M君リンチ事件〈爆弾〉第5弾『真実と暴力の隠蔽』5月28日発売 定価800円(税込)

『真実と暴力の隠蔽』発売からきょうで1週間を迎える。予約で購入してくださっていたかたがたから、28日を前に「届きました。まず表紙をめくってノックアウトされました」、「またしても特ダネの連続! 1冊にするのはもったいないほど(『カウンターと暴力の病理』でCDのインパクトが強く、「藤井メール」の印象が薄くなったのがもったいない……みたいに)濃い内容に唖然です」といった感想が寄せられていた。

取材班は発売前に何度も原稿、ゲラを読んでいるので(但し、今回、〈9項「カウンター」周辺のキーマンに直撃! 明かされる「しばき隊」の内情〉は発売まで松岡と取材班キャップ他一人のメンバーしかその内容は把握していなかった)、内容に自信はもってはいるものの、はたしてどの程度の衝撃を読者のみなさんに与えられるのかは未知数ではあった。『真実と暴力の隠蔽』が総体として“爆弾”であることを確信していても……。

そして“爆弾”はどうやら取材班の予想をこえて、連鎖的な爆発を起こしているようだ。不思議であったのは発売直後の2日ほど、「しばき隊」、「カウンター」界隈からはほとんど発信がなかったことだ。おそらくその間に水面下で「対策会議」が行われていたのであろうことはこれまでの経験からして、想像に難くない。そして「それ」は例によって一斉に始まった。上記9項〈「カウンター」周辺のキーマンに直撃!明かされる「しばき隊」の内情〉に登場していただいた木下ちがや氏と清義明氏のインタビューについての四方八方からの集中攻撃が、両氏に向けられた。清義明氏は発言撤回の意思はなく、今日に至るも堂々と主張を曲げていないが、木下ちがや氏は自身のツイッターで、

 

と、謝罪の意を表明されている。木下氏ご自身の態度や見解につて取材班は意見を表明することを控える。ただし、このような“集中砲火”にさらされれば、どんな議論も反論も成立のしようがないであろうことは、観察していると理解される。

さて、「気になる書き込みがある」とサイバー班から連絡があったのは28日、発売当日だった。

 

この方(以下K3と記す)は、これまでM君リンチ事件に同情的で、われわれの出版物にも好意的な発信をしていた方である。その方が「残念ながら《嘘》がいくつもあるのを確認できた」と発信されたのだ。ことあるごとに表明しているが、われわれは事実誤認や、認識の間違いがあれば、いつでも訂正・修正するにやぶさかではない。悪意に満ちた誹謗中傷は相手にしない(それらは具体的な事象を特定せずに「嘘」、「デマ」と決めつける)けれども、「これはここが違う」と指摘されれば、当然再取材や事実検証、あるいは再考察をこれまでも行ってきた。事実、木下ちがや氏を「しばき隊NO.3」とみなしてきたことは、今回ご本人の言葉により否定されているので、原稿の中でその認識の訂正とお詫びを記している。

K3氏が「嘘」という言葉で『真実と暴力の隠蔽』を評されたことを、取材班は座視してはいられなかった。上述のように彼は「しばき隊」擁護者ではなく、妥当な感覚を持つ人物であると取材班は評価していたからだ。その人物が「事実誤認」ではなく「嘘がいくつもある」と断定しているのである。取材に間違いがあれば訂正・修正しなければならない。この記述では複数の「嘘」があるように受け止められるが、具体的な事実の適示がない。取材班の田所は同日からK3氏がツイッターを書き込んでいる時間を見計らい(お仕事にご迷惑のかからないよう配慮して)何度も電話をかけたが、電話には出て頂けない。仕方なく鹿砦社のツイッターアカウントからK3氏に疑問を投げかけた。

 

 

 

これについてK3氏がご自身のツイッター上で、回答をしていただいていたようであるが、鹿砦社のツイッターを見ていてもその記述は確認できない。ある筋を通して最終通知を行ったところ、30日16:00過ぎにK3氏から田所へ電話があった。K3氏は「凜七星さんの発言に事実と異なる点がある。文責は取材班と書かれているので『嘘』と書いた」と言う。

田所は「文責が取材班との意味は、インタビューは長時間に及ぶが、それをすべて掲載はできない。発言の多くの部分を切らなければならないが、その責任は取材班にある。という意味であって、凛さんの発言やお考えに取材班が同意し責任を持つという意味ではない。これは他の取材対象についても同様である。必ずしも取材班が同意しない意見でも、発言していただいたことを原稿化する。『事実誤認』というのであれば『なにが事実誤認か』を確認するが、あなたの主張では凜さんの考えが、あなたの考えと違うという意味ではないか」と話すと、「凜さんの発言が事実と違うから『嘘』じゃないですか」とK3氏。「凜さんの発言が事実と異なるのかどうかは、彼のお考え認識の問題である」と回答すると「それって『しばき隊』がよく使う論法ですよね」とK3氏。

「ちょっとまって。あなたは『事実誤認』と『嘘』が同義だと考えるのか、わたしたちは『事実誤認』と『嘘』は明確に異なる言葉だと認識している」と見解を示す。K3氏はネット辞書で「嘘」の定義を調べ「1 事実でないこと。また、人をだますために言う、事実とは違う言葉。偽(いつわ)り。2 正しくないこと。誤り。3 適切でないこと。望ましくないこと」であるから、ここでの「嘘」は問題ないだろうと主張。田所は辞書が定義する最初の意味にある「人をだますために言う、事実とは違う言葉」が一般通念として理解されているのだから、あのような表現ではK3氏が本来意図する「凜さんの発言が事実と異なる」ではなく『真実と暴力の隠蔽』が虚飾に紛れていると、あなたのツイッターを見た人は理解しますよと、約1時間半にわたり議論を交わした。

結果K3氏は「嘘」という言葉を自分の意図と異なって捉えられ、鹿砦社に迷惑がかかるのであれば、それは本意ではないのでツイッター上で追加の意見表明をすると表明されたので、取材班も納得した(後刻書き込まれた文章が誤解を解くのに充分であるとは納得してはいないが、K3氏との電話のやり取りの中で誤解は解けたと認識したのでこれ以上この問題には触れないこととした)。

要するにK3氏の書いた「嘘」は凛七星さん発言へ、彼が「事実と違う」と感じた事実であったことが判明した。であるのであればやはり「嘘」という表現は妥当ではなかったであろう。

ところでそのK3氏がどういった心境かは理解できないが、超ド級の資料を公開した。わたしたちの間で「師岡メール」と呼ばれ、その存在がまことしやかに語られはしていたが、噂ではないかとも疑われていた師岡康子弁護士による「M君リンチ事件隠蔽」指示の証拠がついに明らかになった!!(つづく)

(鹿砦社特別取材班)

 

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鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

これほど大規模に報道されているので、今さら口を挟むのが憚られるが、やはり一言言っておかねばならない。関西学院大学と日本大学アメリカンフットボール部の定期戦(5月6日)に発生した、日本大学ディフェンスによる極めて危険なタックルについての問題である。


◎[参考動画]関学大日大戦アメフット反則シーンその1(日刊スポーツ2018/05/14公開)

◆「人殺し」タックルと内田正人監督

この問題につては、大手メディアもかなりの時間や紙面を割き、解説している。識者により多少の違いはあろうが「あのタックルは許されるものではない」との点で見解の一致をみているようだ。その結論に私も異論はない。そして当該危険プレーを行った選手が、個人の判断ではなく、監督、コーチ公認の戦術のもと、「人を殺してしまうかもしれない」タックルがおこなわれていたであろうことにもほぼ間違いないだろう。

日本大学アメリカフットボール部の内田正人監督はくだんの試合以降、姿を見せることなく、どこかに消えてしまった。この行為ひとつを見ても、大学スポーツ部の監督としては失格である。選手のミスではなく、監督が示した規格外のルール違反を説明する義務は内田正人監督にある。私はこの問題が発生して2日後に日大アメリカンフットボール部に、プレーの不正と事後対応の杜撰さを問う内容のメールを送ったが、5月16日現在何の返答もない。

日大フェニックス(アメリカンフットボール部の愛称)は、かつて、東の日大、西の関学といわれ、毎年のように大学日本一を決める甲子園ボールで対戦を続けてきた。篠原監督率いる日大は、伝統的にショットガン攻撃を持ち味に、相手チームの守備をかく乱した。関東での日大一強は揺るぎなかったが、関西では京大が1980年代から台頭し、立命館も続いた。近年関西リーグでは関学と立命館が例年優勝を争っているが、関東では法政、慶応などに大きな力の差がなく、甲子園ボールにも関東の同一チームが2年続けて出場することは珍しい。

◆「こんな時こそ」アドバイスを仰ぎたい危機管理学部学部

さて、問題は日大によるラフプレーだ。日大には長く強かった歴史があるものの、昨年の甲子園ボールで優勝するまでに実に27年のブランクがあった。そしてあえて指摘するが、日大の監督内田正人氏は日大で常任理事を務める人物でもある。その日大に「こんな時こそ」アドバイスを仰ぎたい学部がある。その名は「危機管理学部」である。

同学部の案内には、
〈学祖・山田顕義の理念を受け継ぐ危機管理学部
本学の前身である日本法律学校を創設した学祖・山田顕義は、1844(弘化元)年に現在の山口県萩市に生まれ、14歳で吉田松陰の松下村塾に入門。高杉晋作や伊藤博文をはじめ、維新史に名を残す門下生たちと深く交わり、大きな影響を受けました。後に岩倉使節団の一員となって欧米諸国の先進的な文化を視察した学祖は、軍備拡充よりも教育の普及や法律整備が急務であると確信し、日本を法治国家とするべく近代法の制度設計に邁進。1883(明治16)年から1891(明治24)にかけて司法卿・司法大臣として、明治法典(刑法、刑事・民事訴訟法、民法、商法、裁判所構成法など)の編纂を行い、我が国の“近代法の父”と呼ばれています。

当時、欧米諸国の法律を学ぶことが主流の法学教育に疑問を抱いた学祖は、日本の伝統・慣習・文化を踏まえた法律教育のための学校創立を構想していた宮崎道三郎ら若手法律学者を支援し、自らが所長を務めていた皇典講究所に校舎を借りて、1889(明治22)年に日本法律学校を創立。幕末の日本が外圧にいかに対処すべきかを考え、明治維新後は国際社会で通用する国家建設を進めた学祖は、日本の近代化の過程で直面した安全保障や危機管理のあり方を法学的な観点から模索したものといえるでしょう。危機管理学は新しい学問領域ですが、その意味で日本大学の起源とも関わる、非常に重要な研究分野だといえます。〉

と紹介されているが、吉田松陰、伊藤博文、高杉晋作らは、私の目から見れば民間政権であった江戸幕府に不満を抱き、神話の天皇制を持ち出し、「富国強兵」、「和魂洋才」との掛け声で、ロシアや中国に戦争を仕掛け、朝鮮半島を侵略したもの(あるいはそのイデオローグ)として記憶されている。

日本大学の「危機管理学部」はそういった連中の直系だ、と紹介文は述べている。なるほど現在の教授陣を見れば、

◎安部川元伸 教授
1976年から2013年まで、37年間にわたって公安調査庁に奉職し、その間、現場局において調査事務に携わり、1989年から本庁にて国際情勢、国際テロ情勢等についての情報収集、情報分析業務及び国際渉外業務に従事した。また、2001年の9.11米国同時多発テロ、2008年の洞爺湖サミットに際しては、庁内において、我が国の危機管理情報の収集並びに分析業務で陣頭指揮を執った。これらの経験は何物にも替えがたいものであり、自身の専門性を築き上げる上で大いにプラスになった。
2013年に公安調査庁退官後は、約2年間、日本アイシス・コンサルティング株式会社において、主に日本企業の在外での活動に資する情勢分析資料の作成、危機管理のアドバイス等を担当した。2014年末をもって同社を退職し、2015年4月から日本大学総合科学研究所に教授として所属。

◎勝股秀通 教授
元読売新聞社記者。1983年入社。新潟支局、北海道支社を経て東京社会部に所属。東京地検でリクルート事件を担当、その後警視庁などの担当を経て93年から防衛省・自衛隊を担当。民間人として初めて、防衛大学校総合安全保障研究科(97-99年)を修了、その後、防衛、安全保障問題の専門記者として編集委員、解説部長、論説委員、調査研究本部主任研究員を歴任し、2015年(平成27年)4月から日本大学総合科学研究所教授、16年4月から現職。

◎金山泰介 教授
昭和32年京都市生。昭和55年東京大学法学部卒業後警察庁入庁。内閣安全保障室参事官補、石川県警察本部警務部長、在タイ日本大使館一等書記官、内閣調査官、警視庁公安部参事官等を経て、山梨県警察本部長、中部管区警察学校長、科学警察研究所総務部長、栃木県警察本部長、警察大学校警察政策研究センター所長等を歴任し、平成26年埼玉県警察本部長を最後に退官。平成28年4月より現職。
 その間、ハーバード大学客員研究員、一橋大学公共政策大学院客員教授、東京大学公共政策大学院非常勤講師、京都大学公共政策大学院非常勤講師、慶應義塾大学大学院非常勤講師、上智大学法科大学院非常勤講師、埼玉大学大学院客員教授として社会安全政策及び刑事司法・警察行政に関する研究、教育にも従事。

◎河本志朗 教授
1954年山口県生まれ。1976年同志社大学経済学部卒業後、山口県警察官拝命。1991年から外務省出向、1994年から警察庁警備局勤務を経て、1997年から公益財団法人公共政策調査会第二研究室長として、国際テロリズム、テロ対策、危機管理などを研究。2015年4月から日本大学総合科学研究所教授。2016年4月から現職。

と、ここは「内閣調査室」か「防衛庁の諜報部隊か」と勘違いするような経歴の教員が並ぶ。大学の中に「入れてはいけない」ひとの品評会のようなメンツである。だが、常務理事内田正人が危機に瀕している、しかも内田は学内ではNO,2の実力者との評価もある人物だ。「危機管理学部」の出番ではないか。だが「危機管理学部」に限らず、日大当局からは、世間が納得のできる説明や弁明はいまだに行われていない。「危機管理学部」は身内の危機管理ができずに天下国家の危機感理を論じても、信用を得ることはできないであろう。

日本大学危機管理学部HPの教員紹介より

◆開学以来、支配層の意図が脈々と流れている日大の歴史

しかし、批判を恐れずに書くが日大とは代々このような学風を持った大学なのだ。先に紹介した「学祖・山田顕義の理念を受け継ぐ危機管理学部」で明確なように、日大には支配層の意図が開学以来、脈々と流れている。1960年代には裏口入学や、20億円(!)の使途不明金が問題化し、それまで学生運動がほとんど見られなかった日大でも、大規模な不正解明を目指した運動が起きる。それに対したのは体育会や右翼学生で、校舎の上から重たい石を投下し多数の負傷者を出した。

日大の学生たちは、日大講堂における団体交渉で古田重二良会頭(この呼称も不思議である)らの総退陣を勝ち取るが、後日総理であった佐藤栄作の後ろ盾を得て、日大当局は約束を反故にする。それ以降も日大の基本性格は変わっていない。

そんな学風の日大が「危機管理学部」を備えながら、せっかく27年ぶりに勝ち得た日本一の座を無化するどころか、アメリカンフットボール部、いや日大の存続までが論じられる危機に瀕している。繰り返すがこのような時に役に立たないようでは「危機管理学部」の存在はないだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

今春学生を募集した法科大学院39校の受験者は述べ7258人で、過去最手を更新したことが文科省の集計で判明した。43校が募集し7449人が受験した前年より191人減。今年募集した39校のうち9割にあたる35校が定員割れで、司法試験の合格者の伸び悩みによる法科大学院離れが続いている。

入学定員は募集停止や削減で前年比236人減の2330人だったが、実際の入学者は1621人だった。定員に占める入学者の割合を示す入学定員充足率は69.57%で前年から約3%増えた。

合格者数は延べ3521人で入学者が最も多かったのは東京大学の213人で、慶応大学162人、京都大学158人、早稲田大学136人、中央大学95人、同志社大学44人、立命館大学31人だった。入学者数が定員数を上回ったのは、一橋大学、明治大学、筑波大学、甲南大学の4校で、定員に占める入学者の割合が50%を下回ったのは12校。このうち近畿大学は25%、南山大学は30%にとどまった。(5月15日付京都新聞より抜粋)

◆制度ごと崩壊を迎えている法科大学院

司法改革の目玉であった法科大学院が、いよいよ制度ごとの崩壊を迎えているようだ。導入時には「年間3000人の合格者を出す」と政府が大風呂敷を広げて、2004年法科大学院発足の年には、法学部卒業生72000余人もが大挙して法科大学院を受験した(同年の合格倍率は約13倍)。その背景には法曹界の人材不足と、「将来の需要増を見込んで」との腹積もりが政府にはあった。「将来の需要増」とは米国のように、なにか問題があれば、すぐに解決を司法に委ねる「訴訟社会」の到来であった。

しかし、社会はそのようには変化せず、「毎年3000人の合格者」を出し続ければ、司法試験に合格をした「失業者」をただ生み出すだけであることが判明してきた。そもそも「司法改革」の2本柱であった「法科大学院の導入」と「裁判員制度導入」はいずれも、私の目からは最初から破綻が必至の愚策であり、法科大学院の制度的終焉はごく当然の帰結を目の当たりにしているに過ぎない。

「将来の需要増」の中にはひょっとすると、日米合同委員会の中で米国側からの、要請(圧力があった)可能性も否定できない。ところが、工業製品や知的財産と異なり、司法にかかわる制度や人材(弁護士や弁理士など)の輸出は簡単ではない。日本の弁護士が米国で活動しようと思えば(英語を習得したうえで)、州ごとの試験を受け登録すれば仕事ができるが、米国人弁護士が日本で仕事をしようと思っても、制度もさることながら「日本語」が話せないことには仕事にならないのは、子供でも分かるだろう。「ロースクール」を作ったって法曹界の「非関税障壁」(米国が常に口にする難癖)が取り払われる、ことはなかったし、その必要もなかったのだ。

どう考えても10年そこそこで日本が著しい「訴訟社会」に変化するなど、法務省も、大学も、日弁連も考えてはいなかったであろうに、誰が、こんな愚策を決定したのであろうか。導入されたのは2004年だが、「法科大学院」準備過程は、司法の分野だけでなく各方面での「構造改革」が大手を振るった20世紀終盤から、21世紀初頭であった。この時期に愚策が真顔で進められた事実にも、注意を払う必要であろう。郵便局が民営化され、大手都銀が次々に合併を繰り返し、市町村合併で、とんでもない田舎の村が「市」となり……。

庶民にとっては乱暴で、いったいどんなメリットがあるのか、さっぱりわからない「改革」が分野を問わず横行した。このような「理屈」や「根拠」があやふやである「改革」に、「最高学府」たる大学は、冷静な状況分析を行い、将来予想を個々の大学で実施し、法科大学院の設置を決めた、と信用したいところだが、そうではない。文科省と法務省が号令をかければ“Do not miss the buss”とばかりに、ろくろく需要予想や将来計画も熟考せず、「国が旗を振っているのだから」と乗っかかるのが、悲しくも軽薄な大学の姿であるのだ。

法科大学院一覧(文部科学省資料=2016年2月時点)

法科大学院整備だけで国は1兆円を使ったと言っている。各大学も設置にあたっては相応の投資をしたことだろう。「学生が希望する法曹界への道を作りたい」、こう書けば字面はよいが、その実「予備試験」により法科大学院に進学せずとも司法試験に合格する人が年々増える実態は、個々の大学、または大学が総体として知的劣化に陥っていることを示す。

法科大学院は一般の大学院ではなく、「専門職大学院」と呼ばれる職業を意識した特別な大学院の範疇に入るが、来年度から「専門職大学」制度がスタートする。ここでは詳述しないが、「専門職大学」制度にも法科大学院とは別の深刻な、制度(制度の理念上)の問題を感じる。法科大学院実質破綻の責任や原因究明を当事者は誰も考えていないように見えて仕方がない。その反省があれば「専門職大学」など誕生しなかっただろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

朝鮮半島の和平に向けた動きに、まったく関与できなかった安倍首相は、4月29日文在寅韓国大統領と電話会談し、「日本が朝鮮と交渉する際には助けをお願いするかもしれない」と情けない陳情をした。

なに言ってるんだ! 近隣の朝鮮と交渉するのに、どうして韓国助けが要るのだ! 小泉純一郎は自分で訪朝したじゃないか。安倍の無能ぶりは、情けなく、恥ずかしい。海外の報道でも、当然だが大いに馬鹿にされ「蚊帳の外」と呆れられている。虐めるときだけは「制裁!制裁!」と、過剰に騒ぎ立てるくせに、韓国、米国が直接対話に舵を切ると、あたふたするばかり。日頃軽視している韓国に「助けて」と泣きつく安倍のザマは、右派の人びとにとっても腹立たしい姿ではないのか。

◆国民の権利の制限と国家支配の強化を目指す憲法改正は「時代の要請」なのか?

安倍政権の本質は第二次安倍政権発足時に、安倍が明言した通り「改憲」を目指すことを、重要な到達目標に置く政権であり、現実に「解釈改憲」を強行した政権である。安倍の志向する「改憲」は、日本国憲法を大日本帝国憲法に近い形へ作り変えようとの意思に依拠しており(自民党が示した「改憲案」参照)、単純化すれば、国民の権利の制限と国家支配の強化を目指している。「時代の要請にこたえる憲法」などと安倍は繰り返したが、果たしてそれは事実であろうか。

時代は、世界は日本の憲法にどのような役割を期待しているのだろうか。ここで注意しなければならないのは「時代」とは曖昧模糊とした雰囲気や気分ではなく、「現在」の主権者たる日本国国民であることと、「世界」とは近くは東アジアではあるが、中近東、アフリカ、欧州などを含めた全世界であることだ。

◆政府・マスコミあげての「北朝鮮・中国の脅威」という軍拡改憲プロパガンダ

日本国民は今年のはじめまで、「朝鮮」に脅され続けていたのではなかったか? 全国各地で行われる「ミサイル飛来に対する避難訓練」、「Jアラート」の過剰な宣伝、明日にでも朝鮮からミサイルが飛来するかのような政府・マスコミあげてのプロパガンダに、大方の世論も「北朝鮮の脅威」論に傾きつつあった。しかし、金正恩が板門店を一人きりで歩いてくる姿、そして国境を越えて文大統領と握手をし、1日をかけて会談し「板門店宣言」が合意された事実を、われわれは目にした。

これまで「北朝鮮の脅威」を主たる根拠として展開されてきた、日本の軍備増強路線は根拠を失うことになる。「いやむしろ軍事大国中国の方が危険だ」と、またしても標的を変えて軍備増強主義者は論難するかもしれないが、日中は「戦略的互恵関係」を2006年10月、ほかでもない、第一次安倍政権の初外遊で中国を訪問した安倍晋首相自身と中国の胡錦濤国家主席の間で確認しあっている。この文書は現在も死文化してはいない。

憲法前文は「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」とある。つまり現憲法が十全にその精神と法体系を確立し、行政が運営されても、「国民が福利を享受できない」状態に陥った場合に「改憲」は国民から、発議されるべきものである。あくまでも国民が憲法の不十分さを認識したときに「改憲」は論じられるものであるのだ。

◆「改憲」策動に総理大臣が血道をあげる行為自体が憲法99条違反である

この点は長年勘違いされてきている。現役の総理大臣や国務大臣、そしてすべての公務員は憲法を尊重し、擁護しなければならない「義務」を課されている。日本国憲法第99条で 「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と明確に述べられている。

つまり、憲法尊重・擁護義務を課されながら「改憲」策動に総理大臣が血道をあげる行為自体が「憲法違反」なのであり、今日の日本は憲法が十全に機能している社会とは到底言い難いことを注視すべきだろう。

だから「改憲」を論ずるのであれば、まず現日本国憲法を正当かつ、真っ当に体現した社会を実現し、そのうえで「国民が福利を享受できるか」否かを議論の中心に据えねばならない。その前提に立てば、現在の「改憲」論議はいずれもその最低条件を満たすものではない。首相が提唱する「改憲」議論それ自体がとんでもない違憲であり、完全に無効である。

◆「これ以上悪い憲法を作らせない」意思を明確にするしか現実的な選択肢はない

さて、憲法記念日のきょう、まずはほとんどその問題点が論じられることはないけれども、憲法99条に照らせば、現在の政権が画策する改憲議論が基本的に「憲法違反」であることを再度確認し、憲法についての私見を開示したい。

私は現憲法が到達しうる最高形態であるとは考えない。「平和主義」、「国民主権」、「基本的人権の尊重」は妥当な理念であるが、憲法前文はその後に連なる1条から8条(天皇についての記述)と極めて大きな齟齬を示している。日本国憲法の最大の問題点は、「基本的人権の尊重」を謳いながら、1条で国民の権利を定義することなく、天皇を持ってきてしまっていることだ。

さらに、細かい問題が他にもないわけではないが、「憲法違反」ながら進められている、現在の「改憲」論議を目にすると、私の抱く現憲法の問題を解決する方向への「改憲」は、現実味がまったくないと言わざるをえない。逆に自民党に限らず、野党各党も「改憲」を容認し、党是として「護憲」を掲げる政党は日本共産党しかない(党の政策とは異なり個人で強く護憲を指向する議員が野党にはいるが)。かような状況の中では「これ以上悪い憲法を作らせない」意思を明確にするしか現実的な選択肢がない。

このことが、日本政治の今日的最大の困難と不幸である。半数以上の国民は「改憲」の必要性など感じていない。しかし、その意思を投票行動で表そうとすると、政党では、「日本共産党」しか選択肢がないのだ。「護憲」だけれども共産党に好感が持てない人が投票すべき政党が、国政レベルでは存在しない。この異常事態にこそ憲法をめぐる問題の深刻さがある。

◆護憲派リベラルかのように振る舞う「隠れ改憲派」の危険性

また、一見「護憲」と思われるような名称の団体や個人が、じつは「隠れ改憲派」であったりするから、油断がならない。以前本コラムでご紹介したが、「マガジン9」というネット上のサイトは「護憲」ではない。ソフトな護憲派のような立ち振る舞いをしていて、その実「改憲派」が跳梁跋扈するのが2018年の日本だ。山口二郎、高橋源一郎などは同様に「護憲」と勘違いされるかもしれないが、その発言を詳細に分析すると「改憲派」であることを見て取ることができる。池上彰、佐藤優も同様だ。

政界だけでなく、言論の世界でも「護憲」を明確に主張する人は減少傾向にある。そして一見「リベラル」、一見「護憲」に見せかけて息巻く人の多くが「隠れ改憲派」である事実。この危険性は再度強く指摘しておきたい。

◆あらゆる改憲議論を無視すること

では個人レベルでどのような対抗策が考えられるか。前述の通り現在交わされている「改憲」論議は、その前提からして、無効なものであるのだからか、相手のリングに乗らないこと。すなわち「あらゆる改憲議論を無視」することだろう。政党、市民団体を問わず、明確に「護憲」を掲げる集団以外との憲法論議は、前提からして底が抜けているのだから、一切応じないことである。いま政治・言論界に求められているのは「平和主義」、「国民主権」、「基本的人権の尊重」を堅持する『護憲原理主義(護憲ファンダメンタリズム)』と言ってよいだろう。

現政権に領導されるすべての「改憲論議」は憲法違反であり、私は『護憲原理主義』を主張する。

◎[参考資料]日本国憲法全文(1947年5月3日施行)(国立公文書館デジタルアーカイブより)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

私たちはどう生きるか『NO NUKES voice』15号

京都大は5月1日から、本部がある吉田キャンパス(京都市左京区)の周囲に学生が設置した立て看板の規制に乗り出すと伝えられている。もしその「通告」が事実であれば5月1日から、京大周辺の立て看板が撤去される可能性もある。4月30日早朝、京大周辺の立て看板がどのような様子になっているか、取材に赴いた。

4月当初に比べると大学敷地周辺の立て看板は数が減っている。そして「立て看板撤去」を翌日に控えているためか、以前よりもこの問題に特化した立て看板が目についた。

まずは今出川通りと東大路通りが交差する、百万遍交差点の様子だ。これまで不注意で気が付かなかったが、この交差点には不自然にも2つのボックス型公衆電話が設置されている。公衆電話が激減する中、この場所にある2つの電話ボックスはそれ自体がおかしな存在だ。この場所がもっとも界隈で目につきやすく、過去には巨大立て看板が数多く登場した場所である。この日最大のものはご覧の通り「違反広告物タテカン撲滅」と黒字に赤で書かれた揶揄に満ちたものだ。

この大きさでは見づらいかもしれないが、ほかに、

昨年クラブの歌である「われは海の子」が作曲されて100周年を迎えた、伝統の京大ボート部や、教職員組合の看板。
 

「環境にいいことしてますか? DO YOU KYOTO?」という公共広告のような、主体不明のものから、体育会ライフル部(武装してタテカン撤去と闘ってくれるのか?)。
 

自治寮、吉田寮の実質的な解体を画策する当局に対して、話し合いを求める看板も見られる。
 

百万遍交差点を少し南に移動すると「ゴリラ討伐 大学奪還」、「闘え! 闘わなければ勝てない……。」となかなかデザインにも作画にも力の入った「作品」が目に入る。「ゴリラ」は山極総長のニックネームである。こういうセンスと「討伐」の字体を私は好感する(ちなみに横は馬術部の立て看板だ)。
 

さらに南下すると、明確に「タテカン規制」に抗議する複数団体が名を連ねる、ピンクを基調としたカラフルなものも。
 

少林寺拳法部。デザインは、ゆとり世代に共通するセンスだが、活動内容のハードさをデザインのソフトさでやわらげるあたり、体育会の部員募集の工夫がみられる。
 

実は普段多いのはこの手の「地味」なサークルの立て看板だ。「京大宝生会」はどうやら能楽部の別名らしい。「稽古日」が明示してあるので安心して入部できそうだ。
 

先ほど同様複数団体による、抗議表明の立て看板。賛同団体が先ほどの看板と一部異なるのは、作成時期が前後したためか。こちらは黒地にパステル色を多用して少々暗くて見やすそうだ。
 

正門に向かう交差点に立てられた、「硬派」な主張の「立て看板」。「公安警察は立ち入り禁止」、「学費が高い!学費が高い!」、「職員にタックルされたのに『暴行した!?』
 

いろいろ書いてあるが、その実どの主張も穏やかで、妥当なものである。「広島カープV3」、「京大生平和的」あたりの、おふざけセンスも立て看板文化の貴重なスパイス。
 

こちらは正門前の様子。この日の夕刻立て看板規制についての講演会が行われる告知も(ちなみに連絡先が「田所」という方で、新聞などに電話番号が記載されていたが、どういうわけか私に電話での問い合わせ(間違い電話)が数件あった。
 

正門の横、吉田寮問題をマンガで示した立て看板。絵、内容とももう少し洗練さが欲しいところ。
 

国際化時代らしく抗議文も英語と繫体字で。
 

「どうただではすまないのか?」が不明ではあるが、強固な意志を感じさせるメッセージ(メッセージが強固なわりには字体が優しいのもよい)
 

「それはお前がやるんだよ」。無責任で無頼だが、実は「それは俺がやるんだよ」の反語ともとれるマニフェスト。黒字に白のシンプルさと詩的表現がよくマッチしている。
 

背景が黄色だと黒が際立つ原則を、あえて選ばなかった配色。「立て看板、どんどんつくって、どんどん立てよう」にすれば五七調になるのに、わざと「を」を入れて韻を踏んでいないところにも要注目。
 

人畜無害、京大の「学生はん」らしいサークルのようだ。立て看板もどことなくお行儀がよい。
 

吉田寮の入り口。「ここはひみつきち『よしだりょう』年三万円(水光熱込み)で家具・友だち・イベント付」なんとも魅力的な条件ではないか。この吉田寮が当局から狙い撃ちされている。
 

立て看板とは直接関係ないが、京大自由のシンボル「西部講堂」。屋根に描かれた三つの星の意味は読者において調べられたし。「世界一クレージーな場所」と称賛され、国内外の一流ミュージシャンも多数舞台に立った。
 
さて、5月1日以降京大当局これらの立て看板をどう扱うのだろうか。限られた数しかご紹介できていないが、学生による「立て看板」が「表現活動」であることはご理解いただけたであろうか。そして、私は自分が持ち合わせないこれらの感性に触れることを、常に楽しんできた。

自由は貴重だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

『NO NUKES voice』15号〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか

 

2018年4月28日付毎日新聞

〈京都大は5月1日から、本部がある吉田キャンパス(京都市左京区)の周囲に学生が設置した立て看板の規制に乗り出す。京都市から昨年10月、屋外広告の条例に違反するとして文書で行政指導を受け、構内の指定場所以外は設置させない方針に転換した。「タテカン」は学生文化として許容されてきた側面もあり、「形式的」「自由の学風に反する」と反発の声も上がる。〉(2018年4月28日付毎日新聞

いよいよ、その時がやってきたようだ。京都大学が大学の周囲に向けて、学生が並べている「立て看板」(通称「タテカン」)を京都市の条例を根拠に、排除の動きに出るらしい。月に一度京大の様子は通りすがりに観察しているが、今月の初頭までさしたる変化はなかった。さて、5月1日以降はどうなるのであろうか。この問題は本コラム並びに鹿砦社LIBRARYの拙著『大暗黒時代の大学』のなかでも比較的詳しく取り上げている。興味おありの方はご覧いただければ幸いだ。

◆「タテカン」規制で消滅する学生の自由

どうして何十年も前から、常時そこにあった「立て看板」を京都市は「屋外広告の条例」を根拠に問題にしだしたのか? それは京大の当局が、すでに大幅に後退している「学生の自由」の完全消滅を目指し、管理体制の強化を図っているのが根底の原因である。京都大学には熊野寮、吉田寮といった「自治寮」があるが、京大当局は吉田寮に対して、一方的に「新たな寮生募集の禁止」と寮の一部改築を通達している。これも、学生自治の拠点である「自治寮」を潰したいとの本音の現れだ。

そして、要注意なのは京大当局が「学生自治」をテーマや問題にする立て看板だけではなく、あまねく学生が作成した「立て看板」を規制しようとしていることだ。毎日新聞の記事にある通り、京大周辺には様々な団体の立て看板が林立しているが、そのほとんどは演劇や、落語サークルだったり、体育系クラブの立て看板で、政治色を帯びたものは全体の1割にも満たない。しかし、それすらも京大当局にとっては「容認しがたい」のだろう。

「しかし市は、コンビニエンスストアなどの看板も場所によって落ち着いた色調に変えてもらうなど、古都の景観保護に力を入れており、『京大も例外ではない。市内の他の大学で違反はない』と説明する」と真顔で語っている。

京都市の役人にとっては、商業施設の広告と大学の学生による表現活動の違いが、まったく理解できないようだ。コンビニやマクドナルドは「商売」だろうが! だから世界中で京都市だけがマクドナルドは看板の色を変えたんじゃなかったのか。学生の表現活動と企業の広告との区別がつかない。もうこんな低レベルな行政が京都市ではまかり通るようになってしまったのだ。

 

朝鮮半島地図

◆「朝鮮半島の非核化」を喜ばない隣国の歪み

時あたかもお隣の朝鮮半島では、多くの人が予想だにしなかった「平和」に向けての流れが勢いを増している。「〈京大〉「立て看板」撤去へ 市「条例違反」で指定外ダメ」との毎日新聞記事が配信された前日には、南北の首脳会談が板門店で行われ、韓国のテレビは1日中その様子を生中継し、「平和」、「戦争を終わらせる」との言葉が伝えられるたびに市民は喜びに沸いた。朝鮮が独裁国家であろうと、過去にあれこれ問題を起こしていようと、「朝鮮半島の非核化」は慶賀に堪えないニュースであり、それが実現し、さらには南北首脳が統一を指向する同意に至ったことは、とてつもなく喜ばしい報せだ。

他方日本では、「自由な学風」といわれた(あえて過去形で書く)京大で、学生自治の最終破壊が画策されている。大学法人化して以降の国立大学や、公立大学では「学問」よりも、「経営(経済)」のが高い価値を占めるようになった。これからますますその傾向は強まるだろう。文科省は既に私立大学の破綻を見込んで、地方ごとに国立大学法人を中心とした大学のブロック化(大学の合併)を進める案を表明している。

そこには「学問」とはいかにあるべきか、「大学の果たすべき本質的な社会的な役割は何か」といった哲学は微塵もない。大学を「企業」同様に考えてその「経営」の効率化だけを目指そうとしている。それが文科省であり、多くの大学の今日の姿だ。

それにしても世の中には「金では買えない」価値があることを、京大当局や、京都市は気が付かないのだろうか。京都は国内外からの観光客でにぎわっているけれども、京都の歴史や遺産は「金」で創造できるだろうか。大学が狭い地盆地に集まる、京都独自の「学生文化」は経済活動に置き換えることができるだろうか。どれだけの頭脳を京都大学が輩出してきたか、それの背景にはどのような学風があったのか、を一顧だにしない京大執行部や京都市は、「経営者」としても失格であることが、近く証明されるだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

『NO NUKES voice』15号〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか

週刊現代5月5日・12日合併号(4月23日発売)のモノクログラビア特集〈「芸能人本」の世界〉に、鹿砦社社長・松岡利康が登場している。週刊現代に掲載予定がある、と聞いていたので、さっそく朝、近所のコンビで手にしてみると、巻頭カラーグラビアは「研究者としての天皇家」。天皇ヨイショの訳の分からない企画。続いて「目が喜ぶ『日本の美食』」。合併号用に編集部があらかじめ用意していた、時事性はない企画が並ぶ。ついで、「これが日本の『10年後』」と、良くも悪くも週刊現代らしい特集に続き、生誕100年「田中角栄の『予言』」と、松岡登場の前に「天皇」、「田中角栄」という「大物」が露払いをつとめる形になっている。

週刊現代5月5日・12日合併号(4月23日発売)より

〈暴露本出版社 鹿砦社社長が振り返る「戦いの歴史」〉には、ご覧の通り松岡のインタビューと写真が数点掲載されている。笑ってしまうのは〈暴露本の真実か、真実の暴露本か〉との大見出しを中央に掲げる、「95年、毎日新聞に出稿するための作成した全面広告。「品位がない」との理由でボツにされた」広告がここで日の目を見ていることだ。

「地震がなんだ、サリンがどうした!?」のコピーは「品位がない」と言われても仕方のない側面はあるだろう(笑)。そうだ、90年代の半ばから後半にかけて、私自身が「鹿砦社って何ものなんだろう。松岡利康ってどんな人物なのか」と斜めから見ていたことは事実であるし、あちこちの月刊誌や広告で目にする出版物の大方は、「ちょっとこれどうかな……」と近づきがたい感触を持っていた。

鹿砦社の「暴露本」路線が絶頂期を迎えるのも90年代中盤から後半だが、その後2005年には名誉毀損に名を借りた「言論弾圧」で松岡が神戸地検に逮捕され、会社存続の危機に直面させられる。それまで周りにいた人間が、次々去っていく中、入社後1年で松岡の不在中の切り盛りを任された、中川志大(現在『紙の爆弾』編集長)は「みんな、いなくなちゃうから、なんとなくこのままいた方がいいかなと思ったら、結構大変なことになりました」と飄々と当時を振り返るが、駆け出しでいきなり大きな危機を経験した中川はいまや業界で、押しも押されぬ、若手敏腕編集長として名前が知られている。

同インタビューの最後で、松岡は「ネタさえあれば、まだいくらでも暴露本を出しますよ」と意気軒高なコメントで結んでいる。が、「まだ」どころではない。現在進行形でまたしても「爆弾本」(暴露本)の編集に明け暮れているのが、松岡の姿である。今年も松岡にゴールデンウィークはないであろう。

それにしても縁は奇なものである。当時は面識もなく、「ちょっとどうかな……」と思っていた「鹿砦社」のコラムに、自分が寄稿することになろうとは20数年前には、想像もしなかった。また「鹿砦社」の硬派でありながらアナーキーな魅力が脈々と継続していることも知りはしなかった。

あるとき松岡に「どうして芸能暴露本をはじめたのですか」と聞いたことがある。「たまたまやってみたら、面白くなってやめられなくなったんですよ」と本当に楽しそうに笑いながら答えてくれた。正直なところ松岡は経営戦略的に「芸能暴露本」をはじめたのではなく、私への回答どおり「たまたま」はじめたのだろうと思う。彼が会社に勤務していた頃から発刊をはじめた季刊誌『季節』を目にすれば、出版界に足を踏み入れた動機がどのあたりにあるかは、容易に想像がつくし、それは「暴露本」路線とは、かなり距離のあるものだったように感じられる。

ともあれ、現在も芸能人写真集では不動の地位に君臨する「鹿砦社」。みずから「書かせて」もらっていながら不遜ではあるが「なんとも不思議な出版社」であることに間違いはあるまい。それゆえ今後試練があろうとも「鹿砦社の進撃」は、止まることなく続くであろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『紙の爆弾』5月号 安倍晋三はこうして退陣する

〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか 『NO NUKES voice』15号

〈北朝鮮の朝鮮労働党中央委員会第7期第3回総会が4月20日、開かれ、21日から核実験と大陸間弾道ミサイル(ICBM)の試験発射を中止し、北部の核実験場を廃棄することを決定した。
 また、朝鮮半島の平和と安定に向け、周辺国や国際社会と緊密に連携、対話していく方針を打ち出した。朝鮮中央通信が21日、伝えた。金正恩党委員長は、核開発と経済建設を同時に進める「並進」路線について、「国家核戦力の建設が完璧に達成され、貫徹された」と宣言。「今や、いかなる核実験も中・長距離、大陸間弾道ミサイルの試射も必要なくなり、核実験場もその使命を終えた」と強調し、社会主義経済建設に総力を集中する新たな戦略路線を表明した。
 これを受け、トランプ米大統領はツイッターで「大きな前進だ。(米朝)首脳会談が楽しみだ」と評価。安倍晋三首相は記者団に「前向きな動きと歓迎したい。核・ミサイル開発の完全、検証可能、不可逆的な廃棄につながるかどうか、しっかり注視したい」と語った。〉(時事通信2018年4月21日付)

「いままで散々嘘をついてきたから信用できない」
「ポーズですよ。ポーズ」
「はたして真意はどこにあるのんでしょうか?」

大マスコミから、市民まで朝鮮の「核」に関する態度の急変に驚きや、不信感を抱いておられる方は少なくないだろう。しかし、私はこのような選択肢もありうるであろうことを従前から予想していた。

その理由はこの島国での、報道だけ見れば朝鮮は、あいも変わらず話の通じない「無法な国」のような印象を受けるけれども、朝鮮国内には欧州から相当の投資がすでに行われており、中国やベトナムがたどってきた「解放・改革路線」と同様な変化が見て取れたこと(朝鮮国内でいちばん流通している外貨は「ユーロ」だ)。

そもそも「核兵器」を作ると豪語したところで、朝鮮が保有している(または作り出すことのできる)プルトニウムの量は、日本に比べてもごくわずかであり、核弾頭計算で数発分にしかならないこと。さらには、朴槿恵退陣直前に外交委員会を再開し、本格的な外交の準備を整えつつあったこと。そしてなにより、正確な金額は明確にされていないけれども、朝鮮の国家予算は「島根県」程度であるとの複数筋からの情報に基づけば、朝鮮が自滅覚悟の戦争を選択しない限り、外交に打って出るのは自明ですらあったからだ。

お仲間の去就が激しホワイトハウスに比べれば、独裁国家朝鮮の政治基盤は揺るぎない。外交委員会と金正恩が「路線転換」を宣言すれば、たちまち態度をかえるのは簡単なことだ。

なにより歓迎したいのは、実際は大した問題ではなかった「核・ミサイル」の放棄よりも、朝鮮が「平和」を明言し外交を展開しだしたことだ。古い話は忘れたい読者もおられようが、そもそも朝鮮半島が南北に分断された責任は日本にある。大韓民国には「不平等条約」ながらわずかな戦後賠償をしたけれども、日本は朝鮮に対して侵略・占領の賠償を1円も行っていない。

◆2002年小泉―金正日会談で交わされた「日朝共同宣言」

外交は「善意」で成立するものではないことを承知のうえで、私は日本から朝鮮に正式な国交樹立と賠償の支払いを提案すべきだと考える(昨今の論調にあっては「何を北朝鮮の肩を持って!」との批判が聞こえそうだが、2002年小泉―金正日会談で交わされた「日朝共同宣言」には明確にその方向が示されている)。ご存じない方が多いだろうからその全文をこの際、紹介しておこう。

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《日朝平壌宣言》

小泉純一郎日本国総理大臣と金正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員長は、2002年9月17日、平壌で出会い会談を行った。

両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した。

1.双方は、この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注することとし、そのために2002年10月中に日朝国交正常化交渉を再開することとした。
 双方は、相互の信頼関係に基づき、国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む強い決意を表明した。

2.日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。
 双方は、日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、双方が適切と考える期間にわたり、無償資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施されることが、この宣言の精神に合致するとの基本認識の下、国交正常化交渉において、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することとした。
 双方は、国交正常化を実現するにあたっては、1945年8月15日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則に従い、国交正常化交渉においてこれを具体的に協議することとした。
 双方は、在日朝鮮人の地位に関する問題及び文化財の問題については、国交正常化交渉において誠実に協議することとした。

3.双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した。また、日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した。

4.双方は、北東アジア地域の平和と安定を維持、強化するため、互いに協力していくことを確認した。
 双方は、この地域の関係各国の間に、相互の信頼に基づく協力関係が構築されることの重要性を確認するとともに、この地域の関係国間の関係が正常化されるにつれ、地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していくことが重要であるとの認識を一にした。
 双方は、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した。また、双方は、核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ることの必要性を確認した。
 朝鮮民主主義人民共和国側は、この宣言の精神に従い、ミサイル発射のモラトリアムを2003年以降も更に延長していく意向を表明した。

 双方は、安全保障にかかわる問題について協議を行っていくこととした。

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この文章には小泉純一郎と金正日が署名している。歴史経緯を考えれば至極当たり前、基礎的な合意に過ぎない。それが吹っ飛んで「制裁!制裁!」と朝鮮を極悪国のように意識づけたこの間の国際世論、とりわけ日本政府・マスコミは真摯に反省し、「平和」と南北統一に向けて少しは働いたらどうだろうか。朝鮮問題に限らず、常に米国追従の外交姿勢の破綻は、今回の「日本はずし」でだれもが認識しただろう。自らの意思を持てないもの(個人・国家)は、まともに他者から相手にはされない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『紙の爆弾』5月号 安倍晋三はこうして退陣する

〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか 『NO NUKES voice』15号

 

サイト「マガジン9」

〈憲法と社会問題のことをやってます。「マガジン9」の“9”が示す通り、ずばり憲法9条のことから始まりました。日本国憲法と私たちの生活のつながりについて考えたり、憲法に関わるさまざまな出来事や議論について、広く伝えるためのウェブサイトです。発足以来、多彩な企画や執筆者のコラムによる独自コンテンツをお届けしています。〉(「マガジン9」とは?

長年勘違いしていた。上記は「マガジン9」のサイト内紹介文だ。しっかり読んでいなかったのでてっきり「9条を守る」趣旨で始まったと長年思い違いを続けていたけど、〈憲法と社会問題のことをやってます。「マガジン9」の“9”が示す通り、ずばり憲法9条のことから始まりました。〉とあるように、どこにも「護憲」や「9条を守る」とは書かれていない。

石坂啓(漫画家)、上原公子(前国立市市長)、小山内美江子(脚本家)、香山リカ(精神科医)、姜尚中(東京大学教授)、きむらゆういち(絵本作家)、小林カツ代(料理研究家)、小室等(ミュージシャン)、斎藤駿(カタログハウス相談役)、佐高信(評論家)椎名誠(作家)、ピーコ(服飾評論家)、毛利子来(小児科医)、森永卓郎(経済アナリスト)、吉岡忍(ノンフィクション作家)、渡辺一枝(作家)、渡辺えり(劇作家/演出家/女優)

2006年の発足当時の発起人には上記の人たちが名を連ねている。12年でだいぶ豹変なさった方も含まれるが、当時のこの顔ぶれは少なくとも「改憲を目指す」集団には見えないし、見えなかった。

◆伊勢崎賢治の主張は正気の沙汰とは思えない

しかしその後の登場人物は、どんどん怪しくなる。先日あまりの無知ぶりを本コラム(「確信犯か?バカなのか?東京外大・伊勢崎賢治〈リベラル改憲〉論の支離滅裂」)で批判したら伊勢崎賢治が、

伊勢崎賢治=東京外大教授のツイッター

と反応してきた。伊勢崎のツイッターを初めて見たが、正気の沙汰とは思えない主張が延々続く。ちょっとまて。理解できないわたしの頭が悪いのだろうか?

伊勢崎賢治=東京外大教授のツイッター

伊勢崎賢治=東京外大教授のツイッター

伊勢崎賢治=東京外大教授のツイッター

時間にゆとりのある、好戦的な年金生活者や、青年期に小林よしのりに影響を受けて育ってしまった、不幸にも無知な若者が書き込んでいるのではない(もっとも小林よしのりは、「再転向」して最近は反自民になっているようだが)。伊勢崎は東京外大の教授だ。

繰り返すが、いったい何を主張したいのか? わたしにはさっぱり理解できない。どなたかわかりやすい解説をしていただける方がいらしたらわたし宛にメールを頂きたい(メールアドレスは本文の下に明記している)。

◆「マガジン9」は「護憲」なのか?「改憲容認」なのか?

原発賛成で本性が明らかになった森永卓郎。思想・立場を変幻自在に変え、一見物分かりがよさそうに見えて、確信的な右翼にして「しばき隊」の擁護者、鈴木邦男。保守を自認・明言する中島岳志。仲間内ではなんとなく「護憲」のように振る舞っているけれども、2014年5月15日に関西発極右娯楽番組「たかじんのそこまで言って委員会」に出演した際、決して頭脳明晰とは思われない、軍事漫談家の井上和彦に「右翼でもいいから、何でもいいから、9条好きなんでしょ?」と聞かれ、「好きっていうよりは、具体的なツールとして根拠として使えるんじゃないかと思ってますね。」としか言えなかった雨宮処凛。ひたすら「国民投票」を行いたくて、福島第一原発事故後にも「原発の是非を問う国民投票を!」と、突拍子もない我田引水をあちこちで言い回り、周囲から呆れ果てられた今井一。

「マガジン9」には、「護憲」を明言する者はほとんど見当たらない。こういった「何かを主張しているようで、その実曖昧模糊として、改憲派のアマルガム(合成物)たる」役割を担っているのが「マガジン9」の実態ではないのか。正面突破を目指す「改憲勢力」は「マガジン9」のように「リベラル」の衣を纏った「間諜」によって援護射撃を受ける。

「マガジン9」に質問する。あなたたちは「護憲」なのか?「改憲容認」なのか? 旗幟を鮮明にせよ。過去「マガジン9」が主催するイベントに参加したこともあり、その際には強い違和感を覚えなかったが、伊勢崎を筆頭に明確な改憲派や憲法についての知識のない者が、ここまで多数登場すると問い質さざるをえない。

わたしは日本国憲法至上主義者ではない。現憲法が最高の完成形だとは考えない。前文には同意し好感するが、その直後1条から8条で国民ではなく天皇が規定されている点などに違和感を持つ。しかし、それらを甘受しながら、現在かわされている改憲をめぐる議論を目の当たりにすると、わたしは「護憲」ファンダメンタリストでしかありえない。

「9条加憲」などと中途半端な責任逃れの議論は、唾棄の対象でしかない。残念ながらこの島国の民族は、

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

と、ここまで明確に軍隊の不保持と交戦権の放棄を憲法に明文化しても、御託を並べて、自衛隊を作り、海外に派兵する国なのだ。この文言が少しでも緩まれば、為政者がさらなる軍備増強と戦争を企図することは、現状を見れば明らかじゃないか。悲しきかな最高法規を守ることのできる知的水準と、遵法精神がこの国にはないのだ。だから現状がどうであれ、改憲には絶対に反対する。PKOを肯定する論などには一切賛同できないし、集団的自衛権など論外だ。

読者諸氏にも自己点検をお勧めする。もとより改憲派のかたはともかく、自分の考えがどうなのか、定まっているかどうか不明瞭な方に。リトマス紙として「マガジン9」を一読されると良いかもしれない。こと「改憲」問題において中間的態度などは存在しない。「戦争」を引き起こすのが「普通の国」とする考えに賛成するのか、反対か。鹿砦社社長松岡もわたしも「改憲」に関しては絶対反対の原理主義者だ。

騙されてはいけない。街頭でラップ調の「安倍政権反対」を口にする連中の中にも、改憲派は潜り込んでいる(もちろんそうではない護憲派が多数だが)。9条2項削除を明言した、軽率学生集団SEALDsやそれを擁護した知識人ども。連中は全員改憲派と見做していい。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『紙の爆弾』5月号 安倍晋三はこうして退陣する/編集長・中川が一から聞く日本社会の転換点/日本会議系団体理事が支持「道徳」を〝数値評価〟していた文科省研究開発学校 他

 

2018年4月9日付読売新聞

相変わらず誰かの弱点を見つけると、攻撃に容赦のない性格は変わらないようだ。4月9日参議院決算委員会で質問に立った西田昌司議員は官僚を罵倒して見せた。「西田の罵声」、数年前まではもっぱら、中国、朝鮮への攻撃や差別に集中していて、いわゆる「ネトウヨ」の皆さんには「西田砲」などと評判が高かったようだが、「ヘイトスピーチ対策法」立法で有田芳生議員(現立憲民主党)と握手を交わしてからは、「売国奴」、「裏切り者」とかなり手痛い攻撃にさらされていた。

でも、立場の弱い人間を見つけるや、鬼の首でも取ったようにはしゃぎまくるパフォーマンスに変化はない。午後には野党の質問が控える。その前に強烈なイメージで売り込んでおかないとテレビ中継も入る委員会で存在感は保てはしない、と考えたのだろう。「西田砲」は一見健在に見えるかもしれない。


◎[参考動画]太田理財局長、森友との口裏合わせ認め陳謝「ばかか!」自民・西田昌司議員(2018年4月9日参議院決算委員会から抜粋)

◆追い詰められたのは官僚ではなく西田が所属する自民党と公明党の連立政権

だが、追い詰められているのは西田も所属する自民党と公明党が連立を組む、政権に他ならない。過日、本コラムで触れたが、日本の官僚組織は独自の文化で「鉄の結束」を保持している。ここにきてさらに防衛省からあらたな「隠蔽日報」が見つかったり、財務省が口裏合わせを認めたことは、まったく偶然ではない。官僚の側から「政権」への見切りが確定的になったというメッセージが発せられただけのこと。これを食らって一番困るのは与党であり、内閣だ。

一見従順そうに見えるが、官僚の強烈な結束と権利意識、そして何よりも彼らの高学歴は、選挙の時だけ綺麗ごとを並べる凡庸な政治家とは底力が違う。国会に出てきて形ばかり答弁をしているから、「役人」にしか見えないけれども、省庁の次官や次官補にまで成り上がる連中は、猛烈な自我を私生活では持っている。国会ではあんなにおとなしいのに、こんなハチャメチャな性格なのか、と呆れるほどの公私に差がある高級官僚と酒を飲むと腰を抜かしそうになる。

そして彼らの多くは、実は政治(家)などを恐れてはいない。昔親しかった同年齢の官僚は、年齢を重ねると「役人」らしくなるのか、と思っていたがさにあらず。ここには到底書けないような強烈な個性の持ち主が少なくないのだ。西田が吼えようが、わめこうが官僚は何とも思っていないだろう。「なんなら次にはこれを出してもいいんだよ」との冷え冷えとした声が聞こえてきそうだ。

勘違いされては困るから明言しておくが、私は官僚の「鉄の結束」や文書改竄、隠蔽、文書を「破棄した」との虚偽答弁を肯定しているのではまったくない。言語道断の不法行為であり、検察の特捜部は、このような時にこそ「有印公文書偽造」や「背任」で現役・元職の高級官僚を検挙するのが仕事だろう。いま発売中の『紙の爆弾』5月号で編集長中川志大が神戸学院大学の上脇博之教授にこの問題をインタビューしている。官僚とは? 民主主義とは? 公文書とは? 情報公開とは? がわかりやすく解説されている。


◎[参考動画]国会【森友問題これで終了か】昭恵夫人は潔白!西田昌司議員が終了宣言をする引き金となった質疑応答!=《森友学園問題》西田昌司・自民党、安倍晋三内閣答弁【2017年3月24日国会中継 参議院 予算委員会】 (2017年3月25日マネーVoice公開)※当時は佐川氏も余裕の答弁。今となってはチャンチャラおかしい1年前の国会西田劇場35分!

◆民族差別剥きだし国会発言連発の西田が有田芳生と組んで成立させた「ヘイトスピーチ対策法」

西田昌司議員(自民党)と有田芳生議員(現・立憲民主党)

ところで西田である。この男は一言でいえば「京都の恥」だろう。右翼的な政治姿勢ながら有田芳生と握手して実質「言論弾圧」を誘引しかねない「ヘイトスピーチ対策法」を成立させた戦犯であることを忘れるわけにはいかない。

国会の中で散々民族差別剥きだしの質問を多発していた西田が、ある日急に自身の罪を悔い改め180度思想や価値観を変えることなどあるだろうか。ない。断じてない。

西田が吼える相手は、常に「攻めやすい」相手ばかりである(と西田が思っている)対象ばかりで、西田の差別心に揺らぎはまったくない。

この点の相似人物は二階俊博だろう。ただし、靖国に参拝しながら中国利権を一手に握る二階は西田ほど目立ちたがらず、大声を出さない。地道に無節操をコツコツと続け、今日の地位を手に入れたのが二階だ。

空虚に吼える西田は無節操な三文役者である。だが、残念至極は、演技ではなく、質問内容で、確実に倒閣を果たすことができる弁舌を備えた野党議員がほとんどいないことだ。

これだけの材料がそろっていて一人前の料理(倒閣)が出来なければ料理人失格だ。どこかにいないか? いるはずだろう。


◎[参考動画]「なぜヘイトスピーチを規制するのか」西田昌司×有田芳生 ヘイトスピーチ対談 VOL.1(2016年5月31日shukannishida2公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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