前回の記事で「マスプロ教育」私的経験、「心理学」を担当していた高橋某を引き合いに出した。さて本丸はこの男、「竹内洋」である。

竹内は関西訛りが全くなかったので調べてみたら、東京生まれの佐渡島育ちらしい。1942年生まれだが現在でも写真を見ると年より若く見える。彼の講義を受けたのは約30年前になるが、そういえば「ぼんぼん」の如き顔つきと振る舞いだった。

竹内洋=関西大学東京センター長

◆80年代の大学時代に感じた竹内洋の「現状肯定」主義

竹内は我々の1年次「必修科目」である「社会学」の後期担当だった。前期の担当は徳岡秀雄でこの方は堅実に「社会学」の基礎を語って頂いた記憶がある。真面目一直線で面白味はないけども、彼に教室で教わった学術用語の深みを今でも記憶してるので実直な方だったと思う。

それに対して竹内は「ハイカラ」さんだった。自分のことを「ボク」と称し、こんなところに英語必要なのか?と思うほど話に横文字が多用された。

「つまりさ、ボクの言ってるササイエティーっていうのは、ポピュラーな意味でのそれとはだいぶ違うんだよ。コンセプトのコンフリクトを除外したらメークセンス出来ないんだよ」

ってな具合で、巨人の長嶋が知ってる限りの英単語を多用してカール・ルイスに話しかけたのと少し似た(勿論竹内の英語力を長嶋と比較するのは失礼だけれども)「竹内ワールド」が展開されていた。

でも「竹内ワールド」時々見落とせない片鱗を表出してもいた。彼は様々な社会的制度を例に挙げ、それを彼なりの解釈で読み解いてゆくことを独自の話法としていた。旧来の社会学者の見解を紹介しながらも最後には実に個性的な解釈で事象を解読するのだが、私にはその結論のほとんどが「現状肯定」に落ち着いているように聞こえて仕方がなかった。ある時竹内は「共通一次試験」について語った。今日の「センター試験」と名称を変えた統一大学入試の原型だ。

「ボクはさ、『共通一次』って可愛そうだと思うんだ。だってね導入された時から批判されることが分かりきっていたんだから」

はて、何故かわいそうだのだろうか?と私は彼の真意を理解しかねた。今日の「センター試験」は国公立だけでなく、広く私立大学も利用している。竹内が語った「共通一次」への批判とは「全国の国公立大学受験者が、異なる大学を受験するのに同じ試験を受験しなければならないのは、大学の個性を無視するのではないか。また私立大学の存立の意義に立ち返れば『入試』を『統一試験』に頼るなど、建学の精神を異にする大学間で理念的に可能であるはずがない。文部省(当時)はいずれ私立大学支配の足掛かりに私立大学へも『共通一次』への参加を迫って来るのではないか」という懸念だった。

当時の懸念は、不幸なことに見事すぎるほど的中してしまっている。私立大学で「センター試験」を全く利用しない大学の方が現在では少数になってしまった。竹内が「可愛そう」と言ってみせた「共通一次」はとてつもない成長をとげ、弱小私立大学に重荷を背負わせることになっている。

◆安全地帯から一歩も出ない学者論法

ことほど左様に竹内の論法は紆余曲折した挙句、現状制度を何らかの方便で擁護する、あるいは暗にではあるが革新的な言辞への批判が込められていた。竹内が巧妙なのは「時代」をしっかり認識して、危険を冒さないところだった。その竹内は21世紀に入り小泉が首相に就いたあたりから、本性を見せ始める。『丸山真男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』 (中央公論新社、2005年)ではまだおとなしく、昔ながらの竹内論法から大きく離れてはいなかったけれども、『革新幻想の戦後史』 (中央公論新社、2011年)では旧来の回りくどさを排除して、革新勢力への総合的な批判を展開するようになる。

私は革新勢力全体を支持するものではないが、2015年1月を生きている身としては、革新勢力が懸念、抵抗していたしていた数々砦が崩壊する姿を安穏と無視できない。現政権権力が行っている政治、あるいは改憲と戦争へ加担する勢力は極めて悪辣だと誇張なく感じる。のっぴきならない時代だ。

30年前から今日的危機の萌芽を竹内はちらつかせていた。自身は常に安全閾に止まりながら。

◆格差社会の現実を「フラット化」、「権威なき時代」と呼ぶ詭弁

そして、行き着くところがこの1月5日の京都新聞朝刊に掲載された「戦後70周年を語る」シリーズにおける、竹内による「日本は限りなくフラット化する社会になっている」だ。

竹内は「昨年11月の衆議院本会議で、議員の万歳三唱をやり直す場面がテレビに映し出された。議長が『日本国憲法第7条により、衆議院を解散する』と解散勅書読み上げ、天皇陛下の署名と公印を示す『御名御璽』という前に、万歳三唱が始まったからだ。戦前ならば考えられない光景だ」と述べ、次いで「議員たる人たちが与党も野党もそろっていた。特別な意識はなかったと思うが、天皇でさえも、さらっと流されてしまう。ヒエラルキーなき、権威なき時代になった」のだと言う。

そうだろうか? 国会解散の際の「万歳三唱」は馬鹿げた習慣だ。にしても「解散」となると与野党問わずに「万歳三唱」は毎度行われる。その意味するところは竹内が指摘するように「解散勅書」、すなはち「天皇」の命を受けての「万歳」である。少なくない数の議員と一部(いや、かなりか?)や国民は、ただの習慣でまたは「またここに帰ってこよう」との意味で万歳をしていると誤解しているが、そうではない。あの万歳は「天皇陛下万歳」に他ならない。

だから「万歳三唱」自体が極めて反動的な行為なのだが、その「フライング」をやり直した光景を見て竹内は「ヒエラルキーなき、権威なき時代になった」と言う。ここだ。竹内流詭弁の骨頂だ。

議員の中には万歳の意味を知らぬ人間が多数いる。だから万歳の「フライング」が起きたのだろう。にしても、「万歳三唱」をやり直させた議長の行為を竹内はどう解説するのだ。天皇の「権威」に慮った伊吹文明(衆議院議長)がやり直しをさせたのではないのか。国会における前代未聞の「天皇」への忠誠行為=万歳三唱のやり直しと見るのが素直ではないか。なにが「ヒエラルキーなき」だ。これほど露骨な国会における「天皇制」の露出はないではないか。これ以上ない「ヒエラルキー」を目にして「天皇さえもさらっと流されてしまう」と語る竹内は単なる詭弁使いではないようだ。

更に竹内は言う。

「一方、論壇では天皇制に対する批判が起こり、天皇制こそが戦争の元凶であり、あがめるシステムこそ問題だとする考えが主流を占めた。戦前の天皇制について丸山真男は『無責任の体系』だと厳しく批判し、大きな影響を与えた。そうかといって庶民感覚からすれば、『天皇制』という言葉さえ受けつけにくい。どちらかと言えば『孤独でおかわいそうな存在』だったのではないか。論壇は草の根の感情を捉えきれなかった」そうだ。

長年本音を隠してきた悪人が本音を吐露するとこういう言葉になるのだなと、大学1年次に感じた違和感の完成形を目にして得心が行った。

「庶民感覚からすれば『天皇制』という言葉さえうけつけにくい」というが、ここでの「庶民」は一体どの時代、どの地域の庶民を指しているのか。竹内は調査や研究の結果を一切示さずに断言している。全く根拠なき独断的な決めつけには呆れるほかない。竹内は学問の世界に長く身を置き「京都大学名誉教授」の肩書を持つ人間なのだから、論理の整合性や論拠の重要性は知っているはずだ。学者という者は根拠を示して論を展開しなければ相手にされない世界であることは基本中の基本。それを30年前に教壇から私たちに説いたのは他ならぬ竹内だったではないか。

しかし、ここで竹内が述べている天皇制に関する「感想」は軽薄な評論家が軽々しく語っている程度の説得力も持ち合わせない。

私は幼少の頃より祖父母や両親、あるいは多くの年長者から戦争中の話、「天皇」あるいは「天皇制」の話は何度も聞かされてきた。また同世代の人間と「天皇制」について議論を交わした。私は自分が「庶民」だと思っていたが竹内の論によると私や私の関わってきた人々は「庶民」ではないことになる。

また、今の天皇はともかく明治憲法下太平洋戦争の最高司令官であった「昭和天皇」の戦争責任は竹内がのんびり語るほど悠長な問題だったのか。竹内の本音はこれに次ぐ文章で完成を見る。

「天皇への人々のまなざしは理屈で割り切れない感情という側面があった。日本には、主体的に自分の頭で考える理念があまりなかった」

「日本には、主体的に自分の頭で考える理念があまりなかった」と仰せられるが、かなり覚悟をして腹を括らなければ吐けない挑発的発言だ。これを読んで民族派右翼の諸君は立腹しないだろうか。「昔の日本人は馬鹿だった」と言っているのに等しい。これこそ本来的な意味で「自虐史観」じゃないのか。また「天皇へのまなざし」は明治維新以降天皇が「現人神」との強制に基づくものであるという事実への視点が竹内には決定的に欠如している。「天皇制」は自然現象ではない。「富国強兵」を進めようとした明治政府が方便として持ち出した「神話」を根拠とする「国家宗教」だったことは誰でも知っている。いわば国家的カルトだ。

「理屈で割り切れない感情」などと竹内はお気楽に解釈するが、反抗すれば命を落としかねない権力構造(三権の長を天皇と定めた明治憲法)と法体系(大逆罪、治安維持法)の中で育ったのが「天皇制」である。実際大逆罪で死刑にされた人間が少なからずいることを竹内は知らないわけではあるまい。「理屈で割り切れない感情」とは敗戦後もその「洗脳」が解けず、後遺症が様々な形で残存してしまった「天皇制PTSD」と言い換えた方がいいのではないか。

竹内によれば「日本は限りなくフラット化する社会になっている」そうだ。所得格差が広がり、差別が平然と横行し、アジア諸国を罵倒する言辞が横行するこの時代。「反日」という言葉(「非国民」と言い換えられる)が若者の間にもあふれる時代が「フラット化する社会になっている」らしい。

合掌

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

《大学異論27》「学ぶ権利」を奪われたマスプロ教育の罪──私的経験から
《大学異論26》「東大は軍事研究を推進する」と宣言した濱田純一総長声明文
《大学異論25》ロースクール破綻の無策と「裁判員裁判」の無法
《大学異論24》日本テレビが喧伝する「箱根駅伝」の不平等
《大学異論23》青山学院大学──経営者自らがぶち壊す「青学ブランド」

1.17と3.11は忘れない──鹿砦社の震災・原発書籍

 

大学に進学する学生に学習意欲があろうがなかろうが、大学が学生の「学ぶ権利」を奪ってはいけない。が、近年は少なくなったものの大規模大学や学生数の多い学部を持つ大学では、時に大学側から学生の「学ぶ権利」を奪うに等しい「ズル」が行われる。

教室の収容定員を大幅に超える履修者を配置すると学生の意欲は短期間で低下する。やかましくて講義を聴くどころではなくなるからだ。私は学生として、また大学職員としてこの「定員オーバー」講義に直面した。職員の立場からすれば、大学側が言い訳をしたくなるケースもない訳はない。選択科目で予想をはるかに超える履修者が偏ってしまい、他に使える教室がない場合はやむを得ず「定員オーバー」の教室を配当することしかできない。学生には申し訳ないと思いつつも他に手の打ちようがない。

◆定員オーバーの教室で「講義を静かに聞け」の無茶矛盾

だが逆もある。悪質なのは最初から履修者数が教室の定員を上回ることを承知で、しかも「必修科目」(卒要するためには必ず取得しておかなければならない科目)を「定員オーバー」の教室にあてがう行為だ。「必修科目」は1年次に配置されていることが多いので、入学間もない学生は真面目に教室へ足を運ぶ。そこには出勤時間の満員電車のような混雑が待ち受けている。詰めて座っても到底全員は席に就けない。それどころか立ち見の学生も同じ場所に立っているのがままならず体がぶつかり合う。

そんな状況で「講義を静かに聞け」と要求するほうが無茶だ。またどうあろうとも教室に収まらない学生の講義を担当させられた教員も気の毒と言えなくもないけれども、やはり被害者は学生である。

私の学んだ学部は「社会学」と「心理学」が1年次の「必修科目」だった。収容定員300名の教室に400名以上の学生が詰め込まれた。もっとも「必修科目」と言っても毎回の出席が取られるわけではなく「試験だけ通れば単位が取れる」と学生達が知るに従い教室の混雑は解消されていくのであるが、「全員学ぶように!」と大学が決めておきながら、まともに学べる環境を意図的に提供しなかった大学の姿勢は褒められたものではない。

◆学生の私を幻滅させた「心理学」「社会学」大講義のお粗末さ

しかもだ。その講義の内容が見事にお粗末だった。

まだ真面目な学生だった私は「心理学」、「社会学」とも初回から最終回まで欠かさず出席した。両科目とも前期と後期を別の教員が担当する形式だったが忘れられない教員が2人いる。「心理学」の前期担当で元少年刑務所の所長などを歴任していた高橋某(正しい名前は失念)という男と、後期「社会学」の竹内洋だ。

前置きが長くなったが、本音を明かすとこの二人の批判を書きたくてウズウズしていたのだ。だが彼らの講義がどんな状況下で行われたかも知っておいて頂きたかった。メインターゲットは竹内なのだが竹内は今日に至るも言論活動を続けている。竹内は近く徹底的に叩くこととして、名前を出したから高橋某の事に触れておこう。

高橋はヒステリックだった。初回講義で教室に入って来るなり「うるさーい!、だまれー!」と叫んでから講義を始めた。確かに教室はうるさい、というよりも押し合いへし合いだからざわついている。でもそれは学生の責任ではない。文句があるなら彼は教授会で問題を指摘すべきだった。怒鳴りつけられた学生の方が「なんでやねん」という気分だった。こんなに受講生がいるのであれば、クラスを2つに分けるなり時間をずらして同じ講義をするなりの対応を何故とらないのか、とやや腹立たしかったことだけは記憶している。

高橋の講義を聴き彼の素振りを見て、行政機関上がりの心理学者の権威主義ぶりと、ゆがんだ人間性を思い知った。講義を進めながら高橋は周期的に「うるさーい!、だまれー!」と叫ぶ。その言葉以外は決して喧騒を咎める言葉を口にしない。「話したいんだったら教室の外で話せ」とか「静かにしなさい」だとか言い回しは他にもありそうなものだが、十数分毎に突然発作のように「うるさーい!、だまれー!」と叫んだあとはまた何事もなかったかのように淡々と話を続けていくのだ。同じ言葉を叫ぶことが彼にとってはカタルシスになっていたのだろうか。精神科医に診せれば何らかの病名がついたことだろう。

◆自慢話と勘違いばかりの「心理学」講義が学生を絶望に誘う

高橋には自慢話があった。歴史的政治テロ事件として有名な社会党党首浅沼稲次郎が講演中に刺殺された事件の犯人、山口二矢(おとや)が逮捕された後、高橋が所長を務める東京少年鑑別所に送られてきたそうだ(匿名報道の観点から山口の名前の扱いにつては議論があろうが、もう有名なので実名にしておく)。大江健三郎が山口を主人公に描いた「セブンティーン」は高校時代に読んでいたので、この時は珍しく高橋の話に興味がわいた。

高橋は「こういう事件を起こした少年は自殺をする傾向があるから注意深く見守っておくように」と部下に指示を出したそうだ。だがご承知の通り山口は首を吊って自殺してしまっている。不思議なことに高橋は山口の自殺を防止できなかったことを少しも後悔していなかった。それどころか「自分は適切な指示を出したのに、現場の人間が不出来だった」と語り「どうだ、私は人を見抜く力があるだろう!」とばかりに神経質そうな顔をこの時ばかりはにやつかせ、眼鏡をかけた痩身が教壇の上で胸をはった。何という神経の持ち主か。こんな性格の人間が所長を務める少年鑑別所の中の地獄模様を想起せずにはいられなかった。

また高橋は「毎日5合ほど酒を飲んでいると必ず目の前に虫が飛ぶような幻覚を見るようになる」と頻繁に口にしていた。左党に聞かせたら「何をあほゆうとんねん」と一蹴されるだろうが高橋はそう信じていた。高橋は下戸だったのだろう。もしくは酒に絡んだ嫌な思い出があったのか。

どちらにしても、学生の学習意欲を削ぐために準備されたのではないか、と訝らざるを得ない教員と教室環境だった。高橋の講義を聞いて「心理学」に幻滅した学生は少なくなかったろう。「心理学」だけでなく「大学」そのものへの絶望を誘うに十分な「必須科目」であった。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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東京大学総長の濱田純一は1月16日以下の声明を発表した。
下記やや長いが、後世歴史的に重要な文章となろうから敢えて全文を引用する。

◎東京大学における軍事研究の禁止について(広報室)

濱田純一=東京大学総長

学術における軍事研究の禁止は、政府見解にも示されているような第二次世界大戦の惨禍への反省を踏まえて、東京大学の評議会での総長発言を通じて引き継がれてきた、東京大学の教育研究のもっとも重要な基本原則の一つである。この原理は、「世界の公共性に奉仕する大学」たらんことを目指す東京大学憲章によっても裏打ちされている。

日本国民の安心と安全に、東京大学も大きな責任を持つことは言うまでもない。そして、その責任は、何よりも、世界の知との自由闊達な交流を通じた学術の発展によってこそ達成しうるものである。軍事研究がそうした開かれた自由な知の交流の障害となることは回避されるべきである。

軍事研究の意味合いは曖昧であり、防御目的であれば許容されるべきであるという考え方や、攻撃目的と防御目的との区別は困難であるとの考え方もありうる。また、過去の評議会での議論でも出されているように、学問研究はその扱い方によって平和目的にも軍事目的にも利用される可能性(両義性:デュアル・ユース)が、本質的に存在する。実際に、現代において、東京大学での研究成果について、デュアル・ユースの可能性は高まっていると考えられる。

このような状況を考慮すれば、東京大学における軍事研究の禁止の原則について一般的に論じるだけでなく、世界の知との自由闊達な交流こそがもっとも国民の安心と安全に寄与しうるという基本認識を前提とし、そのために研究成果の公開性が大学の学術の根幹をなすことを踏まえつつ、具体的な個々の場面での適切なデュアル・ユースのあり方を丁寧に議論し対応していくことが必要であると考える。

平成27年1月16日
東京大学総長 濱田純一

[東京大学広報室の2015年1月16日掲載「お知らせ」を全文引用転載]

この持ってまわった言い回しは「東大話法」(安冨歩言うところ)の典型であり、浜田純一の得意とする詭弁でもある。あれこれいったい何が言いたいのか、本当の所はどうなのか、と煙に巻きながら結論は「軍事研究を推進します」と言う宣言に他ならない。

◆あまりに支離滅裂な濱田総長声明の「非論理性」

あまりに支離滅裂で、矛盾を全て指摘していると長くなり、読者には退屈だろう。だからこの文章の「非論理性」を象徴している一部だけを指摘しておこう。

「軍事研究の意味合いは曖昧であり」

と濱田は言う。そんなことは全くない。軍事研究は軍事研究に他ならずそれ以外の何物でもありえない。誰にでも分かる極めて自明な事柄を平然と歪曲している。

「学問研究はその扱い方によって平和目的にも軍事目的にも利用される可能性(両義性:デュアル・ユース)が、本質的に存在する」

これは一面事実ではある。科学技術、工業技術は最終的な完成品が何であるかによって、その性格付けがなされる。だから、平和に与するための科学はより慎重でなければならないとこれまで明確に「軍事研究」の禁止を建前にしていたものを、こともあろうに危険極まる「両義性」を理由に「どっちかわからないんだから軍事研究をしてもいいじゃないか」と開き直っているのだ。

東大が平然と軍事研究を行うと宣言したからには、おこぼれにありつこうとこれから雑魚どもが後に続くだろう。解釈改憲、有事法制の悪質な準備、そして大学における「軍事研究」の明確な開始宣言。悪くするとあと5年で徴兵制導入もあながち絵空事ではなくなってきた。

◆2012年3月の質疑応答で感じた濱田総長への不信感

総長一人でこの決定をしたわけだはないだろうけれども、私には濱田に対する決定的な不信感が以前からある。濱田は大学の秋入学実施を提言してみたり、目立ちたがりの人間であるが、研究者としての業績は極めて少ない。確かに話をさせるとなかなかの詭弁使いではあるけれども、その詭弁も以前から「これが東大総長のレベルか」と聞いている方が情けなくなる内容だった。

2012年3月3日東大で「日本マス・コミュニケーション学会60周年記念シンポジウム『震災・原発報道検証ー「3・11」と戦後の日本社会』が開催された。当時この学会の会長だった濱田は基調講演を行った。だが、ご想像の通り「原発報道」に関する問題指摘は一言もなく「表現の自由が、『絆』、あるいは頑張ろうという気持ちを醸しだしている」などと頓珍漢な話に終始した。

シンポジウムの最後に質疑の時間があった。そこで私は濱田に「マスコミの話をする前に原発推進大学の総長としての見解を聞かせろ」と質問をした。濱田は「確かに原発を推進した学者もいたが反対した学者もいた。組織として一定の考えを意見の内容や研究の内容について何か意思決定する、ということはすべきではないと思っています」と答えた。そして「私が今日お話したことは、表現ということ、情報を伝えるということの原点についてのお話しでした。それについてはご理解いただきたい。それと、原発の関係の学者が答えていない、とおっしゃいました。それをご本人たちがどう答えるかはわかりません。しかし、私は、きちんと自分たちで検証しろと。それは促しています。その結果彼らがどういった形で発表していくのか。それはわかりません。私は、組織としては、本人に対して検証しろと言う、それで十分だと思いますと」と語った。

濱田が私に答えた最後の部分は非常に重要な意味を持っている。「私は、きちんと自分たちで検証しろと。それは促しています。その結果彼らがどういった形で発表していくのか。それはわかりません。私は、組織としては、本人に対して検証しろと言う」と学会の場で約束をしたのだ。

東大の原発推進御油学者どもに発表の方法は決めないが「自分で検証しろ」と命じる、と明言したのだ。

さて、その後どうだろう。嘘八百を並べ立ててこの国を、あわや滅亡の危機にまで陥れた学者どもが何らかの反省の弁や、自分の検証をしただろうか。そんな奇特な輩は今のところ一人も見当たらない。

さて、この話には後日談がある。マスコミ学会は主催したシンポジウムなどをまとめて年に1度学会誌を出してる。そこには講演内容だけでなく質疑応答も掲載される。だが、私が質問をし、濱田が答えたこの日の質疑応答だけは学会誌に掲載されていないのだ!

空手形を口にしてしまった濱田が恣意的に削除したか、マスコミ学会の判断かは分からないが、濱田が「御用学者に検証させます」と約束した証拠を残したくなかったのだろう。
▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

《大学異論25》ロースクール破綻の無策と「裁判員裁判」の無法
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「専門職大学院」と文科省が区分する大学院がある。「大学院のうち、学術の理論及び応用を教授研究し、高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培うことを目的とするもの」のことである(学校教育法第99条第2項)。

通常の大学院は学部の上に位置し、研究を主たる目的としているのに対して、「専門職大学院」は「職業」を明確に視野に入れた教育研究がなされる場所とうことである。

その範疇に「法科大学院(ロースクール)」がある。法学部を卒業して法曹界に仕事を求めようとする人(司法試験受験を志す人)が学ぶ場所だ。司法試験受験は「法科大学院」進学以外にも方法はあるが、現在大多数の受験生は法科大学院を修了した人だ。

◆全国73校の6校しか募集定員に達していない法科大学院の惨状

そもそも「法科大学院」が設置された背景には法曹界の「人材不足」があった。あるいは「日本の裁判は時間がかかりすぎる」という批判も理由とされた。裁判官、検事、弁護士が足らないのだから人数を増やしましょう、ということで旧司法試験を大幅に改編して「司法改革」(裁判員制度の導入)とも併せて各大学は「法科大学院」を競うように設置した。

設置当初はどの大学も学生募集に関する限りは好調だった。「司法試験が大幅に簡易化される」=「合格しやすくなる」という安易な誤解がその背景にはあった。

だが、予想外の問題が起きた。スタッフを揃えそれなりの教育をしているのだから「司法試験」にはせめて半数位の合格者は出せるだろう、と考えていた大学のほとんどが、受験者中2割の合格者すら出せない有様に陥ってしまったのだ。そうなると「法科大学出身ながら司法試験不合格者」というマイナスのイメージを背負って仕事を探さなければならない。「潰し」が効きにくくなるのだ。たちまちその情報は大学生にも伝わり、志願者の急激な減少が始まる。2014年度、定員を満たしているのは全国にある73の「法科大学院」のうち、わずか6校に過ぎない。

既に募集停止を決めた大学も10以上出てきたし、これからも「法科大学院」の閉校は続くだろう。

◆遠からず破綻するロースクール制度

法科大学院地盤沈下、もとはと言えば明らかな国策の誤りだ。勿論それにホイホイと乗ってしまった各大学の軽薄さも情けなくはあるが、法曹関係者の人材不足だけがこの国の法曹界の問題ではなかったということだ。確かに弁護士不足は(数の上では)解消された。いや、むしろ弁護士の中には仕事にありつけない人が少なからずいる。かつては弁護士になれば余程無能でない限り、食べていくことに困ることはなかった。が現在は年収200万円得ることが出来ない弁護士が山ほどいる。

一方で「過払い金の取り戻し」を専門に派手に広告を打つ弁護士事務所はぼろ儲けしている。いつ世のでもあざとい奴は食いはぐれない。

法科大学院が実質的に「破綻」に陥り、法務省も今後は司法試験合格者数の抑制を打ち出した。何とも場当たり的な対応だ。

大学院は一般的に大学よりも学費が安い。が、専門職大学院は例外だ。入学金を含めると年間200万円を超えるところもある。国立でも年間100万円近くの学費がかかる。これだけでも経済的負担は推して知るべしだ。合格可能性の少ない司法試験を目指すための先行投資としてはあまりにも高すぎる。当然志願者も減る。そこで今法科大学院ではなりふり構わない「割引競争」が始まっている。もとより奨学金制度を持っている大学院は別だが、学費の割引を売り物にしている法科大学院は「志願者が寄り付かない」学校と考えてよい。遠からず潰れる。

◆法意識に疎い「市民感覚」で採決を下す「裁判員裁判」の恐ろしさ

不思議なのは、法科大学院と直結はしないものの「裁判員裁判」制度が日弁連も同意する中で導入されたことだ。裁判員に選考されて人を裁こうと裁判所に出かけるのは「国民の義務」らしいけれども、私は同意しない。どうして法律の素人が凶悪犯罪に限り判断を下すことが出来るというのか。裁判に臨む前に裁判員は報道や噂などから完全に隔絶されていて「ニュートラル」な考えの人ばかりであろうか。たった数日の法廷で被告人の量刑を決める。そんな知識や見識のようなものを裁判員が持ち合わせているだろうか。弁護士、検事、裁判官は皆何年も法律を勉強し、司法試験に合格し、司法修習生を経て法廷でそれぞれの役割の仕事をしている。

そんな学習を一切していない市民の「市民感覚」を参考にする必要なんてあるのか。

批判を恐れずに無茶を言う。裁判員として法廷で被告人を裁くに躊躇ない人は、法に無知であるか、心の中にサディスティックな因子を持っている人が多数だ。

裁判員を勤めたけれども、余りも激烈な内容に心を病み、生活に支障を来たすまでになった方が、国家賠償(国賠)を求める裁判が昨年、提訴された。この方以外にも裁判員を軽い気持ちで引き受けてしまったものの、後悔をしている方は少なくないだろう。

法科大学院と同様、裁判員裁判もこれから問題が噴出してくるだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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《大学異論18》「過激派」は学生でなく今の日本・安倍政権!──京大集会見聞記

青山学院大学(高校・中学を含む)教職員の285人(総数の約2割)の人々が原告になり、同学校法人を相手取り一時金の減額を巡り、提訴がなされていたことが明らかになった。

毎日新聞の報道によると、「教職員の一時金は1953年以降、就業規則で定める規定に基づいた額が支給されていた。しかし学院側は2013年7月、『財務状況が非常に厳しい。取り崩し可能な資金にも余裕がない』などとして、規定の削除と一時金の減額を教職員の組合に提案。その後、組合の合意を得ないまま就業規則から規定を削除した。2014年夏の一時金は、規定より0.4カ月分低い2.5カ月分にとどまった。学院側は教職員側に対し、少子化や学校間の競争激化を理由に挙げ、『手当の固定化は時代にそぐわない』などと主張。一方、教職員側は『経営状態の開示は不十分で、一方的な規定削除には労働契約法上の合理的な理由がない。学院と教職員が一体となって努力する態勢が作れない』などと訴えている」そうだ。(毎日新聞2014年12月25日付

なるほど。組合との合意がないままの一方的一時金の減額というのが表面上事件の様相だ。

このような「一時金」あるいは「給与」の一方的カットは、本当に経営状態が思わしくない大学では、珍しいことではない。だが青山学院大学は定数割れを起こしている学部があるわけでもなく、「MARCH」(明治、青山学院、立教、中央、法政)と呼ばれる東京の人気私大の一角を占める、いわば「勝ち組」大学だ。ではなぜ青山学院でこのような争議が起こっているのか。

◆国会議員、ファンド、裏社会まですり寄ってきた青学経営陣の拝金主義

私は「《大学異論12》大学ゴロ──学生確保の裏で跋扈する悪徳業者たち」(2014年10月16日)の中で名前を「AG大学」と伏せて青山学院大学の不祥事を予告していた。

青山学院大学の理事会と理事長は数年前から視野狭窄、拝金主義に走っていた。とりわけ理事長周辺には実に多彩な人間がすり寄っていた。現職の国会議員や新興ファンドの経営者、果ては裏社会の人間までが列をなしているという話を議員会館で何度も耳にした。私にこう教えてくれた人物は自身も企業の社長を務める民主党の議員だった。「金に汚いですよ」と顔に書いてあったし、その腹の内も隠さなかった。彼もおこぼれにあずかろうと息まいていたが、今では落選し落ち穂拾いをしているようだ。理事長はここ10年で数人代わっているけれども、その中でも青山学院の経営を大きく方向転換させたのは2005年から2010年まで理事長を務めた松澤建氏だった。

歴史があり、偏差値も高く、ましてやセンスがいい大学という評判の青山学院大学は、普通の経営をしていれば「財政状況が非常に厳しく」なることはない。大学の財務諸表は、専門知識のある人であれば、収入と支出を簡単に操作できるので、実際は安定的な財政状況であっても、短期的に「厳しく」見える指標を作り出すのはいとも簡単な操作である。が、2012年と2013年の青山学院の財政状況を見たが、収入、支出とも前年度より伸びており、特段の問題は見当たらない。「厳しい」どころかむしろ「拡大路線」まっしぐらだ。

◆拡大路線が引き起こす大学の瓦解

だとすると、ここで起きていることは、この連載コラムの第1回(8月19日)第2回(8月20日)でも紹介した立命館大学での事件、川本八郎氏が引き起こした「一時金減額」事件と同様の性格を帯びていると考えるべきだろう。大学内での歪な権力集中、経営者の暴走が止まらないのだ。

青山学院大学は2015年4月から「地球社会共生学部」を発足させるという。学部のコンセプトとして「青学らしいグローバル人材育成」と謳われている。今年、新興宗教団体である幸福の科学が大学を設立しようと文科省に申請をしたが却下された、設立を目指した幸福の科学大学の学部名には「人間幸福学部」や「経済成功学部」があった。「地球社会共生」も学部に冠する名前としては、不思議な語感と匂いが漂う。幸福の科学大学に似ていなくもない。混迷に陥った大学でしばしば起こる現象ではある。「独りよがり」によりバランス感覚を失ってしまうのだ。

私の知人に青山学院大学の「地球社会共生学部」の受験を考えている人がいれば、迷わず止める。もう合格票を手にしていても他大学への進学を勧める。

青山学院のスキャンダルはこの事件に止まらないだろう。

青山学院は理事長の専制と理事会の正常化が図られなければ、数年以内に凋落が明らかになることは明白だ。「青学ブランド」を経営者自らが壊すのはもったいない話である。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

《大学異論01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)
《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)
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いつも何度でも福島を想う

 

本コラムでも言及していた北星学園大学問題。田村信一学長が至極全うな声明を9月30日付声明を出して以来、同大学をめぐる状況はさらに悪化し、学外からの攻撃が激化した。一時は非常勤講師として勤務する元朝日新聞記者、植村隆氏の非常勤教員としての来年度契約を「結ぶのが難しい」と田村学長がこぼすまで状況は悪化していたが、同大学は英断を下した。

北星学園大学は12月17日付、北星学園大学理事長大山綱夫、北星学園大学学長田村信一両氏の連名で声明を発表した。詳細は北星学園大学のHPを参照されたいが、近年まれに見る格調の高さと、大学としての覚悟に満ちた歴史的とも言える内容だ。

◆「北星、ようがんばっとるやないか」では済まされない

この決断までには、紆余曲折があったことは既に報じられている。卑劣極まりない脅しや攻撃が北星学園大学だけでなく、植村隆氏さらにはそのご家族にまで及んでいた。安寧な生活が送れないほど植村氏の生活は脅かされていた。

大学の非常勤講師というと、名誉ある仕事であるように響くけれども、はっきり申し上げれば極めて給料の安い仕事である。90分講義を1コマ担当して、1か月2~4万円が相場だ。多くの有名大学在学生は「家庭教師」をすることにより、大学の非常勤講師よりもはるかに高い報酬を得ている。

しかし問題は金ではない。植村氏に対する卑劣な攻撃に対して、一時は腰が砕けそうになった北星学園大学が「この時代本当にそんなことがあるのか!」と驚くほどの勇気ある決断を理事長、学長が下した意味は非常に重い。

「決断」を示す文章が何をも「自負」したり、「構えて」いないことに更に頭が下がる。これまでの経緯を誠実に綴り、ブレがあったことを認めながらも最終的に植村氏の雇用継続に至ったことを包み隠さず語っている。

このような決断を前にすれば、その姿勢に賛辞を送り背中を押した人間達にもそれなりの責任が生じてくる。「北星、ようがんばっとるやないか」では済まされない。自らの名前を名乗る勇気も無い、しかしながら攻撃の手段を選ばない卑劣な輩たちは更に攻撃をエスカレートさせているに違いない。

孤立無援、苦境で戦う時、外部からの支援ほど力になるものは無い。理事長、学長が腹をくくったのだから、内部では議論があろうと頑張ってもらうしかない。幸い今日は誰でも気軽に応援する方法がいくらもある。応援の電話やメールは困難内部にいる人間に、勇気を与える。

私自身、かつて大学職員時代に大きな力で潰されかけた時、見知らぬ人からのメールにより、砕けそうになった心を取り戻し再度自分を奮い立たせることが出来た経験を思い出す。

私は暴虐の時代に決然とした姿勢を明らかにした北星学園大学に最大級の賛辞と賞賛、更に少ないけれどもカンパを送る。

◎関連記事?《大学異論11》「草の根ファシズム」の脅迫に抗した北星学園大学にエールを!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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いつも何度でも福島を想う

 

多くの大学で既に推薦試験が始まっている。志望校から合格通知を受け取って一安心の受験生もいるだろう。が、この時期になっても確信を持って志望大学、学部を決めきれていない受験生もいるのではないか。それはそれで無理もない話である。大学の情報はインターネットやオープンキャンパスでかなり得ることができるが、肝心の「自分の将来像」が描けていなければ、その準備期間を過ごすこととなる大学選択は容易ではない。高校生で「自分の将来像」が描けてる生徒など一握りに過ぎず、それは企業への勤労者(会社員)が社会の中で多数を占める現代において無理からぬことである。

そこで受験生が進学先学部を決めるにあたって、参考にして頂きたい視点を以下何点か紹介してゆこう。ただし大学、学部選択の要素はこれだけに止まらない。ほかの視点からの大学選択法は近くご紹介したい。

◆大学が列挙する「資格取得」に騙されるな!

大学を無事卒業すると「学士」号が授与される。これが大学を卒業した証になるわけだが、各大学は「付加価値」を高めようと各種資格の取得(または受験資格)が可能となる課程を設けている。

一般的なところでは「教職課程」だ。文系の学部であれば中学・高校の「国語」、「社会」、「英語」などが多く、理系であれば「理科」、「数学」が主流となる。教職課程は「将来何かあったら教師になれるから」と比較的受講人数が多い。

しかしながら、将来教師を職業として目指す人以外には教職課程の取得はお勧めできない。その理由は第一に少子化が進展する中で、教員採用数自体が右肩下がりで、仮に教職免許を持っていても実際の採用試験に合格できる可能性が極めて低いからだ。第二に20単位以上の必修科目履修しなければならず、プラス教育実習、最近ではそれに加えて介護体験なども加わり、大学生として過ごせる時間のかなりを取られてしまう。大学の卒業要件は一般に124単位だが、教職課程履修者は150単位近くを習得しなければならないのだ。本気で教師を目指す人以外には無用な資格だろう。

また、「図書館司書」、「博物館学芸員」なども教職同様に設置している大学が多く、取得自体は可能だが、採用数が極端に少なく、この2つの資格を持っていなくとも図書館や博物館で働く人もいるなどほとんど取得するに値しない資格だ。履歴書の資格欄に「図書館司書」や「博物館学芸員」と書いてもほぼメリットはないと考えてよい。

これら国家資格の他にも実に様々な資格が準備されているが、資格課程を多く並べている大学ほど、本来の教育内容に自信がない、という傾向がある。大学は本来学問を究める場所であるので、予備的に供えられた資格課程に惑わされてはいけない。

◆看護、薬学、心理学を選択する際の留意点

近年、急増している「看護」、「薬学」、「心理」についても慎重な検討が必要だ。看護師不足は確かに深刻であり、「看護師」の資格を得ればほぼ就職からあぶれることはない。4年生大学の看護学部は概ね9割以上の国家試験合格率を出しているので、看護学部進学は就職へ直結と考えられる。

が、一部大学の看護学部はそのスタッフ、学生の扱い、学費などに深刻な問題がある。詳しくは延べないが、病院経営と大学経営の両輪で運営している私大には要注意大学が少なくない。また「看護学」は世界的にも未だ確固たる学問領域として確立されたと言い切れない部分があり(「看護」自体の歴史は古いが「学問」としては新しい分野である)ので、教員スタッフや大学自体についてしっかり調べたうえでの大学選択が重要だ。

文科省の方針で、医学部の新設はほぼ認められていないので、代わりに薬学部を開設する大学がここ10年ほど目立っていた。薬学部は薬剤師の資格習得を基本的には目指す学部で6年制だ。私学であれば学費も安くはない。薬剤師資格の社会的価値(マーケットバリュー)と薬学部への学費を天秤にかけるのは、あまりにも単純な比較だが、「医薬分業」(医学的治療は病院若しくは開業医で、薬の処方は薬局で)という国の施策の中、一般薬局に勤務する薬剤師の給与はどんどん下がっている。大病院や研究所、大学などに勤務していると一般の会社員より安定的に良い待遇を得られるが、大資本のチェーン店のドラッグストアなどでは時給が1500円を下回るケースも少なくない。

薬剤師免許は確かに有効な資格だが、それが豊かな収入の必ずしも保証するものではないということは、知っておいてよいだろう。

近年、総合大学でも新設が相次いで、やや過剰な感があるのが「心理学部」だ。心理学自体は欧米に比べると日本では大学で学部単位の学習の場の設立が遅れていたことは事実だ。ただ、心理学という学問の基礎知識を持ってこの学部を選択しないと、後悔が待っている。「心理学」という響きから受験生が思いつくイメージは圧倒的に「臨床心理学」に偏っている。将来の職業像も「カウンセラー」や、「臨床心理士」だろう。

しかし、「心理学部」を卒業しただけでは「臨床心理士」は取得できない。「臨床心理士」取得のためには修士号(大学院進学)が必要だ。しかも「臨床心理士」は公的資格ではあるが「国家資格」ではない。

心理学部への進学が「カウンセラー」関連の職業に直結しないことも(勿論その基礎知識を学ぶことは出来る)知られておくべきだろう。しかし純粋に学問として心理学を勉強した人は社会の幅広い分野で活躍している。

◆「グローバル」は疑え!

世は「グローバリズム」の時代だという。人、モノ、金が国境を越えて多量、急速に行き来するのが「グローバリズム」や「グローバリゼーション」らしい。大学にも「グローバル」を謳う学部が急増しているし、どこもかしこも「グローバル時代に」を枕詞に特徴を語ろうとする。でも、「グローバリズム」の本質は何であろうか。なぜ「国際化」という日本語があるのにわざわざ「グローバリズム」と言い換えるのだろうか。私の偏った見方では、大学における「グローバリズム」はたぶんこれある種の国策と一時の流行だ。確かに国外に出かける人や来日する人の数は増加している(大学の交換留学なども増加した)。

しかし、その現象は1980年代から既に始まっていた現象で、それが拡大したに過ぎない。何も21世紀に入ってから急に世界が「グローバル化」(国際化)してきたわけではない。そして近年、世間で言われるような「グローバリズム」は米国と多国籍資本主導の「新自由主義」を押し付けるとの意図が見え隠れする。大学が嬉々として飛びつくような概念ではないと思う。

「時代の要請」というと錦の御旗のように聞こえるが、意地悪な言い方をすれば「流行になびく」だけのことだ。

例えば、かつて「21世紀にはソフト開発技術者が20万人不足する」と政府が吹聴した時代があった。SE(システムエンジニア)と呼ばれる職種を中心とするプログラム開発従事者がコンピューターの能力向上と汎用化で枯渇するから、「大学はその人材を育成せよ」、と国が指令を出したのだ。しかし実際にはSEの職場に就職したのは半数以上が文科系学部出身者であった。電子工学やコンピューターを専門としない人間たちによってSEの現場は担われていた。しかしこの職種は大企業であっても過酷な労働環境がほとんどで、仕事は覚えたもののほぼ20代後半から30代半ばで使いつぶされ、体を壊す、というパターンが当たり前になった。

当時、大学では「コミュニケーション」が新設学部の流行キーワードだった。「マルチメディア」などという言葉も散々飛び交っていた。で、現状はどうだろうか。確かにクライアントの要請に応じてプログラムを作成し、調整するSEの仕事の需要は確実に存在するけれども、「BASIC」、「C言語」、「COBOL」などのコンピューター言語だけを知っていても実務はこなせない。もう古いのだ。「JAVA」が登場し、さらに次の言語が開発されるだろう。SEとして会社勤務を経験した人のほとんどが転職を経験している。

一時的な産業界の要請に人生を合わせていこうとすると、「時代」という気まぐれに梯子を外される。私には「グローバル」も似たような軽薄な流行に思われる。時代は何年も前から「国際化」が進展しているのだ。

◆「リベラルアーツ」の再発見

大学の学部名は昨今新聞紙上で問題にされるくらいに多様化している。多分その歴史の最初が「経営学部」の誕生だったろう。「経済学」でも「法学」でもなく「経営」は企業や組織の運営を労働者ではなく「経営者」の立場から科学する学問だ。家業を継ぐ予定のある受験生や、本当に「企業経営」に関心がある受験生は別だが、「経営学部」を出たからと言って、就職に有利だとか、経営者の考え方が分かるなどということはない。

「リベラルアーツ」という言葉がある。平たく言えば「広い基礎教養」とでも訳せばよいだろうか。かつて大学には必須科目として「一般教養」が置かれていたが、それよりも広い概念で人文科学、社会科学、自然科学を網羅的に学ぶことを目指すのが「リベラルアーツ」の考え方だ。

例えば、法学部に進学すれば基本的に法律の勉強をする。4年間かけて自分が専門とするテーマを絞っていき法学の中で専門を極めるわけだが、「リベラルアーツ」は言わば「広く浅く」(時には「広く深く」)知識、教養を身に着けることを目指す。やたらと細分化した学部名が増えた大学の中では「リベラルアーツ」教育を価値を見直す動きがあり、その名前を冠した学部もあるし、「教養学部」、「人文学部」などといった名前の学部はおおよそ「リベラルアーツ」志向の学部だ。

将来像が描きにくい受験生には豊かな教養を身に着ける観点から一度検討をお勧めしたい領域だ。

また、先の「グローバル批判」と矛盾するようだが、比較的社会で通りがよいのは語学関連の資格試験だ。英検、TOEFL、TOEICなどで高得点を得ておくことは単に体面上の武器になるだけでなく実際の社会生活でも役立つのでお勧めできる。

そして出来れば英語以外にもう一つ意思疎通可能な言語を習得しておくと知識吸収やコミュニケーションの幅が格段に広がる。大学時代は幸い時間にゆとりがあり、まだ脳も硬直化していない。大学の講義を受講するだけでなく、自己で外国語の習得を試みることだって可能だ。

以上述べたように、大学選択もさることながら、学部の名前である程度のふるい分けをすることが可能だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

『NO NUKES voice』鹿砦社本領発揮の第2号!田中俊一委員長をおっかけ直撃!

11月9日、同志社大学学友会倶楽部の主催でニューヨーク州立大学教授、矢谷暢一郎さんの講演会「新島襄の良心と今日のアメリカ」が行われた。前日の「浅野健一ゼミ」にもゲストとして登場され、連日の講演ながら会場には同志社大学卒業生を中心に約200名の聴衆が集まった。

矢谷さんはベトナム反戦運動が燃え盛る中、同志社大学で学友会(全学自治会)の委員長として活躍し、京都府学連委員長も経験されている。いわば同志社大学学生運動の花形だ。

私自身は矢谷さんと面識はなかったが、何人も知人を介せば必ず行き当たる、いつかはお会いしたい方だった。講演前に昼食をご一緒させて頂いた。面構えはジェントルマン、隠岐の島ご出身とのことで特有の語り口をなさる。受け答えは軽妙、気さくで優しい方だ。

講演の内容は矢谷さんが米国当局に不当逮捕された「ヤタニ・ケース」も含めて、米国でのご経験から現在日本の危険な状況、特にアジア諸国への侵略視点を失って80年代以降の繁栄を享受してしまった過ち、更には福島原発事件で日本が国際的に「加害者」となった。など卓越した視点から今日の日本、世界の危機を鋭く浮かび上がらせる内容であった。そのエッセンスは今月、鹿砦社から発刊された『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学』にもおさめられている。

矢谷暢一郎(やたに ちょういちろう)ニューヨーク州立アルフレッド工科大学教授(心理学)。同志社大学在学中の1960年代末、学友会中央執行委員長としてヴェトナム反戦デモの指揮をとった

◆米国を揺るがした「ヤタニ・ケース」

先に触れた「ヤタニ・ケース」は、米国全土を揺るがした大事件だ。

「ヤタニ・ケース」は1986年、矢谷さんの過去に因縁をつけた米国当局が当時、ニューヨーク州立大学講師だった矢谷さんを海外の学会から米国に戻った際、空港で逮捕したことに端を発する。これに対し、オノヨーコをはじめ多数の支援の輪が広がり、ついには米国議会の公聴会に矢谷さんは呼ばれることとなり、米国の法律がこの事件を機に変更を余儀なくされたという前代未聞の大事件だ。矢谷さんは望んでこのような闘争に引き込まれたのではなく、あくまで米国による嫌がらせに端を発している事件である。

講演は「ヤタニ・ケース」への言及も含め、独自の語りと内容の深さに於いて極めて卓越していた。矢谷さんが大学教授となった今も、立場は異なれ「闘い」を放棄していないことの宣言のようでもあった。

しかしこの日、私にとって最も印象的かつ胸に迫ったのは「質疑」の時間だった。矢谷さんは講演の中でも自身がかかわった運動で、「運動にかかわった為に後輩が命を落とすことになった。せめてその落とし前として大学を卒業しないこととした」と語られていた。それに関連してた問いが投げかけられた。

「あの当時の運動が内ゲバなどを引き起こしたことの原因は私達自身の中にあるのではないか」

質問者はたしかこのような趣旨を聞かれたと思う。矢谷さんは檀上でしばし黙した。2、3回軽く肯いたようにも見えた。絞り出すようにして一言、「そうだと思います」とだけ答えた。矢谷さんが黙している間に会場からは「そんなこともうどうでもいいだろう!」、「未来をみろよ!」などいくつかの声が交錯した。

質問者が問いを発してから、矢谷さんが「そうだと思います」答えるまでの数十秒、自分が何の関係もないはずなのに、私は自身に矢のような質問を突き付けられた気がして気脈が乱れた。「そうだと思います」と答えた矢谷さんの目には涙が溢れていた。自分の責任から逃げない。過去から逃げない。後悔した過去を軽く忘却しない。闘う人間の誠実な心が「そうだと思います」たる短い答えに凝縮されていた。ああ矢谷さんはあの人に通じているんだな、と姓を同じくする私の先輩を思い出した。胸が熱くなった。

◆良心を継ぐ者たち

矢谷さんはこの日の講演でご自身が学友会の委員長や府学連委員長を経験された「事実」は語られたけれども、それを自負したり、自分が如何に闘ったなどは一言も語られなかった。「責任者になったものは責任を取らんといかんのです」と述べられただけだ。あの先輩もそうだった。矢谷さん同様、学友会委員長、府学連委員長に就き、学内で学生による殺人的なリンチを受け瀕死の状態になっても「あくまで学内問題です。後は任せてください」と病院で語り警察の大学介入を断固阻止した田所伴樹さん(故人)。

加害学生を裁く法廷に証人として呼ばれたが「宣誓」を拒否し、被害者が逆に逮捕されるという歴史に残る闘いを貫いた田所さん。警察権力・国家権力の大学介入を身をもって阻止した彼も、こちらが余程酔わせても滅多に「昔の話」には乗ってこなかった。

『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学』では、矢谷さんが敬愛した藤本敏夫さん(故人)への思いが綴られている。加藤登紀子さんのお連れ合いであった藤本敏夫さんも、矢谷さん、田所さんと同様、学生運動経験者の中で知らないものはいない。矢谷さんと藤本さんは、藤本さんと田所さんがそうであったように、頼れる先輩を持った共に重責を苦悩する若き闘士だったのだろう。

威勢のいいデモやアジテーションの話なんて彼らはそうそう簡単にはしてくれない。「わしらの若いころはな!」と口角泡を飛ばし懐古趣味を語る老人にはない迫力がその沈黙の中にある。久しぶりに本物の「闘士」に出会った気がした。私の知る「闘士」は皆優しい。

▼田所敏夫(たどろこ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎《大学異論18》「過激派」は学生でなく今の日本・安倍政権!──京大集会見聞記
◎《大学異論19》警察が京大に160倍返しの異常報復!リーク喜ぶ翼賛日テレ!

 

 

闘う心理学者、矢谷暢一郎さんの書き下ろし最新刊『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学━アメリカを訴えた日本人2』(鹿砦社)

 

11月13日、先の記事で私が予想した通り、京都大学への「反動」攻撃が始まった。学生寮である熊野寮に、多数の公安警察と160人の機動隊(日本テレビによる)が捜査の名の下「侵入」した。

捜査令状は11月2日東京のデモで公務執行妨害で逮捕された学生の捜査を口実にしているようだが、公務執行妨害は、計画的犯行に適応されることは稀であり、仮に学生が警察の主張通り機動隊をデモの際に引っ張ったり、押したとしても、そんなものを計画した証拠などある道理がない。第一公務執行妨害程度の嫌疑で京都府警ではなく、警視庁が出動してくるのはかなり異例の事態だ。

◆屈辱の暴走──警察が学生を引きずり倒す違法行為

そもそも、至近距離から逮捕の状況を撮影したビデオを見ると、明らかに警察が学生を引きずり倒している。これは公務執行妨害ではなく、特別公務員暴行陵虐罪(警察官などの暴行を裁く法律、最高刑は懲役7年)に該当する行為ではないのか。

京都府警公安2課の井上裕介が京大内で取り押さえられたのが、警察には耐え難い屈辱だったことの反証だ。

でも、私が驚いているのは警察の行動ではない。世には「暴力団」と呼ばれる集団があるが、詳細に分けると2種類に区別できる。民間人で構成され時に「ヤクザ」と呼ばれる人々と、公営(税金で賄われた)の「警察官」と呼ばれる連中だ。「ヤクザ」は時に包丁を持っているだけでも銃刀法違反で逮捕されるが、警察官は拳銃を携行していても決して捕まらない。

民間の「ヤクザ」は常に悪事を働くと報道され、多くの市民は恐れているのに対して、公営の「暴力団」である警察官は常に「正義の味方」であるような誤解がある。だが、民間・公営双方組織の原理原則は変わりはしない。それは「暴力と恐怖」による支配だ。警察官が暴力的であるのはヤクザが刺青をしている程度に普通の事なのだ。

◆30年前の「化石」映像を流し、「現場は混乱」と叫ぶ日本テレビの「狂気」

私の暴論は平安な暮らしをしている善男善女の皆さんには奇異に聞こえることだろう。

だが、削除されない限り下記の映像をご覧頂きたい。

◎「速報 京都大学の熊野寮に家宅捜査入る!」(2014年11月13日)

これは日本テレビで流された映像だ。熊野寮前からの中継映像も含まれていた。中継映像の中でアナウンサーは「たくさんの公安の方が」とか「機動隊の方々が」あるいは「部隊の方々」と敬語用法上明らかに誤った発言を繰り返していた。

公安や警察官、機動隊はそれ自体が職務の名前なので余程の敬意を払う時以外には「公安警察」、「警察官」、「機動隊(もしくは機動隊員)」と呼ぶのが妥当だ。が、このアナウンサーは本心を吐露してしまったのだろう。それはどういうわけか通常では事前に知る由もないガサ入れ現場に、事前から待機していた日本テレビを含むマスコミ各社の人間の共通した声かもしれない。警察=「善」、学生=「不届き者」と いう救い難く、理に堪えない低劣思考である 。

私はマスコミが警察のリークにより、ガサ入れが行われることを事前に知っていたと確信する。

そして、アナウンサーは「現場は大変混乱しています」とも繰り返した。それは当たり前だろう。例えば、貴方の家にいきなり数十人の暴漢達が訳もなく侵入しようとすれば、普通はドアを開けないだろう。それでも暴漢達が怒号を発しながらドアを開けようとすれば、内側からドアを開けられまいと必死で抵抗するのではないか。

その光景をテレビが中継していて「現場は大変混乱しています」と報じられたら貴方はどう思うだろう。「混乱」を引き起した責任が貴方(若しくは双方)にあるような報道をされても平然としていられるだろうか。アナウンサーが「暴漢の方々が次々と集結しています」と報じられた日にゃ、テレビを蹴飛ばしたくなりはしないか。

日本テレビのアナウンサーが熊野寮前から中継で発した言葉は、提示した例と何変わらぬ光景である。狂っていると思う。

そして、その光景を如何にも深刻そうな顔をして覗き込んでいるコメンテーターの中に元防衛大臣森本敏の姿があるではないか。自民党をこよなく愛し、改憲の必要性や日本の軍事大国化を熱心に説いていた森本は民主党政権からお声がかかると、これ幸いと防衛大臣のいすに収まった人間だ。

こんな軍国主義者(かつ変節漢)をコメンテーターとして出演させる番組の司会は「原発が止まったら江戸時代に戻っちゃうじゃないですか」と発言した宮根誠司だ。こんな連中からまともな(少なくとも中立な)コメントがなされる道理がない。宮根が何の恥じらいも反省もなく司会を務める番組は、中継映像の後に30年前の三里塚闘争(成田空港建設反対闘争)の際の映像を流し、学生たちがあ たかも現在も暴力行為を続けている集団かのように宣伝した。

「アラー怖いわね」と事情を知らない視聴者はまたしても権力の思う壺、「学生は過激派だから仕方わ」と世論誘導されてゆくのだろう。しかし、見逃してならない事実がある。日本テレビは、学生の一部が所属する組織の暴力性の証として約30年前の事件を提示することしかできていない点だ。30年前に学生は生まれていなかった。そしてそれ以降、彼らの一部が属する組織が「暴力的事件」を起こしているのなら日本テレビは必ず最新の事件を使ったに違いない。しかし、そのような映像は準備できなかった。なぜならそれ以降マスコミが喜ぶ「暴力事件」自体がないからだ。

私はテレビを見ない。この習性はかれこれ30年ほどになる。今まで人に勧めたことはない。でも今日はそうしてもいいかな、と少し感じている。

[関連記事]
◎《大学異論18》「過激派」は学生でなく今の日本・安倍政権!──京大集会報告
◎《大学異論16》京都大学が公安警察の構内潜入を拒否するのは100%当たり前!

▼田所敏夫(たどころ・としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しない問題をフォローし、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心が深い。

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10月12日正午から京都大学で「11・12抗議行動実行委員会」主催による「全学緊急抗議行動」が行われた。京都大学全学自治会同学会が中心となり、様々な大学の旗や団体の旗がはためく集会だった。

◆制服姿の高校生も長時間、耳を傾けた

同学会の学生諸君にお目にかかるのは初めてであったが、現在、日本や世界についての状況分析からデモにおける学生の不当逮捕、それに続く京大への公安警察侵入を捕捉した意義と問題点などが基調演説で語られた。うんうん。最近の現役学生にしては非常によく勉強しとるわい、と感心させられる(こんな表現は失礼か)。続いて各団体の発言となり、熊野寮や学部自治会、まるっきりの個人からの発言も相次いだ。学生だけでなく労働団体や市民団体も参加していた。

ざっと見渡したところ参加者は主催者発表で300人、警察発表で70人というところであろうか。印象的だったのは制服姿の高校生が長時間集会に耳を傾けていたことだ。

京大全学自治会が所属する「全学連」委員長も駆けつけており、強い調子のアピールを行っていた。別の学生は「今日もこの中に公安がいると思いますけど」と冗談交じりに発言した。私の後ろにはちょと怪しいスーツ姿が2人いたが一瞬彼らはたじろいだように思う、勘違いかもしれない。

京都大学で11月12日、不当逮捕と公安の侵入に抗議する「全学緊急抗議行動」が開かれた(筆者撮影)

◆学生に「過激派」のレッテルを張る国家こそが究極の過激組織

そして私は思いを巡らした。目の前で発言する学生は「戦争に向かう安倍政権を許せないし、それに対抗する学生を逮捕する弾圧は許せない」、「日米ガイドライン見直しと特定秘密保護法の施行が迫っている。この国は戦争に向けてまっしぐらだ」、「なぜ、大学との約束を破り大学に潜入した公安を拘束したのが『行き過ぎ』と言われて、なんの暴力も振るっていないデモ参加者を引きずり倒して逮捕するのが正当化されるのか? 『過激派』だからというが、どっちが過激なのか?」と。

最後の発言は、ここ20年ほど私の頭の中で行きつ戻りつしてきた疑問でもあった。警察や公安調査庁は「過激派」、「極左暴力集団」と呼ぶけれども、ゲバ棒どころかヘルメットすら被らなくなった、彼らのどこが一体「過激」なのだと。私は特定党派の擁護をしているのではない。むしろ彼らにはある種の歯がゆさすら感じる。無責任の誹りを恐れずにいうなら「革命」に相応しい行動してくれよな、という内心がないわけでもない。いやダメだ。こんな発言に私は1ミリも責任を持てない。

だが、断言できる。レッテル張りで「過激派」、「極左」という警察用語を恥もなく用いる、あるいは疑わない新聞記者やマスコミの連中の頭脳の方が「反動に乗じる」という力学の中で余程「過激」であることを。凡そどれほどの動員力や資力を保持しようとも、この国において「国家」を超える「過激派」など存在しえた歴史はない。国家こそが戦争を、死刑を、資本を、些細な公務執行妨害(ほとんどのケ―スはでっち上げ)を独占しうる究極の過激組織ではないのか。

◆森喜朗政権と安倍政権の温度差──15年弱で蔓延した御用マスコミ・文化人

例えば、その補完機能として日本テレビ系列に最低クラスの情報番組として「バンキシャ」という番組がある。この番組に出るコメンテータは全員御用学者か、検察出身の弁護士、あるいはおでたい御仁で「早く国粋主義を!」と主張する連中ばかりだ。

そこに先週作家で法政大学の島田雅彦が登場した。島田の名前が世に出たのは「優しいサヨクのための嬉遊曲」(1983年)だった。「この弱虫め、お前のような奴が敗北を呼び込んだのだよ」と若気の至りに怒りながら読んだ記憶があるが、番組の中で島田は「公安の人たちが容易に身分が分かってしまうと職務上問題があるんじゃないのか」と発言をしている。いや、正確に訳せば「公安の人達はもっと身分が分からないようにして職務を遂行すべきです」と訳せるじゃないか!

かつて「オットセイの体に蚤の脳味噌」と比喩された森喜朗という首相がいた。森は麻生と同程度に日本語が苦手なので失言を繰り返し、最後は支持率が一桁になった。森と比べて安倍の支持率はたぶん実質の10倍以上水増し操作されている。ありがたくも賢く相成ったマスコミのお蔭だ。

京都大学の帰路立て看板に学生サークルが「青山繁晴」の講演会を開くという宣伝があった。私が知る限り「安全保障の専門家」を自認する青山は共同通信勤務時代に海外出張の際、経費をごまかした咎で自主退職に追い込まれた輩だ。「テレビアンカーでおなじみの!」と学生は青山をテレビ出演の実績で讃えていたが、京大に合格する能力があっても青山の吐く明白な嘘と恫喝の羅列の本質には思いが至らないのか。その点ではこれも「過激」な現象だといえよう。

こと戦争に向かう方向性においては我らが偉大なる首相「安倍」同志が畏くも「解釈改憲」という妙案を用いて近道を作り出してくださった。その「安倍」同志が間もなく解散総選挙に打って出るという。所費税が8%になり、大臣が金銭疑惑で辞任しようが、景気が冷え込んでも何ってことない。マスコミは順風満帆、いつでも「安倍」同志の露払いであり懐刀だ。

過激なのは、公安を取り押さえた学生なのか? それとも時代なのか? この問いは重い。

※関連記事=《大学異論16》京都大学が公安警察の構内潜入を拒否するのは100%当たり前!(田所敏夫)

▼田所敏夫(たどころ・としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しない問題をフォローし、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心が深い。

 

元・赤軍派議長、現・駐車場管理人の塩見孝也がいま再び動き出す! 鹿砦社渾身の最新刊『革命バカ一代 駐車場日記──たかが駐車場、されど駐車場』

 

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