日本で一番素晴らしい小学校、瑞穂の國記念少學院への不正土地譲渡の疑いが晴れない。そこで当の学校法人森友学園と近畿財務局へこれから徹底して取材を行う。きょうは土地を売却した近畿財務局へ電話取材を行った。

朝日新聞2017年2月22日付け記事

◆「個別内容はオープンには出来ないんで……」

―― 森友学園の土地売買につてお伺いしたいのですが……
近畿財務局 はい、担当者にかわります

―― 土地にゴミのようなものが埋まっていたので安く払い下げたという事ですが、それはその理解で間違いないでしょうか?
近畿財務局 報道の内容と似たりよったりはなるんですけども。もともとここの土地を小学校用地としてですね、『森友学園』さんにお貸ししてたんですね。

―― それはいつからですか?
近畿財務局 2015年からですね。借地というのですが『貸し付けの契約』ですね。

―― 借地居ている間には財務局さんは借地代のようなものを取られたということですね。それはおいくらぐらいですか?
近畿財務局 そこの個別内容はオープンには出来ないんで……。

朝日新聞2017年2月22日付け記事

―― だってここは国有地ですよね。2015年の5月から貸されていて、2016年の1年間貸していたんですね。なぜ賃貸料を公表出来ないのですか?
近畿財務局 借地契約の中で、小学校契約の中で、借地する前から、土地に瑕疵がないかは調査するようになっているんですね。最初、国が調査した時に埋設物が出きて、それを向こうに伝えた中で借地が始まったんですけれども、校舎建設しているときにうちが建設している時にうちが調べた時よりも、まだ地下の方から凄いゴミが出てきたんですね。

―― うちというのは近畿財務局さんですか?
近畿財務局 国が調べたのは地表から3メートルだったんですけど。校舎建設をするうえで、当然それが支障になったので、ことしの4月に開校予定という事情もありまして、早急にそこは買い取ってですね。

朝日新聞2017年2月23日付け記事

―― ちなみになにが埋まっていたのですか?
近畿財務局 廃材であるとか、生活ごみであるとか色んなものがうまっていたのですが……。

―― 毒物ではなかったのですね?
近畿財務局 土壌汚染の関係ではないと思います。

―― いろいろ埋まっていたので取り除かなければいけないと……。
近畿財務局 費用を国の方で持ったのですが、それを差し引いて、売買した形となっています。

―― ゴミがなかった時の価格はいくらでしたか?
近畿財務局 9億5,000万円ですね。ゴミを撤去するのに8億円ぐらいかかると見積もって、撤去費用を差し引いて売買したということになります。

―― 結局おいくらで売却されたのですか?
近畿財務局 1億3,300万円ですね。

毎日新聞2017年2月23日付け記事

―― ゴミを除去するのに8億円もかかるものなのですか?
近畿財務局 そこは、あのー学校建設に、ごみを撤去するうえで、土砂の搬出であるとか……。

―― このように国有地の安い売却は豊中あたりでもほかにありますか?
近畿財務局 国が土地や建物を売買する時は、不動産鑑定評価に対してく国が調べている土壌汚染とかを考慮に入れて売買するということになってきます。

―― では、豊中あたりでは珍しくないということですね?
近畿財務局 そうですね。地域によりますが……。

―― たとえば評価額から埋設物があったから価格が軽減されたという例は?
近畿財務局 案件によりますね。

森友学園HPより

◆「わたくしの知っている限りでは初めてです」

―― 今回のように顕著に値引きをして売却をなさった例というのは、具体的にはご存知ですか?
近畿財務局 手元に資料がないので詳しくは申し上げられませんね。

―― あなた『こういうことはよくある』とおっしゃっていたじゃないですか?
近畿財務局 よくあるというか、これだけに限ったことではないということですね。

―― 端的にお伺いしますが、評価額の10分の1で払い下げるという事はそこそこあることですか?
近畿財務局 10分の1ということですかね。10分の1という数字に限ればそんなあることじゃないですよ。

―― そんなにはない? 今電話でご担当いただいている方は過去にご覧になったことはありますか?
近畿財務局 わたくしの知っている限りでは初めてです。


◎[参考動画]自由法曹団による「瑞穂の國記念小學院」現地視察(2017年2月15日)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

残部僅少『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

財務省近畿財務局が学校法人に払い下げた大阪府豊中市内の国有地をめぐり、財務局が売却額などを非公表にしていることが分かった。朝日新聞が調査したところ、売却額は同じ規模の近隣国有地の10分の1だった。国有地の売却は透明性の観点から「原則公表」とされており、地元市議は2月8日、非公表とした財務局の決定の取り消しを求めて大阪地裁に提訴した。

 

朝日新聞2017年2月9日付け

 

朝日新聞2017年2月9日付け

◆神道の崇高な理念とはかけ離れた疑惑

朝日新聞、久々のビッグスクープだ。公示価格が14億2300万円の国有地が、1億3400万円で「森友学園」に売却されていたことが判明した。「森友学園」のHPからは改憲右翼の巣窟「日本会議」の大阪役員である籠池泰典総裁と、安倍首相の夫人であり三宅洋平氏のお友達(?)である安倍昭恵氏の名前が確認できる。

安倍夫人は現在、塚本幼稚園を運営しているだけの「森友学園」が4月からの開校を予定している「瑞穂の國記念小學院」の名誉校長として「森友学園」のHPに登場している。14億円余りの国有地が10分の1以下、1億円余りで払い下げられ、そこに校舎が建設された「瑞穂の國記念小學院」。同小学校は日本で初めて(同校HPによる)の神道小学校として開校する寸前だ。しかし朝日新聞のスクープにより、同小学校が掲げる神道の崇高(?)な理念からかけはなれた疑惑が明らかになった。

 

「森友学園」ホームページより

 

「森友学園」ホームページより

◆籠池先生を絶賛する安倍昭恵氏

「フフフ、御代官様もワルですなぁ」
「なにを申すか『森友屋』、おぬしの業突く張りにはかなわんわい」
「ハハハ」

と、勧善懲悪の時代劇、前半の悪代官と商人の密議の場面を見せられているような気分だが、関係者の発言がまたふるっている。安倍昭恵氏は「森友学園」ホームページの中で、

「籠池先生の教育に対する熱き想いに感銘を受け、このたび名誉校長に就任させていただきました。 瑞穂の國記念小學院は、優れた道徳教育を基として、日本人としての誇りを持つ、芯の通った子どもを育てます。そこで備わった『やる気』や『達成感』、『プライド』や『勇気』が、子ども達の未来で大きく花開き、其々が日本のリーダーとして国際社会で活躍してくれることを期待しております」

同校総裁・校長の籠池泰典先生を絶賛している

「日本人としての誇りを持つ、芯の通った子供を育て」るそうだ。この小学校の理念、私には気持ち悪い。しかしながらあくまで「私立」学校だ。文科省に認可されれば教育の内容は「学習指導要綱」の範囲内であれば自由だ。ただし、仮に彼らの主張(神道)に立脚すれば「日本の素晴らしさ」を小学生に教育する場所が「瑞穂の國記念小學院」であるはずだ。その「神聖なる場所」が不正払い下げによって薄汚く入手されたことは、「森友学園」の欺瞞性を物語るのみならず、犯罪を構成する疑いが高い。必ず検察が動くだろう。そんな場所で「崇高な教育」ができるのか。

◆籠池先生の明白な「差別表現」

そして、彼らが「崇高」と奉る「神道」とは、神話に立脚した「日本人優越意識」に凝縮される偏狭な人種優越主義にほかならない。籠池先生は、正直だからHPで「韓国・中国人等の元不良保護者」と記載して袋叩きにあったり、塚本幼稚園の保護者には「よこしまな考えを持った在日韓国人や支那人」との表現を用いた文章を配布していた。

これには「よこしま」であることにかけては人後に落ちない松井大阪府知事も「表現の自由があるにしても、下品な表現は使わない方がいい」とコメントしている。違うな。「下品」じゃなくて「差別表現」じゃないのか。松井知事自身、大阪府警の機動隊員が沖縄で「この土人が!」と発言したことを「差別とは思わない」人間だから「よこしま」に「よこしま」を諭させようとしても無理なのである。

◆嘘だらけの安倍「自己陶酔」政権

しかし、一番驚いたのは安倍晋三の発言だ。2月17日の衆院予算委員会で、国有地を格安で買い取った学校法人「森友学園」が設立する私立小学校の認可や国有地払い下げに関し、「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と述べたのだ。この軽口叩き、与野党国会議員の中に正常な反応があれば、本国会終了時には首相も国会議員も辞めて「ただの人になる」と明言したのだ。

選挙違反で議員に疑義が及びそうになると「秘書がやった」、官庁で不正が起きれば大臣は「事務方の不正で報告がなかった」、甘利元経産大臣のように言い訳ができなくなれば、大臣辞任から入院へ。それでここしばらく「巨悪」は罪に見合った法的裁きや制裁を受けることなく、「どおってことないよ」と押し通してきた。

安倍は「南スーダンで自衛隊の死者や負傷者が出たら辞任する」とも述べている。その一方で派遣された自衛隊の「日報」が破棄されるか行方不明になる、という不可思議極まりない「不正」が行われている。

嘘だらけなのだ。どの口から「私たちは日本の歴史、それを裏打ちする自然・風土・慣習の素晴らしさを世界の人々に発信してゆく必要があります」だの「世界で歴史・伝統・文化の一番長い國である日本」、はては「その中で積み上げてきた日本人のDNAの中に『人のために役立つ』という精神が刻み込まれていますし、世界で一番混じりっけのない純粋な民族であります」などと平然と吐けるのだ「森友学園」総裁の籠池泰典よ!

日本会議をはじめとする「神道」信奉者(あるいは便宜的にそう装っている者ども)の本音は、戦前と何ら変わらぬ「日本は世界一」、「大和民族は世界一」の倒錯した差別と表裏一体となった低レベルの自己陶酔主義にすぎない。

だから、不正であろうが、嘘であろうがお構いなし。払下げに応じた役所の責任者は「ゴミが埋まっていたからその除去費用も考慮して価格を算定した」などと馬鹿以下の答弁しかできないのだ。

◆この国がもしも「普通の国」ならば「序・破・急」展開は必至

安倍明恵が「関与」しているかいないか。議論の余地などない。籠池先生にほれ込んで「名誉校長」を引き受けているのだから道義的に責任があるのは「普通の国」であれば当たり前だ。いいか、晋三の好きな「普通の国」ならばだ。一々議論するまでもない。世界各国で嘘八百を年から年中言いまくっている安倍晋三、今回の発言はそれにしても軽すぎたぞ。これで野党が安倍の首を取れなければ、全員「瑞穂の國記念小學院」入学からやり直せ!

時代劇ならこのあたりでお裁きが下る。背中の桜吹雪か、深夜の隠密道中か。21世紀進歩しているはずの人間に、時代劇でもお決まりの「序・破・急」を展開できないはずはなかろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

残部僅少『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)

世界中で、私と同じような「危惧」を密かに想起している人が数知れずいるに違いない。ちょっと近・現代史を知っていて、政治に興味があり、政治の裏面は血塗られていることを承知している人であれば、簡単に導かれる仮想だ。

私の「危惧」は表裏合わせ鏡のようなものだ。その対象は米国大統領ドナルド・トランプ──。誤解なきように断っておくが、私はトランプの支持者ではないし、正直に告白すればトランプの政策や人物像にはほとんど興味がない。しかし、就任後数日で9本の大統領令に署名したこの男について、穏当ならざる予感がある。私の予感は2つあり、おそらくその2つともが外れることはないであろう。

もし、トランプが4年間の大統領任期をまっとうすることになれば、いま、予想もできない理由と、構図による大規模な戦争が起きるだろう。米国対中国といった構図ではおそらくあるまい。そしてその戦争に日本は否応なく巻き込まれるだろう。また米国内での内戦が起こる可能性だって排除はできない。

その延長戦上に、不謹慎ではあろうが、私は「トランプ暗殺」の可能性を消し去れない。どう見ても一時的な人気に便乗してはいるトランプではあるが、ウォール街や国際金融資本との利害相反は強まる一方であり、米国では、日本以上に嫌われる「朝令暮改」が外国人の入国制限などで目に余る。米国のテクノクラートやシンクタンク、さらには政権周辺や、中枢には「目障りな」人間がトップに座したとき、それを取り除く「誰が言い出すでもない、いつもの力学」が働く。これは映画『JFK』の中でも指摘されている通りだ。

ニクソンがウォーターゲート事件で辞任を余儀なくされたのも、J・F・ケネディが暗殺されたのも、理由こそ違え米国権力中枢や大資本(エスタブリッシュメント)との利益相反を引き起こしたからに他ならない。トランプは大金持ちの経営者だからそんなことは起こらないだろうと主張する方もいる。私だって「トランプ暗殺」を望んでいやしない。でも過去の米国権力史を紐解けば、これほど「誰が言い出すでもなく、いつもの力学」が動き出すのに条件が整いすぎている人物は、見たことがない。

ケネディは共産主義者、ハーヴェーイ・オズワルドに暗殺された、と一応正史の教科書には書かれてはいるけれども、そんなものを信じ込んでいるのは歴史や政治がテレビの画面や、新聞紙上で伝えられるように、実態から100キロ以上離れた、虚構の意味付けがなされていることに気が付かない、善男全女の皆さんだけだ。横から眺めなければ事実には肉薄できないと知っている人々の間では誰も信じられてはいない。ケネディ暗殺については、その立案者の見立てが浅すぎたという面も指摘せねばならないだろう。

ソ連にシンパシーを持つオズワルドの犯行というストーリーは、分かりやすくはあるが、単純にすぎるのであって、それゆえ逆にリアリティーを欠くのだ。あたかも米国に追放されていたベニグノ・アキノがフィリッピンに帰国したとたん、空港で射殺されたように(この時も犯人は「共産主義ゲリラ」とマルコス政権は発表したが、フィリピンをはじめ国際社会はそれを信用せず、結局マルコス政権は崩壊、マルコスはハワイへ亡命することになる)。

しかしながら米国の伝統ともいえる、「誰が言い出すでもない、いつもの力学」は既にスケジュールを定めて稼働を始めている可能性がある。私の手元にはわずかではあるが、その兆候を示す証拠もある。繰り返し不吉な物言いで恐縮ではあるが、「4年以内の戦争か、トランプの暗殺か」。どちらが選ばれるかを私は言い当てられない。しかしそのいずれかが現実のものにあろうことは、かなりの確信をもってお伝えできる。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

在日本大韓民国民団(民団)は1月12日、都内のホテルで新年会を開き、呉公太(オ・ゴンテ)団長が韓国・釜山の総領事館前に設置された慰安婦像について「撤去すべきだというのが、私たち在日同胞の共通した切実な思いだ」と述べた。その上で、一昨年12月の慰安婦問題に関する日韓合意の堅持を訴えた。

産経新聞2017年1月12日付

呉氏は日韓合意を「両国政府が苦渋の末に選択した結果で、関係発展のための英断だ」と評価し、会場の拍手を浴びた。その上で「誠実な態度で履行されなければ問題は永遠に解決されない」と強調。「合意が履行されずに再び両国関係が冷え込み、私たち同胞はまたも息を殺して生きなければならないのか」と切々と述べ、「(韓国)国民の冷静かつ賢明な判断と、日本政府の冷静な対処」を求めた。

※参照元=産経新聞2017年1月12日付 

一昨年安倍と朴の間で交わされた「日韓合意」を民団は評価しているようだ。私には異議がある。全く賛同しない。「日韓合意」とはなんだろうか。外務省によると日本側(岸田外務大臣)は以下を明言している。

(1)慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。安倍内閣総理大臣は、日本国の内閣総理大臣として改めて、慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する。

(2)日本政府は、これまでも本問題に真摯に取り組んできたところ、その経験に立って、今般、日本政府の予算により、全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる。具体的には、韓国政府が、元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し、これに日本政府の予算で資金を一括で拠出し、日韓両政府が協力し、全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やしのための事業を行うこととする。

(3)日本政府は上記を表明するとともに、上記(2)の措置を着実に実施するとの前提で、今回の発表により、この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。あわせて、日本政府は、韓国政府と共に、今後、国連等国際社会において、本問題について互いに非難・批判することは控える。

対して韓国側(尹外交長官)は、韓日間の日本軍慰安婦被害者問題については、これまで、両国局長協議等において、集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき、韓国政府として、以下を申し述べる。

(1)韓国政府は、日本政府の表明と今回の発表に至るまでの取組を評価し、日本政府が上記1.(2)で表明した措置が着実に実施されるとの前提で、今回の発表により、日本政府と共に、この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。韓国政府は、日本政府の実施する措置に協力する。

(2)韓国政府は、日本政府が在韓国日本大使館前の少女像に対し、公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し、韓国政府としても、可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて、適切に解決されるよう努力する。

(3)韓国政府は、今般日本政府の表明した措置が着実に実施されるとの前提で、日本政府と共に、今後、国連等国際社会において、本問題について互いに非難・批判することは控える。

※引用元=外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page4_001664.html

長い引用になったが、この「合意」は注意深く読まれる必要があるのでご容赦頂きたい。本合意は2015年12月28日になされたものである。韓国側の外交長官尹(ユン)氏は朴槿恵政権下の日本に置き換えれば外務大臣である。朴槿恵は文字通り韓国国民の力によって大統領の座から引きずり降ろされ、間もなく刑事訴追が待っている人物だ。振り返れば大統領選挙に勝利したが得票率では51.5%で野党候補である文在寅の48.02%と大差があったとは言い難い。

朴正煕の七光りと韓国社会の閉塞感が「なんとなく」初の女性大統領を生み出したという側面と、野党が候補者選定に手間取りすぎたことも朴には有利に働いた。しかし、この選挙結果を受けて、韓国では絶望のあまり少なくない自死者が出たことは日本であまり知られていない。

安倍晋三と朴槿恵の絶望的同時就任。朝鮮半島を日本が侵略していた時代にさかのぼれば、ともにそこで甘い汁を吸った人間の世襲である安倍と朴に、本質的な対立が生まれる理由はない。2014年4月セウォル号事件で、全くの無能ぶりを暴かれた朴には転落の道しか残っておらず、そこですがりついたのが、韓国政権の常套手段「反日」感情の喚起と利用だ。この時期から実際には中国と日本にすがりつき米国からの側面射撃なしに政権維持は困難を極めたのだが、朴は対日政策に矛盾だらけの外交を展開する。「反日感情」利用の一方で、日本との「融和」を演出することによって外交での得点稼ぎを試みた。その思惑の中で生まれたのが大きな捻じれ、将来への禍根を包含した「日韓合意」である。

文言は一見妥当のようにも見える。中でも「安倍内閣総理大臣は、日本国の内閣総理大臣として改めて、慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する」が明文化されているのは、日頃の安倍の発言からすれば、「え、そんな約束していたの?」と感じるほどだ。

しかし、鍵は(3)である。「日本政府は上記を表明するとともに、上記(2)の措置を着実に実施するとの前提で、今回の発表により、この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」だ。国家間の約束だから、どんなに危うい条約や合意でも声明を出したからには文言にせずとも、「課題にされた問題は解決した」と理解するのが国際的には常識であるが、ここではわざわざ「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」との念押し文言がわざわざ付け加えられていることに着目すべきだ。

その背景には、多くの韓国国民が安倍の本音や日本で沸き起こる差別的世論を認識しており、また朴槿恵のステンドプレーに対する嫌悪を抱いたこと、そして何よりも被害者である元慰安婦方からの意見を韓国政府が無視して「日韓合意」が結ばれた事情を再度指摘する必要があろう。私は韓国という国家に特段の思い入れはない(どの国家にもそうであるが)が、韓国人の友人が少なからずいる。親友と呼んでも過言ではなくなんでも話すことができる友人がいる。

そんな彼らに聞くと、やはり「日韓合意は欺瞞だ。だから破棄されるべきだ」との声が少なくない。私も同意見だ。「日韓合意」によれば韓国政府は日本大使館前の少女像を適切に扱う(意味としては撤去させる)と約束している。これが当時から韓国社会の反感を買ったのだ。「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と対になった「少女像撤去」の宣誓。私は必ず「日韓合意」が災禍を招くであろうと直感した。

そして、釜山の日本領事館前に新たな少女像が民間の団体によって造られたことに腹を立てた日本政府は、1月6日長峰安政駐韓大使と森本康敬釜山総領事の「一時帰国」にまで踏み切った。「一時帰国」というが、実際には「大使召還」であり、これは国際関係において、相当程度の緊張が双方の国に生じていることを象徴する行為だ。そして本稿執筆時(2月6日)にいたるも大使・総領事は韓国へ帰るタイミングを見つけられず、まだ日本に留まっている。

基本を踏まえていない「日韓合意」と、ヒステリアが「大使召還」などという恥ずかしい行為に及んでいる。韓国は実質大統領不在、内政は混乱を極めている。大統領選挙にはこれといった決め手となる候補者も不在だ。そんな内政の国を相手に、少しは冷静にならないか、日本政府と外務省。韓国内に日本同様民族右翼がいることを私は知っている。彼らは日本の右翼同様に非論理的で感情的である。話にならない。そして不幸なことに間もなく倒れる現政権に親和性が高い。

殴り合いになりそうな議論をしても、歴史認識につて激論を交わしても翌日にはまた普段通り仲良く語り合える友人関係を築きたいとは思わないか。もとより表面では対立したり、仲良さそうにしたりしても根源の利益で両国の支配層は戦後一貫して繋がって来た。つまり受益者は「喧嘩ごっこ」や「仲良しごっこ」の猿芝居を、延々演じているのだ。両国政府のどす黒い政治的目論見に何故市民が踊らされる必要があるのか。それほど信用に値する政権なのか。日本も韓国も。

カードゲーム(トランプ)に世界中の目が集まっていて、当該国もどうやら肝心な問題をお忘れのようだ。ボーっとしていると、韓国大使は帰るタイミングを逸してしまうのではないか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

残部僅少『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)

今年は衆議院の解散、総選挙があるようだ。解散は総理大臣の専権事項だから、いつ解散されるのかは、安倍のみが決めることではあるが、永田町の住人たちに聞くと、「おそらく今年中で確実だ」の声が多い。

◆英国EU離脱もトランプ大統領選勝利も二者択一の中での選択

さて、そうなれば衆議院の議会構成図を変える機会が訪れるのだから、常々「最低・最悪」と現政権をなじっている私からすれば、前のめりに、無根拠でも何らかの変化と、できうることであれば自公政権の終焉を夢想したりしてみるのだが、その可能性はあるのだろうか。「いくらなんでもそれはないだろう」と言われた。

ドナルド・トランプが大統領選に勝利し、英国がEUから離脱する決断を2016年世界は目にした。どんなことにだって可能性はあることを私たちは見たのだ。けれども、それらは二者択一の中での選択だったことを忘れてはならない。米国大統領選挙は、ヒラリー・クリントンかドナルド・トランプの選択で、英国のEU離脱は「EU残留」か「EU離脱」を選ぶ。それ以外の選択肢は「棄権」以外にはない投票行動だった。

◆一票の意思表示が妥当な価値で扱われない小選挙区制度

 

解散、総選挙となれば有権者は、支持する候補者と政党の名を書き、それが意思表示(投票)となる。しかし小選挙区制が導入されている現在の選挙制度の下では得票率が獲得議席に比例しない、という構造上のからくりがある。選挙結果がどのように表れたとしても、一票の意思表示が妥当な価値で扱われない制度であり、まずはこの大問題を正すべきではないか。

「金がかかる」といって中選挙区制から移行された小選挙区制であるが、「金がかかる」理由を質したら「自民党内の候補調整に金がかかる」というのが、本当の理由だった(田原総一朗氏談)。まず中選挙区に戻したら少しは不平等が解消されるだろうが、読者はどうお考えだろうか。

◆絶望する根拠[1]──野田佳彦が幹事長の民進党に票が集まる理由なし

そして2017年総選挙になったら、私の期待とは正反対の結果が導かれるであろうことを、残念ながら私はほぼ確信する。それ第一の理由は野党第一党の民進党には、現政権に対する明確な対抗政策がなく、党内には「隠れ自民党員」とレッテルを貼りつけても不足ではないダメダメな奴らが相当数見当たるからだ。原発事故後に「終息宣言」を口にし、再稼働の暴挙を強行した野田佳彦。素人が見たって、最悪のタイミングで「自滅解散」に打って出た大馬鹿者。こんな奴が幹事長として党の中枢でまたぞろ大きな顔をしていれば、自公政権に嫌気がさしている有権者の票が集まる理由がなかろう。

◆絶望する根拠[2]──自民と維新の二者択一に投票意欲がわくはずなし

 

そしてさらに絶望的な根拠の象徴として、大阪を中心とする関西地区での維新勢力の定着である。大阪府11の小選挙区では自民と維新が実質的に議席争いを繰り広げることになるが、現状どうやらそこに他の野党候補が食い込む余地は全くないようだ。自民と維新の選択? 地元大阪では、橋下徹に牽引された「大阪都構想」をめぐって、維新(一部公明)対他の政党という、地域限定のトピックがあったけれども、国政に送り出す候補者を自民か維新のどちらからしか選べないのであれば、そんなものに投票意欲がわくはずがない。

◆絶望する根拠[3]──東京・大阪・大都市圏票の急激な保守・反動化

 

かつて国会議員の選挙では、都市部では革新勢力(今ではこの言葉すら目にしなくなった)が強く、地方では主として農協に支えられた保守が強いという構図が長く続いたけれども、東京都知事に石原慎太郎が就任して以来、この構図は崩れた。

都市部ほど保守・反動が強くなり、野党の小選挙区で議席獲得はむしろ地方に広がりを見せている。これは21世紀に入り、確実に歩みを進め、その速度を増し、右傾化が都市部において地方を凌駕していることの表れでもある。

大した議論もなく、選挙権を18歳に引き下げた、自公政権の自信には「若者の洗脳は完成した」とのメッセージが込められていると、深刻に受け止めなければならない(事実昨年の参議院選挙で18-20歳の投票行動はその通りになった)。

◆元憂歌団の内田勘太郎さんの至言──「(時代を)作っていくのは若い人」

正直に言えば、どうにもならないだろうという結論しか私にはない。しかし、私は我が身一人でがっかりしていればよいのであって、状況が厳しくとも、なんとか打破を実現しようと、汗をかいておられる方々を冷めた目で見るわけでもないし、その逆だ。『NO NUKES voice』第10号で、元憂歌団の内田勘太郎さんが優しい物言いの中、鋭敏なメッセージを発している。

「俺は俺でずっと頑張りますけど。知ったこっちゃない。でも(時代を)作っていくのは若い人だから自分のことを年寄りだとも思ってないですけど『頑張ってね』とだけ言いたいな」

至言なり! さすが芸術の才のある人の言葉は違うと感じ入る。「(時代を)作っていくのは若い人」なのだ。私たち中年や老人がああだの、こうだの言っているあいだは「時代が死んでいる」のだ。新しい発想や行動、そして何よりも、この社会の理不尽に体を震わせるほどの「怒り」が若者から発せられたとき、ようやく時代は動き出すのだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年2月号!

『NO NUKES voice』10号【創刊10号記念特集】基地・原発・震災・闘いの現場──沖縄、福島、熊本、泊、釜ヶ崎

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

まったくよい思い出がない行政機関にどうして「成人」を祝ってもらう理由がある。よい思い出どころか、むごい思いをさせられたあの県にある、あの市が主催する「成人式」になにが有難くてのこのこ出かけて行かなきゃならないんだ。正月に配布された市報には、市長と新成人の座談会が掲載されていた。知っている顔が市長と「若者の未来」をテーマの座談会に、デレッとした表情、馬鹿丸出しで発言している。「へっつ。軽薄な奴め! 行政権力に踊らされて恥知らずだよ」と市報を食卓に放り投げたら「そんな捻くれた考え方をするもんじゃない!」と父親に叱られた。

父親は俺を叱ったが、成人式に出席しろとは言わなかった。年中行事やしきたりを重んじない家風が幸いしたのだろう。時代遅れも甚だしく厳しい躾を幼少時から叩き込まれてきたが、不思議なことに世間では一般的な「七五三」や「お宮参り」といった因習的行事に我が家は全く無関心だった。「サンタクロースなんていないんだよ」となにげなく「教育」されたのは小学校入学前だ。かような子供にとっての「絶望的宣告」も別段珍しくはなかった。でも近年とは桁違いに世間ではクリスマスが騒がれていた当時、子供としては「クリスマスプレゼント」や「クリスマスケーキ」に憧憬を抱いたのも事実で、その根拠「よそはよそ、うちはうち」の絶対宣言が悲しくなかったと言えばウソになる。

なにが「成人」だ。成人がそんなに目出度いか。周りの「新成人」は社会に無関心で恋愛や、ファッション、さもなくば音楽に夢中になっている奴らばかりじゃないか。「成人」なんて20歳になったら急に訪れる激変なのか。違うだろ。「教師」として俺の前に次々現れた「成人」の中で人間的尊敬に値する人は3人しかいなかったじゃないか。世間は景気がいいらしい。それがどうした。俺には何の関係もない。日本の経済侵略がもたらした一時的なあだ花に過ぎはしないじゃないか。俺は相変わらず不機嫌だ。

1月の第二週の月曜に成人の日が移行する前。198X年の1月15日、私はかなりイライラしてどこに身を置いたら一番気持ち素直でいられるか、朝から6畳の下宿で悶々としていた。藤圭子じゃないけど「15、16、17と私の人生暗かった」。俺の成人の日を無視するのも手だけども、気が晴れるような場所か風景はないものか。かといってライブや人だかりに出かける気にはならない。一人がいい。そうだ。若草山の山焼きが今日だ。映像でしか見たことがない若草山の山焼きを見に行こう。火や花火からカタルシスを得られる俺の性格にうまくいくと合致するかもしれない。

サントリーホワイトとウォークマンをポケットに入れ奈良に向かった。若草山を眺めるのに至近の有名な場所ではないが、ベストポディションがあることは以前から知っていた。日頃の若草山は、至極おだやかな女性的ともいえる稜線だが、あの山が燃え盛ったら少しは爆発寸前な俺の気分を慰めてくれるだろうか。私のみが知るベストポディションは奈良市内のある歩道橋だ。私のほかに誰も居はしないだろう。

案の定、日が暮れ切った18時過ぎ歩道橋には誰もいはしない。サントリーホワイトを半分飲み干したのでペースを抑える。ウォークマンで聞いているのはYMOの「東風」、「千のナイフ」のライブバージョンだ。詳しい理由は解らないけど、YMOを中学生時代に耳にしてから、この無感情、無機質でありながら、底にどこかしら「革命」と相いれる旋律の楽曲に俺は、「こいつらやがては世界を取る」を予感した。中でも「千のナイフ」は最高だ。198X年1月15日はサントリーホワイトを友に、日ごろ温厚な若草山が、猛狂いながら燃え上がり、一切の欺瞞を燃やし尽くせ!

やがて山裾からから火の手が上がった。円周があやふやだった赤い輪郭はじりじりと山頂へ向けて炎を滾らせてゆく。ここは若草山からは距離がある。煙の臭いも届かないし、至近で眺めるよりも迫力は格段に落ちるだろう。そんなことは構わない。残りのサントリーホワイトを飲み干すと炎も山頂へ向けての速度が上がる。俺の耳では「東風」が鳴り響く。誰もいない歩道橋の上で腹の底に熱が湧く。かじかむ手先を擦りながら、俺なりの「成人の日」はこれでよかったと少し気持ちよくなった。

「成人」なんて擬制だ。優れた感性は中学生・小学生から老成した賢者にも通じる。違いは言葉を獲得しているか、していないかの違いだけだ。ダメな奴は50になっても60になっても年を重ねるだけで成長はしない。新成人の皆さん、おめでとう。君たちには制度により与えられる「成人」ではなく、自立した精神・哲学を持ち、行動し責任を取る真の「成人」(mature)を目指してほしい。そして希望を切り開けるのは君たちだけだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

1月4日、東京電力会長數土文夫(すどふみお)氏が社員に向けた年頭挨拶を行っている。その様子が下記URLで公開されている。數土氏は6分ほどの挨拶の中で、以下のように述べている(抜粋)。

東京電力・数土会長

「委員会は廃炉賠償の為に確保すべき資金として、22兆円という巨額な数字を提示しております。厳しい、の一語につきます。しかしながらここで必要とされるのは福島の責任を果たすために当社が存続を許されるという原点に返り、自ら最大限の改革挑戦することであります」

「定量化できないものはマネージできません。ぜひ自らのjob description(職務内容)を明確にしていただきたいと思います」

「私は東京電力に来てから、上司が部下を厳しく叱ったり、逆に心から褒めたりする場面を見たことがほとんどありません。論語には『仁者は必ず有徳者であるけれども、勇者はかならずしも仁者たらず、人徳者たらず』とあります」

「これからは厳しい経営改革をリードする皆さんには、自分自身に対する今まで以上の厳しさ、チームに対する今まで以上の厳しさが求められると同時に、周囲に対する敬意と思いやりも必要であると忘れないでいただきたいと思います」

「東京電力の厳しい非連続の経営改革の先には福島への責任を果たすため、オリンピックメダルの世界に冠たる企業になる、という夢があります。健全なるゲーム感覚で楽しんで夢に向かって挑戦していただきたいと、強く思っております」

東京電力ホームページより2017年1月4日東京電力・数土会長等 「2017年 年頭挨拶」

◎2017年1月4日東京電力・数土会長、広瀬社長「2017年 年頭挨拶」(約26分)

◆社会に「取りかえしがつかない」罪と損害を与えてしまった東電の贖罪は?

數土氏は東京電力の生え抜きではなく、大学卒業後は川崎製鉄に入社し、その後も鉄鋼畑で活躍した方である。NHKの経営委員長を勤めたこともあり、2014年から東京電力の会長に就任している。

數土氏の選ぶ言葉がなるほど、東京電力生え抜きのこれまでの社長や会長と違って感じられるのは長年、鉄鋼畑を歩いてきた経歴からであろう。彼の指摘の総論は一見正論に聞こえる。とりわけ冒頭に述べている委員会(原子力規制委員会)から、廃炉、賠償に22兆円を確保すべしと突きつけられ「厳しい、の一語に尽きます」と釘をさしているのは妥当である。

しかし、残念至極ながらやはり、彼がこれまで培ってきた経歴や経営者としての覚悟を語ってもそこには重大な欠落がある。それは「取りかえしがつかない」罪を犯し、人々に数値や金額では図ることのできない「回復不能」な損害を与えてしまった企業としての贖罪の意が決定的に欠如していることだ。

◆福島への責任を果たすための健全なるゲーム感覚とは?

「東京電力の厳しい非連続の経営改革の先には福島への責任を果たすため、オリンピックメダルの世界に冠たる企業になる、という夢があります。健全なるゲーム感覚で楽しんで夢に向かって挑戦していただきたいと、強く思っております」

この認識は率直に指弾しなければならない。「健全なるゲーム感覚で楽しんで」などという表現は仮に社内向けであっても(この映像は公開されているので社内だけに向けられたものではない)東京電力には許されざる認識だ。論語の引用で東電の社風を厳しく批判するのは結構であるが、「厳しい中にも楽しさ」は福島原発事故を起こした東電に許されるものではない。私はこの発言を断じて容認できない。

◆東京電力には法人としての「死刑」を執行するしかない

むしろ前段の現状認識が比較的穏当であるだけに、この「無責任な楽観表現」は到底看過できない。数土氏の人となりや思想に私は明るくない。おそらく鉄鋼畑では、優秀な経営者であったのであろう。しかしこの発言は福島原発事故前にこそ、なされるべきであったもので、事故を起こした「犯罪集団」がいかに業務効率を上げようが、自己に厳しくあろうが、すべては遅すぎるし、全くの失当なのだ。

私は刑法の死刑には強く反対する立場であるが、東京電力には法人としての「死刑」を執行するしかないだろう。すなわち、全資産を処分しての会社の清算を行ってもらうしか責任を「示す」方法はないと考える。仮にそのように会社「清算」を実行したとしても、規制委員会が指示した22兆円をあがなうことは到底できないし、忘れていただいては困るのは、「金」では置き換えられない人びとの「人生」を奪った罪は消え去ることがないということだ。

◆国にケツを持ってもらった「犯罪集団」に再生の道はない

そして數土氏の年頭挨拶には、被害者への謝罪へ直接の言及が皆無であることも見落としてはならない。実直な経営者なのかもしれない。だから経営を任された「事故物件」東京電力の再生に全力を傾注しているであろうことは、數土氏の言葉のはしばしから伝わってくる。しかし東京電力は、たんに経営不振な企業というわけではないのだ。グローバル企業に育てたいとの意欲は別ベクトルに向けてもらわなければ困る。

国にケツを持ってもらった「犯罪集団」にはいくら熱血漢の経営者を送り込もうとも再生の道はない。時計を2011年3月11日以前に戻すことが、もしできれば數土氏の言葉は意味を持つ、が、そんな「If」は現実には絶対不可能である。がゆえに數土氏の「年頭挨拶」はまたしても東京電力の犯罪体質の再宣言としてしか意味をなしていない。潔く頭(こうべ)を垂れて資産売却を行い清算せよ。これ以上「犯罪集団」東京電力の増長を許してはならぬ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

年賀状の習慣を止めて10年以上になるが、それでも頂ける年賀状だけには返信する。筆不精で手書きの文字は下手くそな私には、パソコンとプリンターが実にありがたい。のだけれども、年賀状作成に限らず、最近パソコンの作動がどうもおかしい。当初のWindows8は起動も早く操作性に不具合はなかったが、抵抗しても抵抗しても画面に現れる「Windows10」へのバージョンアップ画面に毎回拒否をしていたが、いつの間にか勝手にWindows10へOSが切り替えられてしまった。問題はそれから生じた。

◆「押し付け」アップデートの不快

要らないから拒否しているのに無理やりの「押し付け」に、まず不快な思いをさせられたが、不快な思いにとどまらず、不具合まで不随して押し付けられるはめになったから始末におえない。まず起動が遅い。といっても何分もかかるわけではないから、これは我慢すれば実用問題ない範囲ではあるが、以前より「のろくなった」のは気分がよいものではない。そして困ったことにWordなどの初歩的なソフト利用中に、しばしばフリーズ(画面が白くなり固まる)が発生する。毎日のように駄文を綴っているが、こんな現象はWindows10へ「強制連行」されるまでは経験がなかった。コンピューターに詳しい方に話を聞くと、どうやらこの現象は私に限ったことではなく、多くの人が同様の不具合に手間を割かれ迷惑しているとのことだ。

面倒くさいし、細かいことは解らない。そもそも理解しようという意欲がないから、私にとってパソコンはもう進歩して頂かなくて結構だ。いや私だけではなく、人類全体にとってもこれ以上の情報処理技術進歩は幸せをもたらすものではないだろう。ソフト会社の方々は新たなソフトやOSを開発しないと商売にならないのだろうけども、もうこれ以上は要らない。人工知能も予想変換も音声入力も、便利かもわからないけれども、つまるところ人間が体と頭を使って行うべき動作や思考をアウトソーシングしているわけであり、そんなことを当たり前に続けていればますます、生物として人間の感覚や行動域、思考が退行してゆくのではないか。

◆利便性や幸福をもたらすために科学技術が常に進歩するわけではない

利便性や幸福をもたらすために科学技術が常に進歩するわけではない。科学技術の進歩は無思想であり、利益と打算、直近の成果が開発者にとっては尺度である。であるゆえに、世紀の大開発ともてはやされる「iPS万能細胞」にも私は疑念を持つ。困難な病に日々苦しむ方々が新薬や「iPS万能細胞」に期待を寄せておられることを承知の上でも疑念は消せない。

万能細胞と遺伝子組み換え技術を軍事的な視点から合体させたらどうなるだろうか。これは夢想ではない。第二次大戦中にヒットラーは北方優越民族(純血のゲルマン人)を創出するために、体格、外見がゲルマン民族として優れた若者を秘密裏に交接させ、「スーパーゲルマン」創出を実際に行っていた。

敗戦によりその目論見は短期間で終了したけれども、今日の為政者の立場で試考してみればどうだろうか。科学技術自体は無思想だが、その開発に関わる人間には思想がある。世界から注目を集める山中伸弥京都大学iPS細胞研究所所長が月刊『HANADA』に登場し、櫻井よしこに歴史を尋ねている。歴史を尋ねる相手がなぜ、極端な歴史修正主義者の櫻井よしこなのか。山中氏はその行為をなぜ全く躊躇していないのか。私には合点がいく。

◆テクノロジー依拠は最小限にとどめる

パソコン、スマートフォン依存による退行は既に散見される。高校の英語の授業では電子辞書が当たり前のように使われているし、タブレットやスマートフォンに向かって「この近くで美味しいランチ」などと急に横で声を出されると、びっくりすることがある。電車の中で携帯電話の通話をするな、というのがこの国の標準的なマナーとされているけれども、小声ならべつに構わないんじゃないか。大声で井戸端会議をやるおばさんたちの規制の方が優先順位は先だと思うが、間違いか。

「近くの美味しいランチ」を探すのはかまわないが、それくらいはタイプしてもたかが数文字じゃないか。音声入力に慣れた方にとっては、たかが数文字のタイピングが面倒なのだろうか。私にはよくわからないけれども、利便性をまとった人間の機能低下を生じさせるテクノロジーの接近にはかなりの注意が必要だと感じさせられる。

と言いながら上記主張とは正反対に、年賀状の作成をパソコンに委ねる私が、何を言っても説得力は無きに等しいか。今年は老化を痛感する身体を、それでも最大限に使ってゆかなければならない、そうでなければ「顰蹙を買う文章を書け!(松岡氏から賜った私の使命)」すら果たせなくなるかもしれない。吠え続けるためにテクノロジー依拠は最小限にとどめようと思う。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

初詣の人波に溢れる、四谷の神社であの人とすれちがった。わたしは下り、あの人は参道から階段に歩を進めてきた。わかった。なぜだかわかった。あの人がやってくる。思い出せない。なんで? あの人なのに。あの人の名前は……。

眼光鋭い狼三頭が低い咆哮をあげている。雪化粧こそないが凍てついた赤い大地が牙をむく大陸の上で。ずっとずっとさがしていた彼らはサソリのような生命力でようやくわたしの前に現れてくれた。人間だった彼らが狼に変容したって、わたしにはなんの不思議もない。彼らは彼らとして生き抜くなかで、狼に転化しただけのことだ。ひっきりなしにほほに吹き付ける寒風の中で、わたしは赤い大地に立つ狼たちとの距離を詰める。隆々とした筋肉を剛毛の下にたくわえた狼たちの息づかいが聞こえてきた。

語っているのだろうか、成就を。あるいは一時の休息か。彼らは40年も前のわたしたちへの約束を果たし終えた。年末、小伝馬町の職場で同僚が迷惑そうにニュース画面を見ながら交わす雑談を聞き、わたしは体の震えを止めることはできなかった。生きていたのか? 自由でいたのか? あの約束を40年も追いかけていたのか? そして成就したのか?

わたしはなにを差し置いても自分が会いに行かねばならない「義務」を直感した。その日の定時前、課長へ休暇願のメールを送った。理由は「海外旅行に出かけるため」とした。課長からは「普段年休もとらないあなたが急に珍しいですね。仕事の心配は要りませんからどうぞ良い旅を」と返信をもらった。

妻には「古い友達が急に亡くなった」とだけ告げた。「何言ってるのよ、お父さん! お正月どうするのよ! 誰なの古い友達って? 子供たちはどうするのよ! お年玉は?」帰宅して早速旅支度をはじめると妻はまくしたてた。

「おまえに任すよ、ぜんぶ」と言いながら妻を抱きしめた。「なによ! どうしたの…… 変よ……」背中に回した手の力を強める。いい家庭だった。手の力を緩め、銀行でおろした1000万円と生命保険証書を入れた虎屋の羊羹箱がはいった紙袋を目で示した。「お年玉とお義母さんへの羊羹だ。これで勘弁してくれ。3日には戻るよ」あとは聞かずに家を出た。

大陸だ。赤い牙をむく大陸だ。だがどこなんだ。手がかりは彼らの遠い仲間から何年か前に「中国で彼らを見た」噂があると耳にしたことだけだった。そこから先どうやってここへたどり着いたのかは夢を見ているようでさだかではない。でも嘘じゃない。嘘だというなら目の前にいる三頭の狼の息づかいがまぼろしだ、と否定してもらわなければならない。

白い吐息と獣の匂いすら感じる距離に身を寄せた。「いいか、計画だ。計画の緻密さがなければ絶対に失敗する。ここ数年奴の行動パターンを全て調べたらこれしかない」、「人生は5年後ごとに計画をたてろ。人間の生きる意味はその中で徐々に解ってくる。目標のない人生は無意味だ」、「お前な、向いているんだよ。性格が。好きとか嫌いとか、分からなくていい。俺が保証する。お前には最適な仕事なんだよ」

三人がわたしに投げかけた言葉が蘇る。わたしは堪えきれなくなった。「おい、やったのか? やれたのか? 本当か?」。低い咆哮がさらにオクターブを下げてわたしに視線を合わせた。こいつはM.Mだ。間違いない。「人生は5年後ごとに計画をたてろ。人間の生きる意味はその中で徐々に解ってくる。目標のない人生は無意味だ」とわたしたちを諭したM.M。「やったさ。やり遂げたよ。見ろ俺たちを。狼になったろう。綺麗ごとばかりじゃなかったさ。地べたをはいつくばって恥ずかしいまねだって厭わなかったよ。でもやったんだ。俺たちはな」

「お前の方が辛かったんじゃないのか」。こいつの繊細さも昔と変わらない。M.Dだ。「体を悪くしたと聞いたが」、「なに言ってるんだ。俺はこの通りだ。本当の狼になったんだよ。まんざら悪くもない」。その声を聞き終える前に喉に強い痛みが走った。わかっている。T.Tがわたしに牙を立てたのだ。低い振動を伴う咆哮はT.Tだ。「なぜ、今頃ここに来た。お前がここに来れば俺がお前を許しちゃおかないことはわかっていたはずだ」。わかっていたさ。わかっていたって人間には行かなきゃいけない時がある。暮れの小伝馬町で彼らの「勝利」を耳にした時、私はT.Tに会いに行くと即座に決めた。こうなることもわかっていた。

「ありがとうよ。死ななくてよかった。本当によかった」 声帯を噛み切られたので言葉は出ない。かまわない。食いちぎれ。闘い続けたT.Tよわたしを噛み切るんだ! 消えゆく意識の中で背中が大地を感じた。M.Dが胴体の剛毛を総毛立たせながら天に向かい大団円の咆哮を叫んでいる。赤い地表が揺れる。M.Dの怒号が赤い地表を激震させる。

あの人がわたしと交差してそのまま彼方に向かう前、わたしは逆を向き階段を駆け上る。あの人の背中に手をのばした。振り向いたあの人は何のことだか、意味も解らずきょとんとしている。思い出せない? ダイヤモンドの後悔と逡巡、あの人がいつも口にした「希望」、「未来」。一緒に肩を落とした荒川の土手。三頭の狼と化身したあなたと仲間たち。40年を生き抜いて栄達した狼から、また人間にもどったあなた。

「どなたですか?」
「わたしですか? わたしは……」
「俺の名は『田所敏夫』ですが」

正月4日だというのに京都市美術館は人で溢れている。「最近のお父さんどうかしてるよ。急に居なくなったと思ったら翌日帰って来て『正月は京都旅行だ!』なんて」、まんざらでもなさそうに妻が子供たちに同意をもとめる。

後ろから押され、子供の手を引きながら、ひときわ人だかりの多い絵の前にやって来た。「文部科学大臣賞受賞」の肩書に歩みが止まるのだろう。ここは赤い大地ではない。人混みの熱で汗をかきそうだ。

「おい、ガラでもないぜ」最高位を獲得した三頭の狼が少しはにかんでわたしに微笑んだ。「いいんだよ。やったんだ。やってくれたんだ」 こころでだけ語りかけようとしたら、不覚にも落涙していた。「俺たちはやったぜ。次はお前だぜ。わかってるだろうな」饒舌な狼は交信を止めない。「わかっているさ。わかっている・・・」、「お前の『絶望癖』も何とかなるか」、どこまでも細かいM.D。

俺の名は「田所敏夫」。今年は俺がお前らの後塵を追って「希望」を作るさ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

7日発売!タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年2月号!

鹿砦社特別取材班『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(7月14日刊)

「年々時間の進むスピードが上がって行く」。年を重ねた人は異口同音にそういう。つい数カ月前に大晦日の原稿を書いたような気分でいる私などはその典型といえよう(それは昨年大晦日の原稿だった)。

果てしなく続く6年間と思われた小学校児童時代の時間経過は確かにゆっくりしていた。学校からの下校道は2キロもなかったろうが、道端に咲く雑草を眺めたり、捨てられた空き缶を手に取ったり、ガキ大将と鉢合わせしないように気を遣ったり、子供ながらにあれこれ思いを巡らす道のりだった。家に帰れば遊びに出かける。草野球をしたり、友人宅にお邪魔したり、夕食前に家に帰るまでのせいぜい数時間。あの楽しい時間の繰り返しすら、その連続が永久に続くのではないかと感じられた記憶がある。

◆大欺瞞の目白押し──オバマ広島訪問と安倍真珠湾訪問

ひるがえって、今年である。実に大きな事件や災害が多発した。記憶されるべき大災害や、歴史に正しく残すべき大欺瞞も目白押しだった。ところがどうだろう。報道は事件・事故の賞味期限を従来の半分以下に切り下げているし、重大な悪意についての発掘は、タブー化し、伝えられる分量は最小限に留められ、しかもその真相は歪められる。象徴的な例を挙げればバラク・オバマ米国大統領の広島訪問と、昨日安倍の真珠湾訪問だ。

『NO NUKES voice 』vol.8【特集】分断される福島──権利のための闘争(5月25日刊)

私はバラク・オバマが全く謝罪を行わずに広島を訪問したことは、もっと批判の的になるべきだと考えていたが、大方の報道はそうではなかった。大統領任期残りもわずかになり、どうやら後釜はヒラリー・クリントンで落ち着きそうだ。就任時に「ノーベル平和賞」を受賞している身としては、なにか一つくらい「歴史に名を残す」芝居を打っておきたかったのだろう。そういう見え透いたスタンドプレーがトランプ当選というしっぺ返しになって、米国の民主党陣営に殴打をくらわしたのだ。バラク・オバマは歴史に対する向き合い方が浅すぎたのだ。

後年の歴史教科書には平たい記述で「米国オバマ大統領広島訪問」が残るかもしれない。しかしそれには何の意味もない。安倍首相の真珠湾訪問と同様だ。「和解」だ「寛容」だと中和がいくらでも可能な言葉を連発しても「宣戦布告無き真珠湾攻撃」への反省の言葉は一つもない。もっとも米国ははなから日本を見下しているし、安倍の飼い犬ぶりにはご満悦であろうから、安倍が何を語ろうとも、真珠湾訪問は米国では「歴史」にすら取り上げられはしない。

◆「歴史的愚行」が注視の対象とすらならない

本籍地のある温泉にプーチン、ロシア大統領を招いた、あの会談は何だったのか。それ以前に約束した1兆2000億円の経済協力にもかかわらず、予想通り北方領土返還については、まったく進展がなかった。あるはずがないであろうことはこのコラムで事前に指摘したとおりだ。安倍政権の無能・無益外交こそは徹底的に掘り下げて検証・報道されるべきだが、この「歴史的愚行」は不思議なことに注視の対象とはならない。

 

『NO NUKES voice』vol.9【特集】いのちの闘い──再稼働・裁判・被曝の最前線(8月29日刊)

◆熊本、鳥取、福島、茨城──おさまる気配はない大地の激震

熊本では史上最多の余震数を記録する大地震が発生した。都市部でもまだ手付かずで行政による「危険立ち入り禁止」のシールが貼られた家屋が目立つ。少し郊外に出れば地面の形が変形してしまって、どうやって再建するのか、できるのか気がかりな地域が広がる。鳥取でも大地震があった。そして福島では津波注意報が出されるほど大きな地震が、昨日は茨城県北部で震度6弱。阿蘇山は大噴火するし、地震のあと熊本は大雨による水害にも襲われた。大地の激震がおさまる気配はない。

◆モハメッド・アリも逝った

突如博多駅前には大穴が空き、ハローウィンには渋谷に、ゾンビや骸骨の仮装をした若者があふれんばかりに集まった。坂本九の「上を向いて歩こう」で世界的ヒットを飛ばした永六輔。ジャズ、麻雀、競馬、スポーツ、おおよそ遊びのことなら何でも知っていた大橋巨泉が鬼籍にはいった。

本名カシアス・クレー、モハメッド・アリも逝った。兵役を拒否しマルコムXによって覚醒させられ、ブラックパンサーと歩を合わせたアリの衝撃は、1996年のアトランタオリンピック開会式にアリが現れた時点で過去のものになっていたけれども、ご丁寧に2012年のロンドンオリンピックにまで引っ張り出されていた。アリの若かりし頃の「危険度」を知る世界は、アリを徹底的に「体制内化」し終えた姿を何度も世界に発信せずにはいられなかったのだろう。彼には語られるべき「歴史」があった。

鹿砦社特別取材班『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(11月17日刊)

◆散々な年だった。花言葉は添えない

さて、今年も残りがなくなった。SMAPが紅白歌合戦に出るか出ないかを、社会問題のように年末は一般紙までが伝えていた。四半世紀にわたり、人びとの白痴化進行の役割を担ってきたSMAPを私は言葉通り「忌み嫌う」。40代、50代になってもコンサートチケットを入手するためにファンクラブに入り、会場ではキャーキャー大声を上げる方々に、私は容赦のない蔑みの視線を送る。ある女性国会議員が「私たちの世代でSMAPを嫌いな人っていないと思うんですよね」とのたまっていた。バカもたいがいにしろ!と口ごもったが、29日京都新聞はなんと社説(!)で「SMAP解散 理由語らず寂しい終末」を説いている。

転がる、転がる。歴史は転がる。事象の軽重ではなく、虚勢と理由を問わせない「劣化した無思想」の集合体によって。希望なんかどこにもありはしない。目の前にはチョモランマよりも高い絶望の山がそびえたっている。

「2016年も人間の作る悲惨な歴史の中に終わろうとしています」の書き出しで先日尊敬する先輩から便りをいただいた。同感だ。散々な年だった。花言葉は添えない。歴史が乱暴に加速する中で、せめて自分自身を失わないように心しよう。来年はきっともっと厳しい年になるだろうから。

本年もデジタル鹿砦社通信をご愛読頂きまして、誠にありがとうございました。皆様にご多幸あらんことをお祈りいたします。

▼田所敏夫(たどころ としお)
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