出演強要被害を訴える女性の声を伝えるなどAVを「社会問題」として扱った報道が増えている。そんな中、私の脳裏に蘇ってきたのが、10年余り前に「ガチンコ」の輪姦AVが強姦致傷の容疑で立件されて世を騒がせた「バッキー事件」だ。あの事件の「首謀者」とされるバッキー栗山に「冤罪疑惑」があることを、あなたはご存じだろうか――。

◆地獄に堕ちた「AV界の寵児」の腑に落ちない裁判結果

バッキー栗山こと栗山龍(当時40)は2000年代初頭、AVメーカー「バッキービジュアルプランニング」(以下、バッキー社)を設立。それ以前の経歴は謎めいていたが、アメックスのブラックカードを2枚所有する大金持ちというフレコミで、会長の自分自身が広告塔となって会社を売り出した。当時、男性週刊誌やスポーツ紙では、同社の作品や企画を紹介した記事がすさまじい頻度で掲載されており、栗山はまさに「AV界の寵児」だった。

しかし2004年になり、同社がウリにしていたガチンコ輪姦AVの撮影中、女優が肛門などに重傷を負う事故が発生。それ以降、水責めや強制的な飲酒など、同社の非人道的な女優の扱いが社会問題になり、ついに警察も本格的捜査に乗り出した。そして強姦致傷罪などで起訴され、「首謀者」とされた栗山は07年12月に東京地裁で懲役18年の判決を受ける。こうしてAV界の寵児は地獄に堕ちた。

ただ、それ以前に栗山と会い、言葉を交わしたことがある私は、裁判の結果が腑に落ちないでいる。

栗山の裁判が行われた東京地裁

◆子供のように澄んだ瞳

私が栗山と会ったのは03~04年頃、週刊誌の仕事で同社の「AVの虎」というシリーズ作品の撮影現場を取材した際のことだ。この作品は当時の人気テレビ番組「マネーの虎」をパクったもので、参加者がプレゼンするAVの企画が面白ければ栗山が金を出し、実際にAVを撮らせるという内容だ。正直、作品の詳細はまったく覚えていないが、この時一度会っただけの栗山の印象は今も記憶に鮮烈だ。

「栗山です。よろしくお願いします」

それは、とてもソフトな声だった。栗山は金髪に日焼け顔、華奢な体をホスト風のスーツに包み、見た目こそいかにも怪しげだが、物腰の柔らかい人物だった。名刺交換した時、屈託のない笑顔と子供のように澄んだ瞳には、不覚にもドキリとさせられた。栗山はなんとも言えない人を惹きつける力を持っていた。

この時、もう1つ印象的だったのが、栗山が制作スタッフに演技指導されながら「バッキー社の会長」を演じていたことだ。栗山はこの日、現場で制作スタッフに「こんな感じでいい?」と聞きながら、札束を鷲掴みにしてカメラをにらみつける“決めポーズ”をつくっていたのだが、何もかもスタッフに任せて言われるままに演技していた。私が裁判の結果が腑に落ちないのは、この時の彼の様子をよく覚えているからである。

というのも、裁判で栗山は、「バッキー社には資金を提供していただけで、作品の制作には何ら関与していない」と無実を訴えていた。マスコミはこの主張を歯牙にもかけなかったが、私には、現場で目撃した栗山の様子からすると、裁判での主張通りにバッキー社において、「金は出すが、口は出さない」タイプのオーナーだったとしても何ら不思議はないと思えるのだ。

ネット上には、今もバッキー作品を販売するサイトが存在

◆真っ二つに割れていた関係者たちの証言

しかも、実は裁判では、関係者たちの証言が真っ二つに割れているのである。共犯者とされた制作スタッフたちは、栗山が「首謀者」だったという趣旨の証言を重ねた一方で、バッキー社の営業や内勤の社員たちは「栗山は月に数回出社するだけで、出社しても仕事の話はしなかった」と全面的に栗山のAV制作への関与を否定しているのだ。

どちらの証言が正しいかは、私も正直、現在把握している情報だけでは断定しかねる。しかし、一般的に複数犯の事件では、罪のなすり合いなどで事実関係が歪みがちだ。また、このような組織ぐるみの事件では、警察や検察は組織の中で少しでも地位が高い人間を罪に問いたがるものである。少なくとも、世間の多くの人が思うほどには、栗山の有罪は絶対的ではないと私は思っている。

実は数年前、私は栗山本人に取材したいと思い、バッキー社の後継会社とされるAVメーカーに連絡し、どこかしらの刑務所で服役しているはずの栗山への仲介を依頼したことがある。その時、電話口の社員は「私自身は当時会社にいなかったので、当時から会社にいた人に話をしてみて、何かわかればお返事します」と丁寧な対応だった。しかし結局、返事をもらえずにそれっきりになっている。

実際、どうだったのだろうか――。AVを「社会問題」として扱った報道が増える中、私はあの日の栗山の笑顔や澄んだ瞳を思い出し、ふと立ち止まって考えている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

 

商業出版の限界を超えた問題作!

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊。11月17日発売。定価950円)

どれほど社会を騒がせた重大事件も少し時間が立てば、すぐに人々の記憶から消えていく。あとから次々に新しい重大事件が起こるためである。最近起きた事件では、あの「宇都宮爆発事件」もすでに忘れ去られた感があるが、事件の現場は今、どうなっているのか。

栗原容疑者が爆死したあたりはブルーシートで囲まれていた

◆連続テロとも思われた大事件だったが……

事件が起きたのは10月23日の昼前だった。宇都宮市中心部にある宇都宮城址公園で、元自衛官の栗原敏勝容疑者(72)が自作の爆発物を爆発させて自殺。近くのコインパーキングでも栗原容疑者の車を含む3台の車が炎上したが、これも栗原容疑者の犯行とみられている。当初、凄まじい爆発音は地元の人たちを「連続テロか」と戦慄させたという。栗原容疑者が爆死した周辺では3人が巻き込まれて重軽傷を負った痛ましい事件だった。

もっとも、これほど社会を騒がせた事件も月が変わり、早くも忘れ去られた感がある。5歳の男児が焼死した明治神宮外苑の火災や、博多駅前の道路陥没事故など次々に新しい重大事件が起こり、人々の関心はそちらに移っていったからだ。おそらく12月になる頃には、これらの事件も当事者や関係者以外の人々の記憶から消えていることだろう。

爆死現場のかたわらにある歴史資料館は何事もなかったのように営業を再開していた

◆日常生活を取り戻していた人々

忘れ去られていく事件のその後を知りたく、私が宇都宮爆発事件の現場を訪ねたのは、事件から1週間余り過ぎた日のことだった。そこでわかったのは、現場界隈の人々が思ったより早く日常生活を取り戻していたことである。

公園で栗原容疑者が爆死したあたりは青いブルーシートに囲まれて立ち入れないようになっていたが、そのかたわらにある歴史資料館はすでに何事もなかったかのように営業を再開。3台の車が炎上したコインパーキングは、事件直後の報道の写真、映像では激しく燃えていたが、早くも地面のアスファルトが修復され、やはり何事もなかったかのように営業が再開されていた。

そんな中、事件の痛ましい傷跡が唯一残っていたのが、コインパーキングの隣にある民家の建物側面の焼け跡だった。しかし私が現場界隈を取材して回っていると、修理業者とみられる人がやってきて、民家の住人らしき人たちと何やら話し込んでいた。おそらく近々、この民家の建物の焼け跡も修復されることだろう。

ふと気づけば、そんな光景を見ながら、私は少しばかりの感動を覚えていた。それはおそらく、人間の強さやたくましさのようなものを見せて頂いたような気がしたからである。

◆宇都宮取材で再認識させられたこと

今から70年余り前、広島では原爆が投下されて3日後、早くも路面電車が焼け野原となった街で運転を再開したという。私は数年前から東北に取材で何度も足を運んだが、わずか5年余り前に震災で壊滅的被害を受けた地域でも今は何事もなかったかのように建物が立ち並び、人々が普通に生活している(すべての地域がそうではないが)。原爆や震災と比べると被害規模は小さいが、宇都宮爆発事件の現場の回復ぶりにも相通ずるものがあるように思えた。

どんな重大事件も少し時間が経てば、すぐに人々の記憶から消えていく。あとから次々に起こる新しい重大事件に人々の関心は移っていく。それをなんとなく悪いことのように思っていた私だが、人が辛いことや悲しいことを忘れるのは前を向いて生きていくためだ。よく考えれば当たり前のそんなことを再認識させられた宇都宮取材だった。

巻き添えになり、重軽傷を負った方々に関しては、現状は不明なので軽々しいことは言えないが、一日も早く以前と変わらぬ日常生活を取り戻して頂きたい。

車が燃えたコインパーキング。隣の民家の壁には焼け跡が残っていたが、地面のアスファルトは修復されていた

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

タブーなきスキャンダル・マガジン『紙の爆弾』!

東京・明治神宮外苑のアートイベント会場で木製のジャングルジム風展示物が燃え、中で遊んでいた5歳の男児が焼死した火災をめぐり、展示物を出展していた日本工業大学の学生たちやイベント主催者らに対するバッシングがインターネット上で巻き起こっている。

「白熱電球が熱くなり、おがくずが燃えるのは素人でもわかることだ。工業大学の学生が何をやっている」
「あんなのはキャンプファイヤーをやっているようなものだ」
「学生も悪いが、周りの大人たちも気づかなかったのか」

目に余る無神経さだな――と私は思う。学生や主催者のことではない。得意げに「後知恵」で、このようなバッシングをしている者たちが、だ。

火災の時に焼けたとみられるパーテーション

◆無自覚のうちに「父親」を愚弄している者たち

報道によると、燃えた木製のジャングルジム風展示物には、大量のおがくずがからめつけられていたという。火災の少し前から、学生らは白熱電球を使った投光器で展示物を照らしており、おがくずが熱せられて出火。たちまち展示物全体が炎上し、中に入って遊んでいた男児が逃げ出せずに焼死したと伝えられている。

火災時、一緒にいた父親も男児を助けようとして火傷を負ったそうだが、目の前で幼い息子が炎に包まれて焼死したのだから、これほど惨い悲劇はない。筆者が事件の2日後に現場を訪ねたところ、献花台には花とお菓子が大量に手向けられていたが、この悲劇を他人事とは思えずに胸を痛めている人がやはり世の中に大勢いるのである。

献花する女性たちと撮影する報道陣

そんな中、インターネット上で巻き起こっているのが、冒頭のような学生や主催者へのバッシングだ。筆者は未見だが、テレビでは、「大学生にもなり、白熱電球が熱くなるのも想像できなかったのか」と批判したキャスターもいたと聞く。重大な事故が起こると、後知恵で「その程度のこともわからなかったのか」と批判する醜悪な人々が大量に現れるのは毎度のことだ。しかし今回に限っては、その醜悪さは看過しがたいものがある。

なぜなら、「その程度のこともわからなかったのか」という趣旨の批判は、目の前で息子が焼け死ぬ悲劇に見舞われた父親を愚弄するものでもあるからだ。父親も学生や主催者と同様、このような惨事になることが予想できなかったからこそ、展示物の中で自分の息子を遊ばせていたのである。後知恵で学生や主催者をバッシングしている者たちは、その程度のことも想像できていないからこそ、目に余る無神経さだと私は言うのだ。

献花に来た女性とコメントを求める報道陣

◆今後は法的責任が問題になるが……

この火災では、今後、学生や主催者に刑事責任や損害賠償責任を問えるか否かということが問題になるが、学生や主催者に法的責任を問うには、注意義務違反が認められる必要がある。つまり、注意をしていれば、今回のような結果になることを予見できたのか否かや、今回のような結果になることを回避できたのか否かが問題になってくる。

今回の悲劇は実際問題、後知恵で学生や主催者を批判している者たちが思うほどには簡単に予見できるものでも回避できるものでもなかったろう。10月26日から開催されていたイベントには何万人もの人が来場しているとみられるが、この悲劇を予見し、警察や消防に通報したような人の存在は現時点でまったく確認できていないからである。

父親をはじめとする遺族たちは、まだ悲劇を現実として受け止められていないかもしれないが、最終的には学生や主催者が処罰されることなどを願うと予想される。しかし、そのためには今回の悲劇が予見できたことや、回避できたことが立証される必要があるわけだ。その過程で父親は再び、自分自身もこの悲劇を予見できず、息子を救えなかったという辛い現実と向き合うことになるだろう。

この火災には、かくも複雑で、デリケートな問題が存在するのだ。後知恵で学生や主催者をバッシングしている人たちは、悪気はないのだろうが、もう少し冷静になろう。

現場に設置された献花台に花を手向け、手を合わせる女性

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

刑務所慰問アイドルは、「もはや絶滅か」という危機に陥っている。

府中刑務所において11月3日午前10時から開催された「第41回府中刑務所文化祭」では、衣類や靴、そばがらの枕などの日用品や各種家具製品など、全国の刑務所での刑務作業製品の特売が大々的に行われた。

そしてイベントも盛りだくさんで、刑務所内の工場や各施設の見学ツアーなどで、約1万5000人もの客を堪能させた。また巷で話題となっている、府中刑務所で焼かれていると名物『ブドウパン』や、刑務所内での食事を模倣したという『麦飯弁当』なども振る舞われている。

さて、今回の文化祭には落語家の桂才賀師匠や、刑務所のアイドルと呼ばれるシンガーソングライティングデュオの「Paix2」(ぺぺ)ら矯正支援官ら3人が一日所長を務めて、刑務所の受刑者の社会復帰や更生に尽力された民間人の方、また刑務作業をオーダーするなどして功績がある企業などを表彰した。

とりわけ、2000年のデビュー以来およそ16年間で397回(今年の11月3日時点)もの慰問(プリズンコンサート)をこなし、全国の刑務所から引っ張りだこの“刑務所アイドル”。もはや施設内では、AKB48よりも知名度があると言われている。

「しかし、この美人デュオのManamiとMegumiは両方ともタフで、最近までボランティアで彼女たちは全国を車で移動。その走行距離は16年間で110万キロを超えている。今年になってようやく日当が数千円~1万円、遠い刑務所の場合はプラス交通費が出るようになりましたが、刑務所慰問は基本的に雀の涙ほどの交通費しか出なかった。これが彼女たちに続くアイドルがなかなか出ない理由だったが、それでもスケジュールを刑務所の都合に合わせなくてはならない。慰問は基本的に刑務作業のない土日か祝祭日に行われるので、九州から一日で北海道に移動しなくてはならないことも。出所した連中が私生活でつきまという危機もある。出所したヤクザがコンサートで訪れてもにこやかに対応しないとならない。リスクがありすぎるのです」(法務省関係者)

だから「お金目当て」に地下アイドルが手をあげても、簡単にはこの領域に食い込めない分野なのだ。

「昨年の4月、浜崎あゆみや「EXILE」のATSUSHIらが2008年、法務大臣から「特別矯正官」に任命された杉良太郎の呼びかけで、矯正支援官に任命された。これはコロッケ、夏川りみ、MAX、桂才賀などと同じタイミングで、杉良太郎が法務省に働きかけて実現したもの。このときに「Paix2」のふたりも嬌正支援官に任命されたが、『これで無名なアイドルが刑務所慰問利権に食い込んでくる突破口を作ってしまったか』といらぬ心配が、芸能プロダクション関係者にも生まれました」(同)

ところが、刑務所を慰問するとなれば「悪いやつら」が出所して、後につきまわれ、ストーカーになるリスクがあるので、「刑務所を慰問したい」と法務省矯正局に名乗り出ても「出所した連中の面倒を見るリスクを背負えるか」と問われると多くのアイドルたちは尻込みするという。

「実際、殺人を犯した凶悪犯も出所して「Paix2」の通常のコンサート時、楽屋に『おかげで更正できました』と御礼を言いに尋ねてくることも珍しくない。

ライブをやっても〝もと犯罪者〟で客が埋まるわけで、ヤクザの集会かと見間違えるほどです。そうした現状を話すとたいていのアイドルたちが『やっぱり刑務所慰問は考えます』となってくるのです」(同)

刑務所事情に詳しい影野臣直氏が「なかなか刑務所慰問をやる若いアイドルが出現しない理由をつぎのように語る。

「やはりボランティアで囚人の更正を助けるような〝覚悟〟を法務省側も見るのではないでしょうか。とくに矯正支援官なんて、刑務所長より強い立場。刑務所慰問を売名で使って『売れなかったらAVに転身でもしようか』なんていう、どこぞの軽いタレントみたいな覚悟じゃ困るわけですよ。Paix2なんてずいぶん長い間、手弁当で刑務所を訪問していましたしね」

浜崎あゆみなどは「訪問する」と言っておきながら、一度も刑務所を慰問していないので「行く行く詐欺」「売名行為」などと揶揄されているが、確かにそれなりに「泥にまみれる覚悟」が慰問タレントには必要だ。かくして、刑務所慰問アイドルは高齢化、そして人材不足のまま、同じ慰問メンバーで刑務所収容者たちは「そろそろ別なやつを呼べ」と暴動が起きる……かもしれない。

(伊東北斗)

Paix2『逢えたらいいな―プリズン・コンサート300回達成への道のり』(特別記念限定版)

社会の耳目を集めた広島のマツダ社員寮男性社員殺害事件は、被害者の同僚の男性社員が強盗殺人の容疑で逮捕、起訴され、事件が解決したようなムードが漂った。そんな折、1人の無期懲役囚がこの事件について物申すべく、デジタル鹿砦社通信に手記を寄稿した。男の名前は、引寺利明(49)。2010年に起きたマツダ工場暴走殺傷事件の犯人である。

事件があったマツダの社員寮(広島市南区向洋大原町)

◆暴走犯から届いた手記

自動車メーカー・マツダの広島市南区向洋大原町にある社員寮で暮らしていた男性社員・菅野恭平さん(19)の他殺体が寮内の非常階段の2階踊り場で見つかったのは9月14日のこと。同24日に強盗殺人の容疑で検挙された上川傑被告(20)は菅野さんと寮の同じ階で暮らす同期入社の社員で、菅野さんを消火器で殴るなどして殺害し、現金約120万円を奪った疑いをかけられている。

一方、マツダの元期間工である引寺は2010年6月、広島市南区仁保沖町にあるマツダ本社工場に自動車で突入して暴走し、12人を殺傷。ほどなく自首して逮捕されたが、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダを恨んでいた」という特異な犯行動機を語り、世間を驚かせた。その後、精神鑑定を経て起訴され、2013年9月、最高裁に上告を棄却されて無期懲役判決が確定。裁判では、責任能力を認められた一方で、妄想性障害に陥っていると認定されている。

この引寺が裁判の終結後も服役先の刑務所で無反省な日々を送っていることは、当欄で繰り返しお伝えしてきた。引寺が反省できない最大の原因は、マツダで働いていた頃に「集スト被害」に遭っていたと今も頑なに信じていることだ。そんな引寺だけに今回のマツダ社員寮事件についても黙っておられず、当欄に手記の掲載を希望し、私のもとに郵送してきたわけである。

引寺が書いた手記は読む人によっては、気分の悪くなる内容だと思う。しかし、引寺のような社会の耳目を集めた重大殺人事件の犯人がどのような考え、どのような精神状態で服役生活を送っているのかということは社会の大きな関心事であるはずだ。そこで、引寺から寄せられた手記を余すことなく紹介しよう。ただ、引寺は現在も自分が犯した罪について、まったく反省していないので、読んで気分が悪くなるのが耐えられない人はここから先を読むのは控えたほうがいいかもしれない(※以下、手記は行替えを除き、とくに断りがない限りは原文ママで引用)。

引寺から届いた手記

================以下、手記================

「ワシはイライラしていた」

片岡さんも御存知と思いますが、マツダの社員寮で起こった事件に関してですが、発生当初から世間の見方では、同じ寮に住んでいる従業員による内部犯行の可能性が高い事は明らかだったのですが、犯人が逮捕されるまでは、新聞の記事やテレビのニュースでは、内部犯行説に関してはほとんど言及せず、何度も「警察は慎重に捜査している模様です。」と報道するばかりで、ワシはイライラしていた。

おそらくどこのマスコミも、内部犯行の可能性が高い事に関して、マツダに突っ込んだ取材はしていないでしょう。テレビ局のスタッフが、犯行現場である社員寮に出向き、寮に出入りしている社員達に逆取材した時も、インタビューを受けた社員が内部犯行の可能性が高い事について語った場合、その映像はニュースでは使われなかったでしょう。マスコミのボケどもがスポンサーであるマツダに配慮して、気をつかった報道ばかりをしている様子に、大人の事情が垣間見えて、カチーンときた。(怒)

マツダ事件(筆者注・引寺が起こしたマツダ工場暴走事件のこと。以下同じ)当時、一審を担当した主任弁護士の事務所に、マツダの従業員と名のる人達から「引寺容疑者が取り調べで語っているような嫌がらせをする連中がマツダにはおります。そういった連中による、嫌がらせ、パワハラ、セクハラ、暴行などの行為が、社内では日常的に起こっております。私も被害にあいました。」と訴えかけてくる電話が次々とかかってきた。主任弁護士は、電話をかけてきた人達の一人と実際に会い、直接、その人から被害の状況を聞いている。

ワシは広拘(筆者注・広島拘置所)で面会していた記者連中にこの件を話し、「こういった事態が実際に起こっとるんじゃけぇー、主任弁護士から裏をとってキッチリ報道しんさいや。それが現場の記者がやらにゃーいけん仕事じゃないんね」と持ち掛けた所、記者連中は「わかりました。主任弁護士から話を聞いてきます。」と動いたのだが、結局、この件はテレビや新聞では、一切、報道されなかった。

記者連中に報道されなかった理由を聞くと「デスクに止められてダメでした。」と回答する記者ばかりだった。この時は本当に頭に来た。スポンサーであるマツダのイメージが悪くなるような報道は出来んとゆう事か。(怒)

「マツダのバチクソがあー!!」

マツダ事件には、この件のように現場の記者連中は知っていたのに、マスコミの都合により報道されなかった裏事情がたくさんある。ワシは裏事情に関して、一審の法廷で何度も主張したのに、一切、報道されなかった。報道されなければ世間には伝わらない。自分達にとって都合の悪い情報を握りつぶすんなら、マスコミも腐った警察や検察と変わらんよのー。所詮マスコミにとって大事なのは、真実である現場の声を報道する事よりも、スポンサーの御機嫌を損なわないようにする事が最優先!!という事なのでしょう。ホンマ、腐っとりやがるでえー。(怒)

もし、犯行現場がマツダの社員寮ではなく、マスコミにとってスポンサーのからみなど全くないような、従業員が20~30人程度のチンケな工場の社員寮だったとしたら、マスコミは「内部の者による犯行の可能性が非常に高い」という言葉を、事件報道の中で普通に使っていたと思いますよ。

事件から1週間が過ぎた頃に犯人が逮捕され、被害者と同じ寮に住んでいた従業員である事が明らかになった時には、ざまあみさらせマツダのバチクソがあー!!といった感じで溜飲が下がりました。まさしく自演乙(筆者注・おつ。以下同じ)じゃのー。(爆笑)

マツダ事件発生当時には、事件発生から数時間後にマツダのトップ連中が記者会見を行い、マツダは被害を受けた事をアピールしまくり、「警察の捜査には全面的に協力します」などとホザいて、世間からの同情を買っておりましたが、今回の事件については、内部犯行の可能性が高い為、ヘタな記者会見は出来なかった訳です。

もし、逮捕された犯人が従業員ではなく、外部の者である事実が明らかになっていたら、おそらくマツダのトップ連中はシレッと記者会見を行い、その中で「今回、我が社の社員寮において、社員が殺害されるという大変痛ましい事件が発生し、真に遺憾であります。亡くなられた〇〇さんの冥福を全社員で祈っております。これからは社員寮などの施設のセキュリティを強化し、警備員を常駐させ、金銭トラブルに巻き込まれる事のないよう、コンプライアンスを重視した社員教育を徹底して行い、二度とこのような事態が発生する事の無いように全社を上げて努力していく所存であります。」などと語るんじゃろーのー。(笑)

「大企業とマスコミの関係はヘドが出る」

大企業がマスコミのスポンサーになるというのは、今回みたいな自演乙の事件が発生した時に、マスコミに気をつかった報道をさせる口止め的なメリットがあるんじゃろーのー。ホンマ、大企業とマスコミによるこういった関係というのは、ヘドが出るで。(怒)長いものにはグルグル巻きじゃのー。(笑)

今回逮捕された従業員のアンチャンが、かつてワシが取り調べを受けていた南署(筆者注・広島南署)におるというのも、なんか笑えるのー。テレビのニュースで南署の建物が写っておりましたが、な~んかなつかしく感じてしまい、留置場生活の事をあれこれと思い出しちゃいました。(笑)どーでもえーが、南署の建物は早いとこ建て替えた方がええでー。震度3程度の地震でも倒壊しちゃうぜえーーー!!(笑)

================以上、手記================

念のために断っておくが、重大事件の犯人は引寺のような無反省な人物ばかりではない。また、自分の犯した罪については徹底的に無反省な引寺もそれ以外のことでは、意外に真面目な顔を見せることもある。しかし、こういう悪ふざけをしたような手記を書くのも間違いなく引寺の特徴の1つだ。この手記は殺人犯の生態を知るために有効な資料だと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

横浜市の大口病院で点滴を受けた高齢の男性入院患者2人が相次いで死亡した「点滴殺人事件」は、表面化してから1カ月以上過ぎても容疑者が捕まらない。テレビや新聞では、警察の捜査が難航している様子が伝えられているが、もうそろそろ、こんな疑問が指摘されてもいい頃だろう。この事件はそもそも、本当に殺人事件なのだろうか――。

事件の舞台となった大口病院(横浜市)

◆思い出される「あの事件」

報道によると、大口病院で点滴を受けて亡くなった2人の入院患者、西川惣藏さん(88)と八巻信雄さん(88)の体内からはいずれも医療用消毒液「ヂアミトール」に含まれる界面活性剤の成分が検出されたという。神奈川県警は何者かが注射器を使って点滴にヂアミトールを混入し、2人を中毒死させたと殺人事件とみて、捜査を展開しているとのことである。

しかし、物証は乏しく、捜査は難航。さらに事件後、ナースステーションにあった約10個の未使用点滴袋のゴム栓部分にも針で刺したような小さな穴があいていることがわかり、そのうちのいくつかからは消毒液の成分が検出され、無差別に患者を狙った犯行である可能性も浮上。そのため、動機から犯人を絞り込むこともできないでいる――。

とまあ、報道されている捜査状況を見る限り、容疑者が検挙されそうな雰囲気はまったく感じられないが、こうした情報から、私の脳裏には、かつて日本全国を騒がせた「あの事件」が蘇ってきた。1998年7月に起きた和歌山カレー事件である。

◆1998年の過ち

夏祭りのカレーに何者かがヒ素を混入し、それを食べた60人以上がヒ素中毒に罹患、うち4人が死亡した和歌山カレー事件では、当初、和歌山県警科捜研がカレーに混入された毒物を青酸化合物と誤認。これにより、無差別の大量毒殺事件という見立てで大々的に報じられ、のちに原因毒物が青酸化合物ではなく、ヒ素だったと判明しても、マスコミはその見立てを改めなかった。

そして事件発生の1カ月後、現場近くに住んでいた主婦の林眞須美(55)が事件前にヒ素を使って保険金詐欺を繰り返していた疑惑が浮上すると、マスコミは一斉に犯人と決めつけた報道を展開。結果、眞須美は無実を訴えながら死刑判決を受けたが、動機は未解明のままで、やがて冤罪疑惑が持ち上がる。そうなってからようやく、毒物に関する知識のない人間には「白い粉」にしか見えないヒ素ならば、犯人は殺害目的ではなく、「いたずら」や「いやがらせ」でカレーに混入した可能性もあるのでは・・・という疑問が指摘されるようになった。

「点滴殺人事件」とか「入院患者連続殺人事件」などと報道されている大口病院事件で、同じ過ちが繰り返されている恐れはないだろうか。

◆「傷害致死事件」の可能性

実際、大口病院事件の捜査が難航する中では、「過去にヂアミトールが人体に注入されたケースは少なく、どの程度の量を投与すると死に至るのか明らかではない」(毎日新聞ホームページ10月23日配信記事)などという報道も出始めた。それはつまり、他ならぬ犯人もヂアミトールを点滴に混入することにより、患者が死ぬとは思いもよらなかった可能性もあるということだ。本当にそうならば殺意は認定できないので、この事件は殺人事件ではなく、傷害致死事件ということになり、想定される犯人像も当然変わってくる。

もちろん、神奈川県警はそういう可能性も踏まえて、捜査を展開しているだろう。しかし、テレビや新聞の報道で「殺人事件」と決めつけられている状態と、「本当に殺人事件なのか」という疑問も提示されている状態では、警察のもとに集まる情報も違ってくる。捜査の難航が続く中、この事件を「殺人事件」と決めつけるのは、そろそろやめたほうがいいのではないか。

大口病院の正面入口の貼り紙。外来診療は現在、すべて休診中

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

1992年2月に福岡県飯塚市で小1の女児2人が殺害された「飯塚事件」で、一貫して無実を訴えていた死刑囚の久間三千年氏(享年70)に対する死刑が執行されてこの10月28日で8年。足利事件と同じく科警研による黎明期の稚拙なDNA型鑑定が有罪の決め手とされていたことなどから「冤罪処刑」を疑う声が根強く、福岡高裁で現在進行中の再審請求即時抗告審の行方は予断を許さない。久間氏の死刑執行に関与した「責任者」たちはこの事件に関し、どのように考えているのか――。

◆情報公開請求により死刑執行責任者たちを特定

死刑は、法務大臣の命令により執行されるが、執行手続きには他にも多くの者が関わっている。そこで、法務省と福岡矯正管区に対して情報公開請求したところ、責任ある立場で久間氏の死刑執行に関与した者たちが多数特定できた。執行手続きの流れに沿い、紹介しよう。

死刑判決が確定すると、まず「執行の指揮をすべき検察官の属する検察庁の長」が法務大臣に対し、死刑執行に関する上申をする決まりだ。久間氏の場合は上告棄却の約5カ月後の2007年2月7日、福岡高検の佐渡賢一検事長が長勢甚遠法務大臣に対し、死刑執行命令を求める「上申書」を提出している。法務省では、この上申があると、刑事局で参事官や局付検事が裁判の記録などを検証し、死刑執行に問題がないという結論に至れば、死刑執行に必要な文書を起案するのである。

では、久間氏の死刑が執行された際、法務省では具体的にどんな決裁がなされたのか。

まず、上申から1年8カ月余り経った2008年10月24日、刑事局総務課名義で「死刑執行について」と題する文書が起案され、同日中に決裁されていた。開示された文書は久間氏の姓名や生年月日、裁判で認定された犯罪事実以外の部分がほとんど黒塗りされていたが、表紙にはこの文書を決裁した法務省幹部6人(尾﨑道明矯正局長、大塲亮太郎矯正局総務課長、富山聡矯正局成人矯正課長、坂井文雄保護局長、柿澤正夫保護局総務課長、大矢裕保護局総務課恩赦管理官)の押印が確認できた。

また、同じ日に「死刑事件審査結果(執行相当)」という文書が作成され、森英介法務大臣と佐藤剛男(たつお)法務副大臣の2人がサインし、法務省幹部5人(小津博司事務次官、稲田伸夫官房長、中川清明秘書課長、大野恒太郎刑事局長、甲斐行夫刑事局総務課長)が押印していたこともわかった。つまり、判明した限りでも森法務大臣と佐藤法務副大臣に加え、計11人の法務省幹部が久間氏に対する死刑執行が相当だという決裁をしたわけである。

◆1日の間に慌ただしく進められた死刑執行手続き

久間氏に対する死刑執行が相当だという決裁がなされると、同日中に早くも死刑執行命令書が作成されていた。それは次のような内容だった。

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福岡高等検察庁検事長 栃木庄太郎

平成19年2月7日上申に係る久間3千年に対する死刑執行の件は、裁判言渡しのとおり執行せよ。

平成20年10月24日 法務大臣 森英介

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法務省が開示した文書によると、福岡高検の栃木庄太郎検事長はこの死刑執行命令書を作成当日に受領したとされているが、これにはさすがに違和感がある。1日のうちに起案から決裁をすべて済ませ、死刑執行命令書を作成し、さらにそれを法務省がある東京・霞が関から福岡まで運ぶのは時間的に無理だと思えるからだ。法務省の担当者たちは、各文書に記載された決裁の日付よりずいぶん前に実質的な決裁を済ませていたことは間違いない。

しかしともかく刑事訴訟法では、法務大臣の命令があったときから5日以内に死刑は執行されなければならないと定められている。関係文書によると、久間氏の場合も3日後の10月27日、福岡高検の担当検察官により「死刑執行指揮書」が作成され、翌28日に福岡拘置所で死刑が執行されている。こうして久間氏は再審請求を準備していた中、絞首刑に処され、生命を奪われたのだ。

今も現職の衆議院議員として活動する森英介氏の事務所のHP

◆死刑執行の責任者たちに取材を申し入れた

私は、執行手続きに関与した責任者たちのうち、とくに責任が重い立場にあった3人に取材を申し入れた。

まず、森英介氏。2008年9月に法務大臣に就任し、その翌月に早くも久間氏に対する死刑執行命令を発した森氏は、現在も現職の衆議院議員だ。私は森氏に対し、電話とファックスで取材を申し入れたが、担当秘書から次のような回答があった。

「森に確認したところ、とくにお答えすることがないと申しております」

公式ホームページによると、森氏の座右の銘は「人生の最も苦しい、いやな、辛い損な場面を真っ先に微笑をもって担当せよ」とのことだが、森氏の態度はこれに反するように思えた。

一方、死刑執行を相当だと決裁した11人の法務省の幹部の中からは2人に取材を申し入れた。

トヨタのHPに監査役として紹介されている小津博司氏

まず、法務省の事務方ではトップの事務次官だった小津博司氏。1974年に検事任官し、最終的に法務・検察の最高位である検事総長に上り詰めたエリートだ。退官後は弁護士に転じ、現在はトヨタ自動車や三井物産の監査役を務めている。私が昨年6月、この小津氏に手紙で取材を申し入れたところ、次のような返事の手紙が届いた。

〈6月16日付のお手紙拝受いたしました。小生に対する取材のお申し込みですが、退官後、このような取材は全くお受けしておりません。この度のお申し出もお受けすることはできませんので、悪しからずご了解いただき、今後の連絡もお控えいただきますよう、お願いいたします。用件のみにて失礼いたします。〉

言葉は丁寧だが、強い拒絶の意思が感じ取れる文章だ。

法務省のHPで検事を志す若者にメッセージを送った大野恒太郎氏

当時の法務省幹部の中から取材対象者に選んだもう1人は、死刑執行に必要な文書を起案した刑事局の局長だった大野恒太郎氏。小津氏の退官後に検事総長を務め、今年の9月に勇退。執筆時点で勇退後の進路は不明だが、天下りするなら「選び放題」なのは間違いない。

私が大野氏に手紙で取材を申し入れたのは、大野氏がまだ検事総長の地位にあった昨年6月のこと。ほどなくして最高検企画調査課の検察事務官から電話で次のような返事があった。

「今回の取材申し入れに関しては、大変恐縮なんですが、お断りさせて頂きたいということです」

私はこの検察事務官に対し、大野氏がいかなる理由で取材を断るのか尋ねたが、「とくに賜っておりません」とのこと。取材を断られたのは予想通りだが、大野氏はもちろん、周辺の検察職員たちも飯塚事件関係の話題にはナーバスになっている雰囲気が窺えた。

このように久間氏の死刑執行に責任ある立場で関与した者たちから木で鼻をくくったような対応で取材を拒否され、私は改めて思った。奪われた生命は取り戻せないが、一日も早く久間氏の雪冤、名誉回復が果たされて欲しい、と――。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

<追記>
久間氏の死刑執行に関与しながら、私の取材に応じた検察幹部も実は2人いるのだが、その詳細は、2月に発売された私の編著「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(鹿砦社)で報告している。また、同書では、本稿で紹介したものをはじめ、久間氏に対する死刑執行の過程で作成された文書を多数公開している。

島根県立大学1年生の平岡都さん(当時19)が2009年10月26日、アルバイト先から帰宅途中に行方不明になり、バラバラ遺体で見つかった事件から7年が過ぎた。社会を震撼させた事件は今も未解決だが、犯人は一体どんな人物なのか。現場を訪ね、事件の真相に思いを馳せた。

◆「犯人は土地勘あり」と示す遺体遺棄現場

平岡さんの遺体が見つかったのは広島県北広島町の臥龍山の山中だった。平岡さんが行方不明になって10日後の11月6日、キノコ狩りに来ていた男性が崖下で人間の頭部を発見し、警察に通報。警察の捜査で周辺から胴体、左足の一部などバラバラになった遺体が見つかり、DNA型鑑定で平岡さんの遺体と特定された。このように遺体の発見状況が凄惨だったため、この事件は猟奇的な性癖を持つ人物による犯行ではないかと報道され、社会を震撼させたのだ。

私が現地を訪ね、まず最初に感じたのは、犯人は遺体遺棄現場に土地勘があった可能性が高いのではないかということだ。というのも、平岡さんが生前最後に目撃されたアルバイト先のショッピングセンター「ゆめタウン浜田」から臥龍山の遺体遺棄現場までは最短ルートを通っても40キロ以上ある。しかも国道191号から臥龍山の登山道に入る地点には道案内の標識が出ているが、遺体遺棄現場までたどり着くにはクネクネした登山道をけっこう登らねばならない。平岡さんが殺害された時間や場所は不明だが、土地勘のない人物が訪ねそうな場所には到底思えなかったのだ。

臥龍山の車が走れる道の最も高い場所にある転回場。この周辺の崖下で遺体が見つかった

◆遺体がバラバラゆえに猟奇的事件と報道されたが・・・

私がもう1つ疑問に感じたのは、この事件が本当に猟奇的な事件なのか、ということだ。というのも、バラバラになった遺体が見つかった臥龍山の現場は草木が生い茂り、いかにも多くの野生動物が生息していそうな雰囲気だった。要するに、遺体をバラバラにしたのは犯人ではなく、野生動物の可能性もあるのではないかと思えたのである。

私は過去、この事件と同じように山中に若い女性の遺体が遺棄された殺人事件を取材したことがあるが、その事件で女性の遺体はそのままの状態で遺棄されたにも関わらず、短期間で頭部と胴体が分断され、バラバラの状態で発見されていた。マスコミは殺人事件をセンセーショナルに報道したがるが、遺体の悲惨な状況だけを根拠にこの事件を猟奇的な人物による犯行だと決めつけると、社会をミスリードする危険もあるように思えた。

この事件は警察庁の捜査特別報奨金制度の対象事件となっており、警察に提供した情報が事件解決につながれば、最大で300万円の支払いを受けられる。気になる情報を持ちながら、「猟奇的な殺人事件」と関係ない情報に思えて警察に通報できないでいる人がいれば、臆せずに警察に情報提供してみるべきだろう。

遺体遺棄現場近くの転回場には、警察が情報を求める看板

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

外部との交流を厳しく制限され、獄中生活の実相が世間にほとんど知られていない死刑囚たち。その中には、実際には無実の者も少なくない。冤罪死刑囚8人が冤死の淵で書き綴った貴重な文書を紹介する。8人目は、山梨キャンプ場殺人事件の阿佐吉廣氏(67)。

阿佐氏が綴った手記の原本計16枚

◆「虚偽証言だけで死刑が確定」

〈今、私は、山梨キャンプ場殺人事件で共犯と呼ばれる、元社員達の、自分の罪を軽くしたい、あるいは逃がれたいと思う虚偽証言だけで死刑が確定いたしました。他に証拠は何ひとつありません。〉

これは、今年2月に発売された私の編著「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(鹿砦社)に、阿佐氏が寄稿した手記の一節だ。

事件が発覚したのは03年の秋だった。山梨県警がタレコミ情報をもとに都留市のキャンプ場で、3人の遺体が埋められているのを発見。3人は阿佐氏が営む会社「朝日建設」の元従業員だった。阿佐氏は、部下らと共に殺人などの罪に問われ、「自分は無関係」と無実を訴えたが、12年に最高裁で死刑が確定。現在は死刑囚として東京拘置所に収容されつつ、甲府地裁に再審請求中である。

阿佐氏が収容されている東京拘置所

◆冤罪を疑う声が多い理由

専門筋の間では、阿佐氏の冤罪を疑う声は非常に多いのだが、その最大の理由は、裁判で共犯者とされる元部下がこんな証言をしたことである。

「取り調べや裁判の最初の頃には、阿佐社長が被害者らを殺し、私たちも手伝ったと証言していましたが、あれは嘘です。本当は、阿佐社長は殺害の現場にいなかったのです」

この元部下によると、殺害行為を実行したのは、事件発覚時にはすでに死去していた「副社長格のY」だった。Yは被害者らとトラブルになり、首を絞めて殺害したが、その時に元部下も被害者の足を押さえるなどして手伝った。しかし警察の取り調べでは、阿佐氏が主犯だというストーリーを押しつけられたという。

「私は朝日建設を辞める際、阿佐社長に見捨てられたように感じて恨んでいたので、阿佐社長が被害者を殺害したとみていた警察に、話を合わせてしまったのです。でも、自分の嘘で阿佐社長が死刑にされたことに耐えられなくなり、本当のことを話したのです」(同)

一方、東京拘置所で収容中の阿佐氏は、前掲の手記で、自分を貶めるウソの供述をした共犯者たちへの思いも次のように綴っている。

〈彼らの虚偽「供述」や虚偽「証言」は決して彼らが意図して言ったものでは無く、取調官に誘導され、強要されて出来上ったものです。その冤罪の被害者は私だけでなく、彼らも被害者なのです。私は、だからこそ一日も早く、真実を明らかにして、楽な気持にさせてやりたいとの思いで一杯なのです。〉

この文章からは、凶悪殺人犯として死刑判決を受けた阿佐氏が本来、暖かい人柄の人物であることが窺える。

阿佐氏の再審請求が審理されている甲府地裁

◆一目でいい、母に会って・・・

徳島県出身の阿佐氏には、裁判中から遠路はるばる面会に来てくれていた母親がいる。80代後半になり、現在は認知症に陥っているというが、前掲の手記には、その母親への思いも綴られている。

〈私の大切な、たった一人の母も、ときどきは正気に戻る時には、私に会いたいと切望していることでしょう。私も一目でいい、母に会ってこの胸、一杯にある感謝の言葉を伝えたいと思っております。〉

人は極限的な状況に置かれた時、何より心の拠り所にするのはやはり肉親ではないか。阿佐氏の手記はそんな感想を抱かせる。前掲書に掲載された手記全文には、母との思い出や阿佐氏の半生、事件の経緯などが克明に綴られている。
 
【冤死】
1 動詞 ぬれぎぬを着せられて死ぬ。不当な仕打ちを受けて死ぬ。
2 動詞+結果補語 ひどいぬれぎぬを着せる、ひどい仕打ちをする。
白水社中国語辞典より)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

2002年に大阪市平野区で起きた母子殺害事件で、1度は死刑判決を受けながら逆転無罪を勝ち取った大阪刑務所の刑務官、森健充被告(59、現在は休職中)に対する大阪高裁の第2次控訴審が9月13日、結審した。判決は来年3月2日に宣告されるが、無罪判決が維持されるだろうというのが大方の見方だ。もっとも、そうなっても森被告は手放しで喜べないかもしれない。森被告はこの事件のこと以外でもう1つ、冤罪を訴えているからだ。

森被告の第2次控訴審が行われている大阪高裁

◆逆転無罪の経緯

事件の経緯は次のようなものである。

大阪市平野区でマンションの一室が全焼し、焼け跡から住人で主婦の森まゆみさん(当時28)と長男の瞳真(とうま)くん(同1)の遺体が見つかったのは2002年4月のこと。まゆみさんの首には、犬のリードが巻きつけられており、瞳真くんは浴槽の水に服を着たままの姿で浮かんでいたという。そして事件の7カ月後、大阪府警が殺人の容疑で逮捕したのが、まゆみさんの義父である森被告だった

森被告は一貫して無実を主張。裁判は第1審が無期懲役、第2審が死刑という結果になりながら、最高裁が審理を差し戻した大阪地裁の第2次第1審で逆転無罪判決が宣告されるという劇的な展開を辿った。これを検察が不服として控訴し、現在は第2次控訴審が行われているわけである。

もっとも、元々物証が乏しかったうえ、第2次控訴審で検察側が「最後の抵抗」として行ったDNA鑑定では、むしろ森被告の無実を裏づけるような結果が示された。凶器である犬のリードや、2人の被害者の着衣が徹底的に調べられたにも関わらず、森被告のDNA型が一切検出されなかったのである。

それゆえに、第2次控訴審では無罪判決が維持される公算が高いとみられているのだが、では、森被告が訴えている「もう1つの冤罪」とは何なのか。それは、事件前に被害者のまゆみさんに行っていたとされる「求愛」や「性的な接触」に関することである。

現場のマンションはこの通り沿いにある。今は地元でも事件を知らない人が多い

◆「求愛」や「性的な接触」は本当にあったのか

そもそも、この事件で森被告が警察に疑われた理由は、事件前にまゆみさん夫婦との間で人間関係の問題が生じていたことだった。

まず、森被告は事件当時、妻の連れ子である「まゆみさんの夫」と非常に仲が悪かった。森被告がまゆみさんの夫の金銭問題の尻拭いで大変な目に遭っていたにも関わらず、まゆみさんの夫が不義理な態度をとり続けていたことなどが原因だ。それに加え、まゆみさんは事件前、義理の母である森被告の妻に対し、次のようなことを訴えていたのである。

「一緒に古新聞を運んでいる際に、エレベーターの中でお義父さんに抱きつかれた」

「キッチンでいきなり、お義父さんに首にキスされた」

「お義父さんに『まゆみのことが好きや』と言われたり、無理やり手を引っ張られて、勃起した部分を触らせられたりした。また、自分はセックスが上手であるという話をされ、『一回試してみよう』と手を引っ張られたので、流し台のワゴンをつかんで抵抗した」

「お義父さんから、愛を告白する『あいこくめーる』が送られてきた」

まゆみさんのこうした訴えは第1審判決、控訴審判決共に事実と認めているのだが、審理を差し戻した最高裁判決や差し戻し審の無罪判決でも、これらの事実関係はとくに否定されていない。しかし、実を言うと森被告は、まゆみさんに対するこれらの行為についても事実関係を否定しているのである。

実際問題、森被告がこれらの行為をまゆみさんに行っていたと示す証拠は、亡くなったまゆみさんの証言以外には存在しない。そういう意味では、「もう1つの冤罪」である可能性も否定し難いところなのである。来年3月2日に宣告される第2次控訴審の判決では、この部分についても何らかの判断が示されて欲しいものである。

なお、私は現在発売中の「冤罪File」第26号で、検察側の「真犯人放置疑惑」についてもレポートしている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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