『NO NUKES voice』第9号〈いのちの闘い〉再稼働・裁判・被曝の最前線!

8月5日の経産省前テント広場

連日最高気温が35度を超える「猛暑日」が続く今年の夏。3・11から5年が経過しても反(脱)原発運動の攻防は絶えることなく続いている。明日29日いよいよ『NO NUKES voice』第9号が発売になる。

◆持久戦を闘う──「経産省前テント広場」からの報告

猛暑に負けない「熱い」メッセージがこれでもか、これでもかと込められている。巻頭グラビアに次いで登場するのは、8月21日午前3時に突如「強制撤去」を余儀なくされた「経産省前テント広場」からの報告だ。

アイリーン・美緒子・スミスさん(グリーン・アクション代表)

三上治さんの「持久戦を闘うテントから」は、「強制撤去」直前に寄稿された。最高裁判決を受け何時「強制執行」があっても不思議ではない状況で、「テント」を守り、闘い続けてきた方々の思想の奥行に触れることが出来る。テントが撤去されても闘いは終わらないことを強く印象づけられる、必読のレポートだ。

◆脱原発のための戦略──アイリーン・スミスさん、菅直人さん、吉岡斉さん

次いで登場するアイリーン・美緒子・スミスさんは水俣病に関わって以来、国内外で広く市民活動を担ってきた。米国スリーマイル島原発事故の後現地に入り、健康状態調査を行ったり、日本の原発についても長年反対運動に取り組んできた。彼女からは意外な視点が提供される。インタビューの表題「毎日の分岐点が勝負」にある通り、決して絶望しない、アイリーンさんの魂の強さを解き明かす鍵が語られる。また反原連と鹿砦社の問題について、第三者の立場から冷静な分析もなされている。

菅直人さん(衆議院議員、元内閣総理大臣)

次いで菅直人元首相が本誌へ2度目の登場だ。6月に行われた菅氏の講演録が、「脱原発の戦いに負けはない せめぎ合いに勝てる市民の力の集結を!」と力強い言葉で報告されている。事故当時の検証をいまだに続ける菅元首相は脱原発に向けた視野を欧州にも広げ、長期的に見れば「脱原発の戦いに負けはない」と断言する。その詳細は本誌で読者諸氏に直接触れて頂きたい。

九州大学教授吉岡斉さんは政府系の調査委員会などを数多く歴任した立場から、構造的にこの国の原子力行政が包含する問題点について俯瞰的なお話を伺うことができた。現時点日本における行政・電力会社を中心とした「原発社会」がどのように成り立っているかを理解するのに格好のテキストだ。

吉岡斉さん(九州大学教授、原子力市民委員会座長)

◆日本で唯一稼働中の原発に運転差し止め判決を出した元裁判官・井戸謙一さん

そして日本で唯一稼働中の原発に運転差し止め判決を出した元裁判官で現在は弁護士である井戸謙一氏の登場だ。井戸氏からは原発問題は当然のことながら「裁判官の日常」や「司法改革」についての見解なども伺うことができた。

定年退官を待たずに弁護士へと転じ、物静かながら社会の矛盾を撃つ井戸弁護士の鋭利さは酷暑の中、心地よい知的清涼剤となろう。

◆福島と被曝の実態を暴くonodekitaさんこと小野俊一医師が本誌に登場!

ネットで絶大な人気を得ている医師小野俊一さんは個性的な発言が爆発。「ウソがどれほどばら撒かれても被曝の事実は変わらない」では、被爆の問題を中心に小野医師の最近の活動も報告される。

元東電社員から医師に転じた稀有な経歴の小野医師。菅元首相や東電の武藤・武黒(事故当時東電フェロー)への人物評価も容赦ない。そしてインタビューの最後は実に衝撃的な言葉で結ばれる。誰もが「そうなるのではないか」と頭をよぎったであろう、あの事態を小野医師は断言する。衝撃の結語も見逃すことはできない。

小野俊一さん(医師、元東電社員)

「原発作業とヤクザたち 手配師たちに聞く山口組分裂後の福島」はこの界隈の取材では定評のある渋谷三七十氏のレポートだ。他の寄稿とやや趣を異にした、しかしながらディープな現実の報告は「ヤクザ=悪」という固定化した観念で原発事故現場は動いてこなかったことを伝えてくれる。

写真家大宮浩平氏の「『原発の来た町』伊方で再稼働に抗する人達」が続く。8月12日に再稼働されてしまった伊方原発は避難計画の杜撰さや、熊本地震以降震源が中央構造線に移動しており、素人目にも「破局を招く」再稼働であることは明らかだ。

大宮氏は7月24日に現地で行われた再稼働反対集会に参加し、現地や全国から駆け付けた多くの人びとと邂逅し多くを学ぶ。大宮氏の真摯な姿が印象的な報告だ。

◆反原連としばき隊の欺瞞──松岡発行人が「みたび反原連に問う」!

さらに板坂剛さんの「三宅洋平に“感じた”」、そして近刊ですっかり『NO NUKES voice』名物となった感のある松岡発行人による「みたび反原連に問う」が続く。

鹿砦社vs反原連を含むしばき隊はもはや周知の事実だが、反原連HPに掲載された鹿砦社に対する名誉棄損書き込み削除に反原連は一向に応じる気配がないことから、またもや「松岡砲」出撃と相成った。願わくば原発同様、反原連の横暴も一刻も早く消えて欲しいものである。

原発事故被害による避難者「私たちそれぞれが考え抜いた選択を尊重し、認めてほしいと訴えます」は原発賠償関西訴訟の原告でもある武石和美さんからの訴えだ。

岩波新書の衝撃作『原発プロパガンダ』著者・本間龍さんの連載では80年代の福島民報を大検証!

全国で原発賠償訴訟の原告は1万人を超えているという。大新聞やテレビはこの深刻な事態をしっかり報道しているだろうか。避難の困難さは避難者の数と同数存在し、どれもが同じではない。私たちもその事を決して忘れてはならないと胸に刻ませてくれる訴えだ。

◆衝撃作『原発プロパガンダ』著者・本間龍さんの好評連載は80年代の福島民報を大検証!

本誌ではおなじみ、元博報堂社員にして、「原発プロパガンダ」(岩波新書)の著者である本間龍さんは「原発プロパガンダとは何か」で福島民報の80年代を解析。

納谷正基さんは「どう考えても今のこの国はおかしいでしょう」とストレートな題で、高校生にラジオで語りかける優しさを備えながらきびしく現状を憂い、病巣にメスを入れる。納谷さんは冷静に怒っている。

引き続き常連の佐藤雅彦さん「うたの広場」。今回は「ヘイ9条」だ。新しい着想の「デモ楽-デモを楽しくするプロジェクト」でも佐藤氏の類い稀なる個性が爆発する。詳細は本誌をご覧頂きたい。

その他全国各地の運動情報も漏らすことなく満載だ。

締切りギリギリまで編集部が奔走し「多様性」確保を心掛けた、本号はこれまでよりもさらに、内容充実をお約束する。
発売は明日29日だ。迷わずお近くの書店へ!

40年以上にわたり伊方原発反対運動を続けて来た「八西連絡協議会」の横断幕(2016年7月24日大宮浩平撮影)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。


◎『NO NUKES voice』第9号・主な内容◎
《グラビア》
〈緊急報告〉最高裁が上告棄却! 経産省前「脱原発」テントひろばを守れ!
福島のすがた──双葉町・2016年夏の景色 飛田晋秀さん(福島在住写真家)
原発のある町と抗いの声たち 現場至上視点(3)大宮浩平さん(写真家)

《報告》持久戦を闘うテントから
三上治さん(経産省前テントひろばスタッフ)
《インタビュー》毎日の「分岐点」が勝負──脱原発への長年の歩み
アイリーン・美緒子・スミスさん(グリーン・アクション代表)
《インタビュー》脱原発の戦いに負けはない せめぎ合いに勝てる市民の力の結集を!
菅直人さん(衆議院議員、元内閣総理大臣)
《インタビュー》復活する原子力推進勢力 この国のかたち
吉岡斉さん(九州大学教授、原子力市民委員会座長)

特集:いのちの闘い―再稼働・裁判・被曝の最前線

《インタビュー》稼働中原発に停止命令を出した唯一の裁判官 弁護士に転身しても大活躍
井戸謙一さん(弁護士)
《インタビュー》帰れない福島──帰還の無理、被曝の有理
飛田晋秀さん(福島在住写真家)
《インタビュー》ウソがどれほどばらまかれても被曝の事実は変わらない
小野俊一さん(医師、元東電社員)
《報告》原発作業とヤクザたち──手配師たちに聞く山口組分裂後の福島
渋谷三七十さん(ライター)
《報告》「原発の来た町」伊方で再稼働に抗する人たち──現場至上視点撮影後記
大宮浩平さん(写真家)
《報告》三宅洋平に〝感じた〟──参院選断想
板坂剛さん(作家・舞踊家)
《報告》みたび反原連に問う!
松岡利康(本誌発行人)
《報告》私たちそれぞれが考え抜いた選択を尊重し、認めてほしいと訴えます
武石和美さん(原発避難者)
《報告》原発プロパガンダとは何か?(第7回) プロパガンダ発展期としての八〇年代と福島民報
本間龍さん(元博報堂社員、作家)
《報告》反原発に向けた想いを次世代に継いでいきたい(8)
どう考えても、今のこの国はおかしいでしょう?
納谷正基さん(『高校生進路情報番組ラジオ・キャンパス』パーソナリティ)
《報告》原発映画のマスターピース 『一〇〇〇〇〇年後の安全』と『希望の国』
小林俊之さん(ジャーナリスト)
《提案》うたの広場 「ヘイ! 九条」
佐藤雅彦さん(翻訳家)
《提案》デモ楽――デモを楽しくするプロジェクト
佐藤雅彦さん(ジャーナリスト)
《報告》再稼働阻止全国ネットワーク 
原発再稼働を遅らせてきた世論と原発反対運動五年余 
熊本大地震の脅威+中央構造線が動いた+南海トラフ地震も心配

  『NO NUKES voice』第9号 8月29日発売! 特集〈いのちの闘い〉再稼働・裁判・被曝の最前線

京大バリストと「無期限停学」処分を考える《2》 熊野寮という特別空間

400名を超える学生が暮らす自治寮「熊野寮」には「自由」の空気が流れている。これだけの大所帯なので運営も一筋縄ではいかないだろう。社会や政治に強い興味のある学生も、そうでない学生も暮らす空間は、学生「自治」の最後の砦かも知れない。議論の中で私は「法政大学が監獄大学になるのに10年も要さなかった。京大は確実に権力からタ―ゲットにされていると思う。このまま行けば5年後この場所はないかも知れません」と懸念を述べた。この意見にはKさんも同意され、戦後経験したことの無い、弾圧と反動が今起こっていることについての認識で一致した。

 

議論は終息をみそうになかったが、頃合いを見て気を利かせた卒業生が缶ビールを差し入れしてくれた。熊野寮食堂に冷房はない。当日も扇風機が回っていたが滲み出る汗を抑えるまでの効果はなかったのでビールには助かった。懇談会はあらたまった「閉会」を宣言することなく「もう帰らんと家に着かれへんから」、「明日試験なので勉強して来ます」といって一人抜け二人抜け、また知り合いの顔を見つけた学生が、他の席に移動して行ったりで流れ解散となった。

この日驚いたのはKさんが実に多くの学生を良く知っており、またKさんも学生から認知されていることだった。ビールを数本開けた頃Kさんは「どうですか、この雰囲気は」と私に尋ねた。「いいですね。昔を思い出して懐かしいです」と私が答えると、Kさんは「ここにいた時代は、私の人生にとって何物にも代えがたいんですよ。ここで出会った友人たちが結局人生の中で最も重要な友人となりました」と隠し立てせず思いを語って下さった。

私はよくその気持ちが理解できるような気がした。ここで誤解を招かないように、Kさんの人となりについて若干触れておく必要があるだろう。Kさんは大学卒業後いくつかの企業で先端技術の関連業務に従事していた(現役時代は世界中を飛び回り先端技術者として世界にその名を知られていた)。定年後も独自でコンサルタント業をいとなんでいる。クライアントには海外の企業も多いそうだ。つまり彼は一般的な意味で「社会的に成功した」人物であり、仕事も趣味もない単なる「懐古主義者」とは全く異なる人物であることを強調しておく必要があろう(現役時代の収入は相当なものだったと想像される)。

そのKさんから思いを綴った下記の文章を頂いた。

京大正門には同学会やサークルの立て看板に混じって、ノンセクトの学生が出したと思われる立て看板が有った。「封鎖はオカシイ、でも停学処分はもっとオカシイ、学生に窓口がないなら実力行動は1つの手段だ」とありました。

1970年全共闘運動の終焉の年に京大に入った私にとっては、とうとう来るべきものが来たかであった。文部官僚がじわじわと大学を追い詰め、とうとう本丸に手を出してきました。広範な市民的活動が求められていると思います。

この事件に関しては既に京大当局は同学会を告訴して 関与した中核派が6名逮捕されたが、検察は3月に不起訴にしています。

詩人であり事業家でもあった故堤清二さんは戦後すぐの学生時代に共産党員になり分裂を経験したり、ご尊父との確執があったりして非常に懐の深い人でした。彼が社会思想関連の対談中で「やはり関西では 京大の存在が大きい」なる旨の発言をしています。

戦前京大は河上肇をなどのファシズムに抵抗した多くの知識人、社会主義者を輩出した。大学の自治を守ろうとした滝川事件は有名です。戦後では天皇事件をはじめ、以降綿々と継続しているリベラルの伝統は周知のことです。反原発の原子力研究者が無傷でいられたのも京大らしいといえます。その京大でおおきな反動が起こってきている、全容に迫ろう。

40年以上も前だが京大教養部で学生運動の片隅にいた。当時は三派全学連や全共闘の「実力闘争」は衰えてはいたが、京大では学生運動はそれなりに存在感を示していて、構内はそれぞれの革命を主張する人達でが入り乱れていた。日本共産党と新左翼系は鋭く対立していたが、まもなくその中で中核─革マル─青解の三つ巴の内ゲバが始まった。彼らとは少しはなれて、京大ではブント系が教養部と各学部でゆるくまとまり反帝国主義の旗の元、同学会を日共から奪還したりしてきた。全共闘の崩壊、連合赤軍の破綻、米中友好、などを経て、運動方針をめぐる本質的な亀裂が進行して深刻な事態になってきた。

そんな中で理不尽な暴力を受けたことはあったが、幸運なことに自身が相手の物理的な打撃を目的としたテロに手を染めることはなかった。自分史を語るのが本稿の目的ではないのだが、近年の学生運動を述べるための今の学生と環境を少し比較しよう。

◇経済生活
学費 1970年=12,000円/年 → 2005年=535,800円/年  35年で44.7倍。
この間に、給与5.0倍、白米12.6倍 学費に関してとんでもない値上げが継続してきたことは間違いない。給与との実感では学費は約10倍になっているはずだ。

当時家から定期的な送金がなかった私は自主管理寮にはいり生活費を抑えながらアルバイトを繰り返して何とか食べていた。さすがに学生運動家には無理だろうが、アルバイトだけで郷里へ送金していた人も寮には居たそうだ。文系であれば可能だっただろう。70年代初頭くらいまではこのように社会的な流動性が担保されていたと言えるのではないか。家の経済状況が相当悪い人でも国立大学にそれなりに入っていたことが解る。

現在の学費、入学金、下宿代などを考えると国立大でも入学時に約百万円かかることになる。京大以外ではほとんどの自主管理寮がなくなっているのだから、今大学進学志望者と、その家族は経済的に追い詰められていると思う。まるで新しい封建制が確立しているようだ。

 

◇学生生活
半世紀前との決定的な違いは その余裕のなさだ。当時は文系の学生などは、学生運動やサークル運動に参加しなければそれこそ 「デッカンショ」の世界で、一日中好きな勉強や読書にいそしむことができた。いまやどの講義も出席が単位習得と連動して厳しく管理されている。また英語教育を強化するとして、自習型のコンピューターシステムが導入されて課外での負担も増えているようだ。総じて今京大生はむやみに拘束されて疲れはてて不活発になっている。 (つづく)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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京大バリストと「無期限停学」処分を考える《1》

 

昨年10月27日、京都大学でバリスト(バリケードストライキ)が京都大学同学会(大学自治会に相当するが、京大当局は現同学会を公認していない)によって行われた。バリストは1つの学舎を午前中だけ封鎖し、その後当局職員や、バリストに反対する学生たちにより解除された。京大当局は威力業務妨害で京大生を含む6名に対しての被害届を警察に出し、6名は逮捕拘留された(6名とも不起訴)。京都大学が警察権力を利用するのは1958年以来だという。

「自由」の学風が全国に知れ渡っている京大だが、「ついに21世紀型安倍ファシズムとの並走を隠すことなく露骨に表出し始めた」と関係者は深い懸念を示している。そんな中、京大当局は、4学生の無期停学処分を発表した。

過日京大の熊野寮でOBを含めてこの問題についての私的な議論の場が持たれ、私も参加を認められたので取材に赴いた。

熊野寮で行われた懇談会には熊野寮出身で既に還暦を超えた卒業生Kさんをはじめ、1952年生まれの京大OBで俸給生活をへて自由人となり、再び京大に入学した外見上は「学生」のイメージとはやや異なる現役学生のLさん他、今回「無期停学」の処分を受けた学生や数名の現役学生が集まった。また卒業後間もない若者たちも参加した。

Kさんが司会役となり進んだ議論の中で京大に再入学したLさんは「京大当局1958年以来の半世紀ぶりの学生運動に対する処分を決行した。私は大学の自治と学問の自由への重大な侵害である今回の処分に反対します。7月14日京都大学は総長名で昨秋同学会が行った反戦バリストの処分を発表した。参加した同学会役員4名の無期停学処分であり、学内への立ち入りを禁止する厳しい内容だ」と京大当局の姿勢を厳しく批判した。70年代の京大を知っているLさんにすれば目前の弾圧には、言い知れぬ隔世の感を超える危機感を抱いていることが伝わった。

Kさんは司会に徹するだけでなく、「無期限停学」の被処分者となった同学会の学生とも活発に討論していた。Kさんはバリストに反対の立場ではなかったようだが、その戦術や総括についてはKさんなりの思いも強かったようで、被処分学生との間では闊達な議論が行われた。

 

一方バリストに対する学生の評価は、必ずしも高い物ではない、という側面も明らかになった。熊野寮で暮らす学生は、「ストをすることは同学会から聞いていたが あのようなものとは思わなかった。正直おかしいと思う」と語った。「あのような」とは外人部隊(他大学からのスト参加者)が多く、中核派が影響力を持っている大学の旗が並んだことと、事前に通知なしで封鎖と授業妨害が行われたことを言う。中核派の活動のように見えたことだろう。(同学会はストライキで安倍―山極体制と戦うとは通知していた)。これに対して「無期停学」被処分者の回答は、事前にストの全容を公開すると弾圧されるので 其の時期、詳細内容は発表できなかったと釈明したが違和感を述べた学生に納得されてはいないようだった。また「反戦のためにバリストをする意味が解らない」との疑問もあった。

この問かけに対してKさんは「同学会は学生の疑問に向き合う必要がある。反戦と現在学生がおかれている状況の関連を丁寧で精緻な論理で説明して、その意味を理解してもらわなければならないのだろう」と同学会の今後を見据えたアドバイスを表明し、それについて「無期停学」被処分者は納得していた様子だった。(つづく)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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デジ鹿再開2周年! 一日一本〈タブーなき言論〉をこれからも!

ご愛読いただいている「デジタル鹿砦社通信」は2012年1月1日に産声を上げた。それに先立つ2011年12月29日の事前告知には、
「鹿砦社にとって2011年は、社長・松岡利康、『紙の爆弾』編集長・中川志大に対する、刑事告訴の不起訴処分が確定、壊滅的打撃を被った6年前の「名誉毀損」逮捕事件での松岡の執行猶予も終結、昨年にも増して増収増益を果たし、不死鳥のように蘇った年でありました。
 出版不況が深まるばかりの昨今でありますが、小手先のことで、乗り越えられるものではありません。時には体も張る気構えで、〈スキャンダリズム〉の立場から〈タブーなき言論〉を発信するという姿勢を堅持してきたからこそ、鹿砦社の今はあるのです。
 3.11東日本大震災、原発事故という、天変地異と人災が起こり、多くの人々が己の行く道を探しながら、呻吟しています。この試練に、言論のあり方は容赦なく問われてくるでしょう。
 そのような根本に立ちながら、デジタル鹿砦社通信は、大きなネタから小さなネタまで、堅い話題から柔らかい話題まで、毎日お届けします。
 2012年1月1日に正式オープンいたします。
 ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします」
 と意気込みが紹介されている。 

2012年1月から2014年7月まで「第一期」の「デジタル鹿砦社通信」をお届けしてきたが、諸般の理由でライターと編集長を一新し、2014年8月18日、つまり2年前の今日から「第二期」というべき体制で「デジタル鹿砦社通信」は再スタートを切る。

2年前の今日のコラムを担当させていただいたのは不肖私で、その日の題は「橋下大阪行政は『美味しんぼ』への恫喝『抗議文』を撤回せよ!」であった。福島第一原発事故から2年が経過していた当時、大阪の市長は橋下徹で鹿砦社は反・脱原発に特化した季刊誌『NO NUKES voice』の発刊直前だった。お蔭様でこの2年間鹿砦社は元気で、『NO NUKES voice』も徐々に存在感を高めつつある。

そして「第二期」に入ってからは、私を除いて非常に優秀ライター陣が集い、他のメディアでは目にすることのできない多彩な情報が提供されてきた。事件モノを丹念に取材し、貴重な報告を続ける片岡健氏。芸能・社会ネタからAVまで幅広いカバーエリアが圧巻のハイセー・ヤスダ氏。裏社会や事件モノ、芸能などどれほどの人脈があるのかとその本性は謎に包まれた伊東北斗氏。「裏社会、事件、政治に精通。自称『ペンのテロリスト』の末筆にして松岡イズム最後の後継者を自認する小林俊之氏。キックボクシングの取材歴32年、ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家までした猛者堀田春樹氏は文章のみならず写真も秀逸だ。

写真家ながら解析鋭い文章にも冴えを見せ、今後の大成が期待される大宮浩平氏は執筆陣の中では最若手のホープだ。9・11同時多発テロ事件をきっかけにパレスチナ問題の取材を開始。第二次インティファーダ以降、当地で起こった非暴力直接行動を取材。以降、反戦や脱原発などの市民運動を中心に取材を続け、本コラムでは原発問題を中心とした投稿が多い白田夏彦氏。著者不祥ながら、毎回「ここまでやるか!」とその圧倒的なボリュームと、パロディーの超大作を提供してくれる「屁世滑稽新聞」(毎回力作ばかりなので最近お目にかかれないのが寂しい)。そして芸能界の裏情報と言えば星野陽平氏の名前を忘れるわけにはいかない。やさしい文体ながら、ピリッと批評が効いた伊東太郎氏の更なる活躍も期待される。原発広告問題を専ら追求する渋谷三七十氏の存在も心強い。佐野宇氏は常に硬派な問題提起を行う。

かように、芸能・事件・社会問題・原発からキックボクシングまで。よくまあこれだけ好き勝手書けるメディアがあるものだ、と我がことながら感心する。しかしそれはたまたまの偶然ではなく、冒頭紹介した告知の中で「時には体も張る気構えで、〈スキャンダリズム〉の立場から〈タブーなき言論〉を発信するという姿勢を堅持してきたからこそ、鹿砦社の今はあるのです」と2011年の「戦闘宣言」が示す精神を継承してきたからに他ならない。

他のライターはいざ知らず、私が本コラムを担当させて頂くに当たり、松岡社長からは、特段のリクエストはなかったが、唯一「顰蹙を買う記事を書くように」というアドバイスがあった。ぶったまげたが、気がつくと私のコラムは、足りない知識や経験をかき集め、精一杯考えた末に書いているつもりなのに、読み返せばどれも「顰蹙を買う」記事ばかりだと気がつき、複雑な気分に支配されている。

鹿砦社は芸能から社会科学・人文科学まで幅広い書籍を世に出しているが、そのスピンオフである「デジタル鹿砦社通信」は今後も多様な個性と、「タブーなき言論」、幅広い話題を提供し続けて行きたいと考える。

わずか2年の間に日本社会は随分急激に変化した。何がどのように変化しているかをしっかり見定め、しかしながら変化の内容を熟知しても、不要な変化に流されることなく、抗うべき荷は抗う。吹けば飛ぶような小さなコラムではあるが、腰の据わった言論活動を続けてゆきたい。今後もより一層「デジタル鹿砦社通信」をよろしくお願いいたします。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

 衝撃出版!『ヘイトと暴力の連鎖』!
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 タブーなきスキャンダル・マガジン『紙の爆弾』!

8月15日──天皇に頼る国などその余命は知れている

少々長くなるが辺見庸が最近自身のブログに掲載した文章を全文引用する。

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汝アホ臣民ニ告ク

忠良ナル汝アホ臣民ニ告ク!

慶べ、國軆はけふ、めでたく護持せられたぞ。父、第124代天皇の罪咎はチャラになったぞ。ウルトラ極右政権はいっそう強化せられたぞ。政権支持率はまたアップしたぞ。防衛大臣もやる気マンマンだぞ。共産党も天皇制を支持しておるぞ。バカマスコミは挙げて國軆の精髄と美質を宣伝しまくり、皇室をとことん賛美しておるぞ。野党共闘はハナからインチキだぞ。ボケのトリゴエで勝てるわきゃない。そんなこたあ、みんな先刻承知だったぞ。ヌッポンゼンコクみんなイカサマだぞ。

オキモチなのだ。オキモチとオコトバだぜよ。オキモチって、どう書くか知ってるか。「お肝血」である。戦火でうしなわれたおびただしい「お肝血」を、10分間のオキモチ表明で無化してやったぞ。ざまあみろ!このうえは、誓って國軆の精華を発揚し、世界の進運におくれざらんことを期すべし。汝臣民、それよく朕が意を体せよ。ヌッポン、チャチャチャ。さあ、貧乏人はもっと飢えなさい。重度障がい者はもっとおびえなさい。在日コリアンも毎日ふるえなさい。忠良ナル汝アホ・ヌッポン臣民ドモニ告ク。おまえらは最低のクズ、カス、クソッタレだぜ。御名御璽
(2016/08/08)

忠良なる汝アホ臣民ニ告ク!(二白)

朕のオ・キ・モ・チ発表の真意がドアホどもにバレずによかったぜよ。朕のオキモチは「生前退(譲)位」のみにあらず。ましてや「生前廃位」などに毫もあらざるは、いまさら言ふまでもなひ。汝アホならびにボケ臣民よ、そしてド貧民どもよ、全文をしかと読んだのか。ポイントは「日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています」にあるのである。朕らはもはや象徴ではなひのだ。

朕と、戦争犯罪追及からあの手この手で必死こいてのがれた、父をふくむ皇祖皇宗はすでにして「いきいきとして社会(または、汝アホ臣民の胸中)に内在し」ておるのだ。かく、いけしゃあしゃあと宣わることのマジヤバい意味あいをしっかりと書きえた新聞がどこにあるか?一紙もないやろ。つまりやね、朕はぜったいの自信をもっておるのじゃ。どや、口腔部だか肛門部だかさえ判然としない顔の、あの独裁首相は「いきいきとして社会に内在し」てるか、どや?あの男は、ときいたれば打倒されるが、朕らは未来永劫、無公害・無添加・オーガニックのタダ飯食らって万世一系を全うするのである。

換言すれば、「いきいきとして社会に内在し」ている朕たちは、現行の極右政権よりも、共産党をはじめとするアホンダラ翼賛野党勢力よりも、はるかにはるかに〈勁く根深き虚構〉であるがゆえに、ここにめでたく國軆を護持しえて、バカでやみくもに忠良なる汝臣民の赤誠に信倚し、柄谷行人をしていたく「感銘」せしめ(失笑)、永遠に汝らボケナス臣民とともにある、すなわち、「天皇制は不滅だぜよ」と、このたびのオキモチをつうじて宣言したわけや。これすなはち、朕による朕らのための、堂々たる憲法違反なのだ。わかったか、ボケども!

貧しき下々は永久に貧しく、卑賤なる下々は永遠に卑賤に!これが皇祖皇宗からの天皇制のモットーである。だいいち、日々にひりだすウンコの質が汝らド貧民どもとはちがう。汝ら忠良にして貧しき臣民のクソは、マックとカップ麺ばっか食ってるから、もはや有機肥料にもつかへなひ。野菜は枯れるし、虫も死ぬ。汝ら忠良にしてド貧乏なる臣民は、文字どおり「生まれることは屁と同じ」(深沢七郎)なのである。朕、しかしながら、今後ともやさしくよりそってやるさかい、忠良なる柄谷のごとくに「有り難く」(爆笑)おもへ。御名御璽
(2016/08/09)

忠良ナル汝アホ臣民ニ告ク!(補記)

このたびのオキモチ発表は、たんなる偶然にせよ、相模原の障がい者殺傷とあい前後して生じた底昏い「事件」だとおもう。両者にはいかなる関係もないと言えば言えるけれども、殺傷事件の血煙ごしにオキモチを聞き、あるいはオキモチ発表の茫とした不気味さから重度障がい者の殺傷事件を想ってしまうのは、どうにもいたしかたのないことだ。象徴と言われようが天皇制は天皇制なのであり、〈かれらの血〉とわれらとの関係/無関係性をふりかえるとき、あるしゅの怖気と戦きをともなうのはなぜか。

障がい者の施設はいつも〈かれら〉の居住区から遠ざけられた。昭和天皇が各地を「巡幸」したとき、ヒノマルをうちふる子どもたちの前列には、きまって「健康および体格優良」なる児童がたたされた。現在の天皇の旅でも、当局は事前に、精神障がい者や認知症患者らを外出させないよう沿道の地域に直接間接、工作しているといわれる。スメラギにまつわることどもの湿った「襞」には、不可解な精神がうめこまれ、それじたい、しずやかに狂(たぶ)る 波動である。

このクニのゼノフォビア(xenophobia)は、おしなべて、こよなくスメラギを愛する。異様なほどに。スメラギはオキモチ発表にさいし、なぜそのことに言及しなかったのか。〈朝鮮人は死ね、朝鮮人は息するな〉――などと、だんじて言ってはならぬ、皇祖皇宗は半島よりきたやもしれないのだからと。スメラギが「いきいきとして社会に内在し」ているとは、どういうことか。みずから「内在」を言うとは、スメラギよ、とてもおかしい。

スメラギさんよ、あなたは虚構なのだ。虚構にすぎないのだ。卑怯で卑小な、ずるがしこい権力者たちがこしらえた、哀れなフィクションなのだ。そのようなものとして仮構された〈存在〉兼〈非在〉なのだ。われらとおなじ、そして奇しくも、障害者殺傷事件の青年と同様の、霊長目・直鼻猿亜目・真猿亜目・狭鼻下目・ヒト上科・ヒト科・ヒト亜科・ヒト族・ヒト亜族・ヒト属・ヒトであるにもかかわらず、虚構たることを強要されたひとなのだ。

であるなら、オキモチはやはり「お肝血」であるべきであり、スメラギはいつの日かついに、ヒトとして解放されなければならない。したがって「お肝血」発表では、退位ではなく廃位の希望を、すなわち、天皇制廃止の意向を言うべきであった。逆であった。スメラギはスメラギになりきり、権力者の思惑どおり、虚構を現実ととりちがえていた。ヒトであるならば、極右大臣たちへの認証式を欠席すればよかったのだ。「お肝血」とはそういうことだ。

さて、障害者殺傷事件の青年も、スメラギを敬愛していたのではないか。

(以上、辺見庸ブログ「私事片々」より引用)

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私は現天皇(82歳)の公務は年齢に比して過重であると思う。「もう勘弁してくれ」との気持ちはわかる。しかし、全くそういった個人的な同情と異なり、日本国憲法で定められた「天皇」の地位は不可避に差別を生み出す根源だと考える。生まれながらにして「○○様」と呼ばれる人間がいるからには、生まれながら、言葉に出すか出さないかをおいて「あの子ね……」と蔑まれる子供が必ず対として存在するのだ。つまり差別の根源なのだ。

であるから、私は憲法9条絶対死守派でありながら、天皇制を排すべきだと言う立場である。

天皇が語った言葉には表面上、大きな話題にあることはなかった。しかし「天皇」だからNHKのある時間を独占し語ることを許されたのだ。現天皇アキヒトは、その父でありアジアの殺人鬼であった「ヒロヒト」に比すれば、比較にならぬ平和主義者とされている。しかし出生によりその地位、しかも「国民統合の象徴」という、極めてあいまいな根拠に根差す「天皇制」の継続をアキヒトが表明したことを、見逃してはならない。

辺見庸「1★9★3★7(イクミナ)」(河出書房新社2016年3月増補版)

辺見のエッセーを全文引用しなければならなかった理由はここにある。私たちのような主張をするものはこの国で極僅かだろう。遠くない将来「非国民」と公然と罵られるだろう。私は辺見が言うように「退位ではなく廃位の希望を、すなわち、天皇制廃止の意向を言うべきであった」との見解には首を傾げる。

何故ならば、天皇の廃位こそがこの国の国民の根底から喚起され、絶対に譲れない一大変革となる日(おそらくそのような日を希望するのが寒々しい『妄想』と言われても仕方あるまいが)への希望を捨ててはならないと感じるからだ。辺見は罵詈雑言の中でアキヒトに「優しい」気持ちを持ってはいまいか。

言葉厳しく天皇を批判する辺見自身が、実は現天皇に投げかける言葉ほどに悪意を抱いてはいないことを私は熟知している。辺見は現天皇の言葉を聞き、実はさして驚かず、むしろ自分自身の中に「巣食う」天皇制をはぎ取ろうと、もがいたのではないだろうか。たぶんそうだ。その辺りの事情は「1★9★3★7(イクミナ)」(河出書房新社2016年3月増補版)に詳しい。この本は読まれるべきだ。

2016年8月15日。国民は言葉を失っている。天皇に頼る国などその余命は知れている。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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日常の中に仕掛けられた地雷──「旅する大日本帝国」の薄気味悪さ

予兆の無い天変地異を避けることは出来ない。でも自然災害ですら、事後にはその発生のメカニズムや原因についての「憶測」が専門家によってまことしやかに語られる。曰く「この気圧配置で平地では竜巻が起こりやすいんです」「この地震はプレート型ではなく極めて浅い断層が動いた。その真上であったため震度が大きくなったのだと思われます」などなど。

◆個人とマスメディア間の不健全な条件反射

自然現象の専門家ではない一般人は「ああそうなのか」と自分が解っているのかどうか、それすら理解できない「識者談話」を聞いたり、目にすることで、その解説がどれほど不確であるか、あるいは語られた内容が空疎であるかに関わらず、一応の「納得」を示すという個人とマスメディア間の不健全な条件反射が出来上がっている。

自然災害が発生すると間をおかずにそのメカニズムや原因、さらには被害状況を知りたくなり身近なマスメディアにアクセスする行為はもはや、人間の反射と決めつけてよいほどに固定化している。

◆「歴史」についての感性や視点は多様である

さて、自然災害とは異なり、人間社会が刻んでいた「歴史」についての感性や視点は多様である。公教育では(世界中どの国でも程度の違いはあれ)その国の「勝者」から眺めた歴史しか教示されることはない。数百年前に民衆が画策した政権打倒の試みや、権力者に対する異議申し立ての実力闘争などは、それが現在の社会に地下水脈として続いていようがいまいが公教育からは、「邪史」として排除される運命にある。

逆に一度は途絶え、敗北したかに見えながら、我慢強く復権の日を虎視眈々と狙っている連中の存在感は増すばかりだ。かつて「覇権」を手にした勢力が表舞台に再登場しようと鼻息を荒くしている様子は、少し斜めから社会を眺めれば毎日、そこここにその証左を見つけることが出来る。

◆京都新聞連載コラム「旅する大日本帝国」という名称の薄気味悪さ

ここに紹介する写真は京都新聞の「地域プラス」欄に週2回ほど連載されている「旅する大日本帝国」というコラムだ。文末に「ラップナウ・コレクション(絵はがきより)」とあることから当時の絵葉書を紹介しながら「大日本帝国」時代に起きた出来事を紹介するのが京都新聞の趣旨だと想像される。

これだ。このコラム名称に私は薄気味悪さを直感した。

注視すべきは一見何の悪意も纏わない振る舞いを装ったこのコラムの題名だ。無謀な戦争に突入していったあの時代が「絵葉書」を読み返すといった、ある種無垢で微笑ましくさえある回顧作業の様に紹介される禍々しさ。これこそが2016年現在の日々を蝕んでいる「かつての勝者」が復権を目指して画策する謀略の一例だと感じるのは私の錯覚だろうか。

無謀な戦争に突入して行き、例えようもない惨劇を招いた「連中」は敗戦後も無傷だった。一部の指導者が戦犯として処刑された以外には、軍国主義指導者の大半、軍需で大儲けした財閥、そして関東大震災の際に「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」との流言飛語に多数の朝鮮人を虐殺した市民たちもついぞ反省することはなかった。「大日本帝国」の大元帥にして現人神であった天皇ヒロヒトの罪が全く問われることなく、急に「神」から「人間宣言」を行い「象徴」として自然死を遂げたことが、この欺瞞に満ちた歴史の全てを総括する。

このコラムの題名とそこで紹介されている記事を目にして、特段何も感じないか、「なぜ今、『旅する明治・大正』ではなくこのコラムの題は『旅する大日本帝国』なのか」との捻くれた疑問を持たなければならないところにまで時代の病が進行している。いつかは来るだろう、私の生きているうちだろうか、死んでからだろうかと案じていた時代は既に始まってしまった。

京都新聞の「旅する大日本帝国」7月27日は「大正と大震災編19避難列車」だ。コラムでは、
「関東大震災は一瞬にして首都圏の姿を変えた。上下水道、電気、ガス、道路、橋、堤防などあらゆる都市機能が壊滅的な打撃を受け、東海道、横須賀、中央、東北、山手、総武など鉄道各線にも影響が出た。しかし、比較的早く応急処置を完了し、運転を再開する路線もあり乗車が可能となった駅では、焼け野原から逃れようと大勢の避難民が押し寄せた(後略)」。

引き続き7月28日は「大正と大震災編20火災旋風の脅威」で、
「関東大震災で最大の犠牲者を出した地として、東京市本所区横網町の陸軍本所被覆廠跡が有名だ。約3万8千人が亡くなり、東京全体の死者約7万の半数以上を占めた(後略)」(写真参照)

「旅する大日本帝国」は絵はがきを題材に時代を振り返っているから、この解説文は京都新聞の記者がどこかで調べて書いたものだろう。

歴史を振り返る方法には多彩な手法や視点があろう。個人が幕末の歴史にのめり込んだり、戦国武将の虜になったりするのは全くの自由であるし、また別の人間が「正史」で描かれることがほとんどない「叛史」に入れ込むのも自由だ。

京都新聞は「旅する大日本帝国」で読者にある強制を強いている。それは明治以降(おそらくは敗戦までの時代を)「大日本帝国」の視点から振り返ることを容認することを読者に押し付けているからだ。

このコラムで、これまであからさまな皇国史観が登場したことはない。しかしあくまでも時代を振り返る題材と視点は「大日本帝国」のそれに限定される。繰り返すが歴史の実証的紹介であればなぜ「旅する明治・大正」であっては不具合であったのか。どうして「旅する大日本帝国」でなければならならなかったのか。その回答は読者諸氏の日常のそこここに地雷のように敷設されている。その数はポケモンの数の比ではないだろう。

◎[参考]京都新聞の関連旧連載記事「絵はがきに見る大日本帝国」

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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原爆投下71年──絶望の8・6ヒロシマと8・9ナガサキ

2016年8月6日を迎え、私にはまたしても多くの人びとと共有できないだろう、強い怒りと絶望に支配された。8月6日を迎えるにあたり今年は是非ともなされるべき検証があった。5月27日に広島を訪れたバラク・オバマ米国大統領の行動と、そこで発せられたメッセージだ。

就任直後、オバマは「ノーベル平和賞」を授与される。何の実績もないのに「平和賞」が授けられたオバマは「ノーベル平和賞」初の「先物取引オプション」の対象となった。しかしオバマの受賞式での長ったらしいスピーチの中では、

米中枢同時テロの後、世界は米国のもとに集い、アフガニスタンでの私たちの取り組みを支援し続けている。無分別な攻撃を恐れ、自衛の原則を認識したからだ。同じように、(イラク大統領だった)サダム・フセインがクウェートに侵攻したとき、世界は彼と対決しなければならないことを悟った。それは世界の総意であり、正当な理由のない攻撃をすればどうなるか、万人に向けた明確なメッセージとなった」(注:太文字は筆者)

と、「平和賞受賞スピーチで」戦争を行う言い訳を並べるという、前代未明の「好戦的演説」を行い、会場はスピーチ終了後、授賞式の会場は、つかの間静まり返った。

黒人であるオバマが米国大統領に就任したことを、確かに世界は驚きを持って受け止めた。わずか半世紀と少し前の時代には、黒人と白人の同席すらが許されなかった国で、被抑圧者の黒人から最高指導者が出るのは、米国の歴史が200年余りと比較的短く、良くも悪くも表面上の「変化」(決して本質的な変化ではない)には柔軟に対処できる素地を持っているからだろう。その事は「トランプ」という共和党大統領候補を生み出すのと同根の現象である。

そのオバマ。ノーベル平和賞先物取引オプションで最高のレバレッジが付与された「米国大統領」が5月27日広島を訪問した。平和記念資料館を10分ほど「視察」(通常入館者は館内が混雑していなくとも主要部分を見学するのに最低30分は要する)した後、献花をして、17分に及ぶ「演説」を行った。

ここに17分間の演説を引用するのは読者に退屈を強いることになるので、それは控える。ただ、オバマの演説には「原爆投下の責任」、「原爆投下への謝罪」、「被爆者の苦痛への言及」などは一切なかった。修辞に長けたスピーチライターによって用意された、ボーとして聞いていると、なんだか格調高そうに聞こえて、具体的には何も語らない(その点米国のスピーチライターの腕前は安倍のスピーチライターより数段上だ)17分の演説の感想を私なりに一言でまとめれば、「オバマ、いい加減にしろ」だ。

「反省や謝罪の意は要らないから、とにかく広島に来て!」という何のことやらさっぱりわからない「オバマを広島へ」機運は数年前から散見された。そして彼らの望み通り「一切反省や謝罪を述べない」オバマがやって来た。まず驚いたのは平和記念資料館をたった10分で「掛け抜けた」ことだ。最低でも30分と先に書いたが、多くの外国人観光客は通常1時間以上を見学に費やす。

さらに、私にとっては青天の霹靂の図が展開された。「原爆投下を全く反省しない米国大統領」に被爆者の代表が抱かれたのだ。「加害・被害」、「犯罪・贖罪」、「虐殺・そ殺された者」、これらの言葉の意味はこれでもか、これでもかとねじ曲げられ、「贖罪を行っていない加害者に永遠の被害者が抱かれるの図」が何やら、世紀の美談のように新聞紙面を飾った。加害者と被害者の対話無き「似非和解」。この姿は被爆者が永遠に救済されないことを言外に宣言したおぞましい光景だ。

そしてあろうことか8月6日松井一実広島市長は「ヒロシマ平和宣言」の中で、オバマの広島における演説を引用した。

「今年5月、原爆投下国の現役大統領として初めて広島を訪問したオバマ大統領は、『私自身の国と同様、核を保有する国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器を持たない勇気を持たなければならない』と訴えました。それは、被爆者の『こんな思いを他の誰にもさせてはならない』という心からの叫びを受け止め、今なお存在し続ける核兵器の廃絶に立ち向かう『情熱』を、米国をはじめ世界の人びとに示すものでした。そして、あの『絶対悪』を許さないという思いがオバマ大統領に届いたことの証しでした」

同じニュースを伝える誌面には広島大学名誉教授、葉佐井博巳さん(85)のコメントが紹介されている。「日本政府も被爆者団体も原爆投下への謝罪を求めず、オバマ氏が広島に来ただけで、和解したかのような歓迎ムードが醸成されたと感じた。『家族や友人を殺された被爆者の怒りを忘れたのか』違和感があった」

葉佐井氏の感覚こそが自然ではないか。オバマが仮に広島訪問で原爆投下への謝罪を述べたのであれば松井市長もスピーチ引用の価値があっただろう。だが、どこに「加害者」と「被害者」の和解があるというのだ。繰り返すがオバマは一言も謝罪をしていないではないか。「あの『絶対悪』を許さないという思いがオバマ大統領に届いたことの証しでした」と松井市長は語ったが、この文章は、巧妙にねじれていて、実は主語がない。あたかも「原爆死者慰霊碑」に刻まれた「安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しませぬからから」のように。

間違っている。断じて間違っている。反省と謝罪なきオバマの広島訪問への賛美。その光景を美談に仕立てたがるのが米国メディアであれば、まだ腹の内は解らなくもない。しかし、日本のメディアが揃いも揃って、何故このように卑屈になる必要があるのだ。オバマ広島訪問の茶番を美談に仕立てる「被爆都市」広島市長の感性は犯罪的ですらある。本気であの様子を「和解」や「進歩」の象徴と考えているのか。オバマはノーベル平和賞先物取引オプションだ。要するに似非、疑似餌だ。その疑似餌にこうも安々と騙されて、中には涙を流す人までいる。

広島に来たのだから、せめて人目につかないように布をかけるか、それとは解りにくい容器を準備する程度の配慮があってもよさそうな、「核兵器発射装置」である銀色のスーツケースは、いつも通り常にオバマの至近距離にあったじゃないか。オバマの広島訪問は歴史に「2016年5月27日米国大統領バラク・オバマ広島を訪問」を刻まれるだろう。全くその欺瞞を度外視して。原爆被災の日は年々意味が歪められてゆく。

8月9日午前11時02分──。今日の長崎はどうだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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相模原障害者殺傷事件──「新出生前診断」の優生思想が差別をつくる

障害者施設で19名が殺された事件が盛んに報道されている。
私が言及する余地もないので、関連して気になったこのニュースを紹介しておこう。

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妊婦の血液から胎児のダウン症などを調べる新出生前診断を受診した人は、検査開始から三年間で3万615人だったとする集計を、各地の病院でつくる研究チームがまとめた。一年目に8千人弱だった受診者は二年目に1万人を超え、三年目は約1万3千人となり、利用が拡大している実態が明らかになった。染色体異常が確定した妊婦の約九割が中絶を選んだ。
(中略)
染色体異常の疑いがある「陽性」と判定されたのは547人。さらにおなかに針を刺す羊水検査に進んで異常が確定したのは417人で、うち94%に当たる394人が人工妊娠中絶を選択した。陽性とされながら、確定診断で異常がなかった「偽陽性」も41人いた。

集計をまとめた昭和大の関沢明彦教授は「検査に伴うカウンセリングの改善など、成果は病院グループで共有している。臨床研究から一般診療に移行するか、今後の在り方を議論すべき段階に来ている」と話した。新出生前診断は、十分に理解しないまま安易に広がると命の選別につながるという指摘もあり、日本医学会が適切なカウンセリング体制があると認定した施設を選び、臨床研究として実施されている。

 <新出生前診断> 妊娠10週以降の早い時期に、妊婦の血液に含まれるDNA断片を解析し、胎児の3種類の染色体異常を高い精度で調べる検査。ダウン症や心臓疾患などを伴う染色体の異常を判定するが、確定診断には羊水検査が必要となる。2013年4月、日本医学会が認定した15の医療機関で臨床研究として始まった。受診できる人は、出産時に35歳以上となる高齢妊娠で、染色体異常のある子どもの妊娠や出産歴などの条件がある。

◎引用元=新出生前診断3万人超 臨床研究3年 染色体異常で中絶394人(東京新聞2016年7月20日)

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ああ、やっぱりそうなったかと少しばかり落胆した。私は「新出生前診断」が開発され、臨床に移される前から、これはとんでもない「優生思想」の産物で、剥き出しの差別ではないかと危惧していた。また「羊水検査」の歴史はそれよりも古いが、母体や胎児への危険があり、かつ妊婦やそのパートナーに「堕胎」の選択を迫ることになることから、かねてより反対の立場だった。

というのは私自身がある若い夫婦から「妊娠したが羊水検査を受けるべきかどうか」という問いを20年程前に投げかけられたことがあり、その機会に一通り自分なりにこの問題については調べて悩むという契機があったからだ。

羊水検査で発見されるのはダウン症を中心とした染色体異常が中心で、胎児が持っている可能性のある疾病のごく一部に過ぎない。しかもダウン症は致命傷ではなく、世間では「障害者」と呼ばれるがそれぞれの個性により、相当程度の差があるものの、多くの人が社会生活を送っている。

目出度く妊娠はしたものの、胎児が「ダウン症」のお子さんであることが判明すれば母親やパートナーが戸惑うことは無理のないことだろう。でも「個性の差」と言い換えることが可能なダウン症のお子さんが生まれたら「不幸」だと考え、その子の将来のためにか(あるいは親が「手間」や「面倒」を煩わしいと思うからか)胎児のうちに「命を絶つ」という選択には納得できない。というのが当時の私の結論であり、その思いは今日まで維持されている。

「羊水検査」より簡便な「新出生前診断」が2013年に導入されてから3万人以上の妊婦が検査を受けたそうだ。病院にもよるが「新出生前診断」は平均20万円ほどで、羊水検査は15万円ほどの費用を要する。

この検査を受けることが出来るのは「出産時に35歳以上となる高齢妊娠で、染色体異常のある子どもの妊娠や出産歴などの条件」があるとされているが、知り合いの産婦人科医に聞いたところ「現場ではそんな厳格に条件を制限してないよ。35歳以下でも検査を受け付けている病院もあるし」とのことだ。

多くの女性が不妊に悩む中、この3年間に「新出生前診断」が行われた結果として、394人の胎児が人工中絶されている。先日の「衝撃的」な事件の被害者は19人だ。人口中絶された胎児の中には「誤診」であった胎児が含まれる可能性も排除できない(紹介した記事中「陽性とされながら、確定診断で異常がなかった『偽陽性』も四十一人いた」と指摘されている通り、専門家の間でもこの検査の精度については議論がある)。

否、ポイントはそこではない。誤診ではなく、ダウン症として生まれてきたらその子は「不幸」なのだろうか。「不幸」と決めつけているのは本人ではなく、直接には「親」や「社会」ではないのか。

人工中絶全体に私は反対の立場ではない。母体の健康状態や妊娠の原因などによっては選択されることのあり得る対処ではあると思う。しかし、「新出生前診断」を受ける対象とされている妊婦やそのパートナーは、「望まない妊娠」をした人ではなく「望まない障害児」が生まれて来ることを懸念する人達や社会ではないだろうか。

敢えて問題提起をしたい。19名の殺人事件は残虐で凄惨なイメージを提供するが、394人の中絶された「胎児」は法に則り、合法的に「生まれて来ることを許されなかった」のだ。だから社会問題化されはしない。数の問題じゃなんだ。耳触りの悪くない「新出生前診断」などを導入するから検査を受ける妊婦が出て来る。そして結果は「堕胎」じゃないか。

私は「新出生前診断」は不要かつ害悪であると考える。生前からの「障害者」に対する偏見が命を奪う。これ以上の差別があるだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
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揺らぐ感性──個人の自我や自由を侵食・誘導・支配する「同調圧力」社会の脅威

命令されても、懇願されてもそうは簡単に動かないものがある。感性や感覚だ。

絵画を目にする、映画を観る、旅行に出て初めての風景に接する、政治的集まりに参加者の一員となる。各々の場面で「気持ち良く」あるいは「好感」を持つか、逆の感情・感覚に支配されるかは他人に命令や指示・懇願されてもどうなるものでもない。

「好きなモノ」は「好き」なのであり「嫌なモノ」は「嫌い」であることは、少々時間をおいて周辺の理由を探し出せば「論理的」、「客観的」に他者への説明が可能となるが、直感的・反射的に感じる「好感・非好感」は得てして論理の外にある。

だから「これを『綺麗』だと思え」、「このシーンに『感動』しろ」、「この景色は『素晴らしい』と感嘆せよ」と命じられてもそれは無茶な要求だ。さらに「この人間を『好き』になれ」、あるいは「この人間を『嘲笑』え」と言われたってそう感じなければ心は動くものではない。美味と感じない食物を「『旨い』と思え」と言われたって(幼少時の躾は例外として)形成された舌の感覚は簡単には調整が出来ない。それが「個性」だろう。

感性・感覚は、各々の成育歴と、独自に持ち合わせる特質、それに教育や情報が加味され形成されるものだ。この精神構造形成過程を変数に置き換えてみる。成育歴を「X」、独自の特質を「Y」、教育や情報を「Z」と仮定する。「X」×「Y」で個性の原型は形作られる。「X」は多様ではあるが、世代により相当程度の共通因子を包含するので社会的態度を同一化させる要因ともなりうる。「Y」は純粋に各個人が別々に持つ遺伝子情報に基づくものだから多様性を拡大する方向へと働く。

そこに「Z」が加味される。「Z」は「Y」と真逆に社会的態度を同一化させること(順社会的行動)を自然に行うことの出来る人間の育成を目指して情報注入や社会的態度の訓練が行われる。「義務教育」はまさにそれに該当する。

初等教育には(私立学校に進学するあるいは「不登校」になるほかは)「選択」の余地はなく、高等教育進学時にようやく何を学ぶかを選び取ることが出来るようになるが、その年齢に至る頃には教育と情報により、本人がそうと気づかなくともかなりの程度の「人格形成」が進んでいる。

これは全員の画一化が既に進行しているという意味では決してない。しかし人格形成における変数の中で「Z」が占める役割はかなり昔からこの島国では大きな力を持ってきたし、近年さらにその拡大を見せている。「Z」は「Y」を研磨するなり、叩き割るなどして「X」との融合の中で「望ましい社会的態度」だけではなく、個の嗜好領域にまで浸透が進んでいる。

画一化の主犯は教育だけではない。「情報」だって充分に個性を削ぎ落す役割を果たしている。何の防備もなしに降り注がれる情報を浴びていれば「何とはなしに今日の連続で明日が来る」、「10年、20年後も今と似たような生活が続く」かの如き錯覚に陥っても不思議ではない。大手メディアが提供する情報は生活不安を煽る因子を極力排除して、あたかも「経済発展、科学技術進歩の向こうには明るい明日」があるかのような文句をつける気さえ萎えさせるような情報流布に余念がない。

そんなことは真っ赤な嘘だ。10年後、20年後に今よりも安寧で幸多い生活などが成熟する、期待できる要因があれば教えてほしい。拙稿の冒頭で「命令されても、懇願されてもそうは簡単に動かないものがある。感性や感覚だ」と書いた。だが実はそれは今日的には不幸にもアイロニーではないかと感じる。

「嫌でも嫌と言えない」、「皆がそうしているのだから和は乱したくない」程度の同調圧力は今に始まったことではなく、いわばこの国のお家芸ともいえる。今年の干支は猿だが「見ざる、聞かざる、言わざる」という完全に「自我」を捨てることの推奨が格言になるようなお国柄である。

薄意味悪いのは教育や情報の成果によって完成させられた「大人」でさえ徐々に「感性や感覚」を自己抑制する傾向を感じてしまうことにある。上司や権力者だけでなく、ちょっと物言いが強い人の前では二の句が継げない(逆に言えば図々しく態度の大きい人間が幅を利かせる)。そして強い物言いにどこかしら違和感を覚えながらも、結局従ってしまう。服従してしまう。

命令されても、懇願されてもそうは簡単に動かないものがある。感性や感覚だ。だがそれすらが揺るぎだしてはいないだろうか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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三宅洋平と三反園訓──私はなぜ、彼らを信用できないのか?

「高江の住民の気持ちを込めて「okinawa noproblem」capを昭恵さんに預けました。とてもチャーミングな方でした。かつ、こちらの率直な言い分を、胆で受け止める人でした。だから最後は、泣いてました。ココカラ…♪ 」

これは先に参議院選挙東京地方区に出馬し、落選した三宅洋平のツイッターだ。なるほどね、と驚きはしない。3年前の参議院選挙で三宅洋平は緑の党から全国比例で出馬し、落選したが落選者の中では最高の176,970票を得ていた。緑の党ではなく、他の党だったら当選していた可能性はある。

◆三宅洋平と山本太郎の大きな違い

そして、3年前の選挙で三宅洋平と選挙事務所を同じ場所に構えていたのが現参議院議員山本太郎だ。選挙事務所では「太郎さん・洋平君」と二人纏めての広報活動に余念がなかったが、私は当時から山本太郎と三宅洋平は全く異なる政治的方向性の人間だと感じていた。それを証明してくれたのが冒頭ご紹介した三宅洋平と安倍昭恵のやりとりだ。

三宅洋平はアイヌの話し合い文化である「チャランケ」をしばしば口にし、演説では「もう、人と人が殺し合う時代は終わりました!」などとしばしば語っていた。そこが山本太郎と全く正反対だった。山本太郎は、奨学金問題、TPP、改憲の危険性などを正面から追求し「今回あなたが自民党に入れた1票は、赤紙になって帰ってくる」と、夢物語ではなく、実際の危機に正面から斬り込んでいた。三宅洋平は「狙われるのであればターゲットは2つあった方がいい」と山本太郎に自身の出馬の意思を持ちかけたらしい。

山本太郎は共同代表を勤める「生活と……」(党名が長いので略)から出馬した高所者の応援より、圧倒的に三宅洋平の選挙に関わりっきりだった。しかし山本太郎には申し訳ないが、三宅洋平はそれほど価値のある「タマ」ではなかったのだ。三宅洋平程度の認識では、当選しても早晩自民党に丸め込まれていただろう。私はこの仮説にかなりの確信を持つ。

◆私が三反園訓=鹿児島県知事を信用できない理由

さて、もう一人目が離せない人物がいる。鹿児島県知事に当選した三反園訓だ。三反園は元テレビ朝日の解説委員だが、80年代は久米宏がキャスターを務めていた「ニュースステーション」の国会担当だった。当時の「ニュースステーション」は久米宏を中心に比較的骨太で、権力監視の役割を相当程度果たしていた。今のテレビニュースとは大違いであった。

が、「国会記者クラブの三反園さーん」と久米宏が呼ぶと、他の局の記者と変わらぬ、これと言った特徴のない凡庸な報告を毎回語るのが三反園であった。そしてなによりも三反園は政治部上がりであるので、自民党の政治家たちと極めて近しい関係で、その人脈から染みついた「与党に甘い」コメントと、緊張感のない表情が「ニュースステーション」の価値を下げていた。要するに三宅洋平同様、私にとっては昔から信用ならない人物だったわけだ。

三反園が鹿児島知事選に出馬するとニュースを聞いた時に、私はてっきり与党候補から出るものだとばかり思っていた。三反園も当初はその腹積もりであったのではないかと推測する。しかし現職の伊藤祐一郎が自公の支持を得て出馬することが明らかになり、野党統一候補として三反園は担がれる。

◆公約=川内原発停止を守ってくれれば何の問題もないのだが……

鹿児島には国内唯一稼働している川内原発がある。知事選は、ご存知の通り熊本地震の壊滅的被害の後、参議院選挙と同日に実施され、三反園は当選する。

彼の公約の中には、

「熊本地震の影響を考慮し、川内原発を停止して、施設の点検と避難計画の見直しを行うとともに、情報発信に取り組み、県民不安解消に努めて参ります」

「原子力問題検討委員会を県庁内に恒久的に設置し、答申された諸問題についての見解をもとに県としての対応を確立する場を設けます」

があるけれども、HPに掲載された6つの公約の中では最後に書かれている。そして知事選挙当選翌日のインタビューでは、この日は報道陣が原発の質問を始めると、「もうちょっと待って下さい。答えられない」と話すにとどまり、各政党への支援要請や支援者へのあいさつ回りに向かうと説明して足早に事務所を出発した。

三反園が政策協定で確約した公約を守ってくれれば何の問題もない。でも私には三反園が「裏切る」のではないかとの疑念を消しきることが出来ない。それは「ニュースステーション」時代に三反園が国会記者会館からのレポートで見せた、あの政権よりのコメントと、敢えて言えば三反園の「顔」からの印象に由来する。

鹿児島をはじめ、全国の人々は三反園知事が「寝返る」ことの内容に厳しく、監視の目を光らせる必要があろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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