当時の捜査関係者たちはいま、再審請求審の行方が気になって仕方ないだろう。もうすぐ発生から17年になる、和歌山カレー事件のことである。

札幌地検のホームページで検事正としてあいさつする小寺氏

1998年7月25日、和歌山市園部の夏祭りで何者かがカレーに猛毒のヒ素を混入し、60人以上が死傷した。捜査の結果、現場近くに住む主婦の林眞須美(当時37)が殺人などの容疑で検挙され、2009年に死刑確定したが、一貫して無実を訴える眞須美には冤罪の疑いが根強く指摘されてきた。そして今年、和歌山地裁の再審請求審で弁護側が「眞須美の周辺で見つかったヒ素」と「現場で見つかったヒ素」が異なるという京都大学・河合潤教授の意見書を提出。これに対し、地裁がどんな判断を下すかが注目されている。

そんな状況の中、今年の7月25日をいつも以上に特別な思いで迎えるに違いない捜査関係者がいる。小寺哲夫という。この事件の主任検事として捜査、公判を担当した人物だ。現在は札幌地検の検事正に出世しているが、今年3月で62歳になった。検察官の定年は63歳(検事総長のみ65歳)だから、小寺が現職の検察官として7月25日を迎えるのは今年が最後になる見通しだ。

そこで、筆者は今年の3月から小寺に対し、繰り返し手紙や電話で取材を申し入れた。検察を去る前に、和歌山カレー事件の捜査、公判で警察、検察が行った不正を洗いざらい打ち明けてもらうためである。

◆疑われているのは冤罪だけではない

というのも、この事件はかねてより冤罪の疑いのみならず、捜査、公判を通じて警察、検察が数々の不正を行った疑いも指摘されてきた。

たとえば、眞須美宅の台所で見つかったとされる「ヒ素の付着したプラスチック容器」はこの事件の最重要物証だが、捜査員によるねつ造説が根強い。事件発生から2カ月以上経ち、眞須美が逮捕されてから行われた家宅捜索で発見されたうえ、表面にヒ素を意味する「白アリ薬剤」という言葉が大きく書かれているという不自然なシロモノだからである。

また、眞須美は事件以前から夫の健治や知人の男らにヒ素や睡眠薬を飲ませ、保険金詐欺を繰り返していたとされ、この「事実」が裁判ではカレー事件の有罪の状況証拠とされている。しかし、これも実際には、保険金をだまし取るために詐病で入院を繰り返していた健治や知人の男らを警察、検察が「被害者」にでっち上げた疑いが指摘されている。そもそも健治は公判で「ヒ素は自分で飲んでいた」と告白しているし、知人の男らは捜査段階に警察官宿舎で数カ月に渡って捜査員らと寝食を共にしていたことなど不審な点が多いためである。

和歌山カレー事件の捜査、公判でこのような不正が行われた疑惑の真相について、捜査、公判共に担当した検事である小寺が何も知らないことはありえない。だからこそ筆者は小寺に取材を申し入れたのだ。

◆繰り返された場当たり的な回答

取材依頼の手紙は5回に渡り返送されてきた

結論から言うと、小寺は筆者の取材依頼に対し、逃げ回るような対応に終始した。筆者は3月から6月にかけて5回に渡り、小寺に手紙で取材を申し入れたのだが、そのたびに同封しておいた切手やテレフォンカードと一緒に手紙がそのまま送り返されてきた。筆者もそのたびに札幌地検に電話し、小寺に取り次ぐよう求めたが、小寺は広報担当者に対応を任せ、自分は一度も電話に出ないという姑息な態度を繰り返したのだ。

もっとも、こうしたやり取りの中で興味深かったことがある。小寺は筆者の手紙を返送してくるたび、広報担当者に指示し、取材を断るコメントをワープロ打ちした紙切れを同封してきたのだが、そのコメントがいつも場当たり的なごまかしの内容だったのだ。

まず、最初の2回の取材依頼の手紙に対し、小寺が返送する際に同封してきた紙切れのコメントは次のようなものだった。

〈具体的な事件の捜査、証拠関係についての取材には応じられません。〉

まさに木で鼻をくくったような回答だ。ただ、札幌地検の広報担当者に電話で確認したところ、筆者の取材依頼の手紙は地検に到着後、小寺本人に渡る前に他の職員が開封していたという。それでは小寺も部下の手前、このような取り繕ったコメントしかできないだろう。

そこで、小寺に対する3回目の取材依頼の手紙は、札幌地検の職員を使わずに自分自身で対応するようにしたため、封筒に「親展」と朱書きして送付したところ、返送されてきた手紙に同封された紙切れのコメントは次のようなものだった。

〈事件の取材は、検察庁の広報を通じて対応致します。
検察官には守秘義務があり、検察官が個別の事件について、個人として取材を受けることはありません。〉

小寺は個人として取材を受けないことを正当化すべく、このような弁明をしてきたのだ。しかし筆者は手紙で小寺に対し、取材を依頼する趣旨は和歌山カレー事件の捜査、公判で警察、検察が不正を行った疑惑に関する事実確認だと伝えてある。検察官が個人的に捜査、公判で行った不正を取材者に明かしても、それは通常、「正当な内部告発」や「犯行の自白」と認められ、守秘義務違反に問われることはない。小寺の弁明は明らかに失当だ。

4回目の手紙でそのことを伝えつつ、改めて取材を申し入れると、今度は返送されてきた手紙に次のようなコメントが書かれた紙切れが同封されていた。

〈捜査・公判において不正を行った事実はありません。
検察官には守秘義務があり、検察官が個別の事件について、個人として取材を受けることはありません。〉

要するに、小寺も捜査、公判での不正に関する取材依頼については、「守秘義務違反になるから個人で取材には応じられない」という弁明が通用しないことは理解したらしい。そこで今度は「不正を行った事実はない」と言い張って取材を受けずに済まそうとしたわけだ。

そこで筆者は小寺に対し、今度は取材で掴んだ事実をあててみた。それは、和歌山カレー事件の捜査、公判において、警察、検察が不正を行っていたことを裏づける次のような2点の事実である。

1、眞須美や健治と一緒に保険金詐欺をしていた人物の1人が検察官たちからその弱みにつけこまれ、眞須美に殺されかけた被害を訴えるように強要されていたことがこの人物の兄の証言により判明していること

2、眞須美が知人の男たちに睡眠薬を飲ませた現場とされる岸和田競輪場、近畿大学付属病院内の喫茶店、和歌山市内の喫茶店などにおいて、警察、検察が現場検証や目撃者探しなどの捜査をまったく行っていないことが現場関係者の証言などで判明していること

◆不正を認めたに等しい対応

5回目の手紙では、これらの事実を示したうえ、捜査、公判を担当した検事である小寺もこれらの事実を知らないはずはなく、小寺は本来なら証拠隠滅罪や犯人蔵匿罪などで処罰されるべきであることを指摘。そのうえで「反論したいことがあれば、反論するように」と求めた。すると、今度は返送されてきた手紙に次のようなコメントをしたためた紙切れが同封されていた。

〈検察官が個別の事件について、個人として取材を受けることはありません。〉

要するに決定的な事実を示され、小寺は不正を行っていないなどと言い張ることができなくなってしまったのだ。つまり小寺は事実上、和歌山カレー事件の捜査、公判において警察、検察が不正をはたらいていたことを認めたのである。

筆者はこの事件を長く取材し、林眞須美は冤罪だと確信しているが、今後、眞須美が冤罪であることが明らかにされる過程では警察、検察がはたらいた数々の不正も一緒に明らかにされなければならないと考えている。小寺ら捜査関係者に対する追及は今後も続けていく。

場当たり的なごまかしのコメントを繰り返した小寺氏

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

◎3月に引退した和歌山カレー被害者支援の元刑事、「美談」の裏の疑惑
◎「絶歌」で市民に「配慮」求めた明石市、不明瞭なアウト・セーフの線引き
◎発生から15年、語られてこなかった関東連合「トーヨーボール事件」凄惨な全容
◎国松警察庁長官狙撃事件発生20年、今年こそ「真犯人」の悲願は叶うか

「出所者が語る全面リニューアルの大阪拘置所」など話題満載『紙の爆弾』8月号絶賛発売中!

 

神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗こと元少年Aの著書「絶歌」(太田出版)が発売されてから1カ月が過ぎた。この間、本は25万部を発行するベストセラーとなったが、被害者遺族が強く反発し、出版中止や回収を求めたのをはじめ、各方面から著者や出版社への批判が相次いだ。

市民に向け、市長が「絶歌」に関する「配慮」を呼びかけた明石市のホームページ

中でも同書に対し、とりわけ厳しい対応をしたのが、被害者の土師淳くんの墓がある明石市だ。泉房穂市長は出版について、「遺族を傷つける許されない行為」と批判し、市立図書館で同書を購入しないことを明言。さらに「売らないでほしいし、買わないでほしい」とコメントしたうえ、二次被害の防止を定めた犯罪被害者支援条例に基づき、市民や書店に「配慮」を要請する徹底ぶりだった。

そんな明石市や泉市長の対応には、好意的に評価する声が多い。しかし冷静に考えれば、違法性が認められたわけでもない特定の出版物について、権力者がここまで踏み込んだ対応をするのは異常である。表現の自由が無制限に認められないのは当然だが、今回の明石市や泉市長の対応は表現の自由の観点から問題はなかったろうか。

筆者はそのことを検証すべく、「絶歌」以前に犯罪被害者らの人権が問題になった出版物について、明石市にある公立図書館での取り扱い状況を調べてみた。すると、以下のような本が所蔵され、閲覧、貸し出し共に可能な状態にされていることがわかった。

* * * *

 

東電OL殺人事件(著・佐野眞一、新潮社から2000年5月発売)

(1)東電OL殺人事件(著・佐野眞一、新潮社から2000年5月発売)
仕事帰りに売春をしていた被害女性のプライバシーに関する報道合戦が加熱し、遺族がマスコミ各社に抗議した事件が題材のノンフィクション。被害女性の実名を表記し、そのプライバシーを改めて赤裸々に綴っている。

 

文藝春秋 2015年 5 月号(文藝春秋から2015年4月発売)

(2)文藝春秋2015年5月号(文藝春秋から2015年4月発売)
神戸連続児童殺傷事件の少年審判の決定全文を掲載。猟奇的な犯行状況が詳しく綴られており、遺族が「絶歌」の時と同じように二次被害を訴え、強く反発した。

 

僕はパパを殺すことに決めた(著・草薙厚子、講談社から2007年5月発売)

(3)僕はパパを殺すことに決めた(著・草薙厚子、講談社から2007年5月発売)
2006年に奈良で16歳の少年が自宅に放火、継母と弟、妹を焼死させた事件に関するノンフィクション。少年の供述調書が大量に引用されており、調書や鑑定書を著者に見せた精神鑑定医が秘密漏示罪で検挙される事態に。遺族も著者や鑑定医を強く批判した。

 

神戸酒鬼薔薇事件にこだわる理由―「A少年」は犯人か(著・後藤昌次郎、現代人文社から2005年2月発売)

(4)神戸酒鬼薔薇事件にこだわる理由―「A少年」は犯人か(著・後藤昌次郎、現代人文社から2005年2月発売)
松川事件や八海事件などの歴史的な冤罪事件の弁護を手がけた著名弁護士である著者が、神戸連続児童殺傷事件の犯人として検挙された少年Aの冤罪を訴えている。

 

捜査一課長(著・清水一行、集英社から1978年2月発売)

(5)捜査一課長(著・清水一行、集英社から1978年2月発売)
1974年に西宮市の知的障害児施設で園児2人が水死した通称「甲山事件」を題材にした小説。殺人罪に問われながら無罪判決を勝ち取った女性について、犯人扱いした内容になっており、女性に起こされた名誉毀損訴訟で著者側が敗訴した。

* * * *

以上の5冊のうち、(1)~(4)の4冊は「絶歌」同様、犯罪被害者や遺族が報道による二次被害を訴えているか、そうでなくとも読めば確実に気分を害する本だ。しかし、いずれも明石市の市立図書館で閲覧、貸し出し共に認められている。一方、(5)は神戸連続児童殺傷事件と同じ兵庫県で起きた事件が題材の本で、冤罪被害者の女性に対する名誉毀損が認定されている。「冤罪」は法的に犯罪ではないが、権力による犯罪とみる意見は少なくない。この本は明石市の市立図書館では所蔵されていないが、市内にある兵庫県立図書館で閲覧、貸し出し共に可能な状態だ。

ここで一応、誤解なきようにことわっておくが、筆者はこれらの本が公立図書館で所蔵され、閲覧、貸し出し共に可能な状態であることが許されないことだとは思っていない。しかし、「絶歌」にあれほど敏感に反応した明石市や泉市長がこれらの本について、何も対処せずに放置していることには違和感を覚えた。ありていに言えば、「絶歌」に対しては世間の雰囲気に流され、短絡的に規制するような対応をしたのではないかという疑念を抱かざるをえなかった。

そこで筆者は、明石市に対し、(1)~(5)の5冊についても今後、「絶歌」と同じように図書館から排除したり、貸し出しや閲覧を制限したり、市民に「配慮」を呼びかけるなど何らかの対応をする予定があるのか否かを質した。すると、市民相談室の担当者は「ありません」とのことだった。理由を質したところ、次のように答えた。

「『絶歌』については、ご遺族から市に対し、何とかできないかという申し入れがあったため、犯罪被害者支援条例に基づく対応をしました。(1)~(5)の本については、現時点で市に対して何も申し入れがありませんので、何か対応をする予定もありません」

「絶歌」に対する明石市や泉市長の一連の対応が、被害者遺族の申し入れを受けてのものだったという話は初耳だった。担当者によると、同市の犯罪被害者支援条例は第16条の規定に基づき、犯罪被害者らから申し入れがあった場合に限り、適用するか否かが検討されているという。要するに「個別具体的に判断している」ということであろうが、厳しい見方をすれば、アウト・セーフの線引きが曖昧な印象を受ける。これでは、たとえば痴漢の容疑で検挙された男性が無実を訴えるために出版した告発本が自称「被害者」の女性の要望により図書館から排除されるような事態もありえそうだ。

明石市でこの条例が適切に運用されているか否は注視されるべきだと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

◎「絶歌」騒動で見過ごされている問題
◎発生から15年、語られてこなかった関東連合「トーヨーボール事件」凄惨な全容
◎献花が絶えない川崎中1殺害事件と対照的すぎる西新宿未解決殺人事件の現場
◎国松警察庁長官狙撃事件発生20年、今年こそ「真犯人」の悲願は叶うか

自粛しないスキャンダルマガジン『紙の爆弾』話題の8月号絶賛発売中!

 

7・12鹿砦社弾圧10周年復活の集い

朝日新聞広告掲載拒否に関連して、この事件に関与した人たちのその後を想起してみました。

まずは神戸地検にリークしてもらって“官製スクープ”で紙面を大きく飾った平賀拓哉記者。当時彼は27歳、その後、2010年、大阪地検特捜部による厚労省郵便不正事件の取材チームに入り、証拠改竄で当時の大坪弘道大阪地検特捜部長を逮捕・失職に追い込み、これは新聞協会賞を受けています。

この大坪検事が神戸地検特別刑事部長に就任して最初の事件が鹿砦社弾圧事件ですが、この時、平賀記者は神戸地検からリークしてもらい“官製スクープ”をものにするわけです。こういうことを、三井環氏によれば「風を吹かせる」というそうですが、平賀記者にリークしたのが、大坪検事か、それとも主任検事の宮本健志検事か判りませんが、いずれにしろリークしてもらった神戸地検特別刑事部のトップが大坪検事でした。

その5年後、平賀記者は大坪検事を追い落とす朝日の取材チームの一員となります。因果なものです。

大坪検事は鹿砦社弾圧の後、大阪地検特捜部長に昇り詰めますが、上記したように、厚労省郵便不正事件証拠改竄に連座し、東京地検と並び検察の雄、大阪地検特捜部長が逮捕・失職に追い込まれるという前代未聞の事件に巻き込まれます。

鹿砦社弾圧事件を指揮したのは大坪検事ですが、その直下の主任検事が宮本健志検事で鹿砦社の地元の甲子園出身です。

宮本検事は2005年7月12日当日、神戸地検に連行された私に直接手錠を掛け、取調を行った検事です。

その後、宮本検事は徳島地検次席検事に栄転し、その際、深夜に泥酔し一般市民の車を傷つけ平検事に降格、戒告処分を受けています。車の持ち主が示談に応じなかったならば懲戒免職ものです。なんとか検事の身分は守ったものの、その後、当時大坪検事が居た京都地検に平検事として赴任しています。

さらに、私をブタ箱送りにした大手パチスロ会社「アルゼ」(現ユニバーサルエンターテインメント)はフィリピンカジノ建設について汚職が報じられて、FBIなどの捜査がいまだに続いているといいますし国税も入っているそうです。これをスクープしたのが、これまた朝日、そしてロイターでした。「ユニバーサル」は朝日、ロイターを訴え、私たちの時とは桁違いの熾烈な裁判闘争が続いています。さらに巨額の株主請求訴訟も起こされています。早晩、なんらかの“結論”が出るものと思います。

平賀記者はともかく、私をハメた人たちには不幸が続きました。「マツオカの呪いか、鹿砦社の祟りか」と揶揄される所以です(苦笑)。「因果応報」――古人もよく言ったもので、人をハメた者は、いつかはみずからもハメられるということです。

先の私の逮捕記事と併せ、画像でアップした3つの新聞記事をご一覧ください。

(鹿砦社 松岡利康)

① 朝日新聞2010年10月2日付け 大坪検事逮捕記事

② 徳島新聞2008年3月26日付け 宮本検事泥酔事件記事

③ 朝日新聞2012年12月30日付け ユニバーサル比カジノ汚職記事

◎7・12「名誉毀損」に名を借りた言論弾圧から10年──鹿砦社は復活した!朝日新聞、当社広告を拒否!

タブーなき月刊『紙の爆弾』!話題の8月号絶賛発売中!

去る4月7日に月刊『紙の爆弾』は創刊10周年を迎え、東京ではライターさんはじめ90名ほどの方々にお集まりいただき、盛況裡に祝っていただきました。

また、同誌創刊直後に突然なされた、「名誉毀損」に名を借りた言論弾圧からも、この7月12日で10年を迎えます。この10年は筆舌に尽くし難い苦闘の日々でしたが、皆様方のご支援により地獄から這い上がり復活することができました。私たちはまず、このことを皆様方にご報告すると共に、同日弾圧の舞台となった西宮に集まり共に今後の前進を誓い合いたく思います(別途HPイベント案内参照)。

2005年7月12日早朝、後に厚労省郵便不正事件証拠隠滅に連座し逮捕・失職するに至る大坪弘道検事に指揮された神戸地検特別刑事部の一群が私の自宅を急襲、本社・東京支社への大掛かりな家宅捜索を行い、私を神戸地検に任意同行し、神戸地検に到着するや逮捕しました。その後、神戸拘置所に移送、全裸にされ尻の穴や性器まで入念にチェックされるという“儀式”(これを、今春からおおせつかった大学の講義で話すと学生諸君は大きな衝撃を受けたようです)を経て独房へ、自らの逮捕を、その日の早朝、一面トップにでかでかと載った朝日新聞で知りましたが、拘置所で流されたラジオでも聴きました。

家宅捜索や捜査は続き、大手取次会社3社、関西の大手書店3社、製本所、倉庫会社、株主会社、取引会社などにも及び大掛かりなものでした。なかでもショックだったのは、日頃「表現の自由」「言論・出版の自由」を口にする大手取次会社や大手書店が、いとも簡単に検察の要求に応じ、関係資料を提出したことでした。

否認しましたので半年余り(192日間)の長期勾留を強いられ、そのうち半分が接見禁止となり、業務上の指示など外部との交通ができなくなりました。否認したら長期勾留も当たり前ということを「人質司法」というそうですが、裁判所が「人権の砦」とか「憲法の番人」とかいうのであれば、「司法改革」は、先の“儀式”とか、こういうところから改めるべきではないでしょうか。

ここまでやられても、一部に「鹿砦社だから仕方がない」とか「これは言論弾圧ではない」とか言われ悔しい想いもしました。会社も壊滅的打撃を蒙り、誰もが見放したと思いますが、ここはどっこい、悪運の強さでは人後に落ちない鹿砦社、“徳俵”に足を残し多くの皆様方のご支援で生き延びることができました。

弾圧から5年ほどで、見通しが明るくなり、その間、本社事務所も倉庫としていたワンルームの学生アパートに蟄居していましたが、2010年9月、甲子園に帰って来ることができ、本社事務所も再開できました。もう甲子園に帰って来ることはできないと思っていましたので、本当に嬉しかったです。

月日の経つのは速いもので、あれから10年、『紙の爆弾』はいまだに続いていますし、鹿砦社は今一番元気な出版社といわれます。ありがたいことです。

この事件の一審判決文に「表現の自由に名を借りた言葉の暴力」という一節がありますが、私に言わせれば、社会的犯罪企業・検察・司法一体となった弾圧は、「名誉毀損に名を借りた言論弾圧」の何物でもありません。

この10年のいろいろなことが走馬灯のように想起され、いささか感傷的になりますが、運良く生き延び復活したことを、ご支援いただいた皆様方と共に喜び合いたいと考え、7月12日、復活の集いを開くことにしました。多くの皆様方のご参集をお願い申し上げます。

ご参加希望の方は鹿砦社本社(電話0798-49-5302、メールアドレスfukumoto@rokusaisha.com)あてご連絡ください。もうかなりの方々の参加申し込みがありますので、お早めにお願いします。先着50名の方に、7・12直後の混乱の中で発行された『紙の爆弾』2005年9月号を進呈いたします。併せて、1部終了後の懇親会ご参加の方はその旨お伝えください。

◆朝日新聞、当社広告を拒否! 検察リークで“スクープ”したくせに恥を知れ!

私たち鹿砦社は奇跡の復活を果たしました。この証として、鹿砦社弾圧を1面トップででかでかと“スクープ”した朝日新聞(大阪本社版)に半5段のスペースで、くだんの7・12に広告(別途画像参照)を掲載すべく早目に(2カ月ほど前に)代理店を通して申し込みました。なんとか掲載するために、料金も朝日広告局が提示した300万円ほどをそのまま呑みました。

ところが、「書籍広告ではない」「(私の逮捕)記事を使えない」等々の理由で掲載を拒否したのです。

この記事は、「朝日新聞」のロゴの左側に掲載されましたので、そのままロゴも入れ画像にして貼り込んで掲載を申し込んだのですが、このロゴも使えないというのです。この記事の画像なしには、今回の広告の意味がありません。

この記事の当事者中の当事者は私松岡ですし鹿砦社です。朝日は、私や鹿砦社をネタに官製記事を作ったくせに何を言ってるんですか!? それに、神戸地検からリークしてもらい、さらにそれを隠して甘言を弄し、私から資料を提供され持ち帰ったのは、当時神戸司法記者クラブにいた朝日の平賀拓哉記者(05年7月12日の記事は平賀記者の署名入りなので顕名にする)だったことを忘れてはいませんか? 恥を知れと言いたいところです。

(鹿砦社 松岡利康)

◎〈生きた現実〉の直撃弾──鹿砦社松岡社長が自身の逮捕経験を「告白」講義
◎「松岡社長逮捕は当然」か?──関西大学「人間の尊厳のために」講義の白熱討論

タブーなき月刊『紙の爆弾』!話題の8月号は本日発売開始です!

平澤貞通著「遺書帝銀事件―わが亡きあとに人権は甦えれ」(現代史出版会1979年4月)

犯罪加害者が自分の起こした事件を題材に本を出していいのか――。神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗こと元少年Aが上梓した著書「絶歌」(太田出版)をめぐり、そんな議論が続く中、私は大変不思議に感じていることがある。

この議論では、永山則夫や加藤智大、市橋達也ら著名な殺人事件の有罪確定者たちの著書があちこちで引き合いに出されている。それなのに、この議論に参戦する人たちはナゼ、以下のような本の存在を黙殺しているのだろうか?

平澤貞通著「遺書帝銀事件―わが亡きあとに人権は甦えれ」(現代史出版会)1979年4月発売 ※発売元は徳間書店
袴田巌著「主よ、いつまでですか」(新教出版社)1992年8月15日発売
菅家利和著「冤罪 ある日、私は犯人にされた」(朝日新聞出版)2009年8月20日発売
須田セツ子著「私がしたことは殺人ですか?」(青志社)2010年4月6日発売
高橋和利著「『鶴見事件』抹殺された真実―私は冤罪で死刑判決を受けた」(インパクト出版会 )2011年5月発売
林眞須美著「和歌山カレー事件―獄中からの手紙」(創出版)2014年7月発売

菅家利和著「冤罪 ある日、私は犯人にされた」(朝日新聞出版2009年8月)

すぐにピンときた人は少なくないだろう。ここで挙げた6人はいずれも「殺人事件の有罪確定者」という立場でありながら著書を上梓している。ただし、のちに再審で無罪を勝ち取った足利事件の菅家利和をはじめ、世間的には冤罪だと確信されているか、もしくは冤罪の疑いが根強く指摘されている。この6人の出版行為を否定する者はいないだろう。つまり、絶歌をめぐり議論になっていることの多くは、冤罪問題を入口に考えれば、議論せずとも答えが出ることなのだ。

こう言うと、「冤罪被害者の人たちを酒鬼薔薇のような犯罪加害者といっしょくたにするな」と思った人もいるだろう。しかし、「冤罪被害者」と「犯罪加害者」を完璧に見分けることは現実的に不可能だ。げんに、菅家をはじめ、ここに挙げた6人の著者たちも当初は世間の大多数の人たちから「正真正銘の犯罪加害者」だと認識されていたのである。

したがって、冤罪被害者が公に向けて無実を訴える機会を保証されるには、正真正銘の犯罪加害者が本を出す程度のことは当然に容認される社会である必要がある。もちろん、本を出すのに実名を明かす必要などないし、遺族に話を通す必要もない。冤罪被害者には、報道などを通じて無実を訴える際に匿名を望む人は存在するし、冤罪被害者が本を出すために遺族に話を通す必要がないことは論じるまでもないだろう。

林眞須美著「和歌山カレー事件―獄中からの手紙」(創出版2014年7月)

表現の自由は、ヘドの出るような表現にも保証されるものだ――というのは、よく言われることである。「絶歌」騒動を見ていると、まったくそのとおりだと改めて思う。ヘドの出るような表現を弾圧すると、一緒に真っ当な表現まで弾圧されることになる。だからこそ、ヘドの出るような表現も、表現の自由のもとに守られなければならないのだ。

絶歌騒動をめぐっては、「市の図書館では購入しない」と宣言し、書店に販売への配慮を求める発言までした明石市の市長という権力者が世間の多くの人から賞賛された。表現の自由をないがしろにする発言をした権力側の人間たちが大バッシングされている百田尚樹騒動より、こちらのほうがよほど表現の自由が危機にさらされている状況だと私は思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

◎発生から15年、語られてこなかった関東連合「トーヨーボール事件」凄惨な全容
◎献花が絶えない川崎中1殺害事件と対照的すぎる西新宿未解決殺人事件の現場
◎3月に引退した和歌山カレー被害者支援の元刑事、「美談」の裏の疑惑
◎国松警察庁長官狙撃事件発生20年、今年こそ「真犯人」の悲願は叶うか

自粛しないスキャンダルマガジン『紙の爆弾』は毎月7日発売です!

6月8日午前10時から東京地裁429号法廷(有賀貞博裁判長)で、5月28日に「建造物侵入」容疑で逮捕された「火炎瓶テツ」さんを含め3名の「勾留理由開示公判」が行われた。

公判前の8時30分、支援する人々は東京地裁近くに集まり、9時30分に30余席しか無い傍聴席の傍聴抽選が行われた。抽選には100名近くが傍聴券を求め列をなし、この「不当逮捕事件」への関心の高さが伺われた。

私は残念ながら傍聴券抽選には外れたが、取材の意義に賛同して下さった有志の方から傍聴券を譲って頂き傍聴をする機会を得た。この場を借りてご協力頂いた方に深くお礼を申し上げたい。

◆「嫌がらせ」としか思えない行為を傍聴女性に行う職員たち

本コラムでご紹介した通り429号法廷はいつも「警備法廷」だ。法廷前では多数の裁判所職員が列をなし、鞄や携帯電話などの所持品は全て裁判所の命令で「一時預り」を強いられた。

筆記用具だけは持ち込みが認められているはずなのだが、女性傍聴者に対して複数の職員が取り囲み「ノートの中を見せろ」と不当な恫喝をかける。私もノートの所持は確認されたが、中を見せろとは言われなかった。

429号法廷では女性に対して、嫌がらせとしか理解出来ない行為が多発していると聞いていたが、目前で不当行為を目にする事になった。私を含め数人が「自分はノートの所持を確認されただけなのに何故この人にだけ内容確認を強要するのか」と問い詰めると職員は何と「金属探知機」を持ち出し、女性のノートの裏表に「金属探知機」をかざし(何の意味があるのか?)「ご協力有り難うございます」と発言し、去って行った。

◆警察官に連れられて入廷した「被疑者」と言う名の「不当逮捕被害者」

傍聴者が法廷に入ると裁判官は「傍聴者は声を出したり拍手などをすると退廷を命じます」と恫喝とも言うべき異例の注意を言い渡した。定刻7分遅れで手錠と腰縄をかけられた「被疑者」と言う名の「不当逮捕被害者」が警備の警察官に連れられて入廷し、手錠と腰縄を外され、正面から裁判官と向かい合う位置に二人、弁護士席の前に警察官を挟んで着席した。

この着席位置に弁護側から「被疑者を全員弁護士席の前に着席させよ!」と要求が出されたが、裁判官は取り上げなかった。が判官が事件名を小さな声で読み上げ、弁護側の主張に移った。

弁護士は「本件は逮捕建造物侵入を容疑とした逮捕自体が不当であり、3人は即時に保釈されるべきである」と8項目の求釈明を求めた。しかしそれに対して裁判官は肝心な質問には「答えません」とまともな回答をしない。堪り兼ねた傍聴席から「説明しろ」と声が上がると、裁判官はすかさずその傍聴者に「退廷を命じます」と最初の退廷を出した。

◆被疑者の住所を不明としながら3人の自宅の家宅捜索を行った不合理

その後も弁護団から厳しい質問が相次ぐが、相変わらず裁判官は「答えません」を連発する。

明らかに裁判官は回答から逃げており法律の素人にもその矛盾が明らかだった。

特に勾留の理由に被疑者の住所が不明としながら3人の自宅に家宅捜索を行っている不合理は際立っていた。

その後、3被疑者の意見陳述に移り、各人が10分不当逮捕を糾弾した。被疑者の発言に共感した女性が小さく拍手をすると、裁判官はまたしても退廷を命じ、5、6人の職員が女性を抱え上げ法廷から排除した。

次いで弁護団の意見陳述が行われ「明確な不当逮捕」を厳しく追及して、一連の審理は終わった。

◆閉廷後にも拘わらず「全員退廷!」命令を出した裁判官

その瞬間、傍聴席から「仲間を取り返すぞ!」と大声が上がった。すると傍聴席に控えていた職員が傍聴席と法廷の間に列をなし傍聴者の静止を試みる。しかし法廷内の被疑者は両手を上げて強い意思を示し、応じるように傍聴者から次々激励と裁判官糾弾の声が相次ぐ。

たまらずに裁判官は閉廷後にも拘わらず「全員退廷!」命令を出した。

午後2時、裁判所は3人の保釈決定を弁護団に伝えて来た。

午後6時半、釈放された3人がテント前広場に集い報告集会が行われている。


◎[参考動画]岩上安身による火炎瓶テツ氏インタビュー(2013年12月30日)


◎[参考動画]火炎瓶テツさん、「憲法改悪と護憲」について語る(2013年4月29日)


◎[参考動画] 火炎瓶テツ@辺野古新基地建設NO!防衛省抗議行動(2015年1月13日)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎火炎瓶テツさんの勾留理由開示公判が東京地裁「429号法廷」で行われる意味
◎「火炎瓶テツさんを救え!」が始動──6月8日東京地裁で「勾留理由開示」公判!
◎火炎瓶テツさんら経産省前「不当逮捕」が示す安倍ファシズム第二段階本格稼働
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す
◎〈生きた現実〉の直撃弾──鹿砦社松岡社長が自身の逮捕経験を「告白」講義

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先日来お知らせしている「火炎瓶テツ」氏の「勾留理由開示公判」が6月8日(月)10時から東京地裁429号法廷で行われるとの情報を得た。

やはりかと思ったが、法廷は「429号」だった。

東京地裁429号法廷は特別な法廷だ。通常の法定であれば刑事事件(裁判員裁判の殺人事件)であっても、民事事件であっても、傍聴席に空席がある限り、開廷前であれ、開廷中であれ誰でも法廷の傍聴席に自由に出入りできる。

が、東京地裁「429号」法廷は特別だ。ここは常時「警備法廷」として準備されている特別に警戒が厳しい部屋として、業界では悪名高い。

通常の法廷であれば傍聴者は荷物を持って傍聴できるけれども、「429号」法廷の場合ほぼ間違いなく裁判所の職員に鞄所持品、携帯電話などを預けなければならない。加えて私の過去の経験から言えば、裁判所入所時に金蔵探知機で所持品を調べられているのに、この部屋に入る際に更に全身を調べられた。

部屋の前の廊下には目つきの鋭い裁判所職員(?)が常駐し、その姿は何も知らずに訪れると、相当威圧感を受ける。

◆「429号法廷」とは傍聴者たちに対しても「本気で弾圧するぞ」という権力の意思表明

「火炎瓶テツ」氏の「勾留理由開示公判」が429号法廷で開かれること自体、裁判所や検察は「本気で弾圧するぞ」と言う意思を示していると了解しても間違いないだろう。この場所は主として新左翼活動家や暴力団の抗争などの刑事事件で専ら使われる法廷でもある。

当日、傍聴予定の方はあらかじめ、そういった場所であることを覚悟しておいた方がいい。一般の法廷と雰囲気が全く違う、威圧的な雰囲気の中で「勾留理由開示公判」は行われる。

高々建造物侵入(といっても「押し入った」わけではないのに)容疑で「警備法廷」をあてがうほど、国家(権力)は警戒しているということだ。

「火炎瓶テツ」とその仲間たちは丸腰の人ばかりなのに。

◎[参考動画]2015.05.28『戦争法案反対国会前集会』シュプレヒコール【5/10】

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎「火炎瓶テツさんを救え!」が始動──6月8日東京地裁で「勾留理由開示」公判!
◎火炎瓶テツさんら経産省前「不当逮捕」が示す安倍ファシズム第二段階本格稼働
◎合法ラディカルな自由メディアの天使「ノエル」少年を権力が恐れる本当の理由

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6月3日夜(19時~21時)警視庁東京空港警察署(羽田)で、先月28日に不当逮捕され、現在も同署に勾留されている「火炎瓶テツ」氏への激励行動が行われた。警視庁は都心からわざと通いにくい場所を選定して彼らの勾留を決めたのだろう。だが平日の夜にもかかわらず約70名の人が集まり、次々に激励のメッセージを語ったり、歌で伝えたりした。同様の激励行動は5月30日(日)の日中にも行われていて、その際は100名を超える人が参集したという。激励の場では、警察署内の「火炎瓶テツ」氏から(弁護士経由)のメッセージが読み上げられた。「30日激励行動の声が二度聞こえた」と。

激励行動に参加した複数の人がその模様を中継していた。中継画面を視聴している人数も数百人に上る。「火炎瓶テツ」氏逮捕が如何に注目されているかを示す数字だ。

◆凄まじい拡大解釈による「接見禁止」で被疑者の心を萎えさせる

3日は空港から警察署まで徒歩10分ほどの間に私服制服警官が数人、警察署では20名程の警察官が警備にあたっていた。現在「火炎瓶テツ」氏は「接見禁止」(弁護士以外の面会が許されず外界と完全に遮断される)が付けられている。最近集会やデモで逮捕された人には微罪であっても裁判所はいとも簡単に「接見禁止」を出す。「接見禁止」は証拠隠滅や逃亡の恐れがある被疑者に基本限定されるはずだが、その拡大解釈振りも凄まじい。

逮捕勾留された経験のある人物(西宮市に本社のある出版社社長)によると「接見禁止はきつかった。弁護士も毎日来てくれるわけではないし、こちらから手紙は出せても返事は一切受け取れない。あれが長期間続いたら精神がどうなっていた事やら」とその辛さを語っている。某出版社社長は神戸の不便な場所に勾留され、しかも突然の事件で支援体制も整っていなかったことから外部からの声援などでの応援はなかった。

◆「逮捕されたら絶対に黙秘してください、黙秘が最大の武器です」(山田悦子さん)

だが、別の逮捕経験者によると、警察署あるいは拘置所外部からの激励は、時としてとても大きな力になるという。まだ若かったある活動家はデモの際に逮捕勾留され連日の厳しい取り調べの中で「完黙」(完全黙秘、事件についての聴取で何も語らないこと)を貫こうとしたが、精神的に参ってしまい、不覚にも供述を始めてしまった。その時警察署の壁の外から「××君絶対完黙で頑張れよ!」との声が聞こえ、ふと我に返り再び「完黙」を貫き通せたという。

甲山事件で冤罪被害者にされた山田悦子さんは講演の度に「逮捕されたら絶対に黙秘してください、黙秘が最大の武器です」と語っている。

何を言いがかりに逮捕されるか、少し真面目に政治や社会のことを考えて行動している人には全く油断のならない時代だ。運悪く逮捕されても、余程無茶な起訴をされないかぎり23日で勾留は終わる。その間肝要なのは「完黙」を貫くことだ。取調官は時に甘い言葉で、時に脅しを込めてあれこれ誘導してくるが、とにかく逮捕された件については一切話をしないことが、その後の裁判の行方を左右する。

こんな事、「火炎瓶テツ」は先刻ご承知だろうけれども、今外から彼を支援している人の中にまだご存知ない方がいるかもしれないので念のためお伝えする。

◆6月8日東京地裁で行われる「勾留理由開示」公判の重要性

尚、「火炎瓶テツ」は勾留理由開示公判を要求し、時刻は未定も8日月曜日に東京地裁で公判が開かれる。勾留理由開示公判とは被疑者が「なぜ勾留されなければならないか」を裁判所に問いかけ、明らかにするための特別な法廷だ。不当逮捕や弾圧の際には保釈へ向けた意思表示の一助となるし、「接見禁止」が付けられていても、法廷で傍聴人と顔を合わすことが出来るというメリットもある。勾留理由開示公判は勾留に納得しない被疑者が裁判所をいわば追求する場でもあるので、時に荒れる。

傍聴券が出るほどに傍聴人が参集すれば裁判所に対する大きな圧力になる。東京在住でお時間のある方は関係者に時刻ご確認の上8日は東京地裁へお出かけになると貴重な体験が出来るかもしれない(尚、世間の注目が高まったり、勾留理由開示公判を請求すると、微罪の場合その直前に保釈されるケースも多いので念のため)。


◎[参考動画]2015.05.29「不当逮捕への抗議と…仲間への激励行動」警視庁丸の内警察署前【1/2】

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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そろそろ福岡県警をぶったたくタイミングが来たようだ。僕は福岡県警を叩き、工藤會に味方する。なにしろ福岡県警は強引だからだ。

たとえば5月15日、福岡県内にある指定暴力団工藤會系の組員が広島県内で拳銃を不法所持した疑いが強まったとして、警視庁は5月15日、福岡県中間市と北九州市の組事務所を容疑者不詳のまま銃刀法違反(加重所持)の疑いで家宅捜索したようだ。

◆逮捕の理由が強引すぎる福岡県警

組織犯罪対策5課は、捜索容疑として組員が昨年1月ごろ、広島県内で回転式拳銃1丁と実包6発を密売人から購入し所持したとい点をあげている。朝日新聞によると「工藤會のヒットマンをしている組員が幹部の指示・命令で、拳銃と実包を20万円で購入し、ある事件で使った」との情報が昨年8月に寄せられたことなどから捜索したようだ。

だが、中間市の組事務所には午前9時過ぎ、捜査員約30人が入ったものの、いずれの事務所でも押収物はなかった。5月22日には、福岡県北九州市で起きた歯科医師に対する殺人未遂事件で、実行犯に殺害を指示したとして、警察は、全国で唯一の特定危険指定暴力団・工藤會のトップら4人を再逮捕した。(朝日新聞2015年5月22日

再逮捕されたのは、工藤會総裁の野村悟容疑者(68)やナンバー2の田上不美夫容疑者(58)ら4人。野村容疑者ら4人は去年5月、北九州市小倉北区で歯科医師の男性を殺害するよう配下の組幹部らに指示した疑いが持たれているという。男性は刃物で襲われ重傷を負い、実行役とされる工藤會系組幹部ら4人が逮捕・起訴されていた。

「県警察は、県民の願いである工藤會の壊滅に向け、いささかも手を緩めることはありません」(福岡県警 吉田尚正本部長)

そうこうしているうちにこんな判決も出た。

「工藤会理事長代行・木村被告に懲役3年判決」(読売新聞2015年05月27日)

組長を務める暴力団事務所が入居するビルを脅し取ろうとしたとして、恐喝未遂罪などに問われた特定危険指定暴力団工藤会(本部・北九州市)理事長代行の木村博被告(62)の判決が26日、福岡地裁であった。岡部豪裁判長は「暴力団特有の身勝手で反社会的な犯行」と述べ、懲役3年(求刑・懲役4年)を言い渡した。
岡部裁判長は動機を、ビルを組事務所として使用し続けるためと認定。配下の組員らに脅迫させるだけでなく自らも脅していたとして、「極めて執拗で、被害者に強い恐怖感を与えた」と指摘した。判決によると、木村被告は北九州市八幡西区のビル所有者の親族に対し、2009年6月、「事務所を売れ」と脅迫。昨年7、8月には他の組幹部らとともに、親族らを「あんたの嫁や子供たちと話をするわけにはいかんからな」と脅し、ビルを取得しようとした。(読売新聞2015年05月27日

◆「推定無罪」の事件を執拗に掘り起こす裏にある「天下り先作り」

工藤會に対する福岡県警のやり方を見ていると、まずは「暴力団壊滅のモデルケースとするのだ」という福岡県警の意地と、強引さを感じる。たとえば総裁の野村悟が、1998年に同市で起きた漁協の元組合長射殺事件に関与したとして、福岡県警に逮捕された発表した。ナンバー2で会長の田上(たのうえ)不美夫(ふみお)も殺人などの疑いで指名手配された後、逮捕された。

「なぜわざわざ16年前の事件を掘り起こしてまで逮捕したのか。射殺に関して共謀したとされるが、まったく物理的証拠はなく、証言だけだ。こんなものが通ったら、たれ込みがあったら、物理的証拠がなくても誰もが犯人にされちまうぜ」(都内弁護士)

16年前の事件で実行犯らの有罪がすでに確定している。実行犯ですら、総裁や会長たちの関与は語っていない。つまり、98年2月18日に同市小倉北区の路上で起きた脇之浦漁協の元組合長(当時70)射殺事件に関与した疑いがあるというが、限りなく「シロに近い」かもしれないのだ。

今の時点で、この疑惑については「推定無罪」なのだ。にもかからわらず、弁護士によると「身に覚えがない」と否認しているという。暴力団対策センターや反暴力団体などがいくつもでき、警察のOBが講演や勉強会などで飯を食うための措置が何重にもとられているのだ。

「工藤會へのアプローチは警察にとっては、見ばえがいいものかもしれないが、天下りの理由を作っているということも忘れてはいけない」(ヤクザ雑誌ライター)

福岡県警に聞いたところ「平成26年には、16人の暴力団員が『脱組』を希望したが、工藤會かどうか確認していない」という。福岡の暴対センターも声高に「組からの離脱者を増やす」といっているくせに、「昨年の16人が離脱の希望者のうち、工藤會が何人いるかは掌握していない」という。おいおい、ふざけるのもいいかげんにしたらどうだ。じゃあ、警察と連携している暴対センターはどうだろう。

県警も、暴対センターも、工藤會の殲滅をさんざんアピールしておきながら「離脱者のうち、何人が工藤會かわからない」とは、いったいどういう了見だろうか。ふざけるにも限度というものがある。

ゆえに、工藤會を締め付けて「派手にヤクザを締め付けたという印象を全国にアピールしたい」という邪な感覚が署長にはあったといえまいか。

◆工藤會がいまも有する「昔ながらの川筋気質」

工藤會は、昔ながらの川筋気質で「工藤會を取材しましたが、駅についた時点から、客に鞄を持たせない。何台かで組事務所まで送っていただきましたが、きちんと車がスムーズに通るようなフォーメーションもできています。昔ながらの川筋気質で、極道の中でも本格派ですよ。そうした気質があるからこそ、意地でも警察には負けられないのでしょう」(影野臣直・作家)

工藤會の幹事長代行の木村博も、「事務所がはいっているビルを工藤會にただでくれ」と脅したとして逮捕されている。これも否定しているという。要するに、いずれの案件もすべて「推定無罪」なのだ。なのに、工藤會は危険だ、というイメージを植え付けているのが警察連中だ。これは、権力による「蠕動」だといっても言い過ぎではない。

◆「われわれはマグロなどの回遊魚と一緒」(木村工藤會幹事長)

2012年11月末、年末のあわただしい中で鹿砦社の書籍『「改定」暴対法―変貌するヤクザと警察』(田口宏睦著 岡田基志監修)の取材に応じてくれた木村幹事長(当時・現在は理事長代行)は、気さくにさまざまなことを話してくれた。
「われわれはマグロなどの回遊魚と一緒。動いていないとおぼれて死んでしまう」と語っていた。つまり、警察の締め付けがいくらきついからといって、音をあげていては、ヤクザとしての矜持に関わるというのだ。

「そりゃ、警察がいくら締め付けても、金儲けの知恵を考えて、すり抜けるのがヤクザ。どんなに締め付けても音をあげないと思いますよ」(前出・影野臣直)
僕が警察に対する怒りを感じるのは、福岡県に福岡県警が差し込み、「有害図書」としてコンビニエンス協会から僕と宮崎学で作ったヤクザが主人公の漫画本を撤去させたからだ。宮崎学は怒り心頭となり、福岡県相手に訴訟を起こした。当然のことだ。宮崎学ブログ(http://miyazakimanabu.com/2010/04/01/691/)

僕は作家を守り、出版社は見放した。たったそれだけのことだが、僕は宮崎の側に立ち、裁判に協力した。2014年7月に、この訴訟は宮崎側の負けとなるが、実にこの訴訟は勉強になった。

なにゆえに、福岡県警は、工藤會相手に「おとなげない」ほどにむきになるのだろうか。

人権派弁護士は匿名を条件に「ヤクザへの締め付けがなぜこんなに厳しくなったのか」について語る。

「警察が対ヤクザのNPOや社団法人に天下りしたり、企業に『対暴力団コンサルタント』的に雇ってもらったりするためでしょう」

僕から見て「茶番」に見える警察の工藤會殲滅作戦は、いつまで続くのだろうか。税金をもっと有効的に使っていただきたいものである。

(小林俊之)

◎むやみやたらと強化される「ドローン」規制の余波
◎見直すべきは選挙制度であって、憲法ではない──横浜「5.3憲法集会」報告
◎731部隊の「ガチンコ人体実験」跡をユネスコが「世界文化遺産」と認める日

『「改定」暴対法―変貌するヤクザと警察』(2013年2月鹿砦社)

 

 

関西大学で共通教養科目の中のチャレンジ科目として開講されている『人間の尊厳のために』の非常勤講師、鹿砦社松岡利康社長の2回目の講義が5月29日行われた。先に本コラムでご紹介した通り、講義1回目は松岡社長(鹿砦社)の社会的活動紹介に中心を据えた内容で、とりわけ高校の同級生であった東濱弘憲さんが熊本で始めた「琉球の風」について詳しく紹介された。

前回の講義では「はじめに─〈人〉と〈社会〉との関わりの中で、〈死んだ教条〉ではなく〈生きた現実〉を語れ!」と題したレジュメが配布されたが、言及された「現実」とは音楽活動(琉球の風)や文化・教養活動(西宮ゼミ)が中心であり、出版社として「人」や「社会」と関わってゆく姿勢の、いわば「前向きな活動」紹介だったと言える。

◆10年前の逮捕経験を静かに語り始めると、空気が変わった

29日の講義でも冒頭は10数分「Paix2(ぺぺ)」の活動を紹介するテレビ番組が上映され、参加学生は「このまま講義は進んでいくのだろう」と感じていたのではないか。

しかし、注意深い学生たちは既に気が付いていたはずだ。この日配布されたレジュメやコピーは先週のそれとは全く内容が異なることに。

「次に、たぶん私がこの教壇に立つことになった経験について語らせて頂きます」と切り出すと、松岡社長は配布資料中朝日新聞朝刊1面に掲載された、自身の逮捕を予告する記事を指し、2005年7月12日に起こった神戸地検特別刑事部による自宅包囲、事務所への連行から、自宅、事務所のガサ入れについて、それまで「琉球の風」や「Paix2(ぺぺ)」を語っていた口調と全くトーンを変えずに語り出した。

配布資料は朝日新聞1面だけでなく、逮捕に批判的な識者談話や有罪判決時の新聞記事、週刊金曜日に何度も掲載された山口正紀氏のメディア批判、さらには裁判の支援呼びかけ人に名を連ねた人々談話などA4両面印刷で4枚、8ページに及ぶ。松岡社長が自身の経験談を語り始める前から熱心にこの資料をめくる学生の姿も散見された。

そして「逮捕されると、全身裸にされて、こんな格好で(実際に命じられた姿勢を体現して)体を調べられるんです。女性も同様だそうです。『裁判所は人権の砦』などと言われますが、有罪も決まっていない逮捕段階で全身裸にされる。これは『被疑者を委縮させる』ためのやり口であり『人間の尊厳』も『人権』もあったものではありません。そして私の場合は『接見禁止』が付きました。弁護士を除く外部の人間と一切の連絡を絶たれたわけです。これは非常に精神的に堪えました。半年余りの拘禁生活で鬱に近い状態になりました。あの状態がもっと続いていればさらに厳しい精神状態になったでしょう」

目の前で講義している人物が、10年前に名誉棄損で逮捕拘留、接見禁止までを食らった人物であることを全学生が認知した瞬間だった。140名ほどが受講する講義だから数名寝ている学生はいるが、私語は一切ない。教室の空気も松岡社長が意識して作り出したわけではないだろうが、それまでとは一変し、緊張が支配する。

◆「輝き」と正反対の「闇」を語ること

さらに、保釈後直ぐに行われたサンテレビによるインタビュー映像が流される。穏やかな表情で、レジュメを目で追いながら、どちらかと言えば小声で話をしている講師はインタビューの冒頭「今のお気持ちを」と問われると「何が何だかわかりませんよ!」と憤然と答えている。インタビュアーに怒っているのではないことは容易に見て取れる。裁判を「自分だけのものではなく闘っていく」との宣言もある。

自身の経験を語るにあたり松岡社長は何度も「生き恥を晒すようですが」と繰り返した。そんなことないじゃないか、司法の暴走被害者が「恥じ入る」必要なんてない、と私は感じたが、彼が語り掛けているのは目前「学生達」だ。主として1年生が受講していることへの配慮もあってか、逮捕拘留から有罪への「生き恥」(松岡流)披露であったが、本来であれば語りたかった(語られるべき)であろう事件の背景や周囲で暗躍した人間たちへの批判は皆無だった。

2回の講義で松岡社長が伝達しようとしたことは「生きた現実」に尽きよう。その「輝き」と、正反対の「闇」。人生論と換言も可能な彼自身の豊穣かつ激烈な経験だったように思う。

◆学生の中で「何か」が確実に動いた

「ちょっと踏み込んだことをすると私のように逮捕されるのがこの世界です。そういう覚悟のない人は踏み込むべきではないし、踏み込むからにはその覚悟を持ってほしい」

口調は相変わらず穏やかである。あくまでも穏やか。それだけにこれほど「ドスの効いた」言葉はない。文字通り「生きた」直撃弾だ。松岡社長が講義中、展開した持論の1つは「安全地帯から何もせずに『表現の自由』だの『言論・出版の自由』というのは簡単で耳触りもいいけども、身を持って実践していくのは並大抵のことではありません」である。

正しく聞こえても実践を伴わない美辞麗句は「空論」に過ぎない。「そんなものは何の価値も迫力もないよ」と彼は繰り返し言外に語っていたように思う。

講義終盤、彼の話は穏やかながら熱を帯びる。静かな熱。あくまで穏やかな語り口。そして「それではこれで私の講義を終わりにしたいと思います」と語ると、教室中から拍手が起こった。

学生の中で何かが確実に動いた瞬間だった。

◎[参考資料]松岡利康=鹿砦社社長によるフェイスブックでの講義報告(2015年5月30日)
https://www.facebook.com/toshiyasu.matsuoka.7/posts/876422795751113

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