〈就職活動中の学生の内定辞退率予測データを企業に販売した問題で、謝罪するリクルートキャリアの小林大三社長(左)=26日夜、東京都千代田区、就職情報サイト「リクナビ」を運営するリクルートキャリア(東京)の小林大三社長は26日夜、就職活動中の学生の内定辞退率を予測したデータを企業に販売した問題に関して都内で記者会見し、「学生や企業など多くの方々にご迷惑をお掛けし、申し訳ない」と謝罪した。同社はリクナビを利用する学生のうち、7万4878人のデータを使って内定辞退率を算出。7983人については本人の同意を得ずに外部に提供した。〉リクナビ問題、社長が謝罪=内定辞退率を分析-データの合否判定利用なし(2019年08月26日付け時事通信

どこまで大学生や受験生を、食い物にすれば気が済むのだろうか。だが、この会社には設立時から、社会的常識、順法意識、人権感覚などはなかった(なにもリクルートに限ったことではない。日本の「会社」は「社会」を逆にした固有名詞であり、多くの会社で「会社の玄関をくぐれば『日本国憲法』など通用しない。このフレーズと、本当は無視していたはいけなかった悪癖がが定着して、どのくらい経つだろう」)。

リクルートの商売は悪質だ。何回かに分けてこの通信で報告することも不可能ではないが、拙著『大暗黒時代の大学』でリクルートが、大学生をどのように食い物にしているかは、詳述してある。興味をお持ちの方はお読みいただければ幸いだ。

人の人生が「商品」になる。ん?

そういう商売をリクルート(だけではなく同じような業種の企業)は、儲けにしている。「進学情報」、つまり大学や高校の受験倍率や、志願者数、偏差値を公表している分には問題はない(しかし、企業にとっての「利益」も少ない)。そこで、リクルートが手を付けたのが、大学入試前から個々の受験生の個人情報を収集し、それを就職活動にも利用する商法だった。

それだけでも、どうして公正取引委員会が介入しないのか、と不思議であるが、このほど明らかになったのは、「内定辞退率予測データ」の企業への、有償提供(販売)である。

どうして「内定辞退率予想」(実際には内定辞退者名も含まれているだろう)を、リクルートは掌握し、企業に「販売」できたのか。それは「リクルートが就職活動にかかわる学生のほとんどの情報をもって」いなければ不可能なことであろう。どの情報をリクルートはガッチリ確保しているから、こういった「人権無視」の商売が可能になるのだ。

けれども、こういった「個人情報」のやり取りは、わたしたちの知らないところで、既に大々的に繰り広げられている。検索エンジンで何かを検索すると、それに関した広告がしつこいほど表示される経験をお持ちの読者は少なくないであろう。うっかりマイクロソフトやソフトバンクなどに、メールアドレスや住所と一緒にあなたの情報を提供していたら、もうあなたの購買嗜好は、真っ裸にされている、と考えた方がいい。

AIという名の人格を持たない、機械は、人間に近い違法行為を行っても、「人格」がないから、人間のように逮捕されたり刑事罰を食らうことはない。あくまで「機械」なのだから。でも人間よりよほど情報処理能力が優秀で、判断までするこの「人工物」は科学技術の「賜物」のようにチヤホヤされているけれども、AIが犯した罪を被るのは、結局「製造物責任」あるいは「使用責任」のある人間であることを、AI賞賛者の皆さんおわかりであろうか。

AIなどと構えなくても、エアコンの調整機能や、冷蔵庫の節電機能。自動車の電気系統や、目の前のパソコンやスマートフォンなど、集積回路のお化けのような能力に、日々わたしたちの生活は依存している。嫌ならどこか電気の通っていない場所で、生活はじめるほかない。そういう現実は受け入れざるを得ない、にしても「内定辞退率予想」を企業に販売するのは、人間の思い付きだろう。

いつまでたっても、本質的には学生や学校を食い物にしながら、狼藉を改めないリクルートという企業と、その疑似企業にはあきれ返るしかない。騙されるな!受験生、就職活動に直面している諸君!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”

8月28日、大阪市北区のライブハウス「バナナホール」で、大阪では初となる新しいメンバー(6代目)による「ネーネーズ」のライブが行われた。8月10日に4人のメンバーが揃ったばかりの「お披露目ライブ」。東京(25日)、名古屋(27日)に次いで、新メンバーによるツアーは「バナナホール」で、満員の観客に迎えられた。私も鹿砦社代表・松岡と連れ立って駆けつけた。

「ネーネーズ」のみなさん(といっても新メンバーが3名なので、上原渚さんとだけだが)と鹿砦社は、昨年台風で中止になったが、鹿砦社代表・松岡の高校の同級生・東濱弘憲さん(故人)がライフワークとして始め、意気に感じた鹿砦社もこれに協賛し熊本で10回(実質9回)行われた島唄野外ライブ「琉球の風~島から島へ」でご縁があり、実は4月に上原さん以外のメンバーお二人が「卒業」された同じく「バナナホール」でのライブでもお目にかかっていた。

第5代のメンバーの「卒業ライブ」では、本番前に特別にインタビューをお許しいただいた。その時はみなさんインタビュー中から、涙が止まらず、お伝えするのが、やや心苦しかった。貴重な時間は記録としてではなく、記憶として留めさせていただくこととした(独り占めの贅沢をお許しいただきたい)。

ライブ前の6代目メンバーと鹿砦社代表・松岡

鹿砦社代表・松岡からのプレゼント

今回も4月同様、リハーサル終了後、ライブ開始までの間に、取材・インタビューの時間を頂いた(お忙しい中貴重な時間を割いていただいた、メンバーのみなさん、知名社長、ありがとうございました!)。リハーサルはほとんどメークなしで、楽曲の出だしのタイミングや、モニタースピーカーのバランスのチェックが行われるだけで、若いながら新しいメンバーの、落ち着きぶりが印象的だった。

リハーサルが終了しインタビューに入る前に、気遣いの男・松岡がこの日のために注文していたクリスタルの豪華な置時計(新生ネーネーズスタートを祝す刻印入り)と『島唄よ、風になれ!』(特別限定紀念版)を4人全員にプレゼントすると、硬かった表情が緩み、予想外のことにみなさん驚き喜んでくださった。

舞台上では落ち着いている新メンバーであるが、近くでお会いしてお話を伺うと、やはり10代、「新鮮さ」が際立つ。「取材慣れ」していない言葉と表情。こちらのピンボケな質問に、何とか答えようと一生懸命になって頂いている姿が、とても印象的だった。

仲里はるひさん(19才)、宜野湾市出身、沖縄県立芸大
与那覇琉音さん(16才)、名古屋市出身、高校生
小浜 凛さん(17才)、名護市出身、高校生

リハーサルで、新メンバーの中もっとも存在感を感じた仲里はるひさんは、幼少時より、お爺様から三線を習っていたそうだ。大学で舞台製作の勉強をしている。

仲里はるひさん

小濱凛さん(左)と与那覇琉音さん(右)は共に高校生

小浜凛さんも三線を早くに始め、「いずれこの道に進みたい」と希望していたそうだ。名護市出身ながら高校は、那覇の高校に進学し、「ネーネーズ」がいつもライブを行う、国際通りのライブハウス『島唄』でアルバイトをしていた。黙っているとおとなしそうに見える小浜凛さんだが、ライブが始まってからの落ち着きと存在感からは、ただならぬ才能を発揮していた。

与那覇琉音さんは、中学生まで名古屋に住んでいた。沖縄出身のご両親のもとに生まれた彼女は、やはり幼少時より三線の練習に励むだけでなく、「ネーネーズ」の名古屋でのライブにご両親に連れられ、何度も通ってファンになった。そして沖縄の伝統文化が学びたく、高校進学で沖縄にやってきた。

一方、新メンバーを迎える上原渚さんは、「10代のメンバーを迎えて、新鮮です。私自身は変わっていないけど、メンバーを育てることや、自分自身のこと(上原さんは妊娠7か月だ)。やることがいっぱいです」と余裕の表情だ。

威風堂々の上原渚さん

新しいメンバーに目標を質問した。「お客さんに元気や感動や『頑張ろう』と思っていただけるような、心を伝えたいです」(与那覇琉音さん)。「初代『ネーネーズ』を超えたい、という気持ちがあります」(小浜凛さん)。

10代の二人から、大きな答えが返ってきた。

大阪には「ネーネーズ」の実質的なファンクラブのような方々がいる。下手をすると、新メンバーが生まれる前からのコアなファンも少なくない。5代目のメンバーをして「大阪のお客さんは特別です。こっちより力が入っている」と言わしめた浪速のファンは、数だけでも4月よりかなり多く、満席だった。そして、「ネーネーズ」を長年聞きなれた方々やわたしたちを、6代目のメンバーは、予想以上の完成度と伸びしろへの期待で、「これがまだ正式結成ひと月未満の人たちのハーモニーか」と、事前のちょっとした不安を払しょくしてくれた。

「黄金(こがね)で心を捨てないで。黄金の花はいつか散る。ほんとうの花を咲かせてね」――名曲『黄金の花』で、この日のライブを締め括った。まさに「お披露目」の10代の3人は、一度も間違わず、ソロの曲の時も、堂々と歌ってくれた。

あと数か月したら、産休に入らなければいけない上原渚さんも、きっと安心して若い3人に不在の期間を任せられるだろう。それほどに泰然としたライブであった。

新生「ネーネーズ」、関西のファンの前に初登場!

◎ネーネーズ便り https://nenes.ti-da.net/

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定保存版(「琉球の風」実行委員会=編)

2020年東京五輪で実施されるマラソンスイミングのテスト大会が11日、東京・お台場海浜公園で行われ、高い水温に加え、水質問題では選手から悪臭に懸念が示された。(時事通信8月11日配信)

2020年東京五輪・パラリンピックのテスト大会を兼ねたパラトライアスロンのワールドカップ(W杯)は17日、会場となる東京・お台場海浜公園のスイムコースの水質が悪化したとして、スイムを中止してランとバイクのデュアスロンに変更された。大会実行委員会によると、16日に実施した水質検査で大腸菌の数値が国際トライアスロン連合(ITU)が定める上限の2倍を超えた。(共同通信8月17日配信)


◎[参考動画]大腸菌が基準値超え…トライアスロンでスイム中止(ANNnewsCH 2019/8/17公開)

◆「復興五輪」?「コンパクトな五輪」?

2019-2020 licensing road map

無謀にも灼熱地獄の中で予定されている東京五輪・パラリンピック。上記報道の通り東京湾の汚染により「海に入れない」状況が生じることが証明された。そうでなくとも(東京在住の方には失礼当たるが)東京湾の汚れ具合は周知の事実で、あんなところで、よく海水浴をするな、としきりに感心していた。東京湾の海底にはヘドロが堆積し、福島原発から垂れ流されるストロンチウムなども漂着しているのではないか。

そうまでして、東京五輪にしゃかり気になるのは、どういう人たちだろうか。その筆頭は、日本政府だ。「復興五輪」(ちょっと考えれば「復興」と「五輪」はまったく関係ないことは誰にでもわかろう。外国人労働者を本格的に差し向けなければ足りないほど、作業員の不足が著しい、福島第一原発事故現場の収束作業に当たることができる人が、五輪のための建築現場などに大幅に吸収されている)。

もうこれ以上アスファルトで埋め尽くす場所はない、といっても過言ではないほど舗装の行き届いた東京。1969年とはわけが違うのに、金の使い方は当時の比にならない。「コンパクトな五輪」を謳っていたいた当初の姿勢は見せかけで、運営費だけでも3兆円かかると大会実行委員会は開き直りだした。最終的にはもっとかかるだろう。実行委員会のある理事は「これほどスポンサーの皆さんとスムースに仕事ができるのは実にありがたい」と述べていた。

そりゃそうだろう。朝日・毎日・読売・産経・日経に加えて北海道新聞までがスポンサーになっている東京五輪に、根源的な批判が向けられるはずがない。。その他のスポンサー数や業種も「よくぞここまで便乗するな」とあきれるほどだ。便乗企業の商品化カタログは180頁にわたる(https://tokyo2020.org/jp/organising-committee/marketing/licensing/)。引出物のカタログでも180頁の商品カタログに、庶民はそうそうお目には書かれまい。

そして、存在自体が反自然の観点からは「犯罪」ですらある、「東京」という町である。大きなポスターだけでも結構威圧感があるのに、最近は広告表示が液晶にかわった。東京駅で新幹線を降りて改札口を抜けると液晶に写される動画広告に、気分が悪くなるので、わたしは下ばかり向いて歩く。

◆「万博」だの「五輪」などは、すべて行き着く先が「政治」である

ところで、この国は、こういう「乱痴気騒ぎ」をやっている場合だろうか。福島をはじめとする東日本大震災の被災者の方だけではなく、広島、熊本、など自然災害の被災地は全国に及び、いまだに仮設住宅で暮らしている方々、あるいは仮設住宅を追い出されて。青色吐息でこの猛暑の中暮らしている方々が何万人もいるではないか。

自然災害と人災の被災国日本は、

《日本国憲法第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。》

を享受できていない人たちが、膨大に目の前にいるじゃないか。

「万博」だの「五輪」などは、すべて行き着く先が「政治」である。いま、既成政党で「東京五輪」に明確に「開催反対」を唱える政党があるだろうか。わたしは、日本人のこういった「集団主義」に虫唾が走る。逃げ出したくなるがそうもいかないから、数少ない読者諸氏に訴えるしかない。毎年夏の暑さは「命にかかわる」レベルが当たり前になった。そんな中で意味のない金を使い、広告代理店や、一部大企業を儲けさせる、イベントに“庶民”が何かを期待する「愚」はもうそろそろ終わりにしよう。

この国際化が進んだ時代に、恥ずかしくも隣国への侵略史を直視できない日本が、五輪を開催しても何の意味もない。便乗商法で儲かる企業と、一部のアスリート。そして「踊らされる」庶民が騒ぐ。新聞もテレビも五輪一色。そういう時に、悪政や、儲けにさとい連中は着々と準備を進めるのだ。

いまからでも遅いか、遅くないかは関係なく、無駄と浪費、弱者切り捨ての「東京五輪」に反対の意を再度明らかにする。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”

創刊5周年〈原発なき社会〉を目指して 『NO NUKES voice』20号【総力特集】福島原発訴訟 新たな闘いへ

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

ゆるぎない確信があるわけではない。情報源は、マスメディアと知人からの個人筋をもとに、わたしが感覚的に推測するだけだ。歴史の勉強も人並みにしていない知識からの予感が外れる可能性が大きいであろう。だが敢えてわたしの直感を書こうと思う。

不確かな未来予想は好きではない。わたしは、この国が2030年にはおそらくいまの形では残存しない、と考えていることを本通信で何度か明らかにしてきた。そちらの予想にはかなりの自信を持っている。ここでは述べないが数々の根拠があるからである。

◆一周遅れの「統一」へ

韓国とこの国の関係が険悪になっている。中途を飛ばしていきなり結論を述べよう。

《韓国と朝鮮(水面下では米国・中国にも通告。両国の内諾を得、日本は無視)は、具体的な時期は見通せないものの、「統一」に向けて合意をした》

冷戦時代には、国境を接して同じ民族が分断国家にされていた。世界的にその影響が顕著だったのは東・西ドイツだろう。「ベルリンの壁崩壊」により統一をみたドイツと、同様の悲劇がなぜ朝鮮半島では放置されてきたのであろうか。

ソビエト社会主義共和国連邦、最後の最高権力者、ミハエル・ゴルバチョフは、東ドイツの最高権力者、ホーネッカーから相談を受け、実質的な東西ドイツ「統一」を認める許可を出した、と何度も語っている。

冷戦の処理もやはり欧州が優先されたのか。ベルリンの壁崩壊から四半世紀以上が過ぎ、東西ドイツの統一と比較すれば、またしてもアジアの悲劇は後回しにされたのか。との斜めからの分析もこじつけには聞こえない。「歴史は相変わらず欧州優先なのかと」(東西冷戦終了後に欧州で発生したユーゴスラビアなどの内戦から目を離すわけにはいかないが)。アジアは世界の秩序整理のなかで、欧州の問題が片付いた後にしか、気を回してもらえないのか(欧州、アジア格差もさることながら、アフリカにおける実効的な植民地支配が終わらない現実は、さらに悲劇的である)。

◆民主派の系譜

軍政の時代が終わり、民政に移管しても韓国の保守勢力は日本の保守反動勢力と戦前以来の気脈を通じていた。李承晩、朴正熙、李明博、朴槿恵らはその系列の大統領だ。ときに、「反日的」カードを切ることがあっても、日本占領時代からの性癖が抜けず、財閥優先の経済政策と近親者優遇の悪癖が続いており、日韓の保守反動地下水脈の利益の軌道は、つねに表には出なくとも一致を見ていたのである。重要なことは「韓国の保守勢力は心の中では『日本が嫌い』だが、自分の利益のためには、日本の利権と手を繋ぐのに躊躇しない」点である。

他方、文在寅大統領は、金大中、廬武鉉と続く民主派の系譜にある人物だ。10親等までの親戚づきあいを拒否できない、儒教習慣が、いまだに残る韓国では、革新的な指導者であっても、賄賂や近親者優遇から無縁でいることは、日本とは比較にならぬくらいに難しい。廬武鉉氏の自死もそのような件に絡む自責が理由だった。

韓国の民主派勢力は幅が広い。左翼勢力も変動は激しいものの、必ず一定の力を保持している。ローソクデモで朴槿恵を大統領の座から引き摺り下ろした主役には、梨花女子大学の女子学生の力だった。彼女たちは日頃、学生運動の戦士ではない。ファッションには、かなり神経もお金も使う。ボーイフレンド選びにも、熱心である。だが、ここぞというときには反政府行動に身を投じることをいとわない。なぜか。韓国の民族史も理由になろうが、彼女たちは「親の背中」を見て育っているのだ。当然ながら、日本には残念ながら梨花女子大と学風が匹敵する大学はない。

◆世襲議員の「澱」

1965年に不平等条約である「日韓条約」が締結されると、この国の中では大韓民国だけが朝鮮半島における、合法的な主権国家であるとの態度が示される。しかし、それは国際社会の中にあって、圧倒的に異端な規定であった。日本は、国際法上正当と主張する「日韓併合条約」を大韓帝国に締結させているのだ。「日韓併合条約」の強制的締結前、数年の歴史を日本の受験生のほとんどは、知らない。否、受験生だけでなくわたしたちはおしなべて日本が朝鮮半島を侵略した歴史の詳細をほとんど知らない。そして「日韓併合条約」と「日韓条約」の決定的矛盾をこの国の学者、報道は問題にしようとはしない。しかし、「侵略」された側の韓国・朝鮮のひとびとは、苦難の歴史を義務教育から教えられる。

河野太郎が外相に指名されるとは思わなかった。彼の父河野洋平は「河野談話」を残した人物であるし、河野太郎も平議員のときは、福島第一原発事故後、毎日放送の「種蒔きジャーナル」に出演して「僕は確信的な反原発です。自民党の中にもそう思っている人は結構いると思います」と無責任な発言をしていた。

所詮世襲議員とは、「澱」が溜まっていくもので、くそ生意気に河野太郎は「外相専用機が欲しい」だの、今般の韓国との間での関係悪化では、あろうことか駐日韓国大使を呼びつけて「無礼だ!」とまで調子に乗った。

いいか。河野太郎。一度吐いた言葉は戻らないんだよ。

安倍を中心とする、歴史修正主義者と、与野党含め根源的な政権批判すらなくなった「大政翼賛会」状態で、「歴史を知らない」日本人の多くは、やはり「歴史を知らない」マスコミが作り上げる「反韓国」世論に、簡単に便乗させられる。朝日新聞も、読売新聞も、なんとか民主党も、だれもが「韓国批判」が正義であるかのように、羞恥心を失い馬鹿なことばかりを発信する。

わたしは、極めて不愉快だ。そしてひとつだけ「反韓国」の論調を先導する、
あるいはそれに領導される、無知なひとびとに問いたい。

「あなたはこれまでに、いったい、何人の韓国人と腹を割って話をしたことがありますか? そこまでの関係ではなくても、韓国人や朝鮮の人が歴史的に、日本をどう見ているかを知っていますか。そしてそれが事実であることを」

反日有理。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”

8月22日15時30分から大津地裁で、滋賀医大附属病院泌尿器科の河内明宏、成田充弘 両医師が23名の患者さんに施術の実績がないことを伝えずに手術を行おうとした「説明義務違反」の損害賠償を求める裁判の6回目の弁論が開かれた。また前日21日大津地裁から、原告弁護団に「22日に債務者(滋賀医大)が申し立てた『異議』についての審尋結果を報告する」との連絡がはいり、急遽22日の午前中に債権者(岡本圭生医師)の弁護団が大津地裁に結果を受け取りに行ったところ、債務者(滋賀医大)の主張はすべて退けられ、5月20日に下された「決定」が引き続き維持された。

この裁判報告も6回目の期日を迎え、毎回似たような記事構成になり、読者の皆さんにも退屈される恐れがあるので、今回は同日のイベントを時系列とは逆にご報告する。

16時から弁護士会館で記者会見が行われた。

期日の説明を行う井戸弁護団長

井戸弁護団長がこの日法廷でのやり取りと、仮処分に関する説明を行った。

「午前中に保全異議についての決定が出ましたので、これについてご報告いたします。記者の方のお手元には決定の写しがあると思います。主文だけ見るとちょっとややこしい。いったいどうなっているのか、と印象を受けられたかもしれません。主文の1に書いてあることは、『7月1日から7月17日までの取り消しを求める部分を却下する』。(大学が)異議の申し立てをしたのが7月18日だったので、17日までの妨害禁止、もう過ぎたことについては、『異議の申し立てができません』そういう話です。そして第2項の7月18日から11月26日までの妨害禁止を命ずる部分を認可する』これは5月20日の大津地裁決定が、相当であるからそれを認める。滋賀医大側の異議の申し立ては認めない。そういう内容の決定です。
 理由については基本的に5月20日の決定と同じ考えに立っています。(この審尋を)構成した裁判官は仮処分決定のときと違います。いずれも大津地裁民事部の裁判官ですが、合議体は違う裁判官が構成しています。したがって大津地裁の6人の裁判官が、この仮処分を認めたと受け取って頂いてよいと思います。
 異議段階で新たに出た滋賀医大の主張に対しては、判断を示しています。1つは『岡本医師の被保全権利が特定されていない』。妨害禁止と言われても、滋賀医大としていったい何をしていいのか。何をしてはいけないのかということがわからないから、裁判所が『どこまで許されて、どこから許されないかわからないような明確ではない決定をすべきではない』という趣旨の主張です。これについては『6月まで岡本医師がしていたことを、同じ体制でやれ』と言っているだけで、特定されていないということはない。特定されている。問題ないんだという判断です。医療ユニットの内実は何なのかですか、となるわけです。
 1つは理屈の問題です。それから保全の必要性について、『7月1日以降、小線源治療はできないにしても、いままでの治療実績をまとめたり、研究活動はできるわけであって、6月間治療ができないにしても、岡本医師の教育研究活動をする権利を、制限するものではない』というのが滋賀医大の主張でしたが、小線源講座の特任教授として、どういう治療・研究活動をするのかは、岡本医師の広範な裁量に委ねられているのであり、6カ月治療をさせないでもよい、という理由は成り立たない、と明確に述べています。
 岡本医師側の主張を全面的に認めた決定である、とご理解いただいていいと思います。これに対して滋賀医大側がどうしてくるかですが、保全抗告の申し立てをしてくるか、これで断念して受け入れるか、どちらかです。しかし、大津地裁の6人の裁判官が同じ判断をしたということ。しかも5月20日付けの決定を踏まえた主張も、ことごとく退けられているわけですから、滋賀医大としてはこれを受け入れ、保全抗告をしないで今後11月26日まで、期限は切られていますが、小線源治療の実施に協力すべきであると思います。
 現在毎月の第一火曜日の小線源治療の治療枠については、岡本医師にさせないという態度をとっていますが、それも撤回して11月26日までは全面的に岡本医師の小線源治療に協力する。そういう姿勢を取るべきだと改めて強調したいと思います。
 それから本日の訴訟口頭弁論の結果を御報告いたします。準備書面は今回被告側から準備書面6が出てきました。あまり大した内容はないのですが、前回被告が使っていた「責任教授」という概念、小線源講座における責任教授が河内医師である。岡本医師は特任教授であり河内医師が責任教授であると主張していたので、『責任教授とは、なにに基づく概念なのか』とこちらが説明を求めました。それに対して『規則上定められた概念ではない。診療科や講座について、運営の責任を負う教授を指す事実上の表現である』と、なんら根拠のある概念ではないと説明をしてきました。
 そして被告側から証人尋問、本人尋問の申請がありました。従前原告側からは原告4名の本人尋問、岡本医師の証人尋問、それから塩田学長と松末病院長の証人尋問の申請をしておりました。今回被告側は被告河内・成田医師の本人尋問の申請、証人としては塩田学長、松末病院長、それから放射線科の河野医師、トミオカ氏(事務職員)、オカダユウサク(以前泌尿器科の教授)の申請をしてきました。裁判所はトミオカ、オカダ証人については必要がないと却下されました。その結果尋問をするのは、原告4人と被告の河内・成田医師、補助参加人である岡本医師。それ以外に河野、塩田、松末。10人の尋問をすることになりました。
 次回期日は10月8日11時30分に決まりましたが、次々回と次々々回が尋問の期日で、きょう証人の予定者の都合がわからないということで、正式には決まりませんでした。11月、12月、一番遅くても1月14日までに2期日取って、10人の尋問をすることが決まりました。ずいぶん先になるなと印象を受けられた方もおられるかもしれませんが、裁判所の実情からすれば、かなり熱心に前向きに、早く尋問をしようと臨まれたと思います。西岡裁判長は来年3月に転勤が決まっているそうですが3月までに判決を書くと法廷に名言されました。この事件に積極的に臨まれていると評価していいのではないか、と思います」

次いで岡本医師が見解を述べた。

厳しい表情で滋賀医大の不正を弾劾する岡本医師

「私が本学に抱いている基本的な不信感は、なにを目的に異議申し立てをおこなったかです。裁判所の時間を使い、エネルギーを使ってなにを求めているのか全く理解できません。お手元の資料にありますが6月25日に『本院における泌尿器科の小線源手術を7月から開始します』と書いてあります。ところが(泌尿器科による小線源手術は)行われていないのです。非常に由々しき問題です。
 このコメントの中には、私が治療継続していることも、一切触れられていない。つまり泌尿器科が7月から小線源治療を行うことは、1年半前からずっと言ってきたことです。仮処分に関係なくやろうとしていたのですが、実際患者さんは一人もいない。何人かそこにトラップされた患者さんたちは、私のところへ逃げてきています。話を聞くと私が並行して手術をしていることを全く説明されていない。国立病院がやれもしない、患者さんのいない計画を、いまでも世間に向けてはやっていることになっているわけです。
 もう一つは、もし我々が仮処分を打たなければ、何が起こっていたか。7月も8月も9月も患者がいないわけですから、小線源治療手術室、スタッフなにも使われないわけです。ただ手術室を空室にして、病院としての役割を果たさずに、ここにおられる仮処分後に治療を受けられた方々に、治療をさせない。これが病院にとって合理的である、管理の権利であるなどと主張していますが、言語道断です。
 このようなことを認めていたら国立病院は成り立たない。泌尿器科に患者がいて、私の治療とバッティングして手術ができない、そういう主張であれば理解できますが、実際に患者はいない。この状況で1週目の治療枠を(泌尿器科が)とって、9月に至っても手術室を使わずに患者さんの治療機会を流す(失わせる)。このようなことを院長がやっていること自体を社会は許してはいけないと思います。まったく合理性がないどころか、反社会的行為としか言いようがない。
 それから私に対するバッシングをいろいろな形でやっています。資料にある6月11日、前回の口頭弁論の期日です。この日に病院長名で『前立腺がんについて』がホームページに掲載されました。これを見ると国立がんセンターのロゴが出てきます(※この部分説明が詳細に及ぶので割愛。なお、本問題については6月28日付、黒藪哲也氏の報告を参照されたい)。「岡本の治療に来なくても他へ行ってもいい」といいたいのかもしれませんが、このような情報操作のようなものを、平気で書き出してきて病院のHPにわざわざ書く。なにを狙っているかと言えば、明らかに岡本メソッドの誹謗中傷だと思います。問題は、このような情報は患者さんの判断を混乱させることです。やっていることが幼稚・稚拙でこのようなことを国立大学病院の院長が旗を振ってやっててもいいのだろうか。倫理も教育も成立しないのではないかと危惧します」

と、滋賀医大による行為の不適切性と、理不尽さに対する強い弾劾が語られた。

そのあとに仮処分申し立て人のお二人と裁判原告のお一人が、感想を述べた。

昨年8月1日にはじまった、本裁判も1年を経過した。私は提訴時の記者会見に出席して以来、本問題を追いかけている。当初はメディアの関心が高くはなかったが、MBSが1時間ものドキュメンタリー番組を放送したり、この日もMBS、ABC、関西テレビなどのほかに10社以上の新聞記者が詰めかけていた。メディアの関心は確実に高まっている。一方滋賀医大病院の厚顔無恥ぶりは度合いを増すばかりだ。どのメディアがどんな質問をぶつけようが、滋賀医大は内容のある回答を返さない。私も数度にわたり滋賀医大の広報担当に質問をしたが、回答にならない答えばかりであった。

岡本医師の治療継続を求める、多くの患者さんの行動は、仮処分の勝利という史上初の画期的勝利を得た。私見ではあるが、本訴訟も初回からすべてを傍聴してきた感触から、原告勝利は動かないように予想する。しかし岡本医師が執刀できるタイムリミットが迫ってきているのは冷厳な事実である。滋賀医大の狙いはズバリ、時間切れによる逃げ切りだ。その証拠にこの日の法廷で証人尋問の日程調整を裁判長が提案した際、被告弁護士は、早い期日の候補日には「証人の都合がわからないので」と回答しながら、遅い期日の候補日を耳にするや「その日は大丈夫です」と口にしていた。

裁判前の集会

開廷前には恒例となった、大津駅前での患者会の集会には蒸し暑い中、約80名の方々が集まり力強い声を上げた。55席しかない傍聴席には当然入りきることができない人数だが、これも毎回のことである。22日も法廷撮影があった。MBSが法廷撮影を行うのは、これが3回目である。証人尋問の期日は未定であるが、2期日で10人をこなすため、11月後半から1月中盤までの3期日の候補を持ち帰り、調整することとなった。証人尋問まで日があくが、いよいよこの裁判は大詰めを迎える。

歴史的な仮処分勝利を得ながら、岡本医師の治療継続をどのように実現するのか。非常に困難であるが、患者会の皆さんの真剣な取り組みと、無私の行為に対して社会はいずれ「賞賛」の評価を下し、現在の滋賀医大執行部や不正に加担した人物には「歴史が有罪を宣告するだろう」。その「歴史」は思いのほか早いかもしれない。
 

大津地裁へ向かう患者会の皆さん

◎患者会のURL https://siga-kanjakai.syousengen.net/
◎ネット署名へもご協力を! http://ur0.link/OngR

《関連過去記事カテゴリー》
滋賀医科大学附属病院問題 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=68

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

不良と秀才がともに人気者になる。いまは知らぬが30年ほど前の中学・高校ではよく見られた現象である。わたしは不良でも秀才でもないから、いつも傍観者であった。いま『NHKから国民を守る党』の立花孝志と『××○○組』党首の山本太郎氏の言動を見ていると、その程度が本質だろうと感じる。

◆極右勢力再編の触媒の役割を果たすN国党

『NHKから国民を守る党』の立花隆じゃなかった、立花孝志氏はかつて自身を『Youtuber政治家』と称したことがあった。非常に的確に自己分析ができている。が、加えて『極右』であることも正直に告白すべきだったろう。

立花氏と直接話を交わしたのは1度切りだが、彼のネット上での「活躍」(?)は何度も目にしていた。若者は新聞はおろかテレビにすら興味をを失い、インターネットが最も身近な情報源となっているこんにちにおいて、立花氏の半分危険なNHKをターゲットとした、集金人撃退や電話での激怒シーンに留飲を下げた視聴者も少なくなかったのではないか。

ところが、『NHKをぶっ壊す!』だけが主たるマニフェストであった、立花氏率いる『NHKから国民を守る党』は議員会館の個室にテレビがあることを知ると「法律で定められているから『契約』は結ぶ、が受診料は払わない」と宣言。しかし数日もおかずに、理屈が全く理解できないが「8割の受信料は払う」と、さっさと敗北・白旗を上げてしまった。

その代わりなのかどうかは知らないけれども「北方領土返還のためには、戦争しかない」との本音を発露し、維新から除名された丸山穂高衆院議員議員に急接近したり、もう役割を終えたと思われ、多くの人々が忘れていた渡辺喜美氏に「みんなの党」再興を促し統一会派を組むに至った。渡辺喜美氏は橋下徹氏を熱心に応援したファシストであり、自民党の極右路線の中で存在が希薄化していたが、思わぬ触媒により息を吹き返した。

このように『NHKから国民を守る党』は選挙前に立花氏が述べていた通り「理念もありませんし、大きくなりすぎると怖いから党は解散します」が妥当であったのが、いまや「NHK」との対決ではなく、某タレントに攻撃目標を変えながら、政界では極右勢力再編の触媒の役割を果たしている。

非常にたちが悪い。


◎[参考動画]放送法4条違反をしているテレビ局に出演しているマツコ・デラックスに対するデモ行為は今後も続けて参ります(立花孝志 2019/8/16公開)

◆山本太郎氏人気に危険な米国型2大政党誕生の萌芽をみる

一方、山本太郎氏が立党した『××○○組』(天皇制を肯定しないわたしには、あまりにも破廉恥すぎるから、その党名を記すことができない)は、選挙後一気に注目を集め、勢いが収まる気配はない。三流評論家で極右の三橋貴明氏の番組に出たのは、選挙前だったようだが、その後もいわゆる、「MMT」(Modern Monetary Theory=大きな政府、財政出動、自国通貨で国債を吸っている限り破綻はしない)にすがりたい、三橋氏同様の低レベルな藤井聡氏、はては「チャンネル桜」からも一定の評価を得ている。

広範な支持はいいだろう。山本太郎氏が掲げる「消費税廃止」、「累進税率の引き上げ」、「法人税の引き上げ」にはわたしも全く異論はない(彼が主張する前からこのことは主張してきた)。ところが三橋氏は「アベノミクス」賞賛者であり、藤井氏も、最近に至るまで「消費税廃止論」を聞いたことはない。ましてやチャンネル桜が、政策の一部とはいえ山本太郎を応援するなど想像できなかった。


◎[参考動画]【三橋貴明×山本太郎】Part1 絶対にTVでカットされる国債の真実(「新」経世済民新聞 三橋貴明 公式チャンネル 2019/3/18公開)

山本太郎氏は自身を「オポチュニスト」と語っているそうだが、三橋貴明氏や藤井聡氏。差別者の集まりチャンネル桜は山本太郎氏どころの「オポチュニスト」ではない。80年代消費税導入の前に内容は同じだが「売上税」との名称で政府が導入を強行しようとした時期があった。時はバブルのまっただなか。わたしの通う大学の前の通りには、政治に無関心な学生も「売上税絶対反対!」、「売り上げ税 右も左も 絶対反対」といった具合で、「自分が買うものに3%の言われなき税金がかけられることへの」健全な反対があったことが記憶にある。

それ以降は予想通り。あれよあれよというまに、次々と税率が上がり、近く消費税は10%に増税されることがきまっているらしい。この天下一の悪税は税率が上がるほど逆進性が強まる。山本太郎氏の指摘する通りだ。だから「究極的には消費税の廃止」を求める山本氏が立党した政党の「消費税」に対する姿勢に異論はまったくない。

けれども、財政出動はいいが、5兆円を超えた軍事費の削減、や自衛隊の存置についての議論はまったく彼の口から聞かれない。だから三橋氏や藤井氏、チャンネル桜といったいかがわしい連中が、安心して『××○○組』の政策を部分的にせよ評価できるのだ。思い返してほしい。山本太郎氏は園遊会でアキヒトに手紙を手渡した人であることを。そして、これまで一度も公然の場で天皇制批判をおこなったことのない人であることを。


◎[参考動画]【直言極言】戦後日本のなれの果て、山本太郎の皇室軽視について(SakuraSoTV 2013/11/1公開)

6年前、無所属で参院選に出馬したとき、彼の周りには「政治の素人」だけではなく、新左翼(組織された、あるいはノンセクトの)が付きっ切りで応援していた。

日韓問題について質問を受け、「ようは国益の問題だと思うんですよね。日韓の間には6兆円の貿易がある。インバウンドでたくさん観光客も来ている。それをチャラにしちゃうのかっていう視点がないですよね」

もうたくさんだ。!

「国益」、「経済」?あなたの口からそういう言葉が発せられるのは、いよいよ末期症状だ。末期症状とは『××○○組』を核にして次期総選挙もしくは参院選で、米国のように極めて危険な2大政党(かつての民主党とは違う)が誕生する萌芽ををわたしはみるのだ。

山本太郎氏は日韓の歴史を知っている。河野洋平の不肖の息子河野太郎外相よりも、朝鮮半島民衆の抗日史を知っている。その彼が「国益」を口にする。稲川淳二の怪談よりも背筋が冷える。


◎[参考動画]山本代表生出演“天下取り”への勝算は(ANNnewsCH 2019/8/3公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

人間(文明)が時間(歴史)とともに「進化」、「進歩」しているという「希望的妄信」は21世紀に入り、より一層怪しくなってきているのではないか。人間が生み出す科学技術は思想をもたないから、従前の蓄積を破棄したり無化することなしに新たな技術が開発される。しかし科学技術の新たな開発は人間の「進化」や「進歩」とはまったく関係ないどころか、人間の退行を引き起こす。

◆技術の進歩と人間の退行

インターネットがあれば、たいがいの疑問や情報を瞬時に得られるが、これは個々の人間の能力が向上したのではなく、「自ら体を使って調べる」行為からどんどん離れて行っていることを意味する。英単語の意味を調べるのには、英和辞書を開き、意味の分からい単語をページを繰りながら探す行為が当たり前だった。面倒くさいといえば面倒には違いないけれども、単語を探す過程で、「この単語のあとのページにあるのか。熟語ではこう用いられるのか。なんだ! 前にも調べていたじゃないか」という「回り道」を経験された方は少なくないであろう。あの「回り道」の時間こそが有機的に知識を広げるためには不可欠な「学び」の手順であり、それゆえ身に着くものが付加的に生じていたのだ。

日々の事務仕事でも同様だった。同じ作業をこなすけれども、どうやったら時間をかけずに完了できるか、効率の良い方法はないものかと知恵を絞るのが、個々の脳に対する刺激であり、設問であった。

デジタルが席巻したように思われる、こんにちの社会ではそのような作為が「無駄」と不当に評価される。義務教育でも持ち込みが許される電子辞書の利用は、確実に生徒の頭脳の低下を招いているし、スーパーコンピュータの演算速度が1000倍になっても会社員の残業は減らない。

おかしいじゃないか。そろばんを使って計算していた時代の1億倍の演算処理能力を皆が目の前のパソコンに持っているのだから、定型業務は1億分の1とは言わないけれども、仕事にかかる時間はなぜ激減しないのだ。

猛暑で頭がどうかしてしまったから、ボヤキ漫才のように愚痴をならべているのではない。科学技術の進歩が誘因する「人間の退行」の惨状を直視すると、「あなたたち、これでいいんですか?」と問わざるを得ないのだ。

◆わかりきっていることを発信できない、発言できない

米国では毎年何度も学校や人込みでの「銃乱射事件」が発生する。そのたびに紋切り型の報道がこの島国の新聞などでもなされる。

馬鹿じゃないかと思う。

兵器産業と政権が結びつき、戦争を筆頭とする定期的な兵器の棚卸と、小売りを続けなければ収支が持たない。「米国」という国家の犯罪性に切り込むことなしに、「銃乱射事件」を止めることなどできないことがどうしてわからないのだ。「銃乱射事件」実行犯の出自や日頃の言動をほじくりだしてなにがわかる。簡単に銃器が入手できる社会病理を「民主主義国」の擬態を被った米国が演じている欺瞞を撃たずに、何が解消するというのだ。

わかりきっていることを発信できない。発言できない。言わない。これが人間の退行でなくてなんだというのだ。この島国には「忖度」という便利かつ恥ずかしい文化がある。諸悪の根源であるとわたしは確信するが、世界は表層のホコリや汚れ、葛藤が拭き取られたように「報じられて」いるけれども、その実、人間の退行は恐ろしい速度で進行してはいまいか。

◆「戦争にルールがある」という違和感

被害者がかつての加害者に、同様あるいはそれ以上の暴虐をはたらく。こんなもの正義でもなんでもないだろう。イスラエルのパレスチナへの暴虐を許容する世界は19世紀のそれと変わらない。20年近く自宅軟禁や逮捕の憂き目にあっていたアウンサンスーチーは軍政とテーブルの下で取引を終えると、途端に少数民族弾圧に手を付けた。よくぞ騙してくれたな(騙されたわたしが馬鹿だったのだ)。「人々の夢を実現するのがわたしの仕事です」の言葉で、それ以前に感じたことのない感動を感じたわたしが馬鹿だったのか、変節した彼女が卑劣なのか。

侵略の歴史を、なにもなかったように横においておいて、韓国攻撃に嬉々とする安倍を中心とする「帝国主義」の復活勢力と、それに便乗する産経を筆頭とするマスコミと庶民。そこにあるのは、第二次大戦中に「国家の一大事」だからと進んで「大政翼賛会」を構成した社会大衆党(自称無産者政党であった)と強圧ではなく、みずから進んで「満州事変」に歓喜した厚顔無恥な大衆の姿もあった。

あの時代といま。人間のどこが進歩しているといえるのだろう。昨年までは「仮想敵国」であった朝鮮が飛翔体を発射したら「Jアラート」なる警報を鳴らし、分別のありそうな大人が「避難訓練」までしていた。あの偽りの危機感はどこへ行ったのだ。朝鮮は最近でも飛翔体を打ち上げているではないか。それでも去年までとはうってかわって、安倍はゴルフに興じている。おかしいだろう。わたしがおかしいのであれば、下段にメールアドレスを明記しているのでご指摘いただきたい。

そして最後に、かねがね疑問であったことを初めて書く。それは「戦争にルールがある」ことである。戦争=殺し合いにルールがあることにわたしはいたく違和感を感じ続けている。捕虜の扱いに関するジュネーブ条約。宣戦布告を戦争開始と定めた不可思議な国際法。これらはいずれも「戦争が起こる」ことを前提に(良心的に理解すれば、その被害を最小にとどめるよう)結ばれた国際法だ。

つまり、国際法は「戦争」という究極の野蛮行為が、「起こり続けること」を是認しているのだ。はたしてこれが「理性」だろうか。真っ当な神経だろうか。なにがあっても「戦争だけは起こさせない」との至極当たり前の前提に2019年8月15日世界は遠く及んでいない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”

創刊5周年〈原発なき社会〉を目指して 『NO NUKES voice』20号【総力特集】福島原発訴訟 新たな闘いへ

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

昨年の末からつい最近にいたるまで、知人や知人の家族に自然死ではない不幸が重なった。大きく全国に報道された放火事件。あの不幸な事件の犠牲者にも古い知人がいた。

人はいずれ死ぬ。貧富国籍男女を問わず、この結末だけは人類に平等な運命だ。ただ、標準的な人生をおくっていれば70-90年生きられるのが普通なこの国にあって、病気で人生を終えるのと、ある日、自分の意志によらず人生を突如止められる(殺される)のでは、周囲の人々は受け止め方が違う。はじめて事件被害者の関係者になって(事件被害者の家族ではない)その違いをまざまざと感じさせられている。

◆あきれ返るほどの無力感と感情停止

若いころから人並外れて近しい人の逝去や、看取りに直面する機会を得ていたので、少々の事故で亡くなった方の亡骸と事故直後に直面しても、動揺することはなかった。風呂で極寒季に溺死した親戚の亡骸に挨拶をしようと思ったときは検分中の警察が「仏さんお気の毒な姿なので今は控えられた方が……」と気を使ってくれたことがあった。ありがたいけれども不要な気遣いだった。

ある紛争地帯に出かけたときは、目の前で何人もが銃弾で命を落としたし、長い刃物で押さえつけられ首を切り落とされる場面にも、偶然で合した。「ひどいな」と感じたけどもわたしの感性は、常識的な方々と違っているようで、あの場面を見たがために、嘔吐感したり、悪夢にうなされるということもなかった。

自死した若者のサインを受け止められなかったときは、強い自責と悔恨で苦しかった。このたびは、あの気持ちとも違う。上手に自分の内面を表現できないが、言葉すら発せない脱力感で、被害者のご家族にお悔みや、慰め、共感の気持ちを口にすることすらできない。

誤解を恐れずに言えば、犯人への怒りなどこの脱力感に圧倒されて頭をもたげる余地がない。怒りなどのエネルギーは失われ、ひたすら自らの無力と、現実へ投げかける言葉が見つからない思考停止(感情停止かもしれない)した体たらくにあきれ返るのだ。

◆人はなんとなく、「明日」や「未来」を想定している

人は(勿論わたしも)なんとなく、「明日」や「未来」を想定している。いずれ年を取り燃え尽きる日が来ることがわかっていても、病で床に伏している人でも尺度の長短はあれ、突如命が止められることに警戒しながら生きている人は多くはないだろう。

緩慢な殺人はこれだけ悪質で人体に有害であることが明白な食品添加物や農薬、極めつけは放射性物質がばらまかれたこの時代にあって、感度の鈍くない人は当然予期している。予防策だって本気になれば限度はあろうが打つことができる。

逆に、予防も予想もできない「突如の生命停止」、しかも事故ではないある種の人的行為(殺意と言い換えてもいいだろう)がもたらした結果に対して、わたしの場合、怒哀の感情すら湧き上がることがない。

これはひょっとすると圧倒的な瞬時の大量殺戮のあと、生き残った人々にも共通する感情なのではないだろうか、とこの日を迎え想像している。戦地に送り出した家族の訃報を聞けば身内の方々は泣き崩れるだろう。絨毯爆撃ではない小規模の空襲で焼夷弾による火災により家が焼かれれば、被害者は涙を流すだろうし、近所のひとたちは、慰みや勇気を与える言葉が自然に出るだろう。

◆阿鼻叫喚ではなく、静寂が支配していたのではないか

対して、一面を瞬時に焼き尽くし、数万人を押しつぶすかのように圧殺する大量破壊兵器の惨禍のあと、人々のこころの中にはには「悲しみ」や「怒り」を保持できる精神エネルギーが残っているだろうか。虚無に近い状態に追いやられるのではないか。ここのところ直面した卑近な経験から、初めてこのような想像が可能となった。

小さな鳴き声は聞こえる。その声は子供だ。大人は最低必要な会話しか交わさない。「どこへ行ったら水があるかね」、「市内の病院はみな焼けてしまったと?」、「薬はなかかね?」、「包帯だけでも巻いてやってくれんか」……。犯罪のあとには、それが大規模であればあるほど、喧噪ではなく、暗い静けさが支配しているのではないか。犯罪の責任者(ここが重要である)が誰であるかは関係なく。

この犯罪の犯人は、大量殺戮を行ったもの(米国)はもちろん、その状況を招致せしめた愚かな戦争遂行者(大日本帝国)も含まれる(長崎原爆の悲劇だけを注視すれば圧倒的に日本は被害者であるが、その前史、すなわち朝鮮・中国への侵略から真珠湾への道程を度外視しては、この『犯罪』の本質を理解することはできない)。

ひょっとしたら、70数年前のあの日、原爆が投下されて数時間後、人々のあいだでは阿鼻叫喚ではなく、静寂が支配していたのではないか、と勝手な想像がわいてきた。声が出ないほどの「感情停止」を想像していただければ幸いである。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”

創刊5周年〈原発なき社会〉を目指して 『NO NUKES voice』20号【総力特集】福島原発訴訟 新たな闘いへ

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」が、急遽中断されたニュースを読者諸氏は御存知だろう。しかしわたしが見まわしたところ、この問題の核心を突く分析や論評が見当たらない。そこでこの「予定調和劇」についての私なりの分析を述べたい。

◆首都圏、大阪に続いて形成されてきた「名古屋ファシズム」

まず、現在の愛知県政、名古屋市政がどのように動いているかを知っておく必要があろう。乱暴にまとめれば、石原慎太郎による「首都圏ファシズム」、橋下徹による「大阪ファシズム」に次ぐ形で「名古屋ファシズム」が形成されている。

核となる人物は全身からガマガエルのような雰囲気を醸し出し、公然の場では、わざとらしい名古屋弁を使う河村たかしである。河村は「減税日本」なる地域政党(大阪維新、都民ファーストにその位置づけは似ているが、議員数は少ない)を発足させ「住民税の10%減税」を公約に掲げ、名古屋市長に当選した。

名古屋市長当選以前は衆議院議員だった河村が道連れにして、県知事の椅子に収まったのが大村秀章だ。大村も衆議院議員であったが、所属は自民党。民主党から市長に出馬した河村が自民党の大村と組むのは、いったいどういうことか、との疑念もあったが、これはまったく簡単な構図で、河村はかつて、民社党から自民党を渡り歩いた経験があり、所属党派などよりも自分の実利に目ざといだけの男であっただけのことだ。しかもキャラクターの面で、大村は河村の足元にも及ばない。だから河村は名古屋市長に、大村は愛知県知事におさまったのである。

河村は衆議院議員時代から「本気で総理を目指す男」などと選挙の広告にはアピールしていたが、総理大臣への道は無理であることが分かったのか、「三英傑」出身地、尾張名古屋と実質上は三河地方の執権で我慢することに方針を変える。

「減税日本」を名乗るのであれば、日本中の住民の減税(すなわち国税)の減税に切り込まなければ受益者は当然限られている。が、「減税日本」は国税には言及せず、「住民税の10%減税」という低い到達目標しか掲げなかった。加えて2010年に実施された名古屋市の減税では全体の0.2%にあたる高額納税の企業が44%の減税額を受け取っており、ほとんど庶民に恩恵がなかった。

また、名古屋市民225万人の52%は扶養家族や非課税のため減税の対象外となっている。減税を実施した2010年度の名古屋市の一般会計の予算総額は既存の事業については予算カットや人件費削減には取り組んだものの、生活保護受給者の増加などもあり、1兆345億円で前年度に比べて437億円増える結果となっている。

要するに河村は、石原慎太郎や橋下徹同様、口から出まかせの、いい加減な人間なのである。


◎[参考動画]「河村市長の発言は憲法違反の疑いが濃厚」「不自由展」中止で大村知事(CBC 2019/8/5公開)

◆なぜ「芸術監督」が津田大介だったのか?

さて、そんな河村が実権を握る愛知で8月1日から「あいちトリエンナーレ」がはじまった。2010年から始まった「あいちトリエンナーレ」は自称「国内最大規模の美術展」らしいが、なぜか事前広報には芸術監督として「津田大介」の名前があった。この時点でわたしは、「津田がまた売名を画策しているな。何か起こるな」との予感があった。津田は芸術部門で際立った実績はない。否、芸術だけでなく論評や学術論文でも顕著な業績がないのに、朝日新聞論壇委員や早稲田大学教授の肩書を得ている。まことに不思議な登用である。

津田の論には、目新しいものはないが、目新しい技術や現象を紹介する情報収集技術には長けているようだ(それは津田個人の才能ではなく、津田が会社を所有しているからだ)。しかしそれは学者や新聞の論説を担う人間のする仕事ではない。ワイドショーの放送作家あたりが熱心に取り組むべきテーマだろう。ワイドショーを見下しているのではない(ワイドショーなど、金輪際見ないけれど)。ワイドショーの基準で朝日は定期的に1ページ近くを割く人間を選定してもいいのか、早稲田大学はワイドショーの基準で教授を選任してもいいのか、と疑問がわくのだ。

そしてわたしには津田との間で、決定的な経験がある。「M君リンチ事件」について津田に電話でインタビューをしたことがあるのだが、津田が話した内容を文字お越しして津田に送ると、話していたのとまったく似ても似つかぬ原稿が戻ってきた。「インチキだな」とわたしは確信した(関係ないがあの金髪も気に入らない)。


◎[参考動画]津田大介さんが芸術監督「あいちトリエンナーレ」開幕(CBC 2019/8/1公開)

◆「中止劇」のシナリオは決まっていた?

さて、今回の外見的には騒動の分析である。まず日本が過剰に韓国を敵視して、一層の歴史捏造に熱心なこの時期に「少女像」などを展示することは、「妨害」が簡単に予想ができたことである。

では、津田は脅しや批判があっても展示を続ける覚悟があったのだろうか。鹿砦社の取材にもインチキな原稿を返してくる津田に、そんな覚悟があるはずがない。それどころか、この「中止劇」は確実にシナリオが決まっていたとしか思えない証拠がある。

8月2日、河村が「あいちトリエンナーレ」を視察に行くと発表があった。排外主義者の河村のことだからどうせ否定的なコメントを出すだろうと予想したわたしは、別の用があったので、知り合いのライターに取材を依頼した。

まずは名古屋市役所に電話をして、河村のコメントをとるように頼んだ。ところが名古屋市役所の人間は、市長の秘書や広報ではなく「あいちトリエンナーレ」の実行委員会の電話番号しか案内しなかったそうだ。聞きたい理由と内容を告げているのに、どうして主体が違う「あいちトリエンナーレ」の実行委員会が案内されるのだろう。

新聞によれば1400件を超える脅迫や嫌がらせのメールなどがあったそうだ。放火や爆破を予告するものもあったらしい。こういった場合、主催者は警察に「威力業務妨害」で被害届を出すのが通例だ。しかし開催前に警察と「打ち合せ」をしていたと津田は弁解するが、警察が解析すれば発信者の特定がかなりの確率で可能な「爆破」、「放火」予告メールについて津田は放置したままで、被害届けすら出していない。

そして予想通り河村が「展示は日本人の心を傷つけるものだ」と発表したら、ろくに関係者と打ち合わせもせずに翌3日、大村からの要請もあり津田は「中止」を決めてしまった(そんな権限が芸術監督にあるのかとの疑問もわく)。


◎[参考動画]中止について会見する津田大介氏(朝日新聞社 2019/8/3公開)

注目すべきはこの「破廉恥な判断」を売名に変える津田の感性だ。結果から振り返れば「破廉恥な判断」をしても「恥」とは感じない人間、むしろ前田朗東京造形大学教授の表現を借りれば「炎上商法」で、内容はなくともさらにテレビに映ったり、名前が売れることを優先する人間が「芸術監督」に求められていたのではないか。

こう考えると、作品を創作した方々には気の毒であるが「あいちトリエンナーレ」はそれ自体が「虚構」を基盤に「炎上商法」で日韓関係悪化も利用しようとしていたと感じる。

河村・大村・津田。この3人の猿芝居のシナリオを描いたのは誰だろうか。


◎[参考動画]「あいちトリエンナーレ2019」解説 津田大介 Oil in Lifeより

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新刊!月刊『紙の爆弾』9月号「れいわ躍進」で始まった“次の展開”

田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

たとえば動画サイトで政治色の薄い、ジブリの作品のサウンドトラックの感想に「〇〇初めての夏」、「××はあっという間に終わって」など元号が何の躊躇なく書き込まれている。わたしは元号は言うに及ばず天皇制を絶対に容認できないし、嫌悪するから上記○○、××に該当する元号を書くことを遠慮する(この思いは山本太郎氏が新しい政党を作り上げ、そこに現在の元号名を取り入れて以来さらに増している)。

きょうがどんな日かは、あらためてわたしが述べるまでもない。人類史上初めて、米国により非戦闘地域に大量殺戮を企図し原子爆弾が投下された日だ。

その日、夏休みとはいえ、高校生は軍需工場で働かされていた。だからわたしの母親や祖母は広島中心部から幾分離れた場所に疎開をしていたけれども、母の兄、すなわちわたしの伯父たちは広島市内に残っていた。ある伯父は原爆投下時に爆心地から数キロの下宿におり、焼かれても不思議ではなかったが、下宿が崩壊し下敷きになり死ぬことはなかった。

伯父は級友全員が死亡し、彼だけが生き残ったことを数日後に知る。

後に上場企業の副社長の地位にまで昇進しても、伯父は気取ったり威張ったりすることはなかった。元はアルコールに強い体質ではなかったが、商社に勤務し仕事上の付き合いなど、仕方なく我慢したのだろう。

叔父は酔うと無茶苦茶に陽気になる性格に変わっていた。でもそんな伯父が酒の入らないときに「敏夫ちゃん。テンコロ(天皇を揶揄する彼独自の表現)なんかに騙されたら、あかんよ。」

「伯父さんたちは勉強もできずに工場で働かされて、その挙句に原爆落とされて、同じクラスの友達全員死んじゃった。なのにテンコロはクソ偉そうに、いまでも崇め奉られている。国民は馬鹿かと思うね。象徴天皇制なんて、天皇のおかげで殺されかけた、おじさんには到底受け入れられませんよ。あたりまえだろ?」

「この間も丸の内のあたりに警察官がたくさんいて、交差点が渡れない。『どうしたの』って警察に聞いたら『天皇陛下のお出ましです』っていうから、伯父さん、警察無視して、堂々と交差点渡ってやったわ。なにが『天皇陛下』だ! どの面下げて未だに生きてるんだ! あいつは!」

繰り返すが、伯父は政治的には決していわゆる「革新」志向の人間ではなかった。全く左翼でもなかった。「労組が無茶な要求を出すから腹立つんよ!」と愚痴を聞いた記憶もある。

でも「なにが『天皇陛下』だ! どの面下げて未だに生きてるんだ! あいつは!」を昭和天皇が死ぬ前に何回聞かされただろう。商社マンとして、武器輸出三原則に違反して台湾や韓国に武器部品の一部を売ったことがある、とこっそり教えてくれた叔父。

「それ日本の国策違反じゃないですか?」と若かったわたしが真顔で抗議すると「敏夫ちゃん。世の中には『表と裏』があるんだよ。武器部品は儲かるの!」とニッタり笑いながら小さい声で、わかったような、わからないような理屈を並べてもくれた。

「伯父さんは原爆にあって、天皇許せないけど、戦争は平気なの?」と聞くと「戦争は絶対反対だよ。でも戦争をしないための武器(たぶん冷戦時代だったのでそのことを意味していたのだろう)もあるからね。テンコロは許さないよ! 絶対!」

その伯父が逝って何年になるだろう。このようにわたしの個人的な体験や、見聞きしたことを綴ったところで「原爆」の恐ろしさと、犯罪性の伝承にはほとんど力などないだろうと本心では感じている。

毎回安倍の出席により汚される「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」(広島平和記念式典)。選別され「危なくない」発言をする人だけが許される、遺族のスピーチ。そして70何回を超えて、はっきり言えば「恒例行事化」してしまっている締まりのない8月6日。福島第一原発では相変わらず「原子力緊急事態宣言」が出されている中、あなたはきょうなにを考え、なにをなさるのだろう。

※注釈:本文中の「テンコロ」との表記につき、読者の方から「差別的表現ではないか」とのご指摘を頂きました。本文中でも述べておりますが、「テンコロ」が差別に当たるかどうかはよくわかりません。少なくともわたしの伯父は、韓国、台湾での駐在も長く(中国語、韓国語が流暢でした)、アジアに対する差別感覚はまったく持ち合わせていませんでした。機械専門商社の副社長に就任し、次期社長が確実視されていた中、50過ぎで膵臓癌を発症し2か月で亡くなってしまいました。
 戦中・戦後中国の方を見下す「チャンコロ」との侮蔑表現がありました。「チャンコロ」の語感が伯父の頭の中にあったのか、なかったのかはわかりませんが、伯父の性格からすれば、おそらく「チャンコロ」とは無関係に自分で「テンコロ」と命名したのではないかと思います(とはいえそのような事情であっても差別表現は批判の対象になることは承知しております)。
 以上ご指摘を頂きましたのでわたしの見解を付言させていただきます。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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