幸福の科学事件。武富士事件。長野ソーラーパネル設置事件。DHC事件。NHK党事件。わたしの調査に間違いがなければ、これら5件の裁判は、「訴権の濫用」による損害賠償が認められた数少ない判例である。(間違いであれば、指摘してほしい)

「訴権の濫用」とは、不当裁判のことである。スラップという言葉で表現されることも多いが、スラップの厳密な意味は、「公的参加に対する戦略的な訴訟」(Strategic Lawsuit Against Public Participation)で、俗にいう不当訴訟とは若干ニュアンスが異なる場合もある。

それはともかくとして、日本では不当裁判を裁判所に認定させることはかなり難しい。日本国憲法が、裁判を受ける権利を優先しているからだ。第32条は、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と提訴権を保証している。

 

藤井家の近くにある自然発生的にできた「喫煙場」

◆前訴までの経緯

今、この司法の高い壁に挑戦している人がいる。横浜副流煙事件の加害者として法廷に立たされた藤井将登さんである。前訴で原告の訴えが棄却された後、前訴は不当裁判だったとして、前訴の原告らに損害賠償を求める裁判を起こしたのである。今年3月のことだ。請求額は約1000万円。前訴を基にした「反訴」にほかならない。

妻の敦子さんも原告として将登さんに加わった。非喫煙者であるにもかかわらず、娘と共にヘビースモーカー呼ばわりされたからだ。

事件の発端は、煙草の副流煙をめぐるトラブルである。将登さんが自宅で吸っていた煙草の副流煙が原因で、「受動喫煙症」になったとして、同じマンションの斜め上に住むA家の3人が2017年11月に提訴した。請求額は約4500万円だった。しかし、訴えは棄却された。原告の全面敗訴だった。

前訴の中で、3人の診断書を交付した日本禁煙学会の作田学医師の医療行為が問題になった。A娘を診察せずに診断書を交付していたのだ。実際、前訴の判決は、作田医師による医師法20条違反を認定した。後に、作田医師は刑事告発され、横浜地検へ書類送検された。

こうした事情もあって、藤井夫妻は「反訴」の被告に作田医師も加えた。

◆不当裁判の法理

過去の判例によると、裁判所に「訴権の濫用」を認定させるためには、まず前訴の提訴に事実的根拠がなかったことを立証しなければならない。この点について、藤井さん夫妻のケースでは、判決がそれを認定している。

しかし、それだけで訴権の濫用が認められるかけではない。前訴の提起に事実的根拠がないことをA家の3人が知り得た事情を、藤井さんの側が立証しなければならない。相手の内面を客観的な事実で解明する必要がある。

このあたりの法理について、最高裁は次のような基準を示している。

「訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係(以下「権利等」という。)が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である。」(判例=昭和63年[1988年]1月26日)
 
これが訴権の濫用を認定させる裁判の法理なのである。過去に認定された例が極端に少ないゆえんにほかならない。

◆A夫の陳述書や日誌が裏付ける事実

しかし、藤井夫妻のケースでは、元原告が訴訟提起自体に無理があること認識していた可能性を示す有力な物的証拠がある。たとえばA夫に喫煙歴があった事実を裏付ける書面の存在である。それは前訴でA夫が提出した陳述書である。

「私は、タバコを吸っていた頃は、妻子から、室内での喫煙は、一切、厳禁されていましたので、ベランダで喫煙する時もありましたが、殆どは、近くの公園のベンチ、散歩途中、コンビニの喫煙所などで喫煙し、可能か限り、人に配慮して吸っておりました」

前訴原告が煙草を吸っていたことを自ら認めた陳述書

副流煙の発生源として将登さんの責任を問うていながら、実はA夫自身がスモーカーだったのだ。当然、家族もそれを知っていたと考えるのが理にかなう。実際、引用した陳述書の中で、A夫はA妻から喫煙を注意されたと告白している。

A夫の禁煙歴が発覚したのは偶然だった。この裁判を取材していたわたしが、A家の弁護士を取材したところ、A夫の喫煙歴を認めたのだ。その後、A夫みずからが陳述書(上記)でそれを告白したのである。喫煙歴を隠していたことが、裁判に不利に作用することを見越して取った措置だと思われる。作田医師に対しても、A夫は自らの喫煙歴を告げていなかった。

また、前訴の本人尋問を通じて、A夫の喫煙歴が約25年に及ぶことも分かった。提訴の直前まで吸っていたという目撃証言もある。

 

前訴までの経緯は、『禁煙ファシズム』(黒薮哲哉著、鹿砦社)に詳しい

さらにA夫が前訴で裁判所に提出した日誌(約3年分)も、前訴に事実的根拠がないことを家族3人が認識していた物的な証拠になりそうだ。この日誌には、将登さんが自宅に不在のときに、煙草の臭いがするという記述が少なくとも38箇所ある。その一部を引用してみよう。

「午後4時将登氏、車で外出する。しかし、いつもの臭いの煙草臭入ってくる。風、B、藤井から千葉方向に流れている。(リボンで確認)」(平成30年7月20日)

「8時30分、将登車なし、将登不在のようだ。しかし花のような臭いのタバコ相変わらず入ってくる、独特の臭い、国産のとげとげしたタバコではない」(平成30年8月8日)

「朝9時位から将登の車なし、しかし、甘酸っぱいお香の様な臭いがする。将登不在でも藤井家でタバコを喫っている人がいる。風は西から東へ相変わらず吹いている。」(令和元年11月23日)

つまり将登さんとは別の人物が煙草を吸っていることを認識していながら、将登さんに対して損害賠償を求めたのである。

ちなみに敦子さんと娘さんは非喫煙者である。前訴の被告ではない。4500万円の請求は、将登さんに対してのみ行われたのである。

他にも将登さんを被告とした提訴に根拠がないことを立証する証拠は複数ある。

◆司法制度改革の失敗

小泉元首相を長とする司法制度改革が始まった後、些細なことで訴訟を提起する風潮が広がった。それはますますエスカレートしている。IWJの岩上安身氏や水道橋博士もこうした時代の波に巻き込まれた。

被告にされた側は、提訴により有形無形のストレスにさらされる。精神的にも経済的にも損害を被る。

こんな時代、軽々しい提訴を防止する意味でも、藤井夫妻の「反訴」は重要なプロセスなのである。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

1992年2月に福岡県飯塚市で小1の女の子2人が殺害された「飯塚事件」は、2008年に死刑を執行された久間三千年氏(享年70)について、冤罪を疑う声が根強い。そして今年、事件発生から30年を迎えたこともあり、久間氏に冤罪の疑いがあることを伝える報道がまた相次いだ。私自身、この事件については10数年前から冤罪であることを確信し、取材を続けてきたので、現在の状況には感慨深いものがある。

ただ、冤罪を疑う声が増える中、この事件には、まだ見過ごされている重要な問題がある。今回はそのことを説明したうえで、現在も遺族が再審を請求している久間氏の雪冤につながる情報を募りたい。

◆冤罪処刑が疑われる主な根拠は「DNA型鑑定」と「目撃証言」だが……

久間氏に冤罪の疑いがある根拠として、よく指摘されることが2つある。

1つ目は、有罪の決め手となった当時のDNA型鑑定に誤鑑定の疑いがあることだ。

飯塚事件でDNA型鑑定を行ったのは警察庁科警研だったが、当時の科警研のDNA型鑑定は捜査に導入されてまだ日が浅く、その技術は拙いものだった。実際、科警研は飯塚事件でDNA型鑑定を行ったのとほぼ同じ時期、同じ手法で行った足利事件のDNA型鑑定でもミスを犯し、無実の男性・菅家利和氏を冤罪に貶める元凶となっている。そのことも飯塚事件のDNA型鑑定に疑いの目が向けられる事情である。

2つ目は、目撃証言の内容が不自然であることだ。

警察の捜査では、被害者の女の子2人の衣服やランドセルなどの遺留品が峠道沿いの林に遺棄されていたことが判明し、さらにこの遺留品遺棄現場あたりの峠道に停車中の不審な車を目撃したという人物が見つかっている。そしてこの不審車の目撃証言は、DNA型鑑定と共に久間氏の裁判で有罪の大きな根拠になっている。

しかし、この目撃証人は自動車を運転し、カーブが連続する峠道を下に向かって走行中、すれ違いざまに数秒目撃しただけに過ぎない車の特徴を以下のように異様に詳しく証言していた。それが不自然だと言われるゆえんである。

〈停車していた自動車は、紺色ワンボックスタイプで、後輪は、前輪よりも小さく、ダブルタイヤだった。後輪の車軸部分は、中の方にへこんでおり、車軸の周囲(円周)は黒かった。リアウインドー(バックドアのガラス)及びサイドリアウインドーには色付きのフィルムが貼ってあった。車体の横の部分にカラーのラインはなかったが、サイドモールはあったように思う。型式は古いと思う。ダブルタイヤだったので、マツダの車だと思っていた。〉(久間氏に対する福岡地裁の確定判決より)

すれ違いざまに数秒目撃だけに過ぎない車の特徴をここまで詳細に記憶し、証言することは通常不可能だ。さらに久間さんの遺族が再審請求後、警察がこの証人の供述調書を作成する前に久間さんの家に赴き、久間さんの車を「下見」していた事実も判明し、警察の誘導により作られた目撃証言であることはもはや否定しがたい状況となっている。

私がこの事件について、見過ごされている重要な問題があると指摘するのは、このDNA型鑑定と目撃証言に関することである。

久間氏に対する死刑執行命令書。この紙切れにより久間氏は生命を奪われた

◆久間氏と菅家氏のDNA型を同じだと判定していた科警研

まず、DNA型鑑定で見過ごされているのは、足利事件とのあまりに不自然な「一致」だ。

久間氏に対する福岡地裁の確定判決によると、科警研がMCT118型検査という手法で行ったDNA鑑定の結果、久間氏のDNA型は、現場で見つかった犯人に由来する資料のDNA型と一致する「16-26型」だと判定されている。そしてこの型の出現頻度は「0.0170」だという。つまり科警研の鑑定が正しければ、久間氏と飯塚事件の犯人はいずれも、100人に1人か2人しか出現しないような「16-26型」というDNA型を有していたことになる。

ところが、冤罪が判明した足利事件の菅家利和氏に対する宇都宮地裁の確定判決と比較検証すると、びっくりするような事実が浮かび上がる。科警研は菅家氏と足利事件の犯人のDNA型についても、MCT118型検査という手法で行ったDNA型鑑定で「16-26型」という型で一致すると結論しているのである。そしてこの時はこの型の出現頻度を「0.83パーセント」と算出しているのである。

つまり、科警研はまったく同じ鑑定手法により、飯塚事件の犯人と久間氏、足利事件の犯人と菅家氏の四者のDNA型について、100人に1人前後しか出現しない型で一致すると判定しているわけである。こんな偶然が起こりえるとは考え難く、普通に考えれば足利事件はもとより、飯塚事件のDNA型鑑定も間違っているとみたほうが自然だ。当時の科警研のDNA型鑑定では、実際はそうでないのに「16-26型」と判定する誤鑑定がほかにもあった可能性も否めない。

福岡拘置所。ここで久間氏の死刑が執行された

◆「久間氏以外の真犯人」を見た可能性がある目撃者

目撃証言については、不審車に関する目撃内容は詳細過ぎて不自然だが、証言内容の中に久間氏以外の真犯人を目撃しているのではないかと思える部分もある。この目撃証人は不審車を目撃時、その横に立っていた不審“者”の風貌なども目撃していたとして、以下のように詳しく証言しているのである。

〈八丁苑キャンプ場事務所の手前約二〇〇メートル付近の反対車線の道路上に紺色ワンボックスタイプの自動車が対向して停車しており、その助手席横付近の路肩から車の前の方に中年の男が歩いてくるのをその約61.3メートル手前で発見した。その瞬間、男は路肩で足を滑らせたように前のめりに倒れて両手を前についた。右自動車の停車していた場所がカーブであったことや、男の様子を見て、「何をしているのだろう、変だな。」という気持ちで、停車している車の方を見ながらその横を通り過ぎ、更に振り返って見たところ、車の前に出ようとしていたはずの男が車の左後ろ付近の路肩で道路側に背を向けて立っているのが見えた。男は、四〇代の中年位で、カッターシャツに茶色のベストを着ており、髪の毛は長めで前の方が禿げているようだった〉(久間氏に対する福岡地裁の確定判決より)

久間氏は当時50代で、頭髪はふさふさで、禿げてなどいなかった。つまり、この証人が目撃した人物は、久間氏とは似ても似つかない。証言内容を見ると、男の動きはいかにも変だったようなので、これならばすれ違いざまに数秒目撃しただけでも証人の記憶に残っていて不自然ではない。真犯人を目撃している証言である可能性を改めて検証してみる価値もあると思われる。

そこで、今回の〈1人イノセンスプロジェクト〉では、以下2つの情報を募りたい。

(1)1990年代前半、刑事事件の被疑者になるなどの事情により科警研によるMCT118型検査のDNA型鑑定を受け、16-26型と判定されたことがある人もしくはそういう人をご存じの人

(2)1992年頃、福岡県飯塚市もしくはその周辺で「40代くらいに見える中年の男」で「髪の毛が長めで前のほうが禿げている」「カッターシャツに茶色のベストを合わせることがある」などの特徴を持つ人物(とくに小児性愛者)が存在したことを存じの人

この2つのいずれかに該当する情報をお持ちの方は、私のメールアドレス(katakenアットマークable.ocn.ne.jp)までご一報ください。(1)の情報は、飯塚事件で行われたDNA型鑑定が誤っていたことをより高度に裏づけることになりえる情報です。そして、(2)の情報は、飯塚事件の真犯人の特定と共に久間氏の無実の証明に資する情報です。どうかよろしくお願いします。

※メールで連絡をくださる人は、アットマークを@に変えてください。
※拙編著『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)では、久間氏の死刑執行に至る経緯なども詳細に紹介しているので、関心のある方はご参照頂きたい。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。編著に電子書籍版『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ[改訂版]―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

私はこれまで世間にほとんど知られていない様々な冤罪事件を見つけ、記事を書くなどして冤罪であることを伝えてきた。しかし、その中で実際に冤罪被害者が無罪判決を勝ち取り、雪冤を果たした例は広島の元アナウンサー・煙石博さんの「窃盗」事件や、滋賀の元看護助手・西山美香さんの「人工呼吸器外し」事件など、ごくわずかだ。そのほかの大半の事件では、冤罪の人たちがいまだに犯罪者の汚名を着せられたままである。

そこで今後、私は冤罪を「伝えること」より「晴らすこと」にもう少し活動の比重を置くことにした。その一環として、今回からここで「1人イノセンスプロジェクト」なるものを始める。私がこれまでに取材した冤罪事件について、毎回1件取り上げ、雪冤につながる情報を一般から広く募る試みだ。有意な情報が得られた場合、冤罪当事者に情報提供するなどし、雪冤のために役立ててもらいたいと考えている。

第1回目の今回は、2007年に広島県東広島市の短期賃貸アパートで起きた女性暴行死事件を取り上げる。まずは事件のあらましを説明したうえ、この事件に関して提供をお願いしたい情報の具体的な内容をお伝えする。

◆短期賃貸アパートで女性の撲殺体が見つかり、探偵業の男性が逮捕された事件

この事件は2007年5月4日、山陽新幹線東広島駅から約1キロの場所にある短期賃貸アパートの一室で被害者A子さん(当時33)の遺体が見つかり、発覚した。A子さんは市内の実家で両親と暮らしていた会社員の未婚女性で、この5日前(4月29日)から行方がわからなくなり、家族が警察に捜索願を出していた。遺体は発見時、頭部や顔面を鈍体などで執拗に殴打され、浴室で水を張った浴槽に着衣のまま頭から突っ込んでおり、司法解剖の結果、死因は「外傷性ショック」と推定された。

事件の現場となった短期賃貸アパート

そして2週間近くが過ぎた5月17日、1人の男性が殺人の容疑で警察に逮捕された。広島市で奥さんと一緒にコンビニを経営しながら、副業で探偵業を営んでいた50代の男性Mさんだ。事件前、A子さんは妻子ある男性と交際していたことが相手の奥さんにばれ、トラブルになっており、MさんはA子さんが失踪する6日前(4月23日)から探偵業の業務の一環としてA子さんのトラブルの相談にのっていた。もとを正せば、それがMさんが事件に巻き込まれたきっかけだった。

のちに裁判で明らかになった事実関係を見ると、警察がMさんを容疑者と断定した決め手と思われることは2点ある。1点目は、A子さんが失踪した当日、Mさんが広島市の自宅から車で東広島市に赴き、A子さんと会って一緒に食事をするなどしていたことがファミレスの防犯カメラ映像などから判明したことだ。もう1点は、現場アパートの室内からMさんのDNA型が検出されたことである。

対するMさんは逮捕後、一貫して無実を訴えた。ただし、A子さんが失踪した当日に東広島市に車で赴き、A子さんと会っていたことや、現場アパートに立ち入ったことは認めたうえ、その事情をこう説明している。

「私はその日、A子さんがトラブル相手の奥さんと示談するために必要な示談書の書き方を教えてあげるため、A子さんと会ったのです。最初は東広島駅の近くにある喫茶店で話をしようと思いましたが、A子さんが『知っている人に会いたくない』ということで、現場アパートに行き、その室内で示談書の書き方を教えたのです」

このMさんの説明は客観的事実と整合し、内容的に不自然なところは何もない。そしてMさんがA子さんと一緒に現場アパートに立ち入ったことを認めている以上、その際につばが飛ぶなどして室内にMさんのDNA型が残ってもおかしくない。つまり、一見有力な証拠に思える防犯カメラの映像やDNA型は有罪証拠としてあまり意味の無いものだったのである。

実はそもそもA子さんが現場の短期賃貸アパートを借りたのも、Mさんの助言を受けてのことだった。A子さんはトラブル相手の奥さんから、印鑑登録証明書の提出を求められていたのだが、両親と暮らす実家の住所が記載された印鑑登録証明書を提出することを嫌がっていた。そこでMさんは、「短期賃貸アパートを借り、その住所に一時期的に住民票を移せば、印鑑登録証明書に記載されるのもその住所になる」と助言し、A子さんがそれを実行していたのである。

A子さんが失踪した当日、Mさんと一緒に食事をしていたファミレス

◆怪しげな事実もあったが、それを打ち消す事実も揃っていた

このほかにもMさんが犯人であることを示す決定的な証拠はなく、そもそも、MさんにはA子さんを殺害しなければならない動機も見当たらなかった。ただ、Mさんには、怪しげな事実もあるにはあった。

というのも、A子さんは事件前、トラブル相手の奥さんに示談金として渡すために現金100万円を用意していたのだが、A子さんが失踪した3日後(5月2日)、Mさんがその100万円を自分の交際相手である関東在住の女性に現金書留で送っていたのである。

Mさんはこの怪しげな事実について、「100万円はA子さんから奪ったものではなく、預かっていたものだ」と説明したうえで、100万円を預かった事情や、交際相手の女性に送った事情をこう説明している。

【100万円をA子さんから預かった事情について】
「A子さんに示談書の書き方を教えるために会った際、A子さんからトラブル相手の奥さんとの示談の場に100万円を持っていくつもりだという話を聞かされたので、私は『示談の際にお金を相手に見せると、示談金がつり上がる可能性があるから、お金を持参するのは得策ではない』と助言したのです。そうしたら、A子さんから100万円を預かって欲しいと強く頼まれ、断り切れなかったのです。この時、彼女が100万円を入れていた封筒には、領収書のつづりも入っていたので、一緒に預かりました」

【100万円を交際相手の女性に送った事情について】
「A子さんと会った翌日、交際していた女性から車のエンジンが壊れたことをメールで伝えられ、修理すべきか買い替えるべきか相談されたのです。そこで、『欲しい車を買ってください』と返信し、現金書留でA子さんから預かっていた100万円を送ったのです。私は当時、手持ちの現金と預貯金が200万円程度あったので、A子さんから預かったお金はいつでも返せる状態でした。交際相手の女性にはこれ以前から経済的な支援をしており、この時だけ特別にお金を送ったわけではありません」

このMさんの説明については、にわかに信じられない人が多いだろうと思われる。しかし結論から言うと、このMさんの説明は複数の客観的事実で裏づけられ、否定しがたいものである。

というのも、MさんはA子さんと会った翌日、実際に交際相手の女性から車が壊れたことを伝えられ、相談にのり、車の購入資金として送金した全経緯がすべてメールの記録に裏づけられていた。一方でMさんが交際相手の女性に対し、金を送ったことを口止めするなどした事実は一切なかった。さらにMさんはA子さんから100万円と一緒に預かった領収書のつづりについて、逮捕されるまでちゃんと保管しており、証拠隠滅などをしようとした形跡がまったく見受けられなかったのである。

しかし、結果的にMさんはA子さんを殺害し、現金146万円を奪ったとして殺人罪と窃盗罪で起訴され、裁判でも一貫して無実を訴えながら2011年に最高裁で懲役10年の刑が確定した。起訴内容からすると刑が軽いのは、確定判決で殺人罪が適用されず、傷害致死罪が適用されたためだ。その後、Mさんは山口刑務所で2018年まで服役生活を送り、現在は社会復帰しているが、再審請求する意向を持っている。

◆犯行に使われたのは「黒い車」だと示す情報を隠し続ける警察と検察

実を言うとこの事件には、Mさんとは別の真犯人が存在することを示す事実も複数存在する。

まず、Mさんの裁判では、現場アパートの室内に残されていたM子さんのスーツの上着から、身元不明の人物の血痕が検出されていたことが判明している。Mさんを有罪とした裁判官たちはこの血痕について、スーツの縫製をした人が作業の際、指を誤って針で刺し、出血したために付着した可能性があると判断し、真犯人のものである可能性を否定したのだが、確たる根拠があるわけではない。

さらに私がこの事件の調査を重ねる中、真犯人の特定に結びつく事実について、警察、検察が隠していることも判明した。というのも、警察はMさんを逮捕後もしばらくこの事件が複数犯であることを前提に捜査を続け、Mさんの共犯者を執拗に探すと共に、Mさんに「黒い車」を探した人物を探し回っていたのである。

私はこの事実について、Mさんの周辺の様々な人から聞かされた。中には、Mさんが逮捕される数日前、Mさんに会っていたというだけで、口腔粘膜細胞を採られ、DNA型鑑定をされた人もいたほどだ。

これはつまり、警察がこの事件を捜査する中、犯人が黒い車を犯行に使っていたことを示す事実を見つけていたからに他ならない。一方、Mさんが事件当時に乗っていた車は白のスカイラインだから、警察はMさんに黒い車を貸した共犯者が存在するとみて、該当者を必死に探していたのである。

普通に考えると、警察が「犯人は黒い車を犯行に使った」と確信していたのは、事件が発生したのと近接した時間帯に現場周辺で不審な「黒い車」が目撃されていたり、防犯カメラの映像に映り込んでいたりしたからだろう。そこで今回は、そういう情報をこの場で募りたいと思う。

2007年4月下旬から5月初旬頃、東広島市もしくはその周辺で「黒い不審車」を目撃した情報を警察に寄せた人や、「黒い不審車」が映り込んでいた防犯カメラの映像などを警察に提出した人、あるいはそのような人を知っている人がいれば、私のメールアドレス(katakenアットマークable.ocn.ne.jp)までご一報ください。あなたがお持ちの情報は、無実の罪で10年の懲役を強いられた冤罪被害者を救う可能性があるのみならず、凄絶な暴行により女性の生命を奪った人物を見つけ出す糸口になる可能性があります。どうかよろしくお願いします。

※メールで連絡をくださる人は、アットマークを@に変えてください。
※私は、過去に冤罪File第11号にもこの事件に関する詳細な記事を寄せています。冤罪Fileのバックナンバーは公式ホームページから購入可能なので、関心のある人はこの記事も参照して頂けたら幸いです。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。編著に電子書籍版『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ[改訂版]―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

7日発売! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年7月号

13日発売!〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年夏号(NO NUKES voice改題 通巻32号)

横浜副流事件の弁論準備(法廷ではなく会議室で開く打ち合わせ)が、16日、テレビ会議の形で開かれた。原告の藤井敦子さんと古川健三弁護士は、横浜地裁へ出廷したが、被告(作田学医師、A家の3人)の片山律弁護士、山田義雄弁護士の両名はオンラインの形で出席した。被告の作田学医師とA家の3人は欠席した。

原告と被告の双方が準備書面と証拠を提出した。

 

◆約4500万円の金銭請求

この事件の発端は、既報してきたように2017年11月にさかのぼる。横浜市青葉区のマンモス団地に住む藤井将登さんが、同じ建物の斜め上に住むA家から、煙草をめぐる裁判を起こされたことである。将登さんが吸う煙草の副流煙で、「受動喫煙症」に罹患したというのが提訴理由だった。請求額は、約4500万円。A家は、将登さんに対して金銭請求だけではなく、自宅内での喫煙禁止も求めていた。

しかし、将登さんは自宅ではほとんど煙草を吸っていなかった。防音構造になった2重窓の「音楽室」で1日に2、3本吸う程度だった。それにミュージシャンという仕事柄、自宅を不在にすることが多く、煙の発生源自体がない場合もあった。たとえ副流煙がA家に流れ込んでいても、その発生源が将登さんであるという根拠はなかった。

裁判は、提訴から1年後に合議制(3人の裁判官が担当)になった。重大事件という認識が横浜地裁に生まれた結果である。

藤井家の「音楽室」とA家の位置関係

◆過去に25年の喫煙歴がある被告

新しい裁判体制になったのち、原告にとって不都合な事実が次々と明らかになった。

まず、原告一家のA夫に約25年の喫煙歴があった事である。提訴の時点では、A夫は非喫煙者だったが、過去に長い喫煙歴があったのだ。癌が再発して煙草を断った経緯がある。

さらに提訴の有力な根拠となった診断書の1通が、原告本人を直接診察せずに交付されていた事実が判明した。それは、A娘の診断書だった。この診断書を作成したのは、禁煙学の権威として名あり、影響力のある日本赤十字医療センター(東京都渋谷区)の作田学医師だった。日本禁煙学会の理事長でもある。

診断書交付の経緯は単純だ。A娘が体調不良で外出できなかったので、両親が日本赤十字医療センターへ足を運び、作田医師と面談して診断書交付に至ったのである。

その際、両親はA娘が他の医療機関から交付してもらった診断書を持参した。作田医師は、それを参考にし、さらには両親からA娘の症状を聞き取り、病名を「受動喫煙症」などと付した診断書を交付したのである。

横浜地裁は、2019年11月、Aさん一家の訴えを棄却した。そして作田医師による診断書交付行為を医師法20条違反と認定した。実際、作田医師とA娘は、何の面識もなかった。インターネットを使った面談も実施していなかった。それにもかかわらず作田医師は、診断書に「団地の1階からのタバコ煙にさらされ……」とあたかも現場を確認したかのような記述をしたのである。

※医師法20条:「医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。但し、診療中の患者が受診後二十四時間以内に死亡した場合に交付する死亡診断書については、この限りでない。」

 

事件を詳しく記録した『禁煙ファシズム』(鹿砦社)

◆裁判の「戦後処理」

A家の3人は東京高裁へ控訴した。しかし、東京高裁は2020年10月、控訴を棄却した。問題の診断書については、診断書の域ではなく、意見書にすぎないと断じた。(前訴の原告による証拠説明書によると、公式には診断書である。)    

前訴は、将登さんの勝訴で終結した。

その後、藤井夫妻と支援者らは、裁判の「戦後処理」に入った。訴訟の濫用や不当訴訟のほう助に対しては、関与した者の責任を追及するというのが支援者らの方針だった。前訴が進行したいた時から、「反訴」を予定していた。

前訴の判決が確定した後、作田医師に対して2つの法的措置を取る段取りに入った。まず、最初は刑事告発である。藤井夫妻を含む7名が作田医師とA家の3人を神奈川県警青葉署に告発した。青葉署は事件を捜査して、作田医師を横浜地検へ書類送検した。しかし、地検は作田医師を不起訴とした。これに対して藤井さんらは、検察審査会に審査を請求した。検察審査会は、「不起訴不当」の議決を下した。その後、検察は2度目の不起訴を決めた。

事件は、その数日後に時効となった。しかし、検察審査会の「不起訴不当」の議決は、刑事告発の正当性を裏付けている。

今年3月に、藤井さん夫妻は「戦後処理」の次段階に入った。前訴を提起されたことで生じた損害を賠償させるための民事訴訟の提起である。事実的根拠のない診断書を基に高額の金銭請求を迫られ、経済的にも精神的にも損害を受けたというのが、藤井夫妻の主張である。

日本では憲法により提訴権の尊重が重視されているが、事実ではないことを根拠に裁判を起こしたり、勝訴の可能性がないことを認識しながら提訴に及んだ場合は、訴権の濫用になる。件数こそ少ないが、そのような判例がある。たとえば武富士事件である。NHK党事件である。

この点、A娘の診断書は不正確で誤診の可能性もある。A娘の症状は、心因性の疾患か知れない。また、たとえA娘が化学物質過敏症であっても、その原因が副流煙とは限らない。たとえば化合物イソシアネートは、化学物質過敏症の有力な要因で、米国では使用が厳しく規制されている。しかし日本では野放しになり、日常生活に入り込んでいるので、病因として考え得る。

化学物質過敏症の診断は難解を極めている。それにもかかわらず作田医師は、A娘に対して問診すらしていない。

作田医師がA娘を直接診察していないわけだから、診断書が不正確なものになっても不思議はない。

作田医師は前訴の原告ではないが、事実的根拠のない診断書を作成して、A家の代理人である山田弁護士に送付したわけだから、責任を免れない。しかも、裁判が始まると、A家のために意見書を繰り返し提出するなど、裁判そのものにも深くかかわった。意見書のなかで藤井家に対して喫煙を控えるように警鐘も鳴らしている。現地取材で事実を確認することなく、藤井家を副流煙の発生源と摘示して忠告しているのである。

◆A夫の喫煙歴を家族も認識していた

裁判の争点は複数に及ぶが、わたしは2点に注目している。まず、第一にA夫に約25年の喫煙歴があった事実である。A妻もA娘もそれを知っていた可能性が高い。当然、A妻とA娘は、A夫による副流煙による人体影響を受けている可能性が高い。しかし、それを認識していながら、A家の3人は、将登さんに損害賠償を求めたのである。

改めて言うまでもなく、作田医師の支援がなければ、こうしたことはできない。

◆診察・処方箋と診断書交付行為は別

第2の注目点は、前訴の判決が認定した作田医師による医師法20条違反を、裁判所がどう再評価するのかという点である。

作田医師の代理人、片山律弁護士は、準備書面(1)の劈頭(へきとう)で、同医師の無診察の診断書交付行為は、医師法20条違反には該当しないという主張を展開している。片山弁護士がこの主張の根拠としているのは、たとえば加藤義夫氏の『実務医事法第2版』である。片山弁護士の引用部分を再引用してみよう。

「治療の目的は、患者の症状に対する的確な診断がなされることにより、治療が適切に行われるようにすることにある。したがって、『診察』がなされたといえるために医師がどの程度のことを行うべきかは、初診か再診か、前回の診療時からの時間的経過、症状の重さ、緊急性等の具体的事情によって異なるといわざるを得ず、形式的に当該治療の際に診察がおこなわれなかったというだけで、同条に違反したものとは解すべきではない」

しかし、この記述は、無診察の処方箋についての解説である。診断書の「交付行為」について言及したものではない。

また無診察で行われた診断書交付を合法とする広島高裁の判決(昭和27年う台43)を持ち出しているが、このケースも作田医師のケースとは整合性がない。広島のケースは、医師が診断書を交付する直前に診察をしなかったことをもって不法行為とはいえないというだけで、それ以前に診察歴があるケースである。また、患者の症状もすでに固定していたので、診断を変更する必要もなかった。判決文の重要部分を引用しておこう。

【原典】診断書交付の当日診察した事実がないとしても、その前の診察の結果を医学的知識経験に照らし、これらか察して変化の予想されない場合、いいかえれば、人の健康状態に関する判断の正確性を保証し得る場合には、その都度診察しなくとも、前の診察の結果にもとづいて診断書を交付しても敢えても違法とはいえない。

しかし、作田医師の場合、A娘と面識すらなかった。寛容に解釈すれば、他の医師がA娘のために作成した診断書を「前の診察」と拡大解釈することも一応はできるかも知れないが、しかし、作田医師はA娘の診断を「受動喫煙症」のレベル3から4へ、1段階格上しており、その根拠が分からない。しかも、本人を問診することなくレベル判定を変えたのである。

広島高裁の判決は、見ず知らずの人、面識のない人の診断書を交付してもかまわないとは言っていない。通院歴のある患者を前提に記述されているのである。

さらに片山弁護士は、無診察の状態で薬剤を処方したことが医師法20条違反には該当しないとする判例(千葉地裁平成12年6月20日)を持ち出して、作田医師の場合も、この判例が適用されるべきだと主張している。しかし、この判決は、無診察を前提に診断書の「交付行為」を合法としたものではない。処方箋を合法とした判例である。事実、判例の解説にも、「(なお、診断書の作成等については本件の判旨外であるから以後触れない)」と記されている。

これら3件の引用は原典の趣旨を歪曲して、みずからの主張展開に利用したものである。引用の基本的なルールすら無視しているのだ。

◆最大の問題は不正確な診断書の交付

仮に面識のない患者の診断書を「交付」する行為が、医師法20条に違反しないとすれば、医療界に大変な混乱が生じるのではないか。秩序は崩壊して、嘘の診断書が独り歩きすることになりかねない。患者本人が知らないうちに、自分の診断書が交付され公務所へ提出されていたという事態も起きかねない。

今後、裁判の中で解明されなければならないのは、作田氏は何が目的で医師法20条に違反してまで、A娘の診断書を交付したのかという点である。これについては次の客観的な事実が参考になる。

A娘の診断書が交付された同日に、山田弁護士は将登さんに内容証明を送付した。その後、警察の捜査がはじまった。さらに、将登さんに対する高額訴訟へと発展した。診断書がこれら一連の行為の根拠になっていたことが、時系列から読み取れる。作田医師がA娘の診断書を交付した後、A家らの対処が過激になっているのである。

作田医師は、前訴の原告だったわけではないが、自身が作成した診断書が、その後の係争の引き金になっているのは、重い事実である。

※なお、前訴までの経緯は、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)に記録している。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年7月号

「人間というのは、自分のやったことを決着できるから生きられる。決着できないで、自分の中にずっと持ち続け生活していくということは、辛いことだと思う。自分が昔泥棒した事実は消えない。もし、その泥棒で誰かの人生が変わったら、取り返しがつかない。
 犯罪とは、そういうことだと思ったら、(布川事件の)真犯人が逮捕されず刑務所に行かなかったら、『あんた気の毒だね』と考えてしまう。(真犯人が)決着をつけていたら、また違う人生があったかもしれない」

冤罪・布川事件で29年間服役し、その後再審で無罪が確定、国賠訴訟で完全勝利を勝ち取った桜井昌司さんの言葉だ。「悪いこと」をして、誰かの人生を変えてしまったら、取り返しがつかないし、自身も決着できない。そして人生を前に進めることもできない……。

◆突然の逮捕で教職を奪われた橋本さん

京都の高校教諭・橋本幸樹さん(当時32歳)が「京都府迷惑行為防止条例違反」で逮捕されたのは、2018年9月25日のこと。5月頃から9月までの間に、通勤の電車内で男子高校生に20回痴漢行為を行ったとされた。身に覚えのない橋本さんは、一貫して否認を続けたが逮捕・起訴され、一審・京都地裁の戸﨑涼子判事、二審・大阪高裁・三浦透裁判長は、橋本さんに有罪判決(懲役6月・執行猶予3年)を下し、上告審も棄却され、橋本さんの有罪判決が確定した。執行猶予付きというものの、有罪判決をうけた橋本さんは教職を奪われた。当時、高校3年生を担当し、本格化する受験シーズンを前に生徒を励まし、教師として充実した日々を送っていたのに……。

一審(京都地裁・戸﨑涼子判事)も二審(大阪高裁・三浦透裁判長)も有罪判決を下し、上告審も棄却され、橋本さんの有罪判決が確定した(写真は京都地裁)

◆20回も痴漢被害にあったと主張する男子高校生A

橋本さんが通勤で最寄り駅から乗る電車は、7時台のα電車かβ電車であり、電車に乗る際はすぐ降車駅で降りられるよう列の最後に並び、ドア付近に乗り込む習慣があった。一方、最寄り駅が同じA(当時15歳)は、橋本さんが逮捕される5月頃から9月までの間に、いつもα電車で通学しており約20回痴漢被害にあったと主張した(なお、Aはα電車以外で通学することは稀だったと証言している)。Aから被害を聞いた教師が両親に連絡したため、Aの母親は、Aに対して証拠を撮影するよう指示した。

6月11日、Aは同じ車両にいる橋本さんの姿を撮影した。少年と離れて立つだけの橋本さんの姿の写真を見た母親は、加害者の顔や被害にあっている場面を撮影するよう指示した。

6月13日、Aは、いつも通り最後にドア付近に乗車した橋本さんの後から、一番ドア側に後ろ向きで乗り込み、動画の撮影をはじめた。そこには、橋本さんが、右肩にかけた鞄を腕で挟みながら手すりに手を置いている様子や、Aが橋本さんの手の方に体の向きを変え接近させるような様子が映り込んでいた。動画には、橋本さんが手を動かす不審な様子は映り込んでいない。それどころか、手を反射的に回避させる様子が映り込んでいた(これらの点は高裁判決も認定している)。

◆被害申告の経緯と事件化

6月29日夜8時頃、最寄り駅で降りた後、橋本さんと遭遇したAは、「いま痴漢の犯人に後をつけられている」「駅まで迎えにきて」と母親に電話をし、駅前の駐車場から去る橋本さんの車のナンバーを母親にラインで送信している。翌日、この「つきまとい事件」に驚いたAの両親は、警察署に慌てて被害届を提出することにした。

このときになってはじめてAは、2週間前に撮影した動画を警察に提出した。こうした経緯で、この「事件」が表面化することになったのである(実は、被害申告のために両親が警察に行った際、当事者であるのにも関わらずAは家で寝ていたという。当時のAの様子について、母親は「警察に行くことを拒んでいた」と供述している。当事者として警察に呼び出されてはじめて、Aは警察署に赴いたのである)。

この日、警察官は、被害を避けるために橋本さんよりα電車より早い電車に乗るよう指示している。A自身も警察の指示に従い乗る電車を早めたという。しかし、α電車に乗らなくなったはずのAは、この日以降も、9月下旬までに約10回程度被害にあったと主張している。後に、弁護団が橋本さんの通勤履歴を精査したが、橋本さんがAに合わせて通勤で乗る電車の時間を早めた形跡はない。つまり、被害状況についてAの主張は自己矛盾していることになる。

橋本さんが教師であることを警察が知ったのは、Aの父親が橋本さんを降車駅で張り込み、職場の前まで追跡したためである。その報告を知った警察が色めき立ったことはいうまでもない。警察は、「高校教師による特定男性高校生への連続痴漢事件」として、杜撰な捜査に突き進んでいく。

◆同行警乗で痴漢を現認できなかった警察官

8月に入り、警察官らは、橋本さんの「行動確認」を行ったが、橋本さんの行動に特段不審な点はなかった。そこで、9月20日と21日に、警察官らは、延べ7名で同行警乗(2日間で合計40分間)を実施した。Aと一緒に電車に乗り、橋本さんの痴漢行為を現認し現行犯逮捕するためだ。

同行警乗の際、いつも通り最後に電車に乗った橋本さんと同じ車両に、Aや警察官らが乗り込み、警察官らは橋本さんを現行犯逮捕すべく注視していた。しかし、警察官らは誰一人として橋本さんを現行犯逮捕することができなかった。また、この同行警乗では、Aより先に電車を降りた橋本さんの後を2名の警察官が尾行している。Aと一緒に電車に乗っていた警察官が、Aから「痴漢された」と被害申告を受けた場合に備えるもので、被害があった場合、橋本さんを尾行する警察官が準現行犯逮捕するつもりだったのだろう。しかし、2日間とも準現行犯逮捕すら行われなかった。

証拠開示で明らかになったことだが、9月25日、同行警乗した警察官らは、「(同行警乗で)痴漢行為を現認できなかった」との捜査報告書を作成している。この捜査報告書と現行犯逮捕及び準現行犯逮捕がなかった事実からは、警察官らは「犯行を現認していない」「Aから被害申告がなかった」と結論づけることができる。そこに事件性は全くない。

ところが、9月20、21日の同行警乗で「痴漢行為を現認できなかった」警察は、例の6月13日に撮影された動画を証拠に、6月の件で橋本さんを通常逮捕することに踏み切ったのである。6月の件で逮捕すれば、橋本さんが犯行を「自白」すると見込んでいたのだろう。当然ながら、無実である橋本さんは一貫して容疑を否認した。

◆別人の証拠を提出するA

橋本さんが通常逮捕された翌日、警察に呼ばれたAは、もう一つ「証拠」を警察に提出した。それは、格子柄のシャツを着た「犯人」とされる人物が、電車内のロングシートに座っているように見える画像だった。この画像は、警察官らが同行警乗した9月20日にAが携帯電話で撮影したもので、Aは自分の立ち位置や股間の位置、犯人の手の位置などを具体的に説明し、同行警乗の際に被害あった証拠であると申告した。

ここにきてもう読者の皆さんの頭には疑問が浮かんでいるのではないだろうか。まず、痴漢の被害があったとすれば、当然ながらAも橋本さんも立っているはずである。さらに、橋本さんを注視していた警察官らは、当日の橋本さんの服装を明確に覚えていたはずだ。しかし、驚くべきことに、橋本さんが格子柄のシャツは着ていなかった事実が後に発覚している。それにも関わらず、同行警乗した警察官らは誰も異議を唱えず、この写真を「証拠」として採用し、否認する橋本さんを9月の件でも再逮捕したのである。

公判になって、Aはこの写真に映る人物が別人であることを認めている。被害者が提出した被害を受けている場面とする証拠画像が別人であることなど起こり得るだろうか。

◆「写真が君でないなら、犯人じゃないね」と検察官

橋本さんは、この別人の写真を再逮捕後の検察官の取り調べで初めて見せられた。「これ、橋本さんですか」「いえ、違います」「橋本さんでなかったら犯人でないことになりますね……」。検察官は戸惑うように橋本さんにそう言ったという。

写真の人物が橋本さんと別人の可能性があると知った警察は、慌てて橋本さんの家を捜索し、必死で「格子柄のシャツ」を探したが、シャツは出てこなかった。この時点で警察官も検察官も、Aの両親や教師などの大人に相談したり、あるいは少年に直接どういうことか尋ねてみたりするなどし、虚心坦懐に捜査を尽くすべきだった。当時、Aは中学生から高校生になったばかりの年齢である。友達とのライン履歴には「痴漢にあっている爆笑」「ストーカーしたった爆笑」など、真に「被害」にあっていると思えないやりとりが残っている。

6月29日の「つきまとい事件」を契機に、両親が被害届を提出、「警察沙汰」にまで発展してしまったが、Aは当初警察に行くことを拒んでいたのである。ならば、警察、検察、そして両親は、Aが本当に痴漢にあったのか問い正すべきではなかったか。

しかし、警察は、そうはせず、なんと同行警乗から1か月後の10月下旬になって、突如として「犯行目撃状況再現」なるものを実施し、「犯行を現認した」とする報告書を作成したのである。

◆裁判で次々と明らかになった少年のウソ

最寄り駅の防犯カメラ

Aの提出した画像に映る人物が別人であったことや、Aのいう被害状況に矛盾が生じていることは既に述べたとおりである。実は、それ以外にも、裁判では、Aのウソが次々と明らかになっている。

Aが友達に送っていたライン履歴を弁護団と橋本さんが精査した(Aの履歴から橋本さんが電車の乗っている時間帯に、Aが学校にいたことなどを客観的に裏付けていった)ところ、橋本さんとAが同じ電車に乗った日は、せいぜい4日(「被害」があったとする日を含めても6日)しかないことや、そもそもAがα電車に乗っていない日が多数あることが判明したのである。

つまり、いつもα電車に乗って通学していたというAの主張は、客観事実に反することが明らかになったのである。そのような状況で、どうして橋本さんとAが同じ電車に同乗し、5月頃から9月までの間に被害に20回もあうことが起こるのか。

さらに、6月29日の橋本さんによる「つきまとい事件」では、最寄り駅の防犯カメラ映像には、橋本さんの後ろをAが母親に電話をしながら歩く様子が映りこんでいた。なんと、Aは、橋本さんの後ろを歩きながら、母親に「あとをつけられている」「迎えにきて」と電話していたのである。

最寄り駅の防犯カメラ

Aは、最寄り駅の改札を出た橋本さんが駅前スーパーで買い物をしたあと、駅前駐車場から車を出す際も、橋本さんを待ち構えたり、橋本さんの車のナンバーを確認し母親に送ったりしている。橋本さんを執拗に付け回していたのはAだったのだ。

しかし、これらのAの嘘を、一審判決は「(被害回数の齟齬については)その程度はささいな違いに過ぎない」、「弁護人の指摘する程度の食い違いがあることをもって6月29日の出来事をAの自作自演であるということはできない」と不合理に救済し、弁護人の客観証拠に基づく主張は排斥されてしまったのである。

紙面の関係で詳細は書けないが、Aと同様、いやそれ以上に悪質なのは、警察、検察、裁判官だ。警察は、同行警乗で「痴漢行為を現認できなかった」としていた報告書を、何の合理的理由もなしに「現認できた」と変遷させ、法廷で偽証までした。A及び警察官の虚偽証言を薄々感じていたであろう検察官は、証人尋問でAや警察官らの矛盾する証言を必死で救済した。

一度逮捕・起訴したのちに「間違いだった」と認めたくない警察、検察、そして裁判官は、執行猶予付きの有罪判決で教職を奪われた橋本さんの人生にどう責任をとるつもりなのか。

冒頭の桜井さんの言葉からすれば、既に青年になったAも、橋本さんの職を奪い、人生を大きく狂わせてしまったことをどう思うのか。事件を知っている人、Aの近くにいた関係者に是非この記事を読んで欲しい。そしてどうか真実を語って欲しい。人生を前に進めるために。

(本事件のさらなる詳細は後日、月刊『紙の爆弾』に掲載予定です)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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2001年、兵庫県姫路市の郵便局でおきた強盗事件の犯人とされたナイジェリア人のジュリアスさん(仮名)が再審開始を求めていた裁判で、最高裁(山口厚裁判長)は、3月30日再審請求を棄却する決定を行った。

証拠写真にマジックのようなもので加工する、証拠ビデオテープにノイズ(砂嵐)を入れる……これほどずさんな証拠改ざん、捏造が山積みの冤罪事件があったろうか? しかも、令状なしで事情聴取を始め、取り調べ室で一夜を過ごさせるなど、人権無視も甚だしい。こうした蛮行がまかり通るのは、被疑者が外国人、しかも黒人だからと蔑視しているからだ。日本に長く住み、結婚した日本人女性との間に子供も恵まれ、事件の5日前念願の永住権を取得していたジュリアスさんが、家族と離れ離れになるような危険を犯すことなどありえないのだ。

◆兄貴的存在だったジュリアスさん

2001年6月19日、午後3時10分頃、兵庫県姫路市内の郵便局に目出し帽と雨合羽の2人組が強盗に入り、現金約2,275万円を強奪した。警察は1時間後、郵便局近くの倉庫で現金と車両、目出し帽などを発見、倉庫を借りていたナイジェリア人のジュリアスさん(当時25才)を拘束し、深夜まで取り調べ、翌朝逮捕した。

ニュースを見たジュリアスさんの従弟で一緒に働いていたDが、翌日弁護士に伴われ警察に出頭、「自分がオーステインと2人で金を奪ったが、大金だったので怖くなり倉庫に隠した。ジュリアスは関係ない」と自供。犯行後、ジュリアスさんに相談して銀行に金を帰すため倉庫に行った、オーステインが逃走できないようにするため、車のナンバープレートを焼いたと話した。

ジュリアスさんは地元に大勢住むナイジェリア人の中で兄貴的存在だった。そんなジュリアスさんが警察に逮捕されたと知ったDは、無実のジュリアスさんに罪を被せてはならないと弁護士に相談に行った。ジュリアスさんは犯行を否認、強盗の起きた3時前後、自宅に寄り義理の祖母を会話し、その後自宅近くの知人の家によった。知人も「3時のCNNニュースを一緒に見た」と供述していた。

◆裁判で次々と明らかになった証拠の改ざん、偽造

検察は、犯行に使われた車はジュリアスさんのもので、犯行後に金などを隠していた倉庫は、ジュリアスさんしか開けられないとして、ジュリアスさんを実行犯の一人と断定したが、裁判では、子ども騙しのような嘘が次々と明らかにされた。

① 警察は、「近くでジュリアスさんを見た」という通報をもとに倉庫に出向き、隙間から覗いたら車が見えた、しかし正面の扉が開かなかったので、左横の窓から入ったと証言。しかし、その窓は半分が鉄格子、半分は内側に資材運搬用エレベーターで塞がれ入れる状態ではなかった。それでも検察は、ジュリアスさん以外倉庫を開けられないことを有罪の証拠にしているため、「正面の大きな扉は鍵がかかって入ることが出来なかった」と嘘をつき通した。一方、ジュリアスさんは日中は施錠せず、開けっ放しにしていたと証言、倉庫所有者の奥さんも「倉庫が開きっぱなしになっていたことがある」と述べ、再審では陳述書を新証拠として提出していた。

証拠のビデオテープの画像。犯人の顔が判別できそうな瞬間になるとノイズ(砂嵐)が入って映っていない

② Dが共犯者と供述したオーステインについて検察は、当初「存在せずすべて作り話」と決めつけた。そこで、ジュリアスさんは、事件の一月前、オーステインがスピード違反をしたことを思い出し、オービスに残っているオーステインの画像を入手させた。画像は少しボケてはいるものの、黒人というほかにジュリアスさんとの共通点はなかった。しかし、裁判で出された写真には、坊主頭のオーステインの頭に黒いマジックのようなもので何か書き足してあった。当時、ドレッドヘアだったジュリアスさんに似せるように。これについて弁護団は再審で、BAHID(イギリス人物同一性判定協会)のK・Aリンジさんによる「写真の頭の左側の部分が加工されている」とした鑑定書を新証拠として提出していた。

ほかにも血液型や、ジュリアスさんの知人の「3時のCNNニュースを一緒に見た」が「4時のCNNニュース」に改ざんされるなど、ジュリアスさんが犯人でない証拠はことごとく改ざん、捏造、隠蔽されてきた。中でも私が最も悪質と感じたのは、郵便局内で犯人らを映した防犯カメラ画像に施された工作だ。1分13秒の画像には、犯人の1人がカウンターを飛び越えた際、息苦しくなったのか、目出し帽を脱ごうとする場面がある。裁判で出された画像は、そこにノイズ(砂嵐)が入って映っていないのだ。専門家によればこのように数秒単位でノイズが入ることはあり得ないという。しかも検察は、重要証拠の原本を廃棄したという。よほど見せたくない画像があったに違いない。

◆再審無罪を勝ち取らないと家族はバラバラに

2004年、神戸地裁姫路支部は、ジュリアスさんに懲役6年を言い渡した(Dは懲役4年6ケ月、出所後は国外退去)。ジュリアスさんは、その後控訴、上告も棄却され、2006年刑が確定、神戸刑務所で服役、2009年1月に出所した。

出所したジュリアスさんには退去強制命令書がだされ、大阪入管収容所に移された。処分取り消しを求める裁判でジュリアスさんは、仮放免という措置で拘束を解かれたが、裁判所は「有罪判決が事実誤認であることを当該外国人が立証すべき」と求めた。ジュリアスさんと家族は、再審無罪を勝ち取ることでしか、共に暮らし続けることができなくなった。

◆それでも「正義の人」はいた

ジュリアスさんと奥さんは、何度も神戸地裁姫路支部に通い、再審に向け新たな証拠を探し続けていた。そこにいつも親切に応対してくれる検察事務官がいた。

ある日ジュリアスさんが、証拠ファイルを見ていると、「コピーはできないが撮影してもいい」と言ってくれた。それは犯人が被っていた目出し帽に付着していた毛髪の鑑定書だった。弁護団がジュリアスさんの毛髪鑑定を行い比較したところ、「いずれも形態的に類似性に乏しかった」との結果がでた。

その後、犯人の1人が被っていた目出し帽が還付された。鑑定の結果、帽子から3人のDNA型が検出されたが、すべてジュリアスさんのものとは一致しなかった。事務官はジュリアアスさんに「無罪を信じている」とも言ってくれたという。

ジュリアスさんが「正義の人」と呼んだ事務官は、その後、懲戒免職を受けた。一方、ジュリアスさんは、彼から受けた証拠を新証拠として、2012年3月、神戸地裁姫路支部に再審請求を申し立てたが、2014年3月に棄却された。

刑事裁判では、ジュリアスさんが実行犯か否かが争点だったにもかかわらず、棄却判決は、ジュリアスさんを実行犯の1人であると認定できないとしながら、電話などの遠隔操作で指示を与えたりなどした共犯者であるという推測が妨げられないとした。

ジュリアスさんの代理人・池田崇志弁護士

これに対して2016年3月、大阪高裁は「姫路支部は、これまで争点になかった認定をしており、男性に主張、立証の機会が与えられず、審理が尽くされていない」とし、審理を神戸地裁に差し戻したが、神戸地裁は再び請求を棄却、ジュリアスさんは、最高裁に上告を申し立てていたが、今回棄却された。しかも、裁判を担当する池田弁護士が急病で倒れたため、ジュリアスさんと守会は最高裁に決定を待つよう要請し、後任弁護士の相談を進めていた矢先の棄却。血も涙もない不当決定である。

一方、ジュリアスさんは、国と兵庫県に対して「無実を証明する証拠を改ざんされた」などとして国賠訴訟を提訴していたが、神戸地裁は、請求権は20年の時効によって消滅したと請求を退け、現在、裁判は大阪高裁で争われている。同時に再度再審を申し立て必ず無罪を確定しなくてはならない。日本で家族と過ごすために。今後の裁判にご注目を!

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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先日、エンペディア(Enpedia)というオンライン百科事典に設けられた「飯塚事件」のページ(https://enpedia.rxy.jp/wiki/%E9%A3%AF%E5%A1%9A%E4%BA%8B%E4%BB%B6)で、私の編著『絶望の牢獄から無実を叫ぶ—冤罪死刑囚八人の書画集』(鹿砦社)が〈鳥越俊太郎や清水潔に比べるとかなり無名のジャーナリストの本〉として紹介されていることに気づいた。

同書の第1章では、1992年に福岡県飯塚市で小1の女児2人が殺害されたこの事件の犯人とされ、2008年に死刑執行された久間三千年さん(享年70)が冤罪であることをわかりやすく説明しつつ、久間さんが死刑執行直前に獄中で綴った手記を紹介したり、この冤罪処刑に関与した警察、検察、法務省の責任者らに取材した結果を報告したりしているのだが、エンペディアでは拙著の内容に批判的なことばかり書かれている。

つまり、このエンペディアの執筆者は久間さんのことを「クロ」だと思っているのだろう。

そのこと自体は構わないが、この人は久間さんに対する福岡地裁の死刑判決(以下、確定死刑判決)に目を通していながら、その内容をよく理解できていないように思える点がある。この人は当欄も見てくれているようなので、この場で指摘しておきたい。

◆「片岡も陰茎出血といった証拠には言及していない」と批判されているが…

エンペディアの「飯塚事件」のページの記述のうち、それにあたるのは以下の部分だ。

〈当然ながら、片岡も陰茎出血といった証拠には言及していない。〉(エンペディアより。2022年2月24日アクセス)

この記述の趣旨は以下のようなことだと思われる。

確定死刑判決では、久間さんが事件当時、亀頭包皮炎を患っており、外部からの刺激により容易に出血する状態だったと認定されたうえ、被害女児2人の性器やその周辺、彼女たちの遺体遺棄現場で採取された血痕は久間さんが犯行時に出血したものであるかのように判示されている。このエンペディアの執筆者は、拙著がそのことに言及していないのは、久間さんに不利な事実を隠すためだと考えたようだ。

これは完全な誤解だ。なぜなら、事件当時、陰茎から容易に出血する状態だったことは、むしろ久間さんの無実を裏づける事実だからだ。

エンペディアの「飯塚事件」のページ

◆「陰茎出血」に関する久間さんの供述は「無知の暴露」

というのも、峠道沿いに遺棄されていた被害女児2人の遺体は、処女膜などの損傷の状況から性器に犯人の指と爪が挿入されていたと認められたが、犯人の陰茎が挿入された形跡は確認されていない。それにもかかわらず、久間さんは逮捕前、警察官に対して亀頭包皮炎の病状を次のように供述していたのである。

「シンボル(陰茎)の皮がやぶけてパンツ等にくっついて歩けないほど血がにじんでしまう。オキシドールをかけたら飛び上がるほど痛かった。シンボルが赤く腫れ上がった。事件当時ごろも挿入できない状態で、食事療法のため体力的にもセックスに対する興味もなかった」(確定死刑判決より)

この証言を見ると、久間さんは犯人が被害女児たちとセックスしたことを前提に、警察官に身の潔白を訴えていたことがわかる。実際には、犯人は被害女児たちの性器に自分の陰茎を挿入しておらず、すなわち、犯人は被害女児たちとセックスしていないにもかかわらずに、だ。

このような供述は、供述心理学で「無知の暴露」と言われる。本当の犯人の供述には、犯人でなければ知りえない「秘密の暴露」が現れるが、本当は犯人ではない被疑者の供述には、実際の犯行を知らないことを示す「無知の暴露」が現れる。久間さんは、犯人ではないため、わいせつ目的の小児性愛者であることが想像されるこの事件の犯人が「被害女児たちとセックスしている」と勘違いしていたわけである。

私が拙著で久間さんの「陰茎出血」に言及し、このことを説明しなかったのは、情報過多になると本は読みにくくなり、読者の理解を妨げるためだ。エンペディアの執筆者のおかげで、この機会にそのことが説明できてよかった。

無実の罪により処刑された久間さんの生命はもう戻らない。せめて遺族が現在請求中の再審が実現し、一日でも早く久間さんの雪冤がなされることを願うばかりだ。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。編著に電子書籍版『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ[改訂版]―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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2022年3月15日、横浜地検の岡田万佑子検事は、日本禁煙学会の作田学理事長を不起訴とする処分を下した。

この事件は、作田理事長が患者を診察することなく、「受動喫煙症」等の病名を付した診断書を交付した行為が、医師法20条に違反し、刑法160条を適用できるかどうかが問われた。

医師法20条は、次のように患者を診察することなく診断書を交付する行為を禁止している。

【引用】「医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。但し、診療中の患者が受診後二十四時間以内に死亡した場合に交付する死亡診断書については、この限りでない。」

一方、刑法160条は、次のように虚偽診断書の「公務所」(この事件では、裁判所)への提出を禁じている。

【引用】「医師が公務所に提出すべき診断書、検案書又は死亡証書に虚偽の記載をしたときは、3年以下の禁錮又は30万円以下の罰金に処する。」

横浜地検が送付した処分通知書

告発人の藤井敦子さんらは、岡田検事が下した不起訴処分(嫌疑不十分)を不服として、検察審査会へ審理を申し立てた。しかし、4月16日で事件が時効になるために、作田医師が起訴されないことがほぼ確実になった。作田医師は、岡田検事による法解釈と時効により、2重に「救済」されることになる。

◎[参考資料]審査申し立ての理由書全文
 http://www.kokusyo.jp/wp-content/uploads/2022/03/mdk220321-2.pdf

筆者は、この刑事告発を通じて日本の司法制度のからくりを理解した。2つの「装置」の存在を確認した。法律を我田引水に解釈することを容認する慣行と、時効による「免罪」である。いずれも権力構造を維持するための「装置」にほかならない。検察は昔からおなじ手法を繰り返してきた可能性が高い。

この点に言及する前に事件の概要を説明しておこう。

◆事実的根拠に乏しい診断書で4518万円を請求

この事件の発端は、2017年11月にさかのぼる。ミュージシャンの藤井将登さんが自宅で煙草を吸っていたところ、同じマンションの住民一家3人(夫妻とその娘)から、副流煙で健康被害を受けたとして4518万円を請求する裁判を横浜地裁で起こされた。3人が金銭請求の根拠にしたのが、「受動喫煙症」等の病名を付した娘の診断書だった。

ところが審理の中で、この診断書を作田理事長が娘を診察しないまま交付していたことが分かった。作田医師は、娘となんの面識もなかった。さらに3人の原告のうち、ひとりに25年の喫煙歴があることも判明した。

つまり高額訴訟の根拠となった事実に強い疑念が生じたのである。

横浜地裁は、単に原告3人の請求を棄却しただけではなく、作田医師による診断書交付が医師法20条違反にあたると認定した。これまでの判例によると医師法20条違反は、刑法160条の適用対象になる。

そこで前訴で被告にされた藤井将登さんが、作田医師に対して虚偽診断書行使罪で神奈川県警青葉署へ刑事告発したのである。告発人には、将登さんのほかにも、妻の敦子さんら数名が加わった。青葉署は2021年5月に刑事告発を受理して捜査に入った。そして2022年の1月に横浜地検へ作田医師を書類送検した。

しかし、横浜地検の岡田検事は、事件の当事者から事情聴取することなく嫌疑不十分で不起訴を決めたのである。

◆動物の診断書も無診察は許されない

藤井敦子さんは、不起訴の理由を岡田検事に電話で問い合わせた。わたしはその録音テープを視聴した。その中で最も気になったのは、作田医師が娘の診断書を交付する際に、娘が別の医療機関で交付してもらった診断書等を参考にしたから、虚偽診断書とまではいえないという論理だった。

◎[参考資料]藤井敦子さんによる取材音声
 https://rumble.com/vy7w3h-57475133.html?fbclid=IwAR1pbAQZ505EuewQY0s6dg7PRo24OPh3r__-u11DG6UvU55QH2hEV1l94ek

しかし、作田医師が交付した診断書には、娘が「団地の一階からのタバコ煙にさらされ」ているとか、「体重が10Kg以上減少」したといった事実とは異なる記述が多数含まれている。これらの記述は、作田医師が参考にしたとされる他の医師が書いた診断書には見あたらない。つまり作田医師が交付した診断書の所見には明らかな「創作」が含まれているのだ。

こうした診断内容になった原因のひとつは、作田医師が娘を診察しなかったからにほかならない。あるいは事件の現場を検証しなかったからである。さらに禁煙運動という日本禁煙学会の政策目的があったからだ。

ちなみに獣医師が動物の診断書を交付する際にも、診察しないで診断書を交付する行為を禁じている。次の法律である。

【引用】「第十八条:獣医師は、自ら診察しないで診断書を交付し、若しくは劇毒薬、生物学的製剤その他農林水産省令で定める医薬品の投与若しくは処方若しくは再生医療等製品(医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(昭和三十五年法律第百四十五号)第二条第九項に規定する再生医療等製品をいい、農林水産省令で定めるものに限る。第二十九条第二号において同じ。)の使用若しくは処方をし、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証明書を交付し、又は自ら検案しないで検案書を交付してはならない。ただし、診療中死亡した場合に交付する死亡診断書については、この限りでない。」

動物についても、人間についても、無診察で診断書を交付する行為は法律で厳しく禁じられているのだ。

改めて言うまでもなく、法律は文字通りに解釈するのが原則である。好き勝手に解釈することが許されるのであれば、秩序が乱れ、法律が存在する意味がなくなるからだ。

医師法20条は、他の医師の診断書を参照にすれば、患者を診察することなく診断書を交付することが許されるとは述べていない。

現在の司法制度の下では、検事が我田引水の法解釈をすることで、起訴する人物と起訴しない人物を選別できるようになっている。これが公正中立の旗を掲げて、権力構造を維持するためのひとつの「装置(トリック)」なのである。

◆時効というトリック

もうひとつの「装置」は、時効のからくりである。作田医師を被告発人とするこの事件の時効は、2022年4月16日である。藤井さん夫妻は、検察審査会に審理を申し立てたが、この日までに起訴されなければ、事件は時効になってしまう。検事が「牛歩戦術」を取れば、時効がある事件では被疑者を無罪放免にできる制度になっているのだ。「時効」も権力構造を維持するための巧みな「装置」なのである。

なお、岡田検事はこの事件の処分を決めるに際して厚生労働省に相談したという。内容は、藤井敦子さんが岡田検事に対して行ったインタビューで確認できる。この事実は、「民主主義」の仮面の下に、日本を牛耳っている面々が隠れていることを物語っている。

◆岡田検事に対する質問状
 
筆者は、岡田検事に対して下記の問い合わせを行ったが回答はなかった。

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2022/03/23  

岡田万佑子検事殿
発信者:黒薮哲哉

 はじめて連絡させていただきます。
 わたしはフリーランス記者の黒薮哲哉と申します。

 貴殿が担当された横浜副流煙事件(令和4年検第544号)を取材しております。
 3月15日付で貴殿が下された不起訴処分について、お尋ねします。告発人の藤井敦子氏と貴殿の会話(18日)録音を聞いたところ、貴殿が処分を決める前に厚生労働省に相談されたことを裏付ける発言がありました。

 つきましては、次の点について教えてください。

1,厚労省の誰に相談したのか。

2,相談した相手から、どのようなアドバイスを受けたのか。

 また上記質問とは別に、次の点について教えてください。

3,他の医師の診断書を参照にした場合は、無診断で診断書を交付してもかまわないという法律はあるのでしょうか。

 25日(金曜日)の午後1時までに、ご回答いただければ幸いです。よろしくお願いします。

【連絡先】
Eメール:xxmwg240@ybb.ne.jp
電話:048-464-1413

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◎[参考動画]【横浜副流煙裁判】ついに書類送検!!分煙は大いに結構!!だけどやりすぎ「嫌煙運動」は逆効果!!

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
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黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

河井克行議員夫妻の大型買収事件で現金を受領していた広島の地元議員35人が今年1月、検察審査会で「起訴相当」と議決されて以来、「起訴相当」とされた議員の辞職が相次いでいる。現在、東京地検特捜部が再捜査を行っているという。

そんな事件について、筆者が個人的に注目しているのが、捜査の指揮をとる東京地検特捜部の市川宏部長の動向だ。今年1月に就任したばかりの市川部長は、筆者が10年余り前から取材している「冤罪疑惑事件」に深く関わっているからだ。

◆冤罪疑惑事件で新特捜部長は捜査と公判を担当

その「冤罪疑惑事件」とは、当欄でも何度か紹介した東広島市の女性暴行死事件だ。

2007年に東広島市の短期賃貸アパートで会社員の女性が何者かに顔面や頭部を執拗に殴られ、亡くなっているのが見つかったこの事件では、女性の不倫トラブルの相談にのっていた探偵業の男性M氏が逮捕された。その逮捕の決め手は、現場のアパートの室内でM氏のDNA型が検出されたことだった。

しかし、M氏は逮捕後、現場アパートに事件当日に立ち入ったことを認めたうえ、「アパートに立ち入ったのは、女性に不倫トラブルの相手方との示談契約書の書き方を教えるためだった」と説明。この説明を否定する確たる証拠は存在せず、それ以外の有罪証拠もめぼしいものは皆無。M氏は懲役10年の判決が確定したが、一貫して冤罪を訴え続けていたこともあり、現在も地元では冤罪を疑う声は少なくない。

市川氏は当時広島地検に在籍しており、この事件の捜査と第一審の公判立会を担当した。1つの事件で捜査と公判の両方を同じ検事が担当することは珍しいから、仮にこの事件が本当に冤罪だった場合、市川氏の責任はその他多くの冤罪事件で検事が負うべき責任より重いと言える。

しかも、この事件には、きな臭い事情がある。それは、「M氏以外の真犯人」が存在する可能性を示す証拠がありながら、警察と検察が隠蔽した疑いがあることだ。

東京地検特捜部長就任に際し、力強い抱負を語った市川氏だが……(日テレNEWS1月17日)

◆真犯人の隠蔽疑惑も

当欄では既報の通り、広島県警はM氏を逮捕後もしばらく複数犯を前提に捜査を展開しており、「M氏の共犯者」と「M氏に車を貸した人物」を見つけるために大がかりな聞き込みを重ねていた。これはつまり、この事件が本当は複数犯であり、M氏が普段乗っていた車以外の車が事件に使われたことを示す有力な証拠が存在したということだ。

しかし、その「M氏以外の真犯人」が存在する可能性を示す証拠の存在は、M氏の裁判では一切隠されたままだったのだ。

この事件の捜査、公判を両方担当した市川氏がその裏事情を知らないはずはない。それはつまり、市川氏は重大事件で冤罪の疑いのある男性を犯人にするため、別の真犯人を隠蔽する不正に関与した疑いを抱かれても仕方がない立場だということだ。

東京地検特捜部の新部長が、かつて自分自身も不正を行った疑いのある広島の地を舞台にした大型汚職事件の再捜査でどんな指揮をとるのだろうか。何か気づく点や新しい情報があれば、今後も当欄で紹介したい。

【関連記事】
《殺人事件秘話10》冤罪・東広島女性暴行死事件 隠された「別の真犯人」の証拠(2018年1月8日配信)

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。編著に電子書籍版『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ[改訂版]―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

煙草の副流煙で「受動喫煙症」などに罹患したとして、隣人が隣人に対して約4,500万円を請求した横浜副流煙裁判の「戦後処理」が、新しい段階に入った。前訴で被告として法廷に立たされた藤井将登さんが、前訴は訴権の濫用にあたるとして、3月14日、日本禁煙学会の作田学理事長ら4人に対して約1,000万円の支払いを求める損害賠償裁判を起こしたのだ。前訴に対する「反訴」である。

 

原告には、将登さんのほかに妻の敦子さんも加わった。敦子さんは、前訴の被告ではないが、喫煙者の疑いをかけられた上に4年間にわたり裁判の対応を強いられた。それに対する請求である。請求額は、10,276,240円(将登さんが679万6,240円万円、敦子さんが330万円、その他、金員)。

被告は、作田理事長のほかに、前訴の原告3人(福田家の夫妻と娘、仮名)である。前訴で福田家の代理人を務めた2人の弁護士は、被告には含まれていない。

原告の敦子さんと代理人の古川健三弁護士、それに支援者らは14日の午後、横浜地裁を訪れ、訴状を提出した。「支援する会」の石岡淑道代表は、

「禁煙ファシズムに対するはじめての損害賠償裁判です。同じ過ちが繰り返されないように、司法の場で責任を追及したい」

と、話している。

◆医師法20条違反、無診察による診断書の交付

この事件は、本ウエブサイトでも取り上げてきたが、概要を説明しておこう。2017年11月、横浜市青葉区の団地に住む藤井将登さんは、横浜地裁から1通の訴状を受け取った。訴状の原告は、同じマンションの斜め上に住む福田家の3人だった。福田家が請求してきた項目は、次の2点だった。

(1)4,518万円の損害賠償

(2)自宅での喫煙の禁止

将登さんは喫煙者だったが喫煙量は、自宅で1日に2、3本の煙草を吸う程度だった。ヘビースモーカーではない。

喫煙場所は、防音構造になった「音楽室」で、煙が外部へ漏れる余地はなかった。空気中に混合した煙草は、空気清浄器のフィルターに吸収されていた。たとえ煙が外部へ漏れていても、風向きや福田家との距離・位置関係から考えて、人的被害を与えるようなものではなかった。(下写真参照)

 

福田家の主婦・美津子さんは、「藤井家の煙草の煙が臭い」と繰り返し地元の青葉警察署へ駆け込んだ。その結果、青葉署もしぶしぶ動かざるを得なくなり、2度にわたり藤井さん夫妻を取り調べた。しかし、将登さんがヘビースモーカーである痕跡はなにも出てこなかった。結局、この件では青葉署が藤井夫妻に繰り返し謝罪したのである。

が、それにもかかわらず福田家は裁判を押し進めた。この裁判を全面的に支援したのは、日本禁煙学会の作田学理事長(勤務先は、日本赤十字医療センター)だった。作田医師は、提訴の根拠になった3人の診断書を作成したうえに、繰り返し意見書などを提出した。判決の言い渡しにも姿をみせる熱の入れようだった。自宅での喫煙を禁止する裁判判例がほしかったのではないかと思われる。

 

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

ところが審理の中でとんでもない事実が発覚する。まず、福田家の世帯主・原告の潔さんに、25年の喫煙歴があったことが発覚した。「受動喫煙症」に罹患しているという提訴の前提に疑義が生じたのである。また、潔さんの副流煙が妻子の体調不良の原因になった可能性も浮上した。

さらに作田医師が、真希さんの診断書を無診察で交付していたことが発覚したのだ。患者を診察しないで診断書や死亡証明書を交付する行為は医師法20条で禁止されている。これらの証書類を交付するためには、医師が直接患者に対面して、医学上の客観的な事実を確認する必要があるのだ。しかし、作田医師はそれを怠っていた。

福田家は、隣人に対して高額訴訟を起こしてみたものの、訴因となった事実に十分な根拠がないことが分かったのだ。当然、訴えは棄却された。控訴審でも福田家は敗訴して、2020年10月に前訴は終了した。

これら一連の経緯については、筆者の『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』に詳しい。事件の発端から、勝訴までを詳細に記録している。

◆「ごめんなさい」ですむ問題なのか? 

その後、藤井さん夫妻は、2021年4月、数名の支援者と一緒に作田医師を虚偽公文書行使の疑いで青葉署へ刑事告発した。青葉署は告発を受理して捜査を開始した。そして2022年1月24日、作田医師を横浜地検へ書類送検した。現在、この刑事事件は横浜地検が取り調べを行っている。

このような一連の流れを受けて藤井さん夫妻は、福田家の3人と作田医師に対して約1000万円の損害賠償を求める裁判を起こしたのである。「支援する会」の石岡代表が言うように、この裁判は「禁煙ファシズム」に対するはじめての損害賠償裁判である。前例のない訴訟だ。

最大の争点になると見られるのは、福田家の娘・真希さんの診断書である。既に述べたように作田医師は、真希さんを診察せずに「受動喫煙症レベルⅣ」「化学物質過敏症」という病名を付した診断書を交付した。そして福田家は、この診断書などを根拠として、高額な金銭請求をしたのである。将登さんの喫煙禁止だけを求めていたのであればまだしも、事実ではないことを根拠に高額な金銭請求をしたのである。この点が最も問題なのだ。

訴因に十分な根拠がないことを福田家の弁護士や作田医師は、提訴前に認識していたのか?たとえ認識していなかったとしても、「ごめんなさい」ですむ問題なのか? これらのテーマが裁判の中でクローズアップされる可能性が高い。

◆訴権の濫用には「反訴」で

筆者は2008年から、高額訴訟を取材するようになった。その糸口となったのは、わたし自身が次々と高額訴訟のターゲットにされた体験があったからだ。2008年から1年半の間に、わたしは読売新聞社から「押し紙」報道に関連した3件の裁判を起こされた。請求額は、総計で約8000万円。読売の代理人は、喜田村洋一・自由人権協会代表理事だった。

最初の裁判は、1審から3審までわたしの完全勝訴だった。2件目の裁判は、1審と2審がわたしの勝訴で、3審で最高裁が口頭弁論を開き、判決を高裁へ差し戻した。そして高裁がわたしを敗訴させる判決を下した。3件目の裁判(被告は、黒薮と新潮社)は、1審から3審までわたしの敗訴だった。

3件の裁判が同時進行している時期、わたしは「押し紙」弁護士団の支援を受けて、読売による3件の裁判は「一連一体の言論弾圧」いう観点から、読売新聞に対して5500万円の支払いを求める損害賠償裁判を起こした。しかし、訴権の濫用の認定はハードルが高く敗訴した。喜田村洋一弁護士に対する懲戒請求も申し立てたが、これも棄却された。

筆者は訴権の濫用を食い止めるという意味で、不当裁判の「戦後処理」は極めて大事だと思う。とはいえ、訴権の濫用に対する「反訴」の壁は高い。日本では提訴権が憲法で保証されているからだ。米国のようなスラップ防止法は存在しない。

しかし、だからといって訴権の濫用を放置しておけば、自由闊達な言論の場が消えかねない。「反訴」したり、スラップ禁止法などの制定を求め続けない限り、言論の自由が消滅する危険性がある。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

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