今年2月6日付けのj-cast.comの記事「財政健全化、2020年度達成は絶望的 それでも安倍政権が慌てない事情」 がこんなことを書いている。

「政府の中長期の経済財政に関する試算で、財政健全化の指標である基礎的財政収支(プライマリーバランス=PB)について、黒字化を目指す2020年度に、逆に赤字が拡大するとの見通しが示された。2016年7月時点の前回試算では5.5兆円の赤字としていたが、2.8兆円膨らんで8.3兆円の赤字になるという。安倍晋三内閣は「2020年度黒字化目標堅持」と繰り返すが、達成は絶望的になったといえそうだ。」

◆為政者たちの経済感覚が理解できない

ものごころがついてこの方、大金を持ったこともなけれれば、大きな借金を抱える生活の経験もない。人に貸した金がいくら踏み倒されたのか、もう昔のことは忘れたけれども、少々でも「借金」ができると気にかかる。庶民的な生活則が身に染みたからかもしれないし、前世で借金には痛い思いをしたことがあるからかもしれない。

だからなのか、自分のささやかな経済生活もさることながら、目の前で進行している「破産」へむけて一直線に突き進む、為政者たちの経済感覚が私には全く理解できない。単年度予算はここ数年、破産直前の国レベルに国債依存率が高い。そこに追い打ちをかけるのが上記で紹介した、プライマリーバランス黒字化目論見の破綻だ。

◆2008年にはPB黒字化達成は2011年度だったが……

そもそもプライマリーバランスとはなんだろうか。

「公債費を除く経費と、公債や借入金などを除く租税収入などの歳入がバランスしていること。すなわち、過去の借金の元利払い以外の政策的経費を、公債などの新たな借金に頼らずに調達することを意味する。プライマリーバランスは、財政再建の過程において重要な政策目標とされている。平成13(2001)年の経済財政諮問会議の『骨太の方針』でも、財政再建の中期目標として、まずはプライマリーバランスを黒字にすることが適切だとされた。その理由は、第1に、世代間の公平という観点から、現在の公共サービス費用を将来の世代に先送りすべきではない、第2に、財政の持続可能性を回復するためには、債務残高を対GDP比で増大しないようにする必要があり、それには元利払い以上の借金を新たに行うべきではない、ということであった。07年6月発表の『経済財政改革の基本方針2007』ではプライマリーバランスの黒字化達成の時期を11年度と明示している。」
(神野直彦 東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授 /2008年|ブリタニカ国際大百科事典小項目事典)

簡潔化すれば、「国債などを除く収入(主として税収)の中で歳出を抑えられているかどうか」ということだ。

神野氏の解説は2008年に書かれたもので、「07年6月発表の『経済財政改革の基本方針2007』ではプライマリーバランスの黒字化達成の時期を11年度と明示している」とされているが、ご存知の通り11年度は東日本大震災のあった年であり、当然黒字化などは果たされていない。その後自民党に政権が戻り、民主党政権時代の一時的な予算配分から、旧来型の公共事業重視の予算に戻り、プライマリーバランスはさらに悪化の一途をたどる。

◆それだけではすまない

企業経営者や、株式取引に主たる関心をお持ちの方の中には、大企業の収益が上がっている、株価が上昇しているから、国の財政も好転しているだろうとお考えの方も少なくないに違いない。本来はたしかに双方は比例関係にあるべき関係であったのだけれども、大企業への過剰な税制優遇と逆進性の極み「消費税」率上げにより、どれほど大企業が好況でも、税収が比例して増加しない、との歪な構造が作り上げられてしまった。結果として2020年もプライマリーバランスは赤字必至との見立てが既に確定的だ。

この見立ては確定的だが、それだけではすまないだろう。もし予定通り東京オリンピックが実施されれば、施設建設費、大会運営費が当初の計画より必ずも膨張して、それが補正予算に組み込まれることになろう(すでにその兆候は新しい国立競技場建設費用などで顕著である)。

しかし根本問題はもっと深刻だ。そもそも2017年度予算総額は約97兆円だが、その中で歳入は国債に35兆円依存している。これは予算の3分の1以上を「借金」していることを意味する。しかもこの割合は一向に減る気配がない。企業業績の好調が税収増として反映することもなく、労働者の賃金が相応に上昇することもないから、どうあがいたって、いまの構造のままでは毎年の予算を組んだ時点で「借金」が増加し、さらに単年度収支(プライマリーバランス)もマイナスになるから、借金の元本は膨らんでゆくだけだ。

◆債務総額が資産を上回ってしまうと予算が組めない

「プライマリーバランスを黒字化させ、財政の健全化を図ります」とのたまっていた、元加計学園役員こと安倍晋三(首相)の目論見とは逆に、年々この国の財政は悪化し、借金の総額も増え続けている。行き着く先はどうなるのか。債務総額が資産を上回ってしまうと予算を組むことができなくなる。

家計でお考えいただければわかりやすいだろう。給与所得が20万円のご家庭が毎月40万円づつ出費していればどうなるか。最初のうちはクレジットカード決済や、カードローンで自転車操業的に乗り切れても、やがて借金に上乗せされる利息にどうやっても追いつかなくなる。いまの国家財政は、簡単に言えばそのような状態である。私はかなり深刻な事態だと認識するが、実際に多くの人々がこの危機の被害に遭い、混乱が生じるまでことの真相は隠され続けるのだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

愚直に直球、タブーなし!『紙の爆弾』

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

教育無償化実現に向け、自民党内の議論が活発化してきた。財源に関しては、使途を教育に限定する「教育国債」発行案に加え、社会保険料率を上乗せし無償化に充てる「こども保険」創設案が浮上。無償化の対象をどうするかも課題となるが、憲法改正に向けた思惑も絡み、意見集約は見通せない。

◆屁理屈と思惑ばかりの「大学無償化」議論

「教育国債」は安倍晋三首相(党総裁)に近い下村博文幹事長代行や馳浩前文部科学相が発案。総裁直属機関の下に「恒久的な教育財源確保に関する特命チーム」を設立、導入を検討している。

国債に頼ることで現役世代の負担増を回避できる一方、将来世代に借金を先送りすることにつながる。無償化の範囲については、大学などの高等教育に重心を置くが、それだけで数兆円単位の財源が必要とされる。

一方、「こども保険」は、小泉進次郎農林部会長らによる「2020年以降の経済財政構想小委員会」が発案。働き盛りの若い夫婦らへの支援を念頭に、保育・幼児教育を無償化する内容で、想定する対象が下村氏らと異なる。

◎教育無償化、議論活発に=「こども保険」も浮上-財源や対象が課題・自民(時事通信2017年4月2日)

よくここまで屁理屈を考え出すな、と感嘆する。でも、そうでありながらあまりにも見え透いていて、本音が丸出しの浅知恵だなぁと、罵声の一つも飛ばしたくなる。最近急に沸き起こっている「大学無償化」議論についての感想だ。

今さら何を朝令暮改の妄言を自民党が語りだしたのか。それはあまりにも切実かつ、急を要する大学学費の高騰による、社会的弊害の広がりと、学費支弁者(基本的には親)の悲鳴を無視できなくなったことが、表面上の理由だ。しかし、一部議員の本音はそこにはない。下村元文科大臣や、民進党の細田豪志が言うように「改憲後の憲法にそれを書き込みたい」とう、馬鹿もたいがいにしろ、としか言いようのない、罵倒するにも形容詞や語彙が見つからないほどの薄汚い思惑も包含されている。

◆学費値上げで不要だった「改憲」がなぜ、値下げで必要なのか?

たしかに、日本の大学学費は高い。所得に比しても異常に高い。これは大問題であり私はなんらかの手段で公立、私立共々の学費を低減すべきだと考えてきた。しかし、現在奴らが語っている「大学無償化」は私の主張と似ているようで、その実まったく趣旨が異なる。自民党内では「こども保険」という名の新税を設けるか、「教育国債」を発行して無償化を図ろうとする議論があり、これに維新で院政を敷く橋本への同意を求めている。さらに下村らは「憲法にそれを書き込んで政策実施を早めたい」と、腰を抜かすようなコメントをしている。細田も同様だ。

何度考えても私の貧弱な語彙から、こやつらを罵倒する適切な言葉が思い浮かばないが、あえて言えば「寝言は寝てから言え」となろうか。どうして大学の授業料を無償化する如きの「政策」で憲法改正が必要なのか。なら、なぜかつてはほとんど無償に近かった国立大学の学費を年額60万円近くまで値上げするのに「憲法改正」は不要だったのか。単純化すれば連中の主張は、値下げには改憲が必要で、値上げに改憲は不要となる。そんなものどちらも「改憲」とは全然関係ない。読者諸氏はまだご記憶だろうが、民主党が政権を取った際、公立高校の無償化を実施した。あの時に「改憲」が話題になっただろうか。「改憲」など全く話題にならず公立高校授業料の無償化は実施されたじゃないか。

◆簡単な解決策は「独立法人化」を廃止し、昔の国公立大学に戻すこと

憲法は国のありようや、目指す国家の姿を描くもので、同時に国家権力の暴走を防ぐための最高法規だ。そこへ一政権が政策レベルで実行可能な施策を書き込んでいたら、毎年「改憲」をしていても追いつかないだろう。「こども保険」や「教育国債」などを導入しなくとも、まずは国公立大学(法人)の学費を低減できる簡単な施策がある。

その第一は現在導入されている「独立法人化」を廃止し、昔の国立大学に戻すのだ。今の国公立大学には「理事会」に経済人が山ほど乗り込んで、「商人」の計算で大学が運営されるようになってしまった。また学長の権限が不当に拡大され、教授会自治もなきものにされている。「学生自治」などはすでに歴史の教科書の中にしか存在しない。「独立法人化」を文科省はまず撤回しろ。そして1980年代以来進めてきた国公立大学への各種締め付け政策をすべて、元に戻して1980年当初の授業料に戻すのだ。

当時と現在で消費物価の大きな違いはないが、国公立大学の授業料は現在の半額以下だ。これでも国立大学としては高額だが、まずは30年前に戻せば少しは経費支弁者の負担も軽減する。

▼[図表1]国立大学と私立大学の授業料等の推移(文部科学省)

[図表1]国立大学と私立大学の授業料等の推移(文部科学省)

◆いまの大学の惨状はこれまでの「改革」が引き起こしたにすぎない

この惨状は、ひたすら米国式の教育システムを参考に文科省が進めてきた、大学管理と学生虐めが導いた結果である。国立大学を独立法人化しなければならない理由など、庶民の側からは皆無だったのに「改革」と謳い文句をつければ、なにかしら新しい価値のある政策だと勘違してくれるだろうという、役人根性丸出しの間抜けな文科官僚どもが暴走した付けに過ぎない。付言すれば「独立法人化」にとどまらず、実質国が親元の奨学金の運営団体であった「日本育英会」をはじめとする5団体を「日本学生支援機構」に統合したのも愚作の極みといえよう。「日本学生支援機構」発足前から「日本育英会」が無利子の奨学金だけでなく、「2種」と呼ばれる有利子奨学金を導入した「罪」も強く弾劾されなければならない。

文科省は「学びたい学生がいかに学べるが」などを模索するといった発想は微塵もなく、大学を自由競争に放り込み、いらぬ口出しはするくせに金は出さないという、性悪根性の政策しか立案しない。無駄もいいところ、「グローバル化」と時代遅れも甚だしく巨額の補助金をちらつかせながら大学に競争を強いり、まったく不毛な金をばらまいている。

◆究極の教育無償化策は「出向・天下り天国」文科省の解体

文科省官僚の「狼藉」も目に余る。現役官僚のうち241名、実に現役職員の10%以上が国公立大学法人に「出向」している。途中退職して私立大学の職員にひき抜かれるものもいるから、文科省の役人は「出向・天下り天国」だ。

中学校の先生の大半が過労死ラインを超える残業を毎月強いられているという。先生たちは昔からあんなに忙しかっただろうか。そんなことはない。定年近い中学校教諭に聞いたところ「21世紀に入ってからですね。雑用が増えましたよ。雑用です。生徒の教育と直接関係ない資料作りが一番の負担です」と言われていた。

いかがだろうか。このように見てくると、文科省という役所が、何ひとつ国民に有益な政策や施策を行う能力がない人間の集まりであることが判明する。究極の教育無償化策は、まず「文科省解体」からだろう。

▼河野太郎「文科省国立大「現役出向」241人リスト#1 問題は天下りだけではない。これが“植民地化”の実態だ」(2017年5月6日=文藝春秋2017年4月号)

[図表2a]河野太郎「文科省国立大『現役出向』241人リスト」(文藝春秋2017年4月号)

[図表2b]河野太郎「文科省国立大『現役出向』241人リスト」(文藝春秋2017年4月号)

[図表2c]河野太郎「文科省国立大『現役出向』241人リスト」(文藝春秋2017年4月号)

[図表2d]河野太郎「文科省国立大『現役出向』241人リスト」(文藝春秋2017年4月号)

[図表2e]河野太郎「文科省国立大『現役出向』241人リスト」(文藝春秋2017年4月号)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

愚直に直球、タブーなし!『紙の爆弾』

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

5月7日、福井県高浜原発前で「5・7高浜原発動かすな!現地集会」が行われた。新緑の美しい季節、山並みには藤の花の薄紫や、遅咲きの山桜がいたるところに見られる。若狭湾の天候は晴天。絶好の観光日和といいたいところだが、「再稼動抗議行動日和」となった。

 

◆昨年とは明らかに様子が違う高浜原発1、2号機

高浜原発の正面玄関前で抗議

高浜原発周辺には、東京、福井、滋賀、京都、神戸などから大型バスで、また自家用車や自転車で目算500名ほどの人が集まった。高浜原発に近づくと1、2号機の様子が昨年と明らかに違う。足場が組まれ大掛かりな作業が行われている。この日高浜原発の正門は三重のゲートが閉じられ、ご丁寧に新品の鉄条網までが巻かれていたが、地元の人によると、最近平日は1日何10台もトラックが出入りを繰り返し、たいそう慌ただしい様子だという。

大阪高裁の「人間性、論理性皆無」な山下郁夫裁判長により再稼働が認められた3,4号機ではなく、既に稼働40年を超える1、2号機の継続運転を企む関西電力が、もうくたびれ果てて本来ならば廃炉にしなければならない事故・故障必至の老朽原発の「補強工事」を行っているのだ。

取水口付近から見た高浜1、2号機

◆集会、デモ終了まで海上には警備船、上空には福井県警のヘリコプター

海上を警備する船舶

高浜を訪れると、過去すべて悪天候にたたられていたので気が付かなかったのかもしれないが、この日は海上には2隻の警備船、そしてはるか上空には、ゲート前の抗議行動から、集会、集会後のデモ終了まで常に福井県警のヘリコプターが飛んでいた。税金の無駄使いであることを指摘しておく。当然機動隊員は常にデモ隊につきまとう。

◆形ばかりの関電「コミュニケーション課長」

正面ゲートから1キロほど離れた広場から正面ゲートに向かいデモが始まった。この日の警備には若手女性の警察官が多数動員されていたのが印象的だった。若手女性警察官の実地訓練のつもりだろうか。デモ隊が原発正面ゲート前に到着すると、中島晢鴛さん、木原壯林さん、柳田真さんら4名が関西電力、コミュニケーション課長吉田氏へ申し入れを行った。

「コミュニケーション課長」と珍しい、あたかも物わかりの良さそうな肩書の吉田氏は直立不動で瞬きもわずかに、申し入れ書を読み上げる各氏を睨みつけ、文章を手渡す際には形ばかりの深い礼で応じた。しかし、その顔には一切の感情もうかがえない。まったくの無表情、つまり形ばかりの「要請文受け取り」だということは、そばで見ていて、一目瞭然だった。話をする気さえないのであれば「コミュニケーション課長」などという紛らわしい肩書など作るな! 関西電力!

原発正面へ向けデモ出発

◆福井原発訴訟(滋賀)原告団長、辻弁護士が「高浜原発大阪高裁決定」を斬る

正面ゲート前での抗議行動が終わると、高浜町文化会館に移動して全国からの参加者の発言や報告が行われた。そして大阪高裁で福井原発訴訟(滋賀)原告団長の辻義則弁護士が「高浜原発再稼働を進める大阪高裁決定を斬る」と題して、かなり詳細に決定の問題点を解説した。

大阪高裁の決定は要するに、「規制基準」を絶対のものとして持ち上げ、住民側の意見を一切聞き入れない不当極まりない、過去の判例に照らしても逆行・反動以外の何物でもない無茶苦茶な決定であることが解説された。山下郁夫という裁判官は安倍晋三並みの人間のようだ。

◆デモ隊を好意的に迎えてくれる通り沿いの住民たち

集会後は文化会館から高浜駅に向けてのデモだ。このコースは狭い民家の間を通過するのが特徴で、私自身は過去に何度か歩いたことがある。その折には文句をいう人がわずかにいたけれども、窓からデモの様子を眺める人、わざわざ玄関の外に出てきて手を振ってくれる人などが印象的だった。この日は好天も幸いしてか、これまでにもまして好意的に迎えてくれるデモコース沿いの住民が多かった。デモ隊に手を合わせている高齢女性の姿は特に印象深かった。

町を練り歩くデモ隊を好意的に迎えてくれる通り沿いの住民も多かった

◆ふざける小学生たちが教えてくれた安倍晋三ら推進派の幼稚性

そして、デモの解散地点高浜駅に着いた時のことだ。駅前は小さなロータリだが、デモ隊が最後の声を上げている姿を小学生数人が道の逆側で見ていた。小学生は物珍しそうにデモ隊を見ながら「原発反対」とか「原発賛成」と小声でふざけていたが、デモ隊が声を出さなくなると、一斉に「原発賛成!原発賛成!」と大声を出しながら路地の中に駆けていった。

あの小学生たちにとっては原発よりも、大声をあげて道を練り歩くデモ、大人の姿が珍しかったのだろうか。それとも小学校や家庭ですでに「原発」信者に仕立て上げられているのだろうか。

その姿を反転して考えてみると、たとえば大阪高裁の山下郁夫や電力会社の経営陣、原子力規制委員会、さらには経産省、安倍晋三らはつまるところ「小学生」だということを高浜駅前での小学生たちは教えてくれた。そうか。奴らは子どもか。なら怒鳴りつければいいんじゃないか。

◆再稼働反対の行動は「5・12高浜原発動かすな!福井集会」へと続く

なお高浜原発3,4号機再稼働に反対する行動は5月12日まで連続で行われる。8日は高浜町、大飯町、小浜市に申し入れ。9日は若狭町、美浜町、関西原電本部、原子力規制委員会(敦賀)申し入れ。10日は敦賀市、南越前市、越前市申し入れ。11日は池田町、鯖江市申し入れ。そして12日は越前町、福井市へ申し入れのあと「5・12高浜原発動かすな!福井集会」へと合流の予定だ。移動の間毎日各地でデモも行う。参加される方の再稼働阻止に向ける熱意に敬服するばかりだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『紙の爆弾』最新号!森友、都教委、防衛省、ケイダッシュ等今月も愚直にタブーなし!

〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!『NO NUKES voice』11号!

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

宮沢和史さん(2016年10月2日熊本「琉球の風~島から島へ~2016」にて)

気取らない、威張らない、爽やか。元THE BOOMの宮沢和史さんだ。彼は昨年1年間体調不良で、ステージで歌う活動を「休養」していた。それでも震災後の昨年10月2日熊本で行われた「琉球の風」に駆けつけて「今日だけはどんなことがあっても歌わせてくださいと僕のほうからお願いしました!」と全国のファンには極秘(?)で「島唄」を熱唱してくれた。

一昨年は顔色がさえず、体が辛そうだった。本人曰く「ヘルニアで動くのも苦しい」状態だったそうだ。昨年はずいぶん元気になっていて、ご本人も「だいぶ元気になりましたよ。ステージで歌わないのが休養になったみたいですね」と明るく話してくれた。それでもまだ指のしびれがとれることはないとのことだった。

◆宮沢和史さんが「島唄」に込めた想い

4月1日付朝日新聞デジタルより

4月25日から防衛局による「辺野古の海破壊行動」が激化しているが、それに対するささやかな抗議として、宮沢さんの「島唄」にまつわる逸話をご紹介する。

以下は4月1日付の朝日新聞デジタルに掲載された記事からの抜粋だ。

沖縄の音階と三線(さんしん)を全国に広めた「島唄」。ラブソングのように聞こえる歌に込められた本当の意味は?

「THE BOOM」のボーカリスト、宮沢和史さん(51)は山梨県出身。沖縄音楽の魅力にとりつかれたきっかけは、1989年のデビューから間もない頃、土産にもらった沖縄民謡のカセットテープだった。 「バブルの空気に居心地の悪さを感じて、日本から世界へ発信できる音楽を探していたとき、大地につながりをもつ沖縄民謡に日本の原風景を感じたんです」

90年、アルバムのジャケット撮影のため、初めて沖縄の土を踏む。翌年には沖縄県糸満市のひめゆり平和祈念資料館を訪れ、ひめゆり学徒隊生存者の話を聞いた。住民を集団自決に追いやったものに対してだけでなく、沖縄戦に無知だった自分自身にも腹が立った。人々が息絶えたガマ(洞窟)の中に自分もいるような恐怖を覚え、資料館の外へ出ると、さとうきびが静かに風に揺れていた。

宮沢さんは振り返る。「牧歌的な光景と、その下で行われた殺戮(さつりく)とのギャップが信じられなかった」伝えなければと思った。自分には音楽がある。「体験を話してくれた方に恥ずかしくない曲を作ろう」。そう考えて一気に書き上げたのが「島唄」だ。

「ウージ(さとうきび)の森であなたと出会い ウージの下で千代にさよなら」。単純に恋の始まりと終わりを描いたとも取れる一節は、ガマの中で自決した二人の幼なじみの男女をイメージしているという。「レ」と「ラ」がない琉球音階で作られた曲の中で、このフレーズだけは通常の西洋音階にした。「何が誰がそんな状況に追い込んだのかを思うと、沖縄の音階はつけられなかった。ヤマトの音階にした」

◆今年も9月に熊本「琉球の風」で「島唄」を

私は沖縄の知人から聞いて、「島唄」に込められた意味を知ってはいたけれども、上の記事にある通り、宮沢さんご自身がそのことを語るようになったのは21世紀に入って以降で、それまではメロディー、歌詞ともに卓抜した名曲として世界にも広がっていた。

さて、肝心の「島唄」であるが下記が、ほぼ宮沢さんの意図に近いだろうと思う。巧みの技である。パッパラパーのバブル時代でもこの歌詞には抵抗を感じる人が多くはなかっただろう。しかし表の歌詞を翻せば、これはまがうことなき「反戦歌」だ。しかも琉球(沖縄戦)から、大日本帝国の暴虐を撃つ視点には勇気も要ったに違いない。だから宮沢さんは今も大枠で「島唄」の歌詞を語ることはあるけれども、この時代状況に対する発言は極めて慎重だ。それでいい。彼はこれだけ大きな仕事をやってのけたのだから、「島唄」をクースー(泡盛の古酒の意)のごとく、磨き上げていってほしい。今年も9月には熊本の「琉球の風」で「島唄」を聴くのが楽しみだ。

「島唄」を歌う宮沢さん(2016年10月2日熊本「琉球の風~島から島へ~2016」にて)

沖縄で続く中央政府の暴虐に対して「島唄」の歌詞を送る。

でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
(1945年春、でいごの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された。)

でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
(でいごの花が咲き誇る初夏になっても、米軍の沖縄攻撃は続いている。)

繰り返す 哀しみは 島わたる 波のよう
(多数の民間人が繰り返し犠牲となり、人々の哀しみは、島中に波のように広がった。)

ウージの森で あなたと出会い
(サトウキビ畑で、愛するあなたと出会った。)

ウージの下で 千代にさよなら
(サトウキビ畑の下の洞窟で、愛するあなたと永遠の別れとなった。)

島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、
遥か遠い東の海の彼方にある神界“ニライカナイ” に戻って行きなさい。)

島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
(島唄よ、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
(でいごの花が散る頃、沖縄戦での大規模な戦闘は終わり、平穏が訪れた。)

ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
(平和な時代のささやかな幸せは、波間の泡の様に、はかなく消えてしまった。)

ウージの森で 歌った友よ
(サトウキビ畑で、一緒に歌を歌った友よ。)

ウージの下で 八千代に別れ
(サトウキビ畑の下の洞窟で、永遠の別れとなった。)

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、
遥か遠い東の海の彼方にある神界“ニライカナイ” に戻って行きなさい。)

島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
(島唄よ、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)

海よ 宇宙よ 神よ 命よ
(海よ 宇宙よ 神よ 命よ 万物に乞い願う。)

このまま永遠に夕凪を
(このまま永遠に穏やかな平和が続いてほしい。)

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、
遥か遠い東の海の彼方にある神界“ニライカナイ” に戻って行きなさい。)

島唄よ 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
(島唄よ、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、
遥か遠い東の海の彼方にある神界“ニライカナイ” に戻って行きなさい。)

島唄よ 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の愛を
(島唄よ、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)

◎[参考動画]島唄 本当の意味(kesigomuify2010年5月22日公開)

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▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『島唄よ、風になれ! 「琉球の風」と東濱弘憲』(「琉球の風」実行委員会=編)

朝日新聞労働組合が本日主催する「言論の自由を考える5・3集会」

朝日新聞阪神支局襲撃事件から30年が経過した。実感としてあの事件を覚えている人はもうわずかだろう。朝日新聞の記者でさえ。

そう思わざるを得ない事情は、たとえばこの催しものに登場する顔ぶれが示している。朝日新聞労働組合「5・3集会事務局」が主催する「言論の自由を考える5・3集会」だ。

◆むのたけじさんら2012年集会の顔ぶれはしっかりしていたが……

「新聞は民衆の合作だ」と語る故・むのたけじさん(2012年集会)

HPを見ると過去の同集会演者の顔ぶれを2012年までさかのぼって見ることができる。2012年は、むのたけじ(故人)の基調講演に続き、《不信の壁を超えて 3・11後の言論と社会》をテーマにしたパネルディスカッションが行われている。パネラーは斎藤貴男(ジャーナリスト)、林香里(東京大学大学院教授)、マーティン・ファクラー(当時ニューヨークタイムズ東京支局長)、依光隆明(朝日新聞編集委員)の各氏で、コーディネーターは元朝日新聞編集局長の外岡秀俊氏だ。この顔ぶれに大きな違和感は覚えない。依光氏は原発事故後、独走する東京新聞の報道に読者を奪われつつあった朝日新聞の中で「プロメテウスの罠」の執筆に関わった記者でもあり、マーティン・ファクラー氏は報道人でありながら、この国のメディアからは「取材対象」として取り上げられることも多く、問題提起者として適切な人物だろう。斎藤貴男氏も硬派ジャーナリストだ。

◆「なにか言っているが、その実、なにも言っていない」人たちの台頭

だが翌2013年のシンポジウム《対話がきこえない「つながる」社会の中で》あたりから登場するパネラーには疑問が生じる。安田浩一(ジャーナリスト)、開沼博(福島大学特任研究員)、小田嶋隆(コラムニスト)、稲垣えみ子(朝日新聞論説委員)でコーディネーターは津田大介氏だ。朝日新聞労組が取材する「5・3集会」にこの顔ぶれは相応しいだろうか。ご存知ない方のために解説をしておくと開沼博は「福島学」なる新たな学問領域を自ら(勝手に)打ち立て、一見原発事故後の福島を社会科学的に解明している素振りを見せながら、その実事故の被害を矮小化し、学問の名を傘に最近では避難者の死亡原因が「反原発運動」だとまで主張しだしている大罪人だ(開沼の罪については「週刊金曜日」4月14日号、明石昇一郎氏の記事が詳しい)。

若手中堅の社会学者には「何かを言っているのだろうが何を言いたいのかわからない(その実、なにも言っていない)」人間が激増しているが、その「何を言いたいかのかわからない」振りをしながら、巧みに世論を「安全神話」へ誘導する役割を担っているのが開沼だ。原発事故後完全に「いかれた」池田香代子(翻訳家)のように露骨ではないだけに余計にたちが悪い。

2013年集会

◆「M君リンチ事件」隠蔽の主犯格として暗躍した安田浩一の言

そして安田浩一の最近の言動は鹿砦社が出版する書物でお伝えしている通りであるが、とりわけ「M君リンチ事件」隠蔽の主犯格として暗躍が著しい。その安田が「5・3」集会前インタビューで興味深い発言を行っている。在特会についての質問を受けた安田は以下の様に述べている。

――記事化は困難を伴ったのではないでしょうか。

安田 僕は当時から、どうしても記事として取り上げたかったんです。それで新聞社系を含めてあらゆる週刊誌に話を持っていったんですが、すべての媒体に断られた。
 編集者の中では在特会の存在を知っている人もいたし、彼らが醜悪だということも認める。でも、彼らのロジックを誌面に反映させたくない、もっと言うと彼らのカギ括弧を載せると誌面を汚す、誌面で扱うことで何より彼らを認知してしまう、放っておけばいいんだと言われた。「あんなのが社会的な支持を得るわけがないから、放っておけば消えてなくなるんだ」と。
 それは編集者のスタンス、保守・リベラル問わず、口をそろえて同じ事を言ったわけです。僕はそのときまでは、半分同意しつつ、同時に何を逃げているんだろうという思いもやっぱりあったわけですね。だって、現実に目の前に「外国人を叩き出せ」と叫ぶ人間がいて、しかもそれなりの動員力を持ちつつある。社会現象として無視していいのかという思いは僕の中にもあって、悶々としたものを抱えていたわけです。

このインタビューの「在特会」を「M君リンチ事件」に置き換えてみよう。

――「M君リンチ事件」の記事化は困難で、鹿砦社はどうしても記事としてとりあげたかったんです。それで新聞社系を含めてあらゆる週刊誌に話を持って行ったんですが、すべての媒体に断られた。――

歴史は巡るというが、わずか数年で主客転倒している現実には、唖然とする。そしてコーディネーターは茶髪の売れっ子、津田大介。亡き小尻記者はこの人選をどう感じるだろう。

◆古市、田母神、香山リカ──あきれ返るほどの人選の不見識

しかし、凋落はそんなものではない。2014年の同集会のテーマは《戦争なんて知らない ――「断絶」と向き合う》で、パネラーは古市憲寿(社会学者)、西谷文和(フリージャーナリスト)、中田整一(ノンフィクション作家)、田母神俊雄(元航空幕僚長)だ。西谷、中田両氏はしっかりした仕事をしている方だが、古市は先に述べた「何かを言っているのだろうが何を言いたいのかわからない」社会学者の筆頭であり、さらにどうして田母神を呼ぶ理由があるのだ。この集会は朝日新聞労組が企画する、私的な集会であるから誰を呼ぼうが自由だ。よってそれに対する批判も自由が担保される。何たる人選かとあきれ返る。不見識にもほどがある。

2014年集会

2015年集会

2016年集会

それでも止まらない。2015年の《戦後70年 メディアの責任 1億総発信社会で》には、憲法9条2項改憲主義者の高橋源一郎(作家)、御厨貴(東京大学名誉教授)、瀬谷ルミ子(日本紛争予防センター理事長)、西村陽一(朝日新聞取締役編集担当)が並び、コーディネーターは堀潤(ジャーナリスト)が登場。さらに2016年の《デモ×若者 社会は変わるのか》には、最近しばき隊リーダーの感がある、香山リカ(精神科医)と五野井郁夫(高千穂大学経営学部教授)、言説「巧み」な隠れ右翼こと佐藤卓己(京都大学大学院教育学研究科教授)、千葉泰真(SEALDs、明治大学大学院生)のお歴々が……。コーディネーターはまたしても津田大介。

◆労組までもが朝日の真似をすることもあるまいに

そしてきょう行われる《「不信」「萎縮」を乗り越えて》のパネラーは、再度、憲法9条2項改憲主義者の高橋源一郎(明治学院大学教授)、西田亮介(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授)、高橋純子(朝日新聞政治部次長)で、コーディネーターは佐藤優のように、何を聞いても知っている、だけれどもあなたの本音はいったい何なの?と質問すると「いい質問ですね」とは答えてくれない、ヌエのような池上彰だ。

そりゃ負けるだろう。改憲論議でも、阪神支局襲撃事件でもこんな連中が論陣を張っているようでは。朝日新聞への幻想と幻滅。労組までもが会社の真似をすることもあるまいに。もう日本国憲法は死んでいる。

鹿砦社代表・松岡と「デジタル鹿砦社通信」管理人が共同して朝日新聞阪神支局襲撃事件の直後に緊急出版した『テロリズムとメディアの危機~朝日新聞阪神支局襲撃事件の真実』。日本図書館協会と全国学校図書館協議会の選定図書にもなった

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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連合HPより

wikipedia「連合」項より

今日はメーデーだ。東京の「連合」(日本労働組合総連合会)系集会には小池都知事がゲストで呼ばれるという。ご同慶の至りである。メーデーは労働者の祭典、戦う意思を確認する日のはずだが、そこにどうして「保守」の小池都知事が呼ばれるのか。いや、振り返れば別におかしなゲストは、これが初めてではない。郵便局をぶっ壊し、ブッシュの進めたアフガニスタン、イラクへの侵略戦争を世界一支援した小泉元首相もこの大会に呼ばれたことがある。

◆1987年の「連合」発足──この国の労働運動が骨抜きにされた一大転換点

そもそも出自からして「連合」は御用組合化が運命づけられていた。元社会党系を支持していた「総評」(日本労働組合総評議会)が、国鉄解体を機にガタガタにされ、民社党を支持していた「同盟」(全日本労働総同盟)と合体をしたのは1987年11月20日のことだった。今日の安倍政権による急速な反動体制の暴走を「小泉・竹中」の新自由主義から、と規定する方が多いが、私は「総評」解体「連合」発足が、この国で労働運動の決定的な骨抜きが行われた一大転換点だと考える。

その仕掛けは労働界内外から行われた。今では野党の共同代表におさまり、あたかも世直しはこの人しかいないと、80年代には予想もしなかった凋落と評価の変わりようのO氏は、中曽根政権下で国鉄潰しに直接手を下した本人である。

◆超A級の戦犯として山岸章

そして超A級の戦犯として山岸章の名前を挙げなければならない。山岸は電電公社(現NTT)の情報通信産業労働組合連合会の委員長でありながら、「総評解体」=「連合設立」をもくろみ暗躍し、「連合」発足後は初代の会長に就任する。そしてめでたくも2000年4月、山岸は勲一等瑞宝章を受勲している。日本における今日的労働組合運動の退潮と腐敗をもたらした山岸の罪は万死に値する。連合会長就任後、山岸はテレビに知識人ズラをして登場しては、労組潰しの立役者として、間抜けな司会者やコメンテーターからおだてられ、いい気になっていた。

当時、豪州出身の私の友人は、「山岸の役割は、ボブ・ホーク(ロバート・ジェイムズ・リー・ホーク、Robert James Lee Hawke)と同じだ」と語っていた。ボブ・ホークは豪州で1983年から1991年まで首相の座にあった自分物だが、彼がオーストラリア労働組合評議会(Australian Council of Trade Union, ACTU)を骨抜きにして、日本の「連合」化させた役割と山岸の役回りがそっくりだと聞いた。もっとも豪州の労組は「連合」とは比較にならない闘争力をまだ保持はしていたが、20世紀後半資本主義国での労働運動解体に一役買った人物という点で二人には共通点が多かった。

連合2016~2017年度パンフレットより

連合2016~2017年度パンフレットより

wikipedia「民進党」項より

◆「連合」が支える民進党の堕落

そして、「連合」が支える民進党の堕落はどうだ。長島昭久が「憲法について執行部と考えが違う」と離党。細野豪志も執行部の憲法改正に関する姿勢に不満がある」として民進党代表代行を辞任した。「民進党執行部の憲法についての考え方」などはどうでもよいのだが、長島も細野も要するに自民党同様の「改憲」がしたい、という人間なのだ。長島はそのタカ派ぶりを昔から隠すことなく、海外派兵推進、憲法改正を口にいていたし(ちなみに長島の大学時代の指導教授は小林節だ)、細野は静岡選出の議員だが、ルポライターの明石昇一郎さんに「原発のことを教えてください」とわざわざ質問をして「ああそうなんですか」と原発の危険性を「理解したフリ」をしていた人間だ。芸能人との不倫写真を撮られたり、どのみち期待する要素が「ゼロ」の人間なので驚くには値しない。

問題は長島、細野のような「廃棄物」が民進党議員の中では決して珍しくはないとうい事態だ。なぜなのか。それは連中の頭の中に理想とする社会像がないからだ。仮にあってもそれは自民党の連中が発想するそれと大差ない。だから民進党は一向に支持率が上がらないし、どんどん勢力が弱体化してゆくのだ。しかもそこに「投票」をちらつかせるのが「御用労組の集合体」連合では、どうしようもない。

じゃあ、だれを選べばいいの?……との質問が当然予想される。私は自公には投票しない。民進党にも入れない。それ以上は言わない。

◆「真っ当な労組」なしに「真っ当な野党」などあり得ない

民進党は一刻も早く解党し、また「連合」も解体すべきだ。少々時間がかかるかもしれないが、「真っ当な労組」がなければ、「真っ当な野党」はあり得ない。労組は組合員と全労働者の利益を追求して、経営者と対峙する本来の役割を取り戻せば良いだけのことだ。非正規雇用が4割に達し、「食えない労働者」が激増する資本主義末期にあって、内部留保を腐るほど貯めこんだ大企業からそれを吐き出させ、労働者にしかるべく分配を要求するのだ。労働運動の役割は経営者のお手伝いではなく、労働者の権利・利益の追求だろう。

民進党HPより

◆「与党案に反対」が野党の旗幟

また、民進党解党後の野党は「自民党の提案には何でも絶対反対」の旗幟(きし)を鮮明にすればよい。民進党が民主党時代にどうして消費税の引き上げなどを言い出したのだ。菅直人元首相が財務官僚に嵌められて妄言を吐き出したのかもしれないが、消費税率上昇が税収の低減を招くことは過去の実績で明らかじゃないか。「消費税亡者」の中には税率を20%に上げないと……など寝言は寝てから言え!と怒鳴りつけたくなるような間抜けな論を平気でのたまう輩がいる。間違っている。彼らが求めるように「経済成長」を数字で確認したいのなら、まず消費税を全廃してみろ。どれだけ消費が喚起され、内需が潤うことか。そして消費税に苦しめられている中小企業や、低所得世帯が喜ぶことか。財源? 東電に無担保で20兆円貸せるんだろう。それを回せばおつりがくるじゃないか。

と、いうのが野党的には当たり前の姿勢だと思うのだが、小池都知事登場にヤジの一つも飛ばさずに拍手しているうちは、すべて望み薄だろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!『NO NUKES voice』11号!

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

ノーベル賞の「功罪」を総体で評価すれば、政治から離れることができず「罪」が「功」を上回るのではないかと思う。原発推進の世界組織、IAEA(国際原子力機関)が「ノーベル平和賞」を受賞していることを見てもそれは明らかだ。でも、時に「これは!」と唸る受賞者を選出するので、ノーベル賞の価値を全否定することができない。

◆『チェルノブイリの祈り 未来の物語』──文学のような読後感を抱かされるルポルタージュの秀作

『チェルノブイリの祈り 未来の物語』(1998年12月18日岩波書店単行本)

2015年にノーベル文学賞を受賞した、スベトラーナ・アレクシエービッチ『チェルノブイリの祈り 未来の物語』(岩波書店 翻訳=松本妙子)は世界中の人に読まれる価値のある作品だ。『チェルノブイリの祈り』は徹底した取材に基づくルポルタージュ作品なのだが、文学のような読後感を抱かされる、濃密かつすぐれた作品だ。
同書の著者、スベトラーナ・アレクシエービッチさんが昨年来日し、「福島現地を訪れたドキュメンタリーがNHKで放送されたよ」と同番組を録画していた友人がDVDを貸してくれた。前後編2本に分かれていて、前編は「チェルノブイリの祈り」、後編「フクシマ 未来の物語」だ。チェルノブイリと福島を訪れたスベトラーナ・アレクシエービッチさんは、通訳を介してながら、普通のインタビュアーでは、聞きづらそうな内容を、現地の人々にズバズバ聞いてゆく。相当な修羅場をくぐってきた人だということが、その問答から分かる。

「ベラルーシでは情報が統制されている」、「事故が起こればどこの国でも同じ」、「国家はその責任を取ろうとしない」などとNHKがよく放送させるな、と思われるセリフを次々と語る(本当のことを語っているだけなのだから、こんな感想を持たざるを得ないことが不幸なのであるが)。

◆「絶望」を示唆する言葉のかけら

『チェルノブイリの祈り 未来の物語』(2011年6月16日岩波現代文庫)

「チェルノブイリの祈り」日本語版の解説を書いたフォトジャーナリストの広河隆一さんにインタビューした時、「ソ連では医師や警察、地元の代表と軍も混じり避難すべきかどうかが事故直後に話し合われたが、避難を妨げたのは医師で、軍は避難に積極的だった」という主旨のお話を伺って、驚いた経験がある。

軍隊、とくに旧ソ連の軍隊には何の根拠もないが「冷徹」なイメージがあり、彼らが原発事故被災者の避難に、医師よりも積極的であった理由がわからなかった。が、広河氏から理由を聞いて、ああなるほどと納得した。「当時は核戦争の危機が迫っていた時代ですから、軍には『核』の危険性の知識があった、だから住民の避難は『核戦争』が発生した時の前提で軍は考えたのです」

恐ろしい理由ではあるが、結果として事故後の近隣住民避難体制は、福島よりもチェルノブイリの方が、はるかに手際が良かったとの評価は現場を取材した人々から異口同音に聞いた。しかし、避難はチェルノブイリの方が敏速であったとしても、事故後の対応は基本的には変わらない。スベトラーナ・アレクシエービッチさんはベラルーシの情報統制ぶりを何の躊躇もなく批判していたし、「フクシマ」の将来についても、楽観的ではない予想を語った。至極当然な冷厳たる現実を彼女が語ると言葉が文学的であり、それゆえ、より重い迫力で画面の向こう側から「警鐘」と「冷厳な分析」が伝わってきた。そしてこれは私だけの感想かもしれないが、あえて言えば「絶望」を示唆する言葉のかけらもあった。

◆「4・26があったから3・11はあの程度で済んだ」という発言を耳にしたことはない

きょう4月26日は旧ソ連でチェルノブイリ原発が爆発事故を起こして31年目にあたる。ゴールデンウイーク直前のこの時期、福島第一原発事故が起こる前、原発の危険を懸念する人びとの間では、決して忘れることのできない、悪夢の記念日だった。そこに3・11が加わってしまい4・26はこの国では少し色あせた感はあるけれども、実は事故後6年経った現在、チェルノブイリ事故で残された記録や情報の数々は、悲しいことではあるが、フクシマで被害拡大を阻止しようと尽力する人びとに援用されている。

国家もまた「いかに被害を隠すか」の先例として、旧ソ連、ウクライナの手法を参考にしているようだ。だが一党支配の「共産主義国」だった旧ソ連よりも、自由に発言ができて、国際的にも医療や技術の援助を求めやすいはずの、この国におけるフクシマ事故の処理は場当たり的で、稚拙に思える局面が多すぎる。

「4・26があったから3・11はあの程度で済んだ」という関係者の発言を耳にしたことがない。学ぶ姿勢がないのか、学んでいないのか。ウクライナは電力が圧倒的に不足しているので今でも原発が動いている(この事実には驚かされるが)。一方この国では電気は有り余っているのに、電力会社の利益のためにのみ、原発の再稼働が次々と目論まれている。高浜原発3、4号機の運転停止を言い渡した大津地裁の判断は、ごく自然な危険に対する姿勢を示したが、大阪高裁ではその判断が翻った。佐賀県知事も玄海原発再稼働の同意を出した。関西電力、九州電力をはじめ、司法や知事「原発再稼働」グループを罵(ののし)る言葉を探しているが見当たらない。

近しい年配の親せきが「どうして原爆を落とされて、痛い目を経験しているのに。福島ではあんな事故が起きて、ひどい目にあっている人がいるのに、再稼働なんて『馬鹿』としかいえない。私は年寄りだけど電力会社や再稼働を認める役人が目の前にいたら堂々と『あなたは馬鹿だ』と言ってやりますよ」と語った。私もそれ以上適切な表現が思い浮かばない。


◎[参考動画]2016年11月28日、東京外国語大学で行われたスベトラーナ・アレクシェービッチさん名誉博士号授与記念講演「とあるユートピアの物語」(OPTVstaff 2017年1月12日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!『NO NUKES voice』11号!

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

◆教育に対する国家の態度──欧州諸国と米国は雲泥の差

「欧米」、と容易に西洋諸国をくくってしまうことがあるが、こと社会保障・福祉にかんして、欧州の多くの国と米国には雲泥の差がある。当然欧州の中でもEUに所属していようが、いまいが国ごとにその差があることは言うまでもない。その中でわかりやすい違いは教育への国家の態度だ。教育とりわけ、高等教育に関して英国と米国は比較的政策が近い。そして、この両国を真似ているのが日本であり、韓国であり、台湾、つまり東南アジア諸国である(近年はその中に中国も含まれるようになってきた)。

国立大学法人運営費交付金の推移(2004-2014年度)(wikipedia「国立大学法人」の項より)

なにが似通っているかと言えば、米国、英国やこの島国を含めた東南アジア諸国では、高等教育にかかる授業料が個人負担であり、それもかなりの高額であるという点である。それに対してフランスやドイツなどで、欧州でも一定程度以上の社会福祉が築かれている国々では「義務教育から大学院まで学費は無料」が常識だ。学費が無料の国ほど「金も出すから口も出す」と、教育内容に国家の介入が強いかと思いきや、どうやらかならずしもそういった構図は成立しないようで、むしろ「金は出さないが口は出す」という図々しい態度のほうが、国家を超えて教育行政には蔓延している。それはこの島国と韓国でまことに顕著だ。台湾も追従傾向がある。

文部科学省「国立大学の法人化をめぐる10の疑問にお答えします!」(文部科学省HPより)

◆国立大学が「国立大学法人化」されて

たとえばかつて、「国立大学」と呼ばれた大学は、正確に言えばもう既にこの島国には存在しない。すべての国立大学は「国立大学法人」化されている。だから東京大学でも、東北大学でも名古屋大学でも正式名称には「国立大学法人」が頭につく。この「独立法人化」により、大学の運営の理事会に外部の人間が入るようになり、各地の経済界の人間が大学の間接支配に手を染めることが容易になった。そして今話題の文科省官僚の理事会入りは日常茶飯事である。「国立大学法人」としては理事会に文科省の人間を置いておけば、なにかと便宜も図ってもらえ、情報の入手も容易になるであろうと、スケベ根性を出し大学運営(あえて経営ということばは使わない)の座に文科省の人間を据えているのだ。

それでなにか得策があるのか、といえば「皆無」である。交付の根拠が定められている文科省からの補助金は、融通を利かすことが出来はしないし、時々のトレンドに合わせ、「時限立法的」に設けられる補助金の獲得は、「どれだけ国策に従順か」の競争である。億単位の補助金は、大学にとって魅力的でないはずはないから「パン食い競争」のように、補助金を得ようと大学は必死になり、中身の空疎なプログラム作成や、カリキュラム新設に汗を流す。

情けないことこの上ないありさまだが、国立大学法人においては年々補助金が減額され、首根っこを押さえられている状態では、研究費を得る為にはなりふり構っていられないという事情もある。だから本論からは逸れるけれども、防衛省が研究費を支給(実質的な軍事研究に加担)する、とアナウンスすると、これ幸いと多数の大学が手を挙げたのだ。金の前には「科学の果たすべき目的」や「大学の役割」といった、根源的な問題は全く考慮されることがなかった、と言っていいだろう(多少の内面的逡巡はあったのかもしれないが、そんなものは言い訳にならない)。

文部科学省「国立大学の法人化をめぐる10の疑問にお答えします!」(文部科学省HPより)

◆「独立法人化」で国からの干渉が強まる矛盾

「独立法人化」したということは、「国立大学」時代に比して、国からの干渉が減らなければおかしいが、事態は逆を向いている。これは私立大学においても同様だ。文科省が突きつける、「要らぬお世話」は年々増すばかりで、私立大学の教職員は講義や研究という本務と無関係なところで、雑務の激増を強いられている。

しかも「大学の自治」や「国家からの大学の自由」などということばは、哲学書の中にでも封じ込められた状態だから、大学側から文科省への異議申し立てや抵抗はなきに等しい。ろくな餌ももらっていないのに、なぜそこまで卑屈にならなければいけないか。

日常業務多忙の中で私立大学内部において「大学の自治」や「国家からの大学の自由」が、本気で語られることはない。テレビに出てしおらしく「リベラル面」をしている田中優子が学長の座にある法政大学などは、その悪例中の悪例だろう。学生の自治活動を年中弾圧し、常時学内に多数の警備員を学生の自治活動排除の為に配備し、公安警察の学内徘徊も歓迎する。こんな大学はもはや大学を名乗る資格はない。

「独立大学法人」化した国立大学、私立大学の内実は惨憺たるものである。終焉を迎えることが確実な「資本主義」の競争原理を、教育・研究の場に導入すれば成果が上がる、と考えるのはカネの勘定しかしたことの無い、商人(あきんど)の発想で、学問とは相いれない。すでに各種の国際的大学のランキングで東大や京大の凋落が明示されている。現在の延長線上に高等教育機関を位置づけ続けるのであれば、その傾向にはますます拍車がかかるであろう。

もはや、この島国の大学には「大学生」と呼ぶにふさわしくない学徒が半数近くを占めている。その深刻さこそ直視されるべきだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『紙の爆弾』タブーなし!の愚直なスキャンダルマガジン

東京電力福島第一原発事故の自主避難者に対する発言で批判を浴びた今村雅弘復興相が4月21日の閣議後記者会見で、フリーランスの記者からの質問を「もういいよ」と遮る一幕があった。

記者は「自主避難者への住宅支援が打ち切られ、行き場のない人もいる。国が調査しないと、実態が分からないのでは」と質問。今村復興相は「いろんな方がいらっしゃる。よく聞いてから対応したい」と答えた。同じ記者が「把握できるのか」と再質問しようとしたところ、いらだった様子で「もういいよ。他の人どうぞ」と質問を打ち切った。会見の最後にも質問されたが、答えずに退席した。

今村復興相は4月4日の会見で、同じ記者とのやり取り中に激高し、自主避難者が帰還できないのは「本人の責任」と発言。その後、謝罪して撤回し、「感情的になりおわびする。今後は冷静に対処したい」と釈明していた。

◎<今村復興相>また質問打ち切り(2017年4月21日付毎日新聞)

 

◆今村は正直だ

今村は正直だ。各官庁に設けられた記者クラブ所属の記者から、本質を突く質問が発せられることは、まずない。定例で行われる首相官邸での記者会見の様子をご覧になればわかる。幹事社が質問者に挙手をさせ、指名された記者が「○○新聞の○○ですが」と名乗り、机の上に薄く積もったホコリふき取るような、上っ面の質問しかしない。会見に参加している他の多くの記者は、その質疑を聞きながら「タイピング専門家」と化してひたすらパソコンのキーを叩いている。それはジャーナリストの姿ではなく、いかに早く発言を入力できるかを勝手に自らに課した、技術職の競い合いだ。あんな弛緩した記者会見に意味はないし、あの場所で何かが暴かれることも金輪際ありはしない。

それでも「失言」という名の「暴言」を吐いてしまう不注意者が時に現れるが、あれは「今日は無礼講だから」という宴会で「いやここだけの話、うちの会社ブスが多いね」と発言する社長のようなものだ。人間として最低限の資質さえない大間抜けしか今の記者クラブでは、「不都合な事実」を暴かれることはないのだ。

 

◆記者クラブという「村社会」

そもそも記者クラブという、一部大手マスコミにだけ振り当てられる「特権部屋」で行われる会見では、なれ合いが常態化し、鋭い質問など許されない「村社会」が形成される。近年、マスメディアの見事なまでの凋落急速の根源にはいくつかもの要因があるが、記者クラブの弊害はその主たるものである。

復興省は、東日本大震災を受けて発足した時限付きの例外的省なので、ここには記者クラブがなく、フリーの記者も入ることができる。だから、フリージャーナリストの西中誠一郎氏が今村復興相に質問することが可能であり、彼はジャーナリストとしてごく自然な質問をぶつけただけの話である。

 

◆今村の激高が示すもの

4月4日の会見で、
西中氏 「福島県だけではありません。栃木からも群馬からも避難されています」
今村大臣「だから、それ……」
西中氏 「千葉からも避難されています」
今村大臣「いや、だから……」
西中氏 「それについては、どう考えていらっしゃるのか」

この質問の後に今村復興相は「うるさい!」と激高した。何がうるさいものか。取材者としては至極基本的な質問ではないか。今村の激高はこの程度の質問も日常の会見では、ほとんど受けていないことを示す結果となった。

◆「森友問題は終わり。政治にこれ以上追及が及ぶことはなくなりました」

 

知人の全国紙記者が先日「森友問題は終わり。政治にこれ以上追及が及ぶことはなくなりました」と連絡してきた。「なにを寝ぼけたことを言っているんだ。やる気が全然ないのか君たちは?」と毎度のことながら呆れかえった。総理大臣夫人が「公人」か「私人」などという議論は、小学生1年生が交通安全のルールを教わったあと、確認のテストをしているレベルの話で、議論すること自体を恥じ入らなければならない。国の最高権力者の夫人は現行法を基準にすれば「公人」に決まっている。だから安倍自身が「私もしくは私の妻が関与していたら、総理だけではなく議員も辞職する」と大見得を切ったではないか。

これほど明白なスキャンダルを目前にして、それを「狩る」生理がなければ、報道関係者はその職を辞すべきだ。「政治にこれ以上追及が及ぶことはなくなりました」と伝えてくれた大手紙記者の発言は「もうこれ以上追及する気はありません」と正確にその意味が翻訳されなければならない。そうであるならば、君たちはいったい何のために大手メディアに勤務しているのだ。何が起ころうが、起こるまいが交通事故と戦争の危機を等価に報道するような「職業道義的犯罪」のルーティンに乗っかっていれば、高額の禄が保証されている。その生活を維持したいだけなのか。それならば一般企業の会社員と同じだろう。

 

◆マスメディアは「権力」である

今日、マスメディアは言うまでもなく「権力」である。そのマスメディア「権力」が「政治権力」と対峙する中で、本来のバランスが維持されるはずだ。しかしこの国の報道の歴史を紐解けば、江戸時代にさかのぼっても、本質的に「政治権力」に長期間にわたり腰を据えて立ち向かった「反権力」報道機関が存在した痕跡はない。もちろん、明治以降はそうであるし、大正、昭和、さらには戦後の含め「反権力」ジャーナリズムの歴史は極めて希薄である。時にみられるのは「ゲリラ的」ジャーナリストの活躍だけだ。

今回今村を激怒させた、西中誠一郎氏はヒーローでもなんでもない。当たり前の質問を当たり前にぶつけただけのことだ。それがあたかも奇異な事件のように扱われるのは時代が歪であるからだ。歪曲されているのは今日的社会であって、個ではない。


◎[参考動画]「もういいよ」〜復興相が再び質問打ち切り(OPTVstaff2017年4月21日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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自民党憲法改正草案表紙

この世の中は誰が支配しているのだろう。神か、国際金融か、各国においてはその政府か。地域社会においては何の肩書も持たないけれども、世襲的に力を持つ地域ボスであろうか。市長や村長、地方行政か、それとも……。

◆自民党「改憲草案」前文に表れたこの島国の支配者

自民党の改憲草案の前文をご覧になったことがあるだろうか。この中には自民党の望む国家像が描かれている。支配権力を縛るはずの憲法の前文の書き出しが「日本国は」で始まるなど、現行憲法の精神とは全く異なるトーンは明確だが、この極め付きの悪文の中には、誰がこの島国を支配しているか、支配したいのかを知るのヒントがある。

【自民党憲法改正草案前文】http://constitution.jimin.jp/draft/

日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。

我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。

自民党憲法改正草案(上段が改正草案、下段が現行憲法)

日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。

我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。

日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

◆国民の権利や幸福より「経済成長」を重視する自民党「改憲草案」前文の意味

将来到達しようとする国家像がいかに貧弱で、おそまつな発想にとどまっているかは現行憲法の前文と比較すれば明らかである。それはともかく、ここでは、「我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる」に注目をする。

この期に及んで「経済活動を通じて国を成長させる」という文言は、その到達目標の低さや、即物性剥き出しの格調の低さもさることながら、現体制、自民党の本音を語っているといえよう。つまり国民の権利や幸福よりも「経済成長」を憲法前文で謳うほどに重視しているということである。

自民党憲法改正草案(上段が改正草案、下段が現行憲法)

国の形や到達目標を掲げる憲法前文で、一内閣の施政方針演説ではあるまいに「経済成長」など、文言にしても、まったく格調の低い言葉が用いられているが、これが現在の支配実態を示すものであり、さらなる「経済による国民支配」を目指していること示していると理解できる。

◆歴代経団連会長の思想と行動

そこで、いまこの島国の経済に強い力を持っているのはどのような勢力か、人物かを点検してみようという動機が湧く。全国的には経団連や日経連といった企業の集まりが政府に対して相当強い発言力を有していることは、周知の事実だ。歴代経団連の会長の顔ぶれを振り返ってみよう。

初 代  石川一郎(日産化学工業社長)
2代目  石坂泰三(東京芝浦電気社長)
3代目  植村甲午郎(経団連事務局)
4代目  土光敏夫(東京芝浦電気会長)
5代目  稲山嘉寛(新日本製鐵会長)
6代目  斎藤英四朗(新日本製鐵会長)
7代目  平岩外四(東京電力会長)
8代目  豊田章一郎(トヨタ自動車会長)
9代目  今井敬(新日本製鐵社長)
10代目  奥田碩(トヨタ自動車会長)
11代目  御手洗冨士夫(キャノン会長)
12代目  米倉弘昌(住友化学会長)
13代目  榊原定征(東レ会長)

ざっと見渡すと重厚長大産業からの会長輩出が多いことに気が付くが、東京芝浦電気=東芝関連の石坂と土光が会長の座にあったのは、東芝破たんを目の前にした現在からは隔世の感がある。経団連には会長に次ぐ評議員会議長、審議員会議長のポストがあり、そこへ名を連ねているのも重工業関連者中心であるが、東京電力関係者の名前も散見される。平岩は第7代会長(1990年12月21日~1994年5月27日)の座におり、菅礼之助、那須翔の二人も幹部の中に見つけることができる。平岩は2002年の原発トラブル隠し事件に関与した人物で、菅礼之助は鉱山畑を歩んできた人間、那須翔は平岩同様2002年の原発トラブル隠し事件に関与し、東電会長を辞任した人物だ。

◆地方経済界の電力会社ヘゲモニー

経団連の会長はその人物の個性にもよるが、常に政権に対して財界からの要求を突き付ける役割は発足以来一貫している。時に政権に取り入り(土光が臨調に重用されたように)、時には大企業の利益確保のために政権に圧力をかける。御手洗や米倉の業つくぶりはまだ読者の印象にも残っているかも知れないが、経団連は常に政権に対する最大ともいえる圧力団体として君臨し続けている。

しかし、「さすがに3・11後の経済団体の重要な役職に電気事業者が名を連ねることは難しくなった」とスラスラ筆を進めることができるのが当たり前なのだけれども、実は地方においては、電力会社の地域経済界支配は、まったく揺らいではいない。2011年3月11日時点で、全国の経済連合会の会長は全員が電力会社の社長もしくは会長だった。現在はどうだろう。本年3月末時点で以下の通りだ。

北海道経済連合会 会長=髙橋賢友(北電興業取締役会長) 
  ※筆者注:北電興行は北海道電力の関連会社

東北経済連合会 会長=海輪誠(東北電力会長)

中部経済連合会 会長=豊田鐵郎(豊田自動織機会長)
  副会長=水野明久(中部電力会長)

北陸経済連合会 会長=久和進(北陸電力会長)

関西経済連合会 会長=森詳介(関西電力相談役)

四国経済連合会 会長=千葉昭(四国電力会長)

九州経済連合会 会長=麻生泰(麻生セメント会長)  
  副会長=貫正義(九州電力会長) 石嶺伝一郎(沖縄電力会長)

中部と九州を除いて、相変わらず電力会社の人間が会長の座にある。中部と九州にしても副会長には、しっかりと中部電力と九州電力の会長が居座る。各地方の「電力会社の経済界支配」はまったくといってよいほど変化していない実態が明らかだ。

これでは、「新電力会社」が参入しようにも、有形無形で既存勢力からの牽制や、新たなハードルが待ち受けることは想像に難くない。新電力に原発事故の処理代金を電気代に上乗せして、電気料金の高止まりを強いているのもこのような勢力図の影響が波及していると容易に想像できる。

「経済に理性を求めること自体が愚かである」とある著名な経済学者から聞かされたことがある。こうした顔ぶれを見るにつけ、「人間に理性を求めること自体が愚かである」と言い換えなければならいのか、とすら感じさせられる。私の知る少なくない数の理性のある方々はどうお感じになるであろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!『NO NUKES voice』11号!

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

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