「ミスコンテスト」(ミスコン)は下火になったものの町おこしや、企業のPRで相変わらず行われている。かつての「ミスコン」は女性が容姿を主に競うものであった。フェミニズムのみならず女性を「商品」として見るていると問題視する人々から批判を浴び、最近では女性の知識や能力を加味した選考を行うと謡っているものが増えたが、それとて実際は女性の「美人競争」の感がぬぐえない。

◆一味違った某大学の「女王」

毎度、手前味噌で恐縮だが、私の勤務していた大学の学園祭にも(このコラムの過去記事をご覧の読者にはその学園祭が一般大学のそれとはかなり趣が異なることはご理解いただけているとは思うが)「ミスコン」があった。ただし、その「ミスコン」は最初からストーリーが出来上がっていて、ステージに登場する「女性」の半数以上は女装した男子学生だったり、優勝者はあらかじめ決められており、舞台上でのやり取りも「吉本新喜劇」みたいな出来レースであった。

フェミニズムの世界で知らない人のいない、○野千鶴子先生はじめ、多数のフェミニズム教員が在籍していた大学だから、通常の「ミスコン」など行えるはずもないし、大学も女性の差別は許さないのは分かり来ている。学園祭を主催する学生たちの感性は我々教職員のそれをはるかに凌駕する鋭さがあった。

私が着任した年に行われた学園祭での「ミスコン」では、その年に入学した学生(つまり1年生)が優勝者に内定していた。確かに顔立ちはそこそこ整っているが、口数も少ないし、どうしてこの学生を学生たちが「女王」に選んだのか、実際の舞台を見るまで私にはよくわからなかった。彼女は恥ずかしそうに舞台に登場すると、司会者からいくつか質問を受け、音楽に合わせてゆるやかに踊り出した。すると驚いたことにそれまでの恥じらいの表情が、徐々に変化を見せ出した。全身から人を引き付ける不思議なオーラのようなものを発し始めたのだ。「自分が多数の人から見られていることに対しての喜び」のような表情に変わっていく変化を今でもはっきり覚えている。決して踊りが上手でも、振る舞いが派手なわけでもない。下手な芸人より面白い話をする参加者も他にいたが、なぜか輝いている。そんな彼女が予定調和ながらその年の「ミスコン」では彼女が「女王」に選ばれたのが何となくうなずけた。

◆学生の慧眼をなめてはいけない

それから約1年半後、私は彼女から相談を受けることになった。彼女は3年次に半年海外留学が決定していたのだが、それを取りやめたいという。海外留学は彼女が個人で計画したしたものではなく、大学が選考して派遣する制度を利用したものだった。その留学手配業務が私の仕事だったので彼女は相談に来たのだ。理由を聞いてみると「テレビの深夜番組へ出演できるようになった。将来は芸能界の仕事がしたいのでこのチャンスを活かしたい」という。しかし詳しく聞くと「テレビ出演」と言っても深夜のローカル番組で、タレントが話す後ろに座って場を賑あわす、「ひな壇」の一人に過ぎないらしい。私は彼女の才能は知らないものの、芸能界で成功することの難しさは予想できた上に、半年間の留学で大いに成長した学生を何人も見え来ていたこともあり、彼女に再考を促した。が、彼女の意思は固く結局留学は取りやめることとなった。

担当していた教員にも相談に行った。「あんな馬鹿番組に出ただけで売れるわけないわよ、っていくら諭しても聞かないから仕方ないわ」というのが指導教員の話だった。

数年後、彼女は松竹芸能所属の漫才師として全国に名が知られる存在になっていた。白と黒の駒の色の数で勝敗を競うゲームがコンビの名前だった(え?わかりにくい?オセロだよ!オセロ!もうネタバレ覚悟だ!)。

私はテレビを見ない。それでも週刊誌や知人の話に頻繁に登場するくらいの売れっ子になっていた。留学を止めたいと相談に来た時に強引に説得しなくて良かった、と彼女の成功を喜んだ。

その後、あれこれトラブルがあって急激に太ったとか、洗脳されて引き籠りになったとか、井上陽水と出来た(事実ならあっぱれ!)などあまり芳しくない噂を聞くにつけ「やっぱり、止めといた方がよかったのかな」とも思うことがないでもなかったが、彼女の選んだ人生だ。あとはよろしくやってってくれとしか言いようがない。

それにしても、大学1年で彼女に宿る「才能」(運?)を見出して、「ミスコン」の「女王」に選び出した学生たちの慧眼に恐れ入る。学生をなめてはいけない。

 

▼田所敏夫(たどころ・としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しない問題をフォローし、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心が深い。

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11月4日、京都大学構内に潜入していた川端署の公安警察が学生に発見され、学生が取り押さえ身分確認などを行うという諍いがあり、京都大学当局は警察の行為を(学生の行為ではない)「極めて遺憾」と表明した。学生が潜入した公安警察を取り押さえたのは「極めて当然な行為」である。

「大学の自治」、「学問の自由」などについてはこれまでもこのコラムで触れてきたが、その究極は「大学の国家からの自由」であり、国家の暴力装置たる警察を大学が拒絶するのは、原理的に自明過ぎるほど自明である。

近年、こういった大原則についての不理解や、国家の側からの締め付け、更には痴呆化した大学が自ら警察を学内に招き入れるなどという、自殺行為が何の疑問もなく横行しているので、京大生の今回の行為を正しく理解できなかったり、奇異な目で見る向きもあるようだ。だが、大学と警察の間に本来、親和性はないし、あってはならないのだ。

しかも今回、京大に潜入した公安警察はその数日前に行われたデモで京大生が逮捕されたことに対する抗議集会を探りに来ていたというのだから、学生に拘束されたのは、あまりにも当たり前である。デモにおける京大生逮捕(公務執行妨害)がでっち上げであるにもかかわらず、警察とはかくも陰湿な手を使い学生や大学を監視、弾圧するのである。

小出裕章=京都大学原子炉実験所助教

◆小出裕章=京大助教に見る「筋の通し方」

同じ京都大学に在籍する原子炉実験所の小出裕章助教は先ごろ前首相菅直人の訪問を打診され、それを受けたものの、SPが付いてくると分かったため、大学の構内に入れることをよしとせず、勤務終了後に学外で菅直人と会ったそうだ。これも研究者として、「極めて当然な行為」である。

また、小出助教が暮らす職員宿舎は手狭で老朽化しているために、改築工事を行うとの提案が過去あったそうだ。改築すれば1軒当たりの面積も1.5倍程度に増えるので利用者は喜んだが、からくりがあった。同じ国家公務員ということで、「京大教職員宿舎」にもかかわらず、海上保安庁の職員を入居させたいと大学当局は打診してきたという。これに対し、小出助教は「海上保安庁職員はいわば海の警察官だからそんなものは認めることができない」と発言し、住民達も同意したので結局改築自体が見送られることになった。このような行為や姿が大学としては当たり前なのだ。

◆お隣の同志社は学内に交番を設置した恥ずかしい大学

京都大学の面する「今出川通」を西に1キロ強の位置に同志社大学がある。この大学はあろうことか、昨年からその敷地の一部を交番に提供している。つまり大学の敷地の中に警察を常駐させているのだ、知を探求する大学の姿勢として「最低レベルの大学」と言わねばならない。交番設置にあたり、大学内では教職員組合が大学執行部に質問を行った程度の議論はあったようだが、はっきりとした反対運動もなく「国家権力の暴力装置」を学内に招き入れている。恥ずかしい大学だ。

原発事故後に大学で原発推進の講義を行うエセ学者に抗議をしたために「無期停学」処分を下したり、大学に対する学生の抗議に対して「営業権」という、腰を抜かすような理屈を持ち出したり、学生弾圧専門の体格の良い専門家を用意して平然と暴力を振るったり、学生の抗議を見えづらくするために不要な工事を行ったり、公安警察を平然と学内に招きいれたりする腐りきった大学がそのうちに出てくるであろう。

と、未来形で語れないのがこの時代の悲劇だ。交番を設置したアホな大学として同志社をあげたが、西の横綱が同志社であれば、東の正横綱は「法政大学」である。法政大学の教職員は今すぐ京都大学に出向き、大学の根本を学んでくるべきだ。同志社大学の教職員もお散歩がてら京大へ1日研修に赴いてはどうか。

私は以前、大学職員時代に公安警察と懇意にしていた旨のコラムを書いた(「公安警察と密着する不埒な大学職員だった私」)。それは全て「警察から情報を引き出し、それを学生に与える」のが目的のゲリラ戦法だった。個人のスタンドプレーともいえる。警察(公安)を騙しても、学生を騙すことは金輪際しなかった。私の行為は決して褒められたものではないけれども、大学存立の大原則は踏み外さないよう意識した。

◆卑劣な反動の矢に当局が屈した時に大学の存立意義は終焉する

京大生と京大の「極めて当然な行為」に対して、いずれ反動の矢が飛んでくだろう。

東大ポポロ事件」のように。(※Wikipediaの記事の中には一部正確さを欠く部分があるが大筋はご理解いただける)

そして飛んでくる反動の矢は「ポポロ事件」とは比べ物にならないくらい卑劣で激烈なものだろう。しかしそれに抗することを放棄しては大学の存立意義は終焉する。

私は京大生の行為を「極めて当然な行為」と評価する、褒め称えない(本音を言えば心の中で喝采しているけれども)。何故か。京大には「警察を学内に入れる際には当局と学生の了解がなければならない」とする内規があり、今回の行為はその内規に沿うもので、言わば「ルール通り」の行動だからだ。

京大にこの内規がなければ、目下、学生がやられ放題に弾圧されている法政大学のように京大の学生たちも簡単に警察に売り飛ばされたであろう。京大だって当局がいつ態度を翻すかは油断ならない。京大には内規があるものの、今や良心的な教職員は少数派だからだ。この事件の行方から暫く目が離せない状況だ。

▼田所敏夫(たどころ・としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。

『紙の爆弾』最新号は明日7日発売です!

先に北星学園大学の英断を讃えエールを送る駄文を書いた(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=4938)。それから1月もたたないうちに残念至極、しかしほの暗いメタファーに満ちた記事を新聞に見つけた。見出しは「北星学園大学 朝日元記者契約『更新しない』」だ。記事によると10月31日同大学の田村信一学長が記者会見を開き、「朝日新聞元記者との契約を更新しない方向で検討をしていることを明らかにした」そうだ。その理由として「学生の不安が大きい上に、警備など多大な危機管理費用の問題もあり「臨戦態勢を続けることは体力的に厳しい」と判断したとされている。最終的には学内手続きを経て理事長と学長が判断するという。北星学園大学のホームページには「本日、一部メディアに報道されたことについて」との表題で大学の見解が示されている。まだ最終決定ではない、との趣旨だ。
http://www.hokusei.ac.jp/images/pdf/20141031.pdf

新聞記事によると10月31日には不審な白い粉が入った封筒が大学に届き、警察が威力業務妨害で調べている最中であるという。10月24日には脅迫犯の一人と思われる男が逮捕されたことを受けて、学長が「本学に対する脅迫電話の容疑者逮捕について」と題した学長見解も示されている。長きにわたる可視、不可視の嫌がらせに北星学園大学が内部でどれほど疲労し尽したことか・・・。
http://www.hokusei.ac.jp/images/pdf/20141024.pdf

◆大学は自由であればあるほど、結束や団結が難しい

先の北星学園大学学長田村氏の英断に賛同し「負けるな北星!の会」なる団体が結成されていたそうで、新聞記事によると「『犯人の要求を呑むことに等しい。北星学園大学だけではなく、みんなが言うことを聞くと思わせてしまう』と反発している」そうだ。この新聞記事の信憑性がどの程度か(地方紙だからおそらく共同通信の配信だろう)を吟味する必要があるが、「反発」という表現には違和感を覚える。「落胆」や「同情」ではないのか。また有名な大学教員なども多数名前を連ねているが、彼らは声明を出す以外に何か具体的な援護射撃をしたのだろうか。

かくのたまう私自身、北星学園大学の英断にエールを送ったものの、大学へ電話をかけ、担当職員に断固支持と尊敬の念を伝えただけで、自身の何かを賭けて支援活動を行ったのかと言われればそうではない。「安全圏」から新聞紙ほどの触感もないパソコン上の記事で賛同の意を示しただけである。

私は自身を含めて安全圏からのみ発言し、何の行動もとらない人間が必至の戦いの末に苦渋の結論を導き出した判断を批判する資格はないと考える。闘ったことのない人間ほど勇ましい言葉を吐く。

大学は自由であればあるほど、結束や団結が難しい。それは多様な価値観を認めることの裏返しでもあるからだ。私は大学職員時代、学外からの攻撃や嫌がらせに対して、大学が「組織」として如何に弱腰であるかを幾度か経験した。だから北星学園大学の苦渋の判断を無碍に批判できない。数か月以上にわたる様々な攻撃嫌がらせ、脅しが続いていれば普通の大学は直ぐにギブアップしていただろう(先の手塚山学院大学のように)。

◆いまは1944年なのか?──「横山健の動画」に感じた眩暈と嘔吐感

しかも時代が時代だ。政府は「日本政府の名誉回復」を年内に行いたいと言っている。名誉回復?何の?答えは「従軍慰安婦報道誤りにより傷つけられた日本国家の名誉」なのだろう。更なる腹の内は、第二次大戦でアジア侵略を行った事実のすべてを消し去るか、あるいは「欧米列強からの解放」と宣言したいのだろう。今何年だった?2014年だ。本当か?1944年じゃないのか?

さらに、「閾下のファシズム」はあなたの住んでいるご町内の隅々まで、既に浸透している。「原発反対」とか「戦争反対」を語る言葉や行動の中にさえ、「ちょっと失礼しますね」とばかりに何食わぬ顔をしてとんでもない因子が上がり込んできてる。例えば以下に紹介する「横山健」という人を私は知らなかった。ある人が(その人は「脱被曝」を掲げて地方選挙で市会議員候補者として出馬予定のミュージシャンを応援している)感動を持って「横山健が日の丸を振るようになった理由」として紹介いていた。映像の長さは13分45秒。やや長いがご覧頂きたい(告白すれば私は眩暈と嘔吐感を押さえられなかった)。

私は「横山健」を批判しない。いや、正しく言えば、怖くて批判などできない。13分45秒の間、胸苦しさとともに私を支配したのは絶望的な恐怖感だ。体が震えていたと思う。本当に怖い。本心もうこの国から逃げ出したい。「被災地支援」と「原発反対」と「日の丸を降られる快感」が「横山健」には等価なのだ。マスコミに強制された「絆」のように押しつけがましくなく、咲きもしない花を歌う「花が咲く」のように嘘くさくもなく、若者が心地よく踊るライブに掲げられる「日の丸」。会場で降られる「日の丸」そしてそんな彼に感動しながら「脱被曝」候補の応援をする「良心的なボランティア」達。これらが表層上何の矛盾もなく横並びに手をつなぐ。

冗談じゃない。

「原発反対」、「被曝反対」の若者が歓喜しながら日の丸を振る姿の裏の心性。幾つかの穏やかな不可逆的変換を経て、北星学園大学にメールや電話で攻撃を仕掛ける行動へと変異する「閾下のファシズム」とそれは無縁であろうか。誰か「絶対そうではない!」という答えを教えてくれないか。

「右も左もない」、「国を愛して何が悪い」、「国旗だから」。反論を封じ込める優しさが根拠となった、あやふやな社会正義。議論の領域を閉ざす感情的な絶対正義。それらが「悪性細胞」として国家に寄り添う実際暴力を支える細胞核をなす。本人たちには悪意などは全くない。それだけに厄介なのだ。だが待て、「悪性細胞」は私の中には皆無だと言い切れるのか。日常生活の一切においてファシズムと完全絶縁状態を保ち得てるだろうか。

北星学園大学事件は私たちひとりひとりに「本当にお前大丈夫なのか?考えていることと行動が乖離していないか?否、本当に充分に考え抜いたのか?調べつくしたのか?」と再質問を投げかける試薬なのだ。

 

▼田所敏夫(たどころ・としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しない問題をフォローし、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心が深い。

 

タブーなき『紙の爆弾』は毎月7日発売です!

 

20代前半血気盛んな若者たちが「祭り」で酒を飲めば、乱痴気騒ぎは避けられない。昼間から飲み始め何時間も飲んでいれば、酩酊したり、軽度の急性アルコール中毒になる学生が出るのも毎回のことだった。学園祭を運営する学生組織は、もめごとや軽度のアルコール中毒学生のケアーも手が回る限り対応にあたっていたが、普段見たこともないような大勢の人波にあふれるトラブルの全てをコントロールすることはやはり学生には無理がある。

◆学園祭の危機管理に不可欠だった「ガムテープ」

学生が手におえないような状態が発生した時「待機」している教職員に助っ人を求めてくる。一番多いのが酩酊者の扱いだ。悪酔いして暴れだしたり、喧嘩を始めて血まみれになって気を失っていたり、程度の酷い酩酊者を相手にするのはこちら側にもそれなりの体力と工夫がいる。

元気のいい学生が暴れだしたら、私が一人で取り押さえるのは危険だった。一人で何とかなるだろうと過信して取り押さえようとしたものの、顔を蹴られるは、投げ飛ばされそうになるわ、散々痛い目を食らった経験があった。その時に先輩の職員から、「なんでガムテープ持っていかへんかったん?」と秘訣を授けられた。

酩酊者に限らないが、乱暴者を取り押さえるのに「ガムテープ」はとても使いやすい「武器」なのだ(布製のガムテープは粘着力が強過ぎて皮膚を傷つける恐れがあるので、紙製のガムテープを使用していた)。

3人程で2本のガムテープを準備して「酩酊学生鎮圧」にかかるわけだが、要領はこうだ。まず一人が頭を抱えるようにして上半身を押さえつけながら地面に倒す(頭を押さえるのは怪我をさせないためである)。もう一人が足の動きを押さえにかかり動きを止める。この状態で酩酊学生は二人に取り押さえられているが、当然抵抗を止めず、バタついている。こういう状態の人間はたいてい大声を出しながら暴れるので、少々乱暴だが3人目はまず口にガムテープを張る。声を出せなくなると不思議だが体の抵抗が少し収まるのだ。次に膝を手早くガムテープでグルグル巻きにする。膝を固定するともう大暴れは出来ない。膝から足先までを順次巻き上げていき、下半身を完全に封じ込む。最後に手首を押さえつけて両手を固定すれば、一応完了だ。

その後酩酊学生を3人で抱えて保健室のベッドへ搬送(?)する。ミノムシのように簀巻きにされ、さぞや不本意なのであろう体をくねらせて抵抗するが、ガムテープの粘着力には余程体力のある学生でも太刀打ちできない。保健室に連れて行き、口に張ったガムテープをはがし、一人が給水と見張りで付き添い残りの二人は引き上げる。最初暴れようとして大声を出したり、体を動かそうとしていても、相当な体力を使ったためと、アルコールにより、しばらくすれば大抵眠りにつく。

◆学内での集団乱闘をどう収束したか?

単独学生の酩酊ならば、このように対応可能なのだが、騒ぎが100人の単位を超えると事態の深刻さは比べものではなくなる。

ある日、学園祭の終了時間間近になって事務室に学生が飛び込んできた。

「大変です。メインステージ前で大乱闘になってます。すぐ来てください!」

急を告げに来た学生は学園祭を運営している顔見知りの学生だ。彼らは責任感から、学園祭が終了するまでは一切の飲酒を自主規制しているのでデマではない。取り急ぎ事務室に待機していた職員数人とメインステージに向かう。怒号が飛び交い角材を振り回している者もいる。学生同士であればこれほど大規模な混乱は起こらない。学園祭を運営する不文律は個人の酩酊者を出すことはあっても集団での乱闘を阻止するように学生の間に浸透していた。

事情が呑み込めない。近くで模擬店をやっている学生に何がどうなったのかを聞く。

「暴れているのは学生じゃなくて外部の人間で、怪我した学生は校舎の中に運び込まれているんです」

よく見ると確かに乱暴している連中は似たような衣装を着ており、学生ではない。
私は、「うちの学生!絶対手を出すなよ!」とあらん限りの大声を出す。
「うちの学生はその場に座れ!」

ざっと見渡して200人ほどはひしめいている混雑の中で暴力を振るっている学外者を特定しないと対処ができない。私の指示は徐々に伝達されてゆき、やがて6、7人の人間を残してその場の学生は皆しゃがんだ姿勢となった。

その時、門衛さんが息を切らして走って来た。
「警察が入れろ言うてます!20人くらい来とるんです。どうしましょうか。今は止めてますねんけど」

暴力沙汰にびびった学生が110番をしたのだろう、しかし、この状態では絶対に警察を入れてはいけない。双方怪我人がいることは確実だろうから警察は事情聴取で何人も引っ張るだろう。それにかこつけて模擬店の学生や学内の捜査を行うに決まっている。私ともう一人の職員をその場に残して他の教職員は校門へ向かってもらう。20人の警察官ということは、たぶん機動隊も何人か来ていると想像される。絶対に何があっても警察を学内に入れないように説得にあたってもらう。

こちらは乱闘騒ぎの収拾を図らなければならない。
「何人ぐらい怪我させられたんや」と顔見知りの学生に聞くと、

「10人位かな。校舎の中に運び込んで中から鍵かけてます。ビール瓶で頭割られたり、角材でボコボコにされて出血ひどい先輩もいるから、救急車呼ばないと・・・」

「あほ!救急車呼んだら、また警察来るやないか!今既に20人位校門に来とんねんぞ!お前ら110番したんちゃうやろな」

「俺たちちゃうけど、見てた女の子が何人か110番してました」

「しゃあないなぁ」

事情は分かったので派手な服装の学外者へ声をかける。
「この大学の職員です、喧嘩になったと聞きましたのでうちの学生がご迷惑をかけたのであればお詫びしなければなりません。会議室へお越し頂けませんでしょうか」

「おっさん!どないしてくれんねん!お!このジャケット10万したんやで!破れてもうてもう着られへんやないか!お?」

「ですから、学生に非があればその分大学として補償さえて頂きます」

「弁償してくれるんかい?」

「学生に非があれば大学が補償いたします」

「おい、このおっさん弁償してくれるんやて。ほんなら話にいこうやないか。ごっつい損失やもんな!」

しめしめ、これで学生と乱暴者を引き離せる。と安心した時、静かに座っていた学生の中から大声が上がった。

「なんでそんな奴らに頭下げなあかんねん!」

そう声を上げたのは顔見知りの卒業生だった。勿論酔っている。こいつがほかの学生に火を付けたら収まるものも収まらない。

「何ぬかしとんじゃ!どあほ!」
そう怒鳴ると私はその卒業生に張り手をかました。

「田所さん、興奮せんといといてください!」

後輩の職員が止めに入る。

「演技や演技。学生が怒り出してまた乱闘になったらもう手が打てないやろ。ここには学生200人はおるんやで。勢いで鎮圧しないと、こっつち2人しかいないんやで。全然興奮なんかしてへん」と小声で伝える。彼には学外者を事務棟の会議室へ引率してくれるように頼み、私は怪我人の様子を見に校舎へ向かう。見慣れた連中がへたり込んでいる。

「なんで、こんなことになったん?」

「昨日、あいつらの一人が来てて大道具を壊しよったから、Aがどついたんです。そしたら今日仲間連れてきて・・・」

「お礼参りか。だいぶ怪我ひどそうやな」

「俺はビール瓶で頭二回やられました」

「ほとんど一方的か?」

「反撃しようにも、あいつら慣れてますよ。喧嘩」

「たぶん顔の折れてるで、君。今から車で病院に運ぶし。病院では学生同士で喧嘩した、っていうとき、あとで見舞い行くから」

怪我と程度から見れば学生が一方的に暴力を振るわれたことは明らかだ。学外からの乱入者をうまく聴取して「お灸」をすえるしかない。

いかにも喧嘩慣れした連中が片側に座る会議室に到着すると、

「今回は誠に申し訳ございませんでした。学生に事情を聞きましたがこちら側にも問題があるようですので、詳細をお聞きしたいと思います」
と腰を低くへつらい口調で会話を始める。

「補償をさせて頂くにあたり、皆さんのお名前、ご住所、被害内容が必要ですので、順番にお願いいたします」

これは暴行傷害立件のためにこちらが必要とする人定なのだが、「金」に注意が向っている学外者は脇があまりにも甘かった。

「俺か?名前は○○○○、住所○○○○、電話は○○○○。被害やけどなグアムで買うたロレックス壊されたわ。160万や。あとジャケットやパンツ合わせて200万位や」
「はい、次の方」
「名前は・・・・」
と同様のやり取りが続く。学外加害者の被害申告はどう見ても嘘だ。こちらが弱気になっていると思い、過剰に申告してくる。一応の聴取を終え、
「大学として総合的に調査し至急ご連絡を差し上げます。今日は混乱もありましたからこれでお引き取り下さい」と伝えると彼らも抵抗の素振りなく帰路についた。

暴行を受けた学生の見舞いに私は出向けない。それは他の職員に任せて早速「通告文書」の作成にかかる。

「○○様 過日、本学の学園祭で本学学生より、物質的な被害を受けたとお話を伺いましたが、その後の調査で貴殿らは本学学生に対して極めて悪質な暴行傷害を行っておられたことが判明しました。被害学生には顔面を複雑骨折したものもいます。本学としては貴殿のこのような暴力行為に対してこれ以上不当な補償要求を続けられるのであれば、誠に残念ではありますが警察当局の捜査に委ねるしかないと考えております」

翌日、学長の了承を得てこの文章を学外の加害者全員に送付した。効果はてきめんだった。時を於かず暴行に関わった学外者の親から「今回は勘弁して欲しい」との懇願の電話がかかってきた。学生の治療費などをこちらが請求できる状況だったが、その時は大学の判断としてそれは見送り「以後このような事が決してないように」要請するに留めた。

学園祭にトラブルはつきものだ。その時、被害者は怪我をさせられた学生たちだったが治療費は保険でカバーされ、校門前で一時は30人近くに膨れ上がった警察の入校も防ぐことができた。

これは10年近く前の話であるが、学園祭での飲酒自体がほぼ禁止となっている今日、紹介したような乱暴な景色はもうほとんどないだろう。

(田所敏夫)

タブーなき『紙の爆弾』 話題の11月号!

 

学園祭はその大学の学風や個性を知るのによい機会だ。模擬店で軽食を売る光景はどこの大学でも見られるが、時に目を疑うような光景に出くわすことがある。

私が勤務していた当時、その大学にはなんと年に2回学園祭があり、業界では「知る人ぞ知る」存在であった。学園祭期間中、大学内の統治は実質的に「学園祭実行委員会」に委ねられ、私たち職員は万が一の事故や怪我、事件備えて事務室で待機していた。「待機」といえば聞こえはいいが、1名飲酒しない職員を確保して、その他の職員は昼間から学生ともども酒を食らっていた。

とはいえ、学園祭の前には事故や近隣住民と問題を起こさない為に「学園祭実行委員会」と我々大学側でかなり細密な打ち合わせを行っていた。進行の全体像は毎年の蓄積があるので双方さして異論はないが、一番の焦点になったのがメインステージで行われるイベントの内容だ。学生側はそれまで行われた企画を超えようと、さらにインパクトのある(危険であったり、ワイセツギリギリであったり)企画を準備してくる。大学としては物理的に明らかに危険が予知されるものは許可するわけにはいかないので、押し問答となる。

実際それまで学園祭で前例のなかった、3メートル超の高さから、じゃんけんで負けた方が飛び下りる、という企画を事前会議で提案された際、「この高さから飛び降りると、地面はコンクリートだから骨折の可能性がある。下にマットを2重に敷いて2メートルから君たちが実験して、危険がなければ」との条件を付けて認めたが、学生どもはその検証実験を行わなかった為に、じゃんけん敗戦者が飛び降りると大声をあげて痛みを訴える者が続出。中には脛から骨が飛び出している者まで出る始末。当日私は運悪く「飲酒禁止」の当番にあたっていたので、3人の学生を次々と病院に搬送する羽目となる。

模擬店や教室を利用しての企画ものは事前申込制で「学園祭実行委員会」が全て把握していたが、その枠を無視して多数俄作りの建物が出現する。学生の腕と工夫は見上げたものだった。学内的にも「規則違反」なのだが、建設現場で使う足場と発電機、さらには数十種類の洋酒を揃えた本格的なバー。周りを囲んで男女誰でもが順番に利用できるように作られた「五右衛門風呂」。そして極めつけは100人以上は収容できようかという複雑な建築様式で?「規則違反」をもろともせずに立てられた「SM小屋」だ。

◆「アバンギャルド」といえば、そうともいえる

学生が「SMショー」をゲリラ的に行うという噂は事前に入っていた。当日私は幸い飲酒禁止の当番ではなかったので、後にその大学で学長を勤めることになる教員の責任者と一緒に昼からいい気分になっていた。

「○○さん(教員の名前)、学生がSMショーやりよるって聞いてはります」
「知ってるで、うちの専攻の学生やわ。その子はMで女王様を東京から呼んでるらしいで」
「SMって、まさか女の子が裸になって、本当にやるんじゃないですよね」
「いや、やるみたいやで」
「どうします?フェミニズムの教員から後でたたかれたら厄介ですよ。それに裸といっても一体どこまで・・・」
「うん。見に行かなあかんな!職務として」
「ただのスケベ職員やて、いわれへんかなー」
「いや、芸術か、単なるワイセツかを見極めるのは極めて重大な大学の任務や」
「そ、そうですね」

というわけで「SMショー」が行われる「芝居小屋」に向かった。入り口には学生が列をなし、我々も入場料を徴収される。確か1000円だった。「職務権限」で押し切りはいることは無論可能なのだが、列をなしている学生の手前、またこれから始まる「ショー」が一体どんなものなのかという興味と不安で自然に入場料を支払ってしまう。

「先生、来てくれはったん!」と赤い皮の衣装を身に着けた女子学生がこちらに寄ってきた。同行している教員の教え子がこの子らしい。身に着けている皮の衣装はかなりきわどいが、幼い顔をしている。

「観客できたんちゃうで、? 勘違いせんといてや!」
「嘘や!先生私の喘ぐ姿見に着たくせに」
「いや、大学としての責任があるからな。何があるか見届けなならんし」

こんなすっ飛んだ会話、日本の大学ではもう100%ないだろう。牧歌的といえば牧歌的。アバンギャルドといえばそうも言える光景だった。

狭い舞台の上では小さなメガホンを握って、これまた怪しい風体の男子学生が素人とは思えない慣れた節回しで観客を誘導し、舞台開始までの間をつなぐ。そしていよいよ「女王様」の登場だ。170センチくらいある20代後半の女性が黒いムチを持って現れた。

やわらムチを地面に叩き付ける。「ビシッ!」
思いがけず大きな音に観客から「おおお」と声が上がる。
先ほどの赤い皮を着た学生が登場する。
あれ! すでに上半身は服を着ていない!
床に寝ころぶと女王様が彼女の腹部にムチを打ち付ける。
「あ、ああ」

「○○さん、これええんやろうか・・」
私は本来の職務を思い出し、教員に語り掛ける。
「今のところ、芸術や。問題あらへん」
「どこで、区別すんのよ。芸術とワイセツと」
「ワイセツが悪ではないで」
「え!なら何しても黙認するん?」
「黙認ちゃうがな、見ながら確認するんや」

このおっさん、酔ってるのか正気なのかわからない。
舞台の上のMの子は既に全裸だ。女王様の道具がムチから蝋燭に代わっている。
いかがわしい語り口の小さいメガホンが絶妙な合いの手と解説を入れる。
こいつら大学来ていったい何やっとんじゃ!と思いながらもその完成度に見入る自分が優ってしまう。

最後にMの子が悦楽に果て、ショーは終わった。
「冷や冷やもんでしたね」
「あそこまでやるとは、ワシ思わんかった」
「あれ、芸術ですか?ワイセツですか?」
「うーん・・・」

芝居小屋出る長蛇の列に並んでいるとまた赤い服をまとった学生が寄ってきた。
「先生、どうやった?私今日はホンマにすごかったでしょ」
「うんうん、よかったで」

何が「よかった」のか。芸術だったのか、ワイセツだったのか。
学園祭後も学内で特に「SMショー」が問題にされることはなかった。
現場にいた教職員はたぶん我々2人だけだったのだろう。と安心していたら、
「田所さん!学園祭でSMショーやってたん、知ってはります」と学生がやってきた。
「そんなん知らんけど」ととぼけると、
「フライデーに出てますよ。ほら」
なんと、事前にフライデーの記者が「学園祭でSMショー」を察知して、わざわざ東京から取材に来ていたのだ!

扱い自体は小さいが大学名も入ってるし、写真はあらわな学生の裸体を載せている。
「知らんかったわー。これ知ってたら早く教えてくれな」
「僕も知らんかったんです。後で噂聞いて。見に行きたかったなー」
「あほ。来年からこんなん禁止じゃ」

ヒヤヒヤモノであった。

(田所敏夫)

《大学異論01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)
《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)
《大学異論03》職員の7割が「非正規」派遣・契約のブラック大学
《大学異論04》志ある「非正規」は去り、無責任な正職員ばかりが居坐る
《大学異論05》私が大学職員だった頃の学生救済策
《大学異論06》「立て看板」のない大学なんて
《大学異論07》代ゼミと河合塾──予備校受難時代に何が明暗を分けたのか?
《大学異論08》5年も経てば激変する大学の内実
《大学異論09》刑事ドラマより面白い「大学職員」という仕事
《大学異論10》公安警察と密着する不埒な大学職員だった私
《大学異論11》「草の根ファシズム」の脅迫に抗した北星学園大学にエールを!
《大学異論12》大学ゴロ──学生確保の裏で跋扈する悪徳業者たち

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現在、そして未来も大学の最大の課題は学生募集だ。6割以上の大学が既に入学定員を確保できていない状況は以前述べたが、受験生の減少と大学側の入学定員の増加という需要と供給の「乖離現象」は今後ますます進展してゆく。

大学の存続にかかわる「学生募集」。何か妙案はないものかと大学は「もがく」のだが、違う角度からそれを格好のビジネスチャンスとしてよだれを垂らしながら薄笑いを浮かべている連中がいる。リクルートをはじめとする「進学情報」を生業とする業界がそれだ。

◆20人の学生確保に広報支出が6,000万円!

各大学の学生募集を担当する部署には、実に多くの「進学情報」業者が営業活動に訪れるし、電話やメールによる勧誘も年から年中ひきもきらない。一部有名大学を除いて受験生確保は第一優先だから「進学情報」業者と全く付き合いのない大学はない。

受験生へ無料送付される「進学情報誌」への広告出稿、インターネット上での広告、進学説明会参加など業者が提案してくる広報形態は様々だ。この業界の営業マンは口八丁が身上で、多少の経験則がないと業者やメディアの選択を誤ることになる。戦略を持たない経営者や担当者がこれらの業者に引っかかると、時にとんでもない出費を食らうはめになる。たった20人の学生を確保するために1年で6,000万円の広報費を浪費したのは誰もが知る関西の有名私大だ。担当者の無能が原因だ。6,000万円使っても結局目標の20名は確保できなかったという笑えない結論が付いてくるのだが、一部私立大学の「どんぶり勘定」はなかなか豪快ではある。

弱小大学にとって広報活動を独自に行うのは人的にも財政的に厳しい。業者なしには全く広報活動が出来ない大学だってある。だから本来ならば大学が行うべき業務を業者がある程度「補完」してくれている側面は否定できない。が、「教育産業」という言葉自体に嫌悪感を持つ者としては連中のやり口の汚さがどうも目につく。

◆弱小大学には割高すぎる「合同説明会」

例えば「合同説明会」というイベントがある。フロアーの広い会議場などを業者が借り切り、そこへ各大学がブースを出し、受験生に大学の説明を行ったり、質問を受けるという、いわば「大学の見本市」だ。これが、全国いや海外も含めて様々な主催者により無数に行われている。

大学は「参加費」を支払い、広報担当職員や教員が出向く。「参加費」は規模や主催業者により異なるが5万円から50万円ほどが相場だ(有名大学は割安に、弱小大学は割高に価格を提示されることが多い)。そこには当然お客さんである受験生が多数いないと意味はないのだが、悪徳業者主催の「合同説明会」に乗ってしまうと、1日で訪問者が数十人しかいない、しかもどう見てもその内何割かは「サクラ」であるということが珍しくない。

20校ほどの大学が出展している「合同説明会」で数十人が訪れても、それが受験に結びつく割合はほぼゼロだ。悪徳業者は会場確保とパーテーション、机などの備品用意と見せかけばかりの受験生向け広告を用意するだけでまるもう儲け、閉会間際に「予想を下回る来場者で申し訳ございませんでした」と用意をしていたアナウンスをすれば任務完了というわけだ。

そんな「合同説明会」に参加を決めてしまう時点で、大学の程度が知れるというものだが。口上を変えながら大学から広報費を引っ張り出す、巧妙な悪徳業者にとっての「おいしい」時代が当分続くのだろう。

「合同説明会」の中には「日本学生支援機構」(実質的に国の機関)が主催する海外での説明会もある。また東京や大阪等大都市では一度に100校以上が参加する大規模説明会も行われ、来場者があふれり、活況を呈しているものある。この手の大規模説明会は受験生にとってはメリットがある。志望大学の担当者と直接相談をすることができるし、大学案内や願書などを無料で手に入れることができるからだ。

しかし、もとより志願者が少ない大学はここでも泡を食らうことになる。確かに会場は受験生で溢れている。有名大学のブースの前には相談を待つ受験生が列をなす。でも弱小大学のブースにはウィンドショッピング(ひやかし)しかやってこない、一日ブースで受験生を待ち続けるのは、動かない浮きを眺める釣りのようなものだ。

◆悪徳「留学生斡旋業者」は顔つきが違う!

よりたちが悪いのが海外からの留学生を斡旋しようと持ちかけてくる連中だ。以前は中国が最大供給源だったが、経済成長と両国関係の悪化によって、最近はベトナムやミャンマーがそのターゲットになっている。

東アジアを見渡せば、日本は勿論のこと、韓国も台湾もそして「一人っ子政策」で統計上は中国も少子化が進展している。留学生の出身国はかつてこの3か国で90%以上を占めたが、今や台湾や韓国も国内で日本同様の学生の奪い合い時代に突入している。

留学生斡旋を持ちかけてくる連中はどいつもこいつも胡散臭い。「NPO国際○○支援会」と名乗ったり「株式会社アジア人材○○」だったり、容姿からして教育業界の人間のそれとは雰囲気が違う。まあ実質的に「人身売買」に手を染めている人間なので当然と言えばそうなのだが。

関西のある弱小短大は学生募集に苦戦のあまり、悪徳留学生斡旋業者にひっかかってしまった。学生担当職員によると、業者は何者かの紹介で理事長に取り入った。中国の奥地まで「視察」の名目で理事長を連れてゆき、接待漬けにして骨抜きにしてしまい、学生募集の業務提携を結ぶ。翌年確かに数人の留学生を送ってきたのだが、学費の半額近くに相当する「紹介料」を支払うはめになる。いくら学生の頭数をそろえても学費が徴収できなければ、経営的には意味がない。それでも理事長に食い込んだ業者は広くもない事務室の中に自分専用の机の設置を要求する。

更に「学生数確保の重要な鍵を握っている人物だから」という理由で理事への就任を要求し始める。この業者は関西一円で同様のモデルで「ブローカー」として稼いでいるようだが、典型的な「大学ゴロ」と言えよう。

より規模が大きく、最初から確信犯であるのが「大学自体がゴロ」であるケースだ。高校野球で甲子園に系列高校がしば活躍する「TK大学」は労組委員長殺害の為にヤクザを雇い実行した前歴がある。この大学は少々の記事でも片っ端から名誉棄損で裁判を起こすことでも知られているので内実の恐ろしさの割に週刊誌などでも報じられることが少ない。

意外なところでは、センスのいい大学として知られる「AG大学」の現理事長は財界とのパイプが太く民主党政権時代には国会議員がおこぼれにあずかろうと日参していたほどの裏社会のビジネスに精通している人物だ。

これ以上書くと危険ラインを超えてしまうので、私が狙われてもいいと腹が据わったら実名で告発をすると予告しておこう。

(田所敏夫)

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朝日新聞が従軍慰安婦問題に関する「吉田発言」の掲載について謝罪を行ったのは読者にも周知の事実だろう。これに関しては「朝日新聞叩きの本質」で既に私見を述べた。批判は全く不当であり、些細な問題に過ぎないというのが私の意見だ。

ところが悪質なテロリストどもの矛先は朝日新聞だけでなく、朝日新聞を退職して教員として大学に籍を移した人たちにまで攻撃が及んでいることが明らかになった。当該大学のHPによれば「なぜ嘘を書いた記者を雇うのか」といった多数の苦情に止まらず、「学生が痛い目にあうぞ」果ては「爆破してやる」という「脅迫罪」に明確に該当する脅しまで受けていたという。

◆卑怯な攻撃者を喜ばせる手塚山学院大学の対応

現在、そのような被害にあったと大学名を公表しているのは手塚山学院大学と北星学園大学だ。この両大学には共通項がある。いずれも元は女子短期大学からスタートし男女共学の大学に発展しているという点だ。だが悪質な脅迫に対して、両大学の対応ははっきり分かれた。手塚山学院大学に勤務していた元朝日新聞の教員は騒ぎの渦中退職をしている。手塚山学院大学のHP「教員の退職について」(9月13日付)によると、

「教員の退職について

○○○○氏について多数のご意見、お問い合わせを頂戴しておりますが、同氏は9月13日を以て、本人の申し出により退職しましたことをお知らせいたします。」

とのみ掲載されている(本文中の○○○○は実名)。通常この手の文章には作成者名(学長であったり理事長)と日付が書かれているのだが、それらの記載は一切ないことから、教員退職同日に大急ぎで作成されたものだろうと推測される。

手塚山学院大学に在任した元朝日新聞記者は社内でも要職を歴任した人物だが、勿論彼一人が「吉田証言」をスクープしたわけではない。「朝日新聞憎し現象」はこのような形で権力側からだけではなく、それを下支えする「草の根ファシズム」によっても補完されていることを解り易く示す事件となった。

現在の社会状況、言論状況を見るにつけ、手塚山学院大学の稚拙な対応とそこを去った教員を軽々しく批判することは出来ない。「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ!」というプラカードが何の咎めもなく街中を闊歩出来る時代なのだ。暴力は言論の域を超えてすぐにでも現実のものになるという恐れを脅迫された大学や教員が持っても不思議ではない。

それでも、と思うのだ。

最高学府として大学であれば、暴力をちらつかされても、大量の脅し電話がかかろうが「体を張って」大学の自由、学生の安全を守る気になってはくれなかったのかと・・・。教員の退職ではあたかも非が大学にあったような印象を与えるし、卑怯な攻撃者を喜ばせるだけではないのか。HPの文章にしてもあれより他に表現方法は無かったものかと・・・。

◆「大学人」のあるべき姿を示してくれた北星学園大学長の声明

そのような暗澹たる気分を全て払拭してくれる括目すべき判断を、行動で示してくれたのが北星学園大学だ。北星学園大学はHPで10月1日付「本学学生及び保護者の皆様へ」と題した学長田村信一氏の文章を発表している。

このコラムではこれまで大学の「不甲斐なさ」ばかりを叩いてきた。まだ叩きたい大悪、いや大学は数知れない。が、この北星学園大学学長の声明は近年稀にみる格調の高さと、暴力で脅迫されても動じない腰の据わった本物の「大学人」のあるべき姿を示してくれている。そう長い文章ではないので是非読者にはご覧頂きたい。

http://www.hokusei.ac.jp/images/pdf/20140930.pdf

北星学園大学には5月以来様々な脅迫や政治団体(たぶん右翼であろう)の街宣車が抗議に押し掛けたりしていたそうだ。それでも報道機関に発表をすることなく、警察への連絡と大学自身の判断で元朝日新聞記者で非常勤講師を勤める教員の講義を続けてきた。それはごく当たり前のことなのだが、前述の手塚山学院大学の例が示す通り、今日大学ではその根幹にかかわる問題を「当たり前」に実行することにすら「勇気」が要るのだ。

そして多くの場合「当たり前」を妨害する匿名の電話、ファックスや抗議者への対応に大学は敗北し、どんどん思索領域を後退させている。

北星学園大学の田村学長は明言する。

「本学は建学の精神に基づき、『抑圧や偏見から解放された広い学問的視野のもとに、異質なものを重んじ内外のあらゆる人を隣人と見る開かれた人間』を要請することがわれわれの教育目標であることをふまえ以下の立場を堅持します。

①学問の自由・思想信条の自由は教育機関において最も守られるべきものであり、侵害されることがあってはならない。したがって、本学がとるべき対応については、本学が主体的に判断する。

②従軍慰安婦問題並びに植村氏(著者注:元朝日新聞記者)の記事については、本学は判断する立場にない。また、本件に関する批判の矛先が本学に向かうことは著しく不合理である。

③本学に対するあらゆる攻撃は大学の自治を侵害する卑怯な行為であり、毅然として対処する。一方、大学としては学生はもちろんのこと大学に関わる方々の安全に配慮する義務を負っており、内外の平穏・安全等が脅かされる事態に対しては速やかに適切な態度をとる。」

至極真っ当な姿勢表明である。しかし実質的に言論暴力と実際暴力の境界が極めてあいまいな現在、「大学の自治」、「学問の自由」といった基礎概念が希薄化する中で、北星学園大学田村学長の気概と勇気に満ちた意見表明は想像を超える困難覚悟の上である。極めて深い感慨と称賛そして連帯のエールを送る。

北星学園には系列校に北星余市高校がある。北星余市高校は不登校や一度高校を退学した生徒を積極的に受け入れる特色のある教育を行う高校として有名だったので、私は学生募集のために何度か同校へ赴いたことがある。札幌でレンタカーを借りて小樽を超え人里離れた海岸線をかなり走ってようやく到達できるのが北星余市高校だ。先生も生徒も熱心だった。

北星学園には「人間」としての精神がいまだ健在のようだ。

全国の大学人!北星学園大学田村学長のマニフェストを括目せよ!

とりわけ、田村学長の出身大学である法政の総長に就任した田中優子!週刊金曜日編集委員としてリベラルの仮面を被りながら「監獄大学」維持強化を推し進める自身の姿を深く恥じ入れ!

注:かつて学生運動が盛んであった法政大学は2000年以降120名を超える逮捕者を出し、退学、除籍無期停学処分を連発している。今では学内を公安警察が堂々と闊歩し、大学当局は学生自治を蹂躙し尽している。本年4月総長に田中優子氏が就任し対学生の大学としての変化が期待されたが、田中氏は堂々と弾圧を継続している。法政大学の無茶苦茶ぶりはいずれ本コラムで詳報したい。

(田所敏夫)

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http://www.kaminobakudan.com/index.html

大学生が「学生運動」に大挙して参加した時代は遠い昔だが、私の勤務していた大学には社会問題を研究するサークルがあり、そのサークルの周辺には学外での社会運動に参加する学生が常時何名か在学していた。特定のセクトに所属するわけでもなく、さして目立った行動もしないが、世の中自身がおとなしすぎるので、集会やデモに参加しただけで、公安警察は要注意学生としてマークするターゲットを必ず視野に入れていた。

私をよく訪れるようになっていた所轄の公安警察のQさんは、一見おとなしい田舎のオッチャン風で薄暗い雰囲気はどこにも漂わせていなかった。彼には私を訪問する際には必ず電話でアポを取ってから来ること、学内をうろつかず私の事務室にだけ来るようにと強く要請していた。当時私が公安警察と連絡を取っていることを知っている同僚は極わずかであったし、大学敷地内に警察を入れる行為は「大学の自治」の原則に反する行為だったからだ。

◆公安警察恐るべし!

彼は訪問の際必ず明確な目標を持ってやってくる。

「田所さん、来週東京で大きな集会があるんですわ。たぶんA君が参加すると見とるんですがどうでしょう?」
「A君とは昨日も話しましたがそんは話はしてませんでしたよ」
「ほぼまちがいないんですわ」
「でも、学生が集会に参加することは自由ですし大学としては止めることは出来ませんよ」
「いえいえ、そんなことまではお願いしません。で、A君が学割を申請してないかどうか調べてもらえませんでしょうか」
「ああ、それなら調べますけど、学割は私の部署では発行しないのでちょっと時間かかりますよ」
「すんません、いつもお手を煩わせて」
「では、分かり次第電話します。ところでその集会はどんな内容の集会なんですか?」
「これがですね、過激派の○○派が裏で操ってる可能性が高いんですわ。作家の○○とか、歌手の〇〇も出よるんですけど、全国動員かけとるようなんですわ」
「そうなんですか。○○派ってまだあったんですか?」
「ええ、○○派は・・・・」

と○○派について公安がどう見ているかのレクチャーが始まる。○○派については私なりに知識を持っていたのだが、敢えて何も知らない素振りで質問するのがポイントだ。質問を重ねるとかなり踏み込んだ情報を語ってくれる。Qさんが帰ると私はすぐにA君に電話を入れ私のところに来るように告げる。

「来週東京で集会あるんやて?」
「そうそう、××反対の全国集会が日比谷であるよ」
「行くの?」
「そのつもりB君と一緒に」
「今日公安来たわ。君が行くかどうか聞きに」
「で、なんて答えたの?」
「知らないから、知らんと言っといたがな」
「ふーん」
「まあ、ええわ。とにかく下宿見張られてるから気いつけや、それからB君はまだ公安には割れてないようだから注意事項をちゃんと教えてやっとくんやで」
「はーい、わかりました。サンキュー」

といった具合で要注意ターゲットにされた学生には、公安の動向をすべて教えていた。犯罪行為の嫌疑があるなら別だが集会参加するのは自由だし、不当に日常生活を見張られる学生がいれば、公安の情報を教えてやるのは私の義務ですらある、と考えていた(公安にばれたらこっぴどい仕返しをされたろうが、退職後もそのようなことは幸いない)。

翌日Qさんに電話を入れる。

「昨日はご苦労様でした、A君の件ですけどね、学割は申請してないですね」
「え!そうですか・・おかしいなー。行くのは確実やと思うんですけどね」
「学割申請してないことだけはわかりました。ほかに何かお手伝いできますか?」
「実は今朝になってわかったんですが、B君という学生さん、これも行きそうなんですわ」
「B君・・顔と名前が一致しないなー。何回生ですか?」
「1回生ですわ。これA君が誘っとるんです」
「B君の学割を調べろと・・・?」
「すんません、度々お願い出来ますやろか?」
「わかりました。夕方また電話します」

公安警察恐るべしである。数日の間にA君がB君を誘ったことを察知しているわけだ。
でも、実はからくりは簡単。A君の下宿電話は常に盗聴されているのだ。私がA君に電話で公安の話をせず、事務室に呼び出したのは盗聴されていることを知っていたからであり、B君に対して「注意事項を教えておくように」と言ったことの中身には下宿電話の盗聴のことも含まれている。

再びA君を事務室に呼んだ。
たまたまB君も学内にいたから二人で来てもらった。

「B君のこともう公安知っとったで」
「うっかりなんだ。Bが俺に電話かけてきて、注意する前に集会の話し始めたから、それが原因じゃないかな」
「たぶんそうだろうよ、B君!今の日本はな、君らみたいに学生が集会行くだけで公安警察が電話を盗聴する国なんや(当時は盗聴法成立前であるから警察といえども盗聴は立派な犯罪行為だ)、だから何も法律違反していなくてもちょっとしたことで捕まるし、盗聴もされる。君の下宿の電話も今日からは盗聴されていると覚悟しときや」
「そんなん法律違反やんか!」
「そうや、でもそれが現実だからしゃーない。その代り私は出来るだけ公安から情報引っ張って君らに教える。公安には絶対肝心な情報は流さない。これまでもそうやって来たからA君は何でもしゃべってくれるんや。まあ初体面で信用しろという方が無理やけどな」

初体面のB君は釈然としない表情でA君に促されて事務室を出ていく。それはそうだろう。大学に入ってまだ間もない学生が下宿の電話を盗聴される、さらにそれを大学の職員から聞かされる。いったい何がどうなっているのか頭が混乱するのも無理もない。

QさんにはまたしてもB君の学割申請はなかったと伝える。

実際この時はA君もB君も学割の申請はしていなかった。公安警察は捜査において盗聴など手段を選ばない怖い組織であると同時に、学生の動向を学割の申請があるかないかで探ろうとするといった幼児性を併せ持つ不思議な団体だ。関西から東京への移動方法はJRに限ったことではなく、夜行バスもあれば、知人の車に同乗させてもらうことだってあるだろう。勿論Qさんが学割の申請状況を尋ねてきたのは、公安としてもひょっとして情報が掴めれば、程度の期待値だったのかもしれないが、その後彼が開陳してくれた○○派についての情報には所々に間違いがあった。

このように一方的に袖にしていてはQさんも点数が稼げない。私から公安への一番のプレゼントは学生が警察官採用試験を受験した時だ。数にすればそう多くの受験者がいるわけではないが、毎年何人かは警察官採用試験の受験者がおり、その都度Qさんが電話をかけてくる。

「またいつもの件ですねんけど、今度は島根県警ですねん。名前は◎×□君です。よろしゅうお願いします」
「はい、わかりました。30分後に」

◆学生の身辺調査に協力せざるをえない大学職員

警察官採用試験の際、受験学生の身元は徹底的に洗われる。Qさんが当時私に示したチェック項目は、1.親の職業、2.所属クラブ、サークルなど学生生活の様子、3.親戚、身内に共産党員や社会党員がいないか(右派は許容、左派はダメ)などだった。1は入学時に提出させる身上カードを見ればわかるし、2は在学中の行動はサークル、クラブなどに属していれば掴める。3はその学生と私がよほど親しいか、あるいは本人に聞かない限りわからないから、Qさんとしても「もしわかったら」という程度の要請だった。

ざっと調べてQさんに報告だ。
「調べましたよ。お父さんは自営業ですね。職種は販売関係です。サークルに入ってました。体育会系ですわ。「赤」はたぶんいないんじゃないかなー。保守的な田舎が実家ですからね」
「はいはい。ありがとうございます。助かりましたわ。またよろしゅうお願いします」

といった塩梅だ。私はQさんにおおよその情報は伝える。警察官志望の学生だから問題学生であることはまずないので嘘をつく必要もほとんどなかった。これだけの情報でもQさんとしては点数稼ぎになるのだと言っていた。

まだ携帯電話が普及していない時代だったので固定電話の盗聴は技術的には簡単だった(私でも固定電話の盗聴ならちょっとした道具がそろえば出来る)。「個人情報保護法」といった面倒臭い法律もなかったから公安も平気で身辺情報の質問を投げかけて来たし、私も学生に不利にならない範囲で情報提供が可能だった(道義や倫理の問題は度外視して)。

今私が同じ職場にとどまっていたら公安とのやり取りはどんな具合になっていただろうか。おそらく法律や技術が変化しても公安警察の行動原則は変わっていないと思う。

(田所敏夫)

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一般的に大学職員と言えば、市役所の窓口職員など、いわゆる官吏的な定型業務が中心で、お堅い保守的な仕事をイメージされる方が多いのではないだろうか。国公立大学大学の職員は確かにそのような側面が強いことは確かであるし、私学でも大規模大学の職員は、業務が細分化されているのでその印象もあながち外れてはない。

何を隠そう私自身、大学職員に転職した本当の動機は「会社より楽そうだから」が本音だった。

ところが、学生と密に接触をする学風の小規模大学の場合、事情はかなり異なる。

大学の事務室で仕事をしていると、実に多彩な人々から電話がかかってくる。また普通はお目にかからない職種の方が訪ねてくる。

◆オウム真理教との遭遇

1993年頃、私の机の電話が鳴った。かけてきた主は「留学生をイベントに招待したいのだけれども、大学にポスターを貼らせてくれないか」と言う。

ケースによってはありがたい話である可能性もあるから一応「どのような団体の方ですか」と問うと、「オウム真理教と申します」と(!)。

当時はまだオウム真理教が発展期で麻原彰晃が北野武とテレビで語らったり、特段危険団体とは認識されておらず、宗教学者の中沢新一は「オウム真理教は宗教のディズニーランドだ」などと、後で取り返しのつかないような軽薄さでオウム真理教を賞賛するエッセーを書いたりしていた時代であった。が、すでに「空中浮遊」(あぐらをかいたまま床から浮き上がる)などというオカルト振りを既に発揮していたこともあり、私は丁重にお断りをした。

電話の主は「またよろしくお願いします」と礼儀正しく会話を終了したのだが、会話の際に私が名前を名乗ったためであろうか、後日15キロはあろうかと思われる段ボールが私宛に送られてきた。中にはオウム真理教の教義をマンガにした本や信者の修行の様子の写真集、極めつけは麻原彰晃の「空中浮遊」の写真集まで多彩な書籍が詰め込まれていた。

麻原彰晃「空中浮遊」写真集(勿論、写真集の名前はもっと意味ありげだったと思うが、覚えていない)では、これでもか、これでもかと長い髪の毛を振り乱しながら力任せにとしか思えない「飛び上がり」を撮影した写真だけで構成されていて、「空中浮遊」が「空中への飛び上がり」であることをわかりやすく見て取ることができた。

麻原彰晃には失礼だが、どう見ても力任せに「ぴょん」と瞬間的に飛び上がっている写真の羅列に「これ、絶対図書館に入れとこな。歴史的な資料になるで」と同僚と腹を抱えながら笑った。誰かに頼んで図書館に運んでもらったはずだが、果たして蔵書として残っているであろうか。

◆公安警察官とのお付き合い

所轄の警察から電話がかかってくることも年に数回は必ずあった。学生の事故、落し物などは序の口で、窃盗、麻薬、密輸、偽造パスポート、果ては地下銀行から殺人まで。警察からの電話は勿論訪問アポの取り付けで、こちらも学生が事故、事件に巻き込まれている以上、訪問を断るわけにはいかない。かくして私と所轄警察署の付き合いは年々増加してゆき、担当の公安警察官は御用聞きのように頻繁に現れるようになった。

私の勤務していた大学は当時「学生を罰しない」と言う不文律があり、たとえ刑事犯罪を犯しても何とかして救済し更正させ、卒業まで面倒を見る、という良い過激とも言ってよいヒューマニズムに徹していた。これといって明文化されたスローガンや理念があるわけではないが、それこそ空気として「何があっても学生は守る」のが学風であった。

なので、誤解をされると困るのだが、私が警察官、取り分け公安警察と懇意な関係となったのは全て学生の利益のためであり、そのためには警察へどうでもいい情報は提供する、その代りそれを超える情報を頂く。この原則は絶対に崩さなかった。

「田所さん、○○君と言う学生さんどんなもんでっしゃろか」と電話がかかってくる。

「Qさん、お約束は?」

「あ、クスリですわ」

「この学生は直接面識ないなー。調べますから2,3日時間くださいな」

「はい、よろしゅうたのんます」と言う具合だ。

早速学生を呼び出して面談をする。何年か問題学生との面談をしていると、その学生がクロかシロかだいたいの感触はつかめるようになる。そのケースは明らかに学生がドラッグをやっていることが面談中に直ぐわかった。しかも単純使用ではなく、どうやら学内で売りさばきをしているらしい。学生名まで特定されて令状を持ってこられたらこちらの対応も難しくなる。

「警察が君の名前で連絡してきたんや。このままなら確実に逮捕や。しかも単純使用じゃないから、執行猶予はつかない。どないする?」と冷たく言い放つ。

「どうしたらええんですか? 俺、自分では確かにやってるけど、人には売ってません」

「嘘つけ!こら!ここが大学やからて眠たいことゆうてたらお前明日にはわっぱ(手錠)はまんねんぞ!わしの言う通りにせなお前は逮捕されるんや。それだけちゃう。お前から買った学生も引っ張られる。ワシはそうはさせん!ごちゃごちゃ言い訳ぬかさんと持ってるクスリ今すぐ下宿に取りに帰れ!1時間以内にワシにもってこい。それから売った学生名前全部書き出せ!ええか!」

「はい」

学生は複数種類のドラッグを素直に持ってきた。

「よく言うことを聞いてくれたね。ありがとう。絶対これ以上もってへんな?」

「はい、これで全部です」

目を見れば嘘ではないのがわかる。

「売った学生のリストは?」

「これです」

「こんなにようけおんのか!」

「・・・」

「今貯金いくらある?」

「え?」

「今自由になる金ナンボあんねん?」

「3万くらいです」

「ちょっと待ちや」

まず担当の警察官に電話をかける。

「○○の件です。今お母さんが入院してはってで実家に帰ってますわ。1週間くらいで戻る言うてますから、帰ってきたら私が聞いときますわ」

「はいはい、ほな先生よろしゅうに」

このケースはたぶん「学生を挙げる(逮捕する)よ」と言うメッセージを親心で警察官が流してくれたのだろう。日頃付き合いがなければこうは行きはしまい。

私は手持ちの3万円を学生に手渡し、

「九州かどっか遠い場所に一週間行って来い。毎日サウナに泊まってサウナに入りまくれ。一週間したらこの番号(事務室の私の電話)に電話を必ずかけるように、後はその時指示するから」

自白した学生は正直なもので、その足で私の指示通り九州に出向きサウナに泊まり、1週間後に電話をかけてきた。彼からの電話かかる前に、私はクスリを買っていた学生をひとまとめに集めてそちらの処置はすませていた。

「君らが○○君からクスリ買ってやってたことはわかってる。もう今後絶対やったらあかんぞ。警察も動いてる。君らが約束を守ってくれたら大学は何があっても君らを守る。その代り嘘をつかれたら大学は責任持てない。まだ未使用のクスリ持ってる人手を挙げて」

学生たちは不安そうにお互い顔を見合わせて逡巡しているが、やがてぱらぱらと手が上がる。この連中は単純使用なので、やはりすぐに私に所持しているクスリを持参させ、私宛の念書を書かせる。

きれいな顔になって九州から学生が戻ってきた。再度強く注意し彼にも私宛の念書を書かせる。仕上げは警察への報告だ。

「今日○○帰ってきましたので面談しました。シロですわ」

「そうでっか、お手数かけましたな先生」

「いえいえ、こちらこそお世話になりました」

全て実話である。

(田所敏夫)

《大学異論01》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(前編)

《大学異論02》「度を越した」改革で立命館が一線を越える日(後編)

《大学異論03》職員の7割が「非正規」派遣・契約のブラック大学

《大学異論04》志ある「非正規」は去り、無責任な正職員ばかりが居坐る

《大学異論05》私が大学職員だった頃の学生救済策

《大学異論06》「立て看板」のない大学なんて

《大学異論07》代ゼミと河合塾──予備校受難時代に何が明暗を分けたのか?

《大学異論08》5年も経てば激変する大学の内実

 

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前回は、選り好みさえしなければ大学に入学することは極めて簡単な時代になっている(数字的には大学受験者よりも大学の入学定員の方が多く実質的には既に「希望者全入」状態なのだ)ことを述べた。

他方、学校教育への不信感からか、小学生で猛烈な塾通いをする児童が増加している現象にも言及した。どちらにせよかつてのように東大を頂点とする「超硬化した学歴社会」は、かなり緩和されたものの、未だに学歴(大学名)への信仰は揺るぎのないものとして、保護者や社会に依然共有されている。

その学歴(大学名)信仰は、大学の入試難易度(偏差値)にほぼ並行し信頼度が上がり、そこにこれまでのイメージが加わり総合評価が構成される。実際偏差値の高い大学にはよく勉強のできる学生が集まり入試倍率も高く、偏差値の低い大学には定員割れを起こしているところが多い。

ただし、大学は生き物だ。各大学を取り巻く状況や教鞭を取る専任教員の力量、経営方針などによって5年も経てば、内実が激変する。

◆同志社大学社会学部メディア学科は教授陣の質に疑問あり!

例えば、同志社大学社会学部メディア学科は、かつての文学部新聞専攻を出自としており、西日本の私学の中でもトップクラスの偏差値の高さである。

だが、在籍している専任教員はとてもではないが、学生のレベルにふさわしい人材とは言い難い。メディア学とは何の関係もない江戸時代の遊女の研究を主としている者、メディア学を教えていながら本人がメディアを悪用し、名誉棄損で2度も民事裁判で敗訴している者、単著が一本も無い者、強制的に学生を割り振らないと一人もゼミ生が集まらないほど人格自体が嫌悪されている者……。

このような内実は受験生が知る由もない。大学難易度を示す偏差値の数字と、過去に多くの有名教員が在籍していたことや「同志社大学」というブランドで入学してくるのだ。大学業界を長年ウオッチしている者からすると、現在の在学生には気の毒だが、決して受験生にはお勧めできない受験先である。

◆他大買収で凋落した南山大学のブランドイメージ

逆もまた真である。愛知県にある中京大学と言えば、言葉は悪いがかつては決して学業面で評価の高い大学ではなかった。スポーツでのみ全国区に名前の知れた大学であったと言っても過言ではない。

愛知県には多数の大学が乱立していることと、この地域の特性として、成績上位生徒以外が県外の大学に進学することは珍しい。公立高校で平均以下のレベルの学校からは大学進学で県外進学者がゼロという学校も珍しくない。

そんな愛知県で長年私学のトップに君臨していたのは南山大学だった。しかし、南山大学は瀬戸市にある聖霊大学を1995年に買収したあと、急激な凋落に陥る。

それまで決して競争の相手にすらならなかった中京大学とさえ、現在では学部により偏差値で肩を並べるというところまで下降している。偏差値以上に南山大学のイメージ低下は愛知県の中で顕著だ。

こうやって見てくると、大学選択の意味がさらに困難に感じられてくる。学歴を重視する向きには尚更だろう。今、好評を得ている大学が将来もその「誇り」を保持させてくれる保証はないのだ。

「学歴を将来のステータスに」と考えている方には、このような変動が(良い方向にも、悪い方向にも)生じる可能性があることを知っておいて損はない。

(田所敏夫)

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