなく、善悪の基準がずれた人物なのだろうという思いを強くした。

何しろ、山田はこの手記において、自分のことを悪く報道したマスコミについて、1つ1つ社名を挙げながら怒りや怨みを綴り、さらに「生きたい」「死にたくない」などと現在の本音をまったく隠さずに書いている。山田の本質が「悪人」なら、もっと計算し、好印象になりそうなことを書くだろう。

山田の手記

山田はこの手記を私に送り届けた際、「全文を記事にして下さい」との希望を伝えてきたので、私は手記の全文を電子書籍化し、Amazonで公開した(タイトルは『さよならはいいません ―寝屋川中1男女殺害事件犯人 死刑確定に寄せて―』)。この手記が社会の人々の目に触れて、山田が得することは何もないだろうし、読んだ人が良い気持ちになる内容とも思い難い。

しかし、手記は、山田浩二という特異な殺人犯の実像が窺い知れる貴重な資料だと思う。関心のある方は、ご一読頂きたい。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

創業50周年!タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』7月号

6月16日、大阪市大国町の社会福祉法人ピースクラブで、3月に再審開始が決定した「湖東記念病院事件」の冤罪被害者・西山美香さんと、主任弁護士の井戸謙一さんを招いて講演会を開催した。最初に井戸弁護士より事件の経緯と問題点を解説してもらった。

6月16日(日)大阪で開催された「湖東記念病院事件」冤罪被害者・西山美香さんを囲む会

2003年5月22日明け方、湖東記念病院に入院中の男性患者(74歳、半年間植物状態、呼吸器で命を長らえていた)が意識不明で発見され、その後死亡が確認された。当初「業務上過失致死容疑」で開始された捜査は、1年後の7月2日西山美香さん(当時23才)が任意の取り調べで「(呼吸器の)管を抜いた」と自白したことから「殺人事件」に切り替わり、滋賀県警をざわつかせた。7月6日「殺人罪」で逮捕された美香さんは、その後起訴され、懲役12年の実刑判決が下された。美香さんは何故ウソの自白をしたのか? 井戸弁護士の解説から、当時美香さんを取り調べた滋賀県警の山本刑事と美香さんの関係に言及された箇所に焦点を絞り、検証してみる。

◆「業務上過失致死容疑」が「殺人容疑」に! 舞い上がる滋賀県警!

男性の死亡後、滋賀県警・愛知川(えちがわ)署は、人工呼吸器の管が外れ、アラームが鳴っていたのを見過ごし、窒息死させたとする「業務上過失致死罪容疑」で、当夜当直だった看護師A、Bと看護助手美香さんを取り調べた。その際A看護師が「管が外れていた」とウソをついてしまう。男性患者の痰の吸引を2時間ごとにする義務があったが、1回行っていないことから、怠慢を問われると案じ、咄嗟についてしまったウソだ。しかし管が外れている場合鳴るはずのアラーム音を聞いた者は誰もおらず、「呼吸器の不具合」との病院側の主張も、鑑定で「問題ない」となった。

1年後、前任に代わり美香さんを担当したのが滋賀県警から派遣された若い山本誠刑事だった。密室の取調室で山本は、死亡患者の写真を置いた机をバーンと叩き、椅子を蹴りあげ、美香さんに尻もちをつかせるなど威嚇しながら「アラームが鳴っていただろう」と迫った。怖くなった美香さんは「アラームは鳴った」とウソの供述してしまう。そのとたん山本は急に優しくなったという。

◆精神科に通うまでに美香さんを追い詰めた滋賀県警!

一方でA看護師はアラーム音を認めてなく、美香さんの供述との食い違いを迫られノイローゼになっていた。そのことを知った美香さんは「A看護師はシングルマザーで、逮捕されたら生活できない。自分は正看護師でもないし、親と暮らしている」と、一旦認めた「アラーム音を聞いた」の供述を撤回した。しかし山本刑事は受け入れない。6月23日深夜2時30分、美香さんは一人で愛知川署を訪れ、当直に山本刑事への手紙を託した。撤回させようと必死だったが、撤回は叶わなかった。

7月2日、美香さんは午前中、精神科を受診している。カルテはあるが、美香さんにはその記憶がないという。それほどまでに追い詰められていた。その足で警察署を訪れた美香さんは「故意に管を抜いた」と供述してしまう。7月6日美香さんは「殺人罪」で逮捕。「えっ? 私、逮捕されるの? なぜ、誰も殺してないよ?」。美香さんはパニック状態に陥った。「管を抜いた」が「殺害した」になるとは夢にも思っていなかったからだ。

3月に設立した「冤罪犠牲者の会」共同代表の青木恵子さん(東住吉事件)。右後ろに並んで座っている冤罪被害者・西山美香さん(後ろ右)と主任弁護士の井戸謙一さん(後ろ左)

◆滋賀県警に組織的に追い詰められ、自白してしまった美香さん

長い取り調べの間、山本刑事は美香さんの話を親身に聞き、相談に乗ったりもした。時には自分の私生活を話すこともあったという。幼い頃から友達を作るのが苦手で、当時つきあう男性もいなかった美香さんは次第に山本刑事に惹かれていく。携帯電話の番号も交換しあった。美香さんの警察への出頭日数は、5月は6回、6月は17回、うち6回は呼び出しもないのに自主的に出頭している。警察への出頭や捜査への協力が、山本刑事に会いたい一心からきていることがよくわかる。

逮捕後も滋賀県警と山本刑事は組織的に美香さんを包囲し、追い詰めていく。家族に会えない美香さんに「上司が毎日両親に会いにいっているから心配するな」とウソをつき、その上司のもとに美香さんを連れていき、上司に「山本の言うことだけ信じていればいい」と言わせた。「弁護士は信用できない」などと言われた美香さんはますます「山本刑事しか信じられない」と洗脳されていく。なお逮捕から起訴まで留置された大津署で美香さんは、山本刑事が持ち込んだマクドナルドのハンバーガー、ケーキー、ミスタードーナッツのドーナッツを食べている。飲み物は3回ともQOOのオレンジ。若く、社会性もまだ乏しい美香さんを、滋賀県警は組織的にあの手この手を使い洗脳したのだ。

何故、美香さんはウソの供述をしたのか? それについて井戸弁護士は、美香さんのシングルマザーのA看護師に対する罪悪感や、アラーム音についての供述を撤回させて貰えないことから、仕方なく供述してしまったのではないかという。さらに山本刑事を好きになったが、当時A看護師の「アラーム音を聞いてない」と、美香さんの「聞いた」が矛盾することから、捜査は膠着し、呼び出されなくなっていたため、新しいことを言えば、山本刑事が自分に関心を持ってくれるのでは、と考えたからではないかとも述べている。

◆アラーム音を出さずに窒息死させる方法を美香さんに教えた滋賀県警・山本刑事!

そもそもアラームは鳴っていない。管も外れていない。では美香さんの「故意に管を抜いた」(窒息死させた)との自白は、どう維持できたのか? 逮捕後、コロコロ変わる美香さんの自白から、滋賀県警や山本刑事が見立てたストーリーに合わせ、美香さんの自白が作文されていた可能性が出てきた。書いたのはもちろん山本刑事だ。

7月2日の供述では「(管を)外して病室を出た。アラームは10分鳴り続け、A看護士が消した。動機はA看護師が寝ていたので腹が立って、偶発的にやった」だったが、A看護師が「アラームは絶対鳴っていない」「居眠りしていない」と供述、さらに子供の付き添いの親が「10数回ナースコールをしたが、アラームは鳴っていない」と供述するや、7月10日には「アラームは鳴っていない。私が消音ボタンを押し続けた」に変わった。同じ日、滋賀県警は「アラームを鳴らさずに窒息死させることはできるのか」と、人口呼吸器の実況見分を行っている。

その結果から編み出されたのが「消音ボタンを1回押せば1分間(60秒)アラーム音が消える。1分直前に再度ボタンを押し、アラーム音が消えた状態を継続させる。それを3回続け、患者を窒息させた」という供述だ。しかも偶発的ではない、ほかの患者も殺そうとした計画的犯行だとした。しかし看護師ですら知らない、消音時間が正確に60秒であることや消音状態継続機能を、資格も専門知識もない、看護助手の美香さんが知り、かつ確実に実行できると、ふつう考えるだろうか?

冤罪・鈴鹿殺人事件の加藤映次さん(長野刑務所に収監中)のご両親

◆盛りすぎた供述調書で、ウソが暴露された滋賀県警・山本刑事!

美香さんの最終的な自白内容は、「動機は病院に対する恨みを晴らすことであり、出勤前から犯行を計画していた、(ナースステーションから様子がうかがえる患者のベットの)カーテンも閉めず、枕灯もついたまま、素手で患者の人工呼吸器の管を抜いた、アラームがピッと鳴ったのでボタンを押して音を消した。頭で数を数え、1分たつ前にまた押した。患者はハグハグと苦しそうにしていた。2~3回で死んだのでチューブをつなぎ、点灯ランプを消し、ナースステーションに戻った」となっている。

しかしこの自白には、なぜ美香さんが消音状態継続機能を知っていたかの説明がない。また正確に60秒を数えるために、美香さんが腕に巻いた時計を利用してないこと、カーテンを閉めない、枕灯を消さない、(殺害を実行する際に)指紋がつくことを気にしないことなどについて多くの疑問が残されている。

有罪認定された判決は、美香さんの自白について「現場にいた人でなければ語れない迫真性に富む」としている。「口をハグハグ」「目をギョロギョロ」の箇所だ。しかし亡くなった患者は大脳が壊死しており、苦しみを感じないから、そもそも「口をハグハグ」や「「目をギョロギョロ」することは、医学的にありえないと弁護側は反論する。では、この「口をハグハグ」「目がギョロギョロ」という供述調書は、誰が作文したのか? 山本刑事だ。

6月16日、井戸弁護士が山本刑事が作成した調書の一部を紹介した。「壁の方には、追いやった呼吸器の消音ボタン横の赤色のランプが、チカチカチカチカとせわしなく点滅しているのが判りました。あれが、Tさんの心臓の鼓動を表す最後の灯だったのかも知れません」。何とも劇画チックな表現だ。彼の調書は全編このような感じだという。「私は~」からと一人称で始まる調書は、あくまでも容疑者が話したことを、刑事が文章にまとめたものだ。果たして美香さんがそのようなことを話すだろうか?

予定を変更し、急きょかけつけてくれた桜井昌司さん(布川事件冤罪被害者)

再審決定の骨子は「入院患者は自然死の可能性がある」「捜査段階の自白は誘導や迎合による虚偽の疑いがある」「西山さんが犯人とする合理的な疑いが残る」としている。検察は再審裁判で有罪主張すると宣言していたが、先の三者協議では「弁護団の主張を見てから判断する」などと筋違いなことを言ったという。いい加減にしろ!メンツのために長々と裁判を引き伸ばすようなことをせず、正々堂々と公判で有罪を主張してみればいい!自ずと美香さんの無罪は明らかになるはずだ。

なお、井戸弁護士のお話のあと、西山美香さんへのインタビュー、冤罪・鈴鹿殺人事件の加藤映次さんのご両親のアピール、3月に結成された「冤罪犠牲者の会」の共同代表・青木恵子さん、サプライズでかけつけた桜井昌司さんのアピールが続いた。美香さんのインタビューと、冤罪・鈴鹿殺人事件については、後日、改めて寄稿したい。

▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』20号 尾崎美代子さん渾身の現地報告「原子力ムラに牛耳られた村・飯舘村の「復興」がめざすもの」、井戸謙一弁護士インタビュー「『子ども脱被ばく裁判』は被ばく問題の根源を問う」を掲載!

創業50周年!タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』7月号

去る5月30日、中日新聞のホームページで次のような記事が配信された。

滋賀・呼吸器事件、調書作文か
https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019053002000078.html

この記事は、冤罪被害者・西山美香さん(39)の再審が近く始まる「湖東記念病院事件」について、報じたものだ。中日新聞本紙では、同日の朝刊一面に掲載されたという。この報道をうけ、私が調べを進めたところ、この「調書作文」の疑惑についても、あの滋賀県警の「問題刑事」が元凶だった疑いが浮かび上がってきた。

◆中日新聞では、疑惑の検察官が実名で登場していたが・・・

確定判決によると、西山さんは2003年、看護助手として勤務していた滋賀県の湖東記念病院で、寝たきりの男性入院患者の人工呼吸器のチューブを外し、殺害したとされ、懲役12年が確定し、服役した。しかし、弁護団の調査により、男性入院患者は「致死性不整脈」で亡くなった可能性が高いと判明し、今年3月に最高裁で再審開始が決定していた。

記事などによると、男性入院患者の人工呼吸器は、チューブが外れて1分が経つとアラームが鳴るが、西山さんの供述調書では、チューブを外してから1分を「数え」、1分が経過する前にアラームの消音ボタンを押し、誰にも気づかれずに犯行を完遂したように記載されていた。しかし、軽度の知的障害と発達障害のある西山さんは、「私は六十まで数えられない」と同紙と弁護団に告白したという。

西山さんは「私は頭の中では、二十までしか数えられません。絶対自分からは、言っていません。裁判でも、きちんと言います」とも語っているそうで、この主張が事実なら、たしかに調書は刑事や検察官による「作文」だとみるほかない。検察官調書を作成した早川幸延検事(現福島地検検事正)は同紙の取材に対し、地検広報を通じ、「コメントはできません」と回答したという。

では、この調書に刑事の関与はなかったのか。同紙の報道をうけ、私が調べてみたところ、またしても名前が浮かび上がってきたのが、あの滋賀県警の山本誠刑事だ。

当欄で過去にもお伝えした通り、山本刑事といえば、脅迫や偽計を駆使した取り調べにより、西山さんを虚偽の自白に追い込んだ疑いがあるが、それだけではない。窃盗の容疑で誤認逮捕した無実の男性に対して取り調べ中に暴行し、特別公務員暴行陵虐容疑で書類送検された余罪もある問題刑事だ。

◆「余罪」もある山本刑事

ここに掲載した調書は、その山本刑事が平成16年(2004年)7月22日に作成したした西山さんの警察官調書だ。このうち、次の部分を見て頂きたい(引用者注 ■は、原本では、男性入院患者の名前が書かれていた部分)。

山本刑事が作成した問題の調書。黒塗りは、男性入院患者の名前が書かれていた部分

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■さんが死んでいく様子を見届けながら
頭の中で次にアラームが鳴り出す
1分まで時間

1、2、3、4
と数え続け、1分前になる前に消音ボタンを
押して、これを2回繰り返し、■さんが
大きく目を
ギョロッ
と見開いた状態で、白目をむき(後略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

西山さんが頭の中で「六十」まで数えられないというのが本当なら、この調書は、山本刑事が作文したことを疑わざるを得ない内容だ。裁判記録によると、中日新聞の記事に出てきた早川検事の検察官調書は、作成日付が平成16年(2004年)7月25日で、山本刑事の作成した警察官調書より3日遅い。西山さんの供述内容が「作文」だった場合、原作者は山本刑事である疑いが濃厚だ。

山本刑事の悪事については、当欄ではすでに繰り返し伝えているので、知らない人は後掲の関連記事をご覧頂きたい。私は、西山さんの再審では、無罪という公正な結果が出るだけでなく、山本刑事の疑惑もきちんと解明されて欲しいと改めて思わされた。

西山さんに対する山本刑事の取り調べが行われた大津警察署

なお、6月16日(日)には、午後2時より大阪・大国町の「社会福祉法人ピースクラブ」の4階で、西山美香さんを囲む会が開かれ、主任弁護人の井戸謙一弁護士も講演を行うという。詳細は、以下のURLで。
https://twitter.com/hanamama58/status/1137904900724051968

6月16日(日)午後2時より大阪・大国町の「社会福祉法人ピースクラブ」にて冤罪被害者西山美香さん囲む会を開催。詳細はこの画像をクリック。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。

【関連記事】
滋賀患者死亡事件 西山美香さんを冤罪に貶めた滋賀県警・山本誠刑事の余罪(2018年2月16日)

刑事への好意につけこまれた女性冤罪被害者が2度目の再審請求(2012年10月8日)

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〈原発なき社会〉を目指して 創刊5周年『NO NUKES voice』20号!【総力特集】福島原発訴訟 新たな闘いへ

どんな大事件も年月の経過と共に人々の記憶から風化する。それを私が強く感じたのが、昭和の有名冤罪の1つ、因島毒まんじゅう事件を取材した時だ。高度成長期、瀬戸内海の風光明媚な島で起きた毒殺事件として大きな注目を集めた事件だったのだが・・・。

「そういえば昔、この島でそんな事件があったねえ。でも、私はあの頃、小さかったけえ、詳しいことは知らんのんよ。もっと年増の人に聞いてみたほうがええかもね」

2015年3月、事件の舞台である因島(広島県)で、私は島の年配女性にそう言われた。「失礼ですが、おいくつですか?」と尋ねると、その女性は「65よ」と笑ったのだった。

有名冤罪の舞台になった因島。普段は風光明媚な島だ

◆家族5人の毒殺を自供しながら裁判で無罪に

因島で暮らす山本(仮名)という家族の家で5人の親族が「不審死」した疑惑が浮上したのは1961年1月のこと。捜査の結果、この家の次男・山本祥雄(当時31、仮名)がまんじゅうに毒を仕込み、家族を毒殺した容疑で広島県警に検挙された。そして幸男は取り調べに対し、5人全員を毒まんじゅうで殺害したと自供した。

もっとも、起訴に至ったのは結局、4歳の姪に対する殺人容疑だけ。さらに祥雄は裁判で、「自供したのは警察に拷問を受けたため」と無実を主張した。結果、祥雄は一審で懲役15年の判決を受けたが、1974年に二審の広島高裁で逆転無罪を宣告された。

私は裁判の記録を確認したが、たしかに物証は乏しく、そもそも本当に毒殺事件が存在したのかも疑わしいように思えた。肝心の祥雄の自白内容も曖昧だったから、無罪は妥当な結果だった。

だが、現地を訪ねてみると、冒頭の女性をはじめ、年配の島民も事件自体をほとんど知らないのだ。凶器のまんじゅうの購入先とされる店の経営者も「当時はうちも報道被害を受けたんで」と言葉少なに事件を語っただけだった。

犯行に使われたとされる「まんじゅう」と同じ商品は今も売られている(写真は一部修正しました)

◆日本中どこでも「毒まんじゅうの島」と言われた

そんな中、「そういう事件、あったねえ」と唯一、具体的な話を聞かせてくれたのが、さびれた日用品店の店先で話し込んでいた2人の老女だった。

「あの事件があった頃は日本中どこに行っても、因島から来たと言うと、『ああ、毒まんじゅうの島ね』と言われたんよ(笑)」(老女A)

懐かしそうに語る2人の老女はいずれも90歳。小学校からの同級生なのだという。

「山本さんの家は、今はうまくいっとんじゃないかね。働き者のムコさんをもろうてね。祥雄さんはもう亡くなったと思うけど、奥さんはまだ生きとったと思うよ」(老女B)

このように祥雄ら山本家の内部事情にも詳しい老女たち。だが、祥雄が裁判で無罪判決を受けたことについては、「さあ、どうだったんかねえ」とまるで知らない様子だった。

◆地元の人たちの記憶からも事件は風化

もしかして、祥雄は今も島では、「身内殺し」の汚名を着せられたままなのだろうか。

「どうなんじゃろうねえ。山本さんらはムコさんをもらう時に事件の話もしたんかねえ。そういう話を聞いたような気もするけど、私らくらいの年齢になると、聞いたことはそのまま忘れるんよ」(老女A)

地元でも忘れ去られた冤罪事件。事件が起きた当時、元号は昭和だったが、その次の平成も終わり、時代は令和へと移る。山本家の人々にとって、不幸な冤罪が過去のものになっていることを願う。

▼片岡健(かたおか けん)
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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

〈片岡さん・・・私は死ぬまで、ココを出られませんヨ(本当に。)よわりましたです・・・。〉

今年3月、小松武史(52)から届いた手紙には、そんな弱気な言葉が綴られていた。獄中生活も20年近くになるから、精神的に落ち込むこともあるようだ。

事件が起きたのは1999年の10月だった。桶川市の女子大生・猪野詩織さん(当時21)が元交際相手の風俗店経営者・小松和人(同27)や配下の男たちから凄絶なストーカー被害を受けたうえ、JR桶川駅前で和人の部下の久保田祥史(同34)に刺殺された。

警察捜査は後手後手に回り、首謀者と思われていた和人が逃亡先の北海道で自殺。その後、「主犯」として逮捕されたのが、和人の兄である武史だった。

武史は消防隊員として働きながら、副業で和人の風俗店経営を手伝っていたとされる。裁判では、「弟・和人の意向を受け、久保田に猪野さんの殺害を依頼した」と認定され、無期懲役判決を受けた。そして現在も千葉刑務所で服役中だ。

だが、実を言うと、武史は逮捕されて以来、一貫して冤罪を訴え続けており、実は現在も再審請求を準備中だ。私が6年前、武史と手紙のやりとりを始めたのも、冤罪主張の当否を検証するためだった。

小松武史が服役している千葉刑務所

◆「弟思い」とみられていたが・・・

〈私は、かくすような事は、何もないので、ザックバランに何でも書いて下さい。どのような事にも答えたいと思っております〉

最初に武史から届いた手紙には、そう綴られていたが、実際、武史は聞かれたことに何でもよく答えた。そして意外な真相を口にした。

〈私と弟の関係ですが(略)私は当時より(前妻も)弟が大嫌いですし、死んでも私の恨み憎さは、まだ半分あります!〉

武史は、弟思いゆえ、和人を振った猪野さんの殺害を久保田に依頼したと考えられてきた。しかし、実際は和人が嫌いだったというのだ。

◆怒りのエネルギーで生きてきた

武史によると、実行犯の久保田は、本当は武史ではなく和人の意向をうけ、猪野さんを襲ったという。だが、久保田は和人に良くしてもらっており、反対に武史を嫌っていたため、「殺害は武史の依頼だった」と虚偽を供述。そのせいで冤罪に貶められたというのだ。

武史は手紙で、その怨みも連綿と綴ってきたこと。

〈全てを失い、冤罪とかゆうレベルではないと思いましたし、怒りを通りこし、当然、当時は生きていたくないと毎日思っていましたが…不名誉なまま終れないと考え、怒りのエネルギーで、今日まで生きて来てます〉

今年10月で桶川ストーカー殺人事件が発生して20年になる。ずいぶん長い年月が過ぎたが、事件はまだ多くの人が記憶しているはずだ。武史が再審請求に動くようなら、その動向はまた当欄でお伝えしたい。

猪野さんが刺殺された桶川駅前の現場

▼片岡健(かたおか けん)
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創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

◆警察、検察、裁判所の間違いは「仕方ない」で許される異常な社会

桜井昌司さん(写真提供=加藤由紀さん)

3月2日、東京都内の甲南大学東京キャンパスで「冤罪犠牲者の会」の結成総会が開催された。発起人である桜井昌司さん(布川事件)には昨年11月、本通信でインタビューし、会の結成に向け準備を進めているとお聞きしていたが、こうした会の結成が初めてと知り、正直驚いた記憶がある。

日本には、長年無実のまま獄中に囚われた冤罪犠牲者が、その後再審で無罪を勝ち取っても「無罪になって良かったね」程度で済まされ、片や間違いを犯した警察や検察、裁判所に対しても「間違いは仕方ないね」と許してしまう風潮があるが、それを変えていかなくてはならない時期に、今あるのではないか。

「捜査機関が自白の強要や証拠の捏造をし、裁判所もそれを見過ごしてきたから冤罪はおきた。犠牲者自身が声をあげ、司法をかえていきたい」「警察や検察、司法は冤罪が明らかになっても誰も責任をとらない。悪いことをしたら責任とって欲しい」。桜井さんのこうした発言からも、会を作る意義が強く伝わってくる。

桜井さんが会を作らなければと考えたきっけかけは、昨年7月滋賀県の大津地裁で死後再審が決まった「日野町事件」(1984年発生)の審理の中であったと説明している。実は審理の過程で、故阪原弘さんの無期懲役の有力な証拠とされた写真の撮影順が、警察の都合の良いように入れ換えられていたことが判明した。その際、警察は「良くあることです」と平然と言い放ったという。このとき桜井さんは「警察と検察の犯罪的な行為を止めさせない限りは、これからも同じように冤罪犠牲者は作られる」と会の結成を決意し、多くの冤罪仲間に参加を呼びかけ、準備をはじめた。

総会では、会の共同代表に、青木恵子さん(東住吉事件)、藤山忠(すなお)さん(志布志事件)、矢田部孝司さん(痴漢冤罪事件)の3名が、事務局には発起人桜井さんほか5名が、それぞれ選出された。会には現在、足川事件、氷見事件で再審無罪が確定した当事者はじめ、再審請求中の袴田事件や狭山事件、現在公判中の今市事件など約40事件の当事者、家族らが参加している。事件の大小問わず、窃盗、痴漢、覚醒際使用などあらゆる冤罪をかけられた犠牲者が結集する画期的な会の発足となった。

会は今後、冤罪犠牲者を作らせない法律と再審のルールをつくることを行動目的とし、具体的には裁判当事者への証拠閲覧権の付与、警察や検察の証拠悪用を防ぐ証拠管理所の設置、検察が無罪判決や再審開始を不服として上訴できる権利の廃止、冤罪を生んだ捜査関係者らの処罰、などを求めるとしている。

写真右から袴田巌さんと姉の袴田秀子さん(写真提供=加藤由紀さん)

◆「仲間とともに冤罪被害者を助けていきたい」(青木恵子さん)

共同代表のお一人、青木恵子さんにお会いし、詳しいお話をお聞きした。

総会には当事者、支援者ら50名のほか、マスコミ、弁護士、学者ら含め85名が参加した。中には青木さんも知らない方、知らない事件もあり、改めて冤罪犠牲者の多さを知ったと驚かれていた。青木さんが個人的に支援している名古屋の鈴鹿殺人事件の加藤映次さんのご両親も参加されていたが、獄中にいる加藤さん本人よりも社会にいる家族のご苦労、辛さが、会の交流の場で少しでも癒されればと感じたという。

会見で青木さんは「仲間とともに冤罪被害者を助けていきたい」と話されていたが、青木さん自身が服役中、多くの支援者に助けられたとの思いがあるからだ。とりわけ桜井昌司さんの面会が青木さんに希望を与えてくれたという。

「『自分は29年入っていて仮釈放で出た。俺たちの闘いは難しいが、青木さんは絶対勝てる。出てきたら、こっち側でいろんな人の支援をやろう』と言われました。その後も手紙に『ガソリン撒いて火傷をしないなんてことはあり得ない。裁判所が(実験を)やればいい。青木さんは絶対勝てる』と書き添えてありました。私は初めて無罪なのに無期懲役になった人と会ったので、桜井さんのことを信じられました。今でもあの面会の時のことを思いだすと涙がでます。それほど桜井さんの面会が私に希望を与えてくれました」。

「出てきたらこっち側でいろんな人の支援をやろう」。桜井さんに言われたように、出所後の青木さんは精力的に犠牲者や家族への支援活動を続けている。最初に参加した鹿児島県の志布志事件の集会を皮切りに、大崎事件、名張事件、袴田事件、鈴鹿殺人事件、仙台筋弛緩剤事件、大仙事件、恵庭OL殺人事件、今市事件、福井女子中学生殺人事件などの集会や判決に駆けつけた。日野町事件、星野冤罪再審事件、それから滋賀県湖東記念病院事件にも。ほか大学や弁護士会館での講演会、集会など呼ばれたところへはなるべく行くようにしている、という。

「冤罪犠牲者の会」の目的のひとつに法律を変える、再審のルールを作ることがある。「日本の検察は上訴権が認められているから、だらだら裁判を引き延ばす。それがなかったら、これまでどれだけの犠牲者が救われてきたことか」と青木さん。その青木さん自身、じつは和歌山刑務所に服役中の2012年3月7日に再審開始の決定が出て、釈放されることになったが、出る10分前に釈放が取り消された苦い経験をもつ。

「あの再審開始が決まった時はいちばん嬉しかったですね。それまでの裁判で初めて勝ったから、再審無罪を勝ち取ったときより嬉しかった。でも日本は『再審法』がないから、釈放できないと弁護士も思っていました。私は詳しい法律は知りませんが『なぜ出れないの? 釈放を要求して! ダメでもやって』と弁護団に無理を言いました。で、弁護団が裁判所に手続きに行ったら、裁判所に『やっときましたか?』と言われたそうです。そんな感じで釈放が認められたが、条件はとても厳しかったです。釈放されることは、出るまで一切秘密にしなければならないとか。釈放の日にちが4月2日月曜日午後14時と決まり、私は金曜日の昼から工場も行かず、釈放になる前の部屋に移った。もちろん出る気満々だから荷物も全部捨てました。当日弁護団は3人来ました。頼んでいた服を貰って着て、30分前から座って待っていました。あと10分という時、職員が走ってきて『あなたを釈放できなくなった』といったのです。『詳しくは弁護士に聞いて』といわれ、また中の服に着替えさせられた。弁護士も慌てて大阪の弁護士などに連絡とったみたいです。検察が高裁に抗告していて高裁の裁判官が取り消ししたと説明され、『これが同じ血の通った人間のすることか』と思いました」(青木恵子さん)。

まさに天国から地獄を経験した青木さん。結局3年かかり、2015年10月23日検察の即時抗告が棄却され、刑の執行停止が決定、2日後にようやく釈放された。翌2016年8月10日、大阪地裁で無罪判決が言い渡されたのである。

総会後の交流会で。写真右から袴田秀子さん(袴田巌さんの姉)、青木恵子さん、西山美香さん(湖東記念病院事件の冤罪犠牲者)。この原稿を書き終え入稿しようとした矢先、「湖東記念病院事件」再審開始決定との嬉しいニュースが飛び込んできた。西山さんは和歌山刑務所で青木さんと一緒の工場で働いていた(筆者撮影)

青木さんは現在、時間が比較的自由に使えるチラシ配りや集金のアルバイトをやりながら、冤罪犠牲者の支援や講演活動などのため全国を走り回っている。そのうえで自身も2つの裁判を闘っている。1つは、警察と検察の違法捜査で20年にわたり拘束されたとして、国と大阪府に計約1億4500万円の国家賠償を求める裁判、もう1つは、娘を焼死させた火災はホンダの車のガソリン漏れが原因として、メーカーのホンダに約5200万円の損害賠償を求めた裁判である。こちらは昨年10月26日、20年が過ぎると請求権がなくなる「除斥」という規定を適用し、訴えを退ける判決が出て、現在大阪高裁で控訴審が争われている。

最後に青木さんに今後やりたいことについてお聞きした。

「やれることは全部やりたい。自分の裁判が終わっても一生、冤罪を無くす活動をしていく。そして冤罪犠牲者の会で法律を変えていく努力をしていきたい。法律が変われば、冤罪者を助けることが出来るから。」

◎冤罪のない社会をめざして 布川事件冤罪被害者、桜井昌司さんインタビュー
〈1〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28887
〈2〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28894
〈3〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=28898

▼尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

衝撃月刊『紙の爆弾』4月号!

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 総力特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

滋賀県東近江市の湖東記念病院で2003年、男性患者(当時72)の人工呼吸器のチューブを抜いて殺害したとして、殺人罪で懲役12年が確定し、服役した元看護助手の西山美香さん(39)=同県彦根市=が申し立てた再審請求で、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は、裁判のやり直しを認める決定をした。3月18日付で検察の特別抗告を棄却した。裁判官3人による全員一致の結論で、事件発生から16年を経て再審開始が確定した。


◎[参考動画]「無罪判決に向け頑張る」 再審確定で西山さん涙(KyodoNews 2019/03/19公開)

最高裁での再審開始決定は、西山さんが冤罪被害者であることを、無実であることを明かすことになるだろう。このようなケースに接するたびに、ひとりの人間を犯罪者と決めつけ服役させたり、場合によっては死刑を言い渡した裁判官や検事、警察官の個人としての責任は問えないものか、といつも疑問がわく。職務として合法的な手段により無辜の市民に刑事罰を押し付ける。こんなことをされたらたまったものではない。仕事でひとを「罪人」と決め付けるのは「犯罪」ではないのか。

鹿砦社代表の松岡が、本人のFacebookで取り上げているが、アルゼ(事件当時、現在はユニバーサルエンターテインメント)により刑事告訴され、逮捕後神戸拘置所に192日も勾留された事件が、他人事ではくその恐ろしさを示している。

◎アルゼ(現ユニバーサル)岡田和生と私の15年戦争(2017年7月3日付デジタル鹿砦社通信)

◎【緊急NEWS!】私を嵌め逮捕―長期勾留―有罪判決を強い、鹿砦社に壊滅的打撃を与えた旧アルゼ創業者(元)オーナー・岡田和生氏の逮捕に思う(2018年8月9日付デジタル鹿砦社通信)

名誉毀損とされた書籍を読んでも、市民感覚からすれば「どこが名誉毀損になるのか」まったくわからない。松岡が書いている通り、アルゼの経営者には警視総監など警察関係者が天下りで就任していたので、実は警察に喧嘩を売っていたのが実情だったのが、逮捕勾留の理由だったのではないか。にしても出版による名誉毀損で逮捕をしなければならない理由がどこにあるというのだ。逮捕勾留は、証拠隠滅や逃亡の恐れがある場合にのみ認められる。松岡の場合、証拠は既に出版した書籍だから隠滅の手段はないし、会社の代表だから社員を放り出して逃げることもないじゃないか。

◆「りんご箱から腐ったりんご」を取り除く井戸謙一弁護士

西山さんの「冤罪」問題を井戸謙一弁護士から聞かされたのは、2年ほどまえだっただろうか。まだどのメディアもこの問題を取り上げておらず、本コラムでさまざまな事件についての取材を執筆している片岡健氏だけが追いかけていた。

◎滋賀患者死亡事件 西山美香さんを冤罪に貶めた滋賀県警・山本誠刑事の余罪(2018年2月16日付デジタル鹿砦社通信)

「実刑判決を受け服役中なんです。あとしばらくしたら満期です。田所さんも是非取材して書いてくれませんか」と井戸弁護士から説明と依頼を受けた。当時わたしは「M君リンチ事件」の取材に忙しく、残念ながら西山さんの事件には手付かずだった。あれから不思議なご縁で、井戸弁護士とはたびたび取材者として、関係者としてお目にかかったり、連絡をさせていただいたりするご縁をいただいた。

井戸謙一弁護士

3月20日、朝日新聞ほか多くの新聞の一面トップは西山さんの再審決定を報じている。19日の午後、井戸弁護士は西山さんの記者会見やその後の取材対応で忙殺されていたに違いない。その真っ最中に滋賀医大附属病院係争関係で、重大な事項が生じた。関係者が井戸弁護士に急報を告げると超多忙のなか「5分だけなら」と井戸弁護士は相談に応じてくださった。夜、関係者及びわたしが送ったメールへも短時間で返信いただいた。西山さんの再審決定の美酒に浸る猶予もなく原発事故被害者、冤罪被害者、刑事被告人、滋賀医大問題関係者……想像を越えるだろう数の人びとの相談に井戸弁護士は瞬時に判断を下す。

弁護士のなかには「かみそり」なんとかと持ち上げられたり、「人権派」と自他称し・されながら、その実暴利を貪り、あるいは「どうしてこんな事件のこんな当事者の弁護に就任するのか」と首を傾げたくなる言行不一致の人物が少なくない。裁判官時代に志賀原発の運転差し止め判決、住基ネット差し止め判決を下した井戸謙一弁護士は、法廷の中だけを見ている弁護士ではなく、事件や争いの本質がどこにあるのか。問題の核心はなにか。そのためにはどのような論理構成が必要で可能かを依頼者の立場で考え、アドバイスを与え、冒頭の西山さん冤罪事件を立件前の証言の変化から緻密に解き明かし、再審を勝ち取った。

たくさんの事件を受任しながら、井戸弁護士は滋賀医大附属病院問題に必ず、法を駆使した「メス」を入れるだろう。そのことが滋賀医大附属病院の腐敗解消の端緒となり、患者の命が救われると同時に、滋賀医大附属病院に勤務する、真面目で誠実な関係者への激励と名誉回復にも繋がるだろう。「悪貨は良貨を駆逐する」が「りんご箱から腐ったりんご」を取り除くことも可能なのだ。


◎[参考動画]〈湖東記念病院事件・再審確定〉元看護助手・西山美香さん会見(shiminjichi second 2019/03/19公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

衝撃月刊『紙の爆弾』4月号!

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

1992年に福岡県飯塚市で小1の女の子2人が何者かに連れ去られ、殺害された「飯塚事件」は、2月20日で発生から27年になった。

この事件は今では何より、死刑執行された男性・久間三千年さん(享年70)が実は冤罪だった疑いがあることで有名だ。有罪の決め手となった科警研のDNA型鑑定が当時はまだ技術的に拙く、鑑定ミスがあった可能性が広く知られるようになったためである。

しかし実際には、この事件はDNA型鑑定の問題以外にも冤罪を疑わせる点がいくつもある。その1つが、久間さんが逮捕前、警察の任意捜査に対し、「無知の暴露」をしていたことである。

久間三千年さんの死刑が執行された福岡拘置所

◆被害者2人は姦淫まではされていなかったが・・・

「無知の暴露」とは、供述鑑定の第一人者である奈良女子大学の浜田寿美男名誉教授が定義した供述分析の概念である。

真実犯人である被疑者が自白した場合、自白内容には、犯人でなければ知りえない「秘密の暴露」が含まれる。一方、本当は犯人ではない無実の被疑者が自白した場合、犯人であれば知っているはずのことを知らないため、犯行の現実と矛盾した内容の自白をしてしまう。浜田教授はそれを「無知の暴露」と定義したのである。

では、久間さんはどのような「無知の暴露」をしていたのか。それは、死刑を宣告された福岡地裁の第一審判決の中に記されている。事件が起きてまもない1992年3月21日、久間さんは福岡県警の任意捜査に応じた際、「自分の陰茎の状態」について2人の警察官に次のように話しているのである。

「糖尿病で血糖値が五三〇あり、入院を勧められた。しかし、息子の面倒をみるので入院できなかった。両足が痛いし歩けない。目もくもって悪くなる一方だった。シンボル(陰茎)の皮がやぶけてパンツ等にくっついて歩けないほど血がにじんでしまう。オキシドールをかけたら飛び上がるほど痛かった。シンボルが赤く腫れ上がった。事件当時ごろも挿入できない状態で、食事療法のため体力的にもセックスに対する興味もなかった」(第一審判決より。原文ママ)

これは要するに、久間さんが警察官たちに自分の無実を主張するため、「事件が起きた当時、病気のせいで自分の陰茎(シンボル)はセックスができない状態で、自分はセックスへの興味もなかった」と語っているわけだ。

では、この供述がなぜ、「無知の暴露」と言えるのか。

それは、山の中で発見された被害者の女の子2人の遺体は、いずれも下半身が裸の状態で見つかっており、性犯罪目当ての犯行であることは明らかだったが、姦淫まではされていなかったからである。

解剖医によると、被害者2人の性器は、うち1人が「指の爪が挿入されたのであろうと推測される」(第一審判決より)という状態で、もう1人も「恐らく指と爪が挿入されたと推測される」(第一審判決より)という状態だった。犯人ならば当然、このことを知っているから、「事件が起きた当時、病気のせいで自分の陰茎(シンボル)はセックスができない状態で、自分はセックスへの興味もなかった」などという久間さんのような言い訳はしないだろう。

久間さんは、実際に犯行を行っていないからこそ、報道などの断片的な情報に基づいて被害者の女の子たちが犯人に姦淫されているものと思い込み、このような的外れな言い訳をしたのである。

ちなみに、久間さんはマスコミの記者がいる場でも、これと同じような内容の話をしており、その記者はこの「無実だからこその言葉」をテープに録音しているという情報もある。私は、このテープは何らかの形で公開されるべきだと考えている。

被害者2人の遺体が遺棄されていた山の中の草むら

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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事故による被害者が減ることに異議はない。だからといって、そのために「今までもあったこと」がことさら新たな現象のように演出され、加害者が重罪を課されることを称揚するのは、いかがなものであろうかと思う。「煽り運転」についての議論である。


◎[参考動画]【報ステ】あおり運転で殺人罪認定 懲役16年(ANNnewsCH 2019/01/25公開)

◆「煽り運転」はいまに始まったことではない

まず、車を運転する方であれば、多くの方がご経験であろうが、高速道路や車線の多い道路を走行していると、自分が運転している車の車種(大型あるいは高価そうな車か、おとなしい庶民に人気のある車か)で、周囲、あるいは後方から追い抜きをかけてくる車の態度が明らかに違う。わたしは、これまで10台ほどの自家用車を保持したことがあったけれども、庶民性の高い(おとなしそうな)車であればあるほど、ほかの車からは軽く見られ、いわゆる「煽り運転」を受ける傾向があると感じている。

事故寸前の乱暴な運転に遭遇したのは、いずれも後方からの無理な追い抜きや、割り込みだ。そんなとき、次の赤信号で停止した乱暴な運転をする車に、やわら運転席から降りて歩み寄り、その車の運転席のガラスをノックすると、10中8、9、運転手は、腰を抜かしかけ、平謝りに頭を下げる。まさかわたしのような「紳士(!)」が運転していたなどとは思わなかったのであろう。このように運転者には車種により運転態度を変える習性が一定程度あり、この傾向はわたしの知るところ、30年前から変わらない。

なにを言いたいのかといえば、「煽り運転」は最近マスコミや警察が、頻繁に使うので、この時代に起き始めた新たな焦眉の問題のようにとらえられているけれども、呼称こそなかったものの、昔から同様の現象はあったということである。

他方、交通事故には「厳罰主義」が一定の効果を発揮することは統計も証明していて、飲酒運転の厳罰化により、飲酒運転が原因の死亡事故は激減している。交通事故による死者が1万人を下回った大きな要因は飲酒運転の厳罰化にあることは明らかであろう。それは結構なのではあるが、「煽り運転」があたかも今日的社会の最重大事件のように報道される姿勢には、疑問を投げかけざるを得ない。

◆火事や交通事故は「速報」に値するテレビニュースなのか

もちろん被害者の方が気の毒であることに異存はない。しかしながら、テレビニュースに詳しい知人によると、民放の夕方6時の全国ニュース(当然生放送)では、最近「速報」として交通事故(死亡事故でなくとも)や、火事が放送されることが増えているという。

交通事故にしろ、火事にしろ、被害を被った方はお気の毒だ。けれどもその現象がどれほど社会性をもって全国にニュースで報道されるべき性質のものであるかどうか、にわたしは疑問を抱くのである。

ひらたく言えば、交通事故や火事は、悪意によらずとも過失や、防ぎようのない原因によりにより一定割合で必ず起きる。これは自明である。他方、社会構造や、大人数の意図的な行為により引き起こされる災禍、犯罪、被害はその広がりや事件の病根が現代社会に根差しているのであるから、個別の事故よりも社会性や影響が大きく、解析や背景を明らかにする価値を有する。

◆メディアは権力犯罪や構造的な社会不条理を解き明かせ

厚労省の「毎月勤労統計」が不適切に行われていた事件や、安倍晋三が内緒で米国から山ほど要りもしない武器を購入していた事件、東京五輪の招致委員長が金銭疑惑で起訴された事件などには、多くのひとびとがに(直観はしないかもしれないが)関係する事件であり、しかも権力による意図的な行為なのであるから、個別の交通事故や火事と比較することが、実は前提から話にならないほど差があるのだ。

しかしながら、テレビだけでなく新聞も、ネットニュースも組織的な権力の問題や犯罪と、個別の事故を同等(あるいは個別の事故のほうが価値において優越しているかのように)に扱ってしまうので、世の中では倒錯が生じてしまう。交通事故や火事は努力によればまだ減らすことはできるだろうが、ゼロにはできない。人間の行為には必ずミスや間違いが伴うし、機械には必ず故障(コンピューターにも誤動作が)付き物だからだ。

そういった自明性を前提にすれば、交通事故に過剰な焦点を当てることよりも、権力犯罪や構造的な社会不条理を解き明かすことにこそ、時間やエネルギーはメディアにおいても、個人においても費やされるべきであって、そこから離れることは、権力者や組織的犯罪者の思うつぼである。「報道されることのないもの」の中にある真実や重要性を認識することは難しいが、大切な営為であると思う。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか


◎[参考動画]あおり運転で大学生殺害 元警備員の男に懲役16年(ANNnewsCH 2019/01/25)

司法の重刑化には反対の立場だが、この事件は特筆しておかなければならないだろう。大阪府堺市で起きた煽り運転の裁判である。公判では煽り運転をした「未必の故意の殺人」とする検察側の事実関係がみとめられ、懲役16年の実刑判決がくだった(求刑18年)。

事実関係をたどっておこう。昨年7月2日の午後7時35分ごろ、被害者(22歳の大学生)が乗った大型バイクに追い抜かれた被告(40歳)が腹を立てて、パッシングをするなど煽り運転をしている。クラクションやハイビームで煽ったうえ、時速100キロで約1キロメートル追跡し、最後は96キロで追突したのである。15秒後に「はい、おしまい」とつぶやいた被告の言葉が、ドライブレコーダーに残されている。速度制限60キロの一般道での出来事である。

裁判で争点になったのは、殺意があったかどうかである。被告側弁護人は「被告には殺人の動機がない」「殺意はなかった」と検察側に反論している。そこで「死んでしまっても仕方がない」すなわち、相手が死ぬかもしれないと認識して、その行為を行なった、という未必の故意が成立するかどうかである。

被告が車線変更をして被害者を追跡しているのは事実であり、追突の直前にブレーキをかけたとはいえ、速度は4キロしか低減していない。

結果的に「殺人事件」となったことで、自動車が法的にも凶器とみとめられたことになる。これは画期的と言っておくべきことだろう。わたしは10年前に自動車から自転車に乗り換えた。自分の健康と環境問題という意識もあったが、それよりも自動車が危険な乗り物だという認識からである。時速100キロというスピードは、一秒間に27メートルも進んでしまうのだ。それが標準速度である高速道路は、生死をかけた場所といわなければならないはずだ。じっさいに、初心者教習で高速道路に出た教習者は、口をそろえて「怖かったですねぇ」という感想をもつはずだ。27メートルをわずか一秒で判断し、処理する能力を誰もが持っているわけではない。そのスピードは今回の事故でわかったとおり、一般道でもふつうに行われているのだ。

◆なぜ危険運転致死罪ではなかったのか

懲役18年と、量刑的にはほぼ同じになったが、6月に起きた東名高速での煽り運転事故では、自動車危険運転致死罪が適用されている。煽って走路妨害をしたうえ、追い越し車線でクルマから降ろして暴行をふるい、さらには後続車の衝突によって2人を死なせた「事件」である。この事故の場合にも「走行中の車両が衝突して、死んでしまう可能性」は認識されていたはずだ。いや、仮にそういう認識がなかったとしても、客観的にみて認識できるはずだという評価は可能であろう。にもかかわらず、殺人罪の適用を見送ったことは、検察庁に失策として記憶されていたのではないだろうか。今回の判決が判例(上訴審での最終判決)になれば、交通行政に与える影響も少なくない。

自動車免許は筆記試験では30%前後の不合格率があり、それなりに交通法規の遵守が講じられている。そのいっぽうで、適性検査および運転時の心理カウンセリングはないがしろにされている。今回の事故も東名高速の事故も、加害者の「カッとなった」末に起きた事件、事故である。さらには、合宿免許やオートマ免許によって、免許取得は容易になっているとみるべきであろう。

◆自動車社会への警鐘になるか

自動車運転は「自我の拡張」という人格変化の現象をともなう。たとえば高級車に乗ればゆったりとした運転で、コクピットでの気分も落ち着いたものになる。スポーツカーや高速走行に適したエンジンを搭載したクルマの場合、いつもよりも攻撃的な運転になるし、大型トラックでは居丈高な態度になりがちだという。いつもは排気量の大きいクルマで高速道路をかっ飛ばしている人も、軽自動車で買い物にいくときは街をゆっくりと走る。自動車が運転する人の自我を決める、自我の拡張行為がそこにはあるのだ。そういう観点から、煽り運転の防止は、厳罰化だけでは達成できないのである。

今後、完全な自動運転化が進むとして、その場合の事故は誰が責任をとるのか、今回の判決で「自動車は凶器」と認められた以上、自動車社会は新たな課題を与えられたといえよう。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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