石松竹雄弁護士が亡くなった。刑事司法に関心のない方にはご存じではない方も多いかもしれないが、1947年に司法試験に合格し、2期の司法修習生だった石松先生は、裁判官時代に良心的裁判官として、現場で闘ってこられた方だ。わたしが石松先生とのご縁を頂いたのはわずか数年前で、ここに数少ない思い出を綴にあたっては、長年ご親交のあった、法曹界をはじめとするお知り合いの方々に申し訳ない思いもあるが、つい数か月前に石松先生とは貴重なお話をさせて頂く機会を得たばかりであったので、法曹の素人としてあえて、石松先生から伺ったお話をここにご紹介する無礼をお許しいただきたい。

 

石松竹雄『気骨 ある刑事裁判官の足跡』(2016年日本評論社)

石松先生から「自宅の蔵書を処分したいのですが」というご相談を伺ったのは、半年ほど前、ある会合での席だった。蔵書寄付のような形にできないか、と考えたわたしは、いくつかの大学や研究機関の図書館に相談してみたが、なかなか思わしい返答はなかった。そしていずれのケースでも「どのような内容の書籍が、何冊くらいありますか」と問われたので、それでは石松先生の蔵書を確認させていただいた方がよいであろうと判断し、やはり元裁判官であった今は弁護士の先生にご一緒頂き、石松先生のご自宅にお邪魔することになった。

ご自宅は大阪府南部であるが、石松先生は吹田市内の老人ホームで暮らしておられたので、そこまでお迎えに伺った。石松先生は、数年前に「胃がんが見つかったが、手術はしないことにした」と内々ではお話になっていた。年に2回ほどしかお会いしないけれども、90歳を超えられて胃がんを持っていらっしゃるお身体にしては、食事も普通に召し上がり、深刻そうなご様子はなかった。

ご自宅に伺う日、約束よりも1時間程度早く吹田に到着した。当該老人ホームの受付でお約束をしている者だが、早く着いた旨を申告すると、石松先生はまだ朝食の最中なので、控えの椅子で待つように案内され、30分ほどのちにお部屋に案内された。ご挨拶をしてお部屋にお邪魔すると、「食事をしてから1時間ほどしないと、胃が落ち着かんのです。申し訳ありませんが少しここでお待ち頂けますか」と仰ったので「どうぞ、先生のお身体とご準備が整うまで急ぎませんので」と申し上げた。

築後それほど年月が経ってはいないと思われる、その建物はわたしがこれまでに訪れた老人ホームの中では最も広く、美しかった。高層階なので見晴らしもよい。石松先生にすれば胃が落ち着くまでの時間は心地の良いものではなかろうが、わたしはそのおかげで貴重なお話を伺う時間を得ることになった。

◆「僕は死刑事件を担当したことがないんです」

 

石松竹雄「裁判の独立、裁判官の職権の独立を守る」(2010年11月22日付け「WEB 市民の司法 ~裁判に憲法を!~」より)

その前日、袴田事件の再審請求が高裁で却下されたニュースが一面トップを飾る朝日新聞の朝刊が目に入った。法律や法曹界の知識が皆無に近いわたしは、「袴田事件は厳しい判断が続きますね」と会話の糸口を求めた。

「この事件は検察がどうしてここまで一生懸命になるのか。ちょっと理解に苦しみますな」と石松先生は雑感を述べられた後、いきなり「僕は死刑事件を担当したことがないんです。『死刑が嫌いな裁判官からは死刑が逃げていく』という言い回しがあるんですが、幸運でしたな」とこちらでも会話が成立するトピックにまで、テーマを調整してくださった。そしてそれはわたしがもっとも尋ねたい、極めてデリケートな設問であったのだけれども、わずか数分のあいだに石松先生は結論を教えてくださったのだ。

それからは学生時代から裁判官就任後のお話。北海道に赴任されたときに、何年間も放置されていた事件を精力的に片づけた際の裏話など、話は弾み始めた。わたしも興味深いお話に没頭してしまい、危うくその日の目的を忘れて話し込みそうになったが、1時間ほどした頃に「それではそろそろ行きましょうか」と石松先生から促していただいた。

わたしが運転する車の中でも話は弾んだ。石松先生はフルマラソンを何十回も完走されている方で、おそらく市民マラソンの日本での先駆けの大会から参加されていたことも伺った。70代はおろか、80代になってもフルマラソンを走っておられたとのお話には、こちらが情けなさを感じさせられた。登山もご趣味で数々の山に週末出かけたお話も伺った。ご自身のマラソンや登山についてお話になっているときの石松先生のお声は、朝お会いしたときよりもずいぶんお元気だった。

◆刑事裁判における「東京方式」と「大阪方式」

わたしは以前耳にしたことのあった、刑事裁判における「東京方式」と「大阪方式」へと質問を変えた。「東京方式」、「大阪方式」とはかつて存在した刑事裁判における法廷指揮の思想とありようの違いである。

それをわたしが最初に知ったのは井戸謙一弁護士(元裁判官)にインタビューしたときだった。別のサイトにわたしが井戸弁護士から伺ったのと同内容のお話が掲載されているので、「東京方式」、「大阪方式」をご理解いただくために引用しよう。

〈当時、大阪方式、東京方式というのがあって、特に刑事部のやり方は全然違ったんですよ。例えば学生裁判なら、東京の場合は、法廷内で暴れるようなことがあれば警察を入れて追い出し、被告人不在で裁判を進める。対して大阪は「警察を入れたら裁判にはならない」ということで、頑として受け入れなかった。最高裁としては東京方式を望んでいたんでしょうけど、大阪には、「俺たちが正しいと思う裁判をする」、そんな雰囲気があったのです。それは修習生にも伝わってきて、影響を受けたのは確かです。気概を感じ、僕にとってはそれが魅力的に映ったのです。〉

井戸修習生に「影響を与えた」裁判官の一人が当時の石松裁判官であったのだ。石松先生は「わたしは当時退廷命令を出したことは1回もありませんでしたな」と仰った。さすがにわたしは驚いた。今日、民事であれ刑事であれ傍聴席で少しでも声を出せば、即座に退廷命令を出す裁判官が少なくない(つまり「大阪方式」は死滅し、全国が「東京方式」で制圧されたということである)。ところが石松先生は「傍聴人は言いたいことがあるから裁判所に来ているんですよ」とこれまた、現在の法廷しかしならないわたしには腰を抜かすような見解を堂々と仰った。

最高裁の意を受けた「東京方式」とそれに対する在野意識の「大阪方式」は、法廷外でせめぎあいが続いたと石松先生は回顧した。「東京と大阪の真ん中ということで、愛知県の蒲郡のある旅館で、なんどか会合がありましたな」、「お前は大阪にいるから気楽に『大阪方式』でやっているけれども東京に来たらそんなわけにはいかんぞ。という人がおりましてね。口には出しませんでしたけども『東京に一人で行ったって堂々と大阪方式でやってやるわい!』と思っておりました」。

こんな良心が日本の司法の中に生きていた時代があったことを知り、羨望の念を抱くとともに、自身の無知を恥じた。闘っていたのは学生や労働者、市民ばかりではなかったのだ。裁判所の中にも良心を軸にした”闘い”と実践があったことを、生き証人の石松先生から直に伺えたのはわたしにとっては、極めて大きな財産である。超人的な体力と精神力、知性を備えた法曹界の巨人が亡くなった。

戦後の司法界で闘ってこられた石松先生からはそのほかにも吹田と大阪南部のご自宅の往復の車内で、生涯忘れられないお話をいくつも教えて頂いた。東京と大阪の文化が均質化され、司法改革は破綻した。反動化が進む時代を、

「いい時代とは言えませんな」

短い言葉で石松先生は評された。

合掌

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

衝撃満載!月刊紙の爆弾10月号

「この人でなければできない」領分や仕事がある。大きな組織ではそういったことはありえない。仮に孫正義が居なくなってもソフトバンクが急にガタガタになることはないし、カルロス・ゴーンが居なくなったって日産は潰れはしない。逆に小さな組織では往々にして「この人でなければ」できない業務がある。町工場の熟練技術技術者は、長い経験によって培われるものであるし、中小企業の経営者が運転資金をどうするかには、人脈や独自の方法に負うところが大きい。

これが「話者」や「物書き」となれば、より「代理」で埋め合わせが効かなくなるのは当然である(もっとも、誰が話しても同じようなコメントしか語らない自・他称「専門家」や「学者」であればいくらでも代替人は見つかるが)。『NO NUKES voice』2号から11回に渡り〈反原発に向けた想いを 次世代に継いでいきたい〉の連載をご担当頂いていた納谷正基さん(高校生進学情報番組『ラジオ・キャンパス』パーソナリティー)が8月17日にご逝去された。

志の人・納谷正基さんを悼む(『NO NUKES voice』17号より)

『NO NUKES voice』編集長の小島卓をはじめ、編集部、そして鹿砦社代表松岡利康と『紙の爆弾』編集長の中川志大も、納谷さんの訃報には言葉がなかった。『NO NUKES voice』を発刊から通読していただいている読者の方にはわれわれが途方に暮れる理由がご理解頂けよう。納谷さんは40年にわたり高校生への進路指導を中心にラジオ番組のパーソナリティーとしても活躍されてきた方だった。ご伴侶が広島原爆の被爆2世で、若くして亡くなり、それ以降「反核」に対する納谷さんの劇熱は揺らぎのないものとなった。

本誌に寄せて頂く文章は、日ごろから高校生を相手に語り部をなさっている、納谷さんらしく、読みやすいけれども、強烈な意志と情熱と怒りに溢れていた。鹿砦社との縁が出来てから納谷さんは、鹿砦社を破格の扱いで評価していただいていた。『ラジオ・キャンパス』に松岡は一度、中川が出演させていただいた回数は数えきれない。納谷さんは「私の夢は東北6県の全高校の図書館に『紙の爆弾』をおかせることです」とまでラジオで明言して下さったほどだ。鹿砦社は「叩かれる」ことは日常だが、ここまで評価をしてくださる方は極めて少ない。

だからわれわれは落胆しているのか。違う。鹿砦社を評価していただいたから、納谷さんのご逝去に言葉がないのではない。高校生に通じる言葉を持った劇熱の反核・反原発話者を失ったことの重大さに、われわれは、呆然としているのだ。納谷さんの生きざまから紡ぎ出される言葉を、真似ることができる人間はいない。なぜなら納谷さんの人生は、誰もの人生がそうであるように、他者のそれとは違う、といったレベルではなく、比較しうる人物がいない未倒地に、恐れることなく踏み出してゆく「冒険」の連続だったからだ。そしてその「冒険」を成就させる戦略と見識眼、なによりも人間力を納谷さんは持っていた。

優しく怖い人だった。『NO NUKES voice』の中から納谷さんの連載が消える。この喪失感は正直埋めがたい。

◆伊達信夫さんが徹底検証する「東電原発事故避難」

しかし、わたしたちは読者の皆さんにわたしたちが持ちうる力を総結集して、紙面を編集し、毎号途切れず、そして新しい閃きのきっかけを提供する義務を負っていると自覚する。納谷さんのご逝去とたまたま時期が重なったが、本号から新たな連載が2つスタートする。伊達信夫さんの「《徹底検証》東電原発事故避難 これまでと現在」と、山田悦子さんによる「山田悦子が語る世界」だ。

伊達さんは今号本文の中で「本稿の目的は原発事故の原因や経過を明らかにすることが中心ではない(略)。原発事故発生直後に、避難指示がどのように出されたのか確認をしながら、避難はどのように始まったのかを明らかにすることである」と連載の目的を示されている。

事故直後は原発に関する多くの書籍が書店に並んだ。時の経過とともにその数は漸減した。事故そのものは現在も進行中だ。その原因についての論考はこれまでも多くの方々から分析していただいてきたが、伊達さんの「避難」に焦点をおくレポートもまた、貴重な資料となることは間違いない。

伊達信夫さんの《徹底検証》「東電原発事故避難」これまでと現在(『NO NUKES voice』17号より)

◆山田悦子さんが語る世界──「冤罪被害者」から「法哲学研究者」へ

 

山田悦子が語る世界〈1〉赤ちゃんの未来は、人間の未来──国家無答貴とフクシマより(『NO NUKES voice』17号より)

山田悦子さんには今号の連載開始に先立ち、既に15号からご登場いただいていた。「甲山事件冤罪被害者」として山田さんは有名だが、わたしは山田さんに「冤罪被害者」との肩書ではなくご本人の許諾が得られれば、「法哲学研究者」と紹介したい(ご本人はこの申し出を辞退されている)。
「山田悦子が語る世界」では、様々な古典文献を引用しながら硬質な論考が展開される。もちろんこのような境地に至らしめた理由として、冤罪事件の被害者としての山田さんの経験が揺るぎないものであることは明らかではあるが、あえて強調すれば同様の冤罪被害を経験したからといって、山田さんのように誰もが思弁を深めるものではない。反・脱原発には多様な視点があっていいだろう。

亡くなった納谷さんの後継者はいない。後継者ではなく、まったく異なる経験と、視点から伊達さんと山田さんが加わってくださり、『NO NUKES voice』は今号も全力で編纂した。読者の皆さんからのご意見、ご指導を期待する。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

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『NO NUKES voice』vol.17
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被曝・復興・事故収束
安倍五輪政権と〈福島〉の真実

[グラビア]サン・チャイルド/浪江町長選「希望の牧場」吉沢正巳さん抗いの軌跡
(写真=鈴木博喜さん)

[特別寄稿]吉原 毅さん(原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟=原自連 会長)
広瀬さん、それは誤解です!

[特別寄稿]木村 結さん(原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟=原自連 事務局次長)
原自連は原発ゼロのために闘います

[追悼]編集部 志の人・納谷正基さんを悼む 

[報告]高野 孟さん(インサイダー編集長/ザ・ジャーナル主幹)
安倍政権はいつ終わるのか? なぜ終わらないのか?

[講演]蓮池 透さん(元東京電力社員/元北朝鮮による拉致被害者「家族会」事務局長)
東京電力は原発を運転する資格も余力もない

[講演]菊地洋一さん(元GE技術者)
伝説の原発プラント技術者が語る「私が原発に反対する理由」

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとはなにか〈14〉
東京五輪は二一世紀のインパール作戦である〈2〉

[講演]井戸川克隆さん(元双葉町町長)
西日本の首長は福島から何を学んだか

[報告]鈴木博喜さん(ジャーナリスト/『民の声新聞』発行人)
希望の牧場・希望の政治 吉沢正巳さんが浪江町長選で問うたこと

[報告]佐藤幸子さん(福島診療所建設委員会代表)
広島・長崎で考えた〈福島のいのち〉

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「東電原発事故避難」これまでと現在〈1〉その始まり

[書評]黒田節子さん(原発いらない福島の女たち)
『原発被ばく労災 拡がる健康被害と労災補償』

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
首都圏でチェルノブイリ型事故が起きかねない 東海第二原発再稼働が危険な理由

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)   
セミの命も短くて……

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子が語る世界〈1〉赤ちゃんの未来は、人間の未来──国家無答貴とフクシマ

[報告]横山茂彦さん(著述業・雑誌編集者)
われわれは三年前に3・11原発事故を「警告」していた!
環境保全をうったえる自転車ツーリング【東京―札幌間】波瀾万丈の顛末

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
『不・正論』9月号を糺す!

[報告]佐藤雅彦さん(翻訳家)
政府がそんなに強行したけりゃ 
民族自滅の祭典・2020東京国際ウランピックをゼネストで歓迎しようぜ!

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
首都圏の原発=東海第二原発の再稼働を止めよう

《首都圏》柳田 真さん(たんぽぽ舎、再稼働阻止全国ネットワーク)
原発事故 次も日本(福島のお寺の張り紙)
二度目の原発大惨事を防ぐ・東海第二を止めるチャンス

《福島》春木正美さん(原発いらない福島の女たち)
モニタリングポスト撤去について・第二弾

《原電》久保清隆さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
日本原電は、社会的倫理の欠落した最低の会社だ!

《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
核分裂「湯沸し装置」をやめよう
~とうとう東海第二設置許可を認可する規制委、第五次「エネ計」で原発推進する経産省~

《地方自治》けしば誠一さん(反原発自治体議員・市民連盟事務局次長、杉並区議会議員)
全国自治体議員・市民の連携で安倍政権の原発推進に歯止めを!

《福井》木原壯林さん(「原発うごかすな!実行委員会@関西・福井」)
原発の現状と将来に関わる公開質問状を 高浜町長、おおい町長、美浜町長に提出

《島根》芦原康江さん(さよなら島根原発ネットワーク)
島根原発3号機の適合性審査申請に対する了解回答は撤回すべきだ!

《伊方》秦 左子さん(伊方から原発をなくす会)
二〇一八年九月原発のない未来へ 伊方原発再稼働反対全国集会

《玄海》吉田恵子さん(原発と放射能を考える唐津会)
原発は止め、放射性廃棄物は人から離し測定して監視し地下に埋めても修復できる体制を

《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
『言論の飛礫(つぶて)─不屈のコラム』(鎌田慧・同時代社)

『NO NUKES voice』vol.17
https://www.amazon.co.jp/dp/B07GW4GYDC/

 

函館市HPより

 

函館市HPより

9月6日北海道を大地震が襲った。295万世帯が停電し、泊原発は緊急停止した。現地の様子を調べようと各自治体のホームページを閲覧していると、函館市のホームページに驚かされる文字があった。

そうだった。函館市は大間原発の建設停止を求めて、前代未聞、市が国や電源開発を提訴し、建設の差し止めを求める訴訟が提起されている。同訴訟の弁護団に加わっている井戸謙一弁護士は「初めてのケースですので、どういう審議になるかわかりませんが、画期的な提訴だと思います」と東京地裁で語ってくれていた。

提訴に至る考え方を説明した工藤壽樹函館市長の説明が、簡潔でわかりやすい。

このような姿勢が、住民の生命財産を守る責任者としては、至極原則的な考え方であろう。しかしながら、多くの都道府県や知町村長は、ごく原則的な判断もできずに、住民を危険に直面させている。

函館市HPより

◆吉原毅さん(原自連会長)の特別寄稿「広瀬さん、それは誤解です!」

そんな中、本日9月11日、『NO NUKES voice』17号が発売される。「フクシマを忘れることなく多角的に」の編集方針に揺らぎはない。

本号巻頭では前号16号で広瀬隆さんが展開した「原自連(原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟)」への問題提起に対する吉原毅さん(原自連会長)からの対論的論考「広瀬さん、それは誤解です!」を特別寄稿として掲載させていただいた。メガソーラー等の自然エネルギーへの過度の依拠の危険性を指摘した広瀬隆さんに、城南信用金庫理事長時代から「反原発」に様々な取り組みをしてこられた吉原さんが「誤解を解く」解説を丁寧に展開されている。加えて木村結さん(原自連事務局次長)にも吉原さんの論をさらに補強する論考「原自連は原発ゼロのために闘います」をご寄稿いただいた。

吉原毅さん(原自連会長)の特別寄稿「広瀬隆さん、それは誤解です!」(『NO NUKES voice』17号より)

◆高野孟さんの「安倍政権はいつ終わるのか? なぜ終わらないのか?」

高野孟さんの「安倍政権はいつ終わるのか? なぜ終わらないのか?」は読んでいると少し重たい気分にさせられるかもしれない。畢竟特効薬などなく、わたしたち個人が考え、行動する以外に回答はないのかもしれない。

高野孟さんの「安倍政権はいつ終わるのか? なぜ終わらないのか?」(『NO NUKES voice』17号より)

◆蓮池透さんと菊池洋一さん──二人の元当事者が語る「原発の終わらせ方」

 

蓮池透さん(『NO NUKES voice』17号より)

蓮池透さんは、拉致被害者の家族であり、東京電力の社員であった21世紀初頭日本を取り巻いた政治事件の中心に、偶然にも居合わせた人物だ。蓮池さんは東電を定年前に退職した。3・11以来東電には様々な怒りを感じておられる。蓮池さんご自身福島第一原発の3号機と4号機に勤務していたご経験の持ち主で、今回初めて明かされるような驚くべき杜撰な現状が語られる。「東京電力は原発を運転する資格も余力もない」は故吉田昌郎所長とも親しかった蓮池さんのお話は必読だ。

菊池洋一さんは元GE技術者の立場から、やはり原発建設がいかに、問題を孕んでいたのか、を解説してくださっている。簡潔に言えば「いい加減」なのである。しかしながら菊池さんのお話からも、現場の技術責任者でなければ知り得ない、驚愕の事実がいくつも暴露される。

 

菊池洋一さん(『NO NUKES voice』17号より)

◆本間龍さん「東京五輪は二一世紀のインパール作戦である」〈2〉

本間龍さんの連載「原発プロパガンダとは何か?」は今回も東京五輪の問題を鋭くえぐり出している。「国民総動員」の様相を見せだした「ボランティア」と称する「無償労働」の問題と意義を今回も徹底的に解析していただいた。「反・脱原発と東京五輪は相容れない」編集部の代弁をしていただいた。

◆何度でも福島の声を──井戸川克隆さん(元双葉町町長)、吉沢正巳さん(希望の牧場)

元双葉町町長の井戸川克隆さんの「西日本の首長は福島から何を学んだか」は鹿児島県知事三田園をはじめとする西日本、とりわけ原発立地現地行政責任者に対して、匕首を突きつけるような、厳しい内容だろう。冒頭ご紹介した函館市との対比が極めて不幸な形で鮮明になろう。

「吉沢正巳さんが浪江町長選挙で問うたこと」は「希望の牧場」で奮闘し続ける吉沢さんからの、吉沢さんらしい問題提起だ。行動のひと吉沢さんは浪江町長選挙に出馬した。浪江役場前には「おかえりなさい、ふるさと浪江町へ」の横断幕が掲げられてる。対して、吉沢さんは「除染してもサヨナラ浪江町」の看板を掲げる。この一見対立していそうで、不和解のように見えるメッセージを吉沢さんは「どちらも正しい」と語る。そのことの意味は?吉沢さんが闘った町長選はどのようなマニフェストだったのか?

希望の牧場・吉沢正巳さん(『NO NUKES voice』17号より)

◆佐藤幸子さんの広島・長崎報告と伊達信夫さんの《徹底検証》「東電原発事故避難」これまでと現在

「広島・長崎で考えた〈福島の命〉」は事故発生直後から、対政府交渉などの先頭に立ち続けてきた佐藤幸子さんの広島・長崎訪問記である。被災者の間に生じる(生じさせられる)軋轢を乗り越えて、お子さんの成長を確認しながら広島と長崎に原爆投下日にその身をおく、福島原発事故被災者。70余年の時をたがえて交わる被災者と、被災地のあいだには何が生じたのだろうか。

伊達信夫さんの《徹底検証》「東電原発事故避難」これまでと現在(その1)では、事故後の避難で何が問題だったのかの実証的な指摘が詳細に分析される。7年が経過して、記憶もおぼろげになりがちな事故の進行と非難の実態が、時系列で再度明らかにされる。

佐藤幸子さんの広島・長崎報告(『NO NUKES voice』17号より)

 

黒田節子さんが書評した『原発被ばく労災 拡がる健康被害と労災補償』(三一書房2018年6月)

◆黒田節子さんによる書評『原発被ばく労災 広がる健康被害と労災補償』

『原発被ばく労災 広がる健康被害と労災補償』(三一書房)を解説的に紹介してくださるのは黒田節子さんだ。

「首都圏でチェルノブイリ型事故が起きかねない 東海第二原発再稼働が危険な理由」を山崎久隆さんが解説する。ここで事故が起きたら東京は壊滅する=日本は終わる。それでも東海第二原発を再稼働する道を選ぶべきであろうか。

「セミの命も短くて…」は三上治さんのが経産省前テント村で生活するうちに、四季の移ろいに敏感になった、三上さんの体験記だ。ビルとコンクリートだらけの、霞が関の地にだって季節の変化はある。当たり前のようで、重要な「気づき」を三上さんが語る。

「赤ちゃんの未来は、人間の未来――国家無答責とフクシマ」(山田悦子が語る世界〈1〉)は本号から連載を担当していただく山田悦子さんによる論考である。「国家無答責」の概念は国家としての日本を理解するうえで欠くことができない重要な概念だ。山田さんは長年の研究で独自の「法哲学」を確立された。次号以降も本質に迫るテーマを解説していただく。

横山茂彦さんの「われわれは震災の三年前に、3・11事故を『警告』 していた!」は雑誌編集者にして、多彩な著作を持つ横山さんを中心に、東京から札幌まで1500キロを自転車で走りながら、原発に申し入れ書を提出するなどの行動が行われていた報告である。横山さんの多彩な興味範囲と行動力にはひたすら驚かされるばかりだが、このような人がいるのは、誠に心強い。

◆板坂剛さんと佐藤雅彦さん

 

板坂剛さんの「『不正論』9月号を糺す!」(『NO NUKES voice』17号より)

板坂剛さんの「『不正論』9月号を糺す!」は、芸風が安定してきた板坂による、例によって「右派月刊誌」へのおちょくりである。大いに笑っていただけるだろう(闘いにユーモアは必須だ!)。

佐藤雅彦さんの「政府がそんなに強硬したけりゃ民族自滅の祭典2020東京国際被爆祭をゼネストで歓迎しようぜ!」。佐藤さんの原稿はいつも下地になる資料が膨大にあり、事実や史実を示したうえで、最後に「佐藤流」のひねりで「一本」を取る。「板坂流」とは異なり、読者にも解読力が求められるが、内容はこれまたユーモアに満ちた批判である。

その他全国各地の運動報告や読者からのご意見も掲載し、本号も全力で編纂した。
地震・大雨・酷暑と自然災害が連続したこの数カ月。大震災列島の未来は〈原発なき社会〉の実現なくしてはじまらない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

本日発売開始!『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

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『NO NUKES voice』vol.17
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被曝・復興・事故収束
安倍五輪政権と〈福島〉の真実

[グラビア]サン・チャイルド/浪江町長選「希望の牧場」吉沢正巳さん抗いの軌跡
(写真=鈴木博喜さん)

[特別寄稿]吉原 毅さん(原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟=原自連 会長)
広瀬さん、それは誤解です!

[特別寄稿]木村 結さん(原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟=原自連 事務局次長)
原自連は原発ゼロのために闘います

[追悼]編集部 志の人・納谷正基さんを悼む 

[報告]高野 孟さん(インサイダー編集長/ザ・ジャーナル主幹)
安倍政権はいつ終わるのか? なぜ終わらないのか?

[講演]蓮池 透さん(元東京電力社員/元北朝鮮による拉致被害者「家族会」事務局長)
東京電力は原発を運転する資格も余力もない

[講演]菊地洋一さん(元GE技術者)
伝説の原発プラント技術者が語る「私が原発に反対する理由」

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとはなにか〈14〉
東京五輪は二一世紀のインパール作戦である〈2〉

[講演]井戸川克隆さん(元双葉町町長)
西日本の首長は福島から何を学んだか

[報告]鈴木博喜さん(ジャーナリスト/『民の声新聞』発行人)
希望の牧場・希望の政治 吉沢正巳さんが浪江町長選で問うたこと

[報告]佐藤幸子さん(福島診療所建設委員会代表)
広島・長崎で考えた〈福島のいのち〉

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「東電原発事故避難」これまでと現在〈1〉その始まり

[書評]黒田節子さん(原発いらない福島の女たち)
『原発被ばく労災 拡がる健康被害と労災補償』

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
首都圏でチェルノブイリ型事故が起きかねない 東海第二原発再稼働が危険な理由

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)   
セミの命も短くて……

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子が語る世界〈1〉赤ちゃんの未来は、人間の未来──国家無答貴とフクシマ

[報告]横山茂彦さん(著述業・雑誌編集者)
われわれは三年前に3・11原発事故を「警告」していた!
環境保全をうったえる自転車ツーリング【東京―札幌間】波瀾万丈の顛末

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
『不・正論』9月号を糺す!

[報告]佐藤雅彦さん(翻訳家)
政府がそんなに強行したけりゃ 
民族自滅の祭典・2020東京国際ウランピックをゼネストで歓迎しようぜ!

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
首都圏の原発=東海第二原発の再稼働を止めよう

《首都圏》柳田 真さん(たんぽぽ舎、再稼働阻止全国ネットワーク)
原発事故 次も日本(福島のお寺の張り紙)
二度目の原発大惨事を防ぐ・東海第二を止めるチャンス

《福島》春木正美さん(原発いらない福島の女たち)
モニタリングポスト撤去について・第二弾

《原電》久保清隆さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
日本原電は、社会的倫理の欠落した最低の会社だ!

《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
核分裂「湯沸し装置」をやめよう
~とうとう東海第二設置許可を認可する規制委、第五次「エネ計」で原発推進する経産省~

《地方自治》けしば誠一さん(反原発自治体議員・市民連盟事務局次長、杉並区議会議員)
全国自治体議員・市民の連携で安倍政権の原発推進に歯止めを!

《福井》木原壯林さん(「原発うごかすな!実行委員会@関西・福井」)
原発の現状と将来に関わる公開質問状を 高浜町長、おおい町長、美浜町長に提出

《島根》芦原康江さん(さよなら島根原発ネットワーク)
島根原発3号機の適合性審査申請に対する了解回答は撤回すべきだ!

《伊方》秦 左子さん(伊方から原発をなくす会)
二〇一八年九月原発のない未来へ 伊方原発再稼働反対全国集会

《玄海》吉田恵子さん(原発と放射能を考える唐津会)
原発は止め、放射性廃棄物は人から離し測定して監視し地下に埋めても修復できる体制を

《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
『言論の飛礫(つぶて)─不屈のコラム』(鎌田慧・同時代社)

『NO NUKES voice』vol.17
https://www.amazon.co.jp/dp/B07GW4GYDC/

◆馴染みの街のサン・チャイルド──大阪・茨木市

 

Kenji Yanobe Supporters club(2018-04-16)より

阪急電鉄南茨木駅。まことに個人的ながら、この駅名には懐かしさが付きまとう。大学時代の2年間と、就職しての数年をわたしは南茨木駅が至近の(といっても駅まで徒歩で30分近くあった)アパートで過ごした。理由は新築の2LDKが格安家賃で、大学へはバイクで通えば20分ほどの距離だったからだ。

南茨木から転居後も、毎日のように利用していたスーパーマーケットで殺人事件が起こったり、モノレールが南進したりとときどきニュースは耳にしていたが、このたび無視できない情報を教えて頂いた。南茨木の駅前にはヤノベケンジ氏が作ったSun Child(サン・チャイルド)が設置されているそうだ。

姿はご覧の通りで、茨木市のホームページによれば、〈Sun Child(サン・チャイルド)は、平成23年3月11日に発生した東日本大震災から再生、復興していく人々の心に大きな夢と希望と勇気を与えるモニュメントとして制作されました。 高さ6.2mに及ぶこどもの像は、未来に向かって足を踏み出す姿を表現しています。傷つきながらも未来をしっかりと見つめ、力強く生き抜こうという再生へのメッセージがこめられています〉とのことである。茨木市の説明はうなずける。

◆福島市でのサン・チャイルド設置は「風評被害を助長する」?

ところがまったく同じSun Child(サン・チャイルド)が福島ではどういう訳か撤去されることになったという。

〈福島市が教育文化施設「こむこむ」前に設置した立像「サン・チャイルド」の表現に一部から批判が寄せられていた問題で、市は28日、作品を撤去すると発表した。木幡浩市長は記者会見で「賛否が分かれる作品を『復興の象徴』として設置し続けることは困難と判断した」と述べ、謝罪した。展示が始まった今月上旬から、交流サイト(SNS)などで、立像が防護服姿であることや、線量計を模した胸のカウンターが「000」となっていることが「風評被害を助長する」「非科学的」との批判が集中。作品の表現を評価する声もあり、市の対応が注目されていた。〉
※[引用元]「『サン・チャイルド』撤去へ 福島市長謝罪、設置継続は困難」(2018年8月29日付福島民友)

その理由の一端として、同記事では
〈市は18日から「こむこむ」の来場者に対し、立像についての意向調査を実施。27日までに110件の回答があり、設置に「反対・移設」が75人と、「存続」22人を大きく上回った。市へのメールや電話も否定的な意見が多かった。アンケートには「防護服がないと生活できないとの印象を与える」「子ども向けの施設に設置するのは問題」など撤去を求める意見の一方で、「災害の教訓になる」「勇気や元気が伝わる」などの意見があった。〉と説明されている。

『NO NUKES voice』Vol.17より(写真=鈴木博喜)

福島第一原発事故にかんするマスコミ報道については、つねに「水増しされていないか、不当に減じられてはいまいか」、「事実が隠蔽されていないか」、「虚構ではないか」、「恣意的な報道ではないか」を念頭に情報を分析しなければならない。そしてマスメディアのそういった姿勢に加えて、福島現地で暮らす方々がすがりたい「安全神話」という虚構が、ひとびとの思考を歪めていないか、をも考慮に入れなければならないことをこのニュースは物語っている。

◆何度でも問う! 福島2011原発事故と東京2020復興五輪 

 

『NO NUKES voice』Vol.17 より(写真=鈴木博喜)

大風呂敷が広げられている。「東京2020」という人道的犯罪と断じても不足ない、フクシマ隠蔽のための大風呂敷が。この大風呂敷は穴だらけだ。開会式の入場券が30万円以上もする「商業イベント」のために、11万人をタダ働きさせようとしている。災害ボランティアや非営利事業ではないのに、どうして「タダ働き」が堂々と進行しようとしているのか。文科省はついに、「東京2020」期間中、大学などに「授業や定期試験しないよう」通知を出した。21世紀型の「学徒動員」は前時の大戦とは順序を変えて、強制される。

新聞に「東京2020」に対する批判記事があるだろうか。不当な土地の払い下げ問題や、新国立競技場建設に絡む問題などが指摘されているか? 原発問題では鋭い筆鋒を見せた東京新聞はどうだ? まさか、開催地が「東京」だからという馬鹿げた理由が筆を鈍らせる理由にはなってはいまいな。

◆安心したい、忘れたい気持ちは痛いほどわかる。が、しかし……

福島から避難されて来られた方々は「福島県内のニュースでは被曝の実態が県外よりさらに報道が少ない」と異口同音に語られる。被曝問題だけではなく、「復興」を邪魔する奴はとんでもない!との無言圧力があるという。

一面無理からぬことではあろう。汚染地に住み続ける方々にとって、毎日「被曝の危険」を頭においていたら仕事や勉強ができないだろう。危機意識や怒りは(一部の強固な意志の持ち主を除いて)、当事者にとってそれほど長期間持続できるものではない。

その心理は理解するが、冷厳な科学的事実は、われわれがどう考えようと、念じようと変化することはない。国民総出で願ったら、放射性核種の半減期が短くなり、被曝被害が激減するのであれば、わたしも喜んでその輪に入ろう。

だが残念ながらそんな観念的な話ではない。あくまでも自然科学・放射線防御学や医学が今日までに到達している結果として、現在の福島は永続的な居住の「安全」が保障される場所ではないのだ(わたしはこのことを幾分かは、自分の内面を削りながら発言しているつもりである)。

安心したい、不安は忘れたい気持ちは痛いほどわかる。しかし、その気持ちが一体2011年3月11日に何を引き起こしたのか、を再考する障害となってはいないか。

南茨木駅は被災地ではなく、福島は被災地だからSun Child(サン・チャイルド)にたいする感覚が違うかもしれない。もし、そうであれば被害者であるはずの、福島のひとびとの感覚はゆがめられている。

「復興」や「絆」もいいだろう。その前に現実的な健康被害まで度外視されるほどに、被災地のひとびとの思考が誘導されているのだとすれば、責められるべきは、それを画策した連中だ。でも福島(福島だけではなく全て)のひとびとには忘れないでほしい。「被害を受けるのはあなた自身であるかもしれない」ことを。サン・チャイルドに罪はない。

『NO NUKES voice』17号が明日発売される。サン・チャイルドのようにわかりやすい出来事だけでなく、原発の根源悪を抉り出そうとわたしたちは尽力している。お手に取っていただければ幸いだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

明日9月11日発売開始!『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

9月6日午前3時過ぎ、北海道を大地震が襲った。4日には台風21号が猛烈な勢いで、関西から東北・北海道までなめつくし、関西空港が壊滅的な被害を受けたのは、本通信でお知らせした通りだった。今回の台風は、関西空港だけでなく関西地方に、広く被害を出した。鹿砦社本社近くの甲子園浜でも高潮により、中古車100台余りが燃えるという被害が出ているし、神戸ではやはり高潮で多くの地域が水につかった。


◎[参考動画]土砂崩れ現場=北海道地震(時事通信映像センター2018年9月5日公開)

9月5日、所用で京都市内に出かけたら、桜の名所、蹴上浄水場ちかくのソメイヨシノが太い根元近くから何本も折れていた。山科区の電線には飛んできたトタンがまだぶら下がっている。広範囲で深刻な被害が出ていることが確認できた。

そして6日早朝に目覚め、インターネットのニュースを眺めると、北海道で大きな地震があったと報じている。その揺れは東京付近まで及んでいるようだが、関西には至らなかった。情報を眺めていると携帯電話にメールが入った「小生いま、北海道旅行中ですがとりあえず無事です。停電でラジオもなく情報が錯そうしていますが、無事のお知らせまで」。知人が休暇を取ってちょうど北海道に旅行中だったのだ。世耕経産大臣は午前中の記者会見で「数時間で電気は復旧させる」と見栄を切ったが、それから半日近くたっても停電復旧の見通しは立っていない。

 

2018年9月6日付朝日新聞

そして、今回の地震で、わたしたちは、凄まじい自然の力をまたしても見せつけられることになった。朝日新聞がヘリコプターから撮影した写真によると、山があちらこちらで形を失っている。

気象庁の発表では最大震度は6強とされているが、「震度を計測できなかった地域も少なくない」と気象庁も発表している。正午前後だったろうか、公衆電話が無料開放されたと知ったので、知人に「公衆電話は無料で使えるようですよ」とメールで連絡した。午後3時に至るも290万世帯が停電し、札幌市内では大規模な陥没や、液状化現象もみられるようだ。

数日前は台風で、そして今日は大地震で北海道が大混乱に陥っている。泊原発は「外部電源は喪失したが、非常用ディールが稼働し、燃料も7日分の備蓄があるから安全だ」といち早く伝えていた(逆に言えば7日の間に電源が戻らず燃料が供給されなければ、破局に陥るということだ)。

Yahooには天気のタグがあり、その中の「地震」を選択すると、体感地震の記録が掲載されている。今回の震源は「胆振(いぶり)地方中東部」とされている。通常、大地震の前には前日あたりから、微震が記録されていることが多いのだが、6日3時12分以前に「胆振地方中東部」を震源とする微震の記録はない。専門家は既に断層の分析や、「今後1種間程度は震度6程度の余震に警戒するように」とわかり切ったコメントを、あたかも定例行事のように発表している。しかし、正直わたしは戦慄を覚える。北海道で被災された方の大変さに思いを致しながらも、こうも頻繁に日本列島で大地震が頻発することに、生物的な恐怖を覚える。

「数時間で復旧を指示」した北海道の電力は、どうやら完全復旧には1週間程度かかるらしい、との本音が報道され始めた。幸いにも「殺人的酷暑」の季節が終わった後ではあるが、秋雨前線が近づいて、被災地では2次災害の恐れが懸念される。どうかこれ以上苦しまれる方が出ませんようにと祈るしかない。

こんなにも大地震は頻発したことがあっただろうか?「あっただろうか」とはいにしえの史実を振り返るのではなく、半世紀余り生きてきたわたしの人生の中で「あっただろうか」との意である。記憶にない。1995年阪神大震災以降、太平洋プレートが沈み込む上に乗っかっている日本列島が、地震の活動期に入ったことは、新潟地震、鳥取地震、東日本大震災、熊本地震など数々の大地震で立証済みだ。地震の前に人間は何の手も打てはしない。立ちすくみ怯えることしかできない。

食料や水の備蓄をする程度しか人間には打つ手がない。重ねて被災地の方々にはお見舞いを申し上げる。ここ数年で北海道から九州まで、すべての地域が地震の被災地になった。もう他人ごとでは済まされないと痛切に感じる。しかし、わたしたちは地震を止めることはできないのだ。この冷厳な事実の前に思索を巡らせるしか方法はない。


◎[参考動画]北海道震度6強地震 大規模土砂崩れが起きた厚真町の様子(北海道ニュースUHB2018年9月6日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

衝撃満載!月刊紙の爆弾10月号

9月11日発売!『NO NUKES voice』Vol.17 被曝・復興・事故収束 ── 安倍五輪政権と〈福島〉の真実

 

大前研一「迷走50年、日本の空港『非効率の極み』」より(PRESIDENT 2016年12月5日号)

〈関西の空港状況もよく似ている。2滑走路のため発着数に限界があったのと騒音問題を抱えていた伊丹空港(大阪国際空港)に代わる新空港建設計画が持ち上がった当初、建設予定地は南港沖、現在のUSJの外側辺りだった。大阪、神戸の都心からは近いし、すでに高速道路も通っている。グッドアイデアだったが、自前で空港を持ちたい神戸がこれに強く反対。結局、ずっと南に下らざるをえなくなり、泉南沖を1兆5000億円かけて埋め立てて現在の関西国際空港をつくった。しかし地盤調査が不十分だったせいで第1滑走路の完成直後から地盤地下が発覚してしまう。横風対策でT字にする予定だった2本目の滑走路を平行滑走路にするなど、沈降対策でさらに1兆3000億円。新空港の損益分岐点は未来永劫やってこない。

それだけの巨費を投じておきながら、新空港が完成すると今度は、「関空は遠すぎる」と廃止が決まっていた伊丹空港の存続運動が巻き起こった。

 

大前研一「迷走50年、日本の空港『非効率の極み』」より(PRESIDENT 2016年12月5日号)

工事欲しさに新空港が必要だと言っていた関西の財界人まで乗る始末である。結局、伊丹は存続し、神戸空港もできて、関空は目的不明になってしまった。一応、「国内線は伊丹、国際線は関空」という仕分けはあるが、離れているため3時間以上の乗り換え時間が必要でハブとしてはまったく機能しない。したがって関空から飛んでいる海外路線は非常に少ない。西日本に住む人は長距離便の場合、成田か仁川で乗り換えるケースが圧倒的に多い。〉
※[引用元]大前研一「迷走50年、日本の空港『非効率の極み』」より(PRESIDENT 2016年12月5日号)

長い引用になったが上記はわたしが、常日頃「軽蔑」する、大前研一氏の関西空港に対する評価である。

そんなことは30年前からわかっていただろう!と言いたいが、わたしごときがの発信ではついぞ、関西空港の問題は伝わらなかったので、大前氏の見解を引用させていただいた。

前述の通りわたしは、大前氏の日頃の主張に大方同意しない。それどころか、彼が社長を勤めた、日本マッキンゼー社がなした仕事には、直接の被害をうけたこともある。

 

関西エアポートグループHPより

それはそれとして、大前氏の関空批判には合理性がある。大前氏の批判は効率の悪さに主として立脚しているが、関西空港はその工法が決定した時点から、このような災害に見舞われることが宿命づけられた「欠陥だらけの空港」であった。

関西空港(関空)は伊丹空港が人工密集地に位置し、事故の危険や日々の騒音問題が地元から長年突き上げられるなかで、建設地が泉佐野市沖合と決定し、工法につて従来の「埋め立て」か「メガフロート(浮島工法)」かの議論も交わされた。

 

関西エアポートグループHPより

結果的には軟弱な地盤と判明しており、沈下が確実である「埋め立て工法」が採用されたが、当時から「この地盤ではいずれ関空は沈んでしまう」と懸念する声が少なくなかった。そして、関空は当初の懸念を上回る速度で、地場沈下を体験することとなる。

公式には3m-4m沈下した、とされている。関西空港は、「現在では完全に沈下が止まっています」と胸を張るが、極めて怪しい。

そして開港から24年目の記念日に、設計上海面から5mに建設された滑走路を海水が覆ってしまった。

 

関西エアポートグループHPより

メディアによっては「想定外」などと報道する素っ頓狂もいるが、1994年関西空港開港から、かなりの頻度利用してきたものとしては、「想定外」どころか「当たり前」に予想された不具合が生じたのではないかと穿たざるを得ない。

関空(埋め立て島)の沈下は、目に見える範囲でも開港1年目から顕著であった。航空機の出発、到着機能を持つビルと、商業施設やホテルが並び立つビルのあいだは、タイル張りの通路で結ばれている。開港1年目には、肉眼で確認できる数センチのズレが生じていた。

こんなに短期間で、埋め立て島の中にひずみが出来ても大丈夫なのか?と当時関西国際空港株式会社に勤務していた、まじめな知人に聞いてみたことがある。

「それは技術の人の担当なんですが、基本大丈夫だということです」と知人は答える。「でも目に見える範囲でも沈下が始まっているよ。羽田や海外の空港でこんなの見たことないよ」と聞くと「実は……沈下した場所に何かを差し込んで対応する……というのが今の方針だそうです」と腰を抜かすような答えが返ってきた。

 

関西エアポートグループHPより

「え!そんなことしてたらきりがないやろ。それに高潮とか来たら一発でやられるで」と返すと「そんなこと言われても…。なんとかなるでしょう」と最後は困り果てていた。

「なんとかなる」ことはなかった。関西空港自身が認めている通り、既に3-4m沈下しているのであれば、設計時に海面から5m余裕をみていた滑走路も2-1mしか余裕がないことになる。5mの高潮は珍しいが、1-2mの高潮を「想定外」とは呼べまい。昔知人が語ってくれたように「何かを差し込んで」沈下を食い止めていたとしても、それは止められないだろう。

今回は空港自体の設計問題とは別に、空港への連絡橋にタンカーが衝突する、という事故が起きた。航空機はもともと強風の際には離着陸できないので、陸地と空港を結ぶ連絡橋も、強風の際には、しばしば封鎖されてきた。しかし、タンカーの衝突はさすがに関西空港も、鉄道会社も予想していなかったであろう。衝突された連絡道は完全に左右にずれており、完全修復には相当の時間がかかろう。

ある報道の引用である。

〈偶然にも、4日は1994年に開港した関空の開港記念日。孤立した空港内で客らの支援にあたる日本航空関西空港支店総務グループの森知康さんはこう語った。「前例のない事態だ。飛行機の離着陸がいつから可能になるか、現時点では全くわからない」〉
(2018年9月5日付朝日新聞)

正直な感想であろうが、「前例はなくとも、予期された事態ではある」点を指摘しておく。

最後に台風21号の災害でお亡くなりになられた方、被災された方に、心からお悔やみ、お見舞いを申し上げます。


◎[参考動画]4時!キャッチ 関空リポ 台風21号 関空の孤立者ら救助船で神戸へ(サンテレビ Published on Sep 5, 2018)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

7日発売!月刊紙の爆弾10月号

1年に1日だけ熊本市の一角が沖縄(琉球)になる日がある。ことしで10回目を迎える「琉球の風~島から島へ~」が開催される9月30日だ。そして熊本だけでなく各地からのファンを獲得した「琉球の風」は今年で最終回を迎える。

『琉球の風2018』9月30日(日)フードパル熊本

「10回に何とか到達しようと頑張ってきました。一応これが区切りです。是非皆さんお越しになってください」

実行委員会委員長の山田高広さんの言葉だ。山田さんをはじめ「琉球の風」運営スタッフは全員がボランティアだ。そして、沖縄(琉球)のトップミュージシャンだけでなく、宇崎竜童、宮沢和史といった超豪華メンバーが集う、稀有のイベントも今年が最後だ。

◆「こんなにピースフルな場所はそうないです」(宮沢和史さん)

宮沢和史さん(「琉球の風」2017より)

2008年、故東濱弘憲さんが自分のルーツへの想いを形にするイベントとして第1回の「琉球の風」が開催された。東濱さんは鹿砦社代表の松岡と同級生だったが、第1回が開催されたときに、まだ鹿砦社は「琉球の風」にはかかわっていなかった。その後東濱さんが体調を崩し、「琉球の風」」運営が難しくなるなかで鹿砦社もスポンサーとしてお手伝いさせていただくようになる。

東濱さんが亡くなったあと、「琉球の風」を開催するか、どのように運営するかについては度々関係者のあいだで議論があったという。それはそうだろう。年々知名度は上がり、コンスタントに一流ミュージシャンが参加するとはいえ、運営の母体を担うのは、ほかに正業を持った方ばかりなのだから。

宇崎竜童さん(「琉球の風」2017より)

「琉球の風」は観客にとって、そして参加するミュージシャンにとっては「こんなにピースフルな場所はそうないです」(宮沢和史さん)の言葉に集約されるように、琉球音楽祭典として、楽しみに満ちた場所であるが、その準備に奔走する方々の献身的なご尽力たるや、筆舌に尽くしがたい。

この10年の間には熊本大地震もあり、開催地が被災地になったこともあった。それでも「こんな時だからこそ」と実行委員の皆さんは、みずからが被災しながら、仕事をもちながら「琉球の風」を吹かせ続けた。並大抵の意志ではない。

そして、実は観客だけではなく、参加ミュージシャンがとてつもなく楽しんでいるのが「琉球の風」の特徴だろう。誰もが同じ大部屋の楽屋の中では、オープニング前から笑い声が絶えない。泡盛やビールを注入しながら登場を待つミュージシャンの姿も。

総合プロデューサーの知名定男さん(右)と鹿砦社松岡社長。東濱弘憲さんの遺影とともに(「琉球の風」2017より)

楽屋外、ステージ横テントがプロデューサー知名定男さんの定位置だ。知名さんは必ず東濱さんの遺影を机の上において、テントの下に腰掛けステージに上がるミュージシャンや、演奏を終えたミュージシャンに声をかける。

毎年幕が下りたあとの楽屋では興奮気味に「来年も必ず来ます!」、「初参加でしたが最高でした。沖縄でもこんなに楽しいイベントはないですよ」、「知名さん来年も呼んでください!」と声が飛ぶ。

場所を移しての打ち上げでは深夜に及ぶまでセッションや、これでもか、これでもかと、プロによる出しもの(遊び)が続く。そしてその後もさらなる場所へと流れてゆくミュージシャンたち。本当に心の底から楽しんでいる姿が見ている者にも心地よい。「こんな場所」はたしかに熊本にしかないだろう。

MONGOL800キヨサクさん(「琉球の風」2017より)

東濱さんの名前は「ひがしはま」と日本語では発音されるが、琉球の人たちは「あがりはま」と呼ぶ。ウチナーグチ(琉球語)では「東」は、太陽が上がる方向だから「あがり」で、「西」は太陽が沈む(入る)方向だから「いり」と発語される。「西表島」がどうして「いりおもてじま」なのかと疑問だったが、その謎も「琉球の風」に通う中で解けた。

◆芸術の世界で琉球はもう傍流ではない

BEGIN島袋優さん(「琉球の風」2017より)

琉球音楽は30年ほど前まで、まだ「民族音楽」扱いされる側面があった、とベテランのミュージシャンは口を揃える。その後「島唄」(THE BOOM)、「涙そうそう」(森山良子、楽曲提供はBEGIN)、「島人ぬ宝」(BEGIN)をはじめ、果ては安室奈美恵まで。琉球発の音楽やアーティストと、日本の間には境界線がなくなった(琉球音楽は日本発で世界に広がり受け入れらてさえいる)。芸術の世界で琉球はもう傍流ではない。そして「琉球の風」は東濱さんの想いをおそらくは超えて、日本で最大かつ楽しいイベントとして熊本に根付いた。

かりゆし58前川真悟さん(「琉球の風」2017より)

でも、「風」はどこからか吹いてきて、流れ去ってゆくものだ。無責任な観客のひとりとしては、このまま毎年「琉球の風」を続けて欲しいと正直念願するが、運営を担う方々のご苦労を知るにつけ、今年がファイナルである現実は受け入れざるを得ない。みなさん充分すぎるほど、たくさんの人たちを楽しませてくださった。熊本のひとの心意気には心底頭が下がる。

9・30フードパル熊本は、今年がファイナルであることを知っている観客が押しかけるだろう。第一回から参加しているミュージシャンも少なくない。彼らの「琉球の風」へ寄せる想いは並ではない。きっと9・30熊本の空は晴れ上がり、会場には歓喜の笑顔があふれるだろう。チケット販売や詳細は公式サイトでご確認頂きたい。

◎『琉球の風2018』HP http://edgeearth.net/ryu9_kaze/
9月30日(日)12:00 開場 / 13:00 開演 フードパル熊本

熊本に「琉球の風」が最後に吹く、今年。きっと何かが起こるだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』特別限定保存版(「琉球の風」実行委員会=編)

◆自民総裁選挙には「なんの意味もない」

重ねて強調する。自民総裁選挙には「なんの意味もない」と。衆参両院で3分の2以上の議席を維持する、絶対安定与党の頭目選びの候補者が「この国を、『人民主人公』の国に」と「これまでの政策通りに」と分かれているのであれば、多少の興味が沸かぬでもないが、石破茂が対立候補ではどうしようもない。

石破は前原誠司と仲が良く、軍事オタクの人間である。あののっぺりとした、独自語り口のいやらしさが、その思想の一端を体現していると言えよう。ゴリゴリの右翼で、どうしようもない思想の持ち主である。安倍との違いは、安倍が成蹊学園で、実質入学試験を経験せずに育ってきたのに対して、石破は慶応大学を出ているので、受験勉強の経験があることぐらいだろう。

しかし、わずかの違いに見えるこの経験差は、凄まじい能力差となって現れている。そこに石破の価値を不当に高く認める、勘違いが生じている。が、それは違う。安倍の思考力、読解力、記憶力が並以下なので、比較すると石破があたかも「優れている」かのように見えるかもしれないが、石破が総理になれば、安倍以上に理詰めの改憲論や、軍拡論を展開してくるだろう。


◎[参考動画]2009年11月04日 衆議院予算委員会での石破茂議員による鳩山由紀夫総理への質疑

◆石破は明確な核武装論者でさえある

自民党が下野していた時代、民主党政権の防衛大臣であった田中直紀に「自衛隊がなぜ合憲か」と質問で迫り、あたふたして何も答えられない田中防衛大臣に代わり、集団的自衛権が認められる前の「自衛隊合憲論」を立て板に水で語ったのが、石破であった。

防衛大臣にもなって、違憲な「自衛隊」の政府解釈を語れない田中直紀の能力の低さはさておき、かといって「違憲な自衛隊を合憲と捻じ曲げる」政府根拠を石破は暗記していただけのことであり、憲法前文や9条を読んでも「自衛隊は合憲」と考えている人間である。それどころか、石破は明確な核武装論者でさえある。


◎[参考動画]石破議員の質問にビビる田中防衛素人大臣 2012.2.17(roversince2007公開)

小選挙区制という、間接民主主義すらを無化してしまう制度により、多様な意見が国会には反映されなくなってしまった。そのことで、少し真面目に政治を眺めるひとびとの間では、憤懣や葛藤さらには諦念が渦巻いている。わたしは何度も述べるけれども、自民党総裁選挙など「まったく意味がない」と断じるし、石破に期待を抱く人々には「それは違うよ」と耳元でささやきたい。もちろん安倍は論外だ。「じゃあどうするの」と聞かれれば、わたしなりの回答は「小選挙区制度下、国政選挙で世の中は変わらない」ことをまず有権者は痛感すべきと答えるほかない。

◆「学級委員選挙」に興味を持てる人は、現実の惨状を直視する勇気が欠けている

実のところ問題は選挙制度だけではなく、中年層(40-60歳)から若年層の、政治に対する無関心と「右傾化」がより深刻かもしれない。若年層の誰もが「選挙権を18歳に下げろ!」などと要求していないのに、与党は勝手に選挙権を18歳に下げた。当然そこには「若年層の投票を取り込める」との目算があったに違いない。1960、70年代の政府は、まかり間違っても「18歳投票権」を認めはしなかったろう。

「戦後民主主義」で付与された諸権利が、徐々に剥奪されてゆく過程で、この島国の大方の国民は、無関心すぎたし、抵抗をすることもなかった。いま、9月の自民党総裁選挙を前に、なにも選択肢のない多くの心ある市民は、地団駄を踏んでいることであろう。だが、教訓から学ぼう。「小選挙区制」導入の時に流布された、嘘八百の流言飛語に騙された結果の今日の惨状から。「小泉改革」がもたらした格差(階級格差)の深刻さから。松下政経塾出身議員が全員信用ならないという冷厳な事実から。

そして市民を縛る法律の成立に熱心な「赤坂自由亭」の諸君は、一方で最高法規の「憲法」だって無視するし、何があろうと米国追従しか外交では主張を持たない連中であることを。そんな連中の「学級委員選挙」に興味を持てる人は、(失礼かもしれないが)まだ現実の惨状を直視する勇気が欠けている、方々かも知れない。

秋風が吹き始めた。大豪雨、殺人的猛暑から秋風に。お天道様はいつだって気まぐれだ。


◎[参考動画]首相、改憲2020年施行目指す 「9条に自衛隊明記」ビデオで決意表明(共同News 2017/05/03に公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大反響!『紙の爆弾』9月号

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

「カジノ法案」が先の国会で成立した。「IRなんとか」とぼやかしているようだけれども、主目的はカジノの解禁であることは間違いない。この議論に入る前に、「賭博」に関する日本の根本的不正義を確認しておくべきだろう。

◆刑法185条で「賭博は禁止」されているはずだが……

“賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処せられる”という刑法185条の明文規定がある。憲法を見返しても賭博についての言及は見当たらなので、原則的に日本の刑法では「賭博は禁止」だと、市民レベルでは解釈して良いだろう。だから「賭け麻雀」でも逮捕されるひとが出るし、競馬の「ノミ行為」や「野球賭博」はもちろん違法とされている。

け・れ・ど・も。どうして、競馬、競輪、競艇、オートレース、サッカー賭博、パチンコ、スロトマシーンなどが堂々と行われているのだろうか。

専門的な法解釈は、こういった場合「屁理屈」にしかならない。たしかに競馬や競艇、サッカー賭博を「合法化」する法制は準備されている。パチンコ、スロトマシーンについても同様だ。つまり、「胴元が国や国に上納金を収めると確約している、大規模賭博だけはやってもよろしい」という原則が、刑法で禁止されているはずの賭博を公認する原則として成立しているのだ。

刑法185条も例外を設け、常習性のない軽度の「賭け」には目くじらを立てないと、穏当な例外規定を設けている。家族や仲間内で少々のカネをかけて麻雀やトランプをやったからと言って、いちいち取り締まられていては庶民生活の潤いもなくなるだろう。そもそも、仲間内での「賭け」には「胴元」がいないから、誰かが負ければ誰かが勝つ、ある種の公平原則から逸脱はしない。

◆「公営ギャンブル」の基本的構造

他方「公営ギャンブル」は悪質である。宝くじ、競馬、競輪、競艇……。すべての「賭博」で、「胴元」は勝負の如何にかかわらず、最初から「儲け分」を抜き、その残りで当選者への払い戻し金額を算定する仕組みになっている。つまり、運営が維持できて一定数の顧客がいる限り「胴元が一番儲かる」のが賭博の基本的構造である。だから競艇の運営母体が「日本財団」などと偉そうな名前を名乗れるほど、ぼろ儲けが可能であるし、小口の「ノミ行為」や「闇賭博」が検挙されることがあっても、JRAの馬券売り場で馬券の購入や払い戻しを受けても、誰も捕まる心配はない。

要するに「悪いことは堂々と大きくやればやるほど」あたかも正当なように扱われ、法律まで整備されているのが、刑法で賭博を基本的に禁じている日本の素顔である。パチンコやスロットマシーンは「公営ギャンブル」ほど法律の保護が厚くないので、近年厳しい状況に直面している。パチンコ業界の状況については『紙の爆弾』が毎号連続してその近況を伝えているので、ご参考になるだろう。

◆「カジノ」ではみずからが「競技行為者」となる

そこへきて「カジノ」である。まず断言できるのは、カジノが出来ても、カジノで遊ぶ目的で、日本にやってくる外国人観光客は増加しないであろうことである(世界各地にカジノはあり、どこのカジノがどのようなサービスを提供するか、ユーザーは知り尽くしている。後進で規制の多い日本では「海外からの常連」を獲得することはできないだろう)。逆に現金を目の前で「賭ける」醍醐味に、これまで公営ギャンブルやパチンコ・スロットマシーンに通っていた人が、カジノに押しかける姿は想像できる。どうしてそんなことが言えるのか? わたし自身が相当「カジノ」には出入りした経験があり、その魅力も危険性も身に染みて体験しているからだ。

かつてわたしにとって「カジノ」へ行く行為は、「日本から離れ異空間にいる」ことをより強く実感することと重なる意味があった。ルーレットのテーブルに座り、100ドル紙幣をテーブルに置き、チップと交換する。経験のある方であればご理解いただけようが、その行為はパチンコやスロットマシーンで銀玉やコインと現金を交換する行為とは、まったく異なるリアリティーを抱かせる。

競馬、競輪、競艇などは他人(競技行為者)の優劣を予想するに過ぎないが、「カジノ」ではみずからが「競技行為者」となるのである。近年はゲーム機のようなコンピューター制御のスロットマシーンも増加したが、それでもディーラー相手のカードゲームやルーレットは、確率論と心理戦で勝率が大きく左右される。

大規模カジノは24時間営業で条件によっては、食事も無料、アルコールも無料である。「賭博好き」が入り浸らないはずがない。もうかなり昔だが、初めてラス・ベガスに貧乏旅行で立ち寄ったときに、「こんな街にいたら身ぐるみはがされる」と感じ数時間で別の街に移動したことを思い出す。その後少し懐に余裕が出来てから、あちこちの国でカジノに足を向けた。理性が働いているあいだ、つまり「自分はいくら負けてもよい」か、が認識できているあいだは、危険性はない。

◆胴元がいる賭博では、胴元が必ず儲かる

しかし、その「理性」は「射幸心」のまえで見事に崩れ落ちることを、過去あまたの有名人による、カジノでの大惨敗事件を振り返るとわかる。1980年「ハマコー」と呼ばれた故浜田幸一自民党議員はラス・ベガスにおいて一晩で4億6000万円負けて、当時ロッキード事件の黒幕といわれた小佐野賢治に穴埋めをしてもらっている。また大王製紙の前会長はカジノで負けた106億円をファミリー企業から借りて、有罪判決を受けている。

一度に賭けることができる金額は各々のカジノやそのテーブル、またはVIPルームにより異なるが、VIPルームでは一度(つまり数秒)のカードゲームで数百万円負けることは当たり前だ。賭け方によっては勝敗が1千万円近くになる。わたしはそんな金は持ち合わせないから、もっと少額のテーブルで遊んでいたが、額は違えど心理に変わりはない。

給与収入の数カ月分を一度の勝負で稼ぎ出せば、「理性」は揺るぎだす。「ビギナーズラック」ということばがあるが、ことカジノに関して、不思議なほど「ビギナーズラック」が訪れる場面をわたしは目にしている。しかし「ビギナーズラック」の真相は「ビギナーズアンラック」であることをのちに知る人が多い。

あらゆる賭博は、胴元がいれば、誰がいくら賭けようが、勝とうが、負けようが胴元が必ず儲かる。宝くじも同様だ。「サマージャンボ数億円」などと広告していても、みずほ銀行が手に入れる「上がり」はお調べいただければすぐにわかる。

「カジノ」が日本にできることに、実はわたしは反対しない。なぜならば、公営ギャンブルやパチンコと比較にならないほどの社会問題を誘発し、政府の目論見から離れて、治安問題へと発展するのが必定だと見るからだ。シニカルすぎるかもしれないが、そのカオスを日本政府は経験すれば良かろう。

わたしは本文でシニカルな意見を述べたが、山本太郎議員のこの質問に共感する。


◎[参考動画]【国会中継】山本太郎(自由党)【平成30年7月19日 内閣委員会】

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新『紙の爆弾』9月号

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

わたしたちは 忘れる能力と 覚える能力を 持っている 
『忘却と記憶』 何を忘れ 何を記憶し続けるか 
それによって生き方が 決まっていくように思うのです

書家、龍一郎先生の手になる、鹿砦社カレンダー8月の言葉だ。

書=龍一郎

8月は、6日、9日そして15日と戦争にまつわる「記憶されるべき」日が続く。「何を忘れ」、「何を記憶」できているだろうか。時代は、社会は、そしてわたしたちは、あなたは、わたしは。「記憶」は能動的な脳の活動で、「このことを覚えておこう」と決めれば、それを忘れないように「記憶」の刻む方法は様々ある。記憶力に自信がなければ大切なことばを紙に書いて、机の前に貼っておけばいやでも目に入るから、なかなか忘れにくいだろう。

他方「忘れる」ことは意識せずとも起こりうる現象だ。その対象に興味や関心、執着せねばいられない事情があれば「忘却」は起きないけれども、自分とあまり関係が深くないと(潜在的にでも)認識していると「忘却」はすぐにやってくる。そしてある種の心の傷に対しては、時間経過による「忘却」が、心理的な防御作用として機能もする。

いつだったか、知人と「戦争」のありさまについて話をしたことがあった。正義感の塊のようであった知人は「戦争」を概念としても、その細部も批判の対象とし、頭の固いわたしよりも、相当注意深く「戦争」を警戒しているようだった。しかしわたしの感覚はやや異なっていた。戦争映画や戦闘場面を記録した、あるいは演じた映画や映像は、戦闘のリアリティーをわたしたちに教えてくれていることは間違いない。けれども今日のハイテク化された戦争は別にして、前時の戦争は毎日、24時間が緊張の連続ではなかったのではないか。とわたしは反論した。

もちろん、1943年以降、国内でも日常が、急激に「戦争」めいたであろうことは知っている。空襲を受け、児童は疎開し、学徒動員まで至れば日々戦争の諸相に彩られていたことだろう。

だがその前、すでに日本が中国で戦争を始めていた1930年代はどうだったであろうか。あるいは真珠湾攻撃を受けた以後、終戦まで米国本国での「戦争」の日常とはどのようなものであったであろうか。おなじ「戦中」にあっても1943-45年の日本と、日本の1930年代や米国の終戦までの日常は大きく異なるのではないか。

遠くの戦場で兵隊は戦争をしているが、本国の市民は戦況を伝えるニュースに、一喜一憂することはあっても、大規模な徴用があるわけではなく、日々食べるものに困るわけではない(凶作による飢饉を除く)。街では夜遅くまで酒場が賑わい、娯楽もある。空襲などは想像もしないし、農民は日々耕作に精を出し、都市の給与労働者は毎日会社に通う。そんな日常だって「戦争中」の一断面である。一見戦争の悲惨さと無関係で、非対称のようなこのような「戦争中の日常」も、わたしは「忘れてはいけないこと」ではないかと感じる。なぜならば、70余年前の話としてではなく、今日時代は1930年代に極めて似た様相を、描き出していると感じるからだ。

もちろん日本はいまどの国とも戦争をしてはいない。けれどもあたかも「次に戦争」が待っているか(あるいは準備しているか)のように、法律も軍備も世論も根拠なく交戦的な方向へと移ろっているからだ。諸法制の戦争準備化については、あらためて述べるまでもないだろう。毎年5兆円を超える軍事費の高止まりも同様だ。世論はどうか?大きな書店に入って『紙の爆弾』が並べられている周辺の月刊誌を見まわしてほしい。どうしてここまで狂信的になりたがるのか、と宗教の匂いすらする右翼系の月刊誌が山積されている。

 

2018年8月8日付け弁護士ドットコム

そしてついに文科省は2020東京オリンピック期間中に「授業を避けてボランティアに参加しやすくするように」大学などに「通知」を出すまでに至っている。(2018年8月8日付け弁護士ドットコム

東京オリンピックでは、11万人のボランティアという名のタダ働きが酷使されることがようやく批判の的になってきたが、文科省が大学などに直接「授業はやめてボランティアを」と働きかけるのだ。形式は「通知」ではあるが、実質的には「命令」に等しい。ここに戦争へつながる「総動員」の事前訓練を見る、と感じるわたしは極端にすぎるだろうか。

小学生から、大学生、そしてもちろんスポンサー企業に関連のある労働者は、きょうも真面目に会社で自分に与えられた仕事をこなす。あなたの会社はなにを作っていますか?あなたの会社はどんなサービスを売りものにしていますか?あなたの勤務する東京都は都民の福利を重視していますか?オリンピックが至上命題のように仕事の軽重が逆転してはいませんか?そしてなによりもこの光景、どこかおかしいと疑う、気持ちの余裕はありますか?

あれよあれよという間に、中国戦線が泥沼化し、敗戦が必定な太平洋戦争に突入したとき、軍人の中にだって「この戦争2年なら何とか持ちこたえるが、それ以上責任は持ちかねる」と明言した海軍指揮官がいた。庶民一人一人の心の中はどうだったのだろうか。戦争をはじめるのは国家だけれども、戦争を遂行するのは庶民である。「何を記憶し続けるか」は人によって重要性が異なろう。わたしは「みんなで○○しよう」というのが嫌いだから、わたしの主観を読者に押し付けたくはない。ひとりひとりが考えよう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『紙の爆弾』9月号

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

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