2015年再考(2)橋下ファシズム台頭の起源──TV×維新×虚言の愚劣な結託

-橋下徹公式HPより-

今年もこの男のはしゃぎ振りは相変わらずだった。おおさか維新の会の暫定代表を12月12日に辞任した橋下徹である。

今週18日の大阪市長任期満了と共に政界引退を表明している橋下が注目を浴び出したのはいつの頃からだろうかと振り返ってみと、おそらく日本テレビ系列の「行列のできる法律相談所」に出演し始めた2003年からであろう。それ以前にも関西ローカルのラジオ・テレビへの出演歴はあったが、島田紳助が司会の「行列のできる法律相談所」への出演が橋下勘違いの大きな転機になったと想像される。

◆やしきたかじん「そこまで言って委員会」の罪

さらに同年、「たかじんのそこまで言って委員会」にもレギュラーとして橋下は出演を始める。首都圏では放送されない「そこまで言って委員会」は「そこまで言ってはいけない」暴論が毎週飛び交う自民党・右翼翼賛番組だが、ここで更に橋下は「暴走」が許容されるメディア状況と「極論・暴論」がむしろ歓迎される時代背景に気が付く(「笑っていいとも」、「スーパーモーニング」など全国ネットでの番組にも曜日限定レギュラーで出演していたし、関西圏ではそれ以外にも多数のテレビ番組に出演していた)。故人ではあるが「やしきたかじん」が「関西ファシズム」伸長に果たした役割は計り知れないと言わなければならない。関西弁で庶民風の語り口をすれば、一見「反中央」、「反権威」と思わせる雰囲気を醸し出しながら、総体として現体制の補完、否更なる強化へと導引した罪は重い。政治などに口を出さずに歌を歌っていればよかったのだ。立派な歌い手だったのだから。


◎[参考動画]2008年放送「そこまで言って委員会」 脇博2015年11月22日に公開

これらテレビ出演目白押しであった「タレント弁護士」橋下の狙いは最初から政界進出にあったのだろう。質が悪いのは橋下が衆目を引き付ける「タレント」としてのスキルと法知識の専門家である「弁護士」資格を保持していたことだ。お気軽にテレビを眺める庶民にとっては、金髪で語りが滑らか、笑いも適度に誘う橋下があたかも身近な存在のように感じられたのか。橋下の腹にはテレビ出演が目白押しになった頃から「視聴者(庶民)はこの話法で騙せる」と確信めいたものが湧いていたに違ない。


◎[参考動画]橋下徹出演番組で水道橋博士が生送中にキレて番組降板? Ho AlexiaBelle 2013年06月21日に公開

「(府知事選出馬は)2万パーセントでも何パーセントでもありえない」と断言していた橋下はテレビで習得した鋭敏な感覚(自分のキャラクターであれば嘘を発言しても批判されない、むしろ驚きを持って共感を得ることが出来る)をまず実践する。

大阪を覆う橋下ファシズムの不幸な幕開けだ。

◆「維新」という名の復古主義

「維新」という古臭く復古主義者が好む名詞を自身の政治団体に冠したのは、橋下自身が復古主義者的性格を帯びている証だ。その橋下の政治的道具として使用便利なある本音が明かされたのが大阪府知事時代の過去の発言である。

「出生主義か、血統主義かをいろいろ考えるに当たっては、やはり天皇制が一番重要なポイントになってくると思います。日本国憲法の第一章のところ、一番最初のところに、国民の権利義務の前のところに天皇制というものをきちんと置いて、我々は天皇制をいただいているということは、やはりこれは血統主義なんだと、日本の国柄というものは血統主義なんだということを前提に我々の国家、日本というものは成り立っているんではないかというふうに考えます」(2010年2月26日大阪府議会での発言より)

これは橋下が「国民」をどう考えるかについて見解を述べたものだ。憲法第一章で天皇に関する言及がなされていることは間違いなく、それが現行憲法の最大の問題だと私は考える。だが、憲法第一章は天皇の位置づけや権限を述べているが、たとえば第一章「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」は、文言通りに解釈すれば「国民の総意」がなければ「天皇は国民統合の象徴」足りえないとの解釈余地もある。それ以前に憲法前文が掲げる平和主義、国民主権との乖離が著しいのが第一章だ。

私如き素人が法律論を展開しようとしているのではない。確かに憲法第一章には天皇への言及は存在する。だが国民を定義するにあたり「出生主義」か「血統主義」かの二分法に議論を閉じ込め、その中で強引に天皇制の存在を根拠に「血統主義」だと結論付ける橋下の思考には「差別」に直結する短絡が垣間見られる。


◎[参考動画]橋下徹市長の街頭演説 橋下徹ちゃんねる激怒・論破 2015年4月12日に公開

◆橋下思想の基層──「差別を温存する優越意識」と「嘘を語ることは武器になる」という確信

『週刊朝日』2012年10月26日号

橋下の出自などから人物像を浮かび上がらせようとした佐野眞一は「週刊朝日」連載の中で、決定的なミスを犯した。出生に立ち返り、橋下像を浮かび上がらせようとの意図は伺えたが、被差別者への配慮が重大に欠落していたことは否めない。橋下がそれを見逃すはずはなく、結果朝日新聞出版の社長が辞任する事態にまで追い込まれた。

しかし、ここで読者諸氏に注視を促したいのは、橋下が紹介した通り「国民」の定義を述べるにあたり天皇制を引き合いに「血統主義」だと語っていることだ。国民の定義議論だけではなく、天皇制を根拠とする「血統主義」は天皇家、皇室と相反する「被差別」の立場におかれる人々の「血統」をも確定し、それが社会的選別の尺度になると懸念はないだろうか。橋下は「日本の国柄というものは血統主義なんだ」とまで踏み込んで発言している。これが橋下の本音であり根本なのだろうけれども、この解釈は民族だけでなく出自によるあらゆる差別温存を弁解する論法に与するものではないか。差別そのものではないのか。

私はこれまで何度も橋下の愚劣さ、虚構について言及してきた。そして今回橋下の根本には「差別を温存する優越意識」と「嘘を語ることは武器になる」との思考が常時備わっていることを再度指摘しておきたい。


◎[参考動画]田原総一朗『橋下さんの言っていることがサッパリわからない!』 n Yasu 2014年02月12日に公開

◆「現状打破」してくれる超人を求めることで台頭するファシズム

大阪府知事選挙を前に、
「(府知事選挙出馬は)2万パーセントでも何パーセントでもありえない」
と語った橋下。

大阪都構想の住民投票を前にした5月9日に、
「だって、住民の皆さんの考え方とか、住民の皆さんの気持ちをくむのが政治家の仕事なわけだから、ここまで5年間精力かけてやってきたことが、大阪市民の皆さんに否定されるということは、政治家としてまったく能力がないということ。早々とそんなら政治家辞めないと、危なくてしょうがない。運転能力のない者がハンドル握るようなもんでね、早く辞めなきゃダメですよ」
と住民投票が否決されれば政界引退を明言した橋下。

「引退するはず」だった橋下、「運転能力のない者がハンドル握る」状態が続く「大阪維新の会」に再度信任を与えてしまった大阪府民と市民(もっとも大阪知事、市長選挙は「安倍か橋下か」という不幸極まる選択を押し付けられた選挙だった)。

どこかに、「現状打破」してくれる超人がいないだろうか、と英雄や強い指導者の出現を待ち望む深層心理が相変わらず有権者にはありはしないだろうか。

現代の政界における「英雄待望論」はそっくりファシズムの足固めだ。「立派な」「強い」指導者など要らないし、いるはずがない。変えられるとしたらまず自分自身の内面を凝視しなおす事からだろう。反面教師橋下先生をもう一度しっかり見つめながら。


◎[参考動画]橋下徹市長vs 在特会・桜井誠会長 橋下徹ちゃんねる激怒・論破 2014年10月20日に公開

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎2015年再考(1)「シャルリー・エブド」襲撃事件と表現の自由、力学の軋み
◎大阪ダブル選挙──「安倍と橋下どっちを選ぶ?」の選択肢しかなかった不幸
◎挙句の果ての「1億総活躍」──狂気、矛盾、悪意、恫喝づくしの安倍暴走政権
◎隣のクルド人──「国を持たぬ民」が日本社会で暮らすということ

「脱原発」×「反戦」の共同戦線総力誌『NO NUKES voice』第6号!
『紙の爆弾』!タブーなきラディカル・スキャンダル・マガジン

2015年再考(1)「シャルリー・エブド」襲撃事件と表現の自由、力学の軋み

2015年を振りかえってみようと思う。マスコミが毎年年末に年中行事として行う「今年の10大ニュース」のような凡庸な行為だが、自分の愚かさを振り返りつつこの1年を回顧する。


◎[参考動画]Charlie Hebdo: Paris terror attack kills 12? BBC News 2015/01/07 に公開

1月7日フランスの「シャルリー・エブド」が襲撃され、12名が死亡し20名以上が負傷する事件が起きた。あの事件は今年に起こっていたの?と錯覚を起こすほどはるか昔の出来事のように感じるのは11月13日に同じくフランス、パリで130人の犠牲者を出すことになる同時襲撃事件を目の当たりにして間がないからかもしれない。

「シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)」HPより

◆「表現の自由」がどこまで許されるのか?

「シャルリー・エブド」襲撃事件は年始にあって2015年、世界の注目がどこに注がれるのかを示唆するに充分過ぎる衝撃であった。報道機関への襲撃は「言論の自由への攻撃」と非難を浴びたし、「表現の自由」がどこまで許されるのかといった長年にわたる議論をさらに喚起する要因にもなった。

襲撃事件に国際社会が足並みをそろえて非難を表明し、「Je suis Charlie」(私はシャルリー)を公言する著名人が世界に溢れた。私は本コラム1月16日「『シャルリー・エブドと『反テロ』デモは真の弱者か』の中で、

「フランスのオランド大統領から『テロとの戦争』という言葉を聞くと彼が被害者には思えなくなる。この事件のそもそもの原因は『シャルリー・エブド』紙がイスラム教を揶揄するような風刺漫画を掲載したことだった。そして、同紙がイスラム教を揶揄する風刺漫画を掲載したのは、今回が初めてではない。2006年から断続的に同紙はイスラム教を挑発する内容の風刺漫画を掲載しており、その度に、フランス在住のイスラム教徒からデモなどの抗議行動を受けていた。フランス政府も『あまりイスラム教徒を刺激し過ぎないように』と2012年には自粛要請を行っている。

イスラム教風刺にかけて『シャルリー・エブド』は『確信犯』だったわけだ。その証拠に1月14日発売の事件後初の誌面にもまたもや『ムハマンド』の風刺が掲載されている。(中略)『シャルリー・エブド』は国際社会から『承認』されている。決して弱者ではない。私の杞憂であればよい。でも、そうでなければ同様の『テロ』事件は続発するだろう。」

と私見を述べた。「シャルリー・エブド」襲撃事件の被疑者とパリ、同時襲撃事件の被疑者はともにイスラム教徒ではあるが、後者は「IS」が組織的に計画、実行した事件であると見られているのに対し、「シャルリー・エブド」襲撃事件の被疑者は「IS」との関係を否定している者がいる。

◆被抑圧者と世界を支配する力学の軋みが惨事を引き起こした

この際、事件を起こしたグループが同一かそうでないかはあまり重要ではない。明確なことは抑圧者と被抑圧者の歴史、宗教観と世界を支配する力学の軋みがこの惨事を引き起こしたという点だ。そしてそのような視点に被害者及び被害者に与する世界の洞察が及んだかどうかではないだろうか。私はそうすることなしに同種の襲撃事件の再来を防ぐことは出来ないだろうと考えた。

「世界」や「正義」、「歴史」さらには「人間の命」は徹底的に不平等なものであることを2015年の年頭、我々に突き付けたのが「シャルリー・エブド」襲撃事件だった。人間は進歩するのか、理性は進化するのか、「正義」や「大義」といった言葉に対して新しく説得力溢れた意味付けがなされうるのか、が問われたがいずれも回答は無残なものだったと結論づけるしかない。

私たちが事件を知り、その背景に思いを巡らすとき、事件はマスメディアや強者によって予めバイアスのかかった誘導が行われる。だから「意味」の闘いに備えるには常時弱者や庶民が「徹底的に不平等な社会」を認識し考慮に入れておかないと混迷に陥る。

「世界中(もちろん日本でも)でキナ臭いことが起こるよ」との警鐘を鳴らしたのが1月7日の事件だった。そしてこの島国で、私たちはまた大きな後退を迫られた1年となったのはご承知の通りだ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎大阪ダブル選挙──「安倍と橋下どっちを選ぶ?」の選択肢しかなかった不幸
◎隣のクルド人──「国を持たぬ民」が日本社会で暮らすということ
◎パリ襲撃事件報道の違和感──言葉の収奪、意味の無化を進める不平等な世界

7日発売『紙の爆弾』!タブーなきラディカル・スキャンダル・マガジン

菅直人VS安倍晋三裁判──請求棄却判決の不当とねじれ過ぎた真実

菅直人元首相が名誉棄損で安倍晋三現首相を訴えた裁判が12月3日に行われ、東京地裁は菅元首相の請求を棄却した。この判決について毎日新聞はこう報じている。

東京地裁:菅元首相の請求棄却 「安倍首相が名誉毀損」(毎日新聞2015年12月03日付)

民主党の菅直人元首相が、東京電力福島第1原発事故の対応を巡る安倍晋三首相のメールマガジンの記載で名誉を毀損(きそん)されたとして、謝罪記事の掲載と1100万円の賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は3日、菅氏の請求を棄却した。永谷典雄裁判長は「メルマガの重要な部分は真実」と述べた。

安倍首相は自身の公式ホームページに2011年5月20日付で「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」と題したメルマガを掲載。東日本大震災発生翌日の同年3月12日に実施された原子炉への海水注入について「やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だった」などと記した。実際は海水注入は停止されず継続された。
判決は「再臨界の可能性を質問した菅氏の気迫に押され、東電幹部や官邸のメンバーが海水注入を再検討した経緯があった。菅氏には海水注入を中断させかねない振る舞いがあった」と指摘した。

菅氏は判決後に記者会見し「重大な事実誤認があり承服できない。控訴する」と話した。安倍首相の事務所は「当方の主張が認められた」とのコメントを出した。【島田信幸】

これだけの記事では詳細が何のことやら一般の読者には充分な理解が出来ないのではないだろうか。

この問題を含めて、私たちは10月8日菅元首相に取材を行っている。そのインタビュー記事は先月25日発売されたばかりの脱原発雑誌『NO NUKES voice』第6号に掲載されている。簡単にまとめれば経緯は以下の通りだ。

◆安倍メルマガ掲載翌日の2011年5月21日、読売、産経の2紙が一面トップで報じた理由

安倍現首相は自身のメルマガに上記通り「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」と題した文章を2011年5月20日に書いている。元首相といえども当時の安倍は野党の一議員に過ぎない。しかし翌日、読売新聞、産経新聞は1面トップでこの「恣意的誤報」を大々的に報じている。読売新聞の見出しは「首相意向で海水注入中断」だ。ご丁寧にも安倍の「首相が誤った判断で(海水注入)を止めてしまった。万死に値する判断ミスでただちに首相の職を辞すべきだ」とのコメントまでと掲載している。

菅元首相によると、この「海水注入中断造話」は東電社員が情報を大手メディア各社に配ったのだという。

このメルマガでの安倍の記述を大々的に報道したのは全国紙では読売、産経のみで朝日、毎日は掲載していない。そのことからも事実がどこにあったのかを推認することは難しくない。

2011年5月21日付読売新聞1面

◆その後、安倍側が2011年5月20日掲載記述を削除した理由

菅元首相は訴えの中で、1)メルマガ記載文章の削除、2)謝罪、3)名誉棄損の損害賠償を求めていると取材の中で明らかにした。安倍側は当初、全面的に争う姿勢を見せながら、ある時期こっそりと2011年5月20日の掲載内容を削除している!やましくないのであれば係争中の文章をこっそり削除する必要があるだろうか。

菅元首相は「傑作なのはこれから1週間経った時に吉田昌郎(当時福島第一原発所長・故人)がそんなことはなかったと言っていることです」と続けた。さらに「なんで新聞がこんなことを書くのか、私は海水注入を怒鳴って止めたことは一度もないですよ。海水注入で廃炉になるのだというのなら、それは東電が気にする事であって、私がそんなことを気にするはずもないですよ。海水に変えることを誰も反対していませんでした」と私たちの質問に明言した。

3月12日午後6時頃から官邸での打ち合わせで海水に切り替える相談をしていました。そこに東電から来ていた武黒一郎氏(当時副社長)は『切り替えに1時間半くらいかかる』というので、私は原子力安全委員会委員長の班目春樹氏に2つ質問をしました。
12日朝ヘリコプターで福島第一に向かう途中班目氏に『水素爆発は大丈夫ですか』と聞いたところ『圧力容器に水素が漏れても、格納容器内は窒素で満たされているので爆発はしません』との答えでした。でも午後3時ごろ1号機は爆発するわけです。私と班目さんは同じ場所にいて、その時も東電からの連絡は大幅に遅れました。民間のテレビ局が放送するまで連絡をしてこないのです。東電は。爆発から2時間後です。そこで班目氏が言ったのは『建屋まで水素が流れていくことまで気が回らなかった』でした。
そういうことがあったので(心配して)海水を注入した時、塩分の影響が出ると想像されるがそれはどうですかと、それが一つです。もう一つはメルトダウンしてメルトスルーすると再臨界の恐れはないか、それを非公式に外部の専門家にも意見を聞き、「懸念がないわけではない」と言われていたので『再臨界の恐れはないですか』と班目さんに聞きました。『可能性はゼロではありません』と彼は答えました。
このやり取りを誰かが「海水注入を止めた」と全く脈略の違う解釈をしたわけです。(『NO NUKES voice』6号特集インタビューより

つまり、菅元首相は一度も海水注入を止めていない。「塩分による影響」に対する質問が「海水注入停止」にすり替えられている。判決も「海水注入停止はなかった」と認定しながら安倍がメルマガで「やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです」と安倍の事実誤認を問題にしていない。いかに時の最高権力者への司法判断とはいえ、全くの不当判決というほかない。

「安倍晋三議員の虚偽メルマガ」(菅直人氏公式ブログ2015年12月01日付「今日の一言」より )

「安倍晋三議員の虚偽メルマガ」(菅直人氏公式ブログ2015年12月01日付「今日の一言」より )

◎「安倍晋三議員の虚偽メルマガ」(菅直人氏公式ブログ2015年12月01日付「今日の一言」より )

◆菅元首相の「承服できない判決・控訴する」は当然だ!

菅元首相は12月4日、自身の公式ブログで「承服できない判決・控訴する」と強い決意を述べている。私が電話取材をお願いしたところ、ご本人が「係争中なので公式のコメント以上は述べにくいから理解してほしい」と話されたが、周辺事情を含め丁寧なご説明を頂いた。

この裁判の背景を含み菅元首相が語る3.11──。その直後から官邸内でなにが起こったのか、何が隠されたのか、知られざる多くの事実を菅元首相は『NO NUKES voice』第6号で語ってくれている。是非ご一読を。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎「難民受け入れ」表明前にこの国が顧みるべき「中国残留日本人」帰国政策
◎大阪ダブル選挙──「安倍と橋下どっちを選ぶ?」の選択肢しかなかった不幸
◎挙句の果ての「1億総活躍」──狂気、矛盾、悪意、恫喝づくしの安倍暴走政権
◎隣のクルド人──「国を持たぬ民」が日本社会で暮らすということ

「脱原発」×「反戦」の共同戦線誌『NO NUKES voice(ノーニュークスヴォイス)』第6号!

「難民受け入れ」表明前にこの国が顧みるべき「中国残留日本人」帰国政策

シリアの政情不安長期化に伴い、膨大な数の難民が欧州に押し寄せている。あまりに急激な人口流入に戸惑い、国境を閉ざそうとする国もあるが、移民、難民受け入れ経験の豊富なドイツなどは(本音はともかく)「難民受け入れ」を表明している。


◎[参考動画]Germany’s winning refugee welcome formula(2015年09月07日にeuronewsが公開)

日本で行われる「反差別」を標榜する集会やデモなどで「Refugee Welcome」(難民歓迎)を掲げる人びとの姿も増えてきた。この国で市民が「難民受け入れ」に歓迎の意向を示したことは初めてではないだろうか。古くは朝鮮半島から日本に渡り工芸、芸術、文化などを伝えた「渡来人」、「帰化人」と名付けられた人々が「文化の伝道師」としての尊敬を集めたとの記録があるが、それ以降この島国では他国からの積極的な「定住意思」を持った人々を歓迎してきた歴史は見当たらない。

◆村長、町長や中学校校長らに選出ノルマが課せられた「満蒙開拓団」

私の気持ちは複雑である。

海に囲まれた島国だからだろうか、第二次大戦で敗北し経済成長を遂げた後もこの国は外へ門戸を開くことにことのほか後ろ向きであった。政策的にまとまった数の外国生活背景のある人々を受け入れたのは、おそらく「中国残留日本人」(「中国残留邦人」、「中国残留孤児」などと呼ばれることもある)の帰国活動が初めてだろう。

日本の傀儡国である「満州」を中心とする中国へ渡った人々の数は確定していないものの500万人を超えるとする説もある(彼らは一義的に『侵略者』であった)。自由意思で「一旗揚げよう」と移住した人の他に、「満蒙開拓団」と呼ばれる主として裕福ではない人々が全国の市町村長や中学校長などにより選出され、中国大陸に送り込まれた。

「五族協和」、「王道楽土」といった甘言をぶらさげた渡航者の選出にあたっては村長、町長や中学校の校長に「ノルマ」が課せられていたそうだ。「満蒙開拓団」に選出された方々はそれを拒否することなどできなかった。

敗戦と同時にいち早く敗走した関東軍と異なり、下級兵士や中国大陸でも貧しい生活を送っていた人々を中心に日本への帰国がかなわず、現地に留め置かれることとなる。帰国できず亡くなった方も多い。

その時期幼少で現地の中国人に身柄を預けられた人が、後に帰国することになる「中国残留日本人」だ。日本にやってきて服装も表情も当時の中国人と違わない人々が悲痛な思いで親族を探す姿は、当時多くの紙面や時間を割いてマスメディアで扱われた。幸い親族が見つかった方々が日本に帰国し定住した。その際に本人だけではなく配偶者や子供、場合によっては義理の兄弟などの親戚も入国、定住を認められたことから中国から定住した方々の総数は数十万人にのぼる。

帰国後は日本語のトレーニングや一定の生活支援、就業支援が行われたものの、日本の生活にはなじめず、家に引きこもりっぱなしの帰国者も少なくなかった。


◎[参考動画]アーカイブス中国残留孤児・残留婦人の証言 Eさんの場合①(2013年10月24日に藤沼敏子さんが公開)
※藤沼敏子さんのHP「アーカイブス中国残留孤児、残留婦人の証言」には中国残留孤児・残留婦人による貴重な証言インタビューが多数掲載されている。http://kikokusya.wix.com/kikokusya

90年代はじめに彼らが住んでいた公営の集合住宅を訪れたことがある。生活支援をしているボランティアの方の案内で数件を尋ねると、帰国者ご本人はほとんど日本語が話せなかった。そのお子さんは工場労働などに出ているというから社会生活が可能な程度には馴染まれていたのだろう。そしてお孫さんは地元の小学校に通っているとのことだった。お孫さんは言葉に不自由はないし不都合も感じていないようだった。

私が訪問した数件のご家族は、不幸せそうではなかったけれども「帰国」したことを心底喜んでいるようでもなかった。

「残留日本人」を除けば日本に「政治難民」として逃げてきたい、という人々に対して法務省や入国管理局は実に冷淡だった。私も10人以上の難民申請の支援に関わったことがあるが私の知る「政治難民」は全員が門前払いだった。

◆政府の「外国人受け入れ」に対する姿勢変化と「ユニクロ」柳井正のインタビュー

ところがここへきて政府の「外国人受け入れ」に対する姿勢は変化を見せはじめている。理由は簡単だ。人口減に歯止めがかからずこのままでは「労働力」の確保がままならない、と考えた奴らは突如善人ぶって「さあ、さあ日本は門を開いていますよ」とその実またしても「経済奴隷」としてのみ外国人を招き入れようとしているのだ。

その本音を代弁しているのがブラック企業「ユニクロ」で有名なファーストリテイリング会長兼社長柳井正のインタビューだ(2015年11月21日付産経新聞)。

柳井は「移民・難民を受け入れなければ国そのものが滅ぶ危機」と題したこのインタビューの中で、
--日本企業の問題点は
「完全な実力主義になっていないことだ。古い制度を根本から変えていく必要がある。国主導ではなく、民間が主体的に変えていくことも必要だ。政府に頼めば何とかなる、という発想をやめなくてはならない」
--人口減少問題も企業経営に影響する
「人口減少は非常に深刻な問題だ。このまま放っておくと、日本は労働人口が不足する社会になる。人口が減って栄えた国はない」
と「移民・難民」の受け入れの必要性が、あくまで「国」(=日本)の利益のためであることを正直に告白している。

このインタビューの中では「国際感覚を身につける」などといった美辞も見られるが、ならば今よりも日本の「集中豪雨的輸出」が世界で問題とされた70年代後半から80年代になぜこのような「移民・難民受け入れ歓迎」という主張が国や大企業からなされなかったのか。

理由は簡単、当時は日本人だけで労働力が充足していたからだ。ここへ来て政府もこのまま行けば2030年に労働人口が200万人不足する、などと言い出した。あったりまえだろう。これだけの貧困と格差社会で非正規雇用がさらに増加すれば出生率は低下し、人口は確実に減っていく。日本は既に人口激減期に入っている。

◆経済奴隷になり果てることを希望する難民がいるだろうか?

そこで冒頭の命題だ。難民受け入れ。移民受け入れに私は賛成の立場である。しかし、今それを政府や大企業が主張し出した狙いは単に「労働力」の充足を目的とするものである。「人道上」の配慮では断じてない。難民は母国を何らかの理由で追われ、仕方なく他国に安心を求め移動する人びとだ。

彼らの目的は一義的には「生きること」であり「金儲け」ではない。だから言語や生活習慣の全く異なる背景をもった難民をこの社会で生活してゆけるようにするためには、様々なトレーニングやサポートが必要とされる。当然お金もかかる(為政者が「社会的コスト」と呼ぶものだ)。

本当にそこまでの覚悟が総体としてあるのか。「難民を不足する労働力の補填へ」とのユニクロ柳井や政府の下心は経済的侵略者のそれと変わりない。そんな理由での難民受け入れなら私は反対する。経済奴隷になり果てることを希望する難民がいるだろうか。難民の立場で我々はこの島国のありようをもう一度見直す必要を感じる。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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◎パリ襲撃事件報道の違和感──言葉の収奪、意味の無化を進める不平等な世界

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大阪ダブル選挙──「安倍と橋下どっちを選ぶ?」の選択肢しかなかった不幸

「橋下打倒を!」と書きながら、本心どこか冷めている自分がいた。橋下徹が先導する地域政党「大阪維新の会」と、自民推薦、民主、共産なども推した候補者の実質的な対決となった大阪府知事、大阪市長の同日選挙は11月22日投開票され、知事には現職の松井一郎、市長には元衆議院議員、吉村洋文の両氏が当選した。

◆「自民党議員にも考え方に幅のある人がいる」という擁護論の終わり

嘘八百はいい加減にしてくれ!と「ハシモト」についてはこれまでも散々書き連ねてきたけれども、今回大阪同日選挙の何よりの不幸は「反ハシモト」として投票意欲を掻き立てる候補者が擁立されなかったことだ。知事候補だった栗原貴子氏、市長候補の柳本顕氏とも、出馬前はそれぞれ自民党所属の大阪府会、市会議員だった。

「地方に行けば自民党所属の議員といえども、考え方に幅のある人がいる」という擁護論は昔からある。「人格が立派な地方議員の中に自民党所属の人がいる」という話は散々聞かされてはいる。しかし、私そういう人に会ったことがない。中央であろうが地方であろうが「自民は自民」なのだ。とりわけ21世紀に入って以降の自民党には、寸分の油断もならないと感じてきた。麻生政権が瓦解し民主党が政権を担った時は「これで憲法改正へ向かうスピードだけには歯止めがかかった」と多少安堵したことは確かだった。

しかし、省みればこの「安堵」すらが油断だったのだ。民主党政権下では小泉政権や第一次安倍政権時のような露骨なファシズム指向政策が表出はしなかった。だが、今日の自民党政権に負けず劣らぬ「悪政」が行われていたじゃないか。思い出してみよう、原発事故後に「脱原発依存」を掲げた民主党政権は野田首相時代に大飯原発の再稼働を行っていたじゃないか。消費税の引き上げだって民主党政権時代に決定していたじゃないか。そして野田政権は自爆的に瓦解したことを。

◆「古いもの、しがらみ、旧弊とは相いれない」という言説ポーズが橋下の真骨頂

大阪人に限らず「ハシモトはうんざりだ、とんでもない」の認識は広がりを見せた。国政の場でも「維新の党」から設立者である「ハシモト」や「マツイ」が離党し、維新周辺にうごめく議員たちは混乱を極めている真っ最中だ。

実際には最高の指揮権を握っていた「ハシモト」がわざわざ離党する必要などなかった。松野頼久や民主党から合流した連中が気に入らなければ、これまで通り「首を飛ばせ」ばよかったのだ。市長の任期途中で「信任を得るため」と不要な選挙に打って出るわ、住民投票までやって否決された「大阪都構想」をまたぞろ蒸し返すは、世論は「ハシモト」や「維新」を選択肢から外し始めていた。メディアの狂気じみた「ハシモト」礼賛もトーンが下がってはいた。

でも「ハシモト」の目論見は的中した。私は「ハシモト」離党は大阪での同日選挙に向けたパフォーマンスだと感じていたが、残念ながら結果がそれを示している。

「古いもの、しがらみ、旧弊と相いれない」ポーズ──。これこそが「ハシモト」言説の真骨頂だ。有権者を騙し続けてきた嘘八百、朝令暮改の神髄はここにある。あくまで「ポーズ」である。そのポーズに無批判なマスメディアが便乗する悪循環。

この時代の閉塞感を感じている少なくない人々が「古いもの、しがらみ、旧弊と相いれない」ポーズに程度の差こそあれ期待を寄せていた(全く的外れにも)。実態は何もないこのポーズに共鳴する人は表面上「ごく普通の良き市民」である。

◆TPP甘利や極右稲田朋美が応援演説に来る対抗候補に誰が投票する気になるか

対する「古いもの、しがらみ、旧弊」の実態はどうだ。その中心である自民党、安倍晋三を総裁に無投票で再選した自民党の実像はどうだ。

わざわざここで私が詳述することもあるまい。戦争へ向かい、米国の下僕としての忠犬振りに熱をあげることを専らにする安倍自民党はちょっと政治に関心が芽生えた高校生からも「自民党感じ悪いよね」とプラカードに書かれるほどだ。

知事候補だった栗原貴子氏のTwitterとFacebookにはこんな言及がある。

この選挙戦、自民党本部から本当にたくさんの閣僚や党役員の皆さんが応援に駆けつけて下さいました。谷垣禎一幹事長、石破茂地方創生担当大臣、稲田朋美政調会長、甘利明経済再生担当大臣…国とのパイプを活かし、力強く大阪の発展を進めて参ります。 (2015年11月21日付くりはら貴子FB)

このコメントと顔ぶれを見て、「反ハシモト」の気持ちを抱いていた人の中には落胆を感じた人が少なくなかったのではないだろうか。「国とのパイプを活かし」なんて地方自民党候補者の常套句じゃないか。TPPを進める甘利、確信的右翼の稲田の顔見て投票する気になるだろうか。

◆安倍自民と橋下維新の両方に反対する人にとって投票の選択肢は100%なかった

つまり、こういうことだ。今回の大阪同日選挙には安倍自民党政権、「ハシモト」の両方を嫌う人には選択肢がなかったのだ。どちらの候補者に投じても「安倍を支持する」か「ハシモトを支持する」ことへ繋がる。そして中央では「維新」が割れ、形ばかり自民党と少しは異なる方向性を見せようとはしているけれども「大阪維新の会」はその主張において自民党と大差ない。何よりもハシモト自身が安倍に直談判しに上京していた様を見れば、こいつら2人が「同じ穴の狢」であることは明らかだ。こういった「投票に値する候補者がいない不幸な選挙」は小選挙区制導入後以前にもまして増えている。

「安倍とハシモトのどっちを選ぶか」の選択肢しか示し得なかった時点で大阪の同日選挙は意味を失っていたといっても言い過ぎではないだろう。「反ハシモト」陣営は真剣に主張や手法が「ハシモト」とは異なる候補者を早期に擁立すべきだった。「オール大阪」などという馬鹿げた茶番が敗因なのだ。なぜ実質自民党候補に共産党が相乗りできるのか。してしまったのか。師走に入って政治でろくなことがなかったこの1年を痛感する。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎挙句の果ての「1億総活躍」──狂気、矛盾、悪意、恫喝づくしの安倍暴走政権
◎隣のクルド人──「国を持たぬ民」が日本社会で暮らすということ
◎パリ襲撃事件報道の違和感──言葉の収奪、意味の無化を進める不平等な世界
◎《追悼》杉山卓夫さん──「不良」の薬指に彫られた指輪のような刺青の秘密

11月25日発売開始!「脱原発」×「反戦」の共同戦線総力誌『NO NUKES voice(ノーニュークスヴォイス)』第6号!

 

原発は菅直人×武黒、反戦はSEALDs×ハンスト学生の『NO NUKES voice』第6号!

この夏は熱かった。11月も後半になり記憶が薄れかけている向きもあろうが、安保法案をめぐる抗議行動は国会周辺だけでなく全国で多彩に闘われ、そこではこれまで少なかった若者の姿があった。その中心としてメディアの寵児にのし上がった感すらある「SEALDs」。中心メンバーの奥田愛基さんは国会でも発言するなど多くの注目をあつめた。「本当に止める」、「民主主義ってなんだ」といたフレーズがネット上でも飛び交い、大きな話題となった。

だからこそ、本日11月25日発売の『NO NUKES voice』(NNV)第6号の特集は「脱原発と反戦・反安保」だ。

◆菅直人元首相の「告白」から見えてくるマスメディアが伝えてこなかった真実

まず、特集の頭を飾るのは、当時首相であった菅直人さんの激白だ。「いまこそ、私の話を聞いてほしい なぜ、あの時、情報が正しく伝わらなかったのか?」は、反原発運動に長年携わってきた槌田敦さん(物理学者)が聞き手となることにより、他媒体では決して実現できない踏み込んだ事実をいくつも掘り起こしている。首相官邸内でどのような思案がめぐらされたのか、情報は正確に伝わっていたのか、最高責任者として事故直後福島に飛ぶ決意をした理由とは……。息をのむような事実がこのインタビューでは明らかにされている。

少しだけ種明かしをすれば、「菅インタビュー」は今日のマスメディアが重要な事柄を全くと言っても過言でないほど「伝えていない」ことを示す証拠を読者に提供してくれる。

◆「SEALDs」奥田愛基に鹿砦社松岡社長が挑む激論生録インタビュー!

「SEALDs」奥田さんへのインタビューは発行人である松岡社長自らが敢行した。このインタビューは「提灯持ち」視点からのそれではない。よってこれまで他のメディア(一部右派メディアを除く)で紹介されたのとは全くことなる角度から遠慮なく疑問がぶつけられており、「SEALDs」現象が一体何だったのかを理解するためには必読だ。

同時にやはり松岡社長自ら斬り込んだミサオ・レッド・ウルフさんへのインタビューも「激論」と表現しても過言ではないだろう。「反原連」の指導者として、これまでもNNVに登場したミサオ・レッド・ウルフさんへの松岡直撃は予定調和と対極に位置する。反・脱原発運動が今後進むべき道筋、3・11後これまで歩んできた道程を振り返り、成果と問題点を浮かび上がらせる示唆に富んでいる。「反原連」支持者、「反原連」に違和感を抱く方双方にとって読み逃すことが出来ない。

◆「SEALDs」現象と対を成す「ハンスト実行委員会」の学生たちの座談会実現!

若者の活躍では「ハンスト」を戦術に闘った「ハンスト実行委員会」の座談会は内容において「SEALDs」現象とは一線を画す「硬派」のそれと言えよう。僅か10数人のメンバーが4人のハンスト実行者を支え、最長149時間のハンストを戦い抜いた学生たちが見据える未来は「現状肯定」ではなかった。「SEALDs」現象との対比は必ずや読者に強い刺激となるだろう。

◆鹿砦社が執念で実現した武黒一郎=元東電副社長のおっかけスクープルポ!

そして、鹿砦社といえば名物「直撃取材」だ。今回のターゲットは元東電副社長で検察審議会により強制起訴が決定した「武黒一郎」だ。我が取材班の執念は果たして実ったのか……。捕捉した! 武黒の変わり果てた姿を長時間の張り込みの末に自宅で激写に成功!武黒と取材班のやりとりも執念のなせる技。NNV取材班の執念恐るべしである。

◆上野千鶴子さん、鎌仲ひとみさんの熱きインタビュー、各地の運動報告もますます充実!

他にも社会学者の上野千鶴子さん、映画監督の鎌仲ひとみさんなど熱きインタビューが盛りだくさんだ。そして、特集を締めるのは今号で編集長を降りる松岡社長による「解題 現代の学生運動―私の経験に照らして」である。自ら「SEALDs」や「ハンスト実行委員会」に接触し、語った松岡社長にとって「学生運動」は他者のそれではなく、現在の彼を規定している一部である。自らの経験とこんにちの「学生運動」を解析し若い世代へ送る辛口のエール。この文章は「ヘサヨ」、「ブサヨ」といった語彙を持つ方々からはたいそうな顰蹙を買うであろうし、賛否両論激論を喚起すること必至だ。

運動報告では経産省前テント広場裁判「被告」の淵上太郎さんが東京高裁の不当判決を糾弾し、高木久美子さん(笑顔でつながろ会代表)、本間龍さん(元博報堂)、渋谷三七十さん(ライター)、納谷正基さん(『高校生進路情報番組ラジオ・キャンパス』パーソナリティー)、中村通孝さん/松浦寛さん(FB9条の会)など全国各地の情報が満載だ。

雑誌は「総力特集」、「全力取材」をキャッチコピーに多用するが、NNV6号は誇張抜きに取材班が「総力」を挙げた濃密な報告と思想と行動が詰め込まれている。今すぐ書店へ! (田所敏夫)

タブーなき総力取材!「脱原発」×「反戦」の共同戦線雑誌
『NO NUKES voice (ノーニュークスヴォイス)』 第6号
11月25日発売!

●主な内容●
秋山理央(映像ディレクター、フォトジャーナリスト)
ALL STOOD STILL Vol. 6『冬ニモマケズ』
[報告]淵上太郎さん(経産省前テントひろば裁判「被告」)
経産省前テント裁判控訴審 東京高裁不当判決に抗議する!
[報告]本誌特別取材班
福島原発事故A級戦犯=武黒一郎(東電元フェロー=副社長)を直撃!

[特集]脱原発と反戦・反安保―世代を超えて
[インタビュー]菅直人さん(元内閣総理大臣)
いまこそ、私の話を聞いてほしい なぜ、あの時、情報が正しく伝わらなかったのか?
[インタビュー]上野千鶴子さん(社会学者)
知っていたのに 何もしなかった私も 共犯者だった
[インタビュー]鎌仲ひとみさん(映像作家)
映画と一緒に旅しながら民主主義のエクササイズ続ける
[インタビュー]Misao Redwolf さん(首都圏反原発連合)
再び脱原発のコールの爆発を!──今後の超党派市民運動の行方
[提案]佐藤雅彦さん(ジャーナリスト)
うたの広場
[インタビュー]奥田愛基さん(「SEALDs」メンバー)
デモするたびにパクられてたら 俺、国会行ってないすよ
[座談会]学生ハンスト実行委員会
私たちは直接行動で状況を切り開こうとした
[報告]松岡利康(本誌発行人)
解題 現代の学生運動―私の体験に照らして
[報告]高木久美子さん(笑顔つながろ会代表)
3・11 放射能汚染に負けない! 笑顔でつながり、みんなで立ち上がろう!
[報告]本間龍さん(元博報堂社員、作家)
原発プロパガンダとは何か?(第四回) 福島民報・福島民友(三)
[報告]渋谷三七十さん(ライター)
地獄への道案内は罪! もはやつける薬がない「原発推進メディア」を斬る!
[報告]納谷正基さん(『高校生進路情報番組ラジオ・キャンパス』パーソナリティ)
反原発に向けた想いを次世代に継いでいきたい(5)
このシリーズの連載を始めた真の意味を、そろそろ打ち明ける時がきた……
[運動情報]中村通孝さん/松浦寛さん(FB憲法九条の会)
原発をゼロにしてから死ぬのが、大人の責任だと思う
ほか

「Paix2」のプリズン・コンサート365回達成をギネスブックが認定却下した理由

全国には刑務所や少年院が300以上あるという。そのすべてをボランタリーに訪れ「プリズン・コンサート」と称されるようになった「慰問」を継続している女性ミュージシャンデュオ「Paix2(ペペ)」の活動は既にご存知の方も多いだろう。

が、ご存知ない方のために、念のために再度ご紹介しておこう。「Paix」はフランス語で「平和」を意味する。manamiさん、megumiさんの二人は2000年にデビューし、その年に1日署長を務めた鳥取県倉吉警察署の方の勧めにより刑務所や少年院などの慰問をはじめる。

◆他の慰問とは一味違う自由な「Paix2」の「プリズン・コンサート」

Paix2「しあわせ」(日本コロムビア2015年6月17日発売)

デビュー以前、manamiさんは岡山大学研究所の技術補佐員で、megumiさんは看護師だった。「Paix2」はその後も精力的に「プリズン・コンサート」を続け、2005年には法務大臣から「プリズン・コンサート」を評価され表彰を受け、2012年には『逢えたらいいな プリズン・コンサート300回達成への道のり(限定版)』を鹿砦社から出版している。さらに2014年には「保護司」に、2015年には「矯正支援官」にそれぞれ法務大臣から任命されている。芸能界きっての活躍である。杉良太郎も「特別矯正監」に任命されているが、杉良太郎の「慰問」は講演が殆どだそうで、果たしてどれほど施設内の人が喜ぶものだろうか。

『体験的獄中マニュアル 新法下での過ごし方』(西本裕隆著 2009年鹿砦社)で「慰問」についての興味深い言及がある。「刑務所では1~2か月に1回、土曜の午前中に慰問が行われる。これは外部の人間が受刑者の前で歌を歌ったり踊りを披露したりするもので、娯楽の少ない刑務所生活においてはこの慰問が楽しみだと言う受刑者もいる。しかし、大多数の受刑者は楽しみにはしていない。かえって迷惑だと思っている受刑者の方が多い。それはこの慰問が強制参加であることと感謝の強制があるからだ。(中略)慰問の内容だが、外部の一般の人が演奏会をしたり、踊りを踊ったりあるいはカラオケ大会をしたりといった素人芸を見せられるというものである。」

素人のカラオケ大会に「感謝の強制」をさせられたのでは受刑者も迷惑千万だろう。

逆に「Paix2」の「プリズン・コンサート」では施設にもよるが、通常許されない「手拍子」などが比較的自由に許されるケースもある。刑務所が「Paix2」の活動を理解しているので受刑者もこの時ばかりは(限られてはいるけれども)、感情の発露を許されることがあるそうだ。そして多くの受刑者は彼女たちの歌や演奏に感激し、涙を流す姿も珍しくないという。出所後「Paix2」のコンサートを見にくる方も少なくないそうだ。

◆ギネスが「Paix2」の偉業を却下した理由

その「Paix2」が全国全ての刑務所を訪問したのをきっかけに約1年前「ギネスワールドレコーズ」に申請を行ったところようやく下記の連絡が返ってきたそうだ。

「ギネスワールドレコーズよりご連絡いたします。
この度は、ギネス世界記録へのご申請をありがとうございます。
ご申請頂きました内容について、審議いたしましたので、ご連絡いたします。

ご申請内容:15年間に亘り、全国の刑務所・少年院で「Prisonコンサート」と称し、ボランティアで通算365回のコンサートを行った女性デュオ

残念ながら、ご申請いただきました記録名に関しては、ギネス世界記録の記録としては、認められません。ギネス世界記録ではたいへん多くのお問合せおよび申請を頂いており、本ケースのように新しいカテゴリーの場合は、まず弊社の理念と照らし合わせたうえで、あらゆる角度から審議され、新たなカテゴリーとして設定可能かどうか判断させて頂いておりますことを、まずご報告いたします。

ご申請内容が記録対象となり得るかどうかにあたり、「微細化されていないこと」、「狭義に過ぎないこと」等も検討されます。この度いただきました申請に関しましては、コンサートの開催場所について「刑務所で」などの細分化はしていないため、残念ながら、審議した結果、ギネス世界記録の対象にはあたらないと判断されました。」

要するに「却下」だ。かつては大食い世界記録やドミノ倒しの数、けん玉を多数の人が同時に載せる人数などは認めているのに、刑務所・少年院への365回の慰問の意味が「ギネス」にはわからないらしい。

この判断を下したのは「ギネスワールドレコーズジャパン 記録管理部」なるセクションだ。「ギネス」は日本の刑務所は「世界的にも劣悪極まりない」と悪評が高いことを知らないのか、あるいは「Paix2」の活動自体を評価する気がないのか。恐らく回答は後者だろう。

そりゃあ、たくさんの申請があるだろうけども、そのほとんどは「質」ではなくてもっぱら「回数」や「量」に審査の重点がおかれているんじゃないか。そもそも「ギネス」ってなんなんだ? そう思って調べてみたら日本で買うと馬鹿高いあの「ギネスビール」の販売元が始めたのが、この「どんなことでも質より量」を競わせる「お遊び」の胴元だった。なーんだ。ビール屋の余技だったんだ。

◆「無料」申請とは別に有料95,000円の申請ルートもあるギネスブック商法

それにしては世界中で既に権威化したといっても過言ではない「ギネス」。かつては「ギネスブック」で大儲けして現在では記録の申請を「有料」と「無料」の2つの方法で受け付けている

「有料」申請の金額を見て驚いた。なんと9万9千円もする。しかもこれでも値下げした金額らしく、かつては12万5千円も取っていたと書かれている。「有料」申請は「ファーストトラック」と呼ばれ、申請への返答も「無料」よりも短時間であるらしい。

「無料」申請でも「証拠物の最終審査結果のご連絡」の「目安」は「約3ヵ月」となっているが「Paix2」への回答には1年近くを要している。か・な・り、怪しくはないか。この「ギネス申請商法」。

「Paix2」への回答で「申請内容が記録対象となり得るかどうかにあたり、『微細化されていないこと』(中略)も検討されます。(中略)この度いただきました申請に関しましては、コンサートの開催場所について『刑務所で』などの細分化はしていないため、残念ながら、審議した結果、ギネス世界記録の対象にはあたらないと判断されました。」と自ら設けた「微細化されていないこと」基準に「Paix2」の申請は「細分化されていない」、つまり「問題なし」と書いておきながら結果が「却下」なのは文章として意味をなさない。

私の邪推かもしれないが「Paix2」が「有料」で申請をしていたら記録は受理されていたのではないか。この「却下」回答理由文章のいい加減さと「有料」申請の異常ともいえる高料金がそう想起させるのだ。

ただ、金を払って「質は関係なく、量や回数だけ」(頭を使うなということか?)に没頭すれば獲得できるのが「ギネス」記録の実態のようだ。重ねて強調するがこの申請料金の9万5千円はいかにも胡散臭い。

「Paix2」の価値を汚さないために申請が受けつけられなかったのはむしろ僥倖というべきかもしれない。

Paix2『逢えたらいいな―プリズン・コンサート300回達成への道のり』(鹿砦社2012年04月20日刊)

Paix2 official website

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Paix2 official blog of Manami(まなみ)
Paix2 official blog of Megumi(めぐみ)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎安保法採決直後に若者弾圧!ハンスト学生への「不当ガサ入れ」現場報告
◎「反社会勢力との取引」を拡大解釈する銀行の「口座開設拒否」は人権侵害だ!
◎挙句の果ての「1億総活躍」──狂気、矛盾、悪意、恫喝づくしの安倍暴走政権

スクープ!武黒一郎=元東電フェローを直撃! 大注目の総力特集は「脱原発と反戦・反安保」!

11月25日発売開始!『NO NUKES voice』第6号!

パリ襲撃事件報道の違和感──言葉の収奪、意味の無化を進める不平等な世界

現地時間11月13日の夜パリの劇場、レストラン、競技場などで起きた襲撃事件はオランド大統領が「ISによる戦争行為だ」と断定し、16日現在、犠牲者は130人を超えている。フランス全土に非常事態宣言が発せられ、主たる国境は封鎖されているらしい。

◎[参考動画]Terrifying Video Shows Shootout Between Police & Terrorists Outside Bataclan, Paris (2015年11月15日 付PrayForParis)

◎[参考動画]FRANCE 24 live news stream: all the latest news 24/7

このニュースの陰に隠れてほとんど見向きされないけれども、フランス北東部ストラスブール近郊で14日、高速列車「TGV」の試験車両が走行中に脱線し運河に転落、少なくとも11人が死亡し、37人が負傷した。1981年の開業以来、TGVの関連事故で死者が出たのは初めて。フランス公共ラジオが伝えた。

◆どこで、どんなふうに、誰が殺された(死んだ)かで命と事件の軽重は違うのか?

Cartoon of the day by Carlos Latuff

どこで、どんなふうに、誰が殺された(死んだ)のかによって、命と事件の軽重はメディアによって重量が決定される。同じフランスという国の中にあってさえそうだ。意地悪ないい方をすれば、「できるだけ惨く、劇的な殺戮が名立たる都市部」で発生することほど、メディアにとって貴重な報道資源はない。

それは同様の「惨く、劇的な殺戮」が注目を浴びない国・地域、あるいは紛争地帯で起こった時の何百倍もの情報資源(商品)となり、政治的・軍事的野心を抱く人々に本来、関係ない意味を付与され、大変便利な材料へと転化させられる。

殺戮による被害者は表面上の弔意と裏腹にとことん利用される。

各国の首脳が「フランスと共に闘う。ISを撲滅する。テロは許さない」と勇ましい言葉を吐く。東京タワーを三色に照らしたり、世界中でその情報を聞いた一般市民までが「フランスと共に」と態度表明することが、何か立派な行動のような雰囲気が蔓延している。

私の大いなる違和感は増すばかりだ。

本音を告白すれば気持ち悪いことこの上ない。

◆不平等極まりない世界は、言葉をも収奪して、意味を無化しようとしている

1月7日に起きた「シャルリー・エブド襲撃事件」の後に感じたのと似た感覚だ。あの時は世界中が「Je suis Chralie」(私はシャルリー)と発言したり、プラカードを持つ人がフランスだけでなく、世界に溢れた。私はこのコラムで「Je suis Chralie」に疑問を呈し、私はその立場ではないと表明した。

その後被害者や、敵を主語にした語感に馴染めないこのいい回しが流行した。日本においては「I am not Abe」のように。

ひねくれ者の私は「I am not Abe」にも軽い眩暈がした。「あべ」を苗字にする人以外は誰も「Abe」じゃないことは当たり前じゃないのか。こんな表現のどこに「反安倍」の怒りを詰め込めるというのだ。何百人、否何千人もの人が集会で「I am not Abe」のプラカードを頭上に掲げているようすに、何か違うの思いは増すばかりだった。

やはり、ごく初歩的な語法にのっとっても「Je suis Chralie」や「I am not Abe」はシニフィアンとシニフィエがあまりにも倒錯しているのではないか。それは権力者や抵抗者の意に沿いつつも、裏切りつつも。

パリ襲撃事件の分析や解説は専門家に譲る。それよりも今、現在において私がもっとも支配されている感情は事件の衝撃・背景や凄惨さ、ISの今後ではなく、語感と意味を歪曲された世界に生きている不快感と不安である。そのことを正直に語っておくことの方が、私の頭脳のレベルの低さを露呈するにしても、誠実というものだろうと感じる。

不平等極まりない世界は、言葉をも収奪して、意味を無化しようとしている。

こんな感想は不謹慎か。

▼田所敏夫(たどころ としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎隣のクルド人──「国を持たぬ民」が日本社会で暮らすということ
◎アフガニスタンの「ベトナム化」を決定づけたオバマ米大統領の無法
◎「ビルマの夢」が実現するか?──集大成を迎えたアウンサンスーチーさんの仕事
◎《追悼》杉山卓夫さん──「不良」の薬指に彫られた指輪のような刺青の秘密

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するな戦争!止めろ再稼働!『NO NUKES voice vol.5』創刊1周年記念特別号!

「ビルマの夢」が実現するか?──集大成を迎えたアウンサンスーチーさんの仕事

上下院で総選挙が行われたビルマで、NLD(国民民主連盟)の圧勝が伝えられている。NLDを率いるのはアウンサンスーチーさんで、この選挙でNLDが圧倒的勝利を収めれば「実質的な実権者に就く用意はある」と語っている。ビルマの憲法では「外国籍を有する家族を持つ」人は大統領には就任できない(この不思議な条文は軍事独裁政権がアウンサンスーチーさんを排除するためだけに作り上げたものだ)から、彼女自身が大統領になることは今のところ出来ない。NLDの幹部を大統領に据えて、彼女は要職に就く計画だとの情報もある。

◆本当の政権交代は25年前の1990年5月の総選挙で実現したはずだった

それにしても(仮にこの選挙結果が伝えられている通りNLDの政権奪取に繋がれば)ここまでの道程、なんと険しく、長かったことだろう。1988年、母の看病のためにビルマへ戻ったアウンサンスーチーさんに政治参加の意思は希薄だった。しかし民主化勢力の強い要請により同年8月26日、シュレダゴンパゴタで50万人の民衆を前に初めて演説を行う。この伝説的演説は建国の父アウンサン将軍の娘、アウンサンスーチーさんの民主化への合流としてビルマ国内だけでなく、国際社会でも大きく報じられた。

そして迎えた1990年5月の総選挙でNLDは80%を超える議席を獲得する。本当の政権交代は25年前に実現したはずだった。しかし当時の軍事独裁政権は「選挙結果は無効」とし、当選したはずのNLD議員の身柄拘束や逮捕が相次ぐ。アウンサンスーチーさん自身も禁固を含め何度も自宅軟禁を強いられ、一時は外部との接触を一切禁止された時期もあった。

◆1998年、自宅軟禁下のアウンサンスーチーさんへのインタビューを決行した

私とかつての職場の同僚が彼女に会いに出かけたのはまさに、厳しい自宅軟禁が強いられていた1998年だった。軍事政権の独裁に対して欧米などは経済支援を控えていたので、当時の軍事独裁政権を支えていたのは主として日本だった(後にその位置は中国が取って代わることになる)。英国植民地時代に設計されたラングーン(現在は「ヤンゴン」と呼ばれている)の町並みは緑豊かであったが、経済状態の疲弊は一目瞭然だった。かつては大型商店であったろういくつものビルが廃墟となり、また老朽化していたし、外国人向けのホテルはどこもガラガラだった。欧米人の姿を目にすることはほとんどなかった(民政移管後ラングーンの町も様変わりし今では外資の投資が殺到している)。

当時、取材目当ての外国人の入国は厳しく制限されていた。私たちは大学職員だったから「観光ビザ」で入国し、彼女の自宅のあるユニバーシティ・アベニューに設けられた検問所まで歩を進めた。もちろん、いきなりそこへ向かったわけではなく、事前様々綿密に計画を立て、いくつかのパターンを想定してインタビューする場所も彼女の自宅以外の場所も用意していた。

検問所に着くと自動小銃を持った軍人が数人出てきた。責任者と思われる人物が「ここから先へは行けない、引き返せ」と英語で命じてきた。検問所周辺には軍人の他警察の制服を着た人間や私服警官もいたが、厳格なものではなく、広い通りの片側車線だけに検問は置かれていた。その先は比較的裕福な人々が暮らす住宅街でもあるので、住人は顔を確認して素通りできるようにしてあったのだろう。

検問所を守る軍人たちにとっても、こんなに正面を切ってやって来る厄介者はそうそうはいなかったのだろう。俄かに周辺が騒がしくなった。
「この先に住む知人から招待されている。先に行かせてほしい」
私がそう切り返すと、責任者とおぼしき男の口から聞き取れない声が発せられた。それと同時に肌の浅黒い4人の軍人が一斉に自動小銃を構え、銃口を私たちに向けた。
「私はビルマ人ではない。私たちが数日以内に帰国しなければ国際的なマスメディアの多くがその事を報じることになっている。国連にも連絡が入る。それでもよければ撃ってくれ」
たどたどしい英語でそのようなことを叫んだが、既に軍人の指は引き金にかかっている。向かい合う双方の緊張が高まる。

当初の計画では検問所で15分ほどねばり、そこへアウンサンスーチーさんが出て来て、「友人だ」として私たちを自宅に連れて行く。というのが第一案だった。しかし検問所でのやり取りは思ったほど時間が稼げず、思いの外、緊張が高まってしまった。軍人たちもかなり興奮している。撃たれることはないだろうが、これ以上そこに留まれば、身柄拘束の危険性は否定できない。仕方ないので私たちは第一案を放棄し、第二案に切り替えた。

アウンサンスーチーさんは自宅軟禁ではあっても監視付きながらラングーン市内の移動は認められているとの情報を得ていたので、自宅突入が失敗した時はNLDのNO.2であるティン・ウーさんの自宅へ移動し、そこへアウンサンスーチーさんに来てもらうプランだった。

ティン・ウーさんはネ・ウィン軍事独裁政権で大臣を経験するも、独裁政権とたもとを分かち、民主化運動に参加した珍しい経歴を持つ人物で、当時ビルマ国内ではアウンサンスーチーさんに次いで人気のある民主運動家だった。

幸い、ティン・ウーさん宅でアウンサンスーチーさんのインタビューは成功した。インタビュー終了後、しつこく尾行に付きまとわれたが、私たちの身柄が拘束されることはなかった。そして翌日の空港ではいったん出国手続きを終え、搭乗ゲートで待っていたところ、再び空港係員に呼び戻され、鞄の中のあらゆる記録媒体(ビデオテープ、カメラのフィルム、土産に買ったビルマ音楽のカセットテープなど)が没収された。何も策を打っていなければ、せっかくのインタビューも人目に触れることがなく、私たちの取材は記憶の中だけのものになっていた可能性もあった。

しかし、そのような事態を回避するために私たちは「運び屋」を準備していた。私たちより1日早くビルマに入り、観光客然として振る舞う同僚を準備していたのが僥倖だった。彼は気の毒なことにアウンサンスーチーさんのインタビューには立ち会えなかったが、取材を終えた私たちから主たるビデオとカメラのフィルムを受け取ると、その日の便でビルマを出国していたのだ。

そんなスパイごっこのような末に公開できたのが下記の取材映像だ。

http://www.kyoto-seika.ac.jp/freedom/aungsansuukyi/index.html

◆人々の夢を実現する

もうあれから17年が経過した。インタビューが終わりティン・ウーさん宅で休憩しながら歓談していた時、私は彼女に謝辞を述べた。
「今回はありがとうございました。何の縁もない私たちのお願いを、危険を冒して受け止めてくださり感謝の言葉もありません。私たちの計画は『素人にできるはずがない。夢みたいな話だ』と揶揄されましたが、今日こうやって成功することが出来ました」

そう私が述べると彼女はさらりとこう言ってのけた。
「とんでもありません。『私の仕事は人々の夢を実現する』ことですから」

「人々の夢を実現する」のが仕事。こんなセリフは普通軽々しく吐けるものではないし、不釣り合いな人が発語すれば、聞いている方が興醒めするだろう。しかし彼女の言葉は違った。私はそれまでの人世で感じた事のない不思議な心地よさに包まれた。「ありがとう。アウンサンスーチーさん。必ずインタビューは世界に公開します。何があっても」そう言いながら握手した彼女の掌は細かった。

彼女がビルマに帰国した1988年から27年、選挙で圧勝した1990年から25年、私たちのインタビューを受けてくれた1998年から17年。当初の彼女から変わったように見受けられる発言や行動もないわけではないが「夢を実現する」仕事はいよいよ集大成を迎えつつある。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

◎《追悼》杉山卓夫さん──「不良」の薬指に彫られた指輪のような刺青の秘密
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《追悼》杉山卓男さん──「不良」の薬指に彫られた指輪のような刺青の秘密

「え、嘘だ……」とまた全身の力が抜けた。

布川事件の冤罪被害者、杉山卓男さんが先月亡くなっていたからだ。そういえば、昨年の夏頃以来、杉山さんから電話やメイルが来ることはなかった。それ以前は飲みに行った先から「田所さん、遠いだろうけど今綺麗な女の子と飲んでるから来ませんか」と、関西在住の私にいたずらメイルがときどき飛んで来ていた。深夜に関西から首都圏に行けるはずなどないのに。

私は布川事件を知ってはいたけれども、杉山さんや桜井昌司さん(杉山さん同様に逮捕有罪判決を受けた冤罪被害者)の支援活動を別段していたわけではない。杉山さんとはたまたま冤罪被害者を支援している方を通じて知り合うことができ、明け透けな性格とお互いの容姿にちょっとした共通点があったことから、親しくお付き合いさせていただくこととなった。

映画『ショージとタカオ』(右が杉山卓男さん)(2010年井手洋子監督作品)より

◆『冤罪』食らったからって、聖人君子じゃないよ!

杉山さんは自分が「不良だった」と飲むといつも語っていた。本音ではないだろうが「おらさ、刑務所に入っていてよかったと思ってるんだ。娑婆に居たら何してたかわかんねーからな」と何度も口にしていたのが印象に残っている。たしかにその可能性は低くはなかったのかもしれない。そこそこ飲んで気持ちよくなると、あの大柄で色白の男の茨木弁からは、書くにははばかれるセリフを連発していた。

でも、杉山さんは身近な人なら誰でも知っている、頭の切れる人だった。ご自身の冤罪の再審請求も獄中で裁判資料を見直す中からきっかけを見つけたというし、私が「冤罪被害者は国による犯罪の被害者だけれども、全員が清廉潔白な人格の持ち主というのは間違っている。普通の人が『犯人』に仕立て上げられたのだから、色んな人がいるんじゃないですか」と酔いにまかせて語った時、冤罪被害者を含めその場にいた人はみな沈黙してしまったが、杉山さんだけはすぐさま「そうそう、田所さん、ええこというねぇ。ズルい奴もけっこういるし、立派な人もいる。『冤罪』食らったからって、聖人君子じゃないよ!」と同意して下さった。

嘘半分、本当半分のあの茶目っ気にあふれたメイルが来なくなったのは、報道によると昨年夏ごろから病気療養されていたからだったのだろう。短い時間だったけれども杉山さんは私の心を開いて、なんでも楽しく話しをさせて頂ける貴重な方だった。事件の経緯やその後の騒ぎについて、時々話題にすることはあったけれど、本音をいえば私にはあまり興味はなかった。それよりも目の前にいる杉山さんの人格の豊かさがいつも楽しい気分にさせてくれた。ご家族内の相談や「選挙権を手に入れたけど、どこにいれたらいいんだ」ということまで、時に電話を頂いていた。

あああ、また最近経験したのと同じ後悔だ。杉山さんから連絡が無くなった時にこちらから、お伺いの連絡をしておくべきだった。

杉山卓男『冤罪放浪記 布川事件 元・無期懲役囚の告白』(2013年7月河出書房新社)

◆獄中にいた人々へ向ける杉山さんの非凡な視座

杉山さんは若いころ「不良」だったそうだ。間違いないだろう。しかし「冤罪放浪記」(2013年河出書房新社)の中で、永山則夫さんとの交流、袴田巌さん、金嬉老さんをはじめとする獄中にいた人々へ向ける杉山さんの視座は、凡人のそれではない。永山さんの思想性を切り捨て、金さんの傲慢ぶりを平然と暴く。実際のところがどうだったのかはわからないが、杉山さんは様々な「支援しますよ」と近寄って来る人にある種の「教唆」をされても、自身が納得をしなければ受けつけなかったそうだ。逆境でも独立した「個」を持ち続けた意思の持ち主だった。

そして30年の貴重な年月を、この島国の唾棄すべき司法によって奪われた杉山さんの思いは「冤罪放浪記」の帯に記されたことばに集約されるだろう。

「裁判官の皆さん、検察、警察の皆さんに対しては、『私への謝罪は必要ない』ということを、この場を借りて言っておきたいと思います。謝られても、許すつもりはありません。  杉山卓男」

杉山さんは怖い人だった。そして底抜けに優しい人でもあった。彼の薬指には指輪のような刺青があった。「それどうして、彫ったんですか?」と聞いたら「これはね、19の時に悪さして、もう母親には迷惑をかけないように、って誓ってね。それで彫ったの」と杉山さんは答えてくれた。本当かどうかは分からないけど、お母さんへの思いはいつも語っていた。

杉山さん、私がそっち行ったらまた飲みましょう。


映画『ショージとタカオ』予告編(2010年井手洋子監督作品)

◎『布川事件』えん罪被害者支援会HP=http://www.fureai.or.jp/~takuo/fukawajiken/

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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