◆移籍の経緯

キックボクシングの対戦カードを見ていると、たまに所属ジム名が替わっている選手を見かけることがあります。ジム名称変更の場合がありますが、移籍している場合も多いでしょう。そこでは多くの単体プロモーション興行が増えたことにより、移籍やフリーとなる決断は、より安易な選択に変わって来たと感じることがあります。

移籍トラブルの場合は選手の我儘であったり、ジム会長側の傲慢であったり、ジム側と選手間でファイトマネーや待遇に関するもの、目指す方向性に関わるもの、練習環境の問題などがあり、選手の止むを得ない事情では、転勤で遠地に行くことになり引退、または止むを得ず所属していたジムを辞め、現地のジムに移籍したケースがあります。

目黒藤本ジムや東京町田金子ジムのように閉鎖される場合は止むを得ず、移籍しか道が無いケースもありました。

裏事情では破門の場合あり、稀に引き抜きの場合あり。多くは書けない事情も存在します。

黒崎道場から小国ジム、更にキングジムへ移籍した青山隆

◆移籍の壁

最近では、女子の藤原乃愛が3月19日に撫子(GRABS)に敗れる初黒星でミネルヴァ・ピン級王座を失い、そのわずか4日後に所属するROCKONジムから実父が運営する空手の藤原道場に移籍する情報が流れました。4月から大学生になったことも心機一転となったことでしょう。しかし、急な移籍にそれまでの加盟団体、ジャパンキックボクシング協会では驚きの声も聞かれ、看板選手が一人でも抜けることは協会の損失でもあり、「簡単に移籍を許してはならない」という厳しい意見も聞かれました。

移籍した藤原乃愛、この先の飛躍を願う

伊原ジム移籍後も恩ある藤本ジムの看板を背負って戦う勝次

キックボクシングにおいては選手とジム間の契約内容がどのようになっているか、団体によって異なる部分があったり、過去においては細かい制約は無い不明瞭な部分もあったでしょう。

日本のプロボクシングでは確立した競技として当然ながらJBCルール内に契約項目があり、選手のマネージメント契約に関わる明確な基本原則が細かく記載されています。

契約期間に関しては3年を超えないこと(異議なければ自動更新)。契約更新しない意思表示は期間満了の2ヶ月前より可能となります。

キックボクシング系での古き時代で、選手がジム会長とトラブルになり所属していたジムを辞めるも、会長側はこの選手との絶縁状を各ジムに配布し、「入門して来たとしても受け入れないこと」という注意喚起が届いていた例がありました。

2000年以降に起きた例では、ジムを辞めることで加盟団体にも承認を得なければならず、「5年間は他団体興行に出場できない」という選手活動を縛ってしまう規約もありました。

この場合においては該当選手が所属していたジムや加盟団体に何度も穏便に交渉して、移籍が認められたケースでしたが、この辺りの時代までは団体(協会や連盟)によっては厳しい条件が起こる移籍の壁でした。

転勤で活殺龍ジムから大阪の北心ジムへ移籍した不破達雄(左)、佐藤正男(右)も黒崎道場から渡邉ジムへ、いずれも円満移籍

◆会長の想い、育てる意義

移籍というより、近年は個人としてフリーになるのも可能なキックボクシング業界であり、現在では団体やジムの規則に縛られず、ファイトマネーからマネージメント料(通常33.3%以内)が引かれないので、この方が得と考える選手も居るようです。

一般的にジムに入門して選手登録し、団体やジムの規則を遵守する必要があるのは、ジム側と選手が円滑に活動が出来るように定められたシステムです。

しかしフリーではよほど恵まれた人脈・支援者が居ない限り、ジム設備の無い状態から練習場を探しても、出稽古的に受け入れてくれるジムや周囲の協力が無ければ練習も充実せず、マッチメイクも決まらないことに繋がっていきます。ミット蹴り等で癖を見抜いた指導を受けたり、スパーリングパートナーになって貰ったり、試合でも控室でマッサージや準備、試合中のセコンドに着いて貰うなどのチームワークも、相当仲間意識を持って馴染んでなければ、すべて自分で交渉を行なわなければならないフリーのままでは活動し難いことでしょう。

ジム会長は、マッチメイクをする際に、我がジムの選手が勝てるように、不利でも成長に繋がるように、早くチャンピオンの座に届くように、極力怪我の無いように守り育てていく努力をするでしょう。それがビジネスであっても、ジムにヒョロっと現れた少年を、一から育てていくのは大変な苦労が伴います。会長やトレーナーがどんな想いで育てているか、その恩を忘れてはいけません。

安定した所属先は必要な環境、旧・目黒ジムの光景

高谷秀幸も異端児、やや険しい移籍の経験あり

◆団体分裂による脱退と加盟

過去、ジム単位でも団体を脱退や加盟が沢山ありました。多くの分裂による新団体設立が起こり、その分裂や各々のジムの移籍では、古き仙台青葉ジムが団体を行き渡ること一番多かったでしょう。創生期の日本系から全日本系に移り、後々のNJKFまで気まぐれ瀬戸幸一会長は異端児でした。

ジム単位では選手は逆らえず着いていくだけですが、その方向性には着いて行かなかった選手も幾らか存在します。

以前、格闘群雄伝で紹介した少白竜さんは後に一回目の引退をして、元・日本バンタム級チャンピオン(MA日本)、三島真一さんは分裂に着いて行かない意向でした。

現在は弱体化し過ぎて団体分裂は起こり難くても、選手自身が理想とする移籍は続くことでしょう。移籍は何度も経験することは無いでしょうが、トラブルが元で移籍した場合、その先で何らかの影響を引き摺るのか、前途洋々と言えることは少なく、円満移籍ではその先でも後押ししてくれる支援者が居て充実出来ることが多いようで、そんな環境で飛躍して欲しいものです。また移籍に纏わるいずれかの選手を格闘群雄伝でも拾いたいと思います。

リングに上がるまでは多くの苦労と支援があってのもの

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

永澤サムエル聖光と睦雅は倒し切るTKO勝利。
瀧澤博人はテクニックで圧勝。
この先のビッグマッチに向け快進撃が続いた。
大地・フォージャーもチャンピオンの自覚が現れた劇的TKO勝利。

◎KICK Insist16 / 7月16日(日)新宿フェース
主催:VICTORY SPIRITS / 認定:ジャパンキックボクシング協会(JKA)

KICK Insist.16 第2部 18:00~20:00

◆第7試合 62.0kg契約5回戦

永澤サムエル聖光(ビクトリー/ 62.0kg)41戦28勝(12KO)10敗3分
          VS
ケンナコーン・ダブランサラカム(タイ/ 62.0kg)70戦49勝18敗3分
勝者:永澤サムエル聖光 / TKO 2R 2:22

永澤サムエル聖光はWMOインターナショナル・ライト級チャンピオン、WBCムエタイ日本ライト級チャンピオン(防衛1度)。ケンナコーンはTrue4U(タイのテレビチャンネル)ライト級7位

開始後、永澤サムエル聖光は牽制のローキック中心に攻める。ケンナコーンはアグレッシブに応戦し、永澤の左ボディーブロー受けてもニヤッと「効いていない」とアピール。永澤はストレートパンチとローキックを強め、隙を突いて上下打ち分け、主導権を奪った流れ。

第2ラウンドも永澤は左ローキックで右太腿を狙って蹴る強さを増し、ノックダウンを奪う。弱気になったケンナコーンを更に左ローキックで苦しめ、パンチから左ローキックヒットで倒し、ノーカウントでレフェリーがストップを掛けた。

永澤サムエル聖光の牽制のローキックから切り崩しに掛かる

KOへの布石となる永澤サムエル聖光の右ストレート、上下打ち分け

◆第6試合 62.0kg契約5回戦

JKAライト級チャンピオン.睦雅(=むが/ビクトリー/ 61.4kg)18戦12勝(6KO)4敗2分
        VS
ペットルン・ルークスアン(元・KruDamトーナメント60㎏級覇者/タイ/ 61.3kg)
51戦31勝19敗1分
勝者:睦雅 / TKO 1R 1:10
主審:松田利彦

ローキック中心に様子見の両者、睦雅はパンチとローキックで圧力掛けて行く中、前蹴りで突いて左ボディーブローをヒットさせた途端、あっけなく倒れ込むペットルン。カウントは8で止められレフェリーストップ。睦雅の圧勝となった。

睦雅の右ローキック、これもKOへの布石

位置の都合で撮れていないが、睦雅の左ボディブローヒット後、悶絶のペットルン

◆第5試合 52.5kg契約3回戦

JKAフライ級1位.細田昇吾(ビクトリー/ 52.0kg)18戦11勝(1KO)5敗2分
       VS
WMC日本バンタム級2位.奥脇一哉(エイワスポーツ/ 52.5kg)35戦12勝(2KO)18敗5分
引分け 三者三様
主審:中山宏美
副審:松田28-29. 勝本29-29. 少白竜30-29

初回、パンチとローキックの攻防から細田昇吾が強めにローキックを積極的に蹴り、奥脇一哉がやや出難い流れ。第2ラウンドには奥脇が手数増やして来ると、細田は応戦するも互角の展開。更に組み合うシーンが増えて奥脇のムエタイスタイルが引き立つ流れ。やや巻き返された印象の細田にとっては惜しい試合。

序盤は細田昇吾のローキックが攻勢気味だった

◆第4試合 フライ級3回戦

JKAフライ級2位.西原茉生(治政館/ 50.8kg)9戦5勝(2KO)3敗1分
     VS
花澤一成(市原/ 50.7kg)5戦1勝(1KO)2敗2分
勝者:西原茉生 / TKO 1R 1:09

3月19日の初対決では開始早々打ち合いになり、西原茉生の右ストレートカウンターで花澤一成がノックダウンと見えたが、ここでのTKO裁定は審議の上、偶然のバッティングと訂正され負傷引分けとなっていた。

5月21日の市原ジム興行で組まれた再戦では、前日計量を両者パスしながら、花澤一成が急な発熱による体調不良の為、検診時のドクターストップで中止。

今回の因縁の再戦は、互いに早々の打ち合いは避け、パンチとローキックの様子見の攻防から、西原の右ローキックで花澤一成がパンチで出て来るところ、西原の右フックが花澤のアゴにヒットしノックダウン。立ち上がるがダメージが深くては巻き返しは難しいところ、花澤の前蹴り躱した西原が左ストレートヒットさせ、2度目のノックダウンで、花澤一成は立ち上がるも足が効いていてフラつき、レフェリーに止められてしまった。悔しがる花澤一成だった。

3月の試合後、西原は「KO勝ちのイメージが出来たのは収穫です。再試合が組まれれば倒します。」と応えていたとおりの速攻勝利となった。

因縁の対決は西原茉生が速攻で2度のノックダウンを奪って圧勝

◆第3試合 フェザー級3回戦

勇成(Formed/ 57.0kg)vs颯也(新興ムエタイ/ 57.15kg)
勝者:勇成 / TKO 1R 1:15

勇成の右ストレートヒット、2度目のノックダウンでノーカウントのレフェリーストップ。

◆第2試合 ライト級3回戦

岡田彬宏(ラジャサクレック/ 61.0kg)vs長谷川欣毅(エイワスポーツ/ 60.6kg)
勝者:岡田彬宏 / 判定3-0 (30-29. 30-28. 29-28)

◆第1試合 フェザー級3回戦

隼也JSK(治政館/ 56.8kg)vs遠山哲也(エス/ 57.0kg)
引分け 1-0 (29-29. 29-28. 29-29)

KICK Insist.16 第1部 14:00~16:00

◆第6試合 57.5㎏契約3回戦

WMOインターナショナル・フェザー級チャンピオン.瀧澤博人(ビクトリー/ 57.4kg)
37戦25勝(13KO)8敗4分
        VS
コンコム・レンジャージム(タイ/ 57.4kg)82戦66勝11敗5分
勝者:瀧澤博人 / 判定2-0
主審:椎名利一
副審:勝本29-29. 中山29-28. 松田29-28

瀧澤博人はローキックから左ジャブで主導権を支配し、更に前蹴りを顔面にヒットさせるインパクトある展開を見せた。

ヒザ蹴りも含めて多彩に蹴り分け、コンコムも余裕無い表情ながら、アグレッシブにボディーブローを狙ったり組み合って崩しに掛かるも、瀧澤は上背で上回ってヒザ蹴り。ロープに押し付けてヒザ蹴り。ウェイト掛けて疲れさせた上でヒジ打ち叩き込んだか、コンコムの右眉から出血。瀧澤が完全にペースを掴んだ流れ。

我武者羅にコンコムが出て来るが、応戦してヒジ打ちも返し優った展開で終了。採点は僅差の微妙さを残したが、内容的には主導権を奪った高度な戦いを見せた。

適材適所、打って出た瀧澤博人、ヒジ打ちの攻防

左ジャブは最後まで活きた瀧澤博人

◆第5試合 67.0㎏契約3回戦

JKAウェルター級チャンピオン.大地・フォージャー(誠真/ 67.0kg)18戦8勝(6KO)9敗1分
        VS
土屋忍(元・WPMF日本スーパーライト級8位/KUNISNIPE旭/ 66.8kg)
17戦8勝(1KO)7敗2分
勝者:大地・フォージャー / TKO 3R 1:25
主審:少白竜

初回からローキック、ミドル、ハイキックとパンチでのプレッシャーの掛け合いから大地フォージャーが手応え掴んで圧力増し、主導権を奪った流れで攻勢を維持。土屋忍は出難い展開で余裕無くなり攻め倦む。

第2ラウンドに大地はニュートラルコーナーでヒジ打ちもヒットか、土屋の左眉もカット。

第3ラウンド、大地は右ハイキックからパンチ連打し、ロープ際でヒザ蹴りで圧倒。大地は左フックか、土屋をノックダウンさせ、更にパンチで追ってヒザ蹴りで攻め、打ち返して来る土屋に、右ストレートで止めを刺すノーカウントのレフェリーストップとなった。

大地フォージャーが仕留めた右ストレート、土屋忍を倒す

◆第4試合 73.0㎏契約3回戦

バス・レンジャージム(タイ/ 72.8kg)おおよそ190戦
          VS
KONZISI BADBOY(KUNISNIPE旭/ 72.7kg)10戦7勝(3KO)3敗
勝者:バス・レンジャージム / 判定3-0
主審:勝本剛司
副審:椎名29-28. 中山29-28. 少白竜30-28

KONZISIが積極的に蹴りからパンチで攻めると応戦したバス。3ラウンド終了までにスタミナ使い果たしたような獰猛な蹴りとパンチの打ち合いの中、ヘロヘロになりながら最後まで蹴りの出た両者。KONZISIもアグレッシブな勝ちに行く姿勢を見せ前進、バスを疲れさせたが、的確差で上手さを見せたバスが判定勝利。

3ラウンドのスタミナ使い果たす激しい攻防、バスとバックヒジ打ちのKONZISI

※ライト級3回戦はJKAライト級4位.林瑞紀(治政館)が左膝蓋前滑液包炎により欠場。同級5位.古河拓実(KICK BOX)との試合は中止。

◆第3試合 ウェルター級3回戦

JKAウェルター級3位.我謝真人(E.D.O/ 66.5kg)12戦3勝(1KO)8敗1分
      VS
山内ユウ(ROCK ON/ 66.3kg)7戦3勝(1KO)4敗
勝者:山内ユウ / 判定0-3 (28-29. 28-29. 27-30)

初回からローキック中心の攻防でパンチを含む主導権争い。技が多彩になっていく山内。特にヒザ蹴りがインパクトを与える。

第2ラウンド以降も我謝真人はパンチとローキックを返すが、山内のヒザ蹴りが増えて流れを変えられず、山内が総合力で優った。

◆第2試合 バンタム級3回戦

小野拳大(KICK BOX/ 53.0kg)vs永井洋志(E.D.O/ 53.2kg)
勝者:永井洋志 / 判定0-3 (27-30. 27-30. 28-29)

◆第1試合 54.0㎏契約3回戦

ストロベリー稲田(治政館/ 53.8kg)vs来輝(BOM SPORTS沖縄/ 53.8kg)
勝者:来輝 / 判定0-3 (28-29. 28-30. 28-29)

《取材戦記》

永澤サムエル聖光は勝者としてリング上で、「ビクトリージムの新エースに睦雅が上がって来ましたが、僕もまだまだ譲らんぞという気持ちです。」とのアピールはインパクトある発言だった。

後輩に抜かれることなく最高峰を目指すことで、直接的に睦雅を叩き落す意味ではないだろうが、本来、選手とはこういう生き残りと勝ち上がる本能を持つものなのだろう。後輩に道を譲る為の王座返上が目立った過去の業界内でも、選手の本音は違ったものと思います。

永澤は、「今日はやりたいことは出来たので、はっきりとは決まっていませんが、またタイのラジャダムナンスタジアムで試合して、まず1勝したいです。」と語った。

今年2月2日のラジャダムナンスタジアムでの試合は判定負けではあったが、試合前の煽りVTRでは「ラジャダムナンでは凄く学べた。タイの選手はとにかくリングの広さを上手く使うことだったり、動き一つ一つに無駄が無い。ラジャダムナンのチャンピオンは倒さないと僕の中では満足できないので倒します。」と近い将来の展望を語っていた。

睦雅は「サンドバッグ並みに打ち込みました。」と語り、ボディーブローは会心の一撃だった様子。第二部のMVPも獲得した。3月に王座を獲ったばかりで先輩方より発言は控えめだったが、更に強くなって先の展開に備える自覚を見せた。

瀧澤博人は第一部のMVPを獲得し、「11月のKICK Insistはラジャダムナンスタジアムのタイトル挑戦の足掛かりとなる強い選手と戦いたいですね。リング上で希望を勝手に言いましたが、まだ何も決まっていません。」と語り、強い相手とのマッチメイクが決まるよう公開アピールした形だった。

この日は、「ローキックで脚狙って流れを組み立てる計画も、思ったよりローキックが当たらなくて、作戦は変更した流れはありました。」と語り、臨機応変に動く体勢は出来上がっている様子。

「今年は勝負に向けた準備の年だと思っています。もう一度、タイのトップと戦う為に自分の力を証明していきます。」と語っていたとおりの11月の勝負に期待です。

いずれにしても永澤サムエル聖光と瀧澤博人の近い将来は、本場のリングで存在感を示すことが出来るかが、いずれ実現すればそこが本当の勝負となり、現地のギャンブラーから支持されればより存在感も増すことに繋がるでしょう。

次回、ジャパンキックボクシング協会興行は10月8日(日)が当初の年間予定の中で予定されています。ビクトリージム(VICTORY SPIRITS)主催KICK Insist.17は11月26日(日)となります。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

瀬戸口勝也は大田拓真を迎え撃つも強打は不発、ムエタイ技に阻まれる。
木下竜輔は練習中の鼻骨骨折による欠場。
アマチュアを含め女子試合が5試合。沖縄の七美はAYAを伸び有る蹴りで主導権奪って存在感増す判定勝利。
重森陽太がフリーとなって御挨拶。今後の展望を語る。

◎MAGNUM.58 /7月9日(日)後楽園ホール17:30~20:20
主催:伊原プロモーション /認定:新日本キックボクシング協会

◆第11試合 58.0kg契約3回戦

日本フェザー級チャンピオン.瀬戸口勝也(横須賀太賀/39歳/58.0kg)
       vs
大田拓真(前・WBCムエタイ日本フェザー級C/防衛1度/新興ムエタイ/1999.6.21神奈川県出身/57.8kg)
勝者:大田拓真 /判定0-3
主審:椎名利一
副審:中山28-30. 宮沢27-30. 桜井27-30

新日本キックボクシング協会の看板を背負った剛腕・瀬戸口勝也にKO勝利の期待が掛かったメインイベント。昨年10月23日に王座初防衛した試合以来となり、コンスタントに試合をこなしてきた大田拓真と比べれば、ややブランクの影響もあっただろうか。

ニュージャパンキックボクシング連盟のエース格、大田拓真は、2月26日に大翔(WSR・F荒川)に判定勝利。5月13日にはメキシコでIRON FIST イベントに出場し、2ラウンドTKO勝利(IRON FISTムエタイ世界スーパーフェザー級王座決定戦 5回戦)。王座奪取はしたが、更なる上位への通過点である。

大田拓真のハイキックが瀬戸口勝也の顔面を掠める

大田拓真は開始から左ジャブを活かし、自分の距離を保って蹴りとパンチでリズムを作った。瀬戸口は様子見から徐々に接近しパンチ強打を狙うが、大田が組み付けば崩し転ばせ、ヒジ打ちで瀬戸口の右目尻をカットし、時折ハイキックも見せる多彩な戦略で主導権奪った大差判定勝利。瀬戸口勝也の圧力掛けて出る強打は脅威だったが、大田拓真の牙城を崩すことは出来なかった。この試合も5回戦として後半へ長引いていけば、両者にとってKOに繋がる展開が見られたかもしれないだろう。

打ち合いに持ち込みたかった瀬戸口勝也(左)

組み合えば崩し技が優った大田拓真(右)

◆第10試合 58.0kg契約3回戦 木下竜輔欠場

代打出場=バンソーン・サマット(タイ/57.55kg)
      vs
NJKFフェザー級6位.坂本直樹(道場373/57.35kg)
勝者:坂本直樹 /TKO 3R 0:46 /
主審:少白竜

坂本直樹がパンチと蹴りでの様子見から、バンソーンは特に怖いものは無いと見たか、徐々に圧力を増して飛び蹴りも見せて行く。気を付けるべきはヒジ打ちも、第3ラウンドには距離を詰め、右フックでバンソーンを倒すと、カウント中にレフェリーストップされて終了。

坂本直樹がバンソーンをロープ際に追い込んでボディーブローを打ち込む

坂本直樹が右フック一発でバンソーンを倒した直後

◆第9試合 女子バンタム級3回戦(2分制)

ミネルヴァ・スーパーフライ級4位.AYA(BLA-FREY/52.65kg)
        vs
ミネルヴァ・スーパーバンタム級6位七美(真樹ジムオキナワ/53.3kg)
勝者:七美
/判定0-3
主審:中山宏美
副審:椎名27-30. 宮沢29-30. 少白竜29-30

長身を活かした七美のハイキック、ミドルキックが攻勢を維持し、AYAの踏み込んでのパンチを前蹴りで拒む。女子でもパワーある攻勢で、終盤のヒザ蹴りの攻防では七美の勢い優る底力を見せ付けて終了。

男並みにパワーある左ミドルキックを蹴り込む七美(左)

試合終了寸前でヒザ蹴りの猛攻を掛けた七美(右)

◆第8試合 56.0kg契約3回戦

赤平大治(VERTEX/55.75 kg)vs 川端駿太(SHINE沖縄/55.3kg)
引分け 三者三様
主審:桜井一秀
副審:椎名30-28. 中山29-30. 少白竜29-29

開始からパンチと蹴りの攻防激しい展開。決定打となるダメージを与えるに至らない一進一退の展開の中、幾度か赤平が飛び蹴りを見せるが主導権支配するに至らず終了。

◆第7試合 ウェルター級3回戦

亜維二(=小林亜維ニ/新興ムエタイ/66.5kg)vs 宮平将詞(SHINE沖縄/65.75kg)
勝者:亜維二 /KO 1R 1:59 /
主審:宮沢誠

開始後、左フックの相打ちに宮平がスリップダウンも効いたような尻もち。更に蹴りからパンチの打ち合いは亜維二の勢いが増し、右ストレートがヒットすると効いた様子で後退する宮平をニュートラルコーナーに詰め連打すると、レフェリーはスタンディングダウンを宣し、再開後も亜維二はダメージ深い宮平に青コーナーに詰めて怒涛の連打。

レフェリーが再度スタンディングダウンを宣したところで、陣営からタオル投入による棄権で終了。

亜維二と宮平将詞の相打ち、宮平にダメージがあったか

ニュートラルコーナーに追い詰めてスタンディングダウンを奪う寸前の亜維二

◆第6試合 50.8kg契約2回戦

渡邊匠成(伊原/50.4kg)vs 明夢(新興ムエタイ/50.55kg)
引分け 1-0 (20-19. 19-19. 19-19)

◆第5試合 64.0kg契約2回戦

勇生(富山ウルブズスクワッド/63.2kg)vs 梅沢遼太郎(白山道場/63.35kg)
勝者:勇生 /TKO 2R 0:23 /ヒジ打ちによる額カット、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ

◆第4試合プロ 女子51.5kg契約3回戦(2分制)

オンドラム(伊原/51.45kg)vs NAO.YK(YK/51.15kg)
勝者:NAO.YK /判定0-3 (29-30. 29-30. 29-30)

◆第3試合 女子アマチュア35.0kg契約2回戦(2分制)/12ozグローブ)

西田永愛(伊原/34.95kg)vs 菊池柚葉(笹羅/34.15kg)
勝者:菊池柚葉 /判定0-2 (19-20. 19-20. 19-19)

◆第2試合 女子47.0kg契約3回戦(2分制)

aimi-(DANGER/45.85kg)vs Marina(健心塾/46.4kg)
勝者:Marina /判定0-3 (29-30. 28-30. 28-30)

◆第1試合 女子アマチュア50.0kg契約3回戦(2分制/12ozグローブ)

堀田優月(闘神塾/48.75kg)vs 野澤柚羽(Grabs) Kickboxing/48.9kg)
勝者:堀田優月 /TKO 2R 1:28 /パンチ連打でレフェリーストップ

フリーとなった重森陽太、古巣の新日本キックボクシング協会で御挨拶に立つ

《取材戦記》

重森陽太が新日本キックボクシング協会のリングに帰って来て御挨拶に立った。一旦去ったエースが帰って来たような雰囲気である。

来月9日に「KNOCK OUT」興行に出場の予定。幾らか王座獲得経験あるタイトップレベルとの対戦を控えているが、重森は「今後どのような道に行ったらいいのか迷っていた時に、伊原会長から『お前はキックボクシングを続けなさい。今迄頑張って来たのだから、お前の好きなようにやりなさい。』と激励の言葉を頂き、背中を押されました。」と感謝を述べた。

更に「今後もどんどん強い選手と戦うことで、世間でも認知されるキックボクサーになることが新日本キックと伊原代表へ出来る最大の恩返しだと思っています。」と語った。

新日本キックボクシング協会は2019年からの分裂とコロナ禍による影響、そして幾名かの選手の脱退が起こり、エース格に成長した重森陽太は今年2月19日にラジャダムナンスタジアム・ライト級王座挑戦も、チャンピオンのジョーム・パランチャイに判定負け。その後、協会から伊原稲城ジムの脱退があり、重森陽太は脱退した稲城ジムからの離脱で、個人でもフリーとなりました。

新日本キックのリング上での御挨拶となった流れでは、伊原信一代表との長年の絆が有って、フリーでやるなら新日本キックのリングも選択肢の一つでしょう。世間でも認知されるキックボクサーになるにはフリーでなく、練習環境が整ったジム所属が必要になると思いますが、今後の戦い方に注目です。

バンソン・サマット(BangThong Samat)はバントーン・サーマートか?正確な発音をタイ陣営に聞こうとしたところ、タイでのリングネームは全く違うようで、バンソン・サマットの正確な発音までは時間が無く聞き取ることが出来ませんでした。忘れなければ次回までに聞いておきたいものである。バンソンの次の試合があるかは分かりませんが。

次回、新日本キックボクシング協会興行は10月15日(日)にTITANS NEOS.33が後楽園ホールに於いて開催予定です。次代のメインイベンターを育てられるか、新日本キックボクシング協会の踏ん張りを注視したいところです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

◆相手の動きを止める技

キックボクシングは骨と骨がぶつかり合う競技である。その中のローキックとは名の通り“低い蹴り”を意味しますが、位置的には腰より下の脚を狙うことになります。その蹴り易い位置にあるのが大腿筋(太腿)を狙ったローキックでしょう。最近はカーフキックが注目されていますが、これもローキックの一種です。

ムエタイとは異なり、キックボクシング式に考えれば、パンチとローキックのコンビネーションブローがノックアウトに繋がり易い展開で、昭和40年代の創生期こそはローキックに対する防御が出来ない選手も居たようですが、ムエタイから学ぶテクニックが浸透していくと蹴り方や避け方、ブロックの仕方が熟練していきました。

しかしそこはプロの戦い。互いが戦略持って戦えば、駆け引きの中で上手く蹴れない展開や逆にやられてしまう敗北もありました。

ヤンガー舟木のローキックをブロックする須田康徳、昭和の名勝負の中で(1982年12月18日)

松本聖がローキックで逆転KOに結び付けた酒寄晃戦(1983年3月19日)

笹谷淳の得意のカーフキック、天雷しゅんすけにヒット(2022年6月18日)

◆防御

相手の蹴りを自分の胸の高さまでは膝(ヒザ)から脛(スネ)を盾にしてブロック。ハイキックを避けるには腕ブロックもしますが、腕で受けては強い衝撃で負傷の恐れがある為、動きが読めるなど可能な限りスウェーバックして避けた方がいいと言われます。

その脛を鍛える為にはビール瓶で脛を叩く伝説もありますが、ジムのリングの鉄柱を軽く蹴ったり、野球バットを打ち付けるのはあまりやらない方がよく、多くはミット蹴りやサンドバッグを長期間蹴っているうち、脛は自然と堅くなるようです。
或いは大きいサンドバッグの詰め物が重力でしっかり詰まった底の堅い部分を蹴るといいとも言われます。

そんな練習で鍛え上げた脛を持つプロ選手に「どこからでも蹴ってみろ!」と言われても簡単に脛でブロックされるので、それが素人にとっての脛は弁慶の泣き所で、痛いと分かるから本気で蹴れない怖さがあるでしょう。

技術的には、パンチ主体の構えでは脚のスタンスが広く重心が前に掛かり気味で、比較的ローキックは貰い易いと言われます。蹴り主体のスタンスでは膝を柔軟に、重心を真ん中(両足)に、踵(かかと)は常に上げ気味にフットワークを使い、対ローキックには脛ブロックで対応出来る感じです。

細田昇吾のカーフキックがTOMOにヒット(2022年11月20日)

◆経験談

顎(アゴ)にパンチや蹴りをまともに喰らえば脳震盪を起こし、ボディーに喰らえば腹部全体が鈍痛で呼吸困難になり、ローキックを脚に何発も貰うと麻痺して歩くことも困難に立ってもいられなくなると言われます。

過去のインタビューから得た話ながら、テツジム会長の武本哲治氏はプロ・アマチュアのボクシングの経験の後、キックボクシングデビュー戦で早くもローキックで痛い目に遭いました。脛ブロックも身に付いておらず、第2ラウンド中盤には脚を引き摺り、第3ラウンドには立っているのがやっとで、諦めた訳でもないのに脚が言うこと聞かず三度のノックダウンを奪われノックアウト負け。悔しさからリング上で号泣。そこからローキックの蹴り方と避け方、パンチとのコンビネーションブローを研究するも、真っ新な新人よりボクシングを熟知しているが為に、逆に身に付き難いコンビネーションに苦労したと言います。

元・全日本バンタム級チャンピオンの赤土公彦氏は「デビュー前のまだ脛ブロックも覚えていないのに、先輩方に散々ローキックで脚を蹴られて、脛ブロックの大切さを痛感。プロになって以降、家族や知り合いの前で無様にノックダウンするところは見せられないという意地が芽生えました。」と言う経験談。

空手経験者の話では、練習生に太腿を蹴らせて我慢する練習方法もあるようで、ダメージには慣れていく対処法もある様子。

1990年代までのキックボクシングの指導では「パンチからローキック!」と短絡的な指導中心だったという当時のチャンピオンも居ますが、「上下の打ち分けや、様々な蹴り方を研究する時代に入って進化した」と言われます。

昔の指導で「ボディーブローとローキックで負けるのは恥!」と言われたのは、「忍耐力が無い」と言った意味合いがありますが、忍耐力はあってもローキックで脚が麻痺して立てなくなることは、赤土氏が言うような、あまり見せたくない無様と思える展開なのでしょう。

則武知宏のローキックをブロックする藤原あらし(2022年12月24日)

岩橋伸太郎にローキックをヒットする内田雅之(2023年1月29日)

◆技の進化

最近はカーフキックが注目され、MMA(Mixed Martial Arts)などの総合格闘技から流行りだしたと言われますが、キックボクシングでもよく見かけるようになりました。

堅い脛を避けて、脹脛(ふくらはぎ)側面や後ろから上手く蹴れたら効果的ながら、脛を蹴ってしまうと蹴った方にダメージが残ったりします。

カーフキックを貰ってしまうのは、蹴りに対する対応を甘く見ていたり、「脛ブロックしないから効いてしまうんだ!」と言う意見も多い中、

「スパーリングで左ミドルキックを蹴ったら、右ローキックを合わされ、右脹脛を蹴られて歩けなくなって、それまでカーフキックを軽く見ていましたが、やはり脛ブロックがいちばんの防御でしょう。」という昔の某選手が甘く見ていて蹴られた感想。

1990年代のムエタイ名チャンピオン、ジョンサナン・フェアテックスは足払いみたいな形でカーフキックをよく使っていたようです。この蹴り難いカーフキックを的確に当てられたら、それは芸術的なテクニックで、そんな選手が増えていくかもしれません。

今回のテーマは、キックボクシング関係者からの一定の情報で纏めており、もっと高度な技術論もあるかと思いますが、あくまで一般向け解説として御理解ください。

笹谷淳のカーフキックがカズ・ジャンジラにヒット(2023年2月18日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランスとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家した。

◆競技の基盤はアマチュアから

アマチュアのムエタイ、キックボクシングに関しては、過去にも若干、話題を取り上げることはありましたが、この10年ではアマチュア界は遥かに進化し、競技人口は日本だけでなく海外でも大幅に増えています。裾野が広がり基礎が出来上がれば、数十年後にはプロとしても競技の確立に繋がる期待が高まるでしょう。

ボクシングには大正時代からアマチュアボクシングがあり、競技的には別組織でも、アマチュアからプロへの転向は実績が分かり易く、比較的スムーズな流れを持っています。

キックボクシングは創生期からアマチュア競技は無かったため、空手の経験を経てキックボクシングに移って来ること多く、昭和末期になってキックボクシング団体が母体となる、顔面打撃ありの新空手(全日本新空手道連盟)やグローブ空手(全日本グローブ空手道連盟)といった空手スタイルのアマチュア版キックボクシング競技が普及・継続されてきました。

2005年にはタイ国のムエタイ関係者がプロボクシングのWBCに打診し、プロのWBCムエタイが発足。その影響も含め、2007年頃から幾つかのプロ団体やプローモーターが低年齢層を対象としたジュニアキック・ムエタイ大会をアマチュア枠として活動し始めました。

2019年8月、第5回大会開催

WBCムエタイ日本協会代表を務める齋藤京二氏

2019年、中学生の部の55kg未満で上田咲也と対戦した小林亜維二

現在も多くの組織でアマチュア大会は拡大化し、オリンピック新種目を目指すIFMAといったタイ国が拠点の団体や、世界大会まで段階を組み立てたWBCムエタイ・アマチュア大会が存在します。

WBCムエタイ日本協会(元・実行委員会)傘下に於いては2015年から始まったU-15大会、翌年からU-18も開催。コロナ禍前の2019年8月24日に開催された、WBCムエタイ・ジュニアリーグ第5回U-15(第4回U-18)全国大会では全19階級の覇者が決定。
近年のコロナ感染拡大の影響で、2020年から各国で中止が続いたものの今年は再開に漕ぎ付けました。

WBCムエタイ・ジュニア世界大会は2022年8月にカナダ・バンクーバーで第1回大会が行われており、世界21ヶ国のU-18の代表選手にて開催されました。2年に一度の開催として、次回は第2回大会として2024年2月2日~4日、タイ国ホアヒンビーチにて開催予定です。

その出場選手代表選考会として、2023年11月5日に第6回WBCムエタイジュニアリーグ全国大会が、11月5日(日)に新宿区百人町のGENスポーツパレスにて開催されます。キックボクシング各団体やプローモーター主宰のアマチュア大会は多いものの、プロの柵は無く交流が続けられており、全国大会には各地域のアマチュア大会より代表選手を選出され、世界大会出場権を争うことになります。

WBCムエタイ・アマチュアのチャンピオンベルト

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WBCムエタイ・ジュニアリーグ世界大会日本代表選考会
(第6回WBCムエタイ・ジュニアリーグ全国大会)

2019年、中学生の部55kg未満で優勝した小林亜維二

日時:11月5日(日)午前10時より選手受付計量開始(予定)
試合開始:午前11時30分(予定)
主催:WBCムエタイジュニアリーグ実行委員会

出場年齢、階級、アマチュアとして、また少年期としてのジュニアルール制定、必須用具等の指定が有ります。

ジュニア層は身体の発育期にあり、無理な減量は行なわない指導もされている模様。そのため、世界大会まで極力待機期間が空かない11月開催が予定。

競技会の年齢別カテゴリー(参加は10歳以上)
キッズ・12歳未満(10~11歳)
キッズ・14歳未満(12~13歳)
ジュニア・16歳未満(14~15歳)
ジュニア・18歳未満(16~17歳)

参加選手の年齢は、試合当日の生年月日で決定されます。
ジュニアカテゴリーでの参加選手の最高年齢は17歳を超えてはなりません。

ラウンド数
キッズ/12歳未満(3回戦/1分制/インターバル1分)
キッズ/14歳未満(3回戦/1分半制/ インターバル2分)
ジュニア/16歳未満(3回戦/2分制/インターバル2分)
ジュニア/18歳未満(3 回線/3分制/インターバル1分半)
ジュニア王座決定戦(5回戦/2分制/インターバル2分)

制限                      
ヒジ打ち無し、キッズ(14歳未満)は頭部顔面への攻撃は禁止、ジュニアは頭にヒジ打ち、ヒザ蹴りは禁止。    

着用必須用具(グローブ・トランクス以外)
ボディプロテクター、マウスピース、肘サポーター、ノーファールカップ、バンテージ、レッグガード(脛保護サポーター)、ヘッドギア

階級
キッズ(kg)は10歳から13歳まで30kgから60kgまで2kg間隔のリミット、60kg超から71kg超まで異なるリミットが存在します。

ジュニア:16歳未満、18歳未満。基本的には大人と同じ階級。
階級はミニフライ級からライトヘビー級までプロボクシングの階級に準じ、クルーザー級以上はスーパーヘビー級まで異なる4階級のリミットが存在します。

他、医療関連の問題に関する適格性
最終決定は、計量時前のメディカルチェック時に医師によって行われます。

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2022年1月、ウェルター級でプロデビューした小林亜維二、山内ユウと対戦

十代の成長は早いものです。個人差はあれど、3ヶ月で1~2cm、体重も2~3kg増えそうなものです。長期に渡るトーナメント戦は成人の場合と違い、ウェイト制の難しさがあるので開催はしない模様。アマチュアの試合なのでワンデートーナメントが多いものの、世界大会出場権を得ての3ヶ月は大事に過ごして欲しいものです。

かつては他のアマチュアイベントに於いて、那須川天心、福田海斗、吉成名高らがアマチュアジュニアムエタイを経てプロで名を馳せました。WBCムエタイ・ジュニアリーグだけでないジュニア世代の、今後も新たなスター発掘となる十代の活躍でしょう。

2019年、第5回大会の表彰選手達、今年の優勝者は誰か

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

今回のメインイベンター則武知宏はTOMOにヒジ打ちで切り裂く見せ場を作るも引分けに終わる。

◎野獣シリーズvol.3 / 6月17日(土)後楽園ホール17:30~21:02
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

(試合順は中止試合を省いています。戦歴はパンフレットより。この日の結果を含む)

◆第13試合 フライ級5回戦

NKBフライ級3位.則武知宏(テツ/1994.12.5岡山県出身/50.65kg)
19戦8勝(4KO)7敗4分
        VS
NJKFフライ級3位.TOMO(K-CRONY/1982.10.30茨城県出身/50.65kg)
22戦7勝(5KO)12敗3分
引分け0-1
主審:前田仁
副審:加賀見49-49. 鈴木48-49. 高谷49-49

則武知宏は昨年12月24日に、ノンタイトル戦ながら藤原あらしに挑む形で、4ラウンド3ノックダウンによるKO負けを喫しているが、今回のメインイベントはTOMOを迎え撃つ形でしっかり勝利を掴みたいところ、両者は2020年2月8日に3回戦で引分けており、今回は5回戦で決着が付くと思われた。

引分けは惜しいが、一進一退の攻防が続いた則武知宏とTOMOの5回戦

初回はローキック中心の攻防。距離は遠く、単発の蹴りで長丁場を意識した様子見の両者。第2ラウンドには距離が近くなり、蹴りからパンチが激しくなる。

第3ラウンドには則武知宏がTOMOを青コーナーに追い詰め、ヒジ打ちでTOMOの額を切ってややリズムに乗って攻勢に転じるも、TOMOも劣勢を許さず先手打つパンチとローキックもあったが決定打に繋がらず試合終了。攻防の密度は濃かったが、またも引分けに終わった。

TOMOの長身が活きる中、則武知宏の距離を詰めての攻勢も強かった

健闘を称え合いツーショットに収まる両者

◆第12試合 57.0kg契約3回戦

WBCムエタイ日本フェザー級9位.TAKERU(GET OVER/1999.4.20愛知県出身/ 56.55kg)
25戦16勝(8KO)8敗1分
        VS
NJKFバンタム級4位.吏亜夢(ZERO/2004.12.3栃木県出身/56.85kg)
14戦8勝4敗2分
引分け 1-0
主審:高谷秀幸
副審:加賀見30-29. 鈴木29-29. 前田29-29

アンダーカードに比べ、スピーディーで、しなやかさが増した蹴りの攻防。2ラウンドまでは吏亜夢の長身を活かした蹴りと首相撲からヒザ蹴りで主導権奪った展開も、初回からコツコツ蹴って来たTATERUのカーフキックが第3ラウンドには逆転した流れで吏亜夢を苦しめたが時間切れで終了。

KAKERUがカーフキックで吏亜夢を苦しめた

ラストラウンド、吏亜夢の左ストレートがヒット

◆第11試合 ライト級3回戦

KEIGO(BIG MOOSE/1984.4.10千葉県出身/60.75kg)21戦7勝9敗5分
      VS
蘭賀大介(ケーアクティブ/1995.2.9岩手県出身/61.1kg)7戦5勝(3KO)1敗1NC
勝者:蘭賀大介 / 判定0-3
主審:加賀見淳
副審:前田27-30. 鈴木27-30. 高谷27-30

初回、互角の攻防から徐々に首相撲からヒザ蹴りの連打と圧力で第3ラウンドにはKEIGOを体力消耗でヘロヘロにしたところで右ストレートからパンチ連打でロープダウンを奪った蘭賀大介。更にパンチで追って大差判定勝利。

グロッギー状態のKEIGOを追い詰める蘭賀大介

蘭賀大介の連打を受けてロープダウンを喫するKEIGO

◆第10試合 59.5kg契約3回戦

半澤信也(Team arco iris/1981.4.28長野県出身/59.35kg)27戦9勝(4KO)14敗4分
       VS
NIIZMAX(クロスポイント吉祥寺/1980.9.20東京都出身/59.0kg)32戦15勝15敗2分
引分け 三者三様
主審:鈴木義和
副審:前田30-29. 高谷30-30. 加賀見29-30

スロー気味にフェイント入れる蹴りで、やや変則的なNIIZMAX。半澤信也も攻め難そうな中、互いのヒットも単発で噛み合わない攻防の末の引分け。

決定打の無い展開からラスト1秒でNIIZMAXが後ろ蹴りを見せる

◆第9試合 60.0kg契約3回戦

田中大翔(不死鳥道場/2002.7.4新潟県出身/59.0kg)7戦6勝(4KO)1敗
        VS
山本太一(ケーアクティブ/1995.12.28千葉県出身/60.0kg)13戦5勝(4KO)5敗3分
勝者:田中大翔 / TKO 2R 1:21 /
主審:前田仁

序盤は山本太一の先手パンチが有効だったが、田中大翔の左ストレートで山本がバランスを崩したような転び方。スリップ扱いだったが、このパンチが効いていたか、流れは田中に傾き、第2ラウンドにも左ストレートで山本を倒し、立って来るがカウントほぼ8辺りでレフェリーストップ。

田中大翔の左ストレートを喰らってスリップダウンする山本太一、これは効いていたか

◆第8試合 55.0kg契約3回戦

ベンツ飯田(TEAM Aimhigh/1997.4.17群馬県出身/54.7kg)14戦3勝(1KO)9敗2分
       VS
蒔田亮(TOKYO KICK WORKS/2002.6.23千葉県出身/54.9kg)3戦3勝
勝者:蒔田亮 / 判定0-3
主審:加賀見淳
副審:高谷27-29. 鈴木28-29. 前田28-29

ダブルノックダウン寸前のパンチ交錯の後、蒔田亮がパンチでノックダウンを奪って攻勢を維持して判定勝利。

ダブルノックダウン寸前から蒔田亮が攻勢に転じてここでノックダウンを奪う

◆第7試合 57.5kg契約3回戦

村上祐馬(不死鳥道場/1994.6.23長野県出身/57.25kg)3戦2勝(2KO)1分
       VS
堀井幸輝(ケーアクティブ/1996.11.7福岡県出身/57.3kg)3戦2勝1分
引分け 0-1
主審:鈴木義和
副審:高谷29-29. 前田29-29. 加賀見29-30

下がり気味の堀井幸輝だったが、クリーンヒットが優って互角の展開に収まり引分け。

◆第6試合 ライト級3回戦

マングース松崎(NEXT LEVEL渋谷/2003.3.7沖縄県出身/60.15kg)3戦1勝1敗1分
        VS
辻健太郎(TOKYO KICK WORKS/1984.3.13東京都出身/61.2kg)3戦1勝2分
引分け 三者三様
主審:高谷秀幸
副審:加賀見30-29. 前田30-30. 鈴木29-30

◆第5試合 54.5kg契約3回戦

安河内秀哉(RIKIX/2003.10.7東京都出身/54.4kg)5戦3勝(2KO)2敗
      VS
煌(KANALOA/2004.12.18岐阜県出身/54.45kg)1戦1敗
勝者:安河内秀哉 / 判定3-0
主審:鈴木義和
副審:加賀見30-28. 前田30-28. 高谷30-28

安河内秀哉がカーフキックで煌を苦しめ主導権奪って第2ラウンドと3ラウンドを抑えて判定勝利(10-9)。

◆第4試合 バンタム級3回戦

幸太(八王子FSG/1998.3.19山形県出身/53.3kg)5戦1勝4敗
      VS
香村一吹(渡邉/2007.7.22東京都出身/53.4kg)2戦2勝
勝者:香村一吹 / 判定0-3 (27-30. 27-30. 27-30)

香村一吹は前進気味に幸太をロープ際に追うが蹴りが少ない。それでも接近戦でパンチ連打でスタンディングダウンを奪って大差判定勝利。

◆第3試合 60.0kg契約3回戦

木村郁人(BIG MOOSE/2000.12.27千葉県出身/59.65kg)5戦1勝4敗
      VS
利根川仁(Realiser STUDIO/2003.1.24東京都出身/59.6kg)1戦1勝
勝者:利根川仁 / 判定0-3 (26-30. 26-30. 26-30)

第2ラウンドに利根川仁がヒザ蹴り連打でスタンディングダウンを奪って攻勢を維持して大差判定勝利。

◆第2試合 女子53.0kg契約3回戦(2分制)

KARIN(HEAT/2007.2.15静岡県出身/51.9kg)2戦1勝1敗
     VS
RUI・JANJIRA(JANJIRA/2000.11.5東京都出身/52.7kg)1戦1敗
勝者:KARIN / 判定2-0 (29-28. 30-30. 29-28)

KARINが前蹴りの素早さで主導権奪って攻勢維持。RUIも細かくパンチを打って出る踏ん張りを見せた。

◆第1試合 ウェルター級3回戦

健吾(BIG MOOSE/1993.10.10千葉県出身/66.3kg)2戦1勝1敗
      VS
後藤啓太(拳心館/1997.8.29新潟県出身/66.6kg)2戦2勝(1KO)
勝者:後藤啓太 / 判定0-3 (28-30. 28-30. 29-30)

◆フェザー級3回戦 真生の体調不良により欠場により中止
真生(神武館)vs増田康介(Realiser STUDIO/ 56.75kg)

《取材戦記》

前回興行までは藤原あらしや片島聡志が特別出場していた感じの賑やかさも、今回は特別参加は無く、やや物足りなさを感じる興行でした。更に13試合中5試合が引分け。それがセミファイナルとメインイベントが含まれていては消化不良の印象は拭えないでしょう。

第12試合で、蘭賀大介の連打を受けてKEIGOがロープダウンを喫しました。ロープが無ければ倒れていたと考えられる状態を言います。今回はスタンディングダウンと言っても問題無い範疇でしょう。スタンディングダウンは立ったまま打たれ続けては危ない為、“ノックダウン同様扱い”となりますが、プロボクシングではスタンディングダウンが無い為、このまま試合ストップされます。これには賛否両論あるようですが、スタンディングダウンは有った方がいいと思います。

日本キックボクシング連盟興行は8月5日(土)に拳心館主催興行、野獣シリーズvol.4が新潟県万代島大かま多目的ホールにて開催。メインイベントは「棚橋賢二郎(拳心館)vsガン・エスジム(タイ)。

8月6日(日)には大阪府豊中市の176BOXに於いて、「Z-V Carnival」が朝11時より開催。メインイベントは高橋聖人(TRIANGLE)vsどん冷え貴哉(Maynish)。夕方興行では「ガルーダフェスvol.4」が15時30分より開催。メインイベントは高橋一眞引退試合、高橋一眞(TRIANGLE)vs駿(Reborn)。

いずれも野獣シリーズvol.5となるようです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

月刊『紙の爆弾』2023年7月号

タイからやって来た実力者二名はいずれも左フックでノックダウンを奪って勝利に結びつけ、オールラウンドプレーヤーの実力を見せた。
ヨッド・パランチャイは波賀宙也に判定勝利。
ペッチ・パランチャイは山浦俊一にノックアウト勝利。
在日タイ選手のガン・エスジムもしぶといムエタイ技で判定勝利を飾った。

◎NJKF 2023.3rd / 6月4日(日)後楽園ホール17:30~20:25
主催:ニュージャパンキックボクシング連盟 / 認定:NJKF、S-1
(戦績はNJKF発表でこの日の結果を含む)

◆第8試合 S-1世界ジュニアフェザー級(122LBS)王座決定戦 5回戦

ヨッド・パランチャイ(1999.5.4タイ・ナコンシータマラート出身/ 54.2kg)
       VS
波賀宙也(立川KBA/1989.11.20東京都出身/55.33kg)46戦27勝(4KO)15敗4分
勝者:ヨッド・パランチャイ / 判定3-0
主審:多賀谷敏朗
副審:中山50-46. 児島50-47. 少白竜49-46

波賀宙也は元・IBFムエタイ世界Jrフェザー級チャンピオン。
ヨッド・パランチャイは現・BBTV・120LBS級チャンピオン。元・タイ国ムエスポーツ協会ミニフライ級チャンピオン。

主審・副審はWBCムエタイライセンスを取得している審判団で構成。

波賀宙也の蹴りに対する様子見のヨッド・パランチャイ。牽制する波賀は突破口を開きたいがヨッドの返し技の圧力が強い。

波賀も負けない攻勢を掛けるも的確さで優るヨッド。試合への意気込みを語っていたとおり、オールラウンドプレーヤーぶりを発揮。

第4ラウンドにはヨッドが狙った左フックで波賀がノックダウンを喫する。最終ラウンドには逆転狙う波賀と、逃げ切りモードのヨッドは下がり気味ではあるが波賀のクリーンヒットは許さず熟練のテクニックで凌いだ。

ペッチと似た流れでヨッド・パランチャイの左フックが波賀宙也の顎に炸裂

その左フックでノックダウンを喫した波賀宙也

先手打つヨッド・パランチャイが前蹴りで波賀宙也の前進を拒む

◆第7試合 61.0kg契約3回戦

ペッチ・パランチャイ(2003.9.21タイ・ナコンシータマラート出身/59.75kg)
VS
山浦俊一(新興ムエタイ/1995.10.5神奈川県出身/60.8kg)32戦17勝(3KO)13敗2分 
勝者:ペッチ・パランチャイ / KO 2R 1:25
主審:竹村光一

山浦俊一は前・WBCムエタイ日本スーパーフェザー級チャンピオン。

開始早々のペッチの左フックで山浦俊一が不覚のノックダウン。すぐさまペッチはヒットさせるよりプレッシャーを掛けるような飛びヒザ蹴り。パンチも強く、ハイキックもローキックもしなやかにスピーディーに蹴って来るペッチ。

ダメージは少ない山浦は冷静に巻き返しに出るが、目が良いペッチ、第2ラウンド半ばにはまたも左フックでノックダウンを奪うと山浦はゆっくり立ち上がるも陣営からタオル投入、レフェリーは続行寸前だったが、タオル投入を見て、これを認めて終了。

止められた途端、限界を超えたか倒れ込む山浦俊一だったが、時間をおいて無事に立ち上がった。

第2ラウンドのペッチの左フックで山浦俊一のこめかみヒット、これでKO

立ち上がるもKO負けを宣せられて集中力が切れたか、倒れ込む山浦俊一

◆第6試合 60.0kg契約3回戦

ガン・エスジム(元・ラジャダムナン系フェザー級7位/1995.3.30タイ・ラチャブリー県出身 58.3kg)
VS
NJKFスーパーフェザー級5位.龍旺(Bombo Freely/ 2002.1.20茨城県出身/60.0kg)
7戦5勝(2KO)1敗1分 
勝者:ガン・エスジム / 判定3-0
主審:中山宏美
副審:竹村29-28. 多賀谷30-28. 児島30-28

日本の新鋭とタイのベテランの対決。離れての攻防は龍旺の勢いがあるが、至近距離に入るとガンエスジムの本領発揮。

スタミナ勝負でも龍旺が優る兆しも、最終第3ラウンドにはガンエスジムが接近戦に持ち込み、ムエタイ技の的確さでロープ際での右ヒジ打ちで龍旺の左目尻をカット。

上手さで優ったベテラン、ガンエスジムが判定勝利した。

ガンエスジムの右ヒジ打ちで龍旺の左眉尻にヒット、流血となる

流血しながらガンエスジムの前進を食い止める龍旺

◆第5試合 55.0kg契約3回戦

NJKFバンタム級3位.嵐(キング/2005.4.26東京都出身/54.75kg)10戦8勝(3KO)1敗1分
        VS
KAZUNORI(T-KIX/1986.5.20静岡県出身/55.0kg)38戦14勝(4KO)24敗
勝者:嵐 / 判定3-0
主審:少白竜
副審:竹村30-26. 多賀谷30-27. 中山30-27

的確差で圧倒する嵐が前進。テクニックの差を見せ付ける展開から右ヒザ蹴りでノックダウンを奪い、パンチでラッシュを掛けるも仕留めきれない。

第2ラウンド以降も嵐が優勢もノックアウトに結び付ける勢いは無くなってしまう。

嵐のスタミナ切れか、KAZUNORIは反撃の踏ん張りも見せ、判定は大差で嵐の勝利。これが5回戦だったら、更なる展開も予想されるところだろう。

嵐が素早さと勢いで圧倒もパワー不足でKO成らず

◆第4試合 フライ級3回戦

NJKFフライ級1位.谷津晴之(新興ムエタイ/2003.5.7神奈川県出身/50.65kg)
15戦8勝(3KO)4敗3分
        VS
同級7位.西田光汰(西田/2001.2.12愛知県出身/50.7kg)5戦4勝(1KO)1敗
勝者: 谷津晴之 / 判定3-0
主審:児島真人
副審:竹村30-26. 少白竜30-26. 中山30-26

第1ラウンド、テクニックで優った谷津晴之。コーナーに詰めて飛びヒザ蹴り。更にパンチ連打でスタンディングダウンを奪う。

第2ラウンドも的確さが増していく谷津晴之だが、西田光汰の反撃も衰えない。的確さと圧力で谷津晴之が大差判定勝利。

谷津晴之も終始圧倒の展開を見せた

◆第3試合 フライ級3回戦

愁斗(Bombo Freely/2001.11.24茨城県出身/50.6kg)5戦3勝(1KO)2分
        VS
高橋大輝(エス/1996.4.24神奈川県出身/50.25kg)5戦2勝(1KO)2敗1分
勝者:愁斗 / KO 1R 1:27 /

新井田豊似の愁斗の離れても接近してもスピーディーな蹴り。その鋭いヒザ蹴り一発でノックダウンを奪ってテンカウントによるノックアウト勝利。

風貌が新井田豊に似ている愁斗、この選手も素早く圧倒でKO勝利

◆第2試合 女子(ミネルヴァ)アトム級3回戦2分制

AZU(DANGER/1993.5.19生/46.2kg)7戦2勝5敗
        VS
Nao(AX/1998.11.1埼玉県出身/45.8kg)2戦2勝(1KO)
勝者:Nao / TKO 2R 1:42 /

的確差で優ったNaoが接近戦でのヒザ蹴り一発でAZUをノックダウンさせると、蹲ったまま苦しそうな表情でカウント中のレフェリーストップ。AZUはすぐには立ち上がれなかった。

◆プロ第1試合 フェザー級3回戦

パヤヤーム浜田(キング/1983.11.29神奈川県出身/56.95kg)16戦2勝(1KO)13敗1分
        VS
隼人(西田/2004.3.2愛知県出身/57.1kg)5戦3勝2敗
勝者:隼人 / 判定0-3 (27-30. 27-30. 27-30)

タイ語の“パヤヤーム”は努力を意味する。開始後は互角に進むも徐々に打たれて行くパヤヤーム浜田。蹴られても殴られてもコーナーに詰められ連打され、止められそうな劣勢でもチャンスを待ち時折、反撃のパンチをヒットさせ終盤には逆転の兆しも見せたパヤヤーム浜田。ほぼ一方的な劣勢でも諦めなかったパヤヤーム浜田は、毎度のことながら敗れても名に恥じない意地を見せた。

◆アマチュア試合(over40) 66.0kg契約2回戦(90秒制)

ゴッドファーザーTOMO(FREEDOM・OZ/1973.2.22神奈川県出身/65.6kg)
        VS
クラッシャー萩原(TeamK.O.garage/1975.6.9東京都出身/65.75kg)
引分け0-0 (19-19. 19-19. 19-19)

《取材戦記》

タイ文字を掲載出来ないので省きますが、ヨッドは発音的には“最高” を意味するヨードだろうか。ペッチはダイアモンドを意味するペットかもしれません。インタビューしておけばよかったと今更後悔です。辛(から)いと言う意味のペットではありません。昔(1986.11.29)、「神秘のムエタイ」で来日した無冠ながら、ペット・ライオンマンというアグレッシブな選手がいましたが、そんな選手も思い出しました。

名ばかりの世界戦が増えたキックボクシング界は、さすがにその注目度が観衆の数に表れてしまうが、この日の閑散とした中での後半は日本vsタイ国国際戦3試合で、第一線級で戦っている来日タイ選手2名と、在日ながらガン・エスジムはその高い技量で存在感を示しました。

昨年6月5日、IBFムエタイ世界ジュニアフェザー級王座を失った波賀宙也は、9月25日に片島聡志(Kick Life)に判定勝利して復活も、今年4月16日にコンコム・レンジャージム(タイ)に判定負け。今回はIBFムエタイ世界再挑戦へ向けた中での前哨戦となるS-1世界戦。敗れはしたが、立川KBA伊藤浩之会長は「チャンスがあればとことんやる!」と波賀はまだまだ挑戦のモチベーションは衰えていないと宣言。今後の話題性高めた世界戦に期待したいものです。

毎度の赤コーナーと青コーナーの逆位置パターンが定着したNJKF興行。他団体やフリーの興行の中でも増えて来ている現在、横文字で対戦カード選手名を書いた場合、左側に赤コーナー選手が来ないと映像と文字配列の位置的な関係が悪いのだろう。しかし、長く後楽園ホール興行を観て来た偏屈高齢者だけかもしれませんが、後楽園ホールの造りからチャンピオンの定位置と言える赤コーナーは長年、テレビで観て来た右側(北東側)から入場してリングに立つパターンが固定概念となっているのである。テレビ画面に流れた選手名は縦書き(右に赤コーナー、左に青コーナー)でした。沢村忠さんの定位置とも言えた赤コーナーは元のままがいいという偏見です。若い人には現在の横文字式が違和感ないかもしれませんね。これが時代の流れなのでしょう。

次回NJKF興行は8月11日(金・祝)に埼玉県春日部市にてPITジム興行「絆」が開催。9月3日(日)には大阪府堺市にて誠至会興行「NJKF 2023 west 4th」が開催。9月17日(日)には後楽園ホールに於いて本興行「NJKF 2023.4th」が開催予定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

◆渡邊ジム初のチャンピオン

酒寄晃は1953年(昭和28年)4月、茨城県出身。第4代、第8代全日本バンタム級チャンピオン、第7代全日本フェザー級チャンピオン。現在も続く名門・渡邉ジム最初のチャンピオンとして、キックボクシング界黄金期から斜陽化時代に、強面でパワフルにKOを狙う負けん気の強さでチャンピオンの座に長く君臨した。

1972年(昭和47年)4月、19歳でデビューした酒寄晃は、元々プロボクシングの経験があったが、芽が出ずキックボクシングに転向してきた経緯があった。新人時代は伸び悩んだりジムから遠ざかったりと周囲から期待も小さかったが、それまでの下積みが基盤となって徐々に実力開花していった。

1974年11月6日に茨城県水戸市での全日本バンタム級王座挑戦では、所属する渡邊ジムが一丸となって酒寄晃をバックアップ。ジム設立5年目にして初のチャンピオン誕生を目指していた。そして俊善村正(烏山)をパンチで4ラウンドKOして王座獲得。当時の全日本・協同プロモーション系は日本テレビ系で放送されていた時代。現在と違い希少価値あるチャンピオンの名は全国に轟く効果があった。そんな全盛期、毎月の試合も志願した酒寄晃だったが、誰もが通る試練もやって来た。

◆スランプから開花

1975年7月7日、茨城県笠間市で俊善村正との再戦に薄氷の引分け初防衛したが、1976年4月24日、茨城県下館市で渡辺己吉(弘栄)に4ラウンドKO負けで王座陥落。

1977年6月17日、日本武道館で渡辺己吉と再び王座決定戦を争うが、判定負けで返り咲き成らずも、渡辺己吉の引退で1978年2月10日、酒寄晃は王座決定戦で隼壮史(栄光)に2ラウンドKO勝利して王座返り咲き(以後・後楽園ホール)。減量苦もあったが、スランプを脱したその勢いで同年7月22日、全日本フェザー級王座決定戦で、花井岩(雷電)に判定勝利して二階級制覇。第7代全日本フェザー級チャンピオンとなる。バンタム級王座は返上。

酒寄晃が更に自信を深めたのは1979年9月、タイの二大殿堂ジュニアライト級元・チャンピオンで、長江国政や藤原敏男も下している上位ランカーだったビラチャート・ソンデンをパンチでKOしたことだった。

渡邉信久会長も後に、「酒寄はごく普通の入門生で、気は強そうだったがムラッ気があって成長に時間が掛かったが、こんなに強くなるとは思わなかった。」と語るほどだった。

とにかくブン殴れば倒れない相手はいないと自信を深め、KOを狙う試合が増えていった。

翼五郎(東洋パブリック)、金沢竜司(金沢)、佐藤正広(早川)、少白竜(萩原)、甲斐栄二(仙台青葉)らを退けた中、1981年元日の挑戦者だった、当時まだ18歳の現・レフェリーの少白竜氏は、

「50戦を超える獰猛なゴリラみたいなベテランの酒寄さんはとにかく強かった。パンチ躱すのが速く、違うところから素早く蹴られ、重いパンチでわずか2分あまりで倒されました!」と恐怖?体験を語る。全日本フェザー級王座は5度防衛に達したが、当時はキックボクシング界が低迷期に入り、1981年は業界分裂・新団体設立が始まった年だった。

◆頂上決戦

1982年1月4日、日本プロキック・フェザー級王座決定戦で、玉城荒次郎(横須賀中央)に4ラウンドKO勝利で新王座獲得。

1982年7月、日本ナックモエ・フェザー級王座決定戦で、佐藤正広(早川)に判定勝利して新王座獲得。

細分化していく業界だったが、酒寄晃は分裂の度に王座決定戦を制し、常に頂点に君臨。現在のような、戦わずにチャンピオン認定など行わない正当な制度だった。
その実力を証明する1983年3月の1000万円争奪オープントーナメント56kg級決勝7回戦は事実上の日本フェザー級頂上決戦の構図となり、年齢もデビュー時期も近く、同時代を生きつつも戦うことは難しかった日本系(旧TBS系)で成長して来た松本聖(目黒)と拳を交えた。

初回、酒寄が先にフラッシュダウンはするものの、逆にパンチで三度のノックダウンを奪いながら、第2ラウンド以降、松本のパンチとローキックで酒寄はリズムを徐々に崩し、セコンドからの「お前の方がパンチ強えんだからパンチで行け!」という声も、解っているけど当たらない、もどかしい表情で松本に向かうが、歴史に残る名勝負となる激戦を残しながら5ラウンド逆転KO負けを喫した。松本よりパンチも蹴りも、打たれ強さも兼ね備えていながら敗れたのは、「慢心から来るものだった」と深く反省したという。

強いパンチと蹴りで松本聖を苦しめたがKOには繋げず(1983.3.19)

松本聖のローキックに苦しめられたのは酒寄晃(1983.3.19)

酒寄晃のパンチは重かった。第1Rには圧倒したが……(1983.3.19)

気が強い酒寄晃、心機一転、甲斐栄二戦に臨む(1983.9.10)

本領発揮、右ハイキックで甲斐栄二を苦しめる(1983.9.10)

強打者同士、鼻血を流したのは甲斐栄二(1983.9.10)

まだまだ全盛期、引退の陰りは無かったが……(1983.9.10)

◆昭和のレジェンド

その後、日本統一王座を決する計画が進められ、松本聖との再戦が浮上したが、組織の細分化は再集結には難しい不運な時期だったこともあり、統一戦は実現に至らず、1984年夏、長年のライバルの佐藤正広(早川)にKO勝利した試合をラストファイトとして引退を決意。

同年の1984年11月、業界が急好転し期待された4団体統合の日本キックボクシング連盟設立で、酒寄晃の再度の活躍が期待されたが、すでに31歳。長年の激戦からくる故障もあってモチベーションを高めるには至らなかったようだ。同門の新鋭・渡辺明がタイトルを争うまでに成長して来た影響もあっただろう。

そして翌年の6月7日、盛大に引退式を行ないリングを去った。

[写真左]引退セレモニーでの御挨拶、風貌に似合わず優しい口調で感謝の言葉を述べられた(1985.6.7)/[右]テンカウントゴングに送られる酒寄晃、13年の現役生活だった(1985.6.7)

 

引退興行の当日プログラムはポスターとともにインパクトがあった(1985.6.7)

強面顔の酒寄晃は、近寄り難いタイプながら仲間内では明るく振る舞うムードメーカー的だったとも言われ、渡邉会長の厳しい指導もあっただろうが、「性格は繊細でジムでも練習道具は整理整頓し、試合で使用するバンテージも鮮やかなほどキレイに巻いていた。」と言われるほど几帳面だった。

引退後は若い職人を従えての内装建築業を営み、その繊細な心で事業を展開していた様子。

「引退当時はジムによく来ていたよ。」という渡邊会長も、事業が忙しくなった様子で後には姿は現さなくなったという。「今は何しているのかなあ!」という古い時代の渡辺ジム関係者達である。

全日本系列では歴史上、藤原敏男、大沢昇、島三雄、岡尾国光、長江国政、猪狩元秀といった名チャンピオンが名を連ねる中、後に分裂で道は分かれたものの、酒寄晃は昭和の名チャンピオンに並ぶレジェンドだったと言えるだろう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

睦雅と大地・フォージャーはいずれも王座獲得後初戦となる。

睦雅はヒジ打ちで初戦を飾り、大地・フォージャーはムエタイ戦法に攻め倦み、持ち味を殺された決定打の無い引分けに終わる。

◎Road to KING / 5月21日(日)市原臨海体育館 / 開場15:00、開始16:00~18:47
主催:市原ジム / 認定:ジャパンキックボクシング協会(JKA)

※試合順は西原茉生vs花澤一成を省いています(プログラムと異なります)

◆第8試合 62.0kg契約 5回戦

JKAライト級チャンピオン.睦雅(ビクトリー/ 61.85kg)18戦12勝(6KO)4敗2分
      VS
チュ・ギフン(元・韓国格闘技ライト級Champ/韓国/ 61.5kg)39戦22勝12敗5分
勝者:睦雅 / TKO 1R終了 / ヒジ打ちによるカットによる顔面負傷で棄権。
主審:少白竜

睦雅の様子見の右ミドルキック、次第に圧力を増していった

睦雅が左ヒジ打ち、これがヒットかは微妙ながら、この後すぐ、チュ・ギフンが流血

今回の試合で引退と発表しているチュ・ギフンと、3月19日の王座獲得後、最初の試合になる睦雅。前日計量では髪の毛を金髪にしてイメージチェンジをした睦雅。タイトル奪取と試合に向けてのコメントは「有難うございます。明日は必ず勝ちます。」と語った。チュ・ギフンは同国の選手と軽い談笑はしていたが緊張気味であった。

第1ラウンド、睦雅が蹴り主体に攻め、チュ・ギフンが対抗し一進一退の攻防で進むが、残り30秒辺りに睦雅の左ヒジがチュ・ギフンの左瞼をカット。ドクターチェック後、睦雅はパンチ、ヒジ打ちでチュ・ギフンの負傷箇所を襲うが、チュ・ギフンも反撃しながら凌いでラウンド終了もインターバル中、チュ・ギフンサイドからタオル投入。負傷箇所が悪化で続行出来ないと判断した様子。

睦雅はメインイベントをKO勝利で締めたこともあり、「王者として興行を締める責任を果たせたと思います。有難うございます。」とコメント。チャンピオンとしての責任感を何度も意識していた睦雅は、「先輩の永澤サムエル聖光選手の姿を見たり、直接指導を受けて学びました。」と語った。

◆第7試合 67.0kg契約3回戦

JKAウェルター級チャンピオン.大地・フォージャー(誠真/ 66.95kg)
17戦7勝(5KO)9敗1分
VS
コンデート・ギャットプラパット(元・タイ7ch・フェザー級Champ/タイ/ 66.5kg)
107戦82勝(11KO)21敗4分
引分け 三者三様
主審:松田利彦
副審:少白竜29-30. 仲29-29. 桜井29-28

両者探り合いの展開から大地は体格差を活かしパンチを主体に攻めていく中、コンデートは手数は少ないものの、大地に攻め込ませないように上手くリング(広さ、奥行き)を使った距離を取る戦法。大地はラッシュをかけるも決定打を打たせて貰えず終了。

時折コンデートが技を見せ、左ハイキックが大地を襲う

追う大地とロープに詰まりながらも余裕のコンデート

◆フライ級3回戦 -中止-

JKAフライ級2位.西原茉生(治政館/ 50.4kg)vs花澤一成(市原/ 50.7kg)

前回3月19日の、偶然のバッティングによる負傷引分けとなった再戦も、花澤一成が前日計量はパスしているが、急な発熱による体調不良の為、ドクターストップ(検診時)。西原茉生はリング上で「フライ級の王者を目指す」と宣言。再戦は7月16日のKICK Insist.16へ延期。

◆第6試合 フェザー級3回戦

JKAフェザー級2位.皆川裕哉(KICK BOX/ 57.1kg)21戦10勝9敗2分
        VS
ユン・ソン(韓国/ 56.7kg)14戦9勝(2KO)5敗
勝者:皆川裕哉 / 判定2-0
主審:桜井一秀
副審:椎名29-29. 松田30-29. 仲30-29

試合前、皆川裕哉はリラックスした表情で、「勝ちます。もちろんKOで、楽しんで来ます。」とコメント。

初回、皆川裕哉は得意の多彩な蹴りで自分の距離に持ち込もうとするが、ユン・ソンは受け身となりながらも回転回し蹴りで会場を沸かせ、皆川はしっかりブロックをしてダメージを受けず。その後、皆川のパンチとキックのコンビネーションにユン・ソンは打たれ強さで耐え、重いパンチで反撃をして来ると皆川が攻め倦むシーンもあった。最終ラウンドも皆川のローキック中心で優勢な展開の中、再びユン・ソンの回転回し蹴りが仕掛けられるが皆川は冷静に対処して判定勝利。
試合後、ユン・ソンは終始無言。皆川裕哉は「試合は楽しめました。相手の選手の回転蹴りは驚きました。いい経験でした。」と語っていた。

攻勢の中でも危険な打ち合いに出ること多い皆川裕哉

大技を繰り出すこと多い皆川裕哉、勢い付いて左ミドルキックヒット

◆第5試合 55.0kg契約3回戦

JKAバンタム級4位.樹(いつき/治政館/ 54.9kg)9戦5勝(2KKO)3敗1分
      VS
キム・テゴン(韓国/ 55.0kg)12戦7勝(4KO)4敗1分
勝者:樹 / 判定3-0
主審:松田利彦
副審:桜井30-27. 少白竜30-27. 仲30-27

樹は同日の岡山ジム興行に出場している麗也(治政館)を意識し、「負けられない、勝利を約束します!」と力強くコメント。

初回、樹のローキックが効果的に決まり、キム・テゴンはパンチで応戦するも、ラウンドが進むにつれ、樹の圧力で前に出難い状況になる。樹はキム・テゴンへのローキックの効果を確信し、パンチの連打でコーナーに追い込むが、キム・テゴンはタフネスぶりを発揮し、ノックダウンを許さない。

最終ラウンドには樹はセコンドの指示(キム・テゴンのタフネスさから深追いさせない)によりKOを狙わず、ポイントを守るスタイルに切り替え、キム・テゴンの最後の追い込みを躱して終了。

主導権奪って右ハイキックで出る樹、フルマークで圧勝

◆第4試合 バンタム級3回戦

紫希士(=きしと/Formed/ 53.3kg)2戦2勝
     VS
河村秀和(ラジャサクレック/ 53.3kg)7戦3勝4敗
勝者:紫希士(赤コーナー) / 判定3-0 (29-28. 29-28. 29-28)

開始早々に紫希士のパンチの連打が河村秀和の顔面を捉え会場がどよめく。特に紫希士のやや離れた距離からのストレートは効果的だった。河村秀和も久しぶりの試合ながら、紫希士の攻撃に応じて打ち合いになり、会場が盛り上がる。第3ラウンドに紫希士のヒジ打ちが河村選手の右頬をカットするが、最後まで打ち合う展開で終了。

紫希士はまだ2戦目ながら積極的に攻めて僅差ながら判定勝利

◆第3試合 ミドル級3回戦

西田絋佑(ビクトリー/ 72.3kg)2戦1敗1分
     VS
白井大也(市原/ 72.0kg)1戦1分
負傷引分け / TD 2R 1:22

白井大也がパンチを主体に攻め、西田絋佑はクリンチをしながら主導権を握らせない展開であったが、第2ラウンドの半ばあたりの偶然のバッティングにより、白井大也が流血し試合続行不可能となる。

◆第2試合 女子スーパーバンタム級3回戦

大内咲(市原/ 55.0kg)1戦1敗
     VS
珠璃(闘神塾/ 54.3kg)2戦1勝(1KO)1分
勝者:珠璃(青コーナー) / TKO 2R 終了

初回から珠璃のパンチが大内咲を的確にとらえ、珠璃のストレートが顔面に当たる度に大内咲の顔が後方に反る。大内咲も蹴りやパンチで返すも珠璃の圧倒的な手数に圧され、劣勢のまま第2ラウンド終了後、大内咲サイドからタオル投入による棄権で終了。

この日の女子キック、終始、珠璃が圧倒

◆第1試合 ライト級3回戦

菊地拓人(市原/ 60.6kg)1戦1敗
     VS
龍将(TRY HARD/ 61.0kg)1戦1勝
勝者:龍将(青コーナー) / 判定0-3 (28-29. 27-29. 28-29)

初回から龍将の蹴りヒットで菊地拓人のペースを奪っていく。龍将のミドルキックに意識がいったか、菊地は一瞬ガードが下がったところへ龍将の左ストレートがヒットし、ノックダウンを喫する。菊地は立ち上がり、龍将の左ミドルキックを貰い動きが止まるが、更なるノックダウンは免れる。

第2ラウンド、菊地が反撃をし、龍将は右ストレートを貰いながらもミドルキックで反撃。最終ラウンドでは、菊地の右ストレートが龍将のコメカミにヒットするも単発で終わり、龍将は一発狙い、菊地はスタミナが切れている状況でノックダウンを奪う打ち合いにまで至らず終了。

チュ・ギフンの棄権ではあるが、完全勝利でメインイベントを締め括った睦雅

《観戦記》岩上哲明

7年ぶりの市原興行は成功したと思われます。市原ジムのOBであった須田康徳さんや真鍋英治さん、蘇我英樹さんなどの姿には懐かしさを感じました。

睦雅選手が最後を締めてくれて、王者としての責任を果たしたと思いました。去年の11月の試合で左ヒジ打ちでのKO勝ちをして上昇気流に乗り、今年の3月19日に王者になり、今回の興行でメインイベントを締めてくれたのを嬉しく思いました。
大地・フォージャー選手はコンデート選手の戦い方に合わせ過ぎてしまった感があり、実力を発揮出来なかったでしょう。

他団体も含めて、「打倒ムエタイ」の傾向が続いていますが、タイだけではなく、今回出場した韓国の選手のように世界には多数の外国人選手がいます。団体のカラーもあると思いますが、そのカラーに合った外国人選手を興行に合わせることで、団体としての力もアップするのではないかと感じました。

《取材戦記》堀田春樹

睦雅と対戦したチュ・ギフンは2016年4月10日に当時、日本フェザー級4位.拳士浪(治政館)に判定負け。日本では市原ジムを拠点とし、在日韓国人として幾らか試合出場している様子。

市原ジム前会長の玉村哲勇氏が2019年5月に肺癌で亡くなり、追悼興行はまず2020年に予定されながら、コロナ禍の影響で暫く開催出来なかったようです。他、市原ジム顧問の鈴木熊男氏、中岡優治氏が逝去された模様で、3名にテンカウントゴングで送られました。

昭和の市原ジムから伝説のチャンピオン須田康徳氏をはじめ、四元伸一郎氏、松田勇氏や当時トレーナーだった太田浅男氏の御来場、玉村会長の奥様、長男・長女さんの顔触れがありました。私がキックボクシング関係者と家庭的なお付き合いがあったのは40年前に、この市原ジムと玉村会長家が初めてでした。その懐かしさと温かい心配りに感慨無量でした。

また、市原臨海体育館も2016年4月の蘇我英樹引退興行以来となりましたが、ツイキャス中継用のセッティングで、ビッグマッチイベントの大会場のような雰囲気があり(照明は明るくはなかったけど)、以前の外光が入る体育館とは違った印象がありました。昔はここで沢村忠さんの試合も行なわれた会場です。市原ジムの今野顕彰選手は引退の意向のようで、メインイベンターとしての出場は無くなってしまいましたが、ビクトリージムの睦雅はチャンピオンとしてメインイベンターを務め、しっかり責任を果たしたと言える勝利でした。

今後の市原ジム興行は誰がメインイベンターとなるか、今回欠場となってしまいましたが、花澤一成には期待が掛かるでしょう。

次回のジャパンキックボクシング協会興行はビクトリージム主催「KICK Insist.16」が新宿フェースにて開催されます(昼夜二部制の可能性あり)。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

以前、「ウェイト競技の宿命、試合に向けた最後の仕上げ、計量後のリカバリー!」というテーマで計量後のエピソードを取り上げましたが、今回、計量失格に関わるテーマで語りたいと思います。

対戦相手の秤の目盛りを見つめる梅野源治(2014年2月10日)

全裸での計量も多いパターン(アンディー・サワーの例)(2015年2月10日)

◆確信犯?!

近年、プロボクシングやキックボクシングで時折問題となるのが、ウェイトオーバーによる計量失格です。昔からそんな事態はごく少数的にありましたが、我々は直接の計量風景を見ていないせいか、あまり耳にしない話でした。プロボクシングの世界戦に於いては試合までの全てが注目されるので計量も映し出されますが、少々200~300グラムぐらいのオーバーはあっても2時間以内の猶予の中で落とすという流れは昔も今も、キックボクシングにおいても存在します。問題は最初から2kg以上のオーバーでやって来て、全く落とす気が無い選手が世界戦においても居ることでしょう。

昨年のあるキックボクシング興行で、既定の2時間の猶予が与えられた後も2.0kgオーバーで失格した選手において、試合開催へ協議はされるも条件が合わず中止となったところが、その計量失格した選手がタイの選手との代打試合が行われたことには前代未聞の展開に周囲は驚き、ルールの基本形が細部まで明確にされていなかったことが問題だったでしょう。

◆明確に模範となるプロボクシングルールでは

プロボクシングで、JBCのウェイトオーバーに関する規定では、計量失格となったボクサーに関してペナルティーの規定が明確に存在します。

公式計量において、リミットオーバーが契約体重の3パーセント以上の場合、再計量2時間以内の猶予は無く、計量失格となって試合出場不可となります(フライ級ならば50.8kgリミットで52.32kg超えは即失格)。リミットオーバーが契約体重の3パーセント未満の場合、再計量2時間枠の猶予が与えられ、この再計量でもリミットオーバーの場合は計量失格となりますが、試合を中止しない選択肢は残され、開催の場合は当日朝に再計量を義務付けられます。再計量時の体重が契約体重を8パーセント以上超過した場合、試合出場は不可。ペナルティーについては、試合を中止する場合、ファイトマネー相当額の制裁金や、1年間のライセンス停止処分と次戦以降は一階級以上の階級転向を義務付けられ、更に計量失格となったボクサーのマネージャーを戒告処分があります。

試合を中止しない場合、ファイトマネー相当額の20%を制裁金や6ヶ月のライセンス停止処分があります。マネージャーには厳重注意処分があります。

試合中止となった場合、いちばん困るのは対戦者で、コンディションを整えてきた長い日々の努力や、試合におけるファンの前でのパフォーマンスが披露出来なくなる精神的失望感があり、勝利に相当する待遇を受けても、チケットを買ってくれたファンへのお詫びと払い戻しがあったりとなかなか受け入れられるものではないと言えます。

シュートン(タイ)の計量、通常はこんな計量風景(2022年3月19日)

計量失格でレフェリーが減点を宣告する試合開始直前のリング上(2017年10月22日)

◆計量失敗の原因

キックボクシングにおいても当日計量から前日計量への移行が大半を占める現在、衰弱した身体のリカバリーの時間が丸一日ある為、当日計量ならバンタム級リミットが限界でも、前日計量なら減量リミットをより無理して設定し、スーパーフライ級まで落としてもリカバリー出来るだろうといった思惑が上手くいかなかったという事態もあるようです。そんな階級が細分化されたことも一因でしょう。

昔はジムワーク中に水を飲むことなど許されなかった時代もありましたが、現在は水分を摂りながら練習しているのはごく普通で、大量に水分を摂る選手は、最後の数日間で水抜きに入り、体調が良ければ順調に落ちる見込みも風邪を引いてしまったり、どこかちょっと怪我したりと、想定外の事態が起こると最後の追い込みに狂いが生じ、減量失敗している例はあるようです。

◆ペナルティー問題

女子選手においては難しい問題も存在します。生理中は胎盤を守る抵抗力が働いて、減量では水分を抜き難く、そういう事態で大幅オーバーという失態があっても試合出場を控えたプロとしては失格。公正なルールの下ではペナルティーが科せられることは仕方無いところ、ウェイト競技としての女子だけの苦悩でしょう。

あるライト級元・選手の減量エピソードでは、
「普段ジムワークしている上での平常ウェイトが71kgぐらいだったので更なる10kgの減量でした。昭和や平成初期はとにかく食べないだけだったのでキツかったですね。63.0kgぐらいまで落ちながら、あと2kgがなかなか落ちずに気が狂いそうでした。どうしてもアイスクリームの大きいサイズのレディーボーデンが食べたくて、コンビニで買って来て一気に食べて、すぐに喉に指突っ込んで吐いたこともありました。あの苦しみはもう味わいたくないですね。」

現役当時だったら周囲に言えないであろうエピソードも多そうですが、幾つもの我慢を重ねて計量に向かう一方、大幅にオーバーして来る選手にはペナルティーはより厳しくすべきかは女子の例も含めて難しい判断でしょう。

現在有るペナルティーは、キックボクシングでは罰金と試合における減点。それらの幅は団体や興行によって差があります(例として100グラム毎に1万円、500グラム毎にマイナス1点など)。ペナルティーは矛盾点も出て来る場合があり、グローブハンディーはサイズが大きく重くなる分、逆効果という意見があって、現在では採用されない場合が多いようです。減点は1点と2点の場合とラウンド数との比率も大きく影響する部分があり、減点だけで開始前から勝負が偏ってしまう点が考えられます。

試合に向けて身を削って、計量後のリカバリーで体格的に優位に立つ為の試合前の闘いが、効力を発揮したりしくじったり、永遠のテーマとなる減量物語は今後も続くのでしょう。

現在も使われる天秤式計量秤(2022年9月24日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランスとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家した。

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