梅野源治に続きT-98(今村卓也)もムエタイ王座陥落!

賭け屋の怒号が飛び交うバンコク・ラジャダムナンスタジアム2階席
ワイクルーを踊るT-98

5月25日(木)、タイ・バンコクのラジャダムナンスタジアムでスーパーウェルター級王座2度目の防衛戦に臨んだT-98(=今村卓也)は戦略通じず大差判定負け。

◆タイ国ラジャダムナンスタジアム・スーパーウェルター級タイトルマッチ(154LBS) 5回戦

チャンピオン.T-98(=今村卓也/クロスポイント吉祥寺/69.85kg)
VS
同級9位.シップムーン・シットチェフブンタム(タイ/69.85kg)
勝者:シップムーン・シットチェフブンタム
判定:0-3 (47-50. 47-50. 47-50)

3R。シップムーンの左ミドルキックは最も脅威
3R。シップムーンは攻めさせておいて強烈な左ミドルキックを放つ
3R。動きを止めたいT98、前回のようにいかないもどかしさ。

◆厳しい洗礼のラジャダムナン王座

T-98は昨年6月1日、REBELS興行でチャンピオン.ナーヴィー・イーグルムエタイ(タイ)に判定勝ちし王座奪取。同年10月9日、現地ラジャダムナンスタジアムにて初防衛戦を行ない、プーム・アンスクンビットを3R・TKOで倒し、初防衛に成功しています。

今回の挑戦者、シップムーンは昨年10月の新日本キックボクシング協会MAGNUM興行で、緑川創(藤本)と対戦し引分けている選手で、実力は測れている選手でしたが、本場のリングに上がれば相手の本気度が違ってきます。

T-98は初防衛戦のように1ラウンドからプレッシャーをかけ前進。ロープ際に詰めれば右ローキック、右ストレートとダメージを与えていく戦法も、シップムーンは自分の距離感を掴んで巧みにかわし、T-98は大きなダメージを与えられない流れが続き、重要なポイントとなる3ラウンド以降はT-98が追う形は変わらずも、シップムーンはロープ際に詰まりながらも的確に返す左ミドルキックが有効的に決まる。T-98のローキックも単発でシップムーンのペースを崩せず大差が付いてしまいました。

先日の梅野源治に続いてT-98も大差を付けられる敗戦。賭けの対象となる接戦の展開が多いムエタイで、チャンピオンが大差を付けられる展開は、厳しい本場ムエタイの洗礼を受けた防衛戦となりました。

2010年以降、本場ムエタイ最高峰の外国人の王座奪取が増えた感じでしたが、王座を獲ることは出来ても防衛を重ねることの難しい展開が続いています。

今回、久しぶりに現地撮影を行ない、現場の雰囲気や関係者の話で感じたことは、半年以内の防衛義務を果たしつつ、1年以上の王座保持はより難しいと思えたことでした。単に「強豪揃いの中では、連続防衛は難しい」というだけでなく、興行の裏側にはプロモーターのサジ加減が在り、1年も経った頃、「そろそろ王座を返して貰うよ」と言わんばかりのちょっと厄介なテクニシャンを当ててくる。そんな厳しい印象を受けました。

3R。パンチで攻めるT-98
3R。ブロックの上からでも蹴ってくる
4R。蹴っても次に繋がらない
4R。ブロックしても蹴られ続けては腕も殺されてしまう

ムエタイ最高峰に挑戦するだけでも大変な道程ですが、王座奪取したとしてもそれが日本で獲っただけではファンが認めない第三者の厳しい目があるのも事実で、現地の賭け屋の群集の厳しい目で見られ、支持を受けてこそ本物と言われる難問は、更に高いレベルにあることを感じたラジャダムナンスタジアムでした。

休む間も少ないT-98は6月17日に「KNOCK OUT」興行出場があり、71.0㎏契約5回戦で、ISKA世界ライトミドル級チャンピオン.廣虎(ワイルドシーサー群馬)との試合が組まれています。

梅野源治とともに、二人ともモチベーションは落ちることなく、再起を誓っている現在、再びラジャダムナンスタジアムのリングにチャンピオンとして立つことへのファンの期待も大きいところでしょう。

5R。T-98が蹴りで反撃ももう時間が無い第5ラウンド
5R。終了間際の右ストレート、時間が足りなかった

《取材戦記》

2000年の新日本キックボクシング協会が敢行した「Fight to MuayThai」以来のラジャダムナンスタジアムを訪れました。外観は特に変化はありませんが、館内は映像で見たことあるとおり、リング上の照明設備が以前の白熱灯からLED照明へ明るく変わり、高感度フィルムでもキツかった頃から比べ、デジタルカメラの性能向上もあり、高感度撮影でも楽に綺麗に撮れる撮影となりました。

リング周りも幅広すぎるプラットホーム(エプロン上、ロープから縁)に昔は足まで乗っかり、うつ伏せに這いつくばって撮っていましたが、今はプラットホームは昔ほどではない幅で、私のように足が短いと苦しいですが、背丈170センチもある人なら乗り出して何とか撮れる範囲。

しかし撮影場所の範囲が狭いようで、私が撮影に入れない場合は現地の知人カメラマンに頼むつもりも、その人と、現地で在住する早田寛カメラマンや昔知っていたカメラマンも私に気付いてくれて、互いに老けて気が付くのに時間が掛かったが「大丈夫だ、ここに居ろ」とみんなで指示してくれる有難さ。

賭け屋は昔と変わらない怒号のような歓声が場内を盛り上げていましたが、T-98の試合はメインイベント後の試合となる第8試合で、この日の観衆は結構残っていました。通常は観衆も帰りつつある中で、これがタイトルマッチであっても層の薄いクラスの無名選手の立場でもありました(5月17日の梅野源治の初防衛戦は第7試合のメインイベントでした)。

今後またラジャダムナンスタジアムに行けることがあれば、日本人絡みのメインイベントのタイトルマッチに出会いたいものです。

相手ペースにはまったキツかった試合、悔しさより苦しさが滲み出た表情
ラジャダムナンスタジアム外観。ビッグマッチの日は人で車道が占領されるほど

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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奇妙な世界に迷い込んだ巨匠リングアナウンサー列伝

立ち位置を意識し、選手が出て来た際は、後に下がる配慮を忘れなかった衣笠真寿男氏(1983.2.5)
衣笠真寿男氏のコールは過去いちばん甲高く力強さがあった(1986.11.24)

「リングの名脇役、リングアナウンサーの任務!」に続くリングアナウンサー物語続編です。

鈴々舎馬風(日本系)
柳亭金車(日本系)
チャーリー湯谷(全日本系)
衣笠真寿男(日本系)
三遊亭貴楽(日本キック→RIKIX)
宮崎邦彦(全日本系)
井手亮(MA日本)
酒井忠康(JBC)
山口勝治(JBC)
冨樫光明(JBC)
須藤尚紀(JBC)
中山善治(JBC関西)

巨匠リングアナウンサーを独断と偏見で選びましたが、この顔ぶれをどれだけ知っている人がいるでしょうか。奇妙な世界とは無縁のプロボクシングも含まれていますが、人真似ではない独特のリズム感でコールする個性ある、人々の潜在意識に残るリングアナウンサー揃いです。このメインリングアナウンサーとなる存在は、その競技・団体の顔となっていきます。

◆JBCでは見事な後継者揃い!

全日本系にも厳しいしきたりあり。選手の後方に控えるリングアナウンサー宮崎邦彦氏(1983.6.17)

プロボクシングでは、いちばん古い酒井忠康氏はファイティング原田氏の現役の頃からコールしていた人で、重量感ある声でリズムとイントネーションで、絶妙なコールでした。メインリングアナウンサーとして担当が長かったので、その技量を長く発揮され、広い世代に知名度がありました。

山口勝治氏はタイムキーパー姿が古い映像にあるとおり、その試合運営経験を経て、酒井氏の指導も受けつつ1980年代前半にリングアナウンサーに移ったようです。その山口氏の指導の下、1年ほど研修を受けてから1999年デビューしたリングアナウンサーが冨樫光明氏で、これらの世代交代はJBCの確固たる組織の表れ。現在活躍する須藤尚紀氏も含め、リングアナウンサーとしての立ち振る舞いや、タイムキーパーやレフェリーとの連携も指導が行き届いたアナウンスを続けています。

◆巨匠と言われるキックボクシングに於いての名リングアナウンサー

矢沢永吉スタイルを貫いた井手亮氏、笑いネタでの人気も高かった(1992.11.13)
幅広い分野で活躍する柳亭金車氏、現在も活躍される息の長いリングアナウンサー(1996.6.30)
先駆者・鈴々舎馬風氏、初期のキックボクシングブームを支えた一人でもある(1996.6.30)

1966年に設立された老舗団体、日本キックボクシング協会で初代メインリングアナウンサーを務めたのが、柳家かえる(後の鈴々舎馬風)氏で、そのコールの力強さは当時TBSの放送で全国に響き渡りました。キックボクシングを始めた野口修氏がボクシングプロモーターだったことはその後にも大きく影響し、酒井忠康氏の陰ながらの指導もあったのではと考えられます。

そのかえる氏に導かれたのが2代目リングアナウンサーの柳家小丸(後の柳亭金車)氏でした。かえる氏よりトーンが高く、また高低激しくコールする力強さがありました。また小丸氏はキックボクシングのブーム全盛期、全国を巡業で回った経験談を持っており、米軍基地での興行は「米兵のもの凄い声援が試合を盛り上げた」とか、「北海道の田舎のある駅のホームで、暇潰しに興行スタッフ一同での垂直飛びで、高さ120センチほどある線路からホームへ飛び移ったのは沢村忠だけだった」という当時の懐かしい旅の話題(規制の緩い昔の田舎の駅での話です)を持つ方で、当然全国各地での多くの経験談があることでしょう。

両氏とも噺家が本業で、リングアナウンサーに集中することは難しくなった時期もあり、後に引き継がれたのが山崎康太郎氏と衣笠真寿男氏、更なる後に吉田健一氏がいました。山崎氏は元はJBCリングアナウンサーだったと思われます。

衣笠氏はテレビ放映の実況の中で軽く紹介されたことがあり、軍隊での号令官だったということから、大声が出せて更にマイクが無くてもよく響く甲高いコールでした。テレビ放映も無くなった1980年代前半(昭和50年代後半)も辞めることなく務めて居られました。後楽園ホールだけの、テレビ放映の無いところで甲高いコールが響いているのが勿体無く、野口プロモーション系スタッフは虚しい思いをした人もいるようです。しかし、衣笠氏は後の復興団体、更に後のMA日本キックボクシング連盟の1988年まで務められ、その美声が発揮されていました。

ルールにも几帳面で、1986年5月に当時の日本ライト級チャンピオン.甲斐栄二(ニシカワ)vs 同級2位、飛鳥信也(目黒)のノンタイトル戦があった際、「これライト級のウェイト越えてないと甲斐が負けたら王座剥奪だよ」と、契約ウェイトの状況を調べに行ったという、他のスタッフが気付き難いところにも指摘したエピソードがあり、現在のリングアナウンサーには無い探究心を持っていました(この試合は63.5kg契約)。

この衣笠氏に斜陽期のTBS放映時代に指導を受けられたのが吉田氏で、低めの声ながらリズムとイントネーションはソックリで、分裂による枝分かれはしましたが、他団体で単発ながら1987年まで務められました。

復興団体で衣笠氏に指導を受けられたのが三遊亭貴楽氏で、更に後の全日本キック復興の際、縁あるジムの意向でそちらに移動されましたが、その直後の1987年5月に査定を受けた芸人Wコミックの井手亮氏が見習い採用された経緯がありました。

残念ながら衣笠氏は翌年、心不全により亡くなられ、最後の弟子、井手氏がメインリングアナウンサーに抜擢されました。井手氏は矢沢永吉さんのファンで、デビュー当時からそのスタイル貫き、「井手さんにコールされると気合いが入るよね」と語る選手も居て、人懐っこさでファン、スタッフ、選手からも人気も高かった人でした。MA日本キック連盟は初期の石川勝将代表の辞任後、団体の体制がまとまらず、リングアナウンサーも入れ替わりが激しくなり、伝統の日本系の個性は完全に崩れた時代に突入してしまいました。

全日本系での巨匠は俳優のチャーリー湯谷氏、伝説の西城正三vs藤原敏男戦のビデオにもある、この試合のリングアナウンサーが英語のアクセントがインパクトあるチャーリー湯谷氏でした。その後にメインリングアナウンサーを務めたのが宮崎邦彦氏で、こちらも独特の力強いコールで、ベニー・ユキーデをコールしたことも幾度かあり、藤原敏男氏の引退興行もメインリングアナウンサーを務め、全盛期の立嶋篤史をコールする時代まで活躍しました。コールでは大声が出せる人ですが、リング下では優しい口調の方で、物静かに佇む姿が思い出されます。

現在に至るまでのキックボクシングの多団体乱立後のリングアナウンサーは、先人の指導の無いまま、次の新人に任される場合が多かった競技です。主催者役員との思想の違いから退任、次から次と新規リングアナウンサーが誕生する場合もあり、試合役員から指導を受けることはあってもそれは大雑把で、そんな団体で育ったリングアナウンサーは後輩ができても、指導するにしても正しいことが伝えられない負の連鎖が続く場合もあります。これではその団体や興行の顔となる存在には成り得ません。

今回、くどいほどマニアックに述べさせて頂いた巨匠たち、こんな不安定で奇妙な世界によくぞ入ったものだと感心する、かつての名脇役リングアナウンサー揃いでしたが、こんな競技でも研究熱心に進行を考え、真摯にクレームを受け止め、前回のテーマに出てきた進化あるリングアナウンサー達もいます。観ているファンにもそれぞれの好みがあり、批判ある場合もありますが、特殊な才能を持った人たちを願わくば、巨匠たちが競技を越えても次の世代へリングアナウンサーの正しい姿を伝えて欲しいものです。

小野寺力氏お気に入り、三遊亭貴楽氏も他団体に渡り、NO KICK NO LIFEまで登場されました(2014.2.11)

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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梅野源治、ラジャダムナンスタジアムで王座陥落!

ワイクルーを舞う梅野源治
サックモンコンの左ミドルキックを受ける梅野源治

梅野は現地ムエタイのライト級域の中では警戒されるほどの有名な選手。かつて戦った選手や今後戦う可能性のある選手の中では梅野の弱点は知れ渡っているでしょう。現地での王座奪取や防衛がいかに難しいか、本場の壁が立ちはだかります。

◎5月17日(水)
タイ国ラジャダムナンスタジアム・ライト級(135LBS)タイトルマッチ 5回戦 
チャンピオン.梅野源治(PHOENIX/135Pond/61.23kg)
VS
同級7位.サックモンコン・ソー・ソンマイ(135Pond/61.23kg)
勝者:サックモンコン / 0-3 (46-49. 47-49. 46-49)

サックモンコンの右ミドルキックを脇に受ける梅野源治
サックモンコンの左ミドルキックを受ける梅野源治
サックモンコンの左ヒジを不用意に浴びる梅野源治

◆戦略が狂ったか?

梅野は計量では1回でのパスではなかったようですが、サックモンコンも予備計量で1.4ポンド(約635グラム)オーバーの様子があったようです。

梅野は第1ラウンド終盤にサックモンコンのパンチでダウンし、戦略が狂ったか、梅野より長身のサックモンコンとの距離を詰め難く、離れた距離からのパンチは流れ、その距離に応じたサックモンコンの蹴りやパンチが効率よく当たる。梅野の距離に持ち込んでも次に繋げる連続技には成り難く、サックモンコンの精度の高いヒットが目立っていく。「どちらがチャンピオンか」と言われるような技術の差も露になった劣勢も挽回出来ず終了。

◆ボクシングとは異質なムエタイの採点基準

キックボクシングやムエタイの世界では、“世界”と名の付く王座より、本場タイの伝統あるルンピニースタジアムやラジャダムナンスタジアムの王座が最高峰と位置付けられる時代が長く続いています。

ラジャダムナンスタジアムは1941年の設立。ルンピニースタジアムは1956年の設立です。その原点には「ムエタイ500年の歴史」やタイの小学校の教科書にも出て来る1774年のビルマとの戦争にまで遡る「ナーイ・カノムトム物語」があります(重複ながら、関心が持たれ難い歴史を再確認する意味で掲載しております)。

ムエタイの採点はボクシングとは異質な基準があります。ムエタイを熟知している人には理解できるでしょうが、ボクシング基準の「ラウンド毎の独立した採点」が固定観念として残っていたり、ムエタイの展開が読めない者から観れば、どうしても不可解な結果が残る場合があります。

頭が当たりそうな危険なヒジ打ちの相打ち
梅野の踏ん張る右ストレート
サックモンコンの左ハイキックをかわす梅野源治

◆持ち味を殺してしまった試合運び

梅野は初回にパンチを貰ってダウンを喫し、それでリズムと戦略が狂って、それ以降も明確に抑えたとは言えないラウンドが続き、大差判定負けとなる結果が残りました。梅野より背が高い相手となると、過去にも非常に少ないタイプ相手だったことも要因でしょう。踏み込めず、ボクシングにあるようなアップライトスタイルのボクサーに打って向かう側のパンチの届かないもどかしさ。届いてもその威力を軽減する術を持つスタイルですからダメージを与えられません。

サックモンコンの蹴り技に凄さがあるわけではなかったですが、梅野の持ち味を殺してしまった試合運びの上手さで勝利を導きました。念願の本場、二大殿堂のひとつラジャダムナンスタジアムで防衛することを目標に頑張ってきたことに対し、このチャンピオンが大差判定負けすることはショックな結果でしょう。このところの激戦続き、怪我も重なり回復したとはいえ、調子の戻らぬままの殿堂登場でした。

◆ここから這い上がれるかをファンは注目している

健闘を称えあう両者、若いサックモンコンが拝む形となる礼儀

こんな展開に「梅野は弱くなったような気がしますね」という声も聞かれましたが、ここから這い上がれるかをファンは注目しているでしょう。かつて梅野が言った試合での「相手の心折る戦略」が大事ならば、梅野自身が心折れることなく、伝説の“藤原敏男を越える戦い”はまだまだ続けるでしょう。

「NO KICK NO LIFEイベント」から続く強豪との対戦や、ヤスユキ(Dropout)戦での顔面負傷、WBCムエタイ世界王座の防衛戦、ラジャダムナン王座奪取、そして「KNOCK OUTイベント」での注目度ある相手との3連戦が続いた中でのラジャダムナン王座防衛戦でしたが、ラジャダムナン王座1本に集中して欲しかったファンも多かろうと思います。今後どうするかは梅野陣営の采配でしょうが、少し休んでから再起し、予定される7月以降のビッグマッチ出場となるのでしょうか。

控室で悔しさが滲み出る表情。反省と後悔と、心折れない胸中はどんなものか

[文]堀田春樹 [画像提供]weekly MUAY TU

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球、タブーなし!『紙の爆弾』

「再び5回戦の時代へ!」は来るか?

瀧澤博人vsHIROYUKI。右ストレートのカウンター、効いた瀧澤がこの後グラつく
HIROYUKIvs瀧澤博人。HIROYUKIと瀧澤のパンチの交差
HIROYUKI、二つ目のベルトで感涙

スターの扱い方も変化し、地方局、衛星放送などの出演も増え、今後のキックボクシング界を支える新しい展開に。

◎WINNERS 2017.2 nd / 2017年5月14日(日)後楽園ホール17:00~21:40
主催:治政館BeWell / 認定:新日本キックボクシング協会 / 後援:(株)ベストン
放送:テレビ埼玉(6月16日、ドキュメント番組を予定)

《主要5試合》

◆日本バンタム級タイトルマッチ 5回戦 瀧澤3度目の防衛戦

チャンピオン.瀧澤博人(ビクトリー/53.52kg)
       VS(0-3)
同級2位.HIROYUKI(=茂木宏幸/藤本/53.52kg)
勝者:HIROYUKI が第12代チャンピオン
主審:椎名利一
副審:和田45-50. 仲45-50. 宮沢45-50

前半はHIROYUKIが大胆な攻勢をかけ、やや優勢に進め、第4ラウンドに瀧澤はハイキックでHIROYUKIをグラつかせるも、迎え撃ったHIROYUKIが右ストレートでダウンを奪う。足にきてフラつく瀧澤、油断しなければHIROYUKIの勝利は動かない中、打ち合いを避けずに攻勢をかけたHIROYUKIが大差判定勝利で二階級制覇を達成。

◆70.0kg契約5回戦

緑川創(藤本/70.0kg)
VS
ドゥアンソンポン・ナーヨックエーターサーラー(タイ/70.95kg)
勝者:ドゥアンソンポン / 0-3 (47-49. 48-49. 48-49)
(ドゥアンソンポンは、現ルンピニー系スーパーウェルター級4位、ラジャダムナン系同級3位)

ドゥアンソンポンは前日の予備計量で1.4kgオーバー。これは落ちそうにないなと予測はできたが、当日でも950グラムオーバーで減点1が課せられる試合となりました。しかしランカーの実力は遺憾なく発揮、終始重い蹴りが緑川を突き放した展開。

ドゥアンソンポンvs緑川創。ドゥアンソンポン(左)の重いハイキック、ブロックしてもキツイ
志朗vsアドリアン・ロペス。右ローキックの蹴り合い、まだロペスは負けん気充分

◆ISKAムエタイ世界バンタム級(-55kg)タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.志朗(=松本志朗/治政館BeWell/54.9kg)
VS
スペイン同級C.アドリアン・ロペス(23歳/26戦18勝(9KO) 5敗 3分/スペイン/
55.4→55.1→55.0kg)
勝者:志朗が初防衛 / KO 3R 1:50 / テンカウント
主審:和田良覚

ロペスは前日計量で400グラムオーバー、30分ほど走り込み再計量で100グラムオーバー、その場でパンツを脱いで再々計量リミット一杯でパス。体調に問題は無い様子。

ロペスはパワーとスピードがあるが、一歩先読み打つ戦術は志朗が上手。ローキックでロペスの勢いを止めれば、へたり込むこと読める展開に崩しにかかり、青コーナーに詰めローキックからパンチ連打、ボディから顔面へ最後は左フックで倒す。ロペスはボディが効いたかのような、意識はあるが苦痛の表情で10カウントを聞く。

志朗vsアドリアン・ロペス。ダメージ与えコーナーに導き、パンチでKOに結びつける志朗
ヘルダー・ヴィクターvs麗也。ロープ際に詰め、足の弱そうなヘルダーを崩しにかかる麗也

◆52.0kg契約3回戦

日本フライ級チャンピオン.石川直樹(治政館/51.8kg)vs同級3位.幸太(ビクトリー/51.8kg)
引分け / 三者三様 (29-30. 29-29. 30-29)

麗也が王座返上以降、インパクトあるチャンピオンが存在しない感があるフライ級。倒せる技が無く、幸太を調子付かせてしまった石川は、次期挑戦者となる流れであろう幸太を今度は力でねじ伏せなければならない。

◆ISKAオリエンタル・インターコンチネンタル・フライ級(-53.5kg)王座決定戦 5回戦

世界6位.麗也(治政館BeWell/53.5kg)
VS
ヘルダー・ヴィクター(22歳/30戦25勝3敗2分/ポルトガル/53.35 kg)
勝者:麗也が王座獲得 / KO 3R 2:25 / テンカウント
主審:和田良覚

互いに距離感掴み難そうな中、麗也のローキックは有効な攻め。第2ラウンドには麗也がパンチとローキックの攻勢を強める。ヴィクターの長身を活かした打撃を注意し、第3ラウンドには更にボディ中心に攻めダウンを奪うが、ギリギリのカウント9で立ち上がるヴィクターを更にボディにパンチ、ヒザ蹴りで2度目のダウンを奪い、ヴィクターは再度立ち上がるも最初のダウンより戦意喪失気味に遅く立ち、カウントアウトされて終了。

麗也vsヘルダー・ヴィクター。ラッシュに結びつける展開へ麗也のパンチ
勝者HIROYUKIを祝福、認定証授与の後
HIROYUKI。お腹の子含めて4人でショット、守るものが増えた

《取材戦記》

この興行のプログラムに書かれていたサブタイトルが「再び3分5Rの時代へ」でした。タイトルマッチ絡みで4試合が5回戦組まれており、いつもより5回戦が多いだけでしたが、今後を何か予感されるようなフレーズでした(ボクシングシステムで運営される競技性上、“3分”とは書く必要無いと思います)。

興行的にはメインイベントは志朗の防衛戦、セミファイナルが麗也の王座挑戦、となるところが、この2試合は “スペシャルマッチテレビ埼玉杯”という枠だそうで、最終試合の日本バンタム級タイトルマッチがメインイベントでありました。
日本では慣習的に“最終試合がメインイベント”となること多いですが、“メインイベント=最終試合”と決まっている訳ではありません。

治政館(BeWell)がISKA路線へ走り出したのが2年前の5月。志朗を筆頭に後輩の麗也も続き、また二人のタイ・バンコクでの主要興行出場も続いているというBeWell戦略が今後も賑やかに盛り上げそうです。志朗は6月にルンピニースタジアムでのテレビマッチ出場が決定しており、多方面から出場交渉がある実力派です(BeWellは治政館が母体の姉妹ジム的存在、志朗の父、松本弘二郎氏運営)。

瀧澤博人の日本バンタム級王座3度目の防衛戦となった元・日本フライ級チャンピオン.HIRYUKIとの対戦は、複数王座に因縁が絡む好カードでした。2014年10月に瀧澤が王座を奪った当時のチャンピオンが重森陽太(伊原稲城)。その重森は階級を上げ、2015年10月に日本フェザー級王座を内田雅之(藤本)から奪いました。HIROYUKIは2014年8月に日本フライ級王座決定戦を麗也に勝利して獲得、初防衛戦で麗也に奪われた後バンタム級に上がり、この日、日本バンタム級王座挑戦に漕ぎ着け、瀧澤から王座を奪取に成功。何かと因縁が続くこの日本タイトル、老舗(旧・日本系)とは枝分かれはしていますが、この老舗を継承しているのが新日本キックボクシング協会で、“日本タイトル”を継承する団体です。昔も日本王座には、因縁ある変遷史がありました。全日本系でも同様です。

2階級制覇となったHIROYUKIは今後について「とりあえず防衛。他は要らない」とあっさりしたもの。試合後の応援団の祝福に囲まれての写真撮影が続く中での発言でしたが、一夜明けて落ち着けばまた更に目指すものが見えてくるでしょう。フライ級では防衛失敗しているので、目黒ジム伝統の「チャンピオンは防衛してこそ真のチャンピオン」をまずは果たさねばなりません。21歳のHIROYUKIはリング上で「妻のお腹には二人目の子が居ます」と発表。守るは家庭と王座。若くして責任重大です。

試合後、リングを降りてすぐ、応援してくれた仲間に御礼を言って回る選手は幾らか見受けられますが、裸のままでは汗も冷えるし風邪引く恐れがあります。
「試合が終わって時間が経つと身体が冷えるので、放送席に長く留ませ、インタビューが長引くのは好ましくない」という昔のボクシング記事を読んだことあります。

選手の皆さん、リング上の照明が消された後や、リングを降りた場所はかなり気温が下がっています。翌日は祝勝会かもしれませんが、身体を冷やさないよう気を付けましょう。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』
『紙の爆弾』最新号!森友、都教委、防衛省、ケイダッシュ等今月も愚直にタブーなし!

リングの名脇役、リングアナウンサーの任務!

コンタキンテさん。江頭2:50とコンビを組んでいたこともある芸人さん。取り組む真面目さ素直さは抜群
お宮の松さん。たけし軍団の一員。格闘技の試合経験もある芸人さん

リング上で興行の顔となるリングアナウンサー、選手コールだけなら楽なものですが……。リングアナウンサーというお仕事は、リング上で選手をコールするだけではありません。それだけの起用で呼ばれる巨匠もおられますが、大概は掛持ち雑用が伴います。

場合によってはタイムキーパーも任されます。その他、激励賞の送り主名の読み上げ、採点結果の確認、公式記録の記載、1分間のインターバルでの両選手戦歴経歴の紹介など、団体や競技によってマチマチですが、いろいろな雑用もこなさなければなりません。

◆進化あるリングアナウンサーの存在!

ボクシングを含め、過去にはいろいろなタイプのリングアナウンサーが存在しました。個性あるコールは、物真似上手な人でなければソックリには真似出来ない技術があります。そして上手い下手より、その競技や興行の顔となる存在になることが大事な役割とも言えます。

新風を巻き起こしたのは、選手紹介に戦績を加えたのが日本ボクシングコミッションでリングアナウンサーを務めている冨樫光明さんでしょう。コールのリズムとイントネーションが力強く、更に経歴を加えるなど変化を付けて進化を続けました。そんな影響を受ける他競技もあり今後、他者がこれを越える新たな展開を見せることは難しいかもしれません。

タイではリングサイドアナウンサーによって、淡々と手短に両選手同時入場時に選手紹介が行なわれていますが、ワイクルー(ムエタイの戦いの舞)無しで、こんなシンプルさの興行をやってみたいという日本のプロモーターも居て、そんな進行の早そうな興行も観てみたいものです。

また最近は、リング上での選手紹介だけでなく、文字通りアナウンサーとしてインタビューも行なえる技量も必要な場合もあります。そこでは台本(進行要綱)に書かれた台詞を読むのではなく、競技に精通し、選手の経歴を知った上で、その場のアドリブで話を進める機転が必要な場合もあります。しかし、長くボクシングやキックボクシングを観ていても、選手コールは出来ても、なかなか深イイ内容のインタビューが出来る人は少ないところです。

細田昌志さん。今や記者より記者らしい取材力を持つ放送作家
日野実志さん。NJKF事務スタッフから始まった芸人ではないリングアナウンサー
風呂わく三さん。2007年のNJKF新体制から起用された劇団員さん

◆リングアナウンサーの苦悩

選手に贈られる激励賞(祝儀袋)をその後援者が、突然リングアナウンサー席に来て、「頼むよ!」とポンと置いて行ってしまう、リングアナウンサーを単に雑用係と見下して行く観客もいて憤慨することもあるようです。

かなり前の出来事、インターバル中、リング上でウォーキングするラウンドガールを、くどいほど何度も紹介する某リングアナウンサーがいましたが、後々他のジム関係者から事情を聞くと、ある筋の組員が後方から何度も「もう一回やれ」と指示されていたという、一概にリングアナウンサーを責められない事情もあるので、話は聞いてみないとわからないものでした。

20年ほど前、リングアナウンサーではなく、リング下のサブアナウンサーの失態で、勝者を間違えてコールしたことがありました。ジャッジペーパーの確認ミスで、一旦敗者に渡った勝利者トロフィーを返却させ、真勝利者に渡したことがありました。すぐに控室に行って両選手に謝罪したようですが、ジャッジペーパーの確認は複数人でやるべき事態でした。

試合前から選手名を間違えることも間々あることですが、主催者任せの資料に頼らず、自分の足で選手に聞きに回る配慮も必要です。

目まぐるしく機転を利かせて進行するリングアナウンサーなど連係するスタッフは、威圧を受けたり、ミスがあったり、予定に無い余興が発生するパニックになりがちなこともしばしばです。これを乗り越えられるのが経験値となりますが、先人の指導を受けられないまま運営に関わるスタッフの入れ替わりが激しかったりで、同じ失態を繰り返すこともしばしば、傍から長く見ているとそんな状況も見受けられます。

◆リングアナウンサーを勧めたくはないが……

最近のリングアナウンサーは役者さん、劇団員さんなど芸能関係から起用されることが多く、一般人から募集されることは少ないですが、単なる司会業とは違い、やってみると面白い。カッコ良く目立ち、やり甲斐ある任務と言えるかもしれません。現実は上記のようなパニックに巻き込まれつつ、報酬も高くありませんので、決して勧められる任務ではありません。しかし、採用されることは難しいとても貴重な仕事です。こんな任務に興味あり、自信ある方は人づてに挑戦してみるといいかもしれません。

次の機会には、こんなキックボクシングの奇妙な世界に入り込んだ名リングアナウンサーの面々を紹介してみたいと思います。

生島翔さん。元・TBS生島ヒロシさんの次男さん。今年3月から登場。伊原代表の御挨拶の後のプレッシャーかかるマイク投げにもしっかり対応

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

『紙の爆弾』6月号!森友、都教委、防衛省、ケイダッシュ等今月も愚直にタブーなし!
一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

今回も神風吹いたNKB興行、感動の2試合!

“チャンピオン”を日本語に訳すと何と呼ぶでしょうか?

高橋聖人vs村田裕俊。高橋の右ハイキックが村田のリズムを狂わせた
高橋聖人の左ハイキックでタイミング失う村田

現・第13代選手権者.安田一平に6年前の第8代選手権者.岡田拳が挑んだ試合。
パンチの距離なら安田の強打が活きるが、それをさせない岡田のフットワークとローキックが安田の勢いを止める。ローキックが連打されても安田は崩れることはなかったが、結構戦力が鈍る様子は伺えた。岡田も攻めつつも安田の強打を被弾し、圧倒することは出来ないが主導権は岡田が握った展開。ローキックでダウン奪いたかったところ安田は強打と蹴り返して耐え切った。

岡田(=旧・岡田清治)は2009年12月26日に武笠則康(渡辺)から判定勝利で王座奪取、2010年4月24日に高橋賢哉(渡辺)に判定勝利で初防衛、2011年2月11日に栄基(M-TOONG)に判定負けで王座陥落しています。肩の怪我から昨年復帰し2連勝。今日で6年ぶりの王座奪回に成功、第14代選手権者となる。

経験値で優る村田の逆襲
村田のリズムを狂わし続けた高橋聖人右ローキック

村田裕俊は昨年(2016年)初頭にタイへ修行に向かい、過去2度KOで敗れている高橋一眞に、同年4月のNKBフェザー級王座決定戦で、判定で雪辱し王座奪取。12月には過去1勝1敗1分の優介(真門)をTKOに下し初防衛。ムエタイ修行の成果がはっきり現れる成長を見せ、今年2月にはトップクラスが集められたビッグイベントKNOCK OUT興行に出場。実績ある全日本スーパーフェザー級選手権者.森井洋介(ゴールデングローブ)と善戦の引分け、トップクラスに通用する実力を見せました。

今回の対戦も、村田の更なる台頭と高橋一家の逆襲がテーマとなって、6月25日に予定される村田裕俊vs高橋一眞(=長男)のNKBライト級王座決定戦に繋がる前哨戦として期待のカードでした。

1ラウンドから高橋聖人(=三男)は極力距離を詰め接近戦でも先手を打つ展開。2ラウンドに青コーナー側で足を払って崩してパンチを連打。この一年半での進化した村田の劣勢は意外な光景。3ラウンドにはようやく調子を上げていく村田、圧力掛け本領発揮かと思われた後半、聖人が左ハイキックをクリーンヒットさせ、またもコーナー付近に詰めてラッシュ。完全に主導権を掴んだ聖人。

ここまで来ると聖人は油断しない限り、多少被弾しても大きく崩れることはなくなる。4ラウンド以降、スタミナの消耗で両者のスピードが鈍るも聖人の優勢は維持。村田の経験値で優る隙を突いたパンチと蹴り技も鋭いが、大胆不敵な聖人もヒットを返していく中終了。予想を覆す高橋聖人の勝利に沸いた会場とその応援団でした。

NKBライト級王座は、大和知也(SQUARE-UP)が昨年負った怪我の復調の遅れで返上が決定。そこで村田裕俊vs高橋一眞の4度目の対戦となる、ライト級に移しての王座決定戦が決定しています。

前座の話題ながら、3試合連続同一相手となった、9戦1勝(1KO)7敗1分の岩田行央と2戦1敗1分の藤田洋道戦は第2ラウンドにパンチによる両者一度ずつのダウン(先に藤田がダウンを奪い、岩田が逆転のダウンを奪う)。第3ラウンドも打ち合いの中、岩田が2度ダウンを奪い大差を付ける。スリリングな内容ながらどちらもガードがあまく、技術で制した試合とは言えないが、前座3回戦の中で、こんな7連敗から注目の勝利者となった選手の話題を盛り上げてきた竹村哲氏の見所PICK UPも見事でした。

◎神風シリーズvol.2 / 4月15日(土)後楽園ホール17:30~
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

高橋聖人vs村田裕俊。高橋がラッシュし、右ストレートを浴び、仰け 反る村田
岡田拳vs安田一平。安田の強打を殺した岡田のローキック
岡田拳の6年ぶりのチャンピオンベルト

《後半6試合》

◆NKBウェルター級選手権試合 5回戦

選手権者.安田一平(SQUARE-UP/37歳/66.5kg)
VS
挑戦者同級1位.岡田拳(大塚/31歳/66.5kg)
勝者:岡田拳 / 0-2 / 主審:鈴木義和
副審:川上49-49. 亀川48-50. 馳48-49

◆59.0kg契約 5回戦

NKBフェザー級選手権者.村田裕俊(八王子FSG/27歳/58.8kg)
VS
同級3位.高橋聖人(真門/19歳/58.8kg)
勝者:高橋聖人 / 0-3 / 主審:前田仁
副審:鈴木49-50. 佐藤友章47-50. 亀川47-50

◆70.0kg契約3回戦

NKBウェルター級8位.上温湯航(渡辺/25歳/69.6kg)
VS
釼田昌弘(テツ/27歳/70.0kg)
勝者:釼田昌弘 / 0-2 / 主審:川上伸
副審:前田30-30. 亀川28-30. 馳29-30

◆女子50.0kg契約3回戦

喜多村美紀(テツ/30歳/49.75kg)vs後藤まき(RIKIX/49.65kg)
引分け / 0-1 / 主審:鈴木義和
副審:前田30-30. 馳30-30. 川上29-30

◆ウェルター級3回戦

チャン・シー(SQUARE-UP/33歳/66.4kg)
VS
ちさとkiss Me(安曇野キックの会/34歳/66.5kg)
勝者:チャン・シー / 2-0 / 主審:佐藤彰彦
副審:馳30-29. 前田30-29. 佐藤友章29-29

◆フェザー級3回戦

岩田行央(大塚/37歳/57.1 kg)
VS
藤田洋道(ケーアクティブ/36歳/57.0kg)
勝者:岩田行央 / 3-0 / 主審:亀川明史
副審:馳30-27. 佐藤彰彦29-27. 川上30-27

他、5試合は割愛します。

岡田拳vs安田一平。安田の強打をかい潜り、岡田もパンチで勝負
岩田行央と二人の子供。岩田行央、話題になる存在となったが、もっとランクを上げて、またこんな姿が見られたらいい

◆取材戦記

最近のこと、ある捜し物をしていて1996年当時の私(堀田)が関わったレジャー紙のキックボクシング記事を見ると「WKBA世界スーパーライト級選手権試合」と書かれていた記事を見つけました。特に注目する問題ではありませんが、この頃の世間はまだ“選手権”が使われていたようです。

古い時代のファイティング原田さんらのプロボクシング世界タイトルマッチポスターも「選手権試合」と書かれていたものでした。輪島功一さんがチャンピオンの頃もそんな表記があったと思います。プロレスでも使われていました。

最近の人はほとんどがタイトルマッチはそのままですが、チャンピオンのことを“王者”と答えるのではないでしょうか。決して間違いではありませんが、やたらタイトルが多くて、選手紹介で過去保持したすべてのタイトルをリングアナウンサーが紹介する度に「元…王者、前…王者、現…王者」と“王者”が連発されることに何か違和感を感じることがあります。偏屈な意見ですが、ボクシングシステムを用いる競技的には“選手権者”が優先されるべきかと思います。王座を獲得した者を正確には“選手権保持者”となります。

高橋三兄弟はそれぞれが課題を抱えつつ成長を見せています。三男・聖人が村田裕俊に勝つとはちょっと驚きでしたが、そんなチャンピオンクラスに、早くに打ち勝つ素質は元からあったのかもしれません。今後はビッグイベントの「KNOCK OUT」から声が掛かることも予想されます。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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我道を行くMuayThaiOpen、今後も荒波に立ち向かえるか!

苦戦したものの喜入衆がパンチで仕留めて平野将志は立てず
平野将志vs喜入衆。右ストレートをヒットさせた喜入衆(右)

ムエタイオープン・ウェルター級タイトルマッチは喜入衆が3度目の防衛。前半は平野のパンチの距離に苦戦しヒジで切られる劣勢も、4ラウンドに右ストレートパンチで逆転に導くダウン奪って、ラストラウンドに打ち合いに誘って右ストレートパンチで倒す劇的KOでした。

貴センチャイジムは十代の注目株選手に苦戦する試合が多いところ、ムエタイ技術での攻防はベテランの渋さが目立つも、大田拓真に瞬間勝負の右ストレートで倒されてしまいました。

太田拓真(右)の蹴りもしなやかに貴センチャイを攻め、技の切り替えが速かった
太田拓真17歳の勝利
ムエタイランカー馬木愛里(左)がアローンを圧倒

藤原あらしは左ミドルキックで一発KO、戦略を練ってのボディー狙いは見事でした。

◎MuayThaiOpen.38 / 4月2日(日)新宿フェイス16:30~20:05
主催:センチャイジム / 認定:ルンピニージャパン(LBSJ)

◆MuayThaiOpenウエルター級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.喜入衆(フォルティス渋谷/神奈川県出身37歳/66.5kg)
vs
1位.平野将志(インスパイヤードM/神奈川県出身32歳/66.45kg)
勝者:喜入衆 / TKO 5R 1:00 / カウント中のレフェリーストップ
主審:北尻俊介

◆52.6kg契約 5回戦(ルンピニージャパンランキング査定戦)  

LBSJスーパーフライ級チャンピオン.貴センチャイジム(32歳/52.55kg)
vs
大田拓真(新興ムエタイ/17歳/52.6kg)
勝者:大田拓真 / TKO 4R 0:58 / カウント中のレフェリーストップ
主審:河原聡一

◆52.5kg契約3回戦(ルンピニージャパンランキング査定戦)

藤原あらし(バンゲリングベイS/38歳/52.3kg)
vs
ラーチャシー・ノーナクシン(タイ/24歳/52.15kg)
勝者:藤原あらし / TKO 3R 1:04 / カウント中のレフェリーストップ
主審:蔵満誠

◆女子51.0kg契約3回戦(2分制)

小林愛三(NEXTLEVEL渋谷/21歳/50.7kg)
vs
加藤みどり(エイワスポーツ/32歳/50.55kg)
勝者:小林愛三 / 3-0
主審:リカ・トーンクライセーン
副審:北尻30-27. 河原30-27. 蔵満30-27 

◆スーパーライト級超3回戦(計量時68.0kg契約に変更)

アローン・エスジム(タイ/68.0kg)
vs
タイ・ルンピニー系スーパーライト級7位.馬木愛里(岡山・闘我塾/16歳/68.0kg)
勝者:馬木愛里 / TKO 2R終了 / アローンの負傷による棄権
主審:桜井一秀 

年の差12歳、13戦の実方拓海(左)が60戦の中尾満に勝利

◆64.0kg契約3回戦

実方拓海(TSK・Japan/21歳/63.9kg)
vs
中尾満(エイワスポーツ/33歳/63.7kg)
勝者:実方拓海 / 3-0
主審:北尻俊介
副審:リカ30-29. 桜井30-28. 蔵満30-28

◆スーパーバンタム級3回戦
  
丸吉伴幸(クラミツ/23歳/55.2kg)
vs
木村昂(米子/33歳/55.0kg)
勝者:丸吉伴幸 / TKO 1R 1:47
ヒジ打ちによるカットでドクターの勧告を受入れレフェリーストップ
主審:河原聡一 

◆バンタム級3回戦 

44・ユウ・リバイバル(リバイバル/17歳/53.3kg)
vs
渡邊亮(武風庵/29歳/52.95kg)
勝者:44・ユウ・リバイバル / TKO 1R 1:54
ヒジ打ちによるカットでドクターの勧告を受入れレフェリーストップ
主審:桜井一秀

◆50kg以下級3回戦           

新井皓太(キックボクシング&フィットネスOZ/16歳/49.45kg)
vs
平松侑(岡山・水島/14歳/49.65kg)
勝者:平松侑 / 0-3
主審:蔵満誠
副審:桜井28-30. 北尻28-30. 河原28-30 

◆ルンピニージャパンU-15. ペーパー級(-40kg)3回戦(2分制)

三谷魁(HIDE/14歳/37.5kg)vs 平松弥(岡山・水島/12歳/38.0kg)
勝者:平松弥 / 0-3
主審:リカ・トーンクライセーン
副審:桜井29-30. 蔵満28-30. 河原29-30

藤原あらしvsラーチャシー。狙った左ミドルキックがボディをえぐって倒した藤原あらし(左)
加藤みどりvs小林愛三。最終的には左ハイキックだったが、多彩に使った小林愛三(右)
4人の子供をリングに上げた藤原あらし

◆取材戦記

4人の子をリングに上げた藤原あらし、昨年7月、ルンピニージャパン・バンタム級王座奪取したリング上で「もうすぐ4人目が産まれます」と語った言葉が思い出された4人目を抱いた姿、頑張る父親の姿を現役中に、成長した子供に見せる機会も増えたものです。

藤原あらしは昨年12月に佐々木雄汰(尚武会/16歳)に同王座を僅差で奪われたばかりながら、モチベーションが全く落ちない元気の源は4人の子供たちかもしれません。「あと20年やります」と言った王座奪取の日から見ても、38歳になってもまだまだ引退は見えない勢いでした。

アローン・エスジムと対戦した馬木愛里は前日までの点滴を打つほどの体調不良でウェイトは落とせず計量は68.75kg。対戦相手だったコンゲンチャイが63.75kg。常識的には試合中止にすべきところ、元々の出場予定が怪我で欠場だったアローンがやっぱり出場というややこしい展開があったようです。こんなところが私的団体の都合のいい興行です。しかし不調箇所が悪化したか、アローンが2ラウンド終了時のインターバルで棄権を申し出て終了。

ベテランの中尾満は元・日本ライト級暫定チャンピオン。エイワスポーツジムに移籍後は数々の興行に出場しています。パンチ打たれても蹴り返す中尾の踏ん張り、敗れても“キックボクサー”らしさがあった試合でした。

敗れた中尾満と女子で勝った小林愛三は、5月10日の渋谷TSUTAYAO-EASTに於いて行なわれる「ROAD TO KNOCK OUT.1」に出場が決まっています。

幾つかある国内タイトルの中、国名、地域名を含まず、キャッチフレーズ的独自のタイトルが7つほどあります。

MuayThaiOpenは 2007年頃から自主興行を定期的に主催も、2014年7月に母体であったニュージャパンキックボクシング連盟(NJKF)を脱退、独自の興行を続け、反対意見もある中、MuayThaiOpenをタイトル化しました。その後、2015年8月にはルンピニー・ボクシング・スタジアム・ジャパン(LBSJ)設立を発表。本場ルンピニースタジアムの公認の下で作られた日本タイトル化ですが、この王座を奪取すれば本場ルンピニースタジアムランキングに反映されるという画期的ながら、増え過ぎと先行きが不透明な国内王座に懸念がありました。

一年掛かりの昨年7月17日に3階級の王座決定戦を実施も、独自興行でしかやらないルンピニージャパンの王座戦、1年以内にどれだけ活動できるかと先を見据えても、各団体等が独自のタイトルを持っている為、他団体やフリージムがここだけを目指してくることは考え難く、こういうことも想定出来たはずの2年前の始動です。

今回の興行の裏側で「徐々に活動を増やしていきます」と語ってくれたセンチャイ氏。荒波の中、ルンピニージャパンタイトルの活動が増えていくか、また新たなイベントを展開していくか、過去には2011年に有明コロシアムで「タイファイト・エクストリーム」を開催、昨年はディファ有明で「TOYOTA CUP」を開催するなどタイ側プロモーターとの連携も可能なセンチャイ氏の技量で「KNOCK OUT」を越えるビッグイベントを期待したいところです。

喜入衆、3度目の防衛。ラウンドガールとセンチャイ会長と勝利の撮影に収まる

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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キックボクシングに不戦勝は必要か?

「赤コーナー選手が現れないので、青コーナー選手の不戦勝と致します。」
前回テーマの繰り返しではありません。

前回のこの文言の中で“不戦勝”に違和感を覚えた人はどれぐらい居るでしょう。おそらくは全閲覧者の中、2~3人でしょうか。それほどこの文言に違和感無く通り過ぎてしまう関係者が多いキックボクシング界でもあります。

さて、キックボクシングの試合に於いて、この“不戦勝”は必要でしょうか? 先に述べたこの青コーナー選手はリング上で勝者コールを受けました。もう古い団体の結果なので、公式記録として残ったかは不明ですが、リング上で公式コールを受けたものは訂正が無い限り公式記録として残るのが常識です。しかしその常識が通用しないことが起こり得るのが私的団体のやることでもあるキックボクシングの曖昧さに繋がっています。

不戦勝による勝利者トロフィーを受け取る平戸誠(平戸)氏。グローブを付けない姿でした。この頃は違和感もなく不戦勝という扱いを受け入れていました。(1983.9.10)

◆もう27年も前の話。まだ若かった某選手との討論

「不戦勝は要るんですよ。そうでなければ調整してきた選手側にとって試合無くなったらその努力が報われない。僕だって過去に無い無理な減量の試合組まれた時、不戦敗になりたくないからわざわざ暑いタイまで行って減量したのに、試合捨てたら不戦敗+罰金ですよ。それで相手側のファイトマネーが保障されるんです」

この選手側から見る主張は、正論と言える語り口でありました。しかし、プロボクシングに於いては明確にルールが確立するコミッションがあり、“不戦勝”は存在しません。試合が出来なくなればそれは“中止”となります。その境界線を厳密に引くならば、第1ラウンドの開始ゴングがなるまでに、何らかの事情で試合ができなくなれば中止でしょう。ゴングが鳴ってしまえば災害が起きない限りは勝ち、負け、引き分け(負傷裁定を含む)の結果が残ります(災害時は無効試合)。

プロのキックボクシングではと言えば数々の分裂してきた私的団体であるが為、あらゆる末端のルールは曖昧なままの部分が多い競技です。

欠場選手が発生した場合、キックボクシング創生期から大半が代打出場選手によって試合を潰さない努力はされている様子です。しかし直前になって逃げたとか急病によって中止せざるを得ない場合も稀に発生します。その場合に“不戦勝”という扱いに違和感を覚えるごく少数派もいる訳です。

オープントーナメント62kg級決勝戦の二人。藤原敏男引退の為、“勝者扱い”による長浜勇の優勝(1983.3.19)

◆勝者扱いという枠組

何度も例に挙げることになりますが、かつて1982年11月~1983年3月に行なわれた1000万円争奪オープントーナメントでは、62kg級で準決勝を勝ち上がった藤原敏男(黒崎)と長浜勇(市原)がいましたが、藤原敏男突然の引退宣言。決勝戦は「長浜勇選手の不戦勝」という発表の下、優勝となりました。

ここでの不戦勝は上位進出を決める“勝者扱い”となるもので、当然ながら公式記録には、藤原敏男の最終試合は準決勝で戦った足立秀夫(西川)戦であり、長浜勇の公式記録(生涯戦績)に藤原敏男の名前はありません(ただし、どこも私的団体の独自判断の為、記録に残している媒体や団体もあります)。

プロボクシングに於いても毎年行なわれる新人王トーナメントでも欠場があった場合は勝者扱いによる上位進出が発生します(公式戦引分け勝者扱いもあります)。この場合、公式記録には残りません。

キックボクシングに於いても不戦勝が発生しても厳密には単に中止であり、トーナメント戦等における上位進出に於いても勝者扱いとすべきものでしょう。

伝説の好カードは鈴木秀男欠場による“勝者扱い”で日本ウェルター級新人王を獲得した竹山晴友(大沢)氏(1986.11.24)

◆報われない理不尽な結末も

出場可能側選手にとってはそれまでの努力が報われないという理不尽な結末になる場合があり、手売りしたチケットの払い戻しが発生したり、そのファンは観戦しても応援する試合が観られない不利益にもなり、現金ファイトマネーは半額だったり全く無しだったり、相手側の違約金も会長やプロモーターに渡るだけで出場可能側選手には入らなかったりと、正に報われない現状がジムによっても采配に差があるようです。

不戦勝を公式記録に含む場合の不合理はKO率が下がることです。10戦10勝(9KO、1不戦勝)となった場合、KO率は当然90%です。不戦勝そのものについても公式記録として“1勝”は加算すべきではないですが、“勝者扱い”とする試合そのものは“中止”として、出場可能側選手には勝利に値する正規ファイトマネーと地位上昇を与える代償が必要でしょう。この辺は出場選手を守るルールが整備して欲しいところでもあります。

大相撲を例に “不戦勝はあってもおかしくはない”と主張した格闘技担当の某記者に突かれたことある反論で「大相撲にも不戦勝はあるでしょ」とボクシングと比較できない反論でしたが、大相撲に於いての関取(十両以上の力士)の不戦勝は、15番取ってひとつの場所の成績となって番付編成があり15日間、関取全員出場ですから空きの力士は居ません。取組みの決まった相撲は消化されなければならない為、大相撲での不戦勝は必要になります。

些細な問題ですが、安易に判断されている問題は過去に述べたテーマも含め、キックボクシング界に多く存在しています。いちいち愚痴を言っていては“煩い存在”になりがちですが、頑張るけど無理しない範囲で取り上げていきたいと思います。

KO勝利で勝者コールを受けた江幡塁、これが本当の勝者の姿(2017.3.12)

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

『紙の爆弾』タブーなきスキャンダルマガジン!

今年もムエタイ色強く進むM-ONE興行!

キャプテンケン・ナルパイ(タイ)の余裕を持った右ミドルキック
キャプテンケンvs雷電。ムエタイの体幹バランスが崩れないキャプテンケンの膝蹴り
攻めても余裕がない雷電

◎M-ONE 2017.1st
3月20日(月・祝)ディファ有明16:00~20:50
主催:(株)ウィラサクレック・フェアテックス / 認定:WPMF

この日行われたWPMF世界ライト級タイトルマッチは、チャンピオンのキャプテンケン・ナルパイ(タイ)が、昨年10月の岡山県倉敷市での翔センチャイジムを下した初防衛戦に続き、今回2度目の防衛に成功しました。安定した存在で「誰か勝てそうな日本人選手いませんかね」というタイ側の声もあります。

3ラウンドまでの採点を公開するシステムで、負けていることを意識した雷電は攻勢をかけるがキャプテンケンの牙城は崩れず、様子見から勝負を懸ける3ラウンド以降は膝蹴りも勢いが乗るタイ人選手特有の技術で試合運びの上手さが揺るぎませんでした。

若い鷹大のパンチと蹴りの多彩な攻勢で優勢に立つも、ベテランの経験値で山田は闘志衰えず要所要所狙って攻め返してきて大差は付かず、フェザー級に階級を上げた鷹大と、かつてはスーパーフェザー級でチャンピオン経験もある山田のパワーの差があったかもしれないが、それを感じさせない鷹大は蹴りで優るも圧勝できない内容に、挑戦者権は獲得しても「カッコ悪い内容で、フェザー級王座挑戦前にもう1試合挟みたい」という反省の発言。

土橋朋矢vs小嶋勇貴は手数多いが主導権奪うに至る決定打が少ない展開から小嶋の膝蹴りが目立ちはじめ判定で勝利を掴みスーパーフライ級王座挑戦権を獲得しました。

女子のベテラン、リトルタイガー(Little Tiger)は技で優るも、しぶとい代打のサーオマンコンにやり難さがあったか、倒せずも次第にヒットを上げていくベテランらしい判定勝利。2分制ながら5ラウンドまであれば更に圧勝を導いたであろう展開。

リトル・タイガーvsサーオマンコン。的確に調子を上げていったリトル・タイガー
鷹大vsアトム山田。鷹大の“カッコ悪い”試合も山田の粘りが盛り上げた
二階級制覇狙う鷹大。階級を上げてもイケそうな実力はある

◆WPMF世界ライト級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン. キャプテンケン・ナルパイ(タイ/ 60.8kg)
VS
雷電HIROAKI(前・WPMF日本同級C/スクランブル渋谷/ 61.23kg)
勝者:キャプテンケン・ナルパイ / 3-0
(主審:ソンマイ / 副審 テーチャカリン50-48. ナルンチョン50-48. 北尻50-48)

◆WPMF日本フェザー級挑戦者決定戦3回戦

鷹大(前WPMF日本SB級C/WSR・F西川口/ 57.15kg)
VS
アトム山田(元・MA日本B級&SFe級C/武勇会/ 57.15kg)
勝者:鷹大 / 3-0
(主審:チャンデー / 副審:テーチャカリン30-29. ソンマイ29-28. 北尻29-28)

土橋朋矢vs小嶋勇貴。膝蹴りのバランスが良かった小嶋が勝機を見出す
土橋朋矢vs小嶋勇貴。徐々にペースを持ち込んだ小嶋の蹴り
課題を残しつつ挑戦権獲得した小嶋勇貴

◆WPMF日本スーパーフライ級挑戦者決定戦3回戦 

土橋朋矢(新宿レフティー/ 52.16kg)
VS
小嶋勇貴(仲ファイティング/ 52.16 kg)
勝者:小嶋勇貴 / 0-3
(主審:ナルンチョン / 副審:テーチャカリン28-29. ソンマイ28-29. チャンデー28-30)

◆WPMF女子日本ピン級3回戦(2分制)

WPMF&WMC世界ピン級チャンピオン.リトルタイガー(WSR・F三ノ輪/ 45.1kg)
VS
サーオマンコン・ポー・ラマイパカット(タイ/ 44.9kg)
勝者:リトルタイガー / 3-0
(主審:北尻俊介 / 副審:ナルンチョン30-28. ソンマイ30-28. チャンデー30-28)

◆55.0kg契約3回戦

WPMF日本バンタム級チャンピオン.隼也ウィラサクレック(WSR・F三ノ輪/ 54.65kg)
VS
ジャガペット・モー・ワッラーポン(タイ/ 55.0kg)
勝者:隼也ウィラサクレック / TKO 2R 1:26 / ノーカウントレフェリーストップ
(主審:テーチャカリン・チューワタナ)

◆スーパーフライ級3回戦

岩浪悠弥(JKIフライ級C/橋本/52.16kg)
VS
ニコームレック・トー・タワット(タイ)
勝者:ニコームレック・トー・タワット / 0-2
(主審:ソンマイ / 副審:ナルンチョン29-30. 北尻29-29. テーチャカリン28-29)

◆62.0kg契約3回戦

WPMF日本ライト級5位.津橋雅祥(エス/61.8kg)
VS
シリペック・ペッポートーン(タイ)
勝者:津橋雅祥 / 3-0
(主審:チャンデー / 副審:ソンマイ30-28. 北尻30-28. テーチャカリン30-29)

他、7試合は割愛しています。

◆取材戦記

タイでは国家イベントに起用されるWPMF世界戦ですが、日本では多くの団体タイトルに囲まれ、どうしても抜きん出る存在ではないのが現状です。すべての選手が目指している訳ではないこの“WPMF日本”の現状から、本来のムエタイ本家の力を発揮したいところでしょう。元々、日本支局が出来た2009年頃は活気があって将来性が期待できただけに惜しい気がします。

因みにタイ国ではWPMFの母体がタイ国ムエスポーツ協会(Professionalboxing Association of Thailand)であり、WPMF傘下のタイ国王座がこのPAT王座でもあるとされています。

またWBCムエタイにも同様の伸び悩みがあると考えられます。他にルンピニージャパンやWMCまであるムエタイ組織ですから、ただでさえ狭い日本のキックボクシング系競技人口の中、すべてが活気あるタイトルには成り得ません。

この日、出場予定でした2名の中国人選手と1名の日本人選手の欠場がありました。津橋雅祥選手と対戦予定でした末廣智明(大道塾)は練習中の負傷の為欠場。

隼也ウィラサクレック選手と対戦予定でしたLi Shuai(=リ・シュアイ/中国)とリトル・タイガー選手と対戦予定でしたWei RuYan(=ウェイ・ルヤン/中国)は「来日予定が直前になってビザが下りず来日不能となりました」というアナウンスでした。“直前になってビザが下りない”裏事情はわかりませんが、昨年9月のM-ONE興行でもあった,

日本で活躍するゴンナパー・ウィラサクレック選手がかなり強豪と知ると2日前になって「怖くて戦いたくない」といった中国人選手の、先々週テーマ記事に似たようなことだけは無いことを願いたいものです。末廣智明選手については確実に止むを得ない負傷欠場です。

今回のレフェリー5名=ソンマイ・ケーウセン、テーチャカリン・チューワタナ、ナルンチョン・ギャットニワット、チャンデー・ソー・パランタレー、北尻俊介。タイ人レフェリーは現役選手時代のリングネームを中心にしています。本名の場合もあります。昨年も言いましたが、公式アナウンスで“マット”や“ネー”といったニックネームはやめてもらいたいところです。

毎度、レフェリー名を明確に入れるのは、公正な競技たることを強調したい狙いのひとつである為で、入手できない場合もありますが、極力入れていくつもりです。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

『紙の爆弾』タブーなきスキャンダルマガジン

活気溢れる新日本キックボクシング──ボクサー出身の政治家は生まれるか?

兼子ただしvsタークパイ。ヒジ狙いのタークパイの動きを読む兼子ただし
ニランノーイvs江幡塁

MAGNUMやWINNERS、TITANSなど、どれも活気ある興行で変化も増した新日本キックボクシング興行。

ムエタイ王座へ臨戦態勢、伊原代表に「いつでも最高峰チャンピオンベルトを巻ける心の準備は整っています」と懇願する江幡塁、パワーが増して間一髪の攻防も危なげなく前進。左ハイキックは初回から狙っている様子はありましたが、左右パンチ、ローキック、あらゆる戦略の中で様子を探り、パンチ連打から一瞬の隙をついての左ハイキックで見事なノックアウト。時期同じく激闘を勝ち上がるツインズ兄・江幡睦も目指すは、ムエタイ二大殿堂の軽量級域(スーパーフェザー級以下)では外国人(タイ人以外)が成し得ていない王座奪取を目指して丸4年。今年こそ勝負の年と宣言しています。

江幡塁vsニランノーイ。パンチ連打から左ハイキックが狙いどおり捕らえた江幡塁のKOシーン

本音が出てきた選手のマイクアピールの中で江幡塁が「本当のことを言うとやりたい選手がたくさんいます」と漏らしつつ、「僕らは新日本キックボクシングで生まれ、新日本キックボクシングで育ちました。僕たちにはやらなければいけない夢があります。それはムエタイのベルトを獲ることです。僕たち新日本キックボクシングが伝説の最先端にいることを僕たちが証明します。そしてこれから格闘技界はさらに盛り上がっていきます。そのカギを握るのが新日本キックボクシングだと思います」と熱い語り口で締め括りました。

重森陽太は瀬戸口の重いパンチが厄介そうで、長身で手足の長さと蹴りの強さで重森が上回るも、互いの距離の取り合いが勝負の分かれ目となる展開。終盤に組合う距離でのヒジ打ちが瀬戸口の眉間を切り、ヒジの連打と最後は膝蹴りでレフェリーが止めに入るTKO勝利で2度目の防衛。重森がマイクで話す中「ラジャダムナンスタジアムのベルトを狙うと同時に、いろいろな団体のチャンピオンとも絡んでいきたいと思っています」と言う他団体も視野にある発言が目立ちました。

重森陽太vs瀬戸口勝也。瀬戸口の厄介なパンチに慣れつつ、距離を詰める重森

斗吾は2015年9月に王座決定戦で対戦した今野顕彰を初回で倒す圧倒。前回(3R・KO)の打ち合いの激闘より早くあっさり倒してしまうも、まだ立ち上がろうとする今野でしたが、レフェリーの止め方は妥当なところ。初防衛した斗吾は前回の王座奪取戦に続き、お母さんをリングに上げてツーショット撮影を行ないました。こんな形の親孝行もいいものです。

緑川創は元・二大殿堂両スタジアムでライト級ランカーだったタナチャイをパンチで圧倒の勝利。

意外にも政治家挑戦をアピールした兼子ただし

45歳のストレッチトレーナー・兼子ただしがラストファイトをパンチでノックアウト勝利し、マイクアピールした内容はまたインパクトある発言でした。

「22年間キックボクシングをやってきました。少年院を出てすぐに東京へやって参りました。友達もいないところからキックボクシングを始めて心を磨いて頂きました。その結果が現在、ストレッチトレーナーとして毎日活躍させて頂いています。そのキックボクシングに恩返しをしたいと思っています。恩返しとは引退後に私が活躍することですので、政治家を目指したいと思っております。それがこのキックボクシングへの一番の恩返しと思っております。キックボクシングは殴る蹴るだけの競技ではなく、心を磨き人間を心強く育て上げるすばらしい競技だと思っています」(兼子ただし)

政治家になることがキックボクシングをメジャーに変える最高の恩返しと位置付けた兼子ただし。政治家は簡単になれるものではない世界ですが、兼子ただしは堅実に派手に選挙活動をこなすことでしょう。

元・TBSアナウンサー生島ヒロシさんの息子、生島翔さんがリングアナウンサーを務めた今回の興行、リングに立つ姿はさすがに俳優としての実力を発揮する力強いアナウンスでした。

◎MAGNUM.43 / 3月12日(日)後楽園ホール17:00~20:40
主催:伊原プロモーション / 認定:新日本キックボクシング協会

重森陽太vs瀬戸口勝也。距離を掴んだチャンスに重森が右ヒジを叩き込む直前

◆56.0kg契約 5回戦

WKBA世界スーパーバンタム級チャンピオン.江幡塁(伊原/55.8kg)
VS
ニランノーイ・ペップームムエタイ(タイ/54.6kg)
勝者:江幡塁 / TKO 3R 1:51 / レフェリーストップ

◆日本フェザー級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.重森陽太(伊原稲城/57.0kg)
      VS
同級4位.瀬戸口勝也(横須賀太賀/56.7kg)
勝者:重森陽太 / TKO 5R 2:07 / レフェリーストップ

瀬戸口勝也vs重森陽太。太ねじ伏せるようにパンチとヒジ打ちでダウンを奪う重森
緑川創vsタナチャイ。試合をコントロールし、倒すタイミングを探る緑川創

◆日本ミドル級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.斗吾(伊原/72.5kg)
VS
同級1位.今野顕彰(市原/72.3kg)
勝者:斗吾 / TKO 1R 2:26 / レフェリーストップ

◆70.0kg契約 5回戦

緑川創(前・日本W級C/藤本/70.0kg)
VS
タナチャイ・ソー・ラックチャート(タイ/69.2kg)
勝者:緑川創 / TKO 3R 0:26 / レフェリーストップ

タナチャイvs緑川創。左フックで倒した緑川創
斗吾を囲む生島親子、和田レフェリー、伊原代表。なかなか無いリング上ショット

◆59.0kg契約3回戦 

日本フェザー級9位.兼子ただし(伊原/59.0kg)
VS
タークバイ・ペップームムエタイ(タイ/58.8kg)
勝者:兼子ただし / KO 1R 2:23 / テンカウント

前半6試合は割愛します。

生島翔さん、リングアナウンサーも力強いコールで全試合をこなす

◆取材戦記

今野顕彰(=今野明/市原)が王座決定戦での斗吾戦に続き、またも斗吾に倒され王座奪取成らず。昨年、蘇我英樹が引退し、「市原興行は今年で終了」と宣言していた市原ジム小泉猛会長でしたが、今野顕彰がチャンピオンに成れば興行継続かと勝手に思っていましたが、その可能性は無くなりました。

喜多村誠はムエタイ王座へアピールしたいところで判定負け。重量級域での外国人挑戦者の王座奪取が目立った昨年から今年のラジャダムナンスタジアムですが、日本では喜多村誠、斗吾、緑川創が狙っているところ、どう進展するのか何か動きが欲しいところです。

兼子ただしは1998年7月デビューしたその勝利後、私の方に向かってファイティングポーズをとりました。「撮ってくれ!」という無言のアピールでした。それまで何の面識もありませんでしたが、ポーズ構えているものを無視できず、とりあえず撮りましたが、当時はまだモノクロフィルムでした。メインイベントクラスの紙面用ではなかったので、自己負担と責任で家でモノクロ現像。「あっ、しまった現像時間間違えた」と思うミスをしましたが、プリントするには問題ない仕上がりでこれも自家手作業プリントで後日渡してあげました。当時は紙焼きプリントはまだ喜ばれる時代。彼は感謝の気持ちを、電話はかけてくれるは年賀状はくれるは、「伊原ジムは怖いから取材に行ったら助けてね」なんて冗談もまともに受けてくれましたが、なかなか律儀に恩を返してくれる選手でした。4年前、日本フェザー級王座挑戦は失敗した兼子ただしですが、今後の政界挑戦を見守りたいものです。

この日、勝利した伊原ジム4人衆と江幡睦とラウンドガール

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

『紙の爆弾』タブーなきスキャンダルマガジン