米空軍横田基地HPより

 

米空軍横田基地HPより

 

CV-22 Osprey

首都圏に突如オスプレイがやってきた。本来の配備予定を1年以上繰り上げ、横田基地(東京都福生市、瑞穂町、武蔵村山市、羽村市、立川市、昭島市)への配備である。海兵隊は被害総額が200万ドル(約2億2700万円)以上か、死者が出るような重大事故の10万飛行時間当たりの発生率を機体の安全性を示す指標として使用しているが、オスプレイの「重大事故率」は2017年3.27で海兵隊機全体の平均2.72を上回っている。ちなみに普天間基地に配備前2012年4月時点では、オスプレイの「重大事故率」は1.93と発表されていた。3.27は配備前の約1.7倍に危険性が増したことを示す数字だ。

しかも「重大事故率」は前述のとおり、大規模事故や死者が出た際だけに限られているので、その規模以下の被害は「重大事故率」には含まれないから、オスプレイは実質上「海兵隊で最も危険な機体」だと表現して過言ではない。横田基地配備をめぐっては、事前より地元の反対が強くあり、配備取り消しの訴訟も提訴されている。

◆危険な輸送機に3600億円費やす必要性

この配備について、したり顔で「北朝鮮に睨みを利かせるための配備ではないか」などと間抜けな顔をさらしてコメントしている自・他称専門家がいるようだが、飛行距離は長くとも、機関砲もなく攻撃能力が低く、頻繁に重大事故を起こす輸送機を東京に配備して「北朝鮮への睨み」になると本気で考えているのであれば、自・他称専門家は、単なる「妄想家」と言わなければならないだろう。

〈小池百合子都知事が会長を務める「横田基地に関する東京都と周辺市町連絡協議会」は防衛省北関東防衛局に対し、迅速な情報提供を求めるとともに、米国に安全対策の徹底などを働きかけるよう申し入れた。〉らしいけれども、これは実のところ「何もしていない」と書くのが正しい。米陸軍ですらがコストパフォーマンスに問題ありとして、導入を断念したオスプレイ。日本政府は既に17機を3600億円で購入する契約を結んでいるが、これは米陸軍が断念した額のほぼ倍に相当するという。

どうして、こうも無意味で危険なだけの輸送機に3600億円も費やす必要があるのか。そしてなによりも、ほかならぬ沖縄でオスプレイは「実際に墜落」しているではないか。豪州でもシリアでも昨年墜落している。実戦中ではなく訓練中にこうも頻繁に墜落したり、機体部品を落下させるのは、ひょっとしたら最初から「自軍攻撃」のために意図して設計されたのではないか、と勘繰りたくもなる欠陥構造であることはもう、あらゆる事実が証明している。

◆オスプレイがこのタイミングでなぜ横田基地へ急遽配備されたのか

 

2018年4月5日付毎日新聞

そのオスプレイがこのタイミングでなぜ横田基地へ急遽配備されたのか? うがった予想はいくらでも成り立つが、確実であろうことは、安倍政権が無理やり「いま」横田への配備を決めたのではないであろうということだ。公文書の捏造、自衛隊日報の隠蔽、森友学園、加計学園問題の噴出で、政治に興味の薄い国民の間でも安倍内閣支持率は確実に下がっており、安倍首相自身が国会での答弁に窮する場面も多発してきた。

常に自民党政権擁護の月刊「文藝春秋」も、昨年の6月号から安倍政権批判を始めている。「文藝春秋」に叩かれだすと政権は赤信号だ。過去「文藝春秋」から見放されて政権の多くが数カ月で崩壊している。しかし、安倍政権は依然として続いている。このこと自体が異常なのだ。

朝鮮を取り巻く外交では完全に「蚊帳の外」におかれ、メンツ丸つぶれの日本外交。ホワイトハウス要人の相次ぐ辞任、解任に管理官から「これだけ主要人物が入れ替わると顔を覚える時間がない」との愚痴が漏れ聞こえてくる米国政権中枢の混乱。そして冷戦時代の再来か、と思われるほど多量の外交官追放合戦を繰り広げる米欧諸国とロシアの急激な関係悪化。世界が狼狽している間に中国を訪問し、後ろ盾を取り戻し、板門店での首脳会議に臨む準備万端な朝鮮。

これらの国際情勢が横田基地へのオスプレイにまったくの無関係ではあるまい。しかし明確に因果関係を断言することはかなり困難だ。可能性としては「日米合同委員会」で突如米国側から日本への通告があったであろう。アジア戦略に混乱の極みの米政権内の混乱が、オスプレイ横田配備という唐突な出来事として表出したのではないだろうか。

確実なことは、横田基地周辺の住民はこれから不安な日々を過ごさねばならないことだけだ。

米空軍横田基地HPより

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新『紙の爆弾』5月号 安倍晋三はこうして退陣する/編集長・中川が一から聞く日本社会の転換点/日本会議系団体理事が支持「道徳」を〝数値評価〟していた文科省研究開発学校 他

〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか 『NO NUKES voice』15号

 

2018年4月6日付時事通信

〈防衛省が存在しないとしていた陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報が見つかった問題で、小野寺五典防衛相は4月6日、日報が航空幕僚監部にも保存されていたことを明らかにした。小野寺氏によると、空幕運用支援・情報部で、イラク派遣部隊の日報が3日分3枚見つかった。5日に国会議員から資料要求を受け、探索する過程で同日中に確認されたという。 昨年2月に国会議員から照会を受けた際は「ない」と回答していた。小野寺氏は「日報が残っていたことは大変遺憾だ」と述べた。〉(2018年4月6日付時事通信)

「ない」と大臣が国会で答弁した書類が、次々と「あった」ことが明らかになっている。あるいは情報公開請求に黒塗りで、回答された文書が実は「改竄」されていたことが発覚し、関係した官僚は即座に辞職(懲戒免職では退職金が受け取れないからだろう)、証人喚問に呼ばれても「刑事訴追の恐れがあるから答弁は控えさせていただく」を繰り返し、神妙な表情とは裏腹に内心「証人喚問なんて、与党政治家との折衝に比べればどーてこたぁないさ」とでも考えているのだろう。

◆日本官僚制と旧ソ連「ノーメンクラツーラ」の類似と相違

「日本の首相はコロコロ変わるが、官僚機構が優秀だから安定している」と他国から長年評価(?)されてきたけれども、この島国官僚の優秀さとは、今日的にはつまるところ、公文書の改竄や隠蔽を行っても、それを政権から咎められない、あるいはその事実さえ「ばれはしない」、というソ連時代の「ノーメンクラツーラ」ばりの利益共同体、鉄の結束を意味するだけのことであり、その点「秘密結社」としては「優秀」との評価は、失当ではないともいえよう。

けれども政権交代によっても変わることのない「秘密結社」を、実際の最高権力に頂く国民にとっては、「民主主義」も「情報公開」も「遵法精神」も、すべてが内容を伴わない空念仏であることを、重ねて思い知らされるだけのことであり、不幸の極みというしかないだろう。あえてソ連時代の「ノーメンクラツーラ」を引き合いに出したが、当時のソ連では、高級官僚が情報の扱いを少し間違うと、たちまち「失脚」する危険と背中合わせで「鉄の結束」は維持されていたのだ。この島国の官僚は違う。

この島国では、官僚に就任する前から十分な社会教育を受ける。「長い物には巻かれろ」、「見ざる聞かざる言わざる」、「君子危うきに近づかず」、「出る杭は打たれる」……。おとなしくしておけば損はしない。「王様は裸だ!」とは言ってはいけない。ましてや職務上の倫理より優先する社会的公正を、仕事の上で実践してはいけない。これらは公教育で教師の口から「はっきりと」伝えられるものではない。親や保護者もおそらく、あからさまにそのように躾はしない。子供は成長過程で大人のふるまいや「背中」を見て、自然に自己生成を完成させていくのだ。

小情況においての「長い物には巻かれろ」、「見ざる聞かざる言わざる」、「君子危うきに近づかず」を無意識の教条とする生活態度は、同僚と無言での合意を形成し、個の判断から、小集団の意思決定を後押しする。各部署で相次ぐ「無意識の合意」は金科玉条、憲法よりも精神的には上位概念である「忖度」原則を踏まえ、やがては政策に反映される。

◆PKO派兵には別の「秘密」があったのだろう

「自衛隊の日報が破棄されている」ことなんかあるはずがない、ことを私は確信していた。自衛隊がそのようなことをすれば、事後の業務に重大な支障をきたすし、「軍隊」には交戦がなくとも、記録を専らの業務とする兵隊が常駐している。近代軍隊の基本だ。

稲田防衛大臣(当時)が「日報は見つからなかった」と国会で答弁するたびに、稲田の極右思想を考慮に入れて、防衛省は「稲田ごときにアルカーナ」を知られてたまるかと思慮しているのか、と私は想像していた。日報のように事実を書き残すものだけではなく、南スーダンへのPKO派兵には別の「秘密」があったのだろう。

それはPKO部隊が派兵された地域が「非戦闘地帯」ではなく「実戦」が続いている場所であった事実だ(そのことを示す証拠は現地視察に訪れた稲田が、当地にわずか8時間以下滞在しなかった事実、ほか「シュバで実戦が続く」と多くの証言があったことから明らかだ)。

◆官僚組織の精神性──憲法の上位概念としてこの国に根付くもの

大臣の任期は首相から任命を受け、その政権が終焉するまでだが、官僚の任期は入庁(省)してから退職までだ。どちらが長く、保身のためには何を優先すれば自己の利益になるのかは、庶民にでもわかる。

官僚による、公文書の改竄・隠蔽・虚偽の破棄は、もちろん大問題だが、その土壌には官僚組織が固く保持する精神性が作用しているのではないか。省庁ならずとも企業においても、同様の精神性は散見される。それらは憲法より上位概念として、広く行き渡り、定着しているように感じる。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか 『NO NUKES voice』15号

 

伊勢崎賢治「憲法9条を先進的だと思ってる日本人が、根本的に誤解していること」(2018年2月6日現代ビジネスより)

 

東京外国語大学教授で自称「紛争屋」の伊勢崎賢治が、本音を語りだしている。

「リベラルな実務家」と長らく人びとの目を欺き、「マガジン9」などにも顔を出していた伊勢崎は、「憲法9条を先進的だと思ってる日本人が、根本的に誤解していること」の中で倒錯しきった私見を述べている。

伊勢崎は、〈僕のように多国籍軍と一緒に働いてきた実務家にとって、現場で常に念頭に置いている最大の懸念は、我々自身の行動が国際人道法の違反、すなわち「戦争犯罪」を起こすか、である。多国籍軍は、それぞれ一応はちゃんとした法治国家から派遣されてくるから、武力の行使は原則的に「自衛」である〉

と、〈多国籍軍はそれぞれ一応はちゃんとした法治国家から派遣されてくるから武力の行使は原則的に『自衛』である。自衛のための武力行使ができる『開戦法規』上の要件は、まず攻撃を受けることである。そこを戦端として『交戦』が始まる〉という。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

この一文だけで、伊勢崎の論が破綻していることが証左される。「一応ちゃんとした法治国家」から派遣されてくれば、武力行使は「自衛」とは短絡にもほどがある。米国は伊勢崎に言わせれば「一応ちゃんとした法治国家」となるのだろう。ではこれまで米国が行った「自衛」はすべて、「攻撃」を受けてのものだったろうか。「紛争屋」伊勢崎は「一応ちゃんとした法治国家」の寄り合いであれば、それ自体が正当性を持つかのように前提を立てる。

これは、米国を中心とする、イラク侵略、アフガニスタン侵略、ソマリア内戦干渉などを当然知っている(伊勢崎はアフガニスタンには自身も武装解除でかかわっている)者の発言とはにわかには信じがたい。

アフガニスタンから「多国籍軍」にいったいいつ、どんな「攻撃」があって「開戦」したというのだ? 米国での多発ゲリラ事件(9・11)の主体は「アルカイダ」じゃなかったのか(のちに国際貿易センタービル倒壊の不自然さや、ペンタゴンの事故現場の検証と、墜落したはずの旅客機乗客とその家族の通話記録、機体の残骸などを見るにつけ、この多発ゲリラが「アルカイダ」主導で行われたものなのかどうかに、わたしは疑念を抱いている)。「アルカイダ」はアフガニスタン(国家)じゃないだろう?

アフガニスタン周辺に展開した多国籍軍へアフガニスタン側から、「先制攻撃」があったのか?そんな話は聞いたことがない。イラクも同様だ。イラクから多国籍軍への攻撃の後に「自衛」が行われた事実などないじゃないか。

そして伊勢崎は「つまり、自衛は、warなのだ」と言い切るが、これも言葉としての「自衛」を過大に膨張させ過ぎだ。「自衛=war」とする論理は、あまたの戦争が「自衛」あるいは「自国の権益保護」を言い分に行われた歴史に鑑みれば、合理的であるかのように騙されそうだけれども、それは戦争を肯定する連中の話法であり、「war=自衛」は戦争遂行者の自己弁護である。「自衛」は武力によらずとも、条約や経済交流、外交交渉、国連での仲裁などいくらでも手段はある。「自衛は、warなのだ」は短絡に過ぎ、説得力を持たない。

伊勢崎は〈日本人向けにさらに言うと、個別的自衛権もwarなのだ。生存のために必要最小限であれば9条も許すと日本人が思っているそれも、war(戦争)なのだ〉と「生存のために必要最小限であれば9条も許すと日本人が思っている」と勝手に決めつけているが、その日本人の中にわたし(わたし以外の少なくない人びと)は、包摂されない。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

政府が勝手に憲法違反の自衛隊を設立し、政府見解「個別的自衛権は許される」との詭弁を長年、改憲のために国民を騙す洗脳の道具として使ってきた事実は知っている。伊勢崎、日本政府にもう一度下記の日本語を読んでもらいたい。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

いわずもがな「日本国憲法9条」だ。この日本語のどこを、どう読んだら「自衛隊」の存在が許されるのだ(ちなみにわたしは護憲派ではない。明確な改憲派だ。ただし自民党などが進める改憲とは本質的に逆の方向に向かっての改憲派である)。

眼鏡をかけた若手の気鋭憲法学者も「個別的自衛権」が当たり前のように語っている。

先に述べたように長年政府見解も「個別的自衛権が憲法上認められる」としてきた。みなさん言いにくいからわたしが代わって明言する。自衛隊も、個別的自衛権も小学校で習う日本語文法で憲法9条を読めば、許される道理がない。この条文を読んで、自衛隊合憲、個別的自衛権は許されると解釈する人は、悪辣な「なにか」を目指す政治屋か、日本語の基礎がわかっていない人である。

さらに伊勢崎は、〈交戦しそうなら、退避すればいいじゃないか、として、わざわざ交戦の可能性のある現場に国家の実力組織を派遣することを正当化し、「解釈改憲」してきた日本〉と「解釈改憲」を批判するが、この批判は歴代政権に向けるべきもので、「『解釈改憲』」してきたのは、「日本」ではなく「日本政府」と明確にしてもらわねば困る。日本人の総意で「解釈改憲」がなされた事実などない。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

〈専ら「自衛」、つまり専守防衛を開戦法規の共通理念とする地球上の全ての法治国家が、主権国家の責任として、自らが犯す戦争犯罪への対処を、想定すらしない。通常戦力で五指の実力組織を保持する軍事大国が、である〉と伊勢崎は嘆く。

伊勢崎は大学教員だが、この文章は主語と述語がねじれている。〈専守防衛を開戦法規の共通理念とする地球上の全ての法治国家が、主権国家としての責任として自らが犯す戦争犯罪への対処を、想定すらしない〉の意味するものは何か? その主語を伊勢崎はもったいぶった倒置法で〈通常戦力で五指の実力組織を保持する軍事大国〉などと書き、「日本」と明示しない。がそれにしても「地球上の全ての法治国家」にイスラエルは入るのか? 米国は? シリアは?

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

わざわざ太字にして〈なぜ、在日米軍のオスプレーを心配し糾弾するリベラルが、異国の地ジブチで今も活動する自衛隊機を心配しない〉と、大発見でもしたかのように伊勢崎は舞い上がっているが、「リベラル」とはだれのことなのだ。少なくともわたしのことではない。わたしは「在日米軍のオスプレーを心配し糾弾するし、異国の地ジブチで今も活動する自衛隊機は憲法違反だから一刻も早く撤退すべきだ」としか考えようがない。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

極めつけは〈9条論議は、一度、英語原文に立ち返るといいと思う。「押し付け論」など、どうでもいい。GHQから変わらない英語原文だ。9条が、2項で、高らかに放棄する「交戦権」。日本人は、これを、「交戦する権利」と捉えているようだ。その当たり前の権利を平和のために放棄するのだからエラいのだ、と。しかし、上記ように、「交戦する権利」は、もう、ない。9条ができる前から、である〉

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

ここまでくると大学教員の発信とは信じられない。まったく実証的ではないばかりか、伊勢崎が倒錯に陥っていることは、次の部分で確定する。

〈筆者には、憲法学者をはじめ、いわゆる護憲派という政治スタンスをとる親しい友人の専門家たちがいる。その友人たちには、国民投票が現実味を帯びてくる将来に向けて、これからも、ブレることなく、主張を続けていって欲しい。護憲の「精神」は非戦であり、それは正しいのだから。敬意を込めて、そう思う。しかし、護憲のための解釈改憲は「矛盾」である。その矛盾が実際の現場で引き起こす問題の明示を護憲派への攻撃と捉える人々がいるが、護るべきは解釈改憲ではないはずである。だから、自衛隊は違憲であると言い続けてほしい。日本共産党のように、(国民の好感度に政治的配慮して)一定期間は合憲、などと膝の力が抜けるようなことは、絶対に言わないでほしい。僕の友人たちがそうでないのは分かっている。しかし、9条の神格化は、避けて欲しいのだ〉。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

いったい伊勢崎は何を主張したいのだ?「護憲を貫け!共産党のように膝の力が抜けることは絶対に言わないでほしいけど、9条の神格化は、避けて欲しいのだ」と。どうしろというのだ。伊勢崎?

その前後も伊勢崎独自の歴史解釈や理解が、披露されるがどれもこれも論拠が薄く、結果として現状の「改憲策動」に与する分裂した主張に終始している。伊勢崎は「紛争屋」だから、現場は知っているのだろうけども、憲法と法の関係、さらには日本の司法権の問題などにつての視点がない。なにも護憲派は「9条」を金科玉条に唱えていた人ばかりではない。「小学生が読んでも憲法違反」である自衛隊の存在を裁判所に問うたら(違憲立法審査権の行使)「統治行為論」(「国の統治にかかわることを裁判所は判断できません」と、1959年最高裁は砂川事件で裁判所の役割と、三権分立を放棄した)で憲法と現実の不整合を正す試みもなされたことを、伊勢崎は知らないはずはあるまい。

この手の輩がこれから、跳梁跋扈するだろう。「リベラル」ズラだったり、「リベラル」に理解ありそうで、その実「現状肯定」に最大の価値を見出す、不埒な連中が。識者や有名人で「改憲」したい者は、ごちゃごちゃ御託を並べずに、はっきりそう表明しろ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか 『NO NUKES voice』15号

中嶌哲演さん

関電本店前にて(2018年3月13日)

子ども脱被ばく裁判の会共同代表の水戸喜世子さんと松岡利康・鹿砦社代表

関西電力は3月14日、大飯原発3号機の運転(再稼働)をはじめた。これに抗議する市民は、大飯原発現地をはじめ、全国各地で抗議行動を行った。なかでも関西電力本店ビル前で3月12日から14日にかけて、若狭地域の脱原発リーダーのひとりである明通寺(福井県小浜市)住職、中嶌哲演さんが「ハンスト(ハンガーストライキ)」に決起したので、激励と取材に13日関電本店を松岡社長とともに訪れた。

関西電力本店前には中嶌さんのハンストを、支援する人びとが30名ほどあつまり、希望する人が順次発言をおこなっていた。水戸喜世子さんの姿もある。ご挨拶をすると「これ読んでください。福島で田中俊一がとんでもないことを言い出しているんです」とご自身が作成されたビラを手渡してくださった。飯館村に移住した元原子力規制委員会委員長田中俊一の「罪」は後日じっくり追及する。

参加による発言に続いて、中嶌さんが次のようにお話された。

中嶌哲演さん

◆若狭をこれ以上いじめないでください

どうも皆さんいろいろな貴重なご意見や励まし、ありがとうございます。
実はきょうお昼の時間、社員が昼食に出掛ける時間帯に、社員の出入りする前のところでお付き合いをしまして、私なりにスローガンというのではないんですけれどもね、こういうことを訴えました。
「若狭をこれ以上もういじめないでください。美しい若狭をもうこれ以上汚さないでください。ぜひ再稼働をやめてください」

それともう一つ、
「もしあなた方が14日に強行突破されれば、そうでなくても関電の顧客が離れていっている中でますます顧客離れが起こりますよ」とこういうことを言ったんです。「もしあなた方がこの再稼働を中止断念し脱原発の方へ方向転換されるならば、多くの市民が共感し、今迷っている人たちが踏みとどまって関西電力をむしろ支持するようになるでしょう」

そういうことをちょっと訴えたんですね。皆さんは「若狭をいじめないでください」というイメージがもう一つピンと来ないかもしれませんが、昨日お配りした断食宣言の添付資料の中にあるんですけれども、若狭には関西電力の原発11基、出力にすると977万キロワット、この若狭の11基は3カ所に集まっています。美浜町、大飯町、高浜町のこの三町ですね。ところが右側を見ていただきますとわかるんですけれども、関西の兵庫、大阪、和歌山県の沿岸部には火力発電所が12カ所37基出力にして1636万キロワット、こういうふうになってるわけです。

現実です。これは何人も否定できない客観的な事実ですね。関西電力は原発は必要で安全だということを言い通してきたわけですけれども、若狭のこの11基の原発は若狭の住民も福井県民も全然使っていません。全部超高圧電線でたくさんの鉄塔を伝わって関西2府4県に送られてるということなんです。これが客観的な事実。とすると、原発が必要で安全ならね、なぜ火力発電所同様関西の沿岸部に造れないんですかというのは、反対してきた若狭の住民や福井県民の本当の気持ちなんですね。だからそのことに照らして私がなぜきょう関電に向かって、「もうこれ以上若狭をいじめないでください、若狭を汚さないでください」と申し上げたかということをご理解いただきたいと思うわけです。申し上げた今回の第一はこのことなんです。

この事態を作り出したのは関西電力だけでしょうか。極悪の関西電力だけでしょうか。こういう事態になるまで若狭の原発の電気を享受してこられた関西の市民の皆さんにも、「いやあれは関電がやったことだから我々には責任なにもないですよ、0%ですよ」と皆さんはみなされるでしょうか。あとで対話をさせていただければと思います。だからこの関電の無謀な暴力的な若狭に対する再稼働を認めない、ストップをかけるためにはですね、若狭の地元の住民は麻薬的なお金をばら撒かれて麻薬患者になってしまっているんです。末期患者になっているんですよ。だからそういう人たちに、止める行動に立ち上がれと言われても、お尻をたたかれても難しいところがあります。それで関西の皆様にこの「断食宣言」で申し上げましたように、三番目をもう一度読ませていただきます。

中嶌哲演さん

◆なぜ私はこの断食に入ってるか?

なぜ私はこの断食に入ってるか、もともと宗教的な断食は第一の欲望の食欲を、自らの心身の浄化を内密に図ることを見せびらかしたり、対外的にそのことを知らせる必要はないんです。宗教的な場合はね。そういうことを顧みます時に、対外的な抗議や要求を掲げて断食することは慙愧の念に堪えません。宗教的に言えばむしろ邪道かもしれない。でも私は現代的な宗教者の断食としていま行ってるわけですが、しかし私個人だけでなく多くの市民の皆さんが、たとえ一食、一日断食でも試み、原発ゼロ社会を目指す運動の共通口座を作り、その食費をそれに振り込むというような、いつでもどこでも誰でもできるアイディアが実現できないものでしょうか、という訴えをしているわけです。

ここにもこれまで私はさんざん訴えてきたんですけれども、なかなか具体化しませんでしたが、さいわい福井から原発を止める裁判の際の皆さんが私のアピール受け止めてくれて、「反原発断食一食分募金」というのを裁判の費用とは別枠で取り扱ってくれるようになりました。断片的に言い出しっぺの福井県からこの運動を広めていこうということなんですが、私はもっと全国版の運動が展開できればいいなと。反対運動のマイナーな勢力だけでやっているのではなしに、広汎多数の市民、なにもここに来てもらう必要はありません。自分の家庭であるいは職場で一食抜いてみようかと、その一食抜いた食費を反原発、脱原発の運動にカンパしようと。これは我々の反対運動体の枠を乗り超えるものすごく大きなの不特定多数の市民に対しての呼びかけになるわけです。

中嶌哲演さん

◆命を革める〈革命〉 これまでの生活や価値観に問い直してもらう

そしてその中で、皆さんが少しでも断食をし、カンパをしてもらえば、そのことをさっき坂本さんは「革命」という言葉を従来のイメージで革命はどうだろうということであったんですけれども、私の考えている革命というのは宗教的な面からいうと「命を革める」という文字なんです。

何もラディカルな軍事的なこと暴力革命を起こすというようなそういうイメージではなくて一人一人のまず命を革めていくという、これまでの生活や価値観に問い直してもらうそういう意味合いの、例えば一例として一食断食、その食費を反原発運動にカンパするというようなこと、これがどんどん集まってくれば不特定多数の皆さんと共に関電にブレーキをかけることができるという、そういう非暴力・不服従の静かな革命を、いつでもどこでも誰でもできることを私は訴えたいと思っています。

宗教者が非暴力ということをいうと、「とにかくおとなしくしていて何もしない、抵抗しない、権力、力のあるものがどんどん事を進めてもそれを傍観してる」というふうに、非暴力という言葉がややもすると受け止められて来たんですが、ところが非暴力、これはガンディーの言葉です。この精神でもって「権力なんかのやることに絶対服従はしないけれどもそれに対して抗議するのは暴力的なことはやらない」、非暴力平和的な手段を講じていく、ガンディーはインドの大英帝国の植民地からの解放を最終的に勝ち取ったわけですね。そういうことを私としては革命の中に意義を含ませたつもり。

今回の再稼働3号に対して、私たちは確かに興趣傍観しています。関電はこういう理不尽な暴力的なことをやってもスイスイ通っていくんだということをやっぱりそれは反省してほしいという願いを込めて私来ています。先程言いましたように、顧客は毎月毎月6万人離れていってるんですけれども、今回この3号の再稼働に抗議の声、力が強まれば強まるほど、この顧客離れが強行突破すれば増えると思ってます。それが4号機を食い止めていく上での、滅多に4号機を安易に動かせないというそういう空気を作っていくことにも繋がっていると思いますので、今日明日最大限なんとかここで皆様と共に声を上げたいと思っております。ありがとうございました。

関電本店前にて(2018年3月13日)

◆非暴力・不服従の静かな革命を

この日は中日新聞が取材に訪れ、中嶌さんに詳しい話を取材していた。翌日には共同通信の取材も予定されているとのことであった。しかしどうして中嶌さんが「ハンスト」に立ち上がられたのか。その詳細までを報じることは出来ないであろう。大飯原発3号機は3月14日に再稼働されてしまったけれども、「大飯原発3・4号機の再稼働中止を求める断食宣言―非暴力・不服従の静かな革命を―」の全文を以下掲載する。

中嶌哲演さんの断食宣言「大飯原発3・4号機の再稼働中止を求める断食宣言―非暴力・不服従の静かな革命を―」(1/2)

中嶌哲演さんの断食宣言「大飯原発3・4号機の再稼働中止を求める断食宣言―非暴力・不服従の静かな革命を―」(1/2)

この日は松岡と私が関電本店前を訪れ、ご挨拶と激励、さらに松岡が脱原発への決意と『NO NUKES voice』のご紹介をした。無料で差し上げようと4冊を持参したが、皆さんから「せっかくですから買わせてください」と貴重なお申し出を頂き、4冊が読者の手元にわたることとなった。

何度でもひるむことなく声をあげ、行動しよう。私たちは決して劣勢ではない。彼らは再稼働するのに全力を傾注するだけで精一杯だ。大飯原発3号機は再稼働されてしまったが、反(脱)原発に向けた市民の意思に揺らぎはない。

中嶌哲演さんと松岡利康・鹿砦社代表

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice』15号 〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

鹿砦社が発刊している『紙の爆弾』の編集後記では、編集長が「この号が発行されている頃には……」といった、月刊誌の時間的制約によるジレンマを感じさせる表現が散見される。政局など流動的要素をはらんだテーマを扱った記事では、原稿が書かれる1カ月以上先に予期せぬ事態が起こりうることは常態であるが、それでも月刊誌のスパンで新聞や週刊誌にはない、視点からの分析を展開する。

◆表層の出来事が意味する〈ことの本質〉はどのようなことなのか

ひるがえり、発刊のスパンが短い媒体ほど臨機応変な状況対応が可能であるが、得てしてそれは表層的な現象を伝える域をでない傾向がある。「事実」や「出来事」を伝える速度が(月刊誌や週刊誌と比すれば)新聞の優位性だが、その奥(あるいは水面下)に何があるのか。表層の出来事が意味する〈ことの本質〉はどのようなことなのか、は1日の編集作業でまとめ切れるはずもなく、また複雑な現象、背景を論説するにはそれなりの文字数(紙面)が必要となる。新聞社が瞬時に脊髄反射で論説までこなし紙面を構成できるか、といえば、そこにはおのずから限界がある。識者談話など数100文字の論評を掲載するのが精いっぱいであろう。

では、もっと更新速度を上げることが可能なネットはどうだろうか。即時性では朝夕刊2回(号外は別にして)の発行を原則とする新聞に比すれば、ネットに軍配が上がろう。ただし、即時性至上主義では「事実」、「出来事」がどのような「真実」を背おっているのか、いかなる目論見が背景に横たわっているのかといった「解説」、「論説」を展開する余裕を持てない。

この通信だって同様だ。ある日起きた現象を翌日に掲載しようと思えば、まずは事実を紹介(確認)し、筆者がそれについての私見を開陳する。関係者に感想を求めたりすることはあるが、その後の私見は、それまでに筆者が蓄積してきた、当該「事件」、「出来事」への知識や見解がもとに展開される。

◆韓国と朝鮮が“電光石火”合意に至った重大な伏線

前置き非常に長くなった。

わたしが書きたかったのは「朝米首脳会談」が実施されるとの報に接し、これまでこの島国の的外れで、無能極まる外交姿勢を糾弾してきたものにとっては、ひとこと言及する責任を感じたからだ。

わたしは本通信で「朝鮮への圧力」のみをもっぱらにする安倍政権の外交姿勢を「無能」と罵倒してきた。平昌五輪にかんしては「オリンピックは政治そのものだから、どうせ利用されるのであれば平和利用されればよい」とコメントした。そして多くの方々からわたしの論は、見向きもされなかったであろう、「なにいってんだこいつ」と歯牙にもかけられなかったであろうと想像する。

それは仕方のないことで、これだけ政権が熱心に「反北朝鮮」を煽り、連日マスコミの「洗脳」を受けていればわたしのような考えを持つ人が少数になるのも致し方ない。

だが、わたしの「はかない望み」、あるいは「一縷の希望」のようにしかとらえられなかった「和解」・「緊張緩和」に向けた方向性が(まだこの先修正や変更の可能性が大いにあるにしろ)現実に明確に示されたことは冷厳な事実だ。

韓国と朝鮮が“電光石火”のように見せかける合意に至ったのは、文在寅大統領就任(昨年5月10日)の直前に、朝鮮が1998年以来廃止(休止)されていた「外交委員会」を復活させていたことが重大な伏線であった。この島国の政権やマスコミは「ミサイル」「核兵器」「避難訓練」と大騒ぎするばかりで、肝心の朝鮮政権内部で「外交交渉を模索する動きが顕在していた」変化に着目する論評はほとんど皆無に等しかった。朝鮮における「外交委員会」の再開は韓国で朴槿恵政権が打倒され、対話可能な文政権樹立を視野に入れ準備されたものだと推測するのが妥当だろう。

◆韓国も朝鮮も米国も、最初から安倍外交を「全く無視」していた

平昌五輪への朝鮮参加から南北対談、即米国への韓国代表の派遣までのすべてが、シナリオにあったわけだはなかろう。しかし、明確なのは、そのあらゆるプロセスで安倍を頭目とする、この島国は「全く無視」されていた、ということだ。外務省に事前通告はなかったのであろうとわたしは想像する。

「制裁を強めた結果だ」と「朝米首脳対談」の実施について安倍はコメントした。まだ(いや、「もう」)こういうしか言いようがないほど存在を無視され、「日本はずし」で行われる朝鮮半島情勢の行方(安倍の物言い自体が「人道的犯罪」ではないのか)。そりゃ韓国も朝鮮も米国も、本音では最初から安倍の外交力なんかあてにもしていないし、視野にもなかったことだろう。「制裁・制裁」とやかましく繰り返し、無駄な税金を「反北朝鮮感情」を煽るために使い、国際社会から結局「馬鹿にされる」、この島国の外交。

安倍、自民党や右派野党にとって「朝鮮」は、対話不能の「ならずもの」であり続けてもらわねば、都合が悪いのだ(かつてのリビア、イラクのように)。政治だけではない。南北融和を「制裁包囲網ほころびの懸念」とどれほど多くのマスコミが伝えたことだろうか。彼らの頭の中では、なかば朝鮮半島における「限定的紛争」が既定路線となっていて、「朝米首脳対談」の文字を差し出されたら、狼狽することしかできなかったんじゃないのか。

少しはまじめに、自分の問題として「平和」を真正面から考えよう。奴らとは関係なく。

朝鮮半島地図

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『紙の爆弾』4月号!自民党総裁選に“波乱”の兆し/前川喜平前文科次官が今治市で発した「警告」/創価学会・本部人事に表れた内部対立他

〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか 『NO NUKES voice』15号

 

最新刊『NO NUKES voice』15号  〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか

2011年3月11日から7年目を迎えた。

まず確認しておこう。あの日から7年経ったきょうも、政府は「原子力緊急事態宣言」を取り下げてはいないことを。2011年以降、急激に「これから国民の死亡原因の2分の1は『ガン』になる」との厚労省からの通告が席巻するようになったことを(「ガンによる死亡原因が2人に1人」のレポートは10年ほど前に発表されていた)。技術面はともかく、採算性や、新幹線、航空機とのバッティングにより国も、JRも「営業運転」など本気では考えていなかった「リニアモーターカー」の建設が、なぜだか浜岡原発停止後、急に決定したことを。

そして、阪神大震災のあと、復興にとっては邪魔者でしかなく、当初より経営破綻が必定であった「神戸空港」が神戸市により建設され、予想通り経営破綻したのと相似形、否もっと悪辣に2013年9月に2020年「東京オリンピック」開催が決定されたことを。

その五輪招致演説で安倍は「放射能は敷地内で完全にブロックされており、過去も現在も未来も健康被害は生じません」と世界に向けて言い放ったことを。その安倍が総理の座に居座り続けることを、いまだわれわれが許していることを。

あの日の直後に、あたかも「行程表」があったかのごとく、すぐさま山下俊一がわざわざ長崎から福島県に入り、「100ミリシーベルトでも安全。子どもはどんどん外で遊ばせてください。笑っている人のところに放射能は来ません」と福島県内で散々吹聴して回った、挙げ句福島県立医大の副学長に就任したことを。

3月23日には東京の金町浄水場で1リットルあたり200ベクレルを超える放射性ヨウ素が検出され「乳幼児への摂取制限」が通達されたことを。「原発がないと停電するぞ」と脅迫するために、必要もない「計画停電」が大々的に宣伝され大混乱に陥ったことを。

想起されるべき、報道されるべきはそういった事実ではないのか。復興にまつわる明るい話題もいいだろう。不幸を悲しむ被災者の心情を追うのもよかろう。それを「やめろ」とはいわない。でも現実もしっかり認識して、伝えてもらわねば困る。

そしてわたしたちは「弱虫」だから、ともすると惨憺たる情景からは目を背ける傾向がある。この国の新聞やテレビには「死体(遺体)」が映されない。「死体」(遺体)は「けがらわしい」ものだろうか。誰だって最後は「死体」(遺体)になるじゃないか。生命が終焉した亡骸にだって、それなりの尊厳はないのか。「死体」(遺体)は話さないし、動かないけれども、そのありさまは、魂が宿っていた最後の瞬間から、魂が消失した理由を伝えはしないか。

◆「あらかぶさんはなぜ白血病になったのか」
 福島事故後、被ばくによる「労災」認定を受けた人は4名しかいない

2013年2月、福島第一原発4号機でベストなしでカバーリング作業をするあらかぶさん(写真提供=あらかぶさん)

 

同上(写真提供=あらかぶさん)

 

フランスの反核会議であらかぶさん支援が決議された。同会議で支援決議があがるのは珍しいと同行したなすびさんらも驚いた。『福島原発作業員の記』を著した池田実さんも参加した(写真提供=なすびさん)

昨日発売された『NO NUKES voice』第15号で、尾崎美代子さんが「あらかぶさんはなぜ白血病になったのか」の詳細なレポートを寄せてくださっている。「あらかぶさん」とは原発や原発事故現場での労働に従事していた方のニックネームだ。驚くべき事実が次々に紹介される。

表題の通り「あらかぶさん」は白血病に罹ってしまい、労災認定も受けた。厳しい治療を乗り越えて現在は裁判を闘っている。詳細は『NO NUKES voice』の尾崎さんの報告をお読みいただきたいが、ひとつだけ際立った事実を上げておく。原発事故後被ばくによる「労災」認定を受けた人は4名(そのうち2名は東電社員)しかいない事実だ。

誰も言わないから言っておこう。ガンで亡くなった福島第一原発の吉田昌郎元所長の死因すら「放射能との因果関係は分からない(もしくは「ない」)」、「ストレスが原因だったのではないか」という馬鹿医者もいる。公表されている吉田氏の被ばく総量は70ミリシーベルトとなっているが、この数値は極めて疑わしい。どちらにせよ、事故前から事故後長時間現場にとどまっての被ばくがガンを誘発し、吉田氏は亡くなったとみるのが妥当ではないか。

そうでないと主張するひとには、病院のレントゲン室がどうして「放射線管理区域」に指定され、「妊娠の可能性のある方は申し出てください」と注意書きがあるのかを、説明していただきたい。一度きりの外部被ばくでも「胎児には悪影響がある」から前記の注意書きがあるんじゃないのか。違うのか?

◆これは実験ではない、現実だ

「あらかぶさん」が白血病になり、労災認定されたのは氷山の一角で、猛烈な数のひとびとがすでに健康被害にあっているとわたしは感じる。『NO NUKES voice』に連載を続けている納谷正基さんは、福島第一原発事故後、生活には注意をはらい、基本的に海産物(産地を問わず)は口にしない生活を送っておられた。最愛の配偶者を被ばくで失ったご経験を持つ納谷さんにとって「放射能」・「原発」は長年絶対に度外視できない問題だった。その納谷さんが体調を崩しながら、それを告白し今号も寄稿をいただいた。そのなかに「近頃やたらと頻繁に報じられる有名芸能人やタレントの死亡・入院報道の多さ」という表現がある。納谷さんは同じ原稿の中で、政府発表では年間人口減は40万人発表されているが、火葬場や葬儀場の調査を積み上げたひとびとの調査によると、死亡者は昨年、一昨年とも200万人は下らない(この数値が正しければ人口減は100万人/年となる)との民間の調査もあると指摘している。

「数」に過剰にこだわるのではない。「事実」をもっと大事にしよう、直視しようとわたしは思う。そして思弁しようと。「これほどの被害が出ている」と話すと「疫学的にはどうなんだ?」と質問してくる科学経験者が少なくない。私は言い返す「これは実験ではない。現実だ。大切なのは『疫学的証明』よりも、『予防原則』じゃないのか? 数十年後疫学的に優位性が証明されたときに、死んだ命は科学的証明の証拠として扱われるだけじゃないのか。そんな科学は意味ないだろう」と。

『NO NUKES voice』は被ばく問題を今後も絶えることなく追求したい。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新刊『NO NUKES voice』15号 総力特集〈3・11〉から7年  私たちはどう生きるか

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『NO NUKES voice』15号目次
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総力特集〈3・11〉から7年
私たちはどう生きるか

[グラビア]伊方の怒りはやがて勝つ(写真・文=大宮浩平)

[講演]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
3・11から七年 放射能はいま……

[インタビュー]小出裕章さん一問一答
「原発を止めさせる」ならば、小泉さんとも共闘する

[講演]吉岡斉さん(前原子力市民委員会座長、九州大学教授)
《追悼掲載》原発ゼロ社会のための地域脱原発

[講演]米山隆一さん(新潟県知事)
原子力政策と地域の未来を問う

[講演]木幡ますみさん(福島県・大熊町議)
原発は人々の活力を奪う

[報告]尾崎美代子さん(「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主)
あらかぶさんはなぜ白血病になったのか

[インタビュー]山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)
国民の声がどれだけ大事か

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
「人間の尊厳」としての脱原発

[報告]田所敏夫(本誌編集部)
悪夢の時代を直視して

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとはなにか〈12〉
七年で完全復活した電力会社PR

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
福島事故・忘れてはいけない五つの問題

[報告]大宮浩平さん(写真家) 
《伊方撮影後記》ここには怒りがある

[報告]川村里子さん(大学生)
斉間淳子さんたちに聞く「伊方原発うごかすな」半世紀の歩み

[インタビュー]外京ゆりさん(グリーン市民ネットワーク高知)
「いかんもんは、いかん!」土佐・高知の闘い

[報告]浅野健一さん(ジャーナリスト)
「ふるさとは原発を許さない」伊方再・再稼働阻止高松集会

[報告]三上治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
持久戦とは言うけれど 石牟礼道子さん追悼

[報告]納谷正基さん(高校生進路情報番組『ラジオ・キャンパス』パーソナリティー)
反原発に向けた思いを次世代に継いでいきたい(14)
あなたにはこの国に浮かび上がる地獄絵が、見えますか?

[報告]板坂剛さん(作家・舞踊家)
月刊雑誌『Hanacuso』2月号を糺す!

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
大衆行動―国民運動が「原発やめる」の決め手だ
《東京》 柳田 真さん/《泊》 瀬尾英幸さん/《福島》 佐々木慶子さん
《東海》 大石光伸さん/《東電》 渡辺秀之さん/《規制委》 木村雅英さん
《再稼働に抗する》 青山晴江さん/《若狭》 木原壯林さん
《伊方》 秦 左子さん/《九州電力》 青柳行信さん/《自治体議員》 けしば誠一さん

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

本日10日発売『NO NUKES voice』15号 〈3・11〉から7年  私たちはどう生きるか

3・11から7年を明日に控えたきょう、『NO NUKES voice』15号が発売される。能書きは並べずに本号の内容を紹介しよう。特集は〈3・11から7年 私たちはどう生きるか〉だ。

冒頭にご登場いただくのは小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)の講演を収録した〈3・11から7年、放射能はいま…〉だ。この講演の様子はすでにyoutubeでも見ることができるが、この日の小出さんは上品な言葉遣いの中に、いつもにも増して強い意志が感じられる講演だった。誌面からもその“熱”が伝わるだろう。

講演後に本誌編集長のインタビューに応じてくださった〈「原発を止めさせる」ならば、小泉さんとも共闘する〉は小出さんらしいお考えと覚悟が再度ご確認頂けることだろう。「小泉さんとも共闘する」と宣言した小出さんに小泉氏はどう応じたか?

小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)3・11から7年、放射能はいま…

次いで、1月14日に急逝された吉岡斉さん(前原子力市民委員会座長・九州大学教授)を追悼して2017年7月15日、新潟で行われたシンポジウムでの吉岡さんの基調講演を掲載した。吉岡さんには本誌に度々ご登場いただき、ご意見を伺ってきたが、あまりにも急なご逝去にご冥福をお祈りするばかりだ。本誌での吉岡さん最後の生の声は〈原発ゼロ社会のための地域脱原発〉だ。

在りし日の吉岡斉さん(2016年3月、九州大学の研究室にて)

米山隆一さん(新潟県知事)原子力政策と地域の未来を問う

新潟といえば、泉田裕彦元知事の辞任を受け、「原発再稼働慎重派」の後継候補として、与党候補を破り新潟県知事に当選し、活躍中の米山隆一さんが1月24日に行った講演を紹介する〈原子力政策と地域の未来を問う〉も必読だ。鹿児島で当選した「エセ脱原発派」三反園訓知事のように、当選後「原発容認、あるいは推進」に変身することはないだだろうか? 多くの人が米山氏の態度に注目をしているが、その回答がこの講演の中にはある。米山氏の覚悟やいかに?

福島現地からは大熊町議会議員の木幡ますみさんが登場。1月26日伊方原発の立地する八幡浜市で行われた講演が再現される。題して〈原発は人々の活力を奪う〉。全国を駆け回り被災地の実情を訴え続ける木幡さんは、事故から7年目を迎える福島の実情をどう語ったのだろう。

木幡ますみさん(福島県・大熊町議)原発は人々の活力を奪う

あらかぶさんはなぜ白血病になったのか

原発に反対する理由は様々だが、根底には「被曝は動物の命にとって極めて危険」であることが原則的な理由である。運動にはもちろんバラィエティーがあっていいが、被曝問題を語れない反(脱)原発は、まだ原則への理解が足りないと言わざるを得ない。

福島の事故地元に住む皆さんの被曝による健康問題同様、今後長らく1日約7000名が従事する福島第一原発の収束作業に関わる方々の「被曝問題」は大きな問題となろう。その問題を指摘するのが尾崎美千代さん(「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主)による報告〈あらかぶさんはなぜ白血病になったのか?〉だ。この衝撃レポートについては明日のデジ鹿で別途詳しく紹介したい。

沖縄の米軍基地反対運動のリーダーにして、不当逮捕ののち、長期拘留を強いられた山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)の肉声もお届けする。本誌が前回、名護でインタビューさせて頂いた直後に不当逮捕された山城さんの訴え〈国民の声がどれだけ大事か〉。1月20日伊方原発反対集会に参加した山城さんのスピーチとインタビューを一挙公開する。

山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)国民の声がどれだけ大事か

伊方で50年間、反原発を訴え続けている斉間淳子さん

外京ゆりさん(グリーン市民ネットワーク高知)「いかんもんは、いかん!」土佐・高知の闘い

今号で取材班は原発問題をより広い視点で捉えようと思案しながらある方に執筆の依頼をしたところ、予想外の快諾を頂けた。1974年3月に発生した「甲山事件」の冤罪被害者山田悦子さんだ。山田さんは冤罪被害にあったのち、みずから法哲学を学び、極めて高いレベルで司法の問題や、社会現象を読み解き、語ることのできる稀有な方だ。鹿砦社が主催した西宮ゼミにもゲストとしてご登場頂いた縁もあり、今回「日本国憲法と原発」をテーマに寄稿をお願いしたところ、重厚な論考を執筆頂けた。〈「人間の尊厳」としての脱原発〉はこれまで本誌でご紹介したあまたの論考と、少し趣を異にする。法哲学や人権思想の角度から原発問題を俯瞰したとき、浮かび上がる問題はどのようなものなのか。山田さんのご寄稿は極めて深い含蓄に富む。

12回目を迎える本間龍さん〈原発プロパガンダとはなにか〉。今回のテーマは〈7年で完全に復活した電力会社PR〉だ。文字通り電事連を中心に「あの日などなかったかのように」繰り広げられる電力会社広告の濁流復活。その実態と問題を本間さんが鋭く突く。

たんぽぽ舎副代表の山崎久隆さん〈福島事故・忘れてはいけない5つの問題〉で原則的な確認すべき問題を再度明らかに提示されている。大宮浩平さん(写真家)は1月20日の伊方での集会に参加・取材した手記を綴っている。若い写真家の大宮さんは編集長などから「もっと対象に寄れ!人を定めて表情を撮れ!」と厳しい指導を受けていたが、本号では見事な取材を貫徹してくれた。

大学生の川村里子さんが伊方原発反対の中心人物、斎間淳子さん、近藤亨子さん、秦左子さんにインタビューをした〈斎間淳子さんたちに聞く「伊方原発うごかすな」半世紀の歩み〉と、外京ゆりさん(「グリーン市民ネットワーク高知」世話人)にお話を伺った〈「いかんもんは、いかん!」土佐・高知の闘い〉は長年現地で闘ってきた方々に大学生がフレッシュな質問を投げかけるリアリティが伝わり、川村さんご自身も今回の取材で多くを学ばれたようだ。若い筆者の登場は嬉しい。

鬼才・板坂剛さんが糺す月刊『Hanacuso』とは?

伊方原発について長年反対の立場から取材を続けてきた浅野健一さん(ジャーナリスト)の〈「ふるさとは原発を許さない」――伊方再・再稼働阻止高松集会〉、につづき三上治さん(「経産省前テント広場」スタッフ)の〈持久戦とはいうけれど 石牟礼道子さん追悼〉が続く。

常連執筆陣の中で、納谷正基さん〈反原発に向けた想いを 次世代に継いでいきたい〉14回目〈あなたにはこの国に浮かび上がている地獄図絵が、見えますか?〉に多くの読者諸氏は息をのむだろうことを確信する。これまでもダイレクトな表現で放射能の危険性、原発の理不尽を高校生の前で、またラジオで語ってきた納谷さん。今号の文章はご自身に起きた重大な健康上問題を隠さず、いま目の前にある「地獄図絵」をあなたは見ているか? 見えているか? 見えないのか? と問いただす。「命の叫び」と言っても過言ではない文章から読者諸氏は何を感じるだろうか。

板坂剛さん〈月刊雑誌『Hanacuso』2月号を糺す!〉は硬派(?)な論考の多い本誌の中で、遊び心と痛烈な毒を盛って笑わせてくれる「清涼剤」と言ったら失礼だろうか。今号の板坂流「遊び」はこれまでで最高の出来栄えではないだろうか。請うご期待!

不肖拙著の〈悪夢の時代を直視して〉では歴史的時間軸と世界を俯瞰するとき、この国のシステムが持つのか、「将来」などあるのかを問いかけた。

その他に再稼働阻止全国ネットワークによる全国からの運動報告〈大衆行動―国民運動が「原発やめる」の決め手だ〉も北海道から九州まで盛りだくさんで、いま、現地はどう動いているか?の克明なレポートが届けられている。

15号目となった『NO NUKES voice』は皆様のご協力で、確実に成長できていることを実感する。この雑誌がさらに成長し、どの書店でも平積みとなり、そして発展的「廃刊」できる日がいつか必ずくることを信じて、編集長以下今号も全力で編纂した。お読みいただき、忌憚のないご意見・ご感想を頂ければ幸いである。(田所敏夫)

本日10日発売『NO NUKES voice』15号 〈3・11〉から7年  私たちはどう生きるか

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『NO NUKES voice』15号目次
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総力特集〈3・11〉から7年
私たちはどう生きるか

[グラビア]伊方の怒りはやがて勝つ(写真・文=大宮浩平)

[講演]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
3・11から七年 放射能はいま……

[インタビュー]小出裕章さん一問一答
「原発を止めさせる」ならば、小泉さんとも共闘する

[講演]吉岡斉さん(前原子力市民委員会座長、九州大学教授)
《追悼掲載》原発ゼロ社会のための地域脱原発

[講演]米山隆一さん(新潟県知事)
原子力政策と地域の未来を問う

[講演]木幡ますみさん(福島県・大熊町議)
原発は人々の活力を奪う

[報告]尾崎美代子さん(「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主)
あらかぶさんはなぜ白血病になったのか

[インタビュー]山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)
国民の声がどれだけ大事か

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
「人間の尊厳」としての脱原発

[報告]田所敏夫(本誌編集部)
悪夢の時代を直視して

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとはなにか〈12〉
七年で完全復活した電力会社PR

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
福島事故・忘れてはいけない五つの問題

[報告]大宮浩平さん(写真家) 
《伊方撮影後記》ここには怒りがある

[報告]川村里子さん(大学生)
斉間淳子さんたちに聞く「伊方原発うごかすな」半世紀の歩み

[インタビュー]外京ゆりさん(グリーン市民ネットワーク高知)
「いかんもんは、いかん!」土佐・高知の闘い

[報告]浅野健一さん(ジャーナリスト)
「ふるさとは原発を許さない」伊方再・再稼働阻止高松集会

[報告]三上治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
持久戦とは言うけれど 石牟礼道子さん追悼

[報告]納谷正基さん(高校生進路情報番組『ラジオ・キャンパス』パーソナリティー)
反原発に向けた思いを次世代に継いでいきたい(14)
あなたにはこの国に浮かび上がる地獄絵が、見えますか?

[報告]板坂剛さん(作家・舞踊家)
月刊雑誌『Hanacuso』2月号を糺す!

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
大衆行動―国民運動が「原発やめる」の決め手だ
《東京》 柳田 真さん/《泊》 瀬尾英幸さん/《福島》 佐々木慶子さん
《東海》 大石光伸さん/《東電》 渡辺秀之さん/《規制委》 木村雅英さん
《再稼働に抗する》 青山晴江さん/《若狭》 木原壯林さん
《伊方》 秦 左子さん/《九州電力》 青柳行信さん/《自治体議員》 けしば誠一さん

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

 

「10・8山﨑プロジェクト」

さて、上野千鶴子とはなにものだろうか。わたしは「そうとはわかられないように、時代と添い寝する生き方の賢者」と感じている。京都大学の大学院時代から上野先生は広告代理店のようなシンクタンクに一時かかわっていたと聞いている。そのあと平安女学院短期大学を皮切りに上野先生の教員時代が花開くのであるが、まだ彼女を上野先生と呼ぶにふさわしくない、京都大学の学部生時代に彼女が最初に付き合った男性は、のちに破防法の個人適用で逮捕されることになるある党派全学連委員長だった、との噂は知る人ぞ知る情報だ。「10・8山﨑プロジェクト」の発起人に名を連ねているのも、そんな関係があってのことだろう(彼女が付き合っていた相手が山﨑博昭さんという意味ではない)。

◆「土井たかこさんは男性社会の生き方で党首になったのだから大したことだとは思わない」

 

『atプラス26』(2015年太田出版)

上野先生が京大に在籍したのは、1960年代後半から70年代中盤だ。70年安保の真っただ中で、彼女も学生運動の端くれにはいたのだろうが、その後上野先生の発信からは70年安保を体感したかおりは、まったくうかがえない。むしろわたしの知る限り、上野先生はある時はマルクスを利用しながらも、独自の世界を流転してこられた印象がある。

上野先生の名が世に知らしめられたのは、なんといっても「フェミニズム」の旗手としてだ。80年代立て続けに「フェミニズム」関連の書籍や論文を発表し、一躍時代の人となる。「フェミニズム」はそれ以前の「ウーマンリブ」運動を拡大し論理化する潮流が主流だったように感じる。この国の封建制を女性の立場から批判し、平等を訴える主張には原則的に正当性があるとわたしも感じた。だが、ある時期大学職員を対象とした研修会では講師が「女性差別をしたことのない男性などいない。女性が不快と感じればそれはすべて女性差別だ」などと、無茶な主張をする現象も招いた。

上野先生は、土井たか子が社会党の党首に就任したときコメントを求められ「土井さんは男性社会の生き方で党首になったのだから大したことだとは思わない」旨の発言をしていた。男権主義の社会構造のなかで女性が当時最大野党の党首になっても、「たいした意味はない」と上野先生は言い放ったわけだ。そうかな?と当時のわたしは納得できなかった。土井たか子は男勝りの押しの強い性格のようだ。男に媚を売って党内で力をつけてきたとは考えにくい。政治家としての自力が彼女に党首の席をあたえたのではないだろうか。

 

『おひとりさまvs.ひとりの哲学』(2018年朝日新書)

◆「フェミニズム」から「おひとり様」へ

そう言い放つ上野先生ご自身が思い描く「あるべき女性像」がどのようなものなのか、は知らない(あまり興味がないので)。上野先生だって前述のように所属していた小さな大学が大学院を作ろうと必死になっている中、「権威の象徴」東京大学へ移籍するという経歴の持ち主だ。あの行為は男女を軸に判断されるべき問題ではないだろうが、常識的な感覚からは考えられない背信行為だと私は感じた。東大に移籍するならするで構わないけども、それならば「大学院設置準備委員会」のメンバーに就任すべきではなかったのではないか。あるいは「委員会」が始まってから東大移籍が決まったのであれば、即時そのことを「委員会」で報告すべきだったろう。

そういった意味で上野先生は、「わがまま」と言われても仕方ない側面を持つ方だと言えよう。「フェミニズム」で輝いていた上野先生は、ある時期を境に「当事者」という言葉をキーワードに使うようになる。講演などでもしきりに「当事者性」を語っていたけれども、これは「フェミニズム」ほどのインパクトを社会に与えはしなかった。

正確な時期は分からないが上野先生にはある時期まで同居男性がいた。その男性との同居が終わったからなのか、それとは無関係なのか、上野先生は「おひとり様」にキーワードを変える。これは結構受けた。特に高齢者の域に差し掛かっている上野先生が、自身の弱みを認めながら生活してゆくことを語る講演には、高齢者を中心に高い評価を受けていた。

◆「憲法9条改憲」を主張するSEALDsさえも支持する「使い分け」

 

『世代の痛み ― 団塊ジュニアから団塊への質問状』(2017年中公新書ラクレ)

さらに、安保法制で国会前が騒然とするとSEALDsの集会にも足を運び、何度もスピーチをしていた。けれども、学生がツイッターに書いた文章に「フェミニズム」の立場からコメントすると、総叩きにあうという痛い目にもあっている。SEALDsに幻想を抱き、集会に足を運ぶあたりで、上野先生が学生時代どの程度学生運動とかかわっていたかが推測できる。あんなちゃちな主張をする子供たちを持ち上げた学者たちは、わたしの目から見たら全員「インチキ」だ。よくぞ恥ずかしげもなく、あんな場所で発言できるものだなぁと呆れた。

SEALDsは安保法制に反対しながら「憲法9条改憲」を主張する、矛盾に満ちた思考停止学生の集まりだった。それに乗っかかった大人たちは、もっと「どうかしている」人たちと言わねばならないだろう。その中に上野先生の姿があっても、「ああ、またやってる」とわたしにはまったく不思議ではなかった。

こうやって見てくると、上野先生は時代に合わせて提供する課題(ターム)を巧みに使い分け、世渡り上手に人生を過ごしてきた人だということが言えるだろう。でも、上野先生ご活躍の陰で、泣かされてきた人(教員などではなく弱者)が居ることをわたしは知っている。2018年2月。いまはかつて自明であったことがそうではなくなり、「反権威」、「反権力」を指向していた人たちが、なんの説明や総括もなく逆の立場に転じる「裏切りの時代」であるように感じる。

「そうとはわかられないように、時代と添い寝する生き方の賢者」を体現する上野先生。学生指導には非常に熱心だったが、権威主義から抜けきれられない人なのだろう。(未完)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書、2月26日発売!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

 

『多型倒錯―つるつる対談』(1985年創元社)

縁は不思議なものである。会社勤めに嫌気がさして、京都の小さな私立大学の事務職員に転職したわたしは、そこで上野先生と再会をはたすことになる。上野先生に講義を2回だけうけてから10年弱で同じ職場に勤務することになった。上野先生は多忙なので、個人でアシスタントを雇っていた。きびきびした感じの良いわたしと同年齢の女性だった。

学内に上野先生がいないときはその方が連絡役や、郵便物の整理を担当していた。ある時上野先生から「研究室に設置してあるFAXの調子がおかしいので、見に来てくれないか」と事務室に電話があった。わたしは着任してから何度か上野先生と言葉を交わしていたが、学生時代に上野先生の講義で質問したことがある(第1回参照)ことは、話していなかった。

◆「ところで先生、もうお忘れですよね」

具合の悪いFAXの調子をみながら「ところで先生、わたしは学生時代に先生の講義で質問したことがあるんですけど、もうお忘れですよね」と声をかけると「え、そうだったの?どこの大学?」、「関西大学ですよ。大教室の講義で質問させていただきました」、「ああ、そんなことあったっけ…」。どうやら上野先生の記憶の中にわたしの質問は残っていなかったようだ。同じ職場で働くうえではその方が具合は良い。「クソ生意気な職員」と教員から思われて得することなど一つもないのだから。

 

『スカートの下の劇場 ― ひとはどうしてパンティにこだわるのか』(1989年初版=河出書房新社/1992年河出文庫)

ところが、それからわずか数年後にわたしや同僚は、上野先生に対して逆鱗せねばならない事態に直面させられる。当時上野先生が所属していた学部には、大学院がなく、大学全体の価値を高める上でも大学院の設置が決定し、教員と職員数名による「大学院設置準備委員会」(正式名称はちょっと違うかもしれない)が発足し、上野先生は教員として、わたしは職員の一人としてその「委員会」に所属していた。新設大学院はどのような修了生輩出を目指すのか、カリキュラム内容はどのようなものにするのか。大学院設置に関して、その方向性から実務までのすべてが「委員会」で議論された。

大学が新しい学部や、大学院を設置するときは、同一もしくは類似分野で先行して学部や大学院を開設している大学を訪問し、先行大学の経験やカリキュラムについて教えてもらう。企業の世界ではあまり一般的ではないけれども、そういった調査・準備活動が大学業界では珍しくなかった。わたしも教務部長とともに幾つもの大学にお邪魔し、薫陶を賜った。「委員」各位の努力の甲斐あって、文部省(現在の文科省)に大学院設置に関する書類を提出する準備も整い、順調に作業は進んでいた。

◆「どうして東大に移られたのですか?」

ところがある日、衝撃的な情報が学内を駆け巡った。次年度から上野先生が東京大学に移るというのだ。上野先生は前述のとおり「大学院設置準備委員会」のメンバーで「委員会」の際も積極的に発言をしていた。順調に行けば次年度から開設される大学院の教員リストの中には、当然上野先生の名前があった。それが開設を控えた時期になっていきなり来年から「東大にいく」と言い出したのだ。

 

『家父長制と資本制 ― マルクス主義フェミニズムの地平』(1990年初版=岩波書店/2009年岩波現代文庫)

「売れっ子」は、より待遇の良い場所で仕事をしたがるのはわかる。だから大学院設置の話が出たとき、わたしは親しい教員に「上野先生、逃げることないでしょうね?」と聞いたところ「大丈夫。その心配はないよ」と言われていた。わたしはその教員の返答に、要らぬ心配はすまいと、それ以上上野先生の「流出懸念」は忘れていた。でも結局大学にとっては一番困るタイミングで「東大移籍」が行われることになった。

困る理由の一つは「売れっ子」が居なくなることだが、当時最大の問題はそれではなかった。大学院の設置には文部省(現文科省)による教員の資格審査がある。
大学院で論文指導を行うことができる教員を「〇合」(まるごう)、論文指導はできないけれども、論文指導補助と講義は担当できる教員を「合」(ごう)、論文指導は担当できないが講義は担当できる「可」(か)と、学歴(学位)、過去の業績や教歴により、担当教員として申請した教員全員が文部省により、ふるい分けられるのだ。

一定数の「〇合」教員がいないと大学院自体の認可申請がおりない。先に述べたように先行大学を訪問し、開設の際の文部省との折衝を伺うと、新たな大学院設置に関しては、教員の資格審査が、最大の懸念事項になるであろうことは「委員会」の共通認識だった。

本論とはそれるが、一度「〇合」と文科省から認定されると、その分野では評価が下がることはない。だから安定志向で新たな大学院設置を行う大学は、既に「〇合」と認定されている教員(主として国公立大学の定年後、もしくはそれに近い教員)を呼んできて開設するケースも多い。そうすれば教員審査によって大学院の開設が不許可になることはないからだ。

私たちは新たな教員の採用なしに、当時の保有スタッフでの大学院開設を目指していた。しかし、当時の教員スタッフの中には博士号保持者はおろか、修士号保持者も少なかった。訪問先の大学で「おたくの教員、学卒(学部卒業)が多いねー。これは厳しいなー」とコメントされたこともあった。社会的には著名で、実績はあるけれども文部省が「〇合」と認定してくれる確証を持てる人数は少なく、その中に修士号を取得していた上野先生は当然入っていたのだ。「大学院設置準備委員会」メンバーで私たちが「〇合」確定とカウントしていた上野先生が抜ける!急遽補充をしなければ認可を得ることが難しい状況となった。

その後大学執行部や学部の努力により、上野先生に変わる教員の採用を急遽決定し、大学院は開設することができた。しかし私は以下のコメントを忘れない。東大に移った上野先生が新聞のインタビューに答えていた。

「どうして東大に移られたのですか?」
「きまってるじゃない。私立大学の仕事の多さに嫌気がさしたからです」

朝日新聞だったのではないかと記憶するが、このコメントはわたしの神経を逆なでした。前述の上野先生の「東大移籍」劇がその理由ではない。実は上野先生はわたしの勤務していた大学で1991年から1年間ドイツへ公費で研究に出ておられた。著名な先生なので、それは分からないことではない。学外での研究が学生の教育へ還元される効果も期待できる。ところが上野先生は1年間学生への講義を行わず、ドイツで研究に従事していたにもかかわらず、3年もおかず、今度は「メキシコから招聘されているので、1年メキシコに行きたい」と言い出したのだ。その時期と「大学院設置準備委員会」に上野先生が参加していた時期が同じだった。教員には「サバティカル」と呼ばれる1年間の国内外研究期間が与えられる制度があったが、その間、当然講義はできないから、不文律ながら当該学部の希望教員が順番に「サバティカル」を取るのが慣例だった。

上野先生は着任数年で1年のドイツ行きが認められただけでは満足せず、3年とおかずに「メキシコに行きたい」と駄々をこねだしたのだ。古くから在籍している教員や、私たち職員も「やっぱり『売れっ子』はわがままだなぁ」と感じた。

 

『上野千鶴子 東京大学退職記念特別講演 生き延びるための思想』(2011年講談社DVDブック)

◆人情派の教務部長は泣きながら吼えまくった

「東大移籍」が発覚したとき、当時の教務部長は事務室で、私と飲みながら怒りを隠さなかった。「なにが東大や!ワシらはたしかに小さな田舎大学や。でもこんなに素敵な大学があるか?ワシは心からこの大学を愛しとる。お前もそうやろ?」やや酒癖の悪いけども人情派の教務部長は泣きながらわたしに吼えまくった。「あたりまえや!なにが東大じゃ!所詮最後は権威主義の『東大』で上がりたかった言うことやろ!勝手にせえや!なあ○○さん。ワシはこんなことされたら気が済まん。絶対にこの大学を世界一にしようや。日本一なんてくだらん。世界一や!」○○さんの逆鱗は数時間収まらなかった。「委員会」の末席を汚していたわたしも同様だ。

「どうして東大に移られたのですか?」
「きまってるじゃない。私立大学の仕事の多さに嫌気がさしたからです」

よく言えたものだなぁと呆れた。ただ、怒りの一方、いちまつの寂しさもあった。それは上野先生が学生からの評判が良く、けっして難関大学ではない、田舎のちいさな大学で(大学へはかなり横柄ではあったけれども)、学生の面倒見は感心するほど繊細だったからだ。当時、わたしは教員が評価した学生の成績をコンピューターに入力し、学生に伝える部署に配属されていた。通常、学生の評価(成績)は遅くとも2月中旬には教員から事務室に伝えてもらうことになっていたが、上野先生だけでなく、研究や休暇で海外へ出かける教員が多いのもこの時期だ。

しかし、4年生は3月の卒業を控え、3年生以下も次年度の履修計画に影響するので、教員から成績をもらえないことには学生に伝えることができず、その結果学生に不利益をもたらす懸念を成績担当の事務職員は常に持っていた。いまのように電子メールが普及してない時代にあっては、手紙かFAX,あるいは国際電話でしか、確認が取れないこともあるからだ。

どの国か忘れたけれども上野先生が、海外にお出かけの際に、学生の評価(成績)について国際電話で確認したことがある。履修者数の少ない講義ではあったが、上野先生はすべての学生の到達度と熱心さを把握しており、電話越しにわたしが投げつける質問に、すべて即答してくださった。学生の教育には本当に熱心な方だと感銘を受けた記憶は忘れられない。(つづく)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書、2月26日発売!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

 

『女は世界を救えるか』(1986年勁草書房)

この人と最初に言葉を交わしたのは、まだ大学生の頃だからもうかなり昔の話だ。

平安女学院短期大学(当時)の教員だった上野千鶴子先生はすでに売れっ子で、わたしの通う大学にも集中講義のような形で教えに来ていた。科目名は記憶にないが、大教室で行われる売れっ子上野先生は講義でどんなお話をされるのか。興味半分にその科目を履修登録はしていなかったけども、数人の友人と聴講に行った。

◆「キミ、質問が複雑そうだから前に来てここで話してくれる?」

わたしたちが参加した講義は、既に数回の講義を経たあとだったようで、「家族」についての各論を上野先生は、細かく語っていた。滑らかな弁舌は自信に満ち、滞ることなく黒板にキーワードを書きながら、はっきりと聞き取りやすい語り口でその日の講義は終了し、質問を受け付ける時間となった。300人ほど入る半円形の教室の中で挙手したのは、わたし一人だった。質問をはじめると上野先生は「キミ、質問が複雑そうだから前に来てここで話してくれる?」とわたしは教壇の上で質問を続けることを要求された。

講義では、「世代や国境を超えて男性に資産が引き継がれてゆく仕組みが、男性優位社会を形作っている」との解説があった。わたしの質問は「世界は広い。文化も多様だと思うが、世界中でどうして同一形態の男系資産相続が発生したのか。世界の男性どもは、どのようにその謀議を図ったのか」だった。世界各国に当時(現在も)母権主義(女系相続)社会があることを念頭に、その質問を上野先生にうかがった。

 

『女遊び』(1988年学陽書房)

◆「時間があったら研究室に遊びにおいでよ」

上野先生からは「なかなかいい着眼点ですね。なにかの本を読んだのかな?」と逆質問されたが「いいえ、お話をうかがって直感的に疑問に感じました」とわたしは答えた。講義終了時間が迫っていたからだろうか、上野先生は「この質問は議論が深まるので、来週の講義はこの問題から始めます。キミ、来週も来てくれるよね?」と出席を求められたのでわたしは「はい、参ります」と答え講義時間が終わった。

講義終了後「キミ、何の専攻なの?」、「平女(平安女学位短期大学)はバイクで山越えたらすぐだからさ、時間があったら研究室に遊びにおいでよ」と上野先生からのお心配りの言葉もいただいたが、わたしは別に上野先生のファンではなかった。むしろ彼女の発信にはいつも、どこかに曰く言い難い「ズレ」を感じていた。所詮は学部学生のわたしが、上野先生を「論破しよう」などと無茶なことは考えていなかった。彼女との直接のやり取りの中で自分が感じる「ズレ」の本質がなんであるのかを確認したいとは思っていた。

◆「意地悪だね、キミ」

翌週の講義開始時、わたしは教壇に再度呼ばれ、質問内容をもう一度詳しく語るように求められた。5分ほどかけて質問の主旨と、母権主義(女系相続)社会の存在をどう考えるかを聞いた。

 

wikipediaより

そのあと上野先生はわたしの質問に対して、誠実に解説をしてくださった。そう努力してくださったことは間違いない。しかし回答は、私の疑問を解く内容とはなっていない。立て板に水で、ときに難解な単語も織り交ぜながらの論説は、大枠で私の質問を包摂しながら総論を述べているようで、実は核心部分に触れるものではなかった。

わたしは、「お話しいただいた内容は理解しますが、わたしの疑問への直接の回答とはなっていないように理解します。もう少しわかりやすく教えて頂けないでしょうか」と再質問すると「意地悪だね、キミ」と冗談交じりに教室の笑いを誘い、「この問題も重要だけどまだ、話さないといけないことがたくさんあるから、もっと議論したかったら、平女に来てください」と、これまたちょっと笑顔を浮かべてわたしの質問への回答は打ち切られた。

なるほど売れっ子は「かわし方がうまいな」と感じた。一度だけ野次馬根性で覗いてみた上野先生の講義に、2度出ることになったが、「売れっ子見物」以上の興味を持っていなかったわたしにとって、それ以降彼女の名前に興味をもつことはなかった。(つづく)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書、2月26日発売!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

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