江幡ツインズ、新たな伝説への挑戦!

新日本キックボクシング協会の前身となる日本キックボクシング協会が12年の年月を経て復興したのは1996年3月でした。当時、比較的安定していた3団体あった中のひとつのMA日本キックボクシング連盟から突然の脱退。諸々の原因と経緯は省略しますが、あれから本当に早い20年でした。

そして記憶に残る多くのチャンピオンが誕生しました。そんな中で、タイ国の殿堂ラジャダムナン王座奪取した武田幸三、石井宏樹の存在は日本国内戦に於いても大きい存在感がありました。そして今、江幡ツインズが新たな伝説に残る存在に挑戦中です。

MAGNUM.40 / 3月13日(日)後楽園ホール17:00~21:10
主催:伊原プロモーション / 認定:新日本キックボクシング協会

◆56.5kg契約5回戦

WKBA世界スーパーバンタム級チャンピオン. 江幡塁(伊原/56.3kg)vs グライペット・ポー・タワッチャイ(タイ/56.3kg)
勝者:江幡塁 / 2-0 (主審 少白竜 / 桜井 49-47. 宮沢 49-49. 仲 49-48)

グライペットvs江幡塁。ラストラウンドに江幡がラッシュするが、体幹が崩れないグライペット

江幡ツインズも25歳。ラジャダムナンスタジアム王座初挑戦の年からやがて3年が経過になります。2度目の挑戦を目指す塁は、これまで6連勝(4KO)中3連続KO勝利。その塁の相手は元・ラジャダムナン系スーパーバンタム級9位という“元”であってもそう遠い昔ではない実力を持った選手。被弾しながらも戦う中で相手の弱点を見つけ、KOに結び付ける展開が多かったところ、今回の相手はいくら攻めても怯まず、鋭く重い蹴りで返され、江幡の腕や脇腹が赤く腫れていく力強さが目立ちました。塁本人に反省点はあるでしょうが、それでも的確さと手数で優り、観てる側からすれば攻防あるいい試合になって僅差ながら勝利を掴みました。

江幡の連打でも崩れないグライペット

◆日本フェザー級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.重森陽太(伊原稲城/57.0kg)vs 2位.石原將伍(ビクトリー/56.9kg)
勝者:重森陽太 / 3-0 (主審 椎名利一 / 桜井 49-48. 宮沢 50-47. 少白竜 49-47)

昨年10月、内田雅之(藤本)から王座を奪った重森陽太は初防衛戦として、パンチの強い石原將伍を警戒しつつ、長身の有利さを利して後半から鋭い蹴りで差をつけて判定勝利。

石原將伍vs重森陽太。後半、攻めに出た重森の伸びるハイキックはいつもながら威力がある

◆日本フライ級王座決定戦 5回戦

1位.泰史(伊原/50.8kg)vs 2位.石川直樹(治政館/50.8kg)
引分け / 三者三様 / (主審 仲俊光 / 椎名 49-49.10-9 / 宮沢 48-49.9-10 / 少白竜 49-48.10-9)

麗也(治政館)が返上した王座を泰史と石川直樹が争い、三者三様の引分け。延長戦により2-1で泰史が第8代日本フライ級チャンピオン。公式記録は引分け。

石川直樹vs泰史。決定打に欠ける展開ながら諦めない攻防が続いた日本フライ級王座決定戦

◆70.0kg契約5回戦

緑川創(前・W級C/藤本/70.0kg)vs 喜多村誠(前・M級C/新潟/69.5kg)
勝者:緑川創 / 2-0 (主審 桜井一秀 / 椎名 49-49. 仲 50-49. 少白竜 49-47)

“前・日本チャンピオン”対決は緑川創が僅差の判定勝利。ムエタイ王座を目指し、日本王座を返上した状態ではあるが、“現在”の地位が無いため、一般からみれば“第一線級を退いた”かのような印象である。何らかの肩書が欲しいところ。

緑川創vs喜多村誠。ムエタイ王座挑戦者決定戦のような図式の結果は緑川の勝利

◆73.5kg契約3回戦

日本ミドル級チャンピオン.斗吾(伊原/73.5kg)vs ヨードチャット・プーケットトップチーム(タイ/73.2kg)
引分け / 1-0 (29-29. 29-29. 30-28)
チャンピオンとしてもどかしい試合が続く斗吾はまたも消化不良の引分けに終わる。

◆バンタム級3回戦

日本バンタム級1位.HIROYUKI(藤本/53.5kg)vs同級5位.勝岡健(伊原稲城/53.5kg)
勝者:勝岡健 / 0-3 (28-29. 28-29. 28-29)
日本フライ級王座を麗也に奪われ、バンタム級に転向したHIROYUKIは、パワー不足か、勝岡健にダウン奪われる失点の判定負け。巻き返す底力は前チャンピオンの意地。2階級制覇は遠のいたが、20歳の若さで再浮上に期待。

◆他、6試合

4月17日(日)のTITANS NEOS.14では江幡睦がフォンペート・チューワタナ(タイ)と5度目の対戦。過去、キックで2勝。ラジャダムナン・バンタム級タイトルマッチで2敗。フォンペートも王座を手放し、タイトルは懸かりませんが、今度はノックアウトで圧倒する勝利が期待されます。弟の塁が再ランク確実視される中、睦はフォンペート越えを果たさないと再度のランクインは難しいところでしょう。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

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9試合すべてがビッグマッチだったNO KICK NO LIFEの白熱!

「この日の為にこの一年を生き、この日に賭けている。5回戦ヒジ打ち有ルールは僕がキックを始める以前からあった基本」。そんなRIKIXジム・小野寺力会長の原点となる意気込みの集大成は、「つまらない展開になったり、判定決着もあるかもしれないが、ファンにワクワクして来てもらいたい」というマッチメイクには満足しているという全9試合。

拘りルールはすべてを貫けない状況ではありますが、観衆が集中力を切らさず、好カードを満喫できる長過ぎない時間と総ラウンド数を心掛けるというNO KICK NO LIFE興行。

ビッグマッチ揃いだけに、この日はちょっと長くなってしまいましたが、大田区総合体育館での開催は3年連続。“キックの日”を掲げていこうと毎度の2月11日(祝日)を押さえるのは難しく、今年は3月12日となりましたが、日時より手頃な広さの大田区総合体育館をキックボクシングのメイン会場に定着させて欲しいものであります。

昨年2回O-EAST渋谷で開催された興行も、平日夜でも主要駅の渋谷で仕事帰りのサラリーマンも立ち寄りやすい手応えで、今年も2回予定されています。

◆42歳の大月晴明と44歳の立嶋篤史は気になる存在

すべてが好カードでしたが、気になる存在は42歳の大月晴明と44歳の立嶋篤史。大月は前口太尊にヒジで切られ、激しい流血でストップされましたが、4月10日の市原での蘇我英樹(市原)戦は出場の予定(この日の試合後の意見)。息子に生き様を見せ続ける立嶋篤史は経験値からくる戦略は見事で、徐々に19歳の藤野伸哉を接近戦でのボディブローでたじろがせる攻めも見せつつ、3回戦では巻き返す時間は少なく、藤野の手数と的確さが優りました。

前口太尊(右)にノーガードで打たせる場面も見せた大月晴明(左)、頭部の傷は問題ないとアピール

「5回戦は3回戦で終わる展開にはない4ラウンド目からのスタミナ重視の展開がある。特に首相撲に捕まれば激しいスタミナ消耗になり、組み負ければそのままヒザ蹴りの餌食、それに打ち勝つにはその練習も充分でなければならない。総合力が必要な競技ですよ」

2003年頃、まだキックボクシング自体が5回戦から3回戦に短縮する前の頃、“新人3回戦”に対する戒めとして語ってくれたある古いジム関係者がいました。その後、そんな基本に逆行するかのように“ランカー以上の3回戦”がどこの団体でも定着してしまいました。テレビ重視の影響を受け過ぎてはいけないと言った関係者も多かったところでしたが、その“3回戦勢力”は増すばかりでした。今後のキックボクシング競技本来の完成度に期待して、4ラウンド目から差が出てくる5回戦本来の醍醐味をNO KICK NO LIFEでは魅せていってもらいたいものです。

◆59.2kg契約5回戦
WBCムエタイ世界スーパーフェザー級チャンピオン.梅野源治(PHOENIX/27歳/59.2kg)
VS
スターボーイ・クワイトーンジム(元・WPMF世界SFe級C/タイ/24歳/59.0kg)
引分け / 1-0 (主審 大成敦 / 小林 48-47. 大村 48-48. 玉川 48-48)
「梅野はパンチとローキックが強いからヒジを合わせろ」
タイのトップクラスにも研究されているという、日本人で最もムエタイ殿堂王座に近い梅野源治の戦法スタイル。減量でいつも以上に体重が残り、思うように動けずスピード遅く、当たっているけど倒せないもどかしさが残る展開だった様子。その打って出たパンチに合わせ、スターボーイが狙った右ヒジ喰らってダウンし、「またやっちゃったな。今後もこれまで以上に頭使って臨機応変に瞬時に動かないとタイだと厳しい結果になるだろう」と今後もより険しいムエタイロードになると反省する梅野源治。厳しい立場ではあるが、こんなタイトップクラスに警戒される存在であることに誇らしい想いであるファンは多いでしょう。

スターボーイvs梅野源治。一瞬の隙を突いてのヒジ打ちも高度な技術

◆55.4kg契約5回戦(ヒジ打ち禁止)
RISEバンタム級チャンピオン.那須川天心(TARGET/17歳/55.3kg)
VS
WBCムエタイ・インターナショナル・スーパーバンタム級チャンピオン.宮元啓介(橋本/23歳/55.6→55.5→55.4kg)
勝者:那須川天心 / TKO 2R 0:26 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 北尻俊介
「那須川天心は倒しに行って飛びヒザ蹴りでキッチリ仕留める、魅せる技を持った選手、今後、ヒジ打ち有ルールでどこまでできるか、タイのトップクラスにぶつけてもいい」と語る小野寺氏。宮元啓介を倒してしまうパンチと蹴りの速さとタイミングで次々と日本のトップクラスを撃破することに驚きですが、今後、5回戦ヒジ打ち有でも勝ち進めるか、また数々の好カード実現に期待が掛かります。

調子を上げる前に劣勢となった宮元啓介(右)、物怖じしない那須川は先手を打って一気に攻めた

◆59.5kg契約5回戦
WPMF世界スーパーフェザー級チャンピオン.町田光(橋本/28歳/59.4kg)
VS
森井洋介(ゴールデングローブ/27歳/58.7kg)
勝者:森井洋介 / TKO 4R 0:03 / 主審 大村勝己

町田のスネの裂傷で骨が見えるほどの深い傷、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ 頭部のカットもあってドクターチェックを受けるも、スネの方の深さに視線が行き難かった。

◆65.5kg契約5回戦
ザカリア・ゾウカリー(オランダ/21歳/65.1kg)vs 水落洋祐(はまっこムエタイ/31歳/65.5kg)
勝者:ザカリア・ゾウカリー / TKO 5R 2:28
頭部負傷によるドクター勧告を受入れレフェリーストップ / 主審 玉川英俊

◆62.5kg契約3回戦
大月晴明(元・全日本ライト級C/キックマスターズマスクマン/42歳/62.4kg)vs 前口太尊(RHOENIX/29歳/62.5kg)
勝者:前口太尊 / TKO 3R 0:47
ヒジでカットされた頭部負傷箇所の悪化でレフェリーストップ / 主審 小林利典

◆63.0kg契約3回戦
SHIGERU(元WPMF世界SFe級暫定C/31歳/新宿レフティー/63.0kg)vs セーンアーティット・ワイズディー(タイ/26歳/63.0kg)
勝者:セーンアーティット・ワイズディー / 0-2 (主審 大成敦 / 玉川 30-30. 小林 28-29. 大村 29-30)

◆63.0kg契約3回戦
佐藤琉(エイワスポーツ/34歳/63.0kg)vs 長谷川健(RIKIX/31歳/63.0kg)
引分け / 1-0 (主審 北尻俊介 / 大成 29-29. 小林 29-29. 玉川 30-29)

◆ウェルター級3回戦
KENGO(RIKIX/31歳/66.6kg)vs 遊佐隆介(チームサムライ/21歳/65.0kg)
引分け / 三者三様 (主審 大村勝己 / 北尻 29-29. 小林 30-29. 大成 29-30)

◆58.0kg契約3回戦
立嶋篤史(元・全日本フェザー級C/44歳/58.0kg)vs 藤野伸哉(RIKIX/19歳/57.8kg)
勝者:藤野伸哉 / 0-3 (主審 玉川英俊 / 北尻 29-30. 小林 28-30. 大成 28-29)

スピードと手数で優る藤野伸哉(右)、打たれモロいが、ジワジワ盛り返すしぶとさを誇る立嶋篤史(左)

◆解説者もアナウンサーも皆、素晴らしかった!

2年連続の解説者の石井宏樹と、いくつもの格闘技実況も長く、人気も上がっている市川勝也アナウンサー

全9試合、リングアナウンサーとして登場した一人目、三遊亭貴楽さんは1985年からリングアナウンサーを始めた方で、当時の日本キックボクシング連盟、MA日本キックボクシング連盟、全日本キックボクシング連盟、ニュージャパンキックボクシング連盟へ移りつつコールされてきています。当時現役だった伊原信一氏、斉藤京二氏をもコールしている古い方で、小野寺力氏がキックデビュー前からお気に入りだった貴楽リングアナウンサーでした。

二人目、ハリー杉山さんはフジテレビの「ノンストップ!」月曜~木曜担当の方。
セミファイナルとメインイベントを担当した福沢朗さんは説明するまでもない元・日本テレビアナウンサーの有名な方。多様なリングアナウンサーが揃ったNO KICK NO LIFEでした。

メインエベンターとプロモーターの主役2人、梅野源治(左)と小野寺力(右)
主な出場選手と賑やかに揃ったラウンドガール10人

◎NO KICK NO LIFE 2016 / 3月12日(土)大田区総合体育館17:05~21:00
主催:RIKIXジム
放送:「TOKYO MX 3月31日(木)24:00~24:30、4月7日(木)24:00~24:30」
「スカパー!サムライTV 3月24日(木)22:00~24:00」
前日公開計量:3月11日 品川区東大井 ムーヴアクション(株)19:00~19:40

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

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「武蔵」より「小次郎」が強かった! キックボクシングのリングネーム変遷史

「がんばれ、ひでりん」。これはかつて存在したリングネームなのですが、さすがにこの手の応援ニックネームは流行りません。「○」。これもかつて存在したリングネーム。かなり前の話ですが、さすがに記号はやめてもらいたいと思いました。「○が勝ったら○○、負ければ○●では活字原稿では表現できません。下手に 、。「 」も( )も補助し難いですね。

タイガー大久保=大久保貴司。タイガーマスク全盛期、タイガー名も流行った頃(1983.3.19)

過去、キックボクサーのリングネームは多種多様に存在しました。ただし、もし仮にJBC管轄下のプロボクシングだったら却下されるリングネームは多く存在します。昭和の時代には本名であっても硬い名前が多かったように思います。実際にアグレッシブな試合に打たれ強さが伴う骨太の体格と闘志がある選手が大勢いました。

昭和50年代の日本フライ級チャンピオンの、佐々木小次郎(千葉)も10度防衛する実力で名勝負を展開していました。因みに宮本武蔵も大成しませんでしたが存在しました。

キックボクシングの代名詞となった「沢村忠」は空手家の中村忠氏からアレンジしたリングネームでした。欠場選手の代打として名前だけがポスターやチケットに刷り込まれ、その沢村忠となる選手が決まっていなかったというキックボクシング初興行のエピソードも存在しましたが、白羽秀樹という空手家が出場し、沢村忠として、全国的スターに成長しました。

外来語がファーストネームに入るパターンは、創生期初期は比較的少なく、後には名選手となって日本ライト級チャンピオンに上り詰めたロッキー藤丸(西尾)がいました。他に、アトム鈴木(後にチュー千景)とミッキー鈴木の双子の兄弟、ポパイ貞夫、シーザー武志、スネーク佐保田、バズーカ岸浪、レイモンド額賀、タイガー大久保などがいましたが、リングネームとはわからない一般的姓名型リングネームも多く存在しました。稲毛忠治は松田忠が本名でした。

富山勝治の本名は勝博。花形満との日本ウェルター級王座決定戦から改名。リー・チャンゴンレフェリーの日本名は岩本信次郎(1983.11.12)

現在、宮越宗一郎、慶二郎の本名でチャンピオンとして活躍する兄弟の父親は、ベニー・ユキーデとも対戦した内藤武でした。プロレス技で翻弄したのは翼五郎、その他、一字違いや読み方違いなど含めると数限りなく存在するでしょう。

ひとつの名称を継承していくパターンでは仙台青葉ジムに「ヤンガー」を4代目まで引き継がれた例もあります。1974年(昭和49年)頃から初代として、ヤンガー石垣を名乗った全日本フェザー級ランカーで、後の轟勇作。1978年のデビュー後、2代目となるヤンガー舟木を名乗った後の船木鷹虎は本名が船木実。全日本ウェルター級チャンピオンとなり、平成に入り3代目となったヤンガー秀樹は後に小国ジムに移籍し、伊達秀騎に改名しています。4代目が現役のヤンガー真治で、藤原ジムに移籍後、J-NETWORKスーパーライト級チャンピオンに就いています。

時代が混沌としていき、だんだん緩やかになっていったのは、現役選手が引退した後、ジム運営し、会長として仕切りだした1990年代からでしょう。ひとつのエピソードですが、元・日本ウェルター級チャンピオンの向山鉄也氏が引退後の1993年春、所属していたニシカワジムを引き継ぎ、元々所有していた「キングジム」と改名後、開設してから、選手に独断でユニークなリングネームを付け出しました。

田中信一は田中小兵太のリングネームでも戦っています(2001.11.9)

小出万吉、北川銀次郎、童子丸、杉本金太郎、寺井桃太郎、佐藤塩吉、トムヤムくめ、赤十字竜、東京ポンタという選手は、リングアナウンサーが「コールするのが恥ずかしい」と却下され、嵐ポンタに落ち着いたようで、デビューしなかった練習生にも的を得たリングネームを着け、災難を逃れたのはキングジムの前身、ニシカワジムでデビューし、日本フライ級チャンピオンに就いた赤土公彦選手でした。向山会長が選手の名前(本名)をすぐ忘れるため、ユニークネームを付けたがるという理由が隠されていたという古い裏話があるようでした。

この辺はまだまとまっているリングネームですが、業界内は、より一層自由奔放なリングネームが広まっていきました。

苗字を省いた、個人名だけとなるもの。マサル、アタル、テヨン、健太、一輝、勝次、志朗、日菜太。アルファベットを並べたMOMOTARO、TOMONORI、TOMOYUKI、HIROYUKI、TATSURO、SEIITSU、などもここ数年で流行り出しました。

個人名だけでは他人として呼びにくい心の距離感や「苗字から読める祖先の由来が感じられない」という日本人特有の声もあります。この単独の個人名だけや、アルファベットを並べたものはプロボクシングJBC管轄下では認められません。姓・名や外来語による2単語以上が原則のようです。

志朗の本名は松本志朗。タイと日本で活躍中(2016.1.10)

キックボクシングでは各団体とも、そこまでルールが徹底しておらず、競技としての進化は著しいものの、リングネームに限らず、直接試合とは離れた部分のルール面の分析力が疎いのが現状でしょう。「それにしても最近は外来語が頭に付くリングネームが少なくなりましたね」とはあるジム会長の声でした。

タイ選手の場合は日常からニックネームで呼ばれることがほとんどで、本名で呼ばれることは公共の場のみでしょう。ムエタイではリングネームがジムから与えられ、頭に個人選手名、下はジム名やスポンサー名が付く場合がほとんどです。昔の有名選手で、センサック・ムアンスリンは、ムアンスリンジム所属、パーヤップ・プレムチャイは、レムチャイジム所属、パークタイ・リポビタンディーというスポンサー名が付く選手もいました。

ゲーオ・フェアテックスはフェアテックスジム所属。フェアテックスはタイでも有名なボクシング用品メーカー

竹山晴友を下した、アルンサック・チャイバダンはその名前どおり、チャイバダンジム所属、その後、タイでは廃業状態で、日本ではアルンサック・ユーバンルンと呼ばれましたが、「ユーバンルン」は本名(ファミリーネーム)という、こんなあまりないパターンも存在しました。日本で結婚したユタポン・ウォンウェンヤイは、ユタポン前田というリングネームでプロボクシングで全日本新人王を獲るまで戦いました。

プロボクシング世界ランキングでは、最初にランクインしたリングネームをそのまま継続される習慣があるようで、タイ選手が頻繁に名前を替えるので、収拾がつかない為という規制があるようです。

各国の習慣や仕来たりはあるでしょうが、日本では基本的に本名で戦って頂きたいと思う高齢者の愚痴が増えそうなこの頃ですが、願い叶わず、更に変化して行くのが自然の摂理で、今後どんなリングネームが流行りだすか、予想するのも楽しい時代になるかもしれません。しかし、○×や記号数字などはやめてもらいたいところです。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』!
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如月の乱! ニュージャパンキックボクシング連盟20周年、新たな飛躍へ!

ニュージャパンキックボクシング連盟(NJKF)が今年で満20周年を迎えました。NJKFは1996年7月、全日本キックボクシング連盟から脱退し、同年10月6日に東京ベイNKホールで初興行を開催。初代代表理事の藤田真氏が高齢により退任した2007年からは斉藤京二氏が第2代代表理事に就任。2009年には当時のMA日本キックボクシング連盟との統一的な王座として「WBCムエタイ日本王座」を創設しました。

2014年には国内初のWBCムエタイ世界戦を開催(梅野源治と大和哲也が奪取)に漕ぎ着け、昨年8月に15歳以下のWBCムエタイ・ジュニアリーグも開催、この団体の本道であるNJKF王座戦も従来のタイトル戦ではない、過去2回NEW JAPAN WARSとして挑戦者決定トーナメント戦として王座とランキングの充実が図られました。

◆やると言ったら諦めない──斉藤京二理事が実現した「WBCムエタイ日本王座」

2010年頃、斉藤京二理事が業界を指し、「過去、どれだけ統一を図りながら崩壊してきたことか、だがこのWBCムエタイは必ず成功させる」と語り、やると言ったら諦めない斉藤氏の姿勢はそのはるか昔の選手現役当時からでした。

WBCムエタイ(タイ・バンコク本部)はプロボクシングのWBC公認の傘下団体で、世界王座、インターナショナル王座の下、日本実行委員会目線で見れば、日本王座の下に2つの団体、NJKFとJKI(MA日本キック連盟から脱退し設立した日本キックボクシングイノベーション)を置き、構築したピラミッド型組織を作り上げてきました。

今後、選手層が充実し、世界王座と各傘下王座が活性化し、各メディアが注目すれば「メジャー化」と言える段階に立ちますが、現実的にはそう簡単なものではありません。この日の試合も観客席は満席には埋まらず、メインイベント(最終試合)に近付くにつれ観客の数が減り、正に身内・仲間内の試合が終われば帰ってしまう現象は毎度のこと。この競技が世間一般に浸透していない現状が伺える光景でした。そんな中でもメインイベントまで、プロボクシングの迫力に負けない高度な技術の展開が続き、元プロボクシング関係者重鎮もキックボクシングの可能性に注目し毎度立ち会う姿が見られます。手段は違えど縦の組織造りは他団体にもあり、乱立が生む悪循環の中でも興行の充実と観客動員を凌ぎあっている現状が続いています。

◆NJKF 2016 1st
2月21日(日)後楽園ホール17:00~20:35 主催:ニュージャパンキックボクシング連盟(NJKF)

24戦目で初タイ人との対戦となったテヨンは破壊力増すパンチと蹴りで、一瞬即発の打ち合いに2度のダウンで失神状態のセイサックをレフェリーが止めるTKO勝利。セイサックの来日戦績はこれまで日本国内チャンピオンクラスに1勝1敗ながら、健太(ESG)にヒジで敗れるも攻勢の展開も見せた実力者で、テクニックで日本人の前に立ちはだかる壁となる存在。

セイサック・エスジムvsテヨン
破壊の激闘王、テヨン

テヨンは2011年8月デビューし、父親もチャンピオンになった血筋から、似たファイトスタイルで実力の片鱗は見えている中、期待通り2014年2月にNJKFスーパーライト級王座に就き、同年7月にWBCムエタイ日本スーパーライト級王座に就きました。現在は日本からインターナショナル王座へステップアップを図り、今、日本のトップクラスに立っている高度成長の経験値で今年の飛躍が期待されます。

健太は2年前に対戦して判定勝利している笹谷純と再戦。前回は挑戦者決定戦となる5回戦で、今回はノンタイトル3回戦ながらまたも圧倒する内容で判定勝利。2008年から2階級で王座獲得経験を積み、危険を回避せず、他団体チャンピオンとも対戦経験豊富なベテランの域に達している健太は3月21日(月・祝)ウィラサクレック興行で、先月NKBで大和知也(SQUARE-UP)を下したWPMF世界スーパーライト級チャンピオン.ゴンナパー・フェアテックス(タイ/対日本人戦績10戦10勝6KO)との対戦が予定されています。

年間表彰式で最優秀選手賞獲得し、挨拶する悠矢(大和)

NJKF 2015年度 年間表彰式がリング上で行なわれました。

突き上げる右ヒジ打ちで攻める健太

最優秀選手賞:悠矢(大和)
殊勲賞:健太(ESG)
技能賞:MOMOTARO(OGUNI)
努力賞:浅瀬石真司(東京町田金子)
新人賞:大田拓真(新興ムエタイ)
最高試合:健太(ESG)vs大和侑也(大和)

▼64.5kg契約3回戦
WBCムエタイ日本スーパーライト級チャンピオン.テヨン(中川勝志/キング/22歳/64.16kg)
          VS
セイサック・エスジム (タイ/23歳/64.2kg)
勝者:テヨン / TKO 2R 1:26 / 右ストレート、ノーカウントノレフェリーストップ / 主審 多賀谷敏朗

▼67.0kg契約3回戦

健太(前WBC・M日本ウェルター級C/ESG/28歳/66.95kg)
          VS
笹谷淳(TANG TANG FIGHT CLUB/40歳/66.85kg)
勝者:健太 / 3-0 (主審 中山宏美 / 副審 多賀谷 30-28. 小林 30-28. 竹村 30-29)

▼NJKFバンタム級タイトルマッチ 5回戦

後ろ蹴りがボディにヒット、前田浩喜が守屋将をあっさりKO

チャンピオン.前田浩喜(CORE/34歳/53.5kg)
          VS
1位.守屋将(新興ムエタイ/24歳/53.45kg) 
勝者:前田浩喜が初防衛 / KO 1R 2:08 / 後ろ蹴り(バックスピンキック)がボディにヒットしテンカウント / 主審 山根正美

▼NJKFスーパーウェルター級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.YETI達朗(キング/31歳/69.6kg)
          VS
1位. 白神武央(拳之会/27歳/69.8kg)
勝者:白神武央が第5代チャンピオン / KO 2R 1:29 / ヒジ打ち顔面連打でテンカウント / 主審 小林利典

▼WBCムエタイ ジュニアリーグ東西対抗戦50kg以下3回戦(1分30秒制)
東日本代表.大田一航(神奈川県厚木市立南毛利中学校2年生) 
          VS
西日本代表.林佑哉(広島県福山市立松永中学校3年生) 
勝者:大田一航 / 3-0 (30-29. 30-28. 29-28)

▼NJKFスーパーフェザー級王座決定戦 5回戦

1位.鈴木翔也(OGUNI/28歳/58.9kg)
          VS
2位. 北野克樹(誠至会/19歳/60.8kg)
勝者:鈴木翔也が第5代チャンピオン / 2-1 (主審 多賀谷敏朗 / 副審 小林 49-48. 竹村 49-48. 山根 48-49)
北野克樹1.83kgオーバーで計量失格。

流血を伴なう激闘を制した鈴木翔也(OGUNI)

▼NJKFフェザー級王座決定戦 5回戦  

1位. 阿羅斗(ESG/27歳/57.1kg)
          VS
2位. 半田一覇(誠至会/19歳/56.9kg) 
勝者:半田一覇が第9代チャンピオン / TKO 2R 1:37 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 中山宏美

▼NJKFフライ級王座決定戦 5回戦

1位. 大槻直輝(OGUNI/33歳/50.45kg)
          VS
4位.山下Spankey博史(誠至会/30歳/50.7kg)    
引分け三者三様 (主審 山根正美 / 副審 中山 49-49. 竹村 49-48. 多賀谷 48-49 / 延長戦三者とも9-10で山下Spankey博史の勝利、第9代チャンピオン)

NJKF若武者会主催DUEL.4は3月6日(日)海老名市総合体育館にて。
PITジム主催「絆」は4月3日(日)埼玉ふれあいキューブにて。
NJKF 2016.2ndは4月10日(日)後楽園ホールにて開催されます。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

◎ムエタイ日本人の壁──活躍する在日タイ人選手と来日タイ人選手の裏事情
◎芽が出始めたムエタイ新時代──タイで通用する若手選手が続々出現!
◎強くなるためにタイへ行く!日本キックボクサー「ムエタイ修行」今昔物語
◎ルール変更の紆余曲折から辿る日本キックボクシング界の栄枯盛衰クロニクル

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』7日発売!

チャンピオンベルトは誰のものか?──王座の証をめぐるキック界四方山物語

「このベルトは俺のものだ、誰にも渡さない」
「いや、そのベルトは俺が頂く」

JBC認定日本Cベルト。初代コミッショナー名入り(後楽園ホールに掲示中)

タイトルマッチを行なうチャンピオンベルトを争う舌戦で、ボクシングでもキックボクシングでも、こんなやりとりが昔からありました。また単にチャンピオンの象徴だけでなく、チャンピオンベルトも時代とともに美しく進化して来ました。古き良きものもあり、そこに注目する価値も生まれます。

◆チャンピオンベルトは持ち回り制か?

現在のJBC認定日本Cベルト。IWGPに似た形(掲示中)

チャンピオンベルトは持ち回り制という形で、挑戦者が勝ってチャンピオンは陥落した際にそのベルトは新チャンピオンに回ってくるのが一般的で最も分かりやすい流れですが、そのシステムが機能しているのが、現在のプロボクシングJBC管轄下の日本タイトルで、キックボクシングの各団体でもこの持ち回り制になっているところがほとんどです。

このシステムの上では「誰にも渡さない、いや俺が頂く」対話は成り立ちますが、「チャンピオンベルトはその代のチャンピオン個人のもの」と限定される場合が存在します。

これは一般ファンの方から観れば一見不可解に感じられるかもしれませんが、昔から存在する形で、プロボクシングでは現役当時、具志堅用高が巻いていたベルトもガッツ石松が巻いていたベルトも皆当時の世界チャンピオンがすでに名前入りで個人所有するものでした。後援会から贈られる場合がほとんどと思われます。WBAやWBCの認定団体から贈られるものではなかったのですが、後にこれらの認定団体が造るベルトが存在し、渡されるようになりました。

WBC山中慎介&WBA内山高志 2014.1.24

◆数万円から十数万円でチャンピオンベルトを購入する現実

現在の世界戦では、挑戦者が勝った時点で、リング上でそれまでチャンピオンだった側のベルトを渡されて腰に巻き、控室に帰ってから前チャンピオンに返し、その数日~数週間後、新チャンピオンは認定団体から新しいチャンピオンベルトが送られて来るのを待つということになります。

この場合、チャンピオンベルトを買うことになるようです。それはその選手の知名度によりますが、数万円程度から十数万円と言われ、何か納得いかない気もしますが、ベルト造るにも経費と手間が掛かり、これが現実でしょう。

◆一生自分のものとして手元に置いておけるムエタイ二大殿堂のベルト

ムエタイ、ルンピニースタジアムCベルト。サガッペット・イングラムジム所有 2006.6.4獲得

これはムエタイのルンピニースタジアム、ラジャダムナンスタジアムでも同様のシステムです。「お前のチャンピオンベルトは俺のものになる」と言う挑戦者がタイ国にはいないと思いますが、その固有のベルトは相手に渡らず、ムエタイのベルトは選手個人名(リングネーム)が刻まれるので、正に一生自分のものとして手元に置いておけます。

ムエタイ、ラジャダムナンスタジアムCベルト。ジョイシー・イングラムジム所有 2013.7.4獲得

どの競技も団体乱立が進み、各王座ベルトのデザインも派手になったり、大きくなったり変化がありました。しかし、ムエタイ二大殿堂のラジャダムナンスタジアムは創設70年の歴史を持ち、若干のデザイン変更はあるものの形は変わらず、ルンピニースタジアムは創設60年で、デザイン・形とも変わらないようです。

二大殿堂に敵わぬも世界王座が幾つも君臨するムエタイ世界王座のベルトは、WPMFがシンプルに形取られたもので、基本的にベルトは持ち回り制です。ただ、本人が希望すれば名前と獲得年月日が入ったベルトを注文出来るという形です。WBCムエタイは本家WBCの型が見た目の形そのままで、ムエタイらしさのデザインが加わっています。

◆主催団体がチャンピオンベルトを忘れてきた!

キックボクシングに於いて、過去に本当にあった話ですが、「チャンピオンベルトにカビが生えていた。どこに保管していたんだ、あいつ(前チャンピオン)。」と嘆く新チャンピオンや、チャンピオンのアパートが火事になってチャンピオンベルトも燃えてしまったという話もありましたが、王座剥奪はされなかったようです。

日本キックボクシング協会チャンピオンベルト。須田康徳(市原)1984.10.7

全盛のMA日本キックボクシング連盟の初期の頃(1985年頃)では、チャンピオンベルトは連盟事務局が保管していたようでした。タイトルマッチの時に連盟事務局から持ち出されるというもので、個人保管では紛失される、持って来るのを忘れるといった事態を避ける意味があったようです。チャンピオン個人が撮影に使いたい、祝勝会で披露したいという場合は持ち出し可能でしたが、王座に君臨している間だけでも自分のものだから、自分で持って居たいチャンピオンも多かったことでしょう。

近年では、ある主催団体側がチャンピオンベルトを忘れてきたこともあり、無いものは仕方がないと潔く、ベルト掲揚無しで王座決定戦が行なわれていましたが、後の興行で新チャンピオンに手渡しされていました。

キックボクシングの老舗、日本キックボクシング協会が創生期から活動休止に至るまで使用された型が、日本ライト級最終チャンピオン、須田康徳(市原)が巻くベルトでした。日本全7階級と東洋王座も同様のベルトで沢村忠(目黒)が巻いたのもこの型でした。近年のものと比べると見た目粗末な感じがしますが、皆これを目指して全国から血気盛んな若者が上京してきたのでした。

須田康徳氏が巻いているこのベルトには小さな5つのダイアモンドが埋め込まれていましたが、すべて、ほじくり出された跡があり「元チャンピオンらが一個ずつ盗っていったかな」なんて笑うトレーナーがいました。

日本系復興(複製)Cベルト。小野寺力(目黒)1999.1.30

小野寺力(目黒)が巻いたのは同・協会が復興した1996年5月に、日本フェザー級王座を奪取した時の複製版ベルト。デザインはいっしょで、皮の黒ベルトに複製された王冠メダルが埋め込まれて豪華さが出ました。しかし1998年5月に新日本キックボクシング協会に移行した為、翌年、現在仕様のベルトに変更されています。

プロボクシングではその世界最高峰のWBAやWBCのベルトも凄くカッコいいでが、「現在の日本ベルトはIWGPベルトみたいでカッコ悪い」と言うプロレスと似たベルトに嘆く関係者もいましたが、JBC第2代コミッショナー、真鍋八千代氏の名前入りベルトも渋く、現コミッショナー名入りで復刻版にしてみても価値がありそうです。

持ち回り制と個人所有制はどちらがいいのか意見が分かれそうですが、勝って得るチャンピオンベルトはトロフィーやメダルと違った重みがあります。今後も最高峰が歴然としている競技は、チャンピオンベルトの価値を崩さず、守っていって貰いたいものです。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。

新日本キックボクシング協会Cベルト。重森陽太(伊原稲城)2015.10.25

「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

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2月25日発売!『NO NUKES voice』Vol.7!

現役ムエタイ世界チャンピオン登場の日本キック連盟、迎え撃つは大和知也!

武士(もののふ)シリーズ vol.1 / 2月7日(日) 後楽園ホール17:30~20:40
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

過去、国内他団体交流も無く、ムエタイランカー以上の選手出場も無く、他団体との実力差が量れない時代が長かった日本キックボクシング連盟興行。長き時代のテーマ「倒すか倒されるか」の激しさだけでは、ファンからは「いずれ限界が来るだろう」と思われていました。

今回のタイ人選手も久々の強豪で、WPMFというタイ国政府管轄下唯一の団体の世界チャンピオン出場は初めてとなる同・連盟興行、対日本人対戦9戦全勝の強豪のゴンナパー・ウィラサクレック相手に特攻隊員・大和知也がどこまで踏ん張れるかが注目の中、突進力、飛びヒザ蹴り、バックヒジ打ちなど出せる技は出し切った大和知也でしたが、蹴りの重さとしなやかさ、仕掛ける技のバランスの良さ、大和の出方を読み、踏み込んだ足を払って転ばすなど、ムエタイ熟練者ならではの戦法とすべてゴンナパーが予想通りの圧倒。

冒険を打って出た小野瀬邦英体制3年目の同・連盟に、今回は小野寺力会長のRIKIXジム、尚武会ジム、ウィラサクレックジムなどフリーでもかなり興行実績の有るジムが出場し、昔の旧・全日本系の殺伐とした興行だけではない、いろいろなタイプの選手が出場しているという賑やかさも増し、選手層がレベルアップしてきた印象があります。

《主要後半5試合》

◆第13代NKBウェルター級王座決定戦 5回戦
1位.石井修平(ケーアクティブ/31歳/66.68kg)vs 2位.安田一平(SQUARE-UP/36歳/66.3kg)
勝者:安田一平 / TKO 1R 2:48 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 前田仁

石井修平vs安田一平。安田の先手必勝パンチが石井のペースを狂わせた

チャンスを逃さず1Rで仕留める安田一平

勝てば肩車──SQUARE-UPジムのいつもの光景

昨年12月、前チャンピオンの竹村哲(ケーアクティブ)の引退により空位となった王座を懸けた激突。重いパンチを振るう突進力で石井を圧倒、最初の右ストレートでダウンを奪い、勢いづいたまま、ダメージ残る石井に回復の間を与えないように左右連打で石井を沈めました。安田一平は第13代NKBウェルター級チャンピオン。今後の目標は「負けないこと。負けたら引退ですから」と行けるところまで上昇を目指した宣言でした。負けても心折れる限界を感じなければ歳に関係なく、まだまだ進化することでしょう。

◆63.6kg契約5回戦
NKBライト級チャンピオン.大和知也(SQUARE-UP/31歳/63.5kg)vs WPMF世界スーパーライト級チャンピオン.ゴンナパー・ウィラサクレック(タイ/23歳/63.6kg)
勝者:ゴンナパー・ウィラサクレック / 0-3 (主審 川上伸 / 副審 佐藤友章 43-50. 鈴木義和 45-50. 前田仁 43-50)

スタミナ切れか、遠慮したか、セコンドの指示か、大和の頑張りか、KOに至らずも余裕の大差判定勝利のゴンナパー。

ゴンナパーのハイキックは重く速く、読み難い隙を突いて放たれた

前蹴りで大和の突進を崩すゴンナパー

マスコットガールからの勝利者インタビュー。ウィラサクレック会長が通訳に入っても質問の意図が伝わり難く、「大和は強かった」と褒め言葉も忘れない真摯なゴンナパー

◆74.0kg契約5回戦
NKBミドル級1位.田村聖(拳心館/27歳/72.7kg)vs ミツヨシthe SOUL(練馬チャンデット/25歳/73.0kg)
勝者:ミツヨシthe SOUL / 0-3 (主審 馳大輔 / 副審 亀川明史 40-50. 佐藤友章 42-50. 川上伸 41-50)

空手と総合格闘技の経験を持ち、更にはムエタイテクニックで優るミツヨシの攻めに、田村は遅れた動きの印象が目立ち、通算4度のダウンを奪われ大差判定負け。田村が4Rにミツヨシに左ミドルキックを当てた際、肩脱臼かと思わせるミツヨシの後退。ドクターチェックを受け、問題は無かったようだが、田村を倒すという勢いは消えてしまった。田村の唯一のチャンスが活かせずも大逆転かとのイメージが浮かんだ終盤の展開でした。

◆52.0kg契約3回戦
NKBバンタム級6位.佐藤勇士(拳心館/24歳/51.7kg)vsレック達也・ルークカムイ(尚武会/17歳/51.85kg)
勝者:レック達也・ルークカムイ / TKO 3R 0:48 / カウント中のレフェリーストップ / 主審 鈴木義和
これもムエタイスタイルが優った展開。パンチとヒザ蹴りで仕留める。

◆ミドル級3回戦
NKBミドル級8位.西村清吾(TEAM-KOK/36歳/72.25kg)vs 馬場仁(RIKIX/46歳/72.25kg)
勝者:西村清吾 / KO 1R 2:23 / カウント中のタオル投入 / 主審 亀川明史

第4試合出場のフェザー級3回戦、高橋聖人(2戦2勝1KO/18歳/真門)は小椋昇平(1戦1勝/28歳/PAL)と引分け。高橋が速さと当て勘良い蹴り技で優勢な印象も、小椋のパンチ連打で突進力を弱められた印象。三者三様の採点(30-29.30-30.28-30)の見極めが難しかったかもしれない、副審がまた別の者だったら流れが変わっていただろう運が左右する採点。

次回興行「武士シリーズvol.2」は4月16日(土)後楽園ホール、開場17:00.開始17:30
第13代NKBフェザー級王座決定戦5回戦
1位.高橋一眞(真門)vs 3位.村田裕俊(八王子FSG)
対戦成績過去、高橋の2勝で、村田は現在、タイで修行中で、試合をこなして帰国予定ということでした。高橋三兄弟の長男が次男のバンタム級に続いて王座奪取を目指します。高橋一眞は8戦7勝(6KO)1敗、村田は11戦7勝(5KO)3敗1分

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

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◎ティーンズチャンプがキック界を刷新する?──2015年回顧と2016年展望

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沢村忠デビューから満50周年!日本キックボクシング興行界の巨人たち

今年は1966年(昭和41年)4月に日本でキックボクシングの初興行が行なわれて“満50周年”を迎えます。そこで、この競技の発祥から置かれた立場の移り変わりを愚痴を込めながら独断と偏見で振り返りたいと思います。

◆発祥前史は1959年に遡る

「野口修さんと写真撮るのは初めてかもしれない」と語った石川顕氏。キックの生みの親と日本一の実況でキックボクシングを盛り上げたコンビのツーショット

キックボクシングが生まれる以前、その前身(あくまでも大雑把な経緯ですが)ともいえるのが1959年に行われた日本で初めてのタイ人同士のムエタイ試合でした。そして、1964年にはプロボクシングのプロモーターだった野口修氏がムエタイに着目し、日本の空手家3人を引き連れてタイに乗り込み、ムエタイ選手との試合をバンコクで行いました。こうした流れがその後のキックボクシング発祥に繋がっていきました。

その数々の歴史と前身の経緯を含め、一昨年8月に伊原プロモーション代表の伊原信一氏がキックボクシング創設50周年記念式典を都内ホテルで行ないました。創生期からの懐かしい顔ぶれの中、若い女性は現在のトップスター江幡ツインズに群がり、時代の狭間を感じる光景でした。

試合VTRと共に実況を始めた石川顕アナウンサー。キックファンにとって34年ぶりの石川さんの名調子

◆1967年2月のテレビ放映は野口氏のしつこいTBS通いで始まった!

日本キックボクシング協会設立後、野口氏が半年以上かけてほぼ毎日、TBSテレビの運動部へ売り込みに出向き、キックボクシングの将来性を熱く語ったり、話す相手がいない日でもソファーに座った日々で「あの人今日も来てるよ」と囁かれても、そのしつこさに折れたTBSテレビが「1回やってみるか」と放映を1967年2月26日に開始しました。

そこから沢村忠の活躍でキックボクシングブームを巻き起こし、当初は国内に新風を巻き起こす順風満帆たる船出から始まりました(キック創設50周年記念式典で司会を務めた元・TBSアナウンサー石川顕氏の語り口より一部引用)。

その後は紆余曲折を経て約15年続きましたが、マンネリ化した日本vsタイの試合もブームは去り、アメリカンプロ空手を取り入れるなど再浮上を狙っても長く続かず、老舗・野口プロモーションも力尽きた感じで興行から遠ざかりました。

◆テレビ放映無き後──地上波テレビ以外の媒体を模索し続ける

「キックボクシングの実況の中で、私がいちばん褒めた選手は伊原信一選手でした」と語る石川アナウンサー。伊原氏の生い立ちをよく知っているからこその優しさだ

団体分裂で分散しつつも業界全体の底力が粘り、赤字経営の苦難の年月を経て何とか小さな軌道に弾みを付け、一時的にテレビで取り上げられる特番はあっても、プロボクシングの世界戦すらゴールデンタイム放映が危ぶまれる時代に入り、一般家庭の茶の間にKO劇を轟かせた時代の再来は不可能な現在。しかし、地上波テレビには及ばぬも、逆に衛星放送やインターネットなどの通信網は利用価値ある時代に入っていきました。

◆プロボクシング界から“邪道”と言われた時代の後、K-1に対しては嫉妬する時代へ

キックボクシングが初めて放送された試合は、沢村忠……ではなく、藤本勲氏の試合。セミファイナルの藤本氏が先に放送された試合順の結果

こんな経緯に至るキックボクシングの創設後のブームの時代、プロボクシング界からは“邪道”と言われた時代がありました。そんな時代の後にアメリカンプロ空手の普及やシュートボクシングの創設があり、特に後のK-1において、今度は逆にキックボクシング界がそれらを“邪道”と言う時代に移り、そんな後発のブームに追われる立場になりました。とはいえ、そのブームに便乗するキック関係者が多くいたのも事実です。

便乗はせず、声には出さぬも、そのイベント人気に嫉妬する関係者も少なからずも存在しました。「キックボクシングなんて発祥自体が間違っていたんだ。最初からムエタイに倣っていたら組織も構築していたろうに」と言う意見があったり、「キックボクシング創生期にきちんと構築した組織創りをしておけばプロボクシングと肩を並べるメジャーな競技になっていただろう」という意見もありました。

◆「キックボクシングは不滅です」──“打倒ムエタイ”を掲げ続けた50年

そんなキックボクシングにおいて、数々の世界王座はあるものの、どれもマイナーな存在の中、最高峰と言われる王座に行き着くのは、やはりムエタイとして存在するタイ国ルンピニースタジアムとラジャダムナンスタジアム認定の王座。これらはいまも不動の世界王座です。

富山勝治(目黒)vs稲毛忠治(千葉)を彷彿させる懐かしい顔合わせ、藤本勲(目黒藤本)会長と戸高今朝明(千葉)会長

その王座を奪取した日本人は過去50年間で、ラジャダムナンのみで4人。藤原敏男、小笠原仁、武田幸三、石井宏樹。今後の50年間で、キックボクシングが完全にムエタイを超える実績を積み重ね、更なる魅力と権威を増した競技に成長していけるか、キックボクシングそのものが衰退するか発展していくかは今後の舵取りに掛かっているでしょう。

キックボクシングは新興格闘技ではなく、すでに50年の歴史を持つ“打倒ムエタイ”を掲げてやってきた格闘競技です。「キックボクシングは不滅です」──。長嶋茂雄氏を真似た訳ではないでしょうが、キックの帝王・沢村忠氏も引退式でこう語りました。

キックボクシング創設50周年記念式典でお会いした方々は創成期からの顔ぶれが中心でしたが、この人たちがいてこそ、今がある。これからの50年後に向け、業界全体で打倒ムエタイを果たし、そのプライドを持ってキックボクシングをスポーツの帝王へと成長させていきたいものです。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

◎ムエタイ日本人の壁──活躍する在日タイ人選手と来日タイ人選手の裏事情
◎芽が出始めたムエタイ新時代──タイで通用する若手選手が続々出現!
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反骨の砦に集え!7日発売『紙の爆弾』!

ムエタイ日本人の壁──活躍する在日タイ人選手と来日タイ人選手の裏事情

「ここを越えてこそ真のムエタイロードが始まる」日本人の壁となる在日タイ人選手。日本国内団体でデビューし、段階を経て勝ち上がってきた日本人選手にとっては、ムエタイの奥深さがまずここに立ちはだかります。ここでのタイ人選手は、日本国内チャンピオンやランカーと対戦し、テクニックで優って、ムエタイ王座や世界レベルの王座を目指す日本人の壁となる存在になっています。

ガンスワン・サシプラパー(左)は元・ラジャダムナン系スーパーライト級チャンピオン、在日選手。治政館ジムでトレーナーを務める。日本での試合も豊富(2014年10月26日)

古くは竹山晴友に初黒星を付けたアルンサック・ユーバンルン、90年代、小野瀬邦英に敗れるまでは日本人選手を重い蹴りで翻弄したチャイナロン・ゲオサムリット、立嶋篤史に切られて敗れる不覚もアグレッシブなファイトが好評だったユタポン・ウォンウェンヤイ、元ムエタイチャンピオンの実力を発揮、大塚隼人には敗れるも、多くの余裕の勝利を重ねてきたガンスワン・サシプラパー、キックの伊原ジムで選手兼トレーナーを務め、プロボクシングでの来日では後のWBA世界スーパーフェザー級チャンピオン、内山高志(ワタナベ)とも戦ったムアンファーレック・ギャットウィチアンといった、キック界では存在感ある選手で、他にも厄介な壁は多くいました。

◆“在日タイ人”と“来日タイ人”

「これを越えないとムエタイランカー以上との対戦は認めない」なんていう制度などありませんが、ファン目線では日本選手に打開して欲しい壁でした。ここでのタイ選手は本場での第一線級から退いていても、試合間隔が長く空かなければ実力は充分でしたが、来日期間が長くなるほどモチベーションも下がり、練習不足、スタミナ不足が目立つ体型や試合内容が見られる選手もいました。これらのタイ選手らは、常連ファンから見れば、試合出場が無くても頻繁に会場で見かける顔でもありました。業界関係者の中では彼らは“在日タイ人”と呼ばれ、ちょっと古い法律の下では3ヶ月滞在可能の興行ビザで来日し、延長許可を得て最大6ヶ月滞在し、試合出場を中心に、招聘されたジムでの技術指導者として実力を発揮されていました。

グルークチャイ・ゲオサムリット(左)は元・ルンピニー系ジュニアフライ級チャンピオン、この試合のみの短期来日。ムアンファーレック・ギャットウィチアン(右)は元・ラジャダムナン系フェザー級チャンピオンで伊原ジムに滞在していた在日選手。後にプロボクシングのタイ国ラジャダムナン系スーパーフェザー級チャンピオン(1999年7月24日)

これに対し、“来日タイ人”と呼ばれる短期滞在ムエタイボクサーがいます。タイの殿堂スタジアムなどで頻繁に出場する日程を組まれながら、ちょっとの合間をぬって日本で試合をする実力派タイプ。経費削減の意味合いもあったりしますが、ほんの2泊3日や3泊4日でやって来て試合して翌日には帰国するパターンが多いようです。こんなトップクラスの選手に勝てる期待大の選手は梅野源治選手ぐらいかもしれませんが、大概はムエタイの凄さを見せ付けて帰って行くので、より本場で人気ある忙しい選手という印象が残ります。

プロボクシングの世界タイトルマッチでやって来る場合も同じですが、マスメディアを巻き込むこれほどの大きい試合は契約上10日ぐらい前に来日して身体を慣らし、公開スパーリングや予備検診、前日計量、調印式を経て試合、勝っても負けても怪我がなければその翌日は休養(観光?)してまたその翌日頃には羽田か成田空港から帰国します。

これらはひとつの具体例ですが、キックの試合出場とジムでの技術指導者としてタイ人選手を招聘する場合、そのジム会長かマネージャーやコーディネーターがその選手のためのビザ取得のために方々への手続きを重ね、必要書類作成に時間を費やします。来日タイ人選手はタイのジムオーナーやプロモーターの支配下にあり、交渉先はそのオーナーなど。在日タイ人選手も同様ですが、第一線級を退いているので長期滞在を許されたり、或いはフリーになっていれば、選手個人交渉となったりします。

1980年頃から2000年ぐらいまでは不法就労が増え、申請許可が一段と厳しくなっていった時代がありました。現在も書類調査は同様に厳しい審査と思いますが、以前は無かった公的な立場のタイ国ムエスポーツ協会への申告で渡航先試合出場認可を得るなど強力なステップが増えたことや、タイ経済が発展してきたことによる不法就労の減少で、日本外務省の規制緩和もあり、一般中流家庭以上が日本での2週間以内ビザ無し観光も可能になり、各分野とも取得し易くなったかもしれません。現在はもう少し長い期間の興行ビザが下りる場合もあり、他には技能ビザの他、結婚や滞在実績などによる永住許可もあり、そういう縁や実績を持つ元選手やジム経営者も存在します。

ラジャダムナン系ウェルター級チャンピオン、パーヤップ・プレムチャイが日本ウェルター級チャンピオン、向山鉄也(ニシカワ)を大木のような左ミドルキックだけで圧倒、現役チャンピオンの神秘さが漂った。短期滞在(1986年11月24日)

昔はムエタイ選手に限らず、若い女性やフィリピンなど他国の同様のパターンで来日後、滞在期限を超えても帰国せず不法就労するなどの後、強制送還となり、その後再来日は当分難しくなって、更に国家間の規制が厳しくなっていった傾向が続きました。

以前少々触れましたが、現在タイ・ボクシング法では試合間隔を21日以上空ける事とKO負けの場合は30日空ける事が義務付けられています。その試合間隔義務を逃れるため、タイ国ムエスポーツ協会を通さない申請で、極秘渡航して試合するパターンもあるようですが。インターネット社会の恐ろしさで、しっかり報道されることでどこでも閲覧出来、バレて出場停止を受ける選手もいたようです。

沢村忠、富山勝治、稲毛忠治、多くの日本人と戦い、バンコクでジムを開いた頃のチャイバダン・スワンミサカワン氏(1988年9月13日)

昭和の時代、TBSテレビでゴールデンタイム放映されていた時代の日本系キックボクシングはタイからやって来た選手が1回のビザ最大3ヶ月ほどの滞在で5、6試合ほど消化し、時期は重なりつつも交替で次のタイ選手が来日するパターンが長年に渡って続き、キックボクシング黄金期を支えた時代がありました。

チャイバダン氏の右が立嶋篤史(当時16歳)、その前がアルンサック・ユーバンルン、前列右から2番目がチャンリット氏、彼も在日タイ選手だった。前列左端、黒シャツが堀田(1988年11月10日)

荒っぽさで有名なサネガン・ソーパッシンは試合以外でも、目黒界隈で喧嘩して暴れたエピソードがあったようですが、晩年は日本人女性と結婚するなど落ち着き、おとなしい礼儀ある人になっていました。チューチャイ・ルークパンチャマというルンピニー系ランカーの強い選手もいましたが、初の日本系出場では1回の来日で7試合ほど出場、最後は帝王・沢村忠をも倒していきました。富山勝治、稲毛忠治も下したチャイバダン・スワンミサカワンは引退後、日本人と最も交流が深く、後にバンコク郊外にジムを開き、多くの日本人が修行の場とし、立嶋篤史がタイ初遠征したジムでもありました。

近年プロボクシングでは多くの無気力試合などで、ひんしゅく買ったタイ人ボクサーも少なからずいましたが、「勝って得るもの無し、負けて失うもの無し」といった選手は勝つ努力は無く、出場の役目を果たすだけの試合しかしないかもしれません。キックにおいては今後も続くムエタイボクサーとの交流は、日本人の壁となって試練を与えたり、指導者してムエタイチャンピオンを育てたり、いろいろな人間模様のドラマを生んでいくでしょう。近年は在日タイ人が主催する準ムエタイ興行も開催されたり、活動の幅が広くなりました。今後の日本キック界を支えていくのは40年前と変わらず在・来日タイ人たちの陰の力かもしれません。

WPMF世界スーパーライト級王座決定戦で石井宏樹(目黒藤本)と対戦したゲーオ・フェアテックス(2014年2月11日)
ヨーユット・ビーファミリーネオ(右)は元・ルンピニー系フェザー級4位、在日選手としてキャリアは長いが、倒れるシーンも増えてきた(2014年2月11日)
梅野源治(左)と対戦するタイ人選手は皆、気を引き締めて来日。ルンラット・ナーラーティクンは元WMC世界スーパーバンタム級チャンピオン、ラジャダムナン二冠王。短期来日(2015年2月11日)
デンサヤーム・ルークプラバートは元・ルンピニー系バンタム級チャンピオン、在日選手。頑丈な体格で圧倒する試合から最近は打たれてダウンするシーンも増えた(2015年2月11日)

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

◎芽が出始めたムエタイ新時代──タイで通用する若手選手が続々出現!
◎ティーンズチャンプがキック界を刷新する?──2015年回顧と2016年展望
◎強くなるためにタイへ行く!日本キックボクサー「ムエタイ修行」今昔物語
◎ルール変更の紆余曲折から辿る日本キックボクシング界の栄枯盛衰クロニクル
◎キック新時代を牽引するRIKIXジムの「NO KICK NO LIFE」

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抗議にも罵声にも屈せず闘い続けるキックボクシング界レフェリー列伝

「もっと勉強しなさい!!」1997年頃、あるキックボクシングの試合後、ジャッジ席の審判員にこんな罵声を浴びせて去って行ったS会長がいました。所属の選手が不可解な採点で敗れたことに怒り、タイ訛りのつたない大声が会場内に響き渡っていました。

日本系の隆誠、衰退とともに生きたリ・チャンゴン(李昌坤)氏(中央)、蝶ネクタイが良く似合う(1991.5.24)
ムエタイルールという意識も浸透した時期ではありましたが、蹴りを重視しつつもキックボクシングの見た目の印象で採点する習慣は、ムエタイの世界での熟練者から見れば、納得できない判定だったでしょう。

レフェリーのお仕事は選手に次いで辛い仕事かもしれません。 しかし、長きキックボクシングの興行の歴史では、時には理不尽な選手陣営の抗議も見受けられました。また、ジャッジの不可解な採点や、全くセンスの無いレフェリーが採用されている現場もありました。
1966年(昭和41年)の日本キックボクシング協会設立以降、プロボクシングのプロモーターだった野口修氏が始めたキックボクシングだけあってプロボクシングのレフェリーを参考にする影響から軽快なフットワークで裁く印象が残りました。

日本人最初のレフェリーとなったのが、小別当純という方でしたが、李昌坤(リ・チャンゴン/韓国)氏やウクリット・サラサス(タイ)氏も初期から務めていました。後に発生の全日本系でも個性有る厳格なレフェリーが存在していました。

時代の流れで徐々に試合展開や採点基準が変わっていくのは仕方ないところでしたが、レフェリー技術の低下が見られたのは、ムエタイルールが浸透してきた1990年代であり、団体分裂が増え出した頃の人材不足でした。

古き時代からレフェリーは、すべて団体ごとの公認で、他団体に勝手に出向けませんでしたが、「誰かレフェリー出来る奴いないか。」

ヘビー級はこの人に任せたい、重量級の和田良覚レフェリー(左)(2014.9.13)
ジム会長からそんな安易な声も掛かった、団体が増える度のレフェリー募集でした。見た目は簡単そうでも、ルールを熟知しなければ出来る任務ではなく、甘い気持ちでやられても困るレフェリー業ですが、残念な問題は、増え過ぎた各団体の新人レフェリーに、経験値あるベテランの指導は回り難く、実戦で覚えていくしかない時代でした。

団体にもレフェリーの格差がありましたが、直接勝敗に関わるリング上の裁きは上達していくものの、プロボクシングを観ていれば常識的にわかる機転もなく、ダウンした相手に蹴り込んでもそのままカウントを続けたり、カウント9で足下フラフラしていても止めず、倒れ行く敗者を放っておいて勝者の手を上げに行く、メガネを掛けたレフェリー等、ファン目線から見ても異様な事態もありました。

現・JKBレフェリー協会代表の少白竜レフェリー、現役時代は勝っても負けてもKO100%男(2014.9.13)

そんな時代を経て2006年当時、J-NETWORKという団体のある興行関係者が、レベルアップしたレフェリー組織を作ることを計画し、その提案を受け、活動に動いたのが少白竜レフェリー(元・全日本バンタム級1位)で、思想の合うメンバーを集め、ベテランの山中敦夫氏(元・競輪選手、旧・全日本キックからのレフェリー)を代表にJKBレフェリー協会を設立しました。

◆団体や試合によってルールが違う!

キックボクシング各団体から要請があればその団体興行に派遣レフェリーとして参加しますが、レフェリーが苦労することは各団体によって、または試合によって「ルールが違うこと」と言われています。現在のレフェリー陣は安全面を重視した進行、反則に厳しくイエローカード、レッドカード提示なども実施。陣営の抗議に屈しない厳格な姿勢で、公正な競技と認められるような基準を作り上げて来ました。

舌出し侮辱にイエローカードと厳しい判断の椎名利一レフェリー(2015.12.13)

同時期にサミー中村氏(旧・全日本キックからのレフェリー)が日本ムエタイレフェリー協会を設立し、同様の活動を展開。また従来のキック団体に所属するレフェリーや、フリーのレフェリーも多く居て、2010年頃からはWBCムエタイやWPMF世界機構などムエタイ組織のレフェリー講習を受けてライセンスを取得する制度もあり、個人差はあれど、レフェリーとしての技術は見違えるほど向上しました。所属する団体は違えど、興行が重なれば人手が足りなくなる休日興行は、協力体制が整っているようです。

タイでムエタイを日々見続けている人ならば、ポイントの取り方、割って入るタイミング、優勢劣勢によるポイントの動きは観てわかると思いますが、日本のキックボクシングやプロボクシングを見続けて来た一般ファンや関係者では、まだまだ分かり辛い採点、優劣判断基準があります。

ルンピニースタジアム公認レフェリーライセンスを持つ古き全日本系からのサミー中村レフェリー(右)(1986.9.20)

またムエタイ選手から教わったり、タイ人トレーナーから教わったという知識も高度な経験値ではありますが、選手目線の判断では脱線した部分もあり、例えば、選手やトレーナーに「ムエタイはキンタマ蹴ってもいいんだよ」と言われ、実際明らかに股間を蹴られて倒れても、そのままカウントされることは多くありました。

「蹴られる方が悪い」と言われる習慣になっていても、防御と戦略として覚えておくべきですが、“厳密には反則”で、失格負けとなった例もあります。厳密なルールブックや、日々変化する改善案も、いちばん頭に入っているのはムエタイ現地レフェリーや組織役員といったレベルであることも理解しておいた方がいいかもしれません。

また余談ながら、タイ人選手が「グローブの内側にワセリン塗っておいてクリンチの際、相手の眼に擦り付けるんだ」と言ったセコい一例もありますが、経験から来る悪知恵はいろいろありますが、参考までに覚えておいて頂きたい範疇です。

NKBグループもチームワーク良く進歩を続ける(2015.12.12)

「もっと勉強しなさい」と今の時代でも言われるかもしれない、“シンサック会長”に怒鳴られたら今でも怖そうな雰囲気で、長く試合を観てきても未だわからないムエタイの採点基準はまだまだあります。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

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新日本キック新春興行「WINNERS 2016 1st」は好カードづくしでファンを魅了!

◎WINNERS 2016 1st / 2016.1.10 後楽園ホール 17:00~21:25
 主催:治政館ジム / 認定:新日本キックボクシング協会

メインイベントは志朗(松本志朗/治政館)が挑戦するISKA世界バンタム級王座決定戦。チャンピオンのディーン・ジェームス(イギリス)が負傷欠場で王座返上。1位.ダニエル・マッグウォーン(イギリス)と5位.志朗が王座決定戦を行なうことになりました。志朗は昨年5月17日にISKA世界ランキング査定試合で、ネクター・ロドリゲス(スペイン)にKO勝利しており、挑戦資格圏内に入りました。

この日の志朗の試合は1月30日(土)テレビ埼玉で20:00より、土曜スペシャル枠で「志朗ドキュメンタリー」が放送されます。

◆ISKAは「キック系ではいちばん権威ある世界王座」

世界認定機構が多く存在するキックボクシング系競技は、プロボクシングの発展経緯とは異なり、発展途上の段階で多くのマイナー世界認定機構が出現した競技でしたが、その中でISKA(International Sport Kickboxing Association)は、1986年にアメリカ・フロリダ州に拠点を置く組織として設立し、同年ヨーロッパに統括本部が発足。1990年代にはヨーロッパ各国で活発な世界戦開催で権威を増し、2000年代に入って日本でも世界戦が行なわれてきた経緯があり、「キック系ではいちばん権威ある世界王座」とファンや業界内では言われています。

ルール別により王座が複数あったり、階級リミット設定がプロボクシングより異なる点はありますが、知名度と活動実績は他の団体より、はるかに進んでいるようです。今回のISKA世界戦開催に当たり、ISKA日本代表・加藤勉氏が立会人として認定宣言をされています。

《主要5試合の結果》

◆ISKAムエタイ世界バンタム級(55.0kg)王座決定戦 5回戦
1位.ダニエル・マッグウォーン(イギリス/55.0kg)vs 3位.志朗(治政館/54.7kg)
勝者:志朗 / 0-3 (主審 和田良覚 / 副審 少白竜 47-48. 桜井 47-48. 仲 46-49)
ムエタイルールとして行なわれている展開としてはどちらにポイントが流れるかわからない攻防ながら、志朗がローキックによる主導権支配とボディーへのパンチがダニエルの動きを鈍らせ判定勝利。

ダニエル・マッグウォーン(左)vs志朗(右)。接近戦ではヒジ打ちに注意だが、志朗も対策は充分

◆55.5kg契約 5回戦
日本バンタム級チャンピオン.瀧澤博人(ビクトリー/55.45kg)vs タイBBTVバンタム級チャンピオン.パカイペット・ニッティサムイ(Prakyphet/タイ/55.5kg)
勝者:パカイペット・ニッティサムイ / TKO 5R 1:38 / 左ミドルキック受け劣勢の中、タオル投入による棄権。
ローキックとパンチの重さと次に繋げるパカイペットの前進力が瀧澤を後退りさせる。昨年、強気で“日本を越えて上のステージでの戦い”をアピールしていた瀧澤でしたが、やっぱりムエタイ一流選手相手には、瀧澤が新人のように見える力の差が表れました。この敗北からまた瀧澤の再浮上に期待と注目が集まります。BBTVはタイ7チャンネルのテレビ局で、歴史は古い団体です。

パカイペット・ニッティサムイ(左)vs瀧澤博人(右)。ミドルキックで瀧澤の腕を殺していく、すべてが重い蹴りだったパカイペット

◆52.0kg契約 5回戦
日本フライ級チャンピオン.麗也(高松麗也/20歳/治政館/52.0kg)vs 伊藤勇真(前・WPMF日本フライ級C/18歳/キングムエ/51.7kg)
勝者:麗也 / 3-0 (49-47. 50-47. 50-47)
学年でひとつ違い、話題の低年齢のアマチュアキックから始め、タイでも戦ってきた両者で、その頻度と現地定着率は伊藤が上回っていますが、タイで活躍している方が負けるのは昔からよくあるパターンでした。 ホームリングで戦う麗也のキックボクサーとしての積極性が主導権を握り判定勝利。両者の経験値が増せばまた違った展開になるでしょう。今後も何度でも対戦して欲しい両者です。

麗也(左)vs伊藤勇真(右)。若い対決。主導権を握った麗也のハイキック

◆日本ウェルター級挑戦者決定戦3回戦
1位.松岡力(目黒藤本/66.3kg)vs3位.政斗(治政館/66.25kg)
引分け / 0-0 (29-29. 29-29. 29-29 / 延長戦 9-10. 9-10. 9-10)
引分けにより、上位進出を懸ける試合に義務付けられる“優勢”を決める延長戦に入り、政斗の優勢点で“勝者扱い”。戦歴では7戦同士、このところ、大物に勝利している松岡有利かと思われましたが、政斗のしぶとさと、松岡もスタミナ切れか戦略を誤ったか、失速が目立ちました。政斗は、チャンピオン.渡辺健司(伊原稲城)への挑戦権獲得。

松岡力(左)vs政斗(右)。松岡力もしぶとい技があり、ヒザ蹴りで攻める

◆日本フェザー級挑戦者決定戦3回戦
2位.瀬戸口勝也(横須賀太賀/56.9kg)vs3位.石原将伍(ビクトリー/56.9kg)
勝者:石原将伍 / 0-3 (26-29. 26-29. 26-29)
強打者同士の対決。第1ラウンドに右ストレートでダウンを奪った石原でしたが、次第に回復した瀬戸口の反撃に押されるも、第3ラウンドに再び連打でダウンを奪って結果的に大差判定勝利となりましたが、打ち合い激しく勝利がどちらに転ぶかスリルある展開でした。石原将伍は、チャンピオン.重森陽太(伊原稲城)への挑戦権獲得。

瀬戸口勝也(左)vs石原将伍(右)。ダウン奪われてもパンチ力に自信ある瀬戸口が反撃

新日本キックボクシング協会、次回興行は3月13日(日)伊原プロモーション主催のMAGNUM.40が開催されます。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない。」

◎芽が出始めたムエタイ新時代──タイで通用する若手選手が続々出現!
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『紙の爆弾』2月号!【特集】安倍政権を支える者たち!