待たせたな!田村聖 vs 西村清吾ミドル級決着戦!!

西村清吾(左)vs田村聖。戦う度激しさが増した両雄、田村の反撃も凄まじかった
プロレス技ではありません、無我夢中でスリーパーホールドへ?

◎神風シリーズvol.4
9月23日(祝・土)後楽園ホール17:30~21:10
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

田村聖vs西村清吾戦は、今年2月5日のNKBミドル級王座決定戦で、田村聖が最終ラウンドにヒザ蹴りで2度ダウンを奪い、形勢逆転の判定勝ちした王座獲得でした。

初黒星を喫した西村は、6月25日のチャンデー戦でムエタイ技術を学ぶ経験をした自信と、この日、元・ラジャダムナン系ライト級チャンピオン.梅野源治がセコンドに着いてくれた後押しで、西村は第1ラウンドの左ストレートをヒットさせ田村をグラつかせる好調な出だしでしたが、ヒットすると思っていなかったか、間を置いてしまい慌てて詰めに入るがタイミングが一歩遅れてしまう。しかしこれで田村は距離感が狂い、西村が主導権を握った展開でパンチのヒットが目立ち、田村も蹴りで応戦の前回よりアグレッシブな展開。前々回の昨年10月は凡戦だったことからみれば、かなりの成長の両者。

以前から交流のあった梅野源治氏からのジムでの指導とセコンドに着いての相当尻を叩かれた後押しは、苦しい修行を耐え抜いた西村の、この1年を、待たせた成長は大きいと言える第7代NKBミドル級チャンピオン誕生。

西村清吾vs田村聖。西村のクリーンヒットが目立った重いパンチ
苦しみから立ち上がって西村清吾が勝利、いろいろな想いが脳裏を過ぎる涙。セコンドは梅野源治

安田一平はこの日がラストファイト。重いパンチを振るい、洋介は蹴りで対抗するも、安田は距離を詰め、強打で仕留め有終の美を飾る。洋介は担架で運ばれる失神KO負け。公式戦後、簡素な引退式ながら、小野瀬邦英会長からのお言葉は「安田一平は一度引退しています。まあいろいろあって、一平は何年か後に、僕のところへ帰ってきました。“やり残したことがある”と、それを燃やし尽くす為に帰ってきました。燃やし残したものを真っ白に燃やし尽くす為に、今日の今日まで練習して戦ってきました。そして今日、その燃やし尽くせなかったものを真っ白に燃やしたと思います。またこれからの安田一平の人生も、いろいろなもの(人生の節目の)をかき集めて、それを燃焼させながら人生歩んで行くと思いますので、今まで同様、温かい愛情の応援を、これからも宜しくお願い致します。」とファンへ激励と感謝の御挨拶。

安田一平の強打が洋介にヒット、ラストファイトを飾る
完全燃焼して引退式に臨む安田一平と、労いの言葉をかけるSQUARE-UPジムの小野瀬邦英会長

安田一平は「僕なんかがこのリング(引退式)の上で喋るなんて数年前まで思ってもなかったことでした。小野瀬会長、高橋コーチと出会って、ここまでやれるようになったこと凄く感謝しています。また、ここまで来れたのはここに居る皆さんのお陰です。本当に有難うございました」と感謝を述べ、テンカウントゴングに送られました。

12月16日にNKBライト級新チャンピオンの高橋一眞(真門)に挑戦予定の、前チャンピオン.大和知也は新鋭の棚橋賢二郎にKO負けの意外な結果となりました。昨年の試合での怪我で王座を返上し、休養していた大和は試合勘がやや鈍ったか、余裕の序盤からペースを乱したか、第4ラウンドに一気に棚橋の右ストレートを受けあっさりダウン。立ち上がるもパンチ連打の追い討ちを受け、2度目のダウンを喫し立ち上がろうとするもフラついて、レフェリーに止められてしまいました。

棚橋賢二郎の右ストレートが大和知也にヒット
棚橋賢二郎の連打で崩れ落ちる大和知也
昨年6月デビューの5戦目の棚橋賢二郎が31戦目の元ライト級チャンピオンに勝利してのインタビューに応える

デビュー戦から7連敗し、初勝利を得て話題が広まった岩田行央は、KO勝利で3勝目。デビュー戦から岩田と3連戦を戦った藤田直道(藤田の2敗1分)もパンチ、首相撲からのヒザ蹴りなど技を酷使し、判定勝利で成長を見せ初勝利を飾る。普通、話題にならない30歳過ぎの新人が繰り広げた戦いにも人生有り。期待は薄いものの、二人がどこまで上位に進めるか、注目を浴びる存在であります。

《メインイベント、アンダーカード8試合》

◆NKBミドル級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.田村聖(拳心館/72.2kg)vs挑戦者1位.西村清吾(TEAM-KOK/72.35kg)
勝者:青コーナー・西村清吾 / 判定0-2 / 主審 鈴木義和
副審 佐藤友章49-49. 馳48-50. 亀川48-49

◆64.0kg契約 5回戦

NKBウェルター級1位.安田一平(SQUARE-UP/63.9kg)
VS
NKBライト級6位.洋介(渡辺/63.65kg)
勝者:安田一平 / TKO 2R 0:41 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審 川上伸

◆ライト級 5回戦

NKBライト級1位.大和知也(SQUARE-UP/61.2kg)
VS
同級8位.棚橋賢二郎(拳心館/61.1kg)
勝者:棚橋賢二郎 / TKO 4R 1:13 / カウント中のレフェリーストップ
主審 馳大輔

◆女子50.0kg契約3回戦

喜多村美紀(テツ/50.0kg)vs佐藤“魔王”応紀(PCK連闘会/49.25kg)
勝者:喜多村美紀 / 判定2-0 / 主審 鈴木義和
副審 亀川30-29. 佐藤彰彦30-29. 馳30-30

◆68.0kg契約3回戦

NKBウェルター級8位.チャン・シー(SQUARE-UP/67.7kg)vsゼットン(NK/67.85kg)
勝者:チャン・シー / 判定2-0 / 主審 佐藤友章
副審 川上29-28. 馳30-29. 鈴木30-30)

◆ライト級3回戦

NKBライト級7位.パントリー杉並(杉並/60.75kg)
vs
同級9位.野村怜央(TEAM-KOK/61.1kg)
勝者:パントリー杉並 / 判定3-0 / 主審 亀川明史
副審 馳29-28. 佐藤彰彦30-29. 佐藤友章29-28

小笠原裕史vs岩田行央。岩田行央がKOできる武器を持って勝ち星を増やせるか

◆60.0kg契約3回戦

岩田行央(大塚/59.6kg)vs小笠原裕史(TEAM-KOK/59.5kg)
勝者:岩田行央 / KO 2R 1:12 / テンカウント
主審 川上伸

◆フェザー級3回戦

藤田直道(ケーアクティブ/56.9kg)vs鈴木孝則(TRIAL/59.9kg)
勝者:藤田直道 / 判定3-0 / 主審 佐藤彰彦
副審 亀川30-28. 鈴木30-28. 馳30-28

他、2試合は割愛します。

《取材戦記》

西村清吾は試合直後の応援してくれたファンに囲まれての記念撮影にリング下から会場ロビーまで移動してファンの応援に応えて長引き、控室に帰れない中で合間を縫っての私の質問に、今後の目標を聞くと「まず防衛」で、「他団体などのビッグマッチ出場を目指す気はありますか?」と尋ねると「これから考えたいです!」とその場では考えがまとまらないのは当然ながら咄嗟に応えてくれました。

新チャンピオン・西村清吾の誕生。ここまで来れたのも梅野さんのお陰、防衛して恩を返さねば

「控室に梅野源治さんも待っているのだから早く戻った方がいいよ」とは頭を過ぎりつつ、言いませんでしたが、退場はサッと一旦引き上げた方がカッコいいと思うところ、支援してくれた後援者も居るので仕方ないところでしょうか。最終試合の後はこんな光景が目立つことがあります。

次回興行は12月16日(日)後楽園ホールに於いて、NKBライト級とフェザー級のタイトルマッチが行なわれます。フェザー級は村田裕俊(八王子FSG)が2度目の防衛戦、再び優介(真門)を迎えての2度目の防衛戦となります。

村田裕俊は6月25日のライト級王座決定戦出場に際し、フェザー級王座は返上していなかったのかと疑問に思いましたが、その村田裕俊(八王子FSG)に2-1判定勝利で王座獲得した高橋一眞(真門)が王座初防衛戦。挑戦者の大和知也(SQUARE-UP)が今回KO負けを喫した為、現在保留の状態です。誰が挑戦して来ても、高橋一眞の今後を占う大事な一戦となるでしょう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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ムエタイM-ONE興行 WPMFも活発に!

軽量級らしいスピードとテクニックが魅了した試合の佐々木雄汰 vs 薩摩サザ波
薩摩のバックハンドブローがクリーンヒットし、佐々木雄汰がダウン
薩摩サザ波vs佐々木雄汰。右ヒジ打ちでダウンした薩摩
尚武会・今井勝義会長とツーショットの佐々木雄汰初防衛成功

タイでは国家イベントに起用されるWPMF世界戦、日本では乱立した中の一つでしかない存在ながら、選手の実力は高度なテクニックで試合を盛り上げた、この日の軽量級、中量級、重量級の技の競演は、どのカードも持ち味が活かされた展開で魅了。強い選手が揃っています。

メインイベント、佐々木雄汰(尚武会/17歳) vs 薩摩サザ波(TARGET/35歳)戦は、両者の展開速いテクニックを見せつつ、序盤の様子見から第3ラウンドに薩摩のバックハンドブローで佐々木雄汰がダウン、ここは年齢差からくる人生の経験値か。しかし第4ラウンドにはカウンターのヒジ打ちで逆転のダウンを奪った佐々木雄汰は、さすがに幼少期からのジュニアムエタイ時代から実戦で鍛えた勝負勘を感じます。薩摩にダメージが残る中、佐々木雄汰の攻勢がやや上回って、際どい2-1ながら判定勝利で初防衛成功。

武来安 vs 小嶋広樹戦は、パンチの重さは武来安やや有利。小嶋はパンチも打つが、やや見劣りする中、ローキック主体に攻める。接近戦では相手をパンチでグラつかせるラウンドが互いにあり。武来安が後ろ蹴りも多発した蹴りの多彩さとパンチの強さで上回ったかに見える判定勝利で王座獲得。

八神剣太 vs 鷹大戦は、3月20日に挑戦者決定戦で、アトム山田(武勇会)に判定勝利し、挑戦権を獲得した鷹大。互いに譲らない積極的な攻めも、鷹大のヒジ打ちで八神の顔面を切り、より激しい攻防が続く中、最終ラウンドは互いが怯まない相手を称え合うかのような、グローブタッチを繰り返しながらパンチと蹴りの思いっきりの攻防が続き終了。鷹大のヒジの攻勢が目立ったか、際どい2-0判定で王座奪取、WPMF日本王座2階級を制覇。

ゴンナパー vs 潘隆成戦は、ムエタイらしいゴンナパーの左ミドルキックと強烈なパンチが、徐々に調子を上げていき播隆成を苦しめる。3ラウンドまでの公開採点で、ダウンを奪わなければ勝てない潘隆成が攻勢に出るが、ゴンナパーが強い蹴りで凌ぎきる上手さが目立った。最終ラウンドも離れず攻勢を続けたゴンナパーが判定勝利で2度目の防衛。

T-98 vs ガムライペットは、再びムエタイ殿堂王座を目指すT-98が序盤、重いローキックと接近して圧力をかけてのパンチで出るが、ガムライペットのハイキックを受けたT-98はグラつき、2ラウンドにはヒジで切られる負傷負け。調子を上げる前に終わった感じの試合。王座陥落以降、復帰戦は勝ったが、この日敗北。試合ペースが短い現状から少々休養をとって更なる再起に期待したいところです。

◎M-ONE 2017.2nd
9月18日(月・祝)ディファ有明16:00~20:55
主催:ウィラサクレック・フェアテックス / 認定:WPMF

◆WPMF日本スーパーフライ級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.佐々木雄汰(尚武会/51.95kg)
vs
挑戦者.薩摩3373(=サザ波/MA日本フライ級C/TARGET/51.95kg)
勝者:佐々木雄汰 / 判定2-1 / 主審 チャンデー・ソー・パランタレー
副審 テーチャカリン48-47. ソンマイ48-47. 北尻47-48

ダウンを奪い返した佐々木雄汰の右ヒジ打ちクリーンヒット

◆第2代WPMF日本ライトヘビー級王座決定戦 5回戦

武来安(=ブライアン/J-NETWORKライトヘビー級C/上州松井/78.85kg)
vs
小嶋広樹(WSR・F幕張/79.3kg)
勝者:武来安 / 判定3-0 / 主審 北尻俊介
副審 テーチャカリン49-48. チャンデー49-48. ナルンチョン49-48

小嶋広樹vs武来安。重量級らしい重いパンチと蹴りが交錯した戦い、後ろ蹴りヒットさせた武来安

◆WPMF日本フェザー級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.八神剣太(レジェンド横浜/57.1kg)
vs
挑戦者.鷹大(前スーパーバンタム級C/WSR・F西川口/57.1kg)
勝者:鷹大 / 判定0-2 / 主審 ソンマイ・ケーウセン
副審 テーチャカリン48-49. 北尻48-49. ナルンチョン49-49

八神剣太を攻める鷹大の右ミドルキック、凄まじい試合となった両者
2度目の防衛を果たしたゴンナパー

 
◆WPMF世界スーパーライト級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.ゴンナパー・ウィラサクレック(タイ/63.5kg)
vs
潘隆成(前WPMF日本同級C/クロスポイント吉祥寺/63.5kg)
勝者:ゴンナパー / 判定3-0 / 主審 チャンデー・ソー・パランタレー
副審 ソンマイ49-48. 北尻50-47. ナルンチョン49-47

ゴンナパーの重いミドルキックが潘隆成を苦しめる

◆スーパーウェルター級3回戦

T-98(=今村卓也/元ラジャダムナン系SW級C/クロスポイント吉祥寺/69.85kg)
vs
ガムライペット・パーン26(タイ/69.85kg)
勝者:ガムライペット / TKO 2R 2:43 /
ヒジ打ちによる顔面裂傷、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ
主審 テーチャカリン・チューワタナ

T-98vsガムライペット。調子を上げる前に終わったT-98(=タクヤ)
T-98負傷負け。1度目のドクターチェックでかなり危なかったが再開を許されるも数秒の攻防ですぐレフェリーに止められた、おびただしい出血のT-98

◆WPMF日本ピン級(-45.359kg)3回戦(2分制)

WPMF世界ピン級チャンピオン.Little Tiger(WSR・F三ノ輪/44.9kg)
vs
ヨーディン・シットヨーディン(タイ/45.6→45.3kg)
勝者;Little Tiger / TKO 2R 1:09 / 一方的展開に陥り、レフェリーストップ
主審 北尻俊介

◆55.0kg契約3回戦

小笠原 裕典(JKIスーパーバンタム級C/クロスポイント吉祥寺/55.0kg)
vs
ナッタチャイ・パーン26(元・ルンピニー系ライトフライ級C/タイ/54.6kg)
引分け / 1-0 / 主審 ナルンチョン・ギャットニワット
副審 北尻29-29. チャンデー29-28. テーチャカリン28-28

◆59.0kg契約3回戦

WPMF日本スーパーバンタム級チャンピオン.中向永昌(STRUGGLE/58.9kg)
vs
コブスー・フェアテックス(タイ/58.75kg)
勝者:コブスー・フェアテックス / TKO 1R 1:21 / カウント中のレフェリーストップ
主審 ソンマイ・ケーウセン

◆60.0kg契約3回戦

NJKFスーパーフェザー級チャンピオン.琢磨(東京町田金子/59.8kg)
vs
デンサヤーム・ルークプラバート(タイ/59.75kg)
勝者:デンサヤーム・ルークプラバート / 判定0-3 / 主審 チャンデー・ソー・パランタレー
副審 北尻28-29. ナルンチョン28-29. ソンマイ28-30

◆53.0kg契約5回戦

WPMF日本バンタム級チャンピオン.隼也ウィラサクレック(WSR・F三ノ輪/53.0kg)
vs
奥脇一哉(はまっこムエタイ/53.0kg)
勝者:隼也ウィラサクレック / 判定2-0 / 主審 テーチャカリン・チューワタナ
副審 北尻48-48. チャンデー50-48. ソンマイ49-48

他、3試合は割愛します。

《取材戦記》

WPMF日本ライトヘビー級王座は3年半ぶりのチャンピオン在位。日本の重量級では層が薄い現状も、全団体から集まれば昔以上のランカーが揃う人材があります。ミドル級を越える重量級でも交流戦を増やして、少しでも対戦相手不足を解消して欲しいところです。

キックボクシング系競技でアメリカ人日本チャンピオンも過去、何人か居たと思いますが、武来安の活躍は、かつての日本ヘビー級チャンピオン.ジミー・ジョンソン(横須賀中央)の存在を思い出しました。こんな外国人横綱のような、日本王座に君臨する外国人チャンピオンの存在も憎たらしくていいかもしれません。ボクシングのリック吉村のような日本人をことごとく潰していく存在も面白い存在となるものです。

やがて来年6月末にはこのメイン会場となったディファ有明も閉鎖されますが、その後はどこで開催されるのでしょう。M-ONEに限らず、ディファ有明を主要会場としていた各団体・興行プロモーションも新たな会場を探っているようです。M-ONE次回興行は11月26日(日)にこのディファ有明で開催となります。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

私の内なるタイとムエタイ〈9〉タイで三日坊主 Part.1 藤川清弘さんとの出会い

◆三帰依再び!

ムエタイ以外でタイで出来る伝統文化って何だろう。そんな思い付きから、あの黄衣を纏って歩いてみたいという安易な妄想を描いてしまった若い頃。

しかし何の信仰心も無く無宗教で育った私は、日頃、両手を合わせる時は、学校給食の「いただきます!」と、苦しい時の神頼みしかありませんでした。成績最悪だった私は、地元の評判悪い私立の仏教系高校に辛うじて受かり、そこで毎朝合掌して唱えさせられたのが、

「ブッダン・サラナン・ガッチャーミー、ダンマン・サラナン・ガッチャーミー、サンガン・サラナン・ガッチャーミー」で、この意味は習ったはずも全く覚えておらず、卒業後の人生、全く頭に過ぎらぬほど、三帰依などすっかり忘れていました。

藤川清弘氏の著作。人物像はここにあり!

子供の頃からキックボクシングを観ていなければ、あの千葉にあるジムに行かなければ、そこであのタイ選手に会わなければ、そのタイ選手のバンコクのジムに居候しなければ、その近くで藤川清弘氏が日本料理の幟旗を立てなければ、その店へ行こうと日本人選手に誘われなければ……、これらのどこかで運命がほんのちょっとでもズレていれば、藤川氏と出会うこと無く、私は出家には至っていなかっただろうと思うのです。

対する藤川氏も波乱万丈の人生を送り、タイで事業を始めた人でした。この人もどこかで運命がちょっと違った方向に行っていれば、あそこであの時期にお店を開くことはなかったでしょう。いろいろな原因が結果となって現れ、それが次の原因となって次の結果を生んで続いていくことを“因果応報”と言います。

そして高校卒業後15年も経ってこの三帰依を再び唱える時が来てしまったのです。もしかしたら、あの嫌で嫌で仕方なかった高校に通った日々が原点だったのでしょうか。

◆幟に釣られた我々!

そんな運命に導かれるまで呑気に生きていた私は、1993年7月、バンコクのタリンチャン地区にあるムエタイのゲオサムリットジム宿舎となるアナン会長宅に居候していました。アナンさんは以前、キックボクシングの習志野ジムでトレーナーをしていた選手で、そこで偶然知り合った仲でした。そのアナン宅のある集落からすぐ出た小道に「たこやき」「やきそば」といった露店の幟旗が5本ほど立った、日本料理店であることを察する、オープンカフェ風の小奇麗なお店があるのを何度か通りかかった際、目撃していました。私はタイに来てまで日本料理は食べたくなかったので、一度も立ち寄ったことはありませんでした。それまでは……。

イメージ画像、実物とは関係ありません。オープンカフェ風レストラン!
タイの日本料理店がお客を釣る手段として用いる幟旗のイメージ画像。写真はタイ現地のものではありませんがこんな感じです

日本人の心を知り、適切に指導できるアナンさんのところへ、日本人キックボクサーが修行にやって来るのは当然の流れで、私が来てから2週間後にやって来たのが当時、日本のキックボクシングトップクラスにいた立嶋篤史選手でした。彼とはデビュー前から知り合いで、以前にもバンコクの別のジムでも一緒に過ごしたことある気兼ねない仲間内でした。

ジムが練習休みのある日曜日、アッシー(=立嶋篤史)から「あの日本料理の店行ってみましょうよ」と誘われる運命へ。彼は元々タイ料理が苦手で、これより5年前のムエタイジムで出会った新人の頃は、味付け海苔とフリカケとインスタント味噌汁を日本から持って来て、これだけで白飯を食べていたほど。その後、タイ料理はほぼ克服していましたが、近くに日本料理店があれば、彼の本能が赴くのは当然のことでした。私は付き合いがてら見学目的で一緒に行くことになりました。

店に入ると、テーブルに着いていたオーナーらしきゴツイ顔のオッサンが、「あんたら日本人やろ、どこに泊っとるんや!」。いきなり関西弁で遠慮ない問いかけをしてくるのが藤川清弘(当時51歳)氏でした。アッシーも活発な青年で意気投合し、藤川さんのツバ飛ばしながらよく喋る関西弁との上手く噛み合う会話が続き、ほとんど喋らない私は聞き役に回る程度でした。日本料理のメニューをお願いすると、藤川さんは「日本料理なんかあらへんで!」とあっさり。我々は「幟に書いてあるのはメニューに無いんですか?」と聞くと、藤川さんは「幟は客釣りや、タイ人には珍しい旗やろ、ワッハッハッハッハ!」。我々も引っ掛かったことに笑ってしまいました。

◆仏門の話題が出た!

アッシーはバンコクでの試合が決まり、減量も始まり、藤川さんの店に行くのは私だけになっていました。従業員の女の子とも仲良くなり、そちらの方が楽しみな日々。それまでの藤川さんとの雑談も、京都で地上げ屋やってたビジネス話から仏門の話がチラッと出た頃でした。

「ワシなあ、今年の1月から6月まで坊主やっとったんや」と見せてくれたのが、巡礼先で撮ったと見える黄衣を纏った坊主頭の藤川さん。このお店での姿はポロシャツにスラックス。髪は短めの七三分け。地上げ屋やってた人とは思えぬ比丘姿でした。

「ワシなあ、もう3~4年したらもう一回坊主やろうと思とるんや、今度は還俗はせんで、一生仏門に居るつもりや、堀田さんも短期でええからやってみたらどうや、日本では絶対に体験できへん良い人生の勉強になるで、得度式かて口移しで教えてくれるし、経文も覚えんでええ、ワシの時もそうやった!」

そんな言葉を掛けられて、過去にラーブリー県で会った品ある日本人僧や、以前付き合っていた彼女の弟の得度式での姿と、TBSの新世界紀行で見た日本の若者二人が出家した姿、それらが一気に頭を過ぎると、あんな姿で歩いてみたいという、お調子者の自分も挑戦してみたい気になりました。

とりあえずそんな縁だけ繋いでおこうと「僕もやりたくなったら誘ってくれますか、藤川さんの居る寺で」と言うと藤川さんは、「ええよ、面倒見てあげる、何も難しく考えんでええから!」と前向き対応。先はわからない簡単な口約束でした。3~4年後なんて仕事が忙しくなってタイには来られないかもしれない。機会あってもその時はビビッて怖気ずくかもしれない。でもまだ起きてもいない先のことは考えず、また雑談に店を訪れる日が続きました。

◆祝勝会もお別れ会も無く!

「アッシーが勝ったら祝勝会やろう」と言ってた藤川さん。アッシーは見事にKO勝ちしたものの、試合直後は日本とタイの雑誌取材等に追われ、すぐに店に訪れることは出来ませんでした。

試合翌日、私だけ訪れると「勝ったんか、たいしたもんやなあ、でも来れんのか、何でや~!?」とガッカリした様子の藤川さん。知り合って間もない関係だけに後回しになるのも仕方無いことでした。それはわずか5日間ほどのことでしたが、その後二人で訪れると、お店から藤川さんの姿が見えなくなっていました。

店の女の子に聞いても「社長はどこに行ったのか、いつ帰るのか分かりません」という返答。いつ行っても状況は変わらず、アッシーは先に帰国し、2週間ほどして私も帰国日になり、「もう藤川さんに会うことは無さそうだな。口約束はあくまで確約では無いし、祝勝会はもしかして御自身のお別れ会のつもりだったのかな」と頭を過ぎりながら、私は帰国の途についたのでした。

やがて2ヶ月ほど経ち、郵便受けに藤川さんからの手紙が届いていました。そう言えば名刺を渡していたなと思い出し、ここから切っても切れない恐ろしい腐れ縁の始まりとなっていくのでした。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】望月衣塑子さん、寺脇研さん、中島岳志さん他、多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

TITANS NEOS 22 メジャーが王道の先にあるならば、この道を突き進む!

江幡睦vsマフアンレック。蹴り合いにも下がらず先手打ち、圧力掛けて出る江幡睦

アルゼンチン大使より、WKBA伊原信一代表へチャンピオンベルトの贈呈。これはWKBA加盟国の、アルゼンチンで活発に行なわれているアマチュア大会が、今後、周辺国と交流し、南米選手権、更にヨーロッパ、ロシア、アジアとの大陸間国際大会開催を目指したチャンピオンベルトとなります。アマチュア大会の裾野が広がって、プロへの基盤となればWKBA世界王座も真のメジャー化に繋がるでしょう。そんな険しい道程をどう切り抜けていくのかも応援したいところです。

江幡塁が12月10日、両国国技館で開催の「KNOCK OUTイベント」に出場決定! 10日程前に発表されていたことではありますが、この日、江幡睦が勝利したリング上でもマイクアピールされました。対戦相手は未定ですが、ここで話題の選手と対戦し、好ファイトを繰り広げれば、その後のムエタイ最高峰に挑んだ際にも、今まで以上の期待と声援が増すことでしょう。

江幡睦vsマフアンレック。右ストレートで1回目のダウンとなるクリーンヒット
斗吾vsファープラタン。パンチの強い斗吾が圧力を掛けていく、劣勢に陥るファープラタン

◎TITANS NEOS.22
2017年9月17日(日)後楽園ホール17:00~20:50
主催:TITANS事務局 / 認定:新日本キックボクシング協会

メインイベントは江幡睦のWKBA世界バンタム級王座初防衛戦。一度失敗している初防衛戦は、2015年3月に行なわれた、ラジャダムナン系バンタム級王座とのダブルタイトルマッチで、フォンペット・チューワタナに判定負けして奪取成らず、WKBA王座も陥落。その後フォンペットのWKBA王座返上で、江幡睦は再び王座決定戦を制し王座奪回。今回の挑戦者は元・ルンピニー系ライトフライ級1位.マフアンレック。

睦のパンチと蹴りのスピードがマフアンレックを上回り、タイミングをずらしたフェイントと、右ストレートと左アッパーで、2度のダウンを奪って快勝し、初防衛成功。

日本ウェルター級チャンピオン.渡辺健司は、憂也の若さでパンチで出る圧力に押される展開を見せるも、いつものしぶとさと粘りで凌ぎきる。どちらもあと一歩足りない手数に差が付かないまま終了。

日本ミドル級チャンピオン.斗吾は序盤にファープラタンの蹴りのテクニックに詰め難さがあったが、斗吾のパンチの威力に後退し始め、表情に現れるような劣勢とスタミナ不足。斗吾の威力が増していき、右ボディーブローでKOする。

アルゼンチンから伊原ジムに移籍したマウロ・エレーラとミドル級から階級を上げたショーケン、重いパンチを振るうエレーラに、負けず劣らず前に出たのはショーケン。右ストレートでダウンを奪い、エレーラを後退させるシーンが目立ち、判定勝利を得る。ミドル級時代より力強さを感じたショーケンでした。

日本フライ級王座奪還目指す泰史は、第1ラウンド終了近くにパワフルな攻めを見せる平野翼から右ハイキックでダウンを奪い、2ラウンド開始早々には右ローキックから瞬時に飛びヒザ蹴り一発で倒してKO勝利。

◆メインイベント WKBA世界バンタム級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.江幡睦(伊原/53.45kg)
VS
マフアンレック・チョー・ノーパルタン(タイ/53.1kg)
勝者:江幡睦 / KO 2R 2:25 / カウント中のタオル投入による棄権
主審 椎名利一

◆74.0kg契約3回戦

日本ミドル級チャンピオン.斗吾(伊原/73.85kg)
VS
ファープラタン・ペットプームムエタイ(タイ/73.7kg)
勝者:斗吾 / KO 3R 0:59 / カウント中のタオル投入による棄権
主審 少白竜

ファープラタンvs斗吾。最後は斗吾ボディーブローが強烈に決まった
渡辺健司vs憂也。若い憂也も攻め倦む、両者あと一歩出れば勝機に繋がった惜しい試合

◆67.2kg契約3回戦

日本ウェルター級チャンピオン.渡辺健司(伊原稲城/67.15kg)vs
VS
憂也(魁塾/67.2kg)
引分け / 0-1 / 主審:宮沢誠
副審 椎名29-29. 仲29-29. 少白竜29-30

◆ヘビー級3回戦

日本ヘビー級1位.マウロ・エレーラ(伊原/95.3kg)
VS
日本ヘビー級4位.ショーケン(山田/94.5kg)
勝者:ショーケン / 判定0-3 / 主審 宮沢誠
副審 椎名27-30. 仲28-29. 少白竜28-29

マウロ・エレーラを後退させたショーケン、今後に期待

◆52.0kg契約3回戦

泰史(前・日本フライ級C/伊原/52.0kg)vs平野翼(烈拳會/51.5kg)
勝者:泰史 / TKO 2R 0:10 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審 仲俊光

平野翼vs泰史。飛びヒザ蹴り一発で平野翼を沈めた泰史
江幡睦と塁。WKBA、KNOCK OUT、ムエタイ王座と新しい伝説へ突き進む江幡ツインズ

◆74.0kg契約3回戦

日本ミドル級2位.本田聖典(伊原新潟/73.6kg)vs同級3位.中川達彦(花鳥風月/73.9kg)
勝者:本田聖典 / TKO 2R 0:46 / 一方的展開の為、レフェリーストップ
主審 少白竜

◆62.5kg契約3回戦

日本ライト級3位.春樹(横須賀太賀/62.5kg)vs清水隆誠(烈拳會/62.5kg)
勝者:清水隆誠 / 判定0-3 / 主審 椎名利一
副審 少白竜28-30. 宮沢誠27-30. 仲28-30

◆ライト級3回戦

日本ライト級4位.ジョニー・オリベイラ(トーエル/61.1kg)
VS
同級5位.渡邊涼介(伊原新潟/61.15kg)
引分け / 0-0 / 主審 少白竜
副審 椎名29-29. 宮沢29-29. 仲29-29

他、5試合は割愛します。

《取材戦記》

江幡ツインズ弟・塁は10月22日にMAGNUM.45に於いてWKBA世界スーパーバンタム級王座2度目の防衛戦で、その後12月10日にKNOCK OUT出場となります。同日、兄・睦は後楽園ホールでの藤本ジム興行に於いてのビッグマッチが予定されており、同日に別々の会場でツインズ出場は初めてのことです。来年は睦も後々にKNOCK OUT出場予定されている模様です。

伊原代表に贈られたWKBAアマチュアチャンピオンベルト中央には「King of The King」と刻印されており、鷹と王冠もデザインされています。この鷹と王冠は旧・日本キックシング協会系のチャンピオンベルト(沢村忠さん達の時代のベルト)にも王冠に掴まる鷹が描かれており、同一デザインではありませんが、何かキックの老舗のこだわりがあるような気がします(鷹か鷲か不明ですが)。

今回の興行テーマとなった「メジャーは王道の先にあるならば、この道を突き進む!」にはTITANS NEOSの強化と、海外から発信のWKBAアマチュア大会や、KNOCK OUTイベントに江幡ツインズ出場といった王道の先にメジャーがあり、それが2018年に大きく開花していくのかもしれません。

アルゼンチン大使と伊原代表を囲む。南米担当・川久保悠さん、リングアナウンサー・生島翔さんも加わって

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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国崇も勢い上げるDUEL.11、女子キックも充実!

国崇vsチャーオサム。開始早々から攻勢を掛ける国崇、倒す気満々
国崇vsチャーオサム。国崇のローキックで棒立ちとなるチャーオサム
勝利者ならではのツーショット

◎DUEL.11 / 2017年9月3日(日)ゴールドジム・サウス東京ANNEX.17:00~19:20
主催:NJKF若武者会 / 認定:NJKF

国崇(くにたか)のローキックで早々にチャーオサムの動きが止まり、パンチでのボディブローと左頬にヒジ打ちを加えると、ダメージ深いチャーオサムはやや遅れて倒れ、レフェリーが止めて国崇の勝利となる。今年に入って4連続KO勝利、まだまだ現役を続ける意思表示を見せた国崇でした。

C-CHANは序盤、長身を利した右ミドルキックで自分の距離間を掴むが、接近戦に持ち込む百花のパンチが次第に増えて圧力を掛ける。C-CHANの蹴りが優ったように見えたが、百花のパンチで攻め返される見映えの悪さと、百花の積極性でポイントが流れた様子でC-CHANは王座陥落。百花がNJKFミネルヴァ・アトム級王座奪取となる。ピン級(-45.359kg)での王座争奪トーナメント戦出場を願い出た百花は、この軽量級エリアで更なる上位階級への挑戦も目指して欲しいところです。

《全10試合結果》

◆第10試合 メインイベント 57.0kg契約 5回戦

ISKA(ムエタイ)世界フェザー級チャンピオン.国崇(拳之会/56.7kg)
vs
チャーオサム・エスジム(タイ/56.8kg)
勝者:国崇 / TKO 1R 3:03 / カウント中のレフェリーストップ
主審:宮本和俊

◆第9試合 NJKF女子(ミネルヴァ)アトム級(-46.266kg)タイトルマッチ3回戦

チャンピオン.C-CHAN(TEAM GONJI/46.3→46.26kg) vs 挑戦者同級1位.百花(魁塾/45.3kg)
勝者:百花 / 判定1-2
主審:多賀谷敏朗
副審:宮本29-28. 竹村28-30. 白神28-30

C-CHANvs百花。後半の追い込みを掛ける百花
C-CHANvs百花。蹴られ続けても我が身を信じ、パンチで攻めた百花
百花が王座奪取。更なる階級制覇へ意欲を見せる

◆第8試合 58.5kg契約3回戦

hayato (FOKAIJAPAN/58.3kg)vs 雅也(T-KIX/58.5kg)
勝者:hayato / 判定2-0
主審:竹村光一
副審:宮本30-29. 多賀谷30-28. 白神29-29

◆第7試合 フライ級3回戦

一航(新興ムエタイ/50.8kg)vs 池上侑李(岩崎/50.7kg)
勝者:一航 / 判定3-0
主審:中山宏美
副審:宮本30-28. 多賀谷30-28. 竹村30-28

◆第6試合 女子アトム級3回戦(2分制)

美保(KFG URAWA/46.1kg)vs めぐみ(日進会館・宮原/46.0kg)
勝者:美保 / 判定3-0
主審:白神昌志
副審:中山30-27. 多賀谷30-26. 竹村30-27

◆第5試合 女子53.0kg契約3回戦(2分制)

田丸茜(エイワS/52.5kg)vs 坂本優(CROSSLINE/51.6kg)
勝者:坂本優 / 判定0-3
主審:宮本和俊
副審:中山28-30. 白神28-30. 竹村29-30
狩野友里(KICK BOX)の欠場により田丸茜が代打出場

◆第4試合 女子50.0kg契約3回戦(2分制)

ライトフライ級3位.後藤まき(RIKIX/49.6kg)vs にゃあしゃー綿田(チームNYAA/49.0kg)
勝者:にゃあしゃー綿田 / 判定0-2
主審:多賀谷敏朗
副審:中山29-30. 白神29-29. 宮本29-30

◆第3試合 女子ピン級(-45.359kg)3回戦(2分制)

真奈長(真樹・オキナワ/44.8kg)vs 奥脇奈々(はまっこムエタイ/45.35kg)
勝者:真奈長 / 判定3-0
主審:竹村光一
副審:多賀谷30-27. 白神30-28. 宮本30-27

◆第2試合 フェザー級3回戦

小田武司(拳之会/57.0kg)vs 獠太朗(DTS/57.0kg)
勝者:獠太朗/ 判定0-2
主審:中山宏美
副審:多賀谷28-29. 竹村29-29. 宮本28-30

◆第1試合 女子フライ級3回戦(2分制)

七美(真樹・オキナワ/50.1kg)vs 佐藤瑠南(VERTEX/50.7kg)
引分け 0-1
主審:白神昌志
副審:多賀谷29-29. 竹村29-29. 中山29-30

hayatoの勝利を祝して、3日後の試合を控える梅野源治も登場
NJKF斉藤京二理事長(左)より認定証を受け、DUEL竹越義晃代表(右)よりチャンピオンベルトを受けた百花
DUELでは恒例のラウンドガール実来さん登場

《取材戦記》

女子の軽量級域の細か過ぎるウェイト間隔。選手にとっては「1ポンドでも大きな差」と言っても一般人では、1日以内で変化ある1キログラム以下の間隔ってどうなのでしょう。百花はピン級ウェイト(-45.359kg)でアトム級(-46.266kg)王座を奪った形です。

その女子を中心とした興行もかなり増えました。少子化や競技の多様化で、各格闘競技人口の減少の上、こんな痛い思いして、お金にならないことしなくてももっと儲かる競技を目指す若者も多い中、女子キック・ムエタイ競技の興行が増えたことは、喜ばしいことなのかもしれません。

ウェイトの問題ではもうひとつ。クルーザー級は1980年にWBCのプロボクシング世界戦で新設され、後にキックボクシングでも真似するように新設されました。当初は190ポンド(86.182kg)以下でしたが、10年ぐらい前に200ポンド(90.718kg)以下に変更されました。

ところがキックボクシング各団体は知ってか知らずかそのまんま。キックやムエタイの各団体で「190ポンドで行なう」と宣言してくれれば、それで確定で分かり易いのですが、ボクシングの試合は観るがルール変更に気が付かないキック関係者が多いようです。

国崇は、今年2月のスペンサー・テー(シンガポール)戦からこれで4連続KO勝ちとなりました。今回も5回戦ヒジ打ち有りルールの試合でしたが、「ムエタイがそのルールですから」と本来のルールに拘りました。多くの世界王座を奪取し、ムエタイ殿堂王座挑戦も経験している国崇は37歳にしてまだ上を目指す挑戦を続けます。

NJKF興行は9月24日(日)に後楽園ホールで、NJKF 2017 3rdが行なわれます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

私の内なるタイとムエタイ〈8〉 タイの安堵感、ノンカイの寺巡り

いっしょに寝そべって撮りたくなるユニークさを誘います
サーラケーウクーの世にも奇妙な石像たち

国境を越え、入国手続きを済ませてタイ領土に戻ると安堵感がありました。タイの方が慣れた土地、まだ広くて静かなノンカイに居ることが幸せな気分でした。

「ビエンチャンの街はどうでした?」と大阪弁オジさんに感想を聞かれ、率直に「楽しかったです!」が本音であり大雑把過ぎる返答をし、ビエンチャン談議もそこそこにノンカイの見所を教わって出発準備。

そこでオジさんに呼ばれた隣の店で休憩中のトゥクトゥクの色黒の運ちゃん。観光地3箇所と最後にミーチャイター寺を巡ってノンカイ駅前に戻って来るコースをお願いしてくれました。

◆ノンカイで寺巡り

願い事、占いも人気のポーチャイ寺、祈る女性が奇麗だと見とれてしまいます
聖水を掛けられる願掛け、有難さが増します

最初に向かった先は、サーラー・ケーオ・クー(ケーク寺)、ビエンチャンにあるブッタパークと同じような形でノンカイにも造ったらしく、仏教とヒンズー教が入り混じったと言われる、多くの奇妙な石像が立ち並び、見応えある寺の庭園でした。

写真を撮るなら何を主役に撮るか、彼女や友人が一緒なら、人と多くの石像をどう捉えるかなど撮影のいい勉強になる、そんな利用価値ある広い庭園です。

2番目に向かったのが、ポーチャイ寺。ここも大きな寺で観光スポットとして女性が多い賑やかな寺でした。願掛けや運勢を占う者、比丘から説法を受ける者多く本堂が広いので、仏陀像の前に長く座って我人生の在り方を心で問いかけてみるのも心安らぐ場所でしょう。

◆過去を振り返るノンカイの街

3番目に向かったのはメコン河沿いにあるターサデット市場で、メコン河沿いから対岸のビエンチャンを眺めたことで両岸から眺める目的も果たせ、運気を上げる充実の時間でした。河沿いにあるラムドゥアン寺に近寄ると、掃き掃除をしていたネーンに「上まで上がっていいですよ」と誘われ、高い本堂の最上部に上がって眺めるメコン河もいい眺め。この寺もいいなあと、“隣の芝は青く見える”状態でした。

ノンカイには幾つか市場があり、このターサデット市場は広い敷地で22年前、ビエンチャンで知り合ったアメリカ人青年がこの市場で簡易湯沸かし器を買っていましたが、古く懐かしい電化製品も日用品も何でも揃う市場です。

平日の昼では人通りが少ないですが、夜や日曜日は賑わう市場です
多くの仏陀像が売られるお店、タイにはまった者は仏像には興味をそそられます

ターサデットは船着場でもあり他の箇所でも、“矢切の渡し”のような船の発着場がありますが、観光客は出入国手続きのあるところしか乗ることはできません。でもそんな矢切の渡しで国境越えを経験したいものです。

昔、托鉢で歩いた懐かしい道をトゥクトゥクで走り、一昨日に続き、ミーチャイター寺へ訪問。

本堂が開いていたので勝手に入り、一人で三拝。朝4時と夕方6時に始まる読経に藤川僧と加わった数日や、先のアメリカ青年をここで出家させた記憶が蘇りました。「あれから22年だぞ」と時間の大切さを実感させる仏陀の目線でした。

この日は和尚さんのお兄さんという俗人のお寺の世話人と偶然対面。タイ人は信頼ある友人は皆、兄弟みたいな呼び方をするので、和尚さんとは血縁関係は無さそうな風貌。この日も念の為、この寺で撮った昔の写真を持って行ったので、この兄さんに見せながら22年前のことを話してみました。

「和尚は明日戻るけど来るかい?」と言われても、私らは明朝の列車でバンコクに帰らねばなりません。「じゃあまた来てくれ、和尚に伝えておくから」と、わずかな信頼関係を作って、同行友人から奪ったマイルドセブンをプレゼントし、この寺を後にしました。

ミーチャイター寺本堂、壁画は仏陀の一生。ここでの思い出も蘇ります
どこの屋台でもこんな光景が日常的
ノンカイ駅に佇む地域犬
プラットホームに入って来ても追い払われないのどかな田舎の駅、馴れたものです

この道路を挟んだ向かい側の路地の奥に“ミーチャイトゥン寺”があり、今は改築されて建物の造りが変わり、ミーチャイトゥン寺と気が付かぬほど。色黒運ちゃんがなぜか機転が利いて最後に立ち寄ってくれましたが、この寺は22年前、比丘としてノンカイに来た際の最初にお世話になった寺でした。より交流が深まったミーチャイター寺から比べれば記憶から外れてしまいましたが、いずれまた来なければならないと誓って最後の訪問地を去りました。

◆再び煩わしいバンコクへ

「ノンカイ観光はどうでした?」と大阪弁オジさんに聞かれて、率直に「楽しかったです!」と本音であり大雑把過ぎる、同じこと繰り返す返答をした後、雑談に花を咲かせる飲み会状態。この店では簡単なバミー(ラーメン)や炒め物など5種類だけのメニューをやっているという大阪弁オジさんの奥さんが切盛りする屋台で、ノンカイ・ビエンチャンの旅では最後の晩餐となりました。ビエンチャンで使ったトゥクトゥクやタクシー値段は「ちょっとボラレとるね!」というオジさんの率直な回答。ちょっとどころではなかったかもしれません。

翌日早朝は、6時40分に駅に入り、列車の到着を待ちました。前日、ノンカイ駅で列車乗車券を買っておきましたが、早朝7時発なのに窓口で「明日は6時30分までに来なさい」と言われ、その意味深く考えず見過ごしていましたが、バンコクからやって来る寝台列車が折り返して行くのだと思って、6時45分頃到着した寝台列車の切り離しや清掃を待ち、乗車できるタイミングを見計らっていたら、なんとトゥクトゥクの昨日の色黒運ちゃんが突然やって来て、「君ら、この列車じゃないぞ、向こうの列車だ」と言われ慌てました。

知らなかったら乗り過ごすところでした。日本と違い低いプラットホームで、通常は線路を渡れるものの、手前に列車がいては2番線に行くには大回りになるので、車掌さんに頼んでくれて両側のドアーを開け、2番線の列車に導いてくれました。乗車券窓口での「6時30分までに来い」と言う意味がこの時初めて分かる、鈍感な我々。

「色黒運ちゃんには感謝する、ビエンチャンのタクシー運ちゃんよりいいオジちゃんだ、また会いましょう」と簡単な御礼を言って笑顔で別れました。この色黒運ちゃんもまた使ってやりたいオジちゃんです。

この地で生きるトゥクトゥク色黒おじさん。また思い出の仲となりました

◆バンコクでムエタイ関係者との最後の晩餐

列車はやや定刻遅れの17時20分にバンコク・フアランポーン駅に着き、最終宿泊地、スクンビット通りのホテルへ、早速の煩わしい渋滞を避け地下鉄で移動は大成功。夜はムエタイ関係者と旅最後の晩餐となりました。

帰りの列車の中で振り返ったこの10日間のタイ・ラオスの旅では、ペッブリーでの得度式に出会い、行かないつもりだったビエンチャンに渡り、予定より2日間を費やした為、昔バンコクでお世話になった人のところやサムットソンクラーム県のお寺へ行けず、更に再会したい人も増え、もう一度行かねばならないところかなり増えた旅となりました。

「またお会いしましょう」と何人に言ってきたことか、この先また“22年後”にならないよう急ぎたいものです。その頃は生きてても長旅は無理かもしれません。

今回は過去に比丘として訪れた街を再訪問しただけの単純な旅でしたが、ノンカイへ向かう列車の中で、「途中下車したらどうなるだろう」と頭を過ぎるも、過去に訪れた地方都市を通過しました。過去にはムエタイ選手が、試合が終わってロッブリー県への里帰りに同行したことや、試合取材で訪れた地方都市などを再訪問するムエタイ絡みの旅も機会あればしてみたいと思います。

単なる日記形式の羅列でしたが、この旅で偶然出会った地元の人達との触れ合いが強烈に記憶に残る楽しさがありました。これから、現在のこんな出会いに繋がった22年前のタイで出家した物語に移りたいと思いますが、興味御座いましたらお付き合いくださいませ。

夕陽のメコン河、対岸からやって来る船、見ていて飽きない風景です

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなき最新刊『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか
9月15日発売『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

私の内なるタイとムエタイ〈7〉 タイとは異なるラオス・ビエンチャンを巡る旅

トゥクトゥク後方から見たビエンチャンの街

かつてお世話になったチェンウェー寺を後にし、優雅なメコン河沿いを歩いて、名残惜しくもトゥクトゥクに乗って観光地巡りのひとつ、シーサケット寺に向かいました。バンコクと違った静寂な空気に酔っていられるのも今のうちです。

シーサケット寺はラオス最古と言われる寺院で、その歴史は何も学習していませんが、ここも22年前にチェンウェー寺の少年僧に連れて来て貰った、そんな思い出が意識に残りました。

◆ラオスのタクシードライバー“荒勢運ちゃん”と市内観光

タラーサーオショッピングモールは覚えやすい、待ち合わせにもいい場所。近隣に市場もあります
街中で売られる焼きバナナのお兄さん

更にここから歩いてタラーサーオ市場へ向かう途中、街中に高いビルは無く、バンコクとは大きく違う人の少なさでした。この辺を散策した後、夕暮れになり他の観光巡りは明朝に回し、トゥクトゥク集団から少し離れたところに小奇麗なタクシーが止まっていて、ちょっと強面な元関脇・荒勢みたいな運転手でしたが、これに乗ってホテルに戻りました。

このタクシーの“荒勢運ちゃん”が「ラオスに来たらまた呼んでくれ」と名刺をくれ、「機会があればまた」と言いつつ、これっきりになるであろう荒勢運ちゃんと別れました。

翌日、ノンカイに戻る前に予定に残った観光地に向う為に出発準備。チェックアウトは12時なので、それまでに戻る予定で昨日乗ったタクシーを呼んで観光巡りを提案した友人。

二度と会わないだろうと思った昨日の荒勢運ちゃんの名刺の番号に電話し、「今、空いているならとりあえず来てくれ、話はそれから」と言って切りました。

早速10分ほどでやってきた荒勢運ちゃん。意外な再会をしてしまったこのオッサンにもう友達感覚で、パトゥーサイ(凱旋門)、シームアン寺、タラーサーオ市場を巡ってホテルに戻ってくるコースをお願いするとすぐ了承。昨日より笑顔が増えた荒勢運ちゃん。

◆鳥を逃がして徳を積む

パトゥーサイ(凱旋門)も以前、少年僧に連れて来て貰ったことがある門。フランスの凱旋門を真似て建てられたと言われるモダンな建物です。「30分ほどで戻ります」と言ったのに最上部で物想いに耽り1時間ほど経ってしまいました。

アヌサワリー(記念碑)パトゥーサイ(凱旋門・勝利の門)資金難で未完成のままの営業だそうで
パトゥーサイ(凱旋門・勝利の門)最上部から見たビエンチャンの風景

次に行ったのがシームアン寺。若い女性に人気ある寺らしく、賑やかな境内、華やかな仏像や動物像が目立ちました。比丘に幸運のバーシー(糸)を巻いてもらう願掛けはなかなか効き目ありそうです。

女性が訪れるシームアン寺で、幸運を呼ぶバーシー(糸)を巻いてもらう参拝女性
シームアン寺の幸運を呼ぶドラ。マレットで三回叩くそうです

寺の外には、鳥を逃がして徳を積む善行を売り物とするお店もあり、これは逃がしてもやがて戻ってくると言われる習性のいい雀で、商売上手い善行。

最後に土産物物色にタラーサーオ市場ショッピングモールを散策してホテルに帰りました。これで荒勢運ちゃんともお別れです。今度こそ本当に、「またラオスに来たら呼んでくれ、タクシー運転手はずっと続けているから」と言われて昨日と同様に「またお会いできること願っています」といい加減なこと言って別れました。やっぱり縁は無さそうですけど。

鳥を放してやる善行で徳を積む行為もラオスでは古くからの習わしです
徳を積む為の鳥を掴もうとして一匹逃げましたが、何の心配も無く次を捕まえていました
国境越えのバスの正面から、ひび割れも気にしない日々の営業

◆空気が読める荒勢運ちゃんとサパーンミタパープ(友好橋)を渡る

ホテルに戻ると部屋のドアーは開いていて室内清掃がほぼ終わっている感じ。しかし不快な点がひとつ。私はアトピーで少々腕を引っ掻いてしまうのですが、シーツに少々血が付いているのにそのシーツは替えずにベッドメーキングが終わっていました。次の客にこのまま使わせるのか、私らが連泊と思っているのか、「なんと大雑把なホテルだろうか」と思ってしまいました。しかし理不尽な想いはタイでもいっぱいして来ましたし、日本の常識で愚痴っていても仕方無いと妥協。

12時を回る前にチェックアウトし、外に止まっているトゥクトゥクにサパーンミタパープ(友好橋)まで交渉すると、「500バーツ!」と言ってくる(100バーツ=約300円)。昨日今日と市内をだいたい100~200バーツで済んできたのに、あまりの高値に苛立った友人。「さっきのタクシー呼びましょう」そういう友人に、これで最後と別れたばかりの荒勢運ちゃんをまた呼ぶことになり、「もう一回来てくれますか?」と電話しました。3度目の利用となる荒勢運ちゃん。「彼にとって名刺の効果は凄く効いただろうな」と言いつつ待っていると、

「あっ!タラーサーオ市場のバス乗り場に行くんじゃなくてサパーンミタパープ(友好橋)だよな。あの橋からタラーサーオまでバスで30分ぐらい掛かったんだから20kmぐらいあるな。500バーツはそんなべらぼうな高値じゃなかった!トゥクトゥクの運ちゃんに悪いことしたなあ。」と後悔しつつ、せっかく呼んだタクシー荒勢運ちゃんを待ちました。

何の因果か、「また呼んじゃいました。サパーンミタパープまでお願いします。」
笑っている運ちゃん。「これで本当の最後」と内心思って乗り込みました。
サパーンミタパープに向かう途中、荒勢運ちゃんに「他に観光はしたの?」と聞かれ、

「観光は無いですが、チェンウェー寺を知っていますか?」と聞き返すと運ちゃんは、

「ああ知っている、中まで入ったことは無いが。」と応えられ、そこで「あの寺、私が坊主やってた頃、ビザ申請の為にビエンチャン来た時、泊めて貰った寺なんですよ、昨日22年ぶりに寺を訪れたんですが、いろいろ世話になった当時の比丘は誰もいませんでした。和尚が代わったかもわかりませんでした。」と言うと、「俺が聞いて来てやろうか、今から行くか?」

一瞬迷いつつも、「先を急ぐので今回は諦めます。今度ラオスに来た時、当時の写真を持って来るので、当時の比丘やデックワット(寺小僧)らの居場所など手掛かり掴めたら、車で一緒に尋ねに行ってくれますか?勿論ビジネスとして」とやる気を誘うと、「わかった、ぜひ連絡してくれ」と願うことは伝わり、協力者を準備しておけば心強いものだと感じました。

ただこの荒勢運ちゃん、会って丸1日足らずのドライバーと客の関係です。信頼関係が保てるかは全く分からず、ただ効率的に稼げるなら損なビジネスではないはず。こちらの負担は大きいものの、空気の読める荒勢運ちゃんは利用価値はありそうでした。

しかし「果たしてまたラオスに来ることがあるだろうか」という可能性低い中、実際必要無い旅でも、新たな出会いが次の旅を面白くさせるかもしれないのです。
藤川(かつての先輩僧)さんが導いてくれた運命なのか。いつも私に「前向きな行動せえよ」とくどいこと言っていました。藤川さんはいつも活発に、ある時は厚かましく人を頼り、その新たな出会いから更に旅を重ねた巡礼の旅の知恵を持った僧生活でした。私と藤川さんも不思議な運の積み重ねでの出会いでしたから、そんな思想まで潜在意識の中で身に付いたのかもしれません。そんなこと考えている間に国境のサパーンミタパープが見えてきました。

二度と会うことは無いだろうと思ってた荒勢運ちゃんとやっと本当の別れがやってきました。「またぜひお会いしましょう。連絡します」と腐れ縁になるかもしれない予感を残し、握手して別れ、イミグレーションに向かいました。

また導かれるまま無事国境を越え、ノンカイへ戻って来ました。時間が無いので、寝台列車でバンコクへ戻る計画もあった中、「ノンカイの街はほとんど観光していないのでもう一泊しましょう」と友人に勧められ、ノンカイ駅前のホテルへ再度泊まることになりました。空き部屋は問題無い時期で無事チェックイン後、駅前の屋台の大阪弁オジさんのもとへビエンチャン談義に花を咲かせに行き、ここから最後の旅、ノンカイ観光へ移っていきます。

国境越えのバスの中から。ラオス・ビエンチャンからタイのノンカイへ戻る

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』9月号!さよなら安倍政権【保存版】不祥事まとめ25
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

打倒ムエタイに心はひとつ! WINNERS、誰がインパクトある勝利を掴むか!

酒井柚樹vs石川直樹。ヒザ蹴りは得意技、勢いづくと飛びヒザ蹴りもこなす石川直樹
酒井柚樹を首相撲で崩した石川直樹
圧勝でメインイベンターを務め終えた石川直樹

初のメインイベンター石川直樹は上背を活かした首相撲からの崩しで背の低い酒井柚樹を圧倒、初回は酒井の首相撲からの崩しに倒されていた石川が次第に自分のペースに持ち込みヒザ蹴を多用し逆転。第5ラウンドのヒザ蹴りからの崩しはノックダウン扱いとなる大差で一方的優勢の勝利となりました。

昔の選手なら崩され続けると次第に立ち上がるのも苦痛なほどスタミナを無くしたものでしたが、酒井は崩され倒されながらもすぐ立ち上がる戦意とスタミナは充分でした。石川直樹は昨年10月に泰史から日本フライ級王座奪取して以来の勝利。

瀧澤は3連敗から脱出。5月にはHIROYUKI(藤本)に日本バンタム級王座を奪われるどん底から這い上がりました。開始からのローキックは有効的ながら、スネブロックされると、観る側からすれば痛そうな印象。ローキックよりは長身を活かしたパンチでの攻めは蹴りに繋がる効果的油優勢。ラストラウンドに不覚にも、ヒジ打ちで眉間辺りを切られるも劣勢に反省は残るも優位を保ったまま判定勝利。再び王座を奪うまで負けられないでしょう。

今野顕彰が強引さはあるがパンチ連打でロープに詰めての攻勢も、オトヤスックが再三狙っているヒジ打ちを受けて負傷負け。攻勢が一転、惜しい敗戦となる。

政斗はパンチとローキックで圧力掛けるが、ペットピサンヌの距離の取り方が上手く蹴りの強さで政斗の勢いを止め、三者三様の引分け。

櫓木淳平は好戦的にパンチのヒットはあるが、アミーが蹴りの距離感と首相撲のテクニックで主導権を譲らず、櫓木は巻き返し成らず終了。

瀧澤博人vsルアンタイ。接近戦でヒザ蹴りで優位に立つ瀧澤博人

◎WINNERS 2017 3rd
2017年8月27日(日)ディファ有明16:30~20:35
主催:治政館ジム / 認定:新日本キックボクシング協会

《試合結果9試合》

◆第13試合 メインイベント 52.0kg契約 5回戦

日本フライ級チャンピオン.石川直樹(治政館/31歳/52.0kg)
VS
酒井柚樹(はまっこムエタイ/21歳/51.85kg)
勝者:石川直樹 / 判定3-0 / 主審:仲俊光
副審:和田50-45. 宮沢50-46. 桜井50-46

◆55.0kg契約 5回戦

日本バンタム級1位.瀧澤博人(前・C/ビクトリー/55.0kg)
VS
ルアンタイ・ダッポンヌンガーウヌン(タイ/54.9kg)
勝者:瀧澤博人 / 判定3-0 / 主審:椎名利一
副審:仲50-48. 宮沢49-47. 桜井49-48

ルアンタイvs瀧澤博人。長身を利して右ストレートをヒット、瀧澤の積極性はより進歩した
KO賞三人目、日本vsタイ国際戦、オトヤスックはヒジ打ちで今野を下す

◆ミドル級3回戦

日本ミドル級1位.今野顕彰(市原/72.2kg)
VS
オトヤスック・シンセンデート(タイ/72.2kg)
勝者:オトヤスック / TKO 3R 1:55 / 和田良覚
ヒジ打ちによる負傷、ドクター勧告を受入れレフェリーストップ

◆69.0kg契約3回戦

日本ウェルター級1位.政斗(治政館/68.8kg)
VS
ペットピサンヌ・ダッポンヌンガーウヌン(タイ/67.35kg)
引分け / 三者三様 / 主審:桜井一秀
副審:椎名29-29. 和田29-30. 仲29-28

ペットピサンヌvs政斗。政斗は一歩及ばず、もう少し圧力掛ければ勝利を掴んだか

◆59.0㎏契約3回戦

日本フェザー級7位.櫓木淳平(ビクトリー/58.7kg)
VS
アーミ―・サシプラパー(タイ/58.6 kg)
勝者:アーミ―・サシプラパー / 判定0-3 / 主審:宮沢誠
副審:椎名28-30. 和田28-30. 桜井28-30

アミー・サシプラパーに蹴られても勇敢に向かった櫓木淳平選手

◆62.0kg契約3回戦

日本ライト級1位.永澤サムエル聖光(ビクトリー/62.0kg)
VS
長谷川健(RIKIX/62.0kg)
勝者:永澤サムエル聖光 / 判定3-0 (29-27. 30-27. 29-27)

◆61.5kg契約3回戦

日本ライト級4位.ジョニー・オリベイラ(トーエル/61.5kg)
VS
日本フェザー級5位,拳士狼(治政館/61.05kg)
引分け / 0-1 (28-30. 29-29. 29-29)

KO賞二人目、アンダーカードで勝利、馬渡亮太選手

◆54.5kg契約3回戦

日本バンタム級4位.逸可(トーエル/54.4kg)vs馬渡亮太(治政館/54.5kg)
勝者:馬渡亮太 / TKO 3R 1:41 / ヒジ打ちによる負傷、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ

◆54.5kg契約3回戦

日本バンタム級5位.田中亮平(市原/54.3kg)
VS
ラジャサクレック・ムエタイジム(タイ/54.3kg)
引分け / 0-0 (29-29. 29-29. 29-29)

他、2回戦4試合は割愛します。

ラジャサクレックが引退、先生として人気者らしく子供たちに囲まれて

《取材戦記》

今回の興行タイトルとなった「打倒ムエタイに心はひとつ」、対抗戦と銘打たれた興行でしたが、一つ一つは個人の戦いで、厚い壁に阻まれること多いムエタイ戦であります。

アンダーカードでは在日選手のラジャサクレック選手の引退とされる国際戦も行なわれていました。41歳となってもテクニックは一級品。ラストファイトはスタミナ切れの引分けでしたが、日本で経営するジム練習生の子供たちとファンも多く、声援に送られました。

志朗と麗也が抜けた形のWINNERSは、昔の治政館ジム興行に戻ったような印象。これから次なるスターの石川直樹と瀧澤博人には期待が掛かります。

11月19日のビクトリージム興行「Kick Insist 7」には瀧澤博人が出場濃厚と考えられるところ、今後、ムエタイ強豪対決路線と王座奪回に向けて更なるアピールを続けたいところでしょう。頂点を目指す選択肢の多い時代で、進む方向も気になる“歌うキックボクサー”瀧澤博人です。

連敗脱出成功の瀧澤博人

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』9月号!さよなら安倍政権【保存版】不祥事まとめ25
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

私の内なるタイとムエタイ〈6〉 メコンを渡ればビエンチャン

ビエンチャン。メコン河沿いのアート

日本を出る前、「スケジュール的に今回はラオスまで行くのは無理だな」と納得して日本を立った私。ビエンチャンの寺も行きたいが、また次の機会にと思っていました。ところが、ノンカイに行くに当たって「せっかく行くんだからラオスまで足を延ばしましょう」と同行の知人に勧められて、バンコクにも用を残しており、「時間があれば行きましょう」と曖昧にしたものの、ノンカイに着いてからラオスへ行くことを決心。

そんな気にさせたのは、ノンカイに着いてミーチャイター寺から見たメコン河でした。夕景の対岸に手招きされたような、行かないと悔いが残るような、向こうにいい女が居るような、そんな単純な動機でした。そうなるともう時間が足りなくなっていきます。早速翌朝、国境の橋を渡ることになりました。

◆サパーン・ミタパープを渡る

ノンカイに着いたその日に泊まったホテルはノンカイ駅前にあり、その夜、同行の友人が駅前の屋台の連なるひとつの店にビールを買いに行ったところ、店主が日本人男性で「いっしょに飲みませんか」と誘われ、私も同行することになりました。

このお店の主は、この地に移り住んだ波乱万丈の人生がある、大阪弁で気さくに話す年輩のオジさん。こんな偶然の出会いも旅の面白さです。翌日私達がラオスに行くことを話すと、サパーン・ミタパープ(タイ・ラオス友好橋)を渡る手順を丁寧に教えてくれる有難さ。国境越えは緊張あっても難しい関門ではなく、必要な手順を覚えておくだけでした。今は列車も走る橋ですが、1日2往復しかなく、大多数派は専用バスでの国境越えになります。

翌朝出発、タイ側出国手続きを済ませ、橋を渡るだけのマイクロバスに乗り、1kmほどの橋を渡りきるとラオス入国手続きがあり難なく通過。

ノンカイから乗った国境越えバス内
国境越えの真ん中。サパーン・ミタパープ(タイ・ラオス友好橋)から見たメコン河。左がビエンチャン、右がノンカイ
道に迷えば同業者に聞くのが一番

ラオス入国後も、ノンカイのオジさんが言っていた「タラーサーオ市場行きのバス乗り場が入管出た右側にあって、手を振って招く運転手らが居るから」と言っていたとおりに、その方向に絵に描いたように手を振るオッサンがいました。

導かれたその古いバスに急いで乗ると、30分ほど乗っている間に地元の客も少年僧も自然な感じで乗り降りする当たり前の日常。ラオスは右側通行で乗降口も右側であることもタイとは違う異国に来た感じを受けました。

◆トゥクトゥクはオバさんドライバー

タラーサーオ市場に着く直前に、「バスはもう間もなく着くよ、降りたらこっちだよ」と車掌のような振舞いを見せたお兄さん。なんとバスに乗っている時から客引きをしていた油断ならないトゥクトゥクの兄さん。振り切って先を進み、導かれるまま乗ったトゥクトゥクはオバさんドライバー。でもすでに客として荷台席に別のオバさんが乗っており、乗り合いタクシー状況。相場もわからないのでほどほどの100バーツで成立。目的地のホテルまで、この時はタイバーツで払いましたが、タイバーツとラオスキープのレート換算が咄嗟にはできない状況でした。大雑把ですが、100バーツ=約300円=約25000キープ。市場で見た1キログラム10000キープのランブータンは約40バーツ=約120円。「10000キープ」なんて書いてあると何かボッタクられているような錯覚を受けてしまいます。

道に迷いながらホテルまで送ってくれたオバさんドライバー
タラーサーオ市場
市場のランブータンは1kgで10000キープ(約120円)
市場で食べたクイティオ(うどん)

言ったとおりのホテルに辿り着けないオバさんドライバー。こちらも慣れない土地で初めて行くホテル。同じこと何度も聞かれても困る。「客を不安にするなよ」と思うところ、他の運ちゃんに尋ねながらもようやく到着すると、「良く頑張ったね」と、逆に褒め言葉が出てしまいました。

滞在日数も少ないので荷物を置いて早速外出を試み、行き当りばったりながら再びタラーサーオ市場へ向かいました。どの方向に降りたかわからぬまま、雑貨市場に入ると、観光客向け土産物や隣接する生鮮食料品の市場には屋台もあり、そのひとつでクイティオを注文。人懐っこいオバさんたちがニコニコしながら話しかけてくれるところは、首都ではあるが田舎風の穏やかさが安らぎを与えてくれます。そんな穏やかな市場が一気に停電しました。外光が入るのでそんな暗くはないものの、そんな「またか」といった日常茶飯事に笑っている市場の人達。10分ほどで復旧すると拍手が起こる目出度さ。

◆22年ぶりに訪れた寺チェンウェー寺

さて、私がラオスに来た目的のひとつながら、もうその存在は無いかもしれない覚悟をして、チェンウェー寺に行くことにしました。この寺は私が比丘の時、ノンカイのミーチャイター寺の和尚さんに紹介されて、ラオスに来て泊めて頂いた寺でした。

トゥクトゥク運ちゃんにチェンウェー寺まで頼むと、すぐ理解され早速向かいました。存在はしている様子。メコン河に近づくと古い屋敷が立ち並ぶ集落に入り、かすかな記憶にある風景と合致していきました。そして運ちゃんが指差した先に寺があり、チェンウェー寺に到着。

22年ぶりに訪れた寺は以前と変わらず静かで比丘も少なそうな雰囲気。サーラー(講堂=読経の場)の外で掃き掃除をしていたネーン(少年僧)に「和尚さんはいますか?」と尋ねると「今、和尚はいません。」と言われ、葬儀や得度式といった数時間で戻れる様子ではなく、「まさかインドネシアですか?」と尋ねても「わかりません」という回答。

私が昔、比丘としてこの寺に来たことがあると伝えても信じて貰えないのか、些細なことしか掴めない状況でした。当時の若い比丘たちも当然ながら今は全くいない様子。ここで会ったネーンも22年前はまだ生まれていない訳で、昔のことを尋ねるにも限界があり、そもそも私がラオス語無視してのタイ語が通じていないところも多々ありました。

ラオスには行かないと思い、持って来なかった当時の彼らの写真。言葉は通じなくても写真で分かる情報はかなり多かったはず、と悔やんでいる場合ではない。「まだこの寺が存在していることが分かっただけでもよかった」と思って、ネーンに「また近いうち改めて来ます。またお会いしましょう。お元気で!」と言い、寺にもワイ(合掌)してメコン河に向かいました。

22年ぶりのチェンウェー寺の門。外観だけは昔のまんま
チェンウェー寺のサーラー(講堂=読経の場)

◆ビエンチャンのメコン河沿いを歩く

観光地ではないこの寺には興味無かったか、友人は早々に寺を出て先を進んでおり、追いかけつつメコン河沿いを歩き、対岸のノンカイを眺めました。

ビエンチャンのメコン河沿いの道も舗装され、ビアガーデン風レストランもあり、新しいホテルも建ち、かなり変わってしまいました。少々歩けばまた舗装の無い道がありますが、昔の河沿いは河が見えないほど木々が生い茂っているところもあったのです。

メコン河の流れのように、人生の流れも緩やかに変化していて、この旅だけではない、残された人生の時間も迫っていることに気付かされる想い。

そんな教えを授けるようなメコン河を、ノンカイとビエンチャンの両岸から眺めることによって運気を上げるパワースポットとして、「メコン河はまた見に行きたい」と今後もここを目指して来ることでしょう。しかし、「ここはオッサン同士で来るべきではない、夫婦であったり、若い彼女連れて来るべきところでもある」と勝手に心に誓って歩きました。

物思いに耽る時間も勿体無いところ、帰国日は近くて滞在時間は少なくなりつつなる中、出来る範疇でここから更に一般的観光名所へ移って行きました。旅はまだ続きます。

ビエンチャン。対岸はノンカイ、心安らぐ風景

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』9月号!さよなら安倍政権【保存版】不祥事まとめ25
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

私の内なるタイとムエタイ〈5〉 国境の街ノンカイと忘れじのミーチャイター寺

フアランポーン駅からこの列車に乗ってノンカイへ向かいます
二等列車の雰囲気、まあまあいい席です

得度式を見届けた後、その日のうちにバンコクに戻ると、早速の渋滞に巻き込まれました。バンコクでタクシーに乗れば昔と違いメーターが使われますが、それを使わず、値段交渉で高値を言ってくる運転手もいます。それはボッタクリと狙いがちょっとだけ違い、渋滞に巻き込まれたら時間のロスのみでメーターはさほど上がらず、利益に繋がらない様子です。それでやたら高速道路を使いたがり、当然、高速料金は乗客持ちですが、その方が利益率が上がるようです。

◆ラオス国境の街、ノンカイへ

ノンカイ行き列車で注文した弁当カオパット(焼飯)

そんな鬱陶しいバンコクを離れ、この翌日からタイ東北部のラオス国境の街、ノンカイに向かいました。シンガポールに行っていた友人も合流しました。

前日のうちにバンコクのフアランポーン駅近くのホテルに泊まり、翌朝には友人が近くの寺を見に散歩に出掛けた様子です。

「大勢の托鉢僧が歩いていましたよ」という戻って来た友人の言葉。「しまった、俺も行けばよかった」と思ってもすでに遅し。早起きが苦手は損です。

ノンカイは私が比丘の時、ラオスへビザ申請に行くため、「オモロイ坊主」藤川清弘さんと立ち寄った街でした。その時泊めてもらったのがノンカイ駅近くのメコン河沿いにあるミーチャイター寺でした。

そこの和尚さんは藤川さんと私がラオスに渡る際に、ビエンチャンにある知人僧の寺に行って泊まれるよう紹介してくれて少々のお金を持たせてくれた和尚さんでした。そこが懐かしく、今回はただ立ち寄るだけですが、いろいろ想いが過ぎります。

ガイヤーン(焼鳥=鶏の炭火焼)を売りに来たちょっとオカマっぽい兄さん

◆快適な二等列車でノンカイへ

時間も迫り、8時20分発のノンカイ行き列車に乗るため、早めに駅に入りました。駅に着いてしばらくするとタイ国歌が流れました。毎朝8時の国家行事、歩いている人は立ち止まり、座っている人は起立し皆、直立不動になります。

比丘として藤川さんと一緒にノンカイに向かった日も、夕方6時に国歌が流れたことを思い出しました。比丘と俗人では立場違う、緊張感も異なる瞬間でもありました。

以前は夜行寝台一等列車で行きましたが、今回は二等列車。乗り込んだ車内を見ると、総武線快速のような粗末な座席の並び。「これは違うぞ」と察知し隣の車両へ、するとありました旅行者向きリクライニングシートの座席。さっきの“総武線”は3等車、ここは快適な二等車と納得。

やがて昼飯の注文を取りに来る列車乗務員かわからない立ち振舞いのお兄さん。終点ノンカイ到着は夕方5時30分頃の予定。長旅をのんびり風景を楽しみながら行くには快適な列車の旅でした。

外の風景はバンコクのドンムアン空港を過ぎると、この辺から都心を離れた田んぼや畑に山や川の自然が続きます。地域毎に物売りも乗って来て、賑やかに勧めてくるも、鳥の炭火焼やもち米御飯、あまり欲しいとは思えないものばかり。注文した弁当はチャーハンでしたが、作り置きらしさはあっても旅の中で食べれば美味しいものでした。

タイの車窓から、コーンケーンを過ぎた辺りでしょうか
ホントに誰とも出会わない新ノンカイ駅周辺

◆寺が見当たらない

午後を回ると、そろそろ到着後の事を想定しました。

「18時から読経があると思うので、荷物持ったまま寺に行きましょう」と友人に断り、予定より若干の遅れて17時50分頃ノンカイ到着。この終着駅近くにミーチャイター寺が“あるはず”でした。

列車を降りると小綺麗な駅の構内と駅前風景。建て替えられたと思うも、駅前通りも広くて綺麗な道。とりあえず寺のあるはずの方向へ向かいました。

「人通りが全く無く、車も少ないぞ」と思ってもまだ「こっちだ」と固定観念から覚めぬ愚かさ。

少々歩くと団地の前で、赤ちゃんを抱いた主婦と幼い子を連れた主婦が、どこの国でもあるような井戸端会議をしている姿を発見。「こんな佇まいっていいなあ」と思う光景でした。

早速道を聞き、「ミーチャイター寺はどこにありますか?」と聞いてもわからない様子で、「寺はこの辺には無いよ……」と言う不可解そうな表情。

「メコン河沿いにあるんですが……」と付け加えると、「ああ、あの寺ね!」と気付いてくれ、「方向が違うよ、もっとあっちの大通り……」と指差し表情豊かに、説明が気さくで私らを旅行者と思っていないような振舞い。

「地元民らしさが滲み出ている、いい奥さんだなあ」と思いつつ、御礼を行ってその場を去りました。

◆寺はちゃんとあった

「ここに住んでどれぐらいですか」とか「日本人に会ったことありますか」と聞いてみたいところ、人通りの少ない道で、どこの馬の骨かわからないオッサン二人が長居するところではない。それより私らは寺に行きたいのだ。すると、道端に止めた休憩中のトゥクトゥクの運ちゃんに声掛けられ、ミーチャイター寺を交渉。今度はすぐにわかってくれました。

乗ってみればスイカが幾つも雑に置かれた足のやり場の無い荷台席。運ちゃんは「マイペンライ(大丈夫、気にするな)」と言われても、これが何とも勝手気ままなタイらしさが出ている運ちゃんでした。

寺の方向が違う時点でやっと気付いた、“ノンカイ駅は移動した”ことである。なんて愚かな私。来る前にyahooで調べておけば済むことでした。トゥクトゥクが寺の方向に向かうとやがて脳裏に記憶が蘇りました。旧ノンカイ駅があってその前の道が人通り多い活気ある“ケーウ・ウォラウット通り”で、少々街中側に歩けばミーチャイター寺があります。そのとおりにトゥクトゥクは寺の門をくぐってクティ(僧宿舎)の前で止まりました。

「寺はちゃんとあった」と言うまでもない安堵感。やはりこの寺も20年も建てば改築され、綺麗なクティとなっていました。メコン河沿いにあるので、寺のすぐ横は川幅1kmほどあると言われる泥水の大きなメコン河です。そこは元は船着場となっていて、“ター”はそれを意味し“ミーチャイター”と呼ばれる寺なのです。以前は土手だった川沿いも、今やコンクリート敷きの歩道と柵があり綺麗になった分、自然が減った感じがしました。

ノンカイのミーチャイター寺本堂、私にとってだけ思い出深い寺

◆比丘として訪れた懐かしい寺

外に居たネーン(少年僧)に「和尚さんは居ますか? 和尚さんはこの僧ですか?」と22年前に撮った和尚さんの写真を見せると「ハイ、この僧です。でも和尚はインドネシアに行っているので今は留守です。6月1日に帰って来ます」と言われてガッカリ。

われわれは帰国日が迫っているのでひとつの箇所で長居は出来ない。恩返しもあってぜひ会いたかった和尚さんでしたが、和尚さんが以前と変わりないことだけ分かっただけでも次に繋がったと喜べるのでした。以前居た他の比丘は誰も居ない様子で、挨拶をメモ書きしたその写真をネーンに渡し、「22年前の日本人が尋ねて来たことを伝えてください」と伝言しました。

ホテルに行ってチェックイン後、夜の街を散策。市場が幾つかあるようで、そのひとつに導いてくれたトゥクトゥクの運ちゃん。賑やかな屋台が並ぶ街中でしたが、その日の晩飯をそこで摂りました。

寺巡りは単に私が比丘として訪れた懐かしい寺でしかありませんが、観光地では行かない土地巡りという視点も重要な目的でやって来たノンカイの街。翌日には、当初は予定になかった対岸のラオスに向かうことになります。

ノンカイ側から見たメコン河

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』9月号!さよなら安倍政権【保存版】不祥事まとめ25
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』