本日発売!板坂剛と日大芸術学部OBの会『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』

『思い出そう!一九六八年を!!』の表紙には心が躍った。どこの党派間のゲバルトかは判然としないけれども、キリン部隊衝突の写真は、時代の空気を伝えようと意図されたものであろう。あの時代こんな風景は東京や大阪ならどこにでも見られた。民青(共産党系の学生青年組織)相手のゲバルトや、逆に民青からのゲバルトも熾烈を極めた。

と、あたかもそこにいて、経験したように、いっちょ前の感想をビール片手に書いているが、小生1968年には満三歳。ある地方都市で元市長の官舎に使われていた、敷地が狭くない庭で、祖母と草木に戯れていた。あれ以来50年。小生が覚えた草木の名称の7割以上は、祖母から3歳時までに教えてもらったものだ。

だから「一九六八」の記憶などに、心躍らせること自体がフェイクであり、ナンセンスの誹りをを逃れようがないのだが、この感情は嘘じゃないんだから、仕方ないではないか。たとえば10・8羽田、あるは国際反戦デー、騒乱の渋谷、新宿。佐世保エンプラ寄港阻止闘争。三里塚強制収容から管制塔占拠。

どれもこれも、自分はその場にいたわけでもないのに、Youtubeなどで映像にヒットすると「オッ」と思わず前のめりになる。「超法規措置での収監者解放」、「人の命は地球より重い」と総理に言わしめたハイジャック闘争など、映画を見るより鳥肌が立つ(そのお陰で搭乗手続きが煩雑になり、迷惑もこうむっているけども…)。社会や時代を動かす力を、若者は持っていたし、なかには人の迷惑顧みず、命がけでたたかう学生だって少なくなかった。

真逆の時代に何十年も砂を噛むよう思いをさせられ続けた「割を食った」世代としては、その時代のややこしさや、負の側面など関係ない。単純に熱い時代への憧憬しかないのだ。

◆板坂剛らの手になる山本義隆、秋田明大の実像

そのただなかにいて、山本義隆、秋田明大という二人を直接知る、板坂剛の手になる『思い出そう!一九六八年を!!』は、1968年から50周年企画や出版が様々なされる中で、確実に一番「おもしろい」書籍であると確信する。板坂の秋田明大への親近感と山本義隆へのちょっと冷めた視線が「おもしろい」。山本義隆への人物評を「調整役」としたのには驚いたし、秋田明大が岡本おさみ【注】、加藤登紀子作曲で「あほう鳥」なるレコードを出していた(ってことは日大全共闘議長秋田明大は「歌手」でもあったのか! 知らんぞ! 秋田明大は運動から離れたあとは町工場で過去を語らずに生きていたイメージがぶっ飛んだ)ことも事情を知らぬ人たちには驚きだろう(その代わり、本書でも触れられていない秋田明大の私生活の秘密を知ってるけど、それは内緒!)。

小熊英二が『1968』を書いている。あれは学術書だからだろうか。さっぱり「おもしろくない」。なにより小熊自身が1968になんの共振、共感も抱いていないことが明白で、事実の羅列、年表としか感じなかった。

小熊などと板坂を比べたら、板坂からどんな仕打ちをされるか分かったものではない(小生は板坂との初対面の際、しこたま酔った板坂に筆舌に尽くしがたい仕打ちを受け「噂通り、やっかいなおっさんだ」との確信を強めた。が、後日昼間にしらふの板坂に再会した際、挨拶すると「どちらさまでしたっけ」と板坂は全く覚えていなかった。板坂とはそういう「まじめ」な男である)。しかし、それほど『思い出そう!一九六八年を!!』は全共闘の中で自らが望まずとも、表出せざるを得なかった、山本義隆、秋田明大二人の人物像と個性を知る板坂が(これも強調しなければならないが)、極めて上質な文体と分析から描く「生もの」である。

「1968」をどう評価するか、関心を持つかはおのずから各人の自由であるが、あの年の肌触りを実感し、ここまで再現できる人物はそうはいないはずだ。板坂と春日(この人物についての知識はない)に感服する。

【注】「あほう鳥」の作曲者の加藤登紀子はご存知の通りで注釈を省くが、作詞者の岡本おさみは、レコード大賞を受賞した森進一の『襟裳岬』、吉田拓郎の『旅の宿』、ネーネーズの『黄金(こがね)の花』などのヒット曲がある。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

本日発売開始!
板坂剛と日大芸術学部OBの会=編
『思い出そう! 一九六八年を!!
山本義隆と秋田明大の今と昔……』
(紙の爆弾2018年12月号増刊)
1968年、全共闘は
国家権力と対峙していた。
戦後資本主義支配構造に対する
「怒れる若者たち」
当時の若者には、
いやなことをいやだと
言える気概があった。
その気概を表現する
行動力があった。
権力に拮抗した
彼らの想いを知り、
差別と排除の論理が横行する
現代を撃て!!

 

仮処分申し立てを説明する竹下育男弁護士(右)と岡本圭生医師(左)

11月16日、滋賀医科大学前立腺癌小線源治療学講座岡本圭生(けいせい)特任教授が、滋賀医科大学を相手に仮処分の申し立てを行った。18時30分から滋賀会館で記者会見が開かれた。会見では冒頭弁護団から仮処分申し立ての内容について詳細な説明があった。

岡本医師が申し立てた内容は、

[1] 債務者(注:滋賀医科大学)は,債権者(注:岡本医師)に対し,債務者のホームページ中の医学部附属病院の「病院からのお知らせ」欄に掲載した「新聞報道について」と題する別紙請求コメント目録1記載のコメントを全部削除せよ。

[2] 債務者は,債権者に対し,債務者のホームページ中の泌尿器科学講座「お知らせ」欄に掲載した「当講座医師に関する新聞報道について」と題する別紙請求コメント目録2記載のコメントを全部削除せよ。

[3] 債務者は,債権者に対し,債務者医学部附属病院内の所定の掲示場所に掲示した「滋賀医科大学泌尿器科学講座医師に関する新聞報道について」と題する別紙請求コメント目録2記載のコメントと同一内容の文書を撤去せよ。

の3点である。新聞記事報道に対して滋賀医科大学が反論した文章の中に、事実と異なる記載があり、それにより岡本医師の名誉が毀損されているためその書き込みを削除せよ、また同内容で病院内に掲示されているものを撤去せよとの申し立てである。

一見、この仮処分申し立ては、「単なる文章の削除要求」のようにとらえられるかもしれないが、岡本医師の投げかけている問題意識の根本はそれだけだはない。弁護団の説明ののち岡本医師自身が、以下の見解を述べた。

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岡本圭生医師

◆岡本圭生医師の見解

滋賀医科大学前立腺癌小線源治療学講座特任教授の岡本圭生と申します。今回、私が滋賀医科大学に対して申し立てをおこした背景をご説明いたします私自身は、これまで14年間にわたり、滋賀県だけでなく、全国から来院された1000例を超える前立腺癌患者の方々に対して小線源治療という特殊な放射線治療をおこなってまいりました。

2015年から滋賀医科大学では私を特任教授とする寄付講座である小線源治療学講座が設置されました。その時期に今回問題となっている事件が発生いたしました。この事件についてわかりやすく説明させていただきます。

2015年、滋賀医科大学泌尿器科において、泌尿器科教授の指示により実際の患者に対して小線源治療の経験がない、という事実を患者に説明すること無く、いきなり治療の執刀を行うという患者の人権を無視した計画が20名あまりの患者さんに対して企てられました。
具体的には、実際の小線源治療について未経験であり、過去10年間でたった一症例の見学経験しかない泌尿器科准教授が患者さんの同意を得ることなく、いきなり小線源治療をおこなうことが計画され、私は当日の手術に立ち会うよう、泌尿器科教授から要求されました。

さらに私は、当該患者の方々を診察することも接触することも説明することも、泌尿器科教授から禁じられていました。これは、あとに述べるように現在滋賀医科大学が主張している、「私と泌尿器科が協力して小線源治療を行う予定であった」という説明では つじつまの合わない非常に異常な状況といえます。さらに、私はこの計画が実行直前まで進んでいた2015年12月当時、泌尿器科教授と準教授から 「患者が治らずともそれは私(岡本)の責任にしないから最初から手術を準教授にさせろという」要求を繰り返し受けておりました。

医療が、医療として成立するためには、医師・患者間の誠実な信頼関係が存在することが絶対条件・前提条件となります。患者さんは目の前の医師が自分にとって最善を考えてくれるということで医療を託すわけです。一方、医師は目の前の患者さんに対して最善を尽くそうという姿勢をもっていること これが医療の大前提であります。この前提が壊され、意図的に人権侵害や患者を欺く行為が医療として計画され実行されることが許されるなら、それは医療ではなく、傷害行為と呼ぶべきものです。

私はこの計画が患者の人権を侵害するものであり、危険であるとして学長に進言しました。このことを受けて当時学長はこの計画を「コンプライアンスと倫理的な観点からも憂慮すべき」とみずから宣言し、泌尿器科の計画を中止されました。そして学長と院長からの依頼により2016年1月以降、泌尿器科の当該患者を私が診察治療することとなりました。そして当時学長は「2016年以降小線源治療に泌尿器科は一切関わらせない」と宣言されました。

こういった動かしがたい事実があるにも関わらず、現在滋賀医科大学では、泌尿器科の小線源治療計画を「コンプライアンスと倫理的な観点からも憂慮すべき」と自ら宣言し、中止させた学長までが 変節し、「私が非協力的であったために今回の諸問題がおこった」との事実と異なる虚偽の記載をホームページ上に掲載しています。これらの記載は「私が組織内の決定に従わず、患者の診療にも協力しない医師であるとの誤った評価を招き、私自身の名誉を著しく毀損すると考え、削除を求める仮処分申し立てを行いました。

現在滋賀医科大学は泌尿器科が医療の名の下におこなった患者さんの命を危険にさらし、人権を踏みにじった蛮行を組織ぐるみで隠蔽、もみ消すためになりふりを構わない行動をとっています。この問題を告発し、正そうとした私を大学から追放するために寄付講座をそもそも2017年年末で閉鎖しようともくろんでいました。しかし、2017年年末既に多くの待機患者が存在することから本学は講座の延長をしぶしぶ認めました。

しかしながら今をもってもなお寄付講座を2019年12月で閉鎖をし、それに先立つ来年の7月から私の小線源治療を停止すると宣言しています。このことが断行されますと私にしか治せない全国から頼って来院される難治性高リスクの前立腺癌患者さんたちの命が危機にさらされ命が見捨てられることになります。

国立大学附属病院の存在理由と公益は患者ファーストの医療を実践することにありはずです。全国から頼って来院される前立腺癌患者を切り捨てることは、患者ファーストと公益に反する行為です。医療の現場が患者ファーストの理念を失い、保身や組織優先の医療を行うのであれば、それは、権限・権力を有する医師による医療の私物化に他なりません。

2015年に私が泌尿器科の医療行為を止めようとしたのは このようなことが許されれば患者さんの同意なしに、患者さんの命が危険にさらされると判断したことが第一の理由です。

第二の理由は、故意かつ意図的に説明義務違反を犯し、患者の人権を踏みにじることが医療の名の元に秘密裏に行われることが、許されるのであれば、患者と医師の信頼関係によってのみ成立する医療というシステムそのものが破壊されるという非常に強い危機感を抱いたからであります。

私のとった行為が組織の命令に背くものであったとしても、私は誤った組織の命令よりも患者の命を守り、人権を守ることを優先する覚悟であり、このことに今も変わりはございません。

その理由を最後に述べさせていただいて、私の締めくくりとさせていただきます。 医師には医の国際倫理綱領として「ジュネーブ宣言」、「ヘルシンキ宣言」というものがございます。これは第二次大戦後すぐに採択された医師の倫理綱領であります。それによればわれわれ「医療者はどんなときも目の前に患者さんの最善のためにだけ行動せよ」という綱領であります。

さらにこの綱領には副文があります。そこには「目の前に患者さんの最善を実行するための障碍として時に、国家権力や組織の圧力を受けることがあろうが決してその圧力に屈してはならない」と記載されています。

このことが、私が命に代えてもやり抜こうとしたことの本質であります。 

つまり私は医の国際倫理綱領は組織の命令より優先されると考えています。私の判断と行動が医師として是か非か 判断いただければ幸いです。本日はありがとうございました。

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つまり、滋賀医科大学のホームページや病院内に掲載された文章はもちろん問題であるが、その新聞記事が書かれる原因となった、泌尿器科小線源療法未経験医師による、患者への説明義務違反を経て、施術が実行されそうになった事件が根本にある。

岡本医師が学長に危険性を伝えたため、学長は「コンプライアンスと倫理的な観点からも憂慮すべき」と判断。施術は止まったが、岡本医師から学長への警鐘がなければ、泌尿器科小線源療法未経験医師が患者に施術を行っていた可能性が高い。

会見には既に岡本医師の治療を受け、完治した神戸の柴山さんと、これから岡本医師の治療を受けようとしている東京の山口さんが参加し、経験を話した。

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岡本医師の治療を受け完治した経験を語る柴山さん

◆神戸の柴山さんのお話

私は2015年8月、58歳のときに前立腺癌の宣告を受けました。PSAが49超高リスクの前立腺癌と診断されました。地元の病院では「前立腺の全摘出手術は既に無理な状態、しかも根治は到底無理である」と宣告されました。その病院ではホルモン治療しかないと言われ、途方に暮れて「もう人生も終わりか」と絶望の淵におりました。

そんな折たまたま書籍から岡本先生のことを知り、メールで相談させていただきましたところ、とてもやさしいお言葉で「すぐに来なさい」と返信がありました。その後ホルモン治療、小線源治療、外部照射を組み合わせた、トリモダリティーという治療を施していただきました。そして今年の9月、最後の外部照射の治療から2年経過して岡本先生の受診をしたところ「完治確定です。もうこれで大丈夫です。再発もしません」という診断を頂きました。私や家族にとって夢のようなことでした。奇跡と言っても過言ではありません。

罹患当初は「このまま死ぬかもしれない」というよりも「もう遠くなく死ぬだろう」と思っておりました。当時84歳だった私の父よりも「先に逝くだろう」と思っておりました。この時は人生最大の絶望でしたが、「完治確定」を頂いた際は人生最大の喜びを味わったことになりました。私の状況は超高リスク前立腺癌でしたので、岡本先生でなければ完治はあり得なかったと思います。今まさに当時の私と同じような状況で絶望のどん底にいらっしゃるであろう、患者さんには是非岡本先生を紹介して差し上げ、この感動を味わって頂きたいと思っています。

私が岡本先生に出会ってよかったと思う点は一言でいえば「患者ファースト」を徹底されている点です。その1つ目、岡本先生はメールアドレスを公開されておられます。来る者は拒まずとの姿勢を貫かれていること。

2つ目は安心感です。初診の際に「超高リスク前立腺癌であっても95%以上完治する」とのお言葉で、私自身や家族が絶望のどん底から、安心感に変わりました。またその後安心感は、完治確定まで継続しました。

3つ目は当初より岡本先生から、「このような治療を行い、マーカーがこのように変化し、こうなれば完治です」という計画をお聞きしておりました。結果は全くその通りになりました。少し違ったのは予定より早く完治が確定したことです。

4つ目はホルモン治療を受けましたが、ホルモン治療は患者の体にダメージがあります。岡本先生のホルモン治療は極力短期間しか行いません。患者ファーストの現れだと思います。私は幸運にも岡本先生と巡り会い、素晴らしい治療を受けただけですが、岡本先生がここに至るには血のにじむような努力があってのものとお聞きしております。そのため患者が安心して治療が受けられるのです。私も治療中のQOLは大変良く、ジョギングや登山を続けられ、仕事も治療中を除いて通常通り休まずに続けられ現在に至っております。

最後に癌患者を助けるために努力を惜しまない岡本先生の治療継続を心から希望いたします。岡本先生の治療は他の医師の治療と比較して、群を抜く非再発率と根治率であることはいうまでもありません。現実に岡本先生を紹介したい人が私の周りにもおります。しかし患者を軽視した現在の滋賀医科大学では、それもできません。岡本先生にしか助けられない命を、大学の一部の人間が、その権威を使って私利私欲や都合によってその望みを断ち切ることが人道上許されてよいわけはありません。現在大学の一部の人間が権威を盾にして倫理違反を犯した医師を処分せずに居座らせています。

かたや、患者を不当な医療から救済し病院と患者を危機から救った岡本先生にパワハラを与え、さらに組織から除外しようとしていることは絶対に許されるべきではなりません。現在の滋賀医科大学は組織の保身のために奔走しているとしか見えません。是非とも岡本先生の治療継続を懇願する次第です。

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治療を待つ山口さん

◆東京の山口さんのお話

「青天の霹靂」ということばがありますね。そういう経験を3か月前にしました。65歳検診を8月に行きまして、検査の翌日にいきなりその検査機関から電話が自宅にありまして「あなたのPSAは87です。直ぐに病院に行って下さい」という知らせが来ました。私にとって87という意味が全く分かりませんでした。電話の向こうでとても慌てている様子がありましたので、これはやばい状態だろうなということはわかりました。

ただし痛みも何もないんですね。日常生活に全く変わりはない。これはどんな病気なのだろうかと。逆に慌てました。検診先に行き紹介状を書いてもらおうとしましたが、どこに行ったらいいかわからない。私はネットで調べました。ロボット手術、ダビンチ手術をやっている病院が近くにありまして、そこで細胞検査を受けました。ところがそのお医者さんは「5年生存率は70%」というんです。「でも切ってさっぱりしましょう」といったんですね。床屋かなという感じです。

しかも「転移してても切りますよ私は」というのです。ネットで調べるとそういうのはあまりない。先ほどの方がおっしゃりましたが、ホルモン治療をするわけですが、そのお医者さんは「切る」と言ったので益々信頼がおけなくなりました。

その話を聞いて私は夜寝ることができなくなりました。5年生存率70%ということは、死亡率が30%あるわけです。3分の1は死んでしまうわけです。ルシアンルーレットがありますね。あれだって6分の1ですが、私の賭けは、そこに2発の銃弾が装填されているのと同じことなわけです。そんな賭けに乗ることを私は到底できないです。

ということで食欲もなくなり4キロ痩せました。それが10月初旬です。悪夢から逃れられないような状況になりました。そこでまた必死でネットを探したところ、滋賀医大岡本先生の記事にたどり着いたんです。96%再発しないという記事です。

ところがその直後岡本先生が訴訟事件に巻き込まれている、という記事を目にしまして、本当にこの先生にかかることができるのかな、とまた厳しい精神状態に追い込まれました。岡本先生にメールを送ったのですけど、返事が来るかどうかはわからない。ところがメールが先生から来たんです。私は本当にほっとしました。先週ついに先生の初診を受けることができたのです。精神的にもおかしくなりそうな状況だったのですが、食欲も戻って、精神状態も普通の状況に戻ることができました。

例えば来年7月で先生の手術ができなくなると、私が実際に受けることができるかどうか、非常にあやふやな位置にいるんです。再び元の治療、ロボット手術を受けるかと言うと、死を覚悟しなければいけない状況に舞い戻るわけです。

こういった患者さんはたくさんいるわけで、滋賀医大には全国から来ているわけです。癌の最大の脅威は何かというと、転移と再発です。私も転移の検査を受けて結果が出るまではドキドキでしたね。発狂しそうになるくらいでした。転移はなく安心しましたが。

でも岡本先生治療を受けてようやく、再発しない状態になるわけです。ここで滋賀医大が岡本先生の講座を閉鎖する非情な措置が行われるのであれば、我々の生きようとする希望が失われるわけです。こういった状況に対して、是非滋賀医大の非情なありかたを世論に知らしめていただきたい、と心から願っております。

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以上、岡本医師及び、患者さんの重たい言葉に、余計な言葉は付け足さない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」

『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

内閣府の北方領土問題HPより

 

内閣府の北方領土問題HPより

ロシアと日本の間で「平和条約」を締結しようという機運が高まっている。「平和」自体は結構なことであるし、どの国であろうが仲良くするに越したことはない。結構、結構と慶賀の至りと、気楽に構えていたいのだが、どうも腑に落ちない。

なぜかといえば、ロシアがソ連であった時代から両国間最大の問題であった「北方領土」について、なんら解決の道筋がつけられていないからである。当事者の方々には失礼にあたるが、本音を言えばわたしにとって北方領土問題は、たいして重要性を感じない。第二次大戦日本敗戦直前のどさくさに参戦してきて、敗戦後北海道の半分を手に入れようとした、ソ連(スターリン)の姑息さに由来する、「北方領土」問題。それでもそこには戦争とは関係なく暮らしていた人々の生活があったのだから、「元の住処に帰りたい」との思いを実現させてあげたいとは、わたしも思う。

でも、実際のところ北方領土問題は、たしかに地理的に北海道に極めて近いという前提があるのもさることながら、ソ連崩壊までは主として「軍事脅威」の宣伝としても、大いに利用されてきた。ソ連は「仮想敵国」だったからだ。そしてソ連が崩壊して、「独立国家共同体」という、訳の分からない状況の時代は、日本政府が本気であれば、いとも簡単に北方四島を取り戻しえた時期だった。当時の旧ソ連では、権力機構も軍隊もKGBもGRUもほぼ国営から民営化され、国全体が揺れに揺れている時期だった。国内では多数の国が独立を果たしてゆき、軍人も元共産党幹部もひたすら金儲けに向かい猛進していた。当時旧ソ連国内での、覇権争いは熾烈を極め、外交どころではなかったはずだ。

 

内閣府の北方領土問題HPより

もし、プーチンが当時日本の首相だったら、間違いなく北方四島を取り戻していただろう。それだけではなく。サハリンからの天然ガスパイプライン敷設を日本の権益として確保したかもしれない。

ところが、現実には北方領土問題は、全く何の進展も見せなかった。ビザなし交流など表面的に改善を装う「催しもの」がお飾り程度に演じられたが、今日再び「帝国」としての地位を回復したロシアは、なにがあろうと北方領土を日本に返還することはないだろう。そして、日本政府も実は本気で取り戻す気などないのだ。多くの都道府県には北方領土問題の啓発に努める部署が設置されており、県庁に「北方領土帰る日、幸せの日」などといった横断幕が定期的に掲げられる。北方領土を中央政府は取り戻すつもりはない(なかでも安倍晋三にはその気が皆無である。ここ数年で何回ロシアに足を運び、またプーチンをわざわざ山口県まで招くなどしたことか)が、官公庁も含め、全国各地に「北方領土返還利権」が確立されているのだ。

だからといって、マスコミはロシアを叩きはしない。なぜならば、いまはロシアでなくても、朝鮮や中国という「代替仮想帝国」があるからだ。

ここで読者諸氏には最大級の注意を払っていただきたい。中国、正式には中華人民共和国と日本の間には「日中平和友好条約」条約が既に締結されていることを。若い人たちは知っているだろうか。日本と中国の間は、日本とロシアとの間ではいまだに結ばれていない「平和友好条約」が締結されていることを。経済的な関係はともかく、昨今のきな臭い報道ばかり見ていると、あたかもロシアよりも中国のほうが「仮想敵国」なのではないかと勘違いしそうだが、条約上は「仲の良い」関係になっているのだ。

 

内閣府の北方領土問題HPより

そして、北方領土問題の二代目を演じているのが「拉致」問題だ。朝鮮による日本人拉致事件はほかならぬ金正日自身が認めたのだから、事実に間違いはない。拉致被害者の方々やご家族は長年にわたり筆舌に尽くしがたいご心労が続いている。そのことを分かったうえで、あえて指摘しなければならない。

日本政府は北方領土同様に、拉致問題も解決する意思を持ち合わせないとわたしは確信する。なぜならば拉致問題が解決してしまえば、日本の軍拡や改憲の根拠が失われてしまうからだ。これまで日本政府、なかんずく安倍晋三は拉致問題に関して、みずから、何をなしえてきたか。韓国大統領が金正恩と首脳会談をすると聞くと「拉致問題を取り上げてくれ」と頼み、金正恩がトランプと会談すると聞くとトランプに「拉致問題も言及して」とお願いするばかり。自分が直接交渉に歩みだそうとしたことすらなく、ひたすら他国の首脳に「ついでに話題にしてね」と頼み込むばかりだ。

 

内閣府の北方領土問題HPより

他方、朝鮮への経済制裁については国際社会でも呆れられるほど、先鋭的に南北朝鮮の緊張緩和を無視するかのように「制裁、制裁」と見当違いに叫び続けるしか能がない。しかし安倍は、この問題に関する限り「無能」なのではなく、意識的に拉致問題が解決しないようにふるまっているのだ。想起されたい。つい最近まで「ミサイルが飛んでくる」とあたかも戦争前夜のように、馬鹿げた避難訓練が「粛々」と全国各地で行われていたじゃないか。それに市民も参加していたじゃないか。

拉致被害者の方々の一刻も早い帰国や、拉致問題の解決を、わたしも願う。そのためには拉致問題の固定化を祈願し、実践している安倍晋三を筆頭とする極右勢力が政権から退場してもらわなければならない。

ロシアとの間での平和条約は結構なことではあるけれども、過去計算できないほどの金がつぎ込まれ、利権化した「北方領土返還運動」の総括がまず先だろう。これまた極右勢力がけん引した「北方領土返還運動」が、何の成果もなく消え去り、結局北方領土はロシアの領土として固定化しても、平和条約が締結できるのか。今見るべき点はそこだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

滋賀医大付属病院小線源講座の患者さんら4名が、同病院泌尿器科の河内明宏科長と、成田充弘医師を相手取り440万円の支払いを求める損害賠償請求を大津地裁に起こした件については、これまで報告してきた。

そして本日11月16日、滋賀医大付属病院小線源講座の岡本圭生特任教授が、滋賀医科大学を相手取り、仮処分を大津地裁に申し立てることがわかった。岡本特任教授が仮処分を申し立てる内容の詳細はまだ明らかではないが、本日18時から記者会見が開かれ、そこで代理人と本人から説明が行われる。

 

11月12日付けビジネスジャーナル

岡本医師については、11月12日付けビジネスジャーナルで「増加する男性の前立腺癌、再発率わずか2%の画期的治療法『岡本メソッド』」にインタビューが掲載されたばかりだった。

岡本医師による小線源療法については、ビジネスジャーナルの記事に詳しいのでご参照頂きたいが、注目すべきは現役の医師も以下のように絶賛している治療法である点だ。同インタビューから引用する。

岡本教授の治療を受けられた方は、どのように感じているのか。1100名を超える治療を受けた患者さんのなかから、大分県立病院小児科部長の大野拓郎氏に患者さんとして、また専門家の立場からお話を聞きました。

―― 先生に前立腺がんが発見されたのは、いつだったのでしょか。

大野 私は今、53歳ですが、2年前に簡易人間ドックを受けた際に、PSAの値が高いことがわかりました。その後すぐに細胞検査を受け前立腺がんと判明しました。

―― 医師としてご自身の前立腺がん治療にあたり、どのような観点で治療法を選択されましたか。

大野 まず根治性の高い(再発リスクの低い)ものを考えました。私はがんの広がりはなかったのですが、組織型(がんの悪性度)が悪かったので、高リスクとして治療を受ける必要があると判断しました。ダビンチ手術(支援ロボットを利用した手術)を勧める医師もいましたが、仕事をしていますので、仕事に影響が出る後遺症・合併症は困ります。その他の治療法も調べましたが、私が考える芳しい成績ではないなと思い、岡本教授の治療を見つけ、治療成績が傑出していることから、お願いすることにしました。

―― いつ施術を受けたのでしょうか。

大野 2017年の2月です。

―― 手術後の経過はいかがでしょうか。

大野 夜間頻尿が数カ月続き服薬していましたが、半年くらいでなくなりました。今はまったく支障がありません。前立腺がん治療のあとには、排尿関連の合併症が多いのですが、何も感じないで生活しています。

―― 専門家の立場から「岡本メソッド」をどのように評価なさりますか。

大野 私は先天性小児心疾患が専門です。その手術のレベルを考えたときに、病院によって差が出てきます。それは事実ですが我々としては「どこで受けても同じ結果が出る」のが一番望ましい。医療においての再現性を考えたときに一番大事なことだと思います。前立腺がんの治療を見たときに、岡本教授の技術が広がっていく、全国で根付いていくことが理想的だと思います。色々調べましたが、岡本教授の施術は「神のレベル」に近いといえます。しかも報告からは合併症が少ないようです。尿漏れなどは日常生活でも大変不便です。それが少ないのと、根治性、機能面においても非常に高いと思います。

―― 岡本教授のお人柄についてはいかがでしょうか。

大野 岡本教授と話をしていて、「この方は信頼できる」と感じたのは、徹底して患者の方向を向いていらっしゃることです。医療界には別の方向を向いている動きも感じますが、岡本教授は「きちっと根治する治療をする。そのための小線源療法、そして外照射を合わせたトリモダリティ」を考えておられるなと強く感じ、信頼できると思いました。大事なのは「患者さんにとって何が一番良いのか(Patient first)」ですね。その実践ができているという点でも信頼できる先生だと私は思います。私の知り合いで同じ病気になった人がいれば、躊躇なく「岡本先生に治療してもらってはどうか」と勧めます。(引用以上)

4名が泌尿器科の医師を提訴し、岡本医師も仮処分を申し立てる、滋賀医大では何が起こっているのであろうか。記者会見の様子は近日中にご報告する。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」

政府及び内閣が先日閣議決定をした出入国管理法および難民認定法の改正にわたくしは再度反対の意を明らかにする。

勘違いされると困るが、わたしは海外からこの国にやって来る人を、「入国させることを困難にさせよう」と主張するのではない。むしろ、海外からこの国に渡航してこようとする方々のハードルは下げるべきであると考える(短期滞在を中心とする来日者にとっての抑圧がない在留資格に限定すれば)。

しかしながら、今般、政府がターゲットにしている方々は、そういった方々ではない。これまで表面上は在留資格にはなかった「期限付き単純労働者」を含む多彩な労働者を人口減で、労働力不足の日本に招き入れようとしている。

労働に携わるのであれば、日本人もしくは日本定住者同等の権利義務が保証され得る状況で労働に従事するという最低限の保障が得られるべきである。しかしその最低限保証は、まず間違いなく海外からの労働者には適用されない。

わたしは外国籍労働者の入国規制緩和に反対はしない。しかし、この度の入管法改正においては、そういった諸権利および入国される方々の待遇が保障され得ない可能性が極めて高いが故に、新たな「奴隷労働」の再来を想起し反対を明確にするものである。

◆無茶苦茶に好き勝手されている労働条件現実を直視すべき

外国人労働者受け入れをする論じる際に、前提として日本人(日本居住者)の労働条件が、使用者側により無茶苦茶に好き勝手されている現実を直視すべきであろう。労組もその過半数が「御用組合」に成り下がり、ろくろく賃上げ交渉や、労働者の権利確保に動きはしない。中には「憲法改正賛成」などと、馬鹿げた決議をする組合まで出てくるありさまだ。

おかしなことに、労組の要求ではなく、首相が経団連に「賃上げをしてくれ」と命じると、大企業は賃上げに応じる。日本人労働者の権利も守れない状態で、より立場の弱い外国人労働者が増加したら、その人たちがどのような仕打ちを受けるか、賢明な読者諸氏においては、想像に難くないであろう。

さらに、なぜわたしがそのような点を指摘するのかと言えば、これまでの在留資格で入国をし、労働に従事した方々のうち、研修生および留学などの在留資格を保持した方々は、極めて劣悪な労働環境で働くことを余儀なくされた。その問題の深刻さが正面から論じられることがなかったからである。だがわたしは経験からその実態を知っている。

そもそも留学などの在留資格を持ち来日し、労働に従事すること自体が、在留資格の本来の目的と在留資格の実態からかけ離れていることは勿論である。今般の大きな政策変更いぜんにも、実態としての「外国人頼み」の業種や商業は既に存在していた。しかしながら、「出入国管理法及び難民認定法」の表面上これまで日本は外国の単純労働力としての流入を頑なに拒んできたという歴史がある。

◆外国人労働者受け入れの条件で格段に不備が多い社会

この度の入管法改正は、一気に単純労働者の取り込み、および今後不足することが想定される職域に置いての外国人労働力労働者の容易な入国を認めるものであるが、その前に一度振り返ってみる必要がある。

外国人労働者でなくとも、日本人労働者は労働に対してそれに見合う対価を得ているであろうか。日本人労働者(正規雇用、非正規雇用を含む)が、このかん空前絶後の好況と言われながら、給与所得の向上は、労働組合の要求ではなく、専ら安倍首相が経団連に向け、給与を上げろというようなことに限り、それ以外の状況では上昇してこなかった事実。これらを俯瞰する時に、日本においては他の労働力受け入れを経験した諸国に比べ、格段に外国人労働力労働者受け入れの条件が不備であると断ぜざるを得ない。

それほど難しい話をしなくとも、少なくとも異文化の人々と一定程度の付き合いをしたひとであれば、今回の判断が如何に短絡的なものであるかご理解いただけるであろう。わたしは過去30年ほどのあいだに、日本の中で外国からこらえた方々数百人と接触してきた。東南アジア、欧米、中東、オセアニア、南米(アフリカ出身の方は少なかった)などの方々と接する中で、嫌でも「体感的」な交流からは逃げられなかった。

日本の社会は変化するし、海外からやってくる方々の母国の様子も変化する。だからわたしの経験は、断定的なものとしてしか語れはしない。けれども「価値観・生活様式の違いは予想をはるかに超える」。このことは断言できる。たとえばインドネシア、ベトナムのひとたちは、「穏やかだから介護や看護に向く」との短絡的な決めつけが聞かれる。そういうことを吹聴するひとたちの頭の中には、インドネシアには数百の民族が居住し、言語文化も多様であり、内戦まがいのいさかいが続いている、あるいはベトナムは米国に戦争で勝利した唯一の国であるとの認識などあるだろうか。

誤解されると困るので、わたしはいずれの国籍・民族の人々にもなんらの偏見を持たないことを明言しておく。ただし、世界には「勘違い」した国や民族が同居していることもまた事実である。

逆説的に論じれば、わたしは海外からの労働者が、日本人と同等に処遇されるのであればそれに反対するものではないが、当の日本人自体が本来獲得できる諸権利および賃金が獲得できない状況で蠢いている中で、それより前提の悪い中でやって来る外国人の方々が、まっとうな生活が送れるとは考え難い。今回の入管法改正策動は、高度成長期に日本が批判された「経済的海外進出」の21世紀版“経済的奴隷労働”の具現化に他ならない。


◎[参考動画]入国管理局が「庁」に格上げへ(ANNnewsCH 2018年7月24日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」

『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

 

11月11日、同志社大学良心館107号教室で、同志社学友会倶楽部主催、ミュージシャン中川五郎さんによるトーク&ライブ「しっかりしろよ、日本人。」が行われた。同志社大学学友会倶楽部は、学生時代に同志社大学で学友会(自治会)に関わっていたり、関心のあった方々による団体だ。中川さんは同志社大学文学部社会学科新聞学専攻に合格するも、高校時代からフォークソングの世界では既に名をはせていたので、「同志社大学で鶴見俊輔さんからジャーナリズムを学ぼうと思いましたが、大学に入学したら、大学に行くよりも歌いに行くことの方が多くなって、結局やめてしまいました」とご本人が語られたように、同志社大学を中退されている。

11日は鹿砦社代表もメンバーである、同志社大学学友会倶楽部の面々が午前10時に集合し、会場設営やイベント告知のチラシを学内各所で配布した。この日は同志社大学の「ホームカミングデー」でもあり、キャンパスはOB・OGが多数訪れていた。このイベントは6回目で、私もここ数年お手伝いさせていただき、例年通りチラシを配った。中川さんは有名人でもあり、講演だけではなくライブも聞けるとあって、チラシを受け取った人の感触は良かった。

◆中川五郎さんとボブ・ディラン──つながりの片桐ユズルさん、中山容さん、中尾ハジメさん

会場設営を終え、中川さんが到着し、簡単な打ち合わせ後、一同は学生食堂で早い昼食をとった。中川さんの歌は何度も聞いているし、文章もかなり読んでいたけども、ご本人にお会いするのは初めてであったので、昼食を食べながら、お話をさせて頂いた。

中川さんがボブ・ディランに影響を受け、関連の著作や文章をたくさん書いておられるので、「片桐ユズルさんとはお親しいですか」とお尋ねしたところ、「はいはい、ずーっと親しくして、今でも仲良しですよ」と笑顔が浮かんだ。私が不勉強なだけで、実は中川さんにとって、片桐ユズルさんは英語やフォークソングの先生でもあったことを、ライブのなかで遅まきながら知ることになる。

「中山容さんは?」、「もちろん、仲良しでした」、「中尾ハジメさんもお知り合いですね」、「はいはい」というわけで、私がかつてお世話になった職場に在籍していた、個性的な教員たちはみんな極めて親しいかたばかりであることがわかった。

 

◆語りでもなく抒情的な「歌」だけでもなく

13時開始予定の広い教室には、12時を過ぎると早くも、聴衆が集まり始めた。13時をやや過ぎて、主催者挨拶のあと、さっそくトーク&ライブが始まった。中川さんは「僕はあんまりしゃべるのが得意じゃないので」と切り出したが、前後半に分かれた、前半の1時間余りはほとんどを語りに費やした。中川さんはフォークソングを単なる音楽の1ジャンルとしてではなく、語りでもなく抒情的な「歌」だけでもない、「新しい表現方法」だと感じたといい、それまで主流だった恋愛や風景、望郷をうたうだけではなく、「時代」や「その時に考えること」を伝える魅力を見い出した、と語った。

そして60年代終盤に突然火が付いた「関西フォーク」(この呼び名は「あんまり好きじゃない」と言われていた)は、路上や街角で「時代」を歌う「フォークゲリラ」として、社会現象化し、やがて、東京を中心とする関東にも広がってゆく。「新宿フォークゲリラ」は有名だが、あの発信地は大阪や京都だった。

ところが70年代に入ると、再び抒情的な歌を歌う「歌い手」と、それに気聞きほれる「聞き手」の関係が再現してくる。「お風呂屋さんの前で待っている」(笑)ようなフォークソングが再び主流となり、中川さんら「歌うものと聞くものが一体となり、そこから何かが動き出す」フォークソングは一見下火になる。しかし同時代性を歌うフォークソングは死滅したわけではなく、現に中川さんはこの日、同志社大学に「約40年ぶり」に戻ったにもかかわらず、会場には150名以上の聴衆が詰めかけた。

 

◆女性の権利、原発、被ばく、東京五輪、横須賀米軍基地、上関原発、辺野古基地、ガザ……

前半は高石ともやの作品としてヒットした『受験生ブルース』の原曲(『受験生ブルース』は中川さんがボブ・ディランの楽曲の替え歌として編み出したものを、高石ともやが「拝借」し、歌詞もメロディーもかなり作り変えて世に出ている)、新しいバージョンの日本語による「We shall overcome」など3曲を披露するにとどまった。その代わりに来場者は「日本におけるフォークソング史」を濃密に当事者から聞くことができる貴重な機会を得た。

休憩をはさんで後半は、一転して猛烈なライブとなった。時に現役同志社大学生(といっても20代の学生さんではないが)が奏でるマンドリンとのコラボレーションなどもあり、6曲を歌い上げた。

後半最初の曲紹介は「僕は、当時神戸の短大で先生をしていた片桐ユズルさんという人に社会のことや英語やべ平連のことやフォークを教わって、その片桐さんが書いた詩にメロディーをつけたのがこの曲です」で幕を開けたのが『普通の女の子に』だった。

そのあと女性の権利、原発、被ばく、東京五輪、横須賀米軍基地、上関原発、辺野古基地、ガザなどなど日本中、世界中の矛盾・問題をこれでもか、これでもかと歌い上げる。コード進行が奇抜なわけでも、テクニックに活路を求めてもいない(もちろんテクニックが最上級であることは言うまでもないが)、総体としての「表現」としてのフォークソングは、聴取を圧倒する。

 

ピーター・ノーマン(写真左)。白人ながらも金と銅の黒人選手二人の行動を支持し、同じ表彰台で「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(OPHR)」のバッジを着けた

◆圧巻の『ピーター・ノーマンを知ってるかい?』

中でも圧巻は、『ピーター・ノーマンを知ってるかい?』だ。17分に及ぶこのメキシコオリンピック200m表彰式で米国籍黒人選手2名が拳を突き上げ、黒人公民権運動の象徴であるブラックパワー・サリュートを行い、差別に抵抗する意思を見せた有名な出来事を「ルポルタージュ」方式に歌い上げた楽曲は、1年間高校で「現代社会」を学ぶよりも、多くの真実を詳細に伝えるであろう、まさに「武器」だ。歌詞の内容は敢えてここでは明かさないから、興味をお持ちになった読者諸氏はぜひ、中川さんのCD購入をお勧めする。

ただ、残念ながら、『ピーター・ノーマンを知ってるかい?』はCD未収録だが、中川さんの公式サイトによれば、次のURLから視聴できる。https://youtu.be/6LFg1iU6hjo

中川さんの歌は「みんな」が主語にはならない。だから世界に疑問や、怒りをぶつける楽曲でも「みんなで○○しよう」とはならない。ほぼ主語は「ひとり」、「あなた」、「わたし」要するに「個人」だ。ここがともすると一時の恍惚間に陥りやすい、安易な楽曲との違いだろう。聞き手を震わせるが「みんなで○○しよう」という「逃げ」を許さないから、震えながらも聞き手は、おっとりしていられない。厳しくも優しい、精鋭的でありおおらかな享受することが貴重な世界だ。

この日会場を訪れた人は全員、満足していたに違いない。


◎[参考動画]ピーター・ノーマンを知ってるかい(kazuma kuga 2018/07/24公開)

中川五郎さんHP GORO NAKAGAWA FOLK SINGER 

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』12月号 来夏参院選敗北で政権崩壊 安倍「全員地雷内閣」

『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

政府は11月2日、入管法(「出入国管理及び難民認定法」)を改正し、新たな在留資格を作り出し、単純労働も含めた幅広い分野での、外国人労働者受け入れに本腰を入れ始めることを閣議決定した。その一方で安倍晋三は「これは移民ではない」と本音を述べている。

日本の人口は着実に減っている。ここ数年、政府発表では毎年40万人余りの減少とされているが、民間の調査では「死者数が意図的に低く算定されていて、実際の人口減は100万人に迫るのではないか」との報告もある。どちらにせよ、日本は急激な人口減、そして経済第一主義者たちにいわせれば「労働人口の不足」に直面している。


◎[参考動画]入管法改正案を閣議決定 2種類の新たな在留資格(ANNnewsCH 18/11/02)

◆有効求人倍率が史上最高に近い値を記録した理由

他方で有効求人倍率が史上最高に近い値を記録している。有効求人倍率は「有効求職者数に対する有効求人数の比率」をあらわすが、その数値はあくまでも職業安定所(ハローワーク)で算定された数字である。

お時間がある方は一度最寄りの職業安定所に出向いて、求人にはどのような条件の職業が並んでいるかをご覧になると、「有効求人倍率」がどうしてこのように高いのかがお分かりいただけるであろう。

職業安定所で閲覧できる求人情報のなかに、月収20万円以上の手取りを保証するものは決して多くない。公的機関である職業安定所が紹介する求人情報であるから、最低賃金などはクリアしたものばかりだ。

だが、その中で将来にわたり、家庭を持ち2人の子供(「標準家庭」と政府は定義していた)を育てられる給与を保証する求人は、多数ではない。簡単に言えば「これだけ働いてこれだけの給与では割が合わない」と求職者が感じてしまう求人情報が多いがために、応募へとは至らず、結果として有効求人倍率が上昇する現象を生じさせている、といえよう。

「無職のくせに仕事の選り好みなんてするな」、「そんな贅沢を言っているからいつまでたっても定職につけないんだよ」と求職者を非難する声が、陰に陽に聞こえる。だが、片方ではなんだかわからないカタカナ名の会社で、怪しげな金融商品を右から左に売ったり、企業を売り買い(M&A)して、20代や30代でも身体ではなく、情報と指先で年間数億円の稼ぎを得る人間がいることを、求職者たちは知っている。

◆企業の利益と労働者の利益に連動しない仕組みづくり

また、破格の好景気といわれながら、その好況感の波及範囲は大企業にのみとどまり、中小企業には全く好況感が実感されない。その現実は職業安定所の求人条件を見れば手に取るようにわかる。大企業においてだって、下手をすれば「過労死」に追い込まれかねない。

つまり企業の利益が労働者の利益に、まったく連動しない仕組みが組み立てられてしまい、職業安定所に持ち込まれる求人の多くには、求職者にとって魅力を欠いていることが有効求人倍率上昇の理由である

このようないびつな構造を成立せしめた原因はいくつもあるが、なかでも「社会保障目的税」という嘘八百、当初3%で導入され、嘘の上塗りで現在8%、近く10%に引き上げられようとしている消費税の罪を指摘しなければならない。消費税はほかのどの税金よりも「逆進性」(富裕層には穏やかで、低所得層に厳しい)の強い「悪税」である。

消費税はどんどん引き上げられるのに対して、所得税の累進税率や法人税は著しく引き下げられてきた。

簡単に言えば「大企業や金持ちの税金は減って、低所得層への課税が増している」のが現在の日本税制である。さらに「労働ビッグバン」という名の「雇用ルールにおける労働者の権利排除」により、雇用主はほぼ好き勝手に労働者を、雇用主が希望する形で雇用することが可能となった。言い換えればプロレタリアートはブルジョワジーによって、雇用形態に関する限り、ほぼすべての権利を奪われてしまったのが今日の姿である。

ところが大企業にしたところで、明確な未来図を描くことはできない。差し当たり今期、あるいは来年、もしくは5年程度の将来に対する基本計画しか描けない。なぜならば、おおよそ10年先にはほぼ確実に日本という国家は、財政破綻で破産する(国債の償還が不能になり予算が組めなくなる)からだ。

国家の破綻を前提に企業が将来像を描けるはずはないのだ。「破局」はほぼ確実であるのだが、この重大な事実を凝視しようとするひとが不思議なほど少ない。読者諸氏におかれても、この事実はしっかりと踏まえられておくべきであろう。これまで経験したことのない、経済の大クラッシュは必ずやってくる。

◆破格の入管ハードル下げ

だが、そこまで行く前に、目前の課題となるのは、現状の成長至上主義が放棄しない限り、「圧倒的な(単純)労働力不足」である。「AIの進歩によりこれからは経理事務の人材が大幅に不要になる」などと、相も変わらず「科学技術進歩盲心者」は的を外れた予想の中に、未来を想定せよと迫る。演算速度高速化による「AI」と呼ばれるテクノロジーは社会の諸相に幾分、影響を与えるかもしれないが、もっとも深刻な「労働力不足」への根本的な回答とはなりえない。

そんなことを政権は先刻ご承知であるので、これまで「どうしてそこまで嫌がらせをするのか」と思えるほどに、ハードルの高かった外国人の日本入国ハードルを破格に下げようとしているのだ。「出入国及び難民認定法」はこれまでも何度も改定されてきたが、その節操のなさは関心を持つ人々の間で長年批判されてきた。

ノービザ(実際には入国時ビザ発給)で渡航できる国々の人と、「短期滞在」であっても事前にビザを取得しておかなければ日本に入国できない人との間には、大きな「差別」が存在する。それも国によって「短期ビザ」ですら発給の困難度合いが異なる。たった数日の訪日のために10数種類の書類を用意し、事前に入国管理局や、当該国の日本大使館、領事館にビザ発給を求めなければならない国までもが存在する。

◆「安価で使い捨て可能」な外国人労働に人権や国際主義などの配慮はない

また最近は研修生として多数の外国籍の人々が来日し、実質的には労働に従事している。20年ほど前に同様の減少が大学、専門学校などで学ぶ「留学生」(当時は「留学生」と「就学生」に分かれていた)で発生したことがある。

1980年代に貿易黒字の過多で、国際社会から叩かれた日本は「留学生10万人計画」(2000年までに留学生を10万人受け入れる)を打ち上げた。種々困難はあったものの、「留学生の数を増やす」とのなんとも安直な目標は、文科省による各大学への有形無形の強制や、留学生への奨学金のバラマキなども追い風になり、数自体は増加をみた。

しかしその裏で「留学ビサ」を取得するのには当初相当な困難が伴った。形ばかりの身元保証人を用意し、銀行の残高証明書にはじまり、あきれるほどの無意味な書類を用意してようやく「留学」(あるいは「就学」)ビサ獲得に至る。日本に来る前に「身元保証人」になってくれるような知人・友人がいる人は稀だから、保証人のかなりの数は金で買われた(要請された)人々だった。

そんな人が万一の際に何かの保証をしてくれるだろうか。当時まだ今ほど経済大国ではなかった中国で100万円近い預金残高を持っている人など実在するのか。と思いながら、それでも入国管理局の言う通りに、煩雑なビザ取得作業を重ねていたら、ある日法務省から通達が来た。「以後留学ビザの発給は入学許可書と本人の写真のみでよろしい」という内容だった。業務は楽にはなったけれども、これまで留学生が負っていた、あるいは教育機関関係者が負わされていた負担はなんだったのだろうか、とあきれた記憶がある。

入管行政は、気まぐれで無責任だ。

為政者はこの国への外国人の定住を本音では歓迎してはない。しかし、労働力は欲しい。納税者も欲しい。「日本人は贅沢になって嫌がる仕事でも、貨幣価値の違う国からの人であれば、少々の苦労を厭わず、厳しい職場に安価で利用できる」。これが入管法を改正し「安価で使い捨て可能」な外国人を多数呼び込もうとする真の動機である。そこには人権や国際主義などの配慮は何もない。新自由主義下の「新たな奴隷政策」と言っても過言ではないだろう。見ているがよい、多くの職場や地域で、これから必ず予想を超えたハレーションが発生するだろう。


◎[参考動画]入管法改正案の意味は? 失踪者は半年間で4000人超(ANNnewsCH 18/11/01)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊紙の爆弾10月号

『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

◆冤罪が組み立てられる構造は、だいたい似通っている。けれども冤罪被害者がその後たどる道のりは、まったく一様ではない

 

鹿砦社の最新刊『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』山田悦子、弓削達、関屋俊幸、高橋宣光、 玉光順正、高田千枝子=編著(2018年10月26日発売)

きっかけは、いっけん偶然かのように見紛われる。ある日偶然は、主人公が知りもしない世界へ強引に連行し、激烈な鞭打ちを浴びせかける。「どうして?」、「なにがどうなったの?」疑問をゆっくりと巡らせる暇もなく、主人公を「殺人犯人」と決めつける報道が全国を席巻し、主人公の名前や顔写真はおろか、住処の町名までが、量販店のバーゲンセールの広告を掲載するかのような、気軽さで新聞に掲載される。容赦のない取り調べは、有形でこそないが純粋な意味において「暴力」以外の何物でもない。

冤罪が組み立てられる構造は、だいたい似通っている。けれども冤罪被害者がその後たどる道のりは、まったく一様ではない。もっとも不幸な人は、何の関係もない咎により、首切られる(死刑)。または処刑台までいかずとも、長期にわたり拘置所、刑務所に幽閉される。あるいはまれに、嫌疑が晴らされマスコミにより「冤罪被害者」として扱われる場合がある。逮捕当時、あるいは公判中「犯人」と決めつけた報道を垂れ流していた罪など、ついぞ反省することなく、「加害者」を「悲劇の主人公」と報じる矛盾に、うち苦しむ報道機関はない(個人としての反省のケースはみられる)。

冤罪被害から解放されても、失った時間、主人公に襲い掛かった罵詈雑言の数々、報道被害が主人公に残した「加害の総体」は、何らかの尺度で測りうるものではない。主人公の語る言葉を、大衆はわかったような気になっているかもしれないが、それは大方の場合誤解である。わたしがこのように断定的に主人公が被った非道を論じるのは「テレビを見て、普通に笑っているんだと気がついたんです」と、事件解決後20年も経過した、主人公からの言葉をつい最近聞いた衝撃に由来する。笑いながら会話していたが、わたしの心の中は冷え切った。主人公に対して無遠慮であった自分を恥じた。

◆主人公は事件後、「どうしてわたしはこのような仕打ちを受けたのか」を、法学、哲学、歴史などを猛烈に学び、思弁し、人権思想の重要性を重く認識するに至る

主人公はしかし、ただの被害者でありつづけたわけではない。「唯言」に登場する、執筆者をはじめとする、広大な人脈は、主人公が能動的に事件のあとを生きた証だ。「唯言」に登場する関屋俊幸、弓削達、高橋宣光、玉光順正、高田千枝子の各氏は主人公がいなければおそらくは出会うことがなかったであろう、それぞれ異なる分野で活躍された方々だ。あたかも書籍を編纂するように、主人公は事件後、「どうしてわたしはこのような仕打ちを受けたのか」を、法学、哲学、歴史などを猛烈に学び、思弁し、人権思想の重要性を重く認識するに至る。その過程及び到達点から、乱反射する日本の姿(歴史・思想傾向・民族性など)の本質を、掌握した主人公が重ねて語るキーワードは「無答責と答責」である。

古代ローマ時代から、日本書紀を経て江戸・徳川時代から、明治維新、諸々の戦争を経て現在へ。主人公の歴史観は教科書で綴られるそれとは、かなり趣を異にする。日本の成り立ちについても同様だ。浅学で史実をほとんど知らない、あるいは「こうあって欲しかった」と幼児のように駄々をこねる、歴史修正主義者に対して、主人公の主張はどう映るか。冷厳な史実を見つめ続け、見つめるだけではなく、みずからが責任を取ろうとの試みは、常人の発想しうるものではなく、後にも先にも同様の試みを耳にしたことはない。

◆人間に暖かい社会とは何か?

主人公は国家が放棄した戦争責任を、「市民がどう引き受けるか」というとてつもない試みに足を踏み入れる。韓国と日本の間で何度もシンポジウムや講演会を開催する「答責会議」の発足は、主人公の存在なしにはありえなかった。その成果は『無答責と答責』(寿岳章子。祖父江孝男編、お茶の水書房 1995年)として世に出ることになるが、じつは『無答責と答責』の実質的編者は、主人公であったと、複数の知人から聞いた。その行動力の源泉は、はたしてなんであるのだろうか。冤罪被害者としての経験だけですべてを説明するのは不可能だとわたしは断じる。

主人公を際立たせすぎて紹介したが、「唯言」執筆者の方々はいずれも、個性的なその分野でトップを走った方ばかりである。当初部数限定の自費出版として編纂された「唯言」を手にした多くのひとびとは敏感に反応した。時代が「唯言」を要求していたといってよいだろう。世界史から物語が消えうせ、歴史が「自己解散」を宣言し、世界的にも事象はもっぱら権力者の気まぐれか、2進法による貸借対象表の合法的改ざんによる幻想のなかにしか存在しないかのごとき今日、「唯言」は無理やりにでも「自己解散」を宣言した歴史に「再結集」を命じる。

主人公・山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)は、冷徹な態度で、人間に暖かい社会とは何かを仲間と語り合った。

鹿砦社の最新刊『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』山田悦子、弓削達、関屋俊幸、高橋宣光、 玉光順正、高田千枝子=編著(2018年10月26日発売)

 

大津駅前の集会に集まった「患者会」の皆さん(写真提供=「患者会」の皆さん)

10月9日13時10分から大津地裁で、4名の原告が滋賀医大付属病院、泌尿器科の河内明宏科長と成田充弘医師を相手取り440万円の支払いを求める損害賠償請求を大津地裁に起こした(事件番号平成30わ第381号)裁判の第一回口頭弁論が開かれた。

大津駅前で12時から本年6月に結成された「滋賀医大 前立腺癌小線源治療患者会」の集会がある、と聞いていたので大津駅前に11時ころ到着すると、早くも患者会のメンバーが集合し始めていた。12時には参加者が80名を超え、その時間比較的静かな大津駅前を行き交う人々の注目を浴びていた。

集会では患者会のアドバイザーである元読売新聞記者の山口正紀さんが冒頭に発言し、「病院は患者に謝罪すべきなのに、患者の命を救った岡本先生を病院から追い出そうとしている。どうしてこんなことが考えられるのか」と問題点を整理しながら滋賀医大付属病院の姿勢を強く糾弾した。引き続き原告の男性や複数の患者会メンバーが発言をした。

◆医療機関による「説明義務違反」

問題の中心は、小線源治療の第一人者である岡本圭生医師の治療を受けようとした23名の患者たちが、その意に反して、岡本医師の治療を受けられず、しかも小線源治療の経験がない成田医師が、小線源治療を行うという暴挙の直前に岡本医師の学長への直訴により、かろうじて難を逃れた「説明義務違反」である。

医療機関による「説明義務違反」は患者による治療の選択権を奪うだけではなく、場合によっては生命にかかわる重大な問題だ。患者には当然説明を受ける権利があるが、これまで個々の患者の問い合わせや、説明の要請、患者会による問い合わせに対しても病院側は「HPに出ている通り」、「内容は裁判であきらかにしてゆく」と誠実さの欠如した回答しか返答していない。

 

大津地裁前で参加者に説明をする山口正紀さん(写真提供=「患者会」の皆さん)

◆発足後4か月で800名を超えた患者会

患者会のメンバーは発足後4か月で既に800名を超えており、いかに岡本医師による小線源療法への信頼が厚いか、また滋賀医科大学への怒りが大きいか、この人数が雄弁に物語る。「同じ医師の治療を受けた」以外に何の共通点も持たない人々が、短時間でこのように集結することはそうそうあるものではない。病気の性質上患者会のメンバーは中高年の男性であるが、皆さん紳士的な方ばかりだ。

山口さんも指摘されていたが「病気と闘いながら、病院とも闘わなければいけない」ことなど、患者の誰も望んではいないだろう。しかしそこまでの事態を引き起こした、河内、成田両医師及び、滋賀医大付属病院の責任は重大である。

◆井戸謙一弁護団長の発言

55席の傍聴席は満員となり、傍聴できなかった患者会のメンバーやご家族も多数見受けられた。定刻通りに西岡繁靖裁判長は開廷を宣言した。被告側は答弁書を提出しただけで、この日は代理人も出廷していなかった。

冒頭、井戸謙一弁護団長が発言を求め、

「この事件は医師の説明義務違反による損害賠償事件でよくある類型だと思います、しかし本件は一般の事件と異なることをご理解いただきたと思います。だからこそ、これだけたくさんの傍聴人が詰めかけているのです。1つは多くの説明義務違反事件はインフォームドコンセント認識不足の医師による、過失や杜撰な説明により、医療上のミスを行ってしまった。個別、1回切り起こるものです。

 

井戸謙一弁護団長(筆者撮影)

 それに対して本件は故意に、組織的にしかも長期間にわたって、23人もの患者に対して行われた事件であることが1つです。それからこの事件が国立滋賀医科大学付属病院という、滋賀県を代表する基幹病院を舞台として行われ、被告の2人は当時も、現在も泌尿器科の教授、准教授という要職にある医師であるということであります。本件において未経験者による小線源治療は水際で差し止められ、重篤な被害の発生を防ぐことはできましたが、この問題で患者側が病院に説明を求めても、病院からはまともな説明もなく、患者らは謝罪も受けておりません。よって原告らは本件提訴に至ったものであります。
 この事件の本質は、患者の利益よりも、自己の権力あるいは利益を優先するいまの医師の世界の体質にあると考えます。この問題をあいまいに済ませてしまえば、将来にわたって同様のことが繰り返されることが危惧されます。繰り返された場合ことが医療であるために、重篤な被害を与えることがあります。原告らは請求事実を説明義務違反に絞りました。個別には小線源治療の前段階における不適切な処置などもあるのですが、訴訟の迅速な進行のために争点を絞ったものであります。したがって裁判所に置かれては迅速な進行に努めていただき、早期の判決をお願いしたと考えております」と述べた。

そのあと原告代表の男性が意見陳述を行いこの日の弁論は終了した。次回期日が11月27日13時10分である。

閉廷後、滋賀県弁護士会館に場所を移して、記者会見が行われた。傍聴席には入れなかったメンバーのために、この日の法廷で何が行われたかを、井戸弁護士が説明した。記者会見であきらかになったことは、被告側による答弁書には、迅速な訴訟の進行に向けての誠意が感じられないこと。法廷戦術上被告は医師2名に絞ったが、病院にも当然責任はあると、原告も弁護団も考えていること、などである。

患者の会のメンバーや滋賀医大付属病院関係者に取材する中で、予想をしなかった事実に突き当たった。当初訴状を読んだり、記者会見で質問するなどする中で、この問題は、あくまで滋賀医大付属病院、泌尿器科が震源であり、原因である事件であると、わたしは認識していたが、どうやら(たしかにその基本的構図に間違いはないが)さらに大きな背景と、思惑が関係しているようである。その実態については、今後も取材を進め、明確になった時点で読者にご紹介してゆく。

◎[関連記事]田所敏夫「滋賀医科大学附属病院泌尿器科の背信行為 『小線源患者の会』が損害賠償請求」(2018年8月2日公開)

◎滋賀医科大学前立腺癌小線源治療患者会のホームページはこちらです。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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実行委員長の山田高広さん

「残念だったですね」、「せっかくやったのにね。台風じゃ仕方ないわ」異口同音に台風24号の直撃を受けた九州・熊本で9月30日に開催が予定されていた「琉球の風 島から島へ FINAL」の中止を惜しむ声が聞こえた。

実行委員会ではギリギリのタイミングまで開催の可否の判断を待ち、いったんは「開催」をアナウンスするも、諸般の事情から直後に「中止」を決断した。実行委員長の山田高広さんは「きつかったですよ、本当に」と「中止」決断に至るご苦労が並大抵ではなかったことを語っておられた。

「琉球の風」には沖縄在住のミュージシャンと、本州はじめ熊本から見れば、北の方向からやってくるミュージシャンたちも参加する。沖縄から参加するミュージシャンたちはすでに9月27日から熊本入りしており、30日を迎えたが、他の地域から参加予定のミュージシャンたちには28日に「中止」決定が伝えられた。

本来であれば「打ち上げ」の場となるはずの熊本市内某所で、9月30日夕刻に関係者だけの「ミニ琉球の風」が開かれた。例年は本番のステージで活躍したミュージシャンのほとんどが参加するので、スタッフの方々の中には打ち上げに参加できない方もいるが、今年は多くの関係者スタッフの皆さんが会場を埋めた。

知名定男さんを囲んで

打ち上げというには本格的な「ミニ琉球の風」。本番で司会の予定だったはミーチュウさんと岩清水愛さんが揃い、「それでは第10回琉球の風をただいまから行います!」と元気の良い開会宣言からはじまった。この日はネーネーズ、新良幸人、島袋優、下地イサム、知名定男さんらがソロやセッションを繰り広げた。

中止になろうが、なるまいが、今年是非この人にお話を聞きたい、と事前から私的には期待していた人がいる。BEGINの島袋優さんだ。島袋さんはBEGINとしての活躍はもちろん、他のミュージシャンに楽曲を提供したり、例年「琉球の風」では大物であるにもかかわらず、気楽に誰とでもセッションに応じていた。ベテランなのにステージ上でのMCはどこかシャイで、偉そうにするところが全くない(実は酔っているためだったのではないかとも思われるが……)。

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BIGINの島袋優さん

島袋優さんにお話を伺った。

── 「琉球の風」に島袋さんは何回出演していただいたのでしょうか?

島袋 何回でしょかね。細かいことは覚えていないんですけど、BEGINで2回でて、それ以外に数回出ているのでたぶん5回くらいじゃないでしょうか。

── 27日から来られて、きょうはあいにくステージは中止でしたけれども、他のミュージシャンの方と数日間過ごされて、どんなことを感じていらっしゃいますか。

島袋 きょうはできなかったけど、俺が大尊敬する定男さん。しかもちょっとキュートな知名定男に「優、お前俺がこういうことを企画しているからやれ」っていわれて、それから始まったんです。中止になっても定男さんと亡き東濱さんと山田さん(実行委員長)の気持ちが絶対に残っているんですよ。こうやって飲んでで僕らいいんだろうか、とも思うんですけど、じゃないとダメだなと思ったんですよ。初日から定男さんと飲み、2日目はキヨサク(MONGOL800)と飲み、みたいな。イベントが無くなったのは凄く残念です。とくにお客さんに対して申し訳ない。でもうまく言えないんですけど「なにかもう一回お前たち考えろ」って言ってくれてるのかもな、という気はなんとなくしています。俺たちは知名定男さんっていう大先輩に甘えていて。それを「もう少し楽させてあげろや」って言われているのかなとか、いろんなことを考えますね。でもね、正直なことを言ったら多くを語れません。俺は付いていくだけです。熊本の皆さんの沖縄の音楽に対する熱意とかは、年々感じていました。だから仲良くなっていくしこうやって毎年熊本で「琉球の風」という名前でやってくれているのは凄いと思います。

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知名定男さん

お名前が何度も登場した知名定男さんは、昨年大腸がんの手術を受けてからのご参加で、体調もいまひとつ優れないご様子だったが、今年は常に泡盛の入ったグラスを片手に「いやーもう元気になったよ。去年が嘘みたい」とふっくらしたお腹周りが体調の良さを伺わせていた。

ミュージシャンではなくても沖縄には酒に強い人が多い。そして私の知る限り、ミュージシャンの飲み方は豪快である。だから沖縄のミュージシャンの宴はなかなか終わりを迎えはしない。そのためであろうか、あるいは偶然か。30日晴天であれば行われる予定であった「琉球の風」にはたしかに「FINAL」の文字がったが、宴(?)の中では「きょうは残念だった」と皆が口にしたけども「『琉球の風』が終わってしまって残念だ」、「いいイベントだったのにね」と過去形で振り返る言葉を耳にした記憶がない。わたしの勘違いかもしれないが「これで最後」という雰囲気がどこにも感じられなかった。

 

ネーネーズの皆さん

もちろん「FINAL」だったのだから、これで今までの「琉球の風」は終焉を迎える。しかしまた新しい風が琉球から吹いてこないとは限らない。ミュージシャンたちはお世辞ではなく、このイベントを楽しんでいた。島袋優さんのお話にも「これでおしまい」のニュアンスはなかった。

10年も非営利目的でボランタリーに運営にかかわって来られたスタッフの方々には、ただただ頭が下がる思いで、「お疲れ様でした」と申し上げるほかない。けれども「琉球の風」で初めて訪れて出会った熊本の人々の個性豊かさと力強さからは、また何か新しいものが産まれてくるのではないか、との予感を禁じ得ない。

雨天中止で残念ではあったが、それゆえに発見もあった第10回「琉球の風」であった。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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