8月8日沖縄県の翁長雄志知事が亡くなった。癌で入院し治療を受けていることは報道されており、先月27日に公の場所に姿を見せたときには、顔の肉もかなり落ちており病状の深刻さがうかがわれた。これほどの体調では、政府との厳しい対立や、次期知事選を闘うことが無理であろうことは明白に思われたので、「沖縄次期知事選に早急に候補者擁立を」を書こうかと思った矢先、67歳で翁長知事は逝去されてしまった。

沖縄県HPより

◆極右政党の代表選びなどより沖縄県知事選挙に注目

 

翁長知事が、台湾東部地震見舞金を贈呈(2月19日)

沖縄を除くと、知事選挙や国政選挙も「なにかが変わる」期待を抱かせてくれる機会ががぜん少ない。ましてや自民党の次期総裁選などに、わたしは全く関心がない。誰が自民党の総裁になろうが、どうせ期待できる変化など起きはしないのだから。安倍でも、石破でも関係ない。自民党内で抜き差しならない亀裂が起こり、自民党分裂か? とでもなれば少しは気がかになるかもしれないが、端からわたしと対局な人たちの集団が、代表選びで(それが不幸にも「首相」選びになってしまう)騒ごうが、揉めようがわたしにはまったく関心がわかない。

加えて自民党総裁選挙は、国民の権利たる投票権が与えられた選挙でもない。極右政党の代表選びに過ぎないのだから、あんなものを大きく報道する意味もよくわからない。「竹下派が自由投票にした」しようが、岸田が出馬しないだの、マスコミの政治部記者にとっては見押すことのできないトピックかも知れないが、この暗澹たる政治状況の中「自民党総裁選挙」どのような意味があるのかを、解説してほしいものだ。

それに対して、翁長知事逝去にともなう沖縄県知事選挙には、注目があつまろうし、わたしも度外視できない。名護市長選挙をはじめ、ここのところ、あの狭い沖縄県には中央からホットラインができたように、利益誘導の直撃弾が投下され、公明党の手の平返しにより、「ドミノ現象」が起こっている。沖縄の知事選は47分の1のできごとではなく、間違いなくマスコミがどのように伝えようがそれ以上の文脈で、国内外からの関心と影響を保持する。

◆「琉球新報」「沖縄タイムス」紙面の風向きが怪しい

 

安室奈美恵さんへの沖縄県県民栄誉賞表彰式(5月23日)

先に故翁長知事のお顔を写真で見たときに、「一刻も早く、次の候補者を擁立すべきだ」と考えたのは、もちろん翁長氏の健康状態が最大の原因であったけれども、理由はそれだけではない。近年「琉球新報」や「沖縄タイムス」の紙面には、登場する必要のない人物らが顔をだすようになり、どうも風向きが怪しいのだ。

沖縄には弁の立つ論者が少なからずおり、彼らこそが「識者談話」を寄せればよいものを、どうしたわけか、わたしからみれば、ほとんど「沖縄」の将来に寄与するとは到底思えない人物たちの登場回数が増している。具体名はあげないが、SNSを中心に本末転倒な主張を展開する、「あの一派」と言えばお分かりいただける方にはご理解いただけるであろう。たまに沖縄に足を運んで「琉球新報」や「沖縄タイムス」を読んでいると「おい、大丈夫か」とイライラすることがある。

◆現場の危機感は増すばかり

まあ、そんなことは表層的な出来事ではある。が、翁長県政を成立させ、稲嶺名護市長を当選させながら、結局のところ、沖縄は日本政府に押しまくられている。もちろん、辺野古で、高江で粘り強い闘いが諦めることなく継続され、全国からの注目や支援も途切れてはいない。けれども県政や知事、市長に基地増設反対派が当選しても、全国から機動隊を動員して、工事は止まらないし、現場の危機感は増すばかりだ。

その背後には他の地域と異なり、極めて順調な沖縄経済の成長があるのではないか、と想像する。この数年で沖縄島に、どれだけコンビニエンスストアが林立したことか。イオンモールが何件オープンしたことか。沖縄を訪れる観光客は年々増加の一途で、空港に到着してからレンタカーを借りるまでの待ち時間は、訪れるたびに長くなっている印象がある。

◆沖縄の自然は美しい。でも、30年ほど前は「もっと美しかった」

 

平成30年沖縄全戦没者追悼式(6月23日)

もちろん沖縄の人々が観光業で潤うのは、結構なことではあるが、沖縄の観光資源は、第一に「美しい自然」であろう。怒涛のように訪れる観光客はエメラルドグリーンの海に、全身日焼け止めを塗りたくって身を沈める。最南端から最北端まで1日あれば悠々移動できる、沖縄島の幹線道路の渋滞は毎日だ。

そして、何よりも気がかりなのはかつて全国1位だった沖縄の寿命が、年々そのランクを下げていることだ。1975年全国1位だった平均寿命は、その後下降の一途をたどり、2017年には35位にまで落ち込んでいる。

様々な分析があり、簡単に結論は出せないが、食生活と生活様式の変化が何らかの影響を与えていることは間違いないだろう。さらに「基地だよ、基地。復帰の時からどれだけ負担が減ったの? 増えてるじゃない。いまは全国の77%だよ」と米軍基地の負担を理由に挙げる県会議員もいる。

[資料]都道府県別にみた平均寿命の推移(PDF)
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/tdfk15/dl/tdfk15-03.pdf

沖縄の自然は美しい。でも、30年ほど前には「もっと美しかった」と当時を知る人は異口同音に語る。経済成長は結構だけれども、それで人々の寿命や、自然の美しさが消えてしまったら、なんの意味があるだろうか。

沖縄を汚さないために、今後はなるべく沖縄に足を踏み込むことはやめにしよう、と昨年考えた。だが沖縄への注視をやめるわけではない。何の興味もわかない極右政党と代表選の何倍も沖縄知事選には注意を注ぐ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新『紙の爆弾』9月号

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

8月6日、本通信にわたしは明日8月9日「長崎の日」に対してずいぶん冷淡な記事を書いた。わたしは8月9日長崎の手触りを知らない。空気を知らない。どんな会話が交わされたのかも知らない。1945年8月6日の広島について、8月9日の長崎と比すれば桁違いの逸話を聞かされていた、例外的少数の感想とご理解いただければ幸いだ。

であるからといって、8月9日の重要性が1ミリも揺らぐものではない。今日中心となっている「プルトニウム型原爆」が投下されたのは、長崎が歴史上はじめてであったのだから(広島に投下されたのは「ウラン型原爆」である)。さらに我田引水を読者諸氏に強要すれば、長崎もわたしにとっては無縁な街ではない。

◆造船技術者だった祖父の長崎

わたしがなぜ、いま生命体として存在できているのか。その大きな理由の一つは、わたしの祖父が造船技術者で、徴兵されることがなかったことに由来する。生前祖父は「旧制高校時代の同級生はほとんど戦死した」と語っていたので、仮に祖父が造船技術者でなければ、祖父も中国戦線(もしくは他のアジア地域)に送り出され、戦死していた可能性が高いだろう。

祖父は1945年8月6日には広島にいた。が、その前の赴任地は長崎であった。戦況と会社都合で造船所のある場所を頻繁に転勤していたそうだ。祖父逝去後、長崎に居住していた頃、家族が住んでいた場所を訪れたことがある。軽自動車も通ることができない細い急勾配の斜面に、古くからの住宅が並んでいた。25年ほど前だが斜面の細い道を上っていると、宅配便を運んでいる馬とすれ違った。

高齢ながら健脚だった祖母が、周りの景色を記憶していて、かつての居住地にたどり着くことができた。いま(25年前)でも馬が運送に使われるような細道であるから、当然わたしの親族が暮らしていたころは、人力が主たる運搬手段だったのだろう。その場所は周りの古い建物と同一ではなく、空き地になっていた。

海からさほど遠くはないが海抜は100m近くあるだろう。空き地に育った雑木の間からは長崎市内が見渡せる。おそらく戦中からの建物と思われる住宅も多数見当たったので、その場所は原爆被害を直接には受けはしなかったと思われる。

◆愛国婦人会だった祖母の「反戦思想」

生前の祖母は、軍国主義真っただ中の時代を生きたとはいえ、かなり冷めた目で時代を見ていたようだった。「愛国婦人会」のタスキをかけて集合写真に写っている祖母は、おそらくは当時一言も口にしたことはなかったろうけれども、激烈と表現してよいほどの「反戦思想」の持ち主だった。

政治思想に明るいわけではないけれども、祖母の残した日記には、戦争中の有り様を思い返し、二度と戦争を起こしてはならないことを、何度も書き綴っていた。そして日本ファシズムの元凶が天皇制にあることを指摘し、「『君が代』に変えて国歌を提唱する」とし、日本の自然風景の豊かさを詠んだ独自の「国歌」試案までが綴られている。

「男は本当に喧嘩や戦争ばかりしたがるね」

生前祖母は嘆いていた。でも2018年8月9日、「喧嘩や戦争をしたい」とは明言しないまでも、戦争に向かおうとする勢力を選挙で支持する女性も少なくなくなった。かつては選挙権すら与えられなかった女性の中から、「八紘一宇」を称揚したり(三原じゅん子参議院議員)、死刑を13名執行したりする人間(上川陽子法相)が続出している。

男女同権は、「男権」の負の遺産を女性が引き継ぐことを指向したのではなかっただろうに、祖母が生きていればなにを語るだろうか。

◆今年は国連事務総長が初めて長崎訪問へ

そして「核兵器禁止条約」にどうして、2度の原爆を投下された、日本政府は参加しなかったのか。核保有国やNATO各国が嫌がるであろうことは理解できる。けれども明確な攻撃目標として非戦闘地域に「原子爆弾投下」を2回も受けた日本政府が参加しなければ、核廃絶に向けて世界が動き出せるのか。「ああ、また日本は米国追従だ」と世界中の4000を超える言語で日本の「不可思議さ」は呆れられていることだろう。

田上富久長崎市長は例年、祈念式典でまっとうなメッセージを発している。スピーチライターが広島と長崎で少しだけ細部を変え準備した原稿を、棒読みする安倍とは違い、踏み込んだ発言が世界から注目される。今年の8月9日は国連事務総長が初めて長崎を訪問するという。形式的にしろ、歓迎すべきことであろう。

あらためて、いまを生きる若者と、後世の人類、そしてすべての生物のために、核兵器、核発電は一刻も早く全廃するように、亡き祖母とともに、微力を承知で呼びかける。


◎[参考動画]2017年8月9日の長崎平和宣言 長崎平和祈念式典(yujiurano 2017/8/9公開)


◎[参考動画]Atomic bombing of Nagasaki (BBC Studios 2007/7/24公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新刊!『紙の爆弾』9月号

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

 

本日発売!月刊『紙の爆弾』9月号

本日7日発売の『紙の爆弾』9月号にジャーナリストの黒藪哲哉氏が〈三宅雪子元衆議院議員の支援者“告訴”騒動にみるツイッターの社会病理〉を寄稿している。この問題はデリケートであるので、これまで何回か書こうか、書くまいか思案していたが、同記事が世に出たこともあり、私見を開陳したい。

◆多発するSNSの副作用

黒藪氏の記事では〈ツイッター〉だけに限定されているが、Facebook、インスタグラムをはじめとする各種SNS、さらには動画配信や中継機能が手軽に伝えることになり、思わぬ副作用が多発していようだ。

これらの媒体は宣伝や広告として利用すれば、商売や市民運動など、目的を持った団体らには、非常に低コストで便利な情報伝達ツールとなる。現に「デジタル鹿砦社通信」もツイッター経由でお読みいただいている読者が多数であろうし、それをリツイートしていただくことで、わたしたちの原稿を読んでいただける可能性が広がる。十分に使い切れているかどうかはともかく、本通信もツイッターに一定程度依拠して拡散を期待している。ポイントは本通信のように購読は無料であっても出版社の発信の一環として利用されようが、商品の宣伝を行おうが、あるいは、まったくの個人がなにを書こうが、利用料金は「無料」であることである。

ツイッターには利用規約があるが、これは「契約」ではないから、ツイッター社も利用者も、双務的な責任や義務を負わない。ツイッター社は好き勝手に規約を変えられるし、規約違反とみなせばアカウントを凍結したり、ブロックすることができる。その基準は一応示されてはいるけれども、実際は厳格なものではない。

◆ツイッター社は一民間企業である

わたしはツイッター利用者ではないが、本原稿を書くにあたり、過日アカウント作成の実験をしてみた。どういうわけか、日本語ではなく英語のアカウント作成画面が表示され、指示通りに必要事項を記入していったらアカウントは出来た。そこで試しに「やったね」、「さすがだね」、「ざまあみろ」と多義的にとらえられる短い英語のフレーズを書き込んだ。誰に向けてというわけではない。

翌日再度確認しようとアカウントを開こうとするも、「あなたはロボットですか?」という英語の問いが返ってくるばかりで、アカウントにログインできない。説明文章を読むとどうやら1つ書き込んだだけで「凍結」されてしまったようだ。

こういう理不尽な出来事があることは、利用者から多数耳にしていたし、前述の通りツイッター社は公的サービスを提供しているわけではなく、一民間企業に過ぎないから、公平にサービスを受けられなくても仕方がないのだろう、と実感した。

◆「ツイッター仕様」の思考という病理

最大の問題点は「無料」で、誰もが利用できるサービスなので、他者のチェックなしに、不用意な書き込みが横行する宿命を負うことである。しかもツイッターは141文字の中でなんらかを表現したり、述べたりしなければならない制限があるため、勢い論理ではなく感情が先行する書き込みが増える。あるまとまった考えなり意見を述べるのに、141文字は少なすぎる。新聞の一番小さい記事がどのくらいの文字数があるか比較されるとわかりやすいだろう。小さな事故や地震などを扱う記事や、訃報などを除いて、100文字以下の記事はそうは見当たらない。

事実を正確に(5W1Hを含め)伝えようとすると、最低数十文字を要するので、それについての意見や論評を加えようとすると、141文字では不足する。のであるが、ツイッターを利用している方は、利用頻度が高いほど141文字内での発露技術が磨かれる。技術と同時に、思考の射程距離も141文字で完結させるようにトレーニングされてしまう。もちろんほかに複雑な出来事は日常生活に溢れているのだから、ツイッターを使っているからと言って思考が短絡化するとわけではない。しかしツイッターに向かい合ったときは「ツイッター仕様」の思考へと自然に脳のスイッチが切り替わる現象が起こってはいないだろうか。

さらに重大な問題点は、過度にツイッターへ依拠し過ぎることの危険性である。課金されたいだけに、依存傾向に陥るとなかなか抜け出すことができない。黒藪氏が取り上げた三宅雪子元衆議院議員にもそのような傾向がみられるという。

たしかに数多くのひとびとがツイッターを利用し、その閲覧は公開されているものであればアカウントを持たない人でも可能であるので、手軽な発信手段ではある。しかし「この人がこんなひどいことを平気で書くのか」と見て呆れるような書き込みにぶつかることは少なくない。それが社会問題化することまであり、ツイッターが原因で民事、刑事事件にまで発展してしまう事例も他人事ではない、と黒藪氏は警鐘を鳴らしている。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

本日発売!月刊『紙の爆弾』9月号

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

◆「正史」の嘘くささ

戦国大名の功罪や、古代遺跡などに、とんと興味がわかない。それだけではなく「歴史」と名付けられ、教科書にかかれて教えられると、多少はみずからに無関係ではない、と感じていた出来事にも、とたんに興味を失う。

その理由は、暗記教育を中心とした「歴史」にたいして、わたしの脳が充分に対応することができなかったことが第一であるが、次いでの理由は公教育で教えられる「歴史」がつねに、すべからく「勝者」の側からだけ描かれた「正史」に偏っていたことも原因だろう。嘘くさくて面白くないのだ。

恥ずかしい話だが、近現代から逆に中世、古代へ関心を抱いたのは、教科書には書かれていない史実、いわば「外史」(あるいは「叛史」)の断片に触れて以降であった。

また、すでに半世紀以上だらだらと生きてきた中で、わたしが「見聞きして知っている」ことがらが、「歴史」として「記憶」から「記録」へと置き換えられるような体感を近年とみに痛感する中で「歴史」に向かい合うべき、みずからとはどうあるべきなのか、という命題と逃げ道なく直面している。「おいおい、ちょとまってくれ」と強く感じる。もうわたし自身が「歴史」にされそうな息苦しさ。誇張ではない。

◆8月6日を「歴史」の教科書の中に、穏やかに鎮座させてもらっては困る

70何回目か、回数はもはやどうでもよいだろう(このあたりですでに「歴史」と向き合う命題から逃げているのかもしれない)。8月6日がやってきた。もちろんあの日の朝、広島にわたしがいたわけではない。でも、あたかもあの朝何が起こったのかを、みずからの「記憶」として語り尽くせるほどに、わたしには祖父母、叔父叔母、母親からの聞いた無数の「記憶」蓄積がある。

爆心地近く、数キロ先、やや郊外と視点は複数であり、その眼の持ち主の年齢も児童から成人までバラバラだ。むしろ、だからこそ、わたしは映像でしか知りえないはずの光景を、二次元や触感のないものとしてではなく、ホコリや、死体の姿、そこに漂う匂いやひとびとの呆然とした表情を体感したかの如く、錯覚し、思い描き語ることができるのだ。建物が壊れる音も実際に聞いたようにすら感じる。

たしかに、その一部は記録を通じてわたしが「記憶」したものとの混同もあろう。それは認めなければならない。しかしながら、わたしにとっては8月6日を「歴史」の教科書の中に、穏やかに鎮座させてもらっては困る、という意識が動かしがたいのだ。さらに偏狭な心中を告白すれば、わたしにとっては8月6日と8月9日も同一のものではない。8月6日にはいくらでも語ることができる細部があるが、8月9日については、第3者的な伝聞情報しか持ちえない(もちろん、そのことが8月9日の意味を減ずるものでは、まったくない)からだ。

◆肉感をともなった「外史」の編纂は不可能か

では、「記憶」や「体験」によってしか「歴史」、なかんずく勝者や権力者が描く「正史」に対抗する、肉感をともなった「外史」の編纂は不可能なのであろうか。「日本史」や「世界史」の教科書に収められたとたんに色あせる、あの「記憶」から「記録」への置き換えに対抗する術はないものか。時間の経過と比例する「記憶」の減衰は、いたしかたのないこと、として過去から現在、そして未来永劫甘受するしか方法はないのか。

「記憶」の「記録」、言い換えれば現象や体験の無機質化に対抗するすべは、おそらくある。それは「正史」支持者が常用する手法を凝視すれば、手掛かりが見えてくる。「歴女」などという奇妙な言葉があったではないか。「歴史好き」な女性を指す、奇妙な造語だ。彼女たちの多くは、倒幕の功労者や、戦国時代の大名を中心に興味を持っていたと報じられて「へー」と半ば、呆れた記憶がある。間違っていれば申し訳ないだが、彼女たちの多くは「樺美智子」、「2・1ゼネスト」、「大杉栄」、「琉球処分」、「シャクシャインの闘い」などに興味や関心はわかないことだろう。

8月6日がおさまりよく、「歴史」の教科書の中に封印されることを拒否するために、わたしはあの日、あの朝広島にいた者の、直系親族として8月6日広島を「記録」にしないために輪郭を残そうと思う。それを可能たらしめるのにもっとも有効であるのは、広義の芸術であろう。実証的な数値をいくら読み上げても興味のない世代には訴求しない。そのことはこれから、否すでに健康被害を受けている可能性が少なくない若年層に放射能の危険性が、ほとんどといってよいほど訴求しない現実を直視すれば理解されよう。

活字は厳しい、音楽はあいまいに過ぎる。受容可能性が最も高い伝達術は、視覚への訴求であろう。映像やアニメーションだ。日本政府は例によっての愚策、“Cool Japan”との耳にするのも恥ずかしい、的外れな外国への宣伝プロモーションに無駄なカネを使ってきた。その中には「アニメーション」も含まれている。日本のアニメーションの評価はたしかに高い。政府の援助などなくとも世界中に訴求する。ドキュメンタリーでもいい。「記憶」を封印させないために8月6日を正面に据えた、ドキュメンタリーやアニメーション(これまでもなかったわけではない)が、次々とうまれ、世界に浸透していく……。連日最高気温が38度を超える夏の日に、そんな幻を妄想する。


◎[参考動画]In this Corner of the World(映画『この世界の片隅に』片渕須直=監督・脚本/こうの史代=原作)Hiroshima Bomb scene 1945 https://konosekai.jp/


◎[参考動画]Hiroshima atomic bomb: Survivor recalls horrors(BBC News 2015/8/5公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

8月7日発売!『紙の爆弾』9月号

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

もし、あなたが、いずれかのがんと診断されていて、その部位の「がん治療に抜群の実績を上げている先生がいる」と聞いたら、どうなさるであろうか。「一度診てもらおう」と考えるのは、ごく自然だろう。だが、遠路はるばるその病院を訪ねたのに、肝心の担当医や術法が、事前に期待していたものと違ったと「あとになって」知ったらあなたはどう感じるだろうか。

8月1日、4名の患者及びその遺族が、滋賀医大附属病院泌尿器科の河内明宏科長と成田充弘医師を相手取り、440万円の支払いを求める損害賠償請求を大津地裁に起こした(事件番号平成30わ第381号)。13時に予定されていた提訴前には大津地裁付近に一部原告や支援者65名と弁護団が集まり、猛暑の中大津地裁玄関前まで井戸謙一弁護団長を先頭に“怒りの行進”を敢行した。

8月1日、猛暑の中大津地裁玄関前まで井戸謙一弁護団長を先頭に“怒りの行進”

◆前立腺がんの治療法「岡本メソッド」

ことの発端は滋賀医大附属病院の岡本圭生医師らが開発した「岡本メソッド」とも呼ばれる、前立腺がん治療に極めて効果の高い「小線源治療」に起因する。前立腺がんの治療法には、前立腺全摘出、放射線外照療法、放射線組織内照射療法、ホルモン療法などがある。岡本医師は低線量のヨウ素125を前立腺に埋め込み留置する永久挿入密封小線源療法を確立し、多数の患者に施術してきた。

これまでの実施件数は1000件を超えているが、注目を浴びるのは、がんで最も恐れられる再発の割合が卓越して低いことだ。前立腺がんは「低リスク」、「中間リスク」、「高リスク」と分類されるが、岡本メソッドの治療を受けた患者の5年後のPSA非再発率(がんが再発しない確率は、「低リスク」で98.3%、「中間リスク」で96.9%、「高リスク」でも96,3%と、極めて優れた結果を残している。素人感覚で言えば「ほとんど再発しない」と安心できる数字と言えよう。

評判は評判をよび、岡本医師のもとには全国から救いの手を求めて患者が殺到したのも頷ける。原告ならびにその遺族は、いずれも2015年に前立腺がんの罹患が判明し、滋賀医大附属病院泌尿器科を受診した方々だ。それぞれ事情は異なるものの、いずれの方々も岡本医師の治療を期待して、滋賀医大附属病院に足を運んだが、診察に当たったのは岡本医師ではなく、成田医師であった。

◆患者たちは「モルモット」だったのか?

しかしながら成田医師も岡本医師の指導のもと「小線源治療」の実績のある医師であろう、あるいは、岡本医師の指示を仰いでいるであろうと考え通院を続けていた患者たちは、のちにあっけにとられることになる。

岡本医師による「小線源療法」は2015年1月に放射線医薬品会社「日本メジフィジックス」(NMP社)の寄付(年間2000万円)を受けて、「小線源治療学講座」が開設されており、岡本医師の治療を受けるためには「小線源療学講座外来」が窓口であり、泌尿器外来では「小線源療法」を受診することはできなくなっていたのだ。しかしそのような内情を一般外来患者が知る由もない。

社会通念に照らせば、岡本医師の受診を希望する、もしくは「小線源療法」を希望する患者は「小線源療学講座外来」に案内されるべきであるが、そうではない事例が複数発生した。

23名の患者は泌尿器科で成田医師の治療を受診し続けたが、のちに

① 成田医師は「小線源療法」の未経験者であり、「小線源療法」についての特別な訓練を受けたこともないこと、

② 滋賀医大附属病院では2015年春ころから、「小線源療学講座法」とは別に泌尿器科でも「小線源療法」を実施する計画をたてて、同病院に「小線源療法」を希望して来院した患者のうち、紹介状に「小線源治療学講座」や岡本医師の特定記載がなかったものを「小線源治療学講座」に回さないで、泌尿器外来で診察。それ以外にも「小線源療法」が適切であると判断した患者も「小線源治療学講座」に回さず、同年末までに原告を含み23名の患者について、泌尿器科において成田医師が、「小線源療法」を実施する具体的計画を立てたこと、

③ ところが成田医師は外科手術、特にロボット手術が専門であり、「小線源療法」は未経験であったこと、

④ その計画をしった岡本医師が滋賀医大学長に直訴し、その結果2016年1月、病院長の指示で23名の主治医が成田医師から岡本医師に変更されたこと、

が判明する。

ここへきて患者たちは自分たちが「モルモット」にされようとしていた現実を知ることになる。成田医師も「小線源療法」の専門家か、もしくは岡本医師の指導を受けているかと思い込んでいたら、まったくそうではなく、無謀にも成田医師は経験のない「小線源療法」を実施しようと計画。それを知った岡本医師が危険性に気づき学長に直訴した結果、無謀な施術だけは回避されたが、患者たちが失った回復の機会や、不要な治療による副作用そしてなによりも同病院泌尿器科への不信感は現在も患者たちを苦しめている。

◆「小線源療法」ではなく「ホルモン療法」だった

記者会見に臨んだ原告のひとりは、「私が望んだのは『小線源療法』だったが、私が受けたのはホルモン療法だった。1年に渡るホルモン療法のために不眠や、体に力が入らないなど様々な副作用に苦しみ、今後心筋梗塞や脳血栓の可能性が高まったと言われている。成田医師からは彼が『小線源療法』の経験がないことを聞いたことがなかった。『この施術は未経験です』と言われて『はいそうですか』という患者はいないだろう。河内医師は泌尿器科には『小線源療法』の経験がないのに23名の患者を囲い込みを行った。患者は『自分の病気を治してほしい』と思って病院にいく。にもかかわらずその施術では素人同然の医師にされかけていたと知って驚愕した。肉体的精神的に大きなダメージを受けた。患者が医師を信頼することなしに医療は成立しないだろう。真っ当な関係が成立するように訴えたい」と語った。

思いを語る原告男性の胸には“PATIENTS FIRST”。滋賀医科大学小線源治療患者会の缶バッチが

弁護団長の井戸弁護士は、この提訴の意義について「23名の怒りと憤りを強く感じている。背景には医療界の『古い体質』があるのではないか。どう考えても『患者第一』に考えているとは思えない事件だ。医療界の『古い体質』を放置せず、日本の医療界があるべき方向に向かうきっかけになれば」と語った。

患者会代表幹事の奥野謙一郎さん(左)と井戸謙一弁護団長(右)

7月30日付けの朝日新聞でこの問題が掲載された。すると滋賀医大附属病院はHP

 

 

と全面対抗の姿勢を打ち出している。すくなくとも訴状をよみ、関係者の話を聞いた限りでは塩田浩平学長のコメントは、開き直りにしか聞こえない。滋賀医大附属病院全体が問題だらけの病院であると原告は指弾しているわけではない。あくまでも泌尿器科の不誠実かつ患者に対する背信行為を問題にしているのだ。

滋賀医大附属病院泌尿器科受付前に掲げられている担当表

この問題では6月に「滋賀医大小線源患者の会」が発足し、わずか1月余りで会員数は600名を超えている。それほどに岡本医師の功績や彼への信頼が厚い証拠であろう。ところが滋賀医大附属病院は2019年に現在特任教授である岡本医師の首切りまで画策している。前述の通り「小線源療法」は前立腺内にヨウ素125を埋め込むので、当然経過観察が必要だ。しかし、安心・信頼して経過観察を任すことのできる医師の存在まで滋賀医大附属病院は患者から奪ってしまおうと画策しているのだ。
患者の怒りと不安は至極当然であろう。

引き続きこの問題は注視してゆく。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

7月26日オウム真理教の元幹部6人に対する死刑が執行された。 林泰男氏、豊田亨氏、広瀬健一氏、岡崎一明氏、横山真人氏、端本悟氏である。これで13人いたオウム真理教関連の死刑囚は全員が処刑された。


◎[参考動画]オウム13人全員の死刑執行(ANNnewsCH 2018年7月26日放送)

「死刑に対するわたしの考え」は、以前本通信で述べたので繰り返さない。別の観点からあの時代を振り返り、オウム真理教とはなんだったのか、簡単に答えが出るものではないけれども少し考えてみたい。YOUTUBEには当時のテレビ映像がいくつもアップロードされている(法的には違法だそうだが、その問題は横に置く)。その中に「朝まで生テレビ」で4時間にわたりオウム真理教と幸福の科学が出演している映像があった。オウム真理教からは麻原彰晃氏、上祐史浩氏ら幹部が、幸福の科学は景山民夫氏ほか幹部数人が出演している。その他の出演者は、西部邁氏、大月隆寛氏、島田裕巳氏、石川好氏などである。

まず、印象深いのは番組の冒頭で司会者が「モノとお金が溢れるこの豊かな時代に」とのフレーズを何度も繰り返していることだ。収録は1991年だからいまから27年前だ。今日、2018年に同様な番組が製作されたら「モノとお金が溢れるこの豊かな時代」と時代を描写する表現が用いられることはないであろう。四半世紀のあいだに日本は実感としても「モノとお金が溢れる豊かな時代」ではなくなったことは大きな変化だ。そしてオウム真理教だけではなく、「宗教ブーム」とよばれるほど、若者が精神世界や非物質的世界に興味を示し、かつ行動(入信)する現象は、「モノとお金が溢れる豊かな時代」だったからこそ生じたのではないかと感じる。


◎[参考動画]テレビ朝日1991年9月28日放送 朝まで生テレビ「激論!宗教と若者」

「朝まで生テレビ」をはじめ、いくつか麻原彰晃氏や上祐史浩氏が出演する番組を見た。意外な発見があった。オウム真理教の教義や、修行の様子は、素人目にもかなりインチキ臭く、怪しさに溢れているけれども、彼らが他の出演者と交わす会話は、実に理路整然としており、とくに上祐史浩氏の弁舌は筑紫哲也氏や、有田芳生氏、江川紹子氏などを凌駕している。また刺殺された村井秀夫氏の語り口も同様にわかりやすい。ヨガを出発点にしたオウム真理教は、麻原彰晃氏の個性と彼の実に巧みな組織拡大戦略が、功を奏して短期間で1万人以上の信者を抱える宗教に成長した。その脇には、凡庸なテレビ出演者などとの議論では、一歩も引けを取らない「ディベート技術(能力)」を備えた極めて優秀な幹部の存在を無視することはできないであろう。

それに対して「朝まで生テレビ」で西部邁のダラダラぶり、大月隆寛の的の外し方が逆に際立っている。のちにこの二人は「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーとなり、その主張が、今日の「幸福の科学」と、うり二つに変遷していったのは、偶然ではあろうが、まったくオウム真理教の本質に肉薄できていない(西部は露骨にオウム真理教に興味を抱いている姿も印象的である)。

その点で91年当時「幸福の科学」幹部が語る自らの正当性は、実に薄っぺらであり、我田引水が多く、聞いていて頷かされる場面はない。景山民夫氏の語る「善行を行うのがためらわれる時代への問題意識」にしても、なにも「幸福の科学」でなければ解決できない課題ではない。議論全体に根拠が薄く、みずからの「思い込みを断定的に語っている」印象を強く受ける。大川隆法氏にしても、語りが上手であるとは言い難い。神であろうが仏であろうが、歴代の有名人の霊を下ろしてきて話をさせる手法の出版物は、相変わらず上々の売れ行きであるようだが、あまりに節操がなく、少なくともわたしにたいしては、まったく説得力がない。

わたしにとっては、繰り返すがオウム真理教の教義や修行の姿(映像で見る限り)は、滑稽の極みであり、何の魅力も感心もわかない。しかし約30年前には多くの高学歴の若者が大挙して出家信者として入信し、果ては国家転覆までを企図するに至った力の終結の源はなんだったのか。北野武が喜んで麻原彰晃氏と笑談している映像もある。


◎[参考動画]北野武×麻原彰晃 対談映像「たけしの死生観、麻原の仏教観」

「朝まで生テレビ」におけるオウム真理教と幸福の科学の対比は、オウム真理教は「確信に満ちた運命共同体」であるのに対し幸福の科学は、あくまでも世俗の宗教の域にとどまっていることであろう。今日、幸福の科学は極めて反動的で、自民党も喜びそうな政治的メッセージを多く発している。「幸福実現党」の選挙における成績は、まったく芳しくないが、地方都市のあちらこちらに創価学会のように立派な建物が出来上がっている。沖縄では綺麗な海沿いに幸福の科学の建物があり、リゾートホテルかと見間違うほどだ。

つまり、幸福の科学はその名の通りいくぶん「科学」的な時代のマーケッティングに、長けており、一見特異、過激な主張をしているようでも、既成の法体系、国家の枠から逸脱することが勘定には合わないことを理解している集団であろう。対するオウム真理教は出発当初には仏教に基本を置き、ヨガの修行などを中心としていたが、麻原彰晃がどうしたことか「ハルマゲドン」などと言い出したので、もとより現生(現世)利益を捨て、物質拝金文明を嫌っていた信者は、急激に精鋭化した。象の帽子をかぶり女性信者が踊っていた選挙戦は、どう見ても当選が見込まれるものではなかったが、あの選挙で麻原彰晃氏は「勝てる」と本気で考えていたようだ。既にその時点で大いなる錯誤が発生しているのと同時に、彼らは「国家を敵」だと認識し始めたことだろう。


◎[参考動画]オウム真理教 潜入!第4サティアン

主義主張の如何を問わず「国家は敵」である意識は、集団を精鋭化し、構成員が信者ではなく、「兵士」に変わりうる可能性を持つ。仮にではあるが、麻原彰晃氏の解くイデオロギーや現状認識が、あれほどに荒唐無稽ではなく、一定数の一般人にも受けいれられる理論であれば、彼らの企てた「国家転覆」や「無差別テロ」は「革命」という名に取って代わられていたかもしれない。しかしオウム真理教はハード面での武装の進展とは逆に教義はますます混乱を極めてゆく。行く先は圧倒的な弾圧しかないと悟ったとき、彼らが破滅覚悟で敢行したのが「地下鉄サリン事件」だったのだろう。

では、いまオウム真理教の残党である「アレフ」は危険であろうか。わたしはそうは思わない。オウム真理教には麻原彰晃氏の教示が不可欠であり、麻原彰晃氏なきオウム真理教は力を持たない。


◎[参考動画]オウム真理教はいま 教団元最高幹部が語る 上祐会見(2018年5月23日公開)


◎[参考動画]オウム 秘蔵!初対決 江川氏VS上祐氏 衝撃の瞬間

それよりも、わたしたちは重要な見落としをしていないだろうか。麻原彰晃氏に比しても、荒唐無稽さでは引けを取らない人間が長く最高権力者の座に居座ってはいまいか。法治国家では最高法規の憲法を「解釈改憲」などとクーデター的に実質無化する輩が君臨してはいまいか。軍事費を毎年増額し、軍事国家化を着々と進める予算に直面してはいないか。国会における与野党の議席構成はどうだ? 与党と明確に非和解な政党は存在するか。若者はなにに熱中しているのだろうか。あるいはもう若者は「熱中」することを忘れたか。そこに「HINOMARU」などという曲をひっさげた人気バンドが登場して、コンサートで浮かれてはいまいか。破綻が確実な国家財政を度外視して、目先の利益確保を11万人の「タダ働き」(ボランティアというらしい)でアウブヘーベン(止揚)を試みる五輪という大儲けのショーを東京の殺人的暑さの下で行おうとはしていないか。原発4機爆発事故を経験しても、あらかた忘れてしまってはいないか。

わたしたちは、気が付かないうちに「国家真理教」に入信させられてはいないだろうか。


◎[参考動画]村井秀夫が語った阪神人工地震(TBS 筑紫哲也のNEWS23)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

M君リンチ事件の真相究明!!

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

 

2018年7月22日付け福井新聞より

7月22日の京都新聞は1面トップで〈「原発テロ備え大型巡視船 海保、来年度から福井に2隻配備〉の大見出しで、以下のように報じている。〈原発のテロ対策を目的に、海上保安庁が2019年度から順次、15基の原発が集中立地する福井県に大型巡視船2隻を配備することが21日、関係者への取材で分かった。東京電力柏崎刈羽(新潟県)、中国電力島根(島根県)といった原発での有事にも対応可能で、日本海側の要にする。今後、同規模の巡視船を全国に展開してゆく方針。〉だそうである。(注:太文字は筆者)

◆国際的には笑いものになりかねない頓珍漢

こういう政策を日本語で「愚策」または「頓珍漢」という。まず巡視船が「原発での有事にも対応可能」ではないことは、柏崎刈羽原発の事故や、言わずと知れた福島第一原発事故で明らかだ。原発での有事=事故が起これば、海上保安庁の巡視船など、一切役には立たない。原子炉に直結しない部分で火災が起きたときも、海上保安庁ましてや、大型巡視船はなんの役にもたたない。そもそも「原発テロ」と、問題を設定しているけれども人間の意志とは無関係に、機械の故障や、地震、津波などで大災害が起こることをわたしたちは経験しているだろうが。2011年3月11日福島県沖に大型巡視船が、待機していたらあの事故は防げたのか? 防げずとも少しは被害の程度をマシにできたというのか?

 

海上保安庁のPL型巡視船艇。PL型(Patrol Vessel Large)とは700トン型以上の大型巡視船。ヘリ甲板を設けた巡視船が増えつつある(海上保安庁HP)

大型巡視船を若狭湾に浮かべて、誰(なに)から原発を「守る」つもりなのだろうか。韓国か、朝鮮か、中国か? あるいは遠い国から船に乗ってくるどこかの「国際テロ」集団からか。いくら猛暑日が続いていて、正常な思考が難しくなっているからと言って、冗談や、寝言は家の中だけにしておいてもらわないと困る。こういう間抜けなことをしていると必ず国際的には笑いものになるだろう。その前に海上保安庁は税金で活動しているのだから、納税者は「いいかげんにしろ」と責任追及をしなければならない。

◆若狭湾にICBMが飛んで来たら、海保の巡視船は「迎撃」できるというのか?

原発事故のシナリオは無数に想定ができる。その中に「意図的な人為破壊」もないわけではない。遠くの国から原発をターゲットにミサイルを撃ち込まれたら、瞬時に原発は破壊され、大惨事になるだろう。仮にそのようなことが起こった場合に、若狭湾に展開する大型巡視船は、何かの役にたつのだろうか? たとえば、ロシアから、あるいは米国からICBMが飛んで来たら、海保の巡視船は「迎撃」できるというのであろうか。

「米国からICBMがとんでくるはずがない」といぶかられる方がいるに違いないから、その可能性がゼロではないことを示しておこう。日本と米国が「日米原子力協定」を締結しており、7月17日に自動延長された。1988年に発効したこの協定は米国が日本の原子力(核)開発を黙認する代わりに、監視する役目を担っている。自動延長はしたものの、今後は半年まえのいずれかからの申し出により、同協定は破棄することが可能となった。そして自動延長に際して、米国は日本が保有するプルトニウムについて、憂慮の念を表明している。

日本がいま貯めこんでいるプルトニウムの量はどれくらいであろうか。核兵器弾頭換算で約4000発の弾頭を作ることができる、と言われる47トンである。日本には人工衛星打ち上げに見せかけた「ミサイル」技術が確立されている。プルトニウムさえあれば、それを「核兵器化」する技術は専門家によると、さほど高度なものではないという。

◆「日本の核武装が危ない」という発想が国際社会で生まれる可能性

トランプ大統領は保護主義に走り、日本からの自動車輸入に25%の関税をかけるという。自動車産業や、これに繋がる関連企業にとっては一大事である。TPPにも入らないし、こんな話は「想定外」だったに違いない。また別の想定外だって私たちは目にしたばかりだ。双方絶対に譲れない「天敵」の如く反発を続けてきた朝鮮と米国の首脳会談がシンガポールで実現したのは、つい先月のことだ。昨年の今頃だれが「米朝首脳会談」を予想できただろうか。

米国は明確に日本が保有するプルトニウムに懸念を示している。朝鮮との首脳会談を実現させたトランプの脳の中で、「日本の核武装が危ない」との発想が生まれない保証がどこにあるだろうか。

諸悪の根源は、事故を起こせば人間の手には負えないし、事故を起こさなくとも運転すれば無毒化に10万年以上かかる、膨大な放射性汚染物質を生みださざるを得ない原発の存在そのものだ。「若狭湾に大型巡視船を2隻浮かべたら安全ですよ」といわれて、「ああそうか」と納得するような国民性では、早晩この国は破滅するだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice Vol.16』明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

ようやく気が付き始めた人びとの間で、「小選挙区制」の弊害が語られはじめた。議論の段階からうさん臭さは、充満していた。いわく「政権交代できる2大政党制を実現すべき」だの「中選挙区制では金がかかる」という主張が中心だったと思う。7月16日の京都新聞は元自民党の職員伊藤惇夫氏(69)に取材し、「小選挙区制」導入に至る、流れを振り返らせている。伊藤氏は1989年に後藤田正晴党政治改革委員会委員長(当時)から「諸悪の根源中選挙区制を抜本的に改めなければならない」と事務担当スタッフに命じられたそうだ。

 

上脇博之『ここまできた 小選挙区制の弊害』(あけび書房2018年2月)

「政治とカネ」の問題は選挙制度とは無関係なのに、どうしてこうも短絡的な思考で「小選挙区制」導入に猛進するのか。「小選挙区制」が導入され、「主張に大差ない2大政党」が実現したらどうなるか。日本では「大政翼賛会」という団体が成立していた歴史がそれほど昔ではないことを、当時わたしは強く意識した。そしてその懸念は現実のものになっている。投票行動と選挙結果の祖語については、大政翼賛会時代よりも酷いかもしれない。

『ここまできた 小選挙区制の弊害』(上脇博之著 あけび書房)では、様々な観点から小選挙区制の問題が指摘されているが、最大にして最悪の原因は「死票」が多数生まれること、言い換えると得票率に応じた議席が獲得されない、非常に深刻な欠陥を持った制度であると繰り返し批判されている。

近いところでは2017年衆議院選挙の例が挙げられており、得票数が47.8%の自民党が74.4%の議席を獲得し、得票率が20.6%であった「希望の党」(そういえば、一瞬そんな政党もあった!!)が6.2%の議席しか得られていないなど多くの「不平等」事例が列挙されている。さらに極めつけは「小選挙区制」のイギリスでは、1951年と1974年に得票率と議席数が逆転する現象まで起こっている事例を引き合いにだしている。

◆「小選挙区制」導入に加担した個人・マスコミの責任

議論段階から「嘘くささ」と「危険性」をいやがうえにも感じさせられていたが、わたしがまったく知らなかった事実があった。「政治改革なんて『無精卵』みたいなもの。いくら温めても何も生まれない。そんなものには賛成できない」と発言していた人物がいたという。社会党かどこか野党の議員かと思いきや小泉純一郎元首相であったというから、驚いた。なんと安倍現首相も反対であったという。しかし、このお二人とも、「小選挙区制」のおかげで長期政権に腰掛けることができている。皮肉なものだ。

では、推進側にはどのような顔ぶれが居たのだろうか。前述の後藤田(故人)、小沢一郎自由党共同代表、羽田孜元首相(故人)、細川元首相、河野洋平元自民党総裁、海部俊樹元首相ら自民党実力者の名前には「なるほど」と頷けるが、一方で、実質的に「小選挙区制」を推進した、首相の諮問機関である選挙制度審議会(その第8次委員)にはすべての全国紙(朝日・毎日・読売・日経・産経)幹部の名前がある。つまりマスコミもこぞって小選挙区制導入に肩入れをしていたわけだ。テレビでは田原総一郎氏が事あるごとに「小選挙区制」導入反対者に「対案を示せ」と詰め寄っていたし、「改革」と言葉がつけば、なにかしら「新しく優れたもの」が生まれ出てくるような誤解が、広く国民に蔓延していた(推進論者が蔓延させていた)。

伊藤惇夫氏を特集した記事の見出しは「単色に変わった議員」で、伊藤氏も現在は「小選挙制導入」を悔いているようだ。しかし、悔いてもらうだけでは困る。自民党であろうが、旧民主党であろうが、得票率をはるかに上回る、途方もない議席数が得られる選挙制度は、多様な選択肢を排除する致命的欠陥を持つことはいまや明らかである。何よりも「投票行動が正当に評価されない」ことは、選挙の正当性自体を担保できない重大問題だ。2017年の例で挙げた今は無き「希望の党」にもう少し追い風が吹いていれば、政策すら明らかではない政党が7割、8割の議席を獲得しかねなかったのが「小選挙区制」なのだ。

既に故人となった方は仕方ないにしても、当時「小選挙区制」導入に加担した個人や全国紙は、この不公正な選挙制度をよりましなものに作り変える責任がある。

◆最も合理的な選挙制度改革は従前の「中選挙区制」に完全にもどすことだ

ではどうすればよいのか?

旧来の「中選挙区制度」に戻せばいい。新しい何かを作る必要はまったくない。そんな無駄な面倒くさい作業など一切不要であるから、従前の「中選挙区制」に完全にもどすことが、制度面でもコスト面でも、政治の多様性を確保するうえでも最も手っ取り早く、有効な手段だ。「中選挙区制は金がかかる」の本質を田原総一朗氏に尋ねたら「自民党が公認を出すのに調整で金がかかった」と答えてくれた。「中選挙区制は『自民党にとって』金がかかる」が正しい理由だったのだ。いわゆる「党利党略」という奴だ。古いものはなんでも価値がなく、新しいものは必ず優れている、と誤解しがちな人がいる。それは間違っている。

定数を6人増やすだの、枝葉末節な「ごまかし」ではなく、重大問題である「小選挙区制」を廃止し「中選挙区制」に戻すことこそを、議会制民主主義を支持している人々は、強く主張すべきである。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

本日発売!月刊『紙の爆弾』8月号!

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

 

カジノ管理委員会と原子力規制委員会の違い(2018年6月9日付け朝日新聞)

国会が閉幕した。本国会でも「強行採決」が連発された。自公で3分の2以上の議席を衆参両院で持っている、圧倒的に数的な優位にある与党が、なぜ、かくも頻繁に「強行採決」を連発するのだろうか。通常手続きの1つのように「強行採決」が頻繁に行われるので、国会で「強行採決」は日常茶飯事、と若い読者は勘違いされるかもしれない。「強行採決」は文字通り、「採決」を「強行」することであり、決して通常の手続きではないし、議論で勝つことができず、無理やり数に頼んで(時には半ば暴力的に)採決を行ってしまう行為は、民主的なプロセスではない。あれは異常な行為である。

◆与党の「強行採決」にそれ相応の「非常手段」を取らない野党

 

第4次安倍内閣の主要閣僚(首相官邸HPより)

参議院の議員定数増、カジノ法案などが成立した一方、安倍首相周辺の森友学園問題、加計学園問題、文書改竄問題などには決定的な追及が加えられることもなく、安倍政権は国会を乗り越えた。野党は情けないことこの上ない。与党が「強行採決」を連発するのであれば、それ相応の「非常手段」を野党も戦略上取らなければ、対抗のしようがなかろうに、どこを見回しても、そのような覚悟は見当たらない。「議場封鎖」や、「強行採決」の際には委員長を物理的に着席させない、など(これらも決してお行儀のよい行為ではないけれども)の対応でもしなければ、どんなに無茶苦茶な法案であろうが、今後も両院をどんどん通過してゆくことだろう。

そもそも、野党とはいっても、理念や政策、価値観が自民党とそう大きく異ならない、少数野党が出来ては消える現象がいつまでたっても終わりそうにない。「小選挙区制を導入したら政権交代可能な二大政党制が成立する」と息巻いていたひとびとは、間違いを声高に叫んでいたことが証明されている。

 

第4次安倍内閣の主要閣僚(首相官邸HPより)

制度設計をする主体が、自分に不利になる制度改革を行うだろうか。政治の場でそんな殊勝なことを考える集団があるとは、わたしには信じられない。「政治改革」や「行政改革」はいつだって、政権与党にとってどこかにメリットのある「制度変更」であったはずだ。たとえば、55年体制崩壊以降、「保守・革新」という対立の構図は崩壊し、一部を除いて「保守」政党の林立を招く結果となっている。最近報道で「革新」という言葉じたいをほとんど目にしなくなっている。立憲民主党だって、枝野氏は「われわれが本当の保守」などと述べている。類似した政治理念(理念と呼ぶほどのものでもないか?)、政策を掲げる政党であれば、新しく政党を作ってもらう必要はない。

◆多数派であるはずの庶民の要求を的確に代弁できる巨大政党は生まれるか?

望むべくは自民党とは正反対に、護憲を明言し、集団的自衛権・日米安保を破棄。大企業に積極的に課税し、所得税の累進税率を上げ、消費税を廃止して、医療、教育費の全面無償化を目指す(いきなりそこまでは無理にしても、段階的に)といった、方向性を持つ政党の誕生である。もちろん原発は全機即廃炉である。このような政策を打ち出す政党が誕生し、少数政党乱立のなかで、核となり成長してゆけば、国民にとっては明確な「反自民」の選択肢となりうる。未曽有の大雨により、惨事となることが警戒されている中で、宴会をおこない、それを誰恥じるともなく発信するような神経の持ち主に、何を期待しても無駄であり、その類似勢力も同様だ。

自民党が大企業の代弁者であるのに対して、生活するだけでも精一杯な庶民の要求を代弁する政党がうまれたとき、はじめて変化の可能性が生まれるのだろう。それまでは、異例の猛暑のように、政治の世界も「異常気象」が続くことを覚悟せねばなるまい。


◎[参考動画]「安倍内閣不信任決議案」衆院 本会議(2018/07/20)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』8月号!

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

 

2018年7月12日付け日刊スポーツ

◆本質とまるで正反対な2020年「復興五輪」

〈2020年東京五輪・パラリンピック調整会議が12日午前、都内で行われ、東京五輪聖火リレーの出発地点を福島とし、開始日は20年3月26日と決定した。大会組織委員会の森喜朗会長が提案し、小池百合子都知事、鈴木俊一五輪相ら関係団体のトップが集まる同会議で了承された。〉(2018年7月12日付け日刊スポーツ)

そうだ。こう来るだろうと予想した通りだ。2020年東京五輪はその本質と正反対に「復興五輪」と、まったく虚偽の謳い文句で持ち上げられている。7月12日の新聞各紙の見出しには「トリチウム汚染水海へ」の文字がある。(2018年7月12日付けNHK)

 

2018年7月12日付けNHK

福島第一原発敷地内に溜まりにたまった汚染水の処分方法がないから、「希釈して海に流す」と東京電力はいよいよ本格的に準備をはじめるようだ。希釈したって毒物には変わりはない。希釈したら毒性が問題なくなるようなレベルの汚染水だったら、わざわざ山ほどの貯蔵タンクを敷地内に無計画にどんどん建てて、保管する必要はなかったではないか。

世界初の原発4機爆発を引き起こした「東京電力」でさえ、「汚染水は海には流せない」と判断したから貯蔵タンクに保管していたのだろうが。危険物質は既に膨大な量が海や地下水に流れ出している。貯蔵タンクに保管されている汚染水よりもその総量は多いかもしれない(正確に測定で出来ないので断言はできないが)。行政が測定するとほとんど「基準値以下」か「検出基準以下」の値しか出てこない。そんな馬鹿なことがあるか。

原発4基が爆発して、そこから放出された放射性核種の量が、「健康に問題ない」のであれば、どうして病院のレントゲン撮影室の前には「妊娠の可能性のある方は申し出てください」と書かれているのだろうか。甲状腺がんは通常、100万人あたり1~3人が発症の割合とされるが、福島県を中心に既に200人以上の発症が確認されている。誰が見たって、事故との因果関係は明らかであるが、一部の科学者や専門家に言わせると「スクリーニングを丁寧に行ったからだ」(普通行わないほど多くの子供の検査を行ったから発症がわかった)と、素人が呆れるような稚拙な嘘を平然と口にする。「福島県内の医療機関はすべて福島県立医大の支配下にあり、自由に診断もできない」と多くの医療関係者が嘆いている。医師が抑圧されていたら、まともな診察や治療が行えないじゃないか。

残念で残酷至極だが、福島を中心とした汚染はいまだに「すぐ逃げなければならない」レベルから下がってはいない。そこに汚染水の海への放出が加わればさらに環境は汚れる。

◆猛暑の中、汚泥をスコップですくい上げる時の重さ

なにも解決も改善もしていないじゃないか。西日本を襲った豪雨の被害は目に見えやすいので、その惨状が一葉の写真であれ、映像であれ目にすれば容易に被害の深刻さが理解される。あの惨状を目にして「直ちに健康に影響はない」という人はさすがに居ないだろう。

西日本の豪雨による被災者の皆さんは、猛暑の中激烈な日々を過ごしておられる。スコップで水を含んだドロをすくい上げるときの重さは、経験したことのある人には、簡単に理解されるだろう。その作業を避難所で寝起きしながら、猛暑の下続ける負荷はいかばかりか。

かたや、福島を中心とする放射性核種による汚染地域では、その汚れや危険性が目に見えない。目に見えないだけではなく、危険性を知らせようとしない(隠蔽しよう)とする巨大な力が、国ぐるみで綿密に準備され、即実行されている。その最大の隠蔽工作が「2020東京五輪」である。「オリンピックが政治そのもの」であることは、冬に開催された平昌五輪で朝鮮が参加を表明し、女子アイスホッケーでは南北合同チームが結成され、その後に南北首脳会談が板門店で実現、さらに電光石火で6月にはシンガポールで米朝首脳会談まで実現させた、ダイナミズムが記憶には新しい。

行く末は明瞭ではないが、ほとんどの人が予想さえしなかった米朝首脳会談の実現は、歓迎すべき出来事であり、それが「オリンピックの政治性」によって誘引されたのだとしたら、オリンピックの政治性は評価に値する。しかし多くの場合、オリンピックの政治性は「和平」や「融和」ではなく、国威発揚や国内問題の封印のために力を発する。1969年の東京五輪、モスクワ五輪やロスアンジェルス五輪、北京五輪には濃厚にその側面が表出していたし、古いところではミュンヘン五輪では選手が政治的文脈で殺される事件も起きている。

「2020東京五輪」は資本主義最終末期・人口減にあえぐ、日本の権力中枢が、国家破綻の引き金にもなりかねない「福島第一原発事故」隠蔽と、嘘っぱちに紛れた虚飾の美辞麗句で一儲けを企む金の亡者との結託により開催が目論まれる、反人民的、打史上比類ない悪意に基づく悪行集合体である。

東京でオリンピックを開催したら、それがどうして「復興」と関係があるのか。まずはこんな単純極まりない問いを、少し頭を冷やして考えれば、その欺瞞性は理性ある人には理解できるはずだ。聖火リレーの出発点か通過点か知らないけれども、そんなことを画策する者どもは、福島の人々の本質的被害から目を逸らさせようとする極悪人ばかりである、と私は断じる。

「2020東京五輪」は人倫的犯罪である。私は断固反対するし、「2020東京五輪」のスポンサー、待ちのぞむマスコミ、何気なく乗せられる庶民に対して、明確に異議を明らかにする。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』8月号!

『NO NUKES voice Vol.16』明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

« 次の記事を読む前の記事を読む »