下地真樹さん(阪南大学経済学部准教授)

◆3・11から5年目の現実と社会運動の行方を探る──『NO NUKES voice』7号

取材日は2015年12月28日、つまり昨年の師走になるが、阪南大学の下地真樹先生には逮捕まで経験された中で、見えてきた独自の運動感や視点を語って頂いた。予想よりもはるかに慎重で注意深い洞察をなさるお話が印象に残っている。

本年1月24日は高浜原発再稼働反対の現地全国集会に参加した。豪雪の予報に反して好天のなかでデモと集会が行われた。やはり寒かったが、参加者の熱が心を暖めてくれた。1月27日には関西電力本店前での抗議行動にも参加した。多彩な参加者の顔があったけれども、ビル街を吹き抜ける風が北陸の風よりも冷酷に思えた。この関連の記事は『NO NUKES voice』第7号で報告した。

田所敏夫「高浜原発再稼働反対行動1・24から1・27全国集会に参加して」(『NO NUKES voice』07号より)

福井県小浜市明通寺の中嶌哲演住職

◆仏教者として反原発を闘う中嶌哲演住職──『NO NUKES voice』8号

福井に向かう山道はまだ所々に残雪があり、路面凍結部分もあった。そう、まだかなり寒い時期に明通寺ご住職の中嶌哲演さんにはお話を伺った。幾度もお顔を拝見してはいたが、初対面であったのに、気が付けば3時間以上もお付き合い頂いていた。中嶌さんのお話は仏教者として原発に長年取り組んできた重みと、人間に対する厳しさと同時に優しい眼差しに溢れていた。

長時間お話頂いたあとに「ちょっとお痩せになったのではありませんか」とうかがうと、「実は先月母が亡くなったもので……」と大変な時期にお邪魔していたことを知ることとになり、調子に乗って長時間お話を伺った自分を恥じた。今後の取材ではお話を伺う方のメッセージを伝えることもさることながら、その方のご体調にも気を配るべきだと反省した。

〈メディアの危機〉の前線で抗い続けるTBS「報道特集」キャスターの金平茂紀さん(『NO NUKES voice』08号より)

◆徹底した現場主義の報道人・金平茂紀さん──『NO NUKES voice』8号

TBS報道の顔、金平茂紀さんに小島編集長とともにお話を伺ったのは3月30日だった。翌日を最後に執行役員から解かれることは知っていたが、そのことについて金平氏はもう諦観しているようだった。

紙面には表れている以上に金平氏の言葉は率直だった。人物批判は容赦ないし、テレビの現状、政治状況についての見解も極めて先鋭だ。よくこれで『報道特集』のキャスターが勤まるなぁ、画面の中で見せるバランス感覚は天性のものだなぁと感心したが、その裏には徹底した現場主義、報道人として身についた(当たり前のことであるが、その当たり前ではない報道人が多い中彼の存在が光る)反射的行動と嗅覚にはインタビュー中も、こちら側がやや緊張させられた。

もっとも冷蔵庫から取り出して振る舞って頂いた500mアルミ缶入りの「さんぴん茶」を飲み干すことが出来ず、あの残りがどうなったのか、ご迷惑をおかけしたことが妙に気にかかっている。

◆「世に倦む日日」田中さんと松岡発行人の《爆弾対談》──『NO NUKES voice』8号

そして、その後大議論を引き起こす、《爆弾対談》田中宏和さん(「世に倦む日日」主宰者)×松岡利康(本誌発行人)3・11以降の反原連・しばき隊・SEALDs。この対談も長時間にわたり、その後鹿砦社が直面することになる「あの問題」への入り口だった(あえてこれ以上深くは触れない)。『NO NUKES voice』第8号編集過程でも貴重な経験をたくさんさせて頂いた。

「世に倦む日日」田中宏和さんと松岡発行人による《爆弾対談》(『NO NUKES voice』08号より)

アイリーン・美緒子・スミスさん(グリーン・アクション代表)

◆根っからの市民活動家、アイリーン・美緒子・スミスさん──『NO NUKES voice』9号

私的にはニアミスが数えきれないほどあったアイリーン・美緒子・スミスさんのお話も刺激的だった。根っからの市民活動家のアイリーンさん。インタビューにお邪魔すると事務所には可愛いお子さんが眠っている。アイリーンさんのお孫さんだった。インタビュー前に雑用を全て済ませて、「はい、お待たせしましたいいですよ」と、向き合ってくださったアイリーンさんは微笑ましい顔をしながら、頭脳の中では「戦闘モード」に切り替わっていた。反応が早い。ポイントを外さない。感情的批判はしない。停滞を嘆かない……。多くの要諦を教わった。

インタビューを終えて写真撮影に映り「私の腕にしては良く撮れました」と写真を示したら「あ!これイイ!結構美人じゃん!」とスイッチはすっかりオフになっていた。素敵な人だった。

◆法曹界の「ミスター反原発」井戸謙一さん──『NO NUKES voice』9号

予想通りと言えば予想通り、恐るべき頭脳と良心を兼ね備えたのが「稼働中の原発運転停止」判決を出した男、法曹界の「ミスター反原発」井戸謙一弁護士だった。井戸弁護士の強さは法的な側面だけでなく、技術的、科学的にも非常に高度な知識を有しておられることだろう。そして原発問題に限らず冷静な「在野精神」の持ち主だと感じた。井戸氏のような裁判官が増えれば、日本司法も少しは信用が増すことだろう(そんなことは金輪際あり得ないだろうけれども)と強く感じた。『NO NUKES voice』第9号での私の関わりは上記2氏だ。

井戸謙一さんインタビュー(『NO NUKES voice』09号より)

不当逮捕で長期勾留されている山城博治さんの一刻も早い釈放を!(『NO NUKES voice』10号より)

◆山城博治さんと大城悟さんに沖縄の声を聞く──『NO NUKES voice』10号

これまでも「福島・沖縄」をテーマに特集を組んだが『NO NUKES voice』第10号では沖縄平和運動センター議長の山城博治さん、事務局長の大城悟さんに名護市の闘争現場でお話を伺った。

また、熊本『琉球の風』でご縁を頂いた元憂歌団の内田勘太郎さんにも松岡社長とともにお話を聞くことが出来た。それぞれの方のお話は現在書店に並んでいる『NO NUKES voice』第10号でご覧頂きたい。これまで他の媒体では紹介されることのなかった、アプローチになっていると自負している。

鹿児島知事選挙では「再稼動反対」を掲げた三反園訓が当選し、反(脱原発)陣営は勝利に沸いたのだけれども、「三反園」は裏切るとの私の予想は不幸にも的中してしまった。しかし選挙で示された「再稼働反対」の民意が揺らいでいるわけではない。三反園よ、恥を知れ、と言っておこう。

他方、新潟では泉田知事不出馬を受けて急遽野党統一候補(民進は自由投票)で出馬した米山隆一氏がよもやの大勝利を収めた。新潟の与党、青年会議所、農協が束になって担いだ森民夫の勝利は動かないかと思われたが、6万票以上の差をつけて米山氏は当選した。彼は三反園のように軽率に裏切ることはないだろう。新潟県民はまだ中越地震の恐怖を忘れてはいない。

経産省前テントが深夜、強制執行で撤去され、小池百合子が都知事に就任すると、一気に「東京オリンピック」がらみのニュースで報道はかき乱されている感があるが、その中ようやく12月20日政府は「もんじゅ」廃炉を決定した。遅きに失したとはいえ、ようやく1兆円以上を費やして、事故しか起こさなかった「危険物」でしかない「もんじゅ」が廃炉に向かって動き出すことが決まった。

長年にわたる反対運動が2016年の年末に勝ち取った福音だ。しかし政府は「新しい施設の研究を始める」と言っているし、福井県知事は「そんなのいやだぁ」と駄々をこねている。こういう幼児並みの連中は早々に現役から退くか、不信任を突きつけたいところだが、私たち小市民には蟻のような力しかない。粘り強く、あきらめず、来年も反(脱)原発の声を取り上げ、わずかづつでも前進をしてゆきたいと切に思う。

「運動なんか無駄だ」と冷めた声にぶつかることも多いが、ベトナムに売りつけるはずの原発の商談が破談になったように、思わぬところで地道な運動は勝利の萌芽を見せ始めてもいる。あきらめず、粘りづよく。来年も『NO NUKES voice』をよろしくお願いいたします。

山城博治さん「差別と犠牲を強要する流れは沖縄だけに限らない」(『NO NUKES voice』10号より)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice』10号【創刊10号記念特集】基地・原発・震災・闘いの現場──沖縄、福島、熊本、泊、釜ヶ崎

取材を受けるPaix2の二人

Manamiさん

Megumiさん

千葉刑務所での400回記念公演を終えて深々とお辞儀をするPaix2の二人

今回の取材は東京都内からワゴンでコンサート前日に千葉刑務所で設営と音合わせを行い、同日の夕食もご一緒させて頂いた。お二人はアルコールは嗜む程度にしか召し上がらないが、食欲は旺盛であった。

TVのインタビューや記者会見で2日の間に彼女たちが何度も強調していた言葉は、
「プリズンコンサートをするからには、『良い心のスイッチを押す』ことをしないと、やっている意味がないなと思いながらいつもステージに上がっています。ステージに上がるからには何かが皆さんの心にとどまって、社会に出る良いきっかけになるものをやらなければ意味はないなとずっと考えています」(Megumiさん)

「規則の中で思いを伝えていかないといけないので1時間ですけどエネルギーは凄く使うんですね。だから終わったあとは、いい意味でかなりの疲労感がありますね」(Manamiさん)

「言葉は出せないので、表情からよみとるしかないんですけど皆さんの表情の中からその人の人生を垣間見ることがあって、貴重な体験をさせて頂いているんだなぁと感謝の気持ちがあります」(Manamiさん)

「プリズンコンサートは心のキャッチボールやっている面があるので、皆さんの表情を見ないと、どういう言葉をかけたらいいのかわからないんです。最初の頃は皆さんも緊張感があるから、こちらも固くなっていたんです。でも回数を重ねるうちに皆さんの表情を読み取ることができるようになって、こちらにも余裕が出てきたのでコンサートが終わる頃には皆さんの表情が変わるのが感じられるようになりました」(Manamiさん)

「ステージに立っていると、そこから話しかけただけでも『上から目線』な距離感になるんです。それを無くすためにコンサートの中だけでも同じ気持ちになれるように心がけています」(Manamiさん)

ステージ上の二人は歌うだけでなく、語りも交え、しかも刑務所ならではの用語(報奨金、領置金、願箋)を交えたトークで場を和ませる。そして必ず鹿砦社から出版された『逢えたらいいな』に収められた、受刑者の家族からのメッセージが読み上げられる。内容から察するに、かなり重い罪を犯した受刑者の娘さんが初めて父親の面会に刑務所を訪れた際のエピソードだ。このエピソードを通じて受刑者の皆さんに、社会へ出ることの心の準備や、再犯を犯さない気持ちを喚起したいとお二人は考えているそうだ。

「400回は長かったような気もしますし、あっという間だった気もします。最初は30回が目標だったんですが、それが50回、100回となって。でも初期から回数だけを目標にはしていなかったのが良かったのかと思います」(Manami)

「はじめて1年くらいした時に、私たちの第一回のコンサートを見てくださった方が、出所されて、手紙を持って見に来てくれたんです。それでわざわざ会いに来てくれる下さったことで、ただ楽しませるだけじゃだめだと思って、メッセージをより込めるようになりました。感想文を頂きますが、それ以外に被害者の方からもメッセージを頂くことがあります。その中で私たちも色々考えて伝えるメッセージどうしたらいいか、追っかけて来ました」(Megumi)

Manamiさん

Manamiさんは刑務所の施設や建物に詳しい。「奈良少刑(少年刑務所)は立派な建物だけど、来年で終わりになるんですよね」、「ある県の刑務所は署長さんがとても優しい方でしたが、施設管理が緩くって、これで大丈夫ですか?とお話していたら、そのあと脱走がおこっちゃって……。ちょっと気の毒でした」。

膨大な訪問経験がそうさせるのか、一目見て施設の弱点を見抜くのだからManamiさんの眼力は専門家並だといえよう。

Megumiさん

Megumiさんはハードよりも人間や各地で起こったことを詳細に記憶(記録も)している。刑務所内の人間関係や雰囲気についての洞察が深く、Paix2二人の記憶と印象を合体させると、全国の刑務所像についての立派な論評ができあがる。事実刑務所に勤務する方、あるいは法務省関係者でも全国全ての刑務所への訪問経験のある方は彼女らをおいてはいないだろう。

今回の取材を通して印象的だったのは、彼女たちのハードワークと、ハートワークだ。限られた時間と規則の中に彼女たちが重ねる思いを詰め込む作業は、常人にはまねることのできない「荒業」ですらある。

そんな緊張感の逆にこんな本音があった。コンサート前日設営を終えて、音合わせをするお二人を、お手伝いの刑務官の方々が体を揺らしながら見ていた。

「こういういイベントは貴重でしょうか」と聞くと、
「いやー自分は大ファンでしてね。楽しみで楽しみで(この間表情崩れっぱなし)。2年ぶりに逢えて本当に嬉しいんですよ。自分は刑務官向いてないのかもしれません」。
「『受刑者のアイドル』と言われていますけど刑務官にはファンがたくさんいます『刑務所のアイドル』です」
私たちにもめったに見せない刑務官の方々の笑顔は、底抜けに明るかった。

最後列には車椅子の受刑者の方々もいた

コンサートを終え、ワゴンに乗り込み東京に向かって出発したのは13:00をまわっていた。当然皆さんお腹が空いている。千葉刑務所近くのファミリーレストランで昼食をとることになった。食事をはじめてほどなくManamiさんが切り出した「終わったから言いますけど、昨夜から熱があって、今朝も38度くらいあったんです」、「え!」と片山マネージャーと私は声を挙げた。

しかし、さすがというべきか、看護師の経験と資格を持つMegumiさんは常備している薬の中から適切な薬をManamiさんに朝服用させていたそうだ。「飲んだのが8時だから、そろそろ切れてくる時間だね。一応風邪薬も飲んでおいて」と漢方薬を手渡す。食後ぐったりするManamiさんの姿を見て「インフルエンザじゃないでしょう。インフルエンザならこんなに落ち着いてないはずだから」。見事なチームワークだ。

 

 

12月13日17:00から法務大臣による表彰が行われた。大臣室で金田勝年法相は彼女らの到着を待つ間に「『元気出せよ』は何年の発売だったっけ?」と、法務省職員に問いかける。「大臣お詳しいですね」と声をかけると、「代表曲だから知っとかないと失礼にあたるからね」とかなり詳しいご様子だ。

職員の方が彼女らの到着まじかになると、インストロメンタル版の「元気出せよ」を小音量で流し始めた。お堅い印象の法務省の表彰式にしては、粋な優しい心づかいだ。

正装したPaix2のお二人が大臣室に入室して早速表彰が行われた。大臣表彰などそうそう経験するものではないだろうが、実はPaix2にとってはこれが3回目でお二人も堂々とした様子だった。

Paix2の前人未踏の旅はまだまだ続く。「プリズンコンサート」から「矯正」の大切さへの周知をも視野に入れた活動は、大きな歓声や派手な観客のアクションのない中、受刑者の心の中に輝きをともし、感涙を誘う。地道な偉業には頭の下がる思いしかない。

 

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

Paix2『逢えたらいいな―プリズン・コンサート300回達成への道のり』(特別記念限定版)

『NO NUKES voice』第10号[特集]原発・基地・震災・闘いの現場

 

商業出版の限界を超えた問題作!

千葉刑務所を囲む高い壁

千葉刑務所正門に到着

千葉刑務所に入るPaix2のワゴン

テレビクルーと共にステージに向かう

刑務所を中心とした本格的な「プリズンコンサート」を2000年から継続してきたPaix2(ペペ)が12月10日、千葉刑務所で400回目の偉業を達成した。

かねてよりPaix2の活動に共感し彼女らの著作『逢えたらいいな』を出版していた鹿砦社は、関係各氏のご協力を得て、今回記念すべき400回目の「プリズンコンサート」に密着取材の許可を得た。

12月9日、片山マネージャーがハンドルを握るワゴンに都内から同乗させて頂き、翌日の音響設備設定とリハーサルを行うべく、千葉刑務所に向かう。助手席にMegumiさん、運転席後ろの後部座席にManamiさんが座るのが定位置だそうだ。

よほどのことがない限り、片山マネージャーがハンドルを握るが、どうしても眠い時は運転をManamiさんに変わることもあるという。これまで全国すべての刑務所を訪れ、総走行距離は120万キロを超えるそうだ。重い機材の積載と長距離の走行で車の消耗も激しく、現在のワゴンは4台目だ。

Paix2が千葉刑務所で「プリズンコンサート」を行うのは今回で5回目だ。千葉刑務所の壁面が見えてくるとManamiさんが「あ!ここ」と小さく呟いた。「やはり現場に着くと気持ちが変化しますか」と伺うと「そうですね。やっぱり気持ちが入りますね」と笑みを浮かべる。正面入口にワゴンが到着すると、明治40年に建てられた煉瓦造りの中央の柵が開き敷地内に通された。

刑務官の方々が左右から「お疲れ様です」「よろしくお願いいたします」と声を掛けて来る。

Paix2が刑務所、法務省関係者の間では既に「特別な存在」と認知されていることが、正門での応対からも伺えた。とは言え、刑務所内に通信機器(携帯電話やパソコンなど)は持ち込めないので、全員が携帯電話を門衛所に預ける。

会場となる体育館近くに駐車したワゴンに、刑務官の方々が台車を次々に押しながらやって来る。ワゴンは4人乗って快適な広さがあったけれども、その後ろにはアンプ、スピーカー、ミキサーなどコンサートで使われるすべての機材が搭載されていた。しかもそれらは寸分の隙間もなく空間を残さずに詰め込まれているので、一見するとそのような大量の荷物が載せられているようには全く見えない。

片山マネージャー、Paix2のお二人は刑務官の方々の手助けを部分的に得ながらも、三人で設営を進めてゆく。物理的かつ技術的にも目配りしなければならない緻密な重労働を限られた時間でこなしてゆく。私も何かお手伝いをしたいと思ったが、彼女らの驚嘆すべき手際の良さと、緊張感に圧倒され、ついに声をかけることができなかった。

設営後は音あわせとリハーサルも行わなければならない。Paix2の活動が単に400回という数字以上に、いかに激烈なものであったのかを設営の場面からも痛感し、そのパッションに圧倒された。会場最後部に設けられたミキサーや調整機材が置かれた机の複雑な配線を終えると、片山マネージャーの合図でリハーサルが始まった。翌日のコンサートで演奏される楽曲の順番にそって、ギターやマイク、音響のバランスをステージ上の二人は短時間で手際よく確認してこの日の作業は終了した。

本番前ステージ上の二人

受刑者の方々を前にいよいよ開演

400回記念公演を祝うパネルを背に歌うPaix2

翌12月10日はホテルを7時半に出発だ。事前にテレビ朝日とフジテレビから取材の要請があり、テレビのクルーがホテルの入り口に控えている。彼女たちがホテルを出てワゴンに乗り込むシーンから撮影を始める。私を含めた関係者はタクシーに乗りワゴンの後を追う。15分ほどで千葉刑務所正門に到着した。

既に取材許可は下りているので、この日は千葉刑務所に用意していただいた控室に通される。コンサート前の意気込みや、この日にかける気持ちをテレビ取材陣は質問するが、Paix2のお二人は、特に400回という数字に大きな思い入れはない様だ。というのも実は400回目のコンサートというのは、正確な数字ではない。過去に何度も同じ日に2回、3回のコンサートをこなした経験が彼女たちにはある。しかし、同日に複数回のステージをこなしたものも「1回」としかカウントしていないので、正確にはコンサート自体の数は400回を大きく上回る。

通常のコンサートは1時間から1時間半だが、彼女たちはその中に全精力を注ぎこむので、2回、3回のステージをこなしたあとは、気を失いそうになるほど心身のエネルギーを使い果たしたという。また刑務所の講堂や体育館には、ほとんど冷暖設備がない。そこに多い時には1000名以上の受刑者の皆さんがぎっしり席を埋めるので、夏期は当然猛烈な暑さとなる。だからPaix2は7月から9月の間には受刑者の方の体調も考慮してコンサートを行うことは控えているという。

コンサート開始午前10時が近づいて来たので、Paix2をはじめわれわれ取材陣も控室から会場の体育館に移動する。刑務所の中は建物の出入り口が必ず施錠されているので、いくつもの開錠、施錠を繰り返し、ようやく体育館に到着する。天気は快晴だ。会場後ろの入り口から入場すると、すでに受刑者の方々が着席している。この日取材陣が撮影を許可されたのは、会場最後部からだけだった。

午前10時になると、刑務官の方が注意事項を口頭で伝え、ステージに降りていた幕が上がり1曲目『いのちの理由』からコンサートが始まった。

通常、刑務所の慰問やコンサートで、受刑者の方は曲のはじめと終わりの拍手以外は一切の動きを禁じられている。横を向いてもいけないし、肩より上に手を上げることも禁止されている。もちろん私語は一切禁止だ。ちなみにこの日も受刑者の方はコンサート開始の直前まで、全員目を閉じるように指示を受けていた。

「元気出せよ」を歌い始めると、刑務所内では通常、許されないアクションが起る

400回記念公演の幕が閉じる

刑務所長から感謝状授与されるPaix2の二人

感謝状を手に

1曲目が終わるとManamiさんが「皆さん!おはようございます!」と観客席に声をかける。観客席からも「おはようございます」と控えめな声が上がる。本来「こんにちは」であっても私語に該当するので、厳密には許されないのだが、Paix2は前述の通り千葉刑務所だけで5回、トータル400回以上の活動実績があるので「特別」に挨拶や手拍子が許されるのだ。

ちなみに千葉刑務所は初犯で懲役10年以上の受刑者の方が収容されている施設だ。無期懲役の方も収容されている。だから受刑者の方の中にはPaix2を見るのが5回目という方も少なくない。

Manamiさんは「ちょっと元気ないですね。もう一回。皆さん! おはようございます!」と再度観客席に声をかける。先ほどよりかなり大きな「おはようございます!」の声が上がる。受刑者の方の中には初めてPaix2のコンサートを聴く方も当然いるので「私語」についての特別扱いが受刑者の皆さんに認識されると、徐々に拍手や手拍子も大きくなる。

この日のコンサートでは合計9曲をPaix2は歌い上げ、大拍手の中で成功裏に記念すべき第400回目、節目のコンサートは幕を下ろした。終了後控室に戻ったPaix2のお二人に朝日新聞、毎日新聞と私が20分ほどインタビューを行い、次いで、テレビ朝日、フジテレビの順でインタビューが続いた。

その間受刑者の方が退場した体育館では、あの膨大なPAやミキサーなどの後片付けを、片山マネージャーがお一人で完了していた。改めてその体力と手際の良さに驚かされた。

私は12月9日の東京出発から10日コンサート終了後東京帰着まで同行させていただいた。2日間で普段は見られないPaix2の活動のすさまじさと、人柄に接することができた。そして実はコンサートの最中にハプニングが起こっていたことを帰路知ることになる。詳細は次回報告しよう。

Paix2(左からManamiさん、Megumiさん)と二人を支える片山マネージャー(右)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

Paix2『逢えたらいいな―プリズン・コンサート300回達成への道のり』(特別記念限定版)

『NO NUKES voice』第10号[特集]原発・基地・震災・闘いの現場

 

◆オスプレイ事故は「不時着」でなく「墜落」だ

やはりオスプレイは墜落した。12月14日の京都新聞朝刊は「米軍オスプレイ不時着」の見出しで、「防衛省関係者によると、13日夜、沖縄県の近海に米軍の新型輸送機オスプレイ1機が不時着した。搭乗員は脱出したが、けが人がいる模様」と報じている。不時着? 沖縄県の近海? 報道機関よ、事実は正確に伝えよう。「沖縄県の近海への不時着」は「名護市沿岸部への墜落」ではないか。

沖縄のメディアや現時点での情報によれば、「墜落地」は陸地に近い「浅瀬」で、13日深夜から沖縄県警の機動隊車両が周囲の道路を埋め尽くしている。沖縄県民をはじめとする「オスプレイ」への懸念は、奇しくも『NO NUKES voice』発売日の直近に現実のものとなった。直視しよう、現実を。正しく伝えよう、危機の現実と「墜落」の事実を。この事故は過去の事故歴を紐解けば、いつかは必ず高い確率で起こる必然だったのだ。唯一の幸いはそれが沖縄住民の生命に被害を及ぼさなかったことだけだ。

「オスプレイ墜落」は高江や辺野古の基地建設反対運動が訴えてきたことの正当性を証明した。余分な解説は不要だ。「オスプレイは墜落する」その事実をしっかり凝視しよう。

名護警察署

沖縄の右翼にもインタビュー敢行!

不当逮捕で長期勾留されている沖縄平和運動センター議長の山城博治さん

◆不当逮捕直前に山城博治さんが『NO NUKES voice』に語ってくれた沖縄・基地〈闘いの現場〉

本日15日発売の『NO NUKES voice』10号で見逃せないのは、奇しくも沖縄情勢のレポートだ。特集に登場いただいた沖縄平和運動センター議長の山城博治さんと同事務局長大城悟さんのインタビューを是非お読み頂きたい。その中には「オスプレイ墜落」を正しく読み解く全てがある。

昨日もお伝えしたが山城博治さんはこの『NO NUKES voice』取材後に不当逮捕され、長きにわたり勾留されている。博治さんは高江や辺野古だけでなく、沖縄における〈現場の闘い〉の象徴といってもよい。博治さんのインタビューを出版する時点では、彼が不当に逮捕され、これほど長期勾留の身に置かれようとは編集部も想像していなかった。また、事務局長の大城さんには博治さん逮捕後も折に触れ、編集部が電話で博治さん逮捕・勾留の状況を伺っているが、大城さんは「すべて仕組まれた弾圧だと思います」と語っていた。

近年の国政選挙や県会議員選挙、知事選挙の全てで「基地は要らない」と沖縄の民意は示されている。「もっと沖縄知事や行政が奮闘しないか」との声も耳にする。だが、それは筋が違うだろう。選挙の結果を中央政府が無視し、踏みつけにする構造こそが指弾の対象であり、その矛先を誤ってはならない。

その点、最先端で闘い続け、現在、権力に捕らわれている博治さんのインタビューは、鹿砦社ならではの切り口で踏み込んでいると自負している。「差別と犠牲を強要する流れは沖縄だけに限らない」というは、福島のおかれた苛烈な実情、震災復興が遅々として進まない熊本、鳥取などと共通する、地方軽視のを鋭く射貫く告発の言葉だ。

歴史的・構造的に「沖縄に基地は全く不要」と説く沖縄平和運動センター事務局長の大城悟さん

◆博治さんと共に闘う大城悟さんのロングインタビュー

同センター事務局長、大城悟さんの「前線での闘い、生の声──沖縄に基地は全く不要」では、より詳細に闘いの歴史、理由、現状の課題が明らかにされている。博治さん不在の中、連日高江の現場で運動の指揮を執る大城さんのインタビューは闘争の現場で取材されたものである。時間は状況の変化をもたらす。頭を垂れるようなざる得ないような、惨憺たるニュースが続くなか、全国の運動を最も厳しい沖縄から牽引するお二人のインタビューは必読だ。そして日本を代表するギタリスト内田勘太郎さんが語る「憂歌と憂国──沖縄・原発・一陣の風」も期せずして、沖縄に生活するヤマトンチュの複雑な面を我々に伝えてくれる。

大阪・西成区周辺に貼ってあった「福島除染作業員募集」の看板

◆熊本、泊、釜ヶ崎──2016年ファシズムと闘い続けた現場報告

自然災害、とりわけ近年大規模地震の多発により、被災地への眼差しが希薄になりがちだが、とりわけ史上最多の余震を記録した熊本地震のもたらした惨禍は数値で示すことのできないものだ。もちろん犠牲者の数の多寡を目安にすることに意味がないわけではない。1995年の阪神大震災6000以上、2011年東日本大震災2万以上、2016年熊本地震131人、2016年鳥取中部地震負傷者30名。しかしこの数字と悲劇の数は比例すると考えるのは間違いだろう。失われた、傷ついた人々の身体や精神を数値だけで評価する癖がつくと、本質を見逃してしまう。その思いを熊本出身の松岡が「『琉球の風』に込められた震災復興への意思」に綴っている。

本号初登場の釜ヶ崎からは尾崎美代子さんの「私が『釜ヶ崎から被爆労働を考える』を始めた理由」が新たな視点を提供する。日雇い労働者の街、釜ヶ崎で尾崎さんは何を見て行動を起こしたのか。多重搾取構造の最底辺で除染などの作業に従事せざるを得ない人々の労働問題。今後半永久的につづくであろう、原発(事故がなくとも)労働の構造的問題を伝えてくださる貴重なレポートだ。

次いで、池田実さんの「福島原発作業の現場から ミリ・シーベルトの世界で働くということ」、「被ばく労働を考えるネットワーク」の「なすび」さんの「福島第一原発の収束・廃炉作業における労働問題」が続く。この2つの報告は現場労働をより皮膚感覚で知るための貴重なテキストだ。

さらに斎藤武一さんの「北海道泊原発と〝がんの村“ほぼ四十年ほぼ毎日、海水温度を測り続けてわかったこと」は市民科学者がひたすら追求し続け到達した恐るべき結論を教示してくれる。

◆ゴジラ級の熱量──80頁の大特集「基地・原発・震災・闘いの現場」

福島の原発事故や再稼働・被曝労働の問題に止まらず、沖縄の基地、熊本の震災復興も取り上げた特集記事は80頁にも及ぶ。重層的なファシズム社会が到来した2016年師走に鹿砦社が放つ今年最後の『NO NUKES voice』──。その熱量だけはゴジラ級だ。

沖縄平和運動センター議長の山城博治さん

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

12月15日『NO NUKES voice』第10号発売

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年1月号!

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

『NO NUKES voice』第10号が明日15日発売日を迎える。反(脱)原発に主軸を置く季刊誌としては、意外にも日本初の境地に踏み込んだ本誌が、読者の皆様のご支持の賜物で10号まで発刊を続けることができた。

◆原発マフィアに怒涛の勢いで反転攻勢をかける

怒涛の勢いで反転攻勢をかける、原発マフィアに対して、街頭から、市民からは次第に「反(脱)原発」の声が薄められ、先細りになってゆくかのような印象操作が総力を挙げて取り組まれている。東京オリンピック、リニアモーターカー、TPP、果ては改憲と矢継ぎ早に飛んでくる反動の矢の数々に対応するだけで、「反(脱)原発」陣営も消耗戦に追い込まれている部分は確かにある。

だからこそ、この惨憺極まりない《今》の窮地を、止揚し、力関係を真逆にするための媒体としての使命が『NO NUKES voice』には課されている。鹿砦社はまだまだ成長過程にある『NO NUKES voice』の編纂に今号も全力で取り組んだ。誌面に登場していただいた方々の顔ぶれからは「未来への光」が見える。

◆原発・基地・震災──沖縄、福島、熊本、泊、釜ヶ崎での〈闘いの現場〉特集

『NO NUKES voice』第10号の特集は、「基地・原発・震災・闘いの現場 沖縄、福島、熊本、泊、釜ヶ崎」だ。これまでもそうであったが、反(脱)原発は、他の社会問題と切り離して単独で論じることはできない。原発と基地、福島と沖縄、福島と釜ヶ崎、原発と震災などはいずれも不可分なテーマだ。第10号は福島、沖縄、熊本、泊へ取材陣を派遣し各地からの報告とインタビューにより、原発をはじめとするこの社会を構成する問題構造を有機的に浮き上がらせようと挑戦した。

神田香織さん(講談師)と高橋哲哉さん(哲学者)

何よりも喜ばしいことは、世代交代を委ねられる若手のライターの活躍だ。腰の据わった反(脱)原発運動の現場では、どこも高齢化(失礼!)が深刻な課題である。戦線の先頭に立つ方々の平均年齢が65歳以上という場面は決して珍しくはない。その継続的な闘いに深い敬意を示しながらも、世代を超える困難さを多くの方が感じておられる。「どうして将来のある、被害当事者の若者に気が付いてもらえないのか」とのジレンマは各地の運動で、本音として頻繁に耳にする共通課題だ。

本号では既にこれまでも健筆を奮ってくれた大宮浩平氏に加え、井田敬氏(ともに1980年以降の生まれ)が大活躍をしている。第10号発刊にあたり、編集部としては戦線に気鋭の実力充分な心強い若者が加わってくれたことを読者とともに喜びたい。もちろん若ければよい、というお気楽な気分で彼らを持ち上げているのではない。両氏とも論壇の最先端で活躍できる能力、取材力、文才と行動力を兼ね備えている。彼らの活躍にまずはご注目いただきたい。

「差別と犠牲を強要する流れは沖縄だけに限らない」と語る沖縄平和運動センター議長の山城博治さん

◆神田香織さん(講談師)と高橋哲哉さん(哲学者)による福島怒りの対談

そして、特集にある通り対談やインタビュー、報告記事も本誌をおいて他のメディアではまず不可能であろうラインナップが並ぶ。巻頭は神田香織さん(講談師)と高橋哲哉さん(哲学者)の対談「福島の人は沖縄の闘いから学ぼうと思い始めた」で幕を開ける。福島県出身者として、3・11後あらん限りの力を尽くして活動を続ける神田さんと靖国神社問題をはじめ、原発についても「犠牲」の観点から鋭い論考を続ける高橋さんの対談は穏やかな言葉で激烈極まる状況への指弾が繰り広げられる。

唯一無二のギタリスト、内田勘太郎さん(2016年10月2日熊本・琉球の風にて)

◆憂歌団ギタリストの内田勘太郎さんが奏でる〈憂歌と憂国〉

本号で見逃せないのが沖縄平和運動センター議長の山城博治さんへのインタビュー「差別と犠牲を強要する流れは沖縄だけに限らない」と同センター事務局長大城悟さんの「前線での闘い、生の声──沖縄に基地は全く不要」だ。現在不当逮捕によりいまだに勾留されている山城氏と、山城氏不在の中、連日高江の現場で運動の指揮を執る大城氏のインタビューは闘争の現場で取材されたものである。全国が注目する沖縄の闘いの根源をお二人の言葉から直接お届けする。

さらに、元憂歌団メンバーで日本を代表するギタリスト内田勘太郎さんが語る「憂歌と憂国──沖縄・原発・一陣の風」は内田氏の人格が伝わる「優しい」語り口だ。しかし優しい語りに込められた思いの強さは、必ず読者の心を揺さぶるであろう。カルピスの瓶を指にはめたあの奏法のオリジナリティーは語りでも冴えわたる。

まだまだ特集は続く──。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

12月15日『NO NUKES voice』第10号発売

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年1月号!

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

不幸なことに私の予感は的中してしまった。11月28日の時事通信は〈三反園鹿児島県知事が事実上容認=川内原発、検査後の再稼働〉との見出しのあと以下の様に伝えている。

 

2016年11月28日付時事通信

 
要するに選挙では「再稼働を認めない」と公約しながら、180度主張を翻し、再稼動容認に早くも転じたわけだ。以前このコラムで三反園知事と三宅洋平を並べ、ボロクソに論じたが、三反園は私の予想を超える速度で「馬脚を現した」わけだ。私は「どうだ見立てが当っただろう!」と自慢をしているのではない。ああ、やっぱりと落胆しているのだ。このニュースが報じられたのは、福島第一原発事故の収束費用が当初の倍近い20兆円かかるとの報道がなされたのと同日であった。 

 

2016年11月27日付毎日新聞

 
◆「時代は狂っている」

公約を掲げた候補に投票しても、当選後公約を変えられたり、ひどい場合は所属政党を変えたり、政治家は誠に節操がない。おそらくこの病巣には何らかの懲罰でも設けない限り、対処不能だろう。また、11月28日の朝刊では安倍内閣の支持率が6割をこえたとも掲載されている。1年で一番暇なはずの11月だが、新聞紙面で報じられている内容は尋常ではない。むしろ「狂っている」。もうどんな約束もどんな嘘も、どんな規範も意味のない時代になった。私はかなりの確度で上記のニュースが並列される新聞を見て確信する。「時代は狂っている」と。

あれほど明確に反対を掲げていたTPPを政権奪取後推進に転じた安倍政権は、米国が「やーめた」と放り出したのでもうTPPを諦めざるをえまい。一体全体国会内外で必死に反対を訴えていた人びとの意思や思いなどはどのように総括されればよいのだ。58万円もするゴルフクラブを手土産に駆け付けたって、大富豪のトランプが翻意するとでも安倍は思っていたのだろうか。

またベトナムがここにきて「原発やーめた」と言い出し、日立との契約を白紙に戻すという。誠にご同慶の至りだが、これまた必死に原発輸出の馬鹿さ加減を訴えていた人びとの思いはいかばかりか。喜ばしいことに間違いはないがどこかに「肩透かし」感を否めないのは私だけであろうか。

 

2016年11月28日付NHK

 
◆弛緩しつくした社会に未来があるとどうして思えるのか?

本当に何も学ぶことが出来ない、愚かな人間の集まりだとまた憂鬱な気分になる。救いがたいのは、政治家どもやマスコミどもだけではなく、ああだの、こうだの言いながらも「明日がある」ことが絶対的に保証されているかのごとき「幻想」の中で、日々「勤勉」な日常を送るこの島国の人びとだ。その中にはもちろん私も含まれる。

これほどまでに呆けてしまった、弛緩し尽くした社会に未来があるとどうして思えるのだろうか。私は毎日不思議でならない。「弛緩し尽くした社会」は語弊を招くだろう。決して安楽ではなく、労働に見合った賃金を得ることも出来ない労働者がカツカツの生活をしているのだ。

「弛緩」しているのは市民生活ではなく、敢えて乱暴に言えば「民度」だろう。「弛緩」し「劣化」しつくしているこの国の「民度」は相当深刻な状況にあると、痛感する。「劣化」という言葉自体が、散々使いまわされてそれこそ、ボロボロになっているじゃないか。今年ももう12月だ。冬の訪れは早い。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

7日発売!『紙の爆弾』2017年1月号

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)

 

『NO NUKES voice』第9号 特集〈いのちの闘い〉

角には中日新聞、その横にクリーニング屋、八百屋、ココストア、藤山台センター(市場)などが並んでいたのが当初の町並みだったのではないだろうか。なにせもう45年程前の姿なので、その記憶は定かではない。ココストアの位置する商店街界隈の近くには、また別の小さな商店街があり、小ぶりながらおもちゃ屋や書店、散髪屋も並んでいた。さらにスーパーマーケット、「松坂屋ストア」はいつも買い物客でにぎわっていた。

ココストアはその後一時、店の名前が変わったような記憶もある。どうして「こんなに小さい店が市場やスーパーの隙間でやっていけるのか」と幼心に疑問だった記憶はあるが、あれが今日どの町にも見かける「コンビニエンスストア」の日本における第1号店だったとは、想像する由もなかった。当たり前だけれども当時は「コンビニエンスストア」なる名称もなかったし、概念もなかったのだか至極当然ではある。

愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウン内に位置するこの店舗の前を、幼少時代には親に手を引かれ毎日のように通っていた。市場や八百屋、スーパーマーケット店内の姿は覚えているのに、この店に入った記憶はない。その後、成人して夜遅くにタバコを切らすと、品揃えがよかったのと、遅くまで開いているから便利でしばしばお世話になった。大学から休みに帰省すると、この店の前で深夜、悪友たちと顔を合わせたことも何度かあった。

ココストアのテレビCM

今日の「コンビニ時代」の先駆けがあの場所から産声を挙げていたのは、先日同店舗が閉店となったニュースに接して初めて知った。周りにあった市場や他の店舗は、大規模ショッピングモール(サンマルシェ)の影響を受けてか、早々に店を閉めたが、あの商店街でもコンビニだけは45年間健在だったのだ。

ココストアのテレビCM

団地内に現在、全部で幾つのコンビニが今あるのかは解らないが、かつて生鮮食料品を中心に地域では一番の売り上げを誇っていた「松坂屋ストア」すらが撤退した後、団地の姿は大きく変わっている。春日井市の統計によれば現在高蔵寺ニュータウンに住所を置いている人の数は4万人を超えるとされているが、往時同所に居住していた人間にとってこの数は甚だ疑わしい。

ココストアのテレビCM

◎[参考動画]国内コンビニ“1号店”閉店(2016年11月17日CBCテレビ)

私がこのニュータウンで生活した初期は、まだ新しい団地の建設も進む勃興期で人口は毎年増加し、団地には子供の声が響き、小学校も1学年3~5クラスはあった。山を切り開いたニュータウンには当初、歴史も文化も人々の営みの積み重ねもなかったけれども、夏には大公園や各小学校で盆踊りが開催され、小学校では子供会毎に球技を競う大会が盛んだった。当時人口は3万だと聞いていた。しかし私の居住していた地域では早くも1980年頃に子供の数が減り始め、子供会は80年代後半に解散をしてしまった。私が一時在籍した藤山台東小学校は廃校になる年の卒業生がわずか2名だったそうだ。

ココストアのテレビCM

ニュータウンの中心部は旧住宅公団(現在のUR)が維持管理する賃貸の団地が主たる建物を占めるが、中には分譲され個人が保有しているものもある。本来はここが人口密集地帯のはずだが、団地の窓を見渡すと空き家が目立つ。目視しただけでも2~3割は空室のように見える。ニュータウンの周辺には一戸建て住宅や工場などが広がっている。

数年前、久方ぶりに同ニュータウンを訪れた時、中心部には昼間だというのにほとんど人の姿が見当たらなかった。子供の声ももちろん聞こえない。前述の通りが一時通っていた藤山台東小学校は廃校となり、どうやら3つの小学校が統合されたようだ。賑やかだった藤山台の中心地、松坂屋ストアの跡地には介護関係の事務所が入っている。小中学校の給食を調理し、配達をしていた「給食センター」も取り壊されていた。

その時は、以前このコラムで言及したが、何とも表現しにくい気分になった。そして「日本初のコンビニ」閉店のニュースは、どこかでこの街の宿命と結びついているのではないか、との邪推を喚起させる。今日私(たち)は避けがたく日々コンビニを利用する。便利なようだけれども並んでいる商品はどこも同じだし、店員さんと仲良くなることはあっても「きょうはこのサバがいいよ」とか「しゃあない、特別にまけとくわ」といった会話はない。コンビニ内は常に無機的である。

無機的住居空間の総合体として計画され、今やセピヤ色の空気が漂うニュータウンでのコンビニ閉店劇には、ひねくれ者のの私は「強制の宿命」と「寂しさ」を感じる。私はあの「寂しさ」に耐えきれず、同地を後にした。でもまだそこで暮らしている旧友がいる。長く連絡を取っていないことに気が付いた。あいつら今でも元気だろうか。


◎[参考動画]ココストアのテレビCM コジコジ(さくらももこ 1998年)


◎[参考動画]ココストアのテレビCM


◎[参考動画]日本最初のコンビニ:ココストア藤山台店

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

重版出来!『ヘイトと暴力の連鎖』!

 

『NO NUKES voice』第9号 特集〈いのちの闘い〉

米国大統領選挙で共和党のドナルド・トランプが勝利した。世界は大騒ぎになっている。無理もないだろう。選挙中にトランプが発言していた内容がそのまま政策に移されれば、米国の姿は大きく変わる。まずメキシコとの国境に「壁」が作られるという。「万里の長城」よりも長い壁を21世紀に米国は本気で建てることになるのだろうか。また、銃規制が緩和されるとこれまで以上に乱射事件は続発するだろう。女性蔑視も、チラホラとなら発言が許されるようになるのであろうか。

2016年10月9日New York Post

◆世界は現状を嫌い出している

世界は現状を嫌い出している。それは確かだろう。しかし、否定される現状との比較で「期待される将来像」はどのようなものなのだろうか。確固とした方向性やおぼろげながらも何らかの形のようなものをイメージしてトランプは大統領に選出されたのだろうか。どうも違うような気がする。

要するに「やけっぱち」なのではないか。トランプが選挙戦で語った言葉は「政策」としてではなく、「気晴らし」として多くの米国人に受け入れられたのだろう。かといって特段ヒラリー・クリントンが何等かの希望を抱ける候補者ではなかったことは、選挙結果が示す通りである。

2016年10月9日Wall Street Journal

2016年10月9日Wall Street Journal

◆理性、体面、政治能力に納まらないトランプという個性

しかしながら、やはり驚きはある。一応の理性、一応の体面、一応の政治能力といったものを選挙戦で候補者は演じるものだが、トランプの選挙戦にはそういったものは意識されてはいなかった。いや、意識していたのかもしれないが、トランプという個性は、そんな窮屈なものの中には納まらない。

ただし、大統領に就任すれば今までの独裁経営者のようなわけには行かない。就任当初こそ選挙中同様、酔った政治好きの戯言を放言しているもしれないが、周りが許しはない。米国の政治力学は議会の勢力地図だけでなく、数々の怪しげな「シンクタンク」や「研究所」を名乗る連中の思惑に大きく左右される。足元の共和党にもトランプを毛嫌いする議員は山ほどいる。それら細かい調整にトランプが長けている(耐えられる)とは思えない。

米国大統領は、民主党の大統領が就任しようと、共和党の大統領が就任しようと、その構造に変わりはない。オバマの周辺にも、「まだ生きていたのか」と思わせるヘンリー・キッシンジャーの姿が未だに垣間見られたし、当人でなくとも、その意を受けた人間が必ずホワイトハウスに役付きで侵入するのは米国の歴史の定石となっている。だからトランプにだって、多数の「シンクタンク」出身のエージェントが付く纏うことになるだろう。

2016年10月9日New York Times

◆安倍政権が強行採決した「TPP」に米国が参加しなかったら

トランプが大統領に就任することによって「日米関係」はどうなるのか、の議論が賑やかだ。当面興味深い混乱が起きる可能性はある。トランプは「TPPに反対する」と明言している点には注意を向けてもよかろう。

汚職で辞任した甘利元経産大臣が、あれほど時間を掛け、その実内容のほとんどを非公開に行っていた日米間の「TPP交渉」は一体なんだったのだろうか。国会では先日委員会でまたもや「強行採決」が行われたが、このままトランプが選挙公約を翻さず、「TPP」に米国が参加しなかったら、日本はどうするつもりなのだろう。

「米国にTPP参加を促すために大統領選挙前の議会通過が理想だった」と自民党関係者は語るけれども、衆議院の委員会でああまでして無茶な「強行採決」を行う必要はどこにあったのか、いずれ近い将来「その理由」もしくは「その無茶・無駄さ」が判明するだろう。彼らは心中クリントンの当選を願っていたのだから。

2016年10月9日CNN

いずれにしろ、誰がどこの国の大統領に就任しようとも、国政は粛々と行われるべきだ。米国大統領が、トランプであろうがヒラリー・クリントンであろうが、不幸なことにこの国の首相が安倍晋三であることに変わりはない。他国の騒動を気にしている暇があるのであれば、自国の最低最悪の政治を少しは凝視してみないか。

◆星条旗よりも寒風吹き始めた永田町の暗澹たる姿を凝視せよ

隣国韓国では朴槿恵がいよいよ追い詰められた。本コラムで以前紹介したが、朴槿恵に関しては何もここ数週間で急に世論が批判的になったわけではなく、国民の厳しい批判の目があった。支持率は20代では1%というから、実質ゼロだ。以前に比べればおとなしくなった韓国ではあるが、それでも「不正」を目の当たりにした時の国民の動きは日本の比にならない。

米国大統領選挙の結果はそれで結構(私はそもそも米国大統領選挙システム自体が全く民主的ではないと考えるので、米国大統領には全く期待を持っていない。現状をドラスティックに変える人物など、この選挙システムの上では、必ずはじき出され、選挙戦で何を主張しようが、しまいが基本似た政策の継続しか選択肢がないのが米国大統領選挙だと考える)。よその国の内政を評論することは出来ても介入することなどできないのだから。

それよりも、足元を見なければいけないだろう。「土人」発言は「差別ではない」と大臣が名言していても首を取れないのか。ずるずるではあるが憲法審査会の開会が迫る状況は穏当か。星条旗よりも寒風が吹き始めた東京永田町の暗澹たる姿を凝視せよ。


◎[参考動画]Donald Trump Wins US Presidential Election(ABC News2006年11月9日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

ANN2016年10月9日

綿密に注意深く、原則的な悪事は企図され、真意とは全く異なる言辞を纏いながら5年、10年と時間をかけひたむきな準備が進められる。いかなるステップも当初は踏み外されてはならない。まだ、周りには「目」があったのだ。連中がどのように美辞麗句でその一歩を称賛し、また国際社会の一部にも同意を求める働きかけをしても、揚げ足を取られればその野望が水泡に帰す可能性だって無くはなかった。「目」はたしかに奴らの魂胆を見抜き、最大級の注意で凝視していた。

ANN2016年10月9日

◆はじまりの1992年カンボジアPKO

私が今話題にしようとしているのは自衛隊によるPKO活動だ。1992年カンボジアに送られたPKO自衛隊部隊は「日本軍が第二次世界大戦以降、武器を携行して初めて他国に足を踏み入れる」ことに対して、相当の注意と批判を覚悟していた。この場合の「注意」とはカンボジア現地で自衛隊の犠牲者を出さないことと、自衛隊による発砲により、現地での被害者を出さないことだ。もっとも私は憲法を読む限り「PKO」(平和維持活動)などという欺瞞に満ちた名前であれ「海外派兵」が認められる余地など全くないと考え、さらにPKOは本格的軍事行動解禁への一里塚と感じていたから、絶対反対の立場だった。

ANN2016年10月9日

カンボジアでPKO活動を行った自衛隊は小火器(拳銃、小銃)だけを携行し、当然のことながら「戦闘」を前提とした作戦や計画は公的には準備されていなかった。ポルポト政権下でクメールルージュが虐殺を行い収拾がつかないアジアの国、カンボジア。そのイメージが自衛隊の初「PKO」を可能ならしめた理由のひとつにはあろう。確かにカンボジア内戦は混乱を極めた。ポルポト派、シアヌーク派、ヘンサムリン派などが、時に米国、時に中国、ソ連といった大国を後ろ盾にし、隣国ベトナムでの戦争の余波もあり混乱が繰り広げられた。

ANN2016年10月9日

◆南スーダンを知らない私たち

と、カンボジアの混乱とその大雑把な衝突勢力、背後関係については、曖昧ながら語ることが出来るけれども、例えばボスニア紛争や、南スーダンの内戦、あるいはイエメン内戦の理由と勢力構成を簡略にでも説明できる人はどのくらいいるだろうか。シハヌーク殿下と言えばなんとなく顔が浮かび、ポルポト派と聞けば「虐殺」のイメージが定着してはいる。

他方どうして今、南スーダンで内戦が起こっているのか、南スーダンはいつ、どうしてスーダンから独立したのか、その背後で操る大国がどこで、どのような権益をめぐって争いが起きているのか。それらを熟知している人が一体どれほどこの国にいるだろうか。

知られていない。私だって自信をもってとても語ることはできない。地理的にも情報量も「遠い国」南スーダン。だから自衛隊の初めての「戦闘の地」となる可能性の場所として敢えて「南スーダン」は選ばれたのではないかと私は訝る。


◎[参考動画]「駆けつけ警護」判断へ 稲田大臣が南スーダン訪問(ANNnews2016年10月9日)

◆「駆けつけ警護」と「PKO参加5原則」の明らかな齟齬

ANN2016年10月24日

「駆けつけ警護」が間もなく閣議決定されるという。「駆けつけ警護」とは一体どのような行動を指すのであろうか。

防衛白書は、
いわゆる「駆け付け警護」は、PKOの文民職員やPKOに関わるNGO等が暴徒や難民に取り囲まれるといった危険が生じている状況等において、施設整備等を行う自衛隊の部隊が、現地の治安当局や国連PKO歩兵部隊等よりも現場近くに所在している場合などに、安全を確保しつつ対応できる範囲内で、緊急の要請に応じて応急的、一時的に警護するものです。

いわゆる「駆け付け警護」の実施にあたっては、参加5原則が満たされており、かつ、派遣先国及び紛争当事者の受入れ同意が、国連の活動及びわが国の業務が行われる期間を通じて安定的に維持されると認められることを前提に、「駆け付け警護」を行うことができることとしました。

これらが満たされていれば、「国家」又は「国家に準ずる組織」が敵対するものとして登場することはないので、仮に武器使用を行ったとしても、憲法で禁じられた「武力の行使」にはあたらず、憲法違反となることはありません。
http://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2016/html/nc018000.html

と解説している。

ANN2016年10月24日

しかしこの防衛白書は昨年成立した「戦争推進法案」(正式には安保法制と呼ぶらしい)に立脚したものではない。ここで重要なポイントは「参加5原則が満たされており」の5原則である。外務省によると5原則とは、

1)紛争当事者の間で停戦合意が成立していること
2)当該平和維持隊が活動する地域の属する国を含む紛争当事者が当該平和維持隊の活動及び当該平和維持隊へのわが国の参加に同意していること。
3)当該平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること。
4)上記の基本方針のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は、撤収することが出来ること。
5)武器の使用は、要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/pko/q_a.html#05

と定義されている。

◆「紛争当事者の間で停戦合意が成立」していない南スーダン

ANN2016年10月24日

では南スーダンでは「紛争当事者の間で停戦合意が成立」しているであろうか。してはない。戦闘は続いている。2014年に一旦政府と反政府勢力の間で停戦合意がなされたが、その後停戦合意は崩れ、首都ジェバでは今年夏からだけで300人以上が死亡している(正式な犠牲者数は不明だが戦闘が継続していることは国際的に了解されている状態だ)。

さらに7月11日~12日にかけては、すでに派遣されている自衛隊の宿営地から100mの至近距離で戦闘が行われ、自衛隊は防弾チョッキ、ヘルメットを装着し、身を低く構えていたという。岡部俊哉陸上幕僚長は7月21日の会見で、「宿営地近くでの発砲にともなう流れ弾が上空を通過しているという報告は受けていた。弾頭は日本隊を狙って撃たれたものではないとみている」と「実戦」が行われていたことを認めている。

◆7時間の南スーダン滞在で稲田防衛大臣が掌握した実情とは?

ANN2016年10月24日

稲田防衛大臣は10月8日に7時間だけ南スーダンを訪問し、「(治安が)落ち着いていることを見ることができ、関係者からもそういう風に聞くことができた。持ち帰って政府全体で議論したい」と述べている。わずか7時間の滞在で実情が掌握できるものであろうか。(治安)が落ち着いているというのであれば、南スーダンの政府関係者や、各国のNGOなどと今後の対策について、せめて意見交換くらいはしないものだろうか。

ANN2016年10月24日

私の想像だが、南スーダンの治安状況を鑑みれば「7時間以上の滞在は危険」と防衛省、もしくは政府が判断したのだろう。また、あきれたことに11日参議院の予算委員会で民進党の大野元裕議員の「戦闘ではなかったのか」との質問に稲田は「戦闘行為とは、国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷しまたは物を破壊する行為」とした上で、南スーダンの事例は「こういった意味における戦闘行為ではない。衝突であると認識している」と答弁している。

稲田のこの答弁は注意深く記録され、記憶されなければならない。純粋な言葉の意味において稲田の「戦闘」の乱暴な「言葉の定義変え」は犯罪的である。どの辞書を開いたら「戦闘」の定義を「国際紛争」を前提としてのみ限定しているというのだ。国内における「戦闘」(内戦)は稲田の定義によれば、「戦闘」ではなく、すべからく「衝突」ということになる。内戦はすべて衝突?そんな馬鹿な解釈があるか。


◎[参考動画]稲田防衛大臣、「駆けつけ警護」訓練を視察(ANNnews2016年10月24日)

◆戦闘が継続している南スーダンに自衛隊を「派兵」させるという実績

要するに岡部俊哉陸上幕僚長が7月21日の会見で述べた通り、戦闘は継続している。したがってPKO5原則に照らせば自衛隊の派遣は出来ない。しかし、政権は是が非でも「駆けつけ警護」を伴った自衛隊の「派兵」実績を作りたい。どうするか。言葉の定義を曲げてしまうのだ。現状認識の議論では太刀打ちできない。屁理屈で「治安は安定している」と言い張ったところで、奴らも戦闘が継続していることはわかっている。そこで「言葉の定義変え」だ。近年政権の得意とする常套手段だ。

現状が法制や憲法に合致せずとも政策を通したい。その際法律に従うのではなく、言葉の意味を変えてしまうのだ。そうまでして奴らは何を目指しているのか。日本から距離と情報量の少ない南スーダンで。奴らは自衛隊の犠牲者が出ることをまさか期待をしてはいまいな。「国際社会のために、日本の名誉を守り平和に貢献した尊い犠牲」とか「この卑怯な暴力にひるむことなく、日本は引き続き国際社会で責任ある態度を断固として取り続けてゆく、そのためには憲法についての議論も深めなければならない。国民の皆さんの真剣な議論を期待する」などといった、予定稿が安倍の上着の内ポケットには準備されてはいまいか(錯覚か)。

奴らの策謀の本質を射抜く「目」の力が弱い。「目」はどこに行った(本当はどこに行ったのか私は何となく心当たりがあるけれど)。「目」を取り戻せ!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

安倍晋三と朴槿恵。この二人には共通点が多い。最大の相似要素は、ご存知のとおり世襲政治家の末裔であることだ。

安倍は農林大臣などを歴任した安倍晋太郎の息子にして、元首相岸信介の孫にあたる。
朴槿恵は元大領領、朴正煕の娘である。軍事独裁政権で民主運動家を散々弾圧したのが朴正煕であった。

両国の歴史上、朴正煕も岸信介も国民から、決して評価の高い最高権力者ではない。しかし残念かつ不幸なことに、両国は「決して評価の高くない」最高権力者よりも、さらに悪質で劣化の激しいその末裔に、再び大統領、首相の地位を与えてしまっている。

◆朴槿恵は自身の能力不足を露骨に口にしながら任期延長を主張

毎日新聞2016年10月26日

朝日新聞2016年10月24日

そして密儀でも交わしたようにこの二人は最高権力者としての任期延長を主張し始めた。

韓国の大統領任期は韓国憲法により、1期5年までで再選は認められていない。朴槿恵は10月24日「1987年に改正された現行憲法について、「韓国政治は大統領選を実施した翌日から再び次期大統領選が始まる政治体制によって、極端な政争と対決構図が日常になってしまった」と指摘。「(任期5年1期という)大統領単任制で政策の連続性が失われ、持続可能な国政課題の推進と結実が難しく、対外的に一貫した外交政策をとることも困難が大きい」と語った。 ※朝日新聞2016年10月24日 

歴代韓国の大統領で、任期半ばにここまで露骨に自身の能力不足を口にした人物は数少ない。

「大統領選を実施した翌日から再び次期大統領選が始まる政治体制」とはよく言い切ったものである。すべての政治活動は権力闘争の一端だ。しかしその中で最も強い権力を手中に収めている人物が、かような発言を行うのは、韓国の憲法が定める規定に問題があるのではなく、朴槿恵自身の政権運営能力が欠如していることを自白しているに過ぎない。

◆来年3月の党大会で党則改正を正式決定する安倍自民

2014年自民党広報

2012年自民党広報

他方、日本の憲法に首相の任期規定はないが、実質的には衆議院議員の投票により選出されるのが首相であるから、現在の議席数を鑑みれば、残念ながら自民党の総裁任期=首相任期ということになる(勿論政権交代の可能性や自民党分裂の可能性がないわけではないが)。現在自民党の総裁任期は党の規定により「2期6年」(1期3年)と定められているが、8月に安倍はそれを「延長したい」と言い始めた。

当初は党内からも異論があった。岸田外相や石破茂らが疑問や異議を唱えていたが、ついに自民党は10月26日、総裁任期について議論する「党・政治制度改革実行本部」の総会を開き、本部長の高村正彦副総裁が示した現行任期の「連続2期6年」を「連続3期9年」に延長する案を了承した。近く総務会にはかり、来年3月の党大会で党則改正を正式決定する、と発表した。 ※毎日新聞2016年10月26日 

◆状況が大きく異なる日韓首脳「任期延長」
──2021年9月まで安倍政権という日本の悪夢

2015年自民党広報

もっとも二人の目指すもの、「任期延長」は同じでも、その足元の状態は大きく異なる。目出度くも日本は大マスコミが政権批判を行わないので、「暴政の牽引車」安倍の支持率が5割以上もあるけれども、朴槿恵の支持率は10月28日現在18%だ。

相次ぐスキャンダル報道により、国民がその実情を知り得るという点で、日本のマスコミは残念ながら韓国の政権批判機能よりも格段に退行している。朴槿恵が浴びせられるスキャンダルやスクープの数に比すれば、安倍に対しての国内報道機関の批判はなんとか弱く、腰が引けていることであろうか。

そして、朴槿恵の思惑は恐らくは成就しないが、安部の模索する自民党総裁の任期延長は実現するだろう。

仮に安倍がこのまま3期目を全うすればその任期は2021年9月までとなる。悪い冗談、いや悪夢はたいがいにしてくれ。

韓国も日本も少子高齢化、経済状態・財政赤字の悪化、資本の寡占化という同様の問題を擁している。経済規模や人口は日本と異なるけれども中国、朝鮮との関係などより深刻な問題に直面する韓国にはそれでも、大きな変化を望む声が日本よりは大きくある。

2016年自民党広報

大学では学生がストライキに立ち上がり、労組が大規模なゼネストを打ったりしている(こういったニュースも日本ではほぼ報じられない。したがって日本にいるとよほど意欲がなければ隣国の実情もマスコミから知ることはできない)。

18%の支持率という死に体大統領と、是が非でも東京オリンピックを首相で迎えたい、改憲主義、好戦主義首相。不幸な時代には頭脳の貧しい指導者が似つかわしいのか。それとも最悪の時代を迎えるにあたって、この二人を最高権力者の座に導いた有権者こそが指弾されるべきなのであろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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