「防犯」は錦の御旗──野放図に進む「監視国家」化から自由をどう守るか?

あなたは監視されている。誰に? 警察、行政、ショッピングモール、そして携帯電話会社やパソコンのプロバイダーに。

スピード違反を取り締まる目的ではないのに幹線道路上にやたらカメラが設置されていて、それが年々増加していることにはお気づきの方も多いだろう。駅や繁華街にも様々な角度からカメラがあなたを狙っている。

「顔認証システム」というソフトも既に開発されている。多数の人々が映ったカメラ映像の中から顔の特徴をとらえてコンピューターが個体認識が出来る機能だ。

夥しい数の監視カメラに「顔認識システム」が完備されれば、ちょっと街中に出かけたあなたの行動はほぼすべて「誰か」によって追跡されることが、技術的には既に可能になっているのだ。そしてこの「顔認識システム」は日本でも既に首都圏を中心に導入が進んでいる。まだ未確認だが誰もが知っている東京に隣接した大規模なレジャー施設でもこのシステムを既に導入しているとの噂がある。

◆「防犯」の名の下で野放図に進む警察「監視システム」

このような「監視システム」導入の根拠としては、必ず「防犯」があげられる。でも根拠とされる「防犯」は一見理に適っているようだが、一方でプライバシーや一般市民の虞犯性(犯罪を犯す可能性)を根拠としたものであり、本音は「監視」であることが明らかだ。

最大の問題点は私達が知らないうちに何者かによって行動のかなりの部分を「勝手」に撮影されているということだ。これは肖像権の侵害にはあたらないのか。

更に商店で何を購入したのか、どこで誰に会ったのか、その人とどこへ行き、どのくらいの時間をそこで過ごしたのかなどまでが「誰か」によって掌握されるのはまっぴら御免だ。

◆「GPSで犯罪捜査」で国民が払うべき代償は大きすぎる

だが、その「監視」をより正確に警察が行おうとの動きがある。4月17日の朝日新聞は、

「携帯電話のGPS(全地球測位システム)情報を犯罪捜査に使いやすくするため、総務省が通信業界向けの指針(ガイドライン)を見直す方針を固めた。振り込め詐欺といった携帯電話を悪用した犯罪の摘発にいかしたい警察庁などの意向をうけた措置だ。ただ、プライバシーの侵害を心配する意見もある」

と報じている。さらに、

「捜査機関が、裁判官の令状にもとづき、GPS情報を取得できる規定がガイドラインに盛り込まれたのは2011年11月。誘拐犯や指名手配犯の居場所の把握に有効と考えられた。ただ、プライバシーへの配慮から、取得を本人に知らせる「条件」つきだった。だが、被疑者に知られると証拠を隠されたり、逃げられたりする恐れがある。誘拐犯なら被害者に危害がおよぶケースもありうる。こ のため、GPS情報は『捜査には使えなかった』(警察庁)。総務省はこの条件を削除する方針だ」

そうだ。つまり我々「誰もの居場所を携帯電話から警察がいつでも知りうることになる」ということだ。警察はここで「振り込め詐欺」等の防止を理由に挙げているが、そんなものは全くの嘘である。以前本コラム(「迷惑メール詐欺を通報しても警察はまともに対応しないことが判明」)で取り上げたが、私自身が詐欺被害に巻き込まれそうになり、警察に証拠のメールと電話会話の提供を申し出たが、警察は「詐欺かどうかは分からない」、「民事は警察の管轄外なので」(詐欺は民事ではない明確な刑事案件だ)と全く取り合う姿勢が無かった。

しかもそれは一度限りの事ではない。私はこれまで4度同様の情報提供を警察に行おうとしたが、そのうち3回は同様の「門前払い」を食らった。まともに取り扱われてことは1度きりだ。

◆グーグル、アップル、ソニー、アマゾン──「警察国家」構築で結託する要注意企業群

警察の本音は「全国民を常時監視したい」のだ。このような社会を「警察国家」と呼ぶ。そして「警察国家」完成には要注意企業が密接に関連している。

前述の「顔認証システム」を開発したのは「Google」、「Apple」、「ソニー」の3社だ。これに「Amazon」が加わったらどうなるだろうか。

Googleは驚異的なスピードで世界中の情報の集積を行っている。「Street View」などに膨大な資金を投じ、全米図書館所蔵のあらゆる書籍の電子化(著作権の放棄)まで画策したほどだこの思惑はさすがに米国出版社協会の反発を買い和解に至ったが(日本では明石昇二郎氏が孤軍奮闘した。詳細は「Googleに異議あり」2010年集英社 http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0537-b/ に詳しい)。それでも2009年時点で既に200か国で700万冊以上のデジタル化を終えているという。

「アマゾン」利用経験のある読者も少なくないだろう。自宅に早く届くし確かに便利ではある。しかしこれは「Amazon」に限らないがネットで買い物を続けるとその業者に購入者の嗜好が伝わり、これまた個人情報が蓄積されてゆく。仮に「Amazon」と「Google」が業務提携をしたらどうなるだろうか。

あなたが外出するなり「今日はAショップでB(あなたの嗜好品)が3割引き!お得ですよ! ここからの道順はナビが案内します。渋滞が無ければ現地までの凡その所要時間は10分です」という案内を始めはしないだろうか。

「始めはしないだろうか」、ではなくもう既に一部でこのようなサービスは実施されている。GPSによりあなたの行動パターンは携帯電話会社が掌握済みだから、的外れな案内ではなくその日、その時間に足を向けられるような案内がなされればあなたが「3割」お得な買い物に向かっても不思議ではない。

だが、そんな生活は余りにも気持ち悪くはないか。そしてそのような「サービス」は便利かも知れないが「必要なもの」ではない。さらに言えば「サービス」という言葉はふさわしくない。これは「誘導」だ。

◆少し前までしていた生活と同じことを復活させるだけで自由は守れる

私は「誘導」されるのは嫌だ。

そこで考えた。テクノロジーとソフトウエァの無限界な開発に翻弄されない生活を送るためにはどうすればいいのか。

出来るかどうか自信はないが答えは簡単だ。

携帯電話(特にスマートフォン)を使わなければいいのだ。「Amazon」も利用しなければいい。少々時間がかかっても欲しい書籍は近所の書店で注文すればいずれは手に入る。

全然難しいことではない。少し前まで私達がしていた生活と同じことを復活させるだけの事だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎基地も国民も「粛々」と無視して無為な外遊をし続ける安倍の「狂気と末期」
◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎「テロとの戦い」に出向くほど日本は中東・アフリカ情勢を理解しているのか?
◎就職難の弁護士を貸付金強要で飼い殺すボス弁事務所「悪のからくり」

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テレビが嘘を垂れ流す──AKB48を使って虚偽を流布しても「訂正せず」のNHK

私がテレビを見ない理由はいくつかあるが、その中のひとつは「テレビは嘘をつく」ことだ。

やや古い話になるが、2012年1月28日たまたま友人の家に遊びに行っていたら、テレビでNHKの初心者向けニュース解説番組(同番組ブログによる)「麻里子さまのおりこうさま」という番組が、「デモ」を取り上げていた。この番組は昨年すでに終了しているが、腰を抜かしそうな大誤報に直面したので経緯をご紹介する。

◆AKB48のタレントを使い虚偽を流布したNHK

同番組は、篠田麻里子(恥ずかしながら彼女がAKB48のタレントだとは友人に教えられるまで知らなかった)、が視聴者からの投稿を紹介する形で進める番組らしい。しかし初心者向けニュース解説番組とはいえ、AKB48のタレントを使うか、と半ばあきれながら画面を眺めていた。

視聴者からの投稿が取り上げられたのだがその内容は、

「デモとは、デモンストレーションの略であり、ある特定の意思・主張をもった人々が集まり、集団でそれらの意思や主張を他に示す行為です。デモは誰でも起こすことができますが、公務員の仕事をしている人はデモをしてはいけないと法律で決まっているんですよ」というものだった。

篠田は「そうなんですね、公務員以外の方ならだれでもデモができると、確かにこう主張の自由というところが認められている気がしますよね(後略)」などと言っていたが、その時画面には≪公務員の政治行為は国家公務員法102条で禁止されている≫とのスーパーが表示された。「公務員の政治行為」が禁止されているなら公務員は選挙に投票できないじゃないか。そんなあほな話あるかい!と、AKB48のタレントを使い虚偽を流布するNHKは許しがたい!やっぱりテレビはこれだわと呆れ返った。しかしこれは公務員に対する重大な人権侵害だしNHKによるデモ弾圧だ。座視はできない。

しかもタレントを使ったこの手の番組を見ているのは篠田のファンか若年層だろう。私のようなひねくれ者は少ないはずだから視聴者は「公務員はデモ禁止」と信じきったに違いない。

私は「これ大嘘やで、こんな法律解釈完全に間違ってるわ」と少し声を上げたが、その番組を見た私の周囲の人間(高校生を含む成人5名)は「へー公務員はデモに参加したらいけないのか」と一様に反応していた。テレビ恐ろしやである。

◆NHKから届いた公式見解メール

私はこの放送は完全に法律を誤解している上に公務員の権利を堂々と否定しているので、同日夕刻NHKの窓口に電話をかけ、「公務員がデモに参加してはいけないというのは間違っているのではないか」と担当者に告げた。担当者からは「ここで意見を聞いたが、更に述べたいことがあれば番組ホームページから投稿できるのでそちらを利用してほしい」と言われた。糞生意気な態度だが、取り敢えず担当者の案内に従い番組ホームページから上記の疑問を送った(文字数400字の制限あり)。

30日になってもメールの回答がなかったため、再度電話窓口に問い合わせたところ、電話に出た女性がスーパーバイザーに電話を繋いだ。氏は「番組は見ていない」としながらも「公務員がデモに参加してはいけないということはないと思う。私自身昔自治労の人たちとデモをした経験がある。そもそもデモへの参加は憲法で認められている表現の自由だ。公務員の政治活動禁止というならメーデーなどはできない」と語った。「そうだその通りだ。だが放送で真逆のことを流しているから私は間違いを指摘している」と伝えると、「今番組制作関係者の間で公式見解をまとめている。31日には判明するので再度電話してほしい」と語った。

31日、NHKよりメールが届いた。以下がその内容。

田所 敏夫 様

いつもNHKの番組やニュースをご視聴いただき、ありがとうございます。
(※田所注:うちにはテレビがないからいつもは見ていない。たまたま見ただけだ)

お問い合わせの件についてご連絡いたします。

今回のテーマ『デモ』は昨年相次いだ中東、ニューヨークでのデモや日本国内での反原発デモなど国内外で『デモ』に関する報道が多く伝えられていたことから、番組で取り上げることにしました。この為、「政治活動に該当するデモ行為」という前提で番組を構成しています。ご指摘のあった『公務員によるデモ行為』に関しては、投稿及び番組MCの発言を補足する為に、同時に表示したテロップの表記で、公務員の政治活動が禁止されると法律に基づく正しい情報を表示しています。

番組としては、全体を総合的に見れば、政治活動に該当するようなデモが国家公務員法で禁止されていることを伝えているものと考えます。その意味では放送した番組内容に誤りがあるとまでは考えておりません。ただし、ご指摘のように、内容に誤りがあるという感想を持たれた方がいることは事実であり、今後はより一層誤解の無いような番組制作を心がけていきたいと考えております。

今後とも、NHKをご支援いただきますようお願いいたします。
お便りありがとうございました。

「麻里子さまのおりこうさま!」担当
NHKふれあいセンター

相変わらず完全に間違っている。これがNHKの公式見解だというから恐れ入る。「政治活動に該当するようなデモが国家公務員法で禁止されている」などと平気でのたまっているがこれは完全に国家公務員法の解釈を誤っている。が、いくら私が説明しても埒が明かない。NHKは聞く耳を持たないのだから。

◆人事院審査課に国家公務員法102条の意味の詳細を確認してみると……

仕方なく2月1日に国の解釈を確認すべく人事院審査課に電話をして、国家公務員法102条の意味の詳細を尋ねた。審査課の担当者は「102条には人事院規則14-7があり、そこで細かい政治行為と政治目的を定めている」と解説してくれた上で「公務員が参加者としてデモに参加することは全く問題ないですよ。デモの際に暴力行為を働いたりすれば別の法律で罰せられますけどね」と教えてくれた。

「つまり公務員がデモに参加すること自体を法律で禁止はしていないのですね」との確認の問いに「そうです。私も偶然あの番組を見ていたんですがNHKさんは誤解をしているなと感じました」と正しい解釈を教えてくれた。

◆人事院の見解を基にNHKに再度確認を求めてみると……

さすがに人事院の見解に異を唱えることはできないだろうと、NHKに4度目の電話をかけデスクと話した「人事院に確認したところ、先にお送り頂いた文章の法解釈は完全に間違っている。公務員の人権侵害に該当するから訂正放送をする等しっかりとした措置を取るべきだ。どのような措置を取るか決まったら連絡してほしい」と伝えた。

「麻里子さまのおりこうさま」は当時ホームページ持っていて、過去の放送内容などを掲載していたが、問題の「デモ」を掲載した画面に2月1日午前中には記載のなかったコメントが午後になって付け加えられていた。

その内容は、

☆公務員のデモ行為は法律で制限されていますが、すべてが禁止されている訳ではありません。禁止されているのは、国家公務員法102条等で規定されている「政治的行為」に該当する行為です。番組でお伝えしたのも、そのような趣旨です。

というものだ。また間違っている!

この記述では「公務員は限定的にデモへの参加が認められる」としか読めない。人事院の言う「参加は問題ない」と大きくニュアンスが異なるし、テレビを見ていた人間の誤解を解くことは出来ない。再度NHK窓口に電話をかけスーパーバイザーと話をする。

「そういうご意見があったことは上司に伝えておく、こちらからかけ直すことは制度上できない」と言うので、「そもそもこの問題点を指摘したのは私であり、公式見解として受け取ったメールに間違いがあることの指摘をしたのも私の方だ。常に電話代を負担し、NHKの間違いを正すようにアドバイスをしているのであり、自分の意見を述べているのではない。人事院に調査を行ったのも私でそれによってホームページを訂正しているではないか。今から1時間以内に携帯に電話をかけてほしい。そうでなければこの経緯を各メディアに発表する。法律解釈を誤った私へのメールも公表する」と告げた。

後刻番組担当者氏より電話があり、「HPの文章、田所さんに送った文章とも訂正はしない、番組の中その他の訂正もしない」と回答があった。NHKの最終見解である。氏は「(私に)送ったメールは出来れば公開してほしくない」と述べたが、公式見解と言っておきながら公開を望まないのというのは自信のなさの現われだろう。

かように、家にテレビがなく友人宅でたまたま目にした番組が大嘘を垂れ流しているのだ。普通の方のように毎日テレビを見ていれば一体どれほどの誤報に遭遇するだろうか。

個人の好みだから差し出がましいことは言わないが、

「テレビを信用してはいけませんよ」

とだけはお伝えしておく。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎基地も国民も「粛々」と無視して無為な外遊をし続ける安倍の「狂気と末期」
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◎「テロとの戦い」に出向くほど日本は中東・アフリカ情勢を理解しているのか?
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「KY」が気持ち悪くて堪らない──「同調圧力」は子供のようにぶっ潰せ!

「最近は」や「かつては」といった言葉で文章を書き始めるたびに、「ああ、自分も年をとったんだなぁ」と実感する。事実毎年年齢を重ねてきて無為に生きてきてしまったのだから一般的な「老化現象」の初期症状は甘受しなければいけないのだろう。被害者はそれを受け止めざる得ない人たちだ。つまり本コラムで言えば読者の皆さんが「初期老化現象」の被害者なのだが、我慢して読んでいただくとしよう。

カタカナの造語や流行言葉の意味がわからない時「そんなもんわかるかいな」と開き直ると、この態度自体が「初期老化現象」ともいえるのだろう。その恥ずかしい例をご紹介する。

「KY」(空気を読む)という言葉が2006年頃に流行した。2007年には流行語大賞の候補にもなった。元は若者が「空気が読めない、空気を読まない」意味の頭文字を短縮し使い出したところに語源があるらしい。

若者の造語はどんどん生まれてくる。中には定着して日常会話でも使われるようになるもののあるし、立ち消えるものもある。

そんな中にあって「KY」(空気が読めない、空気を読まない)は単なる略語ではなく、今日的な社会の特徴を捉えた含蓄に富む言葉ではないかと思う。「空気が読めない」の空気は「場の雰囲気」と置き換えても意味は変わらないだろう。若者の間では楽しい会話をしてる時、急に自分勝手な話題を展開する子供などがそれに該当するのだろうが、これを大人の社会に当てはめるとどうなるだろうか。

◆古賀茂明氏を「KY」呼ばわりした江川昭子の言には反吐がでる

「KY」は肯定的な意味として使われるわけではない。「空気が読めない」人は困った人だったり、面倒くさい人という無言の了解がある。たとえば3月末に「報道ステーション」の中で自らの降板についての見解を述べ、司会者の古舘伊知郎と口論になった元経産相役人古賀茂明氏の言動なども江川昭子からは「公共の電波で自分の見解を伝えるという貴重な機会を、個人的な恨みの吐露に使っている人を見ると、なんとももったいないことをするのか…と思う」と批判を受けているから大人として「空気を読まない」行動ということになるのだろう(繰り返しになるが私はテレビを見ないのでネット上でその場面を目にしただけだが)。

私は古舘氏も古賀氏も江川氏も意見や行動に同意しているわけではないのでその点から言えば、3者に対する評価は等価である。そこで江川氏の古賀氏批判なのだが、要するに「KYじゃないか」、「テレビの生中継らしい振る舞いをしろよ」という指摘ではないかと私には思える。この批判には納得しかねる。私がテレビを見ない一番の理由は「一方的な価値観を押し付けてくる」息苦しさが嫌いだからだが、同様に「どんな場合でも『予定調和』を崩してはならないとする気持ち悪いまでの気遣い」も堪らない。江川氏の指摘は正に私がもっとも嫌悪する『予定調和』の押し付けルールを古賀氏が乱したことに向けられている。

いいじゃないかそんなもの壊してしまえば。

◆理不尽に黙っているのは美徳ではない

これはテレビの画面の中に限ったことではなく、日々社会生活の中でかなり浸透している「無意識的」な「同調圧力」と関係がありそうだ。相当大雑把に言えば、井戸端会議や親しい友人との会話以外の場面で日本人は「議論」を忌避する傾向にあると思う。それは「会議」の中だってそうだ。会社に行けば「何でこんな馬鹿げた会議をやらなきゃいけないのか」と辟易する定例会議がないだろうか。

「会議」とは名ばかりで上役が勝手な方針を語り、担当者は黙ってその意向を聞かされるだけ。「こんな一方的な上意下伝なら、会議の意味ないじゃないですか。やめませんか」などとは間違っても発言できない。そんなことは「KY」だからご法度だ。

どうしようもない講師の講演会や勉強会などに無理やり出席させられたりした場合もそうだ。「そんな馬鹿なことあるか」と思っても会場からそれを発言することは「KY」だ。

私はこの「KY」が気持ち悪くて堪らない。だから静まり返った会議の席からも講師に質問を投げかけるし、納得できない話に拍手をすることなどめったにしない。

もう少しいえば「KY」は言葉のやり取りや態度だけに限られるものではないだろう。なぜか横並び。そこそこの好き嫌いはあっても所属している集団から逸脱する懸念のある態度や行為は無意識のうちに抑制が働く。理由を問うても「だって仕方ないだろう」が帰ってくるのが関の山だ。個人主義が発達したように見えて実は窮屈になってはいないだろうか、あなたの生活の中での他者への気遣い。

忙しいし、何かと気疲れする毎日の中でいちいち目くじらを立てろなどというつもりはない。だが「神は細部に宿る」との比喩があるとおり、途方もない不正義と矛盾にあふれた今日のこの社会は我々の慎ましやかな日常の積み重ねの上に成立している。理不尽に満ちた日々ならば、ほんの少しだけ行動を変えたり、一言だけ異議申し立てを口にすることは決して意味が小さくはないと思う。礼を失する行動を推奨しているわけではない。理不尽に黙っているのは美徳ではないといいたいだけだ。

本音を申し上げれば、「KY」(空気が読めない、空気を読めない)人間こそ日本に不足している個性だと思う。同調圧力を土台にした予定調和なんかどんどんぶっ潰せばいい。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎労働者にメリット・ゼロの「残業代ゼロ」法案を強行する「悪の枢軸」企業群
◎「テロとの戦い」に出向くほど日本は中東・アフリカ情勢を理解しているのか?
◎貴様!何様!産経様!──全ておかしい産経【主張】に逐一「喝!」を入れてみた

日本を問え!内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え─強い国になりたい症候群』

 

国民監視を強め「とことん吸い上げる」ための住基ネットとマイナンバー制度

「住基ネット」(住民基本台帳)という大変便利なシステムが2002年から導入されている。読者の皆さんは既にその「恩恵」を受けているはずだ。「恩恵」を受けているけれども、その実いったい「住基ネット」ってなんだ?とご存知ない方も多いであろう。

◆「無理矢理」個人識別番号が付与される「住基ネット」は気持ち悪い制度

簡単に説明しよう。総務省によると「住基ネット」(住民基本台帳)は 、
「住民基本台帳は、氏名、生年月日、性別、住所などが記載された住民票を編成したもので、住民の方々に関する事務処理の基礎となるものです。住民基本台帳の閲覧や住民票の写しの交付などにより、住民の方々の居住関係を公証するとともに、以下に掲げる事務処理のために利用されています。
・選挙人名簿への登録
・国民健康保険、後期高齢者医療、介護保険、国民年金の被保険者の資格の確認
・児童手当の受給資格の確認
・学齢簿の作成
・生活保護及び予防接種に関する事務
・印鑑登録に関する事務 」だそうだ。

「住基カード」を受け取っている人も受け取っていない人にも、既に個人識別の番号が「無理矢理」付与されている。こんな気持ち悪い制度、私は勿論大嫌いだからカードを受け取ってもいないし、私に「無理矢理」付与された番号も知らない。

◆総務省は「510億円の経費削減」と言うが、国民には「無用の長物」

総務省のHPではあれこれ「住基ネット」のメリットが書かれているけれども、こんなもの多額のシステム導入費をかけてわざわざ導入するほどのメリットがあるのだろうか。

総務省の「住基ネットはどのように役立っているの?」では、「以下に掲げる住民基本台帳法に定められた国の行政機関等や地方公共団体の事務の処理に関し、約5億6,000万件(平成25年度)の本人確認情報の提供が行われています。
・パスポートの発給申請
・厚生年金、国民年金等の支給
・恩給、共済年金の支給
・司法試験
・建設業法による技術検定 など」とされている。

が、私の身近な厚生年金、共済年金受給者の中に「住基ネット」を利用している人はいない。「司法試験」や「建設業法による技術検定」などに関係する人は国民全体から見ればごくごく少数に違いない。パスポートの申請だって通常は10年に1度の手続きだ。「年間130億円のコストがかかり510億円の経費削減」に貢献していると総務省は言うが、国民の側から見ればこんなものは、「無用の長物」以外の何物でもない。

◆住基ネットのさらに上をいく「マイナンバー」導入の権力濫用

ところが「無用の長物」のさらに上をいく「マイナンバー」制度が導入されようとしている。

内閣官房によると、
「マイナンバーは、住民票を有する全ての方に1人1つの番号を付して、社会保障、税、災害対策の分野で効率的に情報を管理し、複数の機関に存在する個人の情報が同一人の情報であることを確認するために活用されるものです。

マイナンバーは、行政を効率化し、国民の利便性を高め、公平かつ公正な社会を実現する社会基盤であり、期待される効果としては、大きく3つあげられます。
1つめは、所得や他の行政サービスの受給状況を把握しやすくなるため、負担を不当に免れることや給付を不正に受けることを防止するとともに、本当に困っている方にきめ細かな支援を行えるようになります。(公平・公正な社会の実現)
2つめは、添付書類の削減など、行政手続が簡素化され、国民の負担が軽減されます。また、行政機関が持っている自分の情報を確認したり、行政機関から様々なサービスのお知らせを受け取ったりできるようになります。(国民の利便性の向上)
3つめは、行政機関や地方公共団体などで、様々な情報の照合、転記、入力などに要している時間や労力が大幅に削減されます。複数の業務の間での連携が進み、作業の重複などの無駄が削減されるようになります。(行政の効率化)」とされている。

「住基ネット」でこのようなことは出来ないのか(してほしくはないけども)と疑問が湧くだけでなく、恐るべき本音が浮かび上がる。「負担を不当に免れることや給付を不正に受けることを防止するとともに」という文言だ。

これは要するに「行政がより監視を強める」との宣言に他ならない。「本当に困っている方にきめ細かな支援を行えるようになります」などという客引きまがいの釣り言葉に騙されてはならない。「公平・公正な社会の実現」を目指すなら高額所得者から所得税をしっかり取り、消費税を撤廃すればいいじゃないか。詐欺まがいの口上でまたも国民を騙そうとの意図がありありとうかがわれる。

「マイナンバー」が導入されたところで、これは「住基ネット」の「屋上屋根」のようなものだから、仮にあなたが経済的に窮乏しても行政から「生活保護が受けられますよ」などといった申し出がなされることはない。現在窓口に「生活保護」申請に出向いてもあれこれ難グセをつけられ断られることが社会問題化しているのに、その対策を論じることなく単に国民に「2重」の識別番号を付与してどんな福祉政策が展開されるというのだ。

2つ目に「行政手続きが簡略化される」とあるが、それならば【太字】なぜ今ある「住基ネット」を活用しないのだろうか。「行政機関が持っている自分の情報を確認したり、行政機関から様々なサービスのお知らせを受け取ったりできるようになります」とあるが、そんなもの今でも市役所や区役所に行けば問題なく確認できることばかりだ。

3つ目に「3つめは、行政機関や地方公共団体などで、様々な情報の照合、転記、入力などに要している時間や労力が大幅に削減されます。複数の業務の間での連携が進み、作業の重複などの無駄が削減されるようになります。(行政の効率化)」と言っている。これは「住基ネット」が「全く行政の効率化に役立たなかった」と開き直っているのと同義である。

◆「税金の滞納や未納、不正受給を徹底して洗い出す」ための「マイナンバー」

つまるところ、「マイナンバー」は決して福祉目的ではなく「税金の滞納や未納、不正受給を徹底して洗い出す」のが主目的であることは明らかだ。

「平成27年10月に、皆様にマイナンバーを通知するための通知カードが配布されます。 また、平成28年1月以降には、様々なことに利用出来る個人番号カードが申請により交付されます」らしいが、ここで登場する「通知カード」は「通知カードは全ての方に送られますが、顔写真が入っていませんので、本人確認のときには、別途顔写真が入った証明書などが必要になります」ということで、これは「全く何の役にも立たない行政の無駄」の典型に他ならない。

また「個人番号カードは、券面に氏名、住所、生年月日、性別、マイナンバーなどが記載され、本人の写真が表示されます。平成27年10月に通知カードでマイナンバーが通知された後に、市区町村に申請すると、平成28年1月以降、個人番号カードの交付を受けることができます」というわけで、これもわざわざ役所まで出向いて写真を提出するなどしないと入手できないし、入手したところで役に立つのは「本人確認」の時だけだろう。

健康保険証や免許書があれば本人確認は出来るのに、わざわざこんな面倒くさい手続きを喜んでする人がどのくらいいるだろうか。

「マイナンバー」制度はしきりに「本人確認に使えますよ」と宣伝をしているが、逆に言えば取得してもそれくらいの利用価値しかないということだ。

だが、この悪辣な国家は窮乏している人達を主目標に「とことん吸い上げる」為に「マイナンバー」制度を導入する。こんな制度が導入されて普通の国民には何の利益もないことは明白だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎労働者にメリット・ゼロの「残業代ゼロ」法案を強行する「悪の枢軸」企業群
◎基地も国民も「粛々」と無視して無為な外遊をし続ける安倍の「狂気と末期」
◎「テロとの戦い」に出向くほど日本は中東・アフリカ情勢を理解しているのか?
◎自民党の報道弾圧は10日施行の秘密保護法を後ろ盾にした恫喝の始まり

さらば「護憲派」! 「改憲主義者」の憲法条文改正案を公開する!

今や満身創痍の感すらある「日本国憲法」が1947年施行されて今日で68年になる。私の高校時代に政治経済を教えてくれた先生が「私は5月3日が誕生日なので『憲治』と名付けられました。私はこの名前をとても気に入っています」と話していたのを思い出す。師は数年前に定年退職されたはずだが、「日本国憲法」には「退職」してもらうわけにはいかない。

かといって、私はゴリゴリの「護憲」主義者ではない。日本国憲法が保持する精神の大方には賛同しつつも、自主憲法制定を「党是」とする自民党や多くの「改憲主義者」の目指す方向とは全く異なるが、厳密に分類すれば私は「改憲主義者」である。なぜか。それは「日本国憲法」の前文とそれに続く1条から8条の間に横たわる、あまりにも大きい乖離と不和解をどうしても受け入れることができないからだ。

◆私たちは憲法の前文に見合うような「努力」をしてきただろうか?

「日本国憲法」前文は文章として読んでも相当に躍動感がある。今この時代には考えられないような崇高な文章だが、それを生業とする人が「語る」と刺激や味わいは倍化する。「テレビに出ることのできない芸人」松元ヒロ氏の「憲法前文」はその好例だろう。

「革命宣言」と言っても過言ではないようなみずみずしい言葉が並ぶ「憲法前文」は、その思想性と到達目標の高さにおいて、芸術の域に達しているともいえよう。省みて私達はこの憲法前文に見合うような「努力」をしてきただろうか。政治家はこの理念を頭において行動しているだろうか。

さて、前述の通り私は「憲法前文」や9条以降には賛同するけれども。1条から8条までは、どう考えても納得がいかない。この憲法が施行された第二次大戦直後とはそれまで「現人神」だった天皇が「人間宣言」をした直後という事情を鑑みれば、この不徹底さは致し方なかったのかもしれないが、それこそ施行からもうすぐ70年になろうとしているのだ。自民党や「改憲派」が言うように「時代に合わせた」憲法を、彼らとは正反対の立場から、現憲法の精神を保持しながら模索するのは許されないことではあるまい。

◆これが私の改憲案──条文をこう改正すれば、憲法前文の理念を実現できる!

そこで私の改憲案を以下記す。

前文=現行憲法のまま

1条 日本国の主権は国民に存する。外国籍をもつ居住者にも不利益がないように諸法律は配慮されなければならない。

2条 天皇制、貴族制その他出生により身分を定めるあらゆる制度、因習はこれを絶対的に排除する。

3条 日本国に生活する人々は平等に生まれ平等に生活する権利を保持する。

4条 あらゆる差別はこれをしてはならない。差別を温存、助長するいかなる制度も認めない。

5条 日本国は国民に強制するいかなる国旗、国歌も保持しない。

6条 日本国民は本憲法に対立し、国民の恵沢に尽力しない政府が成立した際はその政府を排除する権利を有する。

7条 国会議員及び公務員は国民の福祉実現の為に尽力する公僕であり、その権力を過剰行使することはあってはならない。

8条 国民は主権者たる責務と公正な社会の実現に向け努力する義務を負う。

9条以降=そのまま

2015年5月3日現在、日本国憲法21条により「言論表現の自由」は、まだ認められている。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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《大学異論36》「共生」否「強制」で分裂する青山学院大「地球社会共生学部」

青山学院大学で新学部設置に必要な学則改正が適正に行われなかったとして、同大学国際政治経済学部の小島敏郎教授が4月8日、青学と仙波憲一学長を相手取り、学則改正の無効確認などを求める訴訟を東京地裁に起こした。

訴状などによると、問題になったのは今年度開設した「地球社会共生学部」。同学部の設置に対し、学則に定められた教授会の議決を経ずに承認手続きが進められたとし、「仙波学長が新学部の開設を急ぐあまり、大学内部の合意形成に十分な時間を割かなかった。学則の改正は無効で、青学に新学部は存在しない」などと主張している。小島教授によると、既存の9学部のうち、新学部設置を承認しなかったのが法学部など3学部もあるという。

◆箱根駅伝で初優秀した学生の奮闘とは逆に学園内部は大混乱

青学の問題については2014年12月26日このコラムで指摘した。その為か(そんなことがあるはずはないが)正月の箱根駅伝で青山学院は史上初の優勝をしてしまったが、学生の奮闘振りとは逆に学園内部は完全に混乱状態のようだ。以前の記事では青山学院大学(高校・中学を含む)教職員の285人(総数の約2割)の人々が原告になり、同学校法人を相手取り一時金の減額を巡り提訴がなされていたことをご紹介したが、今回は「地球社会共生学部」創設をめぐる争いだ。原告の小島教授は「青山学院に新学部は存在しない」と主張されているが、残念ながら「存在」はしているようなのでその手続きの不当さから「学部の閉鎖」を求めるほうが妥当ではないかという気がする。

◆地球社会共生学部の「羊頭狗肉」──これでよく文科省審査が通ったな!

そもそも「地球社会共生学部」などという名称で、よく文科省の審査が通ったな、というのが私の正直な感想だ。というのは青山学院大学には既に「国際政治経済学部」、「総合文化政策学部」、「社会情報学部」が設置されているからだ。とくに名称だけを聞けば「国際政治経済学部」と同教育内容がどのように異なるのか疑問がわくのは当然だろう。

「地球社会共生学部」は新興宗教の如き響きがある上に学部紹介の文章では「青山学院大学地球社会共生学部では、共に生きる―共生マインドをテーマに、急成長する東南アジアを学びのフィールドの中心として、教養と社会科学の専門性を併せ持った、グローバル人材を育成します。世界の経済は、これまで欧米を中心としていましたが、今後、アジアを中心とした経済に変わろうとしています。また、アジアは世界最大の英語使用圏になると予想されており、コミュニケーション能力の向上が大きなテーマとなっています。社会を生き抜く上で、必要な能力を身に付け、幅広い分野で活躍できる人材を育成するための様々なプログラムを用意し、世界に羽ばたける人材を育てます」と書かれている。この学部はどうやらアジアに特化した教育を目指すらしいことが伺われる。

ならば「アジア」を冠した学部名を何故つけなかったのだろうか。「地球社会共生」と言えば異文化の衝突や宗教問題や南北問題を学ぶのかと思いきや「アジアは世界最大の英語使用圏になると予想されており、コミュニケーション能力の向上が大きなテーマとなっています」と志と学問的視野、さらにはターゲットが極端に狭い。これは要するに「英語を教える」学部だということを回りくどく語っているだけだ。

このような「羊頭狗肉」の学部を創ろうとすれば、当然学内の良識派から反対が出るだろう。出なければおかしい。大学は教学内容を「学則」によって定めるが、まともな執行部構成員は学則変更にだって反対するだろう。にもかかわらずこの学部が開設されたということは、青山学院大学の運営が民主的ではないことを物語る。あるいは執行部構成員や、学長の教養が相当程度低いものであるのかもしれない。

教職員の一時金カットで訴訟沙汰になり、宗教まがいの「地球社会共生学部」を開設した青山学院大学は当面進学がお勧めできない大学である。志望者も箱根駅伝の活躍にもかかわらず減少してゆくだろう。大学で独裁的な経営を行うとそれまで積み重ねてきた歴史や名声がだんだん崩れてゆく例を青山学院はこれから見せてくれるだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎《大学異論23》青山学院大学──経営者自らがぶち壊す「青学ブランド」
◎《大学異論22》真っ当に誠実さを貫く北星学園大学の勇断に賛辞と支援を!
◎読売「性奴隷表記謝罪」と安倍2002年早大発言が歴史と憲法を愚弄する

もしもいま、日本で韓国の高校生たちが「集団万引き」をしたらどうなるか?

日本の高校のサッカー部員らがこの3月、韓国で「集団万引き」をした事件で、被害に遭ったソウル・東大門のショッピングモールの商店主たちが、処罰を望まないという意思を警察に伝えていたことが分かった。4月14日の朝鮮日報日本語版によれば、商店主たちは、高校生らが韓国で重い処罰を受けた場合、東大門商圏の主な顧客である日本人観光客たちの客足が途絶える可能性があると懸念したという。

ソウル中部警察署が4月13日に発表したところによると、被害に遭った9店舗のうち一部の店主たちは「日本の高校生たちに寛大な措置を講じてほしい」との意向を警察に伝えたという。店主たちはその理由として「高校生たちは未熟で、彼らが処罰を受けた場合、周辺の商圏に否定的な影響を与えかねない」と述べたという。

埼玉県の私立高校がソウルへ練習試合に出かけた帰路、集団(22人)で万引きを行ったことが発覚した事件だ。東大門のショッピングモールと表現されているが実際は小さな商店が軒をならべる「市場」と言った方が似つかわしい雰囲気の場所だ。

この悪戯が過ぎる高校生たちは、親や学校からこっぴどく叱ってもらわねばならない。高校生(中学生)の集団万引きは今日に始まったことではなく、「あれが欲しい」という動機ではなくても「あいつがやっても大丈夫だから」と付和雷同的に引きずられ、ついつい気楽に悪さをしてしまう。そんな心理が生徒たちには働いたのだろう。

◆「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌えた80年代韓国の不良たち

同様の「悪さ」は昔、韓国でも問題になったと留学生から聞いたことがある。韓国社会は急変しつつあるとはいえ、いまだ日本に比べれば封建的な側面が残っており、特に「教師」への尊敬の念は幼少の頃から叩き込まれる。だから日本同様に生徒同士の喧嘩や、万引きなどは同じように昔からあったけれども、「正面切って教師に刃向う」不良生徒は皆無だったそうだ。

そして韓国では80年代まで多くの高校で日本の詰襟同様の制服が残っていて、不良生徒は丈の長い上着に、ズボンをダブダブに太くするのが「不良文化」だったそうだ。誰が伝えたのか(自然発生なのか)知らないけれども、似なくてもいいところが似るものだ。もっとも詰襟の制服は日本支配時代の遺物であり、彼らは「ラジオ体操」まで学校で習っていたというから笑えない歴史でもある。

そんな韓国の不良たちはラジカセを抱えてタバコを吹かしながらある日本の歌謡曲を繰り返し聞いていたという。それはいしだあゆみの「ブルーライト横浜」だ。なぜに「ブルー・ライト・ヨコハマ」なのか、複数の元不良に調査したが誰も理由は分からないと言っていた。日本語が分からなくても「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌える不良が結構いたらしい。

◆もしもいま、韓国の高校生たちが日本で「集団万引き」をしたら……

さて、今回の集団万引き事件だが、もし逆の事が日本で起こっていたら、どんな報道がされて、インターネットではどんな言説が飛び交っていただろうか。こんな「仮定」自体が韓国には失礼だけれども、想像するだけで気分が悪くなるようなヒステリックな差別が飛び交っていたのではないか。

問答無用の「嫌韓人」には何も伝わらないだろうけれども、「東大門のショッピングモールの商店主たちが、処罰を望まないという意思を警察に伝えていたこと」ことは謙虚に受け止めるべきではないだろうか。

日本だけにいると、あたかも韓国は世界中から嫌われているかのような雑誌の特集や書籍を多く見かけるが、毎年BBCが実施している国別好感度調査によると2014年度日本の好感度は第5位で韓国は11位だ。逆に嫌悪度では日本が11位で韓国が9位だ。因みに好感度1位はドイツで最下位はイスラエルとパキスタンである。参考までに米国の好感度は8位で嫌悪度は7位となっている。

世界は多様な価値観で構成されている。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え─強い国になりたい症候群』

 

チェルノブイリ事故から29年──「脱原発」なくして事故国はもたない事実

「トシオ、チェノールブ(チェルノブイリの英語訛り)で原発が爆発したよ。どうなるんだい。日本人は広島で原爆落とされたから核のことには詳しいんだろう?」

初めて長期滞在した豪州でチェルノブイリ原発事故を知ったのは事故から何日後だっただろうか。シェアーハウスに住む大学生たちは皆かなり真剣にこの事故を議論していた。ただ、私は語りたいことは山ほどあったけれども当時の語学力がそれには到底及ばなかったので歯がゆい思いをした記憶がある。

豪州の学生たちは「ヒロシマ、ナガサキ」を実によく知っていた。さらに言えば日本ではあまり知られない「ムルロア環礁」での核実験への批判的関心も高かった。原発を持たない豪州においては「原子力」と「核」といった日本語のような恣意的な使い分けはなく「Nuclear」はすなわち「核」を意味していた。

◆広島は地獄だった──被爆した叔父は核と天皇を一生赦さず50代で死んだ

私は法律ではそう分類されないけれども、厳密に言うと「被爆2世」だ。広島市内在住で5歳だった母親は市外に疎開をしていたけれども、きのこ雲を見た記憶が残っていて何度もその話を聞いた。爆心地近くにいた伯父たちは奇跡的に誰も命を落とさなかったが、皆50歳前後で癌を発症して亡くなった。勿論その伯父達は「被爆手帳」を持っていたから亡くなったあとには広島の原爆犠牲者慰霊碑の中にその名前が記されたのだろう。

原体験が親の原爆にあることが作用してか、私にとって「核兵器」や「原発」は理屈以前に忌避、嫌悪の対象だった。

50歳を過ぎて癌を発症し、わずか2か月で亡くなった伯父は財閥系の商社で副社長まで上り詰めていたけれど、「としおちゃんな。天皇(昭和)は絶対許せんよ。何が象徴天皇制だ! おじさんの同級生の中で生き残ったのはクラスで3人だけ。みんな15歳や16歳で死んでもうた。そりゃひどいもんだったよ。原爆の時は何が起きたかわからなかった。下宿が崩れたからね。『地獄』はあんなところのことを言うんやね。そんな戦争を仕掛けておいて、今もノコノコ生きてる天皇は絶対に許せんのよ」と酒を飲めば語ってくれた。癌を発症しなければ次期社長は確実視されていたので「異端の社長」となっていただろうに、直前で亡くなってしまった。

そんな話を豪州の学生連中にしたかったのだけど、言葉の拙さゆえかなわなかった。

◆事故後5年でソ連が崩壊し、30年弱経っても「石棺」化作業は続く

その事故から約30年。チェルノブイリでは事故を終息させるために爆発した炉心を覆った「石棺」と呼ばれるコンクリートがもう既に劣化を起こし出し、「第二石棺」を作る作業が行われているそうだ。こうやって何度も何度も同じようにコンクリート(将来的にもっと防御に優れた材料が開発されればそれ)をひたすら塗り替え難を凌ぐ他に、核から逃げおおせる方法がないということをチェルノブイリは教えてくれている。

チェルノブイリ原発事故の犠牲者数には下は4000人から上は数百万人までと議論があるらしいが、そんな議論にはあまり意味はない。

勿論、死者の数は正確に数えられ、報告されるべきだ。だが、「核」を放棄しない世界秩序の中で「公正中立な調査」などは期待できるはずがない。国連の安全保障理事会の常任理事国(米、仏、英、露、中)は核兵器保有国だし、NPT(核拡散防止条約)などは「不拡散」という表現が示す通り現状の「核」保有を問題にはしていない。「問題にする」どころか、肯定している。

IAEA(国際原子力機関)は核推進派の組織に他ならないし、ICRP(国際放射線防御委員会)はひたすら「安全神話」を構築するための数字のねつ造に忙しいだけだ。NPTは、パキスタンや、イランが核開発を行うと「けしからん!」といきり立つけども、自身が保有する「罪」について省みることなど金輪際ない。

そういう不平等な世界の中で、皮肉にもまだ当時、冷戦構造の片側巨頭であったソ連でこの事故は起こった。後にゴルバチョフ政権で「ペレストロイカ」や「グラスノスチ」が進んだからソ連は崩壊した(1991年12月)という見方も間違ってはいないだろうけれども、ソ連崩壊の原因の1つがチェルノブイリ原発事故であったこともまた事実だ。

◆フクシマ事故を経験した日本がとるべき道はおのずから明らかだ

そう考えれば、「2011・3・11フクシマ」を経験した日本がとるべき道はおのずから明らかだ。この国に住み続けたいのであれば、この国を破滅させたくないのであれば、原発は即時全機廃炉しか選択肢はない。

それに異を唱えるすべての言説は邪論だ。

「経済」だの「保守」だのを口にする連中がどうしてこんな初歩的なことを理解しないのか不思議だ。「経済」も「保守思想」もこの国に住むことが出来るという前提で交わされたり論じたりされる営為ではないのか。

死にそうになったじゃないか。日本が。

そして今も、ギリギリの崖っぷちに立ってるだけじゃないか。

本コラムで紹介した通り東電の廃炉責任者は「正直」に「廃炉が出来るかどうかは分からない」と語っている。

これ以上どんな材料を提示すれば「絶対的危険」に気が付いてくれるというのだ。

原発全機即廃炉が最も国益(私は興味ないけども)に資する選択だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎「福島の叫び」を要とした百家争鳴を!『NO NUKES Voice』第3号本日発売!
◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す
◎福島原発事故忘れまじ──この国で続いている原子力「無法状態」下の日常
◎基地も国民も「粛々」と無視して無為な外遊をし続ける安倍の「狂気と末期」

 

《追悼》船戸与一には何度も思いっきり殴られた

『砂のクロニクル』(1991年11月毎日新聞社)
『砂のクロニクル』(1991年11月毎日新聞社)

「本文からではなく、解説から読む癖のある読者諸兄姉のために、ひとこと申し上げる。あなたの身は間違いなく本書の放つ劫火(ごうか)に焼かれ、その力に薙ぎ倒されるであろう。勝利者たちのこしらえる『正史』に激しく抗う者たちの瞋恚(しんに)の炎が、頁という頁にめらめらと燃えているからだ。真実の『外史』が、虚偽の正史を力ずくで覆しているからである。しっかりと心の準備をしておいたほうがいい。備えが済んだら、ひとつ深呼吸をして『飾り棚のうえの暦に関する舌足らずな注釈』から、目を凝らして、ゆっくりと読み進むがいい。熱くたぎる中東の坩堝に(るつぼ)に足もとから徐々に呑みこまれてゆくだろう。そして、読破した時、あなたの見る世界はそら恐ろしいほどに色合いを変えているはずだ。以上のみを言いたい。以下は蛇足である」

船戸与一代表作『砂のクロニクル』の解説に辺見庸が寄せた文章の書き出しである。

辺見のこの絶賛に誇張はない。大方の船戸作品の解説にも援用できそうな比類ない名解説だと思う。

とうとう船戸与一が鬼籍に入ってしまった。いつかこの日が来ることは覚悟はしていたけれども、ニュースサイトで船戸の訃報に接したとき、「え!」と声を上げてしまった。

◆船戸の内部に横たわっていた絶対的な物差し

私は船戸に何度も思いっきり殴られた。喧嘩の仕方も教わったし、語学習得のコツも教わった。気が付けば銃器の扱いの基礎も船戸から教わっていたので初めて自動小銃に触れた時も思いのほか違和感がなかった。

船戸は私にとって歴史、政治学、地理学、人類学の教師でもあった。意外かもしれないが「倫理学」も時々示唆してくれた。どちらかと言えば「左巻き」の私の思考傾向をいつもハンマーでぶち壊してくれた。船戸の内部には「正義」などなかった。もちろん「革命」への幻想など持ち合わせていなかった。でも船戸は「正義」を信じ行動する人間や「革命」に命を懸ける人間を決して軽蔑しなかった。

船戸の内部に横たわっていた絶対的な物差しがある。それは船戸が(自身がそうであるように)「硬派」を一貫して支持つづけた姿勢だ。「硬派」は右にも左にも国家の中にも国家の滅亡を目指すものの中にもいる。船戸の着眼は常にそういった「硬派」へ向けられていた。

◆「彼らを日和らせたくないから、そのためには殺すしかない」

『蝦夷地別件』(新潮社1995年のち新潮文庫、小学館文庫)
『蝦夷地別件』(新潮社1995年のち新潮文庫、小学館文庫)

船戸作品にあっては主たる登場人物は必ず死ぬ。私自身勝手に「船戸ファイナル」と名付けていた極端も過ぎるダダイスティックな結末が必ず準備されている。不謹慎ながら読者としては愛すべき「硬派」達が最後には破局に向かうのが必定と解りながらもそわそわしながらページをめくる。

そしていざ導火線に火が付けば、それこそ書籍の中から戦場が立ち上がって来る。ありもしないヘモグロビンの血生臭さや、硝煙が生のように感じられるから不思議であることこの上ない。

あるインタビューで船戸は最後に登場人物を何故殺してしまうのか、と問われて答えていた。

「生きていると人間は日和るんです。彼らを日和らせたくない。その為には語らせないように、つまり殺すしかないわけです」

随分と恐ろしことを平気で言ってのける。さすが船戸だと感じいった。

船戸の中にはよって立つべき「主義」や「主張」など一切なかった。ただ船戸自身の皮膚感覚と常人を逸した取材力の賜物が奇跡を可能にせしめたのだろう。

「私は船戸に何度も思いっきり殴られた」と書いたが、勿論実際に殴られたわけではない。書物を通しての一方的受信しかなかった。

ただ一度だけ船戸と短い時間電話で言葉を交わしたことがある。講演を依頼しようと思い自宅に電話をかけたのだ。講演の趣旨とに日程を伝えると船戸は、

「その時は日本にいません」

とだけ語り電話を切った。

船戸に語らせるなど、無粋に過ぎる。断られてよかったと思っている。前出の辺見庸が『屈せざる者』(角川文庫)で船戸に人生論を語らせようとして、見事に失敗している。読んでいて心地よい失敗は珍しい。

船戸は自身の時代認識を時折登場人物に語らせる。

『炎流れる彼方』(集英社文庫)で元ブラックパンサー活動家が語る。

「1960年代の終わりから70年代のはじめにかけて、1日たりともぐっすり眠る暇なくおれたちは動きまわった。燃えさかる炎のようにな。状況は厳しかったが、精神は躍動していたんだよ。ところがいまはどうだ?80年代は最低だ。ほとんどだれもが健康のことしか考えていない。ジョギングと禁煙、ライトビールだけの時代だ。それで百歳まで生き延びたから何だというんだ?もうすぐ90年代にはいるが、それがどういう時代になるのかわからねえ。だがな、あのころのようにはなるまい。おれたちがめまぐるしく動きまわったあの頃みたいにはな」

『炎流れる彼方』の中で「最低だ」と言われた80年代から20余年、船戸は私の勘ではたぶん自覚的に人生の集大成として『満州国演義』(新潮社)を10年がかりで昨年完成させ力尽きた。『満州国演義』を読み進むうちに私は懇願にも似た気分になった。

「分かった。情熱は痛いほどわかった。でも船戸与一にはもっともっと世界を書いてほしい。

『満州国演義』こんなに入れ込んだら次書けるのだろうか」

懸念が現実になってしまった。もう新しい船戸作品は読めない。悲しい。

2015年3月18日、日比谷の帝国ホテルで開かれた第18回「日本ミステリー文学大賞」贈呈式に車椅子姿で出席した船戸与一氏。(撮影=ハイセーヤスダ)
2015年3月18日、日比谷の帝国ホテルで開かれた第18回「日本ミステリー文学大賞」贈呈式に車椅子姿で出席した船戸与一氏。(撮影=ハイセーヤスダ)

『満州国演義』全9巻(新潮社2007-2015年)の広告コピー文(新潮社HPより)

【1巻】『風の払暁―満州国演義1』2007年4月20日(383頁)あの地が日本を、俺たちを狂わせた――。四兄弟が生きざまを競う冒険大河ロマン! 第二次大戦前夜。麻布・霊南坂の名家に生れながらも外交官、馬賊の長、陸軍士官、劇団員の早大生と立場を全く異にする敷島四兄弟が、それぞれの運命に導かれ満州の地に集うとき……中国と朝鮮、そして世界を巻き込む謀略が動き出そうとしていた。相克する四つの視点がつむぎだす著者渾身の満州クロニクル、いよいよ開幕!

【2巻】『事変の夜―満州国演義2』2007年4月20日(415頁)※1巻と同時発売

【3巻】『群狼の舞―満州国演義3』2007年12月20日(420頁) 国家を創りあげるのは、男の最高の浪漫だ――昭和七年、ついに満州国建国。 国際世論を押し切り、新京を首都とする満州国が建国された。関東軍に反目しながらも国家建設にのめりこんでゆく太郎、腹心の部下だった少年と敵対する次郎、国のために殺した人間たちの亡霊に悩まされる三郎、ひとり満州の荒野を流浪する四郎……二十世紀最大の浪漫と添寝を始めた男たちの、熾烈な戦いは続く。白熱の第三巻。

【4巻】『炎の回廊―満州国演義4』2008年6月20日(462頁) 希望に満ちた未来は消え、恐怖と狂気が大地に滲む――帝国の終焉が始まる最新刊。 「増殖する反乱分子を防ぐ方法はただひとつ――“恐怖”しかない」。脅威を増す抗日連軍、二・二六事件に揺れる帝都、虎視眈々と利を狙う欧米諸国。夢と理想に隠されていた、満州の真の姿が明らかになる。混沌が加速するなか、別々の道を歩んだはずの敷島四兄弟の運命も重なり、そして捩れてゆく……怒濤の書き下ろし850枚!

【5巻】『灰塵の暦―満州国演義5』2009年1月30日(470頁) 「見たんですよ、この世の地獄を」日支全面戦争に突入! 戦火は上海、そして南京へ――。 満州事変から六年。理想を捨てた太郎は満州国国務院で地位を固め、皇国に忠誠を誓う三郎は待望の長男を得、記者となった四郎は初の戦場取材に臨む。そして、特務機関の下で働く次郎を悲劇が襲った――四兄弟が人生の岐路に立つとき、満州国の運命を大きく動かす事件が起こる。「南京大虐殺」の全容を描く最新刊。

【6巻】『大地の牙―満州国演義6』2011年4月28日(428頁) 国家に失望したとき、人々が縋ったものは――現在をも読み解く待望の最新刊! この国はもはや王道楽土ではなく、関東軍と日系官吏に蹂躙し尽くされた――昭和13年。形骸と化した理想郷では、誰もが何かを失っていく。ある者は志を、または情を、あるいは熱意を、そして反抗心を。虚無と栄華が入り混じる満州に、北の大国が襲い掛かる。未曾有のスケールで紡ぐ満州全史、「ノモンハン事件」を描く第6巻。

【7巻】『雷の波濤―満州国演義7』2012年6月22日(478頁) バルバロッサ作戦、始動――日本有史以来の難局を、いったい誰が乗り越えられるのか。 昭和十六年。ナチス・ドイツによるソビエト連邦奇襲攻撃作戦が実施された。ドイツに呼応して日米開戦に踏み切るか、南進論を中断させて開戦を回避するか……重要な岐路に立つ皇国を見守る敷島四兄弟がさらなる混沌に巻き込まれていくなか、ついにマレー半島のコタバルに戦火が起きる。「マレー進攻」に至る軌跡を描く待望の最新刊!

【8巻】『南冥の雫―満州国演義8』2013年12月20日(430頁) 追ってくるのは宿命か、自らの犯した罪の報いか――完結へのカウントダウン。 昭和十七年。南方作戦の勝利に沸く満州に、米軍による本土襲撃の一報がもたらされる。次々と反撃の牙を剥く大国、真実を隠蔽する大本営、無意味な派閥争いに夢中の司令官たち……敗戦の予感に人々が恐慌するなか、敷島次郎はあえて“死が約束された地”インパールへと向かう??唯一無二の満州クロニクル、いよいよ終焉へ。

 

【9巻】『残夢の骸―満州国演義9』2015年2月20日(476頁) 満州帝国が消えて70年――日本人が描いた“理想の国家”がよみがえる! 今こそ必読の満州全史。 権力、金銭、そして理想。かつて満州には、男たちの欲望のすべてがあった――。事変の夜から十四年が経ち、ついに大日本帝国はポツダム宣言を受諾する。己の無力さに打ちのめされながらも、それぞれの道を貫こうとあがく敷島兄弟の行く末は……敗戦後の満州を描くシリーズ最終巻、堂々完結。

 

▼田所敏夫(たどころ としお)兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気

◎「福島の叫び」を要とした百家争鳴を!『NO NUKES Voice』第3号本日発売!

◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す

内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え 強い国になりたい症候群』大好評発売中!

 

 

内田樹×鈴木邦男『慨世の遠吠え』生対談がジュンク堂難波店で実現!

内田樹氏と鈴木邦男氏の対談がファン待望の中、実現し書籍となった。『慨世の遠吠え 強い国になりたい症候群』が鹿砦社から3月16日発売になり、それを記念してのトークショーが4月20日ジュンク堂難波店で行われた。

会場には立ち見が出るほどの盛況ぶりで内田、鈴木両氏の人気と同書への関心の高さが伺われた。

意外と言えば意外なのだが、両氏の対談は鹿砦社の福本氏が持ち掛けるまでどの出版社からもオファーが無かったという。

鈴木邦男氏と内田樹氏(2015年4月20日ジュンク堂難波店)

巻頭で鈴木氏が「これはもう、対談本ではない。『対談本』の概念・領域を超えている。これだけお互いの全存在を賭けて話し合い、闘った本は他にはないだろう」との告白で始まる同書は映画館や、会議室など幾度も場所をかえての対談が行われ、その真骨頂として鈴木氏が内田氏が師範を勤める道場に乗り込み合気道で闘う。

その貴重な「闘い」の場面を記録した写真も収められているので、両氏の愛読者には欠かすことのできない貴重な「対談本を超えた対談本」となろう。

◆武道家で読書家の二人が織りなす「しなやか」な言葉の織物

この様に紹介すると誤解されるおそれがあるが、本書の対談は「右・左」といった位相から語るのではなく、共に武道家でもあり驚異的な読書家で博覧強記のお二人が織りなす言葉の織物のように「しなやか」に進んでいく。ある種の芸術作品のようだ。

トークショーでは主として内田氏のパワーが炸裂していた。立て板に水の語り。しかも対談者は聞き出すことにかけても天才的な才能を持つ鈴木氏となれば、時間がいくらあっても足りない印象を受けた。

内田 樹 氏

戦国時代に日本人はかなり世界に広く出かけて行っていて、今で言うところの「グローバル」の先端を行っていたこと、源平の戦いは水を司る者と陸を司る者の闘いであったこと、水を司る勢力が権力を握った時代、日本は外国に開かれていた……。と興味を誘う話題は尽きない。

同書のエッセンスをお伝えすることは出来るにしても、やはり読者諸氏が実際に手に取ってお読みいただきたい。そして受動的な「読者」としてではなく、この「対談本を超えた対談本」への更なる知的格闘の参加者として挑まれれば「書籍」の域を超えた刺激が待っていることだろう。

 

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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