◆懲らしめのための民事訴訟

管制塔被告団グループに1億300万円の賠償請求が来たのは、2005年のことだった。運輸省が提起した民事訴訟は95年に判決が確定し、損害賠償額は4,384万円だった。それに利息が付いて、時効直前の2005年には1億300万に膨らんでいたというわけだ。その年から給与の差し押さえ、財産の差し押さえなどが通告されていた。

管制塔破壊という実害があったとはいえ、スラップ訴訟(公共の利益がないのに、運動を破壊するために行なわれる訴訟)に近い、民事訴訟による判決の履行だった。すでに反対同盟は分裂し、政府の意を受けた「話し合い路線」が軌道に乗っていたから、その意味では空港問題の帰趨とは関係なく、この請求は懲らしめのための「憂さ晴らし」とでも言うべきか――。

 

柘植洋三=元三里塚闘争に連帯する会事務局長による2005年7月18日付アピール文「管制塔賠償強制執行の攻撃を、我等ともに受けて立たん」の文頭(2005年7月22日付『旗旗』に全文あり http://bund.jp/?p=226 )

◆戦友会としての被告団

そこで元被告団が再集合し、1億円カンパ闘争が開始されたのである。元の所属党派を通じたカンパが大口だったが、ネットカンパが広く一般の人々から寄せられたという。われわれの三月要塞戦元被告団も久しぶりに全国結集(弁護士を入れて、たしか20人ほど)で、このカンパ運動を支援することになった。

集れば必ず飲み会というか、集りそのものが飲み会の場で、そこに管制塔元被告が説明に来るという感じだった。何かというと資金源としてあてにされる弁護士さんは「1億円も、ですか……」などと、ぼう然とした雰囲気だったが、すでに数千万円単位でまたたく間にカンパが集っているという報告を聴くと、ホッとした表情になったものだ。

元過激派学生というのは非常識な連中ばかりで、まじめな弁護士さんたちからはあまり信用されていない。それでも、突入ゲートごとの被告団、前年5月の攻防で逮捕されたグループなど、まさに戦友会のごとき集いが復活したのは、このカンパ運動の副産物だったといえよう。この年の11月には、1億300万円が国庫に叩きつけられ(収納され)た。

◆ネット上の議論

それにしても、1億円をカンパで集めるのはいいとして、それを敵である政府に差し出すという運動に、疑問の声もないではなかった。徹底抗戦して、たとい労役を課せられようが何をされようが、政府に「謝罪金」のようなものを出すべきではないと。もっぱら匿名のネットで議論が起きたものだ。匿名の議論だから「政府に恭順の意を表するような、反革命行為は信じがたい」とか「敗北主義だ」などという主張に「おまえ、責任をもって現実の大衆運動をやったことなんてないだろう。口先だけの評論野郎」などと反論があったりしたものだ。

たしかに民事判決の当初は「ないものは払えない」という論理で打っちゃってきたのは本当だ。やがて生活を抱え、家族をつくった元被告たちに、生活破壊の重たい攻撃が掛けられているのだから、カンパ運動はしごく当然だった。それを批判する人たちは、そもそも運動に立場性(責任)がない。安全圏の中に身を置いたとしか思えなかった。お前こそ、いま直ちに空港に突入して管制塔を破壊して来い! である。

◆民事訴訟の怖さ

それにしても、民事訴訟というのは生やさしくない。交通事件で民事訴訟になるのは、示談金をめぐって、すでに任意保険という補償の前提(原資)があるからであって、一般の事件だとなかなか考えにくい。たとえば殺された家族の損害賠償・慰謝料として民事訴訟をしても、相手が塀の中の死刑囚ではどうにもならない。そこで死刑を廃止して、仮釈放のある無期刑ではなく、終身刑を導入してしまう。死ぬまで懲役労働をさせて、その報奨金を被害者遺族への賠償金とする。という議論を、わたしは死刑廃止論の大御所としているところです。

ぎゃくに、犯人を知ってから時効が始まるので、とっくに刑事事件としては時効になっていても、民事訴訟は有効となるのだ。公安事件にかぎらず、被害者のいる事件は墓場まで持っていくというのは、けっして例え話ではないのです。そんな事件、あなたも体験していませんか?

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

衝撃満載『紙の爆弾』11月号! 公明党お抱え〝怪しい調査会社〟JTCはどこに消えたのか/検証・創価学会vs日蓮正宗裁判 ①創価学会の訴訟乱発は「スラップ」である他

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

あの衝撃から3カ月が過ぎてもなお、オウム真理教の教祖・麻原彰晃とその信者の死刑囚たちの同時大量処刑はまだチラホラとマスコミの話題になり続けている。実を言うと、私個人もこの一件については、他の多くの死刑執行のニュースとは違う受け止め方をせざるをえなかった。

処刑された信者の中に1人、面会したことがある人物がいたからだ。このほど両親が再審請求することが報道された井上嘉浩(享年48)である。

私が井上と東京拘置所で面会したのは2009年12月のことだった。地下鉄サリン事件で「現場指揮役」を務めたとされる井上は、少し前に最高裁に上告を棄却されており、この時点で死刑が事実上確定していた。

そんな時期に私が井上の面会に訪ねたのは、井上を支援している知人の男性A氏に「井上と面会するから一緒に行こう」と誘われたためだった。私はそれ以前、オウム真理教にも井上個人にも特別な興味は抱いていなかったが、せっかく誘ってもらったので、物見遊山の気分で面会に同行したのだった。

井上が収容されていた東京拘置所

◆面会室では、ニコニコして愛嬌があった

その日、井上は面会室に上下共にエンジのジョージ姿で現れた。テレビなどで見ていた井上は寡黙で、気難しそうな人物という印象だったが、面会室ではニコニコして、愛嬌があった。当時すでに40歳近かったが、まだ青年の面影を残していた。

この時に印象的だったのは、井上がA氏に発したこんな言葉だった。

「私は今の状況(死刑が事実上確定)について、究極の修行をさせてもらっていると思っているんですよ」

教団内で「修行の天才」と呼ばれていた井上らしい言葉だが、やはり死刑は怖いのだろうな・・・と思ったものだった。

また、井上はこの数日前、ノンフョクション作家の門田隆将氏と面会していたそうなのだが、そのことをA氏に怒られ、反論し切れずに困ったように苦笑いしている様子も印象的だった。A氏としては、「マスコミの人間と会っても良いことは無い」と考え、井上をとがめていたようだが、井上は門田氏と会うことに何らかの目的や狙いがあったのではないかな・・・と私は内心、考えていた。

その5年後の2014年、井上がオウムでの経験や裁判での主張を綴った手記が門田氏の解説付きで「文藝春秋」同年2月号に掲載されているのを見た時には、私は「ああ、やっぱり」と思ったものだった。

文藝春秋2014年2月号に掲載された井上の手記

◆「オウムで損なことばかりやらされていた」

報道によると、井上は確定死刑判決に事実誤認があると主張しており、死刑執行の4カ月前にあたる今年3月に再審請求を行っていたという。しかし実際には、私が面会した時点で再審請求するのを決めていたようで、面会中もA氏に対して「再審請求は焦ってないんですよ」と言っていた。焦っていないにしても、今年3月まで8年以上も再審請求していなかったのは不思議である。

いずにせよ、両親が再審請求することからは、井上が生前、両親に対しても事実誤認を強く訴えていたことが窺える。

井上は、私の職業がライターだと知っていたようで、「せっかくですから、あなたも私に質問したいことがあれば、してください」と言ってくれたが、私は正直、とくに聞きたいことは無かった。そう告げると、「では、あなたのためになる話を何かしたいと思います」と言って、「周囲の人の言うことをよく聞いてくださいね」というような話をしてくれた。正直、あまり頭に入ってこなかったが、井上の生真面目さが窺えた。

A氏によると、「井上はオウムで損なことばかりやらされていたんですよ」とのことだった。今思うと、それゆえに井上は地下鉄サリン事件で重要な役割を任せられ、その結果として死刑囚になってしまったのかもしれない。

処刑台に上がり、首に縄をかけられている時にも井上は、「これは究極の修行だ」と思っていたのだろうか。一度会ったことがある人物なだけに、処刑される直前の井上の心中を想像すると、私は胸が苦しくなるのである。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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石松竹雄弁護士が亡くなった。刑事司法に関心のない方にはご存じではない方も多いかもしれないが、1947年に司法試験に合格し、2期の司法修習生だった石松先生は、裁判官時代に良心的裁判官として、現場で闘ってこられた方だ。わたしが石松先生とのご縁を頂いたのはわずか数年前で、ここに数少ない思い出を綴にあたっては、長年ご親交のあった、法曹界をはじめとするお知り合いの方々に申し訳ない思いもあるが、つい数か月前に石松先生とは貴重なお話をさせて頂く機会を得たばかりであったので、法曹の素人としてあえて、石松先生から伺ったお話をここにご紹介する無礼をお許しいただきたい。

 

石松竹雄『気骨 ある刑事裁判官の足跡』(2016年日本評論社)

石松先生から「自宅の蔵書を処分したいのですが」というご相談を伺ったのは、半年ほど前、ある会合での席だった。蔵書寄付のような形にできないか、と考えたわたしは、いくつかの大学や研究機関の図書館に相談してみたが、なかなか思わしい返答はなかった。そしていずれのケースでも「どのような内容の書籍が、何冊くらいありますか」と問われたので、それでは石松先生の蔵書を確認させていただいた方がよいであろうと判断し、やはり元裁判官であった今は弁護士の先生にご一緒頂き、石松先生のご自宅にお邪魔することになった。

ご自宅は大阪府南部であるが、石松先生は吹田市内の老人ホームで暮らしておられたので、そこまでお迎えに伺った。石松先生は、数年前に「胃がんが見つかったが、手術はしないことにした」と内々ではお話になっていた。年に2回ほどしかお会いしないけれども、90歳を超えられて胃がんを持っていらっしゃるお身体にしては、食事も普通に召し上がり、深刻そうなご様子はなかった。

ご自宅に伺う日、約束よりも1時間程度早く吹田に到着した。当該老人ホームの受付でお約束をしている者だが、早く着いた旨を申告すると、石松先生はまだ朝食の最中なので、控えの椅子で待つように案内され、30分ほどのちにお部屋に案内された。ご挨拶をしてお部屋にお邪魔すると、「食事をしてから1時間ほどしないと、胃が落ち着かんのです。申し訳ありませんが少しここでお待ち頂けますか」と仰ったので「どうぞ、先生のお身体とご準備が整うまで急ぎませんので」と申し上げた。

築後それほど年月が経ってはいないと思われる、その建物はわたしがこれまでに訪れた老人ホームの中では最も広く、美しかった。高層階なので見晴らしもよい。石松先生にすれば胃が落ち着くまでの時間は心地の良いものではなかろうが、わたしはそのおかげで貴重なお話を伺う時間を得ることになった。

◆「僕は死刑事件を担当したことがないんです」

 

石松竹雄「裁判の独立、裁判官の職権の独立を守る」(2010年11月22日付け「WEB 市民の司法 ~裁判に憲法を!~」より)

その前日、袴田事件の再審請求が高裁で却下されたニュースが一面トップを飾る朝日新聞の朝刊が目に入った。法律や法曹界の知識が皆無に近いわたしは、「袴田事件は厳しい判断が続きますね」と会話の糸口を求めた。

「この事件は検察がどうしてここまで一生懸命になるのか。ちょっと理解に苦しみますな」と石松先生は雑感を述べられた後、いきなり「僕は死刑事件を担当したことがないんです。『死刑が嫌いな裁判官からは死刑が逃げていく』という言い回しがあるんですが、幸運でしたな」とこちらでも会話が成立するトピックにまで、テーマを調整してくださった。そしてそれはわたしがもっとも尋ねたい、極めてデリケートな設問であったのだけれども、わずか数分のあいだに石松先生は結論を教えてくださったのだ。

それからは学生時代から裁判官就任後のお話。北海道に赴任されたときに、何年間も放置されていた事件を精力的に片づけた際の裏話など、話は弾み始めた。わたしも興味深いお話に没頭してしまい、危うくその日の目的を忘れて話し込みそうになったが、1時間ほどした頃に「それではそろそろ行きましょうか」と石松先生から促していただいた。

わたしが運転する車の中でも話は弾んだ。石松先生はフルマラソンを何十回も完走されている方で、おそらく市民マラソンの日本での先駆けの大会から参加されていたことも伺った。70代はおろか、80代になってもフルマラソンを走っておられたとのお話には、こちらが情けなさを感じさせられた。登山もご趣味で数々の山に週末出かけたお話も伺った。ご自身のマラソンや登山についてお話になっているときの石松先生のお声は、朝お会いしたときよりもずいぶんお元気だった。

◆刑事裁判における「東京方式」と「大阪方式」

わたしは以前耳にしたことのあった、刑事裁判における「東京方式」と「大阪方式」へと質問を変えた。「東京方式」、「大阪方式」とはかつて存在した刑事裁判における法廷指揮の思想とありようの違いである。

それをわたしが最初に知ったのは井戸謙一弁護士(元裁判官)にインタビューしたときだった。別のサイトにわたしが井戸弁護士から伺ったのと同内容のお話が掲載されているので、「東京方式」、「大阪方式」をご理解いただくために引用しよう。

〈当時、大阪方式、東京方式というのがあって、特に刑事部のやり方は全然違ったんですよ。例えば学生裁判なら、東京の場合は、法廷内で暴れるようなことがあれば警察を入れて追い出し、被告人不在で裁判を進める。対して大阪は「警察を入れたら裁判にはならない」ということで、頑として受け入れなかった。最高裁としては東京方式を望んでいたんでしょうけど、大阪には、「俺たちが正しいと思う裁判をする」、そんな雰囲気があったのです。それは修習生にも伝わってきて、影響を受けたのは確かです。気概を感じ、僕にとってはそれが魅力的に映ったのです。〉

井戸修習生に「影響を与えた」裁判官の一人が当時の石松裁判官であったのだ。石松先生は「わたしは当時退廷命令を出したことは1回もありませんでしたな」と仰った。さすがにわたしは驚いた。今日、民事であれ刑事であれ傍聴席で少しでも声を出せば、即座に退廷命令を出す裁判官が少なくない(つまり「大阪方式」は死滅し、全国が「東京方式」で制圧されたということである)。ところが石松先生は「傍聴人は言いたいことがあるから裁判所に来ているんですよ」とこれまた、現在の法廷しかしならないわたしには腰を抜かすような見解を堂々と仰った。

最高裁の意を受けた「東京方式」とそれに対する在野意識の「大阪方式」は、法廷外でせめぎあいが続いたと石松先生は回顧した。「東京と大阪の真ん中ということで、愛知県の蒲郡のある旅館で、なんどか会合がありましたな」、「お前は大阪にいるから気楽に『大阪方式』でやっているけれども東京に来たらそんなわけにはいかんぞ。という人がおりましてね。口には出しませんでしたけども『東京に一人で行ったって堂々と大阪方式でやってやるわい!』と思っておりました」。

こんな良心が日本の司法の中に生きていた時代があったことを知り、羨望の念を抱くとともに、自身の無知を恥じた。闘っていたのは学生や労働者、市民ばかりではなかったのだ。裁判所の中にも良心を軸にした”闘い”と実践があったことを、生き証人の石松先生から直に伺えたのはわたしにとっては、極めて大きな財産である。超人的な体力と精神力、知性を備えた法曹界の巨人が亡くなった。

戦後の司法界で闘ってこられた石松先生からはそのほかにも吹田と大阪南部のご自宅の往復の車内で、生涯忘れられないお話をいくつも教えて頂いた。東京と大阪の文化が均質化され、司法改革は破綻した。反動化が進む時代を、

「いい時代とは言えませんな」

短い言葉で石松先生は評された。

合掌

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

衝撃満載!月刊紙の爆弾10月号

教祖の麻原彰晃をふくむオウム真理教事件の七人が死刑を執行され、政府は国民の反応をみながら、つぎの死刑も準備しているようだ。七人もの死刑執行は、戦前の大逆事件(幸徳秋水ほか12人)いらいである。この死刑は真昼のワイド番組で、まるで中継でもされるかのように報じられた。ふたつのサリン事件で21人を殺し、内部での殺人事件、坂本弁護士一家殺害など、世紀の凶悪犯罪をおかした死刑囚たちの死は、ある種の感慨をもって受け止められた。その感慨とはおそらく、四半世紀いじょうも前に日本社会をゆるがせた事件の謎であろう。

いっぽう死刑の前夜、上川法務大臣と安倍総理は秋の総裁選をみすえながら、赤坂で宴席を設けていた。明朝の死刑執行が決まり、あたかも西日本を襲った集中豪雨が重大なものと予見されるなかである。翌朝の死刑と天災を嗤うかのように、防衛大臣をふくむ閣僚・自民党議員たちが酒宴を愉しんだのには、いささか不気味なものを感じないわけにはいかない。働き方改革関連法案の強行、カジノ立法と、矢つぎばやの政権運営には、もはや独裁政権の名がふさわしい。

◆死刑に慣れてしまったわれわれ

国民の多くは、オウム事件の真相が究明されなかった感慨のいっぽうで、わが国が死刑制度をもつ国であることには、あまり愕きを感じなかったのではないか。わたしたちの社会は犯罪の総数が減っているにもかかわらず、ワイド番組で凶悪犯罪が派手に報じられることで、死刑の存在も身近なものにしてしまっている。つまりわれわれは、死刑に慣れてしまったかのようだ。ワイド番組が凶悪犯罪を報じるのが悪いというのではない。国家による死刑は凶悪、あるいは憲法で禁じられた残虐な刑罰ではないのか、という問いが発せられることがあまりにも少ないのが問題なのだ。

今回の大量死刑に対する国際的な評価は、どうだったのだろうか。駐日EU代表部は、声明を発表し「加害者が誰であれ、またいかなる理由であれ、(オウム真理教の)テロ行為を断じて非難する」とした上で、このように呼びかけた。「しかしながら、本件の重大性にかかわらず、EUとその加盟国、アイスランド、ノルウェーおよびスイスは、いかなる状況下での極刑の使用にも強く明白に反対し、その全世界での廃止を目指している。死刑は残忍で冷酷であり、犯罪抑止効果はない。

さらに、どの司法制度でも避けられない裁判の過誤は、極刑の場合は不可逆である。日本において死刑が執行されなかった2012年3月までの20ヵ月を思い起こし、われわれは日本政府に対して、死刑を廃止することを視野に入れたモラトリアム(執行停止)の導入を呼びかける」

国連の人権高等弁務官事務所も、報道局の取材に対して文書で回答し、「死刑は人権上不公平な扱いを助長する」「他の刑罰にくらべ犯罪抑止力も大きくない」「麻原死刑囚ら七人の死刑が執行されたことは遺憾」としているという。現在、世界で死刑を廃止している国は138カ国である。これは全世界の70パーセントにあたる。死刑制度を存置している国は、58カ国である。先進国7カ国では日本とアメリカ(州によって死刑廃止)、G20では中国・日本・インド・インドネシアなどのアジア諸国とサウジアラビア、ヨーロッパは死刑廃止国が51カ国、存置しているのはベラルーシだけである。

かように世界の趨勢は死刑廃止に動いているのに、わが国では今回の大量死刑に快哉を叫ぶものもいたという。一時的な感情としてなら、それもいいかもしれない。ワイド番組で死刑報道に視聴者が興味をしめすのも、死刑というものが本来もっている、見世もの的な本質によるものだ。中世の処刑には遠路はるばる、それを見学するために旅をしてくる者もあったという。事件の被害者に思いをはせながら死刑をよろこぶのは、かれらがブラウン管をへだてた傍観者だからである。テレビで報じられる被害者感情は、容易に傍観者たちに伝わるものだ。しかし、死刑をふくむ重大犯罪に、誰もが逢着する可能性はゼロではない。カッとして凶器を手にしてしまう。それが複数人に及んでしまうことも、ないではない。ある意味で、凶悪犯罪とは事故なのである。自分の問題として引きつけて考える機会がない人は、それで幸せなのかもしれないが、犯罪者の大半はどこにでもいる人間が事故を起こした結果なのだ。

 

上川法相に対する日弁連・人権救済委員会の申し立て

◆人権救済と再審請求を無視した傍若無人ぶり

ところで、今回死刑執行された麻原彰晃においては、日本弁護士会の人権委員会から「心神喪失が疑われる死刑確定者の死刑執行停止を求める人権救済申立」という意見書が東京拘置所に申し立てられていた。死刑執行の17日前(6月18日)のことである。今回の死刑では「平成の事件は平成のうちに」「天皇代替わりや東京オリンピックに影響が出ないように」という政治的な判断が憶測されたが、事実はそうではない。6月18日の申し立てが引き鉄になったのは明らかであろう。

もうひとつ、今回処刑された7人のうち6人までが再審請求を行なっていた事実だ。いうまでもなく、再審は法的に認められた権利である。検察側に協力的だった井上死刑囚が、再審書面のなかで証言をひるがえすのではないかと危惧した法務当局は、再審請求中は死刑を執行しない原則を破ってまで、執行に踏み切ったのである。だとしたら今回の死刑執行は、きわめて政治的かつ恣意的なものだということになる。いや、そもそも死刑は恣意的で危険な刑罰である。EU代表部が危惧するとおり「どの司法制度でも避けられない裁判の過誤は、極刑の場合は不可逆」なのである。オウム死刑囚が冤罪だと言っているわけではない。われわれのなかに、凶悪犯は殺せ! なぜオウム事件が起きたのかという社会的な考察なしに、悪いヤツは殺せという死刑肯定が蔓延するごとに、立ちどまって考える能力は失われるのだ。やがてそれは、今回のような大量死刑を数倍する事態をもたらすかもしれない。あたかも、ナチスの大量虐殺を業務としてこなしていった、SS将校アドルフ・アイヒマンのような感覚が……。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

「オウム」的なものにわれわれは今、どう立ち向かうべきなのか? 『終わらないオウム』上祐史浩・鈴木邦男・徐裕行=著 田原総一朗=解説 本体1500円+税

月刊『紙の爆弾』8月号!

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

7月6日早朝から「麻原彰晃死刑執行」のニュースが、列島を襲う大雨情報の中を狙ったかのように散発的に報じられ始めた。オウム真理教関連の死刑確定囚は13人。そのうち実に7人の死刑がこの日正午までに執行された。

オウム真理教関連の死刑確定囚は3月に東京拘置所から、全国の「死刑執行」施設のある拘置所に移送されており、「東京五輪前に一斉執行があるのではないか」と関係者の間では推測されていたが、「東京五輪前」どころか国会会期中で、全国的気象災害が懸念される非日常的天候の中、戦後史最大人数の「同日死刑」が執行された。

◆「人の死を止められなかった」経験から死刑制度を考える

私は「死刑廃止」論者である。

どんな悪党でも、何人殺人を犯そうが、国家による死刑には絶対反対である。理由は簡単だ。「人を殺す」ことは(正当防衛や殺意のない過失致死などを除いて)、絶対にあってはならない「悪行」である、と確信するからだ。この議論になると必ず「じゃあお前の家族や子供が殺されたらどうする?」という問いを投げかけてくる人が多い。私の回答は、

「私はたぶん殺人者に敵意や殺意を抱くだろうが、私的復讐感情を吸収するのが、成熟した法治国家の姿である。私が殺人者を殺せば、復讐感情の連鎖が起こる。『感情』の問題と『法』の問題を混乱させるべきではない」

である。表面的に格好をつけているように聞こえるかもしれないが、私は過去に、「ひとの死を止められなかった」経験がある。それも複数人である。私がもう少し注意深かったら、神経が繊細であったら、忙しくなかったら彼ら・彼女らが命を失うことを止められた可能性がある。つまり私は人の死に積極的に関与したわけではないが、自然死ではない「死」を止めることができたかも知れない立場の人間であった。その経験は私をいまだに「縛って」いる。ときどきに彼ら・彼女らの顔や言葉を思い出す。私は「殺人犯」としての責任はなかったにせよ、彼ら・彼女らの命を「途絶えさせる」ことに関係した責めを負って生きている。

と同時に私は殺意に近い感情を長年抱いている対象者が複数いる。私を「殺そう」と企図した人間や、私を破滅させようと徒党を組んでいた連中である。しかし、私は前述の原則に則って、絶対に怨嗟による「殺人」を犯さない、と決めている。決めているが情念の部分では「憎い」ことに変わりはない。

後先考えずに「殺(や)ろう」と思えば、「殺(や)れた」瞬間はいくらでもあった。が、愚かな私でも社会を学び、世界に接し、法に触れる中で「殺人」には絶対に手を染めてはならない、と確信が持てるようになった。「殺人」は個人による殺意に基づく「殺人」や、権力による法を後ろ盾とした「殺人」(死刑)、さらには国家間の意思による「大規模殺人合戦」(戦争)があり、それらは規模や動機の違いはあれ「人を殺す意思を持った行為」である点においては共通ではないのか。であるならば「公の言い訳」を与えられた大規模殺人合戦(戦争)は、ほぼ「絶対悪」(侵略者に対する抵抗など少数を除き)であるとの結論に至った。

回りくどいようであるが、「戦争」を嫌悪し、忌避するのであれば、「死刑」にも反対せねば理屈が一貫しない(世間では「戦争」も「死刑」も賛成の言説が増えているようである)。極めて簡単な論理なのだが、いまだに「被害者の復讐感情」を過剰評価する、精神性から抜けきることができない日本文化では、まだ「死刑」が存置されている。私は被害者感情を「無視しろ」、「放置しろ」と思ってはいない。私自身、殺意に基づいて「殺され」かけた経験があるので、被害者感情の一端は理解している。だから被害者感情は「死刑」ではない、それこそ国家によるケアーで解決が目指されるべきものであると考える(被害者感情が解消できるか解消できないかは、簡単な問題ではないが)。

ようやく日弁連も「死刑廃止」を遅まきながら方針として打ち出した。繰り返すが理屈は簡単だ。「人殺し」は「悪」なのだ。「人殺し」に対する処罰が「人殺し」であるのは、明白な矛盾であり倒錯だ。

◆オウム真理教はなぜ権力から放置されたのか?

この期に及んだので当時からの疑問を披歴する。オウム真理教はどうしてあそこまで肥大化し武装するまで、権力から放置されたのか? オウム真理教が急成長したのは、新左翼対策に大幅な人員増がなされた公安警察や公安調査庁の人員が余り、彼らが「仕事」を探さなければならない時期であった。新左翼の退潮により「仕事を探していた」はずの公安警察、公安調査庁は、1989年に坂本堤弁護士一家殺人事件を起こし、素人目にも危険性が明らかであったオウム真理教をどうして、監視対象にしなかったのか(公安調査庁に対しては「廃止論」が現実的に議論されていた時期でもあった)。

ヘリコプターや武器材料をロシアから輸入していること、ロシアでも広範な布教活動を行い現地から短波ラジオ放送を行い、マフィアと結びついていたことを、公安警察や公安調査庁は、本当にまったく知らなかったのか。この点がどうしても納得できないし、なによりも不自然である。

同日7人の死刑執行という「国家による暴虐」が行われた日に、他人事としてではなく「死刑」を考えよう。その延長線上に、おぼろげであった輪郭が像を結びだしてきた「戦争」があるのだ。内に向けては「死刑」、外に向けては「戦争」。国家の実像がそこにある。


◎[参考動画]オウム真理教の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(63)ら7人の死刑執行を受けて「ひかりの輪」の上祐史浩代表が会見(ANNnewsCH 2018/07/06公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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英BBCは伊藤氏を取材し、「日本の秘められた恥(Japan's Secret Shame)」というドキュメンタリー番組を放送した(同局のHPより)

伊藤詩織氏というジャーナリストの女性が、山口敬之氏という元TBSワシントン支局長の男性にレイプされたと実名で告発したうえ、1100万円の損害賠償などを求めて東京地裁に提訴した件では、伊藤氏が海外のテレビに出演したりして、ますます注目度を高めている。

ツイッターなどを見ていると、この伊藤氏の活躍を支持者の人たちは大変喜んでいるようだが、1つ注意したほうがいいことがある。それは、山口氏が伊藤氏にレイプドラッグを飲ませたという話については、事実であるかのように吹聴しないほうがいいということだ。

なぜなら、伊藤氏はこれまで会見や取材、『Black Box』という著書などで再三、「レイプドラッグを飲まされたと思っている」などと訴えていたが、訴訟の中では、山口氏にレイプドラッグを飲まされたとは主張していないからである。

◆「山口はレイプドラッグを飲ませた」と吹聴するリスクとは

そのことを私が初めて知ったのは、今年1月に東京地裁でこの訴訟の記録を閲覧した時だった。正直、意外性は感じなかった。なぜなら、伊藤氏本人も著書などでは、山口氏にレイプドラッグを飲まされた確証が得られていないことを明かしていたからだ。

伊藤氏の著書によると、事件があったという日、山口氏にレイプドラッグを飲まされたと考える根拠は、(1)山口氏と一緒にお酒を飲んではいるが、自分は酒がとても強く、意識を失ったことなど一度もないこと、(2)その時の自分の記憶障害や吐き気などの症状が、インターネットで調べたレイプドラッグの症状と驚くほど一致していること――などだが、その程度の根拠では、たしかに訴訟の場で裁判官に事実と認定してもらえる可能性は低いだろう。

 

BBC「Japan's Secret Shame」より

そう考えると、伊藤氏が訴訟の中で、山口氏にレイプドラッグを飲まされたと主張していないのは、賢明な判断だ。上記の(1)や(2)程度の根拠でレイプドラッグを飲まされたなどと主張すれば、むしろ裁判官の心証も悪くなりかねないからである。

だが、伊藤氏はそれでいいとして、ツイッターなどで確証もないのに「山口は詩織さんにレイプドラッグを飲ませてレイプした」などと吹聴している支持者の人たちはどうだろうか?

そういう人たちは、山口氏に名誉棄損で訴えられるリスクをもう少し考えたほうがいいと私は思う。ツイッターの発言でも名誉棄損で訴えられることはあるし、名誉棄損訴訟では、訴えられた側が自分の発言の真実性について立証責任を負うからだ。

 

BBC「Japan's Secret Shame」レビュー(2018年6月28日付けガーディアン)

伊藤氏本人が訴訟で立証できないレイプドラッグ被害を、その時の状況などを直接的には知らない無関係の第三者が立証できるわけがない。山口氏に訴えられた場合、負ける可能性は決して小さくないだろう。

この訴訟に関しては、当欄で過去2回報告した通り、報道量は多いわりに訴訟記録を「取材目的」で閲覧している者がほとんどいないのが現実だ。中には、訴訟記録も閲覧せず、確たる根拠もなく山口氏が伊藤氏にレイプドラッグを飲ませたのが事実であるかのようにインターネットなどで喧伝している報道関係者もいるが、あまりにも無責任である。そういう人物たちこそ、山口氏に訴えられたらいいのに、と私は心から思う。

なお、伊藤氏は著書などで、山口氏のパソコンにより性行為中の様子を撮られたと感じたとも発言しているが、訴訟では、そのような撮影の被害も主張していない。

◎[関連記事]伊藤詩織氏VS山口敬之氏の訴訟「取材目的の記録閲覧者」は3人しかいなかった 
◎[関連記事]伊藤詩織氏VS山口敬之氏訴訟続報 ホテルの「防犯カメラ映像」をめぐる新情報 

◎[参考動画]BBC「日本の秘められた恥(Japan’s Secret Shame)」
Daily motion https://www.dailymotion.com/video/x6nih2o
ニコニコ動画 http://www.nicovideo.jp/watch/sm33446417


◎[参考動画]#MeToo in Japan: The woman speaking out against rape(FRANCE 24 English 2018/06/28公開)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

タブーなき『紙の爆弾』2018年7月号!

 

弁護士ドットコムニュース2018年6月21日付け記事

テレビ番組の制作費名目で現金を騙し取ったという詐欺の容疑で2016年11月に警視庁に逮捕されていた映画プロデューサーの佐谷秀美さん(58)が今月21日、東京地裁・高裁の庁舎にある司法記者クラブで会見し、裁判で無罪判決を受けていたことを明らかにした。

同日の弁護士ドットコムニュースの記事によると、佐谷さんは会見を開いた理由として、「無罪判決が出てから一切の報道がされなかった。インターネットは私が逮捕された時点の記録になっている」「作品と私の名誉のために、判決を知って欲しいと思って会見を開きました」と語ったという。

私はこのニュースに、ある種の感慨を覚えた。佐谷さんが逮捕された当初、報道の情報から冤罪の疑いを読み取り、取材に動いたことがあったからだ。色々事情があって、結局、取材を続けられなかったのだが、佐谷さんが無罪判決をとれたのは喜ばしいことだ。

それにしても、なぜ、佐谷さんが2月に無罪判決を受けていたことがこれまで一切報道されなかったのか。この事件が残した教訓は何なのか。ここで少し考えてみたい。


◎[参考動画]映画プロデューサーの無罪確定 捜査を批判(ANNnewsCH 2018/06/21公開)

◆逮捕当初の報道から読み取れた冤罪の疑い

本稿を書いている時点で、この事件に関して私が知っている情報は少ないので、事実関係に踏み込んだことは言えない。だが、逮捕当初の報道を見ただけで、この事件は十分に冤罪の疑いを見出させる事案であった。

たとえば、産経ニュースは佐谷さんが起訴された際、2016年12月14日付けで〈「嫌われ松子の一生」の映画プロデューサーを起訴 5100万円詐取罪〉と題する記事を配信し、起訴内容をこう伝えている

 

産経ニュース2016年12月14日付け記事

〈起訴状では、平成22年2~3月、電子部品製造会社に特撮番組の企画を持ち掛け、関連グッズを商品化したり、映像化したりする権利の取得費や制作費名目で現金を振り込ませたとしている〉

この記事の伝える起訴内容などが仮に全部事実で、佐谷さんの持ちかけた特撮番組の企画が実現せず、電子部品製造会社が現金5100万円を丸ごと失っていたとしても、それだけでは佐谷さんがお金を騙し取るつもりだったのかはわからない。本気で実現に動いた企画が途中で潰れたとしてもおかしくないからだ。報道を見る限り、おおいに冤罪を疑われる事案だった。

実際、私は佐谷さんが起訴される前後のタイミングで、佐谷さんが連行されたという警視庁の目黒警察署の住所に、佐谷さん宛てで取材依頼の手紙を出していた。結果、「あて所にたずね当たりません」ということで手紙が返送されてきたのだが、本当に冤罪だった場合に記事を書くつもりだった『冤罪File』という雑誌が休刊になったため、追跡をしなかったのだ。

ちなみに前掲の弁護士ドットコムニュースの記事によると、佐谷さんは目黒警察署に連行されたのち、原宿警察署に身柄を移送されていたという。それで私の手紙が届かなかったのかとスッキリした思いである。

◆世間で思われているほど人員が揃っているわけではない記者クラブ

佐谷さんの裁判が行われた東京地裁

では、なぜ、佐谷さんの無罪判決は一切報道されなかったのか。

マスコミが意図的に無罪判決を報道しなかったのではないかと勘繰る人もいそうだが、そうではないと私は思う。佐谷さんの裁判が行われた東京地裁・高裁の庁舎には、テレビや新聞といった司法記者クラブ系のメディアの記者たちが常駐しているが、彼らも世間で思われているほどには人員が揃っているわけではないからだ。

たとえば、私が2011年の春頃に東京地裁で、ある冤罪の疑いが濃厚な殺人事件の裁判員裁判を取材していた際のこと。その公判は事件の重大性のわりにマスコミの傍聴が少なかったのだが、たまに傍聴に来ていた司法記者クラブ詰めの新聞記者から「今、小沢一郎の陸山会事件の裁判をやっているから、この事件はあまり取材できないんですよ」と聞かされたことがある。

日本で最大規模の司法記者クラブである東京地裁・高裁の司法記者クラブの加盟社でも、すべての裁判をくまなくフォローできるほどに人員が揃っているわけではないということだ。

また、広島の元アナウンサー・煙石博さんの冤罪窃盗事件でも、2014年に広島地裁で一審の公判が行われていた頃、ある時を境にマスコミの傍聴取材が皆無に等しくなったことがある。広島土砂災害が発生したのをうけ、裁判を取材していた記者たちがみんな、そちらの取材に駆り出されたためだ。

地方のマスコミだと、そもそも地元で一番大きな裁判所に記者を常駐させておけるだけの人員すら揃っていないので、こんなことになるわけだ。

で、こうした現実を踏まえたうえで、今回の佐谷さんの事例から学べる教訓とは何だろうか?

自分の身の回りで何か報道されるべき出来事が起きた時には、マスコミが取材にくるのを待つのでなく、自分からマスコミに情報をリリースしたほうが良いということではないだろうか。私はそう思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

タブーなき『紙の爆弾』7月号!

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

伊藤詩織氏の著書『Black Box』

伊藤詩織氏というジャーナリストの女性が、山口敬之氏という元TBSワシントン支局長の男性にレイプされたと実名で告発したうえ、1100万円の損害賠償などを求めて東京地裁に提訴した件に関し、私は3月1日に当欄で次のような記事を発表した。

◎伊藤詩織氏VS山口敬之氏の訴訟「取材目的の記録閲覧者」は3人しかいなかった(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=24756

この記事は多くの人に読んでもらえたので、続報を出したいと考えていたのだが、今月上旬に東京地裁で訴訟の記録を閲覧したところ、気になる新情報があったので、お伝えしたい。それは、伊藤氏と山口氏が現場のホテルや部屋に出入りする場面を撮影していた防犯カメラの映像に関することだ。

なお、前回の記事は、山口氏を擁護したい人や伊藤氏を攻撃したい人に好評だったようだが、私自身は山口氏を擁護したい思いもなければ、伊藤氏を攻撃したい思いもない。現時点で判明している事実関係を見る限り、私は、山口氏のことをレイプ犯だと決めつけている報道や世論は不当だと思っているが、伊藤氏がSNSなどで「マクラ営業」などと言われているのもやはり不当なことだと思っている。その点はあらかじめお断りしておく。

◆「出費を強いられた伊藤氏」「映像提出に同意していた山口氏」

伊藤氏と山口氏の訴訟が行われている東京地裁

問題の防犯カメラの映像はすでに伊藤氏側から裁判に証拠として提出されているのだが、お伝えしたい情報は2つある。

1つ目は、伊藤氏側はこの防犯カメラの映像を裁判に提出するに際し、フリーで映像関係の仕事をしている杉並区の女性に依頼し、コマ送りした画像をプリントアウトしてもらっているのだが、そのために伊藤氏が合計で38万0591円の出費を強いられていることだ。その作業は現場のホテルの一室で行われたのだが、ホテルの室料や映像を編集する機材などをホテルに運び込むタクシー代が必要だったため、そんな大きな出費になったようだ。

これは、伊藤氏を支持し、応援している人たちにとっては、許しがたい話のはずだ。なぜ、性犯罪被害者が被害に遭ったことを証明するために、そんな大きな出費をしないといけないのか。そんなふうに思いをめぐらせ、ますます山口氏への怒りがわいてきたことだろう。

一方、2つ目の情報は、山口氏は違法な性行為などしていないと思っている人たちにとって、歓迎すべき情報ではないかと思われる。というのも、伊藤氏側がこの防犯カメラの映像を裁判に提出するに際し、ホテル側は山口氏側の同意を得ることを条件に挙げており、山口氏の同意があったからこそ、この映像は証拠として裁判に提出されたのだ。

記録を見ると、伊藤氏側、山口氏側共にホテル側に対し、防犯カメラ映像を裁判手続きの場以外で使用しないことなどを誓約したうえで、裁判に使用させてくれるように「協力」をお願いしている。つまりこの映像は、伊藤氏側には「レイプされた証拠」と思える一方で、山口氏側には「レイプなどしていない証拠」と思えるということだ。

ちなみにプリントアウトされたコマ送りの画像では、足取りがおぼつかない様子の伊藤氏が山口に支えられ、2人はホテルのロビーを歩いていることがわかるが、私には「どうとでも解釈できる映像」としか思えなかった。訴訟記録の閲覧もせず、この映像を山口氏がクロの決定的証拠であるかのように騒ぎ立てていた取材関係者もいたが、「山口氏に訴えられたらいいのに」と私は心から思う。

なお、私が前回の記事を書いた時以降、新たに2人がこの訴訟の記録を閲覧していたことが確認できたが、いずれも記録閲覧の目的は「取材」ではなかったことを付記しておく。


◎[参考動画]伊藤詩織はレイプで日本の沈黙を破った:結果は残酷だった|スカヴラン(Skavlan 2018/02/19公開)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

タブーなき『紙の爆弾』2018年7月号!

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

◆無期懲役から再審へ!

1995年7月22日、大阪市東住吉区の青木恵子さんの自宅から火災が発生、風呂に入っていた娘のめぐみさん(当時11歳)が焼死した。捜査が難航するなか、大阪府警は、火事は青木さんと同居男性の保険金目当ての放火と断定、2人を「現住建造物放火」「殺人罪」、そして「保険金詐欺未遂」で逮捕した。青木さんらは一旦は「自白」に追い込まれたものの、その後は一貫して否認したが、2006年無期懲役が確定した。

火事は車からガソリンが漏れて自然発火したことが原因と、一審から無罪を主張していた弁護側は、その後も「最高裁判決には物証も目撃証言もないうえ、科学的に不合理な自供だけを根拠とした冤罪である」と再審を請求していた。2015年10月23日、大阪高裁は再審開始を認めた大阪地裁判決を支持し、検察側の即時抗告を棄却、同時に青木さんらの刑の執行停止を決めた。3日後、和歌山刑務所を出た青木さんは鮮やかな黄色の洋服と髪飾りを身に着けていた。それは亡くなったメグちゃんの一番好きな色だった。
 
◆再審への決め手は「再現実験」

再審への決め手となったのは、弁護団による燃焼再現実験だ。事故当時の状況を忠実に再現し、元被告の「自白」通りに放火を試みた実験で、元被告の車から漏れたガソリンが風呂釜の種火に引火して自然発火する可能性があることが証明された。警察・検察に強要された「自白」通りに行った放火行為が、実は不可能だったと証明されたのである。

弁護団はこの「新証拠」を基に再審を闘い、2016年8月10日、ようやく青木さんらに「無罪判決」が下された。判決は府警の取り調べを非難し、青木さんの自白書などを証拠から排除したうえ、出荷原因も「車のガソリン漏れの可能性が合理的」と指摘した。

しかし警察や検察からは何の謝罪もなかった。青木さんはそのことに憤り「一連の捜査の問題点を浮き彫りにしたい」と国、大阪府に計約1億4500万円の国家賠償を求める訴えを起こし、現在も闘っている。

愛娘を突然失った切ない時期に、あろうことか「娘殺し」の罪を着せられ20年間もの間獄中に囚われた青木さん。何故そんな理不尽なことが起きたのか? それを知るため私は昨年3月9日の第一回口頭弁論から傍聴してきた。


◎[参考動画]女児死亡「自然発火の可能性が現実的」母親に無罪(ANNnewsCH 2016年8月10日)

◆警察・検察のずさんな捜査 「金欲しさの放火事件」はどう作られたのか?

じつは青木さんらの有罪判決を疑問視していた人物がいた。無期懲役が確定した2006年の最高裁決定を巡り、直前まで裁判長だった故・滝井繁男氏(15年78歳で死去)である。滝井氏が「全ての証拠によっても犯罪の証明は不十分」として、一審、二審の有罪判決を破棄すべきとの意見を書き残していたことが、死亡後明らかにされた。そこには滝井氏が、青木さんが日々つけていた家計簿を見て、保険金目的とされた青木さんらの動機に疑問をもったこと、同居男性が取り調べで青木さんの消費癖をしきりに供述したとされたが、そうした形跡も見られなかったことなどが書き残されていた。

とりわけ「マンションの契約手数料の支払いが迫ったため、(青木さんと)関係の悪い娘を殺害し保険金を得ようとした」との捜査側の見立てには「家計や育児の状況とあわない」と強い疑念を表明していた。

私もこれまで青木さんと何度も話をしてきたが、青木さんの驚くほど金に細かい(ケチではなく几帳面という意味で)点には非常に感心している。毎日欠かさずこまめに家計簿をつけていることもだが、先日まで続けていたチラシ配りのバイトでは、バイト料を1円単位で計算していた。

また、めぐみちゃんら子供に対する態度も警察・検察が作り出した「鬼母」のイメージとはまるで違っている。私から見ると過保護すぎるくらい、子どもたちに欲しいものを買い与えていた。自身が小さい頃何でも買って貰えなかったからでもあるが、「母子家庭(同居男性とは内縁関係)なので買って貰えないと思われたくなかった」と青木さんは言う。

警察がこの時期絶対必要だったと推測した金額は、マンション購入時の契約手数料など170万円だが、そもそもこの推測自体が間違っている。通常マンション購入の手続きは審査が通ってから始まり、その時点で初めて契約手数料が必要となってくる。しかし火災事故発生時、青木さんらのマンション購入の審査はまだ通っておらず、170万円を急いで用意する必要はなかった。

また娘を「焼死」で殺害するならば確実にやり遂げなければならないが、当時11歳のめぐみちゃんは自分で逃げることも十分可能で、殺害の確実性はそう完璧ではなかったと言える。風呂のドアが壊れ隙間があったことで外からの呼びかけも聞こえたし、実際「メグ」と弟が呼びかけたと証言している。しかし警察、検察はこの証言も無視した。

更に警察、検察は、青木さんらが消火活動をしなかった主張するが、青木さんが火災から2分後に消防に電話していることは通話記録で証明されているし、火災現場で小さな男の子を抱きしめ「風呂場におんねん(いるねん)」と叫ぶ女性(青木さん)がいたとの住民証言もあった。しかし警察、検察はこれら青木さんらが必死に消火・救済活動したとの証拠・証言をことごとく隠蔽し、2人を「犯人」に仕立てたのだ。
 
冤罪被害者が再審で無罪を勝ち取っても、警官や検察官が謝罪しないことはこれまであまたの冤罪事件で見てきた。もちろん警察、検察に間違いもある。しかし故意に冤罪を作った場合でも謝罪しない。そればかりか処罰もされない。こんなことでは冤罪はいつまでもなくなりはしない。また青木さんの場合は事故だったが、通常の冤罪事件では別に「真犯人」が存在する。冤罪被害者の無罪確定後、「真犯人」逮捕に向け再捜査を開始することは非常に難しいし、そもそも警察、検察は自身のメンツを守るため再捜査することもない。

冤罪が許されない理由の1つに、冤罪被害者と家族たちを長きに渡り苦しめ続けることがあるが、同時に事件が解明されないことで、被害者とその遺族の苦しみが一生続くことも忘れてはならない。冤罪をなくすためには、冤罪を故意に作った警察官、検察官を処罰する法整備などが必要だ。


◎[参考動画]青木恵子さん(東住吉放火殺人冤罪事件)何故冤罪が起こったのか(gomizeromirai2 2017年1月29日公開)

▼ 尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

6月11日発売!『NO NUKES voice』Vol.16 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

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介護に疲弊した人が高齢の親や配偶者を殺めてしまう事件が全国各地で相次いでいる。こうした「介護殺人」については、加害者の心情に寄り添った報道をよく見かけるが、世間には共感を覚える人も多いようである。

私はこの現象を見つめながら、いつもこう思う。マスコミは介護殺人の加害者の立場に思いを馳せることはできるのに、なぜ、相模原障害者施設殺傷事件の植松聖(28)のことを安易に絶対悪と決めつけるのだろうか、と。「介護殺人の加害者の方々と植松なんかを一緒にするな」と思われた方もいるかもしれないが、私の考えを以下に記そう。

◆介護殺人の加害者には同情的なマスコミ

体を大便まみれにし、奇声を発する認知症の高齢者。親や配偶者がそんな状態になった人たちの心情は察するに余りある。しかも介護では、時間や労力も奪われ、経済的にも疲弊する。身も心もボロボロになり、ついに一線を越えてしまう――。

そんな介護殺人の悲劇は、介護を経験したことがある人はもちろん、介護の経験がない人にも他人事ではない。それゆえにマスコミも加害者の立場に思いを馳せるし、マスコミ報道を見た人たちもわが身に置き換え、加害者たちに同情するのだろう。

一方、2016年7月に相模原市の知的障害者施設で入所者19人を刺殺し、他にも26人の入所者や職員を刺して重軽傷を負わせた植松聖。ほどなく警察に自首して逮捕されたが、マスコミは植松が「障害者は不幸の源だと思った」と供述しているかのように報道。差別主義者が「身勝手な動機」から前代未聞の凶行に及んだ事件だとして一斉に批判した。

この事件に関する報道について、私がまず違和感を覚えるのは、被害者遺族の取り上げられ方である。

◆マスコミは植松と一緒に被害者の遺族や家族まで否定していないか?

植松が収容されている横浜拘置支所

植松が事件を起こした後、マスコミは次々に被害者の遺族を見つけ出し、「娘は不幸ではない」「寂しい思いでいっぱい」などと被害者の死を嘆き悲しむ声を伝えた。たとえば、次のように。

〈ある遺族は「あの子は家族のアイドルでした」と朝日新聞などの取材に語った。娘に抱っこをせがまれ、抱きしめてあげるのが喜びだった。被告は「障害者は周りを不幸にする」と供述したという。それがいかに間違った見方であるかを物語る。

苦労は絶えなかったかもしれない。それでも、一人ひとりが家族や周囲に幸せをもたらす、かけがえのない存在だった〉(朝日新聞2017年7月27日社説より)

あらかじめ断っておくが、私は植松の考えを肯定するつもりもない。しかし、どのマスコミもこの朝日新聞の社説のように「子供が障害者でも幸せだった」という一部の被害者遺族の声ばかりを取り上げ、「障害者やその家族が不幸だという植松の考えは間違いだ」という論調の報道ばかりになっているのを見ていると、私はこう思わずにいられない。

植松聖に殺傷された被害者の遺族や家族の中には、「自分たちを不幸だ」と思っていた人がいた可能性にもっと思いを馳せたほうがいいのではないだろうか?

マスコミが植松の犯行を肯定するわけにいかないのはわかる。しかし、それゆえにマスコミの多くは、植松のみならず、家族が障害者であることを不幸に思うこと自体を「絶対悪」として否定するような報道に陥ってしまっている。それは、被害者の家族や遺族の中に「自分たちは不幸だ」と思っている人がいた場合、そういう人たちのことも「絶対悪」として否定しているに等しい。

相次ぐ介護殺人を見ていれば、「家族ならどんな重い障害を持っていても一緒に生きていられたほうが幸せ」などと第三者が気楽に言ってはいけないことはわかりそうなものである。マスコミは植松のことを批判する前に、植松に殺傷された被害者の遺族や家族の中に「自分たちは不幸だ」と思っていた人がいた可能性に思いを馳せたほうがいい。

▼片岡健(かたおか・けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊『紙の爆弾』6月号 創価学会・公明党がにらむ“安倍後”/ビートたけし独立騒動 すり替えられた“本筋”

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